3歳

3歳児神話について、柏女霊峰氏が、著書「現代児童福祉論」の中で述べています。
「3歳児神話」とは,「3歳までは児童のその後の発達にとってきわめて重要な時期であり、母親が家庭で育てるべきである」とする考え方である。精神医学の領域では古くから、児童とりわけ乳幼児の発達にとって母親の存在がきわめて重要であるとする見解が主流になっていた。特にボウルビーらによる世界保健機構への研究報告が乳幼児期における母親からの分離経験がその後の児童の発達を阻害する危険性を提唱して以来、主として精神分析学者からのマイナスの影響にかんする指摘が続けられていた。」
この考え方は、世界における施設保育の是非を問う時に持ち出されます。また、保育園が持つ機能である「発達」「集団保育」「養護」にどのような関係するかということが議論され、ホスピタリズム論争をもたらしているのです。その影響は、今でも研究され、女性の社会進出が進む中、より重要な課題なのです。しかし、これは、アメリカでも研究された結果や、2001年から提案されたOECDによる、乳幼児期における用語と教育(ECEC)に示されたように、どうも「質」の問題ではないかということになっています。母性的養育の量よりも質的な欠如に問題があるとか、単に母が子どもから物理的に離れることの影響を問うのではなく,親子の相互交流の発達や質,子ども自身の特性・ストレス耐性などの諸要因を絡めた研究の重要性が主張されているようです。
柏女氏は、著作の中に「ホスピタリズムにみられる乳幼児の発達遅滞や障害は母性的養育の剥奪の結果によるものか、あるいは施設の養育環境自体の問題であるのかその検討が不十分である」とあるように、子どもへの影響は様々な要因が重なって表れるもので、何が何に影響しているのかは決めにくいものです。それは、良くも悪くも、どちらも決定づける結果は出ないような気がします。それは、最近の脳における前頭葉の発達における影響が何によって損なわれ、促されるかという研究でも同様なことがあります。たとえば、子どもがキャンプなど屋外活動をすると、前頭葉が活発に使われることはわかりますが、その中の何が促しているのかは、よくわかっていません。人は、さまざまな環境が複合的に絡み合って影響を受けていくからです。ですから、家庭がいいのか、施設がいいのかは簡単には言えないのです。
それなのに、柏女氏はこう言います。「一般にはいわゆる「3歳児神話」として定着し、これが一方では保育所に乳幼児を預けて働く母親の罪障感を生み、また、女性を家庭に留め置きたい男性側の、あるいは、女性のパート労働と同様、専業主婦の雇用調整のためのレトリックとしてしばしば用いられ、いわゆゆイデオロギー的性格をもつ結果となっている。わが国における女性就労のいわゆるM字カーブの存在もこの考え方が男性のみならず女性も含めて社会一般に受け入れられている、あるいは、受け入れざるを得ない状況に置かれている結果としてみることができる。」と分析します。
最近の研究では、むしろ保育環境(保育者と保育を受ける乳幼児との数比、保育者の質,提供される保育の内容)と家庭環境(家庭環境と安定性,保育経験前からの母子環境の状況,保育以外の日常生活経験)および乳幼児の特性等との相互的な関わりのあり方のなかで決定されると考えることが必要であるとしています。
私は、乳幼児教育の必要性は、少子社会における子ども環境の変化、子どもを支える社会の変化を考える必要があると思っています。

3歳” への6件のコメント

  1. 3歳児神話について、今日のブログで紹介されたボウルビーの母子関係論に対して、イギリスの精神医学者M.ラターは『母親剥奪理論の功罪』の中で、次のような興味深い指摘をしています。「ボウルビーは母子の結びつきの重要性を指摘しながらも、同時に…〈乳幼児を時折母親以外の誰かに世話させることに慣れさせることは、優れた保育方法だ〉とも明確に述べている。またボウルビーは母親が子どもを置いて働きに出ることも、母親に代わって世話する人の接し方が、母親とそれほど変わっていなければ悪い影響はないだろうと強調した。」実際にはボウルビー自身は、子どもを保育園に預けることが深刻で悪いことであるとは言ってないのに、どうも誤って理解されているようです。

  2. わたくしは難しいことはわかりませんが、わたしの子供は皆、職業柄0歳から保育園でした。
    でも、子供が通っていた保育園時代が一番安心で親であるわたくしも本当に楽しかったです。
    子供の日々の成長を先生から伺い、いろいろな子育ての相談にのってもらい、役員になったときは、保育士の先生方の多芸多才や日々の工夫に驚嘆し、行事のたびに夜遅くまで一緒に準備した思い出の日々と言う感じです。
    母親も、子供も同じようなことを申します。
    運動会のリレーで4人抜きをして子供や母親や先生と抱き合って大騒ぎをしたこともありました。
    また、出産直後母親が不幸にも亡くなられて0歳から父子家庭という親しい友人がいまして、お子さんは現在高校生で、時々弊社にバイトに来ますが、なんら通常の家庭のご子息と変わらずいい子です。
    その友人も、保育所のおかげだといつも言っています。
    今回のお題の主旨から逸脱して恐縮ですが、保育所は、子供にも親にもオアシスなんだというのが自分の信念です。

  3. 子どもを保育園に入れて自分のやりたいことに取り組むかどうか迷っている人の話を聞くことがありますが、そうすることは子どもにとってよくないのではないかと考えているということがよくあります。それが3歳児神話が強く信じられているためだとすれば、なんとかそこから離れてみることも勧めたいのですが、力が足りないため簡単にはいきません。乳幼児教育の必要性をきちんと納得させられる働きかけができるようになることは自分の大切な役割だと思っているので、確かな実践からのアピールを続けるしかないと思っています。

  4. 私は学生でいたときには「三歳児神話」が当たり前のことで覆ることはないと思っていました。なによりも母親との関係が必要だと思っていましたが、現場に入り、実際に乳児の子どもたちや保育者と遊んでいる子どもを見ているとそうではないと思い始めました。乳児の子どもたちは一人で遊んでいるように見えて、周りを見回しながら模倣をしていたり、かかわりがあったり、今までそんなことは乳児ではまだ早いと思っていたことが集団でいることでできるようになっているのを見ていると、母親と一対一でしか関わっていない赤ちゃんに比べ、多くのことを学んでいるように思いました。昔と違い子どもを取り巻く環境も少しづつ変わっています。その時代ごとで子どもたちにあった環境を作ることを保育者と家庭との連携を通して作っていけたらいいのなと思いました。

  5. 「家庭がいいのか、施設がいいのかは簡単には言えない」とあります。私もその通りだと思います。子どもが安心して熱中して過ごせる場所なら、極端な話、子どもにとってはどこでも良い、ということになるような気がします。ところが大人の事情が関わってきますからことはそう簡単にいかなくなります。OECDという経済や協力開発に焦点を充てた世界機構が乳幼児期の教育と養護をECECとして重点的にここ10年で取り上げてきたことはとても注目に値します。なぜなら「3歳児神話」が政治経済戦略の一端だったり労働市場の変化に伴う乳児保育の需要が近年世界的に高まってきていることをみるとこうした政治経済の動向を抜きにしては乳幼児のことは語れない、ということになってきているからです。このことを踏まえて「乳幼児とは何か?」という根本的課題を各領域間で水平的に討議されることが可能となりつつあります。ところで私たち保育園はこの問いに対する答えを日々子どもたちから生のまま頂いています。このことはとても重要なことです。

  6.  あまり勉強家ではないので、難しい言葉は分かりません。3歳までの時期が重要な時期といのは分かります。「三つ子の魂百まで」という言葉がありますが、そのままですね。ただ母親と一対一で家庭で育てるのは、実際はどうなのでしょうか。ただでさえ、今の時代はコミュニケーション能力が必要とされているのに、一番大切な時期を親と一対一でずっと過ごすのは、はっきり言って良くないと思います。確かに乳幼児期に大切なのは子どもの環境や社会の変化を考える必要がありますね。

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