役割分担の確認

子どもたちはただ盲目的に親を模倣するわけではありません。むしろ彼らは慎重にそれを行ないます。

ハリスは、ドイツ生まれの同僚の話を紹介しています。彼の四歳になる娘はアメリカにいるときにはドイツ語を話したがりませんが、ドイツ訪問中はドイツ語を使うことにもかなり前向きになるのだそうです。また、子どもたちは幼い頃から女性と男性では「役割が異なる」と決めつけるとハリスは言います。ハリスの娘の一人は5歳くらいのときに父親は料理をしないものだと宣言したことがあったそうです。

「じゃあ、母親はカナヅチやノコギリを使ったりはしないわけ?」とハリスは聞き返したそうです。

「そう、そのとおり」と娘は答えながらも、ばつの悪さを隠そうとはしなかったそうです。彼女の家では父親が料理を担当することも半数ぐらいはあり、日曜大工は母親の仕事たったのです。

子どもたちはテレビや絵本を通じてこのような考えをいだくようになるのだろうとハリスは言います。彼らはそれが正しいのかどうかを保育園や託児所の友たちとのごっこ遊びの中で試して確認するのだと言います。子どもたちがおままごとや消防士ごっこに興じるとき、彼らは自分の親の真似をするわけではありません。仮に父親が消防士であってもです。彼らが演ずるのは典型的な大人、すなわち皆が思い描き、認める大人なのだとハリスは言います。こうしたごっこ遊びはプライバシーのない、すべてがお見通しの伝統的社会ではあまり見られないそうです。女性であればやるべきことがほぼ決まっていて、男性に関してもそうであるならば、子どもたちが集まって役割分担を確認する必要もないのだとハリスは言うのです。ごっこ遊びをこのようにとらえるのは興味深いですね。

子どもたちは順応性に優れた生き物だとはハリスは言います。他に子どもたちがいないような土地で親だけと生活する一人っ子では、いやおうなしに親が自分の行動のお手本となります。ターザンのようにサルに育てられた子や、インドの狼の巣で見つかった幼い女の子二人のように狼に育てられた子であれば、可能なかぎりサルや狼のように行動するようになります。しかし実際には選択肢が与えられている場合が一般的です。通常、子どもには手本となるべき人物が何人かいて、それも皆同じように行動するわけではありません。では一体子どもは誰の行動を模倣するようになるのでしょうか。

模倣について、こんなことがありました。中国からの見学者が、0歳児が1歳児を真似して自ら自分が使ったエプロンを自分で袋にしまいに行った姿を見て、「もし、1歳児が、0歳児が自分でしまわないのを見て、自分でしまわなくなることはありませんか?」と聞かれました。下の子が上の子を見て真似をするだけでなく、上の子が下の子を真似するかという質問でした。私は、「そんなことをしてきたら、人類は進化してきませんよ。人は、自分より発達が先のこと、自分がこれからするようになるであろう先のことを真似するものです。」と答えたのです。

親の行動の模倣

フロイトの理論がすたれた後でさえも心理学者の多くは、子どもたちは同性の親の行動に合わせるように自分の行動を形成するのだという考えを捨てませんでした。父親が髭を剃る横で幼い少年たちが髭を剃る真似をしている絵が発達心理学の教科書に描かれています。ハリスのかかわっていた本も例外ではなかったそうです。

もちろん子どもは親を模倣するものです。動物界の中でも私たち人間は最高の模倣力を誇ります。社会的行動の大部分を学習するためにはそうでなくてはならないのだとハリスは言います。アメリカの親たちは幼い少年が髭を剃る真似をするのを見てかわいいと思います。ところがその同じ子どもがマッチを擦ったり、桜の木を切り倒したり、弟を叩いたり、卑猥な言葉を発したりするのを見て、それらも模倣であることには違いないのに、かわいいなどとは言っていられません。「自分の子どもにはよい子であってほしい。」「よい子は大人の真似はしないのだ。」と。

社会化の一環として親の行動を模倣するという行為は、他の地域においても決してより好ましい結果を生むわけではないとハリスは言います。アメリカの子どもたちは大変だと思う前に、たとえばポリネシアの村落社会でふさわしい行動を身につけるのにどれだけの苦労が強いられるのかをハリスは紹介しています。ポリネンアの子どもたちは大人の面前では自分を抑えて、控えめであることが望まれます。すべてのやりとりの主導権を握るのは大人であり、子どもはそれに従うだけで異議を唱えてはならないのです。仲間たちとのつきあいでは、自己主張も許されます。以前ハリスが指摘したとおり、親を観察しても、これらのルールは学習できません。ポリネシアの親たちは、他の大人や子どもとのつきあいにおいても、自分を抑えたり、控えめになったりはしません。親の社会的行動を模倣した子どもたちは社会の通念にそぐわないことになるのです。

親の行動を模倣して不都合が起きるケースは他にもあり、たとえば親がその社会において健全性に欠けている、すなわち変わり者、アルコール依存者もしくは犯罪者であったりする場合です。もしくは親が地元の社会的行動の規範に不慣れな移民である場合もそうだと言います。親が移民というのはいかにも現代的な現象だと思いがちですが、それは古代から見られたはずだと言います。ハリスは架空の少女を例に出してます。彼女は、伝統的な生活を営み、われわれの社会よりも歴史が長く、常に近隣社会と戦争を繰り返している部族社会に生まれたとします。この少女の母親は、その部族で生まれたわけでも育てられたわけでもありません。その部族が襲撃した村落から連れてこられたのです。捕虜だった彼女は、今では勝利を収めた戦士の箔つけワイフ、もしくはそのうちの一人となりました。ところが、彼女はこの新しい部族の習慣をほとんど知らず、言葉も違います。その娘にとって、母親の社会的行動や言葉を模倣することは不都合なのです。

子どもたちはただ盲目的に親を模倣するわけではありません。むしろ彼らは慎重にそれを行ないます。親を模倣するのは、親が正常にもしくはその社会を象徴するように行動しているとき、その社会に住む他の人々が行動するように行動しているときだけなのです。子どもたちは驚くほど早い時期からそれらを意識するようになると言います。・

集団対比効果

イギリスの動物行動学者ジョン・アーチャーは次のように言及しています。「若い動物たちに見られる特徴の多くは、大人の特徴の先駆ではなく、現発達段階において生き抜くことを応援する役割を果たすものなのです」。親、もしくは親代わりとの密接な愛着が赤ちゃんや幼児にとって必要であるからといって、それが年長児にとっても必要であるとは限らないのだとハリスは言うのです。

私は、現場で乳児を観察する中で、愛着について新しい考え方を持ちました。 その考え方によってあらためて、乳幼児の行動が理解できます。 それは、「愛着とは、自己防衛のために、自ら築くものであり、決して大人から与えるものではない」ということです。これは、「保育の起源」の中で書いていることですが、アーチャーの言う「現発達段階において生き抜くことを応援する役割を果たすものなのです」という考え方に近いものである気がします。

人間以外の霊長類にとって社会的行動の多くは生得的なものです。タンザニアのマハレ山塊で育つチンパンジーもゴンべ・ストリーム国立公園で育つチンパンジーもほぼ同じような行動をとるそうです。ただ、面白いほど似てはいますが、まったく同じではないようですが。ところが人間では集団対比効果によって、たとえ隣接し合う集団であってもそれぞれの社会的行動は明らかに異なってくるようです。ある人類学者はメキシコ南部に位置するさほど離れていない二つのサポテコ族の村を調査したそうです。両村の住民は同じ言葉を話し、同じ農作物を育てています。ところがラ・パスでは攻撃的な行動をとることはまれで、それ自体が非とされているのに対し、サン・アンドレスでは攻撃的な行動は日常茶飯事で、それが現実として受けとめられているそうです。サン・アンドレスの殺人事件の発生率はラ・パスの五倍だそうです。その人類学者はサン・アンドレスで兄弟二人がお互いに石を投げつけているのを目撃したそうです。彼は批判的な態度を隠しきれずにこう報告しています。「彼らの母親は『この危険な行為を阻止しようともせず、あの子たちはいつも喧嘩ばかりなのよ』と言っただけだった」。

人間の社会的行動が生得的なものでないことは、それが集団ごとに大きく異なることから明白であるとハリスは言います。それは学習して身につけるものなのだと言うのです。子どもたちが社会的行動を学習していることは、子どもたちが多かれ少なかれ、自分の生まれた社会の人々のようにではなく、自分の育つ社会の人々のように行動するようになることから理解できると彼女はいいます。

日本でも、教育基本法の目的に「平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。」とあるように、子どもたちが社会的行動を学習していることが必要になってくるのです。

ではどう学習するのか?ということをハリスは提案しています。フロイトの理論が心理学の主流であった頃にはそれも簡単に説明がついたと言います。それは、子どもは自分の父親や母親と自分とを同一視することでふさわしい行動を学習するとしました。同一視することによって超自我が形成され、その超自我によってその子は品行方正さを貫くのだ、という具合にです。

伝統的社会の子どもたち

たいていの伝統的社会では子どもたちが母親の膝の上から卒業し、遊び集団の一員となった後でも、親との情動的な結びつきは強いようです。それは私たちの社会でも同じです。お腹がすいたときも、守ってほしいときも、慰めてもらいたいときも、そして助言を求めているときも親に頼ります。子どもは親を、親は子どもを一生涯愛しつづけます。伝統的社会のほとんどでは、若い男性は生まれた村に残り、親や兄弟の近くに家を構えます。若い女性は結婚と同時に生まれた村を離れますが、その後も実家を訪れたり、親が婚家を訪問するのを歓迎したりするそうです。

それでもなお、伝統的社会の子どもたちが母親の胸を卒業して遊び集団の一員となると、どこか親の子どもではなくなり、コミュニティの子どもになる感があるとハリスは言います。これらの社会では、子どもが何か悪さをしているのを発見すると大人なら誰でもその子を諭すことができます。村中みんなで子どもを育てるのです。

村中みんなで子どもを育てるのは、迷える若者たちを正道に戻してやるのにそれなりの人数が必要だからではないとハリスは言います。そこには遊び集団を構成するだけの十分な人数の子どもたちがいるからなのだと言うのです。「こうした遊び集団でこそ、子どもたちは本当の意味で育てられるのです」とイレネウス・アイブル=アイベスフェルトは言っているそうです。「子どもは主に遊び集団において社会化するのです」。アイブル=アイベスフェルトは彼が専門とする伝統的社会であるサハラ以南のアフリカやニューギニア高地に居住する人々の子どもたちについて言及しているのです。彼の発言と同様のことは、私たちの住むさまざまな文化の複合体である都市化社会においても言えるのではないだろうかとハリスは言います。

私たちの社会では親子の絆をたいへん重要視します。自分の子どもたちと「大切な時間」を過ごすことを目指し、離婚した親の子どもたちは父親と母親の家を交互に訪問し、それぞれと大切な時間を過ごすことになります。しかしハリスはこんな疑問を持ちます。親と過ごす時間が子どもたちにとってそれほど重要であるならば、なぜ子どもたちは家に帰りたがらないのでしょうか。なぜ門限を設定しなければならないのでしょうか。

日中は腹ごしらえするためだけにしか帰宅しない幼い沖縄の少年についてハリスは以前紹介しています。食事が終わるとまたすぐさま外へ飛び出していきます。友だちが待っているからと彼は母親に告げたそうです。マレー半島の熱帯雨林で細々と暮らすチェワン族では、子どもたちは十代に達するはるか前に自ら親離れするそうです。チェワン族の調査を行なったある人類学者は「7歳になると子どもたちは徐々に親から離れ、同性の年長の子どもたちによって構成されている仲間集団に加わるようになるのです」と報告しているそうです。その移行に要する期間にはその人類学者は言及していないそうですが、せいぜい一年か二年くらいだろうちハリスは言います。それが完了するとそのコミュニティの大人は自分の子どもたちに「積極的に何かを教えるようなことはしない」ようになるのです。「子どもは必要に応じてあらゆる課題を自分でこなしていくことになり、特別な指導が必要なときにだけ大人にそれを求めるのです」

先進国の都市化社会

キャロル・エッカーマンとその研究チームは同年齢同士の遊びがどのように発達するかを、さまざまな年齢の赤ちゃんを対象に「実験室に二人の赤ちゃん」方式で調査しました。しかし、ここで取り上げたのは私たちが居住するような先進国の都市化社会における子どもたちの仲間との遊びの発達です。こうした社会では、子どもたちが他の子どもたちと遊ぶ機会をもつのは当たり前という風潮が親たちにもあり、そのため親は進んでその機会を子どもに与えます。保育園や託児所に行かせていない親は、子どもたちのためにプレイグループを結成したり、同年代の子どものいる友たちを見つけたりします。大卒であろうと、高校中退者であろうと、また行動遺伝学者であろうと社会化研究者であろうと、子どもの発達にとって仲間とのつきあいが重要であると考えない親はまずいないとハリスは言います。

子育て神話とは異なり、遊び友だちは重要であるという考え方は万国共通の概念です。ところが工業化、都市化を果たす前の社会では、幼い子どもが同年齢の友達と遊ぶ機会はほとんどなく、世界には今もってそういう状態の地域があるそうです。部族社会及び村落社会では、幼い子どもは母親の膝から卒業し、年齢に幅のある子どもたちで構成されている遊び集団に属するようになります。はじめは誰もがグループいちの最年少です。その年齢幅はその社会の人口密度にもよりますが、2歳半から6歳までだったり、2歳半から12歳までのこともあります。その地域に子どもの数が十分そろっていれば、年長の子どもたちは独自のグループを形成するようになります。

さまざまな年齢の子どもによって構成されている遊び集団については、以前ハリスは述べています。そのような社会では拡大家族はともに集団を形成する傾向にあり、一般的に遊び集団は親戚同士で構成されます。子どもたちはきょうだい、いとこ、若い叔母や叔父と遊ぶことになります。グループ内の年長者が年少者の面倒を見ます。年少者にふさわしい振る舞い方、遊び方の多くを教えるのは年長者です。彼らの教え方はやさしくはありません。力ずくはもとより、からかったり、バカにしたりするのも当たり前で、理屈に基づくことはありません。5歳児が幼い妹ビシに砂を投げてはいけないと教えるのに「もしビシがあなたにそれをやったらあなたはどう思う?」などとは説明しないでしょう。それでも喧嘩や深刻ないがみ合いはまれなのです。西洋社会においても、子どもたちは親や教師の監督下で遊ぶときよりも、自分たちだけで遊ぶときの方がいがみあいは少ない傾向にあるようです。おそらく大人の前だと喧嘩が増えるのは、度を過ぎれば大人が止めに入ってくれるだろうとの期待があるからなのだろうとハリスは考えています。

伝統的な社会の子どもたちはまた、言葉も遊び集団で学習することになります。2歳半ではようやく言葉を話しはじめたばかりの頃です。親が子どもに話しかけることも少ないので、親から学習することはありません。子どもの話し相手といえば、他の子どもたちなのです。年長の子は年少相手であれば、多少は簡単な言葉を選んで話しますが、私たちの社会において親がその幼児に教えるような言葉の教え方はしません。問いかける、忍耐強く生徒の間違った言い方を正しく言いなおす、とりわけよく言えたときに徴笑んだり、軽く肩を叩くといったことなどはしないのです。そのため伝統的な社会に生きる子どもたちの言葉の習得速度は遅いようです。それでも言語を習得することに変わりはありません。どの子もその地域社会で使われている言葉を十分使えるようになるのです。そしてどの子も皆社会化の過程を終えるのです。

同年齢の遊び

1歳の誕生日を迎える頃には、平均的なアメリカの赤ちゃんであれば、親と簡単な手遊びやいないいないバーをするようになりますが、同年齢の遊び仲間はそこまで親切でもなければ、理解があるわけでもありません。ところが2歳児になるとそれができるようになります。キャロル・エッカーマンとその研究チームは同年齢同士の遊びがどのように発達するかを、さまざまな年齢の赤ちゃんを対象に「実験室に二人の赤ちゃん」方式で調査しました。その結果、他者とつきあう手段として模倣が使われる頻度が年齢とともに確実に増えていることがわかったそうです。二人の赤ちゃんはお互いの行動を模倣しながら自分の行動を調整し、お互いがお互いに興味をいだいていることを合図で知らせます。模倣は人間に与えられた特権なのだとハリスは言います。人間ほど模倣上手な種は他にいません。我が子とチンパンジーを一緒に育てたケロッグ博士の実験が成功しなかった原困、そしてケロッグ博士の息子にとって不運だったのはこの点だったのです。チンパンジーが子どもを模倣する以上に子どもがチンパンジーを模倣してしまったのです。

実験室内の見知らぬ同士の赤ちゃん二人が模倣しはじめるのは、ちょうど歩行しはじめる頃からです。はじめは同じ場所で同じ遊びをするだけです。一方がポールを手にすれば、他方もポールを手にします。もしポールが一つしかなければ、一人がもう一人から取り上げることもあります。

2歳ともなると模倣は精度を増し、子どもにとってさらに楽しい行為となります。部屋中を走りまわる、オモチャを両手にもって叩き合わせる、後ろに倒れる、テーブルをなめるといったおふざけを一人がはじめると、他方も同じ行為をはじめます。すると最初に遊んでいたほうはまたその行為を繰り返すか新たな行為を思いつくかして、いつしか「大将にならえ」がはじまるのです。こうした真似ごっこは何回か繰り返されるだけで終わりますが、その最中は両者ともたいへん楽しそうにその遊びに興じます。

2歳半になると動きだけでなく、言葉も使って遊びの調和をはかれるようになり、3歳ではおままごとのように、動きの調和だけでなく同じ事象を想像することも要求されるような遊びが可能となります。この時点に達すると、子どもたちはたんにお互いを模倣し合うだけではなくなります。それぞれが同じ空想の世界で違う役割を演ずるようになるのです。

他にも1歳から3歳までの間では、私たちは子どもたち同士で真の友情を築きはじめるのを見ることができるでしょう。複数の仲間との関係の作業モデルを形成し、そのうちの数人を他よりも好むようになるのです。保育園や託児所では子どもたちが毎日同じ仲間と遊んでいる姿が見られます。子どもたちの年齢に幅がある場合、こうした小グループは大まかに同年齢の子どもたちで形成される傾向にあります。年長の子どもたちは他に選択肢があれば、年下の子どもたちと遊ぶのを好まないからです。この小グループは同性のメンバーで構成される場合が多く、5歳にもなるとそのグループは完全に一つの性別だけになります。

不幸な生い立ち

46歳で心臓発作のため死去したウィリアムのおかれた状況は、母親には育てられましたが仲間とのつきあいがないままに成長したサルの状況と似ているとハリスは言います。成年に達したそのサルたちは、母親は不在ですが仲間たちと一緒に育てられたサル以上に異常行動が目立ちました。異常行動が最も多く観察されたのはもちろん、母親と仲間がともに不在の状況で育てられたサルです。幸いなことにそのようなケースは人間界では極端にまれです。思い浮かぶのはアヴェロンの野生児ヴィクトールと、生まれてからの13年間を小部屋の中で小さな椅子に縛られた状態で過ごしたカリフォルニアのジーニー、この二人です。

ヴィクトールもジーニーもまともではない大人に成長しました。それは親の愛情が欠如していたからなのでしょうか、遊び相手がいなかったからなのでしょうか、それとも生まれながらにして異常をかかえていたからなのでしょうか、それを知る術はないとハリスは言います。ただし、チェコスロヴァキアで行なわれたケーススタディがその手がかりを提供してくれると言います。ある双子の少年たちは誕生と同時に母親を亡くし孤児院に引き取られました。1歳を迎える頃、父親が再婚し、少年たちは家庭に戻りましたが、そこで待っていたのはシンデレラの継母よりもさらにひどい継母でした。その後6年間、少年たちは狭くて寒いクローゼットに入れられ、十分な栄養も与えられず、定期的に虐待も受けつづけました。7歳で保護されたときには歩くこともままならず、言語能力は平均的な2歳児よりも劣っていたそうです。それでも彼らは健全な大人へと成長しました。彼らは一般的な家庭に引き取られ、14歳ともなると公立学校に通学し、同級生にも十分ついていけるようになりました。彼らを調査した研究者によると、彼らには「異常を示す徴候も奇癖も見あたらない」と言っています。生まれてからの7年間、彼らは母親の愛情を知らずに育ち、また察するに、父親の愛情も知らなかったでしょう。それでも二人には、いつもお互いがあったのです。

双子は特異な境遇にあります。彼らには生まれたその日から同年齢の仲間がいるのです。もっとも彼らは生まれたその日から一緒に遊ぶわけではありません。同年齢の仲間と遊ぶには時間がかかります。以前紹介したように、見知らぬ者同士の二人の赤ちゃんが実験室に入れられると、お互いに興味はもつのですが、友だちになりたいという気持ちを伝えようとするその様子はぎごちなく、逆効果をまねくこともありました。初対面の相手の眼を指で突くのは、人間関係を構築する第一歩としては決して最善の策とはいえません。

赤ちゃんにとっては親やきょうだいと遊ぶ方が楽なのです。相手が年上であれば遊びを組み立ててくれるし、繰り返すことによって自分がどう動けばいいのかを教えてくれます。1歳の誕生日を迎える頃には、平均的なアメリカの赤ちゃんであれば、親と簡単な手遊びやいないいないバーをするようになります。同年齢の遊び仲間はそこまで親切でもなければ、理解があるわけでもありません。最上級の誠意をもってしても1歳児は同年齢の別の赤ちゃんとは遊べないのです。

神童の人生

神童と呼ばれる子どもたちがいます。神童は変わり者というイメージでとらえられることも多く、それはまんざら不当な評価ではなさそうだとハリスは言います。才能に恵まれた子どもはどこにでもいますが、彼らのことを指して言っているのではありません。彼らには問題はないと言います。ところが傑出した子、同年齢の子どもたちとはなんら共通点のないような子には社会的、情動的問題が生ずる可能性が高いようです。

その一例としてハリスはウィリアム・ジェイムズ・サイディスがたどった悲惨な人生を紹介しています。彼の親は著名な心理学者にあやかって命名した唯一の子どもでした。親は彼があまりに愛しく、自分たちの一生を彼の教育に捧げることにしました。ウィリアムが生まれたのは1898年、当時は教育熱が過剰で、どのような子どもでも正しい訓練をもってすれば天才になると権威ある人々が豪語していた時代でした。ウィリアムは18カ月で文章を読むようになり、6歳では数カ国語を読めるようになっていました。その年齢ではマサチューセッツ法の規定により学校に入学しなければなりませんでした。6カ月間で地元の公立学校の7学年次までを修了したため、親は彼を退学させ、その後の数年間は家で過ごしました。高校も3カ月在籍しただけで、その後の数年間をまた家で過ごしました。

11歳でウィリアム・ジェイムズ・サイディスはハーヴァード大学に入学。そのわずか数か月後にはハーヴァード数学クラブで「四次元物体」と題した講演を行ないました。少年の優れた才能に聴講者は舌を巻いたそうです。

これがウィリアムの人生最良のときでした。そこからは下り坂を転がり落ちるだけだったのです。16歳でハーヴァードの学士号を取得したものの、それが活用されることはありませんでした。大学院に1年間在籍したのち、ロースクールに進みましたが、いずれにおいても学位は取得していません。大学で数学の教鞭を執ることも決まりましたが、うまくはいきませんでした。「早熟ものは腐敗も早い」です。その話題を求めてリポーターたちがつきまといました。パパラッチの存在は彼に苦痛を与えましたが、それが彼の性格に奇癖をもたらしたとは考えにくいとハリスは分析します。

大人になるとウィリアムは親に背を向けるようになり、父親の葬儀にも姿を見せませんでした。さらに学問の世界とも決別しました。彼は残りの人生を、頭を使わない安月給の事務仕事を転々として過ごし、一生独身を通しました。趣味は路面電車の乗り継ぎ切符の収集でそれについての本も書きましたが、ある読者は「まさに本の歴史の中でもっともつまらない本」と評しました。晩年の彼と交流のあった人々の、彼の性格についての評価はさまざまだそうです。ある人は「彼には孤独な独り者にありがちな慢性的な悲痛さが漂っていた」と言い、別の人は「彼の極端な奇行の裏には子どもっぽい魅力があった」と評しました。ウィリアム・ジェイムズ・サイディスは46歳で心臓発作のため死去。そのときは無一文で完全な社会不適合状態に陥っていたそうです。無名な男性の孤独な死でした。

孤児院での生活

4歳以降に孤児院に入る子どもたちには、仮に残りの子ども時代を施設で過ごすことになったとしても、大人になってからの影響は少ないと言われています。戦争に踏みにじられたアフリカのエリトリアでは親を亡くした子どもたちが施設で保育されています。またさまざまな困難に直面しながらもどうにか親との同居を保っている子どもたちもいます。アメリカの研究者たちが、施設で暮らすエリトリアの孤児たちと、親と同居する子どもたちとの比較を行なった結果、両者の間には「臨床的に有意な違いは比較的少ない」ことがわかったそうです。唯一重大な違いは孤児たちの方が不幸であったということなのです。

親を亡くした子どもが不幸なのは当然のことです。ディヴィッド・モーンダーズというオーストラリアの研究者は、四歳までの4年間を除く子ども時代のうち、ほとんどもしくはすべてをオーストラリア、アメリカもしくはカナダの孤児院で過ごしたという数名の大人に話を聞いたそうです。孤児院での生活について彼が聞いた話はまるで小説『ジェーン・エア』の前半を読んでいるようだったそうです。

「施設に入ることで私は混乱し、一生忘れることのできない経験となったが、その移行をたやすいものにするための措置は何もとられなかった。そこでの生活は規律と体罰の連続だったが、最近になって多少それは軽減されたようだ。掃除、洗濯などは日課として課されていた。愛情や好意などまったく考えられなかった。」

これらの子どもたちは親の存在を経験した子どもたちで、自分たちが何を失ったかを認識しています。モーンダーズに協力した一人で、5歳の時に施設に入ったという男性はこう話したそうです。

「私は毎晩“明日の朝にはこの夢から覚めるだろう”そう思いながら眠りにつきました。そして朝目が覚めて、夢がまだ続いていることを知るのです。それでも毎晩同じことを繰り返していました。」

孤児院で育てられたこうした人たちの驚くべき点は、彼らがソフィー・ダンのいう「有意義な人生」を送っているということだとハリスは言います。夫がいる者もいれば、妻がいる者もいます。子どももいれば、キャリアもあります。子ども時代の大半は親不在でしたが、社会化は果たされていたのです。

養ってくれる大人はいても他の子どもとつきあう世間並みの機会に恵まれなかった人の話を見つけることは難しいようです。たとえば人里離れた農園で育てられた子どもにはたいてい相手となるきょうだいがいました。とはいえ、そのような子どもには社会性障害の兆候が徴少だがいくつか見られたそうです。また、昔ヨーロッパに君臨した王国の王子や王女が過ごしたであろう特異な子ども時代です。はたして彼らは健全な大人へと成長したと言えるでしょうか。他には不幸にも慢性的な障害のために外出できす、子ども時代を家の中だけで過ごした人もいます。青年となった彼らは、「心理的症状が出る危険性は高い」と報告されているそうです。

子ども同士の関係

精神分析学者ジークムント・フロイトの娘であったアンナ・フロイトは、ナチスの強制収容所から生還した六人の子どもたちの胸をうつような話を報告しています。ハリスは、とくにこの最後の文章にはいつも心がゆさぶられると言います。そして、こんな感想を述べています。「強制収容所を経験した幼い子どもが、自分が食べ物を口にすることよりも仲間の食事を気にかけるなんて!この子どもたちはそれぞれが相手に感じとった窮状に反応しているのだ。それはまるで永遠につづくおままごとのようなもの。それぞれが別の子のママやパパの役を演じながらも同時に実生活では赤ちゃんのアイデンティティを維持しているのだ。」

これらの子どもの姿は、私の園でも見られることです。0歳児から子ども集団の中で生活している子どもたちには、子ども同士の関係にこれと同じようなかかわりが見られるのです。

1982年、その6人が40歳になった頃、アメリカのある発達心理学者がアンナ・フロイトの後継者であるソフィー・ダンに強制収容所から生還した子どもたちのその後について手紙で問い合わせました。ダンからは、彼らは明らかにまっとうに成長し「有意義な人生を送っている」との返事が届いたそうです。

彼らがあらゆる困難に立ち向かいながらもまっとうな人生を歩むことができたのは、4歳前に永続的な愛着を形成することができたからだとハリスは言います。旧式の孤児院で人生最初の四年間を過ごした子どもは概してまっとうな人生を歩むことができません。孤児院にも愛着を形成しうる多くの子どもたちがいるのになぜ、というのが謎なのだとハリスは言います。ところが旧式の孤児院には子どもたちがお互いに愛着心をいだきすぎないようにとの明らかな配慮があったようです。養子先が決まれば子どもたちは離れていく、だからこそ子どもたち同士があまり仲良くなりすぎないようにするほうがいいのだ、と。子どもによかれと思ってのことでしょうが、それは親切の意味をはき違えていると言うのです。1990年代初めにアメリカの研究者が訪問したルーマニアの孤児院では、子どもたちは五つのグループに分かれ、それぞれに部屋が与えられて専属の保育者がついていました。ところが、研究者の報告によると子どものグループ替えは頻繁に行なわれていたそうです。つまり、愛着を形成できたとしてもしばらくするとそれも断たれてしまっていたのです。

孤児院で幼少時代を過ごした子どもが社会性に欠けることはないとハリスは言います。むしろ過剰なまでに人なつっこいのです。欠けているとすれば、親密な関係を築く能力だと言います。彼らは誰かを心から気遣うことができないようです。作業モデルが形成されるべき脳の部位がその形成方法を知らずにここまできたのか、それとも無駄だと判断して形成することもあきらめてしまったのかです。「使わなければダメになる」、この表現が最もふさわしく当てはまるのは老化傾向にある脳ではなく、発達中の脳なのだというのです。