時の書5

私が子どもの頃、家で秋田犬を飼っていました。その犬は、何回か品評会で賞をとったのですが、真っ白い大きな立派な犬でした。その背中にも乗れるほどでしたが、その犬の名前は「白龍号」といいました。南総里見八犬伝にも、最初に「白龍」が出てきます。そこで、里見義実が龍について詳細に語る場面があります。これは、たぶん滝沢馬琴が易経を知っていて、それに影響されているのではないかといわれています。その龍とは、易経ではどのように使われているのでしょう。洞察力、直観力を身につけるのは難しいことですが、易経では、冒頭の卦「乾」の本文は乾為天と呼ばれる龍の話から入っています。地に潜んでいた龍が力をつけ、大空へ翔けのぼり、やがて降り龍となるという龍の成長過程に、リーダーとしての「時の変化の道理」を学ぶというものです。易経では、洞察力を「見る」という字を使います。「節」という考え方があります。物事の節目を考えながら進めば、簡単に進めることができます。その節目を考えることが「時の変化の道理」の一つなのでしょう。物事が起きたときに、その節目の兆しがきっとあったはずです。流れが変わった、解決の道に変わった時にも、「兆し」があったはずです。それを見るのが、リーダーです。「卦」とは、易経に出てくる六十四の物語のことです。それぞれの物語は六段階の時の流れで構成されています。時の流れは起承転結で語られたひとつの物語になっています。
一国の君主は「龍徳」を身につけるための学問として、易経を学んでいました。龍徳とは龍のような精神、品性、人間性、そして力です。龍の成長を六段階で表しています。
第一段階は、「潜龍(せんりゅう)」です。私のこのブログのタイトルは「臥竜」と言いますが、これに近いものがあります。地に潜み隠れたる龍で、志を抱き、実現のための力を蓄えるという段階です。習い事や、社会人としての成り立て、新しく仕事を始めるときは、常に「潜龍」から始まります。そんなとき「潜龍用うるなかれ」と初めに書かれてあります。それは、潜龍の段階にいる人を受け入れたり、責任を持たせたり、重用してはいけないということです。この段階にいる人を用いたら必ず失敗したり、信用を落としたり、物事がうまくいかなくなります。では、自分が潜龍の段階にあるときには何に気をつけたらいいのでしょうか。この時期に必要なものは、志です。潜龍の時には、取り上げられず、評価されず、自信も無くなりがちですが、それは、決して力がないわけではなく、土壌がまだ育っていないからです。将来は大空を飛翔する素質があっても、経験も実力も不足しているからです。そんなときには、あせって結果を出そうとせず、これから何をしていくのか、何を目指していくのかという志を持つことです。そして、これからの準備をすることで、幾がやってきます。「君子は、幾を見て作つ」ために、よい機会が来たときに直ぐに行動ができるように準備する時期が潜龍なのです。芽生えるために土壌を豊かに耕さなければなりません。まずは志ありき。潜龍の時代は大きな志を抱く時期、志を育てる時期なのです。「確乎不抜」という四文字熟語の原点は、易経です。「確乎としてそれ抜くべからざるは、潜龍なり」ということで、このなかの「それ」は、「志」のことです。しかし、その志は、決して、自分だけのためのものであってはいけません。私利私欲を満たす野心や野望ではいけません。世のため人のためになること、社会に貢献することである志は、やがて大空を飛翔して雲を集め、慈雨を降らせるようになるのです。潜龍の時代にどのくらいの志を抱くかによって、将来どのくらい飛び立てるかが決まってしまいます。今の若い人は、高い志をもつ前に、人に認めてもらいたがります。潜龍の時代に世に出ようとするのは、冬に氷の上に種をまくようなものなのです。潜龍の時代は、用いられないから、認められないから、恵まれない時期だからこそやるべきことがあります。自分を見つめ、志を抱いたりすることに深く集中できるのは、潜龍の時代だけです。

時の書5” への9件のコメント

  1. 2年前に大学を卒業して、地方都市で社会人になった息子にこちらのURLを貼って読むようにメールしました。
    いつもは、返信が遅いのですが、すぐ返信が来ました。
    帰省した際の会社の愚痴はやめるそうです。

  2. 生死を度外に置いて命の決断をするにも今時を見極めることが要る気がします。
    それがどの時機にというのは天命感応力のなすところのように思い、さらにその機先をとあってもそれを捉える澄んだ真心がまだまだ私にはまったく足りません。
    しかし、潜龍の期であると思うとこの今も道師と歩み心躍り楽しみながらの日々に感謝している自分があり、その喜びを感じてこれからもゆったりと学び穏やかに生活していきたいと思います。
    今回の「時の書」は、何よりも私の指針にもしたいと思います。
    このたびも叡智を本当に有難うございました。

  3. 志を抱くべき時期、あれこれと思い悩んでもがく時期があるんですね。後に行動するためにも必要で、またそれができる期間にも限度があると考えれば、自分にとっての今の時期がとても貴重なものに思えてきます。しっかりと地面を踏みしめて歩けている実感がないことも度々ですが、その不安定な感じを楽しむくらいの余裕があってもいいのかもしれません。目指す先を間違えないよう確認は怠らず、目一杯臥せておこうと思います。

  4. 10代は人格の基礎をつくる時期で、20代から30代にかけては社会での自分の立ち位置を求めて、悪戦苦闘する時期だと思っています。私も30代でようやく今の仕事を見つけたものの失敗の連続で何度も挫折しそうになりました。あれが潜龍の時代だったのでしょう。40代で仕事を通じての社会貢献を考え始めた頃に、幸運にも藤森先生と出会い、現在に至っています。『艱難、汝を珠となす』ー若い頃、地べたを這うようにして苦労したことが今になって生きていると実感しています。今日は我が家の結婚記念日。苦労を共にしてきた家内と二人で祝いたいと思っています。

  5. (約束しましたので。)数年ぶりのコメントです。この業界に入り、いろいろな疑問を持っていた時に藤森先生と出会い、それから仕事が楽しくなり、でも、どうしてもうまくいかなかったりすることが多く悩んだりすることが多いです。この30代でしかできない「悩み」を楽しめるようにできればと思います。
    これからもよろしくお願いします。

  6.  「龍徳」また初めて聞く言葉が出てきました。龍のような精神、品性、人間性、力を身に付ける。まず私の中で龍と聞くと、某アニメで出てきた龍の印象があまりにも強く、その中では「神龍(シェンロン)」と呼ばれていて何でも願いを叶えてくれる神様のような存在でした。また沖縄の方では守り神であったり、とにかく特別なイメージです。そんな龍のような人になるためには、やはり段階をしっかりと踏んでいく事が大切なんですね。まずは志を持ち、志を育てる時期。確かにすぐに結果を求めたり、他人から認めてもらおうと思う時があるかもしれません。しかし前回のブログで「幾を見る」と書いてあったように、飛翔する時期というのをしっかりと見極める事が大切です。今は「潜龍」の時、しっかりと自分を見つめ志を高めていこうと思います。

  7. 若い人は、高い志をもつ前に、人に認めてもらいたがります.その通りかもしれません。人はなかなか認められたりしないと自信をもてないように思います。だからこそ、すがってしまうのかもしれませんね。しかし、その時期に自分をしっかりともち、志を模索するからこそ高い志になるのかもしれません。「幾を見る」という言葉は「時の書」の内容の中に多く出てきますが、自分自身の揺るがない自信と志が見つかったときこそ、「幾が熟した」といえるような気がします。
    いつ自分のなかの「潜龍のとき」が終わるのか、それは一生かけてもなかなか見つからないものになるかもしれませんが、「幾が熟す」までしっかりと高い志を見つけていきたいと思います。

  8. 今回のブログ「時の書5」は、自分はまだまだ若い!、と思う人にとってはバイブルですね。斯く言う私にも実にビンビンと響いてくる、ところを省みると、私もまだまだ若いか、と嬉しくなります。「よい機会が来たときに直ぐに行動ができるように準備する」ことはなかなか難しいことに思えますが、それほど難しくはありません。当臥竜塾ブログの熟読者は(いいですか、熟読 者 ですからね)は熟読=準備という等式の中に含まれますから。しっかり読んでいるだけでも自信をもって来るべき時に備えられますね。斜に構えず素直に。「潜龍の時代にどのくらいの志を抱くか」。これは凄い!問いかけです。ここで思い至るのは「共生と貢献」です。この「共生と貢献」を目指すことこそが「潜龍の時代」の志にほかならない、と思いました。

  9.  〝潜龍の時代に世に出ようとするのは、冬に氷の上に種をまくようなものなのです。潜龍の時代は、用いられないから、認められないから、恵まれない時期だからこそやるべきことがあります。自分を見つめ、志を抱いたりすることに深く集中できるのは、潜龍の時代だけです。〟この言葉にとても感動しながら、それよりも〝潜龍用うるなかれ〟とありながら、藤森先生は塾生をことあるごとに表立った場所へ用いて下さっているように思い、そのことに心が震えます。その危うさを含めて、先生は育てようとして下さっているということなのだと解釈しました。今、土壌を育てる時期であることをしっかりと自覚して、今を大切にしたいと思います。

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