レベル4の熟達者

キャシーは、ゴルフを例に挙げて、初心者と熟達者と後が愛を説明しています。ゲームは進み、今度度はバンカーがフェアウェイを横切っていたとします。川とバンカーの違いはあるものの二つのホールは構造的には類似した状況です。プロは表面的な類似だけでなく、前方に障害物が立ちはだかる中でショットするという問題の「深層構造(deep structure)」まで考えています。このように熟達者は深い知識を持っているので、まだ低いレベルにある初心者の友達に合わせて、自分の思考プロセスを理解できる形で伝えることができると言うのです。子どもに教える人がレベル4の熟達者であってほしいと考える理由はここにあると言います。熟達者は単に専門知識を持っているからではなく、相手に合わせて多様な方法で説明したり、例を示したりできるからだと言うのです。カリキュラムガイドで書かれた通りにしか動けない素人とは大違いなのです。

数学のできない中学二年生の子がいました。この子に対して熟達した教師はその原因がどこにあるか的確に突き止めてサポートします。この子の場合、分母の大きい分数の方が大きいと考えていることが判かり、それは4年生の時に分数をきちんと学んでいなかったからでした。すぐに対処しこの問題を克服したら、めきめきと数学ができるようになったそうです。

九九のいくつかは覚えているものの掛け算に意味を見出すことができず、掛け算を拒否する子がいました。こういう場合も熟達した教師は、頭ごなしに「覚えろ」とか「やらないと困るぞ」とは言わず、子どもに気づかせる工夫をすることができます。この子に数える仕事を与え、掛け算をしないと困る状況を体験させたのです。もちろん本当に必要とされる仕事を自然な流れの中で課したのです。一枚のシートにつき6個のステッカー。シートは八枚。一体全部でステッカーは何枚あるのか……一枚一枚一枚数えていたら大変です。そう思った瞬間、彼の頭の中に「あっそうか。だから掛け算がいるんだ!」という考えが閃いたのです。以後彼は喜んで掛け算を学び始めたのです。

子ども、大学生、そして私達自身をレベル3、レベル4の段階へと高めてゆくのを助ける方法は沢山あります。日常の些細なことにも「意味」を見出し、表面的に考えないトレーニングをすることもできると言います。買い物一つとっても「かわいいケースに入っているから買う!」というような衝動的判断をしないで、自分のニーズに最も相応しいものはどれか、複数の条件を考慮して選ぶということから始めてみればいいとキャシーは提案しています。

新しい知識コンテンツを生涯学び続けるのが「「超」一流の熟達者」であると言います。ビジネスの世界においても、レベル3・レベル4の知識が重要です。スターバックスのバリスタはコンピュータによって制御されたレジを使いこなし、お客様とスターバックスならではの特別のやりとりをしなければなりません。セールスに携わる人はどの分野であれ、沢山の商品の名前と特徴を覚え、間違いなく商品を提供し親身に対応することを学ぶ必要があると言います。イベントプランナーは全体像と細かい部分との両方を頭に入れて、数々の決定をしなければならないのです。そうでないと、顧客にとって一生のイベントである結婚式や成人式が台無しになってしまいます。たとえば発達心理学のように、科学者は目指す分野、たとえば発達心理学について、大学院でメンターに導かれて、共に研究することを何年も積み重ねます。そしてレベル4に到達し一人前になると、自分なりの独自の視点を持って研究を続けていきます。職種によって求められる知識コンテンツは異なりますが、レベル4に達するまで長い年月をかけて修業するプロセスが必要であることは変わりないのです。

大人か子どもかは関係ない

マルコム・グラッドウェルのような著名な作家になるには一体どうしたらよいのでしょうか。世界中の14歳が受けるPISAテストにそのヒントがあるとキャシーは言います。高得点をとる学生は代数で学んだことと三角法で学んだこととを関係づけて、異なる領域の知識を繋げて考えます。問題を解くためにどんな制約を考慮しないといけないか見つけ出し、それは、この手の問題にはこの方略は使えないと判断することで、解法を適宜柔軟に考え直しながら知っている知識を適用するのです。このように熟達者は理解したこと、思いついたことをすぐに新しい問題に応用し、新しい関係を作り出すことができると言うのです。レベル3のように知っていることを広げて適用するだけでなく、レベル4は、全く新しい方法を見つけ出すのです。

全ての分野において熟達者と初心者とを区別することができると言います。子どもであっても熟達者になり得ると言うのです。アリゾナ州立大学のミッキー・チーはチェスの熟達者である子どもを研究したそうです。まず知能テストで行われる数唱テストを行うと、大人の方がチェスの熟達者の子どもより多く数字を記憶でき、より記憶の容量が大きいことが分かったそうです。しかしチェスの盤面の記憶については、大人よりもチェスの熟達者である子どもの方が優れていたそうです。どの領域であってもレベル4の熟達者になると、大人か子どもかは関係なく、その領域での問題解決の際に初心者が気づかない特徴を見つけることができるのだそうです。またその領域において大事な情報をより多く記憶しているので、深く分析ができ、経験したことがない状況にであってもすぐに対応できるのだそうです。

ここでキャシーは、もう一つゴルフの例を挙げています。ゴルフがうまくなるにはやはり長い年月のトレーニングが必要です。これまで経験したことのないコースでフェアウェイからグリーンへアプローチする時、熟達者はこれまでの知識を新しい状況に適応して対処するのです。フェアウェイの真ん中に川が流れています。プロゴルファーはここで様々な判断をします。リスクがあるのを承知の上で川を越えるボールを打つかどうか、どのクラブで打つか、風は追い風か向かい風か、こういった変数を全て考慮する必要があるのです。熟達者はただ漠然と物事を進めません。どうしたらベストかを考え、見極めてから行動します。更にもうだめだと簡単にあきらめたりすることもありません。知っていることを全て投入し、問題を解決します。それが熟達者なのです。自分の行動を的確に評価し、いつもと違ったことをしていないか常時チェックしています。レベル1やレベル2のゴルファーは自らに問いかけて確かめることなどせず、なんとなくショットし、ボールが川めがけて飛んでいくのをただ見つめるだけだと言うのです。レベル3のゴルファーはクラブを変えることぐらいはできるかもしれませんが、関連する要因を全て考霾して判断することはできません。関わってくる変数を全て思い浮かべ、どれに重みをつけるか決め、全体像をつかむことは難しいと言うのです。しかしレベル4のプロはこれができるので、トーナメントで優勝するのです。

熟達者

ひとつのボールの重さは、大きさの同じもう一方のボールの重さの2倍です。この二つのボールをビルの二階から同時に落下させたら、軽いボールが地面に届くまでにかかる時間はどう違うかという問いに対して、ニュートンの運動の第二法則に従えば両方のボールは同時に地面に届きます。これが物理学の基本概念です。しかし殆どの学生が、その中には授業でAをとった者も含まれていたのですが、間違ったのでした。同じテストを世界中の一万人を超える学生に行った結果は驚くべきものだったそうです。受け身で講義主体の伝統的な物理学の授業では、学生が物理世界について抱いている誤った理解を変えることはできなかったのです。へステンズはこう言っています。「学生は自ら知識を作りあげていかなければならない。受け身で教わって知識を取り込むことはできないのだ」と。マズールは、講義主体で学生が聞くだけの授業をやめ、小グループに分けて学生達が協力して課題に取り組む学び方に変えたのです。すると学生達の学びの質は急激に上昇したのである。キャシーらは更に深い学びに到達するにはどうしたらよいかも知っていると言います。そこで彼女らは、レベル3の先にある学びについて学習科学が明らかにしたことについて説明していきます。

次のレベル4は、「熟達者になる」です。熟達者とは、既存の知識を活かして新しい方法を思いつく者のことを言います。レべル3になれば自分が知っていることを新しい繋がりで見直したり、新たな方向性に広げたりできるので、子どもにとって大きな進歩です。知っていることを柔軟に使いこなせるようになるのです。では、この段階を超えてレベル4に進化するということはどういうことなのでしょうか。それは「その道のプロになる」という風に言えるのではないかとキャシーは言います。食堂の経営者、チームのコーチ、タクシーの運転手等分野は様々ですが、熟達者になると知っていることを自由自在に改善・修正して、柔軟に考えられるようになると言うのです。

マルコム・グラッドウエルは数々の本を出し、そのうちの4冊が『ニューヨークタイムズ」のベストセラー・リストに入っているという有名作家です。その中の1冊『天才!」(講談社)の中で1万時間ルールを提唱した心理学者、アンダース・エリクソンのことを書いています。どんな分野であれ、熟達者になるには1万時間の修業が必要だというのが1万時間ルールです。グラッドウェルも、自分がここまでの業績を上げられるようになるまでやはり1万時間ルールに従ってきたと言っているそうです。最初はずぶの素人で、ようやく熟達者の仲間入りをするまでに10年間、1万時間かかったのです。誰であろうとすぐに熟達者になれるわけではありません。たとえ生まれつきの才能を持っていたとしてもです。「才能に準備が伴って初めて達成することができる」とグラッドウェルは述べているそうです。どれだけ精一杯準備したかが何かを成し遂げようとする時のカギだと言うのです。分野によって練習に必要な時間は変わってくるでしょうが、手術室に入り初めて盲腸を切除したらすぐに外科医になれるわけでも、ビートルズの『ホワイトアルバム』が10代の時に書かれたわけでもありません。大変でも諦めず、粘り強く取り組み、熱心に練習し、グリットを持ち、失敗しても努力し続け、そこに才能が加わって、熟達者になるのです。しかし重要なのはただ一生懸命努力すればよいわけではないということだと言います。

 

繋がり

自分達の生活との繋がりを見出した時、学びは「意味のある」ものになるとキャシーは言います。学習科学における長年の研究によって、新しく学ぶ事柄は既に知っている事柄と結びつけて考えることで、理解しやすくなるということが解っています。柔軟に繋げて学ぶことこそ、私達が追い求めるやり方と言えると言うのです。移民について学ぶことになったとします。自分の知っている移民の人にまずインタビューに行くことにします。すると新しい土地に移住することの意味が自分にとって繋がりのある現実の問題として見えてきます。言葉の壁、孤立、住む家や仕事を探すことといった問題が自分の知り合いが直面している事実だと解り、移民について我がこととして理解するようになります。

大人の学びも同じだと言うのです。処方した薬を正しく服用する方法をどうしたらうまく患者に覚えさせることができるか、実験して確かめてみたそうです。一方のグループでは医者はただ服用の仕方のルールを伝えただけでした。一週間後にそのルールを覚えているかどうかテストすると、ルールを覚えていないどころか勝手に新しいルールを付け加えていたそうです。もう一方のグループでは、架空の患者についての物語として同じ情報を伝えました。すると一週間経ってもルールをきちんと覚えていたのです。やはり学びに「意味」が付け加えられる方が、ただ抽象的に説明されるよりも効果があるようです。

より深い学びは「社会的な関わり」によって生まれるとキャシーは言います。だからと言って、ただ二人が並んで座って学べばよいというわけではないと言います。学ぶ必要があることを関わり合いながら一緒に理解してゆく状況を作り出さないといけないと言うのです。他者と共に学ぶことが効果を持つということも、長年、学習科学が追究してきたことです。できる子とできない子をベアにして、それぞれが別の知識コンテンツについて学びます。例えば石の種類について学ぶ時、できる子は変成岩について、できない子は堆積岩についてそれぞれ学び、後で教え合うことにします。できる子はできない子に教える時間を奪われて学びが停滞するかというとそうではないと言います。むしろ教えることによって変成岩の理解がより深まったのです。一方できない子もクラス全体の前では解らないことを質問できませんでしたが、ペアだと堆積岩がどう形成されるかが解らないと相手に伝えることができるのです。

「社会的な関わり」が学びに効果があるということについて、最近こんなニュースがあったそうです。ハーバード大学の物理学の教授であるエリック・マズールは、一般的に大学の物理学の授業で行われている講義型のやり方に疑問を持ち始めました。そんな時にたまたまアリゾナ州立大学の物理学者、デビッド・へステンズの研究を見つけました。彼は自分の授業を受けている学生達の物理概念の理解を評価するためのテストを作ったのでした。テスト問題は次のようなものです。

「二つの同じ大きさのボールがあった。一方のボールの重さはもう一方のボールの重さの2倍だった。この二つのボールをビルの二階から同時に落下させたら、軽いボールが地面に届くまでにかかる時間は……。

繋がりを理解

知識コンテンツを主体的に獲得してゆくには、手や体を動かして何かやってみたり、作ってみたりするのがいいと言います。生徒は教師が一方的に授業するのを聞いていても、グループでプロジェクトに取り組む時のようにあれこれ考えたりしません。劇を上演したり、皆の考えを一枚の紙にまとめて表現したり、皆から寄付を募るための文章を書いたりする活動は全て、自ら率先して取り組む学びの良い例だと言うのです。しかしこういった活動は多くの学校が目指している方向と相容れないのが現状だとキャシーは言います。子ども達が問いを出し、自らその問いの解決に動くような学びをすれば、学校はわくわくする学びの場になるのに、学校にいる間、ただ椅子に座って黙々と作業している現状はとても残念でならないと言います。

子どもは火が大好きです。だからマッチやライターは隠さないといけません。しかしこのように子どもが根源的に持っている興味を出発点にして学びを深くしてゆくことができるとキャシーは言います。もし子どもが火について知りたいと思ったら、消防署を訪れて消防士にインタビューする機会を作ってあげましょう。前もってどんな質問をするか決め、現場に出向き、答えてくれた内容は忘れないようにメモしておきます。「難燃剤(frame retardant)」という難しい言葉を読めるようになり、身の周りのありとあらゆるところに使われているのを発見し、場合によっては健康を害する危険性のある薬剤であることを知ります。消火器がどうして火を消せるのか、そのメカニズムを知るのはまさに理科の学びそのものです。人類が火を発見した時のことを想像して書いたり、絵にしたりすることもできるでしょう。フィラデルフィアのフレンド・セントラル・スクールでは、こうしたやり方で「飛行」という概念を学ぶそうです。教師は毎年異なるテーマを選びますが、様々な教科のコンテンツへと自然に広がってゆくようにデザインされているので、学びは有機的に繋がり、生き生きと学ぶことができるのです。

今述べた「火」についての学びにはもう一つ大事なポイントが含まれているキャシーは言います。それは子どもが学びに「没入して関与する」ことの面白さを知るということだと言います。自分が本当に興味を持ったトピックについて子どもが学ぶ時、学びのモチベーションは頂点に達します。憧れの消防士にインタビューする時、先生と一緒に消火器の仕組みを学ぶ時、自ずと学びに「没入」してしまうでしょう。子どもが興味を持つからこそ「没入して関与する」学びになると言っても良いだろうとキャシーは言います。とはいえ子どもはいつでも何かについて興味を持っているわけではありません。むしろ初めは興味など持っていないことが多いようです。こんな時はどうしたらよいのでしょう。

ある都市部の学校で6年生を教えている先生はこんなやり方をしたそうです。果実について学ぶ授業を行いましたが、初めは何が果実かすら分からない子どもがいるような状態で「きゅうりって果物かな?」「果物って甘いもの?」「じゃあトマトは?」という質問にも興味を示しませんでした。そこでこの先生は移民の人達が買い物に行くマーケットを回って、子ども達が見たことがないような世界中の果物を集めてきました。子ども達の興味は一気に高まり、実際に食べてみたりしたのです。優れた教師はこうした工夫を織り交ぜて、子どもの興味を引き出そうとするのです。

芸術を通じて

神経科学者と心理学者が「学習、芸術、脳』というタイトルの報告書をまとめました。芸術を通じて学ぶことで、どんな社会経済階層の子どもであってもレベル3の思考能力を身につけることができると報告されているそうです。絵を描くこと、ダンス、音楽、演劇は子どもが情報を深く学ぶ能力を高めるのを助けます。子どもが移民として新しい国で生活してゆくことの大変さを深く理解するために、例えば私達の先祖が乗り越えてきた困難を劇にして演じてみます。自分の家を自ら建てなければならず、スーパーマーケットなどない状況で日々の食料を確保し、もちろん衣服も自分で作らなければなりません。こうしたことを全て実際にやってみて、子ども達は開拓者達の苦労を実感することができるでしょう。

様々な種類の芸術を活かして子ども達は色々なやり方を用い、広範囲にわたる知識をレベル3で学ぶ機会を得ます。STEM教育の重要性が昨今叫ばれていますが、現在ではここにArtのAが加わり、STEAMと呼ばれるようになりました。そもそも教育の必要性が高まったのは、アメリカの企業において先端技術の開発に携わる優秀な技術者が不足し、海外から人材を集めなければならなくなったからです。このままでは企業の技術開発のみならず、アメリカの経済発展の足枷になってしまうという危惧が背景にあるのです。1950年代にソ連がアメリカに先駆けて人類初の人工衛星スプートニクを打ち上げた時、アメリカの科学教育の見直しが強く叫ばれました。これと同様の状況が今起きているとキャシーは言うのです。しかしながらこの動きが、国語・社会・芸術系の授業を切り捨て、理系の授業を増やす流れを作り出していると危惧しています。フロリダ州のリック・スコット知事はリべラルアーツ教育や投資に見合わない学位に対する教育予算を削減する決定をしたそうです。しかしそれが何をもたらすだろかとキャシーは疑問を投げかけます。

キャシーは、学校の授業でたまたま語り部に出会った小学5年生の子ども達の話を紹介しています。子ども達は語り部の語る話に夢中になり、瞬きをするのを忘れるぐらい釘づけになりました。彼らの中で言語と歴史というコンテンツがとても魅力的な対象へと変貌したのです。子ども達は翌日、図書館に行き、学期全体でも借りないほどの量の本を借りてきました。芸術の力によって、子ども達は知識コンテンツを深く理解したいという気持ちが駆り立てられ、レベル3の学びにはまっていったのです。それだけではなくこの体験は実行機能スキルを高める練習にもなりました。5年生の子ども達は語り部の話に集中して物音一つ立てず、静かにじっと耳を傾けていたからです。

学習科学の知見として、どのような時に良い学びが起きるのかについて以前から知られている四つの条件があります。それは自ら率先して行い、没入して関与し、意味を見出し、社会的に関わり合うことです。とても皮肉に聞こえるかもしれないとことわって、キャシーらがツィッターで行っていることの中に全て含まれているではないかと言います。これらの条件が全て揃った時、クレイクやロックハートが言ったような深い学びがなされ、レベル1・2の段階を脱し、レベル3・4の学びが促進されるのです。

関係性に着目

きちんとしたトレーニングプログラムを受ける機会さえあれば、実行機能に関連するスキルを伸ばすことができるとキャシーは言います。教育産業が実行機能スキルについて語ることは殆どありませんが、学習科学の研究者は、学びに注意を集中させることができない子どもが学ぶ力を伸ばすことはできないということを、多くの研究で示しているそうです。レベル3の知識を形成してゆくには学び方を学ぶスキルが不可欠だと言います。子どもにとってこのスキルを身につけるのはとてもチャレンジングなことですが、その芽は幼稚園段階から出始めていると言うのです。

10歳になると実行機能スキルが向上し、課題に応じての切り替えが柔軟になり、子どもは段々とすでに学んだ知識を新しい状況での問題解決に使えるようになると言います。レベル3へと移行した子どもは物事の見かけではなく、相互に共通する関係性に着目します。この時、言語の力が大いに助けになります。5歳の時に、「友達は小さい子ども」で「島には椰子の木がある」と答えた子が9歳になった時、同じ質間を投げかけると「一緒に遊ぶ子どもが友達」で「周りが全て水に囲まれているところが島」と答えたそうです。島には必ず椰子の木が生えているわけではなく、土地と水面との関係性が島かどうかを決めると理解したのだと言うのです。

5歳の時にアナロジー課題を与えられると、猫が追いかけることしか注目しなかった子が7歳になると、大人と同じように、猫は追いかける存在でありながら、犬に追いかけられる存在でもあるというように対象そのものでなく、対象の間の「関係性」に注目できるようになっているのです。こうして言葉の力も更に高まりレベル3に成長すると、学習したコンテンツを自分が直面する現実の世界と関連づけて応用できるようになります。日本でいうと中学2世である8年生の子が数学で得た知識を活かして、自分の寝室の壁を塗るのに必要なペンキの量を計算するとします。これは自分の身近にある切実な課題を解決したいという強い気持ちを抱いて、学んだコンテンツを使う理想的な学びであるとキャシーは言うのです。

事実、芸術活動に取り組むことで知識コンテンツや実行機能スキルの学びが促進される。にもかかわらず知識コンテンツの学びを優先する時に真っ先に削られるのが芸術系(音楽・美術・演劇)の授業です。実際は学んだことをより深く、高いレベル(レベル3 )で理解するには芸術がとても役立つとキャシーは言います。芸術のパフォーマンスは知ったことを新しい領域に広げてみる機会となるからだと言うのです。芸術活動に取り組むことで、先に紹介した「深い処理水準」でコンテンツが理解されます。6年生の子が自分でラップの曲を作りながら、リズムと韻が言語表現にどう関わっているか探究し始めました。これはパフォーマンスによって言語・読解・社会というコンテンツが見事に融合された学びだと言うのです。

演劇は子どもを深い学びへと誘います。子どもは演じるために、役柄と今演じている場面との関係、劇に登場する人々と子どもが日々生活する現実世界との関係を類推して考えなければなりません。他者になりきる必要性があるので共感する力が自ずと高まります。もしホームレスの人を演じることになったら、今までとは全く違う見方でホームレスの人の気持ちや置かれている状況を捉えるようになるでしょう。ニューヨークのある公立学校では、自閉症の子どもの学びに演劇を取り入れ、成果を出しているそうです。

繋げて考える

アネット・カーミロフ=スミスは、5歳児と10歳児に「この世に存在しない家の絵を描いて!」と要求しました。ある五歳児は楽しそうに一生懸命課題に取り組みました。ただ彼女の描いた「これまで存在しない家」は窓の数が増えて、ドアをなくしたこと以外はこれまで描いた絵と殆ど同じでした。まだレベル2に留まった理解をしていたのです。一方、10歳児は三角形を組み合わせた新しい形の家を描きました。最上部の三角形にだけ窓がついていてドアはありませんが、テントの出入口のようになっているところがあります。5歳児が基本的には同じデサインで描き続けたのに対し、10歳児はこれまでにない新しい家のイメージを思い浮かべて絵にしていたのです。レベル3の状態でコンテンツを身につけていると柔軟に考えることができるのです。それは実際にはない物でも、心の中のイメージとして捉えることが可能になるからだとキャシー言うのです。

5歳児が存在しない家を描けなかったのは、これまで身につけた家の絵を描くという反応を抑えて、存在しない家を描くという新しい反応へ変えるために必要な脳の機能がまだ発達しておらず、実行機能のレベルが低かったからだと言うのです。何度も同じように繰り返してきた行動を必要に応じて抑制して、今までやったことのないことをどう行うか同時に考えることが、柔軟に思考するためにとても重要っだと言うのです。

ここで、キャシーは、実行機能についての最近の研究を紹介しています。

「心の中の情報に集中し必要なものを維持しながら作業を進めるには、余計な注意を引くものは取リ除き、刻々と変化する課題に備える必要かある。それは沢山の滑走路があり、沢山の飛行機が飛び交う空港で離発着をコントロールする管制官のようなものてある。人間の脳においてこのような航空管制と同じような働きをして、情報をコントロールするメカニズムを実行機能と呼ぶ。」

子どもの時、算数の時間に同じ問題を何度も間違えるという経験をしたことがあるでしょう。それは実行機能がまだ不十分でスイッチを切り替えられない状態だからだと言います。大人でもお喋りを止められなかったり、一週間前に起こった出来事に囚われて他のことを考えられなかったり、同じことの繰り返しから逃れられないことはあります。

実行機能は自己調節機能とも呼ばれ、学ぶために極めて重要な能力だと言います。先生の言うことに注意を払うことができず、いつもそわそわしていてじっと座っていられない子がいます。小鳥が近くの枝に止まったのを見つけると、ずっと窓の外を見続け、先生が読み聞かせするのを全然聞いていません。その一方で、自分が話したい時にすぐに口を挟み、他の友達が話すのを邪魔してしまいます。図工の授業が終わった後、先生が皆に片づけるように言った時も、彼女h自分が絵を描く時に使った道具をそのままにして、パズルのところへ行って遊び始めます。先生はパズルで遊ぶのをやめて、まず片づけるように伝えると、大声をあげて泣きだし、床に寝転がり、駄々をこねます。このような光景は、多くの幼稚園の先生、そして親達がしょっちゅう目にしているだろうとキャシーは言います。

なぜ実行機能スキルが重要かというと、就学前の子どもの自己調節能力が、読み書き能力や語彙の獲得、算数のスキルに関係しているからだとキャシーは言います。また幼稚園以降、学校でのより本格的な学び環境に入った時、実行機能が発達していればスムーズに適応できます。自己調節スキルに優れてい幼稚園児は小学校入学後、読解や算数の成績がいいというデータがあるそうです。自分自身の行動をどう調節したらよいかを教える方が知識コンテンツを教えることよリも重要なのだとキャシーは言うのです。

問い続ける

ビジネスの分野でも、見かけ上はうまくいっているので、会社がやろうとしていることについて深く探ろうとしないという傾向が見られたら、レベル2に留まっていると考えるべきだとキャシーは言います。どんなことでも常に問い続ける姿勢を持とうとしないCEOがトップにいる会社はやがて経営不振に陥るだろうと言います。キャシーは、キーボード付き携帯電話、ブラックベリーを製造していたリサーチ・イン・モーション社を例に挙げています。iPhoneやグーグルのアンドロイドが市場に現れて、携帯端末市場に風穴を開けた時、ブラックベリーは好調な業績を維持していました。二人の共同CEOはタブレット端末やスマートフォン業界には無知で、やがて会社の業績が急激に下がった時、責任をとろうとはせず、これまでのやり方に固執したのです。このため過去の成功に惑わされていたことを認めるまでにとても時間がかかり、ブラックベリーが業績を持ち直すには苦難の道を歩まなければならなかったのです。

わざわざ現像し、プリントする必要のないインスタントカメラとしてポラロイドカメラは一世を風靡しました。やがてデシタルカメラが主流となり、ポラロイド社もすぐにデジカメの製造に乗り出しました。しかし自分達のこれまでの方法にこだわり、デジタル技術全体の波が自分達の技術をあまり意味のないものにさせるとは考えませんでした。他社のデジカメは撮影されたデータをすぐに修正し、パソコンにアップロードできるように工夫しましたが、ポラロイド社は行いませんでした。ポラロイド社の業績はどんどん悪化し、2001年、会社は倒産してしまったのです。レベル2のコンテンツに甘んじた当然の結末だったのです。自分達の成功に疑問を感じず、うまく進んでいると思い込み、自分達が「どんな」活動を「なぜ」しているのかについて問い続けないこと。それは深く知るのをやめるのと同じなのだとキャシーは言うのです。

科学の分野でも「見かけ」に騙されることは起きます。中国のある農家が鳥に似た生物がかたどられている、一見すると化石に見えるような物を作りました。これを見た著名な古生物学者は恐竜と鳥類を繋ぐ進化上のミッシングリンクが見つかったと発表し、ナショナルジオグラフィック協会も世紀の発見と認めたのです。しかしそれはもちろん偽物ででっち上げだったのです。

次のレベル3は、「繋げて考える」です。それは、実際にないものをイメージできる力です。このレベル3の知識コンテンツを持つとレベル2とは大きく異なる変化が起きるとキャシーは言います。この大きな変化をイギリスの著名な発達心理学者、アネット・カーミロフ=スミスは非常に巧みな実験で明らかにしたそうです。彼女は5歳児と10歳児に「お家の絵」を描かせました。二人が楽しそうに絵を描き始めてしばらくしたら、二人にちょっと奇妙なお願いをします。「この世に存在しない家の絵を描いて!」と。この要求に対してどのくらい子どもは柔軟に対応し、臨機応変に学べるか見ようとしたのです。これまで知っていたのと全く異なる新しい方法で家を捉えることができるのか……これまでにない全く新たな特徴を付け加えた家を描くのか……

使えない知識

アメリカのデラウェア州の教師が置かれている状況は、アメリカの著名な教育ライター、リンダ・パールスタインの著書「テストされて』(未邦訳)で書かれていたことと重なるそうです。この本の中で、学校のカリキュラムを統括する管理職は全学年全ての教室を回り、指導案を忠実に授業しているかどうかチェックし、各学年が配当された知識項目を過不足なくカバーすることばかり気にかけているそうです。まさにレベル2の状態だとキャシーは言います。

これでは、学生が学校は退屈で、学力テストに対して強い不安を抱いていたとしても何の不思議もないと言うのです。家庭教師産業は200億ドルの規模まで成長し、そのうちの約2割は3歳から5歳までの子どもへの教育による収益だそうです。親達はもし学力テストでいい点をとれなかったら我が子の将来はないと考えてしまっていると言うのです。

殆どのテストが覚えた知識をただ吐き出すだけだとキャシーは言います。数学の公式を覚えてもただ新たな数を当てはめて計算し直す作業に過ぎないと言うのです。学習科学の観点では丸暗記は最適の学習方略とは言えないと言います。機械的に暗記する時は意味に注意を払わず、ただ繰り返し練習するだけになるからです。例えば毎朝、教室で星条旗への忠誠を誓う言葉ですら何の疑問も感じないでこう覚えているだけです。肝心の「flag (星条旗)」の部分を「frog (カエル)」、「republic (共和国)」を「wee public (公衆の面前でのおしっこ)」、「liberty (自由)」を「little tea (小さなお茶)」と平気で暗記していると言うのです。ただ暗記するだけでは分析力も、記慮を保持する力も育ちません。子ども達に批判的に分析することではなく、使えない知識を丸飲みすることを教えることになるだけだと言うのです。

子どもは断片的で浅いレベルでの知識コンテンツしか持っていないことが多いと言います。浅い理解しかない知識コンテンツが危険をもたらすことがあると言うのです。「I used to believe (私はこんなことを信じていたことがある)」という名の面白いウェプサイトがあるそうです。このサイトには大人が子どもの頃信じていた様々なエピソードが掲載されています。例えばこんなものがあるそうです。

「姉と私は、父か教えてくれた“斜面に住む牛”の話を信じていました。牛が長い間、斜面に生活しているうちに前足が長く、後ろ脚が短くなってしまい、このため平地ではちゃんと立てずに転んでしまうというのてす。」

知識の理解の仕方が浅くレベル2の知識コンテンツしか持ち合わせないと、見かけにしか注意がいかず、あり得ないようなことを信じてしまうと言うのです。

ここで、キャシーは、今、教育の分野で起こりつつあることに注目しています。教育において表面上の「見かけ」だけに着目すると、机の前に座らせて子どもを教育する方がよいという結論にすぐ達してしまいます。こうして全ての教育システムに同じやり方が浸透し、幼稚園の子ども達まで小学一年生と同じように学ぶことになってしまいます。学習科学が、子どもには自由に探索する時間が必要でそれが学校での学びの素地になると再三主張しているにもかかわらず受け入れられないと言います。ナンシー・カールソン=ペイジはこう警告しているそうです。「子どもの学びに対する根深い誤解が蔓延し、幼い子を机の前に座らせ、文字を書かせる勉強が拡大する一方だ。これがどんなに子どもの学びの発達を阻害しているか全く気づいていない。この状況が悲しく、辛い」。