絶対から相対へ

ある音を聞いただけで、他の音とは独立して、その音にラベリングできる能力を絶対音感と言うことがあります。他の音との関係から音をラベリングする相対音感と対比されます。この定義に従うと、絶対音感は、音のカテゴリー弁別と、それに適切なラベリングをするという連合学習の二つの要素から成り立っているそうです。絶対音感を持つ人は、これらの能力が優れているということになります。

絶対音感には臨界期や敏感期があるとされています。ある総説論文では、絶対音感を保持する成人の87.5%が、5~6歳頃に音楽を始めており、9歳を超えて音楽を始めた人はいないとされています。大人に絶対音感のトレーニングを施した場合の成功例はないようで、5~6歳児に同じトレーニングを施して比較したところ、子どもの方がトレーニングの成果が出たという研究もあります。興味深いことに、3~4歳児だとトレーニングの成果があまり出ず、早すぎても遅すぎても絶対音感は身につかないようです。ただし、音楽の初期経験は、絶対音感を持つのに必要ですが、十分条件ではないようだと森口は言います。音楽経験の質にもよりますし、楽器の状態にも影響されるそうです。調律の乱れた楽器を使うと、絶対音感は育まれないようです。

このように、幼児期に音楽のトレーニングを受けると、絶対音感を持っているという可能性があります。ですから、幼児期から音楽をやらせた方がいいという早期教育が一部推奨されていますが、私は、逆に、では、絶対音感を人類は必要としただろうかと疑問を持ちました。絶対音感を身に付けることによって生きていく上で有利になるのだろうかと思ってしまいます。それよりも、社会で生きていく上では、それと対比される相対音感の方が必要ではないかと考えます。ですから、赤ちゃんは、絶対音感を刈り込んでいき、自然に相対音感を持つようになるのではないかと推測していました。

ある研究では、8ヶ月の乳児が、絶対音に感受性があるのかを調べたそうです。実験手続きは、馴化・脱馴化法が用いられたのですが、用いた刺激が少々複雑なのでここでは省きますが、結果、乳児は絶対音感者であるようだということが示されました。同じ実験を大人に実施したところ、絶対音感の変化には反応せず、相対音の変化に気づいたそうです。大人と乳児のコントラストがきわめて興味深いところだと森口は言います。いつまでは絶対音優位で、いつ頃から相対音優位に変わってくるかについての詳細な検討は今のところなされていないそうですが、絶対音から相対音への発達的変化には言語を聞く経験の影響が指摘されているそうです。言語音は、基本的に相対音であるため、聴覚の変化に影響を与える可能性があると考えられているようです。

このように脳という視点から乳幼児を捉えた際に、大人が持っていない知覚能力を持っている可能性が次々と示唆されているようです。しかし、大人と乳幼児の心の世界や能力が異なっているとしても、ここまでですと、結局のところ乳幼児の脳が未熟であるにすぎず、異なった能力を持つことの意義はあまりないように思えます。どうして、赤ちゃんは、大人と異なった能力を持ち備えているのでしょうか?きっと、肯定的な意味で必要だったのでしょう。

早期の損傷

言語を処理する脳領域がある左半球の早期の損傷は、言語機能の発達に影響を与えるのでしょうか?初期の研究では、2歳までに脳損傷を受けた場合、左半球の損傷も右半球の損傷も影響は変わりませんが、10歳までの間に損傷を受けた場合は、左半球の方が言語発達の問題につながりやすいと考えられていたそうです。しかし、その後の研究によって、生後早い時期から左半球の優位性が示され、早期であっても左半球に損傷を負った人が、右半球よりも、音韻課題や文法課題に問題を抱えやすいことが示されているそうです。一方で、ベイツ博士らは、脳損傷を抱えた子どもの言語発達を縦断的に検討し、どの脳領域であれ脳を損傷すると言語発達に問題を抱えること、そして、右半球に損傷を抱えた乳児の方が、左半球に損傷を抱えた乳児よりも、単語の理解に困難を示すことを示しているそうです。このように、結果は一貫していないそうです。

また、近年、左半球の言語野に損傷を抱えた子どもたちがいかに脳を再組織化し、言語処理を行なっているかについてfMRIで調べた研究があるそうです。言語損傷の研究では、一般的に左半球の言語野が早期に損傷した場合には脳内の再組織化が起こり、右半球のブローカ野に該当する領域が言語機能を担うという考えがありますが、その仮説を検証したそうです。提示された名詞に対して適切な動詞を答える課題では、左半球のブローカ野周辺に損傷を抱えた子ども5名のうち4名は、ブローカ野周辺の言語処理とは関係のない脳領域を活動させており、残りの1名は右半球のブローカ野に該当する領域を活動させたそうです。むしろ、左半球のブローカ野ではない領域に損傷を抱える子どもでは、右半球のブローカ野に該当する領域を活動させる傾向にあったそうです。これらの結果は、右半球のブローカ野に該当する領域が、言語機能を担うという説とは一致しないのです。一方で、同様の課題を与えた場合に、左半球に損傷を抱えた子どもは、右半球のブローカ野に該当する領域を活動させることを示した研究もあるそうです。

これらの結果を見ても、言語関連の脳領域損傷後の、単純な脳のパターンはないように思えるようだと森口は言います。さらに彼は、実際のところ、どの領域を発達の同時期に損傷し、どのような療育を受けるかによって、結果は異なってくるのではないかと言うのです。現時点では、敏感期があるとまでは言いきれませんが、発達早期の言語野の損傷であれば、脳内に再組織化が起こり、異なった脳領域で処理することもある、くらいは言えるのではないかと言うのです。

人間の行動に関する限り、臨界期はふさわしくなく、敏感期といったほうが適切ではないかと森口は言います。発達の特定の時期が、他の時期よりも重要であり、それはある経験をする最初の時期だということは間違いないのですが、あくまで視覚野言語などに限られており、早期教育論者が推進するような知能のような高次の認知機能については、科学的な検証は、あまりなされていないのが現状だそうです。

次に絶対音感についてです。これについては、私も講演でよく述べる例です。絶対音感とは、いろいろな意味があるようですが、ここでは、ある音を聞いただけで、他の音とは独立して、その音にラベリングできる能力のことを指します。

臨界期から敏感期へ

脳に関する話題のひとつとして、脳の臨界期ということが、特に早期教育を勧める人たちの話題によく載っていたことがありました。しかし、この臨界期という言い方は、その意味からして誤解を生じやすく、強すぎるということで、最近は、特に人間の行動などを対象にする場合、敏感期ということが多くなってきているそうです。敏感期は、臨界期ほど厳密なものではなく、ある時期が他の時期よりも経験の影響が大きい時期であり、ただ、その時期の影響は永続的で非可逆的であるとまでは言えないというもののようです。

知覚の刈り込みについて例に出した顔知覚は、生後1年頃までに、経験の影響で起きることから、顔知覚の発達の敏感期と言えます。しかし、臨界期とは言えないそうです。杉田博士がこの点を、ニホンザルを対象にした研究から検討しているそうです。この研究では、サルの乳児は誕生後6ヶ月、12ヶ月、24ヶ月のいずれかの期間、あらゆる顔を見る機会がありませんでした。一方、顔以外の、色や形などを見る機会は与えられました。顔遮断期間後、サルたちは、1ヶ月間ヒトの顔、もしくはサルの顔のうち、一方だけ見る機会を与えたそうです。1ヶ月経過後に、ヒト・サルの顔が弁別できるかを検討したそうです。その結果、いずれのサルも、顔遮断期間後の1ヶ月間で接した種の顔のみ弁別ができたそうです。

たとえば、6ヶ月の顔遮断期間後に1ヶ月間サルの顔のみ見ていたサルは、その後ヒトの顔に接する機会が与えられてもヒトの顔は弁別できなかったのです。そして、興味深いのが、最初の遮断期間の長さは何ら影響がなかったという点でした。つまり、生後6ヶ月間顔を見ないでも、24ヶ月間顔を見ないでも、顔に弁別能力は変わらなかったのです。遮断期間後の最初の1ヶ月間が重要だったのです。

この研究では、サルは遮断期間でも、顔以外の色や形などを見る機会はあったので、知覚の刈り込みにおける敏感期は、視覚経験が始まってからの期間ではなく、顔に接してからの期間であることが推測されるのです。色や形の情報を処理する脳領域と、顔を処理する脳領域が異なるために、このようなことが起きるのではないかと森口は考えています。

では、言語発達の敏感期はどうなのでしょう。オオカミに育てられたとされるカマラとアマラなどの事例報告から、言語発達には臨界期があると主張する人がいるそうです。研究者は、そのような解釈に慎重だそうですが、ものごとを批判的に見ることができない人たちがその節を流布しているようだと森口は言います。彼らは、オオカミに育てられた子どもたちは言語を発達させられなかったので、生後数年間の経験が重要だと主張しているそうです。このような主張は、鈴木博士の著書「オオカミ少女はいなかった」などで明確に反駁されているそうです。生後数年間の言語入力が言語発達において重要なのは、間違いありませんが、オオカミに何年間も人間が育てられることはありませんし、このような逸話を根拠に早期教育を勧めるのは感心できないと森口は警告しています。

彼は、言語発達の敏感期についての根拠ある研究は、脳損傷の研究だと考えています。多くの人において、言語を処理する脳領域である言語野は左半球にありますが、早期の左半球の損傷は言語機能の発達に影響を与えるのかどうかの研究があるそうです。

早期教育の間違った根拠

ある刺激に対して通常の感覚だけでなく、異なる種類の感覚をも同時に感じてしまう人が現在数パーセント程度いるということは、初めて知りました。そんな人がいるのですね。しかし、本人は、それを特に他の人とは違うという認識が薄いために、私たちは気づかないのかも知れません。しかも、その共感覚は、乳幼児期には、成人期よりも見られるのですが、生後の経験によってそのネットワークの中で必要な部分は残り、そうでない部分は刈り込まれていくのに対して、共感覚者では、この刈り込みがうまくいかないために、残ってしまっていると考えられているようです。

そして、この共感覚には音と色という、聴覚と視覚のつながりにおいて見られるのですが、形と色についても研究されているようです。その結果、生後2ヶ月の乳児には赤色や緑色と図形の形に関連する共感覚が存在し、また、3ヶ月で黄色や青色と図形の形に関連する共感覚が存在し、その後8ヶ月頃までに消失するということがわかったそうです。その結果を受けて、森口は、「乳児は、大人とは全く異なる、色と形に満ちた、ありありとした世界を見ているのかもしれません。これもまた、“異なる乳幼児”の証拠のひとつであると言えそうです。」と語っています。

次に、脳機能の発達を考える上でよく論じられるのが「臨界期」と「敏感期」の問題です。しかし、森口が危惧するように、この発達は、早期教育などの間違った根拠に使われることが多く、理解が難しいところです。まず、「臨界期」とは、「個体の一生の中である経験の効果が他の時期に見られないほど大きく、永続的で、非可塑性的である時期、すなわち、後に改変・修復ができない時期」のことを指します。このことを示した古典的な研究は、ローレンツ博士が示した刷り込み現象、いわゆるインプリンティングと言われているものです。“生後間もないハイイロガンの雌のヒナが、生まれて初めて見た人間を母親と認め、よちよち歩きでどこへでもついてくるようになった…“という有名なものです。

また、臨界期の例のひとつに、ノーベル生理学、医学賞を受賞したヒューベル博士とウェーセル博士のネコの視覚を対象にした研究があるそうです。それは、生まれたばかりのネコの片眼を遮蔽し、遮蔽期間の長さの影響を調べたものです。その影響は、生後3~4週から15週くらいまでの間にネコの目を遮蔽したときが強く、それ以降遮蔽してもその影響はほとんどなかったというものです。生後数ヶ月間の経験が、視覚の発達に不可逆的な影響を与えることを示唆したというものです。この結果は、先天的に白内障を患っている人たちの視覚機能を考える上で非常に重要な研究だそうです。

このような研究があるのですが、実際には厳密な意味での臨界期は、ほとんどないそうです。この挙げた例の場合、生後数週間から3ヶ月くらいまでが臨界期ということになりますが、その期間の間に両眼とも遮蔽し、その後両眼に光刺激を与えた場合には、両眼ともに視覚に問題を抱えないそうです。つまり、臨界期が言うような生後数ヶ月間という期間だけが重要なわけではなく、眼が機能し始める時期に、片眼だけ用いているという点が重要だと言います。様々な工夫をすることによって、その時期は操作することができるというのです。

そんなこともあって、臨界期という言い方は強すぎるということで、最近は、特に人間の行動などを対象にする場合、敏感期ということが多くなっているそうです。

異なる種類の感覚

乳児における知覚の感覚間協応には、三つの考え方があります。一つ目は、個々の感覚が発達とともに協応していくというもの、二つ目は、新生児は生まれながらに感覚間協応を備えており、その能力の精度が向上するというもの、三つ目は、知覚の発達とは、生後まもなく複数の感覚が協応して働くというような超感覚的な状態から、視覚や聴覚などの個々の知覚に分化していく過程であるというものです。

共感覚とは、ある刺激に対して通常の感覚だけでなく異なる種類の感覚をも生じさせる現象のことです。共感覚者は、数字を見たら色を感じたり、音を聞いたら色を感じたりするそうです。以前は、このような共感覚者は非常に限られた人だけが持つ特殊な能力だと考えられていましたが、現在は数パーセント程度の人が共感覚を持っていると見積もられているそうです。詩人の宮澤賢治も共感覚者だったという逸話が残っていますし、森口の知り合いでも、音楽に携わっている方の中には、共感覚者の方が多いという印象を持っているそうです。共感覚者が「数字を見たら色を感じる」と述べたところで、周りの人間には理解できないので、共感覚者は肩身の狭い思いをするようです。しかし、最近の脳研究の進展、特に、脳活動を画像化できるfMRIなどのおかげで、共感覚は客観的に検討可能になったようです。

共感覚にも様々な種類があるそうですが、ある研究で、言語音を聞くと色を感じる共感覚者の脳活動を計測したそうです。言語音を聞くと、それに関連する脳領域が賦活するのは当然ですが。もし共感覚者が言うように色を感じているのだとしたら、色知覚と関連する脳領域も賦活するはずです。この研究の結果、共感覚者においては、言語音を聞いたときに、色知覚と関連する視覚領域が活動することが明らかになったそうです。重要なのは、統制群として参加した共感覚を持たない大人において、そのような脳活動が見出されなかった点だそうです。このように、脳画像の結果を証拠として提示することで、私たちは共感覚者の心の世界を理解することができるのではないかと森口は言います。

共感覚において発達研究が大事なのは、なぜ共感覚が起きるのかという問題に踏み込めるためだと言います。それには、いくつか仮説が提唱されています。有力なのは、脳の刈り込みに関係する仮説だそうです。発達早期には、脳内のニューロン同士は広範なネットワークを形成するのですが、生後の経験により、そのネットワークの必要な部分は残り、そうでない部分は刈り込まれます。共感覚者では、この刈り込みがうまくいかないため、通常であれば、刈り込まれるはずの視覚と聴覚のつながりなど、感覚間のネットワークが残ってしまい、共感覚が生じるのではないかという考え方です。

もう一つの考え方は、脳の他の領域との関連を強調する説だそうです。この仮説では、刈り込み仮説と同様に、感覚間のネットワークが刈り込まれず、残っていることが前提となっています。ただし、ネットワークが残っていても、非共感覚者の場合は、前頭葉などの領域からそのネットワーク間の情報のやり取りを遮断する、抑制信号が出されているため、共感覚のような現象が起らないというのです。一方、共感覚者の場合は、その信号が出されていないため、感覚間の情報のやり取りがなされて、共感覚を経験することになると考えるのです。

他人種の顔弁別

知覚の刈り込みについて最初に示されたのは、他種効果です。サイエンス誌に掲載されたパスカリス博士らの論文で、6ヶ月児は、サルの顔をしっかりと弁別していることを示しました。しかし、9ヶ月の乳児になると、その弁別能力を失うことを示したのです。また、大人も、サルの顔を弁別することは出来なかったのです。ということで、幼い乳児は、人間以外の動物の顔を区別することができるのですが、1歳頃までに人間の顔だけを区別するようになっていくということがわかりました。

この刈り込み過程では、音声知覚の場合と同様に、経験が重要な役割を果たしているといいます。パスカリス博士らは、6ヶ月から9ヶ月の間に、サルの顔を見せ続ければ、サルの顔を弁別する能力が維持されるかどうかを検討しました。研究に参加してくれる家庭にサルの顔写真が掲載されている本を渡し、毎日その本を乳児に見せてみたのです。このグループと、そのような経験をしていない統制グループを対象に、9ヶ月時点におけるサルの顔の弁別能力を調べたそうです。その結果、サルの顔を見る経験をした乳児は9ヶ月の時点でもサルの顔を、弁別できたのでが、統制グループは弁別できなかったそうです。この結果は、毎日サルの顔を見る経験の重要性を示しています。興味深いことに、別の研究で毎日乳児にサルの顔写真を見せる際に、ただサルの顔写真を見せるだけではこのような効果は弱く、一つ一つのサルの顔写真に名前を付けて区別を明確にしてみせると、このような効果が強いことも示されているそうです。

これは、動物の顔でしたが、他人種のほうの顔でも同様の効果がみられるそうです。リー博士らは、3、6、9ヶ月の白人乳児に、アフリカ・中東・中国・白人の成人の顔を提示し、サルの場合と同様の手法を用いて顔を弁別できるかを検討したそうです。その結果、3ヶ月児はどの人種でも新しい顔と古い顔を弁別でき、6ヶ月児は中国と白人の顔において弁別でき、9ヶ月児は、白人の顔のみの弁別ができたそうです。やはり、9ヶ月頃までの間に刈り込みの過程があることがわかります。他人種効果で想定されている発達過程は、まず、自分が属する人種への接触による自分の人種に対する選好があるようです。そして、自分の人種に対する選好の結果として、顔全体に対して注意が向きやすくなり、他の人種の顔でも弁別可能になるそうです。その後、様々な顔弁別ができる状態から、自分の属する人種の顔を見る経験を積み重ねることによって、自分の属する人種に対して特化していくと想定されているそうです。このように、顔知覚にも刈り込みの過程があると言います。このような研究は、詳細な議論をするためには知見を積み重ねる必要があるとしつつ、森口は非常に興味深い研究だと言います。

乳児は、様々な知覚能力を有していますが、知覚の感覚間協応にはいくつかの考え方があることを紹介しました。ひとつは、ピアジェのように、個々の感覚が発達とともに協応していくというものです。二つ目は、新生児は、生まれながらに感覚間協応を備えており、その能力の精度が向上するというものです。三つ目は、知覚の発達とは、生後まもなく、複数の感覚が協応して働くというような超感覚的な状態から、視覚や聴覚などの個々の知覚に分化していく過程であるというものです。

顔の弁別

最近の研究では、6ヶ月程度の乳児は母語以外の発話音も弁別できるのですが、6ヶ月から12ヶ月の間に弁別できなくなることが示されています。これだけ聞くと、母語以外の言語に対する感受性が低くなっているだけのようにも思えますが、この期間に母語に対する感受性が高まることも報告されているそうです。つまり、母語に含まれる音の弁別は得意になる一方で母語以外の音の弁別は苦手になると言うのです。

近年は、ERPを用いた実験もされているそうです。これらの研究でおもしろいのは、ERPを指標にした場合、11ヶ月児でも母語以外の言語に含まれる音を弁別している点だと森口は言います。つまり、行動実験の場合は、10ヶ月程度の乳児は母語以外の言語の2音を区別できないのですが、ERPを用いた研究では、11ヶ月児が母語以外の音を弁別していることになるのです。つまり、行動実験では検出できないことも、脳波を用いれば検出できることがあるようだというのです。

このような知覚の刈り込み過程は、顔認識にも見られます。これについても、一時期テレビなどでも紹介され、ブログなどでも紹介したように、サルの顔の区別についてです。これについて森口はこのように紹介しています。

ある国際学会のパーティに参加したとします。そこで、アメリカ人が紹介され、談笑したとします。次の日、別の場所でその人とすれ違ったのですが、その人が昨日談笑した人であるかは確証が持てません。一方、国内学会の懇親会で、日本人が紹介されたとします。すると、次の日に喫煙ルームでその人に出会った際には、その人と容易に認識できます。このように、私たちの顔認識は、自分がなじみのあるカテゴリーには強いのですが、なじみのないカテゴリーには弱いことが知られています。この現象自体は古くから知られていたのですが、最近の研究が示したのは、これも刈り込みの結果だということです。

最初に示されたのは、他種効果だそうです。サイエンス誌に掲載されたパスカリス博士らの論文で、発達研究者には衝撃的な内容だったそうです。この研究では、サル条件と人条件があります。サル条件では、6、9ヶ月の乳児が、一枚のサルの顔写真を提示されました。その写真に馴化した後に画面が変わり、その写真と、新しいサルの顔写真の2枚が提示されました。古い写真と新しい写真が対で提示されるわけですから、サルの顔の弁別ができているとしたら、乳児は新しい写真をより長く見るはずです。ヒト条件では、サルの代わりに人間の顔写真を使います。

その結果、6ヶ月児は、ヒト・サルいずれにおいても、新しい顔を長く見たのです。サルの顔もしっかりと弁別していたのです。一方、9ヶ月の乳児は、ヒト条件では新しい写真を長く見たのですが、サル条件では古い顔も新しい顔も同程度見つめたそうです。この結果は、6ヶ月児はサルの顔を弁別できるのですが、9ヶ月頃までにその弁別能力を失うことを示しているのです。また、大人を対象に同じ実験を行なった場合、サルの顔を弁別することは出来なかったのです。どうやら、幼い乳児は、人間以外の動物の顔を区別することができるのですが、音声知覚同様に、1歳頃までに人間の顔だけを区別するようになっていくようです。

以前ブログで書いたように、年齢が上がるにつれてできなくなることもあるのだと私は思っているのです。

脳領域

社会脳に関わる各部位の活動の中で、10歳から12歳の子どもと大人の顔知覚時の脳活動を調べた研究によると、大人も子どもも顔知覚時に紡錘状回を活動させますが、子どもは大人よりも、広い範囲の紡錘状回や側頭の領域を活動させているそうです。一方、子どもよりも大人の方が顔を知覚した際に紡錘状回の広い範囲を活動させるという知見もあるそうです。では、心の理論についてはどうでしょうか?それについては、前頭前野内側部において、大人よりも子どもの方が広い領域で活動することが示されているそうです。例えば、皮肉を理解するためには発話者の意図を理解する必要がありますが、皮肉を理解する際の9歳から14歳の子どもの脳活動をfMRIで計測すると、大人よりも、前頭前野内側部を含めた、前頭前野の広い領域が活動するそうです。

また、神経科学者サクス博士のグループは、6歳から11歳の子どもを対象に、物理的な出来事、人間の外見や人間関係についての話、人間の心的状態についての話を聞かせ、その際の脳活動をfMRIで計測してみたそうです。その結果、6歳から8歳の子どもでは、右の側頭―頭頂接合部において、人間の外見や人間関係などの話と、人間の心的状態についての話に対して同程度の活動が見られたそうです。一方、9歳から11歳の子どもでは、その脳領域は、人間の心的状態にのみ特異的に活動することが示されているそうです。

これは、どういうことかというと、心の理論と関わる脳領域は、児童期から成人期にかけて、前頭前野の内側や側頭―頭頂接合部などにおいて活動が特化していくことがわかっているのです。では、幼児はどうかというと、まだ研究は少ないようですが、ERPを用いた研究が報告されているそうです。それによると、4~6歳児が、コンピュータ版の誤信念課題を与えてみたそうです。この課題は、画面上に箱を二つ置き、主人公がそれぞれの箱に、動物を入れます。その後、主人公がその場を離れた際に、箱は両方開き、片方の箱から動物が現われ、別の箱に移ります。主人公は動物が別の箱に入ったことを知りません。この映像を見た後に、主人公がどこに動物がいると思っているかを聞いてみました。そして、その際の脳波を調べ、課題の成績がいい子どもと、悪い子どもの波形を比較したそうです。その結果、左の前頭葉において、課題の成績がいい子どもは、悪い子どもよりも、大人に近い脳波成分が見られたそうです。

脳活動の計測手法や実験素材が異なるので一概には言えないそうですが、これらの研究から、乳幼児期から心の理論に関わる脳領域は活動していることが示唆されているようです。そして、児童期を通じて脳活動が局在化していくという知見は、相互作用説を支持しているように見えます。しかし、必ずしも相互作用説と一致しない知見も報告されているそうです。ということは、すべての脳機能の発達が、単一の理論で説明できるとも限らないようです。

ここで、心理学者である森口は、こんなことを問題にしています。それは、脳の構造や機能の発達的変化については、脳計測という手段はたしかに新しいのですが、それは、心理学的に研究した発達過程の脳機能を調べているに過ぎず、脳そのものを知るのではなく、脳研究に関する新しい方法論を通じて、乳幼児の心の世界についての新しい像を描いてみたいと考えます。

顔知覚

森口自身も、DCCS課題中の脳活動を、NIRSを用いて計測したそうです。3歳と5歳を対象にして研究を実施したところ、5歳児は課題に通過できましたが、3歳児の半数が課題に通過できなかったそうです。また、5歳児は左右の下前頭領域を活動させたのに対して、課題に通過できた3歳児は右の下前頭領域を活動させていたそうです。この結果は、実行機能課題において、年少の子どもに比べて、年長の子どもは前頭葉の一部領域を強く活動させたことを示していることになると言うのです。NIRSでは、脳の一部の活動しか計測できないので、それ以外の脳領域の活動が年齢とともに低下したのか否かは、明らかではないそうです。年少の子どもの前頭葉においても相互作用説と一致するような発達プロセスが見られるかは、今後検討すべき問題ではないかと森口は言います。

これは、どういうことなのでしょうか?この5歳児と3歳児における下前頭領域の活動の違いは、私たちが3歳児と5歳児に対する接し方が何か違うのでしょうか?ただ、脳の構造発達は、多くの部位において出生後急激に増加し、その後刈り込まれていくのに対して、前頭葉は、3歳児、5歳児においても成熟しているということを理解する必要はありそうです。この部位が、実行機能に関係するからです。というのは、学術的には、実行機能は、行動、思考、感情を制御する能力であり、認知プロセスのことを指すからです。この関係について、森口は、より深く考察しています。それについては、もう少し後で紹介しようと思っています。

では、もう一つの人間らしさである社会脳の発達はどうなのでしょうか?社会脳は、情動認識に関わる扁桃体や、顔認識に関わる紡錘状回などに加えて、心の理論や意図理解にかんする脳内機能も含んでいるのです。この内容については、2012年の6月あたりで、千住博士著「社会脳の発達」という本を読み進め、このブログで解説しています。私は、5年以上前から、この社会脳について非常に関心を持ってきました。私の「見守る保育」の英語版のサブタイトルを、「… on Mimamoru philosophy toward social networks from the dyad」としたのは、この「社会脳の発達」という本に刺激されてのことでした。

しかし、この社会脳に関わる各部位の活動は、発達的にどのように変化していくのかということについて、脳研究があまり進んでいないため、はっきりはしていないそうです。特に乳児については難しいそうで、fMRIが使える児童期以降の子どもを対象にした研究はあるそうです。それによると、顔知覚研究では、子どもと大人の脳活動には違いがあることが示されているそうです。10歳から12歳の子どもと大人の顔知覚時の脳活動を調べた研究によると、大人も子どもも顔知覚時に紡錘状回を活動させますが、子どもは大人よりも、広い範囲の紡錘状回や側頭の領域を活動させているそうです。

一方で、子どもよりも大人の方が顔を知覚した際に紡錘状回の広い範囲を活動させるという知見もあるそうです。この研究では、紡錘状回は青年期にならないと十分活動しているとは言えないと主張しているそうで、相互作用説よりは成熟説を支持する知見といえるかもしれないと森口は言います。

前頭葉機能

脳の機能的発達についての三つの考え方を提示しています。一つ目が、成熟説で、脳の各領域の構造的発達が、そのまま機能的な発達につながるというものです。二つ目は、スキル学習説と呼ばれるもので、ある問題に熟達化することによって、脳の機能局在がなされるという考えです。三つ目は、相互作用特化説というもので、ある特定の脳領域は、単独で活動するのではなく、他の脳領域とともにネットワークとして活動するというもので、大脳皮質内のいくつかの脳領域においては、脳領域同士が相互作用し、競合することで、機能がある領域に特化していくというものです。スキル学習説と相互作用説は完全に区別することはで来ませんが、成熟説とこれら二つの説の区別はできると言います。ただ、証拠はないので、どの考えが正しいのかはこれからの研究課題であると森口は言います。

では、人間として最も大切な、人間らしさを表わす前頭葉機能と社会脳の発達はどうなのでしょう。前頭葉機能の発達は、実は実行機能の発達に対応しているのです。そして、社会脳の発達は、社会的認知の発達に対応するのです。実行機能は、柔軟に課題を切り替えたりすることで、目標志向的な行動を実現する能力のことです。ということで、神経心理学的な研究から、実行機能は前頭葉との関連が強いことが指摘されているのです。

もし成熟説が正しいとなると、実行機能課題を与えた場合に、ある年齢までは前頭葉は活動せず課題が遂行できませんが、前頭葉が活動するようになってから課題の成績が向上することが予測されるのです。一方、相互作用説に立てば、子どもにおいては前頭葉の一部領域を比較的広範に活動させるものの、年齢とともに活動が局在化することが予測されるのです。これを確かめるために、go(ゴー)、no go(ノーゴー)課題というものがあります。この課題では、ある刺激が出された場合、参加者はボタンを押し、別の刺激が出された場合は、ボタンを押さないように求められます。子どもは、9歳と11歳の時にこの課題を与えられ、9歳時と比べて、11歳時においては下前頭領域の活動は強くなっていたそうです。課題の成績とこの領域の活動に関連が見られたことから、この領域が課題の成績の向上に関連していると考えられます。興味深いことに、9歳時に比べて、11歳時において、背外側前頭前野などの前頭葉の他の領域の活動が弱まったそうです。この結果は、同じ課題でも、年少の子どもの脳活動は比較的特化しておらず、年齢とともに活動が特化していくことを示しているというのです。

また、前頭葉の成熟には長い期間を要するので、成熟説に立てば、成熟早期から前頭葉の活動は見られないはずだと森口は言うのです。しかしながら、近年、発達早期から前頭葉の活動が見られることが示されているそうです。NIRSを用いた研究で、ワーキングメモリ課題中の乳児の前頭葉の活動が調べられたのです。この研究では、乳児に玩具を与え遊ばせた後に、その玩具を布の下に隠したのです。隠した後の遅延時間中の乳児の脳活動を調べたのです。隠された玩具を探索できなかった場合とできた場合の脳活動の違いを検討したところ正しく探索できた場合において、前頭領域の活動が高いことが示されたそうです。

森口自身も、DCCS課題中の脳活動を、NIRSを用いて3歳と5歳を対象にして計測したそうです。