学び

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毎日更新。カグヤの日々の取り組みをご紹介。

学び

聴く

 

「本音」を語り合える機会というのは

何よりも大切なことだと感じます。

 

それは、会話やコミュニケーションの量の問題ではなく、

信頼の深さや聴いてもらえる環境や関係性という

表層では見えないところだからのように感じます。

 

今日、丁度息子が小学校でお友達といざこざとなり、

息子から「本音」を聴ける機会がありました。

 

自分に分の悪いと分かっているときほど、

本音を話すことは嫌がるものです。

 

叱ったり、教え込んだり、こちらが息子の気持ちを代弁してしまっては、

本音を話すよりも、相手が私の話に共感したり、傾聴したり、受容したり、

感謝したりしなければなりません。そんな環境を作ってしまうと、

実際の本音とは違ったり、自ら気づく機会を奪ってしまったりと、

息子のハンドルを奪うことにもなりかねないと日頃感じています。

 

どうしたらいいのだろうかと考えて、

 

「裁かないこと」

「教えようとしないこと」

「自分の意見を伝えるために聴かないこと」

「聴きたいことや聴きたい量を相手に選んでもらうこと」

「相談の場として息子の「どうしたい」に寄り添うこと」

 

を決めて話を聴いてみると、

親が何かを教えようとしたり、分からせようとしたりしては

出てこないであろう、本人の本音を聴くことが出来、

そして、それをしっかりと聞き届けることが出来ました。

 

「善悪」を超えた大切な対話が出来たこと。

相手が安心して話し、聴いてほしいと思って話してくれる機会。

そのプロセスが大切であり、「善悪」は既に本人も分かっているのだと感じました。

 

親子の関係性だからこそ聴きやすかったのかもしれません。

 

「傾聴」「共感」「受容」「感謝」の心で聴く修行を怠らず、

聴福人へと近づいていけたらと思います。

 

 

ミマモリスト

眞田 海