キレやすい

人間は実行機能をどのようにして身につけるのでしょうか?森口氏は、どう考えているのでしょうか?

森口氏は、人間はいつ頃から自分をコントロールできるのだろうかという疑問を高校生のときに持ったそうです。そのきっかけが、二つあると言っています。一つは、生物としての人間の特徴は何だろうと考えたときに、この能力が有力な候補なのではないかと思ったことです。人間に最も近い生物だとされるチンパンジーですら、自分をコントロールすることは得意ではありません。実行機能は、人間を特徴づける能力の一つではないかと思い、関心を持つようになったそうです。

また、森口氏は、人間はいつ頃この力を身につけるのだろうかと考えました。実行機能が人間の特徴であったとしても、生まれてきたばかりの赤ちゃんにこの能力が備わっているとは思えませんし、赤ちゃんどころか、若者ですらこの能力は十分に発達していないように思われたのです。

世紀末に、若者がキレやすいという社会問題がマスコミを賑わしました。1997年に起きた神戸連続児童殺傷事件をはじめ、未成年者によるさまざまな凶悪犯罪が起き、当時未成年だった森口氏たちは、「キレる若者」というレッテルを貼られたのです。キレるということは、誘惑や困難に打ち勝つ力が足りないことを意味します。しかし森口氏は、実際のところは、マスコミが過剰に騒いだだけであり、直接の因果関係があるかどうかはわかりませんが、この問題から、自分をコントロールする力は、いつ頃、どのように成長するのだろうかという関心を持つようになったのだそうです。

彼は、大学生のときに発達心理学という学問に出会い、実行機能を研究テーマとして選びました。大学院生になってから本格的に研究を始めて、博士研究員から大学教員として働く現在に至るまで研究を続け、実行機能の成長過程を明らかにしてきたのです。そこで、彼は、その研究の一端を紹介しています。

まず、実行機能がどのようなものか、大人にとって身近な例を取り上げながら説明しています。次に、実行機能が子どもの将来を占ううえでどれだけ重要なのかについて詳細に解説しています。実行機能の重要性を理解してもらってから、人間がどのように実行機能を身につけていくのかを説明します。そして、幼稚園・保育園に通う時期から、小学校までの間に、実行機能が身につく様子と、その脳内メカニズムを説明しています。

その例として、マシュマロテストという実験があります。森口氏は、その例を、大人を対象に行うとして、こんな設定を示します。「あなたがとてもお腹を空かせたとき、または、とても喉が渇いたときに、そのご褒美が目の前に置かれたとします。たとえばご褒美がビールだったとしたら、今すぐにでも手を伸ばして、そのビールを飲みたくなります。ここで、あなたの意地悪な友人が、次のような選択肢を与えます。今すぐビールを飲むのであれば、小さなコップ1杯だけ。でも、もし荷物を運ぶのを手伝ってくれたら、ジョッキ1杯に増やしてあげる」ここでは、荷物を運ぶのにかかる時間は分だとします。

そのようなとき、皆さんは、どちらの選択をするでしようか。今すぐ喉を潤したいなら、目の前のコップ1杯のビールに手を出したほうがいいかもしれません。でも、コップ1杯だけでは満足できないだろうから、少しがまんして、ジョッキ1杯飲むほうが満足度は高いかもしれません。悩ましい選択です。

将来を占う

実行機能は、自制心という言葉の意味に近く、私たちにとっては、こちらのほうが身近かもしれません。しかし、その違いは、自制心は自分をコントロールすることに主眼を置いていますが、実行機能は目標を達成することに主眼が置かれていると森口氏は説明します。

現在、世界の教育機関や研究機関、国際的な組織において、子どもの実行機能が非常に注目されています。20世紀末から学術的研究が爆発的に増え、基礎研究の段階を経て、現在は家庭や保育・教育現場において支援・応用する段階に入っていると言われています。森口氏も、現在、さまざまな自治体や保育・幼児教育の現場で、実行機能に関する支援事業にかかわっているそうです。その意味で、子どもの実行機能が重要であることはもはや世界の常識になりつつあるようです。

それは、子どものときにこの能力が高いと、学力や社会性が高くなり、さらに、大人になったときに経済的に成功し、健康状態も良い可能性が高いことが示されているからです。逆に言えば、幼い頃に実行機能に問題を抱えると、子ども期だけではなく、将来にもさまざまな問題を抱える可能性があるからです。

つまり、実行機能は、子どもの将来を占ううえで、極めて重要な能力なのです。ところが、日本では、実行機能という言葉自体ほとんど知られていないようです。実際、実行機能が子どもの将来に重要だと言われても、「実行機能なんて聞いたことがない」とか、「いやいや、IQのほうが大事でしょ」とか思われるのではないかと森口氏は言います。私も、保護者講演をするときにも、どうも聞いている保護者の中には、本音と建前として聞いているのではと感じることが多くあります。先日も、例えば、乳幼児期は遊びが大切であるということを、ただ情緒的に、建前として言っているのではなく、きちんと遊びこんだ経験が、その後の学力や、将来社会に出た時に、成功したり、幸せに生活したりするための力になるという研究があって話しているのだということを言いました。

同じように、IQが重要であることは確かなのですが、最近のいくつかの研究から、実行機能は、IQよりも子どもの将来に影響を与える可能性があることが示されているのです。さらに、より重要なこととして、実行機能は、IQよりも、良くも悪くも家庭環境や教育の影響を受けやすいのです。ですから、支援や訓練が可能な一方で、劣悪な環境にいると実行機能は育たないというのです。

もちろん、一つの能力だけで子どもの将来が決まるわけではないと森口氏は言います。この点は留意が必要ですが、さまざまな研究において、一貫して、実行機能や自制心が子どもの将来に影響を与えることが示されており、その重要性は明らかだというのです。子どもの持つ多様な能力すべてに目をくばることは不可能ですので、有望な能力に注目が集まるのは当然だと森口氏は言います。

そこで、彼は、まず「実行機能は、どういう能力を指すのか」そして、「実行機能は、どのくらいの年齢で、どのように育つのか」「実行機能は、子育てや教育・保育によって、どのように育むことができるのか」「実行機能は、子どもも大人も鍛えることができるのか」ということについて考察し、それに対する考え方を紹介しています。

科学的研究による裏付け

志望校に合格するために、ゲームをがまんして勉強に励む受験生。スポーツで勝利をつかむために、あらゆる誘惑に抵抗して研鑽を積むアスリート。会社を興すために、プライベートの時間を犠牲にして仕事に打ち込む起業家。そのあり方はさまざまですが、自分を律し、未来を信じ、目標に向かう人の姿は尊いものだと森口氏は言います。

しかし、このような目標のために自分をコントロールする力は、いわゆる「頭の良さ」とは違ったタイプの能力だと言われています。頭の良さとは、どれだけ知識を持っているのか、どれだけ速く問題を解けるのか、与えられた情報からどれだけ推測することができるのか、などを指します。このような頭の良さは、専門的には「認知的スキル」と呼ばれます。知能指数(IQ)は、認知的スキルの典型的な例です。

一方、目標のために自分をコントロールする力は、頭の良さとは直接的に関係しません。認知的スキルとは異なる能力という意味で、「非認知スキル」と呼ばれます。「社会情緒的スキル」とも言います。非認知スキルには、自分をコントロールする力の他に、忍耐力、自信、真面目さ、社交性など、さまざまなスキルを含みます。

数年前から、わが国においても、非認知スキルが子どもの将来にとって重要だと紹介する書籍やウェプコンテンツが増えてきました。しかしながら、それらの多くは、子どもの研究をしたこともない方々による、一部の研究成果に基づいた表層的な、時には誤った知識によって書かれていると森口氏は指摘します。

実際のところ、非認知スキルのなかには、IQなどと異なり、測定することすらできないものも多数含まれています。つまり、非認知スキルが大事だと言ったところで、それは絵にかいたモチであったり、科学的な研究に裏付けられているとは限らなかったりするのだと森口氏は言います。そこで彼は、非認知スキルのなかで、結局のところどのスキルが子どもの将来にとって大事なのかという疑問に答えようとしています。その答えを彼は、「自分をコントロールする力」だというのです。

それを説明するために、彼はまず「実行機能」について説明をしています。実行機能については、何度もこのブログに出てきて、心理学や神経科学の専門用語のために最初はよくつかめなかったこの機能が、次第にわかってきました。簡単に言うと、森口氏は、「目標を達成するために、自分の欲求や考えをコントロールする能力」であると言います。

実行機能は、英語で「エグゼクティブ・ファンクション」と言い、その意味は、会社組織における執行取締役であるということは以前に説明しましたが、その意味から森口氏は実行機能についてこう説明しています。

「執行取締役の主な業務は、営業をしたり、製品を作ったり、総務的な仕事をしたりすることではありません。会社の目標を定め、その目標を達成するために、営業、製造、総務などの現場に対して指示を出すことです。」

そこで、目標を達成するために、さまざまな苦難を乗り越えなくてはいけません。本業に注力するべきときに、妙な投機に手を出す誘惑にかられることがあるかもしれません。そのようなときに、執行取締役がしっかりと機能していれば、誘惑に打ち勝ち、本来の目標を達成することが可能となるのです。

ということで、執行取締役は会社組織における目標を定め、それを達成する役割を担いますが、同じように、実行機能は人間個人が持つ能力ではありますが、自分自身で目標を定め、その目標を達成するための能力であるということになるのです。

目標を達成

非認知能力を子どもたちに身に付けてもらうことは、これからのAIの時代を迎えるにあたって、様々なことをAIがやるようになった時代では、どのようなスキルが必要になるかということを見通す必要があります。また、これからは、予測不可能な、変化の時代が訪れるであろうと言われています。その変化を前向きにとらえて、その変化に適応していくためには、どのようなスキルが必要であるのか。また、これからは、変化は人類において文化の面だけでなく、自然界でも起きうることです。地球温暖化を初めとして、環境汚染、地震や津波、様々なことが人類に降りかからないとも限りません。それに立ち向かい、生き延びていかなければなりません。また、これかの社会の中で格差が広がり、その格差が固定化し始めていくかもしれません。すると、将来に希望を維持し続けることは困難になり、また、現状を破壊しようとする人が現れないとも限りません。

それらの時代に向かう中で必要なスキルは、ただ知識があるとか、いろいろなことができるだけではなく、非認知スキルという能力が必要になってくるのです。そして、具体的に、そのスキルをどのようにして子どもたちに付けていくのか、どのような環境を用意したらよいのかなどを、具体的に考え、実践していかないと何も変わっていきません。そこには、新たな価値を創造する力が必要になってきます。

この非認知総力の中で、私が特に注目しているのが、「エモーショナルコントロール」と言われるもので、自分の感情をコントロール力です。この力が最近弱まっていると言われ、アメリカでは、この力の欠如から犯罪が増えているとも言われ、何とかこの力を子どもたちに付けていってほしいという試みが多くされていると聞きます。

私たちは、毎年同じ保育を目指す仲間たちに対して、セミナーを開催しています。そのセミナーの中で、リーダーや、園長向けのプログラムでは、様々な研究者をお呼びして、最新の研究を話してもらっています。少し前に、この「自分をコントロールする力」である「実行機能」について研修をしている森口佑介氏に話をしてもらったことがあります。その縁で、彼が昨年2019年11月に発行された「自分をコントロールする力 非認知心理学」(講談社現代新書)という著書を送っていただきました。 この本のはじめには、こんなドリー・バートンのことばから始まっています。「虹を見たかったら、雨をがまんしなくちゃね」

その言葉には、「私たちが大きな目標を達成するためには、さまざまな困難や誘惑を乗り越えなくてはなりません。決して容易なことではありませんが、その障害が大きければ大きいほど、雨が激しければ激しいほど、その後に見られる虹は美しいでしょう。」という意味が込められていると言います。

これと同じような言葉を、様々な著名人が残していますが、そのいくつかを森口氏は紹介しています。ジャズ歌手であるノラ・ジョーンズ氏は、ドリーン氏のはとほぼ同じタイトルの曲(If You Want The Rainbow (You Must Have The Rain))を発表していますし、作家のジョン・グリーン氏原作の映画『きっと、星のせいじゃない』のなかでも同じような表現が使われているそうです。彼女らのような成功者にとって、将来の目標のために、目の前の困難や誘惑を乗り越える力は、必須なのではないかと森口氏は言うのです。

日常的経験

今福氏は、その著書のサブタイトルに「社会性とことばの発達」が書かれていますが、子の発達は、コミュニケーションにかかわるものです。したがって、社会性とことばの発達の科学的理解は、現代社会の問題を解決するために非常に重要であると今福氏は考えたのです。たとえば、自己肯定感の低下傾向の改善には、褒められる経験が鍵を握るかもしれないというのです。

社会性とことばの発達について振り返ると、ヒトは胎児期からお母さんの声に感受性を示し、新生児期には顔や声への選好や新生児模倣がみられ、その後は4歳以降の心の理論の獲得に至るまで、その発達は連続的に進むことがわかります。乳児期の共同注意の能力が心の理論の発達と関連し、子どもの自己制御能力が将来の成功や健康と関連する、という報告もありました。

そして、その時に抑えなければいけないのは、社会性とことばの発達には敏感期や適した環境があり、大きな個人差があるということです。そこで、発達初期の経験環境が、心の発達に長期的な影響をもたらす可能性にも言及してきたと言います。それゆえに、子育て、保育、教育を考えるうえで、赤ちゃんの頃から始まる心の発達のしくみを理解することが欠かせないのです。この今福氏の主張が、私は共感することです。確かに、心の発達には遺伝の影響も50%弱ほどはあると考えられてはいます。しかし裏を返せば、残りの50%強は心の発達に環境が担うといえ、その役割は大きいと今福氏は主張するのです。

今福氏は、日々、赤ちゃんや子どもにかかわるさまざまなニュースが飛び込んでくる中、子どもたちの発達に適した環境をどのように整備すればよいのかを考えなければならないというのです。そして、その環境を考えるためには、子どもたちの心の発達を理解することが重要であるというのです。

京都大学院教授である明和政子氏は、今福氏の歩みを二つにまとめています。一つ目は、ヒトに特有の認知能力、特に言語の獲得について独自の視点から切り込んだ研究であると言います。他者とコミュニケーションする経験を通じて、ヒトはどのように言語を習得していくのかを解き明かしてきたそうです。相手から話しかけられる場合、私たちは、他者の顔や口唇部の動きをみる視覚、発話による聴覚情報を同期的に処理しているのです。今福氏は、そうした多感覚情報の同期生にどのくらい敏感であるかが、乳児のその後の言語発達を予測することを見出したのです。乳児期の認知発達が、他者との日常的経験により支えられている点を重視した、彼ならではの発想による成果であると明和氏は言っています。

二つ目は、早産にともなう胎内経験の短縮や、胎児期から新生児期の周産期の医療的措置等の経験が、後の認知発達の個人差と関連することを実証した研究であるということだと言います。今福氏は、京都大学医学部付属病院の医師らと5年以上にわたり共同研究を行ってきたそうです。早産児と満期産児を対象に、生後2年間の認知発達を追跡してきた結果、周産期に経験する環境の異質性が、後の認知発達、特に社会的認知機能の発達と関連することを突き止めたのです。周産期環境の異質性に着目し、認知発達との関連を検証した研究は世界的にもほとんど行われていなかったため、彼の研究は今、世界的な注目を集めているそうです。こうした基礎的知見は、臨床場面での応用も強く期待されているそうです。

保育環境の質

アメリカのテルマ氏らが作成した環境評価スケールにエカーズというものがあります。そこでは、保育環境の質を数値化する尺度では、①粗大運動遊びの空間などの「空間と家具」、②食事や午睡などの「日常的な個人のケア」、③絵本や会話などの「ことばと思考力」、④造形や音楽などの「活動」、⑤保育者と子どものやりとりなどの「相互関係」、⑥自由遊びや集団活動、障害のある子どもへの配慮などの「保育の構造」、⑦保護者との連携や研修機会などの「保護者と保育者」、の項目について評価されます。エカーズによって評価された保育の質が高いほど、11歳のときの子どもの認知や行動、社会性の発達が良好であるという報告もあるそうです。保育者が子どもの発達に果たす役割は大きいと今福氏は言います。

厚労省の3013年の調査によると、保育士としての勤務年数が5年未満である早期離職者の多さが問題となっています。保育士職への就業を希望しない理由としては、「賃金が希望と合わない」「休暇が少ない・休暇がとりにくい」などがあげられるといいます。保育者の処遇や勤務環境は、喫緊に改善されるべき問題だと今福氏は考えています。

職場でのストレスも離職の原因の一つであると考えられています。保育者が職場で抱えやすいストレスとしては「職場環境・職場の人間関係」「子どもの対応」「知識と現場のギャップ」があるようです。これらのストレスを低下させるには、ソーシャルサポートや研修への参加を促す体制を整える必要があると今福氏は考えています。

専門性の向上は、保育者としての自信である保育者効力感につながります。保育者効力感とは、「保育場面において子どもの発達に望ましい変化をもたらすことができるであろう保育的行為をとることができる信念」であると言います。赤ちゃんや子どもの発達を支える保育者が、幸福感を感じ、保育者効力感を育むことができる職場にしていくことが重要だと彼は提案しています。

今福氏は、彼の著書「赤ちゃんの心は どのように育つのか」のなかで、そのサブタイトルにあるように、社会性とことばの発達を科学しています。内容として、赤ちゃんや子どもを取り巻く現代社会・教育・子育ての現状についてみてきました。その中で、デジタルメディアの普及によって子育て環境が変化しつつあることや、家庭の貧困と発達の関係について触れました。保育・学校現場に目を向けると、小一プロプレムやいじめ、日本語指導が必要な外国籍の児童生徒の増加の問題などがありました。また、世界と比べると、日本人の自己肯定感や主観的幸福感は低い傾向にありました。

これらのトピックをなぜ取り上げたのか、それが、心の発達を考えるうえでなぜ重要なのかということの問いに、それは「現代社会が、今を生きる赤ちゃんや子どもの環境にほかならないから」だと答えています。そして、心の発達は、環境との相互作用によって変化します。ですから、環境が変われば、心の発達の様相も変化する可能性があるというのです。

保育所や幼稚園の教育は、「環境を通して行う」ことが基本にあります。ここでの環境について、今福氏はこう考えています。①人的環境、②物的環境、③自然環境、などに分けて考えられます。現代社会の現状をみてみると、人的環境にかかわる課題が多くあり、人間同士のコミュニケーションの問題が関係しています。デジタルメディアの普及をみても、SNS上で文字や写真、絵文字などを介したコミュニケーションが行われているのです。

育児幸福感

赤ちゃんや子どもにとって、養育者は一番身近な存在といっても過言ではないと今福氏は言います。以前紹介したように、養育者の精神的健康は、子どもの発達に影響を及ぼします。したがって、養育者が幸せを感じて子育てができる環境は、赤ちゃんや子どもにも良い影響があると今福氏は考えています。育児幸福感とはどのようなことなのでしょうか?彼は、育児幸福感は、「育児中のお母さんの肯定的な情動」のことだと説明しています。育児幸福感尺度では、①子どもが元気に成長しているとき安心する「子どもの成長」、②子どもと一緒にいるだけで幸せだと感じる「希望と生きがい」、③子どもによって自分の心が変わり、強くたくましくなった「親としての成長」、④子どもをきつく叱った後でもすぐなついてくれるときに安心した気持ちになる「子どもに必要とされること」、⑤夫が育児に協力してくれることに感謝するとともに安心した気持ちになる「夫への感謝の念」、⑥子どもを通して人とのつながりができたとき嬉しい「新たな人間関係」、⑦子どもに助けられたとき感謝の気持ちになる「子どもからの感謝と癒し」、⑧子どもを産めたことに喜びと誇りを感じる「出産や子育ての意義」、の8因子によって、子育て中に感じる幸せな気持ちを評価します。

育児幸福感の高さは、子育てで感じるネガティブな情動である育児ストレスの低さとかかわるようですが、その関連は弱いことがわかっているそうです。育児幸福感を高め、育児ストレスを低めるためには、異なる援助が必要であるのかもしれないと今福氏は考えています。また、育児幸福感は、お父さんでも研究がされているそうです。どうやら、お父さんはお母さんと共通した育児幸福感を抱いているようです。

また、母子世帯1233、二親世帯2646、計3879世帯を対象とした調査によると、日本の母子世帯のお母さんは、二親世帯のお母さんに比べて、幸福感が低い傾向にあったそうです。また、日本の母子世帯の相対的貧困率は五割を超えており、周囲の人々の心理的な支援であるソーシャルサポートを受けにくい場合も多いようです。家庭が望む子育て支援策を具体的に明らかにすることで、多様なニーズに応える政策を考えていくことが重要ではないかと今福氏は考えています。

一方、0~2歳の第一子をもつ妻・夫へのアンケート調査では、二親世帯においてお父さんの育児頻度か調べられました。たとえば、「○〇ちゃんを寝かしつける」にかんして、お父さんの41.2%が「ほとんどしない」、27.2%が「週に1~2回する」と回答したようです。このように、お父さんの育児への参加は、依然として低い状况にあります。お母さんの心を支えるお父さんの育児参加を促すしくみづくりも必要でしょう。これによって、より幸せな子育て環境になると考えられます。

保育士や幼稚園教諭は、子どもの発達に大切な乳幼児期に、教育や養護にたずさわる職業だと彼は考えています。日本では、社会的ニーズの変化にともない、保育の質の向上や評価が求められるようになっています。保育の質について2018年に厚労省が示したものには、「子どもたちが心身ともに満たされ、豊かに生きていくことを支える環境や経験」のことで、社会や文化における保育の機能によって規定されるものとあります。

子どもたちの幸せ

家庭で褒められる経験と脳の発達について調べた研究があります。5~18歳の290名を対象に、お母さんが日常で子どもに対して褒めることを大切にしている程度と、脳の灰白質の容積との関連が調べられました。その結果、褒めることを大切にしているお母さんの子どもは、島皮質の脳容積が大きいことがわかりました。島皮質は、共感や感情制御にかかわる脳の領域です。この知見から、お母さんに褒められた経験を多くもつ子どもほど、感情にかかわる発達が良好であるといえそうです。さらに、共感力や、感情抑制力にも優れているのかもしれません。この研究ではさらに、思いやりにかんする誠実性と、創造性や好奇心にかんする開放性の性格特性をもつお母さんは、子どもを褒めることを大切にしている程度が高いことがわかりました。子どもの良いところをみつけて、それをことばにして褒めることは、私たちが思っている以上に重要な営みなのだと今福氏は言っています。

最後に、今福氏は、子どもたちの幸せについて考えてみています。2014〜16年に各国で行われたアンケート調査によると、日本の幸せの程度を個人の主観をもとに測った主観的幸福感は155ヶ国のうち51位、OECD加盟国では35ヶ国のうち27位でした。このアンケートでは、①一人当たり実質国内総生産、②助けてくれる親族や友人がいるかというソーシャルサポートの有無、③健康寿命、④人生選択の自由度、⑤慈善事業に寄付したかなどの寛容さ、⑥政府やビジネス界に汚職があるかという汚職、によって主観的幸福感が評価されました。この評価基準では、同一の経済水準の国と比較して、日本の主観的幸福感は低いことがわかります。

一方で、日本では幸せの捉え方が他国と異なるのではないかという考えもあります。幸せのイメージについて日米で比較分析した研究では、アメリカ人は「幸せは個人による目標の達成で得られる」など、幸せをポジティブなものとして捉えることが大半であったのに対して、日本人は「幸せになると他人から妬まれる」など、幸せをネガティブなものとしてとらえる傾向があることがわかりました。つまり、日本人は幸せを判断するときに、他人と同程度の幸せを手に入れることが基準になっている可能性があるというのです。

主観的幸福感を決定する要因としては、学歴や所得よりも、自己決定が強い影響を与えるようです。ここでいう自己決定とは、自らの判断で高校や大学などの進路選択を行った程度を指しています。日本の教育では、子どもたちはどの程度の自己決定ができているでしょうか。子どもたちが自分で行動を選択できるように環境を整備していくことで、満足度の高い生活を送ることができるようになるかもしれないと今福氏は言っています。

私も、この行動の選択はとても重要だと思っています。自己選択が保障されることで、免疫力が高まるという研究もあります。そのために、もう3年ほどまでになりますが、北欧に老人施設視察に行ったときに、多くの施設ではお年寄りの選択を保障することによって、生きる意欲を持たせているという話を聞きました。また、選択は、自己肯定感を育てることもわかっています。自分で何とかできるという確信が、自分を大切に思うようになります。また、選択は、これから必要な力としてOECDが示しているうちの一つとして「責任をとる力」というものも、自己選択をすることが必要だと思っています。この選択する力は、すでに赤ちゃんから持っていることを、現場ではよく見ることができます。何を食べたいか、何で遊びたいか、どこに行きたいかなど、赤ちゃんは選択し、主張するのです。

自尊感情尺度

近年、日本の自己肯定感の低さが問題になっています。自己肯定感とは、自尊感情とも言い、肯定的な自己評価や自分を価値あるものとする感覚を意味します。その自己肯定感が日本の若者が低くなっているのです。たとえば、日本を含む7ヶ国の13~29歳を対象に行われた内閣府による2014年の意識調査では、「自分自身に満足していると思うか」という質問に対して、「そう思う」や「どちらかといえばそう思う」と答えた人は、日本では45.8%、アメリカでは86.0%、同じアジアの韓国では71.5七%でした。日本では、半分以上の人が自分に満足していないと感じているようです。

心理学の分野では、自己肯定感を測る有名なものに、「ローゼンバーグの自尊感情尺度」があるそうです。この尺度は以下の10項目で構成され、「いいえ」「どちらかといえばいいえ」「どちらかといえばはい」「はい」の4件法で評価されます。10項目は、①私は自分に満足している、②私は自分がだめな人間だと思う、③私は自分には見どころがあると思う、④私は、たいていの人がやれる程度には物事ができる、⑤私には得意にうことがない、⑥私は自分が役立たずだと感じる、⑦私は自分が、少なくとも他人と同じくらいの価値のある人間だと思う、⑧もう少し自分を尊敬できたらと思う、⑨自分を失敗者だと思いがちである、⑩私は自分に対して、前向きの態度をとっている、の10項目です。その中で、②⑤⑥⑧⑨は逆転項目で、回答したものと逆の得点をつけます。

なぜ日本の若者は、自分に対する自信や満足感が低いのでしょうか。日本は謙虚であることを美徳とする傾向があるために、控えめな回答がなされたのでしょうか。あるいは、日本人は自分と他人との関係を重視する相互協調的自己観をもつ傾向があるために、自分よりも他人との関係を重視してしまい、自分を疎かにしてしまうのでしょうか。様々な理由が考えられていますが、この点については、未だに答えがでていないそうです。

では、子どもの自己肯定感を高めるには、どのようなことが大切なのでしょうか。今福氏は、こんなことを提案しています。小学5~6年生を対象にした研究では、学校生活において教師から褒められる経験が、自己肯定感や学習意欲、学校生活満足度と関連していることが明らかになっています。これは、教師が子どもを褒めることが、子どもの自信や勉強への動機づけ、学校での生活に広く影響を及ぼすことを示しています。一方で、日本の教育は子どもの問題をみつけるという側面に重きがおかれている印象を今福氏は受けていると言います。しかし、上記のような研究結果をみると、学校教育においても子どもの良いところを褒めることを積極的にしていくべきではないかと今福氏は言うのです。

褒められる経験をすると、私たちにはどのような変化が起きるのでしょうか。今福氏は、ある実験を紹介しています。私たちは、お金という物質的な報酬を手に入れたときに線条体という脳の部位が活動します。線条体には、ドーパミンという快楽にかかわる神経伝達物質を受け取る受容体があります。つまり、お金を手にすると、私たちは快楽を覚えるのです。これが、他者から良い評判を得るという社会的な報酬の場合にはどうでしょうか。驚くべきことに、お金を手にしたときと同様に、他者から良い評判を得ると線条体が活動しているのです。他者から良い評判を得ることと褒められる経験は異なりますが、社会的報酬という観点からみると類似しています。他者から良く評価されたり褒められると、私たちは快楽を感じるようです。

共通項

自己制御は将来の成功や健康につながる重要な能力です。では、自己制御はどのように育むことができるのかということを今福氏はこう考えています。どうやら、ごっこ遊びをすると自己制御の一部が促進されるようだというのです。ごっこ遊びは2歳頃からみられるようになり、何かになったつもりで遊ぶものです。たとえば、子どもたちは、おままごとやお店屋さんごっこで遊びます。

3~5歳の幼児が、空想的なごっこ遊びをする群、空想的でない遊びをする群、普段通りの遊びをする群の三つのグループに分けられ、それぞれが遊びを5週間で1回15分、計25回行ったそうです。空想的なごっこ遊びをする群では、宇宙に冒険に行くなどの遊びをしました。その結果、空想的なごっこ遊びをする群は、歌やお絵かきなどの空想的でない遊びをする群に比べて、切り替え能力や更新能力が高くなることがわかったそうです。

家庭環境が貧しいSESの低い4歳の子どもを対象とした研究では、動物や人のキャラクターになりきって劇を演じたり、感情を表現するようなごっこ遊びをすると、感情的な自己制御が向上することがわかったそうです。これらの結果は、日常的に保育所や幼稚園で経験する演劇やごっこ遊びが、自己制御の発達に有効であることを示していることになるのです。

空想的なごっこ遊びをする群は、歌やお絵かきなどの空想的でない遊びをする群に比べて、切り替え能力や更新能力が高くなることがわかったということで、この遊びの差は、感情を表現する遊びと、そうでない遊びの違いとしてとらえています。確かにそのような遊びの内容の差はあるかもしれませんが、では、絵を描くことはどうでしょうか?絵を描くことは、感情を表現する活動です。しかも、子どもたちは空想の世界の中で絵を描いていることが多いのです。ですから、自己制御の発達を促しているのは、私は、子ども同士、集団で遊ぶものと、一人で遊ぶものとの差ではないかと思っています。たとえば、ごっこ遊びや演劇遊びは子ども集団が必要です。そして、その集団の中で、1つもモノを作り上げるには、個々の思いと集団の思いを両立させていかなければなりません。そして、その時には、一人の思いを抑制することが必要になってきます。そして、その時の条件として共感力が必要になってくると思います。それに対して、歌やお絵かきは、それほど他者と合意をする必要がありません。その活動には、個人の思いを優先させることができるのです。今後、子ども集団の役割を研究することが求められます。

また、養育者が二ヶ国語を話す環境で育ったバイリンガルの子どもでは、実行機能の発達が早い可能性が指摘されているそうです。また、生後11ヶ月のバイリンガル児では、第一母語と第二母語のそれぞれの言語の二種類の音を聞いたときに、実行機能にかかわる脳部位の活動がみられているようです。バイリンガル児は二つの言語を聞き分け、使い分ける必要があるために、実行機能を使って日常生活を送っていると考えられているそうです。