おたのしみ会の考察6

 幼稚園教育要領と保育所保育指針の整合性が図られ、領域が同じ表記になりました。それによって、その発達の切り口を通して保護者に子どもの成長を伝える内容は、幼保共通になったのです。しかし、その内容は、その独自性を重んじるということで、大綱化という、ある意味ではどうにでもとれるような書き方にとどめています。しかし、方法は多様てもであったり、独自性があってもいいのですが、子どもの育ち、その時期としての発達、保育として大切なことは独自性で行ってはいけないのです。きちんと専門性を持って、子どもの発達と、その内容をとらえないといけないのです。

 少し前に、埼玉大学の志村洋子氏に講演をお願いしました。そのテーマは、「保育における音楽」です。まず、幼稚園教育要領と保育指針の中で、表現領域で大切なことを「自分なりに表現すること」と「創造性を豊かにする」をあげました。普段からの保育の中で、この二つを大切にすることが、表現領域であり、音楽においても、これを大切にするべきであることを強調しました。自由に表現できるようにすることが大切で、言われたとおりに表現することは表現することにはならないのです。

志村氏は、こう説明しました。子どもは、発達において、音楽、造形、身体運動等において現れる行動として、子どもが自覚し統制できない場合を「表出」と言います。それが、ある程度本人が自覚している場合を「表現」と言います。赤ちゃんは、日々の生活の中で周囲の人の声や音を選択的に聴いています。そして、周囲からの歌いかけに対して好んで聞きます。また、メディアなどからの多種多様な音や音楽も好んで聴くようになります。そして、それらの音楽に興奮して声を出し、体を動かすことをします。しかし、これらの行為は、自ら意図して行っているわけではなく、本人が自覚しているわけでもなく、自然と反応しているのです。ですから、この時期では「表現」ではなく、「表出」というのです。そして、赤ちゃんは感情表出の手段として、一人でも声を出して「vocal play」をしたり、音や音楽にあわせて身体を揺らし、好きに声を出します。

このお話を聞いて、少し前に私がブログで「生活」と「遊び」について何回か取り上げたことがありました。その時に、私は、赤ちゃんは生きるためにいろいろなしぐさを、自覚なしにします。それを、遊んでいるということがありますが、それは、生きるための活動ということで、「生活」と名付けた方がいいのではないかと提案しました。私は、「遊び」とは、本人が自覚し、目的を持って行い始めてからの行為をさす言葉ではないかと書きました。それは、まさに、乳児において遊びと言われるものは、「表出」であり、幼児になるにつれて、目的を持ち、自覚してする遊びは「表現」ということになります。ということは、音楽にしても、遊びにしても、運動にしても、保育者は、表出から表現へとつないでいかなければなりません。また、その変化の過程を、保育園においての発表会では、保護者に見てもらうことも必要かもしれません。

発表会には直接関係ないかもしれませんが、志村氏は、様々な人が音楽について考察して内容を紹介してくれました。とても興味深いものがあります。まず、MacDermott & Hauser (2006)の研究によると、「ヒトの赤ちゃんは音楽が好き!」ということで、静けさよりも子守歌や遊び歌を好み、類人猿などの赤ちゃんは、音楽よりも静けさを好むのだそうです。また、Trehub & Trainor,(1998)によると、親が乳児に歌いかける行動は文化を問わず観察されるそうです。また、Davidson, McKernon & Gardner( 1981)によると、幼児期になると言語表現とは異なる様相で創りうたを歌うことがわかりました。そして、Mang(2006)によって、幼児は「環境としての音楽」文化の中で聴き、覚え、記憶し、表出・表現することが研究されました。

これらの研究は、日々の保育の中で、子どもたちにどのように音楽と触れ合わせればよいかのヒントになります。

おたのしみ会の考察5

5領域に整理された平成元年の幼稚園教育要領で、「表現」という領域が「この領域は、豊かな感性を育て、感じたことや考えたことを表現する意欲を養い、創造性を豊かにする観点から示したものである。」ということであるということが書かれたのは、幼児教育は小学校教育と違って、教科を指導することではないことが明確になりました。ですから、もし、発表会で「表現」療育の発達を保護者に見せるとしたら、上記の観点をきちんと押さえないといけないのです。しかし、それをある活動を通して行うとしたら、それは、絵画の面であったり、音楽リズムの面であることは変わりません。

では、この教育要領の「表現」領域において、直接、音楽リズムに関することは、どのような「内容」として書かれてあるのでしょうか?「 (4) 感じたこと、考えたことなどを音や動きなどで表現したり自由にかいたりつくったりする。」「 (6) 音楽に親しみ、歌を歌ったり簡単なリズム楽器を使ったりする楽しさを味わう。」の2点しかありません。しかも、「留意事項」として、「(3) 幼児が自分の気持ちや考えを素朴に表現することを大切にし、生活と遊離した特定の技能を身に付けさせるための偏った指導を行うことのないようにすること。」とあるように、「生活と遊離した特定の技能を身に付けさせる」ような指導はしないようにと警告しています。

それが、平成10年になると、「感じたことや考えたことを自分なりに表現することを通して、豊かな感性や表現する力を養い、創造性を豊かにする。」となります。表現領域から「表現する意欲」は消えます。その代わりに「自分なりに」というように、より教え込むようなニュアンスは消えていきます。しかし、その内容については特に変わりはないのですが、「留意事項」は、「内容の取扱い」と変わり、そこに「意欲」が書かれます。「(2)幼児の自己表現は素朴な形で行われることが多いので、教師はそのような表現を受容し、幼児自身の表現しようとする意欲を受け止めて、幼児が生活の中で幼児らしい様々な表現を楽しむことができるようにすること。」と書かれ、自己表現が素朴な形であっても、それを受容するようにと書かれます。

それが、現在使われている教育要領まで引き継がれています。では、保育所保育指針では、どのように音楽関係は取り扱われているでしょうか。平成10年施行された保育所保育指針では、6か月未満児、6か月から1歳3か月未満児、1歳3か月から2歳未満児、2歳児、3歳児、4歳児、5歳児、6歳児と年齢区分ごとにねらい及び内容が設定され、3歳末満児については、その発達の特性からみて各領域を明確に区分することが困難な面が多いので、5領域に配慮しながら、基礎的な事項とともに一括して示してあり、3歳児以上においては、内容のところにだけに領域ごとに記述されています。しかし、「保育の原理」の中の「保育の目標」に領域の内容が書かれてあります。そのカに「様々な体験を通して、豊かな感性を育て、創造性の芽生えを培うこと。」とあるのは、表現領域でしょう。

それが、平成20年保育所保育指針では、年齢区分は子どもの発達での記述のみで、ねらい及び内容は平成20年の幼稚園教育要領と同様に、 子どもが保育所終了までに育つことが期待される事項が、 領域ごとにねらい及び内容が記述されるようになりました。それにより、幼児期の教育について幼稚園と保育所での整合性が強まったのです。その整合性は、記述の仕方が同じになっただけでなく、5領域に関わる保育の目標も、学校教育法(昭和22年法律第26号)に規定されている幼稚園の目標と共通のものとなったのです。

この改訂は、保育所保育指針においては大きな出来事でした。それは、この指針の中で保育所における保育の内容に関する事項及びこれに関連する運営に関する事項が定められることになったために、保育所保育指針は、大臣告示となったのです。そのために「指針」ではなくなり、法的規制がかかり、 各保育所は保育所保育指針に規定されていることを踏まえて保育を実施しなければならないことになったのです。

おたのしみ会の考察4

現在の5領域になる前、6領域だったころの分類は、幼児の生活経験を一応組織的に考え、かつ指導計画を立案するための便宜からしたものと説明され、小学校の教科とは異なるとされているものの、小学校の国語、社会、理科、音楽、図画工作、体育等の6教科と幼稚園の6領域とは、よく似ていることから、現場では小学校の各教科と幼稚園の6領域とは同一性格のものと考えられやすかったようです。

しかし、昭和39年に、「幼稚園教育要領」が初めて告示となった際、改訂された教育要領では、活動を分析し、137項目を6領域のねらい群にまとめました。そして、領域は相互に密接な関連を持ちながら、幼児の具体的・総合的な経験や活動を通して達成されるものであると表記されたのですが、特に絵画製作や音楽リズム、健康領域の運動等においては、領域別の指導計画や実際の指導が行われてしまっていました。実際の子どもたちの生活や学習は、領域ごとに行われるのではなく、相互に関連しあい、総合的に経験していくものですが、保育者養成校では、科目が領域別に分かれて開講され、特に絵画制作や音楽リズムは、それぞれ別々に、その内容に特化して学んできてしまうために、そこだけを取り出して指導するようになったのでしょう。

そのような経緯から、「音楽リズム」という領域では、音楽の中でリズムが強調され、全国の幼稚園、保育園で鼓笛隊が組織され、打楽器が中心の指導が行われてしまいました。それは、39年版の幼稚園教育要領の「音楽リズム」の領域には、「幼稚園修了までに幼児に指導することが望ましいねらい」として「1.のびのびと歌ったり、楽器をひいたりして表現の喜びを味わう。」「2.のびのびと動きのリズムを楽しみ、表現の喜びを味わう。」「3.音楽に親しみ、聞くことに興味をもつ。」「4.感じたこと、考えたことなどを音や動きに表現しようとする。」 の4つが挙げられているからです。非常に、教科的ですね。この成果を披露するのが発表会であったら、小学校のような合唱祭であったり、器楽演奏であったりしても無理ないですね。しかも、指導上の留意点を見れば、よりそのことがうなづけます。歌の指導について、「しだいに発声、音程などにも注意して歌うようにさせること」とありますし、楽器の指導について、「リズム楽器を主体として…基礎的なひき方の指導を加えたり、可能な場合には簡易な分担奏を楽しませたりすること。」などが書かれてあります。また、音楽鑑賞について、「できるだけすぐれた音楽に接する機会を多くし、」とあるように、イメージとして、教室内で授業をしている光景が目に浮かぶような内容です。

平成元年版から「5領域」に整理され、これら「音楽リズム」と「絵画制作」は、「表現」に統一されました。そして、保育内容に限っていえば、教育基本法から幼稚園教育要領へと、そして保育所保育指針へとその基本となる考え方は統一されていきました。そして、それぞれの領域は教科ではなく、保育項目から派生し、また保育内容に限定されました。そして、「表現」の領域は、「豊かな感性を育て、感じたことや考えたことを表現する意欲を養い、創造性を豊かにする観点から示したものである。」とされ、歌を歌う、楽器を演奏する、絵を描くこと自体が目的ではなくなりました。ねらいはあくまでも「いろいろなものの美しさなどに対する豊かな感性をもつ。」「感じたことや考えたことを様々な方法で表現しようとする。」「生活の中でイメージを豊かにし、様々な表現を楽しむ。」というように、「豊かな感性」を持つことで、「表現しよう」とし、「表現を楽しむ」ことになったのです。

この時点で、幼稚園、保育園における発表会は、変わらなければならなかったのです。

おたのしみ会の考察3

私の園での「おたのしみ会」では、保育所保育指針の領域の中の「表現」と「言語」の発達を保護者に伝えることを意図するのですが、この「表現」とはどういうことで、何を通して行うのでしょうか?小学校では、児童が学習の成果としての音楽・演劇などを発表することが多く、また、特別のプログラムをもって劇、朗読、合唱、合奏、舞踏などを子どもたちに発表させる学校行事としてとらえられることが多いようです。

幼稚園教育要領では、「第2章 ねらい及び内容」の中で、「幼児の発達の側面から,…感性と表現に関する領域 「表現」 としてまとめ」とあります。また、保育所保育指針には、「教育に関わるねらい及び内容」として「表現」の領域には、「感じたことや考えたことを自分なりに表現することを通して、豊かな感性や表現する力を養い、創造性を豊かにする。」とあります。どちらにしても「領域」の一つとして書かれてあるのですが、幼稚園教育界の公的文書に「領域」が文言として取り入れられたのは、昭和31年の幼稚園教育要領からです。このころの教育要領は、教育内容を6領域に分類し、望ましい経験を各領域に即して示したことですが、小学校教育での教科との一貫性を持たせようとした感があります。

この一貫性は、幼稚園の位置づけが影響しています。それは、戦後、アメリカのGHQによって行われた教育改革で、昭和22年に「教育基本法」「学校教育法」が公布され、幼稚園は学校教育の体系の中に組み込まれ、幼稚園教育としての目的と目標が示されたのですが、具体的な保育内容については示されませんでした。そこで文部省は、委員会を作り、「保育要綱」(幼児保育指針)を作成します。この昭和23年に刊行された保育要領の保育内容は、見学、リズム、休息、自由遊び、音楽、お話、絵画、製作、自然観察、ごっこ遊び・劇遊び・人形芝居、健康保育、年中行事の12項目でした。ただし、「幼稚園の毎日の日課は枠の中にはめるべきではなく、幼児の生活に応じて日課を作るようにすべきである」と述べられています。

しかし、この中で謳われた「教師は、幼児の自由な活動の間に幼児の一人ひとりに注意を向けて必要な示唆を与え、個々に適切な指導をし、身体的にも、知的にも、感情的にも、社会的にも適当な発達を図ることが大切である」という趣旨は、次第に系統性や計画性が欲しいという意見が多くなり、当時の文部省は、昭和26年12月、教育課程審議会の答申で「幼稚園の活動及び経験は、健康・社会・自然・言語・絵画製作・音楽リズムの領域に関するものとする」となされ、「領域」という言葉が現れます。ここで、「『領域』は指導を筋道を立てて考えるためのもの」と説明され、「6領域」が生まれました。現在、いくら「領域」は「発達の側面」と説明しても、領域ごとに年案、月案が立てられ、教科のように指導する内容として捉えられてしまうのは、この時の「指導を筋道を立てて考えるためのもの」として捉えられていることが影響しているのでしょう。また、これらの「領域」は、「小学校以上の学校における教科とは、性格を大いに異にするということである」が記述され、「幼児の具体的な生活経験は、ほとんど常に、これらいくつかの領域にまたがり、交錯して現れる」とあるにもかかわらず、領域をたてたのは「内容を組織的に考え、かつ指導計画を立案するための便宜のためからしたものである」と記述がなされていることなどから、領域別に指導計画をたてて指導するのが望ましいといった認識が生じていき、領域が教科的に扱われる傾向に拍車がかかります。そして、指導計画の作成についても、その時期の子どもの発達を考えた「主体的な生活づくり」として考えることなく、小学校の指導計画のように、内容を系統的に配列すれば、子どもが豊かに育つと認識されてしまい、幼稚園教育が学校の授業のようになっていきます。

ということから、保育園、幼稚園における発表会は、小学校の学芸会のような意図と目的を持ってしまっています。

おたのしみ会の考察2

 私が、「お楽しみ会の在り方」を職員に話をした内容の続きです。

「どのクラスも保育指針の表現・言葉のところに書いてある内容を読んで、その通りにやっていけばよい!!例えば…テーマは4月から決まっているので、4・5月くらいの時点でテーマにちなんだ絵本を置いておいてその本を好きにさせてそれをおたのしみ会にやる…など最初のときに見通しておくことが必要。また、今年度の先生が今からでも活動を記録しておくとそれが年案になるのである!そのように今年の先生は記録しておくと良いでしょう。」

 「=各クラスの見せていくポイント(指針より)=(0歳児クラス)いつもの朝の様子をステージでみせていく。そして当日はそれをテーマに沿ってやっていく。(1歳児クラス)0歳児クラスのいつもの様子に加えて、みんなで踊ったり、歌ったりしているのを見せる。(2歳児クラス)挨拶などの普段の様子をみてもらう。絵本など簡単なイメージをみんなでもってまねしてみる。(動物になってみたり)簡単なリズム楽器をならしたりする。(2歳児クラスから3,4,5歳児クラス 言葉)簡単な母音の発音を教えていくようにする。(3,4,5歳児クラスの部屋に張ってあるもの)職員が大きな口で正しい母音で話したり、絵本を読んだりしていかないといけない。そのようにきちんと正しい発音で明瞭に話が出来るようになることが発達である。(3,4,5歳児クラス)指針の発達に合わせた劇遊びをしていく」

保育を含めて、行事等は園の中で修正を加えながら伝承されていきます。新人の保育者は、1年間を通して、その流れ、段取り、当日の動きを学んでいきます。その学びは、書類によってではなく、また会議によってではなく、研修でもなく、体験から学んでいきます。自ら体で体験していくのです。ですから、それを示すのが、先輩の役目です。先輩が、自ら行動するのを見せていくのです。先輩も、言葉で伝えるのでもなく、命令したり、指示したりせず、自ら行動していく姿を見せて行きます。そして、就職2年目になると、それを定着させていかなくてはなりません。定着させるのによい方法は、人に教えることです。そこで、私の園では、2年目の職員が、行事の総責任者となるのです。

しかし、開園1年目は、その伝承はまだ行われません。そこで、園長が、保育過程に沿って、行事の考え方を話していきます。しかし、それはあくまでも基本的なことで、それを実際に行う職員が改良していくのです。開園1年目における私の考え方は、いろいろな部分にまで触れていきます。細かいところまで話すことによって、その共通な理念が見えてくるのです。独自性を尊重するといって、大綱しか語らないと、かえって、その芯になる部分が見えてきません。多くの事例、多くの分野における考え方を知ることが独自性を生み出しやすくなるのです。

お楽しみ会についての私の考え方は、「おたのしみ会の取り組みコメントについて」も話していきます。「普段の様子やその日までの取り組みをかいて保護者に知らせるためのコメントをプログラムにのせる。その日のみどころを書くものではない。」また、「プログラムについて」は、テーマに沿ったものにする。」また、「会場について」は、「3,4,5歳児の部屋を使用しておこなう。席は一番前をシートを敷いて優先席(演じているクラスの保護者)を設ける。ステージを使うかどうかは検討していく。」また、「装飾」について、「大きい背景画を下げて、装飾なども各クラスあまり凝ってない。各クラスでバランスが必要になる。」また、「幕間」などは「係が全部担当するのではなく、係が担当をふりわけるようにする。」という具合です。

おたのしみ会の考察1

 小学校などの初等教育では、学芸会と呼ぶ行事があるのですが、その名前は、学校によっては学習発表会など別の名前で呼ばれることもあります。それは、以前のブログでも書いたように、「学芸会」という名前は、「学問」と「芸術」ということで、その両方から1文字ずつとったのですが、もう一つの「学問」をとって、その学習を発表するというイメージで「学習発表会」というのでしょう。しかし、これも少しおかしいのは、新しい学習指導要領では、「学芸的行事」から「文化的行事」と改められていますので、この発表会の内容は、学問的とか学習的な行事ではなくなっているのです。

では、このような行事を園や幼稚園では、どう呼んでいるのでしょうか。それは、昨日までのブログでわかるように、小学校の特別活動としての行事ではないということを確認しないといけないと思います。では、どのような位置づけかというと、保育所保育指針と、幼稚園教育要領には、「保育の内容」としてここで行われる幼児教育の内容が書かれてあります。それは、「環境を通しての発達」です。そして、その発達の切り口として5領域が書かれてあります。指針には、「“教育”とは、子どもが健やかに成長し、その活動がより豊かに展開されるための発達の援助であり、“健康”、“人間関係”、“環境”、“言葉”及び“表現”の五領域から構成される。この五領域並びに“生命の保持”及び“情緒の安定”に関わる保育の内容は、子どもの生活や遊びを通して相互に関連を持ちながら、総合的に展開されるものである。」とあります。

ということは、保育園、幼稚園が「生活や遊びを通して」とあるので、「生活発表会」と呼ぶことはあります。「生活」や「遊び」は、子どもたちの普段行われていることですので、それを発表するというのは、生活が学習であると捉え、生活の成果を発表しようとする場合でしょう。しかし、生活の成果は、子どもたちの発達であり、それが5領域に構成されているとしたら、いわゆる秋の学芸会のような行事では、どの領域の成果が中心なのでしょう。私の園では、「言葉」と「表現」の発達を保護者に見てもらおうとする位置づけです。

園を開園して初めての行事を行うとき、私は、その行事についての私の考えを職員に話しました。たまたま、ある職員がその内容の要点を記録し、共有ホルダーに保存してあるのを見つけました。その内容について補足しようと思いますが、とりあえず少しわかりにくい部分があり、また、検討事項が多く、職員に課題を投げかけているものもありますが、それを掲載してみます。

「園長先生よりおたのしみ会について;行事は子どもの発達をみせる。お楽しみ会→言葉、表現の発達面をみせる行事。なので…そのために練習して見せるのではなく、普段の子どもがどこまで発達しているのかをみてもらう。その日間際に練習をするのは、普段の保育をきちんとおこなっていないということ。発達を見せる行事なので、年齢別でみたほうがわかりやすいのでクラスごとにおこなう。台詞の長さ、難しさ、楽器の難しさで個人差をつけていく。

表現:音楽→楽器・歌と劇あそび 言葉:日常会話とごっこ。では、楽器あそびはどう考えるか。年齢によって楽器をこちらで決めてしまうのではなく、自分でやりたい楽器を決めていく。出来るのは個人差がある。普段の楽器あそびでいろいろな楽器に触れていく。自分でやりたい楽器・曲を決めて、自分で決めたものは最後まで練習をがんばるようにする。劇遊びについては、3・4・5歳の劇遊びは職員がみんなで協力していかないと不可能である。練習を見合ったりしていく。」

 このあと、各クラスごとにポイントを話しています。

教科から教育

学芸会などを学校で行う際に問題になるのが練習です。子どもたちは、毎日毎日練習をさせられます。教員も、その練習と準備に時間と労力を注ぎます。それが、子どもと教師にかなり負担になっています。学習指導要領の特別活動の実施上の留意点には、こう書かれてあります。「練習や準備に過大な時間をとり、児童に過重な負担をかけることのないように、練習、準備の在り方を工夫、改善するとともに、行事の年間指導計画を作成する際にあらかじめ適切な時間を設定しておくようにする。」

小学校でもこのような点に留意するようにと書かれているにもかかわらず、それよりも小さな幼児期において、かなり練習に時間をとり、職員はその準備に過大な時間を労しています。それは、どうも、学芸会のような行事の目的が明確ではないことにある気がします。

 日本では、世界のおおむねの国で行われたように、教育に対する内容が見直されました。戦争という人類の最悪の手段に至る過程の中で、 教育の影響が非常に大きく、それは、多くの一斉教授による画一的教育を生み出しました。第二次世界大戦での敗戦により、日本の軍国主義体制が見直され、徹底した民主化政策が採られ、あらゆる側面に於いて民主主義社会を支える国民の育成を目指した戦後教育改革が断行されました。その結果、公民的資質を育成するための民主的経験が不可欠とする考え方から経験主義的教育が重視されたのです。具体的には、戦後すぐの1945(昭和20)年11月21日に文部省総務室が「画一教育改革要綱」において「生徒ノ自発的学習並ニ自治的訓練」を促すような方途を講ずるべきことであると指摘されました。

そして、1947(昭和22)年に初めて発表された『学習指導要領 一般編』では、児童中心主義的教育観を全面に示し、児童の自発性や興味を重視した生活経験型の教育が教科課程全体に求められていたのですが、その中で、教科外に該当する教育内容が示されたのです。その活動内容は「個人の興味と能力に応じた教科の発展としての自由な学習」を中心とすることが、「学芸会」や「全校運動会」でも配慮すべきことと言及されているのです。このことは、運動会の時にも触れましたが、これら特別活動は、基本的に児童の自治に負うところが意図として大きいのです。こうして、特別活動をいう教科外活動にも教育が求められ、「特別教育活動」として整備され、1951(昭和26)年の学習指導要領改訂では教科課程が教育課程という名称に改められたのです。そして、それは、「実際に児童・生徒が持つところの教育的な諸経験、または、諸活動の全体」と捉え、教科については文化財の系統的体系ではなく教育的必要に基づく経験の組織と捉えられていたのです。

このように特別活動としての「学芸会」の経緯を見てくると、学芸会のために子どもたちは毎日練習を繰り返し、教員は準備に大忙しというのはおかしいことなのです。また、幼児教育で、特別活動をそのまま取り入れることはできないことがわかります。日本では、よく言うことですが、どうも小学校教育をモデルにして幼児教育を行うことが多くみられ、幼児教育も学校教育の中に組み入れるべきだという意見が出てくるようです。発達を踏まえた行事であるとしたら、児童の自治を目指す小学校における特別保育をモデルにしないで、乳幼児教育における学芸会に代わるものを考えないといけないのです。

主役

小学校での学芸会は、私が子どものころからありました。しかし、私の子どもの頃と大きく違うのは、劇をやるときに、主役がいたことです。私は、あまり劇は得意ではありませんでした。確か、高学年の時だったと思いますが、「泣いた赤鬼」の劇をしました。私の役は、赤鬼の書いた立札を見て、驚く猟師の役でした。その時の赤鬼役の友達が演じる素晴らしい演技に感心したことを思えています。随分と昔のことなのに覚えているのは、主役ではなかったことではなく、友達の演技の素晴らしさと、つくづく自分の演技の下手さを思い知らされたことです。

最近の劇では、主役を一人に決めないことが多いようです。小学校の学習指導要領の特別活動には、こう実施上の留意点が書かれています。「言語力の育成の観点から、 学芸会などで異年齢の児童が一堂に会して、 互いに発表し合う活動を効果的に実施することが望ましい。その際、 特定の児童だけが参加、 発表するのではなく、 何らかの形で全員が参加しているという意識がもてるようにする。」この項目を、主役を特定の児童だけにしてはいけないと読み込んでしまう学校が多い気がします。これをよく読むと、「何らかの形で全員が参加しているという意識がもてるようにする」ということで、舞台背景のかかり、音楽担当、衣装担当というように、児童が得意な分野からの参加が望ましいのです。それは、次の留意点の「児童の発表意欲を尊重し、自主的な活動を十分に認め、できるだけ自主的に運営できるよう配慮する。」とあるのです。いやいやとか、向いてもいないのにその役をやるとかいうような発表意欲をそぐようなことは避けるべきなのです。

しかし、どうも、保護者はわが子が主役であること、特定の児童が主役を占めることに対して苦情を言うようです。しかし、このような苦情は、日本だけのことではないようです。2008年6月7日付のタイムズ紙に「日本のモンスターペアレント、センターステージを奪う」というタイトルの記事が海外で話題になりました。

「日本のある郊外の小学校で、ヒロインの白雪姫がなんと25人も現れる学芸会が行われた。そこには、原作に出てくるコビトや魔法使いのおばあさんの姿はまったくない。舞台作りをしたのが、モンスターペアレントと呼ばれる日本の父母たち。ヒロインに1人の女の子を選ぶのは不当だとして、教師たちを脅し、迷惑電話をかけて降参させたというのだ。」この結果、「親たちにとって、勝利の舞台だった」と記事には書かれてあります。

この記事を読んだイギリスなどの読者は、どう感じたかというと、なんと、タイムズ紙のサイトの記事コメント欄には、むしろ共感するような書き込みが多かったそうです例えば、「アメリカのひどいバージョンだね」「アメリカナイズと呼ぶよ」といった書き込みのように、この親の態度は、日本人特有ではなく、アメリカ的だというのです。書き込みの中で、アメリカ人のダニーさんは、「僕の妻は中学2年生の担任だけど、彼女はいつも、うちの子に限って悪いことは絶対にしない、と信じきってる両親から嫌がらせされているよ。訴えられる前に保険に入ろうかって段階まできているよ」と書き込みました。また、ニュージーランドのグレッグさんは、「これってアメリカの真似かい?僕は学校で働いているけど、こういう両親いるよ。脅しの手紙を振り回す親がね。絶対に、子供に何がいいかを提供するプロを信頼しないんだ」と明かしたのです。そのほかにも、この記事に対して、なんと110件ほどのコメントが来たそうです。

どうも、モンスター親に悩まされているのは、日本特有ではなく、かえって英米両国の方が多いようです。どうも、このような状態を、イギリスのタイムズ紙に掲載したのは、「一番早く現象が現れたイギリスでは、親が先生に暴力を振るう『フーリガンペアレント』まで問題になりました。これに対し、日本人は礼儀正しい、頭がいいと思っていたイギリス人は、日本でも、暴力まではいかなくても同じような現象が起きていると知り、イメージと違う」と驚いて記事にしたのではないかとジャーナリストの多賀幹子さんは、考えています。

文化的行事

 小学校での秋の行事と言えば、「学芸会」「展覧会」「合唱祭」があります。その呼び方は学校によって若干違っていますが、それにならって、保育園、幼稚園でもこのような行事が行われています。この行事の位置づけを、その呼び名から考えてみたいと思います。

これらの行事は小学校学習指導要領な中の運動会同様「特別活動」として位置付けられています。現在の学習指導要領は平成20年に改訂されたものであり、特別活動の項目においても改善されています。それは、「望ましい集団活動や体験的な活動を通して、豊かな学校生活を築くとともに、公共の精神を養い、社会性の育成を図るという特別活動の特質を踏まえ、特によりよい人間関係を築く力、社会に参画する態度や自治的能力の育成を重視する。また、道徳的実践の指導の充実を図る観点から目標や内容を見直す。」とされました。

 内容として、「子どもの自主的、自発的な活動を一層重視するとともに、子どもの実態に適切に対応するため、発達や学年の段階や課題に即した内容を示すなどして、重点的な指導ができるようにする。」とありますが、それは、最近の子どもたちは、「自分に自信がもてず、人間関係に不安を感じていたり、好ましい人間関係を築けず社会性の育成が不十分であったりする状況が見られたりする」からとし、そのために、「体験活動や生活を改善する話合い活動、多様な異年齢の子どもたちからなる集団による活動を一層重視する。」としています。

小学校においても、かなり異年齢児活動が重視されてきているのです。それは、特別活動の中の児童会活動についても、こう明記されています。「よりよい学校生活を主体的に築くための話合い活動や集団への寄与など、異年齢の子どもたちからなる集団による自治的能力の育成を重視する観点から、具体的な内容を示す。」とあります。また、クラブ活動についても、「個性を伸長し、異年齢の子どもたちからなる集団による共通の興味・関心を追求する活動を通して、楽しい学校生活やよりよい人間関係を築く力の育成の充実を図る観点から、具体的な内容を示す。」とあり、様々な部分で、異年齢という言葉を見ることができます。

さらに、改訂の要点の中で、「学校行事の改善」があり、「学芸的行事」を「文化的行事」と改め、「文化や芸術に親しむ活動」を加えています。「学芸」とは、「学問」の「学」と「芸術」の「芸」を合わせたものです。それを披露してきたのが「学芸会」としたら、新しい学習指導要領では、「文芸会」となるべきかもしれません。では、「文化的」とは、どう規定されているのでしょうか。「文化的行事」のねらいと内容は、「平素の学習活動の成果を発表し、その向上の意欲を一層高めたり、文化や芸術に親しんだりするような活動を行うこと。」とあります。解説書には、文化的行事のねらいが、こう書かれてあります。「児童が学校生活を楽しく豊かなものにするため、互いに努力を認めながら協力して、美しいもの、よりよいものをつくり出し、互いに発表し合うことにより、自他のよさを見付け合う喜びを感得するとともに、自己の成長を振り返り、自己を伸ばそうとする意欲をもてるようにする。また、文化や芸術に親しみ、美しいものや優れたものに触れることによって豊かな情操を育てる。」とあります。

そして、文化的行事には、 児童が発表し合い、互いに鑑賞する行事として、学芸会、学習発表会、作品展示会、音楽会、読書感想発表会、クラブ発表会などがあり、児童の手によらない作品や催し物を鑑賞する行事として、音楽鑑賞会、演劇鑑賞会、地域の伝統文化等の鑑賞会などが考えられると書かれています。

この内容に沿って、各学校では、文化的行事を計画するのです。

運動会の考察15

 運動会の日の座席確保にも苦労しますが、もう一つ、保護者の写真撮影、ビデオ撮影の配慮に苦労します。保護者に「写真を撮ることだけに集中するよりも、当日の実際のわが子の姿を目に焼き付けてください。」と言って、当日写真撮影を禁止する学校が増えています。また、子どもの写真を悪用したり、興味本位で他人の子どもを撮影したりする人もいることから、事前に申し出によって撮影許可書を発行し、その印をつけている人のみに撮影を許可する場合もあります。これは、不特定多数の人が出入りできる場所での開催は、配慮が必要かもしれません。また、最近は、業者による写真撮影を行い、後でネット販売するシステムもありその「業者に子どもの写真を撮ってもらいますので、保護者の写真撮影はご遠慮願います。」とすることもあります。

 このような運動会における写真撮影について、以前このブログでも書きましたが、確かに、写真撮影をすると、わが子だけのアップが多く、また、ファインダーからのぞく範囲しか見ないため、かけっこなどでは全体像が見れないため、わが子が何位だったかという結果がわからないことがあります。また、このような行事の写真は、カメラに収めると意外と小さくしか写らないことがあります。劇的瞬間は、ぜひ、肉眼で持てほしいですね。

 と言っても、保護者の気持ちはどうでしょうか?例えば、孫が初めて幼稚園なり保育園の運動会で走るとなると、見に行きたい気持ちはあります。また、娘や息子は、私たちに見せたいと思う気持ちもあるでしょう。また、写真を撮りたいと思う気持ちもわかります。親というものは、なかなか理屈で子育てをすることはできず、子どもへの思いも理屈では割り切れないことも多いのです。また、最近は、立派なカメラやビデオを持っている人が増えました。ズームを使って大きく写すこともできるようになりましたし、スピード感を出したり、ぶれずに撮れたりと、様々なテクニックを使うことができます。ネットでは、「運動会でのわが子の姿の写真の上手な撮り方」などが多く掲載されています。

 また、逆に、大げさなカメラではなくても、小さなデジカメでも高性能のものができ、また、たくさん撮っても、プリントしないでも、いい写真だけを選択することも可能になりました。また、携帯電話やスマートフォンでも、簡単に写真撮影や動画撮影ができるようになりました。私の子どもたちは、孫の写真を日常撮って、いい写真だけ私たちの家のリビングにある写真スタンドに送ってきます。「チャラン!」となると、新しい写真が送られてきます。遠くにいても、いつでも最近の孫の写真を見ることができるのです。このような時代ですから、写真撮影を禁止することは簡単ですが、それよりも、どうしたら親の思いを受け止めることができるかという話になります。

 運動会では、幸い、体育館には2階周りに、点検のためにキャットウォークという狭い通路があります。そこを、ビデオ撮影場所として開放しています。また、おたのしみ会など、会場が狭い場合は、見る時に邪魔にならないような場所にビデオ席を用意し、そこに三脚を立ててもらって撮影してもらっています。そのほかの写真については、いろいろと工夫したのですが、結局は、保護者同士、園と保護者の関係が良好の場合は、お互いが譲り合い、工夫しあって撮影しているようです。運動会の競技の中に、トラックを回りながら演技するような種目の時に、保護者は、わが子をずっと追い続けて撮影するのは無理だと知って、トラックの部分別に撮る場所を保護者が担当し、後でデータをやり取りしているときがありました。

 お互いが信頼しているときには、保護者に任せても、特に問題は起きないようです。