ドイツ報告4

どの国でも同じですが、いくらいいと言っても、どの園においても円満な「オープン園」への移行が行われたということはありえません。程度の差はあっても、さまざまな障害や困難、職員同士のぶつかり合いが待ち受けていたそうです。以前のドイツの園では、ひとクラス複数担任制で3歳から6歳の異年齢児25名を常時2人の先生でみていました。しかし、ドイツの幼稚園の開園時間は午前7時から午後5時までであるため、クラス担当の先生は、3名ないし4名でのシフト制をとっています。当時クラス活動は、ほとんどドアが閉鎖された状態でなされており保育内容についてはクラス内の担任同士で相談し、分担しあっていました。遠足についてはクラス単位での活動が主で、一例としては、ひとクラス全員で動物園に遠足に行き、別のクラスは川遊びに行くという具合だったそうです。2つのクラスが一緒に遊ぶ機会は、庭で遊ぶ時のみでした。

このクラス別活動形態が徐々に変わってきました。「オープン園」に移行する決断を園長が下し、職員全体での「オープン園」移行へ向けての研修を行います。オープンスタイルにスムーズに移行するためには、まず大人側の発想の転換が必須だからです。従来の保育方法に慣れている先生たちは、最初は「すべての子どもを把握するなど不可能」という反応を示したそうです。さらに次々と露呈してくる疑問や困難を職員全体で乗り越える協力体制を作っていかなければなりません。

まず、注目したのは、がらんとしていた廊下スペースです。庭だけではなく、廊下が両クラスの子どもたちが出会う場所となるように、左右に積み木ゾーンと、読書コーナーを作りました。次に改革したのは担任制のとりやめでした。先生の持ち場と持ち時間は週案により、月曜日に決めることにしました。さらにその際に、それぞれの先生の持ち寄る保育内容についても話し合います。毎朝全員の子どもたちが「朝のお集まり」として多目的室に集合します。その最後に数名の担当の先生がその日の設定保育について紹介します。この時に製作や、体操に内容が偏らないように、予め各自の保育内容を月曜日に申告しておきます。毎日複数の設定保育が提案できるように調整されているのです。

朝のお集まり時に設定保育を紹介された子どもたちは、自分のしたい製作や、遊びを選んで、担当の先生とともに、場所を移動することとなります。遠足やお散歩については、希望者のみでの移動となり保護者に対して個別の連絡など煩雑になることも多いのですが、あくまで子どもの希望に応じて実行されます。

園での大人の動線が軌道に乗ってきた頃、今度は子どもたち全員が園内で自由に動きまわれるようになります。自由遊び時間には、子どもたちは、幼稚園内であれば、どこで誰とどのぐらい遊んでもいいのです。この変化に伴って、クラスのドアは常に開かれた状態となりました。

さらなる改革は、保育室の模様替えです。従来は、ごっこ遊び、お絵かき製作、ボードゲームなどのそれぞれのコーナーが各保育室に配置されていましたが、子どもたちの動きを観察して、二つの部屋に同じ目的のゾーンは不必要であることが明らかになってきました。そのため一方の部屋には、ごっこ遊びとボードゲームコーナーを、もう一方には製作コーナー、ごろごろゆっくり過ごすコーナーと、それぞれの部屋に特徴をもたせることにしました。

ここまでの改革には数年かかったそうです。

ドイツ報告3

では、「オープン園」とはどのような保育でしょうか?

「オープン保育」とは、子どもたちからすると、簡単に言うと、「園の中はどこに行って遊んでもいい」ということのようです。先生側から言うと、自分が分担するクラスはありますが、基本的には園の子どもすべての担任という意識です。職員全体で園全体の子どもたちを保育し、「私のクラス」、「僕の担任の先生」という概念がなく、「私たちの園」、「私たちの先生」、職員から見れば「私たちの園児」というとらえ方です。核になるコンセプトは、すべての子どもたちが心地よく過ごせる場所であること。子どもたちは、どこで何をして誰と遊ぶかを自分で決めることができ、園は子どもの決定権や、参画を保証する場とされます。その中で、子どもの発するシグナルを重視し、子どもの欲求や子ども自身がすでに内に秘めているそれぞれの’陶冶プラン’ を見出すことが、先生の役割と捉えます。徹底した自由保育です。

また、オープン保育に対応する保育は学級王国ということで、各学級それぞれの部屋にコーナーが設置されていましたが、オープン保育では、各部屋がコーナーになっているということです。自分が属しているクラスへは、朝のお集まりの時と昼食の時に集まります。後の時間はどこに行っても構いません。そこで保育者は、そのために今どの部屋にいるのかを掲示してあります。

オープン保育での考え方は、生後9週から6歳までで、子どもへの「見守り」かたは、子どもの遊びから子どもの意図を読み取り、それを後押しします。そのときに、保育者は子ども一人一人を尊重し、その子の個性、意志、特性、強みを理解した上で好きな遊びを選択させます。そして、子どもたちへの遊びの紹介をし、好きなところを、次第に言葉で表現し、選択できるように支援していくことです。基本的には、子どもたちはその階であればどこに行ってもいいですし、何をしてもいいのですが、特別に支援が必要な子にたいしては、ある部分設定保育を行ないます。それは、特別に養護保育者が派遣されてきて支援に当たります。

オープン保育についても子どもを信じます。子どもたちに大人から何を学ばせよう、習得させようという意図はないと断言します。ただし、食事や昼寝などの生活は除くと言います。そんほか、子どもたちは自由に開かれたスペースを動き回ります。ただし、移動の際には先生とコミュニケートするようです。特に階をこえての移動は伝えるようです。トラブルが発生したときには、大人が介入することはしません。そこでの経験が学びになるからです。ただし、そのトラブルの原因が、遊具が少ないというような場合などは、きちんと子どもたちにフィードバックするために、民主主義として子どもたちからの意見を聞くことをします。

子どもたちは、ゆったりとした1日の流れの中で、子どもたち自身がまだ気づいていない特性を保育者は見たり、観察したりします。しかし、ある流れに大人が引っ張って行かないように注意します。

ドイツでは、0歳児から異年齢ですので、日本のような特定の人とのかかわりは見られません。それは、最近の子ども観によるもので、モノトロピーから社会ネットワーク論への意向を示しているのです。

ドイツ報告2

ドイツで「オープン園」が広がる背景にはこのような事情があります。

70年代の西ドイツにおいて考案された「オープン」という概念は、障害児童特別措置に疑問をもつインクルージョン派と子どもの身体づくり推進派が統合して発展してきました。それにより「オープン園」の目指すところが、わけ隔てなくすべての子どもを受け入れることとされ、関わる全ての人々が参画可能なオープンな社会の基礎となる幼児教育を体現する場所とされました。この子どもの参画に軸足を置く考え方は、1989年に国連総会で「子どもの権利条約」が採択されたことによります。

また、バイエルン州に「オープン園」が広がる主な要因として、2003年に制定された陶冶保育プラン(バイエルンBEP)の影響が大きいようです。2000年に実施されたOECDの学習到達度調査(PISA)において、ドイツの結果は振いませんでした。低迷する学力にもましてドイツの教育専門家にとってショックだったのは、家庭の経済格差に比例して子どもの学力の差が歴然としている点でした。この結果を受けて乳幼児の重要性が再認識され、幼児教育政策へのてこ入れが加速したのです。

ドイツは連邦制のため、国としての大枠があるにしても州ごとに保育政策、保育要綱が異なる。バイエルン州ミュンヘン市にはドイツで唯一の州立乳幼児教育研究所(IFP)があり、最先端の乳幼児教育の実践を誇っています。さらに言えば、乳幼児教育を越えた学校教育にももっとも力を入れている州の一つとされています。そのバイエルンでさえ、2003年にはじめて保育要綱である陶冶保育プランが発行されたのです。そして、出来上がったBEPは、ドイツの中でも優れたものと認知されています。

その中で最初に定義され大切にされているのは、「子ども観」です。子どもは学ぼうとする姿勢を生まれもっていること、子どもには学ぶ権利があることが強調されており、守ってあげる存在ではなく、自分で自分のやりたいことや可能性を決定する力がある子ども像が確立されています。

また、社会の変化に伴いシングルマザーや共働き家族の増加、移民や難民の流入など、さまざまな形の援助が不可欠となってきました。そのため、多種多様なバックグラウンドをもつ子どもたちをそのままで受け入れることのできる園が求められるようになりました。さらに、スピードや効率が評価される社会環境や学歴社会などを超え、複雑化する社会において、困難を乗り越えていく力(レジリエンス)が重視されるようになってきました。

子どもたちの個性、自立性を尊重し、多種多様性を受け入れることができ、困難を乗り越える力も培うことができる保育形態が、「オープン園」であるのだと考えられました。「オープン園」は、現在の社会が理想とする子ども像のための陶冶に適していると評価されています。

このような背景から「オープン園」がドイツで広まっていますが、その広がりを支えているのがドイツならではの風土のようです。それは、遊びを大切な学びの機会と捉えている点です。遊びの重要性については、BEPでも重ねて指摘されています。従来のように先生が前に立って指導する保育方法と違って、「オープン園」には、子どもが自由に選び遊ぶ時間が十分あります。先生によって計画、指導される保育ももちろん必要ですが、ドイツではそれよりも子どもの発達に大切なのは、自主的な自由遊びの中での学びであることを強調しています。BEPの中にも自由に遊ぶ中で、さまざまな生きる力を身につけていく理論的裏付けや、実例が記載されています。

ドイツ報告1

人類は、南アフリカで誕生し、世界中に拡散していきました。それは偉大な旅、グレートジャーニーと呼ばれています。その旅先で気に入ったところで定住していきます。そして、その地域で住むためにその地域の気候、風土、その地域に生息する生物に応じて適応していきます。そして、進化をしていきます。その進化は、自らの身体だけでなく、能力、使う道具も進化させていきます。この道具の進化は、大きい集団で暮らしていたホモサピエンスの生存戦略としてとても有効的だったと、先日のNHKの人類の誕生という番組中で取り上げていました。

ヒトは地域によって、自分たちの民族を形成していき、それぞれの文化を築いていきます。そして、自分たちの遺伝子を子孫に残していきます。その営みが育児であり保育であったのなら、地域によってその方法、その考え方は違ってきます。しかし、世界中の民族の笑顔が変わらないように、赤ちゃんの発達は基本的には世界中あまり差はありません。地域によって、その大地の危険性によって若干ハイハイから立ち上がるまでの時期に差はあるものの、ハイハイをしないで立ち上がることはしません。これは考えると不思議なことです。誰に教わることなく、また昔は情報の共有もほとんどありませんでした。他の生物と違って、生息地域も限定されず、世界中に散らばっているだけでなく、赤ちゃんの発達は、世界中が共通している部分が多くあるのです。したがって、その発達を促す育児も、それほど差はありません。

明日から、今年のドイツツアーが始まります。毎年、新たな発見があります。今年はどのような変化があるでしょうか?以前、ブログでも紹介しましたが、最近オープン保育という取り組みを始めています。日本では愛着を含め、二者関係から論じることが多い中、担任王国から子どもたちを開放し、複数の保育者みんなで子どもたちを見ていこうというものです。この内容は繰り返しにはなりますが、私が現在発行に向けて進めている本の中で、海外の保育という中で、ドイツの保育を紹介しています。今年のドイツ報告の前に、もう一度復習してみます。

オープン園へと変化するドイツ・バイエルン州の保育についての背景があります。それは、ドイツで、こんな事がありました。2000年に経済協力開発機構(OECD)による学習到達度調査、いわゆるピサの学力調査において、社会階層による学力格差が大きい国であることが示されました。そこで政府は、就学前段階での教育的側面をより重視することにしたのです。ドイツでは、子どもの学びは「遊び」を通して行なわれるということはぶれずにきちんと抑えています。さあ、就学前教育をしましょう、何かをわからせたり、できるようにさせましょうということではなく、どのように子どもの遊びを豊かなものとし、それを自発的に行なわせようということが徹底されています。その結果が「オープン保育」という形態に次第に各園が変わり始めているのです。同時に、あらためて子どもの権利条約を批准したことに対する具他的な取組みを考えようということで、「参画」という取組みを始めているのです。

上海報告10

講演が終わった翌日には、私は朝一番で帰国しなければなりませんので、(それは、決して猛烈サラリーマンのようにアクティブということではなく、中国東方航空上海発羽田行きがその時間にしかないため)今回観光は全くできそうもないので、講演の後、夕食を食べがてら少し観光しようということになりました。最悪、かなりの大雨でしたが、ホテルからタクシーで「豫園」というところに向かいました。ここは、上海市にある明代の庭園で、観光スポットになっていますし、この庭園の周辺は、ショッピングエリアになっています。

「豫」は愉を示しているそうで、「豫園」というのは「楽しい園」という意味になります。ここにはいろいろな歴史がありますが、現在は、西園の約半分を庭園として残りの部分が豫園商城となっています。この豫園商城も上海を代表する観光スポットの一つで、買い物&グルメスポットです。ここは観光スポットですが、多くの人たちは基本的には国内の人がほとんどで、海外からの観光客は少なかった気がします。そして、その建物はお土産物屋にしては、伝統建築様式の小さな店が並んでいます。この店の中に、スターバックスがあったのですが、伝統的なしつらえでした。また、豫園商城の道も、豫園新路、豫園老街、文昌路、凝暉路などのメインストリートと、それらをつなぐ細い路地から成っていて、活気があふれていました。

このあたりをブラブルしていると次第に暗くなり始め、どこかで夕食を食べようという話になりました。せっかくなので、上海焼きそばを食べてみようという観点で店を探しました。そこで、観光の書籍に掲載されている店を見つけ、そこに入りました。まず、頼んだのは、もちろん上海焼きそばです。私の住んでいる地域に、上海焼きそばと広東焼きそばがあるのですが、上海焼きそばは随分と違ったものでした。

あと問題なのが、試しに頼んだ上海ガニです。出てきた上海ガニを口にした途端、あまりに甲羅、足が固くて歯で砕くこともできません。どう食べるのかを見せの人に聞いてみたのです。すると、なんと「わからないので上の人に聞いてきます。」と言うのです。待っていると、上の人が出てきて、手で食べるというのです。それも自信なさげに言うので、「えっ?」という顔をしていると、ビニール手袋を数枚持ってきました。これを手にはめて食べるといいというのです。店の人が去ったあと、しばらく格闘しましたが、ほとんど中身がなく、甲羅もバリバリ食べるには硬く、基本的には下の方に餅があったので、かには単にダシ取りではないかということになりましたが、ちょっと心が不消化でした。

上海報告9

上海での私の講演は、4月23日「自然教育と食育フォーラム」のなかで、午前9:30〜11:00の時間帯でした。まず、会場であるFreesoul幼稚園での実践報告を動画で見せてもらいました。この園は、モンテッソーリ教育を行っていますが、実際にローマにある子どもの家に研修に職員が行ったりしているだけあって、子どもたちの活動は、その理論通りにきちんとしていました。食育ということなので食事の前のテーブルクロスを敷いたり、食器を並べたり、そのセッチングの場面は見事でした。きちんと決められた方法でテーブルクロスを広げ、敷くときには、角に刺しゅうされたマークを机の角に合わせ、静かに淡々と準備をしていきます。その手順の正確さは、まさにロボットがやっているようでした。

そして、私が話した後、立川にあるふじ幼稚園の園長先生である加藤さんが自分の園の食育についての実践を発表しました。ふじ幼稚園は、その建物を含めて世界では非常に有名な園です。よく、世界から見学に来る団体は、私の園とセットで見学に行くことが多くあり、加藤さんは、中国では何十回も講演をしているそうです。保育内容としては、緩やかなモンテッソーリ教育で、食育内容としては、日本の伝統的食事の話をされました。個人的には加藤さんと私はかなり以前から懇意で、私の環境セミナーにも参加されたことがあります。

すべての講演が終わった時点で、もう一度舞台に呼ばれ、表彰式がありました。なんだか、表彰式というのはなじめないのですが、こんな賞状を頂きました。

そして、昼食を頂きました。園の給食をメインにして、1品だけ足したそうです。とてもおいしくいただきました。食事が終わったころ、主催者である中国教育国際交流協会の副代表という人が来て、7月に北京で国内園長対象の講演をしてもらえないかと言ってきました。私の講演に感動してくれたそうです。この講演会には、他に日本からは日比野設計さんが講演をするそうですが、随分と多くの人が招待されているようです。この協会は、中国教育国際交流協会は、1981年7月に設立され、中国の教育界における非政府的な外国教育協力と交流を行う国家組織で、本部は北京にあります。随分と、世界からいろいろと学ぼうとしているのですね。

そのあと、せっかくなので、会場である幼稚園を案内してもらうことにしました。「ヨーロッパの古典建築と自然の組み合わせは、宮殿風の宮殿様式の子どもの家」という紹介文にある通りの限界に驚いたのですが、園内はもっとびっくりしました。

まず、ベランダに出て見せてもらったのが園庭です。目の前一面、森が広がっています。そして、プールです。まさに、宮殿の中のプールで水は温水のようです。そして帰りにお土産をもらったのですが、その部屋が職員室でした。私たちが行く前に、職員さんたちがお茶を飲んでいました。

肝心の保育室ですが、正統派モンテッソーリ教育を行っているだけあって、教具がきちんと並べられ、素晴らしい環境でした。中国の格差を見た気がしました。

上海報告8

私は以前中国に行ったことが4度ほどあります。香港、上海、広州、南京あたりです。その時は、どの回も基本的には観光ではなく、教育事情視察で、しかし随分と前のことですので、だいぶ今回と印象が違います。まず、町の中で印象的なのは、自転車が多かったという印象ですが、今回は、特に上海ということもあって、自転車に乗っている人はほとんど見ず、自転車レーンではなく、バイクレーンが設置されているほどバイクをよく見かけます。もちろん、車も多いのですが。また、以前行った時にはまだ海外からの視察は、政府によって決められた場所の見学、決めた店舗での買い物、決められた紙幣のみの使用が許可されたものでした。ですから、一般庶民の生活はあまり見ることは自由にできませんでした。

今回も日程的な事情で観光は基本的にはできませんでしたが、それでも地下鉄に乗り、タクシーに乗り、街を歩きました。中山さんと邨橋君はリニアモーターカーにも乗ったそうです。この上海リニアモーターカーは、日本でも今試運転中ですが、上海では、2001年に建設が開始され、2004年に正式営業を開始したそうです。最高速度は431km/hで商業ベースの路線では世界一の速さを誇っているそうです。区間は、私たちが利用した「上海浦東(プードン)国際空港」と市街側にある「龍陽路駅(竜陽路)」までの約30kmで、その間をノンストップで、8分で行くそうです。料金は、片道50元(860円ほど)です。8分にしては高いですね。しかもそんなに短い区間でもいわゆるグリーン車は、100元もします。ちなみに地下鉄は、普通のチケットは、1回のみで3元〜で、1日パス(24時間乗り放題)は18元です。

23日の講演の日には、ホテルまで車で迎えに来てもらい、研修会場である「Freesoul幼稚園に向かいました。この園は、モンテソリ教育を実施している幼稚園で、入学年齢は、IC混合年齢(18ヶ月〜3歳)とCASA年齢クラス(3-6歳)で構成されています。定員はよくわかりませんが、確か5~60人といった気がします。この園についてまずびっくりしたのが、その建物です。園のHPに書かれてある「ヨーロッパの古典建築と自然の組み合わせは、宮殿風の宮殿様式の子どもの家」そのままでした。そのゲートをくぐると、今回の研修会の看板があり、面白いのは、その看板に、参加者がサインをすることです。その形式は中国の研修会ではどこでもやるのかわかりませんが、面白いですね。

そして、講演会場に案内されました。そこには、参加者が100~200名くらいがすでに座っていました。舞台の上には、今回のテーマである「食育」についてのスライドが投影されていました。今回、私は食育について話すことを頼まれたのですが、その内容について迷っていました。なぜなら、たとえば、食育についての取り組み事例や、安全食品の大切さなどを中国で話してみたところ、なんだか聞く人は興味を持たないでしょうし、本当は、私が提案する「見守る保育」について話をしたいと思っていたからです。ということで、直前になって考えたのが、“「与えられる」から「自分から」Mimamoru Approach”というタイトルで話をすることでした。その内容として、「子どもの心と体の健康は、栄養を子どもの体に注入することではなく、自ら食べる、自ら選ぶ、自ら表現をするといった行為によってもたらされることがわかっています。それは、今後求められる子どもたちの力と関係しています。

食は、生きる力の基礎となるのです。」というものにしました。

上海報告7

私の上海行の飛行機は先方がとってくれたのですが、往復で買うため、帰りが羽田空港着便は中国東方航空しかないために、関西国際空港から上海までの飛行機も中国東方航空の便でした。行きは、ビジネスクラスをとってくれたのですが、エコノミークラスと大差はなく、CAはすべて中国語で話しかけられますので、昼食のメニューもよくわかりませんでした。なんとなくチキンヌードルらしき発音があったため、それにしてもらいました。唯一ビジネスらしいのは、おやつに焼き鳥が出たことくらいです。まあ、飛行時間は、1時間15分ですので、国内の飛行時間よりも短いくらいでした。

到着後イミグレ前にカウンターで入国カードを記入したのですが、困った欄が、滞在住所です。ホテルは先方がとってくれてあり、住所などはわかりようがありません。まあ、相手はどうせわからないだろうと、適当に上海ホテルと書いておきました。その後、また長い列に並び、やっと審査を受け、今度は難なく通過できたました。どうも、中国では、このカードがあれば、ほとんど質問はないそうです。無言で通してくれます。その点は楽なのですが。

イミグレでカードをもらって記入したことは、出国の時にも困った状況が起きました。それは、機内でそのカードををもらうと、入国カードと出国カードはミシン目でつながっていて、出国の時には、その半分の出国カードを出すことがわかるのですが、私はイミグレの時にカウンターにおいてあるカードに記入したので、出国の時にもカードが必要であることがわからず、入国の時と同じように、長い列を並んでやっとたどり着いたにもかかわらず無言ではねられてしまったのです。今度は、「外国人出境卡」のカードへの記入です。また、カウンターでそのカードを手に入れ、記入しました。また、長い列を並ばないといけないのですが、帰りになると少し度胸がつくのか、係員に、今まで長い列を並んでいたということをなんとか話し、今度は特別に政府高官の通過する場所で通過させてもらいました。出入国の際はツアーでもなく、仲間がいるわけでもなく、全く一人だったので、まあ、ある意味では、一人旅の面白さというか、思い出になりますね。

そんな思いをしてやっと上海に入国してところで、中山さんが待っていてくれました。しかし、1時間も前に出た邨橋君がいません。中山さんに聞いてみると、私と一緒に来るものと思っていたそうで、まだ、落ち合っていないそうです。周りを探しても見当たりません。しかも、中国の方で今回いろいろとお世話になる方も迎えに来てくれることでしたが、見当たりません。連絡しようにも、中山さんに携帯は充電が切れてつながりません。1時間くらい待ったのですが、落ち合うことができません。そこで、もしかしたら邨橋君は、ANAで来ているので、その到着ゲートの方に行ってみることにしました。ここで、また中国らしさを体験します。違う航空会社に移動するたびに、荷物チェックをするのです。鞄をX線に通過させ、ポケットのものを全部出さなければならないのです。

すったもんだあったのですが、結局、3人はほどなく出会うことができました。しかし、現地で迎えに来てくれるはずのロンさんとは連絡がつかないため、とりあえず私たちだけで地下鉄でホテルの近くまで行き、そこからタクシーに乗ることにしました。

 

上海報告6

私は海外に行くときには、Wi-Fiを借りていきます。最近は、どの国でもネット環境がよくなり、ホテルの中はもちろん、飛行機の中でもできるようになりました。しかし、それが不安定であったり、外に出るとつながらないこともあって、海外用Wi-Fiをレンタルして持っていくことにしています。今回、上海にも借りていくように予約をしておきました。すると、直前になって、中国渡航者に対して注意事項がメールできました。それは、2017年6月に施行されたサイバーセキュリティー法により規制が厳しくなり、さらに今年の4月に入り、より規制が厳しくなって、SNS(LINE,twitter,facebookなど)やグーグルサービス(Gmail,YouTubeなど)などの殆どは規制されていて見る事が出来ないと言うのです。

ということで、中国で海外のサイトを閲覧する場合やSNSサービスを使う場合は、VPNが必須だと言うのです。

しかし、VPNがなんだかわかりません。調べてみると、Virtual Private Network(バーチャル プライベート ネットワーク)のことで、仮想プライベートネットワーク、仮想専用線とも呼ばれています。インターネットとは本来、公衆網で、プライベートネットワークを拡張する技術、およびそのネットワークなのです。それがVPNによって、イントラネットなどのプライベートネットワークが、本来公的なネットワークであるインターネットに跨って、まるで各プライベートネットワーク間が専用線で接続されているかのような、機能的、セキュリティ的、管理上のポリシーの恩恵などが、管理者や利用者に対し実現されるというのです。すなわち、これを使えば、日本やアメリカなど外国のIPアドレスを取得することができます。その結果、中国にあるパソコン(スマホ・タブレット)が外国のパソコン(スマホ・タブレット)として認識されるので、検閲に引っかからないという仕組みです。

そこで、中国に行くときは、VPN機能が付加されたWi-Fiを借りる必要があるのです。

このように、中国ならではのルールがいくつかあります。私が、まず戸惑ったのは、中国への入国、中国からの出国審査の時に必要な書類があるということです。いつもドイツに行くときには、入国の時にはパスポートともしかしたら飛行機の搭乗券を見せます。たまに質問されることがあるので、それにはドキドキします。英語で聞かれ、英語で答えないといけないからです。その内容は、どの都市に行くのか?目的は?何日間滞在するのか?というようなことです。全く聞かれないこともありますが、基本的にはそのようなことです。

中国に入国するときにも、そのようだと思い、並んでやっと審査員の前に行くと、ダメ!と指で拒否されます。なぜだかよくわかりません。そこで、一応どうしてかと食い下がってみると、書類が必要なので、それを書いても持ってくるようにというのです。中国に入国する際は、どうも「外国人入境卡」というカードへの記入が必要なようです。どうもこのカードは、機内で配られるのですが、私の乗った飛行機は、中国東方航空なので、乗客は中国人が多く、出入国カードを配りにきたCAさんが日本人客と気づかず通り過ぎてしまったようです。それは、出入国カードは中国人はいらないからです。

そこで、イミグレーション前のカウンターで受け取って記入します。また、その内容が難儀でした。

上海報告5

今回訪れた1園目のFortune Kindergarten内にある日本語部の「上海ふたば幼稚園」の園長先生から、中国における幼児教育の現状のお話を伺ったそうです。栗田代表の中国教育進歩のイメージは、

赤線が日本の教育の進歩ならば、黒線は中国。突然進歩するのが中国という話でした。そして、中国は大きいのが好き。したがって木も切らないので、以前園内の木を切ったら怒られたそうです。また、中国は良くも悪くも政府の力が強く、政府の一声ですぐに新しい政策ができたり、あるいは廃止になったりするので、それについていくのは大変だということでした。例えば、体育は幼稚園では重要視されていなかったのに、今は重要となったりしているそうです。

また、ふたば幼稚園の周りには1部屋1億元(約20億円)を超えるマンションがたくさんあり、もともとこのあたりに土地を持っていた地元の人は、その土地を譲渡する見返りにマンションの部屋を家族ごとにもらい、それを売却した人は裕福になったそうです。そして、不動産は2002年から約10倍の価格になっているそうです。その中で、日本人が4大を出ていてもVISAを取るのが難しくなってきているそうです。現在、上海で認可が取得できている就学児未満の日本人学校は2校のみだそうです。中国はまだまだ学歴社会ですので、園の評価はどれだけ良い小学校に入れるかということのようです。そのためか、中国は幼稚園が主流で保育園はまだ少ないそうです。

アメリカのリビングストーンというインターナショナルプリスクールも日本語部をやっていて、現在園児は200名を越えているそうです。中国のインターナショナル幼稚園のスタッフは分業方式をとっていて、外国人先生、中国人先生、世話係先生(主に、排泄、給仕、午睡等を担当)と分かれて子どもの相手をしているそうです。外国人先生と中国人先生はあくまで教育に特化するような構造であり、一方、世話係先生は保育に特化しています。このあたりの事情は、アメリカにおけるティーチャーとケアギヴァーに分かれているのと同じようですね。栗田代表の話では、保育園の文化がそこまで浸透していないせいか、保育を担当する世話係先生の地位は決して高くなく、家庭のお手伝いさん的な位置づけだそうです。

中国では、今必死になって世界から保育専門家を呼んで、いろいろと保育を勉強しているようです。その中で、とくにイギリスに興味を持っているようで、イギリスの研究者が多く講演をしています。日本からは、立川になるふじ幼稚園の加藤園長先生が多く講演をしているそうです。今回、「2018上海国際幼児教育会議」の中で、21日に中山さんが「見守る保育」について話をすることになったのです。内容としては、「見守る10か条」について話をしたそうで、会場から随分と反響があったそうです。