日本人

保育というものを考えるうえで、私は、その国の生き方を考えることになり、また、どのようにその国民が生きてきたかが影響すると思っています。それは、保育そのものはヒトとしての生き方であるからです。それは、人類の生きてきた道であり、人類が世界に拡散していって、日本にたどり着き、日本の風土の中でその国ながらの生き方を見つけてきたのでしょう。国立科学博物館で行われたグレートジャーニー展では、砂漠や高地やジャングルというある意味で非常に過酷な環境の中で人類はどのような知恵を持って生きてきて、生活してきたということを展示していました。そこほど特徴は顕著ではないでしょうが、日本にも特徴があります。

 そこで、そこでの保育という営みは、その国民の生活を反映しているはずで、単に海外で構築された保育内容を持ってきても違和感があるはずです。しかし、日本が長い鎖国から解かれ、海外の文化が入ってくる中で、日本独特の生き方は、ある部分、嘲笑の対象になったことがありました。例えば、「日本人はいつも笑っていて気持ちが悪い」と言われたことがありました。また、「日本人は、成熟していないで、なんだか赤ちゃんっぽい」ということも言われました。しかしこんなことがわかってきました。私たちホモ・サピエンスは、その昔からアフリカから世界に拡散していく中で、様々な生存戦略をとってきました。その戦略をとることで、他のヒト族が全滅する中で生き残っていきます。

 生存戦略の中で「幼形成熟」ということがあります。それは、他の霊長類に比べて、ホモ・サピエンスは成熟度が一番少ないと言われています。、赤ちゃんぽさを残すことで生存してきたと言われているのです。その赤ちゃんぽさは、特に黄色人種が残していると言われています。ですから、日本人が見せる赤ちゃんぽさは、人類の生き残る知恵だったのです。

 また、世界中に拡散したホモ・サピエンスは、世界中のどの地でも同じ行為を示すことがあります。その一つが「笑顔」だと言われています。笑顔によって、生き延びてきたのです。それを色濃く残しているのが、日本人かもしれません。

 また、「日本人はすぐに物まねをする」と言われました。しかし、「真似る」という行為は、人間だけに見られる特徴です。真似ることで、学習して、進化してきたのです。ブログにも書きましたが、鉄砲が、種子島に打ち上げられたイギリス船で見つかって、数年たっただけで国産化に成功し、世界での早い時期に戦いに使用することになるのです。これは、赤ちゃんが持っている「真似る」という行為と同じで、コピーではなく、真似ることで学習し、進化させていくという能力です。決して、日本のその特徴は恥じることなく、人類が進化してきた能力を受け継いでいることになるのです。

 そのように日本人が持っている特性は、鎖国という海外の文化にあまり浸食されずに継承してきたものなのです。その中で、最近私が注目している日本人の特性の一つに、社会のあり方がある気がします。子どもを中心に、他人との程度な距離感を持った社会のあり方、家族のあり方は、今の時代に求められているものかもしれません。

 現在、ANAの機内放送で、日本に惚れたイギリスの建築構造家の話を特集しています。彼は、日本は、とても居心地のいい国だと評しています。それは、「生活の中で態度や習慣が色濃く残っている。」「家族というシステムを残している。」「師弟という人間関係がある。」「義理、人情と言われるような人との関係性を保っている。」などを挙げています。

 そして、「その伝統が進歩を妨げているかもしれないが、それらの中で居心地の良さを保っている。」と言います。
 そんな良さは、日本人にはなかなかわかりにくいかもしれません。日本にいると、気がつかないかもしれません。今年は、今日からドイツ研修に行きます。

ドイツ最終日

 今日、現地時間7月3日土曜日午後、ドイツを出発します。今週初めドイツに向かった日曜日は、サッカーワールド大会でドイツ対イングランドの試合で、途中の機内放送で試合経過の報告がありましたが、帰る日も、ちょうどドイツ対アルゼンチン戦が行われており、やはり機内放送で途中経過の報告がありました。不思議な因縁です。
treehause.JPG
 ドイツの保育について、最近の課題は日本と同じです。一つは少子化ですが、しかし、ミュンヘンでは、最近は出生率は増加傾向にあり、かなり子ども政策の効果があるようです。しかし、まだまだ保育園、幼稚園、放課後児童施設の数の整備はできていません。特に、乳幼児施設と、放課後児童施設ではかなり足りないようで、急ピッチで整備を進めています。しかし、まずその印象は、だからと言って、新設された園を見ると、広々としていて、ゆったりとしています。施設が足りないからと言って、その施設のハード的な質は無視をして数だけをつくることは、かえって子どもを産むのをためらうようです。子どもが豊かに育っている姿を見ることが、子どもを産む意欲につながっているような気がしました。
morinonakae.JPG
 そうはいっても、対策はいろいろととっているようです。まず、以前紹介したようにコープという取り組みです。ドイツでは、簡単に言うと、社会局管轄のキンダークリッペという0歳から3歳児までの施設と、学校局管轄のキンダーガーデンという3歳児から6歳児までの施設があります。管轄の違いはあるにしても、保育時間は7時か7時半から大体17時くらいまで開園していて、その時間内で保護者は利用しますので、親の就労の有無には区別がありませんし。保育料も、年齢、保育時間、保護者の収入によっての差はあるものの、どちらも行政に保育料を納め、園は補助金で運営しているのはどちらも同じです。その中で、最近の乳幼児における入園希望が多い状況の中で、3歳児から入園できるキンダーガーデンが、学校局管轄で0歳児から預かるようにするコープという取り組みと同時に、3歳児まで入園できるキンダークリッペが、社会局が管轄で6歳児まで預けることができる施設ができているようです。数年後には、1本化しているでしょう。
kiginonakanosyokuji.JPG
 放課後児童施設においては、もっと待機児が多く大変のようです。現在、89%の保護者が入所希望のところ35%しか入所できていないようで、当面55%を目指すようです。日本でも、今後学童クラブの需要がもっともっと増えてくると思いますが、その為に、都会でのこれらの施設は、狭い人部屋に何十人も押し込められて、宿題もままならない空間ですが、ドイツではあまりにもゆったりとしています。
enteituro.JPG
 昨年、出発日にドイツにおける少子化対策について書きましたが、効果をあげているようですが、それは、バイエルン州の取り組みの成果でしょう。今回、ドイツでのお別れパーティーの席上に、ミュンヘン市の学校局の質の向上における保育内容担当とカウンセリング担当と、国際理解教育担当のトップ4人も同席してくれました。また、途中から、議会からグレッチェ局長も駆けつけてくれました。ドイツでは、9月から新年度が始まりますが、来年度予算折衝がその日にあったらしく、グレッチェさんは、心配していたそうですが、来た時には非常に上機嫌でした。それは、すべての子どもに関する予算が通ったそうです。経済的に厳しい中でも、子ども、特に乳幼児期に対して優先的に予算を付けたそうです。
 もちろん、ただお金があればいいのではありませんが、きちんとした質の向上に対して予算を付け、その代わり現場ではキチンと改革をしていくという姿勢は見習わなければいけないでしょう。
sotodewaninatte.JPG

ドイツ研修5日目

 今回のドイツ研修も、すべて終わり、あとは明日出発までの午前中に行われる話し合いだけになりました。毎年、保育に変化を見せるドイツですが、それは、ある意味ではEU諸国の変化を示し、新しい時代に対しての保育の質を求めている姿です。保育には、答えがあるわけでも、終わりがあるわけでもなく、時代が進んでいく限り、常に新しいものを求めていく必要があるのです。しかし、そのように時代に対して変化できるのは、きちんとしたコンセプトなり、カリキュラムなり、プログラムがあってこそでしょう。バイエルン州では、「陶冶プログラム」を基本において、園による独自性、時代による重点項目、移民など園児の構成による特色、いろいろと工夫をされています。今回は、各園による特色、独自性と、それらが違っている中で共通なものは何か、それをどのようにして守っているかをテーマにしました。
 今回の研修で改めて考えさせられたのが「遊具」「おもちゃ」でした。おもちゃを園からすべてなくすというのは極端ですが、時期を決めてその間だけおもちゃを使わないでいる取り組みは何のためかということを考えてみました。まず、私の園では、3?5歳児は、保育室内で遊んでもいいゾーンは、○×で表し、子どもたちはそれを見て行動します。ただし、登園してからお集まりまでの時間は、子どもたちで話し合ってどこが使えるか決めていますが、きちんとわかっています。それは、あまりにゲーム類に遊びが依存しすぎると、そのゾーンはしばらく使えなくなります。ですから、期間を決めて「おもちゃを使わない」ことを約束する必要はありません。それと、もう一つ理由があります。おもちゃには、それを使うことで何を育てるかという意図がそれぞれのおもちゃにあります。というよりも、そのような意図をもったおもちゃしか、保育室には用意しません。ですから、当然テレビゲームのような、その時だけ楽しむような、特に享楽的な、興奮させるだけのものはありません。
 おもちゃで遊ぶことで培われる力は、そのおもちゃの特性です。そう考えると、理想のおもちゃは、自然の中に豊富にあるということに気がつきます。時に、森の中にはたくさんあるのです。森の中には、さまざまなゾーンが用意されています。子どもたちは、それを選んで、自ら働きかけて遊ぶのです。ですから、森に出かける意味があるのです。しかし、そう考えると、逆にこういうことが言えます。保育室を、森にすればいいのです。あるところには、五感を刺激するもの、子どもたちの創意工夫を必要とするもの、探究心を増し、自ら環境に働きかけるもの、子ども同士の横の関係を構築するもの、それらを促す環境が、保育室に用意されていればいいということになります。
sozai.jpg
 また、身近な園庭も森の要素を取り入れればいいのです。たとえば、今回訪れたドイツの園では、夏ということで、水を使った子どもの活動が多く見られました。しかし、プールに入っている園は1園もありませんでした。
mizuwonagasu.JPG
このことは以前に書いたのですが、ドイツでは、水とのふれあいをもっと積極的に行っています。森の中のように、水がわいてきて、川になって、滝になり、水たまりに流れ込むという体験をしています。ある園では、石に穴をあけ、そこから水を流れ出すようにしていました。
mizuwonagasuisi.JPG
 私の園でも、園内に川の流れを作り、緑で覆われた、もぐりこめるようなスペースを作りました。そのほか、水だけでなく、砂、土、石、木、花、実など自然の中にあるような素材の用意、くぐる、渡る、集める、組む、登るなどの動作の保障を園内にも作る必要があるのです。しかし、自然は私たちに、一斉に同じ内容を伝えようとしたり、同じことを一斉にやるように指示することはしないのです。
kawanonagare.JPG

ドイツ研修4日目

ドイツでの森への散策や、森のプロジェクトは数年前から重点項目になったそうです。その中で、「おもちゃを使わない保育」の背景には、最近の子どもたちがおもちゃへの依存が強くなり、おもちゃがないとどう時間を使ってよいかわからなくなる子が多くなったからだと聞きました。最近のニュースで、アイポッド依存で、睡眠障害が起きているというニュースが流れました。また、母親や保育者に子ども依存の人が増えているようです。赤ちゃんを抱っこすることで落ち着くというような感情です。抱っこすることで、自分はいい母親なのだ、いい保育者なのだという自分を確認しているのです。そうすることで、赤ちゃんも大人に依存してきます。それが、共依存といわれるものですが、私は、それを昔は「抱き癖」と言っていたような気がします。それは、「癖」ではなく、大人本意で子どもをかわいがると、子どものほうも大人に依存してくるというのです。いろいろな物や人に依存するのは、自分に自信がないからだといわれています。何か、自分の存在を確認するものがほしくなるのです。
 そんなことで、家庭の中ではおもちゃがあふれ、子どもたちは常のそれらのおもちゃで遊んでいるために、自ら創造したり、工夫をしたりすることが少なくなってきているのです。ですから、その依存から脱却させようという試みが「おもちゃを使わない保育」になっているようです。ドイツ研修で、今日の午前中は、森へ行くプロジェクトに参加しました。ブログによく書きますが、「森」は、子どもたちにとってだけでなく、人類にとってとても重要なものです。森だけでなく、森にすむものも大切なものです。
 今日見学した「森のプロジェクト」は、毎週木曜日に郊外の森まで、電車に乗って出かける保育です。このプロジェクトは、特に周辺に自然が少ない園で奨励されているそうです。私たちも、子どもたちと一緒に電車で出かける予定でしたが、一緒ですと、子どもに声をかけたり、子どもを見つめたりするために子どもたちの集中力が途切れてしまい、収拾がつかなくなるということで、現地で待ち合わせをしました。10時15分くらいに着いた子どもたちは、森に向かって歩きはじめました。数分歩いたところで森の中に分け入りました。しばらく行くと、小高い盛り土があるところに着きました。そこで子どもたちはシートを敷き、銘々に朝食を食べはじめました。
morihe.jpg
小山のてっぺんには、保育者が用意した果物やプリッテェルが並べられました。それは、私たちのためにも用意されたものです。子どもたちに交じって食べた生のキュウリやトマト、赤カブ、ニンジンはとても甘くおいしいものでした。
morioyau.JPG
 食べ終わってから、子どもたちは森での約束事を発表します。それから、フェリックス賞を受賞したという歌声を披露してくれました。私たちは、そのお返しに「ひげじいさん」を披露し、一緒に手遊びをしました。そして、いよいよ森でも自由時間です。
moriasobi.jpg
その時に、私は不思議に思ったことがあります。その活動のために「おもちゃを使わない」ということですが、森の中には、子どもたちにとってのおもちゃが豊富にあるのです。木切れ、このみ、切り株、倒木、キノコなどあらゆるものが子どもたちにとって遊具なのです。
moriasobi2.jpg
ですから、おもちゃを使わないというプロジェクトは少しおかしいように思いました。子どもたちにとってのおもちゃとは何なのか。おもちゃは子どもの育ちには必要がないのか。そんなことを考えると、人は他の生物と違って、道具を使います。そのために人は小さいころからおもちゃを使うのです。ですから、おもちゃがいいか悪かではなく、「創造力や探究心が育たないおもちゃを使わない」ということが、子どもたちの森での活動を見ていて感じました。
morikinoko.JPG
 私たちは、昼の12時にその場を去りましたが、子どもたちはその後も17時まで森にいるそうです。

ドイツ研修3日目

 人は、さまざまな感情があります。それによって心が動きます。そして、その動きに気持ちがついていかず、悩むことも多くあります。最近、子どもたちを見ていると、大人同様、自分の感情に振り回されて困っている子をよく見かけるようになりました。たぶん、自分ではよくわからないでいるのでしょうが、大人のように、朝から機嫌が悪く、いろいろな所にあたっている子を見かけたり、何を話しかけてもブスッとしているとか、あたりを蹴飛ばして歩いたりする子を見ると、今日は、そっとしておこうと思ったりします。自分でも、その感情を、どう処理してよいか、イライラしているのでしょう。また、悲しい時など、放っておいてもらいたい時もあります。逆に、うれしいときは声をかけてもらいたい気持ちになります。
喜んだり悲しんだりする心の動きを、どう自分で受け止めるかは、人によって違うようです。大きな打撃を受ける人もいれば、大して気にも留めない人もいます。その受け止め方が、感情を引き起こすのです。したがって、その受け止め方を訓練するとか、大きな器の人間になるとか、修行の問題にすることもあります。
昔の歌で、ドリス・デイが歌った「ケ・セラ・セラ」があります。その歌詞の「Que sera, sera Whatever will be, will be The future’s not ours to see Que sera, sera What will be, will be」ケ・セラ・セラとは、スペイン語に由来するそうですが、その後に英語の歌詞にあるように、「なるようになる」という意味で、将来を心配する娘に、「将来のことなんて なってみなくちゃわからないのよ」というのです。なんだか投げやりに聞こえますが、それを聞くとホッとするのでしょう。
しかし、そうはいっても、人は自分の感情をコントロールしなければなりません。原因究明や問題解決よりも、まずは感情をうまくコントロールできることが重要です。イヤな感情をコントロールするためには、まず自分の感情に気づくことが大切です。そして、自分の感情と考えを受け入れることだといわれています。自分の感情を受け入れることで、感情の爆発を防ぐことができるのです。子どもたちは、自分の感情をコントロールできずに、イライラしたり、なんとなく不機嫌で過ごしたりします。それは自分ではよくわからないし、周りも何を怒っているのか、どんな気持ちでいるかよくわかりません。
昨年、ドイツに行ったときに「けんかコーナー」という空間があることを知りました。子どもたちが、お互いに主張をし、けんかになった時に、何に対して怒っているのか、どうしてほしいのかをきちんと話し合い、解決していこうという場所です。それを、私の園では早速「ピーステーブル」と名付けて作ったところ、子どもたちは、その場所で自分の考えをきちんと伝え、人の話をきちんと聞くようになりました。今年のドイツでは、また、新しい試みを見つけました。これは、さっそく、園に帰ってからやってみようと思っています。それは、「感情表現パネル」です。(その名前は、勝手につけました)壁、窓のところに、6種類の表情の顔が書かれてあります。その顔の上に、「悲しい」「病気がち」「眠たい」「うれしい」「怒っている」「楽しい」と書かれてあります。
kannjo.jpg
絵は、その気持ちを表す顔になっています。3,4,5歳児の部屋で、子どもたちは、この6種類の中のどれかの感情を持ったときに、自分の名前が書かれた洗濯ばさみを、自分の感情のところに取り付けるのです。まず、自分の気持ちを、きちんときちんと見つめ、それを表そうというものです。それによって、保育者はどうするといわけでも、友達がどうするわけでもなく、自分で自分のことを客観視し、コントロールしようとするものです。もちろん、なぜと問うこともありますし、その気持ちに共感することもあるようですが。また、これら感情の種類は、園によって違うそうで、3種類くらいのところもあるそうです。
ちょっと、園で試してみたいドイツでの取り組みです。

ドイツ研修2日目

 ドイツにほぼ毎年来て、保育園、幼稚園を見学するといろいろなところが変わっています。その変り方が、私には不思議に思えます。なぜかというと、1年足らずで、どの園も一斉に変わっているからです。しかも、それはどうしてかという問いに対して、どの園でもこの園の考え方で、独自のやり方だというのです。日本では、保育を変えるのは役所、保護者、職員という、なかなか厚い壁がいくつもあり、何十年も昔の保育をそのまましていることが多いからです。外国では、街並みや文化財は何年も変わることがありません。いつ来ても変わりません。それに引き換え、日本では、一週間たって日本に帰ると、ずいぶんと変わっています。私の自宅周辺やニュータウンでは、その変り方は激しいです。しかし、幼稚園、保育園、学校など子どもに関係する施設では、日本ではなかなか変えませんが、ドイツではずいぶんと試行錯誤します。
 ドイツの幼児施設は、大きく二つあります。一つは、社会局管轄の0歳児から2歳児までの施設と、学校局管轄の3歳児から6歳児までの施設があります。数年前から、学校局管轄の0歳児から6歳児までの施設が非常に増えてきました。それが、今日見学した施設は、社会局管轄の0歳児から6歳児までの施設でした。なんだか、日本の幼稚園型子ども園と、保育園型子ども園のようです。そして、ドイツでも、同じ事だから一本化しようという話し合いが、今週行われているそうです。しかし、日本のように補助金の出し方が違わないので、役所の引っ張り合いの話です。しかも、社会局管轄の園はミュンヘン市で50か所あまりに対して、学校局管轄の園は300か所あまりもあるので、決着は早いかもしれません。
 今日見た園も、1年に2回、園内からおもちゃを全く使わない、室内装飾を全くしない週を設定しています。1回は、クリスマス後の4週間ぐらいで、おもちゃに満ち溢れる家庭でのクリスマスに対して、園では、全く使わないそうです。もう1回は、ちょうど今回訪れた時期である年度の終わりの4週間くらいです。
garantositaheya.JPG
そのためか、室内はがらんとしていて、壁に取り付けてある遊具や、片づけられない遊具棚の前には、布が貼ってあって、取り出せないようになっています。
roukanoyugu.JPG
その週の主活動は、外遊びと森へ出かけます。その意図は、子どもに遊びを提供するのではなく、子どもがあるものを探し、創造しながら判断して遊ぶことを促します。そして、森への散策は、子どもの自発性や内面性への働き掛けを増やそうというものです。
 もうひとつの園では、70名定員のうち、40名は普通の保育ですが、30名は自由教室に参加します。どちらに入園するかは、保護者の選択のようです。自由教室というのは、近くの森や公園、街の中に出かけ、自然や施設などを観察し、午後園に戻ってきてから、保育者と一緒にいろいろ調べたり、いろいろなことを学んでいきます。それは、子どもの仮説を検証するという目的があります。そして、子どもの質問からプロジェクトを汲んでいきます。
 今回、4園見た中での共通点は、おもちゃのあるなしは別として、屋外活動、園外活動、特に森への探索に非常に重きを置いてきたという点です。私の園の裏にある公園を、区長の計らいで、「区民の森」にする計画があります。日本でも、森の重要性が見直され始めているのかもしれません。

ドイツ研修1日目

 ドイツでの1日目の研修で、気がついたことを報告します。今日午前中に行った園のコンセプトは、「遊具を減らすプロジェクト」に取り組んでいる園でした。ここは、キンダーがーテンと言って、3歳から6歳児まで75名が在籍しています。保育時間は、7時から17時までです。75名の子どもたちは、異年齢の三つのグループに分かれています。それは、昼食前後に戻るグルーうであり、活動における集団は、75名が自分が選択をしたグループ活動をします。
この園の取り組みである「遊具を減らす」というのは、何を目指しているかというと、簡単にいえば「発見し楽しみながら学ぶ」という意図からのようです。そして、今日の保育は、次の三つの中からの選択です。
一つ目は、厚紙に穴をあけて、その穴にひも通しをするというものです。
himotoosi.JPG
二つ目は、料理です。火を使うところ以外は、切るところからすべて子どもたちがやります。そして、作ったものをみんなで午前のおやつとして食べるというものです。
tukuttamonowotaberu.JPG
三つ目は、フェルトをせっけんでよく洗い、それを丸めてボールを作るというものです。
ferutotukuri.jpg
どれも、遊具は使いません。素材を手で感じ、自発的に行動させようとするものです。そのほかにも、年長児だけが毎日3時間森に行くプロジェクトをしています。これは、今回、午後の見学予定の主ターナー幼稚園、他の日に見学が予定されているところでも「森のプロジェクト」に取り組んでいる園があります。それは、OECDにおけるスターティングストロングの中で指摘されている次の内容が影響されている気がします。
「(幼児教育として適切でないと指摘されている園では、子どもの遊びを)しばしば机上のゲームに限定される。屋外での発見遊びや北欧の就学前学校の特徴である諸活動の中からの広い選択肢はほとんどない。」ここで重視されているのは、「屋外での発見遊び」です。また、幼児の本質的学習戦略を、「遊び、屋外の探索、行動の自由、クラス室内での他児童との関係や話合い」として挙げ、これらが奨励されていない園も多いことを指摘しています。
ただ、今回見学した園では、最初、すべての遊具を無くしたところ、子どもの育ちが必ずしも保障されないところがあり、職員、保護者の意見もあり、今は、少し、緩和されているようです。
しかし、それがっていされている園を午後見学しました。それは、シュタイナー幼稚園です。見学した園は、2歳から6歳まで60名の園児が在籍し、7時30分から15時30分(木曜日は17時)まで保育しています。この園での遊具はすべて天然素材で、流木、木切れ、木の実、石ころ、布などです。そこの園長先生が、半月型をした木切れを耳に当て「電話」をかけている真似をし、もう少し大きな木切れは、それを押してパソコン、眺めてテレビというように見立てをしてみせました。
denwatoterebi.JPG
自然物を見立てて遊ぶことで、個々の創造性を養うことができるというものです。反面、ゲーム類は、「遊び方」があるように遊び方を限定し、その為のルールがあることは創造性は養えないというのです。
簡単に何でも買えばそろうという考えかたから、工夫や創造性をどうつけていくかという点から遊具や、その素材を見直すことは必要かもしれません。
funetoumi.JPG
ただ、今回の園では否定されていたコンピューターなどはフィンランドでは重要な保育教材ですし、集団を作るためのボードゲームなどの必要性も言われていることはどうなのでしょうか。

ドイツ初日

 12時間余りの飛行を経て、ドイツに到着しました。今回の機内で放映されていた映画の作品の一つに、「インビクタス 負けざる者たち」がありました。この映画は、1995年南アフリカ共和国で行われたラグビーワールドカップの時の話です。時の大統領ネルソン・マンデラが、ラグビー代表チームのキャプテンと大会の優勝への道のりを通じて、まだまだアパルトヘイト政策の名残で、差別が残っている国を結束へ導いていく話です。途中、マンデラ大統領が、結果を気にして会議をしていても落ち着かない様子が描かれていましたが、ちょうど、25日から昨日までカナダのトロントで開催されていたG8でも同様だったようです。G8は、1970年代に入り、ニクソン・ショックや第1次石油危機などの諸問題に直面した先進国の間で、これらの問題は自国だけでは解決できず、さまざまな分野での政策協調が必要であるとして、当時の仏大統領の提案により、1975年11月、パリ郊外のランブイエ城において、日、米、英、仏、独、伊の6か国による第1回首脳会議が開催されました。
これらG8への参加国の国で、今回行われている南アフリカでのサッカーのワールドカップに出場している国は、気が気でなかったようです。ニュースでは、日本代表の決勝トーナメント進出に気をよくした菅直人首相は、25日行われたメルケル独首相との首脳会談で、強豪ドイツとの対戦を熱望したと報じられました。また、ロスタイムで劇的な決勝点を挙げ、予選突破した米国のオバマ大統領はその話題を「繰り返した」ほど喜んでいたといいます。一方でG8メンバーには、「もちろん少し悲しげな面々」もいます。前回優勝ながら予選を突破できなかったイタリアのベルルスコーニ首相や、チームの内紛ばかりが注目され、無残に敗退したフランスのサルコジ大統領らはこの話題に心穏やかでなかったようだと報じられています。
ちょうどドイツに着いた27日(日本時間では28日)は、20カ国・地域(G20)首脳会合の最終日で、ドイツ対イングランド戦が行われました。メルケルドイツ首相は会合の席で、「当日はサッカーを見る」と明言した上で、キャメロン英首相と一緒にテレビ観戦する考えがあることを明らかにしていました。メルケル首相によると、首脳会議の場でもW杯は話題になったそうです。
飛行機は、ミュンヘン空港に近付いてきたとき、機内放送がありました。「サッカーの速報をお知らせします。ただ今、ドイツが1点とりました。」しばらくして、「2対1でドイツが勝っています。」そして、着陸寸前、「まだ試合は終わっていませんが、4対1で勝っています。」と流れました。着陸して、荷物を受け取っている間に試合はドイツの勝利で終わったようでした。迎えに来ていた通訳さん曰く、大きな歓声が響き渡ったそうです。あと、その騒ぎの余韻はあまり感じませんでしたが、道々で、数人の若者が気勢を上げたり、バスを追い抜いていく車の屋根にはドイツ国旗が何本もなびいているのを見かけました。また、ホテルの近くのビアホールでは、サッカー観戦をで盛り上がっていました。
doitusakka.JPG
そういえば、前回、ミュンヘンで行われたワールドカップの時も、私たちも、ちょうどミュンヘンに来ていて、町はその熱気に包まれていました。いよいよドイツ研修が始まります。

ドイツ報告のまとめ

 毎年ドイツに行くことで、時代によっての取り組みの変化を見ることが出来ます。一昨年は、コープという新しい施設の取り組み、昨年は、就学前教育での文字、数、科学などの体験保育。今年は、少子化対策の取り組みと試行錯誤が見られました。
doituniwa.JPG
 親手当てのような金銭的に援助する仕組みと同時に、0歳児から3歳児までの保育施設の要望が年々高くなる反面、その数が足りないことに対して、まず、3歳以上の施設であったキンダーガーデンが、0歳児から預かるようにした「コープ」(コーポレーション)という施設での試みがあります。これは、学校局が管轄します。一方、0歳児から3歳児までのキンダークリッペの整備です。これは、社会局での事業です。そして、このキンダークリッペを学校局の傘下にいれようという計画があります。しかし、この計画に対して、社会局やクリッペの現場では反対しているそうです。
toirenopeint.JPG
 今回は見なかったのですが、最近試みているのは、キンダークリッペと、キンダーガーデンを同じ施設で同居しようというものです。日本での「認定子ども園」と同じです。もしまた来年ドイツに行くようでしたら。その施設を見せてもらうことを約束しました。
世界ではいろいろな保育が提案されています。
マリア・モンテッソーリは、医師時代の障害児との出会いをきっかけに、子どもを観察することによって子どものさまざまな姿を発見しました。それまで子どもは、大人によって育てられる「受け身」の存在だと考えられていましたが、モンテッソーリの観察によって、「子どもはその時期その時期に身につけるべき発達の課題とうまく出会う環境さえ整えられれば、自ら育っていく」存在だということがわかりました。
 レジオの保育についてこう書かれています。
「日本の幼稚園の制作と違うのは、「子ども主体」であることです。あくまでも制作の内容や目的などは子ども達の発想によるものなのです。ですから、完成時期もそれぞれに異なりますし、こういったこと以外にも「子ども主体」の保育がされています。」
 その形態について、「レジオのクラスでは混合クラスが主流で、年齢の上の子ども達は、下の子どもの世話を見ることが出来ます。ジャケットを着させてあげたり、靴をはかせたり、あれこれとマナーを教えることが出来ます。下の子ども達は上の子ども達に見習いながら、マナーや言葉の能力など早く覚えるようになります。今度彼らが上の立場になったときには、同じことを下の子どもにしてあげることができます。」
midorinotonneru.JPG
そのほかにも、オールタナティブと呼ばれるようなシュタイナーやフレーベル、さまざまな保育があります。今回、ドイツに行って感じることは、各国で提案されているそれぞれの保育のよいところを取り入れ、ドイツ独自の保育を作り上げていることです。しかし、それらの保育にそれぞれの特徴や違いはあるものの、どの保育についても共通のとこはあります。それは、どこでも、子ども本来自ら育つ力を持っており、それが育つために環境を用意すること、子どもを主体的に捉えること。子どもの選択を大切にすること、そして、そのために子ども集団を柔軟的に考え、生年月日による均一的な発達として捉えないことなどです。
 各国が参考にするような日本の保育があるでしょうか。どの国でも共通するべきところでさえ、怪しいものです。
doitusityosya.JPG
(今回の報告に当たって、子どもの写真はなるべく写りの悪いものとか、後ろ向きを使ったので、見にくいかもしれません)

ドイツ報告5

 今日、ドイツから成田に帰ってきました。と言っても、時差の関係で、ミュンヘンを飛び立ったのは、土曜日の午後ですので、このブログを書き始めたのは土曜日の朝でした。
 ツアー最後の見学は金曜日でした。午前中の見学先は、初めて訪れる「キンダークリッペ」という社会局の管轄である0歳児から3歳児までの園です。ドイツでは、キンダーガーデンという3歳から6歳児までの施設と、最近0歳から6歳までの「コープ」という園の管轄は学校局であり、毎年このツアーをコーディネートしてくれるのは学校局ですので、キンダークリッペを見るのはとても珍しいことです。
 今回の見学先の園は、定員が63名で、毎年の入園可能数が25名に対して入園希望者は500名ほどいるそうです。年齢的には低年齢児だけですが、事情や内容は日本の保育園に似ているものがあります。待機児が多く、ミュンヘン市では、2013年までに定員を2000人増加する計画のようです。それに伴って、保育士もかなり増員しなければなりません。たぶん、場所の確保も問題ですが、どうするのでしょう。日本では、乳児一人あたり3.3?、幼児一人あたり1.98?が最低基準として決められていますが、ミュンヘンのキンダークリッペでは、寝室として一人あたり2?、遊ぶ場として一人当たり3.5?、合計5.5?が最低基準のようです。
 この施設では、コープなどと違って、食材や食育も大切にしています。ですから、ほとんど冷凍食品のキンダーガーデンと違って、出来るだけ地産地消の食材を使い、すべての料理は手作りで、アレルギー児にも対応しているそうです。多いアレルギーは、ミルク、トマト、魚だそうです。清潔そうで、働きやすそうな調理室ですが、私たちの見学のための立ち入りは自由ですし、床は土足で、日本とは感覚が違いますね。
tyourisitu.JPG
 同様に日本と違う感覚なものに、水遊びがあります。まず、キンダーガーデンを含めて、夏の日本の園の定番であるプールがありません。もしプールに入る場合は、業務委託で、希望者だけ費用を払って週1回連れて行ってもらうそうです。乳幼児期は、泳ぐことができるようになるというよりも、水と楽しくふれあい、感触、科学を体験するために水遊びをします。しかし、驚くのは、この写真の右側のほうの子が、その水を飲もうとしています。他の子でも、チューブから水を飲んでいた子がいました。しかし、保育者は止めようともしません。後の質問で、「水の中に薬か何かを入れないのですか?」の答えに、「何かを入れるときは、意図するときです。」と言ったのは、私たちの質問の意図が伝わらず、泡などの体験をさせるために、泡が立つものを入れることがあるということで、塩素などによる消毒という概念はないようです。
mizuasobi.JPG
 また、ドイツの園の園庭は、芝生が敷き詰められ、大木が多く、広々としているのですが、植物と同時にどの園にもあるのが大きな石です。この3歳までの乳児園でも、園庭の中心に大きな石の山がありました。その石の山の頂上から水が出るようになっていて、その水が石の間を縫って流れ落ち、下の砂場に流れ込みます。この石の山に、まだ歩くのもおぼつかない乳児一人で登って行きます。「危なくないのですか?」という質問に、「最初は、職員がみんな危ないのではないかと反対しましたが、様子を見ていたところ、子どもは、自分の能力に沿って登り方や、登る場所や、高さを調整しています。ですから、そのまま見守ることにしたところ、5年間一度も事故はありません。」
isinoyama.JPG
 そこには、保育者の話し合い、理念、目指す保育があるだけで、保護者の苦情によってなどという言葉は出てきませんでした。