知能の誕生

第三段階においては、外部の対象に働きかけるものの、偶然に発見した新しい結果をあくまで反復することが目的であり、新しい状況や問題に対応することはできません。しかし、第四段階に入ると、異なった二つの枠組みを組み合わせて、主たる目的という枠組みと、従たる手段という枠組みを区分し、新しい行動を生み出し、新しい結果を意図的に得ることができるようになると考えました。しかし、この段階ではあくまでもすでに持っている手段を新しい状況に適応するにすぎず、新しい手段を能動的に産み出せるようになるのは第5段階において、第三次循環反応が始まってからだと考えました。第五段階になって、様々な手段を用いて目的を達成するようになるというのです。

もうひとつは、第四段階と第五段階の違いは、対象に対する認識の仕方だと言います。段四段階では、自分の行為の延長に対象があり、自分との関係でしか対象を把握できないのですが、第五段階になると、自己とは離れた、より客観的な対象を構築することができるようになると言うのです。

次に第六段階になると、象徴的機能が発生します。それは、意味されるものと意味するものが分離し、後者が前者を言語や心像、ごっこ遊びなどで象徴することができるようになると考えたのです。そして、「心」の中で考えることができるようになると言うのです。それまでは、自分の身体を使って直接的に操作し、実験をしていたのですが、この段階になると、多くの制約付きではあるものの、心の中で実験することができるようになると言います。

ピアジェは、この第六段階における変化を、質的な変化だと捉えています。ここで鍵となるのは、発明と表象です。発明とは、いわゆる洞察学習のように、試行錯誤なしに問題を解決することが例としてあげられるそうです。この時期になると、乳児は外的対象に対して様々な枠組みを持つようになります。新しい問題を発見した場合に、既存の枠組みが自発的に協応し、新しい問題解決が可能になると言うのです。以前の段階においてもこのような協応は見られるのですが、実際の行動となってあらわれていました。第6段階においては、これらの協応が、行動にあらわれない暗黙的な形でなされるというところがポイントであると森口は言うのです。

そして、この発明と密接に関連するのが、表象だというのです。ここで言う表象とは、箱の中に隠れたものを取り出すときに利用するような、現前しない対象を喚起する知的活動のことを指し、ごっこ遊びや描画、心像のような象徴的機能を持つ活動を含むと言います。表象の発生に関しては、模倣が重要な役割を果たしています。何かを知覚した際に、乳児はその様子を模倣します。その場での模倣に加えて、一定時間経過後に模倣することもできると考えました。これにより、知覚した行為を自らの枠組みに調節・同化していくと考えました。

その枠組みは外的刺激がないところにおいても、自動的に再生されるかもしれないと言うのです。このような延滞模倣は、その行為自体が脱文脈的であるという意味において、すでに象徴機能があります。そして、模倣は行為による表象だと言えますが、これが内化されることにより、思考による表象へと変遷していきます。かくして、身体の知覚を通した直接的な知的活動から、表象を通した間接的な知的活動へと質的な変化を遂げていくと考えたのです。

感覚運動

森口は、ピアジェの段階発達についてこう説明しています。

まず、感覚運動段階(第1期)です。ピアジェの考えかたでは、言語や模倣などの象徴機能が出現する18ヶ月以前においては、子どもは心の中で思考することはできないと考えました。彼らにとっては、触ることやつかむこと、行動そのものが思考と捉えたのです。身体を使った操作によって、知識を構築し、認識を発達させていくとしました。このような操作が、実際に身体を使用しなくても、だんだんと心の中で行えるようになっていくと考えました。彼は自分の子ども3人について、詳細な観察から約180事例報告をし、この感覚運動期をさらに六つに分類しています。どの時期でも、同化と調節の適応過程と、枠組みどうしの協応という体制化による発達過程が説明されています。

第一段階では、生得的に備えた反射を同化し、調節しているだけであるのに対して、第二段階では学習や経験による適応という側面が入ってくると考えました。そして、この段階で重要なのが、新しい行動の獲得のために、その行動を乳児が反復するという事実です。ボールドウィンによって循環反応と名付けられたこの反復行動は、乳幼児が同じ行動を何度も何度も繰り返すという日常的にも見られる現象に対して、大きな理論的素地を与えたと言われています。ピアジェによると、この循環反応は、乳児自身が発見した新しい行動に対してなされると言っています。乳児は、興味を引く新しい結果を持続させたり、反復させたりしようとすると言うのです。誰かに与えられたものではないという能動性と、新しい行動であるという獲得性が循環反応にとっては重要であり、そういう行動を乳児は反復するというのです。

そして、第三段階から第四段階にかけては、「意図性」という言葉がキーワードになります。ピアジェによると、子どもは自分の持っている様々な枠組みを分解したり、再構成したりする中で、行為における手段と目的とを分化すると考えました。そして、目的のために手段を選択できるようになると、行為が意図的であると見なされます。意図性が見られるようになるこの段階こそが、知能の始まりであるとピアジェは提唱しているのです。

この第三段階では、自分の行動が外界にもたらした興味ある結果を反復する行動である第二次循環反応が始まると考えました。例えば、第一次循環反応においては、ものをつかむためにつかむのですが、第二次循環反応においては、音を出すためにつかむのです。そして、これを繰り返していく中で、自分の行為における手段と目的とが区別できるようになると考えます。

この第三段階においては、外部の対象に働きかけるものの、偶然に発見した新しい結果をあくまで反復することが目的であり、新しい状況や問題に対応することはできません。しかし、第四段階に入ると、異なった二つの枠組みを組み合わせて、主たる目的という枠組みと、従たる手段という枠組みを区分し、新しい行動を生み出し、新しい結果を意図的に得ることができるようになると考えました。

たとえば、おもちゃの前に障害物があるというような状況において、乳児は最初、おもちゃを直接つかもうとするものの、届きません。このとき、乳児は既存の枠組みを使って、まずは障害物を取り除くという手段をとり、それによっておもちゃをとるという目的を達成することができるということです。

操作

私は、特別に保育士のための勉強はしませんでしたから、ピアジェについては、主な理論しか知りません。それも、詳しくは勉強していません。森口によると、ピアジェの認知発達理論は、子どもがいかに論理的な思考能力を発達させるかを説明するものだそうです。その鍵となる概念が、「操作」だそうです。感覚運動を除いて、各段階の名称には操作という言葉が含まれていると言います。前操作期は、操作ができる前の段階、具体的操作期は具体的な事象に関しては操作ができる段階、形式的操作といは抽象的な問題や事象に関しても操作できる段階を表わしていると言います。

この説明を聞いても、よくわかりません。だいたいにして、「操作」という言葉がどのように使われているのかが理解が難しいです。森口は、「操作」を一言で言えば、手や口などの身体を伴った操作が、内化したものだというのです。実際に手を動かさなくても、情報を区分したり、結合したり、変形したり、元に戻したりすることを論理的に行なう過程のことだと言います。それは、心的な操作とも言えると森口は言います。

どうも、このことは私がピアジェの理論の中で理解している「数の保存」についての理解のようです。私が小学一年生を教えていたとき、ピアジェが、「子どもが数の保存を理解していないと算数につまずくことがある」と言ったことを知りました。この数の保存は、操作のひとつのようです。

数の保存とは、例えば、子ども前に二つのビーカーが置かれていて、一方に水が入っています。二つのビーカーは、面積や高さという条件において異なっています。ビーカーAは、背は高いが底面積は狭く、ビーカーBは、背は低いが底面積は広いものです。実験は、子どもに水をビーカーAからビーカーBに入れ替える様子を見せて、ビーカーの水の量が変化したか、同じかという質問をします。前操作期の子どもは、水の量が減ったと答えます。これは、ビーカーAの方がビーカーBよりも背が高いことから、そちらの水が多く入っているように見えるからです。一方、具体的操作期の子どもは、水の量は変わらないと答えます。それは、ビーカーBに移った水を、心の中でビーカーAに入れ戻すという操作をすることで、どちらのビーカーの水の量も同じだということがわかるからだと言います。

もっと簡単な例もならいました。一本ずつの花をまとめてひとつの花束にしたとき、どちらの方が花の本数が多いかと聞くと、ばらばらにした方が多いと答えるとか、数個の丸い磁石をホワイトボードに貼って、一つずつ話して貼るのと、ひとまとめにするのとどちらの数が多いかと聞くと、話してバラバラに貼った方を答えるというものです。どちらも数が同じで、その並べ方や、ビーカーのように形が違った入れ物に入れても、その数は保存されるというものです。

保存の概念とは、「物の数量はその形が変わったとしても、同じままである」という理解のことですが、ピアジェは、前操作段階にある子どもたちは、この保存の概念を獲得することが難しく、具体的操作段階になると獲得することができると考えたのです。そして、この数の保存に関しては6〜7歳にならないと成立しないとしました。前操作段階の子どもは論理的にものごとを考えることが難しいと考えたのです。

「同化」と「調整」

ピアジェの適応概念は、主体が環境にいかに適応していくかという、適応過程に焦点を当てていて、その適応過程は、「同化」と「調整」という二つの過程から構成されていると言います。「同化」とは、生物学の概念で、有機体が食物を摂取し、環境を自ら取り込むことを指しています。「調整」とは、有機体が、自分の既存の認識の構造を、新しい経験に合わせて変化させていくことを指しています。つまり、新しい経験に応じて、自分の認識を変更させることだと言います。同化では、環境や経験を自分に従属させるのに対して、調節では、自分の認識を環境や経験に従属させるのです。

森口は、こんな例を出しています。子どもにとって、水の中で泳ぐものはすべて魚だったとします。そこで、イルカやクジラといった、水の中で泳ぐ生物ではあるものの、魚ではない生物の存在を知ったとします。その場合、子どもの「魚=水の中で泳ぐ生物」という認識は、変更を迫られることになります。世界の中で発見した新しい事実によって、水の中で泳ぐ生物が必ずしもすべて魚でないことを知り、たとえば、魚という枠組みに、水の中で泳ぐこと以外の様々な要件、たとえば卵を産むなどを付け加えていくのです。

ほかに、感覚運動の事例を挙げると、新しい対象に対して、乳児は自らのつかむという行動を適用できない場合、つかむという行動自体を修正し、新しいつかみ方を試みようとするのです。

このように同化と調節を繰り返す中で、ヒトは新しい認識を獲得するのです。同化と調節は両輪であり、同化のない調節はなく、調節のない同化はありません。ピアジェは、同化と調節を含めた主体と環境との相互作用の過程のことを、適応と呼んでいるそうです。乳幼児は環境との相互作用を通して認識を構成する、活動的な存在だと言うのです。

ピアジェは、認知発達のどの段階においても変わらないものがあるといいました。それを、「機能的不変項」といい、「適応」と「体制化」であると言いました。そして、同化と調節を含めた主体と環境との相互作用の過程のことを、適応と呼びました。また、彼の言う体制化とは、子どもの持つ各独立した枠組みが、お互いに結びつき、(それを彼は協応と言ったのですが)機能的にひとつの全体としてまとまりを作ることを言いました。それにより、各枠組みが他のすべての枠組みと相関するようになると考えました。このように枠組みがそれぞれ協応し、体制化されていくことで、より複雑な枠組みが形成されていきます。その結果として、複雑な知識が形成され、複雑な行動を産出することができるようになると言ったのです。同化や調節を含めた適応が、外的環境との関係を扱っているのに対して、体制化は、内的側面を扱っています。適応と体制化によって、認識は発達していくのだというのです。

ピアジェによれば、同化と調節、体制化の過程は、基本的には発達のどの時期においても不変であり、その意味において連続的な発達の変化を生み出すのです。一方で、ピアジェは認知的発達における段階発達を唱えています。この考え方は、ヒトの論理的思考は、感覚運動期、前操作期、具体的操作期、形式的操作期の四つの質的に異なった構造を持つ段階を経て発達していくというものです。また、前の段階は、次の段階にとって必要なプロセスであり、皆同じ発達経路をたどるとされます。そして、ある段階から次の段階には、短い移行期間を経て、急速に変化します。その意味において、段階発達は不連続なものだと見なすことができるのです。

枠組み

ピアジェという名前はとても保育では有名ですが、それは様々な偉業を成し遂げたということがあります。その中で特に重要な理論はどこでしょうか?森口は、それを紹介しています。ピアジェの理論といえば、段階発達のように、認知的発達の変化を記述するものであるかのような印象がありますが、彼の理論の肝は、認知発達のどの段階においても変わらないものがあるという点だそうです。それを、「機能的不変項」というそうです。それが「適応」と「体制化」だそうです。

ピアジェの適応概念は、主体が環境にいかに適応していくかという、適応過程に焦点を当てているそうです。その適応過程は、同化と調整という二つの過程から構成されていると言います。「同化」とは、生物学の概念で、有機体が食物を摂取し、環境を自ら取り込むことを指しているのです。これは、環境が有機体に対して従属することを意味するそうです。ずいぶんとややこしい話ですが、例えば、キャベツを食べるウサギは、キャベツにはなりませんが、キャベツはウサギの一部になるという考え方です。ピアジェは、この概念を認知発達に応用したのです。認知発達における同化とは、子どもという有機体が、新しい情報を自分がすでに持っている認識の枠組みに合うように変形させ、取り入れることを指しています。未知の情報を、既知の枠組みの中に取り入れるということです。

例えば、子どもが魚という枠組みを持っているとします。その枠組みの要件が、水の中で泳ぐ生物だったとします。ある日、その子どもが川で遊んでいると、今まで見たことのないイワナに遭遇するとします。子どもは、その生物が水の中で泳いでいることを見て取って、その生物を魚という既存の枠組みの中に取り込みます。同化の過程は、乳児に見られる吸啜反応や把握反応のような感覚運動にも当てはまると言います。これらの反応は、原始反射と呼ばれるもので、赤ちゃんの口元に小指や乳首などを持っていくと、ちゅぱちゅぱ吸いつく行為を吸啜反射(きゅうてつはんしゃ)と言い、赤ちゃんの手の平に大人の指などを入れるとギュッと握る反応を把握反射(握り反射、手掌把握反射)と言います。その他にも、音の刺激などで上肢を大きく開き抱きつこうとする行動をモロー反射(びくつき)と言います。

この場合は、乳児は母親の乳首に向けていた吸啜反射を、ほ乳瓶や玩具にも適応します。このような行動も、自分の持っている枠組みの中に、外界の対象を取り込む過程であると言えます。ヒトは、あらゆる発達の段階において、その段階における支配的な構造の中に、新しい情報を取り込んでいくと考えたのです。この知識の獲得プロセスは、科学者が既存の理論によって新しい知見を説明する様子と類似していると言います。新しい実験結果や観察結果が得られた場合に、既存の理論によって説明可能であるならば、それらの結果はその理論を補強するための証拠として取り込まれていくと考えます。この限りにおいて、その理論は安泰だと森口は言うのです。

では、「調整」とは、どのようなものなのでしょうか?調整とは、有機体が、自分の既存の認識の構造を、新しい経験に合わせて変化させていくことを指すそうです。つまり、新しい経験に応じて、自分の認識を環境や経験に従属させるということだと言います。

活動的

ピアジェは、子ども(乳幼児を含んだ幅広い年齢の子ども)を「科学者」であり、「活動的な学習者」であると見なしていました。科学者は、世界にある現象を観察し、それらの観察から仮説を立て、実験によってその仮説が正しいか否かを検証しました。仮説が正しいことが証明されれば、別の実験によってその仮説を別の角度から検証しました。仮説の正しさが証明されなければ、自分の検証手段の是非を再検討し、新しい手段で検証するか、自らの仮説の誤りを認め、考え方を変えるかのどちらかの選択をすることにしたのです。

このことを繰り返す中で、理論を形成し、その理論を用いてあらゆる現象を説明しようと試みたのです。このような作業は、今でも研究者の間で行なわれているそうです。研究が、遊びにたとえられることがあるそうですが、ピアジェによれば、遊びも研究にたとえられると言います。たとえば、ある子が川辺で水切り遊びをしているとします。初めて石を投げたときには、石は跳ねずに川に沈んでしまいます。その子は、自分の知識を駆使して、何が悪かったかを考え、投げた石が重すぎたという結論に至るとします。この考えを仮説として、正しければ、軽い石を投げれば、石は跳ねるはずです。そして、その子は、色々な重さの石を用いてこの考えを検証し、どの重さの石でも結果が変わらないことを見出します。それは、実験です。この結果から、仮説が誤っていたことに気づき、今度は投げ方や投げるスピードの工夫に考えが至るのです。このことを繰り返していく中で、その子は最終的には石切りマスターになれるかも知れないのです。

私は以前(2015年8月19日)のブログで、アメリカと日本の研究の違いを書いたことがあります。この夏休みに、小学一年生の多くは家に朝顔を持って帰って、その成長を記録したことでしょう。日本では、日々の観察を積み上げて、ある法則を見つけ出していくやり方を取ります。それは、「帰納法」と言います。帰納法は、多くの観察事項(事実)から類似点をまとめ上げることで、結論を引き出すという論法です。それに対して、以前アメリカの理科の教科書を見たときに、そこでは、「演繹法」と言う研究の仕方を教えていました。これは、一般論やルールに観察事項を加えて、必然的な結論を導く思考方法のことです。ピアジェが採った方法はこの思考方法でしょう。

水切りの例の場合、決して子どもは試行錯誤を繰り返しているわけではありません。乳幼児期に系列だった変数の操作、ここでは石の重さだけ変化せせるとか、投げ方だけを変化させるというような操作ができるわけはないからです。しかし、手当たり次第に試しているのではなく、何らかの仮説を立て、その仮説に基づいた行動をしているのです。また、重要なのは、子どもも、科学者と同じように、決して受け身の存在ではなく、積極的に世界について働きかけて、そのあり方を知ろうとする活動的な存在であるということなのです。

ピアジェは、乳幼児の行動を入念に観察することによって、乳幼児は活動的な存在であり、自ら積極的に知識を構築している存在だと見なしたのです。しかし、彼は、乳児を積極的な存在だと見なしてはいたものの、幼い頃から豊富な知識を持っていると見なしたわけではなかったのです。乳児が知識を持たない無能な存在であるという意味においては、これまで乳幼児観とは違っていません。しかし、ピアジェは、無能であっても、自ら世界に働きかけ、自らの力で知識を構成すると考えたのです。彼は、自分の子ども3人を詳細に観察することによって、「科学者」であり、「活動的な学習者」であるという乳幼児観を形成していったと考えられています。

科学者

ボールドウィンは、ピアジェよりも早い時期に類似した乳幼児観を提案しています。しかし、あまり教科書には取り上げられません。それは、当時著名な人物でありながらある種の女性スキャンダルで職を追われたからということがあるようです。卓越した業績と独創的な考えが現在も称賛されてしかるべきであるのに、その人物に対する嫌悪感から、業績が正当に評価されていないと森口は言うのです。

彼の業績は、知能の発達を環境への適応過程だと考えた点だと言います。進化論の影響は、彼の思想にも色濃く反映されており、生物の進化が環境への適応だと考えられるのと同様に、個体発生も環境への適応過程だと捉えたのです。彼によれば、有機体(個体)は生涯のうちに、その生存に有利になるように、新しい習慣を獲得するなどのあらたな適応をします。この適応過程の基底に、彼は、循環反応を想定していました。循環反応とは、様々なバリエーションと選択を伴った繰り返し行動のことであり、私たちは生得的にその単純な形態を持っていると言います。この単純な形態が、繰り返され、また、環境と接することによって、より複雑な形態となり、環境に対して適応したものとなっていくと考えたのです。循環反応について、ピアジェはその著書の中で、ボールドウィンが考案した概念であることを強調しているそうです。

ほかにも、ボールドウィンとピアジェに共通する概念としては、段階発達、同化と調節などがあるそうです。同化と調節については、両者ともその概念でほぼ同じ内容を説明しているそうです。ピアジェがボールドウィンに直接的・間接的に大きな影響を受けているのは間違いないと森口は言います。ボールドウィンもピアジェも、知能の発達を、遺伝的要因だけでもなく、環境要因だけでもなく、その相互作用によって生じるダイナミックな過程だと見なしたのです。

ピアジェは、スイスに生まれますが、幼い頃から生物学に強い興味を示していたそうです。10代で軟体動物に関する論文を発表するなど、早くからその学術的な才能を発揮していたそうですが、20歳頃に手先が不器用だからという理由で、生物学に関する研究をあきらめたと語っているそうですが、それは冗談かもしれないと思われているそうです。それにしても、彼はかなりのワーカホリックだったようで、休みなく毎日仕事をし、バカンスの時期は仕事がはかどるからと喜び、娯楽として映画を見たのは生涯で4回したないそうです。

彼は、様々な領域に大きな影響を与えた20世紀の偉大な学者です。彼以降の研究は、彼の説を支持するか否かの研究か、彼が手を付けていない研究か、のいずれかに分類されているというくらい、彼の認知発達に関する研究は幅広く、偉大な巨人だったと言われています。現代でも、ピアジェの研究を各論としては超えるものはあっても、総論として超えるような認知発達のグラントセオリーは存在しないとも言われています。

ピアジェの乳幼児観はどのようなものだったのでしょうか?一言で言えば、ピアジェは、子どもを「科学者」であり、「活動的な学習者」であると見なしていました。この場合、子どもは、乳幼児を含んだ幅広い年齢の子どもを指しています。

このようなことから、彼の乳幼児観が保育に大きな影響を与えたのです。

ピアジェへ

ゲゼルは、ヒトの発達は遺伝的にプログラムされており、そのプログラムが発現し、準備状態になければ、訓練や経験にはたいした意味がないと考え、ワトソンなどもこの立場に立っていました。彼の研究で最もよく知られているのが、幼児を対象とした恐怖条件付けの研究です。アルバート坊やで有名なこの研究は、現代では倫理的に決して許されるものではないそうですが、こんな研究です。アルバート坊やは、病院環境で育てられた、健康な男の子でした。のんびり屋で、とくに感情的な態度を見せることもなかったようです。この研究では、11ヶ月のアルバート坊やに対して、白いネズミを提示しました。アルバート坊やは、最初はとくにネズミに対して恐れを示しませんでした。そこで、アルバート坊やがそのネズミを触ると、轟音が鳴るようにしました。このようなことを何度も繰り返すと、アルバート坊やは、白いネズミを見ただけで恐れ、泣くようになってしまいました。このように刺激に恐怖反応が条件づけられることを、恐怖条件付けと呼ぶようになったそうです。

当時の心理学者の間では、個体と環境を切り離し、個体内の成熟もしくは環境のいずれか一方が独立して知能や行動の発達に重要な影響を与えるという議論がなされていたのです。森口は、どちらの説も、乳幼児を無能な存在であり、受動的な存在だと見なす立場に基づく説であると考えているようです。成熟説においては、遺伝的に決定されたタイミングにおいては様々な能力が発現すると考えられていると言います。言い換えれば、そのタイミングが来るまでは、特定の知識や行動を獲得できないわけであり、乳幼児は、時間の経過を待つだけの受動的な存在と見なされています。

一方、学習説においては、極論すれば、あらゆる行動は条件づけを通じて獲得されるということになると言います。つまり、報酬や罰などによって外的に条件づけなければ、乳幼児は知識や行動を獲得できないということになり、ロックと同様に、乳幼児を無能かつ受動的な存在だと見なしていることになると森口は考えているからです。

ピアジェが登場した時代には、依然としてこのような認識があったと言います。ピアジェは、個体と環境を切り離す理論に疑問を持ち、個体と環境の相互作用こそが人間の認識の発生において重要だと考えたのです。その鍵となったのは、生物学にヒントを得た、個体の環境への適応という考え方だそうです。この考えによると、乳幼児は、能動的かつ活動的な存在だと見なされることになるのです。成熟や条件付けを待つ受動的な乳幼児像から、自ら世界を探索し、知識を構築し、その環境へ適応しようとする、活動的な乳幼児という見方の出現です。

実は、このような見方は、ピアジェに限ったものではなかったようです。ピアジェやヴィゴツキーに重要な影響を与えたボールドウィンは、ピアジェよりも早い時期に類似した乳幼児観を提案しているそうです。国内の発達心理学の教科書を見回しても、ボールドウィンが取り上げられることはあまりないそうですが、彼の提唱した概念は、ピアジェ理論に取り入れられており、ピアジェ理論に重要な影響を与えていると森口は考えています。

ボールドウィンは、プリンストン大学などで教鞭をとったアメリカの心理学者であり、当時著名な人物だったそうです。

心理学における遺伝と環境

ブライヤーは、学問における方法論の重要性を認識し、観察を科学的方法論にしたのですが、逸話の集積であった観察法を、科学的な方法論にするためにずいぶんと苦心したそうです。そのために数々の観察における提言を彼はしているのですが、彼が提唱した方法論は、現在では当たり前のことのような気もしますが、今日の研究においても、これらの点に留意せずに実施されているものがある現状を、100年以上も経った現在においても生かされずにいる様子を見たら、ブライヤーは嘆くであろうと森口は言っています。

一方で、ブライヤーは観察法の限界も意識していたようで、観察法の信頼性や観察者間の一致率などといった、今日でも観察に付随する問題点について、当時から懸念していたようです。観察では、観察者の視点によって、見えるものもあれば見えないものもあります。ブライヤーは、そのような欠点を自覚しながらも、乳幼児研究においては観察が最も適切であると考えたようです。このように、乳幼児研究の黎明期に使用されていた手段は観察でした。そして、この手法が新しい乳幼児観を生み出したといえるのです。

観察法の確立により、さまざまな研修者が、乳幼児の行動を明らかにしたのです。そのような状況の中で、ピアジェが登場し、この分野に革新的な理論を打ち立てたのでした。

ピアジェが登場したのは、20世紀初頭で、当時、19世紀末にヴントが心理学の研究室を発足させ、内観法を基に心理学は学問としての第一歩を踏み出していました。そして、遺伝と環境の問題は、学問として黎明期であった心理学のなかでもさまざまな議論を呼んでいたのです。心理発生過程について、成熟を重視する考え方と学習を重視する考え方の対立があったのです。

アメリカの小児科医であり心理学者であったゲゼルは、運動発達について興味深い報告を行なっているそうです。最も有名なのは、一卵性双生児を対象に、階段を登る訓練を実施したものだそうです。ゲゼルは、双生児のうち一人は生後46週に、もう一人には生後53週に訓練を行なったそうです。一卵性双生児は、遺伝子を100%共有しています。そのため、もし訓練などの経験的要因が重要であれば、早期から訓練を実施した乳児のほうが速く階段を登ることができるようになるはずです。逆に、もし遺伝的な要因が重要なのであれば、どの時期に訓練を実施しようが階段を登ることができる時期は変わらないであろうと考えたのです。この研究の結果、いずれの乳児も、階段を登る時期に違いは見られませんでした。ゲゼルは、ヒトの発達は遺伝的にプログラムされており、そのプログラムが発現し、準備状態になければ、訓練や経験にはたいした意味がないと考えたのです。ただし、ゲゼルは教育や訓練は効果がないと言っているわけではなく、個体が充分に成熟し、準備できる状態になってこそ、訓練や教育は意味を持つのだということを主張しているのです。

一方、すべての行動は学習のたまものだとする考え方があり、行動主義の代表的な心理学者であるワトソンなどがこの立場に含まれると言われています。ワトソンの「行動主義の心理学」という著の中の言葉があまりに有名だそうです。「私に、健康で、いいからだをした一ダースの赤ん坊と、彼らを育てるための私自身の特殊な世界を与えたまえ。そうすれば、私はでたらめにそのうちの一人をとり、その子を訓練して、私が選んだある専門家(医者、法律家、芸術家、大事業家、そうだ、乞食、泥棒さえも」に、その子の祖先の才能、嗜好、傾向、能力、職業がどうだろうと、きっとしてみせよう。」

 

乳幼児研究

柳田は7歳までの子どもに神性を見出し、特別な価値を与えていると言います。この見方は、民俗学では古くからの乳幼児観として受け入れられており、一般にも広く受け入れられていました。一方で、歴史学者柴田博士は、「日本幼児史」において「7歳までは神のうち」は、古くからの乳幼児観ではなく、近年一部の地域のみで見られた乳幼児観に過ぎないと論じているそうです。日本においては、中世までは乳幼児は疎外や無関心の対象であり、保護する考えが生じたのは近年以降だと述べているそうです。江戸時代でも幼児に対する見方は基本的に同じですが、儒学者である荻生徂徠の本に「7歳以下は知も力もなき」という記述があるそうです。その考え方は、「無能な乳幼児」に通じる点が興味深いと森口は言っています。荻生徂徠はロックと同じ時代の人なので、この時代では、さまざまな文化で乳幼児は無能だという考えが一般的だったのかもしれないと森口は考えているようです。

また、疎外された存在であることと一致して、古代から近世に至るまで、捨て子などは非常に多かったとされています。柴田博士によれば、江戸時代に入り、疎外される対象であった幼児が、保護すべき対象に変化していったと言っています。政治的な要因としては、徳川綱吉政権時に発令された「生類憐れみの令」と「捨子禁令」によって捨て子が禁じられたことがあり、社会的には、庶民においても継続性のある家制度が確立し、子どもを「子宝」とみて、教育する対象として捉えるようになったことを挙げています。

万葉集においても子どもをいつくしむ歌があることから、古代や中世の人間のすべてが乳幼児を疎外していたわけではないと言います。乳幼児が神聖は存在だと見なされていたのか、無関心の対象であったのかは、それほど簡単に決着が付くような問題ではないと言います。少なくとも、乳幼児が知的能力を有していない「無能な乳幼児」だと見なされていたことは確かなようだと森口は言います。この見方が、時代を経て変わっていくのです。

乳幼児の観察を数多く報告し、認知発達研究の父であるピアジェの研究が中心となりますが、森口は、この時期の乳幼児観に関連する研究も取りあげて紹介しています。

19世紀後半頃、教育熱の高まりや医学の進歩などから乳幼児研究が本格的に始まりました。そのような中で研究の方法論の開発・定着が促され、研究が飛躍的に進歩したようです。、あず、この時期の主流名研究方法であった、観察法について森口は紹介しています。

乳幼児の知的発達研究の方法論として本格的に観察が用いられたのは、18世紀末にドイツの哲学者ティーディマンの息子についての観察記録が最初だとされているそうです。しかし、方法論として定式化したのは、マンチェスターで生まれ、ヨーロッパの各地で教鞭をとった生理学者ブライヤーだそうです。彼も自分の息子を入念に観察したそうです。それまでの「観察日誌」から、「観察研究」に変わっていったのです。それには大きな違いがあると森口は言います。ブライヤーは、学問における方法論の重要性を認識し、観察を科学的方法論にしたのだと言うのです。

また彼は、観察の技術的な問題について、観察は直接観察に限る、観察はその場で記録しなければならない、等さまざまな提言を行なっているそうです。また、観察対象について、同じ子どもを1日に3回以上観察しなければならないことや、多くの子どもを観察しなければならないことを提唱しています。