ドイツ報告2012-14

 ドイツの小学校の授業参観してみて、その内容は教師論なのか、目指すところの違いなのかはよく分かりません。日本では、よく教師の質とか、教師の研修をするとか、授業研究をします。もちろん、ドイツでも年間の研修が、非常に厚い本に掲載されていて、その中から自分で受けたい研修を選びます。ただ、少し日本と違うのは、これは幼児教育における研修ですが、厚い本から「自分の行きたい研修に、年間5日は有給で受けることができるのです。」との説明に、研究権がきちんとあるのだということと、逆に、他は自分で休暇を取って研修に行くのだということなのです。また、「研修に行っている間の職員の補充はどうしていますか?」との問いに、同僚は、「ぜひ行ってきてください」と非常に強力的で、特に代わりの補充はないそうです。

 このような事情があるにしても、今回じっくりと二クラスの授業を参観して感じたのは、教師の質の高さはもちろん、きちんとした理念、子どもたちにどのような力をつけることが大切なのかという合意がされているということです。それは、幼児教育から一貫していますし、きちんと連続しています。それが、私たちに日本との違いを感じるところでしょう。また、逆から見ると、このような小学校教育があるから、就学前教育、乳幼児教育があるのだということです。その中心となるものが、どうも「陶冶」なのでしょう。しかし、4年生までの小学校を終えると、知識の伝達が中心の授業になるようです。それは、ギムナジウムではラテン語などが入り、レアールシューレでは、職人になるための知識を学んでいきます。そのことが脳の臨界である7、8歳ころまでが幼児教育とし、それ以降は初等教育という授業内容なのです。

ドイツの小学校の校庭の一部


 幼児教育ということで、子どもが自ら体験したり、手で触ったり、見たりと五感を使った授業が展開されるのです。また、何時間もじっと座らせずに、いろいろと動き回ったり、作業をしたりと組み合わせていきます。「小学校の入学するまでに、きちんと座れるよぅにしてください!」とか、「集中して授業を聞けるようにしてください!」という日本で就学にあたっての注文はないのです。また、文字にしても、小学校に入学してから1年生では、直線構成の文字、2年生で曲線構成の文字をやった書かせるだけで、まだまだ手の随意筋の発達が未成熟である段階では、無理をしないのです。しかも、1年生といっても、全員6歳であるという日本と違って、1年生の授業を受けることのできる年齢になってから入学させるわけですから、いわゆる小1プロブレムのようなことは起きません。

教室内の天井装飾


 このことは、教室のレイアウトにも表れていますし、教室内の掲示物でも表れています。私が2時間目に参観したクラスには、そのクラスの担任が2年生のころの写真と、そのころ使っていたランドセルやノートが展示されていました。先生の子どものころの写真も見ると、先生だから偉いという権威を感じるよりも、自分たちと同じだったんだという親しみを感じます。また、ノートを見ると、昔は、1年生から曲線構成の文字を練習していたようです。次第に、教わる内容が遅くなっているのがわかります。
 以前のブログで紹介しましたが、年間240時間を、幼児施設の先生と小学校の先生が120時間ずつ分担して就学前教育を行っていることで、小学校の先生も、就学前の子どもたちを把握することができるのでしょう。

 小学生の下校とともに私たちも小学校を去るときに、道路で日本でいう緑のおばさん(ドイツでは若い女性なのでもしかしただ保護者かも)が、交通整理をしていました。

ドイツ報告2012-13

 私は、講演するときにはあまり原稿は書かないようにしています。それは、聞き手の顔や反応を見て内容を決めていくからです。乗っていないときには、少し内容を変えますし、興味を持ったところはもう少し具体例を入れたりします。しかし、講演の導入のところだけは考えます。それは、その話題で聞き手を引き付けないといけないこともありますし、また、最近の身近な話題から内容に結び付けて興味を引くようにするとかいろいろな工夫をします。それは、講演のときだけでなく、学校の授業のときには導入の仕方はとても重要です。特に小さい子どもに対しては、導入の仕方によって、騒いでしまうことがあります。しかし、子どもの場合の難しいのは、あまり面白い話題や、興味のある話題を出すと、しばらくはテンションが上がりすぎて、なかなか収拾がつかなくなることがあるからです。

 ドイツの小学校見学で、2時間目の授業を参観したクラスでは、先生が導入方法を工夫していました。まず、授業が始まると、歓迎の意味を込めてでしょうが、カセットコーダーのスィッチを入れて、子どもたちがそれに合わせて校歌を歌って聞かせてくれました。しかし、面白かったといと失礼ですが、その校歌は、日本のと違ってとてもテンポが速く、ロック調で、担任の先生は、前でその歌に合わせて踊りだしたのです。腰を振り振り、手を上げたり、ターンをしたり、リズムに乗っています。少し子どもたちはさめているようでしたが、それでも、きちんと歌ってくれました。

 歌い終わって、少しテンションを上げ過ぎたと思ったのか、先生は、子どもたちに「机に顔を伏せて目をつぶって!」と指示しました。クラスは、しーんと静まりかえりました。すると先生は、教室のカーテンを閉めて、教室を暗くして、そっと前の台に目鼻をくりぬいた大きなカボチャを出しました。そうです。それは、ハロウィンのかぼちゃです。そして、中のろうそくに火をつけました。眼鼻の穴から、ぼーっと明かりが漏れてきます。そして、先生は、子どもたちに顔を上げるように指示します。子どもたちは、小さな声で感嘆の声を上げます。

 すると、先生は、窓際に寄りかかりながら、かぼちゃについて書かれた詩を読み始めました。静かな中に、先生の声だけが響きます。読み終わると、教室の電気をつけ、カーテンを開けて部屋を明るくします。そして、かぼちゃの表面をやさしく手でなぞります。そして、今度はバナナを出してきて、やはり表面をなぞります。この時に何を言いながらなぞっていたのかはわかりませんでしたが、今度は、かぼちゃをなぞりながら、黒板に黄色いチョークで太い線を書きました。次に、その隣にオレンジ色のチョークで太い線を並べて書きました。これは、どうも、かぼちゃの表面を表わしているようです。そして、子どもたちに、このような太い線を書くには、どの筆がいいかと聞いて、子どもたちが個々に持っている様々な筆の中から一番太い筆をとりださせました。

 この日の授業は、かぼちゃを描かせる内容だったのです。ハロウィンのかぼちゃ、かぼちゃの詩の朗読、手触りや感触は、絵を描かせるときの導入だったのです。このような丁寧な導入の後の子どもたちの絵は、とても上手でした。また、その授業は、絵を描かせるというよりも、かぼちゃの観察という感じでした。その観察を絵で表現したのです。
 このような導入は、日本でも行うことがありますが、この担任は、校歌に合わせて自ら踊るようなキャラらしく、とちゅで、鳥のぬいぐるみを使ったり、声色を使ったりと、子どもを引き付けるようにいろいろと工夫していました。

ドイツ報告2012-12

 ドイツでの小学生の筆箱はとても特徴があります。まず、シャープペンがないことです。日本でも、禁止している学校があるかもしれませんが、ドイツでは、細い字を書くというよりも太い線を書くためということがあるようです。それは、他のペンを見るとわかります。日本でも、子どもの筆箱には様々なペンが入っています。しかし、日本の場合は、いろいろな色のマーカーとか、蛍光ペンが並んでいることが多いのですが、ドイツでは、色鉛筆が入っています。それは、文字などでも、色鉛筆を使って書くことが多いからです。2年生では、太い鉛筆で、曲線で構成されている文字を書く練習をします。1年生では、直線で構成されている文字を練習するそうです。日本でも、明治時代では、まず、子どもたちは直線で構成されているカタカナを先に教わり、曲線で構成されているひらがなは後で教わりました。それは、随意筋の発達から見ると自然なことかもしれません。1年生の子どもにとって「あ」というくねくねとした字を書くのは大変だろうと思ってしまいます。
 いよいよ算数の課題が始まります。プリントと突起物が並んでいる教具と輪ゴムを配ります。課題は、プリントに書かれてある図形を輪ゴムで作るというものです。ここまでは日本でもありそうですが、その意図を知ると、びっくりします。見本のプリントの図形の下に絵文字が書かれてあります。笑い顔と普通の顔と泣き顔です。子どもたちは、課題に取り組むとき、その課題は難しかったか、普通であったか、簡単であったかという評価として顔のところにチェックをつけます。一人一人をよく見ていると、割と的確につけています。きちんと難しいと思う課題には泣き顔にチェックをつけています。きちんと自分を評価するのです。
 もうひとつ、この課題の中に、見本に何も書かれていないものがあります。それは、自分で好きな図形を書いて、その図形と同じ図形を輪ゴムで作るのです。自分で作りやすいように、簡単な図形を書く子が多いのですが、別にそれでもいいのです。その課題には、多くの子どもは笑い顔をつけていました。当然でしょうね。

 時間が終わるころになると、先生は、また前の方に子どもを集めて円形に座ります。そして、子どもたちに、「どの問題が一番やさしかった?」と聞いたら、多くの子は、自分で図形を作った問題と答えていました。そして、「どの問題が一番難しかった?」と聞いて、この授業は終わりました。ということは、どの問題の答えがあっているとか、間違っているとか答え合わせはせずに、どのように自分で取り組み、どれが簡単で、どれが難しかったかを考えることをさせる授業だったのです。算数は、答とか結果が大切なのではなく、考える過程が大切であり、その課題の難易を自分で判断する力をつけることが目的なのです。そして、それを人に伝える力をつけていきます。

 答え合わせをしない問題は初めて体験しました。考えることを大切にしているのですね。以前、日本で算数の授業参観をしたことがあるのですが、自分ながらに工夫をした解き方をした児童の答えを×にした先生がいました。その先生いわく、教科書と違う解き方をしたということは、「塾で習ったんだろう」ということで罰にしたそうです。また、算数のノートをきれいに書かせて、作品展に展示した先生もいました。

 この授業の最後に、丸く座った児童に学校はどうかと聞いてみると、ほとんどの児童は、「算数が大好き」「勉強は面白い」と言い、将来何になりたいかという問いにも、だれも臆せず答えたことと、日本ではほとんど「サッカー選手!」というように同じことを言う児童が多いのに対して、それぞれがきちんと自分のなりたいものを答えてくれました。

ドイツ報告2012-11

 ドイツの小学校の2年生に授業を参観したのですが、教室は昨年見た小学校同様、前の方は日本の教室のように、子どもの机といすが前を向いています。そして、後ろの方には、棚とソファがあり、棚にボードゲームが並べてあります。また、棚の反対側にはパソコンが置いてあり、子どもたちが使えるようになっています。ここで、日本との違いは、日本ではパソコン教室という部屋にパソコンがクラスの子どもの人数分並べてあり、ある時間にその部屋でパソコンの操作を教えます。ドイツでは、各教室の後ろにパソコンが置いてあり、子どもたちはパソコンで何かを調べます。これは、パソコンの操作が目的か、パソコンの操作は手段であるかの違いでしょう。また、教室内には、日本の教室には見られないいろいろなものが置いてあります。総合的学習で使った木の実や葉などの資料が並べられています。日本の教室は、あまりに子どもの人数に比べて狭いですね。保育室もそうですが、教室は子ども一人当たりの面積が決められているのでしょうか。保育室の例ですと、もし決められていてもそれはあくまでも最低基準の話で、それ以上の面積のところがほとんどです。日本の最低基準は、最低の基準でなく、標準基準とか、作るときの基準であることが多いような気がします。

 教室の壁に張り出されたものも、いろいろと工夫されていることと、2年生という年齢の発達を踏まえ、文字だけでなく、絵とか、ものとかを使って色々なことを表現しています。例えば、このクラスの子どもたちの国籍が国旗であらわさえています。なんと、11か国の子どもたちが在籍しているようです。「本を家で読んでくる」という課題があるときに、何冊読んだかということを日本では棒グラフで表すことが多いのですが、このクラスでは、モールに色とりどりのチップをさしていくというものでした。当番表は、当番の仕事の絵のところに名前を書いた洗濯ばさみを挟んで示すというものです。当番の種類は、掃除係とかノートを配る係などは日本と一緒ですが、ほかに、先生のメッセンジャーとか、服をチェックする係とか、消火係とか、プロジェクター係があります。

 プロジェクター係があるように、授業にはかなりプロジェクターを使うようです。私が参観した算数の授業では、このように進んでいきます。まず、授業の前にあいさつをします。全員が立ってあいさつするのですが、子どもたちはくるっと後ろを向いてあいさつしたので私たちにしたのであって、授業の前にあいさつをするのかは定かではありませんが、先生は、大声を出して支持せず。手で立つ合図、後ろを向く合図をして、全員の子どもたちは、きちんとその指示に静かに従っていました。そのあと着席すると、プロジェクター係が前の方に出して、先生はそれを使ってこの時間で行う授業の内容を説明します。まず、その時間の全体像を子どもに示し、どんなことをするのかを子どもに把握させることから始まります。それをすることで、いちいち途中で先生は子どもたちに大声で指示することなく、子どもたちは淡々と授業を進めていきます。

 その日の授業は、形づくりです。いろいろな形を見本を見ながら作っていくという内容です。その説明が終わると、子どもたちは前の方に出ていき、黒板の前の床に丸くなって座ります。前には、丸いじゅうたんが敷かれてあります。そこで、細かい手順を説明します。このように、まず授業の全体像を示し、そのあと細かい説明をしていくこと、また、それらをただ黙って机の前に座っているだけでなく、前に出てきたり、床に座ったりと、姿勢や場所を変えて変化をつけます。そのときに、日本ではいちいち騒がしくなったり、だらだらと移動したりして、時間をつぶしてしまうことが多いのですが、この授業では、子どもたちは一言もしゃべらず、すばやく移動して、先生の話を聞いていました。

それは、決して怒られるわけでもなく、せかされることなく、自主的に動いている感じでした。幼児期から、怒られて動くのではなく、自分の意思で行動することをしてきた積み重ねであることを感じました。

ドイツ報告2012-10

 今年のドイツ研修では、ドイツの小学校をじっくりと授業参観できたので、その様子を報告したいと思います。ドイツの小学校は、原則4年生までですが、この小学校は、1年4クラス、2年5クラス、3年5クラス、4年4クラスの総勢420名というかなりの大規模校でした。ひとクラス25名で、かなり恵まれています。学校に着くと、たぶん4年生でしょうが、校門からホールまでところどころに立っていて、手で進む道を指し示してくれました。まず、玄関ホールで歓迎の説明が校長からありました。ここの校長は女性で、校長代理は男性です。前の演台の横には、ミュンヘンと日本を糸で結んである世界地図が掲げられており、反対のわきには、日本語で歓迎の言葉が書かれてありました。

 あいさつが終わると、1から5までの番号札を持った子どもたちが立っていて、私たちは五つのグループに分かれ、それぞれのグループを、番号札を持った子がそれぞれ参観するクラスに連れて行ってくれました。私たちのグループは、2年生のクラスを2クラス参観しました。最初に行ったクラスの壁に、時間割が貼ってありました。それを見ると、月曜にから金曜日までで、8時に授業が始まり、1コマは45分で日本と同じでした。しかし、大きく違うのは、休み時間のとり方です。1時間目と2時間目の間には休み時間がなく、先生が区切りのいいところでトイレに行かせます。日本でもノーチャイムの試みが行われていますが、やはり、45分ずつで刻んでしまうと、せっかく子どもが授業に乗ってきたり、体験させようとした場合は無理があります。

 そして、中休みが20分あったのち、3,4時間目がやはり続きます。そして、金曜日は、ここ11時20分に下校です。そして月曜日と水曜日と木曜日は、そのあと5,6時間目があり、それが終わる13時5分に下校です。8時から13時ころまで何も食べずに授業を受けるのはお腹がすくでしょうね。今回、質問するのを忘れていましたが、小学校でも朝食を持ってきて食べていいのでしょうか?それにしても、20分と15分休みが二回あるだけですので、食べないのかもしれません。そして、火曜日は、11時20分に4時間目が合わり、一度家に帰って昼食を食べて再登校して、14時30分から午後の授業を受けます。それは、体育の授業です。
時間割にある教科は、あまり説明を聞いてもよくわからなかったのですが、どうもGRUと書かれているコマは、日本でいう総合的学習のようなものであり、基本的に算数とか国語とか生活科などを、担任が得意なところから総合的に学ばせる時間だそうです。ほかのクラスを参観した別のグループに聞いたのですが、ハリネズミの生態を学んだりしていたそうで、他にも博物館に行くなど内容は多彩なようです。どの教科をどのように進めるかは担任の先生に任されています。その他のSPOが体育の授業です。体育といっても、日本のように跳び箱とか鉄棒とかマット運動とかマラソンとか、競技の前段階のようなことは一切やらず、ひたすら「楽しんで体を動かす」ことが基本で、例えば鬼ごっこのようなものだそうです。
参観した印象ですが、よく、幼小連携ということが日本でも言われています。その必要性は誰でもわかっていることです。しかし、それは、幼小会議であったり、提出書類であったりすることが多いのですが、本当の連携とは、発達をきちんとつないでいくということです。発達はある日何かができるようになることではなく、必ずそれまでの積み重ねがあって、その過程での姿です。子ども同士は3歳から関わるのではなく、生まれた直後からそれに向かって発達していくのです。小学校に入学してから数を学ぶのではなく、生まれながら数と関わっていくことで、数えることができるようになるのです。教室という環境にしても、小学校に入学して突然1日中座って先生の話を聞くような場にするのには無理があるのです。
ドイツの小学校の授業を参観して、そのことが再確認できました。

ドイツ報告2012-9

ホールで校長からの挨拶

 数年前から、日本では保育園からも「保育要録」という子どもについての記録を小学校に提出することになりました。ただ、いくつか問題があります。まず、その作成にかなり時間と労力を費やすということです。それまで、同じ学校教育法に根拠を持つということで幼稚園からの提出はありました。しかし、その書類の作成にあたって園児が帰ってからの午後を当てることが多かったのですが、幼稚園でも預かり保育などで園児は夕方までいることも多くなりましたし、保育園では、基本的に職員の勤務時間よりも園児の在園時間の方が長いわけですから、その書類を作成する時間の確保が難しいという点です。二つ目の問題は、それだけ労力と時間をかけて作成しても、小学校側あではあまり活用されていないという現状です。かつて、教師は子どもへの刷り込みを持ちたくないという理由から、また、あまり利用価値がないということもあるでしょう。もう一つの問題は、その書類には、子どもの教育上の問題点を書くことが多いので、保護者から開示要求をされては困る内容があるからです。だからといって、差しさわりないことを書いても、教師は参考にならないでしょう。

 ドイツの今回の視察先に、二日目小学校を入れてもらいました。昨年、午後に小学校見学を入れてもらい、その教室のレイアウトから幼児施設からの連続性を踏まえた取り組みを感じることができ、とても面白かったのですが、ドイツでは小学校は半日制で、午後は子どもたちはもういませんでした。そこで、今回は午前中の見学で、授業参観もすることができました。

ドイツの小学校へは、日本と同じように6歳になると入学します。というよりも入学する権利があります。というのも、6歳になると、わが子を小学校に何歳で入学させるか保護者が決めます。今回の見学で、私は2年生のクラス二クラス授業参観したのですが、そのクラスの子どもたちがやけに大きい子が何人もいるので、2年生ではないかと聞いてみたのですが、2年生だと言います。ドイツには、飛び級といって、子どもの成績によって学年を飛び越えてしまったり、ステイといって、日本の落第のように学力が達していないと、その学年に翌年もとどもったりすることがあるので、いくら2年生といっても、様々な年齢の子がいるのだと思いました。しかし、すでに2年生の時点でこんなに落第がいるのか、また、何を基準にして落第させるのか聞いてみたところ、この時点では、全員が、親の希望で入学を遅らせた子だそうです。また、数人は、やはり親の希望でもう1年繰り替えさせた子も数人いるそうで、学校側から一切落第はさせていないそうです。

また、ドイツでは子どもが4年生の時に、学力テストをしてその先の進路を決めます。ミュンヘンでは、いわゆる大学まで進むギムナジウム(高等学校)には87%、レアールシューレ(実家学校)には約1割、ミッテルシューレ(中等学校)にはクラスで1?2名進学するそうです。4年生の時点で進路を決めるのはいかにも早いようですが、保護者の意向や、落第などで、基本的には4年生の時点では、ほとんどその学力はついていることになるからです。ですから、ギムナジウムに入学した時にストレートにここまで上がってきて、その年齢に相当していた子はクラスで5人しかいなかったという話を聞きました。そのように、保護者は、わが子をきちんと評価するようです。

 ですから、ドイツでも保育要録のような子どもの様子を小学校に提出する書類があるそうですが、保護者と話し合って、合意したものを提出するそうです。

人間力

ネットの普及は、漢字を忘れたりという書く能力の低下だけでなく、話す力、聞く力の低下も招いているようです。当然、これらの力の低下は、コミュニケーション力の低下を招くことになります。2011年度における「国語に関する世論調査」の結果でのそのような傾向が表れています。「人とのコミュニケーションについて」という調査も行っています。しかし、その結果を見ると、その原因として、ネット社会化だけでなく、少子化も影響している気がします。それは、国語力だけでなく、他人との関係を持つことが少なく、関係性の構築が苦手であったり、相手に対する共感力の低下にもつながる気がします。

まず、初めて会った人と話をすることについて、「得意である」人の割合が42.9%であるのに対して、「苦手である」人の割合が55.5%と、10ポイント以上も上回っています。これは、ただ人見知りが増えたということのような気がしますが、実は、「得意である」と答えた人に、初めての人と話をするときに重視している点をたずねると、「相手の話をよく聞く 71.8%」「相手の目や表情を見て話す 60.8%」「相手に不快感を与えないようにする 60.5%」「気持ちが伝わるように話す 55.7%」等が上位を占めています。反対に、「苦手である」人に、初めての人と話をするときに何が難しいと感じるかをたずねると、「相手に不快感を与えないようにする 43.9%」「気持ちが伝わるように話す 36.4%」「相手の目や表情を見て話す 26.7%」「相手に気持ちよく話してもらうようにする 23.2%」等となっています。

この理由を見ると、やはり、話す力、聞く力が衰えている気がします。それは、言葉だけでなく、相手の表情、気持ちの伝達など非言語コミュニケーション力の低下も見られます。ということは、どうも、ただ国語の授業を増やすとか、国語の授業を増やすという学力の向上だけでは解決しないと思います。

先日の10月6日の朝日新聞に「いま子どもたちは」という連載コラムに、海陽中等教育学校の中島校長の談話が掲載されていました。彼は、東大工学部長などを経て3年前に校長になった人です。この学校の建学の精神は、「次の時代の有為な人材、広い意味のリーダーを育てること」として、それには、基礎学力はもちろんですが、「人間としてのたくましさ、他者との折り合いをつけるなど、人間力をバランスよくつけなければならない」が大切だと言います。その力をつけるために産業界が作ったのがこの学校です。だからといって、難関大学への合格とか、大企業の幹部育成を目指しているわけではなく、世界の様々な分野のリーダーを育てたいのだと言います。

そして、基礎学力をつけるのであれば、優れた教員がいれば身に着くのですが、人間力は、教室の授業だけでは十分でないと言います。ということで、この学校は、全寮制をとっているのだそうです。現在、子どもたちは核家族化などで共同生活を苦手とする子どもが多くなったと言います。特に中学受験をするために小学生から塾に通い、学校と熟と家庭の三つの場しか知らない子どもが増えてきていますが、社会のリーダーになるには、仲間との協同が欠かせないと言います。このような考え方からの教育は、着実に実績を生み、リーダーを生み始めているようです。

ただ黙って先生の話を聞く、子ども同士の世界を犠牲にして塾に通う、机に向かって色々なことを覚えることは、学校時代の学力は向上するかもしれませんが、社会に出てからの人間力は、子ども同士の触れ合い、協同から学んでいくもののようです。

生活科の改訂

 幼児期から、スムーズな小学校への移行に対して様々な工夫がされています。幼保の子どもたちが、お互いに実際に触れたり、行き来したり、連絡を取り合ったりなどしています。その試みの中で、きちんとして教科として位置付けられたのが「生活科」なのです。特に、「幼児教育から小学校への円滑な接続を図る観点から、入学当初をはじめとして、生活科が中心的な役割を担いつつ、他教科等の内容を合わせて生活科を核とした単元を構成したり、他教科等においても、生活科と関連する内容を取り扱ったりする合科的・関連的な指導の一層の充実を図る。また、児童が自らの成長を実感できるよう低学年の児童が幼児と一緒に学習活動を行うことなどに配慮するとともに、教師の相互交流を通じて、指導内容や指導方法について理解を深めることも重要である。」とあります。

 この文言で、多くの小学校で誤解をしている部分で私が注目したいのは、「低学年の児童が幼児と一緒に学習活動を行う」という部分です。一緒に学習活動する場合、早く小学校の学習に慣れさせるために幼児を低学年の児童と一緒に学習活動させるのではなく、児童が幼児と一緒に活動することで自らの成長を実感できるようにするということです。これは、異年齢保育にも言えることで、ドイツでは、異年齢保育の長所として「小さい子のお手本となることで、自信をつけることができる」ということが挙げられています。それは、小学校の中でも「小学校における教科学習への円滑な接続のための指導を一層充実するとともに、幼児教育との連携を図り、異年齢での教育活動を一層推進する」と異年齢での教育活動を一層推進するように言っています。異年齢での活動は、最近起きている「いじめ」も防ぐ手立てとして注目されています。

 今回の生活科の改訂の中で、重要視されている項目に「コミュニケーション能力」があります。生活科における表現の価値について、思いや願いを自己表出することと、表現によって思考を深めることの両面があることを明確にし、「考える」ことを強調しています。そのために、「伝え合い交流する活動の充実」を提案しています。活動や体験をその場限りで終わらせるのではなく、一層の充実を図る観点から、言葉などを中心としたコミュニケーション活動を通して、体験したことを他者と情報交流することを目指した「生活や出来事の交流」を新たな内容として位置付けてます。言葉などを使った言語活動は、思考を促し、他者とのコミュニケーションを成立させ、情緒を安定させることにつながるとしています。その中でも、特に、言語活動によって他者と交流して認め合ったり、振り返りとらえ直したりすることが重要であるとしています。そのために、生活科における具体的な活動や体験の様子などを、身近な人々と伝え合う活動を行うことで、かかわることの楽しさが分かり、多くの人と進んで交流していこうとする子どもの姿を目指すようにしたのです。

 他には、「自然の不思議さや面白さを実感する指導の充実」が謳われています。それは、低学年の児童は自然事象に高い関心を示す傾向にあるからだとしています。そのために、まず、自然の不思議さや面白さを実感する学習活動を取り入れることとしています。そして、学年の目標に「自然のすばらしさに気付き」としたことに加え、内容として「自然や物を使った遊び」において、身近な自然や物を使って遊びや遊びに使う物を工夫してつくること、自然の不思議さに気付くことを明示し、科学的な見方・考え方の基礎が養われることを期待しています。

 まさに、幼児教育に連続した教育の感があります。しかし、どうして連続していかないのでしょうね。

気付きの質

小学1年生のクラスで子どもたちが混乱する状態である「小1プロブレム」という状況を改善しようと、今回の小学校学習指導要領では「スタートカリキュラム」を作成することを提案しています。さらに、小学校低学年では、幼児教育の成果を踏まえ、体験を重視しつつ、小学校生活に適応すること、基本的な生活習慣等を育成すること、教科等の学習活動に円滑な接続を図ること、などが課題として指摘されました。そもそも生活科を新設した時の趣旨の中には、幼児教育との連携が重要な要素として位置付けられているのです。しかし、どうも、多くの小学校では、就学前教育として、早く小学校の教育課程を理解し、その教え方を学び、子どもたちを速やかに小学校教育に移行することが必要であるというようなとらえ方をしているようです。

 先日、小学校で1年生の授業参観した後の意見交換会で、私はこう感想を言いました。「教科書を使って、先生からの言葉だけで授業をしているときは、クラスで2割くらいの子はまったく作業をせず、教科書も開いていませんでした。それが、途中から担任が、手拍子など子どもたちが自ら手を動かしたり、演技をしたりするような授業をしたところ、一人、二人と参加し始め、最後には全員の子どもたちが参加していました。やはり、1年生ではまだまだ幼児性が残っているのだという感想を持ちました。」それは、まだ小学校1年生では、実際の活動、実体験などから学ぶことが必要であると言いたかったのですが、それを受けて校長先生は、「だから、幼児期からキチンと小学校の課程を学んでもらって、早く幼児性から脱して小学校に送り出してほしい!」というようなことを言ったのです。そして、「それがスタートカリキュラムです。」と付け加えました。

 今回の改訂における生活科に「気付きの質を高め、活動や体験を一層充実するための学習活動を重視する。また、科学的な見方・考え方の基礎を養う観点から、自然の不思議さや面白さを実感する学習活動を取り入れる」としています。この「気付きの質を高める」ということはどういうことなのでしょうか。文科省では、「見付ける、比べる、たとえるなどの多様な学習活動を工夫すること」が例示されています。そして、児童の主体的な活動によって生まれるものである」としています。また、気付きは次の自発的な活動を誘発するものとなるとしています。

 そして、この「気付きの質」は、先生からの話を、黙って、キチンとイスに座って、静かに聞くことで高まるのではなく、「活動や体験を繰り返したり他者とともに活動したりすることで、自分と対象とのかかわりが深まり、気付きが質的に高まっていくようにするとともに、気付きの質を高めて、次の活動や体験の一層の充実につなげていくことを目指している。」と書かれてあります。さらに、また、気付きの質を高めることが、科学的な見方や考え方の基礎を養うことにつながることから、例えば、児童が自然に対して関心をもち、積極的にかかわろうとすることを目指して、自然の不思議さや面白さを実感する学習活動を取り入れることが要請されています。

 ここでも、たとえば、科学的な見方や考え方の基礎を養いために、「自ら環境に働きかけ、その環境をの相互作用により発達していく」とする保育所保育指針とまったく共通する事が書かれてあります。そして、大切なことは、「不思議さや面白さを実感する学習活動」が大切であるとしています。

 ここにつなげる幼児教育における学校教育であれば抵抗はないのですが、現場で行われている小学校教育のための就学前教育である学校教育であれば、少し心配になります。

具体的な活動や体験

 そもそも、小学校1,2学年では、社会と理科という教科がなくなり、生活科が創設された時の意図は、「児童の発達上の特徴や社会の変化に主体的に対応できる能力の育成等の観点から生活科の設置」と書かれてあるように、子どもたちの発達を踏まえ、小学校低学年においてどのようなことが必要かということから創設されています。そして、昨年から実施されている新しい学習指導要領が改訂される時、生活科の課題については、次のように指摘されています。

 「学習活動が体験だけで終わっていることや、活動や体験を通して得られた気付きを質的に高める指導が十分に行われていないこと」「表現の出来映えのみを目指す学習活動が行われる傾向があり、表現によって活動や体験を振り返り考えるといった、思考と表現の一体化という低学年の特質を生かした指導が行われていないこと」「児童の知的好奇心を高め、科学的な見方・考え方の基礎を養うための指導の充実を図る必要があること」「児童の生活の安全・安心に対する懸念が広まる中、安全教育を充実することや、自然事象に接する機会が乏しくなってきている状況を踏まえ、生命の尊さや自然事象について体験的に学習することを重視すること」「小1プロブレムなど、学校生活への適応を図ることが難しい児童の実態があることを受け、幼児教育と小学校教育との具体的な連携を図ること」

 ここで表わされている生活科の課題は、必ずしも生活科という教科内のことだけではありません。生活科は、教科の性格上、国語・音楽・図工など他教科等との関連が深く、今回の改訂においても、ますますその必要性が強調されています。同時に他教科(国語・音楽・図工)の指導要領においても、「指導計画の作成と内容の取扱い」のなかで、「低学年における

 生活科との積極的な関連」が明示され、生活科の学習指導に当たっては、低学年教育全体を視野に入れて、他教科等との関連を図りながら進めていくことがますます求められているのです。「特に、第1学年入学当初においては、生活科を中心とした合科的な指導を行うなどの工夫をすること。」ということが付け加えられました。そして、この文言を基に『解説』「第4章指導計画作成上の配慮事項」の(3)に、「スタートカリキュラムの編成」が新入児童の小学校生活への適応を促し、小1プロブレムなどの問題解決に効果的であるという見解が示されました。

 ここまで見てみると、小学校1,2年生は、各教科とも「低学年児童の発達の特性として、具体的な活動や体験を通して思考する特徴があり、直接体験を重視した学習活動を行うことで、意欲的な学習や生活をすることが引き続き期待されていること」「身の回りの事象を一体的にとらえ、生活者の視点から対象を全体的にとらえ、考えることが求められていること」「生活上必要な習慣や技能の育成が一層重視されており、その獲得は児童が意欲的に人や社会、自然にかかわる学習活動の過程において、必要に応じて行われることが重要となってきていること、を踏まえて現行を維持する」というような授業を、小学校ではしているのでしょうか?

 このように身近な人々や対象と直接的にかかわる学習活動を通して、児童が学習や生活において自立することを目指すとともに、豊かな生活を営む生活者としての資質や能力及び態度を育成することが重視される小学校教育につなげる幼児教育を、もし子ども園になり、学校教育に組みいられるとしたら、きちんと考え、実践していかなければならないはずです。