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「競争」と「協力」を超えて

先日、小学校6年の娘の運動会がありました。

 

今年は親として見学する最後の運動会ということで感慨深いものがありましたが、その中で最も印象的だったのは、娘のクラスの色である「あか組」の応援団長を務めてくれた、ある男の子の姿でした。

 

閉会式の際に、赤・青・緑それぞれの応援団長が前に出て、今年優勝した「みどり組」の団長が表彰台に上がり、校長先生からトロフィーが渡されたその瞬間…

 

真っ先に拍手をして相手を称えたのが、2位の「あか組」の応援団長の男の子でした。そして振り返り「あか組」の方を見て「みんなも一緒に拍手をしよう!」という合図を仲間たちに送ったのでした。

 

6年生として最後の運動会、自ら応援団長に立候補し、当日を含め一生懸命に応援してきたことを思うと、きっと心の中では誰よりも「優勝したかった」のではないかと思います。

 

でも、そんな彼が真っ先に相手を称える姿を見せたことで、勝敗というものを超えた、この運動会の意義が皆に伝わったように感じられました。

 

 

私たちカグヤでは、子どもたちに「競争」よりも「協力」の大切さを感じてもらえるような環境設定を大事にしています。それは今の社会全体が「競争」の方に偏りがちだからこそ、あえて「協力」の方を体験から学べるようにしているのですが、先日の男の子の姿を見た時に、ふと思うことがありました。

 

それは、「競争」か「協力」か、という二元的な話ではなく、「競争の中にある協力」のような感覚が、そもそも私たち日本人の中にあったように感じること。

 

例えば『敵に塩を送る』という言葉の語源となった、上杉謙信が武田信玄に行った行為。

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自分は義によって信玄と戦っているが、それは天下万民を苦しめるためではない。だから敵国とはいえ、武田領の人が塩がなくて苦しんでいるのであれば、まずこれを救うのが自分のつとめである。しかるのちに、戦の場において堂々と雌雄を決しようというのが謙信の心だったのではないかと思う。

(PHP研究所『指導者の条件』 松下幸之助 著)

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オリンピックなどにおいても、外国人から日本人選手の行いが称賛されるのは、やはりこのような「敵をも愛し、敬う」というような心の持ち方が姿にあらわれた場合が多いように感じます。

 

それを思うと、もちろん「協力」も大切ではありますが、「行き過ぎた競争」というものに本来の問題があるようにも感じられます。

 

運動会という、ある意味では「競争」の仕組みの中で、率先して相手を称えた立派な団長の男の子のような純粋な心を、私たち大人もまた見倣っていきたいと思う出来事でした。

 

ビジョンリスナー

大河内 盛友