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忘年会

今年も残すところあと少し。

一年間を振り返ったり、お互いに感謝を伝えたり、
労わり合ったりと、忘年会のシーズンがやってきました。

 

さて、この「忘年会」とは一体どんな意味を持っているのか、
その意味の深め方はそれぞれだと思いますが、

 

安岡正篤さんが著書の中でこんな風に深めていらっしゃいました。

 

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歳暮になると忘年会がはやるが
この「忘年」とは本来一年の苦労を忘れるという意味ではない

 

年齢を忘れるの意で、漢代の大学者孔融(当時50歳)
と禰衡(でいこう)(20歳未満)との交わりを、世人が
「忘年の交」とよんだ故事による

 

だから、忘年会とは老若席を同じくし
年齢を忘れて楽しむのが本当だ

 

忘年の交に対し、地位身分を離れて交わる「忘形の交」や
また、「忘言の交」がある
忘言とは、言葉など忘れた交わりのことで
荘子の「相視て笑ひ、心に逆ふことなし」という境地である
真実の夫婦・親友にとって議論などは不要のものだ

 

忘言の交をまた「忘己の交」ともいう
「己を忘るるの人は即ち天に入る」(荘子)だ
人間は世俗的な自分というものを時に忘れることが必要だ
せめて年の暮れくらい、世俗にあくせくした
塵まみれの自己を忘れて、大自然に冥合する一時を持ってよい

 

安岡正篤『照心語録』より

 

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「年齢」も「地位肩書」も忘れ、

そして「言葉」すら忘れ、

俗世的な塵まみれの自己を忘れ、

大自然と知らず知らずのうちに一つになる。

 

そんな「忘年会」。

 

うってつけの場所だなと思うのは「山」です。

 

 

 

重たい荷物を背負い、10時間かけて登り、
そしてテントを張って、大自然の中で食事をする。

 

 

 

 

山には「年齢」も「肩書」もありません。
疲れ果てた体には「言葉」もありません。
そして、塵まみれの自己を忘れて、
大自然に冥合(知らず知らずのうちに一つになる)する。

 

昔、友人と登った山々のことが思い出されます。

 

あのような「忘年の場」を「山」以外にも探してみたいと思います。

 

ミマモリスト 眞田 海