俳優の死

 先日の11日に、米オスカー俳優のロビン・ウィリアムズさんが、亡くなりました。死因は、窒息死で、自殺の可能性が濃厚だといいます。最初のニュースでは、最近、鬱に悩まされていたらしいと流れたので、ちょうどうつ病患者についてブログを書いているところでしたので、医者がどのような治療をしていたかが気になるところでした。しかし、どうも今回の死は、長年のアルコールや薬物中毒が遠因にあるとみられています。

 彼の死にあたって、異例の大統領が追悼談話をしました。その中で、「彼はパイロット、医師、ベビーシッター、大統領、教授、そしてそれらの間にいる全てだった。最初は宇宙人として登場し、やがて、全ての人の琴線に触れる存在となった」と言っていますが、つい最近は、彼がビーシッター役を演じた「ミセス・ダウト2」をクリス・コロンバス監督と撮る企画が発表されたばかりでした。この一作目「「ミセス・ダウト」について、ある雑誌に原稿を書いたことがあります。彼への追悼のつもりで、その原稿を掲載します。

 「ダニエルは三人の子の父親ですが、子どもと遊ぶしか能力がなく、なかなか仕事につけず、妻から離婚を宣告されます。従って養育権は妻のものになりますが、子どもと離れて暮らすことが耐えられないダニエルは、妻が家政婦を募集しているのを知ると女装して家に入りこみます。父親とわからない子どもたちと妻は、しだいに心を許すようになっていきます。ここで子どもたちが心を許していく過程に興味深いものがあります。まず、五歳の末っ子の女の子はいつも父親に本を読んでもらうのが好きだったのに、父親がいなくなって初めて、まるで父親のように本を読んでくれる人に心を許していくのです。十二歳の長男は一緒にサッカーをしたりサイクリングに行ったりと、十分に遊んでくれることから心を許していきます。思春期の長女は父親が大好きなあまり、初めは反抗的で反発しますが、つつみ込むような愛情と、自分たちに共感してくれる気持ちに心を開いていくのです。妻までも深い信頼を寄せるようになり本心まで話すようになります。

 よく考えてみると、それぞれ父親がいなくなって、心の中に生まれた父親的愛情に飢え、それを埋めてくれる人に心を許すのです。父親であるので当然ですが、それと知らなくてもそんな感情は感じるのでしょう。家庭では、父親の存在、母親の存在がそれぞれの役目を持って子どもたちの心を包み込んでいるのです。子どもたちはそれを意識せずとも欲しているのです。本の読み方にしても、母親が読むのと父親が読むのと違うのです。それと同じような感情、愛情は夫婦の間にもあります。そしてその関係を持つことによって、自分の立場、子どもへの思いに気付いていくことにもなるのです。これが、古い言い方かも知れませんが「家族のきずな」というものなのでしょう。

 しかし、ここでおもしろいというか新しい傾向なのは、こんなに子どもも妻も父親を必要としているのに最後によりは戻さないところです。父親は子どもたちと過ごすために迎えに来るけれど、決して妻の家には入りません。お互いに敬意を持ち、愛情は持っているけれど形だけの夫婦には戻らないのです。監督がこう言っています。「愛がある限り家族は存在する。お互いを愛している集合体が家族というものだ。たとえ、シングルマザーと子ども、シングルファザーと子ども、両親のいる子どもたちという組み合わせでも。離婚した親の99%は復縁しないのだから、親も新しい人生を生き、子どもたちもそれに順応していく必要がある。」

 園でも確かに母子家庭、父子家庭の増えていく中、その観点で家族を考え、子どもを見守っていく必要があるのかもしれません。」

ことば

いよいよNHK大河ドラマ「龍馬伝」が終わりになりそうです。毎回オープニングに歌われる歌が耳についてしまいました。この感動的なオープニングで流れる曲は、リサ・ジェラルドという歌手が歌っています。彼女はアイルランド系のオーストラリア人でこれまでに映画「ヒート HEAT」や「グラディエーター」などの歌も担当しています。彼女の歌は非常に印象的で、その歌詞が、「なんと歌っているのか?」「日本語ではなさそうだ」「英語なのか?」などと話題になりました。龍馬役の福山雅治も、このテーマ曲に興味を持ってしまったと言います。そこで、関係者に確かめたところ、歌っているのは、歌詞ではなくて、こうした歌唱法なんだそうです。歌っているリサ・ジェラルドは、ゴールデングローブ賞の作曲賞を受賞したこともある世界的な実力派で、メロディーラインからのインスピレーションで、歌っているらしいのです。そのインスピレーションは、彼女はオーストラリア生まれなので、周辺島嶼の先住民であるアボリジニのスピリットが影響しているのかもしれません。
歌詞のない歌と言って思い出すのは、チャーリー・チャップリンが監督・製作・脚本・作曲を担当した喜劇映画で、1936年のアメリカ映画「モダン・タイムス」です。私はチャップリン映画が大好きですが、その中でもこの作品は1番見た回数の多いものです。一度は、贅沢をして、一番いい席で見ようと指定席で見たことがあります。
チャップリン演じるチャーリーは大きな工場で職工をしていたが、毎日同じ機械を扱って単調無味な仕事を続けている内に、とうとう気が変になって乱暴を働くようになり病院へ入れられてしまいます。治って退院したのですが、工場はクビになるし、とぼとぼ街を歩いていると暴動の群集に捲込まれて、彼は首謀者と見なされて投獄されてしまいます。しばらくして無罪が判って放免されてしまうのですが、それはまた食べるものも住むところもなくなってしまうということでした。もう一度監獄へ戻る工夫はないものかと考え、無銭飲食をして警察へ引立てられ、牢へ送られる途中である少女と出会います。二人は示し合わして逃亡し、働き始めるのですが、またチャーリーは泥棒の嫌疑を受けて投獄されてしまいます。出て来ると少女はキャバレーの踊り子になって働いていた。彼女の推薦で彼もそこの店で給仕をして歌うことになり、二人とも非常な成功をしますが、少女を感化院へ入れようとされたため、また二人は逃げ出し、旅に出るのです。
チャップリンの映画は、あくまでも無声を貫いていたのですが、本作で、初めてチャップリン自身の肉声を発します。この映画は、資本主義社会を生きている上で、人間の尊厳が失われ、機械の一部分のようになっている世の中を表現しています。そこで、初めて出る声は、スピーカから流れる会社の経営者の労働者をせきたてる声と機械音です。しかし、話の最後のほうで、キャバレーで働き出したチャーリーが歌を歌うことになります。歌詞をシャツの袖口に書いて、みんなの前に立ちます。いざ歌おうとした時、その歌詞を書いた袖口を飛ばしてしまったことに気がつきます。窮地に立たされたチャーリーは、少女のためにどこの国ともわからない言葉で“ティティーナ”という歌を歌います。この歌が、初めてチャップリン自身の声がスクリーンに流れた瞬間でした。無国籍語で、世界中が理解できる身ぶりや表情や心で内容を表しながら歌う姿は、コミカルな歌と踊りでありながらも涙が流れて仕方ありませんでした。
人に気持ちを伝えるのは、言葉ではないことを教えられます。

トロッコ

昨年11月10日のブログで、黒部でトロッコに乗った話を書きました。そして、そのときに芥川龍之介の短編である「トロッコ」についての思い出をかきました。この小説は、男の子が、少年時代に、誰でも経験する冒険心と、また、そののちに来る不安を描いた作品として、共感を呼ぶものです。そんな思いに、この作品が忘れられない人も多いようです。
映画「春の雪」の現場でチーフ助監督を務めていた川口監督も、そんな一人でした。幼いころに教科書で読んだこの物語が忘れられず、是非いつか映画化したいと長年温めていました。しかし、今では、芥川が描いたトロッコは、どこにもありません。ふと、撮影の合間の軽いおしゃべりで、「台湾にトロッコ線路ある?」と、撮影監督の台湾のリーさんに聞いたところ、「台湾には昔のトロッコ線路がまだ残っているらしいんだ」と言われ、芥川の本当の小説は、大正時代の小田原から熱海までのトロッコ路線での話ですが、その小説そのままを、台湾でロケをして作ろうと思ったようです。
ロケハンに訪れた台湾で、そこで出会った日本統治時代を経験し、美しい日本語で思い出を語るお年寄りたちに強く心を打たれます。運命的に台湾へと導かれ、3年の歳月をかけて、原作を大きく脚色したオリジナル脚本をもとに、映画「トロッコ」を作りました。今日は雨が降っていたので、いつものウォーキングをやめて、その映画を妻と見に行きました。久しぶりの映画ネタです。
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ある夏の日、急死した台湾人の父親の遺灰を届けるために、兄弟は日本人の母親と、台湾の小さな村にやって来ます。そこで待っている、日本人びいきの祖父母と数週間を過ごします。素直に甘えられる弟とは対照的に、兄は悲しみも母親を案ずる気持ちも、小さな胸の中にしまい込んでいて、気丈に振舞います。そんな心情をくみとる余裕がない若い母親と、少しずれていきます。彼は、父親から譲りうけた大事な写真に写るトロッコの場所を見つけます。数日後、ある決意を胸に兄弟は、山と森を再生させるために東京に留学したいと思っている青年を手伝いながら、トロッコに乗り込みます。最初はそのスピードに胸を躍らせますが、鬱蒼とした森の奥へと進むにつれて不安がもたげてきます。この不安が、少年のこれからの生活に対する不安を象徴するかのように描かれ、芥川の小説を彷彿とさせます。
この映画には様々なテーマがありますが、私は、母子の思いの掛け違いに、忙しさから気がつかないために、子どもが切ない思いを小さいながらも必死に耐えている姿に胸が詰まります。素直に甘えられる弟に対して、母親は不憫に思います。しかし、実はナイーブで、大好きな父親が急死したことに傷つき、母親の愛に飢えている兄が、その思いを胸にしまっていることに、仕事をしている母親は気がつきません。親は、兄とか姉はしっかりしていると思い、あなたはしっかりしていると頼りにします。それに対して、下の子は、弱くて、頼りないので、かわいがります。親は子に対してどちらも愛情に差をつけているわけではないのですが、上の子は、特に兄弟に兄の方は、とかく親の期待にこたえようと胸を傷めていることがあります。
今年度の初め、私の園で、ナイーブな時期の兄の思いを受け止めるために、自宅からより近い職場に異動した職員がいます。一生懸命働くのもいいのですが、子どもたちの親を求める気持ちが感じとれなくなったら、少し一息入れる必要があると思います。

自然の神秘

 私の園では、毎年テーマがあり、そのテーマにそって保育を展開します。昨年、一昨年は「自然」がテーマで、 夕涼み会では、「アース」という映画を上映しました。この映画は、製作5年、撮影日数のべ2000日、撮影地全世界200か所以上というスケールで、さまざまな生命が息づく地球の姿に、改めて地球をとりまく環境について考えさせられるものでした。
 今年話題になっている映画に「オーシャンズ」という映画があります。総制作費70億円かけてつくられた海洋ドキュメンタリーで、総撮影時間は469時間36分で、撮影期間に4年の歳月を費やし、撮影箇所は世界50ヶ所だそうです。ちょっと、「アース」には及びませんが、予告を見た限りでは、海を舞台として、様々な命の物語が描かれているようです。   すべての生き物の進化の源である海は、今でも地表面積の70%をしめています。その生みの中の世界で起きる現象を、海底、海中、そして空中からの奇跡的な映像で見せています。  少し前に、「WATARIDORI」という2001年にセザール賞編集賞を受賞した作品がありました。この映画は、1時間半ほどですが、世界20ヵ国以上で3年に及ぶ撮影、100種類以上の“渡り鳥”が北極を目ざし、また元の場所へ戻っていく旅の模様を克明に映し出しています。ひたすら鳥と一緒に渡っていくというイメージなので、評価は分かれたようでしたが、ほとんどCGを使わずに撮影されたため、訪ねた国は40カ国以上、スタッフとしては撮影のために特別に造られた超軽量航空機のパイロット17人、14人の写真監督、5人のアニメ映画監督、9人のフィクション映画監督、そして鳥類の専門家がいたそうです。
 この「WATARIDORI」も「オーシャンズ」のジャック・ペランという人が監督をしています。彼は、もともと映画俳優で、私が見た映画では、カトリーヌ・ドヌーヴとドヌーヴの実の姉であるフランソワーズ・ドルレアックが双子の姉妹を演じた「ロシュフォールの恋人たち」という1967年のフランスミュージカル映画があります。この映画は、昨年、やはりカトリーヌ・ドヌーヴ主演の映画「シェルブールの雨傘」製作45周年を記念し、日本で世界初となる「デジタルリマスター版」が特別上映されました。
 また、彼が監督の道に行くきっかけが、27歳の時に映画スタジオを立ち上げ、初プロデュース作品となるコスタ=ガヴラス監督の「Z」があります。この映画は、地中海沿岸の架空の国での話ですが、左派を率いる国会議員Z氏が暴漢によって暗殺され、その調査に乗り出した予審判事の話で、1969年度アカデミー外国語映画賞や編集賞を受賞しています。また、この映画では、Z氏は、イヴ・モンタンが演じていましたが、ジャック自身も新聞記者の役で出演していました。
 話は、もどして、最近は、このように自然を描いた映画が流行っています。テレビでもNHKでは「ダーウィンが来た!生きもの新伝説」という番組を2006年4月から今年で4年目に突入した自然番組があります。私が子どもの頃必ず見ていたテレビ番組が毎週金曜日20時から放送されていた「ディズニーランド」という番組がありましたが、そこでは、「未来の国」「おとぎの国」「冒険の国」を交替で放映していました。この「冒険の国」が自然を扱ったものでした。
 いつの時代でも、自然の神秘には、心が奪われるものです。

銀の鈴

 少し前に、映画「銀の鈴」が今春完成し、今年の終戦記念日に大阪市天王寺区のクレオ大阪でこの映画が上映されたことをニュースで知りました。この映画は、大阪を拠点とする劇団ARK が、2000年に戯曲『銀の鈴』と題した舞台で3度上演してきたものの映画化で、舞台の脚本・演出をつとめてきた劇団を主宰者である斎藤勝さんが監督を務めています。
昨日、講演のために沖縄に行ってきましたが、この映画化のニュースを思い出しました。というのは、昨年、妻と沖縄を訪れたときにどうしても行きたかったところが「対馬丸記念館」でした。映画「銀の鈴」は、対馬丸の悲劇の映画化なのです。対馬丸記念館を訪れた時の写真を見つけたのですが、当時の学校の教室を再現した写真だけが残っていました。
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なぜ、この記念館に教室の再現されたものがあるかというと、対馬丸の悲劇とは、大人が起こした戦争の為に理不尽にも幼い子どもたちがその犠牲になった出来事だったからです。しかも、救助された人々には「緘口令(かんこうれい)」がしかれ、この事実を話すことを禁じられましたし、犠牲者や生存者に関する詳細な調査も行われず、沖縄に残された家族に正しい情報が伝わることはなかったのです。
アジア太平洋戦争の終末期、日本軍は敗戦を重ねるようになり、ついにサイパン島が占領されました。「サイパンの次は沖縄だ」と判断した軍の要請で、政府は奄美大島や徳之島、沖縄県の年寄り・子供・女性を島外へ疎開させる指示を出します。疎開先は、日本本土へ8万人、台湾に2万人の計10万人です。しかし県民はあまり乗り気ではありませんでした。そこで、県は「沖縄県学童集団疎開準備要項」を発令し学校単位で疎開事務をすすめます。それは、沖縄を最後の決戦の場として多数の兵士を沖縄に移駐させるために、大量の食糧が必要になり、足手まといになる民間人を県外へ移動させることは急務だったのです。
沖縄から本土に次々に軍艦による疎開が行われましたが、その中に「対馬丸」という巨大な輸送船がありました。この船には、疎開学童、引率教員、一般疎開者、船員、砲兵隊員1788名が乗り、5隻の船団を組んで長崎を目指し出航しました。しかし、この対馬丸は、建造から30年も経った老朽貨物船であり、航行速度が遅く、潜水艦の格好の標的になってしまいました。その場所は、今年、皆既日食の観測で話題になった鹿児島県・悪石島の北西10kmの地点で、米潜水艦ボーフィン号の魚雷攻撃を受け沈められてしまいます。ほとんどの乗船者は船倉に取り残され、海に飛び込んだ人も台風の接近に伴う高波にのまれ、児童850人以上を含む犠牲者数1418名(氏名判明者=2004年8月現在)の尊い命が犠牲となりました。
 対馬丸乗船者中、一般疎開者の生存者は168名、学童だけについていえば、わずかに59名だけしか助かりませんでした。しかも、救助された数名の学童たちは、緘口令のもと、対馬丸撃沈の事実は隠され、また、この時のショックで喋ることができなくなった少女もいました。しかも、この助かった子どもたちにもその後も戦争は呵責なく押し寄せ、沖縄は戦場のるつぼと化し、「生き残ってからが、本当の戦争だった」と言わしめています。
 この対馬丸の沈んであるあたりは、今航路になっていますが、その深海の底でいまなお一千余の遺体が、穴のあいた船体のなかに横たわっているそうです。

親という存在

昔は、必ずしも子どもは母親だけが育児していたわけでもありません。それは、子どもが小さいころの母親は、働き手としてもベストの体調であることが多いからです。ですから、働いている間は、祖父母が見たり、兄弟が見たり、近所の人たちが助け合って子どもを育児していました。また、海外では、昨日のブログではありませんが、乳母が見ていることも多くありました。その場合は、特に働くというわけでなく、映画メリーポピンズのように母親が昼間はボランティアなどで出かけることが多かったようです。日本では、ほんの上流家庭の一部ですが、やはり乳母が子どもの育児をしていました。これも、必ずしも母親が働いているわけではなく、乳幼児期からの幼児教育をするためだったようです。
先日、妻と川越に行きましたが、そこには、徳川家光誕生の間、彼の乳母であった春日局化粧の間などの江戸城ゆかりの建造物などの文化財がある喜多院に行きました。この頃の母親と乳母は、子どもにとってどんな存在だったのでしょうか。私は文献などを見たことも研究をしたこともありませんので、本当のことは分かりませんが、テレビや映画などで見る限りでは、母親は、ただ子どもを愛し、愛着形成をしていたように思います。その愛着形成を基盤に、子育ては様々な人にしてもらっていたという気がします。ですから、家光と春日野局の関係は、愛着関係というよりも信頼関係で結ばれていたという感じがします。その信頼関係から教育がされてきたのです。
親は、子どもを意図して教育する存在ではないのです。子どもは親からやってもらうよりは、親のやることを見て学ぶことのほうが多いのです。正岡子規の「病状六尺」にこんなくだりがあります。「家庭の教育は知らず知らずの間に施されるもので、必ずしも親が教えようと思わない事でも、子供は能く親の真似をしている事が多い」存在自体、生き方自体が親からの教育なのです。
また、子どもを愛し、ひたすら信じることで、子どもは変わっていきます。少し前の映画ですが、アカデミー賞を総なめした作品で、サブタイトル「一期一会」がついている「フォレスト・ガンプ」には、そんな母親が描かれていました。
 IQが少し低い主人公フォレストは、小学校で同級生にいじめらればかにされますが、足の速さからフットボールの選手になり大学までいき、代表選手にまでなります。ベトナムに兵士となって行っても仲間を助け、勲章をもらいます。卓球をやれば中国での世界選手権に出場します。その後エビ漁で大金持ちになり、成功をおさめます。何をやっても一流になってしまうのです。原作では、まだまだ様々なことで、例えば数学者として、宇宙士として、ピグミー族の中で一流になります。
 彼がいろいろなことで一流になるのは、IQの低さゆえに一途な生き方が、成功をおさめることになるという見方がありますが、私は、母親のあくまでもフォレストを信じる気持ちが彼を成功させることになったのだと思います。幼い日に母親がいつもフォレストに語って聞かせた「人生は、チョコレートの箱のようなもの」で食べてみるまでは中身がわからないといいます。女手ひとつで一人息子を育てていた母親は、その子の背骨が曲がっていることがわかったときも、IQが人並みに至らないことを告げられたときも少しも動じませんでした。小学校に入るときも「うちの子は、普通の学校に通わせます。」と頑張った強さは、見栄からでなく、子どもを愛し、信じる気持ちの表れなのです。「おまえはきっと、誰かからばかと言われるに違いない。もしかすると知恵遅れってからかわれるかもしれない。でも、ばかというのはばかなことをするからばかなんだよ。」この母親の自信は、成長したフォレストをきちんと手離し、自立させることになるのです。
 親として、子どもたちをあくまでも信じ、愛することができるでしょうか。きっとまわりの人に愛され、信じられた子はすばらしい人生を送ることができるにちがいありません。

ドイツのケストナー博物館で開かれている「食を巡る400年の歴史」を紹介している記事にはこんなことも書かれてありました。「“乾杯”という行為が、中世では毒を盛っていないという信頼の証だった・・・・・・など、知って面白い雑学も得られる」
以前のブログでドイツでの乾杯をテーマで書いたことがあります。プローストと言いながらグラスの底を合わせるドイツ式の乾杯。日本では、グラスの口元を合わせますが、どちらにしてもどうしてカチーンと合わせるのでしょうか。
乾杯という儀式は、古代に神や死者のために神酒を飲んだ宗教的儀式が起源です。それが次第に人々の健康や成功を祝福する儀礼に変化していったそうです。しかし、グラスを合わせるのはまた違った説がいくつかあります。
「酒の中に宿っている悪魔を追い払うために、グラスを会わせて音を立てる」「グラスを勢いよくぶつけ合うことで、互いの酒を互いのグラスに飛ばしあい、それを混ぜ合わせ、毒が混入していないことを証明しあう」「家の主と客が乾杯し、同時に飲み干すことで、客にすすめる酒に毒が入っていないことを証明する」などです。このように毒が入っていないことを表すのは、王位継承権争いで毒殺合戦が横行した時代であったため、また毒のわかりにくいリキュール類は特に危険な存在であったためにそのような習慣が生まれたと思われます。
一方、中国には“干杯”(ガンベイ)という儀式があります。これは、その字のごとく「杯を乾す」ということで、「グラスを空にする」ということです。また、乾杯はその宴を始める時に1回やるものですが、中国では、最初の一回だけではなく、お酒を飲む際に毎回乾杯することが礼儀です。昔、中国に行ったときに農林局の役人さんたちと飲んだことがあったのですが、それこそ大変でした。毎回干杯をするのですから。しかも、本当に飲みほしたかを毎回グラスの底を見せ合うのです。
乾杯という儀式は、広い意味で食育というか、食の文化の一つであることには違いありません。同じように、 食育には「味覚の教育」が必要であると言われています。フランスでは、ワインの醸造学者が小学校の先生たちと始めたのが、食の本物の味や生産地を知る「味覚の教育」といわれる授業です。映画「未来の食卓」のパンフレットにも「小さい子どもたちは、舌も敏感で、食を五感でとらえます。その大切な時期に、食を通して子どもたちの味覚と豊かな感性を育てる教育が必要である」と書かれてあります。その大切な時期に、食を通して子どもたちの味覚と豊かな感性を育てる教育で、フランスでは多くの小学校で実践され、毎年、味覚の週間としてもイベントでも実施されているそうです。実際に給食のときに子どもたちが好き嫌いを言う時にわかりますが、嫌いな理由が味だけでないことが多いのです。食感、色、舌触り、匂いなどでその食材のイメージを持ってしまいます。そのように子どもたちは、五感から感じることが味にも影響を与えます。
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また、フランスで行われている食育の一環として国で予算をつけて推進しているものに「教育ファーム」があります。いわゆる農家体験です。農家を開放して畜産や農業の様子を子どもたちに体験させて食の現場を知らしめるというものです。
フランスは、食育の先進地といわれています。映画「未来の食卓」は、決して未来ではなく、「現在の食卓」にしていかなければ取り返しがつかなくなってしまいそうです。

食卓

今年の3月のフランスの新聞に「現代のフランスの若者の姿」という特集があり、その中で「将来に対してどのくらい若者が自信を持っているか」というデータが掲載されていました。そこでは、例えばデンマークなどでは60%、アメリカが54%、スウェーデン49%、中国43%、ドイツ36%、スペイン32%という数値の中でフランスはとても低く、26%しかありませんでした。(ちなみに日本は5%)そのようなこともあり、フランスでは今幼児教育改革が行われています。このような低い数値では、フランスの将来が危ないということでしょう。今まで、ただ少子化を防ごう、子どもを増やそうというスローガンのもと、経済効率を優先してきた付けが回ってきたことへの反省でしょうか。
フランスでは、このような経済効率化はいろいろな所にひずみを起こし、国民の心だけでなく、体にも栄養を及ぼし始め、その反省からいろいろなことに取り組み始めています。そのひとつに「食」があります。フランスは、食料自給率が100%を超える農業大国です。(ちなみに日本は40%以下で先進国で最低)しかし、フランスでは農薬を使っている農家の方々ががんなどの深刻な健康被害にあっていることが問題になっています。
そんな中で2006年からバルジャック村の給食センターはオーガニックを導入。有機栽培で育った食材、そしてなるべく地元の食材(地場産食品)を使った給食を、ガール県の公立校3校、私立1校、村の一人暮らしの高齢者を対象に200食を届けることになり、同時に、校庭の隅の小さな畑で子どもたちは野菜作りにチャレンジします。そんな試みにフランスの小さな村が立ち上がり、挑戦します。その1年間を追ったドキュメンタリー映画が「未来の食卓」です。先日、妻と二人で見に行きました。
この映画は、昨年11月にフランスで公開され、当初20館で上映が始まりました。公開後、見た人の口コミで広がり、56館まで拡大し、また映画を観た人が自分のライフスタイルにオーガニックを取り入れることを意識し始め、生徒の決定により食堂をオーガニック化した大学も現れるなど、社会的なムーブメントを起こしているそうです。この映画の冒頭で「人間の行動が病を生むのです。その最たる物が化学汚染です」と発言するシーンが出てきます。
日本では正確な数字はわからないとしていますが、日本農薬要覧によると、1年間で農薬26万590トン、うち殺虫剤は10万360.5トンが出荷数量として記録されているようです。この数字は耕地面積1haに対して撒かれる散布量を算出すると、世界2?3位だそうです。しかも、食料純輸入額の4兆600億円は世界ダントツ1位で、食料の60%を輸入に頼っているのが現状ですから、恐ろしくなりますね。
夏の間、ドイツのケストナー博物館では「食を巡る400年の歴史」(Zu Gast. 4000 Jahre Gastgewerbe)が開催されているようです。この展覧会では、400年前の食器やテーブルマナーからファストフードなど現代の食文化に至るまで、食に関する膨大な資料を通して、生命を維持し、文化を発展させてきた「食」の真髄を探るということで開催されています。また、外食する際に、味と同等、もしくはそれ以上に印象に残るのが接客サービスや食事環境ということからの観点の展示もあるようです。
どの国でも「食育」が盛んのようですが、フランスのように農薬使用の見直しとか、殺虫剤の散布の見直しとか、食料自給率向上とか、ムーブメントとしての具体的な運動に発展していかないのでしょうか。

フレンド

 ケストナーが描いた子どもの時代は、子どもたちは集団で動き、その中で友達ができ、その友達同士で助け合い、危機を乗り切ってきました。それが、映画「ベン」の中では、少年は黒ねずみを友とし、お互いにわかりあい、危機を乗り越えたり、悲しみを共有し合います。最近は、友といってもお互いにつるんでいるだけで、心を許しあったり、悲しみを共有したり、一緒に危機を乗り越えるような友は見当たらなくなりました。そんなときには、子どもたちは、「イマジナリー・フレンド」を持ちます。子どもの創造力から生まれた友達です。この友達を持つときは、孤独であるとか、自分だけが浮いている存在のように思うときとか、いじめを受けているとか、つらい思いをしているときとか、成長する過程での苦しみを分かち合う場合が多いようです。
 イマジナリー・フレンドともいえる存在の有名なのは、「ドラえもん」でしょう。のびた君が、つらい時、困っているときに話を聞いてあげ、その状態から救ってあげます。しかし、正確に言うと、このドラえもんはみんなにも見えるので、少し違うかもしれません。
 しかし、本来のイマジナリー・フレンドは、子どもが大人に成長する過程で気持ちを共有したいときに存在し、成長し、自立するに従って消えていくものなのです。そんな「いけちゃん」というイマジナリー・フレンドをもったヨシオ君の成長物語である「いけちゃんとぼく」という映画を日曜日、妻と見に行きました。この映画の原作は、「毎日かあさん」でテレビ放映もされている西原理恵子さんの絵本です。
この映画のパンフレットには、「いけちゃん」のことがこんなふうに書かれてあります。「いつの頃からかいつもヨシオのそばにいる。ヨシオにしか見えないし、色も形も変幻自在。お父さんが死んだ時も、いじめられたときも、いつも一緒にいてくれた。だが、ヨシオが成長するにつれ、その姿はだんだん見えなくなっていき、とうとう最後の日に いけちゃんはヨシオにあることを打ち明ける。それはあまりにもせつない告白だった…」
いじめられているヨシオは、強くなろうと早く大人になろうとします。しかし、いつもいじめっ子だったヤスとたけしが、別の町の悪ガキ集団に襲撃されている光景を目の当たりにした時、「上には上がいて、上の上には上の上の上があるんだ。無限に続くんだ。宇宙人や恐怖の大王まで。これは連鎖なんだ」と残酷な世界の法則を悟ります。だれかを敵にして、その敵をやっつければ解決するのではなく、その連鎖を断ち切らない限りは解決しないことを知るのです。その連鎖を断ち切る方法を見つけたときに「いけちゃん」は、別れを告げるのです。
パンフレットの中で、精神科医の名越康文さんは、イマジナリー・フレンドのことをこう言っています。「人間というのは、自分の想像の産物が独り歩きするという不思議な知性というか能力を持っていて、しかも“自分の中から出てきた他者”であるその存在に、自分が影響を受けるんです。特に10歳くらいまでの子どもの空想世界は、大人になってからとは全然違うものなんですね。きっと、多くの子どもたちは、彼らにとってもいけちゃんを持っていて、その言葉を超えたコミュニケーションが、無意識の中に深く刻み込まれている。そして大人になると、その時の特別な体験を実社会の中に探し始める。あるいは自分で作りだし、以降の人生を強く突き動かす力になる」
 フレンドを持っている人は幸せです。

私は、今ある雑誌で映画批評を書いています。その欄で、来月は児童文学の中でも全世界で親から子どもへと70年も読み継がれてきたドイツのケストナーの作品の映画を紹介しました。その作品の中で私が紹介したかった作品は「点子ちゃんとアントン」ですが、残念ながらDVDは廃盤になっていて普通では手に入らないので断念しました。ちなみに私は中古で手に入れたのですが。そこで、「エーミールと探偵たち」と「飛ぶ教室」を紹介しました。「エーミールと探偵たち」の私が子どもころに映画化された作品については、このブログでも書いた気がしますので、本では「飛ぶ教室」を中心に紹介しました。
この作品の中でケストナーの多くの作品のテーマである「友情」について描いています。映画の中で、子どもたちが歌うラップの歌詞にその考えが表れています。それは、真実を見つめることを恐れずによく見つめること。正しいことは勇気を出してぶつかることで世界は広がり、きっと、進むべき道が見つかるはずなので、自分をもっと信じてくよくよするなと歌います。そして、時間がかかるかもしれないけれど、敵対しているグループも、いつも権威をかざしている先輩も、男女の間でも心が一つになることを子どもたちは実感します。そして、その友情の「飛ぶ教室」は、信頼できる先生がいることで飛ぶことができるのだと歌うのです。
友情について歌ったもう一つの歌詞があります。「僕たち二人は、もう友達を捜さなくてもいいね。僕たちはもう見つけたから。お互いに友達と呼べる人がいるから、もうけっして独りじゃないね」この喜びをこう表わしています。「I used to say I and me Now it’s us, now it’s we」(いつも「I(僕は)」や「me(僕の)」という言葉を使っていたのが、これからは「us(僕たちの)」「we(僕たちは)」と言えるようになった)
この友達関係は、心臓手術を受けたばかりで、幼な心に死の危機を予知し、孤独だったダニー少年と多くの仲間と人間を襲い、多くの人を殺し、警察から追われている「ベン」という一匹の黒いネズミです。1切れのパンで知り合った少年とねずみの交遊は、少年はねずみに全てを話せる友を求め、ねずみは純粋な少年に裏切ることのない信頼を見いだしたのです。ですから、少年はねずみの名前があの悪名高いベンと知ってもなお暖かい愛情を贈り、友情の証にこの歌詞のような「ベンの歌」を作って捧げたのです。
「ベン、みんなは君を邪険に扱うけれど、僕はみんなの言うことなんか聞かないよ みんなは君の良さがまったく分からないから。君をきちんと見てみたら、考えが変わるだろうって思うよ ベンみたいな友達がいれば、人の価値がちゃんと分かると思うけど。」という歌詞は、その映画主題歌を子どもの頃に歌っていた、一昨日亡くなった歌手マイケル・ジャクソンの心境のような気がします。
この映画「ベン」の主題歌「ベンのテーマ」をマイケル・ジャクソンが歌ったドーナツ盤のレコードを私は持っています。映画を見て、その歌に感動したからです。そのジャケットの子どものころのジャクソンの写真は、とても愛くるしく映っています。
 映画の最後に、人間たちによって仲間の群れたちとベンは火炎放射を浴び、焼かれてしまいます。少年の部屋へ焼け焦げて息も絶え絶えになったベンがやってきて、少年に抱きしめられながら息を引き取ります。歌詞の最後は、「これだけは覚えて置いて。君には僕という帰る場所があるんだ」マイケルは、帰る場所があったのでしょうか?