行動を変える、考え方を変える

第二に、私たちは行動を変える必要があるとタフ氏は言います。逆境に育つ子どもたちのためによりよい環境をつくりだすプロジェクトは、根本的には個人の仕事であると言います。つまり、日々低所得層の子どもたちのために働いている教師、メンター、ソーシャルワーカー、コーチ、それに親は、大々的に法律が整うまで待つ必要はありません。きよう、あした、あさってのうちにも行動を起こせば、それが子どもたちの成功を助けるというのです。タフ氏が今まで説明してきた研究が明らかにしているところによれば、子どもたちの人生の軌跡は、大人にとってはたいして重要でもないように見える些細な物事から変わりはじめているのです。親の声の調子。教師が付箋紙に書くメモ。数学の授業のやり方。難題に直面した子どもの話を聞くために、メンターやコーチがほんの少し余分な時間を取ること。こうした個人的な行動が強力な変化を生むこともあるというのです。そして個々の変化が国じゅうで共鳴することもあるというのです。

第三に、私たちは考え方を変える必要があると言います。タフ氏が提示してきた支援の研究を読んでいると、デークの詳細にとらわれやすくなります。サンプルの規模とか、標準偏差とか、回帰分析とか、データは確かに重要です。しかしときには、こうした研究をおこなった個々の人間のことを考えるのも役に立つと言います。ロシアの狐児院や、ジャマイカの貧困地域や、シカゴの高校や、クイーンズの誰かの家の居間まで出かけていって、「私は子どもたちの助けになりたい。私たちはもっとうまくできるはずだ」と発言した医師、心理学者、ソーシャルワーカーたちがいたことを思いだしてほしいとタフ氏は言います。

こうした研究者たちの出したデータが利用できるのとおなじように、彼らの行動そのものもひとつの例として役に立ちます。もしコミュニティ内、あるいは国内で苦しんでいる子どもたちがいるならば、何かできることがあるはずだと言います。それが研究者らの仕事の大前提でした。子どもたちへの援助をどう届けるのが最善か、知るべきことはまだたくさんあると言います。研究者たちがおこなっている仕事を私たち自身も引きつぎ、広げる必要があると言います。自分で何かしら手を打つ必要があることは、すでにわかっているのですから。

逆境にある子どもたちを手助けして困難な環境を乗りこえさせるのはむすかしいと言います。たいていはひどく骨の折れる仕事を伴うからです。気が滅入ることも、気力を挫かれることも、腹立たしいこともあるかもしれません。しかしそれが個々の子どもや家族の暮らしのなかだけでなく、私たちのコミュニティ、ひいては国全体に莫大な変化を生むことは、研究結果から明らかです。その道のプロであることを選んだかどうかにかかわらず、私たち全員にできる仕事です。研究者たちがしてきたように、もっとうまくできるはずだと、まずはしっかり認識すること。最初のステップは、それだけだとタフ氏は最後に言います。

不利な状況

こんにち、貧しい子どもたちを支え、教育するための国内のシステムは破綻しているとタフ氏は言います。現在アメリカでは、1500万人を超える子どもたちが貧困ラインより下で生活しており、そのうち700万人近くが深刻な貧困のなかで暮らしています。貧困というのは、四人家族の場合で世帯収人が年間1万2000ドルを下回る状況を言います。日本円で言えば、年収ほぼ130万円です。こうした子どもたちの多くが直面する問題は過酷で広範囲に及んでいます。統計的に見て、彼らの家庭は崩壊しており、居住地域は育児支援の余裕などほとんどないほど貧しいのです。子どもたちの体を、または心を、あるいはその両方を傷つける危険は無数にあるのです。学校は人種や階級によって分離され、裕福な子どもたちが通う学校よりも教育に使える予算が少なく、教員もほかの学校の教員より経験が浅かったり、訓練が不十分だったりします。

こうしたきわめて不利な状況に対し、タフ氏が紹介した介入戦略では心もとないように見えるかもしれないと言います。しかしやはりタフ氏が紹介した研究が明らかにしているとおり、不利な状况下にある子どもたちの人生に介入すること、それは、学校でよりよい教育を受けさせること、家で支えが得られるように親を手助けすること、あるいは、理想的にはこのふたつを組みあわせることは、貧困撲滅の戦略として最も効果的な手段であり、将来性も高いというのです。貧困層の子どもたちが、親から良好な反応の得られる安定した環境で育ち、帰属意識と目的意識の持てる学校に通い、意欲をかきたて支えてくれる教師の授業を受けられるなら、彼らはすくすく育ち、将来よりよい人生を送れるチャンスも飛躍的に伸びるというのです。

そこで、またはじめに提起した疑問に戻ります。「話はわかりました。で、結局どうすればいいのですか?」

この問いに対して、タフ氏は、三つの提案をしています。

第一に、私たちは政策を変える必要があると言います。ターンアラウンドのパメラ・キャンターは、子どもに充分な支援が与えられる環境を「強化された環境」と呼んでいますが、それを貧困層の子どもたちのために一貫してつくりだすには、凝り固まった学校や実践の多くを根本から見直し、つくり直す必要があると提案します。低所得層の親をどう援助するのか。幼少期のケアと教育のためのシステムをどうつくりだし、どう資金を捻出し、どう管理するのか。教員の養成はどのようにするのか。生徒にはどうやって規律を教え、学習成果をどう評価するのか。学校の経営はどのようにするのか。これは本来なら社会政策の問題です。貧困層の子どもたちの問題を解決する方法をほんとうに見つけようとするなら、これらの疑問にはあらゆるレベルの公務員である、学校の校長、教育委員会のメンバー、市長、州知事、閣僚などが、そして同時に国じゅうの個々の市民、地域団体、慈善家が、熱意のこもった創造的な方法で答えを出す必要があるとタフ氏は言うのです。彼は、もっと多くの子どもたちをもっと効果的に助けることのできる財源の運用と政策の変更についていくつか提案してきました。しかしそうした具体的な提案を超える、もっと大きな願いがあると言います。私たちはいまこそ、社会政策の議論をおこなうべきであり。彼の提案がそれを推進するためのガイドになればいいと思っているというのです。

カリキュラムの見直し

2015年の秋、「エルムシティ・プレパラトリー・エレメンタリー・スクール」は、全体的なカリキュラムの見直しによって、それまでの信念や実践を改め、体験学習と生徒の自律性に重きを置くかたちに変えました。86パーセントが無料の昼食もしくは補助金の受給資格があるエルムシティの生徒は、自分で自分のスケジュールを管理し、以前よりも自分の興味に従って学ぶようになったそうです。勉強する科目も自由に選べるようになりました。毎日の「人生を豊かにする」コースとして、ロポット工学、ダンス、テコンドーのクラスなども用意されているそうです。二カ月に一度、エルムシティの教員は生徒を二週間の「遠征プロジェクト」に連れていきます。生徒たちはそこで一つの科目を深く学ぶのです。ときには農場、博物館、史跡などを訪れ、校外で長い時間を過ごすこともあったそうです。

タフ氏が、2015年12月に、アチープメント・ファーストの共同設立者、ディシア・トールと話をしたときには、エルムシティの試みはまだ数カ月前にはじまったばかりで、管理者も教員ももっと慣れなければならない、といっていたそうです。トールも関わるカリキュラム見直しチームの面々は、デシとライアンのモチベーションの研究に多大な影響を受けているようです。先述のとおり、三つの決定的な内発的動機づけである、「自律性」「有能感」「関係性」を重視する考え方です。トールはこう言っているそうです。「アチーブメント・ファーストにとっては、“自律性”がいちばんむずかしい項目です。以前は、生徒たちにとって何が最善かは私たちが知っている、と思っていました。だから重点的に取り組む項目を子どもたち自身に選ばせるのは、私たちにとっても、ちょっとした挑戦でした」と言っているのです。しかしこれまでのところ、試みはうまくいっていると言います。生徒たちは厳しいことで有名なエルムシティの教育をいまも受けていますが、以前よりモチベーションも熱意も増し、勉強に熱中しているそうです。

WHEELSやポラリスのような学校を訪ねると、そこに通う生徒たちの未来だけでなく、低所得層の子どもたちへの新しい教育の可能性、逆境の科学的な分析に基づくアプローチがさらに広がっていく可能性についても、希望を抱かずにはいられないとタフ氏は言います。ABCのコーチや、オール・アワ・キンの保育所のメンターが、乳幼児が育つ環境についての新しいアイデアを辛抱強く広めていくところを観察していても、おなじような希望を感じると言います。

しかし現実には、タフ氏が紹介したようなアイデアはまだ主流ではなく、このような支援は非常に稀なケースであると言います。アメリカ国内で低所得層の子どもたちが通う幼稚園や学校の多くは、エデュケアやポラリスのように運営されてはいません。彼が紹介したような、子どもの幼少期に焦点を合わせた組織の数は、割合としてはまだ小さく、多く見積もっても数千の子どもや家族を支援しているにすぎないと言います。また、彼が説明してきた学校や教室への介入は、国内の貧しい子どもたちのほんの一部に届いているだけであり、教育界の支配的な文化に抵抗している状態だと言います。主流派は、貧困のなかで育つ子どもたちのモチベーションを高めて勉強をさせるために、いまとはべつのよりよい方法があるかもしれないなどとは、ほとんど考えもしないのです。

実績重視型

チャーター・スクール運営者のネットワークである「エンビジョン・スクールズ」は、サンフランシスコの四つの学校でPBLを戦略の柱とした教育をおこなっているそうです。四校とも、生徒の大半が低所得層のアフリカ系やラテンアメリカ系の子どもたちだそうです。エンビジョン・スクールズの共同設立者、ボブ・レンズは、2015年に出版した著書『学校を変える』のなかで、階級によってディ-パー・ラーニングの効果がちがうのではないかという多くの人々の懸念に言及しています。「私たちの教育を説明すると、疑いのまなざしを向けてくる人は実際にいる。PBLは資金も基礎知識もたっぷりある中流以上の子ども向けの贅沢であって、学力格差が大きい状況で不利な側にいる子どもたちは基礎的なスキルを強化するためにやるべきことがたくさんあるのだから、創造的な課題なんかで時間を無駄にしている余裕はない、というのだ」レンズはこれに異議を唱えています。「私たちが提唱する実績重視型、プロジェクト型の教育を受けるにあたり、準備ができていない子どもにも、先へ進みすぎている子どもにも、私は出会ったことがない」

相次いであがってきているエビデンスを見ると、レンズのいうとおりだとタフ氏は言います。ディーパー・ラーニングは、うまく取りいれれば貧困層の生徒たちにも大きな利益をもたらすのではないかと考えているのです。先述のように、提携校は低所得層の生徒たちの成績を大幅に上げています。エンビジョン・スクールズの卒業生は、大学でも粘り強く学業をつづけている割合が高いそうです。しかし、学校そのものが新しいので、まだ予備的なデータではあるそうですが。そして2014年にAIRという米国研究所がおこなった、カリフォルニア州とニューヨーク州の生徒の成績に関する研究では、ディパー・ラーニングを取りいれた学校に通うことで、教科内容の知識や標準テストの得点にも好影響があることがわかったのです。それは、研究対象となった生徒のうち五分の三が低所得層の子どもたちで、彼らの得点は低所得層以外の生徒たちの得点とおなじくらい伸びたのです。

ディーパー・ラーニングは、KIPPといわれる「ナレッジ・イズ・パワー・プログラム」や非効率学校である「アンコモン・スクールズ」、「アチープメント・ファースト」といった、最貧困層の子どもを対象とした教育で標準テストの成績を目覚ましく向上させた有名なチャーター・スクールの初期の評判と関連づけて考えられ、「言いわけなしの哲学」を植えつけるものと思われることも多いそうです。それは、これらの学校は当初、厳しい規律を強調し、服装、教室での態度、廊下の歩き方にいたるまで、厳格な規則に従うよう生徒たちに求めたからです。こうした学校の多くには、入念なアメとムチのシステムがありました。しかも、大半はいまもあるようです。それが生徒を管理し、モチベーションを高めるための中心的な戦略だったのです。

しかし最近になって、「言いわけなしの哲学」の学校とディーパー・ラーニングの学校のあいだのくっきりした線がぼやけはじめたと言います。2015年の秋、コネチカット州ニューへイヴンにあるアチープメント・ファーストの設立時の学校のひとつである「エルムシティ・プレパラトリー・エレメンタリー・スクール」は、全体的なカリキュラムの見直しをおこなったそうです。それまでの信念や実践を改め、体験学習と生徒の自律性に重きを置くかたちに変えたのです。

好条件の学区

ディーパー・ラーニングを重視するこんにちの風潮の最大の短所は、貧困層の多い学校よりも裕福な地区の学校での導入のほうがはるかに進んでいる点だとタフ氏は言います。2014年、ハーバード大学教育大学院教授のジャル・メータは、「ディーパー・ラーニングには人種問題がある」という挑発的なタイトルの論文をエデュケーション・ウィーク誌のオンライン版で発表したそうです。メータは、人種と同様に階級も厄介な問題だと述べています。「歴史的に見ても、ディーパー・ラーニングは恵まれた人々の領分、すなわち好条件の学区で生活し、子どもたちを優良な私立学校に通わせることのできる人々の領分に属するものだった。富裕層の多い学校に通う生徒たちは将来の経営者層にふさわしい課題解決型の教育を受け、もっと階級の低い、貧困層の多い学校に通う生徒たちは工場労働のようなブルーカラーの仕事を反映した、決まりきった作業を与えられる。これは学校間格差の調査と、同一校内の調査の両方から判明した事実だ」と述べているのです。

メータは、こうした格差のいくつかは供給側に原因があると論文のなかで認めています。ディーパー・ラーニングのテクニックを取りいれることのできる人材や自由を持った学校は、多くが豊富な資金のある私立学校か、富裕な地域の公立学校なのです。しかし分断の原因の大部分は需要側にある、とメータは書いているそうです。低所得層やマイノリティの生徒の教育に深く関わる多くの人々が、当の生徒たちの親を含め、不利な状況にある生徒にとってディーパー・ラーニングが最善の方法であると信じていないのです。こうした懐疑論者たちは、昔はPBLというのは低所得層の学校で使われるお遊びの婉曲表現だったと指摘しているそうです。1960年代から1970年代にかけて、裕福な家の子どもたちが町の向こうで読み書き計算を習っているあいだ、貧しい子どもたちにレゴ遊びやぬり絵遊びをさせることをそう呼んだ時期があったそうです。懐疑論者たちが表明する懸念はまだあります。裕福な子どもたちは、深く広い基礎知識や言語力を家庭や地域社会ですでに身につけているからいいのですが、そうした知識を持たない子どもたちは、ますそれを伸ばしてからでないと、協同作業やプロジェクト型のアプローチの恩恵を受けられないのではないかというのです。

私は、この手法が貧困層の多い学校よりも裕福な地区の学校での導入に効果があったという点についてこう考えています。どうして、子どもたちに貧困層か裕福化によって格差が出たかというと、それは生まれつきの問題ではなく、生育環境による経験の質の格差があるからだと思います。ですから、これは、幼児期から取り組まないとだめだと思っているのです。知識を得てからではなく、思考するときのアプローチとして、協同作業やプロジェクト型が必要だと思っています。それは、非認知能力は、特に認知能力には、直接影響が少ないからです。 しかし、実際の取り組みでは、必ずしも低所得層には効果が少ないわけではないという反論もあるそうですが、その効果は、幼児期にも見られるのは確かだと思うのです。乳幼児期からの経験の質を私たちは吟味しないといけないと思います。

 

ディーパー・ラーニング

ELの提携校に広くゆきわたり、ターンアラウンドのコーチが指導のなかで強調する学習指導のテクニックは、こんにちの教育研究の主流である、一般的な用語でいうと、より深い学習という意味の「ディーパー・ラーニング」ともつながっているとタフ氏は言います。この動向は比較的新しいもので、「生徒中心の学習法」と呼ばれることもあるそうです。アメリカの先進的な教育研究に端を発するものだそうですが、ビジネス界のリーダーたちがもつ現代的な問題意識も背景にあると言われています。それは、アメリカが伝統的に培ってきた公教育のシステムと、現代のアメリカ経済が労働者に求める能力のあいだには壊滅的な溝がある、という考え方です。教育手法が確立した一世紀以上前には、経済の側面から見た公立学校の役割は、事務仕事やくり返しの多い機械的な仕事をすばやくきちんとこなせる工場労働者を生みだすことでした。しかし、ディーパー・ラーニングの提唱者らが論じるところによれば、いま、この21世紀に労働市場が必要としているのは、まったく異なったスキルであり、現在の教育システムではこれを伸ばすことができないのです。それはたとえば、チームで仕事をする能力、人前でアイデアを提示する能力、効果的な文章を書く能力、深い分析思考をする能力、ある状况で覚えた情報やテクニックを見知らぬ新しい問題や状況に対して応用できる能力などです。こうしたスキルを伸ばすためには練習する機会が必要なのですが、現状では、ほとんどの学校でその機会が得られないと言います。ディーパー・ラーニングの提唱者たちが奨励するのは、以下のような教育です。

・探求型の指導:教室で、教師がただ講義をするだけでなく、生徒に議論をさせること。

・プロジェクト型の学習:生徒たちが、たいていはグループで、仕上がるまでに何週間、何カ月もかかるような複雑な課題に取り組むこと。

・実績重視の評価:生徒たちを期末試験の得点で判断するのではなく、彼らが一年かけて築いた実績、プレゼンテーション、文章、芸術作品などで評価すること。

ディーパー・ラーニングの原則にのっとって運営されている学校には、同級生からの批評や、改良を歓迎する気風があるようです。作業に取り組む生徒はたいてい、教師やクラスメートからたくさんのフィードバックを受けて改良を重ね、一年をかけて完成させます。批評を受けてくり返し改良したり、長期にわたる課題に粘り強く取り組んだり、実際にやってみたうえで感じる不満に対処したりすることによって、生徒たちの知識や知力が伸びるだけでなく、非認知能力、カミーユ・ファリントンの言葉でいえば「学業のための粘り強さ」、もっと一般的な言葉でいえはグリット、レジリエンスもまた伸びるのです。

これに懐疑的な目を向ける人々も大勢いるそうです。熟練教師の手によって教室でおこなわれるプロジクト型学習には高い効果があるかもしれませんが、未熟な教師が安易に用いると失敗する、というのが懐疑論者たちの懸念のひとつだそうです。価値ある授業にするためには、プロジェクトを綿密に計画し、注意深く生徒をサポートし、正確な情報に基づいて授業を進める必要かあります。そうでないと、PBLは栄養のないカロリーのようなもの、生徒の知識を増やすという大きなゴールとは無縁なただの気晴らしになってしまいます。

支配的指導

各国での日本の授業の進め方で評価が高いのは、グループ活動だと言われています。教師から一方的に教わるのではなく、一人で考えるのではなく、グループの中で話し合い、そして、子どもの方から答えを見つけていくという方法です。これに比べてアメリカの教室では、分母の異なる分数の足し算という新しい単元に入るとき、ふつうは問題を解くのに使える公式を教師が頭上のプロジェクターに映しだすことからはじめ、生徒はそれを書き写し、覚えて、次につづく問題を解くのに使うのです。教師は頭上のプロジェクターで例題をいくつか最後まで解いてみせ、生徒はそれを見て、聞いて、その問題をノートに書き写します。それから教師は生徒たちが自分で解くようにと、先ほどやってみせた例題とそっくりな練習問題を与えます。スティグラーとヒーパートが『日本の算数・数学教育に学べ』に書いたところによれば、この指導法の前提は、生徒たちが新しい手順を吸収するのは「何回も練習すること」によってであり、「練習問題は先に進むに従って、まえの問題よりも少しむずかしくなる」と言います。アメリカの教師の指導の原則では、「練習はまちがいのないように、成功確率の高い状態でおこなわれるべきであるとされます。混乱や不満は、従来のアメリカ式の見解では、最小限に抑えるべきなのである」。

スティグラーのチームは何百時間もの録画データを活用して、こうした文化的な傾向にしつかりした数字をあてはめました。日本では、数学の授業時間の41パーセントが基礎的な練習、つまり次から次へと問題を解くことに使われていました。しかし、44パーセントはもっと創造的な活動にあてられていました。新しい手順をあみだしたり、知らない問題に知っている手順を使ってみたり。これに対してアメリカの教室では、生徒の時間の96パーセントが反復練習に使われ、新しいアプローチについて思案する時間は1パーセントにも満たなかったのです。

アメリカで支配的なこの指導方法を用いれば、日本の生徒たちか強いられる困惑や苦労、不快感は与えずに済むかもしれませんが、ロン・バーガーがいうような「性格をつくりあげるチャンス」も取りあげてしまいます。規律を守らせるためのいっさい許容しない方針が、貧困層の子どもたちをむしろ学校から遠ざける方向へ働いたのとおなじように、従来のアメリカの教育の多くの要素が、子どもたちを成功から遠ざけているのだとタフ氏は言うのです。

このような人間関係の中で学び、協力し、助け合うことが日本人の特性であるとも言われています。欧米では、教師からの指導が中心になっているのです。この事実を私は知った時に、今までの保育カリキュラムは、欧米で考えられたものが中心で、特にアメリカでのカリキュラムは、保育者が子どもにどのようにアプローチするかということが中心課題になっていることが頷けました。しかし、この研究が小学校以降を対象にしていますが、実は、保育においても子どもたちの発達は、大人から教わるのではなく、人間関係から、子ども同士のかかわりから学ぶべきであろう私は考えています。しかも、それは、その方が効果的であるのは、もともと人類は人間関係の中で、協力し、助け合い、教え合うことで進化を遂げてきたからです。そんなこともあって、「見守る」という考え方は、なかなかアメリカでは受け入れにくいのでしょう。

 

基礎の反復

ビアンタと研究チームは、アメリカじゅうの5年生のなかから737のクラスを対象とし、そこに1年生と3年生のクラスも何百か加え、学校で一日のうちに出される課題を観察した結果、ほとんどすべての学校で、生徒たちに出される課題が単純でくり返しの多いもの、基礎的なスキルを際限なく練習するだけのものであることがわかったそうです。協同学習や小グループでの課題である、ターンアラウンドや、ポラリス、WHEELSなどが主軸とする教育戦略は珍しく、こうした活動にあてられる時間は、授業時間の5 パーセントを下回ったそうです。つまり、生徒が批判的思考のような分析スキルや、本を深く読みこむ能力、複雑な問題を解く能力を練習によって伸ばせるチャンスもそれだけ少ないということだと言うのです。生徒たちが何をやっているかといえば、基礎的なスキルに関する教師の講義を聞くか、その基礎的なスキルをワークシートで練習するかです。そうやって時間の大半を過ごしているのです。ビアンタらの報告によれば、平均的な5年生がやらされる基礎的な読み書き計算に関する課題の量は、問題解決や論理思考に焦点を合わせた課題の五倍にのぼるそうです。1年生と3年生では、これが10倍になるそうです。

さらに、中流以上の家庭の子どもが多い学校でさえ基礎の反復が多く、低所得層の子どもが多い学校では状况はいっそう悪かったそうです。中流以上の家庭の子どもが多い学校では、自分が参加を求められる興味深い授業を受けていると思うと答えた生徒の割合は全体の47パーセントで、基礎の反復の授業ばかり受けていると答えた生徒の割合である53パーセントとほぼおなじだったのです。しかし低所得層の子どもの多い学校では、生徒のほぼ全員に近い91パーセントが、基礎的で面白くない授業を聞いていると答えたのです。

アメリカの教育であまりにも広く採用されているこのアプローチが、じつはあたりまえのものではないことには注目しておきたいとタフ氏は言います。ほかの国では、授業の様子はちがっていると言います。1990年代に、。ジェームズ・スティグラーという研究者が国際的な一大ブロジェクトをたちあげ、その一環として、アメリカとドイツと日本の数学教師を無作為に何百人か選び、8年生を教える授業を録画しました。スティグラーはこの研究を要約し、1999年に、ジェームズ・ヒーバートと共著で『日本の算数・数学教育に学べ」(邦訳は2002年、教育出版)という本を刊行しています。スティグラーの発見によれば、日本の数学の授業は、アメリ力の数学の授業とはまったく異なった手順で進められていたそうです。

日本では、新しい数学の項目を教えるとき、たとえば、3 / 5 + 1 / 2のような、分母のちがう分数の足し算を教えるとき、生徒が見たこともない問題を提示し、自分で解いてみるように言います。生徒たちはしばらくのあいだ問題を眺め、頭をかいたり、ときには苦しそうに顔をしかめながら答えを出します。その答えはたいていまちがっています。

次におこなうのは小グループ、またはクラス全体での話し合いをします。ここで生徒たちは回答を比べあい、議論をしながら異なったアプローチをひねりだします。教師は、最後には数学の新しい要素、この場合でしたら、分母の最小公倍数を見つけるという原則を導入できる方向へ議論を誘導します。正しい回答はたいてい教師ではなく、生徒のなかから出てくることが多いのです。そこまでのプロセスで、生徒たちはときには途方に暮れることもあり、ときにはイライラすることもありますが、そこも大事なのです。授業が終わるころには戸惑いも苛立ちも、新しい事柄を深く理解できたという満足に取って代わられるのです。博識な大人から丸ごと教わったのではなく、生徒同士の対話を通じて一から組み立てたのですから。

性格と非認知能力

EL提携校の教員と管理者たちは、性格についての話をたくさんするそうです。「性格」は彼らにとって非認知能力と同義なのです。ELの考え方では、性格は講義や教師からの直接の指示によってつくられるのではなく、やりがいのある学習作業を粘り強くやりとげた経験によってつくられると考えられているのです。バーガーは、「子どもたちにもっと自信を持ちなさいとか、知的な胆力を持ちなさいと話すだけで“性格を教える”ことはできません。子どもどもたちが性格を学びとるには、サポートを受けながら、思いきってやってみることを継続的に強いられる必要があります。作業を親とともにこなしたり、グループで一緒に勉強をしたり、クラス全員のまえで話をしたり、完成したものを発表したり。このようなクラスへの参加を求められると、生徒たちは、最初は緊張したり、わめいたり、助けを求めたりする。しかしやがて自信がついて、自分でやるようになる。そういうチャンスが性格をつくりあげるのです」と言っています。

タフ氏は、これこそが、ELの提携校で起こっている変化のなかで最も意義深いイノベーションであるように思っていると言います。ストレスに満ちた子ども時代の影響に取り組もうとするとき、概して学校が頼る最初の、そして唯一の“道具箱”は「人間関係」だと言います。確かに、学校での深く親しい人間関係から生じる絆、帰属意識は必要なのですが、それだけでは足りないというのが決定的な見方だと言います。生徒が本心から学校に興味を持つためには、生徒はこう思う必要があると言います。「自分は重要な活動をしているのだ、深く、手ごわく、やりがいのある活動をしているのだ」と。

意義ある難題に出会い、乗りこえることは、学業への前向きなマインドセットであり、それは、カミーユ・ファリントンのいう、「私はこれを成功させることができる」「私の能力は努力によって伸びる」というようなマインドをつくるうえで決定的な要素だといいます。いや、それどころか、子どもたちの心のありようを、とりわけ貧困層の子どもたちのポジティブな心のありようを最も効果的に生みだす方法でもあるというのです。解決方法のわからない問題に出会い、苦労してそれに取り組み、たいていチームメイトに助けられたり、教師からのサポートを受けたりしながら、最後には答えを出す。そういう瞬間を経験するチャンスがあれば、しなやかな心について抽象的な、あるいは理論的な説明をする必要もないと言うのです。生徒たちはみずからの体験によって、自分の脳が努力や苦労を通じて育つことに確信を抱くようになるのだとタフ氏はいいます。

知的な課題に粘り強く取り組み、苦労しながらやりとげる経験は、生徒たちに深い影響を与えます。幼少期の温かいやりとりと同程度の深度で影響を与えるのです。そして「有能感」と「自律性」というふたつの感情を生みだします。デシとライアンが挙げた三つの内発的動機づけのうちの二つです。しかし多くの学校で、とくに貧困層の子どもたちを教える学校で、こうした経験から子どもたちを遠ざける指導がおこなわれているというのです。

2007年、バージニア大学のロバート・ピアンタは、アメリカの公立学校を広範囲に調査した結果をサイエンス誌に発表しました。ビアンタと研究チームは、アメリカじゅうの5年生のなかから737のクラスを対象とし、そこに1年生と3年生のクラスも何百か加え、学校で一日のうちに出される課題を観察したそうです。

殻から引き出す

ELの提携校が生徒の成績に大いにプラスの影響をもたらしていることは、独立機関による研究でも明らかです。マセマティカ政策研究所による2013年の研究では、ELが提携する都市部のミドル・スクール5校の生徒を、同等のほかの学校の生徒と比較したところ、三年間で数学では10カ月分、読解では7カ月分、提携校のほうが進んでいることがわかったそうです。また、ELの教育は低所得層の生徒たちに対してより大きなプラスの効果があることもわかったそうです。

バーガーはこれを意外には思わなかったと言います。EL型モデルが逆境に育った子どもたちに対し、なぜ効くのか、どのように効くのかははっきりわかっていたと言います。「情緒面が損なわれると、子どもはさまざまなやり方でそれを自分のアイデンティティに取りこんでしまいます。内にこもって自分を守ろうとする子どももいますし、タフガイの殻をまとって学校では態度を硬化させる子どももいます。いすれにせよ、そういう子どもたちはクラスで貢献することができなくなるのです。議論に参加することも、手を挙げることも、勉強に関心を示すこともできなくなる。情熱とか、反応とか、そういったものをすべて抑えこんでしまう。学校で思いきって何かをやってみることができないのです。思いきってやってみなければ、学ふことはできません」そういう行動には覚えがある、まさに自分が子どものときにやったことだから、とバーガーは言っています。バーガーは、自分の家で何が起こっているか、学校の人間にはいっさい知らせません。ふたつの世界を完全に切り離していたのです。学校に行きはしたし、勉強もやるにはやりましたが、ずっとうわの空だったのです。

「EL提携校の生徒たちは、私がしたような隠し事はできない」とバーガーは言っています。クルーが生徒たちを殻から引きだし、教室では、毎日のようにグループ討論や共同の課題があるため、クラスメートや教師とやりとりすることを強いられます。やがてそうしたやりとりが自然なことに感じられるようになります。タフ氏が昨春、アッパー・マンハッタンにあるELのべつの提携校である「ワシントンハイツELスクールを訪れたときには、どのクラスも、生徒全員の参加を要する複雑な議論や創造的な課題に取り組んでいました。7年生のあるクラスの社会科の授業では、生徒たちは四人ずつのグループに分かれ、グループごとにマジックベンで大きなポスターを書いていたそうです。生徒たちは連邦党と共和党に分かれて1790年代の憲法をめぐる議論をすることになっており、自分たちの党のピジョンを支持するスローガンでポスターを埋め尽くし、全体討論に備えていました。教師は机から机へと静かに歩きまわって質問やアドハイスをしましたが、大部分は生徒が自分たちで進めていました。これがアメリカの歴史を勉強しているミドル・スクールの生徒だとは。彼らが心から楽しんでいるように見えることに、タフ氏は感銘を受けたそうです。

彼らはニューヨーク市の公立学校のなかでも最貧困に分類される生徒たちです。ワシントンハイツELスクールでは100パーセントの生徒が、家族の収入が連邦の基準を下回るために昼食の曲助金を受けており、99パ―セントがラテン系かアフリカ系です。人口統計的に見れば、大都市のミドル・スクールやハイ・スクールのなかでは行動に問題のある落ちこぼれと見なされる層です。しかしこの日の社会科の授業では複雑な題材の学習に取り組んでおり、行動にもなんの問題もありませんでした。そしてそれは報奨によって動機づけされてるからでも、罰によって脅されているからでもなく、学校が、少なくともこの授業時間のあいだは、面白いからだったからです。