戦いの勝者

横着者はささいな脅威にすぎませんでした。山の向こうにはより大きな危険が迫っていたのです。敵が兵力を結集していたのです。ジェーン・グドールは、こんな言葉を残しています。

「初期の戦闘行為は、知能とますます洗練されていく集団構成員間の協力とを発達させる淘汰圧になったのではないだろうか。ある集団の知能と協力態勢、そして勇敢さが増せば増すほど敵にもそれが要求されるようになることから、この過程はエスカレートされていく。」

都市エリコから煙が消えた時、横着者も協力者も分け隔てなく殺されました。臆病者も、勇敢な兵士も分け隔てなく命を落としました。こうした戦争で勝者に与えられるのは進化だとハリスは言います。彼らの戦法をどれだけ嘆いても、彼らこそが私たちの祖先となったのだというのです。

人類の祖先は、およそ600慢年前にチンパンジーとの共通祖先から分岐しました。600万年という年月は進化の過程としては決して長くはありません。人間と現生チンパンジー、「パン・トログロダイテス」とは96パーセントものDNAを共有する間柄です。人間とチンパンジーとのDNAレベルでの距離は鳥の近縁種であるアカメモズモドキとメジロモズモドキとの間よりも近いとハリスは言います。

新たな種の誕生には多くの遺伝子が必要なわけではないそうです。分類を決定する臨界期に組み合わせがわずかに変わるだけで、結果は大きく変化します。たとえば、人間の体毛の薄さに関連する遺伝子はごくわずかしかなく、進化の過程でも比較的短期間のことだったに違いないようです。人間の体にはサルと同数の毛穴がありますが、そのほとんどからはわずかな毛しか生えてこないそうです。メキシコのある家族では、そのうち何人かに顔中まぶたまで毛に覆われるという突然変異が起こる場合もあるそうですが、それを誘発しているのはたった一つの遺伝子だということがわかっているそうです。

人聞の直立歩行もまた比較的短期間で進化した特徴です。「アウストラロピテクス・アファレンシス」という、最初に化石として発見された「ルーシー」とその仲間たちの脳はチンパンジーの脳とほぼ同じ大きさで、しかも彼女たちは直立歩行していました。350万年前のアフリカでの話です。

形勢がおもしろくなってきたのは250万年前に「ホモ・ハビリス」が登場してからです。彼らの脳はそれまでの霊長類の脳よりもはるかに大きかったのです。道具をつくり、使用する能力をもっていたことから、器用な人という意味の「ホモ・ハビリス」と名づけられたのですが、後になってわかったそうですが、彼らは道具を使ったはじめての霊長類ではありませんでした。チンパンジーも石を武器にし、実を割るときにもそれを使います。さらに用意された木の枝を使ってシロアリ釣りもします。

次に登場したのが、150万年前の「ホモ・エレクトゥス」です。資料によってはエレクトゥスをハビリスと同系統と位置づけているものもあるそうですが、状况はそれほど単純なものではないようです。ヒト科、そして前ヒト科の多くが過去600万年間、アフリカとの往来を繰り返していたからです。残された数本の骨からだけでは、どの種がどの種の系統をひくのか、どの種が絶減したのかを見分けることは難しく、実際にはほとんどが絶滅していたのです。

利己的

「利己的な遺伝子」論とも呼ばれているこの考え方は、進化するものは利己的でなければならないとの印象を与えかねません。生物学者リチャード・ドーキンスは次のように訴えました。

「もしあなたが、私と同様に、個人個人が共通の利益に向かって寛大に非利己的に協力しあうような社会を築きたいと考えるのであれば、生物学的本性はほとんど頼りにならぬということを警告しておこう。われわれが利己的に生まれついている以上、われわれは寛大さと利他主義を教えることを試みてみようではないか。」(日高敏隆他訳『利己的な遺伝子』紀伊國屋書店)

しかし、利己的な遺伝子を保有するからといって、利己的な存在であるとは言えません。遺伝子はまぎれもなく利己的であっても、その遺伝子の進化過程で生き延びるために必要とされれば、その中に立派な利他主義者をつくり出す指令が組みこまれることになるというのです。

人類は立派な利他主義者でもなければ、まったくの殺し好きのサルでもありません。実際にはそれぞれを少しずつもち合わせているのだと言います。だからこそアシュレイ・モンタギューのように人間を、愛と平和の象徴であるフラワーチャイルドとして描く者もいれば、リチャード・ランハムのように人間は殺すために生まれてきたとする者もいます。人間がどのような存在であるか、それは人間のどの行動を見るか、自分の所属集団の個々人に向けられた行動か、それとも別集団に向けられた行動かによって評価されます。数百万年もの間、自分と子どもたちの生活は自分と同じ集団のメンバーによって支えられてきました。だからこそ人間は生まれながらにして彼らには親切なのです。そして600万年の歴史によって人類は別集団のメンバーは危険な存在だと教えられました。だからこそ別集団に対しては生まれながらにして敵対心をいだくのだと言います。

戦闘中は自分と同じ集団のメンバーは盟友であり、武装した戦友でもあります。戦いの合間には食料や魅力的な相手を求めて競い合いました。よい時にも、悪い時にも互いに協力し合いました。それを利他行動と呼ぶことができるのかもしれませんが、結局は協力こそが生き延びるコツだったのです。明日手伝ってくれるのなら、今日私があなたを助けましょう。このようなシステムにおいては概して横着者が出現するものです。恩を受けるだけ受けて、それに報いません。しかし心は道具や武器を考案するためだけのものではありません。数千年もの間に人間は彼らを警戒することを覚えました。そしてそのような連中に警戒するようにと友人に忠告することさえできるようになりました。その間横着者の側もその巧みさを増していきます。横着者を見抜く方法を思い描いている間にも、彼らは私たちの考案した探知法の裏をかくような方法を編み出していました。それによって次にはその探知法の裏の裏をかく手段が生み出されることになります。この連鎖を「頭脳戦」と呼ぶ者もいるそうです。

殺戮

進化生物学者ジャレド・ダイアモンドは、集団間闘争は数百万年間にわたって、人類および先人類の遺産の一部であり続けたと述べました。霊長類学者リチャード・ランハムもその考えに同調した一人だそうです。彼は私たち人類の祖先は現生チンパンジーに容姿も行動も似ていて、現生チンパンジーと同じ祖先をもつ霊長類であると考えています。共通の祖先をもつからこそ、チンパンジーと人間はそれぞれの生活様式が似ているのだと説明しているそうです。人間もチンパンジーもその集団で生まれたオスの連帯に守られながら生活します。もしくは、生活していました。メスは出産が可能な年齢に達すると別の集団へ移ります。いずれの種においても、オスのアライアンスは領地を守るだけでなく、近隣社会への襲撃を誘発することにもなったのです。近隣社会への襲撃は、より広い領地を求めること、もしくはより多くのメスを求めることが当初の目的でしたが、一度闘争が始まると、当初の目的は簿れ、永遠につづく戦いが展開されます。闘争がはじまってしまえば、近隣の民を殺すための新しくて明確な動機が生まれます。殺される前に殺せ、だとハリスは推測します。

600万年もの進化の過程を経て、人類はチンパンジーに似た祖先とは別の生命体として生きるようになりました。しかもその600万年もの間、正確には最後のわずかな期間を除き、人類はチンパンジーと同じような生活を送ってきました。人類は男性の場合は血縁集団、もしくは女性の場合は配偶者の血縁集団で構成される小集団で生活し、同じ集団のメンパーたちに守られながら生活します。私たち人類は孤立して生活するようにはできていません。菜食中心の食生活もまもなく肉食中心へと変わっていったのですが、肉が手に入れば集団内で分け合いました。そしてその600万年もの間、私たちは近隣社会と戦いつづけてきました。勝利した集団は拡大し、それが分裂し、いずれまた分裂した社会同士で戦いが勃発します。一方の集団が追いこまれ、殲滅されることありました。ジャレド・ダイアモンドは、「私たち人間のあらゆる本性の中で、動物の先駆者からもっとも直接的に受け継いでいる本性が、集団殺戮=ジェノサイドなのです」と言っています。

とはいえ、私たち人類は単なる殺し好きなサルではないとハリスは言います。純良な人間でもあるのです。ダーウィンは「野蛮な人聞でも自分の命をかけて同じ集団のメンバーを守る」と言ったそうです。野蛮な人間が自分の命をかけた結果、命を落としてしまえば、その人間はたちまちダーウィンの言うところの「不適」な個体とみなされます。そして彼の行動が次のように説明されるのです。「自分の命をかけて所属する集団を守った人間はその行動によって、自分のもつ遺伝子のうち50パーセントを共有するきょうだいや子どもたちの生命を守ったことになる。適合度は個体が高齢まで生き延びられるか否かではなく、遺伝子が順調に増殖できるかどうかで測られる。だからこそ近縁関係にある個体に対して利他行動をとるという現象は十分理にかなっているのだ。」

「利己的な遺伝子」論とも呼ばれているこの考え方は、進化するものは利己的でなければならないとの印象を与えかねません。この考え方の普及に尽力した者でさえ、時としてそのような印象をいだいてしまうことがありました。

戦い

1976年にアシュレイ・モンタギューが「戦争を仕掛ける本能などは存在しない」と言いました。当時、「戦争」という単語は悪評高き言葉とされていました。まるで二つが両立しえないものであるかのように、人々は代わりに愛の大切さを熱心に説いたのです。しかしモンタギューが本当に嫌っていたのは「本能」という単語だったとハリスは言います。長い間この言語は流行遅れだとされてきましたが、今日この単語には復興の兆しが見えるともハリスは言うのです。心理言語学者スティーヴン・ピンカーは彼の優れた著書である『言語を生みだす本能』のタイトルにさえこの単語を使っているそうです。ならば、今一度、人間には戦争を起こす本能があり、それは私たちの祖先である霊長類から受け継がれたものである、という仮説を再検証してみようとハリスは提案しています。

ジェーン・グドールはこの仮説を真剣に検討し、「本能」という単語を直接使わず「前適応」という単語を使ってはいますが、その仮説が道理にかなっていると彼女が考えていることは明らかだったとハリスは分析しています。彼女が指摘するところでは、チンパンジー社会は戦争が起きるのに必要な「前適応」した行動である、集団生活、なわばり意識、狩猟の技術、そしてよそものに対する嫌悪感などがすべて揃っているといいます。さらにオスのチンパンジーは集団間闘争をたいへん魅力的なものと感じているようだと彼女は言っています。彼らは「生得的に暴力行為に魅力を感じ、とりわけ近隣社会に向けられた攻撃には強い魅力を感じる」ようだと言うのです。グドールは、このような特性は人類がより複雑な戦闘行為を志向することの生物学的基盤を成しているのではないかと考えているようです。

学者の中には、殺し好きのサルである人間と社交好きな人間との大きなギャップを前に尻ごみしてしまう者もいると言います。チャールズ・ダーウインはそれに惑わされなかった一人だとハリスは言います。彼は、著書「人間に由来」(長谷川眞理子訳)の中でこう言っているそうです。

「ほとんどの人は、人間が社会的動物であることを認めるだろう。人間は孤独を嫌うし、家族の枠を越えて社会的なつきあいをしたいと望むことからも、それは明らかである。独房に閉じ込めることは、最も厳しい罰の一つである。…隣接する地域に住んでいる部族どうしはほとんど常に戦争状態にあると言っても、それは未開人たちが社会的動物であることの反証にはならない。なぜなら、社会的本能は、同種に属するすべての個体に拡張されることは決してないからだ。」

確かにある種に属するすべての個々人に社会的本能が向けられることはないと言います。同じ部隊、部族、共同体、国、民族に属するメンバーにだけ向けられるのです。シナイ山で授けられた戒め、「汝、人を殺すべからず」もヨシュアを止めることはできませんでした。ヨシュアはエリコ、アイ、マケダ、リブナ、ラキシュそしてエグロンの住民を無差別に虐殺したのです。神がそれを許さないとはヨシュアは考えもしなかったのです。

エリコやトロイそしてボスニア、ルワンダにいたるまで、歴史にはこうした戦争が数多く刻まれています。そして戦闘行為、敵を虐殺するといった行為に関しては、人類がその勝利を書き記すことを学ぶ前からその術に熟達していたことが考古学的に立証されています。進化生物学者ジャレド・ダイアモンドは、集団間闘争は「数百万年間にわたって、人類および先人類の遺産の一部であり続けました」と述べているそうです。

よそ者や見知らぬもの

チンパンジーは見知らぬものも好まないようです。グドールが観察していたチンパンジーの群れでポリオが流行し、マグレガーという名の年配のオスはその体の一部分に麻痺が残りました。彼が、しばらくは森の中で孤立して時を過ごしていたのち、足を引きずりながら群れに戻ったとき、昔の相棒たちは彼を歓迎しなかったそうです。はじめは彼を恐れていたが、しばらくするとその恐怖心が敵意へと変わり、健康なオスが一頭彼に襲いかかったそうです。その不自由な体を殴られながら、マグレガーは無力にも体をすくませることしかできなかったそうです。別のオスが太い枝を振りまわしながらマグレガーに突進しようとしたとき、グドールは居ても立ってもいられず、仲裁に入りました。他のチンパンジーは最後にはマグレガーの奇妙な動きにも慣れましたが、彼は二度と上位のオスとしては認められることはなく、チンパンジーの社会的行動のなかでも重要であるとされるグルーミングの輪にも歓迎されることはなかったそうです。

社会的にはチンパンジーと私たちは多くの点で類似しています。同じ欠点をもち、同じ長所ももっています。人聞同様、自分たちの住む世界を〈われわれ〉と〈彼ら〉に分けます。見慣れた個体でさえ、それが〈われわれ〉の一味でなくなり、〈彼ら〉の一員となれば、襲撃の対象となります。グドールが目撃した最も残忍な襲撃は「攻撃を仕掛けた連中にとってはまったくのよそものではない個体に対して向けられた」ものだったそうです。被害者となったのは、新興のカハマ集団で、長年強い結東のもとで行動をともにしていたより大きなカサケラ集団から分離独立した集団でした。しばらくは両集団とも相互に友好的なかかわり合いをもつこともあったそうですが、いずれそれもなくなり、お互いを避けるようになったそうです。偶然にも出会った場合にはお互い闘争心をむぎ出しにしたそうです。彼らは隣り合い、しかも多少重複する領域を繝張りとしていた集団でした。

両集団のメンバーが友好的な関係を絶ってからおよそ一年が経とうとしていた頃、カサケラ集団が新興のカハマ集団に対してはじめて攻撃を仕掛けました。まずはカサケラ集団のチンパーが八頭、カハマ集団の領域目指して南方に向けて出発しました。彼らは木々の間をすばやく、そして静かに突ぎ進んでいきました。通常チンパンジーはたいへん騒々しい動物にもかかわらずです。その後のことをこう記しています。

「突然、木の上で採食中のゴディ(カハマ)に出くわした。彼はさっと木から飛び降りて逃げたが、ハンフリー、ジョメオ、そしてフィガン(ともにカサケラ)が三頭肩を並べてすぐ後ろに迫っていた。他の連中もそれにつづいていた。まずハンフリーがゴディの足を握って地面に引き倒した。そしてゴディの頭の上に座りこんで、両手でゴディの両足をもち、そのまま地面に押さえつけたのだ。他のチンパンジーがゴディに襲いかかっている間ハンフリーはその姿勢を崩さなかった。コディは逃げることも、身を守ることもまったくできなかった。」

重傷を負ったチンパンジーに対して大きな石を投げつけた後、カサケラ集団のチンパンジーたちは立ち去ったのです。その後ゴディの姿を見かけるものはいなかったことから察するに、おそらく怪我が原囚で命を落としてしまったのだろうと思われます。

野生チンパンジーの観察

ジェーン・グドーは、野生チンパンジーを観察して、チンパンジーが敏感で情の厚い、友好的な集団であることをみつけました。少なくともそれがチンパンジーの第一印象だと言います。子ザルたちは陽気にじゃれ合い、大人のサルは互いにグルーミングを行ない、井戸端会議に興じます。小集団は離合集散が激しく、構成メンバーが四六時中入れ替わるそうです。しばらく顔を合わせなかった二頭が抱き合い、キスを交換しあい、互いを歓迎します。不安なとき、チンパンジーは手をつないで、お互いの肩をかるく叩く安心付与行動をとるそうです。アフリカに生息するカモシカの一種であるブッシュバックやヒヒの赤ちゃんを狩ることに成功すれば、他のチンパンジーは手をいっぱいに差し出しながら優秀なハンターの周りに集い、それぞれが獲物の分け前にありつくそうです。

権力闘争も確かにありますが、それによって死にいたることはまずないそうです。大概は敗者が勝者に許しを請い、勝者が慈悲深くそれを受け入れることで決着するそうです。セックスが原因で憎悪が芽生えることも驚くほど少ないそうです。メスは言い寄るオスを拒みません。上位のオスが特定のメスを独占しようとする場合もあるそうですが、それがねらいどおりにいくとは限りません。そのメスの一番のお気に入りになれればいい方です。ジェーン・グドー観察していたチンパンジーの群れで、フローと名づけた人気のあるメスが発情したときの様子を、グドーは「オスが順番を待つ様子は押し合いへし合いで、まるでニューヨークの地下鉄を利用する通勤客を見ているようだった」と描写しています。

こうした事情から、誰が誰の父親であるかはわからないそうです。オスのチンパンジーは自分の子孫の育児にはまったくかかわりませんが、集団内の幼いメンバーに対しては公平で、情け深い態度で接するそうです。その一方で、母ザルと子ザルとの関係はたいへん親密で、それが一生つづく場合が多いそうです。メスのチンパンジーは、人間の女性、および男性同様、その母性の程度にばらつきがありますが、慨して子どもには甘いそうです。きょうだい関係もまた親密で永続的です。母親を亡くした幼いチンパンジーが年長の、しかもオスのきょうだいに養われることもあるそうです。

しかし、チンパンジーが友好的な態度を見せる範囲にも境界はあります。友好的な態度は同じ集団のメンバーの身に向けられるようです。チンパンジーは集団生活を営む動物であり、その集団は通常は同じ領域に生息する30頭から50頭で構成されているそうです。集団全体が一堂に会することはないそうですが、全員が顔なじみで、その多くが血縁関係ですが、よそ者が入りこめば、一目でそれとわかるようです。

チンパンジーはよそ者を好みません。群れ落ちしたチンパンジーや別の集団に属する個体が碩域内に迷いこんできたら、発情期のメスでないかぎり襲撃の対象となります。赤ちゃんをかかえるメスや発情していないメスは間違いなく襲撃され、赤ちゃんも殺され、餌食にされてしまうことさえあるそうです。

言語というものの目的

3歳や4歳になると人間の子どもは人の視線の方向や顔の表情からその人が何を考えているかを推測するようになります。もしある人がもの欲しそうにキャンディバーを見つめている姿を見れば、四歳児はその人はそれを食べたいのだと論理的に考えます。うつろな表情で宙を見つめている人を見て、四歳児はその人は考え中だと言います。私たちはこのように心を読む能力を当然のものとして考えてきてしまったため、発達心理学者がこの能力に着目するようになるにはかなりの時間を要したそうです。それからまもなくして、発達心理学者たちは特定の子どもたちにはこの能力が欠けていることに気づきました。自閉症の子どもたちは目が心を映す窓であることに気づきません。それどころか、彼らは他人にも心があるということも認識していないようです。すなわち自閉症の子どもたちには心の理論が欠けているのだとハリスは言います。イギリスの発達心理学者サイモン・バロン=コーエンはこの欠如を「マインドプラインドネス」と呼んでいます。

またイギリスの別の発達心理学者アネット・カーミロフ=スミスは、自閉症とまれに見られる知的障害であるウィリアムズ症候群との比較を行ないました。ウィリアムズ症候群という先天性の病気をかかえる子どもには独特の顔の造作と知的障害が見られます。鼻は上向きでほっぺたがぽちゃっとした妖精のような顔立ちです。しかし脳は同年代の正常な子どもよりも20パーセント小さく、知能指数もきわめて低いようです。これらの子どもたちは靴紐を結べず、絵を描くことができず、ごく簡単な計算問題もできません。その一方でカーミロフ=スミスや同僚たちの報告によると、彼らは驚くほど言語感覚に優れ、社交的で、他人とも仲よくやっていけると言います。知能は低いのですが、心の理論が欠如しているわけではないのです。他人の情動に敏感で、顔や目を見るだけでその人の考えていることを察知することができます。自閉症の子どもたちとは異なり、ウィリアムズ症候群の子どもたちは相手がふざけているのか、皮肉っているのかを判別することができることがわかりました。

ウィリアムズ症候群の子どもたちには備わっていて、自閉症の子どもたちにはないものです。カーミロフ=スミスが「社会的モジュール」と呼ぶそれは、脳の中でも社会的刺激や社会的行動を司る分野です。自閉症の人たちが、話せるようになっても意思疎通が難しいというような言語で四苦八苦するのは、言語というものの目的が、人の心に思いを伝えることであり人の心から思いを引き出すことにあることを、彼らが理解できないからなのです。

チンパンジーと自閉症児とは違います。チンパンジーはむしろウィリアムズ症候群の子どもに似ていると言われています。グアは親代わりであった人間の顔の表情や視線の方向にたいへん敏感でした。いたずらをしようとするときには親代わりであった人間が自分を見ていないかどうかを確かめてから行動したのです。彼らの表情に不快さを読みとれば、その行為をすぐに中断しました。進化の過程において同じ種に属する他の個体と生活をともにすることに適応した生命体であれば、このようになんらかの社会的モジュールが必要となります。チンパンジーの社会生態は私たちの社会同様、複雑なのだとハリスは言います。

言語の役割

言語が担う役割の一つに、他人の頭の中につながる直通電話線の役割があると言われています。とはいえ、心の理論は電話線からはじまるのではありません。心の奥底を映し出す窓である目からはじまるのだとハリスは言います。人が何を考えているのかを察知する能力は生まれて間もない頃にはじめて親と目を合わせたときから育まれることがわかっています。赤ちゃんは生後六週間くらいで親と目を合わせるようになるのです。正常な赤ちゃんであれば生まれて間もない頃から見られていることに気づくので、その能力は生得的なものだと考えられています。赤ちゃんは母親と目が合うと微笑み返しますが、あまり長い時間母親に見つめられると、顔を背けてしまいます。目を合わせる時間が長くなると赤ちゃんは落ち着かなくなるのです。

はじめての誕生日を迎える頃には、相手が自分以外を見ているときにその人が何を見ているかを察することができるようになると言われています。未知のものを見る母親の表情を観察することによって、赤ちゃんはその物体に手を伸ばしていいのか、それとも避けるべきかを判断します。もし母親が心配そうな表情を見せれば、その物体を避けるようになるのです。見知らぬ人と話す母親の表情を見ることによって、その人が敵か味方かを判断するのです。もし判断がつかないうちに見知らぬ人に長く見つめられると、おそらく赤ちゃんは顔を背けるでしょう。その段階で見知らぬ人が赤ちゃんを抱き上げようとすれば、赤ちゃんは抵抗し、恐怖で泣き叫ぶことになります。このことは、私は以前講演でよく話しました。社会的参照ともいえるもので、自分自らの体験が少ない赤ちゃんにとって、そのものへの判断は、信頼している人の視線、表情から判断するのです。これは、子どもの食の好き嫌いに関してもいえます。子どもにとって、そのものがおいしいのかまずいのか、というよりも安全な食べのものか、危険な食べものかを、信頼する人が食べた時の表情を見て判断していると言われています。たしかに、それは、他人との会話かもしれません。

一歳半ともなると、母親がある単語を発するときに何を見ているかを幼児は観察するようになります。母親の発した単語が母親の見ているものを意味しているのだろうと幼児は推測するのです。自分が何かを指さしたときに、母親がそれを見たかどうかを確認するようにもなります。あるものに相手の注意を向けようとしてそのものを指さす習性は人間に特有のものだということは、再三ブログでも紹介しました。サルの環境で育てられたチンパンジーにはこのような習性は見られません。人間の環境で育てられたチンパンジーにさえ、この習性はほとんど見られないそうです。幼いチンパンジーに手話を教え、それによる意思疎通が可能かどうかを調べた心理学者ハーバート・テラスは次のように述べています。

「ある物体に対する幼い赤ちゃんザルの反応で明らかに欠けていたのは、人間の乳児がある物体を熟視し、それを知覚的に親と共有したときに見せる至福の表情である。赤ちゃんザルが別のサルや親の代わりを務める人間に対してある物体を認識したということだけを伝える習性がサルにも存在することを示唆する証拠は何一つない。」

サルとの区別

ハリスが紹介する事例、ハリスが考察する内容、どれをとっても、私にとってわくわくするものばかりです。それは、私が考えていることをまさになぞってくれるからです。その点では、他にも最近の研究には、大いに刺激されます。過去の研究の中で、実際の子どもと乖離している部分、疑問に思う点、様々なつっかえが、これらの研究、考察によって取れていくのを感じます。

さらにハリスはこう考えます。もしグアが動物園に戻らなければ、ドナルドの英語はどうなっていたでしょうか?もちろん、話せるようにはなったでしょう。以前紹介したアメリカに移住した直後の親を持つ子、聾者の子どもについての例があります。これらの子どたちは家庭では英語を使いませんでした。しかし、彼らは家庭の外で英語を身につけたのです。おそらく同じことがドナルドにも起こり得たのでしょう。もし親と意思疎通を図るために英語が必要でなくても、近所の子どもたちと意思疎通を図るためにそれを身につけることになったでしょう。ドナルドの社会範囲が拡がり、グア以外の遊び友だちとも接触するようになれば、彼は家庭以外の場所では誰もチンパンジー語を話さないということに気づいたでしょうから。

しかし言語だけが人間とサルとを区別しているのではありません。19カ月でようやく芽生えはじめた違いの中には、同様に重要で興味深いものもあります。人間の子どものもつ認知能力を研究している心理学者たちの間でとくに注目を集めているのが「心の理論」なのです。

これらの研究者たちによると、子どもは四歳になる頃には心の理論が形成されているといいます。自分には、心というものがあり、他人もまた同じく心をもっていることを子ど自身が理解する、それが心の理論です。自分の心の中には考えや信念がぎっしりとつまっており、他人もまた考えや信念をいだいていると推測します。さらにそれらの考えや信念が必ずしも正しいとは限らない、間違った信念をいだくこともあるということを彼らは理解しています。それどころか自分の裁量次第で他人に間違った情報を与え、その結果その人に間違った信念をいだかせることができることも彼らは知っています。これを理解できたとき、子どもははじめて意図的に嘘をつくようになるのです。

心の理論は歳を重ねるごとに複雑化していきます。人の行動はある事象そのものではなく、その人の考えやかかる事象に関していだいている感情によって決定されること、そして個人がとる行動を予測するためにはその人が何を考え、何を思っているかを知る必要がある、と私たち大人は承知しています。他人が何を考え、何を思っているかを洞察することを専門とする人もいますが、素人でもそれは十分可能なのです。なぜなら自分の心の中身を隠そうとする人はまずいないからです。それどころか、人は常に自分の考えや感じたことを口にします。言語が担う役割の一つに、他人の頭の中につながる直通電話線の役割があると言われています。それによって相手が何を考えているのか、はるかに簡単に見抜くことができるのです。その一方で、もし誰かが私たちを欺こうと企めば、言語はいとも簡単にそれを実現してしまうのです。

サルを真似る

ケロッグ夫妻は、チンパンジーのグアと人間の男の子のドナルドを同時に同じ環境で育てた結果、発達において両者の差はほとんどありませんでした。帰って、ゴアの方が進んでいた部分もあったくらいでした。しかし、たった一点だけ、人間の男の子の方が明らかに勝っていた点があったそうです。模倣に関してはドナルドの方が上だったのです。これは、ブログでも紹介したように、も穂に関しては人間の特徴であるということがわかっていますが、この結果に、意外に思う人が多いのではないかとハリスは言います。オランダの動物園でチンパンジーと人間の来場者の観察をつづけたオランダ人霊長類学者フランス・ドゥ=ヴァールによると、「一般に信じられていることとは異なり、人間がサルを真似ることの方がその逆よりも多いのです」と言っています。

ドナルドとグアの場合もまさにそのとおりでした。実際、新しいオモチャにチャレンジしたり、遊び方を見つけだすのはいつもグアの方でした。人間はというと、それを真似て追従するばかりでした。これは、ドナルドの知能が低かったからではないかという疑問があるかもしれませんが、ドナルドは、後にハーヴァード・メディカル・スクールを卒業しているそうです。

この試みは、最初の意図とは違って、非常に興味深い結果になったようです。人間特有の模倣して学習するという能力が、結果的に人間がチンパンジーをまねして、人間がサル化していったようです。こうしてドナルドにもグアの悪癖である柱を噛む癖が見られるようになり、チンパンジー語をいくつも覚えていきました。その一つが採食の咆哮だったそうです。14カ月の息子がオレンジを手に「ウーウー」とうなったときにはルエラ・ケロッグはどう思ったでしょう。平均的なアメリカの子どもであれば、19カ月ともなると50以上の単語を発し、二語文を遣いはじめる時期です。その同じ19カ月のドナルドが話す英語の単語はわずかに三つだけ。この時点で実験は打ち切られ、グアは動物園へと戻っていったそうです。

ケロッグ夫妻はサルを訓練して人間のように育てようとしました。ところが、グアが息子をサルのように調教した形となってしまったのです。彼らの実験からは、チンパンジーの習性よりも人間の習性について多く知ることができますが、少なくとも生まれてから19カ月間では、サルと人間の距離がいかに近いかを思い知らされることになったのです。そこでハリスは、19カ月以降に見られるチンパンジーと人間の習性の違い、そしてその後も残存する類似性について考察しています。

子どもがどんな大人になるかを決定する要因は何か。この問いへのハリスの答え、すなわち子育て神話の代替案として彼女が提示しようとしている考え方は、子どもの心とは何かを考慮することを基本としていて、それにはとりもなおさす私たち人間の進化の歴史を振り返ってみることが必要であるということでした。ハリスは、こんな思いを抱いています。「今こそ時機到来、必要に迫られてのことではあるが、楽しんで人類の進化の過程を旅しようではないか。そこでの話は揣摩臆測が色濃くなり、おそらく推論的になるだろう。しかしそれでもかまわない。人類の進化の歴史については他の執筆者だって結局は推測するしかないのだから、私もそうさせてもらおう。たたし、これだけは断言しよう。私の考え方は決して推論に基づいているものではない。」