集団

女性が男性に近づく機会をめぐって相互に張り合う方法に違いがあることは、男性と女性が用いる攻撃行動の種類に影響を及ほしているようです。まず、男性が女性より言語的、身体的な攻撃行動を起こすことはよく知られています。さらに、女子が男子より関係的、あるいは間接的攻撃行動や、仲間関係につながる攻撃行動を用いることもわかっており、たとえば、社会的集団からひとりの女子を排斥したり、その子の評判を落としたりします。ただし、このことに関して注目すべき点は、女子が関係的攻撃行動を起こしても、それは男子が他の形式の攻撃行動を起こすよりもなお低い水準であるということであると言います。

攻撃行動のすべてのタイプに男女差があるのは、社会化や、ホルモン、進化の歴史に関連する違いが複雑に絡み合っているためだと言います。たとえば、男性は歴史的に見て狩人であるため、より強く、大きい身体を発達させてきました。狩りに用いる身体的行動パターンは、たとえば女性に近づく機会を得ることというような目標を達成するために、同種個体と対抗する際にも用いることができます。進化の歴史におけるこれらの違いは、関連する生物学的な、ホルモン、覚醒、自己制御などの歴史や、社会化の歴史にも反映されているそうです。

どうすればこの議論を、女性が優位性を確立し、維持する方法に関する、子どもの発達研究に活かせるだろうかという問いかけをビョークランドはしています。女性が対人的協力関係を用いて資源を入手する機会を得、それを維持することが原点となると言います。この観点からいうと、女性が用いる関係的攻撃行動についてさらに追求することが重要であると言います。女子が男子よりも関係的攻撃行動を用いることはわかっていますが、男子、女子双方について生涯を通じて、どの程度関係的攻撃行動を起こすのかを知ることが役に立つだろうと言うのです。

さらに、同性間、異性間の攻撃行動の目標を知ることも有用だろうと言います。つまり、関係的攻撃行動は、社会的関係を操作するために用いられますが、そういった関係が何の手段となっているのかは明確にはわかっていないそうです。就学前の女児は就学前の男児と同じように、お気に入りのものを手に入れるために関係的攻撃行動を起こすのでしょうか?青年期には他の女子に対抗して、配偶者になる可能性のある者に近くために、関係的攻撃行動を起こすのでしょうか?

ビョークランドは、ヒトの乳児が進化によって種に特異的な環境を「予期する」ように準備されているということを一つのテーマとして考察しています。ヒトに特異的な環境で最も重要なのは、他者、特に、母親や父親、他の血縁者、そしてさらに血縁関係のない、あるいは、あまり直接的な血縁関係のない少数の人々です。そういった血縁関係のない人の一部が仲間となり、ヒトはその伸間とともに成長していきます。それ以上に、ヒトの社会的環境は多様性に富んでおり、子どもはこれらの一見、予測不可能な環境に対応する効果的な方法を発達させなければならないのです。ビョークランドらは同種個体に対処するために有用な社会認知的プロセスの一部について議論してきました。それを彼は、進化発達心理学という本の中で、「ヒトの本性の起源」としてそれらのプロセスが行動に移される方法を見て、さまざまな形式の「実際の」社会的行動や、それが子ども時代に変化する様子を検討してきました。

優位性が目指す目標

攻撃行動や優位性に見られる発達的傾向は、優位性の論理と一致しています。つまり、優劣関係は個体同士が資源をめぐって競争し合うときに確立されるからです。一連の対決にもとづき、個体は他の個体との関連で自分の地位を知り、その結果、他の優位な個体には争っても負ける可能性が高いことを認識し挑戦しなくなります。つまり、そのような挑戦に関連するコストが、考えられる利益を上回るのです。見境のない攻撃行動を起こすことは、優位な個体の場合であっても、非常にコストが高いものです。負傷や敗北の可能性に関連するコストを考えて、代替戦略が用いられることが多いのです。ビョークランドらは、縦断研究から、優劣関係が敵対的な戦略によって確立された後には、優位性に関する親和的な側面が顕著になることを見出したそうです。つまり、優位性が確立された後、優位な個体は和解などの戦略を用いて、負けた仲間を集団に再統合するのです。

 

こういった種類の戦略は、従属者は優位者がもつ資源を手に入れる機会を得て、優位者は従属者らが手を組んで自分を倒してしまう可能性を最小限にするという点で従属者にも優位者にも利益をもたらします。こういうことは、以前いじめられた子どもが親和的ネットワークや、可能な協力関係を築くといった状況で起こりえます。つまり、青年期の優位性は幼い時期と同じように、向社会的戦略と攻撃的戦略双方を用いることができる能力と関連しているのです。優位性が目指す目標は、配偶者としての望ましさと関連していると言います。

 

こういったすべてを踏まえて問いたい疑問は、どのようにして従属者は資源を手に入れる機会を得るのかということです。代替戦略の観点からは、低地位のものがより高い地位の個体に脅しをかけたり、対抗したりするのは愚行です。そのかわりに、ヒト以外の霊長類において、低地位の個体は食べ物を盗んだり、望ましいメスとひそかに交尾したりするといった代替戦略を用います。メスはそういった戦略に興味を示す可能性がありますが、それは自分の子どもだと考えて、食料を与えたり保護したりすることによって投資してくれるオスが多くいうることは、そのメスと子どもにとって有益だからです。さらに、子孫への投資が低い乱交的な戦略は資源に乏しいニッチで用いられるだろうとビョークランドは考えています。

 

優位性に関する議論はこれまで、オスがオス集団における優位性やリーダーシップを手にするために用いる戦略に焦点をビョークランドらは当ててきました。オスの優位性は上述したように、通例は資源、特に配偶者を手に入れる機会という点から順位づけられます。ダーウインもまた、メスの配偶者選択は配偶行動に影響を与えると記しているそうです。メスがこの目的を達成する方法に関する私たちの知識は、ヒトの資料にも動物の資料にも非常に限りがあります。このことを研究してきた行動生物学者によると、霊長類のメスは同種個体と協力して望まない性的交渉から身を守り、魅力的なオスに近づくようにしていることが見出されているそうです。オスに近づくためにメスは協力したり偽装したりすることで、しばしば他のメスと張り合います。女性が男性とは異なる度合いで関係的攻撃行動を起こすこともわかっていますし、ギアリーは、女性は関係的攻撃行動によって、自分たちにとって非常に重要な対人ネットワークをかき乱すことを示唆しました。つまり、元来のダーウインの定式化と一致して、配偶者をめぐる競争が同性間、異性間であるのだそうです。

青年期の優位性

「ロバーズ・ケーヴ」実験で、サマーキャンプに参加した22人の面識のない5年生の男子が2つの集団に分けられ、彼らの中で集団凝集性が定着した時点で2つの集団が引き合わされ、一連の「友好的な」競争、たとえば、野球、綱引きが用意されました。少年たちは知りませんでしたが、キャンプカウンセラーがそれぞれの集団の勝敗が等しくなるように手はすを整えていました。競争に負けると集団内葛藤が生じて、お互いに身体的に攻撃しリーダーシップに変化が生じたりすることが多かったのです。しかし、競争が続くにつれて集団内葛藤は減退し、集団の団結が高まり、相手の集団に対する敵対心というかたちで現れることが多くなったそうです。集団はお互いに「お前らはワシなんかじゃなくて、ハトだ」というようにののしり合うようになり、相手のキャンプ場を襲撃したり、物を盗んだり、壊したりするようになったそうです。また、身体的な暴力、たとえば石を投げるなどは、カウンセラーが介入してやめさせなければならないほどだったそうです。

このように集団間の競争が起こると、短期間、不調和の状態になった後、集団内凝集性がより強くなり、他の集団に対するあからさまな敵対心が生まれたのです。シェリフの研究から見出されたことは、 J. R.ハリスの群淘汰理論で呈示された4つの「進化的適応」のうち、少なくとも3つを例証しています。つまり、(a)社会的親和と内集団びいき、(b)地位追求行動と社会的階層の確立、(c)集団間の対立です。

青年期の優位性は、子ども期のそれと同じように集団構造の重要な側面であると言われています。また、子ども期と同じように青年期の優位性は、少なくとも男子では向社会的、攻撃的戦略双方を含みます。個体が獲得のために争う資源は異性関係です。この時期は性的に成熟し、性的活動が開始されるという点で特徴的です。親和的要素、人気という指標と攻撃的要素、観察あるいは自己報告による攻撃性という指標は、独立に優位性を構成しており、それぞれ独自に、男子の異性的魅力における分散を予測するといわれています。それは、クラスの女子による仮想上のパーティに招待されるという指標のようなものです。

青年期初期の優位性は、いくつかの点で子ども期とは異なります。それらの違いはおそらく、身体の大きさが急激に変化することからわかりますが、思春期の移行や、小学校から中学校への移行に関連して起こる変化によって生じます。これらの変化がそれぞれ意味するのは、小学校で築き上げた関係の中では身体が最も大きかった状態から、新しくより大きな集団では最も身体が小さい状態へ移行するにあたって、仲間集団における地位を再交渉しなければならないということなのです。最近の縦断的研究によると、小学校から中学校へ移行していくときに男子の優位な地位が低下するそうです。その際、男子は新しい状況における優位な立場を確立する方法として、攻撃的な戦略を使用するようであり、小学校から中学校にかけて攻撃行動の頻度が上昇しました。しかし、中学校1年生の半ばまでには、攻撃行動は再度減少したそうです。

攻撃行動や優位性に見られるこのような発達的傾向は、優位性の論理と一致しています。つまり、優劣関係は個体同士が資源をめぐって競争し合うときに確立されます。一連の対決にもとづき、個体は他の個体との関連で自分の地位を知ります。

社会的構造

内集団びいきや外集団差別などの社会的カテゴリー化は、早くも子ども期から見られるそうです。すでに述べたように青年期以前に広く見られる社会的集団の違いはジェンダーであり、子どもは主に同性集団で遊びます。たとえば、ある研究において、 8 ~ 10歳の子どもに見知らぬ男子と女子のピデオを見せ、さまざまな側面、たとえば、男らしさ、女らしさ、好みについて評定させたそうです。すると、大人がもつ内集団びいきと同様に、子どもは同性の対象を異性の対象より肯定的に評定したそうです。

歩行期と同様、優位性の構造は、子ども期の社会的構造の重要な側面だと言われています。さまざまな向社会的、攻撃的戦略を、主に男子が用いて仲間集団のリーダーシップを確立し、維持していきます。集団形成の第一段階において、資源をめぐる仲間との競争で攻撃的な戦略を用いることは男子にはよく見られるようです。つまり、男子は選択的にかつ効果的に攻撃行動を起こし、資源を獲得する傾向があると言うのです。いったん優位性の階層が確立すると攻撃行動の割合は減り、リーダーは向社会的、協力的な戦略を用いることが多くなるそうです。興味深いのは、就学前児の攻撃行動の割合は、その子どもの人気と正の相関があることだそうです。優位な立場にある子どもは攻撃行動を効果的に、マキャベリ的に用いることができ、見境なく反動的に攻撃することはないようです。たとえば、友達や味方を助けるために攻撃行動を起こすこともあると言うのです

霊長類学者のフランツ・ドウ・ヴァールは、ヒト以外の霊長類の攻撃行動について論じているそうですが、ある生態系において攻撃的な状況が起こった後にそれに関与した者が和解すれば、攻撃行動は決別ではなく、親和的関係を導くことを示唆しています。優位個体と劣位個体の関係が重要で、劣位個体が自由にその場を離れることができる場合、和解することで社会的順位が強固になり、集団のメンバーは相互作用を続けることが可能になるそうです。おそらくこのように攻撃行動、和解、協力が交じり合って一体化することで、優位性の階層が形成され、維持されるのだろうとビョークランドは考えています。

子ども期の仲間集団構造の機能とダイナミクスは、社会心理学者ムザファー・シリフたちの古典的な研究が見事に例証しているそうです。「ロバーズ・ケーヴ」実験で、サマーキャンプに参加した22人の面識のない5年生の男子が2つの集団に分けられました。数週間にわたって、それぞれの集団は工作や隠れ家作り、組織的なゲームなどの楽しい活動に参加し、お互い他の集団の存在には気づいていませんでした。集団凝集性が高まりましたが、それはある部分、協力を必要とする活動を準備したためでもありました。たとえば、ある晩スタッフがタ食を作ることができず、少年たちは手分けして食事の準備をしなければなりませんでした。次第いにそれぞれの地位が明確になってきて、リーダーと認められる者もいれば、追従者となるものもいました。どちらの集団にもそれぞれガラガラヘビ、ワシという名前までつけられました。

集団凝集性が定着した時点で2つの集団が引き合わされ、一連の「友好的な」競争、たとえば、野球、綱引きが用意されました。

遊び集団

優位性は、幼い年齢でさえ「リーダーシップ」という点から概念化するのが最善で、敵対行動や親和行動という観点から具体的に定義づけることができると言います。優位な固体は集団のリーダーであり、協力的、攻撃的双方のさまざまな戦略を使用し、優位性を確立し、維持します。発達のさまざまな時期に、さまざまなニッチにいる個体が、さまざまな戦略を用いる可能性があります。乳児期や歩行期の子どもについては、部のヒト以外の霊長類と同じように、優位性を、注意構造つまり個体が他の個体に注意をよせる、あるいは見る程度から認識することができるそうです。この優位性の定義は、子どもを研究する発達学者にも用いられているそうです。しかし、優位性の尺度としての注意構造は資源を入手できる機会ではなく注意という観点から優位性を再定義しており、優位性における攻撃性と親和性という一見相反する役割を反映していないとして批判されてきたようです。注意構造の意味が何であれ、歩行期の集団の子どもの中には他の子どもより注目を集める者もいると言うのです。

私たちの現場でも、多くの子どもを見る機会が多いので、そのような観点で子どもを観察してみることも必要かもしれません。それは、そのような優位性を持った子が偉いというわけではなく、その特性を社会の中でどう生かしていくのか、また、人類はどのようにして社会を構成してきたかを考えるうえで参考になるかもしれません。

就学前期でも子どもは同性集団に属する傾向があるようですが、この傾向は学童期に高まります。同性の友達や遊び集団を好むことは西洋文化に限ったことではなく、世界的に見られるそうです。親や教師は同性の相互作用を早くから促すことはありますが、男子と女子では遊び方が異なります。男子は取っ組み合い遊びや、動くおもちやを使って相互作用をすることが多いのに対して、女子は劇遊びやテープルで行う活動をすることが多いようです。実際、男子は乱暴なために、女子は男子と関わるのを積極的に避けるという指摘もあります。また、就学前期から青年期に至るまで、女子は男子より小さい集団で遊ぶ傾向があるのに対して、男子の遊び集団は女子より大きく、荒っぽく、竸争的ですが、それは同盟を結ぶオス間竸争のあり方に沿っていると言われています。このような観察からマコビーは、遊びのスタイルに生物学的な違いがあることが一因となって、遊び集団が性別に分離しているのかもしれないと指摘しているそうです。

子ども期の同性集団の機能のひとつは、社会的スキルの発達と、社会的階層の確立であると思われています。子どもが性別に分かれた集団で適切な社会的スキルを身につけることは、主な友達が異性である子どもの実態から明らかだそうです。ある研究で、3,4年生の子どもの社会的スキルを異性の友達がいるかどうかを関数として評価したそうです。主要な結果として、主に異性の友達といる子どもは、同性の子どもとのみ、あるいは、主に同性と一緒にいる子どもより社会的にうまく適応していなかったそうですが、友達がいない子どもよりは適応が良いことが見出されたそうです。

この研究結果は、面白いですね。「男女仲良く一緒に遊びなさい!」という言葉は、3,4年生ではあまり意味がなく、このころには、同性集団の意味があるのですね。社会的スキルは、主として同性とのかかわりから得られるようです。

自己開示

友達同士で似ていることの重要性は、進化的に意味があるかもしれないと言います。類似した同種個体にひかれることは、血縁者がお互いに魅力を感じることに起源があるかもしれないと言うのです。先に述べたように、協力や互恵性は血縁者と相互作用するなかで発達したのです。それをわかりやすく言うと、協力的、互恵的相互作用は親しくなじみのある、血縁ではない者同士で行われますが、それは後にお互いにやりとりする可能性があるからだと言うのです。さらに、ありのままの自分自身のことを相手に話すという自己開示は、青年期の友達関係に顕著な特徴ですが、友達関係においても相互に行われ、そういった友達同士の互恵的な自己開示によって関係がさらに強化されていくのです。親しさや自己開示、互恵性が特色である友達関係は、若者が新しい社会に入って、新しい社会的関係をもつ時期となる青年期には特に重要だと言うのです。青年期には少ないのですが、強い友達関係をもつことから、そういった友達関係が、個人がこの時期の新しい領域でうまくやっていくのに役立つことが示唆されるようです。

では、集団に対する認識はどのように発達していくのでしょうか?また、ヒトの進化的に見た集団とはどのようなものなのでしょうか?いつごろから、どのように集団を認識し、意味を持つのでしょうか?思ったより早い時期から、集団と関係するようです。

生後1年の終わりまでにヒトの乳児は男性と女性、大人と子どもをカテゴリー的に区別できるようになり、他の乳児にはたとえ知らない相手であってもひきつけられるようです。早ければ2歳で同性の子どもを好むようになり、 女児には見られないそうですが、2歳の男児は異性の活動ではなく、同性の子どもの活動をまねするのを好むことがわかっています。これらすべてから示唆されるのは、乳児期や歩行期の子どもは潜在的に重要な、性別や年齢といった社会的カテゴリーによってヒトを分類することができ、仲間との関係を早くから好むということなのです。

まだことばを話さない歩行期の子どもでさえ、集団の社会的複雑性のレベルが優位性に現れるそうです。先に述べたように、優位性は個人の中に存在するのではなく、特有のニッチにおいて特定の社会的、生態学的制約が生じた結果、現れるのです。優位性は、階層という点から表されることが多く、個体は資源の入手について推移的に順位づけられています。この観点からすると、優位性は目的ではなく、資源を入手するという目的のための手段なのです。いったん優位性の階層が確立すると、それぞれが社会的順位における自分の位置を知り、優位な個体に挑戦するのは高コストで低利益であることを認識していくにつれて、攻撃性の割合が下がっていくと言うのです。

資源は配偶者、道具、食料などの多くの面から表すことができます。資源は、発達の時期によって定義づけが異なると言います。乳児期や歩行期、そしておそらく幼児期にも、おもちゃなどの道具を入手する機会は、仲間との相互作用において価値のある資源でしょう。

優位性はこのような幼い年齢でさえ「リーダーシップ」という点から概念化するのが最善であるし、先に議論したように、敵対行動や親和行動という観点から具体的に定義づけることができます。

友達同士

ネルソンとアボウドは、3,4年生の子どもを対象として、友達あるいは友達ではない顔見知りの相手と対人的な問題を議論した結果によって、社会的知識がどう変化したかを評価しました。その結果、友達同士は相手が友達ではない場合より、議論中、相互に批判し合いますが、自分の意見について詳細な理由を述べる傾向があったそうです。友達同士のペアは議論の結果として、社会的知識の点で最も変化があったそうです。友達同士で意見が合わなかった場合、ジレンマの最終的な解決法は、友達ではない者同士で意見が合わなかった場合より成熟したものだったそうです。言いかえると、友達同士の健全な社会的葛藤は、友達ではない者同士の葛藤よりも社会的知識を増大させたのだそうです。

質的には、友達同士の相互作用は、友達ではない者同士より複雑です。たとえば、友達同士の遊びはより複雑です。さらに、友達同士の協力的な相互作用は認知的により高度です。たとえば、友達同士が使用することばは、協同的問題解決に必要な認知的、言語的プロセスが反映されているそうです。こういったレベルの相互性や高度な知識は、おそらく、進化圧が互恵的利他的行動と協力行動に働いた結果生じたのだろうと考えられます。友達は、いじめの被害に遭いやすい思春期直前の子どもには特に重要です。いじめの対象となってしまうような身体的、性格的特性を多く持っている子どもでも、友達がいればいじめの犠牲になりにくく、いじめによる悪影響も小さいようです。

これらの研究は、重要ですね。しかし、最近の友達関係には疑問を持つことが多くあります。昨日のブログで紹介した友達の定義である「子どもの友達関係は、決定的に仲間関係です。子どもの友達関係は通常、“友達”としてお互いに指名し合った子ども同士」ということが、子ども自身が言う「友達」に当てはまるでしょうか?いじめを守るのが友達ですが、最近の事件を見ると、いじめをするのが友達という傾向が見られます。では、友達関係は、青年期になると、研究によると、どう変わっていくのでしょうか?

青年期でも友達関係は、特にその支え合いの本質がひき続き重要であると言います。しかし、青年期初期では友達関係は排他的な関係となり、その後、友達に対する嫉妬や独占欲は減退していきます。幼児期と比べて青年期で特に重要なのは、自己開示と親しさからも明らかなように「親密性」という友達関係の質です。家族から仲間へ志向が移るのに伴って、急速かつ急激な移行が起こるこの時期には、家族よりも友達から助言や支持を受けるようになります。このような親しい関係をもつことにより、友達は集団行動のモデルにも強化因子にもなります。

友達は通常、青年期において好ましい情報源ですが、その逆の場合の証拠も多くあるそうです。たとえば、攻撃的な青年期の少年が集まるとより逸脱した話をし、攻撃的ではない少年と一緒のときよりも一層そういったことで盛り上がります。それはおそらく、同じような価値観と評判をもつ若者が共に、同種的に付き合うことを選び、時間とともに似てくるということなのだろうと考えられます。

友達

継父の存在が思春期の加速化に関連する家族のストレスの一因になっているとする推察も興味深いとビョークランドは考えています。この解釈から示唆されるのは、家族の生態学的要因に対応して女子がたどる代替的な発達の道筋は、適応的な繁殖戦略、つまり、子育てより相手の獲得に投資することと直接関連するものではなく、もっと単純に血縁関係にない男性の存在に反応したものかもしれないということだと言うのです。娘が早く思春期に達するのは、ヒトより親の支えを必要としない哺乳類の繁殖適応度を一層高めるメカニズムへの先祖返り的な反応かもしれないと言います。ヒトのように血縁関係のない男性が父親となり、継子に何らかの投資をする場合、加速化した思春期によって、家族のストレスが高まり、娘は家庭外の経験を求めたり、仲間と性的関係をもったりする一因となります。

しかし、良好な父と娘相互作川があれば発達は遅くなるという結果から、実態はもっと複雑であり、おそらく、もともとのベルスキーらの主張の方が的確だろうと言います。女子が思春期の時期に関わる長期的な環境条件にどのように反応し、それに関連した精神性的行動を起こすのかといった複雑な相互作用をさらに検討するためには、さらに調査が必要だと言います。しかし、これらの効果が最終的にどんなものであるかに関係なく、女子は、女子ほどではないが男子も 、そういった要因に敏感であり、結果として別の発達の道筋をたどり、繁殖戦略に違いが生じることが今ある資料から明らかだそうです。

歩行期の子どもの仲間関係もこの時期に始まります。同種個体間の親密性は血縁関係に代わりえるものとして、持続する協力的相互作用の機会をもたらします。歩行期の子どもを対象にした研究では、知らない者と比較すると親しい者同士の間の社会的行動がより複雑で好意的であり、この点を支持しています。友達の定義を肯定的な感情を伴う相補的な相互作用を繰り返し行う人々とすると、歩行期の子どもにもたしかに「友達関係」が見られます。同様の基準がヒト以外の霊長類の友達関係についても見出されているそうです。

子どもの友達関係は、決定的に仲間関係です。子どもの友達関係は通常、「友達」としてお互いに指名し合った子ども同士と定義されます。友達は互いに、行動的にも態度的にも似ている傾向があります。たとえば、2人とも活発な子ども同士の方が、ひとりが活発でひとりがおとなしい子どもより友達同士である可能性が高いと言われています。ヒト以外の霊長類では、友達関係は緊密な親和的絆と定義されます。子どもの場合と同じようにヒト以外の霊長類でも、友達を友達ではないものとは異なった扱いをするそうです。たとえば、「友達」と他のチンパンジーのけんかの仲裁をしたり、チンパンジーの乳児が自分の母親の「友達」と選択的に付き合ったりする例があるそうです。

友達同士は友達ではない者と比較して、量的にも質的にも行動が異なります。量的には、友達同士は相互作用をすることが多いと言われています。葛藤も多いですが、解決に至ることが多いようです。実際、ピアジェは、仲間との相互作用を通して、葛藤を解決する技が磨かれていくと主張しました。この点に関してネルソンとアボウドは、3,4年生の子どもを対象として、友達あるいは友達ではない顔見知りの相手と対人的な問題を議論した結果によって、社会的知識がどう変化したかを評価しました。

思春期

ベルスキー、スタインバーグとドレイパーのモデルが1991年に発表されて以来、さまざまな国においてそのモデルに関する多くの研究が行われましたが、その大半で彼らの基本的な仮説が追認されているそうです。たとえば、ベルスキーたちの論文の発表前後の調査によると、意外な結果ではありませんが、思春期に入るのが早い子どもは遅い子どもよりも性的活動を行う傾向が高かったそうです。父親のいない家庭の女子は、実の父親と一緒に生活している女子より早く思春期に入り、それは子ども時代に社会情緒的ストレスを経験した少女と同様であったようです。高ストレスで父親のいない家庭の男子は非従順で攻撃的な傾向がありましたが、ストレスと父親不在の効果は男子では小さいか、存在しなかったことがわかっています。女子に高い効果が見られるというこの性差は、男性と女性による子孫への投資の差を考慮すれば理にかなっていると言います。なぜなら、どんな妊娠に対しても女性の投資は男性より大きいので、女性は男性より子孫を育てるのに影響を与える可能性のある環境要因、たとえば、栄養失調、ストレス、資源不足などに敏感なのです。

しかし、この理論には賛否両論あり、モデルの一部修正も提案されているようです。たとえば、思春期に達する速度の分散の大半は遺伝的要因によって説明でき、特に早熟の女子はその母親も成熟が早いことを示唆する研究者もいます。このことは研究により裏づけられていますが、ストレスや父親不在の効果は、母親が思春期に達した年齢を統制した後にも見出さており、遺伝的要因だけが「成熟速度」効果に寄与するわけではなさそうです。

遺伝による違いが成熟速度効果に寄与する道筋のひとつは、養育環境の変化に対する子どもの感受性に違いを生み出すということです。ヒトやヒト以外の霊長類の文献を概観した研究で、ベルスキーは、親の子育ての個人差に対してより敏感な子どもがいるとしました。この強い可塑性は、環境が予測不可能であるときに好都合であり、それによって子どもは幅広い最適以下条件、たとえば、不安定な愛着や父親不在などに、できるだけうまく適応することができるのだと言うのです。しかし、高水準の支えと安定した愛着が与えられる環境において、最もうまく生きていける子どももいます。これはおそらくより「種に特異的な」環境であり、一部の子ども(おそらく大半の子ども)が、この種に特異的な文脈に適応していくというのはうなずけると言います。どのような特質であれ多様性の中に自然淘汰が作用し、親は変化を受けとめる力のある子どもや、「予期される」環境において力強く育っていく子どもを産むことによって、複数に賭けてリスクを回避することができるということなのです。

ごく最近では、エリスとグレイバーが、ベルスキーらのモデルに対する重要な修正を提案しているそうです。彼らは、母親のうつと、継父や母親の恋人の存在も、女子の成熟速度に影響する要因として関与していると指摘しています。たとえば、母親の精神病理は夫婦の不和や、子どもとのストレスの多い関係、離婚を強く予測し、そのことはおそらく対人間ストレスや父親不在の原因となり、早い思春期の訪れを予測します。継父や母親の恋人がいることに関して、さまざまな哺乳類の研究により、血縁関係のないオスのフェロモンがあることで、メスの思春期の発達速度が加速するという結果が見出されているそうです。

愛着分類スタイル

北アメリカ以外の国の調査では、愛着分類スタイルの最も多い型は、大半のアメリカの研究で報告されたものとは異なっているそうです。たとえば、北ドイツのサンプルでは49%の乳児が回避型あり、安定した愛着をもつとされたのは33%に過ぎなかったそうですが、そういう傾向が生じた理由は、母親が乳児を拒絶しているためではなく、母親が文化基準に従うことを望んでいたためであるとされています。同様に、イスラエルのキブツで育った乳児の研究では、約50 %の乳児が不安定な愛着をもつと分類されたそうです。これらの傾向から、育児実践の文化差によって異なる愛着の傾向が生じていることが示唆されます。北ドイツやキブツで育った子どもの約半分が不適応な愛着スタイルをもっているという別解釈も考えられますが、それを支持する証拠はないそうです。もっと簡潔な結論は、子どもは環境条件に敏感であり、その環境に最適な愛着行動を発達させるということです。

同様に、年長の子どもに注目した研究者らが一貫して報告しているのは、より厳しく、批判的で、情緒的につながりの薄い養育スタイル、それを権威主義的といいますが、それに比べて、要求は厳しいがあたたかさのある養育スタイル、それを権威的と言いますが、その方が、結果がより好ましいということです。この傾向は世界中で、幅広い民族や社会階級、家族構造で報告されているそうです。しかし、例外があります。たとえば、バウムリンドによると、スラム街のアフリカ系アメリカ人の女子のサンプルでは、両親が権威的スタイルである場合と比較して、より厳しい権威主義的なスタイルである方が適応が良かったそうです。異文化間の愛着調査と一致して、異なる養育スタイルは、異なる環境と相関しており、異なる行動の適応パターンが生じていると思われる。

ベルスキー、スタインバーグ、ドレイパーは、子どもの早期、そして後の家庭環境の影響は、愛着スタイルだけではなく、後の繁殖戦略の重要な側面にも影響を与えると主張しました。彼らは進化論にもとづくモデルを発展させ、家庭における初期の愛着に関連した経験や、後に続く思春期や、青年期の恋愛行動について説明しました。

初期経験とは、最初の5 ~ 7年間の中で、主要な進化的機能は子どもに、環境の中にある広義の資源の利用可能性と予測可能性や、他者への信頼性、親密な対人関係の持続を理解させることです。そして、それらすべてが、発達途上のその人が後にどの程度繁殖に力を注ぐかに影響するといわれているのです。

ベルスキーたちは、すべてのヒトが追求しようとする唯一の「最適方略」があると断定するのではなく、ヒトには幼児期の環境の特性に敏感な、進化によるメカニズムがあり、それが思春期の成熟度を促し、繁殖戦略に影響を与えると主張しました。不安定な愛着で、父親がおらず、否定的でストレスの多い家族経験をもつ場合には思春期の成熟が早く、性的乱交や、不安定な男女関係をもつようになります。もう一方の安定した愛着で、ストレスが低く、父親がいる場合は、少なくとも女子に関しては思春期が遅く、性的活動の開始は遅く、より安定した男女関係を築くようになるようです。