今日のカグヤクルー日記

「竹取新聞の歴史」

2017年10月20日

こんにちは。宮前です。

2009年8月から始まった「竹取新聞」。

◆竹取新聞
 http://www.caguya.co.jp/taketori/

毎月発行し、この8年で形を変えながら
続けてきたものですが、

来月の11月号で
ついに100号を迎えることになりました。

そんなめでたい節目を控え・・・

せっかくだから
100号を記念してなにかやってみたいことや
改善したいことなどないか・・・と、

皆で意見やアイディアを出し合い
進めていくことに。

話し合いの中では「第1号」を含め、
昔の記事を読み返す機会もあって、

この竹取新聞の歴史をたどることで、
懐かしい思い出がよみがえってきて、
まさにカグヤの歴史をたどるようでもありました。

竹取新聞MTG

うっかりしていると
あっという間に流されてしまうほど
慌ただしい毎日ですが、

最近は行事や室礼を通して、
節目の豊かさを感じているからこそ、

この100号もひとつの節目として、
感謝と祈りをもって、
大切にむかえたいと思います。

かぐやかコーディネーター
宮前 奈々子

「日本の教育」

2017年10月19日

こんにちは、眞田です。

先日、保育園の先生方と一緒に
「日本の教育」とはということを学ぶ機会を頂きました。

江戸時代、識字率の高さや、
教え込まずとも学んでいく子どもたちの主体性の高さや
貧富の階層に関係なく子どもたちが幸せそうに見えた
「日本」という国が世界からどのようにみられていたのか。

それを江戸時代や明治時代の文献から集めてくれたクルーがいました。

私は、これほど自分の子どもをかわいがる人々を見たことがない。子どもがいないと、いつもつまらなそうである。イザベラ・バード『日本奥地紀行』

この国土のゆたかさを見、いたるところに満ちている子供たちの愉しい笑い声を聞き、そしてどこにも悲惨なものを見出すことができなかった私は、おお、神よ、この幸福は情景が今や終わりを迎えようとしており、西洋の人々が彼らの重大な悪徳をもちこもうとしているように思われてならない。
ヒュースケン『逝きし世の面影』p14

私は日本の子供が天国であることをくりかえさざるを得ない。世界中で日本ほど、子供が親切に取り扱われ、そして子供のために深い注意が払われている国はない。ニコニコしている所から判断すると、子供達は朝から晩まで幸福であるらしい。モース『逝きし世の面影』p390

私はこれほど自分の子どもに喜びをおぼえる人々を見たことがない。子どもを抱いたり背負ったり、歩くときは手をとり、子どもの遊戯を見つめたりそれに加わったり、たえず新しい玩具をくれてやり、野遊びや祭りに連れて行き、子どもがいないと芯から満足することがない。他人の子どもにもそれなりの愛情と注意を注ぐ。父も母も、自分の子に誇りを持っている。毎朝六時ごろ、十二人か十四人の男たちが低い塀に腰を下ろして、それぞれ自分の腕に二歳にもならぬ子どもを抱いて、かわいがったり、一緒に遊んだり、自分の子どもの体格と知恵を見せびらかしているのを見ていると大変面白い。その様子から判断すると、この朝の集まりでは、子どもが主な話題となっているらしい。イザベラ・バード『逝きし世の面影』p390

われわれの間では普通鞭で打って息子を懲罰する。日本ではそういうことは滅多におこなわれない。ただ言葉によって譴責するだけである。フロイス『逝きし世の面影』p393

注目すべきことに、この国ではどこでも子供をむち打つことはほとんどない。子供に対する禁止や不平の言葉は滅多に聞かれないし、家庭でも舟でも子供を打つ、叩く、殴るといったことはほとんどなかった。
ツュンベリ『逝きし世の面影』p393

日本人の性格として、子供の無邪気な行為に対して寛大すぎるほど寛大で、手で打つことなどとてもできることではないくらいである。フィッセル『逝きし世の面影』p393

西洋化してきた日本の社会の中でも
「保育園」という環境はこの外国人から見た「日本人らしさ」というものが
一番体験しやすく、守られている場所なのかもしれません。

先生とはわが子のこと、お友達のこと、
いつも子どもを中心にして笑いあい、
共感しあい、たくさんのお話をさせて頂きますし、

保育園を通じてたくさんの保護者とも知り合い、
子どもたちを中心に旅行やキャンプ、
公園で遊んだり、預けあったり、相談しあったり。

先生方の子どもに対する眼差しが自然と保護者に伝わり、
そのまなざしが、保護者同士の絆や地域との絆を作ってくださっている
そんなことを実感します。

改めて地域における保育園の重要性、
日本の教育における「見守る保育」の重要性を感じます。

頂いた眼差しを私自身もしっかりと磨き、
繋いでいきたいと思います。

ミマモリスト
眞田 海

「娘から見える世界」

2017年10月18日

こんにちは、秋山です。

先日3歳の娘と一緒に、
公園で遊んでいた時のこと。

娘が滑り台の上に立っていると、
強い風が過ぎ去って、
木々が揺れ、葉が舞い落ちました。

上から見つめていた彼女は、
「みんな、おなじほうにいく。」
「ずっといっしょよ。」
と、言葉にしました。

私から見ている風景は、
葉が風に吹かれて「落ち」、
その方向は、吹かれるままに「それぞれ」。

でも彼女から見た風景は、
葉は吹かれた方向へ「行き」、
その向かう先はみんな「同じ」。

まったく逆に感じていることに驚きました。

普段何気なく見ているモノも、
言葉で表現することは少なくとも…
きっと見え方・捉え方は異なっていて、
彼女の世界は、彼女らしく輝いている。

親子で在りながらも、
オモシロイなぁ、もっと知りたいなぁと、
思わせてくれる出来事であったと同時に。

その娘の視点の「あたたかさ」に、
ほっこりとさせてもらいました。

言葉の数がたくさんあるのと同じように、
見え方も、感じ方も、刻み方も、
また同じくらい沢山あるのだと思います。

その1つ1つを大切に育みながら、
彼女の見ている世界にも、
目と耳と心を傾けていきたいです。

エールキーパー
秋山 有紀子

「弱肉強食」

2017年10月17日

こんにちは、眞田由莉です。

先日、社内ガーデンの植え替えをしていた際に
植物に潜んでいたアオムシを発見!

我が家では昨年、
お客様から頂いた柚の枝についていた蛹が孵化し、
部屋をアゲハチョウが舞っていた…
なんてことがあったので、
自然と今回のアオムシもお預かりすることになったのです。

実は今年もすでに
ベランダの柚の木に住みついた蛹がおり、
今年もうまいこと孵化するかな?と楽しみにしていました。

新入りアオムシくんも先輩蛹くんのそばに置いてあげて、
「仲間ができたね♪」
なんて子どもたちと言っていたのですが、

しばらくしてもう一度見てみると…
な、なんと……!
新入りが先輩を食べてしまっているではありませんか!!!

衝撃の光景に言葉を失い、
子どもたちと「嘘でしょ…」と呆然。
「これが弱肉強食か…」なんて息子の声も。

そこで、子どもたちと今後についての会議をします。

選択肢は3つです。
1.新入りを飼う。
2.離してあげる。(時すでに遅し、な状態でしたが…)
3.2匹とも自然界に戻してあげる。

会議の結果、1が採択され、食べられてしまった先輩の分も
新入りを最後まで見守ることになりました。

先輩蛹に申し訳ない気持ちで、
「なんてひどいことを…」とショックでしたが、
よく考えれば人間のしていることも同じか、
それ以上のことをしているように感じます。

何かの命を頂いて生きていること。
今回見たことも虫たちの世界の話ではなく、
人間も含めた自然界の出来事なのだと自覚し、

「かわいそう」ではなく「ありがたい」と思うのなら
せめて命を無駄にしないよう、
感謝の気持ちを持って過ごしていきたいと思います。

美化コーディネーター
眞田 由莉

「こんにちは、女将です。」

2017年10月16日

こんにちは、女将です。

あっという間に夏が終わってしまいました。
それにしても今年は大収穫の夏でした。
初めて栽培に成功したゴーヤは
次から次へと実をつけ
毎日のように食卓を彩りました。
時には収穫タイミングを見誤り
熟しすぎて爆発していたこともありました。
あの時は、そのビジュアルに
心底、恐怖を感じたりもしました。

そんなゴーヤも今はもう夏の勢いは失われ
終焉を迎えようとしています。
あれほど青々と茂っていた葉や蔓が
次々と朽ち枯れていく一方、
弱々しくも可憐な花を咲かせ続け
ついに最後の実りです。
ラスト☆ゴーヤ
とても小さく形もいびつですが
残った力を振り絞って
ここまで育ったのかと思うと
愛おしさすら感じます。

方々枯れ果てながらも
なお花を咲かせようと
僅かながら伸ばし続けるか細い蔦・・・。
その様相はまるで廃屋の庭先。
それでもまだ微かに輝こうとしているのなら
見た目は汚らしくなろうとも
最後までその命を全うさせてあげたいと思います。
たくさんの学びと驚きを与えてくれたものへ
精一杯の敬意を込めて。

ミッションパート
佐藤真樹

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