余暇と労働

ナチスが1933年に、余暇のための組織「喜びを通しての力」というものを作ることによって、様々な施設を余暇として利用するようになりました。これらは今日のドイツの人々の「余暇の過ごし方」ともよく似ていると言います。もちろん、余暇組織「喜びを通しての力」はナチス党に労働者を取り込むのが目的でしたが、余暇が労働のための力を再創造するのだ、という発想が見て取れます。言い換えれば、余暇と仕事がかなりきっちりと切り分けた考え方があるのがわかります。ちなみにこの余暇組織は、「歓喜力行団」と訳され日本とも外交の一環として交流もありました。しかし当時も日本側には「余暇」がピンとこなかったようです。

余暇と労働を考える上でひとつ重要なのが、ドイツの時間感覚だと高松氏は言います。「欧米では仕事とプライベートを分ける」というイメージを持つ人が多いと思います。このイメージに照らし合わせてみると、時間に対する感覚が違うと感じることが多いと言います。ドイツの時間感覚は一直線で、タスクをひとつずつ片付けていく傾向が強いと言います。職場では、ほとんど休息をとらずに仕事に集中、そして「就業時間」という大きなタスクが終わると「プライベートの時間」に切り替えるかたちです。この時間感覚も仕事と余暇を切り分け、そのため「タスクとしての余暇」として何をするかという発想につながるのかもしれないと言うのです。

「余暇」に着目すると、富裕層の生活イメージにはじまり、労働運動の中で展開され、戦後は経済成長とセットに健康や楽しみといった生活の質を高めるものとして発展してきたのがうかがえると言います。余談ながら、日本語の「余暇」という字面を見ていると、「(時間が)余ってできた暇」であり、「労働時間」と拮抗しにくいです。そして積極的に使うための時間というイメージが少ないのです。そんなふうに高松氏は思えてくるというのです。

では、子どもにスポーツをやらせるにあたって親は何を期待するのでしょうか?ドイツの子どもや青少年がスポーツをする場合、スポーツクラブが主流になります。子どもがもし自分で「サッカーがしたい」といえば、親がすぐに思いつくのはもちろんスポーツクラブです。

一方、親としては子どもを育てるにあたり、様々なことを思うものです。健康、学力、社会性など幅広いようです。そんな「子育て課題」を考えたときに、「何かスポーツをやらせたい」という発想が出てきます。そんなとき、親の中には「何をやらせればよいか」ということになります。親向けの育児関係の記事などを検索すると、たくさん出てきます。それこそ、親のための雑誌、健康保険関係の組織、それに一般のメディア、スーパーマーケットが顧客向けに書く「生活のヒント」のような記事にまで扱われているそうです。

たとえば、スーパーマーケット「Real」のホームページの家族向け情報記事を高松氏は紹介しています。タイトルは「最も人気のある10の子ども向けスポーツ」というものです。ジャーナリストのダグマー・フォン・クラムさんによるもので、内容は次のようなものです。少し長いですが、この文章から、何をスポーツに期待しているか、どんなことが大切か、それをどにょうに保護者にアピールしているかよくわかります。

余暇スポーツ

ドイツでは、戦後になってスポーツ団体による健康増進、余暇スポーツの取り組みが盛んになりますが、それに伴い、各自治体でスポーツクラブも増えていき、当然クラブ加入者も増加していきます。1970年にはスポーツクラブ加入者数が1010万人だったところが、1989年になると2090万人と2倍以上に増え、2000年には2680万人になっています。なお、1990年を見ると、全人口に対するクラブ加人者数の比率が一旦下がっていますが、これは旧東西ドイツの統一によるものです。ともあれ、戦後のドイツでスポーツが盛んになってくるのは「余暇」という時間環境との関連性が透けて見えると言います。日本でも働き方に関する議論はありますが、余暇時間が増えるとスポーツ人口の増加につながる可能性が高いと高松氏は考えています。また人々の健康の底上げや、スポーツを通じたボランティアなどの増加といった社会インバクトも考えられると言います。

余暇や健康のための、誰にでもできる「第二の道」の発想を表すものに、「万人のためのスポーツ」という言い方があるそうです。スポーツに対して、そういう考え方を付されていったのは、ドイツの場合、体操(トゥルネン)をともにする仲間という考え方を提示したフリードリッヒ・ヤーンの存在がその出発点ではないかというのです。

しかし実は詳しく見ると、もう少し事情が複雑なようです。19世紀終わりにイギリスから「スポーツ」がドイツに入ってきます。スポーツはイギリスで発展を遂げたものです。「遊び」といった要素はあるものの、一方で「競争」という要素もありました。それに対して、ヤーンの体操は全身運動を促すもので競争の要素はありませんでした。勝ち負けという価値にヤーン自身も否定的だったのです。この点で、19世紀末からドイツで「トゥルネン」と「スポーツ」が拮抗する時代もあったというのです。誰にでもできる「万人のための体操」が「余暇スポーツ」の基本的な考え方に繋がっていったのは、ドイツにおいてはヤーンが嚆矢といえるのではないかと高松氏は言うのです。

では、「余暇」に対するドイツの考え方はどうなのでしょう。まず、「休暇」そのものは、軍隊からしばらく離れる許可のことを指していたそうですが、今日の仕事に対する「休暇」の登場は1873年に見られます。公務員に有給休暇制度が導入され、上級の職員は年6週間の休暇を得ました。1918年には労働組合の活動が奏功し、多くの労働者が休暇を取得するようになりました。もっとも当初は年1週間未満でしたが。

ともあれ、今日の連邦休暇法は労働者の権利獲得の賜物ですが、それは19世紀からはじまっていたわけです。しかし問題は休暇の使い方だと高松氏は言います。当初からレクリエーションや娯楽のために使われていましたが、これはモデルがあったそうです。富裕層が優雅に過ごす様子がある種の理想像としてあったというのです。これが労働者の権利の中に入ってきたと考えられると言います。

「休暇」の流れは第二次世界大戦中、妙な発展を遂げます。ナチスが1933年に、余暇のための組織「喜びを通しての力」というものを作りました。特別列車で安価な旅を実現。国民車「フォルクスワーゲン」もこの中で普及します。そのほかに、ミュージアムや劇場を利用するといったことも定着しましたが、これに並んでスポーツ施設を余暇として利用することも広がりました。

アルテ・ピナコテーク(ドイツの国立美術館)

スポーツは遊び?

日本では、今日でも「体育会系」は日本スポーツ文化を特徴づける価値体系ですが、一方で実際の部活を見ると、昨今の体育会系の反省からか、根性論と一線を画すトレーニング方法や生涯スポーツを追求する動きも出てきているようです。しかし、スポ根アニメで育った指導者やその影響を受けた人はまだまだ現役で活動していて、「スポーツは遊び、気晴らし」という定義にしっくりこない人も多いのではないかと高松氏は言います。

高松氏自身にとって、「スポーツとは遊び」という考えに対する違和感が氷解したのが、ドイツのスポーツクラブだったそうです。老若男女が日常的にスポーツをする場で、しごきや体罰とはまったく無縁です。日本における勝利偏重の部活の雰囲気からみると「ゆるゆる」にすら見えると言います。なぜ非体育系の「ゆるゆる」のスポーツになったのでしょうか。歴史を見るとある程度説明がつくと言います。戦後の旧西ドイツのスポーツは当初、競技志向が強いものでしたが、変化を遂げるのが1960年代からです。西ドイツは1950年代に「経済の奇跡」と呼ばれる経済復興を遂げます。こうした中、1959年にドイツスポーツ連盟(DSB)から、国民の健康を意識した「第二の道」という考えが出てきます。競技スポーツが「第一の道」とすれば、余暇のためのスポーツが「第二の道」というわけです。同時にドイツオリンピック協会(DOG)によって、スポーツ施設などを拡充する「ゴールデンプラン」という提案も出てきます。その後、1970年代にドイツスポーツ協会(DSB)によって「トリムアクション」という健康増進の運動キャンペーンが行われます。これらは政府主導ではなく、スポーツ団体が発端です。ゴールデンプランなどは、必要な資金を州や連邦などから引き出してきました。トリムアクションについても、エアランゲン市の戦後のスポーツ史をひもとくと、頻繁に行われていたそうです。実際そのころ子どもだった人にきいても、「そういえば、トリムアクションに参加していた」と記憶に残っている人もいたそうです。また、トリムアクションとは別で、健康増進のための余暇スポーツを市内でスポーツクラブや行政のスポーツ部署と一緒に展開しています。

一方、余暇活動には当然「余暇」がいります。余暇とセットになるドイツの労働時間の経緯を見てみます。すると、1900年に週6日60時間だったものが、1932年には42時間、1941年に50時間、1950年48時間、1956年には週5日への移行がありました。そして、1965年には40時間、1984年には38.5時間、そして1995年には印刷、金属、電機産業で35時間と推移しています。このような労働時間の短縮は、労働運動などの賜物ですが、戦後のみを見ても1950年代、経済復興に伴い労働時間が減っていくのがよくわかります。現在は週40時間ですが、一時的に35時間にまで短縮した業界もあります。高度経済成長に伴い長時間労働が増えた日本と対照的だというのです。

また、ドイツといえば病欠とは別に、休暇のとりやすい国としても知られています。今日の長期休暇を規定しているのは、1963年に施行された連邦休暇法です。最低限24日の年休を設定することになっていて、多くの企業は30日の有給休暇を規定しています。ちなみにEU加盟国に対して達成を求める「EU指令」では4週間の年次有給休暇が明記されています(EU労働時間指令、1993年)。このため、平日でもスポーツクラブで何らかの行事のために休日が必要になっても、簡単に体めるのです。

ビールの原料のホップ

スポ根

4Fという信条は影響力が強く、「体操家のクロス」という紋章も作られました。アルファベットのFを四つ組み合わせたもので、なかなか力強い造形だと高松氏は言います。現在でもトウルネン関係のイべントや雑誌などにも使われているそうです。「ヤーンホール(体育館)などでもヤーンの胸像とともに「体操家のクロス」の紋章があしらわれているそうです。さすがに最近の若い人は、この4Fやロゴについて知る人は少なくなっているようですが、年配の人だと知っている人も多いと言います。日本でも、この4FがついているエンブレムがついたTシャツが売られています。そして、そのエンブレムの説明に、「斜線左側には“フレッシュ、敬虔、幸せ、自由”を意味する4つの“F”。これはドイツの“体操の父”と呼ばれるフリードリッヒ・ルートヴィッヒ・ヤーンに由来する。」とあります。

またこういう世代で、若い頃に体操していた人の話などを聞くと、4Fを噛み締めながら、スポーツクラブの仲間とともに体操をしていたようです。このように見ていくと「タメ口カルチャー」も、なかなか複雑で、一人の活動家の運動が出発点になっていることがわかります。同時に日本の体育会系文化にある「先輩後輩システム」とは全く逆の方向の人間関係が築かれたということ。これは日独のスポーツ文化の違いにつながる大きなカギだと高松氏は言うのです。

ドイツのスポーツ選手は「視野狭窄」に陥ることがないと言います。それは子どものころからの教育と各人の人生観に関係していると高松氏は言います。そのあたりの事情をこれから見ていきます。

スポーツの定義は、語源であるラテン語“disportare”までさかのぼって説明されることが多いようです。英語でいえは” carry away”「何物かを運び去る」といった意味だそうです。転じて不安や憂いを運び去ること、つまり「遊び」「気晴らし」と説明されるわけです。しかし、高松氏は長きにわたり、「スポーツは遊び」という説明は正直なところピンとこなかったと言います。彼自身は、野球を舞台にした「巨人の星」などのスポ根(スポーツ根性もの)アニメを見ていた世代で、それらの作品群に描かれるのは、ライバルとの競争で勝利を得ること。それからそのために激しいトレーニングなどが必ず出てきます。戦後、高度経済成長期を迎え、「がんばれば成功する」という時代の気分とうまくマッチしたのではないかと考えています。

しかし、ここには「遊び」や「気晴らし」という言葉が入る隙間がありません。「スポーツは遊び」という定義に対する違和感は、今思えば、スポ根アニメが影響していたような気がすると言います。また勝利のための無茶な練習や気合のためのビンタなどは「普通のこと」であるという「体育会系」のスポーツ文化醸成にスポ根作品も一役かっていたのではないかと高松氏は考えているのです。最近のスポーツを主題にした漫画作品を見ても、クラッシックな「体育会系」が物語のフレームとしてあり、その中で「(既存の)『体育会系』(のようなこと)なんてやってられない」、「伝統的な体育会系とは異なるトレーニングで強くなる」といった考えを持つ人物が配されることで、ストーリーを魅力的なものにしている作品が散見されると言います。いずれにせよ、今日でも「体育会系」は日本スポーツ文化を特徴づける価値体系といえるのではないかというのです。

セミナーハウス

体操家

ヤーンの活動を日本からみると違和感を覚える人もいると思いますが、スポーツクラブが社会的組織であるという点に着目すると、わかりやすいかもしれないと高松氏は言います。そしてヤーンのトゥルネン運動にしても今日の日本でイメージされる「体操」とはかなり異なると言います。むしろ身体運動を介した教育であり、社会運動だったと考えるのが妥当ではないかと言います。ドイツでは著名な人の名前などを公共の建物や道路の名前に使ったりすることが多いという特徴があります。そのため現代でも「ヤーンホール(体育館)」や「ヤーン通り」がドイツ全国の町にかなりあるそうです。

では現在のスポーツクラブの「タメ口カルチャー」はいつ登場したのでしょうか?トゥルネン運動の始まりとされるのが、1811年。ベルリンのハーゼンハイデ運動場に大学生など若者を中心に約300人が集まりました。当時、教師をしていたヤーンですが、それ以前から生徒たちを集めて運動をしていたようです。

思想家・教育家として、ヤーンはナショナリズムの傾向を持っていましたが、出自や信仰などをとりさって、運動場でともに体操をする仲間として考えました。そこでユニフォームの着用を義務づけ、そして体操をともに行う仲間として「おまえ」という親称を使うようにしたわけだというのです。そんな体操家(トゥルナー)たちには、規律、自己抑制を求めました。当時は「男性」のみ対象ではありましたが、それは友情や寛容といった普遍的価値を持ち、社交にとんだ市民像ともつながっていたそうです。19世紀半ば以降になると「体操家の歌(トゥルナーリート)がたくさん作られるようになるのですが、歌詞を見ると「男らしく」「兄弟愛(=連帯)」といったような単語が散見されます。この段階では体操家の結束のなかに「女性」が入っていなかったりするのですが、それにしても平等な人間関係に基づく、現在のデモクラシーにつながるプロセスの一部という側面もあるのではないかと高松氏は考えています。

ヤーンは思い込みが強く、それを現実のものにしようとするエネルギー、そしてカリスマ性を備えた活動家のような人物だったようです。白いひげを蓄え、ゲルマンの民族を思わせる服をまとった晩年の容姿なども、今の感覚でいうとかなりビジュアルを意識しているように思えると言います。

また体育思想や教育論という観点からいえば、18世紀から「ギムナスティック」という「体操」を意味する言葉がすでにありました。ところが「これはドイツ起源の言葉ではない」とし、「トゥルネン」という民族ティストのある名称を作りだしたかたちだそうです。

当時の時代背景を考えると、こういうネーミングが多くの人々に、特に若い人におおいに響いたのかもしれないと言います。コピーライターのような才能をおもわせると高松氏は言います。

この「才能」に着目すると、ほかにも有名な「キャッチコピー」があるそうです。それは、体操家の「4F (フィーアエフ)」というモットーです。Fはドイツ語の頭文字をとったもので、「新鮮な(frisch /フリッシュ)」「敬虔な(fromm /フロム)」「快活な(fröhlich /フレーリッヒ)」「自由な(frei/フライ)」を示すそうです。

森のプロジェクト

トゥルネン

歴史的な経緯でいえば、高松氏の紹介したTSG1899ホッフェンハイムという「体操クラブ」が現在のスポーツクラブのはじまりのようです。柔道はもともと武士の接近戦の技術だった柔術を、嘉納治五郎という人が教育体系として整理し、柔道というかたちに換骨奪胎しました。高松氏は、やや乱暴な比較だと言いながら、それとよく似ていて、トゥルネン(体操)もフリードリッヒ・ルードヴィッヒ・ヤーン( 1778~1842年)という人がその礎を作りったそうです。

今日、日本で行われているスポーツクラブの議論と比べると、ヤーンがトゥルネンを始めた理由はかなり驚きだと言います。19世紀初頭、ドイツの隣国フランスのナポレオンがヨーロッパでの戦争で勝利を収めていました。そしてプロイセンは負けた側でした。こういう状態に陥ると、メラメラと燃え上がってくるのが愛国心です。同一の言語や文化を持った国民による国家(国民国家)という考え方も出てきます。新しい国家建設に向かうナショナリズムが強くなり、政府でもそういう機運が高まりを見せます。こういう時代の中、ヤーンが展開した「トゥルネン運動」には心身を鍛え、強い民族を作るというような指向があり、伝統や愛国心といったものを重視したのです。

ヤーンを教育者としてみると、理性的で、人間的な感性を持ち、自立的な人間を育てるのが大切という考え方を持っていたそうです。そのためトゥルネン(体操)は調和を考慮したような運動が想定されていると言います。具体的には鉄棒、平行棒、あん馬、平均台といったものを利用した運動がよく知られています。

他にも「黒い男を怖がっているのは誰?」と高松氏が訳した鬼ごっこを複雑にした運動遊びなども行われていました。こういう遊びを一緒にすると、一気に精神的な距離が近づきます。出自が異なる体操家同士の平等な人間関係を強めるような目的もあったのではないかと言います。ちなみに、この遊びは今日でもよく行われているようです。

ほかにもトゥルネン祭やハイキングなどいろいろなことをしているようです。ハイキングというといかにも今日のレジャーというイメージがありますが、徒歩による小旅行という感じではないかと言います。そしてドイツにまつわる歴史記念碑などを訪ね、愛国心を高めていくようなことが行われていたようです。

愛国心や郷土愛とは何かというと、感情に基づくものだと高松氏は言います。その感情は美しい自然風景や記念碑、歴史的な場所などから触発され、導き出されると言います。トゥルネン運動におけるハイキングもそういったかたちのものだったのではないかと言います。さらには他の体操家仲間を訪ねるとか、読書会、討論会、演劇などもしていたそうです。

オペラ座

ちなみに、ドイツ社会で演劇は思いのほか身近で、教会で子どもたちが行ったりしますし、小さな村でも有志の演劇のグループなどがあるそうです。余暇や楽しみという面もありますが、教育機能をはじめ、社会や政治を表現することで議論を促進するといった役割もあるようです。そのせいか、スポーツクラブのなかには演劇のグループを持っているところもあるそうです。

メンバーの平等性

ドイツでは柔道の運営組織はスポーツクラブです。ここでは、日本文化とドイツ文化が混ざっていきます。通常、練習前には先生と向き合って正座し、「先生に礼」と掛け声。一斉に礼をします。これはドイツでも一緒です。わざわざ「センセイニレイ」と日本語でやります。センセイとはトレーナーであり、基本的にはクラブのメンバーです。日本の感覚ですと、先生には必ず敬語を用います。ところがドイツではクラブメンバーなので、当然「おまえ」と呼びます。「センセイニレイ」といっておきながら、トレーニングがはじまると「おまえ」です。練習中でもトレーナーをつかまえて「ここのところをもう一度教えてくれる?」と頼むようなことがありますが、このときの二人称ももちろん「おまえ」です。いずれにしても一定の敬意はお互いに持っているのですが、柔道の流儀で「センセイニレイ」と言いつつ、ドイツには日本風の先生はいないというわけだと言うのです。

「センセイ」も「おまえ」という呼び方になってしまうドイツのクラブですが、柔道のトレーニング開始前、終了後の座り方にもクラブらしさが出ると言います。高松氏が知っている例を紹介しています。上級者から順番に座るところまでは日本と同じです。しかし人数が多いために練習場の端から端まで一杯になったときがちがうそうです。日本の場合2列、3列と座っていきますが、ドイツの場合は、端まで一杯になるとそのままアルファベットのL字型に座っていくのが主流だそうです。L字型に座っても場所が足りないような場合は、カタカナの「コ」の字型になることもあるそうです。日本で柔道をしている人からみると、面白い風景に見えるはずだと言います。

森の幼稚園

ではなぜ、こういう座り方になるのでしようか。ある柔道のトレーナーに尋ねてみたところ、スポーツクラブの平等性が理由だということだったそうです。日本柔道のように「上級者から座る」ということは行われますが、一列に座ることでメンバーの平等性を実現しようとした結果だと言うのです。高松氏が住むエアランゲン市内のクラブが、自分たちをどのように定義しているかを思いだしてほしいと言います。「人種主義や差別に反対し、年齢、宗教、経歴、国籍に関係なく、誰にでも開かれている。そしてわれわれは寛容、社会的、連帯を重視したコミュニティである」としているのです。

そして、日本の人間関係の序列感覚が組み込まれている柔道がドイツで行われると、スポーツクラブの理念と絶妙に組み合わさっていくのがわかります。日本の柔道が「体育会系柔道」とすればドイツは「スポーツクラブ柔道」といったところだと高松氏は言うのです。高松氏が、スポーツクラブについての取材やリサーチを始めたころ、長年あるクラブの代表をしていた人から「われわれには『おまえ』と呼び合う文化があるんだ」と誇らしげにいわれたことがあるそうです。

さてこの「タメ口カルチャー」はいつ、どこで作られたのでしょうか。これを見るには、少しスポーツクラブの歴史を見る必要があると言います。以前、高松氏はサッカーのチーム名を超訳で紹介しましたが、その中のひとつTSG1899ホッフェンハイムをもう一度見てみます。チーム名の意味は「1899年設立のホッフェンハイム地区の体操とスポーツのコミュニティ」です。Tは、体操コミュニティという意味の「Turngemeinschaft」の省略です。

二人称

一般にドイツ社会では年齢による序列感覚がほとんどないそうです。初対面で自分よりかなり歳が上であるような場合、どこか丁寧な話し方になることもありますが、日本の年齢の序列感覚と比べると全くといってよいほど異なるようです。

ドイツ語では、二人称には親称「ドゥ(Du /おまえ、君)」と社交称「ジー(Sie /あなた)」の2種類があります。「あなた」から「おまえ」に変わるタイミングは属生によっても異なります。若い人同士ですと、最初から「おまえ」です。仕事関係ですと何年たっても「あなた」ということもあります。その場合、呼び方もずっと「タカマツさん」「ミュラーさん」と名字だそうです。自然に「おまえ」に変わることも多いですが、そのタイミングはネイティブでも迷うことがあるそうです。

「そろそろ『おまえ』で呼び合いませんか?」とどちらかが提案するケースもあるそうです。その時に「そうしましょう。私はヘイゾーです」「トーマスです」と改めてファーストネームで紹介しあい、握手をします。ちょっと儀式めいていますがそんな風に関係を作っていくこともあると高松氏は言います。ですから他人の会話を聞いていると、二人称から人間関係が少し見えてくるわけだと言うのです。日本語の感覚でいえば、いつからタメ口で話せるか、必要以上の丁寧語や敬語をいつから外すか、というのと近いのかもしれないと言います。

冒険広場

その点、スポーツクラブでははっきりしているそうです。メンバーになったとたん「おまえ」なのだそうです。たとえ16歳の若者が50歳の大学教授と話すときでも、外国人であっても、身障者であっても、性的にマイノリティであっても、メンバー同士なら「おまえ」です。高松氏は、これを「タメ口カルチャー」と名付けています。これはトレーナーに対しても同じだそうです。

こういった呼び方からも、スポーツクラブはスポーツをともにする「仲間」という意識を感じるとることができます。そういう人間関係を意識的に作るわけだと言うのです。ですから、その仲間がクラブのために何か貢献した、なんらかの顕著な働きをしたというと、「われわれのトーマスが、こういうことをしてくれた」と皆の前で紹介するようなことがあると言うのです。「われわれ意識」を伴うような表現が出てくるわけなのです。

こういう感覚から考えると、仕事や学校で少々ストレスの多い状態が続いても、「われわれ意識」が持てる場所が生活の中にあるのは救いです。外国人や難民などにとってもスポーツを通して「われわれ意識」を持てる場所があるだけで、孤独感や排除された感覚が薄らぐはずだと高松氏は言うのです。

日本語が母語である高松氏にとって柔道は面白いと言います。ドイツでも柔道は盛んに行われていますが、運営組織はスポーツクラブです。つまりここで日本文化とスポーツクラブ文化が混ざることになります。そして、ドイツのスポーツクラブの特徴が明確に見えます。その特徴を紹介しています。

指導者

ドイツへサッカー指導の研修に行った元サッカー選手の山尾光則さんが「育成年代」のドイツの指導状況について書いています。その内容を高松氏は紹介しています。

「指導者は、選手の自主性に任せながらも、選手の将来を考えて、ピッチ内のしつけも、ピッチ外のしつけも大事にしているということである。サッカーというチーム競技の中で、選手に与えられる自由とチームの中での役割を理解させることを、重要視していた。これは、ドイツ人の国民性であるように感じたが、集団の中での個人の責任の所在を明確にすることを常に求めていた。

次に、試合や練習時に選手に過度のプレッシャーを与えていないことである。これは、指導者が目先の勝ちにこだわり過ぎないスタンスを持って指導しているからであろうと感じた。もちろん、試合などで厳しい要求をすることもあるが、勝利至上主義でない考え方を根底に持っているから、選手に対するネガティブなコーチングは皆無であった。

その結果か、選手は自分のイメージを持って伸び伸びとプレーしていた。コーチにサッカーをさせられている感はなく、自分で自主性を持ってサッカーというスポーツをしていた。当然ミスもあり、上手くいかないこともあるが、自分を表現するためにミスを恐れず積極的にサッカーに取り組んでいた。以上の事を、各指導者が強く意識して指導を行っているのではなく、長く続いているクラブの慣習、彼らのサッカー、指導に関する考え方が、自然とこのような指導法にさせていると感じた。」(同報告書110ページ)

指導の方法に「ネガティブなコーチングは皆無」と書かれていますが、体罰や怒鳴りちらすような日本の指導のようなことは皆無という意味ではないかと高松氏は考えています。そして、山尾さんは「勝利至上主義でない考え方を根底に持っているから」、そういうネガティブなコーチングがないのではないかという見解を示しています。もうひとつは、選手たちが「自分のイメージ」を持っていることや、自主性を指摘しています。日本の部活のなかには、「やらされている」という雰囲気があり、試合でミスがあると、指導者からずいぶん叱責を受け、時には殴られることもあります。そのため選手たちが萎縮したり、ミスを恐れたりして「挑戦」をしないという指摘も散見されます。

このようなドイツでの指導のやり方は、私たちの保育にとってもとても参考になります。特に、園のような子ども集団の中では、失敗を恐れたり、そのために委縮したりすることは多くなります。もちろん保育は勝負ではありませんが、「自分のイメージを持つ」ことを認め、「自主性」を持ち、「やらされ感」をなくすことも意識する必要がありそうです。

さらにこの報告からは、「個人」を中心に据え、全体の中で個人の役割と責任そして、自主性をどのように理解・実現するかという主題がくると言います。スポーツのあり方を見ると、その国の状態や価値観が透けてみえるようなところがあります。個人と公共空間のあり方をはじめ、ドイツのスポーツクラブが成り立つ社会背景についても高松氏は説明してきましたが、実際のトレーニングや試合においてもそういうドイツ社会の特性と重なっているのがよくわかると言うのです。

体罰や怒鳴り声

日本では、戦績重視の学校になると、なんとしても勝てる「スポーツ組織」にしょうということになります。そこでモチベーションを高め、チームの統率をはかるために体罰を与え、練習で「しごく」というようなことが一般的な「方法」として行われたのでしょう。「気合を人れる」ためには「声」も重要な要素です。大きな声であいさつすることや、練習中の「声出し」、指導者が大声で指導することともつながっているように思えると高松氏は言います。こういう現場で指導者が未熟だと、高まった感情と結びつき、もはやトレーニングの「方法」ではなくなると言うのです。

体罰や頻発する怒鳴り声、それからしごきといったものが、戦績のために選手たちを追い込んでいく方法とすると、ドイツの地域スポーツクラブでは、そこまで追い込む必要がありません。それは、スポーツ組織としての目的が戦績第一ではなく、厚生にあるからです。ただし、ドイツに体罰がなかったわけではないそうです。「禁止」の法律化を追っていくと、19世紀初頭にプロイセン軍の鞭打ちが廃止。同じころ配偶者を処罰する権利廃止などが見られます。20世紀に入ると、使用人や見習いに対する体罰禁止が出てきます。

学校の体罰に関していうと、1970年代ごろから各州で禁止されていったそうです。両手を差し出させて鞭でうつ、教室の角に立たせるといったことが行われていました。親による体罰の禁止は2000年に入ってからだそうです。体罰そのものは、服従、懲罰などの意味で人類が思いつく「手っ取り早い方法」なのではないかと高松氏は考えています。それにしてもスポーツクラブやスポーツの世界では彼が知る範囲では聞いたことがないそうです。

では、ドイツのトレーニング、たとえばサッカーの練習はどのようにしているのでしょうか?。ウォーミングアップの運動をして、そのあと、コーンをつかった練習、模擬試合などといった程度です。しかし素人でもわかるクラブのトレーニングの特徴があるそうです。それは、日本の部活に比べてかなり短いということです。

スポーツクラブのサッカーは複数の年齢のチームがあるので、時間を決めてサッカー場を使えるようにしなければなりません。平日の昼間でしたら、小学生が楽しそうに練習しています。高校生ぐらいの年齢の若者でしたら、夕方5時ごろからといった具合です。そのため3時間も4時間もサッカー場を占拠できないようです。トレーナーも有給のケースが多いですが、報酬はそう高いものでもありません。もちろんサッカーが好きで、自由意思でトレーナーとして関わっているわけですが、「仕事」として考えると「副業」のようなものだと言います。自分の「可処分時間」をつかった有給ボランティア兼ホビーとして考えるのが妥当ではないかと高松氏は言います。ですから、彼らも毎日、半日近い時間を指導に費やすことはできないと言うのです。チームのレベルを勘案しながら、トレーニングの「量よりも質」を重視しているのです。あるいは限られた時間で質を追求しなければならないのがドイツのスポーツ環境といえそうだと言うのです。

高松氏は、スポーツと「国のあり方」はつながっていると言います。ドイツのトレーニングを見聞した日本の指導者のレポートをいくつか読んでみたそうですが、たとえば、「日本オリンピック委員会スポーツ指導者海外研修事業」の平成27年度帰国者報告書です。この報告書の中で、ドイツへサッカー指導の研修に行った元サッカー選手の山尾光則さんが「育成年代」のドイツの指導状況について書いているようです。