親という存在

昔は、必ずしも子どもは母親だけが育児していたわけでもありません。それは、子どもが小さいころの母親は、働き手としてもベストの体調であることが多いからです。ですから、働いている間は、祖父母が見たり、兄弟が見たり、近所の人たちが助け合って子どもを育児していました。また、海外では、昨日のブログではありませんが、乳母が見ていることも多くありました。その場合は、特に働くというわけでなく、映画メリーポピンズのように母親が昼間はボランティアなどで出かけることが多かったようです。日本では、ほんの上流家庭の一部ですが、やはり乳母が子どもの育児をしていました。これも、必ずしも母親が働いているわけではなく、乳幼児期からの幼児教育をするためだったようです。
先日、妻と川越に行きましたが、そこには、徳川家光誕生の間、彼の乳母であった春日局化粧の間などの江戸城ゆかりの建造物などの文化財がある喜多院に行きました。この頃の母親と乳母は、子どもにとってどんな存在だったのでしょうか。私は文献などを見たことも研究をしたこともありませんので、本当のことは分かりませんが、テレビや映画などで見る限りでは、母親は、ただ子どもを愛し、愛着形成をしていたように思います。その愛着形成を基盤に、子育ては様々な人にしてもらっていたという気がします。ですから、家光と春日野局の関係は、愛着関係というよりも信頼関係で結ばれていたという感じがします。その信頼関係から教育がされてきたのです。
親は、子どもを意図して教育する存在ではないのです。子どもは親からやってもらうよりは、親のやることを見て学ぶことのほうが多いのです。正岡子規の「病状六尺」にこんなくだりがあります。「家庭の教育は知らず知らずの間に施されるもので、必ずしも親が教えようと思わない事でも、子供は能く親の真似をしている事が多い」存在自体、生き方自体が親からの教育なのです。
また、子どもを愛し、ひたすら信じることで、子どもは変わっていきます。少し前の映画ですが、アカデミー賞を総なめした作品で、サブタイトル「一期一会」がついている「フォレスト・ガンプ」には、そんな母親が描かれていました。
 IQが少し低い主人公フォレストは、小学校で同級生にいじめらればかにされますが、足の速さからフットボールの選手になり大学までいき、代表選手にまでなります。ベトナムに兵士となって行っても仲間を助け、勲章をもらいます。卓球をやれば中国での世界選手権に出場します。その後エビ漁で大金持ちになり、成功をおさめます。何をやっても一流になってしまうのです。原作では、まだまだ様々なことで、例えば数学者として、宇宙士として、ピグミー族の中で一流になります。
 彼がいろいろなことで一流になるのは、IQの低さゆえに一途な生き方が、成功をおさめることになるという見方がありますが、私は、母親のあくまでもフォレストを信じる気持ちが彼を成功させることになったのだと思います。幼い日に母親がいつもフォレストに語って聞かせた「人生は、チョコレートの箱のようなもの」で食べてみるまでは中身がわからないといいます。女手ひとつで一人息子を育てていた母親は、その子の背骨が曲がっていることがわかったときも、IQが人並みに至らないことを告げられたときも少しも動じませんでした。小学校に入るときも「うちの子は、普通の学校に通わせます。」と頑張った強さは、見栄からでなく、子どもを愛し、信じる気持ちの表れなのです。「おまえはきっと、誰かからばかと言われるに違いない。もしかすると知恵遅れってからかわれるかもしれない。でも、ばかというのはばかなことをするからばかなんだよ。」この母親の自信は、成長したフォレストをきちんと手離し、自立させることになるのです。
 親として、子どもたちをあくまでも信じ、愛することができるでしょうか。きっとまわりの人に愛され、信じられた子はすばらしい人生を送ることができるにちがいありません。

親という存在” への4件のコメント

  1. 画家の原田泰治さんのお父さんの話です。小児麻痺という障害を持った原田さんが、学校でいじめられた時、父親は「けんかの仕方を教えてやるから、もう一回喧嘩してこい!いいか、その子の家までついていって、いつも突いている杖で三つぐらいぶん殴ってこい!」と言ったそうです。原田さんがそのとおりしたら、事情を知った相手の母親が「うちの息子がそんな悪いことをしたんなら杖を貸しな」と言って息子の頭を叩いたとか。今どきの親では考えられない話ですが、昔はこんな気骨のある親がいたんですね。原田さんのお父さんが、口癖のように言っていた言葉がとっても素敵です。「障害があることに感謝しろよ。普通の人が目えない世界をお前は見ているんだから」?。

  2. 人は、人生で出会う多くの人々からいろんな影響を受けるわけですが、その中で親が与える影響は2割程度だそうです。非常に多くの人と出会う中での2割という数字は大きいものだと思いますが、その2割で信じる気持ちを与えてもらえたなら影響は大きいでしょうね。残りの8割は他人に任せ、親としてはひたすら「信じ、愛する」ことに専念するくらいのバランスが、子どもにとってはいいのかもしれないと思えてきます。

  3.  映画「フォレストガンプ」は何度か見た事があるので、内容はほとんど覚えいます。ただ、当時は見ていても感動はするものの、特に感じる事は無く、主人公のフォレストガンプが知能が低い分、違う能力が高いこと、そんな息子の事を母親は信じ続けることなど、こうして幼児教育に関わり、藤森先生のお話を聞いていたおかげで、この映画はとても深い映画だということに気づきました。親が子どもの事を最後まで信じ、そして最後は自立させていく…まさに「見守る」という意味のような気がします。ブログの最後に書かれていますが、まわりに愛され、信じられた子どもは、必ず素敵な人生を送ることができると私も思いました。

  4. 子どもの頃の記憶を辿ると私の周囲にはほぼ常に母親以外の存在がありました。祖父母であり、叔父叔母であり、あるいは父のお弟子さんたちであり、長ずるに連れて弟や妹でした。母の印象は当時ほぼ常に働いている姿でした。それ故母親と手をつないでどこかに出かけたり、母の身体のぬくもりを感じた記憶がありません。こうして書いていると寒々とした母子関係が想起されますが祖父母、父が亡くなり、叔父叔母そして弟妹それぞれが家族を持つ今日この頃結果として母とやりとりをする時間が身内の誰よりも多くなりました。コメントがずれてしまいました。それにしても親とは本当にありがたいもので、父母から自分のやりたいことを制止された経験がありません。おかげで未だにさまざまなことを経験したくてしかたがありません。が、もう子どもではありませんから自律しているところです。

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