ミマモリストの実践ブログ

ミマモリング=心を寄せること。

カグヤでは一緒に働き、一緒に生きる中で、お互いに心を寄せ、思いやることの大切さと、
そこで生まれる感動や豊かさを大切にしたいと思っています。
ただ仕事をするのではなく、自分の心の環境がそのまま仕事に表れるからこそ、
「心を寄せること」を大切にしていきたい。
そんな「ミマモリングを実践していく人々=ミマモリスト」の取り組みを紹介していきたいと思います。



「形にしていくこと」

2017年08月18日

先日までの夏季実践休暇を振り返りながら
その意味を今、ムービーという形にしています。

pics

カグヤの毎月の実践に、
「ときめきムービー」というものがあります。

毎月の働きや出来事を振り返り、その意味を味わい、
来月に活かしていく。

起きた出来事(DO)
を振り返り(SEE)
今頂いている機会に対してどうしていくのかを決める(PLAN)

このシンプルな習慣が、自分たちを支えてきているのだと思います。

それと同じく、今年は夏季実践休暇も振り返りながら、
いつでも振り返り、その時の教えを思い出せるように
形にしていくことを実践してみているところです。

形にするのは得意ではありませんが、
苦手でも形にしていくことには意味があると感じます。

形がきれい、出来がいい、それには個性や得意不得意が発生しますが、

形にするという行為自体はだれにとっても平等です。

そして、振り返り形にした分だけ、
恩恵も平等だと感じます。

得意不得意や苦手意識に左右されて
振り返ったものを形にしていくことを怠ってしまっては
勿体ないのだと自分自身で形にしていく中で感じています。

自分の苦手意識を受け入れ、うまく作ろうとせず、
形にした数や体験を大事にしていきたいと思います。

ミマモリスト
眞田 海

「心の育ち」

2017年08月17日

お盆の最中、長野の妻の実家にいた際に、
カブトムシはいらないか?!と
義理のお兄さんから聞かれると、

子どもたちはすかさず
「メスが3匹欲しい!!」

と、お願いしていました。

富山のお客様から頂いた幼虫3匹。

すくすくと育ち、オス3匹に育ちました。

このままではオスだけなので、
近くの大きな公園に逃がしに行くしかないかと考えていたところでしたが、
こんな有難いお誘いのお陰で、
今度は立科産のメスカブトムシを3匹GETしました。

富山から、立科から、北陸新幹線に乗ってやってきたカブトムシたち。

早速家に帰ってそれぞれの巣箱で初顔合わせを。。。

我が家には子どもたちが名前を付けた

「かぶくん」「もぞくん」「でぶくん」

の3匹がいるのですが、

そのお嫁さんの名前を決めるのも、一苦労です。

母親が提案した「ステファニー」とか「フランソワ」とか
御姫様っぽいのは?!という提案は即刻「変」と却下され、

子どもたちで話し合って決まった名前を聴くと、

「かぶ婦人」「もぞ婦人」「でぶ婦人」

になったといいます。

やっぱり、幼虫から育ててきたカブトムシたちに対する
愛着が大きいようです。

5月にカブトムシを頂いてから3か月。

お盆で家を空けるとき以外は、
毎日子どもたちがエサやりや掃除の世話をし続けてきたこともあり、

子どもたちにとって、

「声なき声を聴こう」とする習慣が身についているようです。

「そろそろおなか減ってると思うよ」

「もっと木があったらいいと思うよ」

「さみしそう」「かわいそう」

先生から頂いたカブトムシのお陰で、
子どもたちからたくさんの寄り添いの声を日々聴けるようになりました。

眠気眼でも、しっかり虫の世話や植物の世話をしている子どもたちの姿を見ることができると、
子ども自身の何が育ってきているかを実感でき、
本当に有難い環境と機会を頂いていると感じています。

カブトムシを頂いた先生からは

「声なき声を聴こうとする、聴ける人が命に寄り添えると思うんです。
それが保育につながると思うんです」

と教えて頂きました。

人の心に寄り添うのではなく、自分の判断したいように「聴き」
自分の価値観で「評価」し、「裁」いたり「馬鹿にしたり」することのないように。
相手がそう感じることのないように。

たとえ自分自身の能力が優れていなくても、優れていても、
大切なのは能力ではなくその「心」だと信じ、
その姿を子どもたちに残していきたいと思います。

S_6557897340176

ミマモリスト
眞田 海

「生産性や均一化の先に消えていくもの」

2017年08月16日

今月末に聴福庵近くの神社で行う「天神祭」
このお祭りに併せて聴福庵にはお客様がお泊り頂くことになりました。

その際のお食事に使われる「出汁」。

その一つに鰹節を削って取る「一番出汁」があります。

その鰹節について、今日は深めるため、
長野から戻り、築地市場に子どもたちと出向きました。

何かと話題の築地市場、最近では火事も起き、
場外市場の一部が燃えてしまっていました。

しかし、築地市場。。。

広いですね!!!

今は海外の観光客の方々のメッカになっています。

場内は撮影禁止ということで、カメラを持って歩くことはできません。

いくつかの鰹節の卸問屋さんをお邪魔し、
鰹節についてお話をお聴きすると、、、

皆さん、鰹節一筋で代々やってこられた方々だけあって、、、
熱いですね!!!(そりゃそうだ、、、)

鰹節とひとえに言っても

カツオを茹でて干したのみの「生利節(なまりぶし)」
それを燻製にした「荒節(あらぶし)」
荒節にカビをつけて水分を抜きながら発酵熟成を繰り返す
「本枯節(ほんかれぶし)」があります。

今回はこの「本枯節」についてお話をお聴きしました。

日本では「鹿児島県」「静岡県」「高知県」が鰹節の質として有名です。

理由は獲れるカツオの品質だそうです。

カツオ節に適していているカツオは赤身が多く身がしまっていて脂分の少ないもの。
脂分が多いカツオだと、熟成の段階で旨味が出しづらいそうです。

獲れるカツオ自体の品質が何よりも左右されるのが「かつお節」。

しかし、このかつお節の品質も時代の流れで随分と変わってきてしまったそうです。

明治初期、かつお節は鹿児島枕崎産のものが最も旨味が強く高級だったそうです。
しかし、静岡、高知の官民一体となった改良や対策により、
生産量と、品質のばらつきの差が少なくなり、
それから10年後に改良や対策に鹿児島の官民が取り組むまでの間に、
この二つの県との差は多きく開いてしまったそうです。

しかし、この品評会は最高級品を決めるのではなく、
県全体の品質(良いと悪いの差を減らす)ことが目的です。

なぜなら、その方が県全体としてのステータスや全体の売り上げが上がるからですね。

この取り組みのお陰で様々なものが失われていったといいます。

それをお聴きすると、悲しい顔でお話をされました。

「誰でも、簡単に品質の高いものをできるような行程」
「良いと悪いの品質差が少なくなるような工程」

これを追求するあまり、

「今まで最高級のものを作っていた本物の職人さんが持つ技術が採用されなくなった」
「手間暇がかかる生産工程が採用されなくなった」

ということです。

具体的には鹿児島のかつお節の長所の一つに
「煮る前に捌いて、骨抜きをする」ということがありました。

これが、静岡、高知の生産工程を真似、
煮てから捌くようにしてしまったおかげでなくなりました。

これによって、今まで必要だった
「新鮮なカツオを見分ける目利き」
「新鮮なカツオを扱う技術」
「生の状態で皮を剥いだり、おろしていく技術」
「個性を生かした働き方」
がいらなくなったといいます。

これは、カグヤの仕事でいえば
「お客様の今に寄り添う心」がなくなることであり、
「お客様に寄り添う環境」がなくなることであり
「体験から振り返り改善していくこと」
「その人らしさで貢献していくこと」がなくなることでもあるかもしれません。

一斉画一で均一を求めるがあまり、
個々の状態を見極める力や
個々に寄り添う力、
それを積み重ねて磨いていく体験
自分らしさを生かしていくことをなくしていく。

結果、最低基準は上がっていきますが、
最高基準は下がり、全体としては下降の一途を歩みます。

これは仕事でも保育でも共通することなのかもしれません。

こうやって、文化が継承されなくなってきている現状の中、
この「技術」と「体験」がモノをいうかつお節づくりは
衰退の道を歩んできたといいます。

鹿児島県ではその本物の技術と体験を駆使して作る
「薩摩型本節」という作り方を残そうとする人たちは
年々減少し、2010年にはあと一人というところまで来てしまいました。

http://www.fushitaka.com/satsuma.html

あれから7年、今もまだ一人つくり続けていらっしゃるそうです。

http://www.fushitaka.com/katsuo7.html

この方が作ったかつお節はとお聞きすると、あまりに貴重であるため、数が少なく、
今はインターネット販売もしているため、店頭とインターネットと両方で販売すると
知らぬうちに在庫がなくなっていたなど、在庫管理が難しくなるため、
現在はインターネットでしか販売していないとのことで
見ることはできませんでした。

また、現在では日本で一人しか作ることができないため、
値段も高いと店主はおっしゃいます。

しかし同時に、この技術を継承していくためには
この人のかつお節が年間で1万本売れないと難しいとおっしゃいます。

2本で7000円ということは、
売上高で一万本というと3500万の計算です。

奄美大島の漁師による一本釣りの一級品のカツオを一万本入手する材料費。
それを加工するためにかかる経費。

どれをとっても、確かに最低限それくらいは必要になってくるのだと感じます。

かつお節を家庭で削るという文化がすでに衰退してきている現代。
価格競争ばかりでコストカットを進める店舗ばかりの現代。

そんな中では、これは簡単なことではありません。

しかし、そんな世の中だからこそ、「本物」を求めてくる方々も
いらっしゃるようです。

「良いもの」を作っていても、それが世の中に知られる機会がなければ
広まったりしていくことはありません。

今回もこのことを教えてもらったきっかけは、HPという媒体を通じて
築地に訪問するきっかけを頂きました。

どんな仕事も、世の中に発信して行くこと抜きには伝わっていかないからこそ、
口頭や協働、媒体を通じた実践発信、様々な形で発信をしていくことを
私たちも大切にしていきたいと思います。

ミマモリスト
眞田 海

「自分の暮らしを省みる」

2017年08月15日

長野で過ごすお盆を思いながら
都会で暮らす自分自身を振り返ってみると、
私自身が東京で行う7月のお盆の時期を軽視していることに気づきます。

形にとらわれる必要はないかもしれませんが、
そもそものお盆の目的やその大切さを理解しているからこそ、
その思いや心が形になっていくのだと思います。

大切なのはその順番を間違えないこと。
形をなぞったりとりおこなうことを大切にするのではなく、
何のためなのかを忘れず、その心のままに自分を使うこと。

一年一年と、心を形にしていきたいと思います。

ミマモリスト
眞田 海

「盆踊り」

2017年08月14日

お盆ということで
全国でも盆踊り大会が今日、明日と開かれています。

盆踊りの起源をWIKIで調べてみると、

盆踊りはもともとは仏教行事であるとする説、歌垣の遺風とする説、
原始信仰の儀式だったとする説など諸説あるが、文献に最初に登場するのは室町時代と言われる。

平安時代、空也上人によって始められた踊念仏が、民間習俗と習合して念仏踊りとなり、
盂蘭盆会(うらぼんかい)の行事と結びつき、精霊を迎える、死者を供養するための行事として定着していった。

死者の供養の意味合いを持っていた初期の盆踊りは、新盆を迎える家に人々が赴き、
家の前で輪を作って踊り、家人は踊り手を御馳走でもてなした。

盆には死者が家に帰って来るという考え方から、頬被りをして人相を隠し、
死者の生き返った姿に扮した人がその物語を演じたという。

とあります。

盆踊りには、お盆の時期に戻ってきた先祖の霊を慰める、という意味がありますが
江戸時代になると、その意味合いだけでなく、男女の出会いの場、交流の場として
意味合いが深まっていったようです。

そもそものお盆である盂蘭盆会(うらぼんかい)は旧暦の7月15日に行われていましたが、
現在は8月の15日に日程が移されています。

また、盆踊りが開催される日程も、
地域によってまちまちになりました。

盆踊りは日本各地で独自の進化を遂げ、発展していき、

阿波踊り、秋田県の西馬音内盆踊り、岐阜県の群上八幡盆踊りの
3つを合わせて日本三大盆踊りと呼ばれているようです。

また、山形県の花笠音頭、北海道の北海盆唄、福岡県の炭坑節などは
メジャーな盆踊りの歌として知られているようです。

盆踊りについては、色々と各地域で発展していった様子が見られますね。

発展していく以前には
お盆にご先祖様が家に帰ってくる。精霊を迎える。

そのことへの感謝の心とおもてなしの心から、
8月15日の晩から踊り始め16日が明けるまで踊り続け、
16日が盆明けということから、賑やかに踊り歌って先祖を送り出すという意味もあったようです。

今や夏の風物詩となっていますが、
自分自身、盆踊りをそんな気持ち、意味合いで踊ったことはありませんでした。

ご先祖様とのつながり、そして今も見守ってくださっていること、
これからの見守りも併せて、感謝の気持ちを持ってお盆を過ごしていきたい、
改めてそう感じます。

出来事の「初心」「原点」を掴んで実践をしていくことが、
子どもたちへの伝承につながると信じ、
日々を過ごしていきたいと思います。

ミマモリスト
眞田 海

PAGETOP