特別な日

日本人は、物事は移りゆくもの、無常であることを言い伝えてきた気がします。それは、平家物語に見えるように「諸行無常」ということが、良いときには戒めとして、悪いときには期待としてその時を受け止めました。それは、時として暮らしにメリハリをつけ、生活の支えともなりました。それを、「ケ」と「ハレ」としたのです。その代表が、まず食事だったのでしょう。ですから、「ケ」の食事が朝餉、昼餉、夕餉であり、「ハレ」の日の食事は、神聖な食べ物である餅や赤飯を食べたり、お酒を飲んで祝ったりして、特別な日であることを示しました。そして、その日は外食をしたりしたのです。

以前のブログでも書きましたが、日本人は、古代から木にも火にも水などいろいろなものに神様が宿っていると感じ、これを「八百万の神」といって大切にしてきました。そして、日常的に身の回りで起こるよいことも悪いことも、人間の力ではどうにもならないこととして、神様のおかげ、神様のせいと考えました。それは、「ケ」が枯れてしまうことで「ケガレ」として、そのケガレを落とすために、人々は祭り(祀り)をつかさどるようになりました。この祭りの華やかさ、行事の晴れやかさにより、ケガレを落とした後の清々しさが「ハレ」なのです。それが、「晴れ晴れ」した気持ちなのです。

激動の時代、戦乱の時代では、平穏な社会、日々変化のない生活を求めたかもしれません。しかし、たとえば江戸時代などは、天下が統一され、政権が安定し、世の中の変化もとぼしく、人口の大多数を占めていた農民などは、毎日が同じことの繰り返しでした。それは、日々の繰り返しだけでなく、毎年も同じことの繰り返しでした。春になれば種まきをし、秋になれば収穫する。変わっていくのは、自分の歳だけだったかもしれません。毎日が「ケ」の繰り返しだったのです。

 しかし、こんな「ケ」の毎日では、生活にメリハリがなくなり、生活リズムがとりにくくなります。保育指針にも書いてありますが、生活リズムは、情緒の安定につながるのです。しかし、江戸時代では、なかなか波乱万丈ということは起きません。そこで、人為的に「ハレ」を作り出す必要があったのです。それが祭り、能狂言、正月などの行事です。それが年中行事であり、こういった「ハレ」の日には農民も毎日の農耕を忘れ、思いっきり楽しみました。日常、変わらずにおこなっている農作業の合間にも、「あと何日で祭りがある」とか言って、退屈な労働にも耐えることができたのです。「ケ」の中に「ハレ」の要素を取り入れて、人間は生きてきたのです。

しかし、本来の「和食」文化が薄れてきた理由に、どうもこの「ケ」と「ハレ」のバランス分化が崩れてきたことがあるような気がします。それは、日常的なことと、特別なことの区別がなくなりつつあります。例えば、少し前に書いたお正月も、生活の中で特別な日の感覚が薄れてきて、餅は1年中食べますし、松の内の間はおせちを食べることも無くなってきました。最近の「ハレの舞台」である結婚式の引き出物も、ほとんどカタログになり、タイヤ赤飯など、「ハレ」の日に食べるものがほとんどありません。

最近は、このように「ハレ」の日にしか食べることのできなかったごちそうを当然のように毎日口にすることができます。服装なども昔なら「ハレ」の日にしか着られなかったようなものを毎日着ることもできます。地方の人が東京に出てきて町の雑踏を見て、「何か祭りでもあるかと思った」というほど、人手は特別な日だけ多いということもなくなりました。東京ではもはや生活の中では、「ハレ」を感じることが少なくなってきました。それでいいのでしょうか?それが、「いいくらし」なのでしょうか?

8年経過

このブログも、コメントで書いてもらったように今日から9年目に入ります。ということは、昨日で丸8年間ブログを書いてきたことになります。8年間というと、随分長い間書いてきたなあとと振り返りますが、じつは、まさに8年とはそういうことなのです。2006年のブログにそのことを書いたのですが、数字そのもののもつ意味があり、縁起がよい数だとか、たくさんの数という意味を表すことがあるのですが、その代表的な数字が「八」なのです。当時のブログにこう書いています。「“八重”ということは、“幾十にも重なった”という意味で、地名の“八雲”などは、幾十にも重なった雲のことを歌った“八雲立つ出雲八重垣…”からとったといわれています。とくに“八百”とか、“八百万”はとても多い数の代表で、たとえば、“八百万の神”(やおよろずのかみ)とか“八百屋”(やおや)とか“江戸八百八町”(えどはっぴゃくやちょう)などに使われています。」

このブログで書いたように8には、たくさんという意味があり、他にも、八十(やそ)、百八十(ももやそ)、八百万(やおよろず)等も「数が大きい」という意味で用いられています。このようなことから考えると、8年間は、たくさんの年月ブログを書いてきたということになります。
また、古代の日本では、8 は聖数とされました。「8」を漢数字で「八」と書きますが、そのことがブログでこう書いています。「下のほうが広がっていて、“末広がり”という縁起のよい数字ともいわれています。また、8を横にすると、“∽”となって、“無限”を表しているということで、使われることがあります。数字は、占いにも使われることがあるなど、神秘的な意味を持つことがあります。」

この聖数ということで使われたものに、八島、八雲、八咫鏡、八重桜があると言われていますが、これも、数が多いということの意味もあると思います。また、8には、数が多いということから「すべての側面」という意味があり、慣用表現では、「八方塞がり」「八方美人」「八紘(=世界)」のように使われています。

そう思ってみると、意外と8という数字が使われています。8という数字ではありませんが、8という量には何か意味があるのでしょうか?儒教において重んじられるものに五つの徳というものがあります。それを五常と言い、仁・義・礼・智・信です。それに君臣・父子・夫婦間の道徳を表わしている「三綱」である忠・考・悌を加えて「三綱五常」言われる八つの言葉があります。それは、仁義八行と呼ばれる人間が生きて行く上で大切な八つの道徳的規範を示したものであると言われています。この文字が浮き出た球を持ち、共通して「犬」の字を含む名字を持つ八犬士が、因縁に導かれて互いを知り、力を合わせて活躍する曲亭馬琴の小説「南総里見八犬伝」があります。私は、子どもの頃、その映画を父と一緒に見に行きその魅力に見せられ、その後テレビで人形劇が放送され人気を博しました。

テレビアニメというと「8マン」という漫画が「エイトマン」というタイトルで放映されました。また、八つ墓村という横溝正史の推理小説もあり、それを原作とした映画やテレビドラマが人気になりました。また、8の接頭辞である「octo, oct」は、オクターブ、オクタゴン(八角形)、octopus(タコ(章魚))、October(10月)、八重奏をオクテット (octet)、8倍、8重をオクタプル (octuple) といいます。

8年経ったということは、長いというだけでなく、何となく聖的な意味も感じます。

唱歌

 富士山が世界遺産に登録されるというニュースで、日本中が喜んでいます。その対象は、自然の美しさではなく、信仰の対象や、浮世絵などの対象にされてきたという文化遺産としての登録です。確かに、日本人は、昔から富士山にはある思いがありました。先日、久しぶりに職員と「ブラヘイジ」で高尾山に上りました。山頂について、山々の向こうに富士山が見えたときには、皆感動していました。富士山は、そんな山です。

 富士山と言えば、「頭を雲の上にだし、… 富士は日本一の山」という歌を思い出します。この歌は、「尋常小学読本唱歌(二)」に初めて取り上げられ、小学校学習指導要領音楽編にて、小学校3年生の歌唱共通教材に「ふじ山」というタイトルで指定されています。この歌の作曲者は不明ですが、歌詞は、児童文学者である巌谷小波です。最近は、彼の作品はあまり読まれなくなりましたが、明治二十年代に少年向けに書いた「こがね丸」というおとぎ話は、当時大ヒットを記録しました。それまで日本には児童向けに書かれたオリジナルのフィクションというのは存在せず、この作品が日本における最初の児童文学であるといわれているのです。

 もう一つ、歌詞の最後が「いちはやっぱり富士の山」で終わる歌があります。それは、「せいくらべ」です。俳人であった海野厚作詞で、「1、柱のきずはおととしの、五月五日のせいくらべ。ちまきたべたべ兄さんが、はかってくれたせいのたけ。きのうくらべりゃなんのこと、やっと羽織のひものたけ。2、柱にもたれりゃすぐ見える、遠いお山もせいくらべ。雲の上まで顔だして、てんでにせのびしていても、雪の帽子をぬいでさえ、一はやっぱり富士の山。」という歌詞です。

 この歌詞は、当時のごく一般的な子どもの日常風景を描いていますが、最近の子どもたちは、どうでしょうか。また、子どもの日に「粽(ちまき)」を食べるでしょうか?私の子どものころはちまきは食べないで柏餅を食べました。どうもちまきは関西で食べ、関東は柏餅が多いようです。また、最近は、「中国ちまき」というものは、中華料理店で食べることがありますが、中国では漢字の「粽」には「集める」という意味があり、米を寄せ集めたものが「ちまき」という意味です。日本では、平安時代に中国から端午の節句が伝来したときに粽が伝えられ、全国に広がっていきました。もともとササではなくチガヤの葉で巻いて作られたため「ちまき」と呼ばれています。

 文部省唱歌で謳われていた歌でも、最近の子どもたちには実感がわかないものがほかにもあります。先日、園で給食に「子どもの日」にちなんだメニューが出されました。オムライスを鯉のぼりの鯉に見立て、ポールがアスパラガス、矢車がミニトマトでした。しかし、職員室で数人の職員と食べながら、下の方にあるマカロニは何に見立てたのだろうかという話になりました。私は、「いらかじゃない?」と言ったのですが、そこにいた職員は「いらかってなんですか?」と聞くので、「1.甍(いらか)の波と雲の波、重なる波の中空を、橘かおる朝風に、高く泳ぐや、鯉のぼり。2.開ける広き其の口に、舟をも呑まん様見えて、ゆたかに振う尾鰭には、物に動ぜぬ姿あり。3.百瀬の滝を登りなば、忽ち竜になりぬべき、わが身に似よや男子と、空に躍るや鯉のぼり。」という歌の最初のところを歌って見せたのですが、この歌を最近は歌わないようで、「屋根より高い…」の方が歌われるようです。確かに最初の歌の言葉は難しいですね。「甍(いらか)」とは瓦のことで、瓦屋根を波に例えているのです。また、3番も以前ブログに書いたのですが、鯉が滝を上って竜門をくぐり、竜になるということで出世するということを願っています。

 「いらか」という言葉は知らなかったようですが、マカロニは屋根を表わしていると調理では言っていました。

健康

 いよいよ梅雨空が続く毎日になりました。なんとなく、体がだるく、疲れやすい気がします。それは、季節の変わり目にはよくくる体の変化かもしれません。そんなときには、病気だろうかと思うこともあります。しかし、私は、あまりそう思わないようにしています。というよりは、そう思う余裕がないということもあるかもしれませんが。ドイツの哲学者カントに医者とのやりとりの中で、カントを大哲学者にするきっかけとなったこんな逸話があります。

生まれつきくる病で、喘息で苦しがっているカントを、父親は医者に連れていきます。医者は、「気の毒だな、あなたは。しかし、気の毒だと思うのは、体を見ただけのことだよ。考えてごらん。体はなるほど気の毒だ。それは見れば分かる。だがあなたは、心はどうでもないだろう。心までもせむしで息が苦しいなら別だが、あなたの心はどうでもないだろう。苦しい辛いと言ったところで、この苦しい辛いが治るものじゃない。あなたが苦しい辛いと言えば、おっかさんだっておとっつぁんだってやはり苦しい、辛いわね。言っても言わなくても、何にもならない。言えば言うほど、みんなが余計苦しくなるだろ。苦しい辛いと言うその口で、心の丈夫なことを喜びと感謝に考えればいい。体はともかく、丈夫な心のお陰であなたは死なずに生きているじゃないか。死なずに生きているのは丈夫な心のお陰なんだから、それを喜びと感謝に変えていったらどうだね。そうしてごらん。私の言ったことが分かったろ。それが分からなければ、あなたの不幸だ。これだけがあなたを診察した私の、あなたに与える診断の言葉だ。分かったかい。薬は要りません。お帰り」

この言葉は、宇野千代著『天風先生坐談』に書かれてありますが、この逸話を書いたのはいかにも何度も手術を繰り返し、しかし天寿を全うし98歳で亡くなった宇野千代さんらしいですね。この医師の言葉から、カントは考えます。「心は患っていない、それを喜びと感謝に変えろ、とあの医師は言ったが、俺はいままで、喜んだことも感謝したことも一遍もない。それを言えというんだから、言ってみよう。そして、心と体とどっちが本当の自分なのかを考えてみよう。それが分かっただけでも、世の中のために少しはいいことになりはしないか」

WHO(世界保健機構)には、次の7つの条件を満たしたものを健康というとあります。「なにを食べてもおいしい事」「よく眠れる事」「すぐに疲れを覚えない事」「快い便通がある事」「風邪ぎみでない事」「体重が変わらない事」「毎日が楽しく明るい事」です。この中の七番目、「毎日が楽しく明るい事」ということが健康の条件になっています。そんなことから考えると、「園が、遊び心満載で、いつも楽しく、明るく、子どもたちの生き生きした声が響いている」のは、健康であるということです。どうしようもないことにいつもくよくよし、事態を変えることもできない事柄に悔んでいることは、決して状況を好転させることにはならないのです。

易経の中に「健体康心」という言葉があるそうですが、この字のごとく「健やかな体と安らかな心」という四字熟語が縮まって「健康」という言葉が出来たと言われています。「康」とは、「安らかな心」ということで、健康とは、体と心の両面を対象としています。

そう考えると、園は子どもと職員にとって「健康建物」でなければなりません。健康住宅推進協議会では、今日の6月20日を「健康住宅の日」と制定しています。

今日の太陽

今日は、1日中金環日食の話題で持ちきりです。
私の朝早く園に来て、数人の職員さんたちとベランダでコーヒーを飲みながら観察しました。とりあえず、その写真をアップします。東京の私の園から見た日食です。

欠けていく様子はフィルターを通しての撮影でしたが、金環日食の時には曇っていたおかげで、肉眼で見ることができました。

憲という字

 今日は、「憲法記念日」です。憲法という字ですが、「憲」という字だけでも「国の組織や政治のしくみの根本の原則を定めた掟」という意味があるそうですが、国の「おきて」とか、「きまり」とはどういうものなのでしょうか。この「憲」という字を見るとわかりますが、この字の下のほうには、「目」と「心」があります。上のほうは、「うかんむり」に「圭」がついたものですが、うかんむりは、かぶせるものを表しています。

「圭」という漢字は名前によく使われますが、もともとは古代中国の玉器の一つで、天子が諸侯や使者のしるしとして与えた物のようです。ということで、名前に使う場合は、特別な人に与えられた、認められた人という意味で使われるようです。しかし、古代中国では、それを与えることで、天子が諸侯を封じた際にしるしとして与えともいわれています。

 どうも、「国の掟」とは、何かを封じるために「上にかぶせる」とか「勝手な動きをおさえる」という意味のようです。では、なにを封じたかというと、「目」と「心」で、物事を見づらくしたり、感じにくくしたりすることで、勝手な言動や逸脱した考えを抑えながら作っていくもののようです。または、「目」と「心」で、「人の心を見る」という意味ととると、「国の掟」とは、人の心を見えにくくするものという意味になります。ですから、「憲兵」というような使い方をするのでしょう。

しかし、ここでホリスティックな考え方が必要になります。なぜなら、憲法には、「国民代表機関たる国会が作った法律をおさえこむルール」というもともとの考えかたから、「多数派が制定した法律による人権侵害から、少数派を守る」という一見矛盾する考え方を持たないといけないのです。わたしたちは、少数者の意見にも耳を傾け、尊重します。そして、国家レベルでの中央集権による支配的な関係よりも、お互いの協力的な関係、受け身ではなく自分から新しいものを創造していくことが求められます。上から与えられるものに頼るのではなく、自分からつくりあげていくことが大切なのです。そして、自分に何ができるかを考え、つながりのなかで行動し、共に学び合おうことが必要になります。このような共に新しいものを生み出そうとする共同創造のかかわりは、喜びを生み出し、自分が変わることによってみんなが変わるという体験にもなっていきます。これがホリスティックです。そして、この行動を保障するのが「憲法」であるべきなのです。

この考え方は、子ども社会おける「ルール」という考え方と同じです。「何をしてはいけない!」というのがルールではなく、「自分がやりたいことをすることができる」ためにルールがあるという考え方です。ドイツの保育カリキュラム「バイエルン」の中で、異年齢保育の目的として「年齢の違う子どもに対して自分の言い分を主張する力」とか、「違いについて興味をもつ」とか、「異年齢の子どもとの葛藤の中で自分の立場を守ることができること」とか、「異なる要望や行動様式をお互いに調整しなければならないという基本姿勢を学ぶ」とか、「異年齢の子どもの欲求や興味を知り、共感することができる」というようなことがあげられています。

 ホリスティックについては、どうも異年齢保育のほうが、学びが大きいようです。ですから、ドイツでの保育は、基本的に異年齢保育なのでしょう。「違いを違いと認め、多用性を承認すると共に、相互の開かれたコミュニケーションを通して、違いの奥にある共通なものを見つけよう」とする保育が、今後求められていくでしょう。

今日という日

アカデミー賞11部門を受賞した、ジェームズ・キャメロン監督による映画「タイタニック号」が、タイタニック号沈没100周年を節目に再度3D映像で公開されています。このイギリスの豪華客船タイタニック号は、イギリスを出発し、ニューヨークを目指して航行していたのですが、ニューファンドランド島の沖で氷山と衝突し沈没してしまったのが、1912(明治45)年4月14日の深夜でした、今日が、ちょうど100年目に当たります。この事故の犠牲者数は、乗員乗客合わせて1,500人余りで、当時世界最悪の海難事故でした。
このときの犠牲者について、いろいろなことが分かってきました。その一つが、2009年にけるスイスとオーストラリアの研究チームによる、「英国人犠牲者の多くは紳士的な対応をとったことが原因で死亡した可能性がある」という研究です。

スイス・チューリッヒ大学の経済学者ブルーノ・フレイ氏と、オーストラリアのクイーンズランド工科大学の研究者らがタイタニック号の乗員乗客2200人の経済的、社会的背景を分析したところ、乗船していた英国人は、他の国籍の人びとと比べて生存率が10%ほど低かったことがわかったという事実からの推測です。

スイス通信によると、この研究チームによって、この生存率の低さは、「ノブレス・オブリージュ」により、救命ボートへと殺到することに何らかの影響を及ぼした可能性があるとの見方を示しました。その結果、タイタニック号のような状況下においても「女性や子どもを優先する」といった社会規範が、氷山衝突からおよそ3時間にわたって維持され続けていたと結論づけているそうです。研究者の一人であるフレイ氏は、「生きるか死ぬかの状況で人びとがどのような行動をするのかに関心があった」と述べています。

この事故のときの生存率を調べてみると、アメリカ人の生存率は乗客乗員全体の生存率より高く、また女性の生存率も全体の生存率より53%高く、再生産年齢(妊娠・出産できる年齢)の女性の生存率はさらに高かったようです。一方、児童は成人と比較して生存率が15%高いだけにとどまっています。また、乗員は、生存率が18%高かったようですが、これは、救命ボートなどの場所を知っているという「情報の優位」があったためだとみられています。一方で、健康状態や文化背景も生存率の要因となっています。中でも社会階層は、注目すべき要因となりました。研究では、1等船室に乗船した富裕層は、3等船室の乗客と比べて生存率が40%高かったのですが、これは、3等船室の乗客は船体の奥に隔離されており甲板に出ることすら困難な場合が多かったためと見られています。

このように、生存率は物的、環境的によるもののほかに、精神的な気持ちが働いているようです。誰を優先して助けたかという気持ちが、極限の人間にどのように働いたかを見ることができるのです。この主な要因が、「ノブレス・オブリージュ」です。ノブレス・オブリージュを直訳すると「高貴さは(義務を)強制する」を意味し、日本語では、しばしば「位高ければ徳高きを要す」などと訳されることがあります。新渡戸稲造は、100年前に英語で書かれたその著書「武士道」のなかで、「…the ways which fighting nobles should observe in their daily life as well as in their vocation; in a word, the “Precepts of Nighthood”, the noblesse oblige of the warrior class.」と書いています。この文章によって、一般の日本人に対して初めて「ノブレス・オブリージュ」という用語が紹介されたといわれています。

私が、ブログで今に生きる原理として「武士道」を取り上げたことがありますが、そのときには、こう書いています。「“武士道”は、武士のあるべき姿ではなく、武士の姿を借りて、日本人における道徳心のあり方を問うたものなのです。もともと“武士道”とは、“騎士道の規律”であり、武士階級の“高い身分に伴う義務”でした。しかし、この本では、特異で、かつ地域的な気質や性格を生んだ、限定的で他にくらべることのできない教えを、はっきりとそれとわかる特徴的な外見を持たなければならないために、また、国民の特質をたいへんうまく言い表している民族の“音色”ともいうべきものを持っている言葉として、その言葉の意味を真に正しく移し替えることが至難の業であるため、そのまま“ブ・シ・ドウ”と使っているのです。」

 日本人に流れる「人としての高貴さ」は、その人の地位によらず、人間としての遺伝子かもしれません。

航海術と天文学

 日本では、海に囲まれている割には、航海術はあまり進んでいなかったのでしょうか。茂在寅男氏が、「古代日本の航海術」(小学館ライブラリー)の中で、『古事記』や『日本書紀』にみられる理解できない船の名前や地名などを、古代ポリネシア語で次々と解明しています。その結果、海は、文化の流れの障害物ではなく、むしろハイウェイであったことを立証しています。ということは、もっと日本でも航海術が進んでもよさそうですが、遣唐使の時代を見ても、日本ではずいぶんと遅れていました。しかし、当時の中国は、かなり進んでいたようですが、日本では、それほど外洋に乗り出すことがなかったからのようです。
人類は、古くから外洋に乗り出していきました。その時の航海など長距離の移動には、夜空の星に関する知識は欠かせないものでした。星をはじめとする天文学は、人類は生活の必要性から進んでいきました。今回、日本では、さまざまな自然災害に襲われていますが、人類は、その災害から逃れるすべだけでなく、自然を生かす工夫もしてきました。ナイル川の氾濫によって、土地を豊かなものにするために、古代エジプトでは、星の観測によって季節を正確につかみ、はんらん期の予測をしていましたし、農作物の植え付けや収穫に役立てていたということがわかっています。そのために、古代の人々は、夜空の星が1年の時間の流れとともに規則正しく運行していることを知り、季節や方角を知り、宇宙に関わりを持ってきました。
私が、小学1年生の担任した時に、4月の初めの授業に、「大人のいうことや、書物に書いてあることではなく、自分の目で確かめたことをまず信じなさい!」といいました。そして、「大人は、地球は丸いというけれど、見てみても、どこが丸いかと思うでしょう。どう見ても平らにしか見えないでしょう。地球が丸いというのは、もしかしたら、大人の作戦かもしれないよ。でも、何かの時に、あれっ?と思ったら、よく見てごらん。そうしたら、だんだん本当のことがわかるから。」それは、「8歳ころが脳の臨界期と言われ、それ以前は、子どもは実際に体験したり、五感を使って物事を把握し、その中で探究心や好奇心をつけることが大切である」ということがわかっていますが、その頃の私は、まだ20歳代で、それほど勉強をしていなかったのですが、子どもたちと過ごす中でそれを感じていたのかもしれません。
当然、古代の人は、地球は平らで、宇宙は傘のようなものがかぶさっていると思っていました。しかし、なんと古代ギリシャに紀元前190年頃に生まれたとされるヒッパルコスという天文学者がいました。彼は、精密な観測と三角法を利用し、天球における星の位置や太陽や月までの距離を驚くべき精度で測り,星座表を最初につくり、1000個以上の恒星表を作成し、春分点移動(歳差)を発見したりして、古代天文学を体系化したのです。
今日は、秋分の日ですが、海王星の日でもあります。1781年の天王星が発見されたのですが、その軌道がニュートンの天文力学に合わないのは、どうも、その外側にさらに惑星があるためだと考えられていました。そのためいろいろな科学者が天王星の軌道の乱れ等を元に未知の惑星の大きさや軌道・位置を計算しました。イギリスでは天文学者ジョン・クーチ・アダムスが、フランスでは天文学者ユルバン・ルベリエが計算をし、その存在を予言しました。ついに、ドイツの天文学者ヨハン・ガレが1846年の今日9月23日、ベルリン天文台での観測で海王星を発見したのです。ルベリエが計算としたものと発見された位置の誤差は1度しかありませんでした。

 今年は、台風が多く日本を直撃します。二百十日、二百二十日がやっと過ぎたかと思っていると、今回の台風です。久しぶりの東京直撃で、園の近くの大木の街路樹が、根元から倒れて道路を覆っていました。以前、ブログで、中国では、奇数は偶数で割れない数字(固い、割れない、分かれない、に通じる)であることから良いことをあらわす「陽数」と考えられ、神聖なるもの・無限なるもの・偉大なるものを意味するということを紹介しましたが、特に「九」は聖数の代表の数字です。この「九」の古代文字を見ると、頭部分が分かれた形をした竜です。これは雌の竜の形で、身を折り曲げた竜の形を表しています。雄の竜の形を著した字が「虫」だそうです。ただ、この虫が表わすのは、昆虫ではなく、蛇とか竜のような爬虫類だそうです。

瑞巌寺の襖絵


 竜は中国の代表的な聖なる創造上の生き物です。「竜」の古代文字を見ると、頭に「辛」(針)の字形の冠飾りをつけています。雨水、洪水をつかさどる竜神のシンボルとして頭に飾りがついているのです。神社を入ると、拝礼の前に手を洗い、口をすすいで身を清める場所である手水舎があります。そこに水を注ぎ込むためのところを水口といいます。この水口で最もポピュラーなのは「竜」です。また、竜は洪水の神でもあります。9月に台風が多く、洪水が多いのは、何かの因縁でしょうか。
 この聖なる「九」が重なっているのが9月9日で、「菊の節句」または「重陽の節句」といいます。陽数である奇数は人間に活力を与えるものといわれ、陽数の重なる日は節句として盛大に祝い、なかでも陽数の極みである「9」が重なる9月9日は、たいへんめでたい日とされ、「重陽の節句」とされたのです。菊は厄を払い、長寿を得る妙薬といわれていたため、重陽の節句には、杯に菊の花びらを浮かべて飲む、菊酒で長寿を祈ったのだそうです。
 菊の香には、カンフェンなどの精油成分があり、皮膚を刺激して血行を促進し、身体の痛みをやわらげる効果があると言われています。また保温効果も高く、身体の芯まで温まります。そこで、9月には「菊湯」に入るといいかもしれません。菊湯には、菊の中でもリュウノウギクという種類を使います。乾燥のものや、生の花びらを浮かべるといい香りがします。菊の花を風呂に入れるといいというと驚きましが、実は、中国で「母菊」と呼ばれる種類は、ハーブティーとして有名は「カモミール」です。ですから、カモミールを風呂に入れてもいいようです。
 シャワーを浴びるだけが多い海外に比べ、日本では、湯に体全体を沈め、ゆったりとくつろぐことを好みます。日本では、赤ちゃんが産まれると、その場でお風呂に入れます。これを産湯といいますが、産湯とは、産土さまのお守り下さる大地の水のことを指します。また、子どもの身体を清めるとともに発育を願う意味もあり、その湯でお清めすることで神様の産子となるというものだとも言われています。産湯とは新しく生まれ出た生命を祝い、再生された魂を寿ぐための儀式とされていました。日本人は、生まれ変わりの思想を持っていたのですが、ここに水が大きく関与しています。ですから、江戸時代の大名には自分の子の産湯をわざわざ遠くからとりよせた人もいたくらいです。
ことしのNHK大河ドラマの主人公は「江」ですが、もう一人の主人公は、彼女の旦那であった徳川秀忠です。秀忠の母は、武田軍の三河侵攻のときに戦死した西郷正勝の未亡人で、家康に見初められて側室になった人です。そのため彼女は、西郷の局と呼ばれていましたが、浜松城内にあった下屋敷内で秀忠を出産しました。昨年暮れ、妻とその誕生井戸を訪れました。

秀忠の誕生井戸


その井戸のそばの説明書きには、「誕生井戸は、ここの西方約50メートルくらいの処にあった。昔、その一帯は旧城下であり家康の在城当時には下屋敷が構えられていた。2代将軍徳川秀忠の生母は、家康の側室西郷の局で秀忠の出産は同下屋敷で行われた。その時に使われた産湯の井戸を誕生井戸という。その井戸は明治のころまで残っていたそうである。また、ここの北方の誕生橋は秀忠の生まれた下屋敷が誕生屋敷と呼ばれたことにちなんでの命名である。」
産湯として使った井戸が史跡として残されているのも、水と深いかかわりのあった日本の文化の一つかもしれません。

風の祭

現在、台風が日本を襲っています。各地での被害が少ないことを願うばかりです。今年は、東北大災害があったので、自然の脅威を思い知らされていますが、台風は怖いですね。先日のNHK歴史秘話ヒストリアでは、「地震の神様 命を守る闘い?関東大震災を”予知”した男 今村明恒の苦闘?」という内容を放映していました。関東大震災の18年前、今村は過去の地震の統計調査から、来るべき大地震を警告、都市の防災を訴えます。しかし新聞がこれをセンセーショナルに報じ、パニックが発生。結局、他の学者が火消しに奔走し、今村は「ほら吹き」と呼ばれました。そして、対策が進まないまま、大正12年9月1日、今村の警告は現実のものとなり、関東大震災が発生し、大きな被害をもたらしてしまいます。そして、その被害は彼の予測通りのものだったのです。
地震の予知についての研究がその後進みますが、たびたび日本を襲う台風についての予測も研究されてきました、現在では気象学が発達し、観測技術も高度に発展していることから台風の接近の時期はかなり正確に予測できるようになり、台風による被害も昔に比べれば遙かに少なくなってきています。しかし、人工衛星や高層の雲のレーダー映像などを活用できなかった昔は秋に訪れる台風は恐ろしい存在でした。
 しかし、台風の脅威は、農耕民族である日本人にとっては特に深刻なものでした。それは、最重要な農作物である米の生産においてもその収穫時期に当たるため、台風が稲の刈り取りの前に来るか後に来るかで、その年1年の努力が水の泡になるのかどうかにかかっているのです。そのほかの穀物や果実も収穫の時期と重なり、かつて青森のリンゴに大きな被害をもたらしました。また、台風は、海が荒れるために漁をする人たちにとっても大きな影響を与えます。
そのように昔から日本人にとって台風の到来やその進路は非常に生活に密着していたのです。そこで、暦に「嵐の来る日」として「二百十日」が載るようになりました。二百十日とは立春の日から数えて210日目の日だということから名付けられたものです。二百十日を最初に掲載した官暦は1684年の貞享暦だそうですが、この貞享暦の編纂を行った渋川春海が釣り好きで、たびたび出かけた品川の漁師から教えられたのがきっかけだと言われています。しかし、それ以前から、民間の暦ではすでに記載されていたとそうです、その時期に台風には気をつけよということは人々の間では言い伝えられていたようです。同様に、立春から数えて220日目)も、台風の多い頃として警戒が必要な時季とされています。今年は、9月1日が二百十日、11日が二百二十日にあたりますので、今回の台風は、まさにその時期ですね。
こんな自然災害に対して、二百十日前後に人々は、農作物を風害から守るため、神に祈る祭りである「風祭り」を行います。その一つが、今年、講演先の皆さんの心遣いで越中八尾の「おわら風の盆」を見ることができました。
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風神を踊りにあわせて送り出してしまう祭りといわれ、300年以上の歴史があるそうです。この祭りは有名で、一度見てみたいと思っていましたが、「風の盆」の風というのは台風の事とは知りませんでした。女性は、それぞれの町によって違う彩りの涼しげな揃いの浴衣に、編笠を、その下からあごがかろうじて覗けるくらいに深くかぶり、実に幻想的であり優美です。それに対する男踊りは、手の動きの切れが鋭く、足を挙げるしぐさが多く、とから強さを感じます。また、その音色は、三味線、太鼓という演奏に、胡弓の音色がしみじみとした、潤いを感じさせます。
遠く傾斜地に建つ家並みに沿って並ぶぼんぼりに淡い灯が、長く伝えられた自然への庵を感じました。yatuomatinami.jpg
本来、その町並みを流して踊るのですが、あいにく小雨で、胡弓や三味線は雨には弱いため、舞台での各町内の踊りを見ました。
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小さな子どもたちまで踊る姿から、地域に伝承される自然への畏敬の念を感じることができる祭りでした。