臥竜塾
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藤森平司ブログ 保育ブログ from保育環境研究所ギビングツリー
ja
2010-03-11T23:33:43+09:00
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協働
http://www.caguya.co.jp/blog_hoiku/archives/2010/03/post_1560.html
最近、私は人の遺伝子は社会を形成するために様々なものが組み込まれている気がしています。それは、現在、人間が持っている特性を見ても、集団を形成することに適しています。そして、その集団は、競うためにあるのではなく、共生し、協力するために必要だったはずです。しかし、いつもの間にか、競争社会と言われ、人に勝つこと、人より抜きんでることが目標になり、そうなることによって一つの価値観での競争になっていっています。人それぞれがいて社会なはずが、同じようなことを全員一斉にやり、その中で競争させられています。もう一度、それぞれの役割の中で、協力したり、協働していく社会をつくらないといけない気がします。
昨日紹介した記事の中で、フィンランドに留学した庄井氏がその時の体験を話しています。「1990年代の終わりごろ、フィンランドに留学した。現地で思い出すのは、保育園で行われていた昔語りだ。テンションを上げる必要はない。話は静かに始まり、子供たちも静かに集まって車座になる。各家庭でも、子供が思春期になるまで、ベッドサイドで親が読み語りをするのが普通だ。この国では、物語を語る人と聞く人との間に、私たちが忘れかけていた原風景がある。人が語る言葉にはそれぞれに人生の重みがある。語り合うことで、人と人との知恵が重なり、新しい物を生み出す力が発揮される。これが、教育大国フィンランドの社会的土台にある、人と人とのコラボレーション(協働)だと、私は考えている。」
このようにフィンランドでは、子供と親が、子供と教師が、そして子供たち同士が対話し、「ともに学び合う」ことをとても大切にしているそうです。そして、フィンランドの子供は、競争で人に勝つといったことに余計なエネルギーを使いません。「3か月前と比べてここは伸びてきた」「ここは持ち味だから頑張ろう」「ここは苦手だけど先生が応援してくれるから頑張ろう」。それぞれが自分の人生を豊かにするために学んでいるのです。
先日、私の園が行った「成長展」は、「今、子どもがどんな作品を作れるか」ではなく、「どんな作品が作れるようになってきたか」というように、子どもの姿をデジタルで見せるのではなく、アナログで見せようという試みです。また、一人ひとりの違いを大切にするような展示を心がけています。どうしても親は他の子と比べたがるのですが、この成長展では、わが子の成長を確認するために、それをクイズ形式にして見ていくようにします。ある保護者が私の姿を見つけると、「私は、とても優秀な成績でした。」と自慢してきたので、「おかあさんは、よく子どもを見ているからですね」と喜んであげました。
庄井氏は、インタビューに「フィンランドの高校生に一番人気の職業は、医者でも弁護士でもなく教師だ。教育系の大学の入学者は、長い面接と集団討論を経て、選抜される。採用に当たっても、総合的な力が重視される。困難にぶつかった時に一人で抱え込まず、共同で解決する力もその一つだ。日本で教師が困難にぶつかったら、教師の自己責任になる。教師はなるべく問題が起こらないように振る舞い、子供たちもなるべく間違わないよう、いつも成功するよう、という空気を感じて生きている。これでは子供の隠された能力が発揮できない。」と答えています。
フィンランドの子どもたちは、失敗しても、その子を責めることはせず、つまずいても失敗しても、それが人間の生きる姿だとおおらかに認めながら、人と人が頭を寄せ合って事を解決していきます。日本では、今、学力レベルは低く、いじめ、不登校も多いなかで根本的な改革が求められています。
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近頃思うこと
fujimori
2010-03-11T23:33:43+09:00
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内的
http://www.caguya.co.jp/blog_hoiku/archives/2010/03/post_1559.html
フィンランドの「キッズスキル」という手法をいくつか紹介しましたが、また、どこかで残りのステップが紹介できたらと思っています。このように、フィンランドの取り組みはとても参考になることが多いのですが、それだけではなく、その取り組みから、子どもたちにどんな力をつけていくのか、そのためにどんな教育方法がとられているのかという点でとても参考になることが多くあります。

読売新聞より
そのひとつに、「起業家精神教育」というものがあります。それについて、昨年の夏ころに、第15回「よみうりほっと茶論」の中で、東海大国際文化学部教授の川崎一彦さんと北海道教育大教授の庄井良信さんが、紹介していました。
今や、世界の中では、製造業では中国が大躍進をし、いわゆる先進国は製造業から「知業」へ移行しています。知業とはソフトや情報、デザイン、ブランドなどの知的財産を生み出す産業です。この発想の転換に日本は乗り遅れている感があります。フィンランドでは90年代前半に当時最大の貿易相手国だった旧ソ連が崩壊し、不況に陥りました。しかし、90年代後半には、戦後最大の経済成長を遂げたのです。それは、一言で言えば、知業化が進んだためであり、そのための教育をしてきたからだと言われています。そのための教育のひとつが「起業家精神教育」なのです。
フィンランドでは80年代から、起業家精神を「外的」「内的」の二つに分けて考えるようになったそうです。外的起業家精神とは物やサービスの提供で付加価値を創造することで、いわゆる日本でよく言われるような起業家精神というものです。それに対して、内的起業家精神とは、創造性や自信、柔軟性、活動、勇気、イニシアチブ、リスク管理、協調性など、起業家としての資質を言います。この内的起業家精神をつけていこうという教育です。その教育は、フィンランドでは、「大企業に勤めようが公務員であろうが、必要になる」と早くから考えられていて、教育省も就学前の早い段階からこの精神を学ばせる必要性を認識していたと言われています。
今、世界では乳幼児教育が、教育では最優先に考えられはじめていますが、この取り組みも幼児教育の一環として取り組まれています。川崎教授の話では、東海大付属の小中高校では、このフィンランドモデルの教育を実践しているそうです。具体的には、中学生にオリジナルの札幌ツアーを企画させたり、自分たちの校舎の新しいデザインを考えさせたり、付属幼稚園では車を作るプロジェクトをさせたりもしました。この試みは、創造的で勇気があって、目的意識が明確で、協調的で根気強く、ほかの子とうまくやっていける――そんな子供を育てることを目指していると言います。
この「内的起業家精神教育」は北欧諸国に共通したものかどうかというインタビューに対して、川崎氏は、「この言葉は1980年代にフィンランドで初めて使われ始めた。90年代にはスウェーデンなどにも広がり、一般的に使われている。フィンランド以外の国は、まだ結果を立証できる段階になく、PISAの順位表の上位には現れていない。しかし、保育園から大学までスウェーデンで教育を受けた私の子供を見ていても、日本に比べ、向こうでは「考えさせる教育」が行われている。」と答えています。
これからの学力が「コミュニケーション能力」「問題解決能力」のほかに、「創造性」「自信」「柔軟性」「活動」「勇気」「イニシアチブ」「リスク管理」「協調性」などが必要になってくるでしょう。
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近頃思うこと
fujimori
2010-03-10T22:53:08+09:00
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試験科目
http://www.caguya.co.jp/blog_hoiku/archives/2010/03/post_1558.html
保育園で保育者になるのは「保育士」という資格が必要です。この資格は、養成校を卒業すればとれるのですが、もうひとつは、受験資格がある程度必要ですが、「保育士試験」に合格すれば資格が与えられます。今年の受験の手引き(受験申請書)請求の受け付け、申し込みの発送開始がもうすぐ4月1日から行われます。試験は、筆記試験が8月7日(土)・8日(日)で、試験科目は、「社会福祉」「児童福祉」「発達心理学及び精神保健」「小児保健」「小児栄養」「保育原理」「教育原理及び養護原理」「保育実習理論」の8科目です。試験内容を見ると、保育士に求められているものがどんなものなのかがわかりますが、実際に現場にいると、それって、必要かな?と思ってしまうものも多くあります。それは、実際に現場で働いていいる保育士さんに、この問題をやらせてみたらわかると思いますが、ほとんど落ちるでしょうね。というと悪いのですが、少なくとも、私は確実に落ちるでしょう。基礎的知識は必要だと思うのですが、それは、日々の中で実感していき、深まっていくものでなければならないはずです。私だったら、今学力として求められているような「コミュニケーション力」とか「問題解決能力」とか「柔軟性」とか「チームワーク力」などを試したいですね。しかし、実際に私の園の採用テストは、「早い順」です。
また、実技試験が10月10日(日)に予定されていまが、この実技の内容も、時代によって変わってきています。それは、子どもに対して必要な実技が変わってきているからでしょう。かつては、保育者というと、すぐに「ピアノが弾ける」と同じイメージですが、現場では、ギターが弾ける方が様々な場所で子どもたちが歌うことができ、また、先生も入って円形になって座って、歌を歌おうとすればギターのほうがいいような気がします。また、音楽だけでなく、保育には様々な経験を子どもにさせますので、何か得意なものがある保育者集団のほうがいいような気がします。
そんなわけで、今は、音楽・絵画制作・言語から2分野を選択することになっています。「音楽」では、課題曲が2曲事前に出され、その両方を幼児に歌って聴かせることを想定して、弾き歌いすることになっています。しかし、楽譜は持込んでもいいことになっていますし、ピアノ、ギター、アコーディオンのいずれかで演奏してもいいことになっています。「絵画制作」では、「保育所(園)での子どもたちと保育士との活動の一場面を表現する」のですが、表現に関する条件は試験の当日に提示します。その課題に沿って、鉛筆またはシャープペンシル(HB~2B)、色鉛筆(12~24色)、消しゴムを使って45分で描きます。「言語」では、各自あらかじめ用意した童話等を、自分の前にいる20人程度の3歳児クラスの幼児に集中して話を聞かせる時間という想定のもとに3分以内にまとめて口演することになっています。題材は、自作・他作を問わず、童話・神話・民話・伝説・昔話等自由です。
ギターでも受けられるようになったので少しはいいのですが、何となく男性には不利のような気がします。私だったら、「子どもたちに理念を伝えながら、笑い転げるような映画10分ものを作りなさい」という問題だったら、もっと、保育が楽しくなるのにと思ってしまいます。私の園で、男性保育者が中心になって笑い転げるような映画を作って、それがうわさで話題になっています。
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近頃思うこと
fujimori
2010-03-09T21:22:17+09:00
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新聞
http://www.caguya.co.jp/blog_hoiku/archives/2010/03/post_1557.html
今日の朝日新聞に「GLOBE」という新聞が入ってきました。この「GLOBE」は月2回、月曜日の朝日新聞朝刊の真ん中に挟みこまれた新紙面です。2008年10月から月2回、月曜日の朝刊の真ん中に織り込まれてきます。この紙面では、今までの新聞と違う内容で、読者を引き付けようとしています。この紙面での特集記事は、「地球的(グローバル)規模で繰り広げられるパワーゲームやビジネスの最前線で起きている出来事の深層・底流を徹底取材し、ルポを中心にした特集で掘り下げます」と謳っています。また、サイトでは紙面に掲載した特集記事などを紹介するとともに、関連するプラスアルファ情報が掲載されます。今日の特集は、「公務員の使い方/仕え方」です。今までのただ情報を流すだけであった新聞が変わり始めています。
新聞が変わり始めているのは、その記事の内容だけでなく、発信の仕方も変化が起きています。日本経済新聞社では、今月の23 日に、インターネット上に「日本経済新聞 電子版」(Web刊)を創刊する予定です。この電子版は、「今年で135年目の歴史を迎える日本経済新聞社がデジタル技術を基盤にお届けする新しい媒体です」という触れ込みです。その内容は、もちろん日本経済新聞の朝刊と夕刊の最終版の記事全文が読めるのは当たり前ですが、電子版の特徴がいくつかあります。
そのひとつは、日経編集局が24時間体制で取材・編集して随時更新する国内外の最新ニュース、日経BP社など日経グループ各社が集めた専門分野の情報・データやコラム・映像、英フィナンシャル・タイムズなど有力な海外コンテンツパートナーの翻訳記事を厳選して、朝刊と夕刊の間でも最新情報を刻々と編集して届けてくれます。世界中のあらゆる場所に、どこよりも早く朝刊が届き、「今」まさにおきているニュースを24時間リアルタイムで届きます。また、「My日経」で自動収集した記事もパソコンや携帯電話にメールで配信してくれます。
アマゾンで本を購入すると、過去に購入した本や、検索した本を分析して、何に興味があるか、どんな考えの人に興味があるかで、それにあった本を紹介してくれます。同じように、一人ひとりの読者の興味や関心を分析して適切な記事を選んで届ける「おすすめ」機能、登録したキーワードを含む記事が配信されると自動表示する「自動記事収集」をはじめとした、デジタル技術を活用した新しい記事の読み方も提案しています。「いちいち情報を探すのが面倒」「映像でニュースをもっと知りたい」「何を読めばいいのか教えて欲しい」「私に役立つ情報は何?」など、今までは、紙面をめくって必要な情報を探したり、興味のある情報を探していたのが、自動で配信されてくるようです。
そして、パソコンと携帯電話機の両方で読めるようになっており、今後、電子書籍端末やデジタルテレビでの提供も検討しているそうです。そうなることにより、タクシーや電車、空港やホテルのロビーなどいつでもどこでも簡単操作で効率よく必要な情報を見ることができるようになります。
また、このWEB日経は、拡大機能付きなので、小さな画面でも表や写真、グラフがきちんと読めるようですし、表示の仕方も、今まで新聞紙面を見慣れている人にとっては、ネットで配信されてくるニュースはなんだか見にくいのですが、この紙面は新聞のように読めるようです。
時代によって、内容、配信の仕方など新聞は変わろうとしていますが、このような動きに対して、教育の動きは、ずいぶんと遅いですね。
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新聞記事より
fujimori
2010-03-08T23:16:18+09:00
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新しい学校の提案
http://www.caguya.co.jp/blog_hoiku/archives/2010/03/post_1556.html
子どもたちの身に起きる不幸な出来事を聞くにつけ、世界の教育を知るにつけて、なんて日本の教育は遅れているのかと嘆きたくなります。しかし、これだけ情報が豊かで、世界が近くなっている今、国は世界の教育の動向を知らないはずはありません。当然、研究者たちも世界の教育を研究しているはずです。しかし、どうして変わっていかないのでしょうか。私も、幼児教育では世界の流れの中では当然と思われること、ただ、子ども主体に考えようと提案するだけであって、何も革命を起こそうというわけでもないのですが、なぜか、抵抗にあうことがあります。現実に毎日子どもたちが壁にぶち当たっている状況を見聞きしても、なかなか変えようとしません。
全国の小学校・中学校において、今年から新しい学習指導要領の一部が先行実施され、21 世紀を生きる子どもたちのための学校教育が始められています。それは、今の時代に対しての課題が盛り込まれています。地球温暖化対策をはじめとする環境配慮、学校、家庭、地域の連携が重視され、その課題に向けて、学校施設の整備に当たって、学習活動円滑化や環境配慮、地域との連携といった機能を高める工夫が問われています。このような新たな時代の学校教育等に対応するため、既成の学校施設の形態の枠にとらわれず、実情に応じ、柔軟な発想を含めた検討が有効であると文部科学省では考えています。そこで、これまで実際に整備された学校の中から、新しい工夫があり他の学校にも参考になると思われる施設的な提案について、情報提供をすることとし、小中学校の施設を新増改築、あるいは大規模な改修をするときに、関係者にとって参考になると思われる30 のアイディアを集め、提案しています。
「小学校学習指導要領解説 総則編」(平成20 年6 月)では、21 世紀の教育の考え方について、知識基盤社会化やグローバル化は、アイディアなど知識そのものや人材をめぐる国際競争を加速させる一方で、異なる文化や文明との共存や国際協力の必要性を増大させている状況において、確かな学力、豊かな心、健やかな体の調和を重視する「生きる力」をはぐくむことがますます重要になっていると解説しています。そのための教育目標のための空間を提案しています。
確かな学力の確立に向けた対応では、児童生徒の自主的な学習活動を支える空間や観察・実験、体験活動の充実のための空間、児童生徒の表現力をはぐくむ活動を支える空間が提案されています。また、豊かな心を育成するための施設づくりとして、児童生徒同士の交流を生む空間や豊かな芸術空間などが提案されています。健やかな体をはぐくむ施設づくりでは、日常的な体力づくりや食育の充実のための空間などが提案されています。
具体的には、普通教室は、設えや学習活動に配慮した余裕のある大きさとし、ICTを導入したり作り付け家具を工夫したりすることなどにより、多様な学習が可能となるように計画するものや、学習集団の規模や机の配列の形態が変わるような場合にも対応できることを提案しています。また、複数のクラスでフロアをのびやかに使うことで、多様な学びを支える教室まわりとして、同学年あるいは、低学年、中学年、高学年ごとに、普通教室+多目的スペース(少人数指導のためのスペースを含む)など学年段階に応じたユニットの空間構成とすることで、総合的な学習の時間における調べ学習や習熟度に応じた学習、またティーム・ティーチングなどを効率的に展開することができるとしています。
このような、新しい提案が、身近な学校で行われるようになるのは、いつのことでしょうね。
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近頃思うこと
fujimori
2010-03-07T21:17:25+09:00
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スキル2
http://www.caguya.co.jp/blog_hoiku/archives/2010/03/post_1555.html
フィンランド式キッズスキルは、親子で問題解決能力をつけようというというものです。その書籍の帯封にはこう書かれてあります。「子どもの問題解決能力を高められる。子どもに“ダメ”と言わずに問題を解決できる。子どもの責任感、社会的スキルを高められる。」
これらの能力は、子どもがぶち当たっている壁を乗り越えるためのスキルというだけでなく、今、子どもたちに必要だと言われている学力というスキルでもあるのです。ですから、このスキルは、教育で成功しているフィンランドで考えられているのです。
ここでは、15ステップで子どもの問題をスキル学習に変換して解決に導くことをしています。しかし、私は、まずここで言う「スキル」という言葉がはっきりしません。普通に使われるスキルとは、物事を行うための能力であり、スキルを高めるというと、技能を練習して高めるというイメージです。そのスキルという言葉が最近は家庭内での関わり、仕事上での応用が言われてきています。例えば、仕事上では、「ビジネススキル」と言われ、ビジネススキルを向上させるときに欠かせないツールが「コミュニケーション」だと言われています。そのスキルは、相手に情報を伝えるというメッセージを発信するだけでなく、その意図するところ、その哲学までもが相手に伝わってこそ、その意味を成すといわれています。
子どもに起きている問題を解決するために、まず、その問題をスキルが欠如していることに変換しなければなりません。それをスキリングと言います。このスキリングという言葉は、ソリューション・フォーカス・アプローチの概念から生まれたものだそうです。これは、解決思考アプローチと言われているもので、相談者の問題の原因を探り、そこから解決方法を導き出すという「カウンセリング」の手法ではなく、「原因」の探求ではなく、「解決」の探求に焦点を当てています。例えば、子どもが学校で周りの生徒に迷惑をかけるようなことをしてしまったとき、そんな行動をとった「原因」を追求しようとすると、周りの人やその子自身を責める発想へと進んでいってしまいます。そもそもたいていの場合、はっきりと「これが原因」と言いきれることはありません。一方で、「解決」を追求すれば、周りのみんなが協力し、はっきりと具体的な打開策を見出すことができます。
これは、こんな言葉がけでいいようです。「やらないでほしいことではなく、やってほしいことを伝えると子どもは言うことを聞いてくれます。」例えば、「どならない!」と注意するよりも「静かに話しなさい」という注意の仕方がいいと言います。ほかにも、「物を投げるのをやめなさい!」から「自分のものを大切にしなさい」、「キックしない!」から「足は地面につけていなさい」、「食べ物で遊ばないの!」から「行儀よく食べなさい」、「妹をからかわないのよ!」から「妹にやさしくしなさい」というようにするのです。これは、フィンランドの子どもたちに対してのことですから、その年齢までの育ちがどうであるかが影響しますので、日本の子どもたちに効果があるかはわかりませんが、同じようなことを私も提案しています。禁止することは、やってはいけないことは分かりますが、では、どうすればよいかはわかりません。やってほしいことを提案する方が、具体的な行動にすぐに移しやすくなります。また、禁止事項が蓄積されてくると、動けなくなってしまいますが、やってほしいことが蓄積されていくに従って、自分への自信が持てるようになります。そういう意味で、このスキリングのステップは、すでに提案していることと同じですね。
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近頃思うこと
fujimori
2010-03-06T21:08:27+09:00
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タイムアウト
http://www.caguya.co.jp/blog_hoiku/archives/2010/03/post_1554.html
ドイツの幼稚園で見た「けんかコーナー」、アメリカでよく見かける「ピーステーブル」を参考に私の園でも3,4,5歳児の部屋に「ピーステーブル」を作ったところ、けんかを始めた子どもたちは、その場に行って話し合いをしています。そのことを見聞きした他の園でも、自分の園で様々な名前を付けた同様なコーナーを作ったところ、同様に子どもたちは喧嘩をする前にその場に行って、話し合いをするようになっているようです。子どもたちは、環境を用意するだけでも自分たちで解決するようになるのですね。
以前、テレビで見たのですが、アメリカで多動傾向にある子が授業に集中できずに、他の子に対してちょっかいを出したりした時に、先生が「タイムアウト」という声をかけて、その子をその場から去らせ、しばらく一人で落ち着くことをさせていました。けんかなどをして、ハイテンションになっている子どもに対しても、まず落ち着かせることをしないと、言い聞かせても、話合わせてもダメなので「タイムアウト」という方法をとります。それを見て私も他の園で相談を受けた時に、そうするといいかもしれないと助言をしました。また、先生もカーッと頭にきたときには、自ら「タイムアウト!」と言って、少し頭を冷やしてから子どもと向かい合った方がいいという助言もしました。
ブログで書いたことがある「乳幼児の世界展」というイベントの中で、日本のJリーグが発足した年のテーマが「子どもからイエローカードを出されないために」というものでした。イエローカードというのは、悪質な反則や行為を行った選手に対して「警告」を発するときに審判が示すカードのことです。昨日も悲惨な幼児虐待のニュースが流れましたが、子どもが虐待をされそうになった時にそのカードを出すようにと、来場者にはイエローカードをプレゼントしました。この「イエローカード」は、「タイムアウト」と少し似たところがありますね。
昨日のブログで書いた「キッズスキル」の中で、ステップを踏んでいく過程で必要な条件に「タイムアウトできるようにする」というものがあります。この本の中では、「怒っているときは感情のままに発言してしまうので、スキルに変換することを忘れて怒鳴ってしまうこともあるでしょう。親だって人間です。大人の側が感情的になったときにはタイムアウトを取りましょう。怒鳴りそうになったら、“今とても怒っていてちゃんと考えられないから、10分待ってちょうだい。10分したら必ず部屋に戻ってくるから”と言って、部屋を出ます。10分、一人で落ち着く時間を取りましょう。」
ピーステーブルの効果も、そこで話し合うということでそこまで行く間に少し頭が冷やされるからです。これは、「クールダウン」という方法をとることもあります。この本には、このタイムアウトのポイントが書かれてあります。「部屋を出ていく理由を伝える」人間の感情に良い、悪いはありません。怒ること、悲しいことは誰にでもあることです。大人が自分の気持ちを伝えることで、子どもは誰でも起こったりイライラしたりすることがあるのは、普通のことなのだと認識できるからです。「時間を決めて、その時間が経ったら必ず戻ってくることを伝える」突然出ていくと、子どもは見捨てられたと不安になります。時間を設定することで子どもに安心感が生まれます。「もしも子どもに怒鳴ったり、感情的に怒ってしまったりしたら、あとで素直に謝る」大人も間違いをすることがあることがわかり、子どもも自分が間違ったことをしたときに謝れるようになります。
このタイムアウトも保護者でけでなく、保育者も使ってみてはどうでしょうか。
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近頃思うこと
fujimori
2010-03-05T23:55:02+09:00
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スキル
http://www.caguya.co.jp/blog_hoiku/archives/2010/03/post_1553.html
私は、6月にフィンランドの方とシンポジウムをやることになっています。フィンランドと言えば、PISAの学力調査で世界一の学力と評価されてから、世界中から視察や、フィンランドのメソッドを研究する人が増えたようです。しかし、その取り上げられ方は様々です。フィンランドの実践も、幼児教育、学校教育、家庭教育と様々です。私は、別にフィンランドの教育の研究者ではありませんので、どれが正しいのか、何が世界一の学力をつけさせたのかはよくわかりませんが、それぞれの取り組みの中で、私たちに参考になる部分が多いにあることは確かです。
また、子どもの自殺が報じられました。その理由がいじめかどうかははっきりしていませんが、多くの子どもたちがいろいろな壁に直面していることは確かなようです。それは、「いじめ、暴力、不登校など大きな問題になっていなくても、友達関係や担任との相性、苦手科目など、一人ひとりの子どもが何らかの壁を感じながら毎日を過ごしています。そして、それをサポートしたくてもどうしてよいかわからない保護者もまた、同じように悩んでいるのではないでしょうか。」という訳者のあとがきに書かれてある本「フィンランド式キッズスキル」(ベン・ファーマン著 佐俣友佳子訳 ダイヤモンド社発行)も参考になります。
このキッズスキルの良さは、「遊び心」だと言っています。最近、私も保育の質の高さは、「遊び心」ではないかと言っています。この本を読んでいると、他にもずいぶんと私と共通なところがあります。それは、著者のベン・ファーマン博士はあらゆることに興味を抱き、その場その場を最大限楽しむ人であるようです。ここで、また私が提案するキーワード「楽しむ」が出てきます。ただ、この本は基本的には4歳から7歳まで通うフィンランドの小学生の親子向けですが、もっと上の年齢でも、思春期を迎えて子どもや大人までにも使えるようです。私は、読んでいて、最近の保護者の苦情などの保護者対応にも応用できる気がしました。
このキッズスキルには新しい考え方が必要になると言っています。まず、お互いに非難し合う現象である「ブレームストーミング」を避けます。キッズスキルでは、子どもが直面している困難の原因を追及するのに時間を費やすことはしません。その代わり、子どもが何を学ぶ必要があるかに焦点を当てます。誰が悪いとは考えないで、脳から知恵を出し合うという意味の「ブレーンストーミング」に対する言葉としての「ブレームストーミング」はやめようということです。次に、大人が介入するべき対象として子どもを見るのではなく、問題に関するあらゆる話し合い、決断の場に積極的に参加する権利のある、解決へのパートナーとしての子どもを見るのです。「欧米では、子どもに問題があったら専門家に相談し、専門家はその子を検査して医師などの治療につなげるという考えが正しいとされてきました。キッズスキルはこの方法とは別の方法をとります。子どもの解決方法を知っている専門家から、その解決方法を一番必要としている保護者や教員、保育士、そのほか子どもや家族のケアの現場で活躍する人々へと中心を移しているのです。今まで当たり前だった専門家への依存傾向とは真逆です」と書かれてあります。
専門家が判定を下すとか、専門家が解説をしても少しも改善にならず、ただ納得するだけです。最近、私も現場で問題のある子どもに出会ったときに、保護者を含めた自分たちで解決のために最善策を考えることが重要であることを痛感しています。
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近頃思うこと
fujimori
2010-03-04T22:12:21+09:00
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旬
http://www.caguya.co.jp/blog_hoiku/archives/2010/03/post_1552.html
先月から農林水産省では、地産地消に関心を持つ人同士の情報交換を進めたり、連携を深めるための一助となるようにと、メールマガジンを発行しています。その名も「地域の恵みを地域で食べよう!」というものです。その活動は、生産者と消費者の結びつきを強め、農山漁村の六次産業化を後押しする取組です。そのために、各地域で、地場農林水産物の加工・販売や学校給食における地場産物の活用など、様々な取組が行われています。そのひとつとして、今年度までに、食育基本法の食育推進基本計画において、学校給食の地場農産物の利用割合(食材ベース。都道府県平均)を30%以上とするとの目標を定めています。それは、学校給食法の改正(平成20年6月11日成立)により、学校給食において地場農産物の活用に努めることが法律に位置づけられたためです。
この概念はずいぶん古いころから言われていました。1980年代、「農村部の食生活を改善する」ということから始まりました。それは、当時の農村では「ご飯、味噌汁、漬物」を基本形にした食事を取っていたため、栄養の偏りやそれにともなう病気が問題になっていたからです。そこで栄養不足を補う食材として、当時は安価であった国内野菜(とりわけ地元産の野菜)を食生活に取り込もうとする運動が発生したのが「地産地消」という概念の始まりです。しかし、その考え方は、国民には浸透しませんでした。それは、80年代になると、農産物の輸入の自由化が始まり、円高を背景に、ずいぶんと安い農産物が大量に輸入されるようになったからです。
それが2000年代になると、輸送距離を縮めることによるエネルギー消費の抑制しようとする環境問題から、また、食の安全の面から、国内農業の保護の面から、食文化の保護の面からもう一度「地産地消」という考え方が見直されるようになってきました。その言葉が定着するにつれて、その言葉から派生する言葉や概念がずいぶんと出てきました。私もその言葉を使って、「地産地活」という、「地域で生まれ育った人材は、その地域で活躍しよう!」という人材を養成する保育の提案をしています。同じように派生語として「地産他消」、「自産自消」など様々な言葉が生まれています。その中で最近注目されている言葉に、補足説明食料に対する安全志向,生産・流通に費やされるエネルギーへの疑問・批判などから,旬の食材を旬の時期に消費することという意味で、「旬産旬消」という言葉があります。
日経の「時代を読む新語辞典」で、今月初めにこの言葉が取り上げられていました。この「旬産旬消」という考え方は、ハウス栽培におけるエネルギー消費を抑制できるので環境保護に寄与するほか、食文化に季節感を取り戻すこともできると言われています。「地産地消」という考え方は、確かに遠産遠消よりも輸送距離が短くなる分、輸送に必要なエネルギー消費も低減できます。しかし、地元で農産物を作る場合でも「それが旬の時期の生産でない場合」は、ハウス栽培で燃料が余計に必要になるわけですので、単純に近場の農産物を消費するだけでは、環境保護に寄与しない可能性もあるということで、「旬産旬消」という概念が生まれたのです。また、栄養の観点からでも「旬の食材の方がそうでない食材に比べて栄養価が高い」とする研究結果も発表されていますし、「季節感」の復権も期待されています。
今日、読売新聞から食育についての取材を受けましたし、来週には、食育番組の取材を受けます。今日の取材の中で、このような食育ブームが、ひとつのノルマや手順や、ただの目的ではなく、生活の営みの結果であることを忘れてはいけないのではと提案しました。
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近頃思うこと
fujimori
2010-03-03T23:04:07+09:00
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健康か病気か
http://www.caguya.co.jp/blog_hoiku/archives/2010/03/post_1551.html
こんな記事が週刊ダイヤモンドに掲載されていました。「東京慈恵会医科大学の元教授・池田義雄さんは、「一無二少三多主義」を提唱している。喫煙は百害あって一利もないからダメ。食事は少食を心がけ、酒はほどほどに、が二少。体をよく動かし、休養を十分に、多くの人と接して会話を楽しんだり、刺激を受けるが三多である。健康と病気は別々に存在しているのではなく連続性がある。東洋医学では健康から病気になる前の状態を「未病」と呼ぶが、このとき生体の防御力は低下している。暦年齢が高くなるほど生体の防御力は低下し病気になりやすくなるが、体の小さな不調なら休養を取ったり、食生活を整え、ときにはサプリメントの力も借りることで健康感を取り戻せる。」
東洋医学からは、医学だけでなく、人生についてのヒントを得ることができます。前回のブログで「証」という考え方を学びましたが、今回は、「未病」という考え方を学びました。この言葉は2000年前の後漢の時代に、中国最古の医学書とされる「黄帝内経」 にはじめて見られます。「聖人は既病を治すのではなく、未病を治す」とあるように、「病気に向かう状態」の時期を捉えて治すことの出来る人が医療者として最高人(聖人)であると言っているのです。日本では貝原益軒が「養生訓」の中でこのことを言っています。「聖人は未病を治すとは、病いがまだおこらざる時、かねてつつしめば病いなく、もし飲食・色欲などの内慾をこらえず、風・寒・暑・湿の外邪をふせがざれば、其おかす事はすこしなれども、後に病をなす事は大にして久し。」
この考え方は現代医療でも取り入れられ、未病は、「予防医学の原点」と言われています。最近では予防医学への関心がたかまり、大辞林には、「 病気ではないが、健康でもない状態。自覚症状はないが検査結果に異常がある場合と、自覚症状はあるが検査結果に異常がない場合に大別される。骨粗鬆症、肥満など。」と書かれてあります。この二つの考え方は、日本未病システム学会で定義されているものであり、「自覚症状もあり検査でも異常が認められる状態」を病気(既病)と呼んでいます。
自覚症状があって検査結果に異常がないという場合は、たとえば、何となく体がだるい、疲れやすい、体が冷える、頭痛や肩こり、めまい、不眠といった体の不調を感じるというような自覚症状がある場合です。このように、少しでも調子がよくないと感じたら、それは未病の始まりだと言われています。「未病期」は自覚症状のあるなしで「西洋型未病」と「東洋型未病」に分けていますが、今までの治療は、西洋型医療を中心に行われてきたために、自覚症状の有無で病気かどうかを判断してきましたが、ここで未病期という考え方を入れることは重要だと言われてきています。
日本未病システム学会の目的には、「21世紀をむかえ、少子高齢化時代のあり方が大きくクローズアップされる時代になりました。このような時代、高齢者に優しく、かつ、若者たちの負担が軽減できる健全な21世紀の医療・医学のシステムが問われています。その時に、健康と病気の間に「未病」の時期を新たに創設することで将来の日本の医療・医学の問題解決を求めています。」とあります。それは、「この未病期間のコントロールこそが、長い目でみた場合日本の 医療費軽減につながり、しいては健全な長寿社会の実現に繋がると考えられているからです。「未病」の時期は「医療費も使うが、働けて税金も納められる時期」であるわけです。 病気ではないが、全く健康でなくてもよいとする考え方がこれからの知恵といえます。」
これが、「中庸」の生き方であるのかもしれません。
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近頃思うこと
fujimori
2010-03-02T21:32:52+09:00
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くも博士
http://www.caguya.co.jp/blog_hoiku/archives/2010/03/post_1550.html
私は昆虫をそれほど嫌いではありません。どんな昆虫を見てもそれほど飛びあがって嫌うこともありません。しかし、苦手なものは多少あります。それは、多分嫌いな人が多いゴキブリです。そのほかはあまりありませんが、どちらかというと肉食系のものは少し怖い気がします。例えばクモなどです。クモを見るには平気ですし、小さいクモであれば部屋にいるクモを手で取って外に出してあげるくらいはしますが、大きなクモは手で触るのは勇気がいります。そんなクモですが、クモに魅せられる人もいるようです。
たまたま、あるサイトを見ていたときに「2006年9月30日(土)は萱嶋泉先生の命日です。日野市の日野台協会で故・萱嶋泉昇天一周年記念礼拝が行われました。」という記事を見つけました。この萱嶋泉先生には、思い出があります。以前のブログで紹介しましたが、私が設立し、その後顧問をしていた日野市の子ども会の活動が、社会教育映画になっているのですが、その内容は、地域のお年寄りの人材を子どもたちが発掘する取り組みです。その中で取り上げられたお年寄りの一人にこの萱嶋先生がいたのです。この先生は「クモ博士」と呼ばれていました。「くも博士」というと、「雲博士」と思う人が多いのですが、実は「蜘蛛博士」なのです。自宅には、たくさんのクモを飼っていて、子どもたちがそのクモを見せてもらいながら話を聞き、そのあと実際に林にクモを見に行くシーンが撮影されました。
その話の中で印象的だったのが、まず先生の自宅に入るとたくさんの虫籠が目に入ります。そこにクモがいると思いきや、あまり好きではないゴキブリがたくさん入っています。話を聞いてみると、そのゴキブリはクモの餌だそうです。その次にびっくりしたのが、大きな真黒いクモを手に持って見せてくれたときです。クモを、映画「007」の中で悪者が放ち、襲われた人がみな悶え苦しんで死ぬシーンがあるのですが、その放ったのが「タランチュラ」という毛むくじゃらで、牙も大きくて1.5から2cmもあり、猛毒を持っていて、噛まれたら死ぬと言われているクモです。そのクモを手に乗せて見せてくれたのです。そして、実は、「タランチュア」は、世界で600種ほどいて、そのほとんどには、毒がなく、あっても人を殺すほどの猛毒はないと話してくれました。
こんな萱嶋先生は、NHK「ウルトラ・アイ」やTBS「わくわく動物ランド」にも出演したそうですが、クモ研究者は不思議な経歴を持った人が多いようです。例えば、「日本蜘蛛学会」の会長は吉田真立命館大学理工学部教授です。萱嶋泉先生は、国立音楽大学名誉教授で、「東京蜘蛛談話会」という会を設立しています。その会を通して、老若男女を問わず、ことあるごとにクモの面白さを世に伝え、同好者の拡大をはかり、その活動は「クモ博士」とも「クモの伝道者」と呼ばれていました。子ども会の時に子どもたちは先生からクモの話を聞いてどう思ったかわかりませんが、クモ嫌いだった小学生たちは、先生の話を聞いて、クモへの理解を深め、そしてクモ観察に夢中になっていくことが多いそうです。
クモは漢字では「蜘蛛」と書きます。虫を殺すことを知っている虫ということだそうです。しかし、ただむやみに虫を殺しているわけではありませんし、必ずしもほかの虫に対していつも優位に立っているわけでもなく、クモを見ていると、自然界の平等性を感じられると萱嶋先生は言っています。
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近頃思うこと
fujimori
2010-03-01T23:19:29+09:00
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入試科目
http://www.caguya.co.jp/blog_hoiku/archives/2010/02/post_1549.html
明日は、都立高校の合格発表日です。最近は、身の回りで高校入試をする人がいないので、私は特に実感がないのですが、その年齢の子がいる家庭では緊張しているでしょうね。ところで、今の都立高校入試の問題の解答が次の日の新聞に掲載されますが、英数国理社の5科目で入試を行う高校と、英数国の3科目で入試を行う高校があるようです。その科目数によって、調査書の配分が違うようですが、当日の学力検査(入試)と調査書の合計で合否を決めているようです。また、学校によっては、これに面接や実技を点数化して総合成績として合否を決定したり、作文の結果を点数化する学校もあるようです。
新聞によると、都教育委員会は25日、2012年度から全都立高校で日本史を必修科目とすることを正式に決めたようです。東京の近世以降の歴史を学ぶ独自の科目「江戸から東京へ(仮称)」も新設します。文部科学省の学習指導要領で日本史は選択科目ですが、都立高校の生徒は、指導要領で定めた「日本史A」「日本史B」に加え、今度から「江戸から東京へ」の中から少なくても1科目を履修することになります。この新設される「江戸から東京へ」の導入は各校の判断に委ねられ、学校の裁量で使える授業時間を利用した科目になるようです。その理由を、都教委は「日本人のアイデンティティーを育むには自国の歴史学習が不可欠」と説明し、近現代史の基本的な知識の習得に加え、「身近な歴史に接することで郷土愛を育んでもらう」ことも狙いのようです。東京都以外でも、公立高校での日本史必修化は横浜市教委が4月から、神奈川県教委が13年度から実施し、同県教委も郷土史など独自科目を、都教委と同じ手法で設ける方針のようです。
現在、文部科学省の学習指導要領では高校社会科の「地理歴史」で必修なのは世界史のみで、都教委の調査では、09年度に全日制都立校175校で日本史を独自に必修化していたのは83校(47%)だったそうです。25年度から始まる新学習指導要領でも必修は、世界史のみとなっています。世界史が必修で、日本史が選択とは不思議ですね。
試験科目が増えるのは、生徒には大変かもしれません。必ずしも好きなことではないことまで試験のために覚えたり、勉強しなければならないからです。私は、都立高校出身ですが、受験科目は国、数、社、理、英、美、音、技、体の9科目でした。しかも、もちろん社会は、「地理」「日本史」「世界史」「公民」すべてでしたから、今から考えるとずいぶんと幅が広かったです。しかも、調査書による判定や、推薦制度などもなく、試験1発勝負でしたから、シビアでした。しかし、当時はそれが当たり前だと思っていましたから、特に大変だとか思ったことはありませんでした。しかも、私はあらゆることに興味を持ち、それを知りたくなるタイプなので、逆に大学入試もすべての範囲をテストしてくれたらいいのにと思ったほどでした。また、この9教科の試験勉強でいろいろな分野を幅広く知ったことが、今のブログの根底にある気がします。しかも、特別教科といわれる科目は、紙面でも勉強でしたから、逆に今に役に立っています。音楽の問題では、「階名を書きなさい」「音名を書きなさい」「移調しなさい」「転調しなさい」とか、必修鑑賞曲や必修歌唱曲の出だしの楽譜から「何の曲で誰の作曲家を書きなさい」とか、木管楽器と金管楽器を分けなさいなどでしたから、基本的には楽譜が読めないということはありませんでしたし、オーケストラを聴いても楽器名とか、曲が口ずさめたりします。音楽の目標が「生活を明るく潤いあるものとする」とありますが、私がかつてこのような受験勉強をしなかったら、音楽は身近なものになっていなかったかもしれません。
新しく日本史を入れるとしたら、ただ覚えさせるとか、暗記させるのではなく、生活が豊かになるような学びをしてほしいと思います。
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近頃思うこと
fujimori
2010-02-28T21:46:50+09:00
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漢方
http://www.caguya.co.jp/blog_hoiku/archives/2010/02/post_1548.html
NHK大河つながりで各地を妻と歩いていますが、多分「山本勘助」の時だと思いますが、山梨県甲州市塩山を訪れた時です。その駅前に立派な屋敷がありました。そこは、重要文化財 旧高野家住宅で、通称「甘草屋敷」と呼ばれています。

高野家は、江戸時代に薬用植物である甘草の栽培をして幕府に納めていた家で、古くから「甘草屋敷」と呼ばれてきれてきました。それは、高野家では、八代将軍徳川吉宗のころ、この屋敷内にあった甘草を見分した結果、幕府御用としてその栽培と管理が申し渡され、ここで栽培される甘草は、幕府官営の薬園で栽培するための補給源として、また薬種として幕府への上納を負うこととなりました。そのために、甘草園は年貢諸役を免除されたそうです。
ここの説明によると、「現在世界各地で用いられている甘草には、ウラルカンゾウ(東北甘草)、グラブラカンゾウ(西北甘草)などがあり、日本では年間約1万トンが中国などから輸入されている。このうち食品の甘味料などに3分の2が使われ、残り3分の1が薬用にされるが、甘味・生薬の成分とも根及びストロン(根茎)にふくまれるグリチルリチンである。薬用では主に漢方薬の原料として、厚生省指定漢方処方210品目中150処方(71%)に配合され、もっとも多用されている。」
この甘草の歴史は古く、世界では、紀元前のTheophrastの著書に紹介され、中国では神農草本経に記す最古の薬物の一つだそうです。日本には、奈良時代に生薬が入り、正倉院には、良質の皮去りカンゾウの現物が多量に保存されています。また平安時代には日本でも栽培しており、「延喜式」によれば 陸奥・出羽・常陸等から進献しています。であり、ヨーロッパから中国、日本まで広く使用されている薬物です。
甘草はいろいろな漢方に使われていますが、甘草1種類だけで作られている生薬が「甘草湯」です。これは、痛みを緩和する働きがあるので、のどの痛み、激しい咳き込み、胃痛などに適応します。先日、のどが非常に痛く、唾液を呑み込むだけでも大変だったのでこの「甘草湯」を飲んだところ、しばらくして痛みが全くなくなりました。喉が痛いので、その喉に直接何かつけたほうがいいと思ったのですが、それは対処療法で、甘草湯のほうが、もとから炎症を和らげ、痛みが治まるからといわれたのですが、なんでその薬を飲むと、体の一部分の喉に効くのか不思議でした。
先日、富山に行ったときに、ある飲食店に入った時、店の隅の机で薬箱の中身をチェックしている人を見ました。「富山の薬売り」です。箱の中で使った薬を補充しているのです。その薬を見ると、「葛根湯」という漢方薬がありました。富山空港にも特別に漢方の売り場があります。
漢方の特徴は、体全体をみるということで、体全体の調子を整え、病気を治していくために病気の症状だけでなく、一人ひとりの体質にも気をつけて使わなければなりません。このときの体の状態や体質をあらわすのが「証(しょう)」という概念だそうです。このような考え方は、西洋医学が臓器や組織に原因を求めていくのとは対照的だといわれています。漢方のよさは、薬そのものよりも、証にもとづき「人をみる」という、その考え方にあるとも言われています。最近は、「人をみる」のを、機械に頼っているところがありますね。
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近頃思うこと
fujimori
2010-02-27T23:05:46+09:00
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手作り郷土
http://www.caguya.co.jp/blog_hoiku/archives/2010/02/post_1547.html
いろいろな街に行くと、その町の顔があります。それは、様々な特徴を持っています。以前のブログで紹介した青森県の八戸港の蕪島は、ウミネコの一大繁殖地で、シーズンには3万羽を超え、「ミャー、ミャー」とまさに子猫そのものの鳴き声が波間に聞こえることから「日本の音風景百選」に選ばれています。また、平等院表参道の商店会約160mには多くのお茶屋が軒を連ね、茶を焙じる香ばしい香りが街角に漂っていることから「かおり風景百選」に選ばれています。また、昨年連れて行ってもらった奥能登の白米の千枚田は、「人と自然が織りなす日本の風景百選」に選ばれています。ここでは、高低差約50mの急斜地に小区画の水田が耕作されていて、平地が極めて少ない自然環境に立ち向かって生きてきた、奥能登の水田開発の歴史的遺産といえます。

これもブログで紹介しましたが、私が以前「NPOフュージョン長池」の副理事長だった時に、この地域での活動が平成13年度都市景観大賞「美しいまちなみ賞」の大賞を受賞し、その受賞式に列席したことがあります。この賞は、空間の美しさに加えて、景観形成のための地元(公、民)の活動や、地域活性化・観光交流面への波及効果など、ハード・ソフト両面から様々な工夫や努力が行われている地区を総合的に評価されたものです。それは、当時、地域の景観の美しさではなく、地域の活動の美しさが評価されたとしてうれしかった思い出があります。
このように、美しさには、音であったり、かおりであったり、活動であったりすることがあります。今週初めに訪れた富山市八尾町は「手づくり郷土賞」を受賞しています。
この賞は、地域の個性、魅力、活力を創出している良質な社会資本や活動を広く募集、発掘し、これらを全国に広く紹介することにより、社会資本整備にあたっての創意・工夫を促し、個性あふれ活力のある地域づくりに資することを目的として、昭和61年度に創設された国土交通大臣表彰制度です。
この八尾町は「越中八尾 おわら風の盆」として毎年たくさんの観光客が訪れるところです。その町並みは、「江戸時代につくられた当時のたたずまいを色濃く残し、どこか城下町の商人町を思わせる」といわれています。そこで行われる「おわら風の盆」は、毎年9月1日から3日にかけて行なわれている祭りで、越中おわら節の哀切感に満ちた旋律にのって、坂が多い町の道筋で無言の踊り手たちが洗練された踊りを披露します。地元の人の話では、艶やかで優雅な女踊り手は、編みがさに顔を隠し、声を出さず、未婚の25歳以下の女性に限ると言っていました。また、その調べが観光客を魅了する哀調のある音色を奏でる胡弓を、以前この地を訪れた時に、目の前で弾いてもらい、私も少し弾かせてもらう体験をしました。
この「おわら風の盆」には、たくさんの観光客が訪れるのに、普段の町には高山に見るような、また、金沢にあるようなしゃれたグッズの店や民芸品の店などがほとんどありません。地元に人に聞くと、それにはあるポリシーがあると言います。「八尾に暮らす人々が大切に守り育んできた民謡行事であり、町民の生命ともいうべき特別な存在です。ですから、全国に名の通った民謡行事としては観光イベント的な要素は少なく、したがってお越しいただいた皆様をもてなすことはあまり上手ではありません。」こんな思いが「手作り郷土賞」なのかもしれません。

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講演先にて
fujimori
2010-02-26T23:02:42+09:00
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融雪
http://www.caguya.co.jp/blog_hoiku/archives/2010/02/post_1546.html
今年は東京ではよく雪が降りました。しかし、ここ2,3日は暖かい日が続いていて、もう春という感じです。しかし、東京では、毎年4月に入っても雪が降ることがありますので、油断はできません。といっても春の雪はすぐに溶けてしまい、あわいことから奈良時代から歌に詠まれました。この「あわい」というのは、最初は「淡い」ということではなく、うたかた(泡沫)のように消える雪ということで、「あわ(泡)ゆき」という表記で用いられました。また、万葉集には、あわゆきを「「沫雪」と書いて、16種も詠まれています。そして、平安時代になると、厳寒期の厚く白く降り積もる雪に較べてうっすらと淡い雪であるということで、「あは(淡)ゆき」と表記されるようになりました。古今集には、17首詠まれています。
そんな春の雪ですが、今週初めに訪れた富山ではつい先週まで大雪が降っていたそうです。今年は雪が多かったそんな富山では、昨年末こんな記事が新聞に掲載されていました。「散水消雪一斉稼働で地下水位急激低下 富山県内市街地」というものです。「県内の住宅団地や商業施設などで消雪設備が普及する中、降雪時に設備が一斉に稼働することによって、市街地では地下水位が急激に低下している。大雪の峠を越えた20日も、富山市の一部で降雪前よりも10メートル以上低下し「安全水位」を下回った。現在のところ、地盤沈下などの被害は報告されていないが、県は設備の作動状況をこまめにチェックし、過剰に散水しないよう呼び掛けている。」
私は、東京生まれで東京育ちですので、このニュースを読んでもピンときません。それは、地面に埋められたパイプから水を出すことで、雪を溶かしている「散水消雪」という設備を知らないからです。雪がない中、水が噴き出ているその実物を見た時には少し興奮しました。急いで写真を撮りましたが、足に水がかかりそうで、気を使いました。
この噴き出ている水は地下水のため、地熱で温められ、県内では年間を通して約11~16度を保っているそうです。富山県では、道路などの消雪用ポンプは平成20年度までに住宅団地など1522カ所に設置されているようです。ずいぶんと狭い道にまで、その設備はされていました。それを見た時は、もう道には雪がなかったためか、そのあとすぐに止まってしまいました。大半の消雪装置は雪を感知すると、自動で作動するそうですが、よくセンサーが誤感知し、雪から雨に変わったり、気温が高く雪が積もる恐れがないのに、散水し続ける場合があるといいます。
このように散水式の融雪道路は, 道路の中央部分に水のパイプを通して, 数メートル間隔で取り付けたノズルから水を噴出させて 雪を溶かす方式で, 雪国では広くこの方式が使われていますが、もうひとつ、「無散水」式もあるようです。それは、舗装の下にパイプを通して 水を循環して熱交換する方式です。この方式は、水を循環利用できるメリットがありますが, 建設コストが高くつく欠点があるそうです。
そのほかにも、雪をカーボンブラックなどで黒く着色することで、太陽熱を吸収させて融雪する方法や、塩化カルシウムを主成分とした融雪剤を散布することによって凝固点降下が起こって融点が低下するため、雪を水へと変化させる方法などがあります。
雪国では、いろいろな工夫をして雪対策をしているのですね。
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講演先にて
fujimori
2010-02-25T21:38:06+09:00