子ども時代

実は女の子は、以前にも男の子にシャベルとバケツを貸してあげたことがありました。男の子はそれを使って遊ぶのに夢中で、とうとう公園を出るまで、シャベルとバケツを返してくれなかったのです。先ほどの場面で女の子が「嫌だ」と拒否したのは、なかなか返してくれなかったことを覚えていたからでした。

改めて、この場面に親が介入しなかったらどうなっていたかを想像してみましょう。男の子が女の子に「シャベルとバケツを貸して」と言います。すると女の子は「嫌だ」と拒否します。「どうして?」と尋ねる男の子に、女の子は「だって、貸したら返してくれないから」と答えます。

男の子は、それを聞いて葛藤するでしょう。そして、遊ぶのに夢中でシャベルとバケツをなかなか返さなかった自分の行動が、相手にとって「嫌な行為」だったと知るのです。その上で男の子は「今度はちゃんと返すから、貸してよ」と、再び交渉するかもしれません。こどもたちはこうして、社会というものを学んでいくのです。

子どもたちの間に生じた小さなトラブルの種を見て、親はついよかれと思って介入してしまいます。しかしそれは、子どもの学びの機会を奪っている可能性があります。「トラブルから考える」という機会を奪い、自律の術を失わせてしまうのです。そんなことが日常あふれていると工藤氏は語っているのです。

さらに、工藤氏はこう語っています。自分も子育ての当事者としては同じようなことをしてきたと振り返ります。「親はどうしても『~すべきだ!』という子育てのフレームを作ってしまうものだと思います。人には優しくすべきだ、人には貸してあげなきゃいけない…。それはもちろん大切なことなのですが、より重要なのは『子どもが自律的にそれに気づけるか』と言うことなんです。」

この話から、ライターの多田氏は、こう書いています。

「誰もが子ども時代を経て大人になる。その過程では、さまざまなことに葛藤を覚え、傷つき、ときには深く沈み込みながらも次のステップへ進んでいく。自分の頭で考え、行動して得た結果は、良くも悪くも『学び』『経験』として自分の財産になっていくものだ。しかし私たちは、大人になると同時にそうした自らのプロセスを忘れてしまうものかもしれない。子どもが歩いていく先に何が待っているのか。何となく予測できるから、何となく制止してしまうこともある。それが『かすり傷』程度の危険であっても。」

多田氏は、「『目的思考』で学びが変わる」(ウェッジ)の本の最後に、工藤校長のこんな言葉で結んでいます。

「うちの息子がまだ1つか2つの、歩き始めたばかりの頃。道で思いきり転んでも、私はできるだけ慌てず、駆け寄ることもしないようにしていました。そして、自力で立ち上がった息子に満面の笑顔を見せてやるんです。親が慌てると、子どもは泣きます。トラブルがあったときに親が慌てると、子どもは『一大事だ』と感じてしまうから。面白いもので、転んでも親がどっしりと構えていれば、子どもは泣きません」

現在、中国、シンガポールで「見守る」という子どもと大人との関係が広がっています。シンガポールでは、それを「Watching & Wait」と説明しています。

子どもの心の中

現在、千代田区立麹町中学校長である工藤勇一氏は、「学校の『当たり前』をやめた」という著書の最後に、新しい時代の学校教育のカタチを模索しています。学校が変わるために、今何が必要なのかを考えています。それは、教育の本質を取り戻すことだと言います。あるいは、昔の学校を思い出すことだというのです。何のために学校があるのか、作られた制度の中で考えるのではなく、生徒、保護者、教員が最上位の目的を忘れず、ぶれずに、ゼロベースで積み上げていくことだと言うのです。

それは、計りしれないことではなく、身近な課題を解決するに当たって、対話を重視し、合意形成する経験によって達成し、その後の人生で、何度も繰り返し経験することだというのです。そして、小さな改善が積み重なり、大きな変化となると言うのです。草の根的活動が、自律に始まり、いつか大きなうねりとなって、教育の本質的な改革が進むことを彼は期待しているのです。そして、オセロの駒が一気にひっくり返される日が必ず来ると信じていると本の最後に締めくくっているのです。

この本を読み進めてきて、その要約を紹介するのは、決して彼の改革を素晴らしいとか、彼は素晴らしい校長だということではなく、この改革が、他の場にも、例えば保育の世界にも共通することがたくさんあり、私たちも改革をする勇気をもらうためです。現状に不満や疑問を持ちながら、いつも何かの、誰かのせいにして、変えようとしないことに対して、やろうと思えばできるのだということを学んで欲しいと思っています。

そういう意味もあって、ライターである多田慎介氏がウェブのニュースメディア「WEDGE Infinity」で麹町中学校の改革を取材して、記事を掲載したので、この改革が全国で話題になったのです。多田氏は、特に教育の専門家ではありませんが、だからこそ、工藤氏の改革が、大人たちの社会課題につながることを感じたのでしょう。

最後に、工藤氏が保護者対象の「授業」を多田氏が紹介しているので、ちょうど幼児のことでしたので、私もここに紹介したいと思います。

公園の砂場で、幼稚園児の女の子と男の子が遊んでいるとします。近くのベンチには、それぞれのお母さんが座って様子を見守っています。女の子は、自宅から持ってきたおもちゃのシャベルとバケツを使っています。男の子が女の子に向かって「シャベルとバケツを貸して」と言いました。しかし女の子は「嫌だ」と拒否します。その様子を見て、女の子のお母さんは「そんなことを言わずに貸してあげなさいよ」とたしなめました。女の子は渋々ながら、シャベルとバケツを男の子に貸します。男の子は無言でそれを受け取り、遊び始めました。すると男の子のお母さんは「『ありがとう』をちゃんと言いなさい」と諭します。どこにでもある、ほのぼのとした一場面ではないでしょうか。「自分が親の立場なら同じように言うだろうな」と感じる人も多いでしょう。しかし、実はこの場面の前段には、親が思いもしないストーリーがあるのです。

何のためにあるのか

彼は、今一度問いかけます。「学校は何のためにあるのでしょうか?」学校は、社会でよりよく生きるために学ぶ場です。そして、社会には多様な人たちがいるので、感情をコントロールし、対話を重ねながら、納得できる目的を探り当てて手段を生み出す、その体験がとても大切だと言います。これこそが、この社会をよりよい民主主義社会に成長させることにつながると工藤氏は考えているのです。

学校は、社会でよりよく生きるために学ぶ場です。多様な人たちの中で、感情をコントロールし、対話を重ねながら、納得できる目的を探り当てて手段を生み出す、その体験が、この社会をよりよい民主主義社会に成長させることにつながると工藤氏は考えています。まさに教育基本法における教育の目的である「人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。」に沿った考え方です。

では、工藤氏は「民主主義社会」とは何であると考えているのでしょうか。彼は、まず、この問いに対して、多数決の原理を思い浮かべる人も多いかも知れません。彼は、選挙で代表者を選ぶ仕組みは当然必要なものだと思っているのですが、選挙で多数派となれば、何をやっても許されるという話ではないと言います。多数決の原理と同時に、少数意見を尊重することが、民主主義の真の姿だというのです。問題は、少数派の意見をどのように取り上げて、合意形成を図っていくかだと言います。私たちは、このプロセスになれていないがゆえに、無駄に対立したり、議論がこじれて思わぬ方向へ行ってしまったりすることがあるというのです。

対話を通じて、上位目的の合意形成を図るためには、一人ひとりにどのような資質が必要となってくるのでしょうか。「ルールを踏まえて建設的に主張する」「意見の対立や理解の相違を解決する」「感情をコントロールする」などの力を一人ひとりが高めていくことは、健全な市民性を育み、民主主義社会を築く上での土台になると彼は考えています。一見、極端に相反する考え方も、その一つか二つ上の目的を確認しあえば、同じ目的を目指していることが分かったりします。それを確認し合うことで冷静に議論ができるようになることもあると言います。この経験を積み重ねていけば、対立を恐れることなく、協働して何かを決めることができるようになると言います。民主主義社会の形成において、学校教育が果たす役割は大きいものがあると工藤氏は考えているのです。

現在、リーダー志向は弱まっている感があると言います。学校教育においても、校長・副校長を目指す人は減少傾向にあり、民間企業においても、マネージャーよりもプレイヤーを選ぶ人は多いそうです。このように、リーダーを目指す人が少ないことの背景には、「責任者」「当事者」として、矢面に立ちたくないという心理が働いているのかも知れないと工藤氏は言います。この点は、学校が児童生徒を「お客様扱い」し、自律する機会を持たせないまま、大人にしてしまったこれまでの教育のあり方を、本当に考え直さないといけないのかもしれないと工藤氏は言うのです。彼は、リスクを負った経験を積み重ねてこそ、本物のリーダーになれるという覚悟を持っていると言います。彼は、教育困難校で嵐のような日々を過ごしたことも影響したかもしれないと言います。難しいミッションと対峙する中で、一教員としてできることに限界を感じたことが多々あったそうです。問題を解決に導き、学校を良くしていくためには組織を動かすことが不可欠であり、そのためにはトップに立たねばならないと工藤氏は考えたそうです。

自発的に使いたくなる

工藤氏は、ICT導入に当たって、教職員組合の代表者たちと再度話し合うことを提案しました。すると、何人かが残って、別室で説明を聞いてくれたそうです。その後も話し合いを続けて、気がつけば数時間が経っていたそうです。彼は、ICT化の意義やねらいについて、教員にとってよい環境がなければ、どんな環境を入れたって使われなくなる。ICTが得意な先生も、得意ではない先生も誰にとっても使いやすい仕組みであれば、絶対によいものが入れられるはずだと話したのです。ICTに切り替えるに当たって、彼が意識したのは「使いやすさ」と「管理のしやすさ」でした。どんな便利なものも、利用する側が「使いにくい」「難しい」などと思ってしまえば、使ってはもらえないと考えたからです。これほどまでにスマートフォンが世に普及したのは、誰にでも感覚的に使えて、特別なメンテナンスもいらないからだと彼は考えたのです。

当時、文部科学省では教室のICT化を推進していたのですが、その構成は電子黒板をメインに据えたものだったそうです。電子黒板は非常に高機能ですが、多くの教員にとって、使いこなすのが難しいものです。加えて、教室の隅に置いておくとスペースを占有して、それではと、別の場所に置いておき、授業ごとに運んでくるとなると、非常に手間がかかり、面倒なものだったのです。そうした理由もあって、何百万もかけて導入したのにほとんど使われていないような状況が、全国各地の学校で散見されていたようです。

そこで、工藤氏は、学校ICT化を推進するに当たり、ICTが得意な教員も得意ではない教員も、子どもたちも自発的に使いたくなるような環境作りを意識したそうです。もちろん、予算も限られていますので、コストを抑える必要も出てきます。彼は最適な環境、最適な機器を探すため、様々な企業や学校を自らの足で回ったそうです。最終的に、区が独自に考案したICT教室環境を区内全教室に導入することになったそうです。そこに至るまでは、自らの利益にこだわることなく、親身になって力を貸してくれた区、教委内部、学校関係者、多くの企業の方々のおかげであり、何よりも常に強い気持ちを持って取り組んできたプロジェクトチームの仲間の力が実現したことに大きな貢献をしたと振り返っています。

また、実施に当たっても、お手本的なものは一切示さず、教師自身が自ら効果的な授業方法を考案するようにしたそうです。その結果、このICT環境を活用して、教員たちが次々と新しい授業方法を編み出していき、今では、単焦点型プロジェクターや実物投影機、パソコンなどを使った授業が、日常的に行なわれているそうです。専門職である教員が自律的に動けば、「100年経っても変わらない」と言われたスタイルも、変わることができるのだと工藤氏は言うのです。

しかし、だからと言ってこの教室環境が、未来永劫続くというわけではありません。時代の変化と共に、常に見直し、改良を加え、イノベーションを起こしていく必要があると彼は言うのです。大切なのは、「当たり前」に疑問を持ち、目的と手段の観点から、改善を図っていくことだというのです。

黒板とチョーク

工藤氏は、教員と同様に、校長や副校長などにも自律は求められると言います。数々の法令があることが前提としても、管理職が自律的に学校マネジメントすれば、公立学校は大きく変わりうる可能性を持っていると主張します。彼は、変革を阻んでいるのは。「法律」「制度」よりも「人」だと考えていると言います。不条理・非効率的な状況があるにもかかわらず、何ら疑問を持たずに前例を踏襲するような教育関係者は少なくないのではないかと言います。まずは、「学校の当たり前」を疑うことから、始めるべきだと主張します。

例えば、学校の教室には、黒板とチョークがあり、教卓と児童生徒の机と椅子があります。こうした環境も、「当たり前」で誰も疑問を持たないのですが、現代社会において果たして最適なのかどうかと問います。子どもたちに必要な力を養っていく上で、もっと最適な環境があるのではないか、そんな疑問を常に持ち続けるべきだと彼は言うのです。

とはいえ、黒板にチョークを使って授業する現状のスタイルを変えるのは、容易ではないと言います。コストの問題以上に、多くの教員がそのスタイルに慣れており、その形に固執しているからだと言います。ある教育関係者が、「これは100年以上続いてきたスタイル。この先、100経っても変わらないだろう」と話しているのを聞いたことがあるそうです。しかし、やり方次第で、そうした「当たり前」も覆すことはできると彼は言うのです。実際に、彼が教育委員会の指導課長の時、全区内の小中学校の全教室の黒板を撤去し、ホワイトボードとICT環境を導入したそうです。導入に際しては、内部で十分な意見統一が出来ていなかったため、当初は当然、反対もあったそうです。しかし、魅力的で分かりやすい授業を実現するためには、新しい教室環境を整えるべきだとの確信が彼にはあったそうです。そのため、各方面と対話を重ね、その必要性を訴えていったそうです。

日本では、2020年度から小学校でプログラミング教育が必修化されます。そのために、新しく使われる教科書にはプログラミングの項目が盛り込まれているそうですが、日本の場合、子どものパソコン保有率が極めて低いという記事が、今年の4月に掲載されていました。OECD(経済協力開発機構)の国際成人力調査によると、16歳から24歳までの若者が職場や家庭などでパソコンを利用する頻度は、OECD加盟国中最低水準だったそうです。また、OECDの学習到達度調査においても、学校や家庭でコンピュータを使える状況になっていると回答した生徒の割合は、ほとんどの質問項目において47カ国で40位以下にとどまっていたそうです。まだまだ偏見を持った大人が多いのも理由の1つのような気がします。

工藤氏が、ICT環境の導入に当たって、すべての教職員組合の代表者が、年度当初の教育委員会との話し合いにやって来たそうです。組合は、様々な要求と共に導入によって教員の負担が増えるのではないかという懸念があると言って批判的に話したそうです。そこで、彼は、ICT導入の意義と期待される成果を丁寧に説明したそうですが、理解は得られずに終わったそうです。通常はこれで終了となり、担当としての義務は果たしたことになるのですが、彼は彼らを引き止めてこう言ったそうです。「ここで帰らないでください。もっと話をしましょう。どうしたら、子どもたちのためになるのか、ICT環境の導入を成功させるためにも、一緒にやりませんか。組合と区教委が同じ目標を目指して協力し合う、そんな取組みをしませんか」

3つのコンピテンシー

工藤氏は、非認知スキルを育てていくためには、それが身についたかどうかを測る「ものさし」が必要だと考えます。そのために、OECDが「能力の定義と選択」プロジェクトの成果として示した3つの望ましい行動特性であるキー・コンピテンシーを活用することにしたのです。この3つのコンピテンシーは、私たち幼児教育にも参考になるものです。

まず、「自律的に活動する」です。そのために、1.感情をコントロールする。2.見通しを持って計画的に行動する。3.ルールを踏まえて建設的に主張する。二番目は、「相互作用的に道具を用いる」です。そのために、1.様々な場面で言葉や技能を使いこなす。2.信頼できる知識や情報を収集し、有効に活用する。三番目として「異質な集団で交流する」です。そのために、1.他者の立場でものごとを考える。2.目標を達成するために他者と協働する。3.意見の対立や理解の相違を解決する。です。これを中学校生活に当てはめると、主要5教科を中心とした学力は、「相互作用的に道具を用いる」の部分に該当すると言います。そして、残りの2つが、麹町中学校の「目指す生徒像」になると言うのです。

工藤氏は、ここで注目すべきポイントを挙げています。それは、「相互作用的に」という言葉だと言います。知識・技能そのものに価値があるということよりも、対人、対社会の中で相互に使う力が問われているという点だと言います。新しい学習指導要領で、アクティブラーニングが取り上げられている理由もここにあるというのです。

また、「異質な集団で交流する」や「自律的に活動する」などの力は、一方通行の講義形式の授業だけでは身につけることができないと考えているのです。そのため、様々な実践を展開してきたと言います。例えば、「クエストでデュケーション」や「スキルアップ宿泊」は「異質な集団で交流する」力を高めるための実践ですし、手帳によるスケジュール管理や宿題・定期考査の全廃は「自律的に活動する」力を高めるための学びだというのです。

また、17歳以下の小中高生等を対象とした「未踏ジュニア」というコンテストがあるそうです。各界で活躍する専門家の指導の下、子どもたちがハードウェア・ソフトウェアの開発等に取り組むコンテストで、独創的なアイデア、卓越した技術を持つクリエイターを発掘・育成するために行なわれているそうです。学校は、そうしたキャリアも視野に入れながら、学習指導や進路指導に当たるべきだと工藤氏は考えています。

ほかにも、「未踏ジュニア」と似たような進路は、IT分野に限らず、あらゆる分野に広がっていると言います。パティシエや、寿司職人を目指すにせよ、建築家やデザイナーを目指すにせよ、一芸に秀でたスペシャリストを目指すことは、その後の自分の人生に大きな影響を与えると言います。もし、その後に挫折し、別の道に進んだとしても、その経験は決して無駄にはならず、その先の可能性は無限に広がっていくということを、特に成功した大人は知っていると彼は言うのです。

現代社会においては、特定分野の技能を磨き続けることが、その人の可能性を広げることにつながると考えているのです。彼は、「自分の進路は狭めていけばいくほど、その後の進路は広がる」と思っているようです。

新しいカタチ

このように、様々な改革や取組みをしてきた麹町中学校長の工藤氏は、これからの激しく変化する時代において、学校や社会はどのようにあるべきかと考えているのでしょうか?

いま、政治家の失言やスキャンダル、企業の不祥事、凶悪で卑劣な犯罪など、世の中にはネガティブなニュースがあふれています。子どもたちのところにも、テレビやネット、スマホを通じて、そうした情報が日々流れ込んできます。「世の中はろくなもんじゃない」「大人になんてなりたくない」と感じている子どもたちが多いのではないかと工藤氏は心配しています。しかし、こうした報道は、実社会の一面を映し出しているに過ぎないのも事実だと言います。彼は、私たちの身の周りに目を向ければ、自分らしさを発揮しながら活躍するモデルとなる大人はたくさんいると言います。そうした魅力的な大人に触れる機会をたくさん作るようにしているそうです。

教育会では近年、子どもたちの「自己肯定感の向上」が課題として指摘されています。これは、工藤氏の課題意識と共通するところだそうですが、「自己肯定感」という言葉がやや堅くて難解で、一般の人には通じにくいものだと感じていると言います。彼は、もっと分かりやすい言葉で、生徒たちに伝えたいと思い、以前にも書きましたが、麹町中学校の最上位目標を彼は、「すべての子どもたちが『世の中ってまんざらでもない!大人って結構素敵だ!』と思える学校」に設定したのです。

そのためにも、子どもたちを自律させることが大切だと考えたのです。何か課題に直面したとき、どうすれば解決できるかを自らの頭で考え、周囲を巻き込みながら解決へと導いていく。そうした力を養うためには、前提として「世の中ってまんざらでもない!大人って結構素敵だ!」と思える環境作りをしていくことが不可欠だと彼は考えているのです。「世の中はろくなもんじゃない!大人なんてなりたくない」と考えているような人間は、自力で解決する姿勢を放棄し、誰かのせいにするからだと言うのです。

子どもたちが自律し、「早く大人になりたい」と思うためには、私たち大人が子どもに手を掛けすぎず、自分で考え、判断、決定、行動させる機会を与えることが大切だと訴えます。宿題や定期考査の全廃、固定担任制の廃止などは、そうした狙いのもとで行なったそうです。子どもは、大人がきめ細かに手を掛ければ掛けるほど自律できなくなることを、大人たちは今一度、全員で認識する必要があると彼は考えているのです。

もちろん彼は、宿題や定期考査を全廃したからといって、決して学力を軽視しているわけではないですし、生徒たちが自分に合った進路を選べるように、最大の支援は行なっています。しかし、主要5教科を中心とした学力だけが、そのままこれからの社会で通用する尺度になるとは考えていないと言います。対立を解決する力や感情をコントロールする力、見通しを持って行動をする力、多くの人たちと共に問題解決をする力などが備わっていなければ、どこかで壁に阻まれると考えているのです。

こうした非認知スキルを育てていくためには、それが身についたかどうかを測る「ものさし」が必要だと考えます。

脳神経科学的

大村さんの小学校における実践はすべての子どもの学習権を保障するという考えが最上位に来ているそうです。こうした考えは、教育活動のあらゆるところに浸透しているそうです。例えば、椅子に座れずに立ち回る子どもがいたとすれば、一般的な学校では、椅子に座れない子が問題だとして捉えられがちですが、彼女の小学校では、この子が問題度とは捉えないのです。それは椅子に座れないことが悪いのではなくて、発達の今の状況に過ぎないと考えられているそうです。そして、その子にとって、いちばんよいことが何かを、また何が必要なのかを徹底的に考えるのです。そこには、「インクルーシブ」とか「特別支援」という言葉はないそうです。目の前の子どもをしっかり見ることが徹底されているのです。

学校では、多くの場合、「問題は作られる」と工藤氏は言います。例えば、授業中に教室から出て行く小学1年生が、教室に複数いたとします。この現象は「小1プロブレム」と呼ばれて、教育活動として取り上げられますが、木村さんは「立ち回ることが、なぜ、いけないのか」と問うそうです。つまり、学校や教室のあり方、支援のあり方を問うのだと言います。これは、ユニバーサルデザインなどの考え方とつながるものだと彼は思っているのです。「なぜ、その子が教室から出ていったのか」を考え、教員同士で徹底的に話し合うべきですし、子どもたちにも考えさせることが大切だと、木村氏は指摘しているそうです。

このような指導は、確固たる確信を持って行なわれているのですが、現在の学校教育においては決して主流とは言えないのも事実だと工藤氏は言います。ということもあり、彼は、脳神経科学的にはどう評価されるのかということに興味を持ったと言っています。

脳神経科学的な立場から、青砥さんから助言をもらったところ、工藤氏と木村氏が行なった解決方法などに高い評価と解説をもらったそうです。また、「固定担任制の廃止」が、子どもたちに与える影響についても、同様に評価したそうです。いずれも、細胞、分子レベルの現象としてリーズナブルであるという意見をもらうことができ、青砥氏による研修は、多くの参加者から好評だったようです。

なお、脳神経科学者である青砥さんの指摘で興味深かったのは、安心、安全な環境が確保されていないと、脳は心的危険状態に陥るということだったそうです。この状態になると、脳の感情をコントロールする部位であったり、学習を機能させる部位や、体を制御する部位などの働きが抑制されるというのです。発達に特性のある子は教員の指導により脳の防衛機制が働き、悪循環に陥る傾向があるという話だったそうです。それらの取組みによって、工藤氏は、今後、脳神経科学は、学校教育の環境のあり方や子どもの指導のあり方に大きな影響を与えてくれる可能性があると考えています。

彼は、この研修からあらたな意義を発見をしたそうです。それは、この研修は、校外の人たちが参加したことで、そこから相互に多くの刺激を受けることができたということだそうです。今では、むしろ多様な人が入らなくては、より良い研修にならないとさえ感じていると言います。参加者は、大学生から民間企業のサラリーマン、映画政策関係者まで、年齢も立場も実に様々な人たちが集まったそうです。中には、経済産業省や文部科学省の職員もいたそうです。学校が必ずしも好きではない、子どもの頃にいじめに遭って、学校にネガティブな印象を持っている人もいたそうです。こういう様々な方から出てくる意見や考えに、教員はさまざまなことを思い、心を揺さぶられたと工藤氏は感じています。

どんな研修

全国各地で行われている公開研究会も教員に負担をかけています。日本では、多くの学校で研究授業を行なっていて、年に数回は外部の教育関係者を招いて、公開研究会を開催しています。日本独自の研修システムとして海外からは評価されているようですが、半日分の授業がなくなる上に教員の負担も大きく、工藤氏は効率的ではないと感じているようです。

一般的な公開研究会では、授業が終わった後に、外部から招いた大学教員等による講評等が行なわれますが、教員の中にはその意義が感じられず、つい、ウトウトしている人も見られるそうです。研修内容が、自分にはさほど関係なく、「役立たない」と感じているからではないかと考えます。確かに、内容的にも若手からベテランまで、すべての教員にとって役立つものとはなっていないことはよくあると彼は感じていたのです。

そうした理由から、彼は区の指導課長時代に公開研究会の全面廃止を提案したそうですが、学校の抵抗もあり、実現はしなかったそうです。彼が麹町中学校に赴任してからは、1回開催しただけで、その後は従来型の公開研究会は開催していないそうです。公開講座のような形で、全国から多種多様な方が参加できる研究会や研修講座を開催しているそうです。

このように、学校には前例踏襲を常とする、放置されたままの慣習が至る所にあると彼は言います。彼は、「学校と企業は違う」と思わず、学校・民間を問わず、工夫すべきところは工夫し、参考にできることは参考にしていくべきだと主張しているのです。

彼は、また脳神経科学者と共に研修に取り組んでいます。教員は、学習指導や生徒指導において、様々な経験知を持っています。生徒を上手にほめる方法やしかる方法、やる気を喚起する仕掛け、気持ちを高める声がけなど、ベテラン教員になればなるほど、数多くの経験知を保有し、日々の教育活動に生かしているものだと言います。

そうした経験知の数々は、「正しいもの」「効果的なもの」として多くの教員間で共有されているのですが、実は、その効果が科学的に裏付けられているわけではありません。この点を科学的に分析、評価することを目的として、2018年度から新たに脳神経学の視点を取り入れた教員研修を実施しているそうです。協力者は、株式会社ダンシングアインシュタインFounderの代表・青砥瑞人さんです。彼は、日本の高校を中退した後に渡米し、カリフォルニア大学ロサンゼルス校で脳神経科学を研究してきた脳のスペシャリストだそうです。

これまで、教員が経験知として実施してきた指導が、脳科学の視点から裏付けされれば、これほど心強いものはないと考えたのです。子どもがモチベーションを持って自律的に学ぶとは、脳科学的にはどのような状態を指すのか、それが分かれば支援のあり方、環境の作り方、言葉掛けの仕方などが理論的に整理できて、教育活動の制度は格段に高くなると考えたのです。もちろん、これまでも教育心理学に基づくカウンセリングの方法など、科学的な手法で、理論化されてきた領域はあります。しかし、脳細胞レベルでそれが理論化されれば、その成果は比べものにならないほど確かなものとなるに違いないと彼は考えているのです。

そんな彼は、大阪の小学校の元校長である大村泰子さんを誘います。彼女の小学校における実践も素晴らしく、特に特別な支援・配慮を必要とする児童が全校生徒の約1割ほどを占める学校での実践記録が、ドキュメンタリー映画「みんなの学校」として公開されて、注目を浴びていたのです。

業務の効率化

昨今の教員は、確かに忙しいのは事実です。教材研究、生徒指導、部活動指導、校務処理、保護者対応などに追われ、「子どもとじっくり過ごす時間が取れない」と多くの教員が嘆いているそうです。勤務時間内では仕事が片づかず、夜遅くまで残業したり、仕事を持ち帰ったりする人もいるようです。学校というところは、残業手当が支給されない給与体系だそうで、こうした勤務が常態化していることは、労働基準法に照らしても問題だと彼は考えています。そのため、彼は、学校改善は、教員の労働時間を減らすことと並行して実施していったのです。

業務の効率化を図るうえで、最初に着手したのが打ち合わせだったそうです。朝の会議を短縮して、報告事項は各自がホワイトボードに書いて、最重要事項だけを伝えるようにしました。その結果、10分以上近くかかっていた会議は、毎朝1分程度で済むようになり、どの教員もゆとりをもって教室へ行けるようになったそうです。ホワイトボードの書き方も、生徒に伝えるべき事項は赤、教員同士で共有すべき事項は青という形で、色で書き分ける工夫をしているそうです。また、ホワイトボードに書いたことは、打ち合わせでは言わないことも徹底したそうです。口頭で確認するようになってしまうと、ホワイトボードを見る習慣が失われてしまうと彼は考えたからです。なお、現在は校務管理のグループウェアが導入され、そこで教員間の情報共有が図られているそうです。

次は会議の在り方についてです。学校には、職員全体で行われる会議のほかに、教務部や生徒指導部、進路指導部など分掌ごとの会議もあります。そこで、校務分掌組織の大幅な改組を図ったそうです。これまで職員会議で決めていたことは、基本的には各部に「責任と権限」を与えて、スピーディに対処しているそうです。

具体的には、中心となる運営委員会を校長・副校長と各部の主任4人の計6人とミニマムに構成し、その下に経営支援部、教務部、生活指導部、進路指導部という形にしたのです。そして、各部で企画したものは、運営委員会で了承が得られれば、職員会議を通さずとも進めてよいことにしたそうです。その結果、意思決定のスピードは劇的に速くなり、教員のアイディアなどもすぐに実行できるようになっていると言います。もちろん、各部の決定が、学校の上位目的から外れていないかどうかは、運営委員会においてしっかりとチェックされます。しかし、運営委員会が通った後の細かなことは極力、口を挟まず、各部の創意工夫に委ねるようにしているそうです。

会議以外の業務効率化を行いました。通知表の作成、配布時期の変更をしたのです。通知表の作成において、教員が最も力を注いでいることに、「所見欄」を書くことがあります。多忙な学期末にこの作業が入るのです。そうした負担を軽減するために、「所見欄」の作成回数をまず3回から2回に減らしたのです。といっても、通知表の回数を減らしたわけではないそうです。麹町中学校では、6月下旬、10月上旬、12月下旬、3月上旬の年4回通知表を出しているそうですが、所見欄については、10月上旬と3月上旬の2階のみ書くことにしたそうです。10月上旬や3月上旬であれば、教員は夏休みや冬休みをはさみながら、じっくりと生徒のことを考えて所見欄を書くことができるようになると考えたからです。