今回、レーゲンスブルクへ行って感じたことのひとつが、地域や保護者などのボランティアさんたちがこぞって、私たち日本から来たお客さんに対して歓迎してくれたことです。以前も、このドイツから日本の文化である「おもてなしの心」を学びました。どうも最近、日本では忙しいことに追われ、笑顔が減り、自分のことを優先して考える人が多くなった気がします。それでも、今回の大分の災害などには、多くのボランティアさんたちが訪れているそうです。もう一度、私たち人類が私たちの祖先から繋いできた助け合うこころを取り戻していかなければならにと思っています。
先日の読売新聞の編集手帳にこんなことが書かれてありました。「ドストエフスキーは『カラマーゾフの兄弟』の巻頭に新約聖書を引いている。『一粒の麦もし地に落ちて死なずば唯一つにてあらん。もし死ねば多くの実を結ぶべし』。日野原重明さんはその一説を印象深く読んだという。これほど異常な状況下の読書もない。1970年3月、赤軍派にハイジャックされた日航機『よど号』の機中である。ましてや、人質の乗客に向けたサービスで用意されたものか、犯人から借りた本である。『業績をあげて有名に医師になる。そういう生き方は、もうやめた。生かされてある身は自分以外のことにささげよう』。当時58歳の日野原さんは心に誓ったという。『よど号』から生還したとき、名声と功績を追い求める麦は一度死んだのだろう。-後略」
彼は、長寿の秘訣を「人と関わること」「人のために尽くすこと」「笑顔を絶やさないこと」と言っています。そんな日野原さんが105歳で死去しました。こんな人生を送りたいものです。
多くのボランティアさんに支えられて私たちのツアーは、四つのグループに分かれてそれぞれの学童施設を見学したあと、みんなで落ち合いました。そこから向かったのは、ある園が催している「夏祭り」に招待されたのです。園に近づいていくと、賑やかな音楽が聞こえてきます。そして、出店でいろいろな物を売っている子どもたちの声が聞こえてきます。夏祭りの会場は、その園の園庭でした。
音楽が聞こえてきたのは、近くのしょうがい施設の職員さんと入所者で結成されたバンド演奏でした。歌と踊りを交えて、とてもリズム感があって、会場を盛り上げていました。園から、そのバンドに公演を依頼したのだそうです。
私たちが到着すると、みんなで譲り合って、席を用意してくれました。机の上を見ると、ドイツの旗と並べて、日の丸の旗が立っていました。そして、急いで、飲み物と、大きなホットドックを持ってきてくれました。しかし、申し訳なかったのですが、私は、それまでのおもてなしでおなかがいっぱいで、こっそり持って帰って、あとで、ホテルで頂きました。そして、私たちのメンバーで若い男性参加者が、子どもたちに刺激されて、顔にペイントしてもらいました。あとで知ったのですが、それを書いたのは、この園の保育者さんたちだったそうです。
18時になって、夏祭り終了後、片付けているあいだ、園内を案内してもらいました。

踏み台が引き出せるようになっています。

数の数え方が日本と違います。
基本的には、ミュンヘン市と同じような環境で、保育内容について詳しい話は聞きませんでしたが、子どもたちは生き生きと、自発的な遊んでいるであろう姿は想像できました。

3種類に分けた分別