なぜ必要か?

「平成28年 国民生活基礎調査」によると、日本の子どもの貧困率は約14%だと言われています。7人に1人の子どもが、貧困ライン以下の生活をしていると言われるようになり、「子どもの貧困問題」「教育格差」は、日本でも切実な課題となっています。この子どもの貧困は、一生の財産になる「非認知能力」を獲得する機会を奪い取ってしまいます。しかし、この日本における子どもたちの貧困は、アメリカなどの低所得層の多い地域の子どもたちに匹敵するような問題なのでしょうか?ヘックマンが研究した地域による非認知能力の効果の中で、例えば就学前教育を受けた子どもたちが40歳までの逮捕歴が5回以上かどうかというデータについて、いくら日本でも貧困率が高いからといっても、そんなことは身近な問題ではありません。

では、非認知能力は、貧困や逆境にさらされている子どもたちだけに必要なのでしょうか?また、逮捕歴が少なくなることが目的なのでしょうか?今回の幼稚園教育要領や保育所保育指針の改訂の中では「非認知能力」の大切さや、その力の必要性を強調しています。それは、決して、非認知能力の大切さが、ヘックマンの研究対象に対してだけではなく、これからの時代、例えばAIが進む時代に対して、必要な力となるからです。これからの時代は、何をどれだけ知っているか、何をどれだけできるのかという価値観が変わってくるのです。

そして非認知能力を育まれる機会を逃した子どもは、大人になった後に仕事や生活面でより多くの機会を失う可能性が高いからです。そして、それらの力の獲得には、単なる家庭の問題だけではなく、保育園・幼稚園や学校、地域社会で、周囲の大人たちがどのように子どもと接するかによっても大きな影響を受けるということをタフ氏は言っているのです。そのことを踏まえて、タフ氏の紹介した取り組みを参考にすることが必要です。そして、その内容は、ただこの能力が必要だと強調するのではなく、「どうすれば非認知能力を伸ばせるのか」という具体的な方法論について、2年にわたって新しい研究や事例を取材しているからです。そして、その対象年齢は、小学校以降が多いのですが、その内容は乳幼児期に大切なものも見えてきます。

・幼少期の親子関係のストレスをどうすれば和らげることができるのか?

・問題行動のある子どもがいるクラスをどうすればいいのか?

・自信のない子どものモチベーションを高めるには、どんなフィードバックが有効なのか?

など、幼児期の問題として受け止めることができるのです。また、その内容は、保育者、教師の在り方の見直しでもあるのです。

子どもに何ができるのか

ポール・タフ氏が、「私たちは子どもに何ができるのか――非認知能力を育み、格差に挑む」の日本語の単行本を出版したのは2017年9月ですが、英語版の「Helping Children Succeed: What Works and Why 」を出版したのは、2016年5月でした。彼が英語版を発行したときの紹介文には、以前に書かれた国際的なベストセラーHow Children Succeedの内容が書かれてあります。「Paul Toughは、忍耐力、自制心、良心などの個人的資質が子供の成功に重要な役割を果たすことを示す研究を紹介しました。」そして、彼は、「私たちは子どもに何ができるのか」の中では、2000年にノーベル経済学賞を受賞したシカゴ大学の労働経済学者、ジェームズ・J・ヘックマン(James Joseph Heckman)教授による研究をはじめ、世界中の研究者によるさまざまな科学的知見と先進事例を統合し、特に貧困家庭に育つ子どもにとって、非認知能力の育成がその後の人生に大きな影響力をもつことを明らかにしました。そして、非認知能力を育む方法を具体的に示しています。

ヘックマンは、貧困や虐待など逆境にある子どものなかでも、これまで重要視されてきたIQや読み書きのような「認知能力」ではなく、やり抜く力・好奇心・自制心のような「非認知能力」がある子どもの方が、成人後に学歴が高く、健康状態がよく、生活保護率が低く、年収が高いなど、将来挫折することなく成功する可能性が高いことを発見し、大きな話題となりました。この研究は、1962年から開始され、現在も追跡調査が続いている、アメリカ・ミシガン州のペリー小学校付属幼稚園で実施された実験によるものです。

彼の研究は、学術雑誌“Science”に、2006年に発表され、それがきっかけで、彼自身が関与した「ペリー就学前プロジェクト」や「アベセダリアンプロジェクト」を根拠に、「5歳までの環境が人生を決める」と断言したことで大きな注目を集めました。そして、その研究結果は”Giving Kids a Fair Chance”(日本では『幼児教育の経済学』)と、一般向けの本にもまとめられて世界中で注目され、幼児教育の見直しに大きな影響を与えているのです。

また、ヘックマン教授は、もともとが経済学者ですから、幼児教育はプログラムの費用1ドルあたり7.16ドルのリターンが見込めるという費用便益分析をし、幼児教育に国が投資することで、社会に還元される経済的な利益を、計算をしました。これが、行政も動かし、各国が教育制度を見直して教育改革に踏み切るきっかけにもなっているようです。

その後、心理学者のデイビット・ワイカートが提案者。幼児教育計画の研究プロジェクトとして、後にハイスコープ教育財団(HighScope Educational Research Foundation)が設立され、継続して調査しています。このハイスコープは、OECDが就学前教育の質改善に向けての政策提言を2001,2006年の2回にわたる調査の中で、どのような保育、教育がふさわしいかという視点から紹介した「五つの保育カリキュラム」のひとつです。

しかし、最近、この研究結果による取り組みが疑問視され始めています。それは、研究対象が貧困や虐待など逆境にある子どもたちであり、この地域は、犯罪率も非常に多い地域だからです。この地域での実践が、即、日本に当てはまるかと言われているのです。確かに、世界では、貧困にあえぐ子どもたちが多いのも確かですし、格差を是正することは課題です。そこで、日本ではこの研究そのまま取り入れることは若干無理があります。では、どう考えたらいいのでしょうか?

支配的指導

各国での日本の授業の進め方で評価が高いのは、グループ活動だと言われています。教師から一方的に教わるのではなく、一人で考えるのではなく、グループの中で話し合い、そして、子どもの方から答えを見つけていくという方法です。これに比べてアメリカの教室では、分母の異なる分数の足し算という新しい単元に入るとき、ふつうは問題を解くのに使える公式を教師が頭上のプロジェクターに映しだすことからはじめ、生徒はそれを書き写し、覚えて、次につづく問題を解くのに使うのです。教師は頭上のプロジェクターで例題をいくつか最後まで解いてみせ、生徒はそれを見て、聞いて、その問題をノートに書き写します。それから教師は生徒たちが自分で解くようにと、先ほどやってみせた例題とそっくりな練習問題を与えます。スティグラーとヒーパートが『日本の算数・数学教育に学べ』に書いたところによれば、この指導法の前提は、生徒たちが新しい手順を吸収するのは「何回も練習すること」によってであり、「練習問題は先に進むに従って、まえの問題よりも少しむずかしくなる」と言います。アメリカの教師の指導の原則では、「練習はまちがいのないように、成功確率の高い状態でおこなわれるべきであるとされます。混乱や不満は、従来のアメリカ式の見解では、最小限に抑えるべきなのである」。

スティグラーのチームは何百時間もの録画データを活用して、こうした文化的な傾向にしつかりした数字をあてはめました。日本では、数学の授業時間の41パーセントが基礎的な練習、つまり次から次へと問題を解くことに使われていました。しかし、44パーセントはもっと創造的な活動にあてられていました。新しい手順をあみだしたり、知らない問題に知っている手順を使ってみたり。これに対してアメリカの教室では、生徒の時間の96パーセントが反復練習に使われ、新しいアプローチについて思案する時間は1パーセントにも満たなかったのです。

アメリカで支配的なこの指導方法を用いれば、日本の生徒たちか強いられる困惑や苦労、不快感は与えずに済むかもしれませんが、ロン・バーガーがいうような「性格をつくりあげるチャンス」も取りあげてしまいます。規律を守らせるためのいっさい許容しない方針が、貧困層の子どもたちをむしろ学校から遠ざける方向へ働いたのとおなじように、従来のアメリカの教育の多くの要素が、子どもたちを成功から遠ざけているのだとタフ氏は言うのです。

このような人間関係の中で学び、協力し、助け合うことが日本人の特性であるとも言われています。欧米では、教師からの指導が中心になっているのです。この事実を私は知った時に、今までの保育カリキュラムは、欧米で考えられたものが中心で、特にアメリカでのカリキュラムは、保育者が子どもにどのようにアプローチするかということが中心課題になっていることが頷けました。しかし、この研究が小学校以降を対象にしていますが、実は、保育においても子どもたちの発達は、大人から教わるのではなく、人間関係から、子ども同士のかかわりから学ぶべきであろう私は考えています。しかも、それは、その方が効果的であるのは、もともと人類は人間関係の中で、協力し、助け合い、教え合うことで進化を遂げてきたからです。そんなこともあって、「見守る」という考え方は、なかなかアメリカでは受け入れにくいのでしょう。

 

しなやかな心

ポジティプな心のありように貢献する環境をつくろうとするとき、教育者が頼れる道具箱はふたつあるとタフ氏は言います。一つめの道具箱は「人間関係」です。生徒にどう接するか、どう話しかけるか、褒美と規律をどうやって与えるかです。二つめの箱は「学習指導」です。何を教えるか、どう教えるか、生徒の習得度をいかに評価するかです。タフ氏は、学ぶ環境を強化することによって低所得層の生徒たちの成果を改善してきた例をいくつか挙げています。人間関係をターゲットにしたものもあります。学習指導に焦点を合わせたものもあります。先に論じた幼少期の支援についてもそうだったように、どれも完璧ではないと言います。しかしすべてを考えあわせることで、逆境にある生徒たちが学校で成功するためにはどう支援するのが最善か、おおまかなガイドラインのようなもの、基礎をなす原則のようなものが見えてくるのではないかと言うのです。

2000年代のなかば、ディヴィッド・イェーガーが心理学を研究する院生としてスタンフォード大学に入ったころ、同大学には教育心理学の著名人が何人もいました。「ステレオタイプの脅威」の発見で有名なクロード・スティール。生徒のマインドセットの研究で有名なキャロル・ドウェックです。

「ステレオタイプの脅威」は、一般に自分の属性にとって苦手とされる場所にいる個人は、その属性に関する不安が引き金となって実力が発揮できない場合がある、とする理論です。たとえば、工学部で学ぶ女性は男性よりも能力が低いと感じ、一流大学に通うアフリカ系の学生はほかの人種の学生より劣っているように感じることがあるという考え方です。

一方、ドウェックの発見は、生徒は自分の能力に関する暗示的、明示的なメッセージに強く影響される、というものでした。知能とは持って生まれた財産であってほとんど変化しない、という考えを植えつけられた生徒たちは、ドウェックのいう「凝りかたまった心」を持つようになり、知能の欠如をさらす可能生のあるむずかしい言題からは腰が引けてしまうのです。反対に、がんばれば知能は伸びるという、「しなやかな心」をつくるメッセージを取りこむと、生徒たちはより大きな課題、より難度の高い問題に取り組むようになるという考え方です。

スタンフォードに入るまえ、イェーガーはオクラホマ州タルサの低所得地域の学校で英語を教えていました。そのため自分の研究を、教師が生徒たちの人生をよりよいものにするために現場で使えるかたちにしたいという強い思いがあったそうです。現在もテキサス大学オースティン校の教授として、教育心理学の発見を教室に生かす道を切りひらこうとしているそうです。

イェーガーは、幼少期の逆境の神経生物学的な影響に加え、困難な環境で育っことで子どもたちの世界の受け止め方は大きく影響される、という前提で研究を進めているすです。イェーガーの説明によれば、ごく幼い時期に逆境を経験すると、子どもたちは挫折したときに自分を責め、他人の行動を敵意や偏見の表れとみなし、自分に何かよいことが起こってもどうせ長つづきしないだろうと思うようになると言います。ここ何年か、イェーガーはスタンフォード大学の二人の教授、ジェフリー・コーエンとグレゴリー・ウォルトンと共同で、こ、うしたものの見方をする若者たちへの介入方法を調査しているそうです。

心のありよう

では、生徒に粘り強い行動をさせるにはどうしたらいいのでしょうか?ファリントンが調査から引きだした結論によれば、「学業のための粘り強さ」の背後にあるカギは、「学業のたしめのマインドセットという心のありよう」、つまり子どもたちそれぞれの姿勢や自己認識なのです。ファリントンは生徒のマインドセットに関する大量の研究から、カギとなる四つの信念を抽出しました。生徒たちの教室でのがんばりに最も大きく貢献する信念です。

①私はこの学校に所属している。②私の能力は努力によって伸びる。③私はこれを成功させることかできる。④この勉強は私にとって価値がある。

生徒たちが授業中にこの信念を持っていられれば、そこで出くわす課題や失敗を乗りこえられます。この信念がなければ、最初の困難がちらりと見えたところであきらめてしまうかもしれません。

当然ながら問題は、逆境に育った生徒たちがファリントンの挙げた四つの項目をどれも信じられずにいることだとタフ氏は言うのです。一つには、幼少期にはじまった神経生物学的な逆境の影響があります。有害なストレスにさらされたことで過敏な闘争・逃走反応が生じているのです。暴力的な地域や家庭にいるときには非常に役立ちますが、7年生の歴史の授業中にはあまり役立ちません。闘争・逃走の本能は、「私はここに所属している」という信念を強化することはなく、その正反対の警告「ここはおまえの居場所ではない。敵の領域だ。この学校にいる全員がおまえを捕まえようとしている」というような警告を車のクラクション並みの大音量で伝えます。これに加え、逆境のなかで育った子どもたちはたいていミドル・スクールやハイ・スクールに人るころには勉強が大幅に遅れており、十中八九、学校側と対立してきた前歴もあるそうです。こうした生徒は多くの学校で、補習クラスに入れられるか、くり返し停学処分を受けるか、あるいはその両方にはまりこみます。これでは「私はここに所属している」とか「私はこれを成功させることができる」などと思うのは無理なのです。

見てわかるとおり、ファリントンのいう学業のための四つのマインドセットは、デシとライアンの三つの内発的動機づけである、「自律性」「有能感」「関係性」と呼応しています。実際には、ファリントンのリストと、デシとライアンのリストをさらに煮詰めて、生徒の成功にきわめて重要な二大メッセージを取りだすことができるのではないかとタフ氏は思っています。一つは「帰属意識」に関するもの。自分の学校、あるいはクラスの人々が自分の存在を望んでくれる、自分はこの学習環境のなかで歓迎され価値を認められている、という実感です。これは何よりも日々学校で経験する人間関係に左右されます。

二大メセージの一つめが人に関するものなら、もう一つは「勉強」に関するものです。生徒たちの心理は、学校で毎日やる作業にも大きく影響されるのです。むずかしいだろうか?やる意味はあるだろうか?少しがんばれば理解できる範囲の問題だろうか?懸命に取り組めば乗りこえられそうな課題が与えられるとき、生徒にはデシとライアンのいう「有能感」と「自律性」を経験するチャンスが生まれるのです。「簡単ではなかったが、私はこれをやり遂げた」。言葉で肯定されるだけでは得られない実感です。

学業のための粘り強さ

では、粘り強さを伸ばす学校や教室の状况とはどういうものでしょう?この答えを出そうとしてファリントンが気づいたのは、学習のプロセスに立ち戻り、分解して考える必要があるということでした。そして、すでにある研究から、生徒の成功に必要なものをいくつか引きだし、そこからフレームワークをつくろうとしたのです。

ファリントンは、生徒たちが学業の成功として広く認めている事柄からはじめました。よい成績を取る、高校を卒業する、大学の学位を取る。こうした成果に直接結びつくものを「学業のための行動」であるとしました。宿題をやったり、予習をしたり、クラスでの議論に参加したり、そもそもいちばん根本的なことをいえば、登校することもそうです。ここまでは非常に単純です。きちんと出席し、宿題をやって授業に参加する生徒がうまくやれるというのは、多くの教師が同意するところでしょう。では、何がこうしたポジティブな「学業のための行動」を生むのでしょうか?

ファリントンの答えは「学業のための粘り強さ」でした。生産的な「学業のための行動」を長いあいだ維持できる性質です。ファリントンの主張によれば、「学業のための粘り強さ」を持った生徒が他の生徒とちがうのは、失敗からすぐ立ち直る力を持っている点だといます。何回かテストで失敗しても、教室で懸命に勉強することをやめません。複雑な課題に悩んだり、混乱したりしたときも、ただあきらめるより、問題を解くための新しい方法を探します。ファリントンのいう「学業のための粘り強さ」には、グリットや自制心や、楽しみを先送りにする力のような非認知能力が含まれています。しかしそうした性格上の特質とちがって、生徒の「学業のための粘り強さ」は状况に大きく左右される、とファリントンは書いています。10年生のときに学校でがんばってやり通した生徒が、11年生ではやり通せないかもしれません。数学の授業はがんばれても、歴史の授業は駄目かもしれません。火曜日にはがんばれても、水曜日は駄目かもしれないのです。

ファリントンが実施した調査には、特定の介入が生徒のもともとのグリットのレベルを変えるというエビデンスは見られませんでした。しかし、生徒の学業への粘りが学校や教室の状況の変化に大きく左右されるというエビデンスはたくさんあったそうです。ファリントンのレポートにはこう書かれているそうです。「生徒を、グリットを持った人間につくりかえようとする、つまり、人生のすべての側面に対し、いついかなる状況でもグリットを発揮できるようにすることにあまり益はないが、生徒が環境の影響を受けて粘り強さを示すようになることはある。勉強をやり通したり、大きなプロジェクトを完遂したり、勉強がむずかしくなったときに身を入れて取り組んだり。こうしたことはある特定の教室の状况や心理状態によって起こる反応だ」

これは重要な区別だとタフ氏は言います。もしあなたが教師だったら、生徒たちをグリットのある人間にすること、それは、グリットと呼ばれるきわめて重要な資質を発達させることはできないかもしれませんが、グリットがあるようなふるまいをさせる、グリットがあればこうするだろうという行動を取らせることならできます。ファリントンの主張によれば、まさにそれが大事なのです。その粘り強い行動が、教師が望む、そして生徒と、社会一般が望む学業の成果を生む助けになるのだというのです。

語られ方

ファリントンはモチベーションに関する心理学の最新の研究にどっぷり浸ったそうです。その中で、デシとライアンの報酬とインセンテイプに関する論文を読みました。キャロル・ドウェックのモチベーションに関する論文も読みました。ドウェックはスタンフォード大学の心理学者で、自分の知的能力についてどんなふうにいわれるかによって、生徒のモチベーションが上がったり下がったりすることを発見した人物です。また、ファリントンはダフナ・オイズマンの論文も読みましただ。オイズマンは南カリフォルニア大学多くの専門分野にわたる研究をしている学者で、生徒自身が持つ学生としてのアイデンティティによって、生徒のモチベーションのレベルが大きく左右されることを発見しました。ファリントンはこうした心理学の研究を貪欲に吸収しながら、関連する社会学の文献も読んだのです。制度的な構造がいかに個人の行動に影響するか、とりわけ教育制度の構造である学校の資金調達の仕組み、教師の雇用契約、人種による分離のパターンなどが生徒たちを成功へ導くものか、失敗させるものかを知ろうとしたのです。

こうした研究の積み重ねと最貧困地区での教師としての経験により、ファリントンはこれまでとちがった考え方をすることができたそうです。「最初から、環境について考える方向に傾いていたと思います」と彼女は言っているそうです。ファリントンはどの学校にもある、成功と失敗にまつわる「語られ方」にとくに興味を示しました。あやふやなものであれ、はっきりしたものであれ、生徒は失敗に直面したときにメッセージを受けとります。ファリントンによれば、生徒たちが自分のポテンシャルについてのメッセージに肯定的なものであれ、否定的なものであれ、最も敏感になるのは、失敗の瞬間であると言います。失敗が自分の能力への最後の審判だと思えば、その生徒はあきらめてしまい、学校から距離を置くでしょう。しかし、失敗は一時的なつまずきに過ぎす、学んだり改善したりするための貴重なチャンスであるというメッセージを受けとれば、挫折はその生徒をより勉強に打ちこませる推進力になるのです。ファリントンによれば、失敗についてのこうした「語られ方」は、とりわけ低所得層の生徒たち、学業の場で失敗することに大きな不安のある生徒たちにより大きな影響を与えると考えます。

2011年、ファリントンと協会のチームは、非認知能力、および非認知能力が学業の成功のために果たす役割についての文献を総合的に再検討しはじめました。結果は「学習者になることを教える」と題されたレポートとして2012年6月に発表されたのです。ここでは初めて、レポート内で「非認知要素」という言葉で表現している「非認知スキル」を、子どもたちが習得する、あるいは習得に失敗する可能性のある個別の技能ではなく、子どもたちが学習をしている現場の状況に大きく左右される習慣や態度、ものの見方であると説明しているのです。

当時、グリットとは何か、それはスキルとしてどう測定したらいいのか、どの生徒にそれがあるのか、どうやったらそれを教えられるのか、といったことがおもに論じられていたなかで、これは新しいアプローチだったのです。ファリントンとチームの研究者らはこう書いています。「生徒のグリットや粘り強さに直接働きかけることが、成績向上の効果的な手段になるというエビデンスはほとんどない。ほかの生徒よりも粘り強く作業をしたり、より強い自制を示したりする生徒ももちろんいるが、学校や教室の状況がポジティブなものの見方や効果的な学習を助長すれば、すべての生徒が粘り強さを見せるようになる」

正しいメッセージ

ジャクソンの研究は、非認知能力が働いた結果として現れるポジティブな行動を測定するというものです。この研究は、それまでの子育ての研究との類似がいくつか容易に見てとれるとタフ氏は言います。ABCやFINDのようなプログラムにおける親のコ-チは、親たちが子どもをあやすときにどの童謡を歌おうと、どんなふうにいないいないばあ遊びをしようと、そこにはこだわりません。味つけはどんなふうでもかまわないのです。大事なのは温かい、正面から向き合ったやりとりだとわかっているからだとタフ氏は言います。そうしたアプローチはどんなふうに実行されようと、子どもたちに深い、何よりも大事なメッセージを伝えます。帰属意識、安全、安定についてのメッセージ、世界のなかでの自分の居場所についてのメッセージです。こうした認識は、曖味で感傷的にさえ見えるかもしれませんが、乳幼児の脳のなかではシナプスの形成、樹状突起の剪定、DNAのメチル化などの神経化学反応として、はっきりとしたかたちを取ります。これらすべてが、直接的であれ間接的であれ、この先の学校での成功に貢献するのだと言います。

教室で起こる連鎖反応もじつはこれと似ているかもしれないとタフ氏は言います。教師は生徒たちに深いメッセージを伝えます。たいていはそれとなく、あるいは無意識に訴えかけるように、帰属意識やつながり、能力、チャンスについてのメッセージを伝えます。こうしたメッセージは、10歳児の脳には10カ月の乳児の脳に起こるほどの影響は与えないかもしれませんが、それでも生徒の心理に、行動に、深く響くのです。子どもたちが学校への帰属意識を持てれば、自分たちの成功を信じてくれる大人、思いやりと敬意をこめて関心を向けてくれる大人から正しいメッセージを受けとれば、彼らは教室に欠かさず来るようになり、むずかしい作業にも粘り強く取り組み、学校生活のなかで数えきれないほど起こる小さな挫折や不満からすばやく立ち直れるようになるというのです。幼少期の子育てにおける親の敏感な反応によって、子どもの頭のなかに知的な物事を習得するための素地がつくりだされたのとおなじように、学校では教師からの正しいメッセージが、生徒の頭のなかにさらに進んだ、手ごわい学業に取り組むための素地をつくりだすのです。

では、そのメッセージとはどういったものなのでしょうか?教師はどのように生徒にそれを伝えればいいのでしょうか?これは現在の教育界でとくによく議論される問題で、このテーマの研究の第一人者が、シカゴ学校研究協会のカミーユ・ファリントンです。都心の高校に勤めていた元教師で、15年の勤務ののち、イリノイ大学シカゴ校で都市部の教育政策を研究して博士号を取得しました。ほかの多くの高校教師とおなじく、ファリントンも一部の生徒の行動や選択に戸惑いを覚えたそうです。生徒たちはなぜ、勉強に打ちこんで教育の恩恵を受けようというモチベーションを維持できないのだろうか?どうして彼らのモチベーションには予測のつかない浮き沈みがあるのだろうか?

2006年に博十課程での研究をはじめると、ファリントンはモチベーションに関するひたい理の最新の研究にどっぷり浸ったそうです。その中で、デシとライアンの報酬とインセンテイプに関する論文を読みました。キャロル・ドウェックのモチベーションに関する論文も読みました。

ポジティブな行動

生徒の成功に大きく貢献していながら、現行の成績責任の尺度では評価されない教師がいます。しかし、このような尺度は、教師の行動を歪めてしまうかもしれません。そしてそれは生徒の利益になりません。タフ氏はこんな例を出しています。もしあなたが生徒の非認知能力をのばすことを得意とする教師だった場合、テストの得点を伸ばすことを得意とする別の教師がボーナスをすべてさらっていくのを見たら、自分の教え方を変えようとするかもしれません。いまのあなたのやり方が生徒に大きな利益を与えているかもしれないのにです。

ジャクソンの研究のなかには、こうした教育行政へのヒントのさらに奥に、非認知能力を評価するという目的ともっと関係の深い第二のヒントがかすかに見えるとタフ氏は言います。つまり、非認知能力を測定するために現在多くの研究者たちが注目しているやり方よりさらに創造的で、さらに役立つはずの方法があるということだというのです。グリットや自制心や自己効力感などを、非認知能力か働いた結果と評価する新しい完璧な「ものさし」を苦労して探さなくても、非認知能力が働いた結果として現れるポジティプな行動を測定すればいいのです。

この結論はより深いヒントへとつながるとタフ氏は考えています。グリットや自制心や粘り強さなどの気質にどんなラベルをつけるかは、じつはたいした問題ではないし、それをいうならこれらを「性格の強み」と定義するか、「非認知能力」と定義するか、あるいはほかの何かであると定義するかも、やはり大きな問題ではないというのです。とりあえず、生徒たちが毎週数時間をあるタイプの教師のそばで過ごすことで自分たちの行動の何かを変えた、これがわかるだけで充分だというのです。そういう教師が教室でつくりだす環境が、生徒たちのよりよい決断を助け、その決断が生徒たちの人生に大きな意味を持つプラスの変化を与えたのです。

学業について語るとき、スキルという言葉はよく使われますが、よくよく考えてみると、私たちはたいていこの言葉を発達の一つのステップとして捉えています。教師が新しい非認知スキルを教える。生徒が新しい非認知スキルを学ぶ。こうして習得された新たなスキルが、異なる行動へとつながるのです。もしこれが前提なら、ここでいうスキルとは具体的にはなんなのでしょうか。どう定義されるのでしょうか。どうしたら正確に測定できるのでしょうか。どうやって教えたらいいのでしょうか。ジャクソンの研究を見るに、生徒たちは少なくとも従来どおりの意味合いでスキルを身につけているわけではないようです。

そこで、タフ氏は、いままでとは異なる前提で考えてみています。いくらか曖昧であることは認めざるをえないと言いながらも、効果的な教室で何が起こっているかを少し詳しく書いてみています。教師がある雰囲気をつくりだします。生徒たちはその雰囲気に反応して、それまでとは異なる行動をします。その新しい行動が成功につながるというのです。この場合、生徒たちは新しいスキルを身につけたのでしょうか?だからちがう行動が取れるようになったのでしょうか?そうかもしれないとタフ氏は言います。あるいは、私たちが「スキル」と呼んでいるものは、ほんとうは新しいものの見方なのかもしれないというのです。新しい、強力な行動を取るための体力だったり、信念だったり、心のありようだったりするのかもしれないのです。

尺度

ジャクソンは、ノースカロライナ州で2005年から2011年のあいだのすべての9年生、総数46万4502人を追跡した詳細なデータベースを見つけました。そのデータは生徒たちの発達を、9年生のあいだだけでなく、高校卒業後まで追ったものでした。ジャクソンは各生徒の全州標準テストの得点にアクセスし、それをおおまかな認知能力の指標としました。次いで、ひとつ新しいことをしました。現存の管理資料から四つの数字を使って、それを生徒の非認知能力を示す代替尺度にしたのです。四つの数字とは出席日数、停学回数、留年の有無、GPAという成績評定平均値です。この新しい指標は、大まかにではありますが、生徒がどれくらい積極的に学校に関与しているかを示しています。きちんと出席しているかどうか。行動に問題があるかどうか。教室でどの程度真面目に勉強しているか。

意外にも、このシンプルな代替尺度がテストの得点よりもよい指標になることがわかったそうです。その生徒が大学へ行けるかどうか、大人になったときの収入はどれくらいか、将来逮捕されるようなことかあるかどうかを、より的確に予測することができたというのです。この代替尺度は、教師の有効性の分析にもつながりました。ジャクソンはノースカロライナ州の9年生の英語と代数の教師全員に、経済学の用語でいう「付加価値」の評価をしてみました。まず、ある教師のクラスの生徒でいることが、その生徒の標準テストの得点にどの程度影響するかを計算したのです。これはごく一般的な「付加価値」評価の方法です。国内の多くの州の教員がこれと似た尺度で評価され、報奨を与えられたり解雇されたりしているそうです。しかしジャクソンは、そこからもう一歩先へ進めたのです。教師が生徒の非認知能力の代替尺度、出席日数、停学回数、留年の有無、GPAに与える影響を割りだしたのです。

生徒の標準テストの得点を、毎年確実に上げることのできる教師がいます。こうした教師は、現行のすべての評価システムにおいて最も高く評価され、最も高い報酬を受けているそうです。しかしジャクソンは、生徒の非認知能力の代替尺度を確実に上げることのできる教師が一定数いることを発見しました。こうした教師が担任になると、出席率も、停学処分を避けられる可能性も、すんなり進級できる可能性も高くなるのです。GPAも上がります。その特定の教師か担任をしているあいだだけでなく、クラスが変わってからもでした。

ジャクソンの発見によれば、この二つのタイプの教師は必ずしも重なりません。どの学校にも、生徒の認知スキルを伸ばすことが得意な教師がいて、それとはべつに、非認知能力を伸ばすことに長けた教師がいるようだったのです。しかし後者は、生徒を伸ばしたことに対する報奨を与えられていませんでした。それどころか、後者の教師たちが成功を収めていることにキラボ・ジャクソン以外の誰一人気がついてさえいないようでした。しかし、後者の教師たちは、ジャクソンの計算によれば、生徒のテストの得点を上げることで名高い前者の教師たちよりも高い確率で生徒を大学へ送りこみ、生徒の将来の収入額を引き上げていたのです。

ジャクソンの研究からはっきりわかるのは、生徒の成功に大きく貢献していながら、現行の成績責任の尺度では評価されない教師がいるということです。このような尺度は、教師の行動を歪めてしまうかもしれません。