キッチン

 歯の役割を整理すると、「切歯」(動物では「門歯」とも呼ばれる)は、食べ物をかみ切ります。その中で、「中切歯」は、平べったくて、根は円形です。「側切歯」は、中切歯とよく似た平べったい歯です。その隣が「犬歯」で、食べ物を切り裂きます。その歯は、先が尖っていて、顎の動きの基本になります。その隣から臼歯が並んでいて、食べ物をすりつぶします。その1番目が第一小臼歯と呼ばれ、上の第1小臼歯は特に重要で、下顎固定の役割をします。第2小臼歯は、かみ合わせの安定を保つ歯と言われています。第1大臼歯は、食べ物を噛むために最も重要な歯です。第2大臼歯は、上下とも12歳前後に生えてくる歯です。第3大臼歯は、「親不知」とも呼ばれ、生える時期や生え方に個人差がある歯です。

 この中で、第1大臼歯(奥歯)は、永久歯の中で一番大きく、噛む力も一番強い、噛み合わせの基本になる大切な歯です。しかし、むし歯になりやすい歯でもあるため、生えてきたら積極的なむし歯予防が必要です。人間は、これらの歯をもって様々な食べ物を飲み込みやすく、消化しやすくしてきました。

 「キッチンの歴史」(ビー・ウィルソン著)の中で、人間の歯のうち、下の門歯と上の切歯との噛みあわせは、古代人と現代人では、大きく異なると書かれてあります。この本に書かれてある学説によれば、畜肉などの硬い食品を咀嚼するとき、テーブルナイフを巧みに使って細分する習慣ができて、はじめて上歯が下歯に被さるという、いまの構造ができあがったというのです。人間の歯の変化は、何の肉を食べてきたのかというのではなく、何を使って食べてきたかという問題だというのです。

 道具の発明とその使用によって、人間の体は変化してきたようです。西洋史家である樺山紘一氏が日経新聞に批評を書いています。この部分について、彼は、「これが本書の真骨頂。世上、溢れるほどのグルメ本は、食事の内容に注力している。だが、ここは料理や食事の方法だ。どんな道具や器具を使うか。そのために、どんな改良や工夫がこらされるか。頻繁にあてられる言葉によれば、料理のテクノロジー。」と批評しています。

 樺山氏は、この観点から、食行為を考えてみています。「調理に利用される焼き石と焼鍋、金属釜と陶器鍋。あるいはすりこぎとミキサー、そしてパン焼き窯と電子レンジ。ことなるテクノロジーの適用による変化・改革は、たしかに食事の情景を決めてきた。食事に援用される器具・道具の如何もその応用問題だ。テーブルナイフにくわえて、スプーンやフォークの登場と改良が、変化をうながしたことは、周知のとおり。さらにはフォークか箸か、または素手かによっても、食事の全様相がちがってくるだろう。」どうも、私が目次から考えたことが書かれてありそうです。

 樺山氏は、さらに「こうして料理文化に、ことなった系統や流派がうまれた。もうすこし現実味のあるところならば、食事をスローフード運動でしっとりやるか、モダニスト料理でスマートにやるか、ということでキッチンの違いも歴然。人類の料理史をとおして、食べるほうからではなく、作るほうから観察してみよう。テクノロジー全史としてみると、じつに斬新である。古代技術と現代の高度技術とが、意外にもおなじ平面で比較できることも、驚きである。というわけで、この本はかなり難解な問題への挑戦とみなしたい。とはいえ、洒脱(しゃだつ)なユーモアと料理を作る側の経験知によって、よくも読みやすい一書にしあげたものだ。訳文が、こころよいリズム感をかもしだしているのもなかなか。」と評しています。

なかなか面白そうな本です。

食道具

「キッチンの歴史」ビー・ウィルソン著という書籍があります。この本の説明が、アマゾン他にはこう書かれてあります。「美味しい料理は道具で進化した!食の歴史はテクノロジーの歴史だ。古今東西の調理道具の歴史をたどりながら、それらが人々の暮らしや文化にどのような影響を与えてきたのかを読み解く。」

 確かに、以前のブログに書いたように土器の発明が人間の食のあり方を大きく変えました。また、料理道具だけでなく、食事の道具も食生活を変えてきたことでしょう。日本では箸を使用することによって、食べ物を挟んだり、広げたりする文化が生まれました。フォークは、食材を刺す、スプーンは、食材を乗せるようになり、汁物もすくえるようになりました。このように、調理道具や食事用具を考えることで、食の歴史を知ることができ、その国の歴史や文化を知ることになるかもしれません。

 また、この書籍の説明にこんなことも書かれてありました。「道具の進化によって、料理は使用人ではなく自らが行なうものとなり、また楽しむものとなった。ローマ人はフライパンで揚げ物をつくり、20世紀に入るまではオーブンの温度は手の痛みや紙の焦げ具合で測定し、フォークは17世紀にイタリアから広まった……。」ここに書かれてあるように、調理道具の進化は、料理の作り手の変化ももたらし、調理の楽しさも生んできたというのです。さらに、人類の味覚や嗜好まで変えていったということが書かれてあるようです。この書籍の説明に、こう書かれてあるものもありました。

 「キッチンに並ぶスプーンや包丁、鍋釜、計量器具、泡立て器、コンロ、フードプロセッサー、電子レンジ、冷蔵庫といった料理道具の数々は、どのように発明され、改良されてきたのか?こうした新たなテクノロジーが、食材の調理方法や人類の味覚や嗜好、さらには食習慣や食文化を、どのように変化させてきたのかを読み解く、誰も書かなかった料理道具の歴史!」

 なんと、食の歴史はテクノロジーの歴史であり、それらが人々の食習慣や食文化を変えてきたというのです。私は、直接読んでいないので、偉そうなことは言えませんが、この本の目次をみると、どのような流れで考察しているかが窺えます。「第1章 鍋釜類」「第2章 ナイフ」「第3章 火」「第4章 計量する」「第5章 挽く」「第6章 食べる」「第7章 冷やす」「第8章 キッチン」とあります。

1章の「鍋釜」は、土器の発明と同様なことが起きたはずです。また、「ナイフ」の発明によって、食材の大きさが細かくコントロールできるようになり、かなり食文化は変わっただろうと思います。もちろん、3章の「火」は、人間の食の特徴を形作ったでしょう。面白い調理器具が、4章の「計量する」です。このあたりのもくじから、この本を読んでみたくなりました。確かに、食材の量を測るようになることで、どのように食文化が変わっていったのでしょう。子どもクッキングを園で行いますが、計量するという行為を意識していれた方がいいかなと思います。

この本の著者であるウィルソン,ビー[ウィルソン,ビー]さんは、1974年イギリス・オックスフォード生まれ(まだ40歳)で、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジで博士号を取得後、ケンブリッジ大学セント・ジョンズ・カレッジの特別研究員として政治思想史を研究。1998年から2003年まで『ニュー・ステイツマン』誌のフードライターとして健筆を揮っています。現在は『サンデー・テレグラフ』紙に毎週、食に関するコラムを寄稿しています。この功績により、「ギルド・オブ・フードライターズ」から年間最優秀フードジャーナリストに3度選ばれました。

こんど、実際に読んでみますので、その時には内容をもう少し詳しくこのブログで書くつもりですが、今回は、日経新聞に書かれてあった批評を取り上げてみます。

高齢化社会

 ジャレド氏の講演では、育児だけでなく、非常に面白い内容がいくつかあります。その中の一つに、「高齢者」の話があります。日本では、儒教の「孝」という考え方の影響もあり、高齢者を尊ぶという価値観があります。たぶん、多くの人に高齢者に対して軽く見るかということを聞くと、多くの人は高齢者を大事にすると答えるでしょう。しかし、ジャレド氏は、こんな調査結果を話しています。

 「ボストン大学の社会学者が、雇用主に履歴書を送り、その対応を比較する実験を行っています。すべての履歴書は偽名で、1つの点以外はほとんど同じ内容を送りました。その1つ違う点とは、年齢でした。半分は25歳から40歳、もう1つは40歳から60歳の年齢を書いたのです。調査の結果わかったのは、25歳から40歳の人に会社側から面接に来てほしいと連絡が来た割合は、45歳から60歳の人の2倍以上だったということです。」

 確かに、もし私たちの職場の採用に高齢者が応募してきたときに、採用をためらうでしょう。その一つには処遇のことが日本ではあります。これは、年功序列のため、高齢者には高賃金を払わなければならないと思うからです。しかし、この調査をしたアメリカはどうかわかりませんが、ドイツなどでは、賃金は年齢が上がるごとに上がっていくということはありません。また、アメリカなどでは、よく成果主義だと言われているので高齢者だからといって給料は高いとは限らないと思いますが、それでも採用をためらうようです。
 しかし、逆にこの成果主義の観点から、若者は高齢者に比べて人生経験が豊かではないにもかかわらず、若者の方が長く生きられるために、社会にとって価値がより高いと思われているからです。しかし、高齢化を迎え、高齢者の価値をもう一度見直すべきだとジャレド氏は提案します。そのためにアメリカにおける「高齢者の生活を改善する方法」の提案は以下のようなものをあげています。

 「高齢者の1つの価値として、子どもの世話をハイクオリティで提供できることです。いまや女性が仕事に出ていて、若い人はなかなか子育てに専念できなくなっています。もちろん、アメリカではお金を払ってベビーシッターに頼んだり、日中に子どもの面倒を見てもらえる保育施設を使うこともできるのですが、祖父母の方がより良い子守をしてくれます。祖父母は、孫を愛しているため、やる気に満ちていて、子育ての経験も豊富です。孫と一緒に過ごしたいと思っているし、ビジネスではないですから、「割のいい仕事が見つかったから、ベビーシッターは辞めます」と宣言されることもありません。ただし、祖父母が孫のベビーシッターをするのが、難しい局面も出てきています。最近、若者が子どもを持つ年齢が上がっているので、孫が生まれるときには70代や80代になっていて、体力的に孫を見るのはきつい状況になってきています。」

 高齢者の価値の2つ目として挙げているのは、「世界情勢が変化して技術が発展したことで、高齢者の価値が失われてきた状況に関係しています。実は、このような状況は、社会における高齢者の価値を上げている場合もあるのです。なぜなら、社会が急激に変化しているがゆえに、社会に稀にしか起こらないけれども、また起こる可能性のある状況というものを、高齢者が経験しているからです。」

 そのほかに、高齢者の方が優れている点をいくつか挙げています。「監督する、管理する、アドバイスする、戦略策定する、教える、統合的に物事を見る」などです。これからますます加速する高齢化社会に向けて考えなければならないことです。

 来週の木曜日7月14日に行われる第145回芥川賞・直木賞の候補作が出そろったことがニュースで流れました。最近は、私は本当に小説を読まなくなりました。ですから、それほど芥川賞や直木賞の受賞作品には興味がなくなり、年2回の受賞なのに、なんだかしょっちゅう授賞式があるような錯覚する位です。しかし、一応、受賞の後の新聞記事などは読みます。それは、最近どんな作品が話題になっているのか、また、どの様な経歴を持った人が受賞するのかは気になります。そして、話題になった受賞作品は、掲載されている文芸春秋を読むことはあります。そんな程度の認識しかありませんが、数年前に高校の同級生がいまだに何年も芥川賞を目指して小説を書いていると聞いて、そんな作家も多いのだろうと改めて思ったものでした。
私は、文学というと、すぐに思い出すのが「早稲田文学」を思い出しますが、確かに過去に芥川賞の受賞した作家の出身大学では、1位が早稲田大学で、27人で、2位が東京大学で19人だそうです。この世界ではなにも学歴には関係ないのでしょうが、文学を目指そうとする人がその伝統があったり、その環境があるある大学に行こうとするために、傾向が出るのでしょうね。また、賞を受賞する年齢は、その分野によって大きく違ってきます。年齢を重ねるごとにその芸に円熟味がかかるような職業では年齢は高くなるほど受賞するようになるでしょうし、天才のようなひらめきが重視されるような分野では、若年のほうが受賞する確率は増すかもしれません。その中で、作家はどうなのでしょうか。どうも時代の好みが反映されているのかもしれません。
今年芥川賞にノミネートされている作家の年齢と経歴を見ると、なんとなく最近の傾向がわかります。今年は6人ノミネートされていますが、それぞれの年齢は、1968年福島県生まれ、東京育ち、1971年東京都生まれ、1972年北海道札幌市生まれ、1989年生まれ、1979年石川県生まれ、1978年福岡県北九州市生まれの6人です。最年長が40歳半ば、最年少が20歳前半です。また、出身大学を見ると、國學院大學文学部文学科卒業、玉川大学文学部演劇専攻卒業のち文学座付属研究所卒業、東北大学理学部物理学科卒業のち東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了、北海道大学文学部在学中、劇団を主宰、國學院大學文学部日本文学科卒業です。
 芥川賞は新進作家による純文学の短・中編を対象にしているのに対して、直木賞はエンターテインメント小説を対象にした文学賞ですので、それは年齢とか経歴でもわかります。今年ノミネートされている作家の年齢は、1963年岐阜県生まれ、1983年東京都生まれ、1964年生まれ、1980年山梨県生まれ、1951年福岡県北九州市生まれで、60歳の人もいます。経歴は、ロサンゼルス・シティ・カレッジ映画科中退、慶應義塾大学文学部・法学部卒業。立教大学文学部中退、千葉大学教育学部卒業、西南学院大学文学部卒業とさまざまです。経歴は、作品にも表れるようです。
 これらの正賞は懐中時計で、副賞は100万円ですが、それ以上にこの受賞作は、芥川賞が「文芸春秋」、直木賞は「オール読物」に転載されることによって、受賞作の大半はベストセラーのリストに入り、売れ行きに大きな影響力を持つようです。その後の執筆依頼も多くなるようです。その状況を見るたびに、もし本当に才能がなくて一つの作品だけが脚光を浴びたとしたら、その後きついだろうと思うのは、私には才能がないからかもしれません。

武士道19

いよいよ、長く続いた武士道も最後になりました。新渡戸は、最後の章で「武士道の遺産から何を学ぶか」ということで締めくくっています。私が、今回、武士道の解説をしてきたのですが、それはもちろん新渡戸が武士道を通して何を伝えたかったかということを読み取ってきました。しかし、それは、必ずしも新渡戸が伝えたかったということだけを解説していません。私は、新渡戸稲造の研究者でもありませんし、「武士道」の研究者でもなく、その論文を書いたつもりもありません。新渡戸が言いたかったであろう本質を、今の時代であったらどの様な内容になったであろうか、どのようなとらえ方をしただろうかということを、かなり自分勝手に解釈したり、切り取って強調したりしたところはあります。しかし、それが、保育者、教育者にとって、何を大切にすべきか、何を子どもたちに伝えていけばよいのかという視点から解説をしようと試みたものです。それが、私にとっての「武士道から何を学ぶか」という答えです。
新渡戸は、「悲しいかな武士道、哀しいかなサムライの誇り、鉦や陣太鼓の響きとともに世間に迎え入れられた道徳は“名誉や名君が立ち去る如く”その姿を消す運命にある。」と嘆いています。それは、日本においては武士道を養い育てようとする宗教は何処にもなく、封建制度の中で育っていたため、めざましいデモクラシーの滔々たる流れは、武士道の残滓を飲み込んでしまっているからだと言います。民主主義はいかなる形式、いかなる形態の特権集団をも認めないため、知性と文化を十分蓄えた権力を独占した人々によって組織された特権集団の精神であり、道徳的な諸性質の等級と価値を自らの手で定めていた武士道は否定されてきたからだと新渡戸は言っています。
しかし、新渡戸は、違う意味で武士道が必要になると思っています。「近年生活にゆとりができ、武士の訴えてきた使命よりも、もっと気高く、もっと幅広い使命が今日、要求される。広がった人生観、民主主義の成長、他民族、他国民に対する知識の増大とともに、孔子の仁の思想、仏教の慈悲の思想、キリスト教の合いの観念へと繋がっていくだろう。人はもはや臣下以上のものとなり、市民という存在に成長した。否、人は市民以上のものすなわち人間である。」武士道を、このように大きく考えると、今こそ必要な教えかもしれません。
新渡戸は、クラム教授の言葉の言葉を借りて、日本人に伝えられてきた名誉、勇気そして全ての武徳の優れた遺産を「我々が預かっている財産にすぎず、祖先および子孫のものである。それは誰も奪い取ることのできない人類永遠の家禄」であると言っています。そして、我々の使命は「この遺産を守り、古来の精神を損なわないことであり、その未来における使命は人生の全ての行動と諸関係に応用していくことである。」としています。
私たちは、あらゆる方向に、美と光の力と慰めの源泉を求めたけれど今だ武士道の代わりとなるべきものは発見されていないと新渡戸は言います。しかし、武士道は守るべき確固たる教義や公式を持たないために、その姿を全く消し去ろうとしています。確かに、武士道は一つの独立した道徳の掟としては消滅するかもしれませんが、その力はこの地上から消し去ることはないと新渡戸は考えています。その武勇と文徳の教訓は解体されるかもしれないけれど、その光と栄誉はその廃墟を超えて組成するにちがいないとみています。
新渡戸が最後に武士道の運命、いつに時代においても影響する武士道の心を美しい言葉でたとえています。「何世代か後に、武士道の習慣が葬り去られ、その名が忘れ去られる時が来るとしても、“野辺に立ちて眺めやれば”、その香りは遠く離れた、見えない丘から漂ってくるだろう。」
私は、最近、どこからか漂ってくるかぐわしい香りに心ひかれ、その源を捜し求めた結果、日本の奥深い山奥で「武士道」という山桜を見つけたのだと思います。

武士道18

「国民性」というものがあるのでしょうか。また、それは、守るべきものなのでしょうか。私は、それは、守るというものではなく、私たちの思考や態度に受け継がれてきた無意識の行動のような気がします。しかし、その行動は、基本的には持続的社会を形成していくうえで、また、人類の遺伝子を子孫につないでいくために必要なことなのです。遺伝子を途絶えさせるような災害、環境の変化が身に降りかかってきます。その時に、人間とはどうあるべきか、私たちはどのようなことを学び、行ってきたかを見直すことは必要です。また、それは、それぞれの風土の中で育まれてきた人間としての知恵でもあります。
新渡戸は「日本に怒涛のように押し寄せてきた西洋文明は、わが国古来の訓育の痕跡を消し去ってしまったのであろうか。一国民の魂がそれほど早く死滅してしまうものとすれば、それはまことに悲しむべきことである。外からの影響に対していともたやすく敗退するものならば、それはきわめて貧弱な魂といわねばならない。」と言います。日本人の心の中に受け継がれ、国民性のかたちづくっているものを「武士道」の中に見てきたのですが、新渡戸は、武士道で取り上げた特質とされているものが、「武士道のみ」に限られた遺産ではなく、どの国においても見られるとしています。新渡戸は次のように言っています。「あらゆる国のもっとも有力な人々を結びつけ、お互いに理解し合い、協力し合える要素、そして、もし誰かがその秘密結社の符号を見失っても、ただちに感知できるような明確な何かである。」
武士道は、人との関係の在り方を示しています。人との関係は、どの国においても必要であり、人類が持続するために必要な知恵なのです。人は社会を形成し、その一員としてのあり方を学んでいく必要があります。社会の中で、理解し、協力し、それは、私が常々言っている「共生と貢献」を学んでいくことが必要なのです。ただ、その理念は世界共通であっても、社会は、その国特有のあり方が問われてきます。それが、「国民性」と言われるものかもしれません。そして、日本人にとって、武士道が蓄えている活力は否定できませんし、その影響は広汎な範囲に及んでいることは間違いがないと言います。武士道は、一つの無意識的な、あらがうことのできない力として、日本国民及びその一人ひとりを動かしてきたのです。
「維新回天の嵐と渦の中で、日本という船の舵取りをした偉大な指導者たちは、武士道以外の道徳的教訓をまったく知ることのない人々であった。」ことを見ても、私たち日本人を良かれ悪しかれ駆り立てたものは、まぎれもなく純粋にして単純な武士道そのものだったのです。そして、日本で起きた維新のような変化は、まったく自発的なものであり、西洋が日本に教えたのではなく、自ら学んだものだったのです。
ヘンリー・ノーマン氏は、今日の新しい日本をつくり、かつ将来のあるべき方向へと進めている中心軸に触れて、「極東事情を研究観察して日本が他の東洋の専制国家と異なる唯一の点は、“人類がかつて考え出したことの中で、最も厳しく、高尚で、かつ厳密な名誉の掟が、国民の間に支配的な影響力をもつ”ことである」と断言しています。
しかし、新渡戸は、反面、日本人の欠点や短所もまた、大いに武士道に責任があると思っています。日本人が深遠な哲学を持ち合わせないことは、武士道の訓育にあたって形而上学の訓練が重視されていなかったことが原因だとしています。また、日本人の感じやすく、激しやすい性質は名誉観にその責任があるとも思っています。
そうはいっても、武士道の影響は深く根付き、かつ強力であると新渡戸は言います。しかし、その影響は無言の感化なのです。そこで、もう一度私たちは武士道から、今に生きる知恵を学ぶことが必要であると思っています。

武士道17

「世の人はよしあしごともいはばいへ 賤が誠は神ぞ知るらん」
武士道8で「“誠”とは文字通り、言ったことを成すことです。」という「誠」について考えてみました。「誠」の心を持った吉田松陰は人にはなかなか分かってもらえません。そのために下田で獄舎につながれてしまいます。その時に、自分は何らやましいことはないということを艦隊の士官に渡した手紙に書いた和歌が、最初の文で、回顧録のうち「三月二十七夜の記」に書かれています。賤という言葉は自分を卑しめて指す言葉で、「世間の人は、良くも悪くも言いたいように言え。私の誠を神はご存じなのだから。」という信念が表わされている和歌です。
その吉田松陰は、下田から江戸に移送されます。途中、品川の泉岳寺のあたりを通ります。泉岳寺は、かの有名な赤穂浪士が眠っているところです。自分が取った行動は、当然今の自分が受けているような処罰になるとわかっていても、どうしてもそうせざるを得ない気持ちがあるということで、赤穂浪士が切腹を言い渡されるのがわかっていても主君の仇打ちを実行したのと自分を重ね合わせて、その気持ちは、「大和魂」がなせる行動であると「かくすれば かくなるものと知りながら 已むに已まれぬ大和魂」と自分の行動を回顧しています。
また、松陰は、自分の死を悟ったときに家族に当てて書いた「永訣の書」と一緒に、松下村塾の門下生にあてて書いた「留魂録」がありますが、その冒頭に「身はたとひ 武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし大和魂」(この身はたとえ武蔵野の野に朽ち果てようとも我が大和魂は、永遠に留めおきて日本の為に尽くすのだ)という辞世の句があります。松陰は、門下生に伝えたい熱き思いは「大和魂」でした。では、松陰が伝えたかった大和魂とは一体何であったのでしょうか。
光源氏は、わが子をどのように育てたらよいのか考えます。周りは息子をちやほやするでしょうが、当時の先進国だった中国の学問をしっかり身につけさせようと思います。その部分を紫式部は、「猶、才を本としてこそ、大和魂の世に用ひらるる方も、強う侍らめ」と書いています。頭でっかちにならず、いろいろと世の中を知り、常識を持った均整のとれた感覚を、「大和魂」と言っています。
新渡戸は、武士道の次の章で「大和魂」について書いています。武士道の「武」という字は鉾(武器)を止めるという構成からできていますが、まさに、戦わずして平和を維持する道のことを指し、日本人は、武士道を武術の道ではなく、武士階級が守るべき倫理道徳の精神面を大切にしました。深い倫理哲学を心に刻んでの人の道なのです。「やまと」に大和の字を当てたのは、国の理想が「和」であったからで、これに大いにすぐれているという意味の大を付けて大和と名付けました。まさに、聖徳太子の「和を以て貴しとなす」が基本の理念です。
 新渡戸は、大和魂を本居宣長の歌を借りて、桜の花にたとえています。「しきしまのやまと心を人とはば 朝日ににほふ山ざくらばな」それは、日本人の純粋無垢な心情を示す言葉として表現しました。そして、同じ桜にしても山ざくらです。それを新渡戸は、「大和魂は柔弱なる培養植物ではなくして、自然的という意味において野生の産である。それは我が国の土地に固有である。その偶然的なる性質については他の国土の花とこれを等しくするかもしれぬが、その本質においてはあくまで我が風土に固有なる自然的発生である。」そして、次のようにたとえています。「その美の下に刃をも毒をも潜めず、自然の召しのままに何時なりとも生を棄て、その色は華麗ならず、その香りは淡くして人を飽かしめない。およそ色彩形態の美は外観に限られる、それは存在の固定せる性質である。」
この章の最後に、新渡戸は、この大和魂が日本人の心に受け継がれていくことに不安を感じ、それも桜の花にたとえています。「しからばかく美しくして散りやすく、風のままに吹き去られ、一道の香気を放ちつつ永久に消え去るこの花、この花が大和魂の型であるのか。」日本の魂とは、桜の花のようにもろく、滅び去ってしまう運命にあるのでしょうか。

武士道16

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 この世には、男と女がいて、その関係はいつの時代でも問われています。そして、その関係は、絶対的なものではなく、時代が求めるものによって変化してきましたし、職業においても違ってきます。昔ですと、身分によってもその関係は違ってきます。しかし、多くの時代によるその男女差は決して上下関係ではなく、役割の差であったのです。ただ、その役割は、個人差を無視して、固定的な役割分担をもたらし、また、どちらかがどちらかの隷属的な存在として扱われた時代もありました。しかし、おおむね世界では、女性は家庭的な存在でした。日本で「婦」という字は、箒を持っている女性を表しています。英語の妻というワイフという語源は「織り手」であり、娘というドーターは乳搾りという語源から発生したと言われています。
 武士道は本来、男性のためにつくられた教えですから、女性について重んじた徳目も女性的なものからかけ離れていたのは当然です。ですから、讃えられた女性は、「自己自身を女性の有する弱さから解き放ち、もっとも強く、かつ勇敢である男性にもけっして負けない英雄的な武勇を示した」ような女性です。しかし、これが、男女平等なのでしょうか。男と女が同じような働きをすることが対等なのでしょうか。このような女性になるために、「若い娘たちは、感情を抑制し、神経を鍛え、武器、特に長い柄の「薙刀」と呼ばれる武器を操り、不慮の争いに対して自己の身体を守れるように訓練された。」ことは、男女平等を目指したのでしょうか。このような武芸を女性が身につけようとした動機は、男性のそれとは大きく違っていたと新渡戸は言っています。
 男性の多くは主君を守るため、戦場でそれを行使するためであったのに対して、女性の武芸は、一つの理由は、個人のため、いわゆる自分の身を護るための術だったのです。もうひとつは、家のため、家庭において息子の教育のためだったと言います。つけ加えると、体を健康に保つためのエアロビック的な役目ももっていたのです。
 その動機は別として、女性における武芸は、決して男性のようになることではなく、その稽古は必ずしも技巧や芸そのものを学ぶためではなく、究極の目的は「心を浄化すること」にあったと新渡戸は言います。さまざまな芸事は、常に道徳的な価値に従うべきものとする考えであったのです。
 家を治めることが女性教育の理念であり、古き日本の女性の芸事は武芸であれ、文書であれ、主として家のためのものであったことは否定できません。しかし、当時の女性が夫、家、そして家族のために、わが生命を引き渡すことは、男が主君と国のために身を捨てることと同様に、自らの意志にもとづくものであって、名誉あることとされました。それは、男性の忠義同様に女性が家を治めることの基調であり、女性が男性の奴隷でなかったことは、その夫たちが封建君主の奴隷ではなかったことと同じだと新渡戸は考えています。
 新渡戸は、男女の関係は、「差異」ということと、「不平等」ということを区別しないと誤った考え方をしてしまうと危惧しています。男女それぞれが、この世において、その使命を果たすためにさまざまな要素を備えていると言います。そのことを考えると、男女の相対的地位を測る際にとられるべき基準は総合的な性質のものでなくてはならないのです。武士道においては、それ自体の基準を持っていたと新渡戸は言います。ですから、女性は社会的、あるいは政治的な存在としては重要ではないが、他方、妻、あるいは母としては、女性は最高の尊敬と深い愛情を受けていたというのです。
 最近、その分担は明確ではなくなりました。というのは、男女差よりも個人差が優先されるべきことと、その分担は、あくまでも主体的に分けるべきで、社会通念としてしばりつけるものではないことが合意されていますが、だからと言って、女性が家庭を大切にすることを否定するものではありません。また、人にはそれぞれ特性があり、その特性を生かすために個人的に対応することをせずに、男女平等だけを叫んでも解決にならない気がします。

武士道15

 サムライといってイメージするものは、「切腹」と同時にそれに使われる「刀」です。自殺としての「切腹」が世界中でも見られるように、武器としての刀は、世界中に存在します。それは、人を傷つける戦いの道具としてだけでなく、他の生き物から身を守り、他人からの攻撃から身を守るために、人類にとって生き抜いていくために必要なものだったからです。しかし、その武器が「芸術品」にまで高められたものは「日本刀」のほかにはあまり見当たりません。それは、武器とした武士が携えただけでなく、武士にとって装飾品として、大人の証として、武士の誇りとしての象徴として持ち歩いていたからです。新渡戸は、腰に差している刀は、「その心中にいだいている忠誠と名誉の象徴である」と言っています。そして、「刀はその持ち主のよき友として愛用され、その親愛ぶりを表わすにふさわしい相性がつけられた。そして敬愛の念がたかまると、ほとんど崇拝といってよい感情移入が行われる。」
 私が、小学校で1年生を担任しているとき、避難訓練で校庭にみんな集まると、私のクラスの子たちは、みんな鉛筆を手に持っています。私は「逃げるときに、手に何か持っていると危ないし、しかもとがっている鉛筆など危ないよ。」と言うと、クラスの子たちは「だって、先生はいつも、鉛筆はみんなの魂だと言っているじゃないか。魂だから大切なんだ。」と答えましたが、もし、今回の東北大災害の時にでも、ほとんどの武士は「刀」を持ちだしたかもしれません。そんな武士の魂だったのです。ごくありふれた短刀に対してさえ、それに応じた敬意が払われたと言います。
 ですから、刀匠は、単なる鍛冶屋ではなかったのです。神の思し召しを受ける工芸家であったと新渡戸は言います。そして、その仕事場は聖なる場所であったのです。その思いは、日本刀を飾る様々な装飾品にも見ることができますが、これもやはり日本刀の特徴かもしれませんが、日本刀が評価される基準はそれらの装飾にきらびやかさよりも、刀身そのものであり、銘と呼ばれる名刀は、刃そのものの評価なのです。
 そのように大切な、武士の魂である「刀」ですから、それをむやみに振り回したり、血で汚すことは本来、武士として望ましい行動ではなかったはずです。「武士道」の中には、「武士道は適切な刀の使用を強調し、不当不正な使用に対しては厳しく非難し、かつそれを忌み嫌った。やたらと刀を振り回す者は、むしろ卑怯者か、虚勢をはる者とされた。沈着冷静な人物は、刀を用いるべき時はどのような場合であるかを知っている。そして、そのような機会はじつのところ、ごく稀にしかこないのである。」と書かれてあります。
幕末のころ、「人斬り以蔵」の様に刀をやたらと振り回す人たちがいた時代に生きた勝海舟の言葉を引用して、当時の刀に対する考え方を説明しています。「私は人を殺すのが大嫌いで、一人でも殺した者はないよ。みんな逃がして、殺すべき者でも、マアマアと言って放って置いた。―中略― 刀でも、ひどく丈夫に結わえて、決して抜けないようにしてあった。人に斬られても、ことらは斬らぬという覚悟だった。なに、ノミやシラミだと思えばいいのさ。肩につかまって、チクリチクリと刺しても、ただかゆいだけだ。生命に関わりはしないよ」この言葉は、無血開城を成し遂げた勝の性格とも思えますが、新渡戸は、「これが、艱難と誇りの燃え盛る炉の中で武士道の教育を受けた人の言葉である」としています。
 「負けるが勝ち」という格言は、真の勝利は暴徒にむやみに抵抗することではないことを意味しており、「血を見ない勝利こそ最善の勝利」と言う格言は、武人の究極の理想は平和であることを示していると新渡戸は言っています。

武士道14

 日本における武士道の中で、外国で象徴的に語られるものに「切腹」があります。外国人には「ハラキリ」と言って、「サムライ」と同時にイメージするものです。しかし、この切腹を一つの自殺とみると、その行為はなにも日本人に限ることではありません。新渡戸は、「武士道」の「切腹」の章の最初に、外国における自殺をいくつか例に出ています。たとえば、シェイクスピアはブルータスに「汝の魂魄あらわれ、わが剣を逆さにしてわが腹に刺さしむ」と言わせているように西洋でも、自らの剣を腹に刺して自殺することはあります。また、剣を腹ではなく、のどに突き刺して死のうとすること、心臓に突き刺して死のうとすることは多く見られます。しかし、なぜ日本人の切腹だけが象徴的に語られるのでしょうか。
まず、新渡戸は「なぜ、切腹は腹を切るのか」ということを説明しています。「そもそも殊に身体のこの局部を選んでこれを切るのは、すなわちこれを以って霊魂及び愛情の宿る所となせる、いにしえの解剖学的信仰に基づくなり」と言っているように、昔は腹に人間の霊魂や感情が宿ると信じられていたのです。武士道とは少し離れますが、このことをもう少し考えるととてもおもしろいことがわかります。
大辞林によると、「腹」とは「胃腸」という具体的な消化器の意味もありますが、それとは別に「内臓を収める場所」として捉えられています。この違いは、「腹」を「機能」としてとらえるか、「場所」としてとらえるかの違いですが、切腹の場合の「腹」は、容れ物として重視されています。では、何が入っているかということですが、日本では、大きな仏像の中は空洞になっていて、その中の腹の部分には、多くは経が入っていました。胎内経とか胎蔵経と呼ばれています。胎蔵というのは、蔵は“くら”とも読んで、大切なものをしまっておく倉庫のことで、腹の大切な倉庫にしまっておく経だから胎蔵経と言われたのです。
なぜ、それが腹なのかというと、昔の日本人は、大切なことはお腹で考えると思っていたようです。ですから、「腹」がつく言葉がたくさんあります。「腹が立つ」「腹いせ」「腹が太い」「腹が据わる」など数えきれないほどあります。また、「腹を割って話をする」というのは、「何かたくらんでいる」という意味の「腹に一物ある」という一物を、腹を割って見せたら、相手は安心するだろうということで「本音で話す」ということです。
心臓が感情の中枢であるとするならば、腹部には交感神経中枢が存在し精神作用により強い刺激を受けます。そう言う意味で、「腹」は身体のみならず、精神的意味において「人間の中心」という場所と捉えて、経験の蓄積、または経験の集大成としての自己、「精神的研鑽を積んだ内的自己」の象徴だったのです。つまり、腹には「精神」が宿るので日本人は腹を切ることによって、汚れがないことを人にわからせるための儀式典礼なのです。
新渡戸は、痛みを伴いながら冷静に行う切腹は、積極的に生きることの裏返しではないかと説いています。真のサムライにとっては、いたずらに死に急ぐことや死を恋焦がれることは卑怯と同義であったからだと言います。「あらゆる困苦、逆境にも忍耐と高潔な心を持って立ち向かう。これが武士道の教えであった。」ということであり、「真の名誉は、天の命ずるところをまっとうするにある。そのためには死を招いても不名誉とはされない。天が与えようとしているものを避けるための死は、卑劣極まりない。」というように、ただ死ねばいいということではないのです。
「死を軽蔑するのは勇気の行為である。しかし、生きることが死ぬことよりいっそう困難な場合は、あえて生きることが真の勇気である」このトマス・ブラウンの言葉こそ、武士道で繰り返し教えていることであると新渡戸は言います。まさに、如何に生きるべきかを切腹は教えてくれているのかもしれません。