言葉の役割

森口氏の考察の中で、私はいくつか気がついたことがありました。その一つが言語の役割です。言葉は、他の人と話すためという役割があり、コミケ―ションツールであることは誰でも知っていることです。そして、一時、言葉を話すことがヒトの特徴であると言われたこともあったほど、重要な役割を持ちます。その能力を子どもたちはシ団に発達によって身に付けていきます。しかし、その発達は、単に音声として発声することだけでないこと、しかも赤ちゃんはその意味を知らず知らずのうちに理解していることにあらためて感動しています。

その一つに、私がプライベートで主催している勉強会で皆に提案した「象徴機能」があります。まず、皆でヘレン・ケラーの幼いころに家庭教師との触れ合いを描いた「奇跡の人」という映画を見ました。ヘレン・ケラーという人は、視覚と聴覚の重複障害者でありながらも世界各地を歴訪し、障害者の教育・福祉の発展に尽くした人として有名です。彼女は小さい頃には、言葉の意味が分かりませんでした。手話で単語はわかっても、それが何を表しているかがなかなか理解できなかったのです。それが、赤ちゃんがわかるようになるということから、どこが違うかというと、ヘレン・ケラーは重複しょうがい者であったということです。言葉が何を意味するかという理解は、視覚、聴覚が重要な役割をしているということなのでしょう。しかし、ヘレン・ケラーは、そのことを理解したときから、すべてのことを理解しはじめるのです。

この逸話から私たちが学んだことは、言語は必ずしも人とのコミュニケーションという役割だけでなく、言葉は、そのものの意味を理解するための象徴であるということです。森口氏は、この点をこのように表現しています。「言語に対して、子どもは成長とともに考えるためという役割も持つようになります。1歳から2歳頃にかけて、子どもが話し始める頃、言葉は純粋に何かを伝えるために使用されます。『あれとって』とか、『あれなあに』など、親や周りの他者とのコミュニケーションのために言葉は使われます。それが、成長とともに、子どもは考えるための言葉も発するようになります。周りに誰もいないのに『これなんだろう』とか、『これすきなうただ』などと発するようになります。」

このような行為を「独り言」と言い、子どもは、次第に、他の人と話すための言葉と、考えるための言葉が、両方とも言葉として出てくるようになるというのです。確かにヒトは、日常的に、頭のなかで考えるために言葉を使っています。森口氏は、「今日の夕飯のおかずは何にしよう」とか、「明日会社休みたいなあ」などのように、自分だけのために使う言葉があるといます。大人になると、こういう自分のためだけの言葉が、ポロッと独り言として口をつくことがあると言うのです。

これらのことを知ることによって、私は言葉のある役割を赤ちゃんが用いることに気がつきました。それは、考えるツールとして使用する前に、象徴機能を獲得するための基礎として、具体物を自分自身で確認するための行動をすることです。それは、以前ブログで取り上げた「指差し」です。赤ちゃんの指差しは、人に教える手段として使うほか、自分で物を確認するために使います。それは、大人でも行う「指差し確認」と同様な効果がある気がします。そのような意味で、「言語」を使い始める気がしています。これは、子ども観察からの考察ですから、研究者としてのエビデンスとは違うアプローチかもしれませんが、実際に毎日赤ちゃんと接している人であれば、経験していることでしょう。

実行機能についてのまとめ

森口氏は、最後に、当然のことながら、実行機能以外の力も大事だということを強調します。実行機能が大きく成長する3歳から6歳くらいの時期は、さまざまな能力が成長する時期です。記億力や頭の回転の速さなどのIQと直接関連するような能力から、他者の気持ちや考えを慮る力、何が良くて何が悪いかを判断する力、他人と協力する力、コミュニケーションする力、空気を読む力など、実行機能以外の非認知スキルが成長する時期です。実行機能だけが成長するわけではありません。

これらの力がそれぞれ成長するなかで、子どもは学力や人間関係を発展させることができるのです。ただ、実際の子育てをしていると、何もかもを考えるのは難しいと思うと彼は言います。もし一つだけ注目するとしたら、実行機能に注目してほしいと言います。自分をコントロールする力、すなわち、実行機能は成功の秘訣なのだと森口氏はまとめています。

私は、森口氏の実行機能についての考え方、その書を読むことで、実行機能の大切さがわかると同時に、なにが現在わかっていることなのか、その中で、なにが現在研究途上であるのか、何が今までの考え方の見直しがされるべきかが少しわかってきた気がします。実行機能といって、単純に我慢する力であるというとらえがちですが、しかも、だから子どもには我慢させることが大切であるという勘違いがみられます。やはり、子どもの自発的な行為がそれを促すのです。ですから、子どもの自発性を損なうようなかかわり方は、子どもの実行機能にも負の影響を与えると考えられているのです。

その負の影響の中で、やはり誤解を生じているものに、支援的な子育てがいいといって、子どもが一度欲求をコントロールできたからと、褒美をあげたり、やみくもに子どもを褒めればいいという考え方です。子どもの発達において、褒めたりご褒美を与えたりしすぎることによる負の影響が知られているからです。トマセロ博士らの研究では、1歳半くらいの乳児の親切な行いが褒美を与えられることによって減少することが示されているそうです。1歳から2歳くらいの子どもは非常に親切で、見知らぬ人であっても進んで手伝ったり助けたりします。子どもは、最初はそのこと自体を楽しんでこのような行為を行います。褒められたりご褒美をもらったりするために行うわけではありません。ところが、手伝うなどの行為をした後にご褒美をもらえると、子どもは自ら進んで手伝わなくなります。つまり、最初は自発的に行っていた行動が、ご褒美をもらうことによって、ご褒美をもらうことが目的化してしまい、自発的に行わなくなったのです。子どもは自分のために自分を制御するのであり、人に褒められるためにがんばるのではないからです。子どもが自主的にやっていることに対しては、見守るようなかかわり方をすることが重要になってくるというのが森口氏の見解のようです。

家庭では、親と子どもは一対一ですが、幼稚園や保育園では一対複数ですが、このような集団の子どもに対して、どのようなプログラムなら実行機能を鍛えることができるのでしょうか。まず、幼稚園もしくは保育園に通うこと自体が子どもの実行機能を下支えする可能性が最近の研究から示されているそうです。その中で、ごっこ遊びの重要性を言っています。ごっこ遊びでは、友達内でルールを共有し、友達からの期待を理解する必要が生じます。また、これによって、自分の行動を否応なくコントロールする必要が出てきます。友達と共有したルールに反するような行動はできないのです。また、子どもは、友達の行動を見ることで自分の実行機能を発達させると言います。

やはり、集団での生活にも意味があるようです。

最近の子ども

最近、小学校の現場の声として、衝動的な子どもや多動な子どもが昔と比べてずいぶん増えているという話を聞くことが度々あります。そのような子どもが多く、授業が成り立たないことも少なくないというのです。また、年配の方から、現代の子どもは忍耐力や自分をコントロールする力が足りないという話を聞くこともしばしばあります。本当に子どもの実行機能は昔と比べて低下しているのでしょうか。

衝動的な行動と関連する注意欠如・多動症や自閉症と診断される子どもの数は、過去に比べて間違いなく増えています。もっとも、昔はこれらの障害自体が一般に知られていなかったため、昔にも障害を持った子どもはいたが、診断を受けていなかったという可能性は大いにあります。

障害を持った子ども以外に、定型発達の子どもについてはどうでしょうか。ミネソタ大学カールソン博士らの研究では、アメリカの子どもでは、マシュマロテストの成績は50年前や30年前の子どもと比べて、現代の子どものほうが高いことを示しているそうです。日本ではどうでしょうか。信州大学の寺沢博士らは、1969年、1979年、1998年のデータを比較し、日本の子どもでは、1969年から1979年にかけて思考の実行機能にかかわる能力が、変化していると述べています。ただ、この報告は対象の子どもの数が少なく、一部の実行機能のみを扱っており、さらには、異なった時代の子どもを同じ条件で比較すること自体が難しいので、これらの研究から現代の子どもの実行機能が高いとか低いといった結論を出すのは時期尚早ではないかと森口氏はか考えています。

親の精神衛生、子どもの運動、睡眠時間やメディア視聴などの実行機能に影響を与える要因に関しては、過去よりも現代のほうが、分が悪いと考えられると言います。運動時間や睡眠時間も過去に比べると減っているのです。

一方で、子育てに関する科学的知識は過去に比べて増えていますし、経済格差が広がっていることを考えると、実行機能が過去よりも低下しているというよりは、二極化が進んでいると考えるほうが自然かもしれないと森口氏は考えています。実行機能が極めて高い子どもと、低い子どもが、過去に比べて増えているということだというのです。

子どもの実行機能が過去より低いかどうかは別として、実行機能に問題を抱えている子どもが一定数いるのは事実です。実行機能の問題が子どもの将来のリスク要因になるのなら、不利になってしまった子どもへの社会的な支援は極めて重要なことだと森口氏は言います。彼としては、この本を通じて、実行機能についての理解が広まることを切に願っているようです。実行機能がどのようなものであるかを知り、実行機能に問題を抱えている子どもに気づいてもらいたいと考えています。そのうえで、彼は、睡眠やメディア視聴などの要因を見直してもらったり、実行機能の鍛え方について紹介したときのような方法で支援をしたりしてほしいと願っています。国内では、まだまだ実行機能に注目した保育や支援をするような施設は多くはありませんが、少しずつ増えてはきているようです。彼は、さらに今後もこのような動きが広まることを切に願っていると言います。

思考の実行機能については

思考の実行機能については、たとえば頭を切り替えられることと、切り替えられないことを比べた場合、前者のほうが大事であることは間違いないと森口氏は言います。そういう意味で、思考の実行機能には安定感があり、その結果として、子育てや訓練の効果が比較的出やすいのです。

思考の実行機能が現在注目されている二つ目の理由は、小学校以降の学校生活への影響力が大きいと考えられているためです。ダニーデンやイギリスの研究から、実行機能は子どもの健康や経済状態に影響を与えることが示されているものの、どのような実行機能が、子どものさまざまな指標にどのように影響を与えるかが明確ではありません。実際、実行機能が高い子どもが、大人になったときに経済状態が良いという結果が事実だとしても、そこに因果関係があるのかどうかについて疑問を持たれる人もいるかもしれません。「子どものときに実行機能が高いから、大人になってから経済状態が良い」というような因果関係と、「子どもの頃に実行機能が高かった人が、大人になってからたまたま経済状態が良い」というような相関関係とは大違いです。この点は注意深く考える必要があると森口氏は言います。

そのため、最近では、思考の実行機能と感情の実行機能が、具体的に子どものどのような行動や能力に影響を与えるのかが検討されています。その効果が大きいのが、子どもの就学準備性に与える影響です。就学準備性とは、幼稚園や保育園に通う幼児が、小学校へ入学するためのスキルを身につけている状態かどうかということです。「小1プロブレム」などの言葉がある通り、幼稚園や保育園から小学校への移行は子どもにとって大きな問題となります。幼児期に、小学校に入るための準備が必要となってきます。

就学準備性には大きく分けて二つあると言われています。一つは学力の準備性です。小学校に入ると、国語や算数などの教科を本格的に習うことになります。それらの教科を学ぶためには、基本的な文字や数の知識が必要となってきます。たとえば、ひらがなの読み書きや、数を数える能力、簡単な足し算や引き算などが該当します。数多くの研究から、幼児期に思考の実行機能が高い子どもは、就学前後の学力準備性が高いことが報告されています。とりわけ、算数やその基礎となる知識の獲得に大きな影響力を持つことがわかっています。

さらに、思考の実行機能は、社会的・感情的準備性にもかかわることが示されているのです。こちらには、プレゼントをもらったらどのような気持ちになるのかなどのように相手の気持ちを正しく理解する能力や、困った相手を助けるような行動が含まれます。これらの能力は、学校生活において、クラスメートや教師とうまく付き合っていくために必須です。思考の実行機能が高い子どもは、社会的・感青的な準備性も高いのです。

一方、感情の実行機能は、主に問題行動とかかわります。たとえば、感情の実行機能が低い子どもは、怒りやすく、クラスメートとトラブルになりやすかったり、友達との共同作業が苦手で孤立しやすかったりします。このように、思考の実行機能も感情の実行機能も、小学校以降の学校生活に重要な役割を果たしますが、現在のところ、思考の実行機能は学力と関係することもあり、こちらに注目が集まっているのだそうです。

自分をコントロールする力

森口氏は、最後に実行機能の鍛え方について次のようにまとめています。

・子どもの実行機能は鍛えられる

・個別のプログラムとしては、ゲーム、運動、音楽、マインドフルネスなどがある

・幼児教育施設や保育施設に行くこと自体が実行機能を向上させる

・最も注目されているのは「心の道具」プログラム

・大人の実行機能を鍛えるのは簡単ではないので、いざというときの準備が大切

これらが現在、わかっていることのようです。

森口は、これまで自分をコントロールする力、すなわち実行機能がどのようなものであるのか、そして、子どもの成長や発達にどのような影響を与えるのか、どのように育むことができるのかについて考察してきました。これは、彼の著書「自分をコントロールする力―非認知スキルの心理学」(講談社現代新書)読み進めてきたものです。実は、私のブログで、2016年6月6日にこんなことが書かれてあります。「上越教育大学の森口佑介准教授が、子どものセルフコントロール(自己制御)能力、子どものがまんについて、実行機能の発達の観点から解説しています。その説明は、わかりやすいかも知れません。」

彼は、現在は、京都大学大学院教育学研究科准教授です。そして、彼の著書「おさなごころを科学する」(新曜社)を私が読んで、2017年8月にこの本をブログで取り上げたのです。そして、ぜひ直接話を聞きたいということで、私たちが主催する保育環境セミナーで話をしてもらいました。その縁もあって、この「自分をコントロールする力」の本を送っていただいたのです。本当はすぐに紹介したかったのですが、他の本をブログで取り上げていたので、やっと今回紹介することができました。

この本の最終章では、彼がこの本で伝えたかったことをまとめています。もう一度、皆さんは、振り返ってみてください。

実行機能は、子どもが目標に向かって、感情や思考を制御する能力です。そして、実行機能には二つの側面があります。感情の実行機能は、マシュマロテストで調べられるような、将来の目標のために、欲求を制御する力です。思考の実行機能は、目標を保持しながら、頭を柔軟に切り替える力です。この思考の実行機能については、感情の実行機能と比べると、一般にもあまりなじみがないかもしれませんが、世界中の研究者が注目しているのです。

その理由の一つは、子育てやトレーニングなどで、向上させやすいのが思考の実行機能であるためです。さまざまな環境要因が実行機能に影響を与えます。そして、子育てや訓練は、特に思考の実行機能に対する影響力が強いのです。

感情の実行機能はその場の状況、子どもの気分や好みに影響されてしまいます。昼ご飯を食べる前と食べた後では、マシュマロテストに対するやる気も大きくことなります。また、マシュマロテストで目の前のマシマロを食べること自体、決して間違ったことではありません。家庭の経済状態がよくない場合、目の前にあるお菓子を食べることと、食べたい気持ちを抑えてお菓子が2倍になるのを期待することと、どちらのほうがいい選択でしょうか。もしかしたら、せっかく2倍になると思って欲求をコントロールしたのに、誰かにお菓子を食べられてしまうということもあるでしょう。マシマロテストが有効なのは、がんばったら報われることが保証されている状況においてだけなのです。

効果の期間

大入でも実行機能を鍛えることは理論上可能ですが、これらの研究に問題がないわけではないと森口氏は言います。たとえば、訓練をすることで実行機能が向上したとしても、その訓練を継続しない限りはその効果は一時的なもので、3カ月後などに再調査すると、訓練の効果がなくなっているそうです。筋肉もそうですが、やはり鍛え続けることが大事なようだと彼は言います。少しの間だけ訓練したところで、その効果は長続きしません。また、実験室のなかで実行機能が鍛えられるように思えたとしても、日常生活で必要とされる問題にはあまり役に立たないことも知られているそうです。

研究者の間でも、この問題については意見が大きく分かれているそうです。2014年に、心理学者や神経科学者らが、実行機能を含む認知機能の訓練は、訓練されたテスト以外にはあまり応用できない、効果がないという声明を発表したそうです。ところが、面白いことに、同じ2 014年に、別の研究者とセラピストらが、認知機能の訓練は訓練されたテスト以外にも効果がある、という声明を発表しているのです。全く正反対の声明が発表されているのです。一般向けにも「脳を鍛えるゲーム」が多く発売されていますが、ものすごくがんばって鍛えても、効果はわずかであり、訓練をやめたら効果はなくなり、しかも、日常生活にはあまり活かされないことがわかっています。

このように、大人になって実行機能を鍛えることは簡単ではなさそうだと森口氏は言います。彼は、実行機能を鍛えるよりも、実行機能がどのような状況下でうまく働かなくなるのかを理解し、ここぞというときに実行機能がしっかりと働くように準備することが大事だと思っていると言います。そのような心得をいくつか紹介しています。

まずは、感情の実行機能については、誘惑をできるだけ避けることだと言います。マシュマロテストに参加した子どもがマシュマロを見ないことで誘惑に耐えることができたように、ビルやタバコ、性的刺激などの誘惑をできるだけ目にしないようにすることが大事だと言います。これらを目にしてしまうと、私たちのアクセルが全開になってしまい、ブレーキが利かなくなってしまいます。お酒を控えているときには居酒屋を、禁煙時にはタバコの自動販売機をなるべく見ないようにすることが大事だと言います。

次に、感情の実行機能にも思考の実行機能にも言えることですが、ストレス時にはブレーキやハンドルの機能が著しく低下してしまいます。仕事で疲れているとき、人間関係でトラブルになったとき、感情や思考をコントロールすることはできません。強いストレスを感じているときには、休息が必要だと言います。関連して、睡眠不足のとき、不安なとき、抑うつ気味なときのように、精神的に健康ではないときにも実行機能はうまく働きません。このようなときに大事な決定をすることは避けたほうが無難だと森口氏は助言します。

また、筋肉のたとえのように、筋肉に似た側面もあります。たとえばべンチプレスをした後や、ダンベルで腕を鍛えた直後は、筋肉は十分に働きません。これと同様で、実行機能を使った直後には実行機能はうまく働かないと言います。たとえば、せっかくビールの誘惑には抵抗できたのに、タバコに手を出してしまうかもしれません。このような状況下では実行機能はうまく働きません。大事なときには、誘惑のある状況に身を置かないことが大事だと森口氏は言うのです。

大人では?

森口氏は、さまざまな方法について紹介していますが、ここで紹介したプログラムは、特に、実行機能に問題を抱えている子どもに対して有効のようですが、研究によっては、最も有効だとされている心の道具プログラムでも、効果があまり見られないという報告もあるようです。また、いずれも現在のところ、短期的には有効性が認められていても、長期的な影響は今後の検証が必要であるとされています。

では、大人の実行機能は鍛えられるのでしょうか。森口氏は、最後に、大人の実行機能が鍛えられるのかについて考えています。

実行機能が必要なのは子どもだけではありません。大人も毎日さまざまな場面において実行機能を使っており、実行機能がうまく働かないと人生の岐路に立たされることもあると言います。なかなか食欲を抑えられない人、気分が落ち込んだときに頭を切り替えられない人など、実行機能を鍛えたいと思うことも少なくないでしよう。大人を対象にした研究も進められていますし、実行機能は筋肉のようなもので、使えば使うほど鍛えられると考える研究者もいるそうです。

実際に、訓練を施して、実行機能が伸びていることを示す研究は多数報告されているそうです。ただし、個々の研究を基に実行機能が鍛えられると判断するのは危険だと森口氏は警告します。子どもの研究と比べて、大人の研究は非常にたくさんなされています。そのため、さまざまな研究結果を総合して分析するメタ分析という方法を使った研究を森口氏は考察しています。

ザールラント大学のフリーゼ博士らは、33の実行機能にかかわる研究結果をメタ分析したそうです。この分析には、感情の実行機能とかかわる研究が多く含まれています。この研究では、利き腕ではない手を使って、歯を磨くなどの日常生活を送ること、すぐに使いそうになるスラングを使わないこと、などの訓練が含まれています。この研究の結果、大人の自分をコントロールする能力は少しですが鍛えられることが示されているそうです。特に、女性よりも男性で効果が強いようです。フリーゼ博士らは、女性と比べると、男性のほうが衝動的であるため、訓練の余地があるのではないかと述べています。

思考の実行機能についてはどうでしょうか。こちらについては、さまざまなメタ分析がなされていますが、一例として、シドニー大学のバーニー博士らの分析は、48の思考の実行機能の研究をメタ分析しました。ここでの研究は、主にコンビュータを用いた反復訓練で高齢の大人の実行機能を鍛えようとしています。その結果、こちらもわずかながら、訓練の効果が見られているそうです。また、運動とコンピュータを使った訓練のどちらが有効かを調べたメタ分析では、コンピュータを使った訓練のほうが有効であることも報告されているそうです。

これ以外にも、思考の実行機能で必須となる目標の保持を鍛える研究も多数なされているそうです。同じくコンピュータを使った訓練で、わずかではありますが思考の実行機能を鍛えることができるようです。このように、大入でも実行機能を鍛えることは理論上可能だと森口氏は言います。

実行機能の鍛え方

5歳頃にかけて、独り言が減っていきます。「これなんだろう」など発話として表出していた独り言が、発話として出なくなるのです。つまり、子どもの独り言とは、本来考えるために用いられる言葉を発声している状態です。特に、難しい問題に取り組んでいるときに独り言が出やすいようです。私たち大人も、難しい仕事を与えられた場合、ついつい独り言を言ってしまうことがあります。子どもも、言葉として出すことによって、問題を解こうとしているようです。そして、独り言を多く発する子どもほど、実行機能や難しい問題を解く能力が高いと言われています。「独り言を使った行動をコントロールする」というプログラムでは、この点を重視します。たとえば絵をかいたり文字を書いたりする際に、まず、教師が独り言を言いながら活動するお手本を見せ、独り言を言って活動するよう指示します。その後、子どもたちに実際に活動させる際に、独り言を言うように奨励するのです。このように独り言を奨励することで、実行機能は向上するのです。

④ 劇を行う

最後に、、ごっこ遊びです。子どもたちは、グループで、どのような劇を行うかの計画を立てるように指示されます。たとえば、「あなたがお母さんで、私が赤ちゃんのふりをしよう。私が風邪をひいたので、あなたは私をお医者さんに連れて行って。あなた(別の子)がお医者さんだから、お薬をあげてね」というようなシナリオを立てたとします。このシナリオに子どもたちが賛成した場合、実際にその劇を行います。劇をすることによって、友達内でルールを共有し、友達からの期待を理解する必要が生じます。また、これによって、自分の行動を否応なくコントロールする必要が出てきます。友達と共有したルールに反するような行動はできないのです。たとえば、お母さん役の子どもが、お薬を出してはいけません。

ブリティッシュコロンビア大学のダイアモンド博士らは、ここで紹介した四つの活動を、1年ないし2年間幼児を対象に実施しました。その結果、別のプログラムに参加した子どもよりも、思考の実行機能が向上したそうです。保育活動のなかに取り入れることで、子どもの実行機能が高まるようです。

心の道具プログラムの効果検証が世界中でなされており、ある程度有効であることが示されているそうです。これ以外の活動についてはまだまだ検証が途上ですが、有望とされているのがモンテッソーリ教育だと森口氏は言います。イタリア人の医学博士であるマリア・モンテッソーリが提唱した教育方法で、当初は障害児に対して行われていたのですが、健常児にもその範囲を広げ、20世紀初頭から伝統的な教育方法とは異なる幼児教育の一つとして始まりました。モンテッソーリ教育といえば、独特の教具や異年齢教育が取り上げられることもありますが、最大の主眼は子どもの自主性を重視するという点だと森口氏は言います。教師や親などに外発的に動機付けられるのではなく、子ども自身で、考え、決断することが推奨されます。

モンテッソーリ教育を受けている子どもと、通常の幼児教育を施されている子どもの実行機能を比較した、ヴァージニア大学のリラード博士らの研究があるそうです。この研究では、モンテッソーリ教育を受けていた子どもは、通常の幼児教育を受けている子どもよりも、思考の実行機能に優れることが明らかになっているそうです。実行機能は、子どもが自主的に目標を達成するための力ですから、やはり自主性を育むことが大事なようです。

心の道具

「心の道具」というプログラムの研究にはいくつかの重要な活動があるのですが、森口氏は、そのなかで、重要な四つの活動について詳しく紹介しています。

①         物理的な道具による外的な補助

幼い子どもは、まだ自分をコントロールすることはできません。そういう場合に、親や教師などによる支援的なかかわりが重要になってきます。支援の一つとして、物理的道具を使うことで、コントロールしやすくする方法があります。大人でも自分のスケジュールを自分の記憶力だけでは覚えきれませんが、手帳やスマートフォンなどの外部記憶装置を使って、記憶の補助をします。このプログラムでは、絵を使って子どもの実行機能を支援します。子どもが二人でペアになって、一冊の絵本を交代で読んでいくという活動を例にすると、このようなことになります。子どもは、どちらも自分が絵本を読みたくて仕方がありません。実行機能が必要な状況になります。その際に、片方の子どもには口の絵を、もう片方の子どもには耳の絵を渡します。口の絵を持ったほうが話を読み、耳の絵を持ったほうは聞き役です。途中で絵を交代し、役割も交代します。うまく自分をコントロールできない子どもも、絵という道具を与えられて、役割がはっきりすると、うまくコントロールできるようになります。この活動を繰り返すなかで、そのうち絵が必要なくなり、聞き役が絵本の内容について質問するなど、より発展的な活動に推移していきます。

②         友達の行動をチェックする

人の振り見て我が振り直せと言いますが、子どもは、友達の行動を見ることで自分の実行機能を発達させます。この活動も、友達とペアで行います。たとえば、友達が物の数を数える活動をしている場合に、子どもは友達がその活動を正しく行うことができているかをチェックするように求められます。チェックシートのようなものを渡され、逐次チェックしていきます。この活動では、友達が正しく活動を行うことができているかをチェックし、この活動を振り返り、深く考えるようになります。すなわち振り返り訓練が含まれているのです。これによって、自分がその活動をやるときに、しっかりと考えて取り組むことができるようになります。このようなくせをつけることで、実行機能も身についていきます。

③         独り言を使った行動をコントロールする

子どもの独り言はほほえましいですが、この独り言は、子どもの発達のうえで重要な意味を持っていると考えられています。私たちが何気なく使っている言葉には、他の人と話すという役割の他に、考えるという役割もあります。私たちは日常的に、頭のなかで考えるために言葉を使っています。「今日の夕飯のおかずは何にしよう」とか、「明日会社休みたいなあ」などのように、自分だけのために使う言葉があります。こういう自分のためだけの言葉が、ポロッと独り言として口をつくと恥ずかしい思いをすることもあります。

子どもにおいて言葉には、まず、他の人と話すためという役割があり、成長とともに考えるためという役割も持つようになります。1歳から2歳頃にかけて、子どもが話し始める頃、言葉は純粋に何かを伝えるために使用されます。「あれとって」とか、「あれなあに」など、親や周りの他者とのコミュニケーションのために言葉は使われます。それが、成長とともに、子どもは考えるための言葉も発するようになります。周りに誰もいないのに「これなんだろう」とか、「これすきなうただ」などと発するようになります。他の人と話すための言葉と、考えるための言葉が、両方とも言葉として出てくる時期です。後者が独り言です。

幼児教育・保育の質

幼児教育や保育の質はさまざまです。では、幼児教育や保育の内容や質が子どもの実行機能にどのような影響を与えるのでしょうか?近年は、幼児教育・保育の質をさまざまな形で測定する試みがなされています。ここでは、森口氏は、その中で実行機能との関係が示されている幼児教育・保育の質について紹介しています。

イリノイ大学シカゴ校のゴードン博士らの研究グループは、三つのカテゴリーからなる幼児教育・保育の質評価を行っているそうです。一つは、園のハードウェアにあたる部分です。園の広さや備品などが含まれています。二つ目と三つ目はソフトウェアにあたる部分で、二つ目は教諭・保育士による子どもの健康や衛生に関するかかわり方です。たとえば、トイレットトレーニングや睡眠などをうまく導けているかが評価されます。三つ目は、子どもとのやりとりにあたる部分で、うまくコミュニケーションを取れているかなどを含んでいます。

訓練された観察者が、幼児教育・保育の様子を見て前記の三つの質を評価し、子どもの実行機能などの発達とのかかわりを検討したそうです。その結果、二つ目と三つ目の幼児教育・保育の質が、子どもの実行機能とかかわることが示されたそうです。つまり、子どもの健康や衛生に関するかかわり方が上手く、子どもとのやりとりが円滑な幼児教育施設では、子どもの実行機能が育まれやすいのです。

健康や衛生に関するかかわり、たとえばトイレットトレーニングなどは、大人側にとっても子どもにとっても忍耐の連続です。便座に座りたくないという気持ちを抑えて座ることなどにより、子どもの実行機能は育まれるのだと考えられると森口氏は言います。また、子どもとのやりとりについても、支援的な養育行動の効果と同じだと森口氏は考えています。このように、教諭・保育士のかかわりは、子育てで重要だった部分と通じるところが多いと彼は言うのです。ただ、もちろん、幼稚園や保育園ならではのものもあります。それが、集団の子どもにかかわるという部分だと彼は言います。家庭では、親と子どもは一対一ですが、幼稚園や保育園では一対複数です。このような集団の子どもに対して、どのようなプログラムなら実行機能を鍛えることができるのでしょうか。

集団活動のなかで、現在世界で最も注目されているのが、「心の道具」というプログラムです。そのため、森口氏は、それについて少し詳しく紹介しています。このプログラムでは、子どもたちに道具を使わせることで実行機能や読み書き能力を高めようとするものです。ここでの道具は、物理的な道具も含みますし、心理的な道具も含みます。

心理的な道具とは、言葉や遊びなどのことを指します。たとえば言葉は私たちの考えや行動を支えています。言葉を使わなくても私たちは考えることができますが、言葉を使うことで論理的推論などの複雑な思考が可能となります。このように、言葉を「道具」として使うことで、私たちの実行機能は支援ができると言われています。