他人を察する

 宇宙の始まり、人類の誕生にまでさかのぼってしまいましたが、そして、未来の世界を見てみました。それを踏まえて、現在をいかに生きるかという話に戻ってきます。そのために見つめなおすために、広く、宇宙の中でその存在が必然であるかもしれない人類は、どんな使命を持って生存しているのかを考えないといけないと思います。また、その生存戦略のために、どのような能力を乳児につけているのでしょうか?その能力の多くは、私が言うところのダークセンスなるものであるとしたら、その中の大きな役目を果たしているのが、一部社会脳の働きから解明されている力のような気がします。

現在、「対人知性」と呼ばれる知性が、生きていくうえで最も大切だと言われています。この能力は、他人との関係性を築く力ですが、いわゆるコミュニケーション能力と言われるような、人と人とが言語によって会話をするとか、自分の考えをきちんと主張するという力ではなく、他人を理解する能力をいいます。例えば、「この人の動機は何か」「あの人はどう動くだろうか」「皆と協調して動くにはどうすればいいのか」といったことを理解する能力なのです。

 すなわち、対人知性の本質は、「他人の気分、気質、動機、欲求を選別し、それに適切に対応する能力」と言われており、言葉によらない他人とのコミュニケーションであるともいえます。どうしても、言葉が話せるようになると、言葉で表現したもの、文字で表現したものから他人を理解しようとします。しかし、相手に対しての対応は、言葉では表さない心を理解する必要があるのです。ですから、私は、この対人知性は、まだ言葉を話すことができない乳児において、最も優れていると思うのです。

 乳児は、このような能力を兼ね備えていなければ、生きぬいていけなかった気がします。その時の「他人の」は、乳児にとっては、「母親の」とか「養育者の」であり、彼ら、彼女らの気分、気質、動機、欲求を選別している気がするのです。私は、赤ちゃんを見ていると、大人の顔色をじっと観察し、大人の気分なりを選別していると思うのです。その多くは、言葉よりも、まず、その顔色、すなわち顔の表情から感じたり、抱っこしてもらっているときに、その抱き方からも感じている気がします。

 私が、小学校の1年生を教えたとき、4月の理科の最初の授業で、教科書の扉の写真について、こう子どもたちに問いかけました。「この写真からわかることは何がありますか?」今考えると、また小学生になりたての子どもたちに聞くのはずいぶん難しいことだったなあと思うのですが、理科の一つの課題はよく関節することだと思ったからでした。その写真は、家の庭でウサギを抱っこしている女の子の姿でした。その前に、学年主任の年配の女性の先生に、「このページはどのような授業をするのですか?」と聞いたところ、「扉の写真だから、特に何もしなくてもいんじゃないの?」「もしするのであれば、うさちゃんって、どのように跳ねるのかとか聞いて、みんなでぴょん、ぴょんと真似などしたら?」

 どうも、私はそのような授業をするタイプではないので、先のような質問をしてみたのです。こんなことまで出ました。「縁側には男の下駄が並んでいるので、この子のお父さんがいつも庭に出る」「家のガラス戸に高いビルが映っているので、この子の家の前には高いビルがある」などです。その中で、こんなものが出ました。「この子のウサギの抱き方は、きっとウサギが好きだと思う」

 子どもたちは、人のこんな気分、動機を感じることができるのですね。

月食

昨日は、節分で、今日は立春です。これらは祝日ではないのでそれほど問題はないのですが、祝祭日が年によって変わるものがあり、どうやって決めるのだろうと思っていました。それが、一昨日にわかりました。読売新聞に「国立天文台が2日付の官報で公表した2010年の暦要項で、同年12月21日に、全国で「皆既月食」が観測できることがわかった。」という記事があったからです。毎年2月の最初の官報で翌年の暦要項が発表されることになっていて、今年は2月2日に「平成22(2010)年暦要項」が発表されました。
暦計算室では、国際的に採用されている基準暦に基づいて、太陽・月・惑星の視位置をはじめ諸暦象事項を計算し、「暦書」として「暦象年表」を発行していて、それから抜粋したものが暦要項です。昭和29年6月1日の官報に次年度の暦要項を掲載したのが最初だそうです。
この暦要項には、国立天文台で計算した翌年の暦(国民の祝日、日曜表、二十四節気および雑節、朔弦望、東京の日出入、日食および月食)が掲載されています。それによると、平成22年には日食が2回、月食が3回ありようです。1月1日は部分月食、全国で見ることができますが、食分は最大0.082と僅かにかけるだけです。1月15日は金環日食、西日本でかけたまま沈んでいく太陽を眺めることができます。6月26日は部分月食、全国で見ることができますが、南西諸島・九州・中国・四国地方の一部および北海道の一部では食が始まってから月の出となります。7月12日は皆既日食ですが、日本では見ることはできません。12月21日は皆既月食、ほぼ全国でかけたまま昇ってくる月を眺めることがでますが、西日本では皆既食が始まってから、石垣島周辺では皆既食が終わってから月の出となります。
 12月21日に、全国で見られる「皆既月食」ですが、2007年8月28日に、全国で皆既月食が見られました。その前が2001年1月でしたから、6年ぶりでした。2007年のときには、地球の影の中に月がすっぽりと入ってしまうこの現象が全国で見られたこと、また、夕刻から夜という多くの人にとって観察しやすい時間帯に起こるために、国立天文台では、「皆既月食どんな色?」というキャンペーンを行いました。月食は、日食と違って肉眼でも十分観察できる天文現象ですから、全部で3138件の観察結果のご報告があったそうです。ちなみに、このようなキャンペーンをよくやるのですが、これまでの10回のうち最も多かったのは、「夏の夜・流れ星を数えよう」というペルセウス座流星群のときのキャンペーンで、11375件もあったそうです。
皆既月食中の月は、一般的に真っ黒にはならず、赤銅色とよく表現される赤黒い色で見られることが多いのですが、この色は、皆既月食ごとに変化することが知られています。来年の話になるのですが、どんな色の月食が見られるのでしょうか。
 私が、小学校の教員をしていたとき、近くの中学生数人が訪ねてきて、「天文研究会の顧問になってくれませんか?」と頼まれ、ほぼ毎月、私の家で、テストをしたり、天体についての話をしたりしていました。その中の活動として、何人かの中学生が私の家に泊まりこんで、月食の観察を夜中にしたのを思い出します。

おたのしみかいだより

 古い書類を整理していたら、こんな通信が出てきました。
それは、私が、学校建築の研究のために小学校に勤務していたときの通信です。1年生を担任していたとき、クラスの子どもたちが発行した「おたのしみかいだより」というもので、全部で4号までありました。
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  1号にはこう書かれています。「こんど1ねん1くみでおたのしみかいをやります。きめたこと(1)かいのなまえ…おたのしみかい (2)はん…バス、のこぎりざめ、あらいぐま、ひこうき、かに (3)せきにんしゃ…かわさき、みやざき (4)かくひと…わたなべ やっているときにふざけない(みやざき)はんでやることをきめておいてください(かわさき)おたのしみにね!」
これは、B5の更紙に印刷されています。この子たちは、今は30歳後半になっているでしょうが、子どもが自らつけた班の名前からも時代が感じられます。この計画に、私はどのくらい関わっているかわかりませんが、子どもたちだけで話し合いをして、自分たちでいろいろなことを決めているようです。第2号(12月10日)には、こんなことが書かれています。
「みんなでいろいろはなしあって、ひにちをつぎのようにきめました。12月23日(金)1,2じかんめ だいたいやることをきめました。ひこうき…かみしばい かに…にんぎょうげき あらいぐま…おりがみ のこぎりざめ…がっそう バス…げき」
こんな頃、ある子から私にこんな手紙がきました。「先生へ おたのしみかいについて 私はげきをやりたいとおもいます。しかし、はんのみんなはれんしゅうをしようとおもってもならいごとがあるからって あつまってくれません。どうしたらいいでしょう。わたしは一人でもやりたいとおもいますけど どうしたらいいの。えりこ」
この手紙に私はどう答えたのでしょうか。そのあと、その班はどうなったのでしょうか。3号(12月16日)には、日程表がカレンダーになっていてそこに予定が書かれてあります。
「よていひょう 17(土)かかりをきめる 19(月)?22(木)れんしゅう 21(水)ぷろぐらむをつくる 22(木)しょうたいじょうをつくる 23(金)おたのしみかい」
 出てきたこの「おたのしみかいだより」は、4号までしかありませんが、発行されたのも4号までなのかわかりませんが、プログラムも出てきたので、たぶん、この号で終わりでしょう。
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「かかり ぷろぐらむ…かに かいじょう…あらいぐま かざり…ひこうき しかい、うけつけ…のこぎりざめ どうぐ、あんない…バス りっこうほしてかざりかいがいいといったぐるーぷが、ひこうきとのこぎりざめです。はんちょうがじぶんのはんは、こうするといって みんなで手をあげて ひこうきにきまりました。」
 係りをきめるのは、どうもそれぞれが自主的に立候補しているようです。そして、競合した場合は、班長がどのようにやるかプレゼンをして、みんなで選んでいるようです。そして、プログラムがあります。「1、はじめのことば(かわさき みやざき)2、先生のことば 3、うた ぜんいん(むしむしむしめがね)4、かみしばい(ひこうき)5、げき(バス)6、にんぎょうげき(あらいぐま)7、がっそう(のこぎりざめ)8、にんぎょうげき(かに)9、がっそう ぜんいん 10、ぽんぽんぴあの 11、さんたのおじさんのことば 12、おきゃくさんのことば 13、おわりのことば(わたなべ)」
 どうも、最初の予定通り、劇をやったようです。このプログラムに、やっと私が登場します。もちろん、すべてを子ども達だけで進めているはずはありませんが、今これを読み返してみると、1年生が生き生きと自分たちで会の準備を進めていっている姿が伝わります。なんだか、もう一度教師をやりたくなりました。

子どもの瞳

 少しの間小学校の教員をしているときのことです。前の先生との引継ぎのため、3月末の数週間だけ5年生を担任しました。数週間の間だけでしたが、担任していた5年生は随分と慕ってくれました。あるとき、子どもたちが「先生のうちに遊びに行きたい!」と言ったのですが、4月からは1年生の担任になることが分かっていたので、5年生とは余り深くならないほうが6年に担任になる先生がやりやすいだろうと思っていたこともあって、住所は教えませんでした。私の家は、その小学校からは4Kmくらい離れていました。あるとき、帰宅をすると、子どもたち数人が私の家にいるではありませんか。どうしてここにいるのか聞いてみると、「どうしてもみんなで先生のうちに来たかったので、他の先生に住所を聞いても町名しかわからないと言われた。だから、クラスみんなで手分けをして、毎日その町内を端から数日かけて探していたのだ。そして、やっと見つけたのだ。」と言うのです。そのときは、とてもうれしかったのですが、怒った振りをして、「ダメじゃないか。勝手に来ちゃ。」と言って、家に連絡をして、一緒にお菓子とかを食べて帰しました。
そのとき、ふと、壺井栄の「二十四の瞳」を思い出しました。何回か映画になっていますが、瀬戸内海に浮かぶ小豆島を舞台に、戦前から戦後にかけての女教師と12人の生徒たちの交流を感動的に描いています。その中の前半で特に感動を呼んだ部分は、
「足を怪我して学校を休んでいる大石先生を見舞うため、子どもたちは歩いて先生の家に向かいます。ところが迷子になってしまい泣きながら歩いている生徒達をたまたまバスで通りかかった大石先生が見つけ、その後、大石先生の家で子どもたちは大いにもてなされ、記念写真を撮り、船で帰っていったのです。」
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この場面を本を読んだ当時は感動しましたが、5年生がやっと私の家にたどり着いた姿を見ていて、教師をしていると、本になるような感動することは普段たくさんあるのだ。子どもたちとの毎日は、本や物語の中の話に比べて、感動の連続だと思ったものでした。保育者とか教師はそんないい仕事だと思うのですが、最近はどうもそうとはいえないようで、悲しいですね。
そんな二十四の瞳の舞台である小豆島に行ってみました。ここには、1987年の映画「二十四の瞳」の舞台として使われた分教場がそっくり残されています。
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その建物は、実際に明治7年に開校し、昭和35年8月田浦尋常小学校として建築され、昭和46年3月24日に廃校されるまで「苗羽小学校田浦分校」として使われていました。その建物は、小豆島町田浦地区よりさらに600m南、瀬戸内海を見渡す海岸沿い約1万平方Mの敷地に作られた大正・昭和初期の小さな村の中に建っています。
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「昭和三年四月四日、農山漁村の名が全部あてはまるような、瀬戸内海べりの一寒村へ、若い女先生が赴任してきた。」との書きだしで始まる小説「二十四の瞳」のなかの大石先生と12人の子どもたちの姿が目の前にそのまま現れたような錯覚に襲われます。薄暗い教室にはオルガンが一台、小さな二人掛けの木の机が六つ、教室の壁には様々な掛け図や、子どもの作品などが飾られています。窓からは、遠くに島影を持つ海が広がっています。この小説は、その後それぞれの子ども達が悲惨な戦争に巻き込まれ、その犠牲になっていく姿が描かれていますが、今の時代は、その頃と比べて、どこが平和になったのか、何が変わったのかと考えてしまいます。

早期教育その2

 早期教育について、私がまだ幼児教育に関わっていないころ、また、将来関わるであろうとも思っていなかったころ、少しの間小学校の教員をしていたころに考えたことがありました。それは、1年生を担任していたからです。入学式が終わって、初めての授業を始めたころに、いろいろと考えることがありました。最初にやったことは、朝、登校したら、ランドセルから教科書などの持ち物を出して机にしまうこと、帰りにそれらをランドセルにしまうことを何度も繰り返し教えます。こんなことは、今保育園をしているとなんだか3歳児でもできる気がします。しかし、そのころは、ずいぶんとできない子が何人もいて、「なにがない!」と泣いたり、ただ突っ込むだけで取り出すときに全部出してしまったりします。それを思い出して、もう一度園児を見てみると、6歳になっても、朝登園をしてきて、いろいろなものをしまうのに保護者が全部代わりにやってしまう家庭や、小さいうちに子どもの目の前でやって見せるというモデルを示さずに、先生にやることを要求したりする家庭が多いことに気がつきます。それから授業が始まるのですが、教科書を見てみると、確かに文字を少しずつ教えていきますが、意外と早いうちから文字がたくさん出てきます。国語の授業では、同時に漢字も出てきますので、新しい単元に入るたびに、その内容をよく読みとったり、考えたりするよりも、まず、新出漢字を覚えさせ、難しい言葉の意味調べをすることに費やしてしまいます。私は、1年生で教える漢字は決まっているので、それをすべて語源を載せた表をつくり、国語の授業の単元に関係なく、朝とか空いている時間にひとつずつ教え、それを葉の形に切り抜いた色画用紙に書き、後ろに大きくつくった木の枝にぶら下げていきました。そして、その葉の色は、その漢字を教えた時期の季節によって色を変え、子どもたちにいつごろ習った漢字かがわかるようにしました。そうすることで、国語の授業は、その単元の意図するところに集中することができます。そのときにまたひとつ幼児教育の疑問がおきました。私は、それまで幼児教育をしていませんでしたし、独身でしたので子どもはいませんでしたので、あまり絵本に触れることがありませんでした。ですから、教科書に出てくる話は、どれも感動してしまいます。「おおきなかぶ」の繰り返しの面白さと度肝を抜くほど大きく育ったこと、その大きくなりすぎたかぶをどう抜くかという知恵、どれもとても感動しました。また、「ふしぎなたけのこ」では、地域の交流のきっかけ、それぞれの地域に、その地域ならではの産物があることを知り、「かわいそうなぞう」や「かたあしダチョウのエルフ」では、読んでいる間に声を詰まらせて読み続けられなくなったこと、「かさこじぞう」では民話のふしぎな魅力、「スイミー」や「スーホの白い馬」では戦争の意味、それぞれ教科書に取り上げられている物語はとても感動します。しかし、ほとんどの子は、そんな話を感動しません。それは、それらの話は、ストーリーをみんな知っているからです。幼児期の絵本で読んでいるのです。しかも、まだその話に感動しない時期に読んでしまっていることが多いので、ただ先を教えようとします。私が感動していると、結末を教えようとします。とても授業がしにくかった思い出があります。確かに、本というのは、その時期、年齢によって感動する部分が違いますし、そのころの環境によっても違うでしょう。ですが、みんなストーリーを知っている話は、感動することを教えるよりも、その文章を分析することをしてしまい、なんだか子どもたちを本嫌いにしている気がしていました。

アンパン

 今日の新聞広告のページで、こんなタイトルがありました。「子どもの危機を食から見直す!」というものです。サブタイトルには、ショッキングな言葉が並びます。「味噌汁を知らない子どもがいた!」「遠足のお弁当が菓子パンだけ?」「乳幼児までが朝食抜きで登園…」など、太文字で書かれています。こんな例は、現場ではいくらでもあります。本当に困ったものです。しかし、このタイトルを見たときに思い出したことがありました。
 私は、大学は、建築科を卒業しました。そして、卒業制作のテーマに「学校建築」を選びました。そこで、卒業後、どうしても学校に実際に勤めてみたくなり、他大学で小学校の教諭の資格を取り、実際に勤めてみることにしたのです。しかし、教師になろうと思っていたわけではありませんでしたので、いろいろな形式の学校、そして、本とかに紹介されているような学校で教えてみたいと思ったために、育休産休代替職員で勤めました。初めて受けもった1年生に、A君がいました。とても目がキラキラ輝いて、真剣に人の目を見ます。その子が、遠足の参加申し込みをしませんでした。どうしてだろうと思って、その子から理由を聞く前に、その子の環境を調べてみました。すると、近所では、その子は毎日家では夕食を食べさせてもらっていないので、学校の給食だけで生活をしているということでした。ですから、土、日はほとんど何も食べないので、近所では、かわいそうに思い、食事を食べさせてあげたり、お風呂に入れてあげたりしているということです。どうも、遠足の参加費が払えないようです。そこで、まず、子どもに遠足に参加したいのか確かめてみました。子どもは、本当は行きたいといいます。私は、校長のところに行って、何とか、学校で遠足の参加費を負担してもらえないか交渉しました。校長は、何とかしてくれると約束してくれました。次に、母子家庭でしたので、母親を説得するために、その子の自宅を訪ねました。家について、何度、声をかけても返事がありません。家の中には、誰かいるようです。あまり何度も大声で呼びますので、やっと出てきました。私は、遠足の費用は学校で出すので、ぜひ参加させてほしいと頼んでみました。あまり熱心に話すものですから、その母親は、玄関先に立っている私に向かって、「先生、どうぞ座ってください。」と言いながら、ほこりだらけの玄関先をそこにあった広告の紙でさっと拭きました。そして、こんな愚痴を言い始めました。「私は、いま、家で男に体を売って生計を立てているのです。ですから、子どもを家の中に入れるわけには行かないのですよ。そして、私には男の子と女の子がいたのが、別れた旦那は女の子を連れて行ってしまったのです。女の子だったら、早く稼げるのに、私は、男の子なんか引き取ったので、まったく嫌になってしまう。」私にとっては、ずいぶんと刺激的な話でしたが、産休代替ということもあって、あまり深入りは出来ないと思って、とりあえず遠足への参加だけを承知してもらいました。当日、喜んで参加したA君と一緒にお昼を食べました。すると、お弁当は、アンパン2個だったのです。私は、つい、「先生のと交換しようか?」と言ってしまいました。すると、その子は、私の言葉から哀れみを感じてしまったのでしょうか、「僕は、アンパンが好きなんだ。だから、お母さんがアンパンを入れてくれたんだ!」とつき返されてしまいました。その子は、今は、40歳位になっているでしょう。今でも、あの時の誇りを忘れないでいてくれたらと思います。

読み聞かせ

 8月10日の朝日新聞の朝刊に「雄アフリカゾウで国内最高齢 多摩動物公園のタマオ急死」という記事が小さく載っていました。私は、多摩動物園は近いので、よく行きますし、園の遠足でもよく行きます。「賢くて、みんなに慕われた。性格も穏やか。元気だったのにね」と、同園教育普及係長の金子美香子さんは言っていますが、ゾウは賢いですね。というと思い出すことがあります。小学校で2年生を担任していたとき、教科書に「かわいそうなぞう」という話が載っていました。私は、この話を、「文章を読む」のではなく、「内容を理解させよう」「内容を感じさせよう」と思いました。そのために、子どもが自分で読む前に、私が読み聞かせをしたのです。子どもたちには、机に顔を伏せさせ、耳だけを働かせて聞いてもらいます。よく、国語の授業で、教師は「文章を解説する」ことをしようとします。しかし、このような解説教育によっては、「主体的な学習」とか、「思考する学習」とか「理解する学習」は、生まれてきません。まだまだ、文字を読むことに労力を使う2年生です。どうしても、文字を読もうとし、内容の理解は遠ざかると思って、私が読んであげたのです。「かわいそうなぞう」は、土家由岐雄作のノンフィクション童話です。絵本や紙芝居としても出版されています。内容は、「第二次世界大戦が激しくなり、東京・上野動物園では空襲で檻が破壊されて猛獣が街に逃げ出したら大変だということで、猛獣を殺すことを決定します。ライオンや熊が殺され、残すは象のジョン、トンキー、ワンリーだけになります。象に毒の入った餌を与えますが、象たちは餌を吐き出してしまいます。仕方がないので、毒を注射しようにも針が折れて注射が出来ないため、餌や水を与えるのをやめ餓死するのを待つことにします。」私は、この話を読んでいるとき、次の部分になったときに声を詰まらせて、読めなくなってしまいました。聞いていた子どもたちは、びっくりして、みんな顔を上げ、私をじっと見ていたことを思い出します。この話は、よく読んでいたのですが、声を出して読むと、自分でもわかりませんが、こみ上げてくるものがあるのです。「ある日、トンキーとワンリーが、ひょろひょろと体をおこして、ぞうがかりの前にすすみ出てきました。おたがいに、ぐったりとした体をせなかでもたれあって、げいとうをはじめたのです。後ろ足で立ち上がりました。前足を上げておりまげました。はなを高く高く上げて、ばんざいをしました。しなびきった体じゅうの力をふりしぼって、よろけながらいっしょうけんめいです。げいとうをすれば、もとのようにえさがもらえるとおもったのでしょう。」
 同じようなことがもう一度ありました。中学生数人の勉強を見ていたとき、夏休みの宿題で「読書感想文」がありました。あまり成績のよくない子達でしたので、私が読み聞かせをしてあげたのです。その本は、「猫は生きている」(早乙女勝元/作 田島征三/絵)です。このときも、途中で声が詰まって、読むことができなくなってしまいました。これは、「大空襲でほとんどの人間は死に、その中で逞しく生きて行こうとする猫たち」という話です。母親が爪がはがれても地面を掘って、赤ちゃんを守ろうとして死んでしまうところなどは、読み続けられません。もうすぐ終戦記念日です。ハワード・ガードナー教授は、講演の中で、「戦争を知ることでなく、理解をしなければならない」というようなことを言っていました。

ぼくは おうさま

 先日の5月21日に、童話作家の寺村輝夫さん(てらむらてるお)が亡くなりました。寺村さんは、毎日出版文化賞を受賞した「ぼくは王さま」や、「おしゃべりなたまごやき」を始めとする王さまシリーズなどで親しまれています。寺村さんは、早稲田大学在学中に坪田譲治に師事し、「びわの実学校」の同人となります。私が好きな児童文学は、この「びわの実学校」に連載されたものが多いですし、その同人に好みの人が多い気がします。また、寺村さんの作品では、他に「ミリ子は負けない」「寺村輝夫のおばけ話・とんち話」や「こまったさん」シリーズなどの著書が多数あります。このなかの「ミリ子は負けない」は、女の子が主人公ですが、16ミリ映画にもなっていますので、各地の公民館などから貸し出しができます。集団生活の大切さを感じとっていく姿をほほえましく描いています。もう一度、少子社会での集団の大切さを子どもたちに伝えるのにはいいかもしれません。
それらの作品のなかでは、私は「王さまシリーズ」に、特別な思い出があります。それは、私が教員のころ、学芸会で1年生に何をやらせようと相談した結果、私が大好きだった「王さまシリーズ」を脚色して演じさせることにしました。そして、その劇中歌として、場面ごとに歌う曲を作詞作曲しました。歌詞は、こんなのです。
 「王さまの好きなのは、“おひめさま!”それから それから なんですか?“たまごやき!”こころのやさしい 王さまだ。 けれども きらいなものもある。“となりの国とのせんそう”と なかでも きらいなものは“べんきょう!” いつも大臣に “コラッ!”おこられています “べんきょう しなさい!” ほんとに やんなっちゃう ほんとに やんなっちゃう」
 たぶん、王さまシリーズを読んだことがある人は、この歌詞の意味が良く分かると思います。というのは、そのシリーズを私はほとんど読んだからです。学芸会で、その劇をする直前に、教室で子どもたちを待たせていたときです。クラスの子のなかで、普段落ち着きのない、元気なやんちゃな男の子がいました。その子は、待っている間に教室内で走り回り、他の子とぶつかって、目の上を切り、血がたくさん出てしまいました。その子は、劇の中で、重要な役である「大臣」だったので、大騒ぎでした。その子が今、医者になっています。大学に入るときに、私が、その子が医学部に入学すると聞いたときに、急いで、臨床医か、研究医か聞きました。あんな落ち着きのない子が、臨床医にでもなったら、体内にはさみでも忘れないか心配だったのです。でも、今は、臨床医になって活躍しています。でも、なんとなく、私が病気になったときに、手術を頼むのは心配な気がします。教え子は、私の中ではいつまでも、やんちゃな子どもです。もう立派に、子どももいるお父さんになっていても、いつまでもかわいく、また心配なものですね。そして、今の園が開園1年目のときの年長さんの劇が、やはり、「おうさまシリーズ」でした。もちろん、劇中歌を、何とか思い出してその歌を歌いました。
 わが子も、小さいころ、この「おうさまシリーズ」が大好きで、そのなかの何話かを、自分で読んで、それをカセットテープに吹き込んでいました。なぜ吹き込んだのでしょうね。一人で、部屋に閉じこもって吹き込んでいる姿が、今でも思い出されます。

教師として

WBCで日本が勝ってよかったですね。あの、アメリカの審判への不満がなければ、こんなに国民が喜ばなかったでしょう。あの審判は、大きな喜びのための演出だったのかもしれませんね。日本の多くの人が、この試合を見ていたと思います。ちょうど、休みの日の昼頃だったのでよかったですね。もし、夜中とか、明け方であれば、みんな寝不足になったでしょう。また、平日であれば、多くの人は、仕事の合間をぬって見ていた人も多かったに違いありません。また、もしかしたら、学校では、授業中に見ていた先生がいたかもしれません。ラジオで、そんなときに教師は、授業中に見てよいかというトークをやっていました。何日か前のブログへのコメントにも、小学校の頃の担任がタイガースファンで、給食が3時になってしまったことがあったという思い出が書いてありました。昔は、そんなことが許されるようなおおらかさが確かにあったと思います。しかし、私は、それはおかしいと思います。教室は、私にとっては神聖な場所であり、娯楽をする部屋ではありませんでした。教員の頃、私は、かなりのヘビースモーカーでしたが、決して教室ではタバコは吸いませんでした。こんなことは当たり前のような気がしますが、ずいぶん、吸っていた教師がいました。ただ、もう時効なので話しますが、もし今の時代だったら、怒られるようなことを教師の時代にした思い出があります。数日前にブログ(3月18日)で話した5年生を担任したあと、1年生を担任していたときのことです。3学期も終わる頃、そのときは6年生になっていた一人の男子生徒が、家の都合で引越しをしなければならなくなりました。あと1週間くらいで、小学校が終わります。しかし、家から通うには、遠すぎます。親から、どうしたらよいか相談を受けました。最後の小学校生活を送らせたいと言います。そこで、私はその頃は一人で住んでいたので、1週間、その男子生徒と私と二人で生活することにし、朝一緒に家を出て、学校のそばで分かれて知らん顔をして校舎に入って行ったのです。今は、そんなことは許されないでしょうね。
 また、こんなことがありました。その頃、青少対(青少年対策委員会)で、夜のパトロールをしていました。夜、街で中学生がうろつくのを注意するためです。そのとき、パトロールがあるという情報が入ると、「わる」と呼ばれていた中学生たち数人を私のところで、パトロールが終わるまで、かくまっていたのです。(結局、その子達に、その後、夜、勉強を教えることになるのですが)パトロールで注意をして歩いても何の効果もなかったからです。取締りよりも、そんな子を作らないような予防措置を企画しましょうと青少対に提案しました。小学6年生を対象に、「地域ウォークラリー」を企画しました。まず、青少対は、中学校単位を基盤にしていますので、区域内に小学校が3校あります。その3校均等になるようにチームを作ります。そのチームで出発するときに記念写真を撮ります。そして、地図を見ながら3小学校区内のウォークラリーをしていきます。ところどころにあるポイントの問題は、その学区内の小学生なら簡単に解ける問題ですが、ほかの学区内の子どもには難しくできています。そして、ゴール地点は、着いてみないと解らないようになっていますが、行く中学校の校庭です。そこで、先輩たちがクラブごとに待っていて、6年生に指導してくれます。お父さんたちは、お昼の焼きそばを作っています。そして、出発のときに撮った写真を、手作りの額に入れてプレゼントします。その子たちと、中学に行って、また出会うでしょう。日を決めてのパトロールよりも、日常、地域みんなが見守っていることを子どもに感じてもらうほうが有効的でしょう。

授業

私が、5年生の子どもから評価された授業とは、どのようなものかというと、簡単です。子どもたちからすると勉強という感じではなく、遊びのように感じた内容だったからです。当然ですよね。勉強など好きな子どもがいるわけはありません。というより、本当は、勉強なのですが。子どもたちは、5年生になると、勉強とは、机の前のじっと座り、教科書を説明する先生の声を聞き、その内容を覚えるものであると思っているからです。1年生を担任していた時もそうでしたが、私は、まず、学習指導要領を読んで、その学年で、どんな力をつけたいのかを知ります。その力をつけることが本来の目的で、その目的を達成するために教科書の内容を活用するというだけです。ですから、教科書を覚えても、その内容を理解しても、目的は達成されません。また、教科書の内容よりも、より学習指導要領に書かれている目的を達成するために有効的な教材があれば、それを使えばよい話です。この考え方が、今の保育の考え方を形作ったのかもしれません。たとえば、1学年及び2学年の国語の内容の取り扱いの中で、「読むこと」には、こう書いてあります。「昔話や童話などの読み聞かせを聞くこと,絵や写真などを見て想像を膨らませながら読むこと,自分の読みたい本を探して読むことなど」この内容を子どもたちに指導するときに、何で教科書を使わなければならないのでしょう。たとえば、教科書以外に、たくさんの昔話や童話を読み聞かせれば言いと思います。私が、1年生を担任しているときに、毎週、各都道府県の昔話の読み聞かせをしていました。最初に、全国の白地図を子どもに配り、教室の前には大きな白地図を貼り出し、私が読み聞かせをした都道府県の場所を赤く塗ります。1年生が終わるとき、(それは、同時に私がその学校をやめるとき)最後の北海道に伝わる昔話をして、日本中が真っ赤に塗りつぶされました。その最後の授業に、保護者たちが、みんなで連絡を取り合って、授業参観に来てくれました。そして、最後の話が終わったときに、みんなで拍手をしてくれました。そして、読み聞かせたあとで、1学期間は、絵で、2学期になってからは文字で感想文(感想絵)を書いてもらいました。このような内容を取り扱うのに、何で教科書にある昔話を読んで、まず、その話に出てくる新出漢字を覚えさせ、意味調べを宿題に出すのでしょう。5年生を担任したときもこんな考えでした。たとえば、算数の授業のときは、こんなことを子どもたちに言いました。「さあ、今日はつまらない授業は、やめにしよう。みんなで腕相撲大会をしようよ!」そして、私が生徒を順に呼んで、適当に戦わせました。私も入りました。終わってから、「さあ、誰が1番強かったか?」「先生!」当たり前です。全部、勝ったからです。「では、全員の順位は?」みんなは、考え込んでしまいました。勝った数で比べると、人によって戦った回数が違います。どうしたらよいか考えていると、ある子がこんなことを言いました。「そうだ、野球の打率のように勝率をそれぞれ出したら?」そうだということで、みんなで計算し始めました。私は全部勝ったので10割、一度も勝たなかった人は、0割。その出し方は、みんな打率の出し方を知っているので、打数割る打席です。そうして順位を決めました。終業のベルが鳴ったので、「さあ、今日の授業は終わり!」みんな、「ああ、楽しかった。」とつぶやいています。私は、5年生の算数の中で子どもたちが一番苦手とする「割合」の復習をしたのです。それを、「くらべる量÷もとにする量=割合」などと覚えても、どっちがどっちだったか考えてしまいます。身近に、そんなことはいっぱいあるのです。身近なところから覚えた知識は、身近なところで使えるようになるのです。