今年、最後の日になりました。明日から新しい年が始まりますが、正月は子ども時代はとても楽しみな行事でした。その一つが「お年玉」です。親戚の家々を新年の挨拶に回って、お年玉を集め、その金額を学校が始まって競ったものでした。また、教員のときには、2日は職員が晴れ着を着て、校長のところへお年始の挨拶をしに集まりました。今は、そういうことは東京ではしませんが、地方では行っているのでしょうか。
もう一つの楽しみは、お正月ならではの遊びをすることでした。それは、室内ではカルタやすごろくや福笑い、屋外では羽根突きや凧揚げに興じました。それが、わが子が小さかったころから、カルタからトランプ、また、凧揚げはゲイラカイト、羽根突きからバトミントン、それよりもクリスマスのときにサンタさんからもらったリモコンカーや人生ゲームなどのボードゲームをするようになりました。
昨年、ネットマイルで2010年1月21日、正月に関する子どもへの調査結果を発表しました。それによると2010年の正月にもっとも多くの子どもがした遊びは、調査母体においては「携帯ゲーム機」だったそうです。正月に遊んだ子どもの半数以上、52.0%が「携帯ゲーム機で遊んだ」と答えています。一方、昔ながらの伝統的な正月の遊び「カルタ」「すごろく」「百人一首」などはいずれも10%前後に留まっていたようです。
日本古来の正月の遊びは、全般的には廃れつつあるようです。また、「百人一首」以外は高学年になるにつれて数字が落ちる傾向があり、正月に限らず、学年が上がるに連れて各種ゲームや「子どもっぽく見える遊び」からは遠のく傾向にあるようです。しかし、唯一「百人一首」が上昇傾向を見せているのは、学校で古文として習い、宿題として出されることもあるようです。もともと、百人一首は正月の遊びの一つとしてだけではなく、それを庶民はみんな暗記をしていました。仮名が生まれて、日本人独特の和歌が作られるようになってから日本文学が発達したのですが、平安時代の末になると、古今集だけではなく、いろいろな選集ができました。それを公家階級の人はみんな暗唱できるようにしていました。それで自分が何か作れといわれた時には、暗記しているものの中からいい歌を選んで、ちょっと内容を変えて発表していました。百人一首などの遊びで和歌を勉強する機会を作っていたわけで、ある意味では、遊びを通して教養を身につけるために百人一首ができたのかもしれません。
「百人一首かるた」は平安時代につくられた様々な和歌集を、昨日のブログで取り上げた、鎌倉時代に京都の小倉山に住んでいた藤原定家が集めた「小倉百人一首」でできており、宮中の遊びだったものが江戸時代の木版画技術によって庶民に広がり、お正月に楽しまれるようになりました。定家は、選者としてよく頼まれるようで、天皇から命令を受けて「新古今和歌集」「新勅撰和歌集」の和歌集を編集したことでも知られた公家です。また、定家の和歌だけでなく、筆跡までをもまねることが大流行します。定家の名を取り「定家流」と呼ばれた書風ですが、当の本人は自分の字を上手とも思っていなかったようで、「鬼」のような字だと「明月記」に書いています。
先日訪れた嵐山に、釈迦如来立像(重要文化財)と阿弥陀如来立像(重要文化財)の2像を本尊とすることから、小倉山二尊院と呼ばれる寺院がありました。
ここの奥には、定家が百人一首を選定したと伝えられている三箇所の候補のうちの一つである山荘跡が在りました。ここが本当の場所かわかりませんが、この場所で選んだと思うと、その情景が目に浮かぶようでした。