複数の方略

子どもの認知発達を、コンピューターにたとえて情報処理能力というハードウェアから考察してきましたが、シーグラー博士は、ソフトウェアである認知方略がどう更新されていくかを分析したそうです。そのときに、ピアジェのようにどういう段階があるのかを記述するだけでなく、どのようにその変化が生じるかを検討し、子どもを調査する前にあらかじめ子どもが使用するであろう方略を想定したました。多くの研究者は、子どもを調査した後に事後的に方略を分類します。しかし、事後的な分類は恣意的なものが多いため、シーグラー博士はこのような方法をとったようです。

彼の研究例として、足し算研究を森口は紹介しています。この研究では、3,4,5歳児を対象に「1+2はいくつか」のような問題を与えます。その結果、3歳児の正解率は2割程度だったのに対して、4,5歳児は7割近く正解することができたのです。そのときに、シーグラー博士が分析したのは、正解にたどり着くプロセスだったのです。この研究では、四つの方略が見出されました。一つ目は、指と声を使う方略です。二つ目は、指だけを使う方略です。三つ目は、声だけを出す方略です。四つ目は、表面的な行動を示さずに数える方略です。この研究で明らかになったのは、これら四つの方略のうちいずれかをひとつだけを使う4,5歳児は全体の2割程度だったということでした。問題によって異なった方略を使う子どもの方が多かったのです。このことから、ある発達段階にいる子どもが、特定の方略だけを使うということはなさそうだということがわかったのです。

彼によると、ピアジェ課題のように子どもにとってなじみのない課題や、逆に非常になじみがある課題の場合には、子どもは特定の方略を使いますが、それ以外では複数の方略を用いて、課題を解決するようです。様々な方略を試して、どの方略がいいかを見極めているようです。このように、子どもが複数の方略を使用しながら、しだいにある方略を使うように移行していくという考え方を、重複波理論と言うそうです。

彼の研究のもう一つの特徴は、どのように変化が生じるかを記述するために、微視的方法を用いた点だそうです。発達心理学では、一般的に横断的方法を用いるそうです。横断的方法では、異なる年齢の子どもに対して同じ課題を与え、その課題の成績を比較します。縦断的方法では、同一の子どもに対して異なった年齢で課題を与え、その成績の変化を検討するというものです。微視的方法は、縦断的方法に近いですが、短期間で繰り返し調査をすることで、より細かく子どもの発達を追跡します。

シーグラー博士らは、4~5歳児に、「3+4」のような足し算を与え、11週間にわたって子どもの方略の変化について検討したそうです。彼が注目したのは、大きい方に小さい方を加えていく方略です。4から数えて、5,6、7と数える方法で、標的方略です。どのような方略から標的方略が生まれたのでしょうか?直感的には、3から数えて、4,5,6,7と数える方略と標的方略の両方を使えるようになって、それからより効率の良い後者が選択される気がすると森口は言います。しかしながら、この研究では、1から7まで数える方法の後に、標的方略が選択されるという結果が得られたそうです。もっとも、標的方略が使用できるようになったからといって、この方略だけを使うわけではありませんが。

情報処理の発達

ワーキングメモリに関して、近年特に注目が集まっているそうです。ワーキングメモリとは、ある認知活動に必要な情報を一時的に保持しつつ、保持している情報を処理する際に必要とされるメカニズムのことですが、それは、保育、乳幼児理解にどのような意味を持つのでしょうか?

まず、情報処理理論で言えば、子どもはメモリなどのハードウェアと、方略などのソフトウェアを持ったコンピューターにたとえられます。すると、子どもが認知発達領域においての特徴は、ハードウェアとソフトウェアが変化する点になります。子どもが情報処理能力を向上させ、新しい方略オア発展させるというのは、メモリを4GBから8GBに増設するように、また、ソフトウェアをバージョンアップするということになります。このように考えて、子どもの認知発達の機序を論理的思考ではなく、情報処理能力から考えるということを行なったのです。

情報能力が年齢とともに発達することは多くの研究者が一致するところですが、年齢とともに情報処理の容量が増加していくとする研究者もいれば、処理容量自体は子どもでも大人でも大きな違いはなく、情報処理効率の変化を指摘する研究者もいるそうです。そして、この効率の変化の要因は、脳の成熟、認知方略の発達、自動化などによると考えています。自動化とは、新しい問題を与えられたときに、当初は自分の処理容量のすべてを使って解決していたものが、何度も同じ問題を解くことによって処理容量の一部を使用するだけでよくなる様子のことを指します。この考え方からすると、情報処理の発達が、ある段階から別の段階への認知発達に寄与するというのです。つまり、子どもが十分な情報能力を持つことで、与えられた問題に対してより複雑な形で表象することができるようになり、新しい思考様式ができるようになると言うのです。

では、情報処理能力はどのように測定するのでしょうか?ケース博士は、情報処理能力を、処理効率と記憶空間に分け、それぞれを独立に測定しました。前者はある特定の処理が実行される測度によって、後者は短期記憶に保持できる項目の数によって測定したのです。具体的には、処理効率の課題では、子どもは星や木などの七つの単語のうちいずれかを聴覚的に提示され、その単語をできる限り早く再生することを求められました。たとえば、星という単語が聞こえたら、その単語をできる限り早く口答で答えるのです。単語を提示されてから反応するまでの潜時が測定されました。

また、記憶空間の課題では、単語を様々に組み合わせて、子どもが単語をいくつ覚えることができるかを検討しました。例えば、「星・木」などの単語のセットを覚えるように求められます。この課題を3歳から6歳に与えたところ、3歳児の処理速度は平均で800msだったのに対して、6歳児は460msであり、記憶能力も3歳児は平均で三つの単語を正しく覚えられましたが、6歳児は四つから五つの単語を記憶できるという結果が得られたそうです。

このような観点からピアジェの研究を説明しています。情報処理理論では、課題の持つ特徴と子どもの情報処理能力を分析することによって、ピアジェ理論では説明できないことを説明できるようになったそうです。

短期から長期へ

認知心理学では、人間の心のモデルとしてコンピューターを用いる試みとして情報処理理論が進展したそうです。しかし、当然人間の心は計算機ではありえません。処理の仕方も、いくらコンピューターにたとえても人間とは違います。ただ、コンピューターのように人間の心を捉えることで、行動主義では扱えなかった精神活動を説明できるようになったという点が重要なのだと森口は言うのです。

認知心理学における情報処理理論の例として、アトキンソン博士のモデルについて森口は説明しています。アトキンソン博士らのモデルは、三つの記憶貯蔵庫を制御するシステムを仮定しており、記憶貯蔵庫がハードウエアに、制御システムがソフトウエアに該当します。記憶貯蔵庫は、感覚レジスター、短期記憶、長期記憶の三つから構成されるとしました。

情報処理を考える上で、次のような例を森口は提示しています。朝目覚めて、新聞を読むとします。新聞の一面に目をやると、どこからかハエが飛んできて、あなたは思わず目を閉じてしまいます。このとき新聞の一面に関する情報は感覚レジスターに保存されます。外界から与えられる情報は、必ず感覚レジスターに入力されるのです。その情報は短い期間だけ記憶され、数百ミリ秒たつとそれらの情報は失われたり、新しい情報に上書きされたりします。

新聞の一面で、目を引いたのは、ディズニーランドの新しいアトラクションに関する記事でした。感覚レジスターに入った情報のうち、ディズニーランドの情報のみが短期記憶に転送されます。この情報を忘れまいと、何度もそのことを考えます。このような過程を経て、短期記憶にあった情報は、長期記憶に転送され、ディズニーランドの新アトラクションと既に長期記憶に保存されていたドナルドダックが結びつけられて貯蔵されるのだというのです。

感覚レジスターに入力された情報は意識にのぼりませんが、短期記憶に貯蔵された情報は意識することができます。近年、異論はあるものの、この短期記憶の処理には限界があり、七つ程度の情報しか処理できないとされているそうです。この短期記憶は、概念的に少しズレはあるものの、作業記憶(ワーキングメモリ)とも言われます。これについては、以前のブログでも取り上げました。短期記憶に保持されるのは数十秒程度だとされているそうですが、そこで、保持された情報の一部は、長期記憶に転送されるそうです。長期記憶には、長期的に情報が保持され、取り出しにくくなることがあるものの、その情報は基本的には失われることはないと考えられているそうです。

この説明を聞いて、「たしかになるほどこのようにして情報処理は行なわれているのだ。」とおもしろいですが、逆にだからどうなのだという気持ちも湧いてきます。人間は、このような複雑なことを、本人が意識せずに行なっていることには感心しますが、この知識を、どのように保育に生かせるのか、子ども理解につながるのかはよくわかりません。しかし、研究というものは、そういうものなのでしょうね。

私のブログで初めてワーキングメモリという言葉が出てきたのは2014年4月にポール・タフ著である「「成功する子 失敗する子」という本を読み進めていたときです。この本のタイトルからすると、ワーキングメモリは、参考になるかも知れません。

問題点

ピアジェは、三つ山問題によって、子どもは自分と違う視点からものを見ることができず、自己中心的であるとしました。しかし、違う課題から自分の視点とは異なる視点をとることができることがわかりました。同様の結果が、様々なピアジェ課題で得られているそうです。これらを見てみると、ピアジェ理論をそのまま受け入れることはできないことになるのです。また、これらの結果は、ピアジェ理論の支柱である段階発達論に対しても疑念を呈しているようです。

ピアジェによれば、同じ発達段階にいる子どもは、一貫して同じように思考するはずです。たとえば、保存の概念を持っていない子どもは、どのような課題でも、保存の課題に失敗するはずです。しかし、実際には、子どもは同じ能力を扱っているはずの課題に対して異なった反応を見せます。ピアジェの推論課題を検討したブライアント博士は、子どもがピアジェ課題に困難を示すのは、推論が出来ないためではなく、推論をするために必要な情報を記憶できないことによると述べているそうです。同様なことが三つ山問題や数の保存にもあてはまるというのです。要するに、ピアジェ課題には、課題解決を疎外する情報が数多く含まれており、子どもの能力を、例えば保存概念などを正当に評価できていないというのです。このような中で、課題に含まれる情報が子どもの成績にどのように影響を与えるかに注目が集まったそうです。

認知は、情報の獲得や処理にかかわる精神活動のことを指し、知覚や学習、記憶などの複数の精神活動を含みます。20世紀前半の心理学は、行動主義が隆盛をきわめており、外から観察される行動にだけ焦点を当て、意識などの高次の精神活動を研究対象から外していたそうです。しかし、チョムスキー博士による生成文法理論などが1950年代にかけて大いに進展し、情報理論などと接点を持つことによって、認知科学や認知心理学という新しい研究領域が勃興したそうです。

認知心理学では、情報処理理論が進展したそうです。情報処理理論とは、人間の心のモデルとしてコンピューターを用いる試みのことだそうです。情報処理理論にも様々あるそうですが、共通点は以下のものだとしています。まず、ハードウェア構造です。コンピューターには、キーボードのような入力装置とディスプレイのような出力装置に加えて、中央処理ユニット(CPU)やメモリなどを含む本体があります。キーボードからの入力を、本体に記憶されている命令のセットに従って処理し、ディスプレイに出力を返します。人間の場合は、目や耳などの感覚器から入力された情報が、脳内に蓄積された記憶と関連づけられて処理され、行動などの形で出力されます。このようなハードウェアに加えて、ソフトウェアがあると見なす点も共通しています。コンピューターで言うと、ソフトウェアはエクセルなどのように特定の問題を解決するためのプログラムのことを指します。人間の場合は、問題解決の方略のことをソフトウェアと見なします。

また、処理の過程に関しては、コンピューターではキーボードなどによって与えられた情報が、コンピューターが理解できる記号に変換されますが、情報処理理論では、人間でも、環境から与えられた情報が、頭の中で記号(心的表象)として表現されます。また、コンピューターは、特定の問題を解決するための計算機です。人間の精神活動も、問題解決場面では、同じ過程を含みます。

私は、情報処理についての人間の心のモデルとして、コンピューターを用いる試みを認知心理学で行なうことを初めて知りました。なんだかおもしろいですね。

情報処理

私は、森口氏が危惧しているように、「こんな早い時期にこんなすごいことができます」ということが、強いインパクトを与えるためにそのような研究が発表されているということではなく、実際に乳児観察をしている中で、ずいぶんと早い時期にこんなすごいことができるのだという感動を、日々経験をしているからです。だからといって、なんでも乳児が有能だというわけではありません。しかし、保育では、長い間乳児は無能だということを前提として、乳児に対応してきた気がしているからです。また、できないからといって、無能だということではなく、大いなる学び手であるということを認識すべきだと思っているからです。本当のことは、まだまだはっきり解明されてはいかないでしょう。研究には、絶対ということはありません。特に乳児においてはなおさらです。

さらに最近の研究で、乳児における情報処理能力について行なわれています。森口は、認知発達の情報処理理論家として著名なシーグラー博士の著書「子どもの思考」の中からこんな一節を紹介しています。

「ほとんどの4歳児は、20以上数えられるレベルに達しているが、このレベルの子どもは、数の系列の恣意的な部分も、規則的な部分も理解している…29、39、40、などの9で終わる数の所で数えやめる子どもの人数が、他の場所でやめる子どもに比べてずっと多い。これは、子どもが十の位の名前に一桁の数を付け加えるという規則を知っており、次の十の位の名前を知らない場合には、当然のパターンである。」

情報処理理論では、子どもが問題をいかに解決するか、その際にどのようなエラーをするか、目標にどのように到達するかという視点から、認知発達を検討するそうです。その際に、子どもの認知過程を、コンピューターと結びつけて議論するそうです。

1950年代頃から起きた認知革命は、発達研究にも情報処理の考え方を波及させたそうです。情報処理理論は、ピアジェ以降の主要な認知発達理論のひとつだそうです。コアノレッジ理論が乳幼児を主なターゲットにしているのに対して、情報処理理論は乳児期から青年期の認知発達をターゲットとしているそうです。

この理論も、ピアジェ理論の問題点が進展する契機になったそうです。ひとつは、ピアジェが用いた課題が難しく、子どもの能力を正当に評価できていない点だそうです。たとえば、三つの山問題では、子どもは自分と違う位置にいる人形の視点に立つことができません。ピアジェによれば、これは子どもが自己中心的であることに由来していると言いました。しかしながら、ドナルドソン博士によれば、ピアジェの用いた課題は子どもにとってなじみがなく、子どもの能力を正当に測定できていないというのです。三つ山問題に対する反証としてドナルドソン博士の出した例は、かくれんぼです。

ある部屋をAからDまで壁で四つに仕切りました。この中で、子どもは、自分が持っている人形を、警察官の人形から隠すように教示されます。警察官の視点からはAやBが見えない場所だとすると、そこに人形を隠さなければなりません。この課題は、自分の視点とは異なる視点をとる必要があるという意味で、三つ山問題と同じ構造をしています。ですが、この研究では、ほとんどの幼児が正解することができたそうです。

検証

最近の研究で、次々に乳幼児の有能性が示されています。また、その能力は早い時期から備わっているという研究も多く示されています。私たち大人は、色々なことができます。例えば、他人の心を理解する能力も兼ね備えています。ですから、当然私たちはどこかの時点でそのような能力を持ったわけですから、それがいつ頃からかという研究は行なわれるわけです。私は、赤ちゃんを見ている中で、その行動観察からすると、わりと早い時期から赤ちゃんはそのような能力を持っていると考えます。ただ、それは、自ら行動には表わさないかも知れませんが、それは持っていないと考えることとは違うと思っています。

しかし、研究では、もう少し慎重になる必要がありそうです。例えば、乳児において視線で計測されるのは暗黙的な理解の研究であり、幼児のように言語で説明させるのは明示的な理解の研究ということになります。それに対して、誤信念課題を作ったパーナー博士らは、発達心理学専門誌で心の理論特集を組み、明示的な誤信念理解の重要性を強調しているそうです。その主張としては、標準版誤信念課題は、幼児に直接他者の誤信念を問うものですが、乳児の課題はあくまで乳児の視線行動から、間接的に誤信念理解を推測しているに過ぎないというのです。また、乳児の実験では、他者の行動から心を推測するルールを用いているわけでなく、登場人物が最後に見た場所を探すことを予測しているに過ぎない可能性などの様々な解釈が示されているのです。つまり、乳児が他者の誤信念を理解していることを想定しなくても、乳児の行動は説明できるというのです。

このことは、チンパンジーの研究において重要になっているそうです。チンパンジーのように、心の理論を持っているかどうかわからない対象を扱う場合、チンパンジーが誤信念課題を解決したように見えても、研究者は厳しい解釈で望み、別の可能性を検討するものなのです。それに対して、乳児研究は解釈が甘くなりがちであり、慎重な解釈は重要であるという主張です。この議論は、いまだにつきず、乳児研究と幼児研究のギャップが埋まるためにはもう少し時間がかかるかもしれないと森口は言います。

このように慎重になるのは、乳児が早期から他者に対して感受性を見せる、社交的な存在であることの研究は、特に発達障害の子どもに対して早期介入をするためにも、生後早期における他者認識の能力の検討は非常に重要な研究課題なのです。

森口は、このような近年の研究は、いささか有能さが強調されすぎているように見えると危惧しています。それは、ここ数十年の発達し理学研究における重要な発見は、今までの考え方を覆すものが多いからでしょう。4歳半で獲得されると考えられてきた誤信念理解が1歳半になり、近年では7ヶ月で類似した能力を持つ可能性が示されているのですから。そして、1歳半の乳児の誤信念理解の研究は様々に追試され、その妥当性が示されつつあるので、この研究結果が正しいのは間違いなさそうですが、すべての研究がこのような検証を受けているわけではないと森口は言います。また、検証を受けたところで、「こんな早い時期にこんなすごいことができます」というインパクトと、「その結果は追試されず、他の解釈もでき、その結果は怪しいです」というインパクトとを比べた場合、前者の方が高いのは明らかだと言うのです。徹底的な検証で後者が正しいことが証明されてもあまり脚光を浴びないという現状があると言います。これは、新生児模倣の研究において顕著に見られることだと森口は主張します。

2017韓国三日目午後3

日本では、選挙結果が自民党の圧勝でしたが、実際には幼児教育に関して今後どのような政策がとられていくでしょうか?今年の五月に政府は、経済財政運営の指針(骨太の方針)で、幼児教育と保育の早期無償化を明記する方針を示しました。そして、財源については歳出削減や税、新たな社会保険を対象に、年内に結論を出すと言っていました。高等教育については「人材投資を強化するための改革のあり方も早急に検討を進める」との表現にとどめ、6月2日の経済財政諮問会議での議論を踏まえ、9日に閣議決定すると言っていました。

文部科学省は今年の9月27日、日本、アメリカ合衆国、イギリス、フランス、ドイツ、中国、韓国の7か国の教育状況を統計データで示しています。それは、「諸外国の教育統計」平成29年(2017年)版として公表したものです。そこでは、高等教育在学者の人口千人あたりの人数は、韓国が63.8人ともっとも高く、日本は23.4人と中国についで2番目に低いことが明らかになっています。

また、私立学校の割合について、幼稚園や保育所などの就学前教育では、「日本」73.9%、「アメリカ」30.8%、「イギリス」(初等中等学校も含む)6.0%、「フランス」12.3%、「ドイツ」65.2%、「中国」52.5%、「韓国」79.2%ということで、韓国が一番多いようです。韓国では、私たちが何園か見学したところのような企業所内保育園は、財団のような私立が運営しているので多くなるのかも知れません。ちなみに日本は韓国についで多いようです。しかし、私立小・中学校となるとその割合は日本がもっとも低くなります。それが、また大学や大学院、短期大学などの高等教育になると、「日本」74.5%、「アメリカ」27.6%、「イギリス」0.1%未満、「ドイツ」6.7%、「中国」23.0%、「韓国」80.3%となり、日本は韓国についで2番目に高くなります。なお、フランスは、「私立大学」は学位授与権が認められていないそうです。

今回の韓国就学前教育施設見学の最後の園は、公立園を見学しました。この園は、ちょうど私の園のように地下一階から地上四階までの園でした。しかし、他の園同様、全体はゆったりした作りになっているのですが、各保育室は何か窮屈そうに見えます。もちろん、各保育室には領域毎の教具、教材は色々と工夫されています。ここで、初めて見たおもしろいごっことして、映画撮影ごっこセットがありました。撮影用カメラの他、メガホンや撮影スタートの合図に使うガチンコがありました。また、ある部屋のは電子黒板が置いてあり、パソコンのタブレットのような使い方をするそうです。

ランチルームも整っていて、そこで子どもたちがおやつを食べていました。メニューはジャガイモをふかしたものでした。食べるときに、子どもたちは低い座卓でどう食べるのかと思っていたら、多くの子どもたちはあぐらで食べていました。韓国では、男女ともあぐらや立て膝で座るのが正式のようです。

今回韓国の施設見学で今後の課題について考えたことは、私が最近一番大事にしたいと思っている「子ども同士の関わり」のあり方の気がします。保育室が年齢別に仕切られている形態は、小学校のように保育者が子どもたちに一斉に何かを教えることが多いことを表わしている気がします。空間的環境、物的環境が整った後、人的環境をどう用意するかという点が、韓国では次の課題の気がしています。

2017韓国三日目午後2

三日目の午後に訪れた私立オリニジップは、ヌリ課程の意味をよく感じることができました。日本では、私立園の方が人件費に公立園ほどかけていないために、立派な園舎や、豊富な教材があるところの方が多い気がします。しかし、韓国では、どうも私立の方がそれほど補助金がない中、園児を集めるために一生懸命なようです。そうすると、保護者の要望に応えて、何かを教える、何かができるようになるという早期教育に走る気がします。また、その形態も、一斉に保育者から子どもに指導する形で行なわれてしまいかねないところ、ヌリ課程のおかげで、保育室内には、部屋のまわりにきちんと領域が造られているのです。ここここで遊んでいる子どもたちの姿は見ることはできませんでしたが、少なくとも、自由時間は、子どもたちが自ら選び、取り出し、遊んでいるであろうということは想像できます。「さあ、◯◯で遊びましょう!」といって、保育者が決めたものを決めた数だけ出して、遊ばせたり、「次はこれ!その次はこれ!」と保育者が子どもたちを次々と指示し、課題をこなしているような保育をある時間はしていないだろうということも推測できます。このような環境があるだけでも、違うでしょうね。

私たちが見学した時間は、午後でしたから、特別だったかも知れませんが、あるクラスでは英語教育を一斉に行なっていましたし、ある部屋では、フレーベルの恩物を子どもたちが使っていました。この恩物については、ブログで2014年一月に何回かにわたって書いていますので、興味を持っている方はそちらを読んでいただければと思いますので、簡単に触れます。韓国の保育で使っていた恩物は、第二恩物徒呼ばれるもので、「球」「円柱」「立方体」の三体を選び二者識別をテーマにしています。ちょうど見たときは、「立方体」をつるして回転させていましたが、それは、回る像を見ると、形が変形して、中に「円柱」が見えるときがあることに気がつくというものです。この時間帯は保育者が指示して、子どもたちに意図したことをやらせている時間ではありましたが、ヌリ課程がなければ、一日中、このような保育が展開されるかも知れません。

もう一つ、ヌリ過程の役割がわかりました。それは、園庭に対する考え方です。この園は、市内の中心地にあるため、ビルの一つの階に保育室があります。当然園庭はありません。しかし、設置が決められていますので、その園から外に出て、ビルの違う入口から入り、階段を登って行くと屋上に出ました。そこが、この園の園庭だそうです。契約をして、園庭として使わせてもらっているそうです。そこには、きちんと菜園もありました。そして、隅にはしゃれた小屋が建ててあり、そこで本を読んだり、ちょっとしたコーヒーブレイクができるような空間が用意されていました。私たちは、そこでハーブティと韓国の特徴的なお菓子を頂きました。

2017韓国三日目午後

午前中の見学が終わり、その日の昼食は韓国伝統料理である「サムゲタン(参鶏湯)」でした。最近、日本でもよく食べるようになっていますが、鶏肉に高麗人参、もち米などを入れて煮込んだスープです。まず、よくかき混ぜて、もち米をほぐし、鶏肉を骨からほぐし手から食べます。一日目の夕食に食べた「カルビタン」と同様、「タン」とは、スープのことです。鶏肉の他に、朝鮮人参が丸ごと入り、干しナツメ、栗、松の実、ニンニクも入っているので、薬膳料理とされています。

昼食後の午後は、オリニジップ2カ所を見学しました。昨年、初めての韓国研修ということで、わりと整った園を見学したのですが、今回は、孔先生が、その他の普通の園も見学した方がいいということで見学先を手配してくださいました。まず、最初は、個人立のオリニジップです。そこでは、園長先生始め、子どもたちが非常に歓迎をしてくれました。

まず、玄関でお出迎えしてくれた園長先生は、その日のために韓国の民族衣装であるチマチョゴリを着ていました。この衣装は、現在は観光地でレンタルされていて、着ている女性を見ることはありましたが、普段はあまりありません。また、チマチョゴリと一言で言いますが、実は、男女共通の上着であるチョゴリ(襦)と、巻きスカートであるチマ(裳)によって構成されています。

玄関には歓迎の言葉が飾られています。そして、入った玄関ホールには床一面に世界地図が貼ってありました。各国に行って世界地図を見ると、当然ですが、その国が真ん中になるように配置されています。私たちが普段目にする世界地図は、日本が真ん中で、右にアメリカ、右にアジアからヨーロッパが描かれています。ドイツで買うと、日本は右端に描かれてあります。ここ韓国の床に貼られた世界地図は、韓国が真ん中に大きく描かれてあります。

年長さんの部屋に入ると、年長さんも皆チマチョゴリを着て歓迎してくれました。そして、韓国独特の目上の人に対してのお辞儀を披露してくれました。両手を顔の前で自然に合わせます。これをハングルで「コンス」と言うそうです。クンジョル(韓国伝統の最上級のお辞儀)の前や後、それから目上の人の前ではこの姿勢をとるそうです。両手を合わせる際、親指と親指をクロスさせ、残りの指は綺麗に揃えます。男性は左手が上に来るようにし、女性は右手を上にします。そのままの姿勢でしゃがみ、手はそのままで床に頭をつけるようにお辞儀をします。

その後、まずホールに行きました。そこには、この園が街の中心部にあるために体を動かす園庭がないために、大型室内遊具が置かれていました。チマチョゴリを着た子どもたちは、韓国の伝統遊びを披露してくれました。伝統的な双六、矢を筒に投げ入れる遊び、リフティングのように足で蹴る遊び、輪を棒で転がす遊びなどです。そして、週一回、伝統的な太鼓の練習をやるそうです。

この後、保育室を見て歩くのですが、もしヌリ課程がなければ、いろいろな認知的なことを教えることをしそうな気がしました。あまり子どもたちが楽しい雰囲気がなく、やらされ感が強い保育ではありますが、どのくらいのそれを使うかわかりませんが、ヌリ課程に定められた領域が保育室に用意をされていて、子どもたちの自主性は少し保障されている気がしました。     

韓国子育て政策

韓国は、日本以上に少子国家です。そこで、様々な政策を打ち立てています。その一つが0歳児までの保育料無料化です。また、子育て支援策を行なっています。それは、日本でも行なっていることと同じものが多いのですが、おもしろいものもいくつかあります。そのひとつが、小学校300校に学校給食プログラムの助手を置くというものがあります。これは、交換勤務の働く母親の負担を軽減するプログラムです。また、ここに60歳以上の年配の女性を雇用し、子どもたちにテーブルマナーを教えることもしていますが、それは、中高年女性の雇用創出になっているそうで、6500人が雇用されているそうです。

また、韓国での子育て支援という項目で検索すると、多く出てくるのは、多文化家族への支援です。ソウルでは結婚による移住人口の81. 5%が女性です。これは韓国男性は、配偶者としてアジア諸国のベトナムなどの女性と結婚することが多くなったということのようです。しかし、彼女らは、母国と文化が異なり就労もむつかしいために、うまく定住できるように多文化家族のために“ハヌルタリ”計画があるそうです。この計画とは、国際結婚の準備学校として、男性配偶者のため結婚式前の国際結婚オリエンテーションを行なったり、また多文化家族向けの子育てサービス支援や、結婚した移住女性のためのキャリア形成と自営業の支援、各国のマタニティ文化についてのDVDを配布したりしているそうです。そして、多文化家族に寄り添うレインボー・フォーラム・エージェントを作り、プロジェクトのモニタリングやプランの提案もします。

ほかにも、ひとり親家庭への支援では、「シングル・スマイル・プラン」があります。ソウルでは、全世帯の80%が父親のいない家庭だそうです。そのため、低所得のひとり親家庭の高校生に学習教材や無料のオンラインクラスを支援しているほか、無料の健康診断サービスと心の健康のクリニック・センターを開設しています。そして、このシングルマザーの能力強化のために学校、オンラインによる自習システム、子育て費用の支援等もあるそうです。

政策課題として、「活き活きとしたソウルをめざす」というスローガンのもと、主婦のための仕事創出として「ハッピー・マム・プロジェクト」があります。結婚や出産で職業経験から取り残された女性のためにキャリア形成と自営業(起業)の支援、また、長期間、資格を取っても使われないでいる人のために、その免許証を生かすプランもあるそうです。これは社会とのつながりを断たれた専門技能を持つ女性たちを雇用市場につなげる意図があるそうです。アパートを訪問し、キャリアについてアドバイスする雇用訪問サービスや、ファッション産業や結婚ビジネスなどに結びつけ、地域特性のある部門で女性が働けるよう地域の労働市場を動かすなどをしているそうです。この活動は、ソウル市内25区のうち、現在は8 地区が動いているそうです。

それらの助成のために、子育て支援もあります。起業をめざす女性のために子育ての支援もあり、子育て、食事サービス、障害のある子どもを持つ家庭への支援や産褥期の女性へのケアをしているそうです。また、福祉や教育、文化イベント、子育てなどの情報について総合的なインターネットサービスも供給しているそうです。コンビニなどでも、ベビーカーの貸し出しをしている店もあるそうです。