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行事

日本古来の行事から学ぶ

年中行事や室礼、祭りを通して、日本古来の信仰心を取り戻したり、季節の巡りに寄り添った暮らしを味わい自然に感謝しながら、本来の行事のあり方を見直しています。

暮らし

花祭りの室礼 ~2021年~

本日4月8日は、花祭り(灌仏会)、お釈迦様のお誕生日になりますが、先月の室礼のお稽古でも「花祭り」をテーマに室礼を行いました。

 

 

今回の盛り物は・・・

 

笋(しゅん):手のひらにのる寸法の顔を出したばかりの筍。仏影蔬(ぶつえいそ)とも呼ばれることから、お釈迦様に見立てて盛りました。

 

空豆:別称「仏豆」とも呼ぶ言葉の盛り物。さやの先が天に向かってのびるので「空豆」「天豆」とも。

 

小麦:実家の畑の小麦を。まっすぐ成長する姿から、仏様の教えをまっすぐに受け取り成長できるよう願いをこめて。

 

仏の座:葉の形がお釈迦様の台座(蓮台)のように見えることからの呼び名。

 

銀杏:仏様の指先に見立て仏手甲(ぶっしゅこう)とも呼ばれる銀杏には、お釈迦様の教えを込めています。

 

散華:仏様に供養するため蓮の花に見立てたもの。五常の精神(仏様の教え)を表します。

 

五色の紐:青色の紐は春の象徴として。

 

網目模様大皿:お釈迦様の教えが広く伝わるよう思いをこめて盛り器に。

 

・・・ということで、花祭りはお釈迦様の誕生日をお祝いする仏教行事になりますが、今回はこうしてコロナ禍の中でも無事に春を迎えられたことへの喜び、感謝も重ね、自分を含めそれぞれのかけがえのない尊い命が輝くように祈り、室礼を行いました。

 

また、お釈迦様は誕生直後に七歩歩いて、右手で天を指し左手で地をさして「天上天下唯我独尊」と言われたそうですが・・・

 

「他と比べて自分の方が尊い」「何らかの条件付きで尊い」ということではなく、人間の命の尊さは、能力、学歴、財産、地位、健康などの有無を超えて、何ひとつ付加することのないままで尊い「私」を見出すことの大切さを教えくれていますから、

 

そのような教えのとおり、この世に個として存在する「我」より尊い存在はないことを自覚し、対立や比較の世界での「この世に自分より優れたものなどない」という思い上がりの意味ではなく、他の皆も同じくそれぞれに尊いからこそそれぞれ輝けるよう尊重し合い活かし合い磨き合っていけたらと思います。

 

かぐやかコーディネーター
宮前 奈々子


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