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一律のおかしさと一律の大切さ

最近のこの情勢の中で一律という言葉の有用性とデメリットについて学んでいます。

 

都民はみな、外出を控え、自宅で過ごすようにという声があっても、

医療従事者やその子どもたちを預からなければならない保育園の先生方や、どうやったって生活を維持していくには、遠隔では出来ない業種の方々もいます。

 

そんな不平等な状況に対しての一律を要求することについては、改めて疑問が残ると同時に、そこは状況に合わせた保証をする必要があるのではないかと感じます。

 

国家を家庭と見なした時、家族の個人差を配慮せずに一律を要求する時、家長はその代わりとして、家族の安全を短期的にも長期的にも第一に考えて家事を取るのだと思います。

 

もちろん、そこには国の理念が大前提とはなりますが。。。

 

ある意味で緊急事態時には一律を求める不平等もあるのだと感じます。

 

しかし、反対に一律であることの大切さもあるように感じます。

 

今回の一律の給付金。

 

一部の人たちだけにとなっていたものが全員に一律にという風潮になりました。

 

一部の場合だともらえた人は嬉しい。もらえなかった人は不満のような構図で罵声が飛び交いました。

 

一路津にも問題は多々ありますが、一番重要なのは一律に配布したお金は何のために配られたのかということです。それを理解し、趣旨の通りに使うことが大切なのだと感じます。

 

一律の給付金を辞退しても、そのお金は苦しい人たちのところへ行くわけではなりません。

もし行くとしてもとてつもない時間がかかり、制度がまた出来上がることでしょう。

今必要な方々には届かないのです。

 

今必要な方々に今必要な援助を届けるのは10万円を手にした私たち国民一人ひとりの責務なのだと思います。

 

今の自分の状況に併せて、この10万円をどう使うことが世の中を善くしていくのか。

もらってすぐに旅行に行ってコロナを広げたり、豪遊するためにあるわけではないことは明白です。しかし、自分自身が大変な中で外に使う必要がないことも明白です。

 

一律に届けるからこそ、国民一人ひとりの力を発揮し、何に使うことが大切なのかを自らに任せ、判断し、貢献する機会を頂けるのだと思います。

 

 

ミマモリスト 眞田 海