ミマモリストの実践

ミマモリング=心を寄せること。

カグヤでは一緒に働き、一緒に生きる中で、お互いに心を寄せ、思いやることの大切さと、そこで生まれる感動や豊かさを大切にしたいと思っています。ただ仕事をするのではなく、自分の心の環境がそのまま仕事に表れるからこそ、「心を寄せること」を大切にしていきたい。そんな「ミマモリングを実践していく人々=ミマモリスト」の取り組みをご紹介いたします。

2016/04/15

「心の鏡」

仕事においても、保育においても、
家庭においても、自分の人生においても、

失敗を怖がり、物事に主体的になれないことがあります。

「~~すると失敗するかもしれない、恥をかくかもしれない」

「~~するとお客様に迷惑をかけるかもしれない」

だからやらない。

でも、、失敗は成功のプロセスにあります。

失敗と成功は同じベクトルの中にあることは、
頭ではわかっています。

むしろ、今目の前にある課題や、問題を解決したり、
なりたい自分や相手のなりたいことの為には
今のまま、何もしないことが本当の「失敗」であることも分かります。

では何故、動かないのか。。

それを今日は学ぶ機会を頂きました。

子どもの事を想う時、
子どもが失敗と思われるような行動をしたとき、

親としての自分は、
責任を取ろうとする姿勢や行動を教えるのではなく、
バツを与えるようなことをしていないかという事です。

「それはダメ、違う。」
「なんでそんなことをするの」
「そんなことしたら~~しちゃだめだからね」
「ほら言った通り、そうなったでしょう」
「せっかく~~したのに、、、」
「もーー!!!!」
「いやぁーーー!!!!」

子どもからしたら、毎日は人生を使った実験です。
初めての事ばかりや慣れないことばかり。

どんな失敗であれ、「成果」であり、成功への糧です。

その事実自体に対して、「否定」や「比較」「罰」を与えたら
どうなるのでしょうか。

挑戦自体を辞めてしまうのだと感じます。

保育園では、何かをこぼしたり落としたりしても、
怒られませんし、罰せられません。

雑巾の使い方、拭き方を教えてくれたり、
最初は一緒に拭いてくれたり。

そして、本人が出来るようになっていくこと、
成長自体を喜んでくれています。

そのプロセスの中で本人が獲得していく
失敗に対するフォローの仕方を都度都度喜んでくれる存在。

それは、その見守る本人が

「失敗」を「罪」や「罰」ではなく、「喜ばしい成果」だと
思っているのだという事だと思います。

自分の中にある「失敗」に対する刷り込みが
子どもの主体性や挑戦に関わるだけでなく、
失敗に対する価値観までも植え付けてしまいかねないという事を
改めて学ぶ機会となりました。

これは、子どもに対する姿勢だけではなく、
自分自身に対しても、周りに対しても同じ事なのだと感じます。

失敗に対して「否定」や「罪」「罰」を与えていないか。
自分を見つめる良い機会を頂きました。

ミマモリスト
眞田 海