思春期の時期

ヒト以外の哺乳類において、血縁関係のないオスのフェロモンがあることで、メスの思春期の発達速度が加速するということは、発達中のメスと血縁関係のない大人のオスとの間の繁殖の可能性を高める働きをすると考えられます。ヒトの研究では、女性の生殖サイクルは男性の腋窩(腋の下)の分泌物の影響を受けることが示されているそうです。したがって、エリスとグレイバーは、思春期が促進される原因は父親不在それ自体ではなく、血縁関係のない成人男性の存在であるとの考えを呈示しています。

エリスとグレイバーは仮説を検討するために、思春期の時期を主に、下位中流階級から中流階級の家庭の87名のアメリカ人女子について調査したそうです。さらに、その女子の母親との構造化面接を実施し、うつを中心に気分障害を判定しました。得られた尺度は崩壊した家族関係や、母親の恋愛関係におけるストレスに関するものですが、同様のものが女子の母親からも得られたそうです。そして、実の父親や継父、母親の恋人の存在についてもデータを収集しました。先行研究と一致して彼らは、家庭にストレスがあり、父親がいない女子は、家庭にストレスが少なく、実の父親と一緒に住んでいる女子よりも早く思春期に入ると報告しています。しかし、これらの効果はどちらも、母親の気分障害の経歴(これも思春期の年齢を予測する)が媒介しており、母親の精神病理は家族のストレスや父親不在の遠隔原因である可能性があり、それによって女子の思春期が早期に訪れることが示唆されるようです。

おそらくエリスとグレイバーの結果で最も興味深い点は、継父や母親の恋人の存在の効果であり、女子の思春期の時期に関係する家族のストレスと相互作用していることであるとビョークランドは言います。。父親が継父であるか、母親に恋人がいる女子は、家族のストレスが高いときに、ストレスの程度に関係なく、実の父親と暮らしている女子や、父親が継父あるいは母親に恋人がいて、家族のストレスが低い暮らしをしている女子より、有意に早く思春期に達したそうです。さらに、思春期の成熟と娘の年齢には、継父や母親の恋人が女子の生活に入り込んでいるときに有意な関係が見出され、その女子に血縁関係のない父親が現れた年齢が幼いほど思春期に達する時期が早かったそうです。対照的に、思春期の時期と実の父親がいなくなった年齢との間には、有意な関係は見出されなかったと言います。エリスたちによる関連研究において、父親がいることと、特に、父と娘相互作用が良好であることが、女子の思春期の時期が遅いことを予測しており、このことから、父親の投資の肯定的な質は娘が思春期に入る時期に影響を及ぼすことが示唆されます。

ビョークランドらは、エリスとグレイバーの結果、および、エリスたちの結果は興味深いと考えているようです。一方で、彼らの結果はベルスキーたちによって呈示された一般モデルを支持しています。女子は家族における資源関連要因に敏感であり、多数の要因として、母親の気分障害、家族のストレス、父親の不在、父親の投資の質などの相互作用次第で代替的な発達の道筋をたどります。しかし、高いストレスを抱えた家庭環境における血縁関係にない父親の存在は、早期の思春期を引き起こす最も直接的な事柄である可能性があり、その父親が娘のもとに来る年齢とも関連しているようです。ヒト以外の動物では、血縁関係にないオスがいることでメスの思春期の開始が早まり、年長のオスと若いメスが生殖する機会が増えるようです。現代の、そしておそらく古代のヒト集団においては、継娘と継父間の性的活動はストレスの原因となるであろうし、家族構造にとっても大半の家族内の個人にとっても適応的ではないだろうと考えられます。

なぜ、利他的行動?

資源をめぐって競争が生じる生態系において子孫が繁殖し、生存するという点で、利益を最大化する能力によって判断されます。利益を最大化する能力は、得ようとする利益に付随するコストやリスクとの関連からの見方では、ある個体が他の個体より得をするかどうかという点から容易に理解できるので、特にリスクが低い場合には、一連の社会的行動、たとえば攻撃行動を説明するのは容易であると言います。その場合、自然淘汰は、配偶者や資源を効果的に守るために攻撃行動を起こす個体に対して、明らかに有利に働きます。経済的観点からいうと、自然淘汰は利益がコストを上回る戦略に有利に働くのです。そのためたとえば、資源や配偶者を手に入れる機会を得るといった利益の方が死や負傷などの付随するコストを上回るなら、攻撃行動は選択されるでしょう。

攻撃行動に関連したコストが利益を上回る場合、たとえば、配偶者を確保するために衰弱するほどの傷を負う場合には、その攻撃行動は選択されないでしょう。攻撃性の適応度を説明するのは比較的単純ですが、進化論は当初、協力行動や利他的行動があることと折り合いをつけなければならないという困難を抱えていました。これまでの説明は、随分と難しく、回りくどい気がしますが、何度も言いますが、それが研究なのでしょう。要するに、私たちは進化の過程で、競争と協力の両面を持って生存してきました。その時、自分が生存するためには、相手を攻撃したり、相手の生存を阻止することで自分たちを守るということは容易に想像がつきますが、協力をするとか、自己犠牲を払うということは、一見自分たちの生存にどう結びついていくのかは見えにくいものです。とくに、自己犠牲の上で、他人のために行動すると行くことはどう理解したのでしょうか?また、、なぜ自然淘汰において有利に働くのでしょうか?

この問題を解決しようと試みたのが、群淘汰の理論だそうです。簡単にいうと、群淘汰の理論では、自然淘汰の単位は集団であり、個体ではありません。そうすれば、協力や利他的行動は、集団全体の利益という点から説明できると言うのです。つまり、利他的行動は個人にとっては非常にコストが大きいのですが、集団にとっては多大な利益をもたらすと考えられるのだと言うのです。私たちは、自分にとっての利益だけを考えていくことでは、私たちがとってきた生存戦略は説明できませんが、集団を構成し、集団の利益という点から考察すれば、その行動は説明がつくと言うのです。

しかし、この理論は、分子生物学における発見や、 DNAコードの解読によって反撃を受けることとなったそうです。簡単にいえば、それらの進展により示唆されたのは、自然淘汰の単位は個体、より正確には遺伝子であり、集団ではないということなのです。したがって、進化論は利他的行動を説明するという難問に再び直面することになったのだそうです。

その中で、利他的行動を最初に説明したのは、ハミルトンの包括適応度の理論だそうです。この理論は後にトリヴァースが発展させたそうですが、この包括適応度の理論によると、個体の協力行動や利他的行動、反社会的行動は、相互作用する者同士の遺伝的血縁度の度合いによって変化するとしました。個体は、血縁関係の遠い者や血縁関係のない者と比較して、自分と関係が近い者とより協力すると言うのです。

シンガポール報告2

以前の配膳

見守る保育での配膳

今日は、「見守る保育」を実践している園を数か所見学しました。まず、各園を見ての感想ですが、昨年5月にシンガポールから代表が見学に来て、その後8月に打ち合わせに来て、帰国して私の園の報告を代表から受けて、そしてその時に「見守る保育」の書籍を購入して帰ってから各園の園長先生がその本を読んだだけで、よくここまで理解し、それを実践に移したなあということを感じました。今年参加したほかのメンバーからも同様の感想を聞きました。

また、現在日本でも、「見守る保育」にどこから取り組んできたかということを悩んだ経験を書籍にまとめようとしています。私の園に見学に来た方の多くは、このような保育がいいと思うのですが、いざ取り組もうと思っても、どこから、どのように取り組んでいったらよいのかで悩む園が多いと聞きます。それを、シンガポールの園では、さっそく取り組んでいるのです。140園近く運営している法人の責任者から聞くと、トップダウンでこのような保育に取り組みなさいということを言おうと思ったようですが、考えをやめて、自主的に取り組むように、各園に任せたようです。すると、各園では園長先生が、自分の園では、どこを見直したらよいのか、また、どこから取り組んでみようかということを考えたそうです。

そのような導入がよかったのでしょう。取り入れた一部から、子どもの姿が変わり、保護者の理解が得られ、徐々に取り組みが広がっていったようです。最初に訪れた園では、子どもたちが意見の衝突があったときに、話し合う場所として設営されている「ピーステーブル」を部屋の中に作るところから始めた園でした。まず、そこで子ども同士がけんかなど対立したときに話し合う場所であることから、よく話し合いの場としていいと言われる対面ではなく、お互いがはす向かいに向き合う形をとっていました。この形は、他の園のピーステーブルでも見ました。そのほかにも色々と工夫され、参考になることも多くありました。

その一つが、ピーステーブルの前に貼っている紙です。私の園では、話し合うルールが参考に書かれてあります。「相手の話を最後までしっかり聞こう」「話を聞くときは、相手の顔を見よう」「自分の気持ちを言葉で言おう」という3点です。これを子どもの字で書かれてあります。シンガポールの見学した園では、前に数種類の顔が書かれてあります。それは、感情が高ぶって自分の気持ちをなかなか言えない場合があるので、自分の気持ちがあらわされている絵を指さして伝えると言います。怒っている顔、悲しい顔、泣いている顔、うれしい顔などです。それは、絵で自分の気持ちを伝えるだけでなく、自分の気持ちを見つめるのにも役に立ちます。

それから、ここに来る場合は、感情が高ぶっていることが多いため、ここにきて、感情を鎮めるためのグッズが置かれてあります。中にゆっくり動くものと水が入っているペットボトル、握ると感触がよいもの、話しがしたいときにチーンとならすもの、そんなものが置かれてあります。場所だけでなく、いろいろな工夫がしてありました。

次の園では、給食の配膳の見直しから始めたそうです。それまでは、先生が調理室から運ばれてきた給食を、さも、子どもに与えるように配り、子どもたちも言われたとおりに黙って食事をしていたと言います。そうしたときには、年長になっても手で食べたり、行儀が悪かったそうです。それを、当番が、その日の献立のメニューをみんなの前で発表し、子どもの当番さんが量を聞きながら配膳することにしたそうです。まだ、おやつだけだそうですが、次第に給食でも取り組みたいということでした。

模倣から指導へ

トマセロ、クルーガーとラトナーの分類では、模倣学習の次の段階は、指導学習であるとしています。指導学習では、到達度の高い個体が到達度の低い個体に指導を行います。ただし、指導が行われる全事例が指導学習と言えるわけではないと言います。指導学習には「子どもが大人について学ぶこと。特に、大人が課題をどのように理解しているか、そしてそれが自分の理解とどう違うのかを学習する」ことが必要だと言います。指導学習と他の「指導による学び」との違いは、前者では子どもが指導された行動を適切な文脈で、自分の行動を制御するために再現する点だというのです。つまり、模倣学習と同様に、子どもは行動の目的、最初に行動の指導をした時の大人が持っていた目的を理解しなければなりません。子どもは大人の指導を内面化しなければならず、単純に要求されたら行動を繰り返すだけでは不十分だと言います。模写の時に体重計の例に出てきた2歳児男児が、あの行動を教えられたとしても、これは単に「はかりに乗るという芸」を学んだだけであり、トマセロらの定義により指導学習とはならないのです。

指導学習の基盤にある認知能力は、心の理論の基盤にある能力と同じと考えられると言います。心の理論には、典型的な定義にあるように、他者に信念や欲求があること、そしてそれが自分のものとは対立する場合もあることを理解することが必要だと言います。同様に、指導学習では、学者は教授者の視点を正しく理解する必要があります。トマセロは、以下のようなことを言ってるそうです。

「指導者から文化的に学ぶためには、指導を指導者の視点に近い視点から理解するためには、子どもは自身の視点とは異なる心の視点を理解できなければならない。そして、その視点を自分の視点と顕在的に関連付けなければならない。」

野生チンパンジーの指導学習に関する証拠が、少ないながら存在するそうです。たとえば、霊長類学者クリストファー・ベッシュは、象牙海岸のタイ森林で、メスのチンパンジーが子どもにクルミの割り方を「指導」しているのを観察しているそうです。クルミ割りをするチンパンジーはごく一部に限られており、文化的に伝播される行動と定義されることもあるそうです。この行為は、土台となる岩の土の上に置いたクルミを、別のハンマーにする岩でたたくというものです。この技能の獲得には長い年月がかかり、通常大人のメスが行っているそうです。ベッシュは、母親チンパンジーが、子どもがただクルミをたたき割って、中の実を取り出せばいいだけになるようにクルミと土台、ハンマーを設定するのを何回か観察したそうです。この行動は、子どものいないチンパンジーの成体には全く観察されなかったそうです。

また、別の時には、母親チンパンジーは、子どもが見ているときには、クルミ割りの動作を普段よりゆっくりと行っていたそうです。これらの観察ほど、印象的な観察結果は、これまでにもほとんどなく、霊長類学者がこの100年間に記録してきた数千、あるいは数百万もの相互作用の中でも、ごく一握りでしか確認されていないそうです。つまり、この観察結果を、チンパンジーが指導学習を行うという「証拠」と解釈するには注意が必要であろうとビョークランドは言っています。

脳はいかに機能するか

ハッテンロッカー博士によって、2つの脳についての意外な発見が報告されました。一つ目は、シナプス密度は出生後すさまじい割合で増大し、多くの分野においては乳幼児期にピークを迎えること、そして、二つ目の意外な結果は、その後シナプスの密度が徐々に減っていくことがわかったのです。すなわち、生後の経験により、必要な脳内ネットワークは残され、不要なネットワークは刈り込まれ、情報伝達効率の良い脳内ネットワークが形成されていくというのです。そして、その刈り込みの発達のタイミングは、脳の領域によって異なることがわかりました。部位間の違いは、脳幹などの生命維持に必要な脳領域の髄鞘化は早く、大脳皮質は遅いことが知られているそうです。また、大脳皮質においても、領域によって異なり、組織学的な研究から、一次視覚野などの脳領域の髄鞘化は比較的早く、前頭前野の髄鞘化は青年期まで要することが示されているそうです。

これらのことが、組織学的な研究でわかってきているのですが、最近ではMRIによる灰白質と白質の量の発達的変化の研究でも、脳の発達は増加の一途をたどるのではなく、様々なネットワークを多めに作って、そこから絞り込んでいくというプロセスをたどることが示されているのです。それらのネットワークにおける情報伝達は、髄鞘化などによって、効率を増していくようです。このような過程を経て、脳は構造的に発達していくと言うのです。

だからといって、構造の発達がそのまま行動や認知の発達につながるわけではないようです。構造と機能の関係について、ゴットリーブ博士が、ある理論を提案しています。彼の理論では、「遺伝子」「脳の構造」「脳の機能・経験」という三者が、発生過程によっていかに関連するかという点を検討し、大きく2つの関係性を提示しているそうです。ひとつは、「遺伝子→脳の構造→脳の機能・活動・経験」という一方通行の関連です。つまり、遺伝子が発現して脳の構造を作り、それに応じて脳が機能し、経験が生まれるというものです。この考えでは、脳の発達は遺伝子に書き込まれた情報が発現していく過程であり、経験とは、遺伝子が生み出すものにすぎないのです。

もう一つが、「遺伝子⇔脳の構造⇔脳の機能・活動・経験」という関係です。この考えは三者の相互作用を仮定しており、たとえば、脳の構造によって脳の機能が決まることもあれば、脳の機能によって脳の構造が変化することもあり、両者はお互いに影響を与えながら発達していくことになります。森口は、脳の可塑性があることを考えると、二つ目の考えの方が妥当性は高いと言っています。

現在の脳の機能的発達研究における最も重要な論点のひとつは、脳領域間の関連が全体としてどのように発達していくかだそうです。特に、大人の脳には機能局在が見られますが、これが発達早期からあるのかという問題が検討されているそうです。研究は、途に就いたばかりだそうですが、発達認知神経科学者のジョンソン博士は、脳の機能的発達についての三つの考え方を提示しています。

一つ目が、現在でも多くの研究者が漠然と採用しているそうですが、成熟説というものだそうです。脳の髄鞘化や灰白質の変化は1次視覚野や1次体性感覚野から始まり、前頭前野などの領域が最後であるということでしたが、成熟説によると、脳の各領域の構造的発達が、そのまま機能的な発達につながるというものです。

2017韓国三日目午前

ソウルでは、「思いやりのあるソウルをめざす」という政策課題のもと、子育て支援では、民間オリニジップの質を国営の水準まで向上させようとしています。また安全に保育ができる状況にある特設民間センターを保証し、学校給食と保育のアシスタントの支援、医者のサービスと保育センターのモニタリング・グループの支援をしています。また、保育所だけでなく、家庭で子育てする親にも子育てサービスを拡大し、子どもの赤ちゃんの広場をソウル25区ごとに1 ヶ所設置しています。

韓国三日目の午前中は、このうちのひとつである中区にある子育て支援センターに行きました。ここの利用者は5歳以下の中区民か、ソウル市民なら誰でも利用できます。事業としては、「キッズトイ」といって、おもちゃを貸し出しします。内容として「乳幼児の発達段階に適した刺激的で安全なおもちゃを貸しています」とあります。ここでは、年会費を払えば、無料で利用可能だそうです。1回2点以下14日以内にレンタルできるそうです。保育園、幼稚園にも貸し出ししており、そこには、1回3点以下14日以内にレンタルするそうです。延滞利用に対しては、1件当たり500ウォン(50円)かかるそうです。例として、おもちゃ二つをレンタルして、13日までに返却しなければならないところ15日に返却した場合は、500ウォンx2(レンタルしたおもちゃの数)x2(延滞期間)=2,000ウォン(200円)の延滞料を払います。そして、計3回以上延滞した日付だけレンタル停止するそうです。

同様に、「キッズリーディング」という絵本図書館があります。ここで、親子で絵本を読んでもいいですし、借りていくこともできます。ここで、とても興味を引いたものに、「キッズストーリーという場所があります。ここは、職業体験室と言われるもので、子どもたちは、「乳幼児と一緒に様々な生活体験!」というキャッチフレーズのように、色々な生活体験ごっこ遊びができるようになっているのです。それは、日本のキッザニアとは違って、本物体験ではなく、園で行なうごっこ体験です。ですから、同時に、保育園、幼稚園の領域作りの参考モデルにもなっているようです。利用としては、乳幼児1人当たり2,000ウォン(200円)(保護者1人無料、1人追加時1,000ウォン追加)、団体1人当たり1,500ウォン(10人以上、引率者は無料)です。そして、最大2時間利用可能だそうです。

 ほかにも、「ズケア(時間制保育 – 幼児)」「キッズケア(時間制保育 – 乳児)」という一時保育があります。利用料は、1時間当たり4,000ウォン(400円)(30分未満超過2,000ウォン、30分以上超過4,000ウォンの費用が発生します。

その他に「キッズヒーリング」といって、子どもの発達相談室があります。また、相談室の紹介もするそうです。そして、障害巡回支援事業として、保育園での障害幼児、小学校進学のための準備などの相談プログラムの研修や各園の検査と評価を行なっているそうです。最近、発達相談件数が非常に増えたそうで、どこも事情は同じようです。

また、ほかにも月に教育プログラムがあり、カレンダーを見てみると、「児童行方不明誘拐予防教育」とか、「すぐに学び、すぐに書く絵本活用法」などが開催されているようです。情報提供としては、「子育て情報育児の常識」「外出情報」「文化行事情報」「保育園利用案内保育園案内」などがあります。

2017韓国二日目午後

二日目の午後の施設見学は、昨年お世話になったハンソル未来教育財団の運営している施設2箇所でした。昨年紹介したように、この財団では、国内140カ所くらいのオリジニップの運営を委託されています。この財団は、ほかにも様々な施設、事業を展開しているそうです。特にオリジニップの運営を委託されている企業は、大きな有名なところが多いので、その子弟を預かるということで、保護者にインテリが多くいます。また、資金も国からの補助の他に、企業からもかなりあるそうで、遊具が豊富で、贅沢な空間作りになっています。

この背景を見ると、全体の質の底上げとして有効なヌリ課程が、それ以上の保育を目指すときの妨げになっている部分を感じることができます。様々なルールや規則、役所からの指導は、基本的には性悪説からきているのではないかと思うことがあります。もっと、園を信頼してくれてもいいのですが、どこか悪いところがないかを探し、ちょっとしたミスでも、さも悪意を持ってそれをしているかのような指摘をします。日本での監査では、書類を細かくみて、その作成に子どもを見る時間が減るのではないかと思われるものや、そうでなければ、時間外で作成しなければいけないようなものを要求してきます。本当にこれで質が向上するのかと思ってしまうのですが、それを監査官に言うと、「あなたの園は、見ればわかりますが、他の園では基本的なところができていないところが多いのですよ。せめて書類を整えさせることが、ある質を保証しているのです。」と答えます。たぶん、これに似たようなところがヌリ課程にあるのではないかと思います。ですから、私たちの見学先では、かなりヌリ課程に否定的な園が多いのもそのような事情からなのでしょう。

午後の1カ所目は、青瓦台に勤務している職員の子弟が通う施設です。青瓦台とは、日本で言えば、首相官邸、アメリカではホワイトハウスと同じで、韓国のソウル特別市鍾路区の北岳山の麓に所在する大統領官邸です。その建物の瓦が青いのでその名が付いています。そこに勤める保護者ですから、要求も多いのでしょうか?また、そのような裕福な保護者が多いので逆に少ないのでしょうか?私の経験からすると、少ない気がします。もちろん、高い質であることは当然ですが。

まず、この園は隣接して2園造られています。どのように分けているのかわかりませんが、もう一棟は最近できているので、増築したのでしょう。希望者が多くなったので、部屋に多く詰め込むとか、その建物を増築するのではなく、別棟にきちんとした様々な機能を備えた別の園をつくるとはさすが贅沢です。それは、建物がそこに入所する子どもの定員で完結するような造りになっているからです。それは、外観も園庭からも感じます。私の園では、園庭や保育室以外の各室はそのままで、定員を1.5倍にするように区役所から要求されました。様々な事情からしかたないと判断し、受け入れたのですが、当初の感謝はどこへやら、いろいろなことを次々に要求してきます。

昨年、ヌリ課程でどこまで規定されているのかということを思ったのですが、今回、ランチルームが用意されているのは、独自の取組みのようです。ここには立派なランチルームがあるのですが、その後見学した、この財団が委託されていない園には用意されていませんでした。しかし、園庭に菜園を用意することは規定されているようです。近くの公園を園庭がわりにすることは認められているのですが、きちんと園と契約をして、そこに園児による菜園を用意することが決められているようです。ですから、いくら企業所内の園でも菜園を持っていました。     

世界の育児

 ドイツに行くことによって、国による文化の違いを知ると同時に、共通な部分も見えてきます。それは、不易な部分と、世界的な時代的な要請によるものがあります。また、お互いが影響し合って、融合した新たな文化を形成していくこともあります。

 それは、子育てについての習慣にも見られます。いくらグローバルな時代であるといっても、まだまだ根強い、その国ならではの子育て文化が存在します。それが、時として真逆なこともあります。今年の5月に「LINE Corporation」で、「ビックリ!! 国が違えばここまで違う【世界の子育て法】 」という特集がありました。その中で、ずいぶんと国によって育児方法が違うのですが、ヨーロッパ間でもずいぶんと違います。しかし、何となく、ヨーロッパに共通するところがあって、アジアの子育てに比べて、自立を第1優先にしているような気がします。フランス流では、泣いたときの対処法はこうします。「赤ちゃんが泣いたらまずはお腹がすいたのかチェックとオムツチェック。これは日本と一緒だと思いますが、日本みたいに「赤ちゃんが飲みたいときに、飲みたいだけ飲ませなさい!」ではなくて、だいたい時間できっちりさせます。また、産後すぐにみんながお見舞いにきます。日本だと「産後は、疲れているだろうから、帰ろうか」という状況が多いのですが、フランス人は帰らないようです。みんなでおしゃべりしてワイワイして赤ちゃんが、寝ていようがおかまいなしで何時間もいるようです。まや、生後3ヵ月で添い寝をストップします!!その理由は、(1)子どもの自立を阻害する(2)夫婦の生活が侵害される(3)近親相姦を思わせる(4)押しつぶして窒息させる危険がある(5)乳幼児突然死症候群(SIDS)が起こりやすい、などだそうです。

イギリス流では、ほんの幼児の頃から、「子供は悪魔」と思って厳しくしつけるようです。それは、「大人になってから恥ずかしい思いをしないよう、小さいときに、守らなければならない社会のルールだけはしっかり教えておくのが親の務めです」だそうです。また、今年王妃が生まれたときにびっくりしましたが、「産む直前に来て、産まれたら6時間で退院」します。イギリスにはNHSと呼ばれる国民保健サービスがあり、出産を含むほとんどの医療が無料で受けられるのですが、そのサービスは決して行き届いたものではありません。長々と居てもらったのでは、つぎつぎ来院する妊婦さんを“こなせない”ということでしょうか。激痛と不安の中、病院にいられないというのは不安で、衝撃的です。

では、ドイツ流とはどのような子育てなのでしょうか?まず、「赤ちゃんのときから一人で眠る訓練」をします。赤ちゃんのときからベビーベッドに寝かされ、泣いてもすぐに抱っこしないことが推奨されています。また子どもが眠る時間も早いです。小学生の場合、19時に就寝する習慣が一般的で、遅くとも20時には子どもたちはベッドに入らなければなりません。また、ドイツでは外だけじゃなく家の中でも、赤ちゃんを裸足にはしないそうです。

また、耳に対しても「この帽子、耳が出てるわよ!」「帽子をもっと引っ張ってあげて!耳を隠さないと!」「耳に風を入れちゃだめよ!赤ちゃんは耳から風邪をひくのよ」など、とても気にしている様子です。

ドイツのお昼寝部屋ドイツのお昼寝部屋

オランダのお昼寝部屋オランダのお昼寝部屋

 

 子どもが早く寝る習慣というのは、ぜひ、見習いたいものですが、添い寝をしないとか、泣いてもすぐに抱っこしないというのは、最近、問題視されてきているようです。一人で寝る習慣も、ドイツだけでなく、オランダも、ヨーロッパ全体の考え方で、保育園のお昼寝の時間も、先生がそばについているということはないようです。それどころか、寝る部屋にも大人はいないで、子どもたちだけで寝ます。

意図運動の身振り

 チンパンジーの個体発生的に学習された意図運動の身振りには、たとえば、遊び始めるときの「腕上げ」とか、乳児が母親に抱っこして欲しいと頼む時にする「背中さわり」などがあります。これらの意図運動のシグナルは基本的に社会的行動の行程を省略したものであり、ほとんど二者間で成立するものであり、伝達者が相互のやり取りにおいて、直接受け手の行動に影響を与えようとするもので、第3者に関する情報を与えるものではないのです。

 このような意図運動の身振りを類人猿がどのようにして習得するのかという点において、たとえば「模倣」が考えられますが、以前のブログでも取り上げましたが、模倣は、人類だけの特徴で、チンパンジーや他の類人猿が模倣によってとは考えられず、種に個体発生的な儀式化によって、最も柔軟な意図運動の身振りを学習するという証拠がいくつも挙げられています。

 類人猿の使うもう一つのタイプの身振りは相手の注意を引きつける行為であるとトマセロは言います。この種の身振りは、まず確実に動物界で広くは見られないようです。おそらく、類人猿だけ、もしくは大型類人猿のみに限られるものかもしれないと言います。この相手の注意を引きつける行為とは、たとえば、「地面たたき」「つっつき」「物投げ」などであり、それもやはり外部に指示対象物ではなく、二者間で成立する場合が多いと言います。地面を叩いたり、つっついたり、物を投げている伝達者に受け手の注意を引きつけるものなのです。

 これらの注意を引きつける行為は、意図運動とは機能が異なるために、学習のされ方も異なるようです。特定に社会的行動と結びついていないため、注意を引きつける行為は繰り返し行なわれる社会的な行為から直接的に儀式化することはできません。その代わり、それらはコミュニケーションとは別の理由によって、地面を叩いたり、ものを投げたり、他者を押したりする行為をした個体が学習すると言います。これらの行為をすれば、当然のごとく他の個体の注意を引きつけるこの行為を行なった個体は、そのことに気がついて、その後はこのことを理由するのだと考えられています。ひとたび学習されると、注意を引きつける行為は、遊び、毛づくろい、授乳などのような多くのさまざまな社会的目的のために非常に広く用いられます。

 この間接性こそが本当に目新しいものだとトマセロは言っています。伝達者には受け手にして欲しい行動があって、それを達成するために受け手の注意を何かに引き寄せようと試みます。もし、伝達者が受け手に見て欲しい場所を、受け手が見れば、受け手は伝達者の望む行動をとってくれるという期待に基づくものなのです。子どもたちに何か大切な話を伝えようとする前に、まず、こちらに注意を向けさせようと声を出したり、何か身振りをしたりするのと同じようですね。そのときに、どのような声を出したらいいのか、どのような身振りをしたらこちらを向いてくれるかということを、体験から学習していくのですね。まだまだ、それは、ヒト特有のコミュニケーションではありませんが、そのようなことから人間らしさを見つけていくのでしょう。

 このように相手の注意に注意を向けていることからすれば、チンパンジーや他の霊長類は、特定の順序で連続した身振りをするのか、すなわち、まず注意を引きつける行為をしてから、意図運動をするのか、という疑問が当然わいてきますが、トマセロは、それは違うと言っています。

私の発達観

 私は、人間の発達とはどういうものかを、よく考えます。というのは、日々目の前にいる乳幼児を観察すると、発達過程という考え方に疑問に思うことが多いからです。というのは、乳児においての発達過程は、本人が意識的にその行為を行っているのか、そうではなくすでに遺伝子に組み込まれている行為なのかを考えます。しかし、たとえば「人は歩く生き物である」とか「人は言葉を話す生き物である」「人は道具を使う生き物である」というように表現をすることがあります。では、人は誰でも歩くのか?言葉を話すのか?道具を使うのか?というと、必ずしもそうとは限りません。オオカミに育てられた子は、歩く年齢になっても歩きませんし、暗闇の中で育てられたり、拘束されて育てられた子は、歩きはじめると発達過程で書かれてあるおおむねの年齢になっても、歩きません。言葉を話すことも、言語における障がいがなくても、人と話す機会がなかったり、言語を話す人と接することがなければ、話すようにはなりません。

 また、たとえ、ヒトとしての遺伝子によって歩いたり、言葉を話したりする機能を持って生まれたからと言って、産まれてすぐに歩き出すわけでも、話すわけでもありません。そうなるように適切な環境や学習が必要になります。だからといって、そのような環境、学習すれば、他の生き物でも話すことができるようになるのか、直立で歩くことができるようになるかというとそうなりません。

 と言うことは、様々なヒトとしての機能は、人類という種の中で、持って生まれた遺伝子と、それを引き出していく環境が必要になってきます。そして、それを引き出していくことが、保育であり、教育なのです。また、特に遺伝子で受け継いできた生存戦略としての社会という環境なのです。その社会の中で、社会の形成者としての資質を育てるために、乳幼児期は、非言語、非認知的な手段によってのヒトとの関わり、すなわちコミュニケーションのあり方を学んでいき、次第に言語を手段として、コミュニケーションをとっていき、また認知的なものを学習することによって、次第に社会の一員として自分がどのような能力を持って社会に貢献していくことができるかを学んでいき始めると思っています。

 このように発達をとらえると、保育所保育指針に書かれてある「子どもの発達は、子どもがそれまでの体験を基にして、環境に働きかけ、環境との相互作用を通して、豊かな心情、意欲及び態度を身に付け、新たな能力を獲得していく過程である。」という文章の中で、「環境」というとらえ方、「新たな能力を獲得」という意味がはっきりします。新たな能力とは、決して認知的なことだけを言っているわけでもありませんし、何かができるようになるという能力だけを指しているわけでもないのです。また、「獲得」と言うことも、教え込まれて得ることではなく、引き出されていくという意味が含まれていることも理解できると思います。

 このような発達観を持つと、「おおむね○○歳になると△△ができるようになる」ということは、元々そのような機能を持っている遺伝子を持ち、それが現れるようになるためにそれまでの環境、準備も大切になります。また、それが現れるということも、目に見えるようになるとか、自分で表現できるようになるということもあり、それができない年齢においては、そのような機能が備わっていないということにはならないのです。ですから、乳児のおける発達は、気をつけないといけないと思っています。最近の研究では、思っている以上に赤ちゃんに能力が備わっていることが分かってきたというのは、目に見えないものもわかり始めてきたということもあるような気がしています。