宇宙の始まり、人類の誕生にまでさかのぼってしまいましたが、そして、未来の世界を見てみました。それを踏まえて、現在をいかに生きるかという話に戻ってきます。そのために見つめなおすために、広く、宇宙の中でその存在が必然であるかもしれない人類は、どんな使命を持って生存しているのかを考えないといけないと思います。また、その生存戦略のために、どのような能力を乳児につけているのでしょうか?その能力の多くは、私が言うところのダークセンスなるものであるとしたら、その中の大きな役目を果たしているのが、一部社会脳の働きから解明されている力のような気がします。
現在、「対人知性」と呼ばれる知性が、生きていくうえで最も大切だと言われています。この能力は、他人との関係性を築く力ですが、いわゆるコミュニケーション能力と言われるような、人と人とが言語によって会話をするとか、自分の考えをきちんと主張するという力ではなく、他人を理解する能力をいいます。例えば、「この人の動機は何か」「あの人はどう動くだろうか」「皆と協調して動くにはどうすればいいのか」といったことを理解する能力なのです。
すなわち、対人知性の本質は、「他人の気分、気質、動機、欲求を選別し、それに適切に対応する能力」と言われており、言葉によらない他人とのコミュニケーションであるともいえます。どうしても、言葉が話せるようになると、言葉で表現したもの、文字で表現したものから他人を理解しようとします。しかし、相手に対しての対応は、言葉では表さない心を理解する必要があるのです。ですから、私は、この対人知性は、まだ言葉を話すことができない乳児において、最も優れていると思うのです。
乳児は、このような能力を兼ね備えていなければ、生きぬいていけなかった気がします。その時の「他人の」は、乳児にとっては、「母親の」とか「養育者の」であり、彼ら、彼女らの気分、気質、動機、欲求を選別している気がするのです。私は、赤ちゃんを見ていると、大人の顔色をじっと観察し、大人の気分なりを選別していると思うのです。その多くは、言葉よりも、まず、その顔色、すなわち顔の表情から感じたり、抱っこしてもらっているときに、その抱き方からも感じている気がします。
私が、小学校の1年生を教えたとき、4月の理科の最初の授業で、教科書の扉の写真について、こう子どもたちに問いかけました。「この写真からわかることは何がありますか?」今考えると、また小学生になりたての子どもたちに聞くのはずいぶん難しいことだったなあと思うのですが、理科の一つの課題はよく関節することだと思ったからでした。その写真は、家の庭でウサギを抱っこしている女の子の姿でした。その前に、学年主任の年配の女性の先生に、「このページはどのような授業をするのですか?」と聞いたところ、「扉の写真だから、特に何もしなくてもいんじゃないの?」「もしするのであれば、うさちゃんって、どのように跳ねるのかとか聞いて、みんなでぴょん、ぴょんと真似などしたら?」
どうも、私はそのような授業をするタイプではないので、先のような質問をしてみたのです。こんなことまで出ました。「縁側には男の下駄が並んでいるので、この子のお父さんがいつも庭に出る」「家のガラス戸に高いビルが映っているので、この子の家の前には高いビルがある」などです。その中で、こんなものが出ました。「この子のウサギの抱き方は、きっとウサギが好きだと思う」
子どもたちは、人のこんな気分、動機を感じることができるのですね。