ミマモリストの実践

ミマモリング=心を寄せること。

カグヤでは一緒に働き、一緒に生きる中で、お互いに心を寄せ、思いやることの大切さと、そこで生まれる感動や豊かさを大切にしたいと思っています。ただ仕事をするのではなく、自分の心の環境がそのまま仕事に表れるからこそ、「心を寄せること」を大切にしていきたい。そんな「ミマモリングを実践していく人々=ミマモリスト」の取り組みをご紹介いたします。

2017/08/10

「全体最適」

「全体最適」と「部分最適」ということについて
初心会議で学びました。

例えば、「東京都」にとってのベストを突き詰めたところで、
「日本」のベストになるわけではありません。
「日本」のベストを突き詰めたところで「世界」のベストになるわけではありません。

そういう意味では、各都道府県それぞれのベストをそれぞれが持ち寄ってきたからと言って、
日本のベストにはならないということです。

日本の全体最適を考えるには、日本の視点で考える人がいなければなりません。

「部分最適」を集めても「全体最適」にならない。

自分の立場からの最適が仲間にとっての最適ではないように、
会社全体の視点で『自分を俯瞰してみることができる人』が必要なのだと学びました。

保育園や幼稚園でいえば、園全体の視点で
『自分を俯瞰してみることができる人』が大切なのだということなのかもしれません。

ここに難しさと落とし穴があるように感じます。

「全体最適」を考えるとき、
「自分自身がその『全体』の中のどの部分にいるのか、どんな状況なのか」
を客観的に理解できているだろうかということです。

自分から見えている『全体』と
『全体』から見えている『自分』

ここには真逆の価値観があるのだと知りました。

『全体』から自分が見えていれば、自分都合で動かすことも、
我に飲まれることもありませんし、自分を全体に活かしていくことができます。

しかし、自分から見た全体を進めようとすると、自分都合で動かしたり、
我に飲まれたり、周りに迷惑をかけてしまったり。

やろうとしていることは同じはずなのに、結果が違ってしまう。

そんなことが自分の中でも多々ありましたが、
それは、物事を始める動機が「全体のことを思っての真心」なのか、
それとも「自分がやりたい・片づけたい・認められたい・楽をしたい・成果を上げたい・売上を上げたい」
どちらの動機なのかということなのだと思います。

どんなに「全体最適」と考えようとしても、
「自我」という部分が入ってしまえばまっすぐに全体を見ることは出来ないのかもしれません。

理念が喜ぶ働き方とは何か。カグヤという会社が喜ぶ働き方とは何か。
子どもたちが憧れる働き方とは何か。

自分という枠を超えて、自他ともに幸せになり、豊かになっていくためにも、
全体を見ていく視野というものをつかんでいきたいと思います。

ミマモリスト
眞田 海