相手の立場

設定した2つの条件の一つ〔パワー保持高群〕の大学生には、「思い通りに他人を動かした経験」や「他人を評価したときの経験」を書き出してもらい、もう一方の〔パワー保持低群〕の大学生には、「他人の意思で行動させられた経験」や「他人から評価された経験」を書き出してもらいました。この後、各条件に割り当てられた人たちは、自分の額に、マジックベンで「E」の文字を、できるだけ素早く書くように伝えられます。

実は、この実験で見たかったのは、「Eの文字の向き」でした。〔パワー保持低群〕では、相手から見てEと読めるように書く傾向にありました。ところが、〔パワー保持高群〕では、自分の視点でEの文字を書く傾向、すなわち、相手から見ると逆に書かれた状態が顕著に表れたのでした。

このことを受けて、ガリンスキー教授たちは、「権力を手にした人は、相手の立場でものを見て考えることが難しくなる」と結論づけたそうです。上司たる者、地位に見合った風格や品格を備えていれば理想的なのですが、現実にはそうではないケースもあります。しかも、この実験が示唆するように、本人はほとんど意識をせずに、不親切にもの文字を逆に書いてしまっていることが多いと言うのです。

気づいてほしい人が、最も自分の悪行に気づかないままでいる様子を表しているように思える内容です。そして、企業やスポーツチームにおける権力の腐敗が、特定の上司一人の問題で済むことはなく、組織全体のマネジメントに反映されるのが常であり、それは不祥事となっていくつも明るみに出ています。正論が正論としてすんなりと通る倫理的な感覚は、人間のちょっとした利己的な心理、個人のレベルから綻び始めて崩れていくのかもしれないと山浦氏は考えているのです。

リーダーが権力の腐敗にのみこまれないようにするためにできることはないのでしょうか。組織心理学では、部下が上司に要求するときに用いる方法を、「(上方向への)影響戦略」と呼んでいるそうです。部下の影響戦略を見ることで、上司は自分が部下からどのように見られているのか、内省することができると言います。そして、この影響戦略は、9種類に整理されているそうです。

1.合理性:事実にもとづく証拠や専門的な情報を示して、論理的に説明する。2.情熱性:熱意を込めて、相手の価値観や理想に訴えかける。3.相談性:意思決定や計画立案への参加、あるいは支援やアドバイスを求めたりする。4.迎合性:上司の機嫌を伺い、意見に同調する“偽の民主主義”的なふるまい。5.交換性:承諾してくれたら次は必ず援助すると約東する。昔の恩を思い出させる。6.個人性:要求する前に、個人的な関わりを持ち出して依頼する。7.より上の権威性:より高い権威者の支持、ルールや慣習などを盾にして訴える。8.主張性:従うべきルールを指摘し、繰り返し要求する。ときには脅しや圧力を含む。9.結託性:同僚や自分の部下の指示を取り付けて訴える。の9種類です。

例えば、1は合理的な戦略で、2は情緒面をより重視した戦略だと言います。並び順の数字が小さいものはソフトな影響戦略、数字が大きいものほどハードな影響戦略です。部下は上司と良好な人間関係を築けていると思えば、自分の要求を通そうとする際に、合理性や情熱性をもって上司に訴えかけるのではないかというのです。しかし、部下が7あるいは8や9のハードな影響戦略でもって、上司に要求をしてくるようであれば、上司と部下の関係はかなり危険な状態だと言います。部下から信用されていないと認識すべき関係性と言えるのではないかと言うのです。

上司の本性

「パワー動機」が強い上司は、部下のアイデアに耳を傾けてそれを真剣に受け止めることもなく、せっかく自ら課題に取り組もうとしている部下がいても、その彼、彼女を育てようともしません。山浦氏は、「あなたの上司は、どんなふるまいをしていますか。」と聞いています。さらに、「上司が強いプレッシャーを受けているとき、どんな仕事ぶり、采配ぶりですか。部下に何と言いますか。」それが、あなたの上司の本性だと彼は言うのです。

このような上司という権力を持った人間の心理を踏まえたならば、正論が忌み嫌われることがありそうだと言います。自分は正しく、自分で何もかも把握してコントロールしたがる上司を説き伏せるだけの資料を持って、あなたが話をしに訪れたとします。そのとき、このパワー動機の強いタイプの上司は、あなたが自分のことをコントロールしたがっている(パワー動機の強い部下だ)と錯誤してしまうでしょう。どんなに正論であっても、あるいは正論であるがゆえに、上司から煙たがられたりする可能性があることは、知っておいて損はないと言います。

権力の行使に夢中になってしまうリーダーの習性を、脳科学で検証した研究があるそうです。権力が自分の手中にあると感じているリーダーは、優秀なサブリーダーに対して、頻繁に指示を出し、難しい課題を与え、圧力をかけることで権力を行使し、成果に対する貢献度を低く評価することが明らかになっているそうです。社会心理学者のデービッド・キプニスたちは、この現象に「権力の腐敗」と名づけ、権力者たちが堕落していく姿だとしました。

人の行動は、脳の中にある以下の2つの神経システム(神経系)によって制御されていると考えられています。その一つは、行動抑制システムです。これには、悪ことを避けようとしたり進行中の行動を抑制したりする働きがあります。もう一つは、行動接近システムです。これには、報酬や目標に向かって行動を促進させる働きがあります。通常、2つの神経システムは均衡しているのですが、「権力の腐敗」が起きている際には、バランスが崩れているようだと言います。「権力の腐敗」が起こっているときには、「行動接近システム」が優位になるため、通常よりも報酬や目標に向かって行動すると考えられているそうです。言うまでもなく、ここで言うリーダーの報酬や目標とは、権力を行使し続けることなのです。

権力を手にすると、人はなぜこのように相手をコントロールしようとし、残虐な行為にまで及ふようになるのでしょうか。それは、相手の立場や感情を読むことが十分にできなくなるからだと言います。コロンビア大学ビジネススクールのガリンスキーらは、このことを示すために、ユニークな実験を行っているそうです。

まず大学生を集めて、〔パワー保持高群〕と〔パワー保持低群〕の2つの条件を設定しました。〔パワー保持高群〕の大学生には、「思い通りに他人を動かした経験」や「他人を評価したときの経験」を書き出してもらいました。書き出すことで、自分自身が力を有している感覚を高めてもらったのです。

一方、〔パワー保持低群〕の大学生には、「他人の意思で行動させられた経験」や「他人から評価された経験」を書き出してもらいました。彼らは、自分はさほど力を持っていないと連想させるための誘導でした。ここまでで、条件設定は完了です。

地位が人をつくる

山浦氏は、権力を持ったときの人間心理を学び、リーダーのポジションにいる人が、チームの人間関係を良好に保ちながら成果をあげるために、権力とどう付き合うべきか、考察していきます。まず、「地位は、人の倫理観をも変える」についてです。

地位が人をつくることは、広く知られていることです。このことを実証した、1971年に行われた、心理学者のジンバルドーたちによる「スタンフォード監獄実験」は有名な話です。ジンバルドーたちは、大学の地下室を実験用の刑務所に改造して、非常に大がかりな実験を試みました。

新聞広告などを使って、心身ともに健康で善良なアメリカ市民を募集。彼らをランダムに囚人役と看守役に分けました。囚人役は、胸と背中に囚人番号が記された囚人服を着用し、看守役には、制服や警棒、匿名性を高めるためのサングラスが渡されました。権力の差を強く感じるような服を着用した彼らに、実験用の刑務所の中で、それぞれの役割を演じさせたのです。その結果、初日こそ看守役は自分たちの役割に戸惑いを見せていたものの、数日で威圧的な振る舞いや、精神的な虐待をするようになり、囚人役もまた囚人らしい言動を見せるようになっていったのです。

この実験によって、人間はいかに置かれた環境によって形づくられるのか、役割を付与されて強い権力を得た人間がいかに倫理観を崩壊させ、非人道的な悪魔のような存在に化していくのかを、私たちは知ることになったのでした。ジンバルドーの著書『ルシファー・エフェクトふつうの人が悪魔に変わるとき」(海と月社)や映画『es(エス)』は、このスタンフォード監獄実験を題材にしているので、詳しく知りたい人に、山浦氏はすすめています。私も見たことはありますが、あまりにも残酷な変わり方で、最後まで直視することができませんでした。権力を握ること、特に長く握ることは、これほど人を変えてしまうのだということがよくわかります。

組織心理学の研究が明らかにしていることは、地位やそれに伴う権力を手にした人の多くが、「他人をコントロールする権力を失わないように努める」「部下か利己的に動くのは嫌うが、自分自身は、地位を揺るがされるような事態に敏感で、自己利益に走る」という傾向にあることです。

部下は、職場での上司の様子を一部始終傍で見ているわけですから、部下たちに言うことと、上司自身がやっていることが乖離していると認識してもいますし、思いやりに欠けたふるまいだとも感じています。人が権力を持つと、もともとのパーソナリティに沿って、その権力を用いようとすると言われているそうです。権力への欲求が強い人は利己的に、反対に慈悲深い性格の人は自分の権力を利他的な対応に使うのだそうです。

例えば、「パワー動機」が強い上司は、自分と同じようにパワー動機が強そうな部下を冷たくあしらう傾向にあるそうです。パワー動機とは、地位や能力の面で、他の人よりも優れていたいとか、価値あるものを誰よりも先に自分が手にしたいと思う欲求のことです。

上司との関係性

紹介した実験結果のうち、興味深い点について、山浦氏は、少し補足しています。

もし、部下との関係性が良好でも、(自他ともに認めるほどに)がんばっている部下をほめないでいるとどうなるのでしょうか?自分なりに工夫を重ねて仕事をしている部下に上司が何のフィードバックも与えないでいた条件では、部下は「暗黙の叱責を受けている」と感じていたのです。上司と疎遠な関係性にある部下の方が、暗黙裡に叱責されているという感覚が高まりやすい傾向にありましたが、上司と良好な関係性にある部下も程度の差こそあれ、同様のことを感じていたのです。

「上司とはうまくいっている(はず)、そして今、自分は自分なりに考えを重ねて仕事にあたっているけれど、上司は何一つほめることはない」このように、良好な関係にある上司から、今回の仕事については何の労いも、前向きな言葉もなかったという部下は、ひと言のフィードバックをもらった部下と比べて、統計的に有意に叱責されていると暗黙のうちに感じていたのです。

この実験は、上司と部下が出会って間もない関係性初期のころを模したものなので、そうであるならば、新入社員の期間には、とくに意識して対応したいところだと山浦氏は言うのです。心しておきたいことは、疎遠な間柄だから言わない、良好な間柄だから言わなくても伝わっている、ではないということだというのです。人を前向きにする言葉は大切だからこそ、惜しみなく確実に届けたいものだと言うのです。

最後に、「隠れた不満」に関して、重要ポイントを整理して挙げています。「ほとんどの組織では、不満が隠蔽される傾向にある」「ただし、不満は“やる気”の裏返しであり、チームが変化するチャンスでもある。不満をいかに有効活用できるかが、リーダーの力量である」「不満を有効活用するためにできることは、大きく2つあり、一つは『組織のメンバーがリスクをとって不満を表明しても大丈夫だ』と思えるような環境をつくること。もう一つは、ほめることで、メンバーのモチベーションを向上させること」「ほめ言葉は金銭報酬にも匹敵すると考えられる。ただし、的外れなほめ言葉や、関係を構築できていない相手にほめ言葉を使うと効果は出ず、むしろ逆効果を招く」などを挙げています。

次に山浦氏が組織に蔓延するネガティブな関係として挙げているのが、「権力」です。リーダーにとって「権力とどのように付き合うか」は、非常に重要な問題だと言います。リーダーが権力を誇示したり、威圧的な態度をとれば、その瞬間は、成果を挙げることができるかもしれませんが、信頼は崩れ、長期的に見ればチームのパフォーマンスが低下すると言います。

実は、心理学や脳科学のいくつかの研究は、権力を持った人が組織の利益にならないネガティブな行動をとってしまうことを明らかにしているそうです。「立場が人をつくる」とは、責任のある地位につくことで、人が成長するという意味の言葉ですが、良いことばかりではなく、権力という強い武器を急に持ってしまっただけで、それを振りかざしてしまうのが、人間の本質なのかもしれないと山浦氏は言うのです。そうであるならば、そうならないために対処法を知って、メンバーからの信頼を失わないような行動をとれるように準備をしなければならないと言うのです。

上司からの対応

ポジティブな効果をもたらす2つの条件の2つ目は、「良好な人間関係」です。部下の責任感を高めたのは、「上司との人間関係」が良好な状態で形成されていたときだったそうです。上司がほめどころをほめると、部下の責任感は確かに高まっていきました。世間一般で言われている通り、ほめることは“良い”ことです。しかし、非常に重要で注意しなければならないのは、このほめ言葉のポジティブな効果は、そもそもの人間関係が良好に築かれているときに限った話だということでした。この実験の結果で言えば、出会ってすぐの10分間で形成された関係性が、その後の仕事に対する取り組みの姿勢をポジティブな方向へと変容させたことが、それにあたります。しかも、1回目にほめたときよりも、2回目にほめたときにはさらに資任を持って、手を抜かずに取り組もうという意識が高まったのです。

ところが、上司との関係性が十分に築かれていなかったときには、同じ言葉でほめたにもかかわらず、部下の責任感は初期値よりも低下し、その状態が維持されたのです。つまり、そもそもの人間関係が整っていないところでほめたとしても、ポジテイプな効果を持たないどころか、仇になることすらありうるということです。部下にしてみると、仕事を始める前の上司の対応や雰囲気からすると、ほめられているとは思っていなかったのではないかと山浦氏は考えています。

この結果は、上司からの想定外の対応に対して、部下が戸惑いを感じ、また上司の真意に対して疑念を持つことになったことによると、彼は考えています。この研究で明らかになったことを山浦氏は次のようにまとめています。

「ほめどころをほめることで、部下の責任感やモチベーションを高められる。」「人間関係の豊かな土壌がないところでどんなに美辞麗句を並べても、相手の心には響かない。」です。

山浦氏は、職場の中で、関係性が良好だと思える部下、あるいは後輩を思い浮かべてみてくださいと言います。あるいは、上司と比較的うまくいっているというならば、その上司を思い浮かべてくださいと言います。そして、「最近、あなたは職場でその人をほめましたか?」、あるいは「ほめられましたか?」と問うています。

さらに彼は、部下から時間をかけて練り上げられた企画書や試作品があがってきたとき、「それを見たあなたは、どのようなコメントを返しましたか?」、あるいは「上司からどのようなコメントが返ってきましたか?」と問うています。もしかしたら、次の指示が飛んできただけで、労いのひと言もなかったかもしれないと言います。「職場でほめられることはないよなぁ…」という状態が、“ふつう”になってしまっているようにすら感じることがあるのではないかと言います。

上司の立場にある人は、「言わなくても私が“良い”と思っていることくらいは、長い付き合いの中だから、雰囲気で伝わっているだろう」「悪いことは、早く伝えておかないと大変なことになる。でも、ほめるのは、この仕事がひと区切りになったときでいいだろう」と考えているうちに、結局は伝えそびれてしまったということはないでしょうか。

ポジティブな効果

ほめることは本当に効果的な対応なのかというこの実験が失敗すれば、現場の人たちの疑問に答えられなくなる肝心の部分でしたが、10分程度の実験でわかるのかという疑問があったそうですが、すべての実験を終えて行った分析の結果、〔関係性高群〕では、低群に比べて上司を信頼している(この上司となら一緒にやっていけそう、信頼できる等の認知・評価をしている)という結果が出て、関係者一同ほっとしたそうです。

さらに、10分間の上司と部下の交流を終えたら、電話対応を始める前に、部下には以下の目標を持ってもらいました。一つの条件〔基本目標の条件〕では、マニュアルに書かれた内容(電話対応のマナー)を遵守し、ミスを避けて安全確保を強く意識した道案内を電話で対応するようにと伝えられました。もう一つの条件〔工夫目標の条件〕では、相手に配慮してわかりやすい説明を心掛け、サービスの質向上に向けた工夫ある電話対応をするようにと伝えられました。

ここまでで、上司との関係性(高、低)と部下の目標(基本、工夫)の4条件ができ上がりました。そして、今後同様のイベント運営を行うときの参考資料にするというカモフラージュをして、上司との関係性(信頼できそうな人かどうか等)や印象評価、仕事に対する部下のモチベーション(仕事に対する責任感)などについても答えてもらいました〔初期値の測定〕。

記入後しばらくしたところで、外部(この人もサクラです)から電話がかかってきて、いよいよ対応本番です。部下が対応している間、上司はそばにいます。部下からすると、なかなか緊張する状況1回目の電話対応が終わった後、ほめの操作を行いました。〔ほめ条件〕では、上司は、「今、工夫して説明していて、よかったよ!」というひと言をフィードバックしました。〔ほめなし条件〕では、上司はとくに何も言わないままでした。

このフィードバック時間を見計らって、2回目のアンケート調査への記入を求めました。この後、同様の電話対応とフィードバック操作をもう1回繰り返して、実験を終了しました。

実験の結果です。ほめることは、ポジティブな効果をもたらしてくれるのか。答えはYESでした。ただし、それは限定的なもので、2つの条件を満たさなければポジティブな効果を得られないということもわかりました。部下のモチベーション(仕事に対する責任感)に対する効果については特に、とても興味深い結果が得られたそうです。

その1つ目は、「ほめどころ」です。部下の責任感を高めたのは、上司が、ほめどころをほめたときでした。「工夫目標」を設定し、意識することが求められた部下たちに、上司が「工夫して、よかったよ!」とフィードバックしたとき、次の仕事も手を抜かず責任をもって努めようという意識が高まったのでした。一方、「基本目標」を持って取り組んだ部下の場合、上司から「工夫していて、よかったよ!」と言われても、責任感の得点は変動しなかったそうです。言葉の上ではほめていても、部下にとってその意味や意図は、きっとピント外れに響いたに違いありません。つまり、より前向きな職務態度を育てる上で、ほめどころを見つけて、それに即した前向きな言葉を伝えることは重要なポイントではないかと山浦氏は言うのです。

どう褒める?

半信半疑のままで、でも世間一般では“良い”と言われているからほめる、やらないといけないのだろうという程度でほめても、十分な効果を期待することはできないと言います。ほめればほめるほど、社員たちのモチベーションは上がるのでしょうか。このような現場の疑問には答えていく必要があると山浦氏は思っていると言います。もし、そんな魔法のような方法があるならば、現場の人たちが苦労することはなかったでしょうし、研究者ももっと他のことに力を注いだはずだと言います。ですから、ここで改めて彼は問うています。「ほめることは、組織で働くリーダーたちにとって役に立つものなのか」と。

山浦氏のプロジェクトチームでは、過去に「部下に対するポジティブ・フィードバックが機能しないとき」という論文を発表したそうです。この問いは、2005年4月25日、西日本旅客鉄道(以下、JR西日本)の福知山線で発生した列車脱線事故がきっかけだったそうです。乗客と運転士を合わせて107名が死亡、562名が負傷したこの列車事故を契機に、JR西日本は2006年に、安全研究所を設立しました。これは、ヒューマンファクター(人間の行動特性)研究の一環として立ち上がったプロジェクトだったそうです。

事故原因は多岐にわたりましたが、その中でも特にマスコミが大きく取り上げるようになったのは、“日勤教育”と名づけられた上司と部下の教育体制でした。日勤教育とは、インシデント(鉄道運転事故が発生するおそれがあるとめられる事象)を発生させた運転士に対する再教育の俗称で、上司の裁量による懲罰的性質の強い教育が行われていたのではないかと指摘されたのです。

JR西日本の場合、これ以降、事故を引き起こす可能性が、教育のあり方やリーダーによる対応にあるとするならば、組織風土を変革しようと取り組みを開始しました。「叱る文化」から「ほめる文化」への変革です。ただ、この組織変革を実現するためには、ほめることがリーダーの“良い”対応であることが示される必要がありました。

では、ほめることは本当に効果的な対応なのでしょうか?この問いに対する答えを導くために、アルバイトとして募った大学生80名を対象に、実験的な方法を用いて実証を試みたそうです。以前に、一部紹介した研究です。大学のある一室を職場に見立てて、実験とは知らない部下役の学生たちにその一室に入ってもらいます。そこでは、初対面の上司(サクラ)と一緒に仕事を行います。上司役は、JR西日本の管理者経験者の方でしたので、実験にリアリティを出すには十分でした。部下の仕事として求められたことは、産官学連携プロジェクトのイベントがあり、そのイベントに参加する来客者の電話対応です。イベント会場までの道順について、安全でわかりやすく説明する仕事です。電話対応の開始前に、上司と部下は、10分間交流をしてもらいました。実は、ここからすでに実験操作が行われていました。

一つの条件〔関係性高群」では、この10分の間に、日常的な会話をしてもらいました。他方の条件「関係性低群〕では、上司には、目の前のパソコンで忙しそうに仕事をするなどして、会話がしにくい状態をつくってもらいました。この実験を行う前の研究検討会などでは、10分程度で関係性(の認知)に明確な違いが本当に出るだろうかという声もあったそうです。

褒め方の条件

10歳前後の子どもたちに、幾何学図形を使った知能検査をしました。まず、中程度の難しさの問題セットが与えら、子どもたち全員に、実際のスコアに関係なく「8割程度は解けていた」と伝えられました。その際、ほめ方の異なる3つの条件が設定されました。

一つ目の条件の子どもたちには「こんなに問題が解けたなんて、賢いわね」とほめました。これは、「能力のほめ条件」です。もう一つの条件の子どもたちには「こんなに問題が解けたなんて、一生懸命にがんばったのね」とほめました。これは、「努力のほめ条件」です。3つ目の条件の子どもたちには、何もほめませんでした。これは、「統制条件」です。

その後、再び、すべての子どもたちに、最初よりも難しい問題に取り組んでもらいました。その結果、半分も解けていなかったと、ネガティブな結果が子どもたちに伝えられました。さて、このような経験をした子どもたちは、その後、どのような反応を示したのでしょうか。1回目のテストで「賢い、頭がいいわね」と能力をほめられた子どもたちと、「がんばったわね」と努力をほめられた子どもたちとでは、何か違いが見られたのでしょうか。一連の研究を通じて明らかになった主要な点を、山浦氏は挙げています。

・追求する目標か異なる:ほめ方の違いによって、子どもたちが追求したいと思う目標の種類が異なったそうです。研究のデータによれば、成績目標を選んだ子どもは、「能力のほめ条件」で67%、「努力のほめ条件」で8 %だったそうです。「努力のほめ条件」のほとんどの子どもたちは、学習目標を選んでいました。能力をほめられた子どもたちは、頭の良さを維持したいと思うようになったのに対して(成績目標が意識化された)、努力をほめられた子どもたちは、新しいことを学びたいと思うようになったそうです(学習目標が意識化された)。

・取り組みの姿勢が異なる:ネガティブな結果を受けた後、子どもたちの取り組みの姿勢や成績が異なりました。〔努力のほめ条件〕の子どもたちは、〔能力のほめ条件〕の子どもたちに比べて問題を解くことを楽しめており、「この後も間題を解き続けたい」と思っていたそうです。そして、最初の問題よりも、後の問題で成績を向上させたのです。

・報告の仕方が異なる:自分の成績の報告内容が異なっていました。子どもたちは、悪い成績だと告げられた後、別の地域に住む子どもたちにこの問題について説明をしてほしい、そして、内緒で自分のスコアも教えるようにと伝えられました。その様子を観察すると、「能力のほめ条件〕の子どもたちのうち3分の1以上は、自分の得点をごまかしたのです。それに対して、「努力のほめ条件」や「統制条件」の子どもたちのうち、自分の得点をごまかしたのは、それぞれ13%、14%に留まったそうです。人は、自分の努力を認めてもらって育つ——人が喜びや前向きな心持ちを高め、行動を促し、成長の資源や機会を掴んでいくのではないかと山浦氏は言うのです。

ところが、企業の現場やスポーツチームなどを見渡してみるとどうでしょう。山浦氏は、「ほめることは本当に“良い”対応なのか?」と問われることがあるそうです。その問いかけの奥底にあるのは、部下をほめると、「気が緩んでしまうようだ」「調子にのってしまい、その後注意散漫になる」「ミスが生じやすくなる」という経験知の蓄積なのです。

褒められたとき

褒めることとること、この2つの対応は、保育現場でもよく議論となるところです。同時に、これら2つの対応は、家庭や学校現場、そして職場での対応について考えるとき、古くから扱われてきました。また、「ほめられて伸びるタイプです」と言う若者も、すっかり市民権を得て、世の中でもすっかり、「ほめて育てるのが良い」という風潮になったように思うと山浦氏は言います。

組織心理学の研究でも、非常に多くの知見が蓄積されてきたテーマの一つだそうです。それらの研究を集めてメタ分析した結果によると、ネガティブなフィードバック(叱るなど)よりもポジティブなフィードバック(ほめるなど)の方が、モチベーションなど各種のポジティブな心理的・行動的な反応をもたらすと報告されているそうです。例えば、ポジティブなフィードバックを受けた人は、フィードバックの内容を「的確である」あるいは「役に立つ」と評価し、それを受け入れ、肯定的な自己イメージや自己効力感を高めると言われています。また、組織に対する愛着を持ち、役割外の仕事や創造的な活動に積極的に取り組んで、会社を辞めようという気持ちは低いことなどが報告されているそうです。

人がほめられたとき、脳の中で何が起きているのかについて、機能的磁気共鳴画像法であるfMRIを用いて、脳科学の分野からアプローチしている研究があるそうです。この実験に、19人の男女が参加しました。検討の対象となる条件は、大きく2種類です。一つは、報駲としてお金がもらえる状況下におかれた場合(金銭報酬条件)、もう一つは、他者からほめられる状況下におかれた場合(社会的報酬条件)です。金銭報酬条件では、実験参加者に3枚のカードが配られ、そのうちの1枚を選びます。選んだカードに応じて、報酬が変わるという簡単なギャンブル課題を行いました。

実は、獲得できる金額はあらかじめ決められていて、〔金銭報酬が多い群〕〔金銭報酬が少ない群〕〔金銭報酬なしの群〕の3種類が用意されていました。他方、社会的報酬条件では、実験参加者は、いくつかの性格に関する質問に回答し、ビデオカメラの前で自己紹介をしました。その後、これらの情報をもとに、他者が実験参加者に抱いた印象をコメントしました。この条件にも、3つの群が設定されました。ポジティブなコメントを受け取った〔社会的報酬高群〕、ネガティブなコメントも含まれていた〔社会的報酬低群〕、コメントが提示されない〔社会的報酬なし群〕です。

その結果、金銭報酬がもらえるときに賦活する脳の部位である「線条体」が、社会的報酬を与えられたときにも反応していることが明らかになったそうです。つまり、他者からほめられることは、お金をもらったときと同じく、喜びをもたらしていたということです。

また、別の研究によれば、ほめ方によって、効果が異なると言います。この研究の対象者は、10歳前後の子どもたちです。子どもたちは、幾何学図形を使った知能検査に取り組みました。まず最初に、中程度の難しさの問題セットが与えられました。そして、子どもたち全員に、実際のスコアに関係なく「8割程度は解けていた」と伝えられました。

その際、ほめ方の異なる3つの条件が設定されました。褒め方によって、その後の反応が違ってきたのです。

安心して

役割が明確であると、人は仕事に時間やエネルギーを注ぎ、没頭する傾向が強まること、また、仕事への満足感が高まり、それに伴って組織に対するコミットメントも向上することが報告されているそうです。周囲が自分の存在を認識してくれていること、そして期待を伴っていることが、私たちの仕事へのやりがいを生み、組織への愛着心を育てると言うのです。  次は、環境戦略3です。それは、「心理的安全性」です。これは、個人がリスクテイクしても大丈夫な職場だと信じているということだと言います。成功するチームの共通点として、Googleが注目したことで一気に広く知られるようになりました。この「心理的安全性」に前述した「役割の付与」が組み合わさると、部下の主体的な議論を引き出すことができると言います。新しい解決法を示すなどの発展的な議論や、望ましくない行為に指摘をするといった行動を促すのです。ちなみに、心理的安全性の醸成には、上司との良好な関係性がやはり大きく影響すると言います。その他にも、職場が支援的であること、学ぶ姿勢を持った個人や組織であることが強く関与していると言います。こうして職場の雰囲気がつくられ、所属する人にもたらされる安心感は、情報共有、パフォーマンスや創造的な活動を、しっかりと支えて促進してくれるというのです。

イスラエルで、戦略とマネジメントを研究するカルメリと共同研究者たちは、金融、通信、医療品・医療機器などの企業で働く社員を対象にアンケート調査を実施したそうです。その結果、組織のメンバーたちが互いに、目標や知識を共有し、信頼し合うような関係性が築かれているほど、心理的に安心して過ごすことができる環境がつくられていたそうです。さらに、失敗から学ぼうとする姿勢や、行動が育つ傾向にあることを明らかにしました。ここでの安心感は、あくまで組織の成長や継続に必要な話を、どこまで腹を割ってできるか、ということだと言います。

最後に、環境戦略4として、「上司と部下の“仕事の志向性”を合わせる」を挙げています。上司にも、そして部下にも、それぞれ仕事のやり方というものがあります。この仕事のやり方には、大きく分けると、「課題遂行優先の志向性」と「関係構築優先の志向性」の2種類があると言います。目標達成にこだわるタイプの人もいれば、まずは人間関係を良好に築くことが大事だと考えるタイプの人もいるということです。

一般的には、上司は会社の方針に沿って、成果・業績を上げなければならない責務を負っていることもあり、部下に比べると「課題遂行優先の志向性」が強い傾向にあると言われているそうです。上司と部下の志向性が一致している方が、不満は生じにくく、生産的な職務行動が促されやすくなりますが、とくに関係構築に関する志向性のズレが大きいと、部下の不満は生起しやすいことが明らかになっているそうです。地位・役割がつくり出している志向性のギャップを埋めることは、必要なことであり、その具体的な方法は、上司からの明るいひと声、仕事上のサポーティブな声かけ、目配りや心配りが感じられる瞬間を提供するなどが考えられると言います。山浦氏は、最後に、「一瞬であれ、そうしたかかわりがあることは、上司であるあなたが今考えているよりも遥かに、部下には大きな励みになっています。」と言うのです。