ミマモリストの実践ブログ

ミマモリング=心を寄せること。

カグヤでは一緒に働き、一緒に生きる中で、お互いに心を寄せ、思いやることの大切さと、
そこで生まれる感動や豊かさを大切にしたいと思っています。
ただ仕事をするのではなく、自分の心の環境がそのまま仕事に表れるからこそ、
「心を寄せること」を大切にしていきたい。
そんな「ミマモリングを実践していく人々=ミマモリスト」の取り組みを紹介していきたいと思います。



「お楽しみ会②」

2017年12月10日

お楽しみ会が先日あったのですが、

あまりにも自分たちの時のお楽しみ会とは違うことに
驚いています。

まず、自分たちの時を振り返ると
劇でいえば台本があり、その台本のセリフを
覚えて練習するというのが流れでしたが、

子どもから聞くと、
台本の大筋は先生が用意してくれるけれど
中身や展開は子どもたちが考えたものが反映されるようになっていて、
セリフも、こうした方がいいんじゃないかというのがあれば
自分たちで変えていってしまうそうです。
アドリブもOKなのでその日によって演じ方も変わるそうです。

子どもに聴いてみると、
一緒にやるお友達と相談して、

「紙をめくるのを忘れちゃったり、地球儀で遊んじゃって
 セリフを忘れちゃったりするから、おい!!とかちゃんとやれ!
 とか言って皆を笑わせちゃうのはどう?」

と、当日のシナリオにアドリブを効かせるということを
子どもたちで話し合って行ったそうです。 

主体が子どもたちにおけるようにすることや
台本の中身を自分たちが決めているような体験ができることが
子どもたちの主体性を生み出していくのだということを学びました。

正しいセリフを言うよりも、楽しむことを体験できる
「お楽しみ会」。

改めて行事の目的が持つ意味の大切さを感じます。

ミマモリスト
眞田 海

「やってみて気づくもの」

2017年12月09日

先日散歩がてらに築地場内に出かけてみました。

職人さんたちが魚をさばいたり陳列している傍ら、
料亭の方々が目利きをして仕入れに来ています。

陳列された魚介類を見ていてもそのものの良さは中々分かりませんが、
プロの方々の会話を聴いていると、段々と「何を見ているか」が分かってきます。

同じように見える魚たちを目利きするその眼差しには
やはりプロとしての凄みを感じます。

それは、子どもたちの発達を見極める先生方のようです。

様々な見た目から、声を発しないそのものの背景を想像し、
どんな物語があったのかを見つけ出すその力は、
どれほどの体験を積んで感じられるようになったのだろうかと思います。

教えられたものではなく、
実体験の連続の中で築き上げられたその眼差しを見ていると

ついつい、、、私も真似をしてみたくなってしまいます。

そして実際に目利きをしてみて、家に帰って食べてみると、
何を読み違えたのか、何があっていたのかが実際に分かるわけですが、
また今度行った際には同じような状態の食材があるわけではありません。

失敗した経験は次に活かされるわけですが、
次に出会うものが全く同じものではないからこそ、
また次も簡単ではないわけですね。

何度もそれを繰り返す中で、
共通する原理原則を見つけることが出来るようになるのかもしれません。

働くということは、そういうことの繰り返しなのですね。

毎年と同じように新しい年はやってきます。

しかし、同じ年はありません。
2018年という年をただの例年で終わらせないためにも、
一枚でも二枚でも、殻を破り捨て、
本質に近づいていきたいと思います。

ミマモリスト
眞田 海

「対話」

2017年12月08日

今年に入ってからは3月から
断続的に体調がどこか悪い状態が続いていましたが、
最近もまた体調を崩しています。

体調を崩すこと自体は問題ではありませんが、
これは何のサインなのかをしっかりと受け取らないと
勿体ないことですね。

挑戦を続けていると定期的にこうやって
「気づき」や「立ち返り」の機会を与えて頂きますが、
そのたびに古い価値観や自分を捨て、
目的に向かっていくことが出来るような機会になっていることを思い出します。

そう思うと、そのたびにこの体はサインを出し続けてくれて、
本当に有難いことだと感じます。

今年一年はそういう意味では身体との対話をたくさんしてきた
一年でした。

お陰で対話の仕方も少しずつ変わってきましたが、
これもまた人生の中で必要な体験であるように感じます。

一つ一つの体験を、大切に味わい、人生に活かしていきたいと思います。

ミマモリスト
眞田 海

「素」

2017年12月07日

「前向きに考えられること」

「前向きに感じていること」
とでは随分と意味合いが変わってくることを感じます。

頭で前向きに変換することはできても、
実際にその出来事が起きている時点では
そう感じられなかったり。

変換した後も、心や体自体は
そうは感じられていなかったり。

潜在意識は変わっていないことが多々あります。

なんとか前向きにとらえようと変換して、
そして本当にそうだなと実感したり、体験できた時に
心が素直にその出来事を前向きに感じられる状態が来るのだと感じます。

そう思うと、やはり「前向きに考えられる」ということは
「前向きに感じる」ための大切な第一歩であることを実感します。

前向きに考えて、行動してみる。
この繰り返しの中で見つけた実体験が
心や体をまた整えていくのかもしれません。

身体が素直に感じられる状態を
大切にしていきたいと思います。

ミマモリスト
眞田 海

「改善の差」

2017年12月06日

一緒にやるための改善と
一人で出来るようになるための改善

この二つには大きな違いがあることに気づきます。

カグヤの竹取新聞も編集長一人を置くのではなく、
編集長は毎月変わり、皆で行いますが、

皆でやることが前提なので、
振り返りで出てくる改善案も、
みんなで協力して出来るような「環境」に置き換える案が出てきます。

しかし、これが編集長ひとりで発行し続けようとすると
改善案は一人でできるような環境づくりや改善案ばかりです。

中身が全く違います。

皆で協力できるための改善を続けていくと、
皆がいてくれるからこそできているという「お陰様」を感じることが出来ますが、

ひとりで出来るようになろうとすると、
普段感じられるはずの「お陰様」を忘れがちになりますし、
自分の力が増した、自分のお陰と感じたくなってしまいます。

皆で一緒にやるための改善は、
協力の文化が育ち、人がやめても文化が人を育ててくれますが、
一人での改善を続けてきた場合、
人が辞めたらすぐに質が下がります。
もしくは能力の高い人を見つけるしかありません。

頑張れば頑張るほどにしんどい組織になってしまっては
永くは続かないのだと感じました。

どんなことも自分一人で出来ないという当たり前のことを
すぐに忘れてしまうのが自分自身です。

息をすることすら空気が必要ですし、
立ち上がることすら大地が必要です。

お陰様を感じられるのは一緒に働いたり
一緒に生きているということが実感できる環境が
必要なのかもしれません。

個ではなく、全体や文化を見ていく眼差しや
環境ををはぐくんでいきたいと思います。

ミマモリスト
眞田 海

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