介護からの自立

 かなり以前のことですが、電車が立川駅に止まったとたんに乗客が一斉に乗り込んできました。先頭を切って乗り込んできたのは小学校2,3年生くらいのアメリカの子どもでした。たぶん、立川基地の子でしょう。その子は、急いで空いている席に座りました。その後、悠然と乗り込んできたのがその子の母親です(多分)。そして、先に座っている子どもの前に立ちました。しばらく立っていたのですが、突然、座っている子どもの頬を思い切りたたきました。「子どもは、座るものではない!」というようなことを言いました。
「WEDGE」の今月号に、国際医療福祉大学大学院医療経営管理分野分野責任者で教授の高橋 泰さんが、「敬老精神の介護に潜む落とし穴」という記事を書いていました。このリードには、ここ書かれてあります。「困っているお年寄りには、ついつい何かをやってあげたくなる。介護にあって、それは絶対の真理か。筆者は二つの町村を調査した。手厚い介護は、本人の筋力機能を低下させる恐れがあると判明。豊富な福祉サービスを提供する社会的余裕もやがてなくなる。自立型の老いに向けて舵を切るべきときに来ている。」
高橋さんは、宇宙ステーションに長期滞在をしていた野口さんを例に取っています。野口さんは、地球に帰還した時、重力の存在する生活に備えるために毎日宇宙空間で筋力トレーニングを行っていました。人間の身体は、使わないと急激に機能が低下します。特に筋肉は無重力の影響が大きく、1日全く使わないと、筋力がその体積の1%から数%減少し、数日使わないだけでみるみる細くなります。無重力状態では、筋肉を使わないで立つことができるため、一見楽ですが、地球に帰還した時に、地球の重力により発生する自身の身体の重みを自身の筋力では支えきれなくなってしまうのです。
このような無重力状態の宇宙飛行士と同様、筋肉への負荷が大幅に減少する状況に直面し、急速に筋力が低下している人たちがいると高橋さんは指摘します。それは、過度に生活支援や介護を受けている高齢者であるというのです。日本の介護の基本は、敬老精神だと言います。日本人の心情からすると、ある動作を行うのが大変になったお年寄りを見ると、ついつい何かをやってあげたくなります。たとえば、自分で買い物に行けるのに、「大変そうだから」という理由で誰かが代わりに買い物に行くと、それまで下肢の筋肉にかかっていた負荷がなくなることがあります。すると、筋肉は軽度の負担にかまけて足が急速に細くなり、外出に必要な筋力を失うことになってしまうと言います。そして、このような状況が続くと、間もなくトイレへ行くのも大変になってしまうのです。そうすると、今度はトイレに行くときにも援助を行うと、さらに筋力が落ちるという悪循環に陥ってしまっているというのです。
高齢者は、ただ死に向かうだけでなく、死ぬまで何かに貢献することがある気がします。最後まで、自分の意思で生きていく権利があります。そして、高橋さんは、「自分が弱ってきたら、周囲から十分な支援や介護を受ける」という、ない物ねだりの願望をあきらめ、「自立をできる限り続ける覚悟と、食べられなくなった時に、自然死を受け入れる心の準備をしておくこと」ことが何より大切なことであると言います。
人は生まれてから、いろいろなことを学んでいきます。それは決して受け身ではなく、能動的な行為です。それは、人として死に至るまで続くのです。

介護からの自立” への5件のコメント

  1. 高齢者の介護施設にも日常的に関わることができるため、人として生きるうえで大切なことは高齢者も子どもも違いはないということを実感することができています。自立を支援するために何をして何をしないかといったことでも共通点が多いです。どんな支援が必要かということに関しても、一人ひとり違う計画がたてられているのが当たり前で、年齢でひとくくりにしたりすることは決してありません。人が生きていくことに他人が関わる意味を、子どもだけでなく高齢者まで視野を広げることでもっと深く理解することができそうなので、そのチャンスを無駄にしてはいけませんね。

  2.  電車の中で起きたアメリカの親子のやりとりは、話しを聞いて私も驚きました。よく日本で見る光景は子どもが疲れてきたら座席を変わってあげる人を見ますが、実際にそれは子どもの為になっていないのですね。やはり日本とアメリカの子育てに対する考え方を見ると、どうも日本は子どもを甘やかすという風潮がありますが、しょうがないのかもしれません。今回のブログの内容でも、お年寄りに対して何でも介護するのは、もっと何も出来なくなってしまうと書いてあります。藤森先生が言われるように、生きているうちは、死ぬまで貢献する必要があると思いますし、その為に生まれれてきたのだと思います。私もいずれは年をとっていきますが、最後まで自分の人生を全うし、少しでも世の中に貢献できれば、と思います。

  3. 北欧スウェーデンの福祉について少し触れる機会がありました。その時にすごく印象に残ったことは、彼国の福祉は自立するためにある、ということでした。同国は民主主義教育を重んじています。すなわち、自立は民主主義の根幹であるということなんですね。私たちの福祉の概念とは相当乖離しています。経済的地域間格差が叫ばれて久しいですが、老人の自立をめぐる地域間格差も顕著な気がします。近所付き合いが希薄となり、自家用車社会になったため公共交通機関が極めて不便となった社会に暮らす田舎の老人たちはほぼ引きこもりを余儀なくされています。やがて筋肉が衰え、好むと好まざるとにかかわらず、超依存症となりますます動けなくなり衰弱していくという負のスパイラルが目立ってきています。私は年老いたらがんばって歩き続けようと今から思っています。この負のスパイラルにだけは陥りたくありません。

  4. 「いらぬお世話」とはよく言ったものです。見守る保育と似ていますね。なにが本当にその人のためになるのか、なかなかそういったことを改めて考えることや疑問を持つことが時代の考えにに流され、少なくなってきているように思います。それぞれの人にそれぞれのケアの仕方があります。こちらの価値観を相手に押し付けてしまうのはある意味危険なこともあるのかもしれません。それぞれがなにかに貢献できることがあるとするのであれば、貢献できるように自分のいまいる環境をしっかりと乗り越えられる胆力は必要なのかもしれませんね

  5. 人間は共存をし助け合っていくことで生きていくことができます。しかしそれは、過度に助けたりまたその逆だったりすることで、病気や怪我になったり発達の偏りも起きるのだと思います。保育園で働く者として、子どもに対するその見極めや見守ることの重要さを感じました。

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