気付きの質

小学1年生のクラスで子どもたちが混乱する状態である「小1プロブレム」という状況を改善しようと、今回の小学校学習指導要領では「スタートカリキュラム」を作成することを提案しています。さらに、小学校低学年では、幼児教育の成果を踏まえ、体験を重視しつつ、小学校生活に適応すること、基本的な生活習慣等を育成すること、教科等の学習活動に円滑な接続を図ること、などが課題として指摘されました。そもそも生活科を新設した時の趣旨の中には、幼児教育との連携が重要な要素として位置付けられているのです。しかし、どうも、多くの小学校では、就学前教育として、早く小学校の教育課程を理解し、その教え方を学び、子どもたちを速やかに小学校教育に移行することが必要であるというようなとらえ方をしているようです。

 先日、小学校で1年生の授業参観した後の意見交換会で、私はこう感想を言いました。「教科書を使って、先生からの言葉だけで授業をしているときは、クラスで2割くらいの子はまったく作業をせず、教科書も開いていませんでした。それが、途中から担任が、手拍子など子どもたちが自ら手を動かしたり、演技をしたりするような授業をしたところ、一人、二人と参加し始め、最後には全員の子どもたちが参加していました。やはり、1年生ではまだまだ幼児性が残っているのだという感想を持ちました。」それは、まだ小学校1年生では、実際の活動、実体験などから学ぶことが必要であると言いたかったのですが、それを受けて校長先生は、「だから、幼児期からキチンと小学校の課程を学んでもらって、早く幼児性から脱して小学校に送り出してほしい!」というようなことを言ったのです。そして、「それがスタートカリキュラムです。」と付け加えました。

 今回の改訂における生活科に「気付きの質を高め、活動や体験を一層充実するための学習活動を重視する。また、科学的な見方・考え方の基礎を養う観点から、自然の不思議さや面白さを実感する学習活動を取り入れる」としています。この「気付きの質を高める」ということはどういうことなのでしょうか。文科省では、「見付ける、比べる、たとえるなどの多様な学習活動を工夫すること」が例示されています。そして、児童の主体的な活動によって生まれるものである」としています。また、気付きは次の自発的な活動を誘発するものとなるとしています。

 そして、この「気付きの質」は、先生からの話を、黙って、キチンとイスに座って、静かに聞くことで高まるのではなく、「活動や体験を繰り返したり他者とともに活動したりすることで、自分と対象とのかかわりが深まり、気付きが質的に高まっていくようにするとともに、気付きの質を高めて、次の活動や体験の一層の充実につなげていくことを目指している。」と書かれてあります。さらに、また、気付きの質を高めることが、科学的な見方や考え方の基礎を養うことにつながることから、例えば、児童が自然に対して関心をもち、積極的にかかわろうとすることを目指して、自然の不思議さや面白さを実感する学習活動を取り入れることが要請されています。

 ここでも、たとえば、科学的な見方や考え方の基礎を養いために、「自ら環境に働きかけ、その環境をの相互作用により発達していく」とする保育所保育指針とまったく共通する事が書かれてあります。そして、大切なことは、「不思議さや面白さを実感する学習活動」が大切であるとしています。

 ここにつなげる幼児教育における学校教育であれば抵抗はないのですが、現場で行われている小学校教育のための就学前教育である学校教育であれば、少し心配になります。

気付きの質” への5件のコメント

  1. 先日、ニュージーランド在住の友人に会う機会ができました。日本人同士の夫婦ですが、子どもをインターナショナルな環境で育てたいと現地の学校に通わせたそうです。向こうの幼稚園では卒園式はありません。5歳児の誕生日を迎えた子から一人抜け二人抜けして小学校に通います。日本のように「春4月みんな一緒にランドセルしょって入学式」ということはないそうで、それぞれの子どもの誕生日から義務教育なんだそうです。型にはまらない自由な教育が垣間見えます。実際には、誕生日以前に「慣らし登校」もあって、教える先生は、新入生一人一人に個別対応します。

    向こうの学年のシステムは少し複雑なので説明は省きますが、就学前教育の終わりから小学校の低学年は、「キンダーガーデン」「プリスクール」と呼ばれ、その2学年は「本格的な小学生」になるための移行期間―つまり「慣らし学年」の位置づけにあります。「テ・ファリキ」という統一カリキュラムを創り、世界に先駆けて「幼保一元化」を実現したニュージーランド。幼・小・保の連携でも大いに学ぶことがあります。

  2. 小学校との対立という形になってはいけないと思いつつ、小学校でやっている事に向けてという思いを強くぶつけられると反論したくなるときがあります。上に合わせてほしいと言われると、いやいや子どもの発達は0歳からきちんと見ていかないとと言いたくて仕方なくなります。でもそんなことをやり合っていても何にも改善しないんでしょうけど。読んでいて思ったのが、気づきの質を高めるというのは外からの力で高めていくというよりも、子ども自身の働きかけによって高まっていくものだろうということです。子どもたちが積極的に行動することで気づきの質は変わってくので、どのような学びの場を用意すればいいのかを考えるべきなんですよね。私たちが子どもたちにどんな環境を用意するか、どんな風に関わるかを考えていることは、ここでも通じる考え方だと思います。小学校の方々ともこの視点で話をしてみたいといつも思っているのですが、あんまり望みすぎるのはよくないのかもしれません。

  3.  小学校1年生とは言え、まだまだ幼い部分がたくさん残っていると思います。幼稚園、保育園時代は散歩に行ったり、好きな遊びをしたり、自分で興味関心があることを発見し学んでいきます。それが小学校に上がったとたんに、スクール形式のトップダウンの授業は大変でしょうね。ブログに「気付きの質」が書いてあるように、子どもが自ら様々なことに気付き、発見し、多くの事を学んでいきます。この辺りは何度も藤森先生の講演やブログで学びましたが、自ら環境に働きかけ、その環境との相互作用により発達していくという事で環境がいかに大切か分かりますが、それに加えて、いかに子ども達が気付きの質を高める為の環境も考える必要があるのですね。

  4. 幼児教育において、保護者や保育者との話し合いで争点になってくるところで、必ず出てくるところが「就学前教育」ですね。その内容はやはり、「小学校教育のための就学前教育」という捉えられ方をすることが多いように思います。学校教育が進められる一方、乳幼児教育にあまり目が向けられていないのを実感する瞬間でもあります。だからこそ、ゆとり教育も思ったほど進まなかったのかもしれません。やりたいことをとことんやる環境や体験できる環境、そこから子どもたちは多くのことを学ぶと思いますし、そこから気づきの質につながっていくと思います。そこにはもっと発達のことを理解し、吟味し、環境を作ることが保育者や教育者の仕事や専門性なのだと感じました。

  5. スタートカリキュラム作成の意図といい、生活科新設の趣旨といい、なかなか素晴らしいと思うのですが、小学校の保護者のひとりとしても小学校へ園児を送り出す側としても、どうもその「素晴らしさ」を実感できないままでいます。もっとも「保育所保育指針」に立派なことが書かれてあっても「あ~あれはお上が決めたものだから・・・」と無視する認可保育園の園長さんたちもいますから、まぁどっこいどっこい、というところだろと思いつつ、しかし意図や趣旨あるいはガイドラインを無視した実態が公然と認められる現状、これは本当に何とかしないといけません。以前、ハンガリーの小学校1年生のクラスで算数の授業を参観しました。10人くらいの少人数でしたが、導入は子どもたちが教室の広いところで輪になって数え歌を歌いながら踊りをまじえながら授業が始まりました。さすがコダーイゾルタンの国です。次に、足し算引き算を塗り絵を使って学習していました。それも床の上やテーブルの下なのど1人ひとりが居心地の良い場所で。そして出来上がった算数の塗り絵はハンガリー伝統の刺繍のパターンにある鳥や花でした。とにかく、楽しそうに、集中して、時にはひとりで、時には複数で学習していた姿を見て、その前に観た幼児教育環境との接続のスムーズさを実感したものです。教育体系の異なる国のことではありますが、見習うべきところはあるなと思った次第です。

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