2017年ドイツ報告24

今回、レーゲンスブルクへ行って感じたことのひとつが、地域や保護者などのボランティアさんたちがこぞって、私たち日本から来たお客さんに対して歓迎してくれたことです。以前も、このドイツから日本の文化である「おもてなしの心」を学びました。どうも最近、日本では忙しいことに追われ、笑顔が減り、自分のことを優先して考える人が多くなった気がします。それでも、今回の大分の災害などには、多くのボランティアさんたちが訪れているそうです。もう一度、私たち人類が私たちの祖先から繋いできた助け合うこころを取り戻していかなければならにと思っています。

先日の読売新聞の編集手帳にこんなことが書かれてありました。「ドストエフスキーは『カラマーゾフの兄弟』の巻頭に新約聖書を引いている。『一粒の麦もし地に落ちて死なずば唯一つにてあらん。もし死ねば多くの実を結ぶべし』。日野原重明さんはその一説を印象深く読んだという。これほど異常な状況下の読書もない。1970年3月、赤軍派にハイジャックされた日航機『よど号』の機中である。ましてや、人質の乗客に向けたサービスで用意されたものか、犯人から借りた本である。『業績をあげて有名に医師になる。そういう生き方は、もうやめた。生かされてある身は自分以外のことにささげよう』。当時58歳の日野原さんは心に誓ったという。『よど号』から生還したとき、名声と功績を追い求める麦は一度死んだのだろう。-後略」

彼は、長寿の秘訣を「人と関わること」「人のために尽くすこと」「笑顔を絶やさないこと」と言っています。そんな日野原さんが105歳で死去しました。こんな人生を送りたいものです。

多くのボランティアさんに支えられて私たちのツアーは、四つのグループに分かれてそれぞれの学童施設を見学したあと、みんなで落ち合いました。そこから向かったのは、ある園が催している「夏祭り」に招待されたのです。園に近づいていくと、賑やかな音楽が聞こえてきます。そして、出店でいろいろな物を売っている子どもたちの声が聞こえてきます。夏祭りの会場は、その園の園庭でした。音楽が聞こえてきたのは、近くのしょうがい施設の職員さんと入所者で結成されたバンド演奏でした。歌と踊りを交えて、とてもリズム感があって、会場を盛り上げていました。園から、そのバンドに公演を依頼したのだそうです。

私たちが到着すると、みんなで譲り合って、席を用意してくれました。机の上を見ると、ドイツの旗と並べて、日の丸の旗が立っていました。そして、急いで、飲み物と、大きなホットドックを持ってきてくれました。しかし、申し訳なかったのですが、私は、それまでのおもてなしでおなかがいっぱいで、こっそり持って帰って、あとで、ホテルで頂きました。そして、私たちのメンバーで若い男性参加者が、子どもたちに刺激されて、顔にペイントしてもらいました。あとで知ったのですが、それを書いたのは、この園の保育者さんたちだったそうです。

18時になって、夏祭り終了後、片付けているあいだ、園内を案内してもらいました。

踏み台が引き出せるようになっています。

数の数え方が日本と違います。

基本的には、ミュンヘン市と同じような環境で、保育内容について詳しい話は聞きませんでしたが、子どもたちは生き生きと、自発的な遊んでいるであろう姿は想像できました。

3種類に分けた分別

2017年ドイツ報告23

レーゲンスブルクでの最初の見学先は、モンテッソーリ園でした。ミュンヘンでは、その考え方やいくつかの教具は取り入れているものの、今はほとんど「モンテッソーリ園です」と言われるような園はなくなっていますので、私もきちんとした園を久しぶりに見た気がします。ここは、モンテッソーリ協会が運営しており、ほかに幼児施設としては、0~3歳までの施設2園、0~6歳までの園3園を運営しているそうです。また、小学校1年生から小学6年生までの学校(ドイツの小学校は普通は4年生まで)、12歳までの学童クラブ(ドイツでは普通は10歳まで)、専門学校11年、12年生(高校)、研修センターなどを運営しているそうです。

各室には、きちんと教具が並べられ、見学した時間は、子どもたちは外遊びをしていた(見学者がいるため)ので、子どもたちの保育を見ることはできませんでしたが、落ち着いて、集中して取り組んでいるであろう姿が容易に想像できました。しかし、ミュンヘンの学校局の人からの質問で、「ままごと遊びやブロック遊びのようなものはしないのですか?」という答えに、「子どもたちが友だちと共有して遊ぶようなものは一切行ないません」とあるように、それではたしかに保育室内は静かだろうし、一人が集中してそれぞれの「お仕事」といわれることに取り組むであろうと思いました。もちろん、園庭では友だちと楽しそうに遊んでいる姿はあるのですが。

この見学のあと、先方で用意してくださった今日の昼食会場に向かいました。この園はお城の跡のシュロス・エンメラム・パーク内にあるため、途中は緑豊かで、その端にあるホテルは、何かの宮殿かと思うほどきれいが装飾が施されていました。ドイツでは、どこでも建物の大きな門をくぐると、その奥が中庭になっています。今回の昼食の場所は、そんな中庭にありました。そこには、ドイツにもあるのかと思ったのですが、あじさいや朝顔が咲いていました。予約された席に行くと、私たちはいくつかのグループに分かれました。それは、午後からの見学先を4カ所に分かれるためで、それぞれの見学先の園長先生と、通訳さんと、ボランティアさんと同じテーブルで昼食を摂るためです。また、私たちのテーブルには、その他に日本人の方で、お子さんをこちらの園に預けている方も参加していただき、町総ぐるみで歓迎してくれていることを感じます。

午後からの見学先は、ホルトという学童クラブの見学です。昨日の午前中に小学校を見学したのですが、そこにはターゲスハイムという学童施設が併設されていました。ドイツでは、小学校の授業は昼で終わってしまう半日制ですので、学童クラブはとても重要です。ホルトという学童施設は、日本の学童クラブと同じようなもので、いくつかの小学校の児童が、通ってくるところで、異年齢で過ごします。たまに、小学校の教室を使う場合もありますが、多くは幼稚園に併設されている場合が多く見られます。今回私たちが見学した施設は単独の施設でした。それに対して、ターゲスハイムという学童施設は、小学校内にあることが多く、小学校をそのまま午後まで行なうというイメージで、学年別に行なうことが多いようです。

今回の見学先では、子どもたちがみんなで歌を歌ってくれました。      

2017年ドイツ報告22

レーゲンスブルクの旧市庁舎を見学案内してもらって、最後の部屋には少しびっくりしました。それは、地下にある拷問室と廊です。地下牢や拷問室はかなりリアルです。当時実際に          使われていた拷問器具は当時のまま保存され、身の毛のよだつような恐ろしい器具でしたので、私はあまりよく見ることはできず、そそくさとその場を立ち去ってしまいました。しかし、実際に使用されることは少なかったようですし、ここで裁かれたのは、重大な罪を犯した人ではなく、商売でごまかしをした人が中心だったそうです。

といっても、そのあと見た牢は、暗くじめじめとした場所で、とくに処刑される前の日に入れられる牢では、ここに収監されていた人の怨念がありそうで、私はあまり見ることはしませんでした。急いでそれらの部屋を通り過ぎて、最後の部屋に行くと、そこには塩を計量した、当時のままの天秤や、大砲なども見ることができました。ここに塩を計量した天秤が置いてあるのは、レーゲンスブルクは塩で繁栄した街でもあるのです。南ドイツのバイエルン・アルプスで掘り出された岩塩はドナウ河を遡って運ばれてきました。当時、中世ヨーロッパでは塩を「白い黄金」と呼ばれていたほど貴重なものだったのです。それは、日本でも同じように貴重だったことが、現在放映されている「直虎」を見ていてもわかります。その時代、レーゲンスブルクは陸路を運ぶために荷物を積み下ろした港として賑わい、発展してきたのです。その塩の倉庫が石橋のふもとにあり、後日、今は塩の博物館になっているその場所を見ることができました。

そんな旧市庁舎の見学が終わると、レーゲンスブルクの宿泊先へ向かいました。そこは旧市街地域から少し離れたところにあり、閑静な住宅街にありました。ミュンヘンでは、街の真ん中の繁華街の中のホテルでしたから、ホテルの周りには、スーパーが一カ所、食事をするところが一カ所という具合でしたので、自由に夕食を食べたのですが、結局は何人かが同じところで食事をすることになってしまいました。

次の日からレーゲンスブルクでの研修が始まりますが、実はここに来る午前中に、ミュンヘンの小学校の見学をしてきていたのです。そこで、夜の研修会は、その小学校での見学の振り返りをしました。ミュンヘンの小学校を見学してみて、まずびっくりしたのは、校長らしからぬ女性の校長先生からの挨拶です。若いずいぶんと派手な校長先生でした。そして、日本との大きな違いを感じるところは、教室の内部のつくりです。まず、机は、どこでも三角形をしていて、その机を組み合わせて、さまざまな授業の受け方をしています。三角形は使いにくいと思うのですが、はやりでしょうか。レーゲンスブルクでも、その形の机をいろいろなところで見ることがありました。

教室内は、後ろの方には、コーナーがあり、プリントやパソコンなどが置かれており、くつろげるクッションが置いてあるのは以前紹介しましたが、後ろの方に窪みがあり、そこにクッションが敷かれ、癒やしの空間になっていました。アルコーブと呼ばれる空間です。

あとびっくりしたのは、子どもたちが与えられた課題に取り組んでいる場所です。あるクラスでは、廊下の吹き抜けが望めるところに机を持っていってそこでやる子、廊下の靴箱の上でやる子などいろいろなところに散らばっています。

 

ですから、教室内には子どもたちはほとんどいなくなっています。

 

 

2017年ドイツ報告21

ゆっくりと街の中を散策したかったのですが、先を急いで向かった先は、レーゲンスブルクの旧市庁舎でした。レーゲンスブルクは、10世紀から14世紀にかけて、全盛期を迎えます。交易によって栄えた1245年には、帝国自由都市になり自治権を得ています。しかし、15世紀になると衰退期を迎えます。しかし、1663年から1806年までのあいだ「永続的帝国議会」の開催地となり、再び隆盛を迎え、ドイツだけではなく、ヨーロッパ規模の政治活動が、レーゲンスブルクで行われました。

そのひとつの舞台が旧市庁舎で、現在は帝国議会博物館となっています。その中は、部屋数は11室あり、控えの間や会議室、地下の拷問室や牢などを約1時間のガイドツアーで見学することができます。しかし、見学者だけでなく、ドイツの人たちでもめったに入ったことのない部屋に着くなり通されました。その部屋は、重要な会議室で、真ん中に椅子が七つ並べてあります。ここは、かつて七人による合議制で政治が行なわれていたときにその判試合に使われていた部屋だそうです。今ではこの部屋は、他国や他市からその首長が訪問したときに招待をする部屋だそうで、私たちの前にその部屋に入ったのは、ミュンヘン市長だそうです。

その部屋に招かれたのは、そこに、ミュンヘンから移動した当市の教育局長であるグレッチェさんとレーゲンスブルク市長さんが待っていて、私たちを歓迎してくれたのです。そして、歓迎の言葉を述べられました。そこで、私からお礼の言葉を述べた後、プレゼント交換をしました。先方からは、日本語で書かれた町の観光案内と、レーゲンスブルクの観光名所が2枚ずつ印刷されたカードゲームを全員が頂きました。神経衰弱のような遊びをするそうです。

私たちからは、日本の白磁の茶器をプレゼントしました。そのあとしばらく飲み物が配られ、お互いに歓談しました。そこには、市長さんやグレッチェさん他、市当局の人たち、市内の幼児施設の園長先生たちも出席してくれました。その人たちもこの部屋に入ったのははじめてとみえて、部屋の中を一生懸命に写真に撮っていました。この姿を見るだけで、いかに私たちが特別な接待を受けたかがわかります。

市長さんが退出した後、何冊も本を書いている歴史学者から、レーゲンスブルクの歴史のレクチャーを受けました。この旧市庁舎で最初に建てられたのが、1250年ごろに建設された塔がある中央部で、徐々に拡張していき18世紀に現在のような建物になったそうです。交易によって栄えたのは1200年代ですから、日本で言えば鎌倉時代ですから、ずいぶんと古いですね。日本のどことも姉妹都市を結んでいないということで、日本でも歴史のある京都を思い浮かべますが、鎌倉の方がいいかもしれませんね。

そのあと、一般の人が見学ツアーをするコースを案内してもらいました。まず、入ったのが、帝国ホールです。舞踏会や祝祭ホールとして利用していたそうですが、それほど大きくはなく、とても質素ですが、天井材をはじめとして、歴史と伝統、重厚感があります。天井の真ん中には一本の梁があり、その中央にセント・ペーターの小さな像が装飾されています。そして、正面の中央に、天蓋がある場所があり、そこには皇帝、後ろの赤布張りのベンチは選帝候、手前の緑の椅子には諸侯が座り、中央のベンチは貴族や高位聖職者が座っていましたそうです。

2017年ドイツ報告19

ドイツは、日本と同様、少子化に苦しんでいます。そこでその対策に必死です。しかし、いくら子どもが少なくなってきていると言え、幼稚園に入れない「待機児童」の問題は深刻です。また、保育士不足も深刻です。そんな日本の同じような状況ですので、その対策は参考になることが多くあります。

高齢化が進む中で「少子化対策」のひとつとして2013年8月1日から法令施行によってドイツに居住する全ての1歳以上の子どもは、希望すれば全員、預け場所が確保できる権利が保証されることになりました。特に1歳以上3歳未満児を受け入れる保育施設を充実させることにより、出生率を上昇させ、母親の復職や再就職を促進させたいドイツ政府の意向によるものです。それまで、ドイツでは、3歳以上の子どもは全員、幼稚園に入ることができることになっていました。それが、未満児にも適応することになったのです。その法令を受けて、自治体は急ピッチで受け入れ体制の整備を進めました。しかし、施設が追いつかない状況です。今後、未満児入園希望者は7割に達するのではないか、と予想する専門家もいる状況です。同時に、施設の新設に伴い必要になるのは保育士ですが、日本同様、なり手がいないそうです。それは、旧東西ドイツを問わず、保育士の仕事は重労働・低賃金であることがネックになっているのは日本と同じですね。

だからと言って、日本と違うところですが、以前ブログで紹介したように、保育士資格を取得するのがかなり厳しく、たとえ取得しても誰でも採用されるわけではありません。小さな子ども相手の仕事ですから、保育の質を落とすわけにはいきませんし、採用にあたっては慎重にならざるをえないということで、実習や採用面接時は勿論、採用後も、半年間の試用期間に各応募者の性格・特性をじっくり見抜くそうです。

このようなドイツですから、1歳以上で入園している子は、保護者が保育に欠ける欠けないには関係ありません。ということで、降園時間は家庭によってかなり幅があります。昼に帰る子、3時頃帰る子、最後5時に帰る子とさまざまです。レーゲンスブルクで配られる冊子の最後のページには、夕方のお迎えの様子が書かれてあります。「見て!お迎えが来ましたよ。さようなら、また明日、お会いしましょう!」お迎えに来たのは、お父さんでしょうか?お母さんでしょうか?子どもたちは急いでその元へ駆け寄ります。ここにも保育者は出てきません。

すべてのページの中で、保育者が描かれているのは、絵本を読んであげているところと、食事の時に、ピッチャーとリンゴを持って子どもたちに聞いている箇所しかありません。この冊子は子どもの園での生活が描かれているので当たり前かも知れませんが、同時に、子どもたちが主体的に生活し、自発的にいろいろなことを経験しているのが園であって、保育者が指導したり、何かをわからせようとする場所ではないことがはっきりします。よく保育のエピソードを書くことが多いのですが、その内容は保育者と子どもとの関係におけるエピソードが多く語られることがあります。保育者が子どもの行動をどう考えるか、どう子どもの相手をするかと言うことを課題にすることが多いような気がします。

配られる冊子を見るだけで、ずいぶんと保育に対する考え方がわかります。

2017年ドイツ報告18

子どもたちが園庭で活発に遊ぶほど、子どもたちはさまざまな学びをしています。子どもだけでなく、人類は長い歴史の中で、さまざまな危険を顧みない冒険によって、いろいろなものを発見し、発明してきました。しかし、新しいものへの挑戦は、常にリスクを伴います。イギリスで始まった冒険遊び場運動という活動があります。そこには、こんな説明がされています。「子どもの身の回りには、”リスク”(子どもが判断し、挑戦することのできる危険)と、”ハザード”(子どもが判断できない危険)があります。冒険とは、自然環境や自己責任というリスクを、子ども自身の判断・挑戦で乗り越えることであり、それが冒険遊び場での楽しみの要素です。」

このような子どもの活動には、とうぜん「ケガ」が伴います。先日、認可外保育園の質を高めようといろいろと奮闘している人が尋ねてきました。彼は、認可外での問題に子どもの「ケガ」や「事故」があるということで、これをまずなくすことで質の向上がはかれるのではないかと考えていました。それは、ある意味で正しいと思います。まず、生命の保持、保障がなければどんな良い保育をしても意味がありません。しかし、こんな危惧されることを私は助言しました。それは、あまりにケガを恐れるあまりに、保育が萎縮してしまわないようにということです。ずいぶん前になるのですが、中国の保育士さんたちが数人私の園に見学に来たときに、非常に驚いたのが、子どもたちが園庭で走り回ったり、部屋の中をあちこち歩き回っている姿を見てでした。園庭を走り回る、部屋を歩き回るとケガをする確率が高まるということで、子どもたちは一日中椅子に座っているということでした。それは、ケガに対して保護者が苦情を言ってくるからだそうです。一日中椅子に座って何かをやらせていると、保護者は喜ぶそうです。ケガをしなくなるし、知識を学ぶからだそうです。

ドイツの冊子の園庭で遊んでいる子どもの姿の次のページには、こんな絵とともに、こんなコメントが書かれてあります。「あっ、デニズは転んだ!どこかケガをしなかった?どこか痛いところはない?ううん、大丈夫、なんでもないよ」ドイツでは、子どもたちは園庭を思い切り走り回ったり、自転車に乗ったりしていますが、ケガがとても少ないようです。もちろん、擦り傷やたんこぶはケガの内に入らないようですが。園内にも、救急箱が取り付けられているだけで、薬品類は一切ないそうです。こんな絵はがきも保護者に配られています。そこには、ハンツ・ヨアヒム・レーヴェンのこんな言葉が添えられています。「コブやかすり傷は子どもの権利」

先日紹介した「せたがやのほいく」には、「戸外で、ダイナミックに遊びます」というページの一コマに、こんな絵が描かれてあります。その右のコメントには、「自然はまた、寒い、暑いといった温感はもちろん、見る、聞く、嗅ぐ、味わう、触る、…など、人間の五感をフルに感じさせてくれます。五感の働きの豊かさは、物事が深くわかるときの原点を豊かにしてくれ、さらに多少の刺激の変化にも耐えられる耐性も育って、「何があっても大丈夫!」と言えるようなたくましい子どもに育っていくのです。ただし、子どもが思いっきり遊ぶとき、どうしても避けられないのがケガです。転んだりぶつかったり、そのたびに子どもは多少痛い思いもするでしょう。もちろん、保育園は、重大な事故につながらないよう細心の注意を払い、安心安全な環境を保つ努力は欠かしません。小さなケガを乗り越え、身のこなしを自らの身体で覚えつつ、健やかに成長していく子どもたちの育ちを応援しています。」

2017年ドイツ報告17

では、ドイツの子どもたちは園庭では、他にはどのような遊びをするのでしょうか?絵には、こんな遊びが紹介されています。「私は砂の中で遊ぶのが好きです!私はスクーターに乗るのが好きです!」砂場遊びは、昔から幼児期には重要だと言われています。それは、砂場遊びには、さまざまな学びがあるからです。それは、どの国でも同じですね。しゃべるを使って穴を掘り、山をつくり、トンネルを掘り、川を造ったりします。ドイツでの砂場遊びはとてもダイナミックなものが多いです。

ドイツの砂場のつくり方には、いくつか特徴があります。まず、その周りがデッキや、丸太が巡らされています。また、井戸があり、そこから水をくみ上げ、砂場に水が流れ込むようになっているところも多く見られます。夏の間は、この泥水遊びをする子を多く見かけます。それには、こんな意図があるのです。保護者に配られている絵はがきには、ハンツ・ユンゲル・ティーツによる「泥んこ遊びは免疫力をつくるボディー・ビルディング」という言葉が添えられているのです。

その他には、幼児期には筋力トレーニングはまだ無理で、バランスを取ることが必要だということで、車やスクーターなどの乗りものもあります。以前行った園では、車いす体験も行なっていた園もありました。それと室内運動遊び同様、バランスを取るためにスウィングする経験をさせることも意図した遊具が置かれています。       

2017年ドイツ報告16

園庭での遊びですが、何度もブログで書いていますが、園庭に対する考え方が日本においてはずいぶんと悲しい経緯を経ている気がします。それは、どうしても幼稚園は学校教育に位置づけられているということで、小学校教育の影響をかなり受けて創設されてきているからです。それは、園庭にも見えます。それは、校庭からの影響を大きく受けているところが多く見られることからわかります。

それに対して、ドイツの園庭は、ドイツでフレーベルが世界初の幼稚園として「一般ドイツ幼稚園」を開設した時の考え方を継承しています。フレーベルは、庭師が植物の本性に従って水や肥料をやり、日照や温度に配慮し、また剪定するように、教育者も子どもの本質に従ってその成長を保護し、助成するように働きかけなければならないと主張しました。.そこで、彼は、「学校=園庭」とし、教師は知識を教える立場ではなく子どもの成長をサポートする庭師であるとしています。ですから、彼は、そのような場所を「Kindergarten=子どもたちの庭」と名付けたのですが、それを日本では幼稚園と訳してしまっているのです。幼稚というイメージは、まだ幼く、考え方・やり方などが未発達なことを指しますので、その子らを大人が指導しなければならないという場所として「幼稚園」と名付けたのでしょう。

フレーベルの思想から考える園庭とは、花壇や菜園や果樹園からなる庭を園庭に必ず設置すべきとしています。そこで、植物を育て自然を観察し、自然に関わることを推奨しました。同時に、子どもたち自身が草花を育てます。そのために、1人につき1つの花壇が与えられ、子どもが自分で自然を慈しむことで、自然の不思議や、いのちとはどんなものなのかを学びます。その庭は緑にあふれていて、砂場も充実しています。

フレーベルから大きな影響を受けたのが、日本の児童心理学者である倉橋 惣三です。「文部省『幼稚園教育百年史』1979年所収)~倉橋惣三と現代保育より参考~」によると、彼が理想としていた創造の”森の幼稚園”の森の先生はこんなことを話しています。「できるだけ自然のままで、草の多い丘があり、平地があり、木陰があり、くぼ地があり、段々があって、幼児がころんだり、走ったり、自由に遊ぶことができるような所がよい」「夏には木陰となり、冬は日光が十分に当たるように落葉樹を植えるとよい」「幼児にはできるだけ自然の美しさに親しませたい。それには日当たりのよい運動場の一部を花畑、菜園として野菜や花を作り、それを愛育するようしむける」

冊子の絵には、「私たちの庭を今見たいですか?では、一緒に来て!」といって園庭を紹介しています。そこでは園庭で遊んでいる子どもたちの絵が書かれてあります。まず気がつくのは、園庭は平坦ではないことです。日本では、まず平らに造成をすることから始まります。そして、そこにあった草や木をなくし、広いスペースをつくり、フェンス越しに園庭遊具と呼ばれているものを並べます。それに比べて、ドイツの園庭は、起伏があり、木々や草原が残されています。そこで、さまざまな遊びを展開している子どもたちの姿が書かれてありますが、とくに目立つのが、寝そべっている子がいることです。また、ジョウロを持っている子が案内していますが、彼女はたぶん花壇に水をやろうとしているのでしょう。まさに、「できるだけ自然のままで、草の多い丘があり、平地があり、木陰があり、くぼ地があり、段々があって、幼児がころんだり、走ったり、自由に遊ぶことができるような所がよい」という文章を絵に表わしたかのようです。

2017年ドイツ報告15

さあ、いよいよ昼食の時間になりました。その絵を見てまず気がつくことは、同じテーブルに赤ちゃんも一緒に食事をしていることです。また、車いすに座っている子どももいます。ドイツでは、男女、しょうがい、年齢によって分けて保育をしてはならないということがあります。それが、この絵からもわかります。ただ、赤ちゃんと大きい子たちの食事内容は違っていますが、食べる時間は一緒で、同じテーブルで食べます。これは、私の園で共食デーという日と似ているのですが、それを行なうときに問題だったのは、食べる時間が普段は年齢毎にバラバラであるのを、どう合わせるかということでした。ドイツの家庭では、離乳の後は、家族そろって一緒に食事をしているので、園でもそれにならっているということです。

次にメニューですが、この絵のコメントの最初には、こう書かれてあります。「水、ジュース、またはお茶を飲みたいですか?」このコメントからわかることは、まず飲み物を子どもたちに選択させています。見学園でも、多くに園では二種類の飲み物から選択させていました。保育者は、調理室から上がってきた飲み物を、子どもが自分で注げるように小さなピッチャーへ移してあげます。そして、自分のコップに自ら入れます。

メニューの多くはケイタリングで、調理室ではオーブンなどで温めるだけのものが多いようです。それは、オーガニックで栽培したものを、現地で調理し、冷凍して持ってくることで、薬品を使わないからだと言います。園で作るのは、基本、サラダと飲み物だそうです。この絵のコメントに、「私はリンゴを食べるのが好きです!あなたは何を食べたいですか?」とありますが、リンゴだけがメニューの代表として書かれてあるのは不思議ですね。その他のメニューも選択できるのでしょうか?

昨年のドイツ研修の際、「参画」という取組みを聞きました。子どもの権利条約をドイツが批准したことを受けて、取り組んでいることです。その取組みを聞いたときに、例えば、どのようなことですか?という質問に対して、「子どもたちが食事をするときに、何を、誰と、どのくらい食べるのかを子ども自身が決める権利がある。」という答えでした。その答えから見ると、何を食べるかを子どもが決められるようです。それは、もちろん、園で提供する食事内容の範囲中で、選ぶのだと思いますが。ただやみくもに、「何でも食べなさい!」とか「全部食べなさい!」「好き嫌いを言わない!」というようなことは言わないということなのでしょう。

あと、この絵で気になるのは、机の下に落ちている四角いものです。これは何なのでしょう。もしかしたら、遊んでいた積み木のひとつでしょうか?なぜ、これが机の下に落ちているのでしょうか?それまでここで遊んでいたということを示しているのでしょうか?食事の時間にはすべてをきれいに片付けなくてもいいということなのでしょうか?どんな意図があるのか理解に苦しみます。

食べ終わったら、ワゴンに食器を戻します。コメントには、「私たちは今、全部食べ終わってお皿を片付けています。」とあります。これらの絵を見て、つくづく感じるのは、保育者の姿がほとんど描かれていないことです。子どもたち自身で片付けています。

2017年ドイツ報告14

さあ、園での食事の時間がやってきました。「「あなたは空腹ですか?あなたはのどが渇いていますか?」で始まるコメントは、こんな絵についています。午前中の活動をした後なので、さぞかしおなかがすいたでしょう!喉が渇いたでしょう!と思いきや、そのあとのコメントを読んでびっくりします。「さあ、一緒に朝食を食べよう!」とあります。この絵は、朝食の準備だったのです。思い思いに、自分の鞄から朝食を出しています。

以前の報告でも書きましたが、ドイツでは朝食を園で食べます。しかも以前は、希望者だけでしたが、今回の見学ではすべての子どもが朝食を園で食べるようです。しかし、この絵は、レーゲンスブルグでの園ですので、大都市ミュンヘンでは、朝食もこの絵のように持参をせず、園で提供しているということでした。家庭から持参するにしても、その内容は日本と比べてかなり質素ですね。まさか、にんじん1本だけということはないでしょうが、リンゴ1個だけということはあるようです。ドイツは移民、難民を多く受け入れていることもあって、格差は学力だけでなく、食事でも見られるようです。そんなこともあって次第に園で提供するようになっているのかもしれません。

その前に、日本と同じようにすることがあります。それは、手を洗い、トイレに行くことです。コメントにはこう書いてあります。「しかし、まず、手を洗わなければならない!ここが、洗面台とトイレです!」この絵を見て、私は少しびっくりしました。それは、今までドイツ研修に行って、多くの園を見学しましたが、食事の前に手を洗う子たちを見たことがありませんでした。それも以前の報告で書いたことがありましたが、今回ドイツの園に通わせている日本人の母親に聞いてみました。すると、「子どもたちが全然手を洗わないので、先生に聞いてみたら、きちんと手を洗うように指導している、と言うのですが、手を洗っている様子は全然ないのです。」と言っていました。

しかも、手を洗う場所は、トイレにしかありません。保育室内には、食事の時の準備の水道はあるのですが、保育で水を使うとき、たとえば、絵の具を使うとき、ボディペイントをやるときなどもトイレに中で行ないます。食事の前に手を洗うときなどもトイレの中にある水道を使うようです。また、この絵にあるように歯ブラシとコップもおむつ交換台もトイレの中にあります。そんなこともあってか、トイレも保育室並みに装飾をしている園が多く見られました。

もうひとつのトイレの絵を見ると、いろいろなことに気がつきます。トイレにドアがありません。個室になっていないのです。しかし、これは年齢によってで、大きな年齢ではキチンと個室になっています。また、隣の便器とのあいだに境の壁だけがあって、個室になっていない場合もありますし、さまざまで、子どもが選択できるようになっています。保育が異年齢なので、0歳から6歳までがこのトイレを使うわけですが、大きさはみな同じです。まず、便器が大人用です。手を洗う洗面台にしても高さが皆同じです、脇に台が置いてあることが多く、もし届かないときにはそれを使うようです。また、どの園にも男の子用の小便器はありません。それは、家庭には、小さい便器も、小便器もないからです。

それから、便器を洗うブラシが置いてあります。子どもたちが用を足した後、必要であれば、そのブラシを使うようです。