タブレット

 今日、神戸地方裁判所でJR福知山線脱線事故のJR西日本前社長の初公判が行われました。JR福知山線脱線事故は、2005年4月に発生、乗客106人が死亡、493人が負傷した事故です。事故原因については、一応最終報告書が発表されています。「脱線した列車がブレーキをかける操作の遅れにより、半径304mの右カーブに時速約116km/hで進入し、1両目が外へ転倒するように脱線し、続いて後続車両も脱線した」という典型的な単純転覆脱線と結論付けられています。現在では現場にATSが設置されています。
 列車事故にはいろいろとありますが、踏切やポイント切り替えを手動でやっていたときには事故を起こさないようにするのに大変だったでしょうね。特に、昔の路線のほとんどは、単線だったために、その区間では本線上で列車を衝突させないように運転するには一定区間に複数の列車を同時に存在させないことが原則となります。このように、一定区間にひとつの列車を運転することを「閉そく」といい、その区間を「閉そく区間」というそうです。単線路線で、複線になっている駅ですれ違う時に、もし早目に出発したり、遅く出発したら正面衝突をしてしまうか、正面で向き合って、すれ違えなくなってしまいます。ですから、同時に複線になっているところに着かなければならないのです。今では、無線や、集中管理ができるために指示を出せるのでしょうが、そのせいツ美がない場所ではいろいろな工夫が必要だったようです。
 閉そく装置には、自動制御する方式と非自動閉そく方式に区別されます。自動制御する方式はA?B各駅の閉そく区間両端の線路に電気を流して 閉そく区間への列車の進入を自動的にチェックすることで信号機を替えます。一方、非自動閉そく方式はA?B各駅間で電話機で打合せを行い それにあわせて信号を取扱う方法です。もうひとつ、非自動閉そく方式のひとつに、タブレット(通票)の授受による運転を行う「タブレット閉そく方式」という方法があります。中間駅のタブレット閉そく装置は2台で一組になっていて、中にはタブレット(通票)という厚めの金属製の円盤が数個入っています そしてA、B両駅あわせて同時に1個のタブレットしかタブレット閉そく装置の外に取り出せない仕組みになっています。タブレット(通票)の真中には丸、三角、四角、長円の穴が開いており、A?B駅間運転の場合は丸、B-C駅間運転の場合は三角など閉そく区間により形状を変えて装置から取り出します。それをタブレットキャリアに入れ運転士に渡し運転士は運行ダイヤ票のタブレットの形状と同じかどうか確認してから列車を発車させます。
そのタブレットの受け渡しはどうしているかというと、各駅停車の列車のばあいは、駅ごとに泊まりますので、止まっている間に駅長がタブレットの受け渡しの任務にあたります。しかし、もし列車が該当駅を通過する場合には、渡す暇はありません。そんなときには、列車がホーム進入すると、ホーム上のタブレット受器にタブレットキャリアを引っ掛け受取ります。その直後に、同じホーム上のタブレット授器にセットされている隣駅までのタブレットが入ったタブレットキャリアに腕を引っ掛けて受取ります。
この動作を、私は小さいころによく見ていたことを思い出しました。もちろん、その時には、何をしているのか、何をひっかけているのかわかりませんでしたが、そのタブレット受器を、先日の喜例川駅で見て思い出したのです。それは、らせん状のパイプでできています。
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これに通過する瞬間に引っ掛けて、引っかけられたタブレットはらせんをくるくる回って下に落ちていき、しばらくすると駅長がそれを取りに来たことが鮮明に思い出されました。今になって、その行為はそういうことだったんだと納得いきました。
小さいころに目に焼きついた出来事は、あるとき突然思い出すものです。

かれい

 先週の土曜日の新聞にこんな記事が掲載されていました。「JR肥薩線嘉例川駅(霧島市)の2代目名誉駅長として2004年4月から特急「はやとの風」の出迎えなど、乗客とのふれあいや駅のPR活動に取り組んできた福本平さんが退任することになり、16日、霧島市隼人町の旅館で新旧名誉駅長の引き継ぎ式があった。」
 この鹿児島県霧島市の山間の集落にある嘉例川駅の開業は明治36年で、その当時に建てられた築100年を超える木造駅舎は九州で最も古い駅舎の一つです。切り妻造りの平屋に下見板張りの外壁の駅舎は、明治時代の小さな駅舎の標準型で、国の登録有形文化財になっています。
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現在は無人駅ですが、福本さんは、元国鉄職員で、この駅から戦地に赴き、この駅から復員、そしてこの駅に勤め続け、名誉駅長を務めていたのです。また、地元では、この駅を保存し、地域の元気を取り戻そうと、平成15年、地元自治体が駅舎を買い取り、地域おこしの一環として、コンサートや手作りのひな人形の展示会などを行い、駅舎の活用を図っています。同時に、この駅がある肥薩線は、九州新幹線の営業開始と共にJR九州が観光路線として売り出し、多い時には1日500人もの観光客が訪れているそうです。
私は、先週末霧島に行ったので、この駅に連れて行ってもらいました。ちょうど後任の3代目名誉駅長になったばかりの篠原繁文さんとお会いできました。篠原さんは、99年、東郷小学校長(薩摩川内市)を最後に教職生活を退職し、以後、嘉例川駅周辺の中福良公民館長などを務め、嘉例川地区活性化推進委員会と一緒に駅や鉄道のPRに努めてきました。
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 篠原さんは「福本さんの後を引き継いで少しでも近づけるようになりたい」と話したひとです。名誉駅長というのは、JR九州が、無人駅での清掃美化や地域住民、乗客とのふれあいなどを目的に、87年から元鉄道職員や地域の名士に委嘱しているもので、現在、鹿児島支社管内は43人いるそうで、仕事はボランティアだそうです。
 もうひとつこの駅が有名なのは、「百年の旅物語『かれい川』という駅弁で、「九州の駅弁ランキング」で三連覇中の人気の駅弁です。特急「はやとの風」の登場を記念して発売されました。
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この駅弁の販売は、毎週土、日曜日に限定されており、その駅弁を食べてみましたが、竹皮製のお弁当箱の中に、ご飯は、竹林に囲まれた喜例川駅をイメージし、霧島市の棚田でとれたかけ干し束「ひのひかり」に、地元で原木栽培した「しいたけ」とタケノコを炊きこんだものです。おかずとして「ガネ」と言われる鹿児島特産の紅さつま芋入りの天ぷらで、野菜の水分だけで作られています。「ガネ」というのは鹿児島弁で蟹のことで、揚げ上がった形が蟹に似ているところからそう呼ばれています。あと、喜例川産の千切り大根と蒟蒻の煮物、茄子と南瓜の麦味噌田楽、大根と人参のスセと呼ばれる酢の物、地元のシイタケ、タケノコを混ぜ込んだコロッケの6品です。
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肉や魚は使われていません。「安心安全で体にいいものを」と地元産の食材を中心に、すべて手作りで、1日200個が限界だそうです。この内容は、妙見温泉観光協会(現・妙見温泉振興会)が企画し、地元で試作品を募って審査した結果、選ばれたものですが、発案者によると、炊き込みご飯は、母親から受け継いだ味で、ガネは近所のおばちゃんたちの直伝で、どれも家庭料理です。
 非常に辺鄙なところでも、地域おこしは可能な例をまた見ることができました。

本影食

今月21日の夕方に、2007年8月以来、3年ぶりに国内で皆既月食を観察できます。 劇的なのは、もちろんいつもこうこうと輝いている太陽が欠けて、昼間なのに薄暗くなる「日食」です。それに対して、月食は、普段でも満ち欠けがある月が、欠けても対したこ音がないように思われますが、それでも、欠けた後の様子が少し違います。普段は、月は太陽の光を反射している部分が明るく見え、反射していない部分が欠けて見えます。ですから、満月に対して新月という、月が全く反射する部分がない月の場合は、地球、月、太陽と並んだ時です。それに比べて、皆既月食は、月、地球、太陽が一直線に並んだ時に、月が地球の影の中にすっぽりと入って暗くなる状態で、並び方としては満月に見える時と同じで、時間の経過により、満月が徐々に欠けてくるように見えます。
地球の影には、太陽光の一部だけがさえぎられた影を「半影」と言い、月が半影に入ることを「半影食」といいます。半影はぼんやりとした影なので、目で見ただけでは月食なのかどうか、はっきりとはわかりません。一方、太陽光がほぼさえぎられた影は「本影」と言います。そして、月がこの本影に入ることを「本影食」といいます。本影は暗い影なので、本影食が始まると、肉眼でも、まるで月が欠けているかのように見ることができます。一般に「月食」という場合は「本影食」のことを指します。月がこの本影の中に入ると、月食が始まります。月の一部分だけが本影の中に入ることを部分月食といい、今回のように本影の中にすっぽりと入ってしまうと、部分月食に続いて皆既月食となります。
今年の皆既月食は、国立天文台によると、天気さえよければ、全国で見ることができるそうで、月の出の時刻は各地で異なりますが、月食の各現象は全国同じ時刻に起こります。皆既月食は16時40分に始まり、17時54分に終わります。その後、徐々に満月に戻っていき、月食(部分月食)が終わるのは、19時2分です。東京では同日午後4時23分頃、東北東の空に下8割が暗く欠けた状態の月が姿を現し、すぐに皆既月食になってしまいます。月の出が遅い西日本では、皆既月食になるのは月の出よりも早いので、皆既月食になった後で上ってきます。以前のブログでも書きましたが、今年はとても珍しい年で、1月と6月に部分月食があり、これで3回目です。このように、次に1年に3度月食を観察できるのは、国内では2094年だそうです。
まん丸い月が、突然欠け始め、やがて赤黒く輝きます。影に入ると言っても、真っ黒になるわけではありません。地球のまわりには大気がありますので、太陽光がこの大気の中を進むと、大気がレンズのような役割をして、ほんのわずかですが屈折して進みます。この時、青い光は大気中の塵などで散乱してしまいますが、赤い光は散乱しづらいため、屈折して本影の中に入り込みます。このかすかな赤い光が皆既中の月面を照らします。このため、皆既中の月は赤黒く見えるのです。しかし、皆既中の色は月食の度に変わることが知られています。大気中にチリが少ないと明るいオレンジ色に、逆にチリが多いと赤い光も月まで届かずに、黒っぽく見られます。今回の月食では、皆既中の月はどのような色に見えるかということをより多くの人々に観察して、報告してもらおうと、国立天文台では、「皆既月食を観察しよう」という観察キャンペーンを呼びかけています。「月食中の月がいったいどのように見えるのか?」ということで、報告内容は、観察時刻、月の見え方、観察方法、観察地、年齢などです。報告先は、国立天文台のホームページにアドレスが掲載されるそうですので、報告してみてはどうでしょうか。子どもでも見ることができる時間帯ですので。

商店街

最近地方に行くと、商店街が閑散としているところが多くなりました。いわゆるシャッター通りと化しています。それは、店舗が郊外型と大型化になり、ショッピングモールが各地にできてきたからです。車による生活が中心になり、少し距離があっても、駐車場が広く取られていること、品ぞろえが豊富であること、子ども連れでも楽しめる工夫が随所にあることなどから商店街がすたれてきています。しかし、店舗の郊外化は、住民動線が点での移動になり、人の出会いが少なくなってしまうために、住民が平面で行動する商店街の活性化にはもっと知恵を絞るべきでしょう。
商店街を元気にさせるために、東京都産業労働局商工部の主催で、東京都内の商店街の優れた取り組みを表彰する「東京商店街グランプリ」を実施し、都内商店街の優れた取組みを表彰、紹介しています。それにより、あらためて商店街の役割や魅力について、より多くの人に知ってもらおうという意図があります。第6回目となる今年平成22年度は、各区市の推薦を受けた商店街事業46件の応募の中から、先月それぞれ「グランプリ」「準グランプリ」「優秀賞」の各賞が決定しました。
グランプリを取ったのは、「千客万来!“教会通り物語”」と銘打った「教会通り新栄会」です。また、商店街振興への貢献が顕著な方を表彰する個人の部については、遊座大山商店街振興組合の本多清司氏に決定しました。「教会通り新栄会」では、杉並区天沼にある当商店街を商店主の視点で語る番組「教会通り物語」を制作したのです。商店主自身が、ビデオカメラを持って取材を行ったところ、番組制作の過程で商店街の魅力を再発見し、独創的で魅力ある番組やCMを多数制作することになったのです。そして、これらの番組を衛星TV、ケーブルTV、インターネット中継など多数のメディアで放映し、効果的な情報発信を行ったようです。
この取り組みに対して、審査員の評価は、「単発で終わることなく、継続的に番組を制作しているため、ノウハウの蓄積や企画力の強化が期待できる。また、ITを中心とした様々な媒体を利用した情報発信は独創的であり、今後の事業発展に期待が持てる。商店主同士がお互いを取材し合う番組制作を通じて、商店街内のコミュニケーションが活発であるとともに、本事業での若い世代の参画が顕著であり、円滑な世代交代による商店街の活性化が期待できる。」としています。
 2005年から行われている「東京商店街グランプリ」は、これまで延べ57の商店街が賞に輝いています。東京は23区ありますので、平均は、各区2つは受賞するはずですが、品川区は何と8回も表彰されており、区部では第1位です。たとえば有名な商店街として「戸越銀座」がありますが、この商店街が全国にある「何々銀座」の発祥の地です。それは、この商店街で、関東大震災でガレキとなった銀座のレンガを譲り受け、水はけの悪い通りに敷いたことがその名の由来だそうです。
 また、多くの商店街は、駅から続く住宅地への街並みであることが多く、駅と街と商店街との関係が町の暮らしに影響してきたのです。そして、暮らしに密着する街というと、子育てと子どもです。品川区は、商店街と並んで子育て支援でも有名です。他の地域でも商店街が子どもたちと地域社会の接点役を担っている例は多く見られます。たとえば、「エコカップ少年・少女サッカー大会」は、空き缶やペットボトルを持参することが参加資格で、子どもたちへの環境教育とスポーツ教育を商店街が結びつけています。また、大井町では、商店街が空店舗を活用し、地域のNPOと連携して「食育ステーション in 大井町」を運営していますし、北品川商店街では、NPOが運営する「品川宿おばちゃんち」が、赤ちゃんからお年寄までの世代を超えたふれ合いの場の提供や、子どもの一時預かり、お母さんのための子育て相談など、様々な子育てサポートに取り組んでいます。
 やはり、新しい時代に合わせて、新しい試みをしながら、次世代への引き継ぎを行っているのですね。ただ、待っていればいいということでもなく、また、人が来ないと嘆くだけでは何も解決しません。

かるた

 子どもは、さまざまな遊びから社会を学んだり、生活の知恵を学んだり、もじやかず、科学を学びます。もうすぐクリスマスですが、子どもたちはサンタクロースからどんなものをプレゼントでもらうのでしょうか。デパートなどではクリスマス商戦たけなわですが、中でもおもちゃ売り場は大賑わいです。プレゼントにおもちゃをもらう子どもが多いのでしょう。そんな時期だからこそ、ドイツの保育園、幼稚園では、「おもちゃを使わない月間」という期間を設定するのでしょう。私の子どもの頃は、基本的には、もうすぐ来るお正月の時期こそがおもちゃを使ってよい時期でした。そして、その時に遊ぶおもちゃをクリスマスにもらうということでした。たとえば、すごろく、かるた、トランプ、凧、はねつき、コマ、百人一首、これらの遊びは、お正月限定の遊びでした。
 今、保育園と幼稚園との一体化議論の中で幼稚園は「これまで幼稚園が果たしてきた満3歳以上の子どもに対して、学校教育としての「教育」を提供する役割」を大切にすべきであると提案されています。OECDでは、「“学校”という言葉は多くの国や地域で威光と多様性の両方を保持する。」と指摘するように「学校」という言葉に特別な意味を感じるようです。この言葉が、「学ぶところ」を意味するのであれば特に問題はないのですが、どうも私は、認知的な内容をトップダウンで子どもに伝える場所としてのイメージが強くなり、「幼児教育は、学校ではありません」とつい言いたくなるのですが、日本では言葉の定義は統一されていませんから、議論は難しくなるのでしょう。
 ただ、乳幼児施設では、少なくとも小学校とは異なった学習方法があります。たとえば、小学校で教わる内容である「もじ・かず」の学び方も、子どもたちは遊びと生活の中から学んでいきます。そして、その学びは椅子にすわり、机に向かって学ぶのではなく、子ども同士の関わりの中で学んでいくことが多いのです。
 たとえば、文字の中の「ひらがな」を学ぶときに、その文字が一つ一つの音を表していることを知らなければなりません。それは、単語の音節分解を知ることから始まります。小学校1年生の国語の教科書の最初は、「りす」という単語のわきに「●●」というように2音節であることを示すドットがついてあることが多いのは、まずはそれを理解してもらうためです。これを幼児のころに理解するために遊んだのが、「しりとり」と「かるた」なのです。「しりとり」は、単語の最後の音節を最初に持っていって単語をつくっていくという遊びです。「りす」「すいか」という具合です。また、「かるた」は、文章の最初の単語の頭音の一文字が書かれてある札を取り合う遊びです。
 今年の園から子どもたちへのクリスマスプレゼントは、園を読みこんだ職員手作りの「かるた」です。「かるた」のいわれも書いてあるのですが、「カード」という単語をポルトガル語で表した言葉です。ドイツ語では「カルテ」、フランス語では「カルト」と言っています。このように、「カルタ」がポルトガル語であることや、現在、滴翠美術館に唯一残っている「天正カルタ」の図柄が、初期ポルトガル様式の特徴を持つことから、日本にカルタを伝えたのは、ポルトガル人ではないかと推測されています。今からおよそ400年前、九州各地の港に、ポルトガル船が相次いで入港しました。このポルトガル船が日本にカルタを伝えたということになれば、ポルトガル人が種子島に漂着した1543(天文12)年から、ポルトガル人来航禁止令がでた1639(寛永16)年までの、およそ100年の間に伝わったようです。
 遊びの中には、文字数だけでなく、歴史や地理、探究心を増す要素も含まれています。

火を使う料理

「人間は火を使う動物である」、「人間は言語を使用する動物である」、「人間は道具をつくる動物である」など、文化をもった動物である人間を他の動物から区別するキャッチ・フレーズがあります。では、動物と比較して、人間の食の文化を特徴づけることはなにかと考えて、昨日のブログで取り上げた「人間は共食をする動物である」という以外に「人間は料理をする動物である」、ということがあると石毛さんは言います。この料理についてもブログで取り上げましたが、石毛さんは、「料理」と「共食」という食物加工と食事行動の織りなす人間行動が「食の文化」だといいます。食料資源の獲得にはじまり、胃袋におさめるまでの一連の行動における文化的側面が「食文化」であり、食料の入手にかかわる農学や、食料と人体生理にかかわる栄養学などのサイエンスと関わりをもつ広大な分野が「食文化」だといいます。
科学雑誌「ニュートン」には、人の頭脳の仕組みの中でこう書かれてあります。「人類の脳が大型化した要因には、さまざまなものが考えられています。その一つとして、頭蓋骨と下あごを結ぶ筋肉(咀嚼筋)が縮小したことに注目する研究者もいます。咀嚼筋が脳の中で相対的に縮小し、それにともなって脳を納めるスペースが広くなったのです。それは、人類が加熱を伴う調理を習得したために、咀嚼力は以前に比べて弱くてすむようになったと考えられています。」やはり、人間が人間になるためには、料理が欠かせないようです。
「料理をする動物」ということについては、たとえば、芋を海の塩水で洗って食べるサルもいますし、そのことが群れ全体にひろまったことが有名です。この芋洗い行動は、文化の社会的伝達の例とされてきました。食材を洗うことは料理作業の一部として人間に普遍的です。また、殻の固い堅果を石の台の上に置き、石や重い棒をハンマーとして使用して、殻を割る行動をするチンパンジーがいることが報告されていますが、これらの行為は、料理の芽生えが認められます。しかし、人間の料理という行為の中核部をなす火の利用は動物にみられません。
以前、北海道大学準教授の川田さんの講演を聞いたときに、原住民と呼ばれる多くの種族では、包丁や火を赤ちゃんのころから使わせているところの写真を見せてもらいました。日本では、火は早くて小学校高学年のころから使わせると答えていますが、現在、毎日の便利な暮らしの中で、「火を見たことがない」「マッチを擦ったことがない」子どもたちが増えています。このような環境では、子どもたちは、火が熱いものであることを知らずに成長してしまうと危惧する人もいます。
脳トレの提唱者である川島隆太東北大教授と大阪ガスが、「火を使うと人間らしい脳が育つ」という仮説に基づいて、「火育」という体験教室で実験を行っているそうです。「火育」とは、火の暖かさや素晴らしさを伝え、火に親しみ火を学ぶ機会を提供し、子どもたちの健やかな成長の一助になろうとするものです。また、親子で火の生活文化を学び、火を上手に使った調理を通じて食の重要性を知る食育の場になることもめざしているそうです。たとえば、仙台市などで行われている火育の体験教室では、七輪で秋刀魚を焼く子どもの頭に近赤外線装置をつけて、脳の血流を計測してみると、火を扱っている時には、脳の中で意思疎通をつかさどる部分が活発化していることが分かったそうです。どうも、「火を使うと人間らしい脳が育つ」という仮説に近づくよい結果がでたようです。
人間らしい脳が火を使うようになったのか、火を使うことによって人間らしい脳になったのかわかりませんが、火を使う料理は人の営みに欠かせないことのようです。

食物分配

今日は、園ではお餅つきでした。数人の保護者の方々も手伝いに来てくれました。そして、その後に保護者の皆さんは、会議室でつきたてのお餅を食べたのですが、私も一緒に食べるように誘ってくれました。最近、園の保護者の皆さんはとてもいいですね。園と一緒に子育てをしている仲間という感じです。ですから、私は保護者の方々と一緒に会話をしながら食事をすることはとても楽しみです。保護屋の皆さんは、さまざまなところで活動している人が多いので、その話はとても興味を引きます。特に一緒に食事をしながら会話を楽しむというのは、お互いの関係をを和ませます。
国立民族学博物館の館長であった石毛直道さんは、「おもしろさ」を食に見つけます。「従来、物質文化の研究対象とされたモノのおおくは、形態が長期間保持される耐久消費財的な性格の品物でした。それに対して、料理はつくってから、すぐ胃袋にいれられて、跡形がなくなってしまいます。しかし、料理材料である自然物に、人間が文化としての加工を施しているという点では、りっぱな物質文化であるはずです」ということで、料理の研究はもっぱら調理学にまかされてきたのを、調理学は料理の技術にともなうサイエンスであり、文化としての料理の研究ということで、料理そのものの研究ではなく、文化一般を考えるさいのパラダイムとしての料理論を考えます。
そこで、人間の特徴として以前ブログでも取り上げた「人間は共食する動物である」ということを考えます。動物は原則として、成長したら、個体が食物を獲得し、それを個体単位に消費してしまいます。それにたいして、世界中どの社会でも、人間の食事は共食が原則となっています。もちろん、旅先の食事や、単身生活をしていて一人で食べることはいくらでもあります。しかし、食事は一人だけで食べるものではなく、他の人と一緒に食べるものだというのが、世界の民族に共通しているのです。その、普遍的な共食集団は家族です。どこでも家族が最小単位の共食集団としての役割を担っているようです。
それは、同時に「食料の分配」に関わることであるといいます。家族が食物分配の基本的単位であることをしめします。1961年に今西錦司さんが『民族学研究』に発表した[人間家族の起源」という論文があるそうですが、そこでは、「インセストを回避する社会単位であると同時に、食物分配の単位として家族が成立した」と論じているようです。つまり、性と食が人間の家族をつくりあげたというのです。
共食と食物分配について、石毛さんは講演でこのように話しています。「人類の祖先が狩猟をするようになったことに、食物分配と、それにともなう共食がはじまったのだと思われます。狩猟が男性の仕事とされることは世界の民族に共通します。初期の人類が狩人になったとき、男性がとった獲物を独り占めにせず、肉を持続的な性関係を結んだ特定の女性と、そのあいだに生まれた子供に分配するようになった、それが家族の起源と考えられるのです。共食のさい、限りある食べ物を共食するとき、強い者が独り占めにしないように、食物を分配するルールができます。この食物分配のルールがもとになって、食事における「ふるまいかた」の規範が成立します。それが発展して食事作法となります。食物分配が食事作法の起源であると、わたしは考えています。」
食事におけるしつけと言われるルールは、みんなで楽しく食べるところから始まります。そして、人にふるまったり、いただいたりすることも重要なことです。今日のお餅を子どもたちはもちろん、保護者も楽しくみんなで一緒に食べることが、まずは基本のようです。

おもしろさ

国立民族学博物館の館長であった石毛直道さんが、館長の退官記念講演会で面白いことを言っています。「自分の人生を律するようなスローガンを掲げて、それに縛られた人生を送るのは、わたしにとってかなわんことです。一つの目標をめざして生きるのではなく、その時どきのおもしろいことをして、人生という時間を消費するのが、わたしの性にあったことです。人生を何事かを達成する「生産の時間」とは考えずに、「消費の時間」として生きているのです。時間をおもしろいことをするために消費し、その副産物として、結果としての生産ができたらもうけものだと思っているのです。」
それは、「おもしろいことをして時間をすごす」ということなのですが、実際の仕事では、「おもしろい」ことばかりで人生を過ごすことはむずかしいようだと言っています。しかし、研究については、その時どきの「おもしろい」ことばかりして研究生活を送ることができたようです。そして、彼にとっての「おもしろい」ことはなにかといえば、「人のやらないこと」だと言います。「人のやらないこと」が、彼の「おもしろい」ことである理由には、彼が学生時代、学術探検を志したことに関係があるようです。探検とは「人の行ったことのない場所に出かけて、情報をもち帰る」ことです。そのことが、「人のやらないことに興味をもち、フィールド中心主義」の彼の学問のやり方に影響したようです。
「おもしろい」とは、そのものに興味関心を持つということでしょう。辞書で「興味」というと、1 その物事が感じさせるおもむき。おもしろみ。2 ある対象に対する特別の関心。3 心理学で、ある対象を価値あるものとして、主観的に選択しようとする心的傾向。教育学では、学習の動機付けの一つ。とあります。石毛さんが、「人がやらないこと」に「おもしろみ」を感じるのは、人がやらないものに価値を感じるからでしょう。それを主観的に選択するのです。それが学習の動機になります。
子どもにとって、「遊び」は、とてもおもしろいものです。積み木を積んで何かをつくる、紙で製作をする、自分ながらの作品ができるとうれしくなります。それは、決して何かを学ぼうと思っているわけでもなく、発達をしようと思っているわけでもありませんが、そのおもしろさから何かを学習していくことになるのです。
人は、聞く、触る、味わう、臭いをかぐという五感を働かせる動作をする度に、脳と神経細胞の連結部分の効果を増す信号が25回、脳に送られると言われています。子どもの遊びには、この効果があると言われ、よい遊びと言われるものは、より良い効果を促します。そして、その活動が繰り返されるごとに、連結箇所が強化されます。これは、子どもたちが新しいものを発見し、興味を抱いたときに、神経への刺激が繰り返されるのです。興味が遊びの動機づけになるのです。
研究によると、遊びに没頭しない子供の脳は、通常の子供より20?30%小さく、孤独、落胆、軟弱といった、「遊びの欠乏」の症状が見られるようです。そうなると、社会性、技術力に欠け、自信を失い、内気な性格になる傾向があるといわれています。大人たちが、単なる遊びと思っている「遊び」は、子どもにとっては、とても重要な活動であり、さらに、遊びを通しての子ども同士の関わりは、脳を刺激します。そこで、子ども同士のグループに応じた充分な遊びは、子どもの発達には必要不可欠です。
人生に対して、いつまでも「おもしろさ」を感じていたいものです。

楽器

 私の園では、先日「おたのしみ会」が行われました。いわゆる学芸会のようなもので、子どもたちは、劇とか楽器演奏をしました。私の園では、合奏は、3,4,5歳児が合同で行います。まず、子どもたちは普段から「表現ゾーン」に用意されているさまざまな楽器を、好きな楽器を選んで鳴らしています。楽譜も何曲か用意されていて、その楽譜に合わせ、先生に伴奏を頼んだり、自分たちで輪になって楽しんでいます。そして、おたのしみ会が間近になると、次第にどの楽器が好きか、その楽器を演奏したいかが決まってきます。その楽器の選びは、年齢によってはこちらでは決め付けませんが、おおむね、年少児はタンブリンとか、鈴とか、トライアングルを鳴らして楽しむことが多いのですが、年長児になると、メロディー楽器を、楽譜を見ながら演奏する子が多くなります。そして、自分で、なんの楽器で、どの曲を演奏したいかを選びます。曲は2曲のうちどちらかを選ぶだけですが、それでも選択が許されます。しかし、その後、自分で選んだ楽器と曲であれば、選んだ責任が伴います。大変でも、練習をしなければならないのです。無責任に何でもいいとか、目立つので太鼓がいいとかいう動機であっても、自分で選んだのであれば、それをきちんと演奏することが求められます。そうして、おたのしみ会当日を迎えるのです。
小学校学習指導要領の音楽に楽器の演奏についての記述があります。第1学年及び第2学年の「内容A 表現」には、「(1)音楽を聴いて演奏できるようにする。」として、「ア範唱や範奏を聴いて演奏すること」とあり、「(3)歌い方や楽器の演奏の仕方を身に付けるようにする。」として、「イ身近な楽器に親しみ,簡単なリズムや旋律を演奏すること」とあります。では、どんな楽器を演奏する経験をさせればいいかというと、「指導計画の作成と各学年にわたる内容の取扱い」にこう書かれてあります。打楽器としては、「各学年で取り上げる打楽器は,木琴,鉄琴,我が国や諸外国に伝わる様々な楽器を含めて,演奏の効果,学校や児童の実態を考慮して選択すること。」です。学年ごとに示されている楽器は、「第1学年及び第2学年で取り上げる身近な楽器は,様々な打楽器,オルガン,ハーモニカなどの中から児童の実態を考慮して選択すること。」とあります。おもしろいですね。幼稚園、保育園では、一時ハーモニカを演奏することがはやっていましたが、最近は、鍵盤ハーモニカを使うことが多くなりました。しかし、小学校では、1,2年生では、児童の実態を考慮するにしても、ハーモニカはあるとしても、ほかに挙げられている楽器として「オルガン」があるのは不思議ですね。それが、第3学年及び第4学年になって、初めて「旋律楽器」として、「既習の楽器を含めて,リコーダーや鍵盤楽器などの中から児童の実態を考慮して選択すること。」とあり、ここでやっと鍵盤ハーモニカが現れます。
この鍵盤ハーモニカはメーカーによって名称が異なりますので、保育者が習ったメーカーによって普段使う呼び名が変わります。ヤマハでは、東海楽器製造の命名した商品名として、ピアノとハーモニカの合成語である「ピアニカ」と呼びます。SUZUKIでは、メロディーとアコーディオンの合体語である「メロディオン」と言います。ZENONでは、ピアニカの捩りとして「ピアニー」と呼びます。他には、HOHNERが「メロディカ・ピアノ」と言います。皆さんは、どの名前がしっくりくるでしょうか。それは、子どもの頃、どのメーカーのものを使っているかによるのです。

ツリーとタワー

 現在、着々と東京スカイツリーが高さを増しています。先日、調理用品を買いに合羽橋に行ったときにも、その間からその姿を見ることができました。
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私の園から少し出ると、今迄、陸橋の上から見えていた先端が高くなってきたために歩道からも見ることができるようになってきました。子どもたちは少しずつ高くなっているスカイツリーを見ながら、生活をしています。このスカイツリーは、2008年7月14日に着工し、2011年冬に竣工し、2012年春に開業予定です。毎日見ている子どもたちは、大人になって、自分の子どもたちに、「お父さんは、ちょうどスカイツリーが高くなっているのを見ていたのだよ」とか「お母さんは、スカイツリーを建てているときに、ちょうど年少さんから年長さんになったのよ」と自慢げに話すことでしょう。
 後世に残る建築物が建てられているときにちょうど遭遇するのは忘れられない思い出になります。少し前に映画になった「Always夕陽丘3丁目」では、ちょうど東京タワーが建ちあがっているころの下町が舞台でした。東京タワーは、1957年(昭和32年)6月29日に地鎮祭が執り行われ、着工されました。私はその年には小学3年生のころで、下町に住んでいたので、この映画に登場する小学生と同じような生活でした。この着工した年の10月には、アメリカに教育改革を行わせるきっかけとなった「スプートニクショック」と言われた出来事である、ソ連が人工衛星スプートニク1号の打ち上げに成功しました。そして、テレビでは、「赤胴鈴之助」「きょうの料理」「私だけが知っている」が大人気でした。映画では、「おいら岬の 灯台守は…」と子どもまで口ずさんだ主題化で有名な「喜びも悲しみも幾歳月」が公開されています。
このタワーは、1958年(昭和33年)10月14日に竣工となり、この年の12月23日に完工式が開かれました。そして、審査会において愛称を「東京タワー」と決定しました。1995年(平成7年)には、来塔者数が1億2000万人となり、日本の総人口に相当する人数が来塔したことになります。昨年には、来塔者数が1億6000万人となったのですが、今年の3月29日、建設中の東京スカイツリーが高さ338mに到達したため、「日本一高い建造物」の座を降りることになりました。
このように高い建物はその高さを増すことで人生を重ねてみてしまいます。今日、名古屋で講演があったのですが、会場の近くに「名古屋タワー」が建っていました。
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このテレビ塔は、東京タワーよりも古く、日本で一番古いテレビ塔です。1953年(昭和28年)9月19日着工、昼夜を通して工事が行われ、1954年(昭和29年)6月19日竣工、翌日にはもう開業しています。電波の発射も当日には開始しました。このタワーの高さ180mで、設計者は、後に東京タワーを手がけた内藤多仲で、この時期のテレビ塔のほとんどを設計しています。この年に名古屋にいた人は、同じように日々高くなる塔を見て興奮したでしょうね。講演の合間を見て訪れた名古屋市博物館では、現在、企画展で「名古屋タイムズの見た名古屋」ということで昭和21年から39年の名古屋の風景写真が展示されていましたが、そこにはやはり名古屋タワーの写真もありました。この年には、ラジオでは、私が幼いころに聞いていて、今では主題歌だけが耳に残っている「笛吹童子」が放送開始しました。また、テレビでは、大相撲の中継が始まりました。
今の東京スカイツリーは、子どもたちが大きくなったときに、その建設と相まって、どんな世相を思い出すのでしょうか。