小さい頃の思い出

私たちは、幼児の頃のことはあまり覚えてはいません。特に、3、4歳以前のことはほとんど覚えていません。これをフロイトは、「幼児健忘」と名付けました。おもしろいもので、この幼児健忘は、幼児期から見られるそうです。ある研究では、子どもの「最初の記憶」がどのように書き換えられるかを検討したそうです。4歳から13歳の子どもを対象に、2回の研究を実施したそうです。まず、一回目に、参加児は自分の最初の記憶を三つ聞かれます。二回目の調査は2年後に行なわれ、子どもに最初の記憶を一回目と同様に自由に再生させたそうです。再生できない場合は、その子どもが一回目で再生した記憶と他の子どもの記憶を混ぜて提示し、どれは自分の記憶だったかを聞いたそうです。その結果、三つの記憶の時期の平均月齢は、一回目の調査で44.4ヶ月、二回目の調査では56.5ヶ月と大きな違いが見られ、二回目の調査では、「最初の記憶」の時期が、だいぶ遅くなっています。また、多くの子どもにおいて、一回目と二回目の記憶再生に重複がなかったそうです。最初の記憶は次々と書き換えられてしまうようです。

この結果について、保育園の保育者はちょっとショックですね。0歳から2歳児くらいまでの先生のことや、保育園でやったことなどほとんど覚えていないということです。保育者は卒園児に対して、「ねえ、私のこと、覚えている?」と一所懸命に聞くことがありますが、無理なのですね。

さらに、この研究から、年少の子どもであればあるほど、記憶の一貫性が低いことがわかったそうです。10歳頃には記憶は定着しているようですが、幼児では、「最初の記憶」がころころ変わっているそうです。幼児の記憶は固定化がされにくいために、ある年齢で覚えていたものが、別の事象に塗り替えられて、思い出しにくくなってしまうそうなのです。記憶の固定化ができるのが児童期以降であり、それくらいの年齢で再生できる記憶は結局4歳頃になってしまうというのです。

これを聞くと、ある疑問を持ちます。例えば、「まだ、話ができない赤ちゃんに対しても、小さいうちに色々と言葉がけをしなさい」と言うことがありますが、一生懸命に2歳以下の赤ちゃんに話しかけても、それを覚えていないのではないか、それは忘れてしまうのではないかという疑問です。言語を持たない間に蓄積された記憶を、忘れるのではなく、言語を獲得した後に取り戻すことができるかという問題です。

それについて、ピアジェはこう考えました。シンボルである言語の獲得の前後では、情報を記憶に取り込む過程である符号化が、質的に異なり、言語獲得の記憶は、獲得後に取り出せないのではないかと述べているそうです。最近の研究も、ピアジェの考え方を支持し、言語を持たないときに、記憶した内容は、言語獲得後には言語的に再生されないことを示しているそうです。

この研究では、実験者が2~3歳児と玩具で遊び、その玩具のライトの付け方などの五つの標的行動を示しました。.この時点で、幼児は、標的行動をすべてできるようになりました。その半年後と1年後に、幼児は再び実験に参加し、先に遊んだゲームについて思い出し、言語的に報告するように教示されます。その後、記憶時に使用した玩具が用意され、幼児はそれを用いて標的行動を非言語的に再生するように求めてみたところ、非言語的に再生するのは容易だったのですが、言語的に再生することはできなかったそうです。

情報処理における記憶

私が、保育の中で興味があるのが、子ども同士の関わりです。それは、人類の祖先であるホモサピエンスの最も有効な生存戦略として、家族という集団を作り、社会を作ってきたことが挙げられているからです。また、少子社会においては、家庭には子ども集団が少なくなってきたからということもその理由です。そこで、この人とかかわる力は、ヒトはどうやって身につけていくのか、生後どのくらいになると、母子という二者関係から、多くの他者を認識しはじめ、他者の心を理解し始めるであろうかということの研究に注目しています。それは、乳幼児施設における保育の意味でもあり、役割を示しているからです。

このような関わりについての研究は「心の理論」と「実行機能」についての考察であるので、何度もブログで取り上げてきました。森口は、情報処理能力に関係のあるワーキングメモリと実行機能の発達から考えています。現在、バドリー博士のモデルでは、視空間性ワーキングメモリと言語性ワーキングメモリが独立していると想定しているそうです。さらに、近年の研究により、就学前の時期である4歳頃には視空間性ワーキングメモリと言語性ワーキングメモリとがそれぞれ機能している可能性が示されているそうです。

では、実行機能の発達はどうなのでしょうか?研究内容は省きますが、近年の研究では、3歳から6歳くらいまでの間に実行機能が著しく発達することが示されているそうです。このようにワーキングメモリや実行機能は幼児期には機能しているようですが、乳児ではどうでしょうか?乳児においては、まず短期記憶の研究になってしまうようですが、乳児が大人と同じくらいの短期記憶を持つ可能性が示されているそうです。特に視空間性の記憶課題においては、1歳児も大人とあまり変わらない可能性が指摘されているそうです。

では、長期記憶はどうなのでしょう。長期記憶については色々と分類されて研究されています。まず、言葉やイメージで表現できる記憶は「宣言的記憶」と言います。一方、言葉で表現されない物事の手順についての記憶は「手続き的記憶」と言います。乳児を対象にした場合には、これらの分類は必ずしも明確ではないそうですが、かつてブログにも登場した「馴化」というなれるという行為は、覚えている、記憶しているということなので手続き的な記憶に近いものとされています。また、遅延模倣は、宣言的記憶の指標とされるそうです。そうすると、新生児にも学習能力があることを考えると、手続き的な記憶が生後すぐから機能しているのは間違いないと言います。以前にも紹介しましたが、遅延模倣課題を用いた研究では、6ヶ月の乳児ですら提示されたイベントを24時間後に再生できることが知られています。

これらの結果は、乳児ですら宣言的記憶を持っていることを示唆します。しかし、私たちは、3歳以前の記憶を持っていません。私たちが思い出せるのは、3歳か4歳頃、早くて2歳頃からです。この問題は非常に興味深いもので、いまだに議論されているそうです。最初、フロイトによって「幼児健忘」と名付けられたこの現象は、当初は乳児期の情動的トラウマを抑圧するために引き起こされると論じられたそうです。しかし、どうもトラウマを引き起こすようなネガティブな記憶だけでなく、ポジティブな記憶も思い出せないことについては説明できません。ということで、近年は、脳の発達、特に記憶にかかわる海馬や側頭葉、前頭葉から考察されているそうです。これも、十分な説明にはなっていないそうです。それは、長期記憶というのは、生涯にわたって保持されているはずだからです、

複数の方略

子どもの認知発達を、コンピューターにたとえて情報処理能力というハードウェアから考察してきましたが、シーグラー博士は、ソフトウェアである認知方略がどう更新されていくかを分析したそうです。そのときに、ピアジェのようにどういう段階があるのかを記述するだけでなく、どのようにその変化が生じるかを検討し、子どもを調査する前にあらかじめ子どもが使用するであろう方略を想定したました。多くの研究者は、子どもを調査した後に事後的に方略を分類します。しかし、事後的な分類は恣意的なものが多いため、シーグラー博士はこのような方法をとったようです。

彼の研究例として、足し算研究を森口は紹介しています。この研究では、3,4,5歳児を対象に「1+2はいくつか」のような問題を与えます。その結果、3歳児の正解率は2割程度だったのに対して、4,5歳児は7割近く正解することができたのです。そのときに、シーグラー博士が分析したのは、正解にたどり着くプロセスだったのです。この研究では、四つの方略が見出されました。一つ目は、指と声を使う方略です。二つ目は、指だけを使う方略です。三つ目は、声だけを出す方略です。四つ目は、表面的な行動を示さずに数える方略です。この研究で明らかになったのは、これら四つの方略のうちいずれかをひとつだけを使う4,5歳児は全体の2割程度だったということでした。問題によって異なった方略を使う子どもの方が多かったのです。このことから、ある発達段階にいる子どもが、特定の方略だけを使うということはなさそうだということがわかったのです。

彼によると、ピアジェ課題のように子どもにとってなじみのない課題や、逆に非常になじみがある課題の場合には、子どもは特定の方略を使いますが、それ以外では複数の方略を用いて、課題を解決するようです。様々な方略を試して、どの方略がいいかを見極めているようです。このように、子どもが複数の方略を使用しながら、しだいにある方略を使うように移行していくという考え方を、重複波理論と言うそうです。

彼の研究のもう一つの特徴は、どのように変化が生じるかを記述するために、微視的方法を用いた点だそうです。発達心理学では、一般的に横断的方法を用いるそうです。横断的方法では、異なる年齢の子どもに対して同じ課題を与え、その課題の成績を比較します。縦断的方法では、同一の子どもに対して異なった年齢で課題を与え、その成績の変化を検討するというものです。微視的方法は、縦断的方法に近いですが、短期間で繰り返し調査をすることで、より細かく子どもの発達を追跡します。

シーグラー博士らは、4~5歳児に、「3+4」のような足し算を与え、11週間にわたって子どもの方略の変化について検討したそうです。彼が注目したのは、大きい方に小さい方を加えていく方略です。4から数えて、5,6、7と数える方法で、標的方略です。どのような方略から標的方略が生まれたのでしょうか?直感的には、3から数えて、4,5,6,7と数える方略と標的方略の両方を使えるようになって、それからより効率の良い後者が選択される気がすると森口は言います。しかしながら、この研究では、1から7まで数える方法の後に、標的方略が選択されるという結果が得られたそうです。もっとも、標的方略が使用できるようになったからといって、この方略だけを使うわけではありませんが。

情報処理の発達

ワーキングメモリに関して、近年特に注目が集まっているそうです。ワーキングメモリとは、ある認知活動に必要な情報を一時的に保持しつつ、保持している情報を処理する際に必要とされるメカニズムのことですが、それは、保育、乳幼児理解にどのような意味を持つのでしょうか?

まず、情報処理理論で言えば、子どもはメモリなどのハードウェアと、方略などのソフトウェアを持ったコンピューターにたとえられます。すると、子どもが認知発達領域においての特徴は、ハードウェアとソフトウェアが変化する点になります。子どもが情報処理能力を向上させ、新しい方略オア発展させるというのは、メモリを4GBから8GBに増設するように、また、ソフトウェアをバージョンアップするということになります。このように考えて、子どもの認知発達の機序を論理的思考ではなく、情報処理能力から考えるということを行なったのです。

情報能力が年齢とともに発達することは多くの研究者が一致するところですが、年齢とともに情報処理の容量が増加していくとする研究者もいれば、処理容量自体は子どもでも大人でも大きな違いはなく、情報処理効率の変化を指摘する研究者もいるそうです。そして、この効率の変化の要因は、脳の成熟、認知方略の発達、自動化などによると考えています。自動化とは、新しい問題を与えられたときに、当初は自分の処理容量のすべてを使って解決していたものが、何度も同じ問題を解くことによって処理容量の一部を使用するだけでよくなる様子のことを指します。この考え方からすると、情報処理の発達が、ある段階から別の段階への認知発達に寄与するというのです。つまり、子どもが十分な情報能力を持つことで、与えられた問題に対してより複雑な形で表象することができるようになり、新しい思考様式ができるようになると言うのです。

では、情報処理能力はどのように測定するのでしょうか?ケース博士は、情報処理能力を、処理効率と記憶空間に分け、それぞれを独立に測定しました。前者はある特定の処理が実行される測度によって、後者は短期記憶に保持できる項目の数によって測定したのです。具体的には、処理効率の課題では、子どもは星や木などの七つの単語のうちいずれかを聴覚的に提示され、その単語をできる限り早く再生することを求められました。たとえば、星という単語が聞こえたら、その単語をできる限り早く口答で答えるのです。単語を提示されてから反応するまでの潜時が測定されました。

また、記憶空間の課題では、単語を様々に組み合わせて、子どもが単語をいくつ覚えることができるかを検討しました。例えば、「星・木」などの単語のセットを覚えるように求められます。この課題を3歳から6歳に与えたところ、3歳児の処理速度は平均で800msだったのに対して、6歳児は460msであり、記憶能力も3歳児は平均で三つの単語を正しく覚えられましたが、6歳児は四つから五つの単語を記憶できるという結果が得られたそうです。

このような観点からピアジェの研究を説明しています。情報処理理論では、課題の持つ特徴と子どもの情報処理能力を分析することによって、ピアジェ理論では説明できないことを説明できるようになったそうです。

短期から長期へ

認知心理学では、人間の心のモデルとしてコンピューターを用いる試みとして情報処理理論が進展したそうです。しかし、当然人間の心は計算機ではありえません。処理の仕方も、いくらコンピューターにたとえても人間とは違います。ただ、コンピューターのように人間の心を捉えることで、行動主義では扱えなかった精神活動を説明できるようになったという点が重要なのだと森口は言うのです。

認知心理学における情報処理理論の例として、アトキンソン博士のモデルについて森口は説明しています。アトキンソン博士らのモデルは、三つの記憶貯蔵庫を制御するシステムを仮定しており、記憶貯蔵庫がハードウエアに、制御システムがソフトウエアに該当します。記憶貯蔵庫は、感覚レジスター、短期記憶、長期記憶の三つから構成されるとしました。

情報処理を考える上で、次のような例を森口は提示しています。朝目覚めて、新聞を読むとします。新聞の一面に目をやると、どこからかハエが飛んできて、あなたは思わず目を閉じてしまいます。このとき新聞の一面に関する情報は感覚レジスターに保存されます。外界から与えられる情報は、必ず感覚レジスターに入力されるのです。その情報は短い期間だけ記憶され、数百ミリ秒たつとそれらの情報は失われたり、新しい情報に上書きされたりします。

新聞の一面で、目を引いたのは、ディズニーランドの新しいアトラクションに関する記事でした。感覚レジスターに入った情報のうち、ディズニーランドの情報のみが短期記憶に転送されます。この情報を忘れまいと、何度もそのことを考えます。このような過程を経て、短期記憶にあった情報は、長期記憶に転送され、ディズニーランドの新アトラクションと既に長期記憶に保存されていたドナルドダックが結びつけられて貯蔵されるのだというのです。

感覚レジスターに入力された情報は意識にのぼりませんが、短期記憶に貯蔵された情報は意識することができます。近年、異論はあるものの、この短期記憶の処理には限界があり、七つ程度の情報しか処理できないとされているそうです。この短期記憶は、概念的に少しズレはあるものの、作業記憶(ワーキングメモリ)とも言われます。これについては、以前のブログでも取り上げました。短期記憶に保持されるのは数十秒程度だとされているそうですが、そこで、保持された情報の一部は、長期記憶に転送されるそうです。長期記憶には、長期的に情報が保持され、取り出しにくくなることがあるものの、その情報は基本的には失われることはないと考えられているそうです。

この説明を聞いて、「たしかになるほどこのようにして情報処理は行なわれているのだ。」とおもしろいですが、逆にだからどうなのだという気持ちも湧いてきます。人間は、このような複雑なことを、本人が意識せずに行なっていることには感心しますが、この知識を、どのように保育に生かせるのか、子ども理解につながるのかはよくわかりません。しかし、研究というものは、そういうものなのでしょうね。

私のブログで初めてワーキングメモリという言葉が出てきたのは2014年4月にポール・タフ著である「「成功する子 失敗する子」という本を読み進めていたときです。この本のタイトルからすると、ワーキングメモリは、参考になるかも知れません。

他者認識の発達経路

ゲルゲイ博士とチブラ博士の研究によって、乳児は、顕示手がかりによって大人から情報を受信する準備をしていることが明らかにされました。しかし、この理論はまだ新しいため、彼らが主張するように、顕示手がかりが般化可能な知識を促進するという側面については、まだそれほど証拠は多くないそうですし、顕示手がかりの効果そのものに対しても批判が見られるそうです。今後の研究が待たれるところですが、大人と乳児のコミュニケーションに関する興味深く、本質を突いた理論であることは間違いないと森口は言います。ここでも、乳児は社会的かつ社交的であり、社会的な学習者であることが示されているのです。

生後1年に達する前に、乳児の他者認識には革命が起きています。とはいえ、誤信念理解までには2年以上の時間があります。この間をつなぐ他者認識はどのような発達を遂げているのでしょうか?発達というのは連続性があり、突然ある能力が生まれるのではなく、その準備がいるのです。

近年、ウェルマン博士らは、1歳半頃から4歳頃までの他者認識の発達経路について提案しているそうです。彼らによると、他者認識は、多様な欲求、多様な信念、知―無知の区別、誤信念の理解、そして、隠れた情動の理解の順序で発達していくと考えました。多様な欲求とは、好みの違いを理解することです。人によって、それぞれの欲求が違うということを理解できるようになるのが、1歳半頃だと言われているそうです。ゴブニック博士らは、このことを、ブロッコリー実験で調べたそうです。例えば、皿にスナックとブロッコリーをのせて乳児の好みを聞くと、たいてい乳児はスナックと答えます。次に、実験者が皿を自分の方へ引き寄せ、ブロッコリーを食べるふりをし、それが好きである様子を示します。その後「食べ物をひとつちょうだい」と乳児に求めます。もし乳児が、他者と自分の好みが違うことを示していれば、ブロッコリーを実験者に渡すはずです。この実験の結果、18ヶ月頃の乳児は、正しくブロッコリーを選択することができたそうです。

また、知-無知の区別は、他者の知識状態の理解であり、誤信念理解の直接的な必須要件とも言えます。例えば、幼児は、自分が箱の中をのぞいた後に、箱の中をのぞいたことのない人が、箱の中身を知っているかどうかを聞いてみます。この課題は、3歳児や4歳児でも容易に通過することが示されているそうです。このように、1歳から4歳までを対象にした研究によって、他者認識の発達経路が確認されているそうです。

さらに、他者認識と密接に関連しているものとして自己認識があります。ここでの自己とは、考える主体の自己ではなく、考えられる対象としての自己のことです。それは、自己概念とも言われるそうです。自己認識については、哲学に長い歴史があり、近年は脳機能イメージング研究が盛んになるなど、大きな研究領域になっているそうです。

自己認識の発達は、発達心理学では鏡を用いた実験で調べられてきました。私たちは、通常他者の顔を見ることはできても、自分の顔を見ることはできません。鏡は、私たちが自分の姿形を認識できる数少ない手段の一つです。では、鏡に映った像が、自分であることを理解できるのはいつ頃なのでしょうか?この研究に、私は少し疑問を持っています。そのことについて私は、2011年1月29日、2012年8月20日のブログで、ミラーニューロンに関して鏡のことを考察しています。では、森口はどのように考えているのでしょうか?

9ヶ月

いよいよ私が最近特に興味を持ち、いままで何となく思っていた色々な仮説が、納得いくものになった考え方を紹介します。それは、「9ヶ月革命」です。この考え方を強く主張しているのが、やはり以前に特集で何日にもわたって取り上げたトマセロです。「9ヶ月革命」という言葉も今年の6月に初めて紹介しましたが、当時は、その言葉自体にはあまり注目をしませんでした。しかし、脳の機能の拡大のグラフの中で、エモーショナルコントロールという脳機能の拡大のピークの時期を知ったときに、この9ヶ月という時期とリンクすることに気がついたのです。

最近の研究により、9ヶ月から12ヶ月頃にかけて乳児は他者と何かを共有するという三項関係に参入することができることがわかってきました。この変化の重要性を強調する研究者は多くいます。ちなみに私も非常に重要視しています。その代表的な存在が、「ヒトはなぜ協力するのか」とか、「コミュニケーションの起源を探る」という本を2013年に出したマイケル トマセロです。彼は、心理学を含む様々な領域の研究を行ない、世界中に大きなインパクトを与え、近年では最も影響力のある研究者の一人だと言われています。彼は、ヴィゴツキーにも影響を受け、人間における文化伝達の理論を構築しています。また、人間と人間の近縁種であるチンパンジーなどを比較することを通して、人間と他種の違いは、人間特有の文化的継承に見られると指摘しています。ヒト特有の文化継承には、累進的な文化進化プロセスと社会制度の二つの側面があると考えています。社会制度の側面とは、規範や慣習など、それぞれの集団に所属する個人が従うべきルールのことだと説明しています。それについては、2015年の4月あたりのブログで「ヒトはなぜ協力するのか」という本を取り上げたときに、説明しました。

では、もうひとつの累進的な文化進化プロセスとは、誰かが発明したものを、別の誰かが忠実にそのまま受け継いだ上で、その発明品を改良していくプロセスということです。ここでの発明品とは、ヴィゴツキーの道具に対応しており、ハンマーのような物理的道具も、言語などの心理的道具も含まれます。トマセロ博士によれば、人間以外の生物も発明はするし、広い意味での文化的継承は生じると言っています。ただ、人間の特徴は、誰かの発明を継承し、それを蓄積してよりよいものを構築する点だというのです。いわば、歴史的な視点の重要性を強調しているわけだと森口は言います。

累進的な文化進化プロセスは、模倣による学習や共同作業による学習などでなどでなされますが、これらの学習の基盤にあるのは、人間特有の他者認識能力です。人間特有の他者認識能力とは、人間が、他者を、自分と同じような意図や精神生活を持っているものとして理解する能力であるとトマセロは説明しています。さらに、その意図や目標を他者と共有する傾向のことだとしています。

他者の意図を理解し、共有するからこそ、他者の行動を模倣できますし、教育から学ぶことができると言うのです。また、他者が意図を持った存在だと見なし、目標を共有するからこそ、共同作業や協力行動ができるわけだというのです。眼前の他者から学ぶことはもちろん、書物や道具そのものを通じて、私たちは間接的にも他者から学習できるのも、それらの意図や用途を汲むことができるからなのです。このような他者もしくは他個体の意図を理解・共有する能力は、人間において特に発達しているのです。

日本の子どもは?

以前のブログで、誤信念課題に対して、日本の研究者が学会で「助っ人理論」という他人からの助けがあると、その課題はそうでないときと比べて早い時期から達成するという研究を学会で発表したところ、それは、日本人だからではないかと評価されたことを紹介しました。もし、その地域ならでは特徴があるとしたら、私は、例えばマシュマロテストにおいても、助っ人理論が成り立つことを園で証明したのですが、それは、日本人特有かもしれないと思ったのです。それは、他の研究においてもあり得ることかも知れません。

モジュール説に従えば、どの文化に住む人間も、同じような時期に、同じように心の理論が発達するはずです。たしかに、多くの文化の子どもで4歳半頃に心の理論が発達するのですが、日本の子どもは誤信念理解の発達が遅いということが指摘されていることも以前紹介しました。内藤博士の研究では、日本の子どもの発達はイギリスの子どもに比べて2年近く遅いことが示されているそうです。なぜ日本の子どもは成績が悪いのでしょうか?いくつかの可能性が考えられているそうです。例えば、日本は他の国とは異なった心の理解の仕方をしている可能性もありますし、実験者が子どもの成績を低く見積もっているという可能性もあるでしょう。森口は、後者の可能性について検討してみたそうです。

子どもの研究では誰でも経験することですが、日本の子どもは、見知らぬ他者とのやり取りが得意ではないと言われています。日本の子どもは言語的やり取りをする課題では黙りこくってしまうことが多いと、嘆く外国研究者もいるそうです。これらから推測されるのは、日本人の子どもは、言語的に質問をされることが苦手ではないかという可能性があるということです。子どもは誤信念理解をしているのですが、言語的に質問されるのに慣れていないため、正しく答えることができないのかもしれないと森口は考えたのです。

そこで彼は、子どもに言語誤信念課題と非言語誤信念課題を与えてみたそうです。非言語課題の場合では、言語的には質問されません。この二つの課題を欧米の子どもに与えてもその成績にはほとんど違いがありませんでしたが、日本人幼児に与えた結果、非言語課題の成績は、言語課題の成績よりも良いという結果が得られたそうです。この結果から、日本人幼児の発達が遅いとされた理由の一つとして、言語的に質問されるのが苦手であることが挙げられそうだと森口は言うのです。もちろん、日本の子どもは他の国とは異なった心の理解の仕方をしている可能性もあるので、今後の研究で探っていく必要はあると考えているようです。

心の理論の発達については、こんな議論が交わされていたそうです。しかし、他者の心を理解する能力がこの時期に急に出現するわけではありません。これは、常々私が主張していることで、発達には連続性があることから、その準備期はまだ表出していなくても、その時期があるからこそ、その後表出することになるのだと思っているのです。森口も、乳児や幼児に接したらわかるとおり、心の理論ほど複雑ではないにしても、乳幼児は他者の心に対して感受性があるように思えると言います。ということで、森口は、まだできないと言われている時期である3歳以前の乳幼児ではどのように他者認識をしているかの研究を紹介しています。

他者の心の理解の基盤

シミュレーション説というのは、他者の心を推測するために、自分の視点から考えるというものです。森口は、こんな例で説明しています。小学校でクラスの友だちに嫌がらせをしたとき、教師は「もしあなたがそんなことをされたら、嫌な思いをするでしょう?」と説くような場合です。このような保育者が行なっている行為は、園でもよく見かける姿です。それは、他者の心の理解の基盤として、自分の心があるという考え方です。同様に、他者の心を理解する「理論説」と違うのは、基盤として自分自身の心を参照にする点です。

この説について、ハリス博士は、「幼児は、ある状況における他者の感情や欲求、信念をシミュレーションすることでそれらの心の状態を理解できるようになる」と言っています。前に紹介したサリー・アン課題でも、サリーの状況に自分の身を置くことが必要になるのです。子どもは、ボールが箱の中にあることを知っていますが、サリーと同じ状況を想定し、そのような状況だったら自分はどういう振る舞いをするのかを考え、サリーの行動を予測するということになると言うのです。

理論説もシミュレーション説も、実験的にはどちらを支持する証拠もあり、現段階ではどちらが正しいとは決められないそうです。そもそも、理論説もシミュレーション説も、詳細な予測を生み出す仮説ではないので、明確な線引きはなかなか難しいと言われています。

他の考え方で主なものは、メタ表象説とモジュール説だそうです。メタ表象説は、バーナー博士によって提唱されたものだそうです。彼によれば、表象とは、表象される内容のことではなく、表象媒体であり、表象過程のことであるとしました。例えば、私たちがカバについて考えている場合、表象される内容はカバであり、表象はカバのことを表わしている心だというのです。

メタ表象とは、他の個体が表象していることを表象する能力のことを指します。誤信念課題で見られるように、サリーが表象している現実について、例えば、ボールはバスケットになると思っているというようなことについて、4歳児は表象できるようになると言うのです。バーナー博士は、このようなメタ表象の獲得こそが、誤信念理解の基盤にあると考えたのです。

モジュール説は、心の理論は生得的に備えているモジュールが、発達とともに徐々に機能していくという考えだそうです。この考えのもとになったのが、自閉症スペクトラムのひとを対象にした研究だそうです。自閉症は、社会的な相互交渉の質的な障害、コミュニケーションの質的障害、行動と興味の範囲の著しい限局性などを持って診断されます。バロン・コーエン博士らが自閉症児にサリー・アン課題を与えたところ、定型発達児やダウン症児よりも成績が悪いことを見出したそうです。これらの結果から、自閉症の原因は、心の理論の欠如であるという考えが生まれたそうです。自閉症者の中には知的に優れた人が多数いることから、心の理論は、他の知的領域などとは独立したモジュール性を持ち、それだけが欠落した人がいると主張されるようになったのだそうです。ただし、近年は、自閉症を心の理論だけで説明するのは難しいと考えられているそうです。

まだまだ、色々なことが研究途上であるのですね。

社会集団

スペルキ博士によると、各領域の知識は領域固有であり、他の領域とは干渉し合わないことだと言います。彼女らによると研究初期から主張していた基本的領域は、物体、数、他者(行為者)、幾何の四つと考えました。物体については、彼女が考えている接触に加えて、連続性と凝集成が含まれているようです。連続性とは、ある物体は、ひとつの連続した軌跡を動くものであり、途中その軌跡が途切れたりしないという原理のことです。凝集成とは、独立した物体はひとまとまりで動くものであり、ひとつの物体が途中で二つになったり、その逆になったりはしないという原理のこととしました。

数についても三つの原理があると考え、数概念のところでブログで紹介したような大まかな数認識、多様な対象に対して複数の感覚を用いて数を表象すること、加算や減産を用いて数を統合したり、比較したりすることが挙げられています。他者については、他者の行為は目標志向的であること、他者は随伴的かつ相互的に関わる性質を持つこと、他者の視線は多様な情報を含むことなどが挙げられています。幾何は、距離や角度などの空間把握についての原理です。乳児が対象を定位する際に実験者が乳児の方向感覚を失うように仕向けると、壁の色などの外部手がかりは用いず、対象が右にあったか左にあったかなどの幾何的、空間的情報を用いて再定位する傾向があるという原理のことだとしました。

このあたりのコアノレッジに加えて、2000年代半ばからは、新しく社会集団についての領域も含まれようとしています。これが、私の興味を引くところです。たとえば、3ヶ月の乳児は自分と同じ人種の顔を好んで見つめたり、5カ月児は自分の母語のアクセントで話していた人の顔を、別の言語や別のアクセントで話す人の顔よりも好んだりするなどの傾向があることがわかってきました。自分が所属する集団に対するこのような好みは、大人でも普遍的に見られることですが、生後数ヵ月の乳児にも同じ傾向が見られるということは大変驚くことです。このような乳児の傾向を森口は経験や学習である程度説明可能ではないかと考えているようですが、私は、スペルキらが考えているように、コアノレッジの領域として含めた方がいいと思っています。

その他にも、最近の研究では、食物は新しい領域に含めるべきかなどという研究も実施しているそうです。しかし、まだそれらを含めるべきかは議論があるそうですが、今後は、ますます領域は増えていくと予想されています。

スペルキ博士以外の研究者も、多少の違いはあるものの同じような考え方を持っているようです。ベイラージョン博士は、生得的な知識は仮定せず、生得的に領域固有の学習メカニズムがあると考えているようで、生得的な知識を想定するよりは受け入れやすいかもしれないと森口は言います。彼女らの主張は、経験や学習の影響を否定しているわけではなく、古い生得主義とは違っています。

また、スペルキ博士は、生得的な知識が様々なエラーを引き起こすと述べており、経験や学習、教育などによって新しい知識を取り入れていくことが重要であるということも主張しているそうです。たとえば、自分が所属する集団に対して過剰な好みを示せば、他集団に対して不寛容な人間になってしまう可能性があります。進化心理学者がしばしばこのような知識は、進化の過程では重要であったものの、現在の社会とは必ずしも相容れないケースがあるのです。まだ、このような生得性に関する議論は、乳児のデータをうまく説明できる一方で、非常に安易に生得性を持ち出していると批判されることもあるそうです。