実験によって検証可能なデータに基づく説明がされなければ、また、あるスキルをはっきり提示し測定することができなければ、人々に真剣に受け止めてもらうことはむずかしいとタフ氏は言います。ですから教育者も、研究者も、政策立案者も、読み書き計算のスキルとおなじように、非認知能力を分析、分類しようと努めるのです。SATの数学のセクションがその生徒の高校数学の能力を測るのに便利なのは誰もが認めるところです。もちろん多少の異論はあるそうですが。しかしその生徒のグリットや誠実さや楽観主義の度合いを測るのに、同様に広く受けいれられる「ものさし」はないのです。そういう「ものさし」をつくろうとする試みがないわけではないそうです。教師や学校に生徒たちの「非認知能力の成績」の提示を求める試みもあるそうです。
こうした試みを推進する動きは大きくなっているようです。2013年、アメリカ合衆国教育省は、カリフォルニア州の八つの学区からなる合同システムであるカリフォルニア教育改革オフィス(CORE)に対し、落ちこぼれゼロ(NCLB)法が求めてきた成績の基準を放棄することを認めたそうです。2016年春、この八つの地域にある学校は新しい評価システムを導人しました。この評価システムには生徒本人の自己評価に基づく心の成長、自己効力感、自己管理、社会意識の測定結果が含まれているそうです。同時に、国じゅうの役人が、2015年12月に施行されたNCLB法に代わる新しい法律である「全生徒成功(ESSA)法」にどう対応するべきか検討しはじめ、学業成績でないものを少なくとも一つ含む独自の成績表をつくるよう各州に求めました。COREは一つのモデルと見なされているそうです。
学校管理者の当面の難題は、COREが使用する生徒の自己評価が主観的である点だとタフ氏は指摘します。将来、もしある州が教師や校長に生徒の非認知能力の発達について責任を求めることにしたら、もし、たとえば教師や校長の次年度の給与が、生徒の社会意識の増加によって一部なりとも決められるとしたら、スコアを操作する誘惑も生じるかもしれません。2015年、非認知能力の分野における代表的な二人の研究者、テキサス大学オースティン校のディヴィッド・イェーガーと、ペンシルべニア大学のアンジェラ・ダックワースは、非認知能力を評価するさまざまな道具についての論文を発表しました。ダックワースはグリットを自己評価する「ものさし」をつくりだした張本人でもあり、このものさしは現在最も広く使われているそうです。二人の結論によれば、ある学校、もしくはあるクラスの生徒をべつの学校やクラスの生徒と比べる場合、とくにそれが成績責任を測る道具として使われるケース、つまり、それによって学校への予算配分や教員の給与が左右されるケースにおいては、自己評価ではうまく比較できないというのです。
しかし生徒の非認知能力を評価する試みには一考の価値があるとタフ氏は言います。そしてそれは、生徒たちがもっと生産的な行動を取れるようにするにはどうやって動機づけをしたらいいのかというさらに大きな疑問を解く、新たな手がかりになるかもしれないといいます。ノースウエスタン大学の若き経済学者、キラボ・ジャクソンは、数年前、教師の有効性を測定する方法を研究しようと思いたちました。ジャクソンは、ノースカロライナ州で2005年から2011年のあいだのすべての9年生、総数46万4502人を追跡した詳細なデータベースを見つけたのです。