「子どものために」の定義

大人が「子どものために」と思ってやっていること。

果たしてそれは本当に子どものためになっているのでしょうか。

子どものためにと言いながら、大人にとって都合がいいように、

大人がやりたいようにやってはいないでしょうか。

子どもが子どもらしく発達する事を邪魔しない。


それが、私たちカグヤの定義する「子どものために」です。










「とはいえ、」のない保育。

手仕事の技術を残したい、とはいえ、お金がかかる
なにごとも妥協したくない、とはいえ、時間がせまっている
野菜は無農薬がいい、とはいえ、手間がかかる……

世の中に溢れる「とはいえ、」。
続く言葉はすべて「大人の都合」です。

保育の現場の「とはいえ、」も同じ。
続くのは、自信がない・時間がない・人が足りない……
どれもこれも、子どもにとってではなく、
大人にとっての「ダメな理由」ばかりです。

だけどそれっておかしいと感じませんか?

とはいえ、仕方ないものでしょうか?

本当に?子どもをはぐくむ場所なのに?

私たちカグヤは、そんな保育の「とはいえ、」を、
現場の方々と一緒にはずしていく「ミマモリング」企業です。
大人の目線を入れず、子ども目線を貫き、
その園にとって、子どもにとって、最幸な、
保育のあり方を削りだしていきます。

教えるではなく実践する「ミマモリング」。
それがカグヤのやり方です。

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