統計調査

山口氏は、“「家族の幸せ」の経済学”という本の「あとがき」で、こうした研究は、何が真実で、何が「神話」であるのかを明らかにしてくれますが、科学的根拠だけで、私たちがどう生きるべきかを決められるわけではないとも言っています。たとえば、母乳育児には子どもの健康にとってさまざまなメリットがあることが明らかにされたわけですが、一方で、少なからず手間もかかるわけですし、そのほかにもそれぞれの事情によって、母乳育児を行わないという選択も「家族の幸せ」に繋がりえるのではないかというのです。

そこで、このような助言もしているのです。「すべての物事には良い側面もあれば、悪い側面もあります。だから、それらを総合的に考慮した上で、あなたと家族にとって何が幸せにつながるのかを、あなた自身が選び取ってください。」

科学的研究は、私たちがよりよい選択をする上での助けにはなりますが、「何が自分にとっての幸せなのか」までは教えてくれないというのです。あなた自身の価値観に従って、科学的根拠を知った上で、自分自身と家族の幸せを考えてみてほしいというのです。

この本の中では、すべての章を通して、海外の事例を分析した研究を多数取り上げています。私たちの関心が高いのは、もちろん日本についての研究なのでしょうが、必ずしもすべての話題について、信頼性の高い研究が、日本のデータを用いて行われているわけではないというのです。残念ながら、アメリカやヨーロッパの国々と比べると、日本のデータは質量ともに劣っていることが少なくないと山口氏は言うのです。貧弱なデータでは、私たちが十分に信頼して日々の暮らしに役立てられるような知見を得ることは難しいというのです。

また、第6章で述べた離婚後共同親権など、いくつかの社会制度は日本がかつて経験したことがないものもあります。そうした社会制度を日本に導入したときに何が起こるかを考えるには、やはり、それらをすでに経験した諸外国の事例から学ぶのが一番の近道だと彼は考えているのです。

もちろん、海外の経験がそのまま日本に当てはまるわけではありませんので、彼は、海外の研究を紹介する際には、日本にはどの程度当てはまるのかに気をつけながら解説を行ったそうです。日本と海外では多くの異なる点があるのですが、それでも多くのことを海外から学ぶことができるというのが彼の実感だそうです。

海外の経験から多くを学べるとは言うものの、やはり、日本のデータで日本の制度を分

析した研究が、私たち日本人にとっては最善だと言います。しかし、そうした研究の最大の障壁になっているのが、データ不足と質の低下だと指摘します。人々のプライバシー意識の高まりから、年々調査に協力してくれる人の割合が低下し続けているそうです。また、公的な調査においても、予算が割かれなくなるようになり、その質に重大な懸念が抱かれるようになってきたようです。

そこで、途中でも言っていましたが、再度山口氏は、「私たちの社会をより良いものに近づけていくためにも、あなたが調査を依頼されるようなことがあれば、ぜひ協力をお願いします。公的な調査では、プライバシー保護に十分な配慮がなされています。また、みなさんの貴重な税金が統計調査に使われることにもご理解いただきたいと思います。適切な統計調査がなされることで、はじめて私たちは自分の社会の姿を正しく理解することができるのです。」と結んでいます。

家族や子育て

山口氏は、本書の中で、家族や子育てについてデータから考察しています。第4章は、お父さんの子育てにスポットライトを当てて経済学的な分析を紹介しています。なぜ、日本のお父さんは育児休業を取らないのか。「イクメン先進国」であるノルウェーの経験に学び、どうすれば日本でもお父さんの育児休業取得が進むのか考えています。そして、お父さんが育児休業を取ると子どもにはどんな影響があるのか、夫婦仲はどう変わるのかといって疑問についても答えています。この章は、このブログでも取り上げましたので、以上の内容をもう一度確かめようと思ったら、もう一度読み直してみてください。

第5章も、ブログで取り上げた章です。保育園、あるいは幼稚園といった場で行われる幼児教育が、子どもの発達にとんな影響を及ぼすのか見ています。日本では「3歳児神話」と呼ばれるように、子どもは3歳までは母親が育てるのが一番であるといった考え方が一部に見られます。そのため、後ろめたさを感じながら子どもを保育園に預けて働いているお母さんもいますが、数々の科学的研究が明らかにしたのは、幼児教育は子どもの知能面と行動面の発達に大きく寄与するという勇気づけられる事実です。特に、日本の保育園通いを対象にした研究では、子どもだけでなく、お母さんの精神面にも大きなプラスの影響があることが明らかになりました。そんなことを取り上げているのです。

最後の第6章では、離婚と親権の問題について考えています。「家族の幸せ」を考えるという本書の趣旨からすると違和感のあるテーマかもしれませんが、山口氏は、夫婦関係がどうしてもうまくいかないならば、当人たちはもちろん、子どもたちの幸せにとっても、離婚は妥当な選択となりえます。現在の日本の制度では、夫婦間の合意がない場合には、自由に離婚ができるわけではありませんが、こうした法律上の離婚要件を緩めた場合には、家族の幸せにどんな影響があるのかということを考えています。また、離婚した場合の親権はお母さんが持つことがほとんどですが、お父さんとお母さんで親権を分け合う、離婚後共同親権が導人されたならば、子どもたちにはどんな影響があるのかについても考えています。アメリカやヨーロッパの国々の経験を分析した経済学の研究を紹介しています。

彼は、現在、東京大学の経済学部で結婚・出産・子育てなど家族にまつわる間題を分析対象とする「家族の経済学」と、労働市場や人事制度を分析対象とする「労働経済学」を研究、教育しているそうです。それまでは長年、アメリカとカナダで生活し、日本の大学で修士号を取得した後、アメリカのウイスコンシン大学で学び、経済学の博士号を取得しています。その後、帰国するまで、カナダのマクマスター大学で助教授、准教授として経済学の研究、

教育に携わってきたそうです。

実は、こうした海外経験は、彼が「家族の経済学」を専門にしようと思ったことと結びつ

いているそうですし、海外での女性の活躍を目の当たりにし、日本でも、女性がより活躍することで、経済と社会の活性化につながるのではないかと考えたのが「家族の経済学」を研究するようになったきっかけだそうです。

しかし、本書の「あとがき」で、こうした研究は、何が真実で、何が「神話」であるのかを明らかにしてくれますが、科学的根拠だけで、私たちがどう生きるべきかを決められるわけではないとも言っています。

データ分析

山口氏が紹介する科学的研究の成果は、実社会から得られたテータを分析することによって得られたものだそうです。国勢調査のような大規模な公的調査はもちろん、社会実験から得られたデータや、恋愛と結婚のためのマッチングサイトの利用者データなども分析に活かされているそうです。こうしたデータを分析することで、個人の体験談の寄せ集めなど比較にならないほど信頼性の高い知見が得られるようになると彼はいうのです。

よく、保育の世界の人たちの中で、経済学というとお金にまつわる学問だから、そのような研究は参考にならないという人がいます。しかし、現在教育を提案するデータの中心は、OECD経済協力開発機構です。山口氏は、結婚、出産、子育てはもとより経済学は、人々がなぜ・どのように意思決定し、行動に移すのかについて考える学問ですから、そこで得られた知識を活かすことで、家族の幸せにより近づくことができるのだと主張しています。彼は、「経済学研究の最先端に触れることで、ぜひそのエッセンスをご家族とあなた自身の幸せに活かしてください。」と言っています。

最初に行ったように、私は本書の中から育休と保育園についての章だけを取り上げました。しかし、全体は、次のような構成になっています。もし興味のある方は、ぜひ読んでみてください。

第1章は、家族の始まりは結婚にありということで、結婚とそこにつながる恋愛について考えています。人はなぜ結婚するのか、結婚に何を求めているのか、どうやってお互いを結婚相手として選ぶのかといった疑問について、経済学的な説明とともに、データ分析による裏付けを紹介しています。恋愛や結婚にまつわる本音は、公的な調査ではなかなか明らかにされないかもしれませんが、近年の研究では、マッチングサイトの利用者データを分析することで、人々の本音に迫れるようになったと言います。「データ分析が明らかにしたモテ要素とは?」「不倫が起きやすいのはどんな職場?」といった話題にも触れています。

第2章は、出産と赤ちゃんの話題です。近年の科学的研究は、赤ちゃんがお母さんのお腹の中にいる頃の環境や出産の方法が、大人になってからの健康状態や知能、ひいては所得にまで関わっているのではないかと指摘しているそうです。一方、健康面から知能、情緒面の発達に至るまでさまざまなメリットが語られてきた母乳育児については、そこまで大きな効果が見られないのではないかという研究結果が報告されているそうです。出産と赤ちゃんの子育てについて、何が「真実」で、何が「神話」なのか、この章で詳しく見ていっています。ここにも神話があるようです。

第3章が、私がこのブログで取り上げた育休についての考察です。かつて安倍総理が「3年間抱っこし放題」というキャッチフレーズで、育休期間を3年間に延長することを提案しましたが、実際に「育休3年制」がスタートしたら、お母さんたちの働き方はどう変わるのかということを海外の例や、データから考察しています。同時に、その時にはあまり語られないことですが、育休制度を論じる上で無視できないのは、子どもの発達への影響にも触れています。そして、そこでも3歳児神話が登場します。生まれたばかりの子どもは、やはりお母さんが育てるべきなのでしようか。データに基づいた科学的知見を紹介しています。

保育の質の重要性

保育サービスの供給を増やす政策を進める上で気をつけなければならないのは、どのように高い質を保つのかということだと山口氏は言います。量を増やすことだけを目的として、保育の質を下げてしまうと、子どもの発達に悪影響が及びますし、事故などの深刻な事態にもつながりかねません。

これまでの世界中の研究が、保育の質の重要性を明らかにしています。保育サービスせん。の質が家庭の保育環境よりも悪ければ、イタリアのボローニャの例で見たとおり、子どもの発達にはマイナスです。ですから、保育サービスの供給量を増やすためには、規制緩和が必要であるという主張には一理ありますが、それによって保育の質が下がらないかという検討は必要だと山口氏は言うのです。

どうしても働きたいという強い希望を持つ母親も少なくありませんが、子どもの発達を犠牲にしてもいいと考えているわけではないはずだと言います。質を保ちながら、量を増やすことは簡単ではありませんが、これまでの幼児教育の研究結果に基づきつつ、規制のどの部分を緩められるのか、どの部分は緩めるべきではないのかといった検討が必要ではないかと指摘しています。

山口氏は、その著書“「家族の幸せ」の経済学”のサブタイトルには、「データ分析でわかった結婚、出産、子育ての真実」とあります。その中で、保育に関係する章である「育休の経済学」と「保育園の経済学」を紹介しました。実は、他の分野もデータによってその真実を考察しています。それは、思い込みや刷り込みが必ずしも真実ではないことがあることを訴えているのです。

育児に対して、多くの刷り込みや思い込みが多くあります。彼は、この本の「はじめに」に、こんな例を出しています。「帝王切開なんてダメ、あんなの本当のお産じゃない。落ち着きのない子に育ちますよ」「赤ちゃんには母乳が一番。お母さんの愛情を受けて育つから、頭もよくなるんだよ」「子どもが3歳になるまでは、お母さんがつきっきりで子育てしないとダメ。昔から、”三つ子の魂百まで″っていうでしょう」本当にこんなことがまことしやかにささやかれますね。山口氏は、このような刷り込みに翻弄される状況に疑問を呈しています。

「どのように出産を迎え、子育てをすればいいのか日々悩んでいるお母さん、お父さんの耳にはさまざまな意見やアドバイスが飛び込んできます。こうしたアドバイスをしてくれる人の多くは、相手のためになると思っていますし、ご自身や周囲の人がそれでうまくいったという確信もあります。たしかに、身近な人のエピソードや口コミには独特の説得力がありますが、これらを本当にあてにしてよいのでしょうか。」

しかし、はっきりと彼は断言しています。実は、近年の経済学の研究は、ここに挙げた3つの、アドバイスがすべて間違いであることを示しているそうです。

そのような多くの刷り込みに対して、山口氏は、経済学からの考察を試みようと、結婚、出産、子育てにまつわる事柄について、経済学をはじめとしたさまざまな科学的研究の成果をもとに、家族がより「幸せ」になるためのヒントを紹介しているのです。

保育園の貢献

保育園通いは親にとっては、どのような効果があるのかということを山口氏はいくつか挙げていますが、その中の一つとして、こんなことも挙げています。子どもが保育園に通うことで、保育士さんのような家族以外の人の目に触れるようになります。子どもの体を見たり、話をしたりすることで、保育士さんは子どもが叩かれていることを知りえると言います。そこで、もし子どもが叩かれていることがわかれば、保育士さんは親に適切な指導をしたり、児童相談所と連携したりすることもでき、体罰や虐待の抑止力になるということも考えられるというのです。

母親のしつけの質の向上がデータに表れているのは、こうした経緯によるのではないかと山口氏は考えているのです。母親のしつけの質が良くなれば、子どもの精神状態が安定しますし、問題を暴力によって解決しようということもなくなります。その結果、子どもの多動性・攻撃性が減って、行動面が改善されたのではないかというのが、彼が考えていることだというのです。

ここまで説明した、子どもの行動面が改善される仕組みは、データ分析の結果と整合的ですが、まだまだ明らかになっていない部分も多く、さらなる研究が必要だと山口氏は言っています。

さらに彼は、「この研究一つをもって、日本の保育制度の評価を下せるわけではありませんが、保育園は、“家族の幸せ”に貢献しているかもしれないというのは、希望のある結果ではないでしょうか。」というのです。

山口氏は、今回の保育料の無償化よりも待機児童解消を急ぐべきだと主張しています。その理由をこう述べています。

「まずは保育所と保育士を増やすことから」と言います。2019年の10月から、幼児教育・保育の無償化が実施されました。子育て支援に、より予算を割くという点では、望ましい方向に政策が動いているとは言えますが、それが最も賢明なお金の使い方かといえば、必ずしもそうではないと山口氏は考えているようです。

やはり優先すべきは、待機児童解消ではないかというのです。ある家庭は低額で質の高い認可保育所を使える一方、別の家庭にはほとんど支援がないため、大きな不公平感を生み出していると言います。幼児教育の無償化は、保育所を増やすための十分な政策をともなっていませんから、認可保育所を使える家庭と使えない家庭の間での不公平感を一層高めるに過ぎないというのです。

待機児童解消を伴わない幼児教育の無償化を進めるよりは、所得の高い家庭にはより高い料金を課すなどしつつ、認可保育所の供給を増やすためにお金を使うべきではないかと言います。また、一部の自治体で進められているように、認可保育所以外の形態の保育サービスの充実も一定のニーズがあるはずだというのです。

待機児童の解消や、幼児教育の充実には大変なお金がかかります。しかし、その成果は犯罪の減少に見られるように、社会全体で薄く広く受け取られるため、その費用を税金で負担することは妥当だというのです。海外と日本での研究は、こうした考え方にはデータ上の根拠があることを示しているというのです。

親にとっての効果

では、保育園通いは親にとっては、どのような効果があるのでしょうか?

母親ののしつけの質、ストレス、そして幸福度に対する保育園通いの影響をデータから見てみましょう。

まず、4大卒の母親に対する影響はさほどないようですが、高校を卒業していない母親を見ると、効果量は0.58と、大幅にしつけの質が改善されていることがわかります。

では、子育てストレスに対するストレスに対する影響はどうかというと、ここでも4大卒の母親に対する影響はほとんどありません。一方、高校を卒業していない母親の子育てストレスを0.63も減らしていることがわかります。

そして、幸福度に対する影響はどうかというと、4大卒の母親に対する影響はないものの、高校を卒業していない母親の幸福度を0.54とやはり大幅に改善しているのがわかります。

働きやすさを除くと、母親に対する影響というのは、政策議論ではもちろん、学術研究においてもあまり注意が払われてきませんでしたが、山口氏らの分析によると、母親に対しても非常に好ましい影響があることがわかったそうです。

では、なぜ、特定の家庭環境の子どもの多動性、攻撃性が減少し、行動面で大きな改善がみられるのかを山口氏は考察しています。

まず、考えられるものとして、保育園で行っている教育の質が高いということを彼は挙げています。保育士さんは訓練を受け、経験も積んだ専門家です。データを見る限りにおいて、高校を卒業していない母親の家庭では、しつけの質が低くなってしまう傾向があるため、保育園で過ごすことで子どもにとっての環境が大幅に改善されるからだというのです。これが最終的には、子どもの行動面の改善につながったのではないかと考えているのです。

もう一つ考えられるものとして、母親のしつけの質の改善を通じた間接的な影響を挙げています。イクメンが増えたといっても、やはり子育ては母親の仕事とみなされがちです。子どもが保育園に通っていない場合、母親が四六時中子どもの世話をすることになりますから、いくら子どもが好きでも24時間一緒にいると大きなストレスになりえるというのです。もちろん、保育園を利用するということは、母親は外で働かなければならないのですが、それを考慮に入れても、子育てストレスが下がる可能性があるというのです。

また、外で働くということは、当然、家庭としては収人が増えるということだと山口氏は考えています。お金だけで家族が幸せになれるわけではありませんが、お金があることで避けられる面倒や悩みは少なくないと言います。そのため、保育園を利用することで、お母さんの金銭的な悩みとそこから生じるストレスが督減されると彼は考えているのです。

こうした変化が、母親のストレス減少、幸福度アップとしてデータに表れているのではないかというのです。

母親の精神面が安定すると、母子関係が良好になるので、子どもを叩いてしつけるといった好ましくない行動が避けられるようになることが考えられます。子どもを叩いてはいけないと頭ではわかっていても、イライラしていると自分自身をうまくコントロールできなくなってしまうのは誰にでもあることだと山口氏は言うのです。

保育園とストレス

一方、子育てストレスについて見てみると、母親が4大卒以上であれば0.04、高校を卒業していなければ0.07ですから、どちらも平均より強いストレスだと言えますが、数字自体は小さなものです。

では、母親の子どもへの介入効果について幸福度はどうでしょうか?データによると、母親が4大卒以上であれば0.13、高校を卒業していないならばマイナス0.18ということで、学歴が高いほうが幸福度も高くなっているようです。その差も、小さくはありません。子どもの発達だけでなく、母親のしつけの質や幸福度も、学歴間で大きな違いがあることが明らかになっているそうです。

こうして作られた子どもの発達や、しつけの質、母親のストレスと幸福度といった指標が、保育園通いをすることで、どう変化するのかを測るのが山口氏らの研究の目的です。真っ先に思いつくやり方は、保育園に通っている子どもと、通っていない子どもとの比較ですが、実はこのやり方では、保育園通いの効果を正しく測ることができないと考えます。

なぜかというと、保育園に通う前の段階で、両者は、発達状態や家庭環境がさまざまに異なっている可能性があるためだというのです。したがって、保育園に通っている子どものほうが、通っていない子どもより発達が進んでいたとしても、それが、もともとあった家庭環境の違いを反映したものなのか、保育園通いの効果なのか、区別がつかないというのです。

実際、保育園を利用している家庭の母親の学歴は、保育園を利用していない家庭と比べると高めです。逆に、父親の学歴を見ると、保育園を利用していない家庭のほうが高い傾向にあるそうです。このように環境が異なる可能性が高いため、単純に保育園の利用の有無だけに基づいて子どもを比べても、保育園通いの効果はわからないと考えます。

そこで、山口氏らは、保育園を利用する家庭と、利用していない家庭のさまざまな違いを統計学的に補正した上で、両者を比校することで、保育園利用の効果を測定しています。

まず、保育園通いが子どもの発達に及ぼす影響はどうでしょうか。データでは、保育園通いの効果を、母親の学歴別にみています。言語発達については、母親の学歴によらず、保育園通いによって0.6から0.7程度改善しています。これは偏差値換算で6から7ですから、大きな伸びです

では、多動性指標に対する効果はどうでしょうか。母親の学歴によらず、多動性が減少しますが、特に効果があったのは、母親が高校を卒業していない場合でした。

そして、攻撃性指標に対する効果では、母親が4大卒以上であれば、ほとんど効果はありませんが、母親が高校を卒業していないと、子どもの攻撃性がマイナス0.43と大きく減少しています。

保育園通いは、特定の家庭環境の子どもの多動性・攻撃性といった行動面を大きく改善させることが明らかになっています。

体罰とストレス

なぜ体罰は良くないと考えられているのでしょうか。山口氏はこう説明しています。「それは、親が体罰を行うことで、自分の葛藤や問題を暴力によって解決してよいという誤ったメッセージを伝えることになってしまうためだと考えられています。ある日本の研究では、幼児期に親に体罰を受けた子どもは、他の子どもに乱暴しがちで、問題行動を起こしやすくなる傾向があることを明らかにしています。」

「体罰は避けて、言葉できちんと説明すべきである」というしつけの原則は、誰でも頭では知っていることです。しかし、これを実践するためには大変な根気がいるのもたしかだと山口氏は言うのです。

それは、3歳ぐらいまでの子どもがわかるように言葉で説明すること自体大変ですし、親目線で見れば、何度説明しても子どもはちっとも行動を改めないように見えます。そもそも大人だって、一度言われたぐらいで行動を改められないのですから、子どもが特別悪いわけではないのですが、説明するほうのストレスが溜まるのもたしかだというのです。時には感情を爆発させてしまうこともあるでしょう。山口氏も、もちろん自分自身、そういう親の一人であるというのです。

彼は、あくまで個人的な経験に過ぎないのですが、彼の息子がかなり小さい間は、体罰とは忍耐をもって避けるべきものでしたが、幼稚園に通う頃になると、体罰は諦めざるを得ないものになったそうです。どんどん体が大きくなって、力もついてくると、子どもを力で押さえつけるなんて、早晩、自分にはできなくなると悟ったそうです。腕っぷしに自信がないという、なんだか後ろ向きな理由ですが、少しずつ言っていることか伝わっている実感がでてくると、子育てがぐっと楽しくなったのもたしかだと振り返ります。

また、山口氏は、思わぬ副作用として、息子を言葉で言い聞かせようとしているうちに、自己評価ながら、授業で学生に対する説明のしかたがうまくなったと思ったそうです。仕事をされている父親、母親も、子育てが仕事でのスキルアップにつながることもあるかもしれません。そう考えると、ほんの少しだけ気持ちが楽にならないでしょうかと、助言しています。

調査では、子育てについてのストレスも調べているそうですす。「子育てによる体の疲れが大きい」「自分の自由な時聞が持てない」など全部で18項目について、当てはまるかどうかを回答してもらい、その回答を統計的に処理することで、子育てストレスの指標を作成したそうです。

また、子育てからくる主観的幸福度は、「家族の結びつきが深まった」「子どもとのふれあいが楽しい」など全8項目の質問について、当てはまるかどうかを回答してもらい、そこから統計的処理を経て、幸福度についての指標を作成したそうです。

それは、子どもの発達指標同様、平均0、標準偏差が1になるように作成しています。しつけの質は、母親が4大卒以上である場合、0.23とプラスの大きな値になっています。母親が高校を卒業していない場合には、マイナス0.25とマイナスの大きな値でした。両者の差は標準偏差でおよそ0.5、偏差値で言うなら5違うわけですから、母親のしつけの質には、その学歴によって大きな差があると言えるようです。

攻撃性傾向の発達指標

山口氏の研究では、攻撃性傾向の発達指標を、子どもの家庭環境によってどの程度異なっているのかを、母親の学歴によって測っているのですが、子どもにとっての家庭環境が直ちに決まるというものではない点は気をつけなければならないと言います。母親の学歴が低い場合、子どもにとっての環境が望ましくないものになる傾向が、学歴が高い場合と比べて強くなってしまうのですが、あくまで傾向であり、すべての人に当てはまるものではないことをありません。

また、子どもにとっての家庭環境が望ましいものでなかったとしても、母親が責められるべきだということにもならないと言います。ただ、母親、あるいは父親の学歴が低い場合、経済的に貧しかったり、子育てに必要な情報が十分に得られなかったりする傾向がどうしても出てきてしまうのが現状だと言います。だから、そうした家庭に十分な支援が届くような社会を築いていく必要があると言うのです。

さて、子どもの発達指標はすべて平均が0、標準偏差が1になるように作られているのです。したがって、数字がプラスであれば、全体の平均以上、マイナスであれば、平均以下であることを示しています。

標準偏差は、あまり馴染みがないかもしれませんが、よく知られている偏差値と関係していて、1標準偏差は、偏差値の10に相当します。ですから、この指標で1違うということは、偏差値で10違うことになるので、かなり大きな差なのです。

母親の学歴によって、子どもの発達度合いがどの程度異なるのかを見てみると、母親が4大卒以上である場合、子どもの言語発達は、0.04とプラスの値を示していますから、平均よりも進んでいることを意味します。しかし、その数字は小さく、偏差値換算で0.4ですから、大きな違いがあるとは言えません。

他にグラフを見ると、母親が高校を卒業していない家庭の子どもの言語発達は、マイナス0.03ですから、平均よりも遅れていますが、その数字は小さなものにとどまっているようです。

より大きな差が見られるのは、多動性、攻撃性指標です。母親が4大卒以上である子どもの場合、それぞれ、マイナス0.13とマイナス0.12ですから、平均よりも落ち着きのある子どもだといえます。一方、母親が高校を卒業していないと、子どもの多動性指標は0.18で、攻撃性指標は0.21ですから、多少の問題行動が見られる子どもであると判断されます。

保育園通いの効果を理解するためには、子どもだけでなく、母親の変化にも注目する必要があると山口氏は考えています。母親に注目するのは、やはり、子どもとの距離が最も近く、影響力が最も大きいと彼が考えているからです。

彼は、母親と子どもの関係を知るために、母親の子どもに対するしつけのしかたを見ています。子どもが3歳半時点で行われた調査では、子どもが悪いことをしたときにどのように対応するのか質問しています。具体的には、以下の五つの質問に対して、「よくする」「ときどきする」「まったくしない」のどれに当てはまるかで答えてもらいます。1、言葉でいけない理由を説明する2、理由を説明しないで「だめ」、「いけない」としかる3、おしりをたたくなどの行為をする4、子どものしたことを無視して悪いことに気づかせる5、外に出す・押し入れに閉じ込める

これらの中で、最も望ましいと考えられているのは、1の「言葉でいけない理由を説明する」で、逆に最も望ましくないとされているのは、3の「おしりをたたくなどの行為をする」です。

多動性と攻撃性

山口氏らは、続いて子どもの多動性傾向の指標を作ったそうです。実は、注意欠陥・多動性障害の診断には、アメリカ精神医学会で作られたガイドラインに基づく標準的な質問があり、これは世界中の小児科医の先生方が利用しているそうです。残念ながらそのものズバリという質問は「21世紀出生児縦断調査」には含まれていないそうです。

これがこの調査のちょっと残念なところだと山口氏は思っているようで、発達心理学の知見がもう少し反映されていれば、子どもの発達や心理状態について、学問的により裏づけのある指標が作れるのにと感じているそうです。調査設計の段階で、専門家の関与が十分でなかったのか、それとも何か別の事情があったのか、いずれにせよ、同じ費用や回答者の負担で、より多くのことが正確にわかったかもしれないので、公的調査の設計は、関係する学問分野の専門家の指導のもとで行うのが、社会にとって有益だと彼は考えています。

彼らの研究では次善の策として、多動性傾向の診断に使われる標準的な質問に比較的似た、以下の5つの項目を選びました。3歳半の時点で、それぞれについて、当てはまるか当てはまらないかで答えてもらいます。

1,落ち着きがない 2,飽きっぽい 3,人の話を最後まで聞かない 4,公共の場で騒ぐことがある 5,遊具で遊ぶときに順番を守れない

これらの多くに当てはまると、つまり、多動性傾向が強いと、学校生活をうまく送れず、将来の進学・就職において困ることが増える可能性があるといわれています。もちろん、これらはあくまでも目安だそうで、診断は専門家にお願いするようにと山口氏は助言をしています。これらの質問に答えるのは母親なので、どの程度、客観的に判断できるのかという疑問がわきます。しかし、複数の海外の調査によると、同様の質問を母親と幼稚園の先生の両者に答えてもらい、両者を比較した結果、かなりの確率で両者が一致したそうです。山口氏ら自身のデータで確認は取れていないので、たしかなことは言えないそうですが、このデータの信頼性を考える上で、参考になる情報だというのです。

また、ADHDはそもそも遺伝など生物学的要因によるのですから、保育園通いで良くなったり悪くなったりするものではないはずだと思われるかもしれません。たしかに、ADHDの原因は、脳の前頭野部分の機能異常とされていますが、遺伝的要因とともに、発育期の環境的要因も相互に影響を及ぼすと考えられているそうです。したがって、保育園通いにともなって、子どもの発育環境が変化すると、多動性傾向の表れ方が変わってくる可能性があるというのです。

また、子どもの攻撃性傾向についても、以下の三つの質問から指標を作成したそうです。1,おもちゃや絵本を壊すことがある2,人に乱暴することがある3気が短い

攻撃性傾向は、多動性傾向と類似点があり、両方を同時に抱える子どもも多いそうですが、両者は別々の問題行動として捉えるべきものと考える専門家が多いため、山口氏たちの研究でも区別して分析をしています。

では、こうした発達指標は、子どもの家庭環境によってどの程度異なっているのでしょうか。家庭環境を直接測るのが最も望ましいのですが、その点について詳しく知ることができないため、彼は、ここでは便宜的に母親の学歴に注目しています。父親の学歴でもいいのですが、子どもと関係がより密な母親を選んだそうです。