支配的指導

各国での日本の授業の進め方で評価が高いのは、グループ活動だと言われています。教師から一方的に教わるのではなく、一人で考えるのではなく、グループの中で話し合い、そして、子どもの方から答えを見つけていくという方法です。これに比べてアメリカの教室では、分母の異なる分数の足し算という新しい単元に入るとき、ふつうは問題を解くのに使える公式を教師が頭上のプロジェクターに映しだすことからはじめ、生徒はそれを書き写し、覚えて、次につづく問題を解くのに使うのです。教師は頭上のプロジェクターで例題をいくつか最後まで解いてみせ、生徒はそれを見て、聞いて、その問題をノートに書き写します。それから教師は生徒たちが自分で解くようにと、先ほどやってみせた例題とそっくりな練習問題を与えます。スティグラーとヒーパートが『日本の算数・数学教育に学べ』に書いたところによれば、この指導法の前提は、生徒たちが新しい手順を吸収するのは「何回も練習すること」によってであり、「練習問題は先に進むに従って、まえの問題よりも少しむずかしくなる」と言います。アメリカの教師の指導の原則では、「練習はまちがいのないように、成功確率の高い状態でおこなわれるべきであるとされます。混乱や不満は、従来のアメリカ式の見解では、最小限に抑えるべきなのである」。

スティグラーのチームは何百時間もの録画データを活用して、こうした文化的な傾向にしつかりした数字をあてはめました。日本では、数学の授業時間の41パーセントが基礎的な練習、つまり次から次へと問題を解くことに使われていました。しかし、44パーセントはもっと創造的な活動にあてられていました。新しい手順をあみだしたり、知らない問題に知っている手順を使ってみたり。これに対してアメリカの教室では、生徒の時間の96パーセントが反復練習に使われ、新しいアプローチについて思案する時間は1パーセントにも満たなかったのです。

アメリカで支配的なこの指導方法を用いれば、日本の生徒たちか強いられる困惑や苦労、不快感は与えずに済むかもしれませんが、ロン・バーガーがいうような「性格をつくりあげるチャンス」も取りあげてしまいます。規律を守らせるためのいっさい許容しない方針が、貧困層の子どもたちをむしろ学校から遠ざける方向へ働いたのとおなじように、従来のアメリカの教育の多くの要素が、子どもたちを成功から遠ざけているのだとタフ氏は言うのです。

このような人間関係の中で学び、協力し、助け合うことが日本人の特性であるとも言われています。欧米では、教師からの指導が中心になっているのです。この事実を私は知った時に、今までの保育カリキュラムは、欧米で考えられたものが中心で、特にアメリカでのカリキュラムは、保育者が子どもにどのようにアプローチするかということが中心課題になっていることが頷けました。しかし、この研究が小学校以降を対象にしていますが、実は、保育においても子どもたちの発達は、大人から教わるのではなく、人間関係から、子ども同士のかかわりから学ぶべきであろう私は考えています。しかも、それは、その方が効果的であるのは、もともと人類は人間関係の中で、協力し、助け合い、教え合うことで進化を遂げてきたからです。そんなこともあって、「見守る」という考え方は、なかなかアメリカでは受け入れにくいのでしょう。

 

しなやかな心

ポジティプな心のありように貢献する環境をつくろうとするとき、教育者が頼れる道具箱はふたつあるとタフ氏は言います。一つめの道具箱は「人間関係」です。生徒にどう接するか、どう話しかけるか、褒美と規律をどうやって与えるかです。二つめの箱は「学習指導」です。何を教えるか、どう教えるか、生徒の習得度をいかに評価するかです。タフ氏は、学ぶ環境を強化することによって低所得層の生徒たちの成果を改善してきた例をいくつか挙げています。人間関係をターゲットにしたものもあります。学習指導に焦点を合わせたものもあります。先に論じた幼少期の支援についてもそうだったように、どれも完璧ではないと言います。しかしすべてを考えあわせることで、逆境にある生徒たちが学校で成功するためにはどう支援するのが最善か、おおまかなガイドラインのようなもの、基礎をなす原則のようなものが見えてくるのではないかと言うのです。

2000年代のなかば、ディヴィッド・イェーガーが心理学を研究する院生としてスタンフォード大学に入ったころ、同大学には教育心理学の著名人が何人もいました。「ステレオタイプの脅威」の発見で有名なクロード・スティール。生徒のマインドセットの研究で有名なキャロル・ドウェックです。

「ステレオタイプの脅威」は、一般に自分の属性にとって苦手とされる場所にいる個人は、その属性に関する不安が引き金となって実力が発揮できない場合がある、とする理論です。たとえば、工学部で学ぶ女性は男性よりも能力が低いと感じ、一流大学に通うアフリカ系の学生はほかの人種の学生より劣っているように感じることがあるという考え方です。

一方、ドウェックの発見は、生徒は自分の能力に関する暗示的、明示的なメッセージに強く影響される、というものでした。知能とは持って生まれた財産であってほとんど変化しない、という考えを植えつけられた生徒たちは、ドウェックのいう「凝りかたまった心」を持つようになり、知能の欠如をさらす可能生のあるむずかしい言題からは腰が引けてしまうのです。反対に、がんばれば知能は伸びるという、「しなやかな心」をつくるメッセージを取りこむと、生徒たちはより大きな課題、より難度の高い問題に取り組むようになるという考え方です。

スタンフォードに入るまえ、イェーガーはオクラホマ州タルサの低所得地域の学校で英語を教えていました。そのため自分の研究を、教師が生徒たちの人生をよりよいものにするために現場で使えるかたちにしたいという強い思いがあったそうです。現在もテキサス大学オースティン校の教授として、教育心理学の発見を教室に生かす道を切りひらこうとしているそうです。

イェーガーは、幼少期の逆境の神経生物学的な影響に加え、困難な環境で育っことで子どもたちの世界の受け止め方は大きく影響される、という前提で研究を進めているすです。イェーガーの説明によれば、ごく幼い時期に逆境を経験すると、子どもたちは挫折したときに自分を責め、他人の行動を敵意や偏見の表れとみなし、自分に何かよいことが起こってもどうせ長つづきしないだろうと思うようになると言います。ここ何年か、イェーガーはスタンフォード大学の二人の教授、ジェフリー・コーエンとグレゴリー・ウォルトンと共同で、こ、うしたものの見方をする若者たちへの介入方法を調査しているそうです。

心のありよう

では、生徒に粘り強い行動をさせるにはどうしたらいいのでしょうか?ファリントンが調査から引きだした結論によれば、「学業のための粘り強さ」の背後にあるカギは、「学業のたしめのマインドセットという心のありよう」、つまり子どもたちそれぞれの姿勢や自己認識なのです。ファリントンは生徒のマインドセットに関する大量の研究から、カギとなる四つの信念を抽出しました。生徒たちの教室でのがんばりに最も大きく貢献する信念です。

①私はこの学校に所属している。②私の能力は努力によって伸びる。③私はこれを成功させることかできる。④この勉強は私にとって価値がある。

生徒たちが授業中にこの信念を持っていられれば、そこで出くわす課題や失敗を乗りこえられます。この信念がなければ、最初の困難がちらりと見えたところであきらめてしまうかもしれません。

当然ながら問題は、逆境に育った生徒たちがファリントンの挙げた四つの項目をどれも信じられずにいることだとタフ氏は言うのです。一つには、幼少期にはじまった神経生物学的な逆境の影響があります。有害なストレスにさらされたことで過敏な闘争・逃走反応が生じているのです。暴力的な地域や家庭にいるときには非常に役立ちますが、7年生の歴史の授業中にはあまり役立ちません。闘争・逃走の本能は、「私はここに所属している」という信念を強化することはなく、その正反対の警告「ここはおまえの居場所ではない。敵の領域だ。この学校にいる全員がおまえを捕まえようとしている」というような警告を車のクラクション並みの大音量で伝えます。これに加え、逆境のなかで育った子どもたちはたいていミドル・スクールやハイ・スクールに人るころには勉強が大幅に遅れており、十中八九、学校側と対立してきた前歴もあるそうです。こうした生徒は多くの学校で、補習クラスに入れられるか、くり返し停学処分を受けるか、あるいはその両方にはまりこみます。これでは「私はここに所属している」とか「私はこれを成功させることができる」などと思うのは無理なのです。

見てわかるとおり、ファリントンのいう学業のための四つのマインドセットは、デシとライアンの三つの内発的動機づけである、「自律性」「有能感」「関係性」と呼応しています。実際には、ファリントンのリストと、デシとライアンのリストをさらに煮詰めて、生徒の成功にきわめて重要な二大メッセージを取りだすことができるのではないかとタフ氏は思っています。一つは「帰属意識」に関するもの。自分の学校、あるいはクラスの人々が自分の存在を望んでくれる、自分はこの学習環境のなかで歓迎され価値を認められている、という実感です。これは何よりも日々学校で経験する人間関係に左右されます。

二大メセージの一つめが人に関するものなら、もう一つは「勉強」に関するものです。生徒たちの心理は、学校で毎日やる作業にも大きく影響されるのです。むずかしいだろうか?やる意味はあるだろうか?少しがんばれば理解できる範囲の問題だろうか?懸命に取り組めば乗りこえられそうな課題が与えられるとき、生徒にはデシとライアンのいう「有能感」と「自律性」を経験するチャンスが生まれるのです。「簡単ではなかったが、私はこれをやり遂げた」。言葉で肯定されるだけでは得られない実感です。

学業のための粘り強さ

では、粘り強さを伸ばす学校や教室の状况とはどういうものでしょう?この答えを出そうとしてファリントンが気づいたのは、学習のプロセスに立ち戻り、分解して考える必要があるということでした。そして、すでにある研究から、生徒の成功に必要なものをいくつか引きだし、そこからフレームワークをつくろうとしたのです。

ファリントンは、生徒たちが学業の成功として広く認めている事柄からはじめました。よい成績を取る、高校を卒業する、大学の学位を取る。こうした成果に直接結びつくものを「学業のための行動」であるとしました。宿題をやったり、予習をしたり、クラスでの議論に参加したり、そもそもいちばん根本的なことをいえば、登校することもそうです。ここまでは非常に単純です。きちんと出席し、宿題をやって授業に参加する生徒がうまくやれるというのは、多くの教師が同意するところでしょう。では、何がこうしたポジティブな「学業のための行動」を生むのでしょうか?

ファリントンの答えは「学業のための粘り強さ」でした。生産的な「学業のための行動」を長いあいだ維持できる性質です。ファリントンの主張によれば、「学業のための粘り強さ」を持った生徒が他の生徒とちがうのは、失敗からすぐ立ち直る力を持っている点だといます。何回かテストで失敗しても、教室で懸命に勉強することをやめません。複雑な課題に悩んだり、混乱したりしたときも、ただあきらめるより、問題を解くための新しい方法を探します。ファリントンのいう「学業のための粘り強さ」には、グリットや自制心や、楽しみを先送りにする力のような非認知能力が含まれています。しかしそうした性格上の特質とちがって、生徒の「学業のための粘り強さ」は状况に大きく左右される、とファリントンは書いています。10年生のときに学校でがんばってやり通した生徒が、11年生ではやり通せないかもしれません。数学の授業はがんばれても、歴史の授業は駄目かもしれません。火曜日にはがんばれても、水曜日は駄目かもしれないのです。

ファリントンが実施した調査には、特定の介入が生徒のもともとのグリットのレベルを変えるというエビデンスは見られませんでした。しかし、生徒の学業への粘りが学校や教室の状況の変化に大きく左右されるというエビデンスはたくさんあったそうです。ファリントンのレポートにはこう書かれているそうです。「生徒を、グリットを持った人間につくりかえようとする、つまり、人生のすべての側面に対し、いついかなる状況でもグリットを発揮できるようにすることにあまり益はないが、生徒が環境の影響を受けて粘り強さを示すようになることはある。勉強をやり通したり、大きなプロジェクトを完遂したり、勉強がむずかしくなったときに身を入れて取り組んだり。こうしたことはある特定の教室の状况や心理状態によって起こる反応だ」

これは重要な区別だとタフ氏は言います。もしあなたが教師だったら、生徒たちをグリットのある人間にすること、それは、グリットと呼ばれるきわめて重要な資質を発達させることはできないかもしれませんが、グリットがあるようなふるまいをさせる、グリットがあればこうするだろうという行動を取らせることならできます。ファリントンの主張によれば、まさにそれが大事なのです。その粘り強い行動が、教師が望む、そして生徒と、社会一般が望む学業の成果を生む助けになるのだというのです。

語られ方

ファリントンはモチベーションに関する心理学の最新の研究にどっぷり浸ったそうです。その中で、デシとライアンの報酬とインセンテイプに関する論文を読みました。キャロル・ドウェックのモチベーションに関する論文も読みました。ドウェックはスタンフォード大学の心理学者で、自分の知的能力についてどんなふうにいわれるかによって、生徒のモチベーションが上がったり下がったりすることを発見した人物です。また、ファリントンはダフナ・オイズマンの論文も読みましただ。オイズマンは南カリフォルニア大学多くの専門分野にわたる研究をしている学者で、生徒自身が持つ学生としてのアイデンティティによって、生徒のモチベーションのレベルが大きく左右されることを発見しました。ファリントンはこうした心理学の研究を貪欲に吸収しながら、関連する社会学の文献も読んだのです。制度的な構造がいかに個人の行動に影響するか、とりわけ教育制度の構造である学校の資金調達の仕組み、教師の雇用契約、人種による分離のパターンなどが生徒たちを成功へ導くものか、失敗させるものかを知ろうとしたのです。

こうした研究の積み重ねと最貧困地区での教師としての経験により、ファリントンはこれまでとちがった考え方をすることができたそうです。「最初から、環境について考える方向に傾いていたと思います」と彼女は言っているそうです。ファリントンはどの学校にもある、成功と失敗にまつわる「語られ方」にとくに興味を示しました。あやふやなものであれ、はっきりしたものであれ、生徒は失敗に直面したときにメッセージを受けとります。ファリントンによれば、生徒たちが自分のポテンシャルについてのメッセージに肯定的なものであれ、否定的なものであれ、最も敏感になるのは、失敗の瞬間であると言います。失敗が自分の能力への最後の審判だと思えば、その生徒はあきらめてしまい、学校から距離を置くでしょう。しかし、失敗は一時的なつまずきに過ぎす、学んだり改善したりするための貴重なチャンスであるというメッセージを受けとれば、挫折はその生徒をより勉強に打ちこませる推進力になるのです。ファリントンによれば、失敗についてのこうした「語られ方」は、とりわけ低所得層の生徒たち、学業の場で失敗することに大きな不安のある生徒たちにより大きな影響を与えると考えます。

2011年、ファリントンと協会のチームは、非認知能力、および非認知能力が学業の成功のために果たす役割についての文献を総合的に再検討しはじめました。結果は「学習者になることを教える」と題されたレポートとして2012年6月に発表されたのです。ここでは初めて、レポート内で「非認知要素」という言葉で表現している「非認知スキル」を、子どもたちが習得する、あるいは習得に失敗する可能性のある個別の技能ではなく、子どもたちが学習をしている現場の状況に大きく左右される習慣や態度、ものの見方であると説明しているのです。

当時、グリットとは何か、それはスキルとしてどう測定したらいいのか、どの生徒にそれがあるのか、どうやったらそれを教えられるのか、といったことがおもに論じられていたなかで、これは新しいアプローチだったのです。ファリントンとチームの研究者らはこう書いています。「生徒のグリットや粘り強さに直接働きかけることが、成績向上の効果的な手段になるというエビデンスはほとんどない。ほかの生徒よりも粘り強く作業をしたり、より強い自制を示したりする生徒ももちろんいるが、学校や教室の状況がポジティブなものの見方や効果的な学習を助長すれば、すべての生徒が粘り強さを見せるようになる」

正しいメッセージ

ジャクソンの研究は、非認知能力が働いた結果として現れるポジティブな行動を測定するというものです。この研究は、それまでの子育ての研究との類似がいくつか容易に見てとれるとタフ氏は言います。ABCやFINDのようなプログラムにおける親のコ-チは、親たちが子どもをあやすときにどの童謡を歌おうと、どんなふうにいないいないばあ遊びをしようと、そこにはこだわりません。味つけはどんなふうでもかまわないのです。大事なのは温かい、正面から向き合ったやりとりだとわかっているからだとタフ氏は言います。そうしたアプローチはどんなふうに実行されようと、子どもたちに深い、何よりも大事なメッセージを伝えます。帰属意識、安全、安定についてのメッセージ、世界のなかでの自分の居場所についてのメッセージです。こうした認識は、曖味で感傷的にさえ見えるかもしれませんが、乳幼児の脳のなかではシナプスの形成、樹状突起の剪定、DNAのメチル化などの神経化学反応として、はっきりとしたかたちを取ります。これらすべてが、直接的であれ間接的であれ、この先の学校での成功に貢献するのだと言います。

教室で起こる連鎖反応もじつはこれと似ているかもしれないとタフ氏は言います。教師は生徒たちに深いメッセージを伝えます。たいていはそれとなく、あるいは無意識に訴えかけるように、帰属意識やつながり、能力、チャンスについてのメッセージを伝えます。こうしたメッセージは、10歳児の脳には10カ月の乳児の脳に起こるほどの影響は与えないかもしれませんが、それでも生徒の心理に、行動に、深く響くのです。子どもたちが学校への帰属意識を持てれば、自分たちの成功を信じてくれる大人、思いやりと敬意をこめて関心を向けてくれる大人から正しいメッセージを受けとれば、彼らは教室に欠かさず来るようになり、むずかしい作業にも粘り強く取り組み、学校生活のなかで数えきれないほど起こる小さな挫折や不満からすばやく立ち直れるようになるというのです。幼少期の子育てにおける親の敏感な反応によって、子どもの頭のなかに知的な物事を習得するための素地がつくりだされたのとおなじように、学校では教師からの正しいメッセージが、生徒の頭のなかにさらに進んだ、手ごわい学業に取り組むための素地をつくりだすのです。

では、そのメッセージとはどういったものなのでしょうか?教師はどのように生徒にそれを伝えればいいのでしょうか?これは現在の教育界でとくによく議論される問題で、このテーマの研究の第一人者が、シカゴ学校研究協会のカミーユ・ファリントンです。都心の高校に勤めていた元教師で、15年の勤務ののち、イリノイ大学シカゴ校で都市部の教育政策を研究して博士号を取得しました。ほかの多くの高校教師とおなじく、ファリントンも一部の生徒の行動や選択に戸惑いを覚えたそうです。生徒たちはなぜ、勉強に打ちこんで教育の恩恵を受けようというモチベーションを維持できないのだろうか?どうして彼らのモチベーションには予測のつかない浮き沈みがあるのだろうか?

2006年に博十課程での研究をはじめると、ファリントンはモチベーションに関するひたい理の最新の研究にどっぷり浸ったそうです。その中で、デシとライアンの報酬とインセンテイプに関する論文を読みました。キャロル・ドウェックのモチベーションに関する論文も読みました。

ポジティブな行動

生徒の成功に大きく貢献していながら、現行の成績責任の尺度では評価されない教師がいます。しかし、このような尺度は、教師の行動を歪めてしまうかもしれません。そしてそれは生徒の利益になりません。タフ氏はこんな例を出しています。もしあなたが生徒の非認知能力をのばすことを得意とする教師だった場合、テストの得点を伸ばすことを得意とする別の教師がボーナスをすべてさらっていくのを見たら、自分の教え方を変えようとするかもしれません。いまのあなたのやり方が生徒に大きな利益を与えているかもしれないのにです。

ジャクソンの研究のなかには、こうした教育行政へのヒントのさらに奥に、非認知能力を評価するという目的ともっと関係の深い第二のヒントがかすかに見えるとタフ氏は言います。つまり、非認知能力を測定するために現在多くの研究者たちが注目しているやり方よりさらに創造的で、さらに役立つはずの方法があるということだというのです。グリットや自制心や自己効力感などを、非認知能力か働いた結果と評価する新しい完璧な「ものさし」を苦労して探さなくても、非認知能力が働いた結果として現れるポジティプな行動を測定すればいいのです。

この結論はより深いヒントへとつながるとタフ氏は考えています。グリットや自制心や粘り強さなどの気質にどんなラベルをつけるかは、じつはたいした問題ではないし、それをいうならこれらを「性格の強み」と定義するか、「非認知能力」と定義するか、あるいはほかの何かであると定義するかも、やはり大きな問題ではないというのです。とりあえず、生徒たちが毎週数時間をあるタイプの教師のそばで過ごすことで自分たちの行動の何かを変えた、これがわかるだけで充分だというのです。そういう教師が教室でつくりだす環境が、生徒たちのよりよい決断を助け、その決断が生徒たちの人生に大きな意味を持つプラスの変化を与えたのです。

学業について語るとき、スキルという言葉はよく使われますが、よくよく考えてみると、私たちはたいていこの言葉を発達の一つのステップとして捉えています。教師が新しい非認知スキルを教える。生徒が新しい非認知スキルを学ぶ。こうして習得された新たなスキルが、異なる行動へとつながるのです。もしこれが前提なら、ここでいうスキルとは具体的にはなんなのでしょうか。どう定義されるのでしょうか。どうしたら正確に測定できるのでしょうか。どうやって教えたらいいのでしょうか。ジャクソンの研究を見るに、生徒たちは少なくとも従来どおりの意味合いでスキルを身につけているわけではないようです。

そこで、タフ氏は、いままでとは異なる前提で考えてみています。いくらか曖昧であることは認めざるをえないと言いながらも、効果的な教室で何が起こっているかを少し詳しく書いてみています。教師がある雰囲気をつくりだします。生徒たちはその雰囲気に反応して、それまでとは異なる行動をします。その新しい行動が成功につながるというのです。この場合、生徒たちは新しいスキルを身につけたのでしょうか?だからちがう行動が取れるようになったのでしょうか?そうかもしれないとタフ氏は言います。あるいは、私たちが「スキル」と呼んでいるものは、ほんとうは新しいものの見方なのかもしれないというのです。新しい、強力な行動を取るための体力だったり、信念だったり、心のありようだったりするのかもしれないのです。

尺度

ジャクソンは、ノースカロライナ州で2005年から2011年のあいだのすべての9年生、総数46万4502人を追跡した詳細なデータベースを見つけました。そのデータは生徒たちの発達を、9年生のあいだだけでなく、高校卒業後まで追ったものでした。ジャクソンは各生徒の全州標準テストの得点にアクセスし、それをおおまかな認知能力の指標としました。次いで、ひとつ新しいことをしました。現存の管理資料から四つの数字を使って、それを生徒の非認知能力を示す代替尺度にしたのです。四つの数字とは出席日数、停学回数、留年の有無、GPAという成績評定平均値です。この新しい指標は、大まかにではありますが、生徒がどれくらい積極的に学校に関与しているかを示しています。きちんと出席しているかどうか。行動に問題があるかどうか。教室でどの程度真面目に勉強しているか。

意外にも、このシンプルな代替尺度がテストの得点よりもよい指標になることがわかったそうです。その生徒が大学へ行けるかどうか、大人になったときの収入はどれくらいか、将来逮捕されるようなことかあるかどうかを、より的確に予測することができたというのです。この代替尺度は、教師の有効性の分析にもつながりました。ジャクソンはノースカロライナ州の9年生の英語と代数の教師全員に、経済学の用語でいう「付加価値」の評価をしてみました。まず、ある教師のクラスの生徒でいることが、その生徒の標準テストの得点にどの程度影響するかを計算したのです。これはごく一般的な「付加価値」評価の方法です。国内の多くの州の教員がこれと似た尺度で評価され、報奨を与えられたり解雇されたりしているそうです。しかしジャクソンは、そこからもう一歩先へ進めたのです。教師が生徒の非認知能力の代替尺度、出席日数、停学回数、留年の有無、GPAに与える影響を割りだしたのです。

生徒の標準テストの得点を、毎年確実に上げることのできる教師がいます。こうした教師は、現行のすべての評価システムにおいて最も高く評価され、最も高い報酬を受けているそうです。しかしジャクソンは、生徒の非認知能力の代替尺度を確実に上げることのできる教師が一定数いることを発見しました。こうした教師が担任になると、出席率も、停学処分を避けられる可能性も、すんなり進級できる可能性も高くなるのです。GPAも上がります。その特定の教師か担任をしているあいだだけでなく、クラスが変わってからもでした。

ジャクソンの発見によれば、この二つのタイプの教師は必ずしも重なりません。どの学校にも、生徒の認知スキルを伸ばすことが得意な教師がいて、それとはべつに、非認知能力を伸ばすことに長けた教師がいるようだったのです。しかし後者は、生徒を伸ばしたことに対する報奨を与えられていませんでした。それどころか、後者の教師たちが成功を収めていることにキラボ・ジャクソン以外の誰一人気がついてさえいないようでした。しかし、後者の教師たちは、ジャクソンの計算によれば、生徒のテストの得点を上げることで名高い前者の教師たちよりも高い確率で生徒を大学へ送りこみ、生徒の将来の収入額を引き上げていたのです。

ジャクソンの研究からはっきりわかるのは、生徒の成功に大きく貢献していながら、現行の成績責任の尺度では評価されない教師がいるということです。このような尺度は、教師の行動を歪めてしまうかもしれません。

非認知能力の成績

実験によって検証可能なデータに基づく説明がされなければ、また、あるスキルをはっきり提示し測定することができなければ、人々に真剣に受け止めてもらうことはむずかしいとタフ氏は言います。ですから教育者も、研究者も、政策立案者も、読み書き計算のスキルとおなじように、非認知能力を分析、分類しようと努めるのです。SATの数学のセクションがその生徒の高校数学の能力を測るのに便利なのは誰もが認めるところです。もちろん多少の異論はあるそうですが。しかしその生徒のグリットや誠実さや楽観主義の度合いを測るのに、同様に広く受けいれられる「ものさし」はないのです。そういう「ものさし」をつくろうとする試みがないわけではないそうです。教師や学校に生徒たちの「非認知能力の成績」の提示を求める試みもあるそうです。

こうした試みを推進する動きは大きくなっているようです。2013年、アメリカ合衆国教育省は、カリフォルニア州の八つの学区からなる合同システムであるカリフォルニア教育改革オフィス(CORE)に対し、落ちこぼれゼロ(NCLB)法が求めてきた成績の基準を放棄することを認めたそうです。2016年春、この八つの地域にある学校は新しい評価システムを導人しました。この評価システムには生徒本人の自己評価に基づく心の成長、自己効力感、自己管理、社会意識の測定結果が含まれているそうです。同時に、国じゅうの役人が、2015年12月に施行されたNCLB法に代わる新しい法律である「全生徒成功(ESSA)法」にどう対応するべきか検討しはじめ、学業成績でないものを少なくとも一つ含む独自の成績表をつくるよう各州に求めました。COREは一つのモデルと見なされているそうです。

学校管理者の当面の難題は、COREが使用する生徒の自己評価が主観的である点だとタフ氏は指摘します。将来、もしある州が教師や校長に生徒の非認知能力の発達について責任を求めることにしたら、もし、たとえば教師や校長の次年度の給与が、生徒の社会意識の増加によって一部なりとも決められるとしたら、スコアを操作する誘惑も生じるかもしれません。2015年、非認知能力の分野における代表的な二人の研究者、テキサス大学オースティン校のディヴィッド・イェーガーと、ペンシルべニア大学のアンジェラ・ダックワースは、非認知能力を評価するさまざまな道具についての論文を発表しました。ダックワースはグリットを自己評価する「ものさし」をつくりだした張本人でもあり、このものさしは現在最も広く使われているそうです。二人の結論によれば、ある学校、もしくはあるクラスの生徒をべつの学校やクラスの生徒と比べる場合、とくにそれが成績責任を測る道具として使われるケース、つまり、それによって学校への予算配分や教員の給与が左右されるケースにおいては、自己評価ではうまく比較できないというのです。

しかし生徒の非認知能力を評価する試みには一考の価値があるとタフ氏は言います。そしてそれは、生徒たちがもっと生産的な行動を取れるようにするにはどうやって動機づけをしたらいいのかというさらに大きな疑問を解く、新たな手がかりになるかもしれないといいます。ノースウエスタン大学の若き経済学者、キラボ・ジャクソンは、数年前、教師の有効性を測定する方法を研究しようと思いたちました。ジャクソンは、ノースカロライナ州で2005年から2011年のあいだのすべての9年生、総数46万4502人を追跡した詳細なデータベースを見つけたのです。

定義や測定

デシとライアンの研究を見れば、教育関係者が注目しはじめている自制心やグリットのような非認知能力が、モチベーションと強く結びついていることは明らかです。将来のチャンスを最も大きなものにする行動を子どもたちに取らせたいなら、課題を粘り強くこなし、衝動をコントロールし、目先の楽しみよりもっと先の満足を選ばせたいなら、彼らにその困難な道を進ませるために、どんな動機づけをすればいいか考える必要があるとタフ氏は言います。

この問いを考えるうえで、もう一度「能力の新しいカテゴリーについて、私たちがいままでに考えてきたことはすべてまちがっていたのではないか。」ということから考えることが必要であると言います。非認知能力を、教えたり、測定したり、ありきたりなやり方で鍛えたりできる学習スキルとおなじと考えても仕方かないのではないかということです。それよりも、非認知能力は心の状態のようなもの、環境に左右される複雑な土台であると考えたほうがよいのではないかというのです。よい学習習慣を身につけるために子どもたちが何より必要としているのは、自分が自立した存在であり成長していると感じられる環境、なおかつ帰属意識の持てる環境で、できるだけ多くの時間を過ごすことではないかというのです。デシとライアンの言葉を借りるなら、「自律性」「有能感」「関係性」を経験できる環境なのです。

そこで、タフ氏は、非認知能力について、その能力をどう定義し、どう測定するのか、そもそも定義や測定ができるのかどうか、という議論に戻って考えることが必要だというのです。以前は目を向けられることのなかった非認知能力が、注目を浴びるようになったのは、もともと現在の教育制度が頼っているテストの得点が、高校や大学の卒業といった長い目で見たときの教育成果を問題にする場合には明らかに不十分な指標だとわかったからです。もちろん、標準テストの得点も無関係ではありません。高い得点を取れる生徒は、平均的に見て、得点の低い生徒よりも高校や大学でうまくやっていけます。しかし、こうした得点は、たとえばGPAという成績評定平均値などのほかの指標と比べると、成功を予測する際にそれほどあてにならないことがわかってきたのです。研究者らの発見によれば、高校生のGPAは、大学進学のための共通テストであるSATやACTなどの得点よりも、その生徒が大学を卒業できるかどうかを予測する際の指標になります。これは、GPAによって捉えられるのが認知能力の高さや知識の量だけではないからです。GPAには非認知的な行動、ものの見方、気質も反映されるのです。つまり、生徒が自分の持つ認知スキルを学校生活のなかで有効に活用するための力なのです。

こうした重要な新しいスキルを測定する、信頼に足る「ものさし」を求める人々が不満に思うのは、GPAがいわばなまくらな刃物であり、その生徒の成功の具体的な要因を切り離してはっきりこれと示すことができない点です。教育政策を取り巻く現在の環境では、実験によって検証可能なデータに基づく説明が非常に高く評価されます。こうした現状では、あるスキルをはっきり提示し測定することができなければ、人々に真剣に受け止めてもらうことはむずかしいというのです。