実験と観察

子どもを対象にした実験は、その分析に難しさがあります。それは、尋ね方によって、子どもの答えが変わることがあるからです。また、子どもには実験であるということは伝えてもわからないので、実験者は子どもに遊びを誘うようにして、一緒に遊ぶ中からその答えを導き出そうとします。すると子どもは遊んでいると思うために、ふざけた答えを出すことがあるようです。また、あまりにわかりきった質問には、なぜそんな質問をルのだろうと気を使ってわざと大人が求めるような答えを言うこともあるようです。

このようなことから、誤信念課題における質問には、質問に対してこう考えられるかもしれないと言うのです。オオニシとベイラージョンの実験手続きでは、相手がそこには存在しないと思っているはずなのに、間違って選択しそうな場面で、「なんで知っているの?」と驚いたり、「『あれっ?そうじゃないでしょう!』と思わず言いたくなる、そのそぶりを検出する」わけですが、標準的誤信念課題では、「どう考えているかを推測しなさい」という質問への「答え」(正誤)を求めるために違いがあるわけだというのです。そのために、オオニシとベイラージョンの実験手続きは、佐伯胖からすると、「赤ちゃんが他人の行為を見て、ヒトゴトのように放っておけず思わず何かしてあげようとする、そういう『知的傾向性(わざ)』が現われ出る瞬間を捉えている点で、優れた実験」だと評しているのです。

また、心理学の研究は、客観性が求められますが、それを突き詰めすぎると、三人称的なかかわりで、文化社会的な要素をいっさい排除した脱文脈的なものとなると言われています。それを防ぐひとつの方法として、実験だけに頼らず、観察との併用が有益だと林は考えています。観察される知見と実験での課題通過の年齢があまりに食い違うようであれば、実験そのものに問題があることも視野に入れるべきだと言います。先に紹介したレポートは、実験結果を日常場面で観察した点を踏まえた上で考察しており、その点でも秀逸と考えられると彼は言っています。

心理学における実験がさまざまな考えられ、その内容に感心することが多いのですが、その考察においては、ただ客観性だけを求めては、真実からは離れてしまうようです。そこには、徹底した観察が必要になると言っているのです。プレヒテルによる赤ちゃんの行動学の研究をする際に、「赤ちゃんを延々と観察することを重視した」とあります。しかもその観察は、例えば実験室のような、非日常的な特殊な状況の中での観察ではなく、日常場面での観察が必要なのです。

林は、標準的な誤信念課題を正答できるようになる4~5歳児を境に、それまでの乳幼児期の心の理論の萌芽について考察してきました。次の課題として、、4~5歳以後の発達はどのようになっていくのかを考察しています。

ヒトの心の状態を理解するのに二つの段階があるとしています。他者一人の心の状態を理解するレバルは、「一次の心の理論」です。それに比べて、より複雑な心の状態の理解を「二次の心の理論」と言います。この二次の心の理論の発達は、「二次の誤信念課題」で調べることができると言われています。一次の誤信念課題に、サリーとアンの課題やスマーティ課題などいくつかのヴァリエーションがあるように、二次の誤信念課題にも、いくつかのヴァリエーションがあるそうです。

乳児の心

実行機能を考慮することで、「4~5歳頃まで標準的な誤信念課題を正答できない」という結果と「赤ちゃんでも誤信念状況を理解できる」という結果の矛盾が解消できるのかもしれないと林は考えているようです。ベイラージョンらは、言葉での反応を調べる標準的な誤信念課題では、少なくとも、他者の誤信念を表象するといった「誤信念表象プロセス」、言語反応する際に、他者の誤信念の表象に対して選択的にアクセスする「反応選択プロセス」、自分の知識を抑制して、質問に答えるという「反応抑制プロセス」という三つのプロセスが必要であるのに対して、注視といった自発的な反応で調べる誤信念課題では、誤信念表象プロセスだけが関わることを示唆しているそうです。

この三つのプロセスに関連する脳領域のコネクションが成熟するのは後の時期であり、しかもゆっくり発達するからであるとベイラージョンらは考えているようです。特に、

反応性選択プロセスや反応性抑制プロセスは、まさに実行機能に関することですので、4~5歳になるまで標準的な誤信念課題に正答できない理由のひとつには、実行機能の未熟さが関係しているのではないかと考えられています。

ここで林は、佐伯胖著「幼児教育へのいざない」という書物を紹介しています。それは、オオニシとベイラージョンの実験手続きは、「赤ちゃんが他人の行為を見て、ヒトゴトのように放っておけず、思わず何かしてあげようとする、そういう『知的傾向性(わざ)』が現われ出る瞬間を捉えているという点で、まさに『みごとな実験』だといわねばならない」と鋭く指摘しているのです。

この指摘を見て、心理学の研究の中で、かつての自己中心性についての実験とか、数の保存についての実験などについて、最近、子どもの取った行動はその解釈が間違っていたのではないかということが言われていることを思い出します。子どもの答えだけを聞いて、それが間違っていると、それはできない、知らないと短絡的に考えることは危険な気がします。よく私が話を出す例ですが、小学校1年生の授業の中で、「この園の中には、ちゅうりっぷは何本ありますか?」という問いに対して、5本あるところを「6本」と答えた子は×です。それは、数がまだその子は数えることができないと判断してしまいますが、実は、どれがちゅうりっぷであるかを知らないのかも知れないのです。絵の中のバラをちゅうりっぷだと思ってそれも数に入れてしまったのかも知れないのです。

佐伯の標準的な誤信念課題についての指摘はこのようなものです。「おもちゃで遊びたい女の子は、当然おもちゃがあるところに行きたいので、もしおもちゃが今は箱にあるのを知らない女の子が、カゴの方に行くそぶりを見せたら、思わず『あ、そっちじゃないよ』と教えたくなるはずです。しかし、標準的な誤信念課題で問われていることはそれとは違って、『女の子はどっちに行くか?』です。子どもには、なぜ実験者が『女の子はどっちに行くと、きみは考えているの?』ということを知りたいのか、がよくわからないとすれば、女の子を手助けしようとして、今ある場所を教えようとしても不思議はないでしょう。しかし、そのときに自分が女の子に伝えたいことを『答え』にすると、誤信念課題では『不正解』とされ、ここに問題がある」と言うのです。

実行機能と心の理論の関係

のぞき見しないで待てるかという実験では、3歳ぐらいまでは抑制が困難であるという結果が出ているようです。しかし、鶴が機を織っているのをのぞき見するのを我慢できなかった与ひょうや、地上へ帰りつくまで、ふりむいてはならない、という条件がありながらも、つい振り返ってしまったオルフェウス、ふたを開けてはいけないと言われているにもかかわらず、我慢できずに開けてしまったのは、パンドラや浦島太郎、どのはなしも抑制できずに不幸になった話です。

それは、多分我慢することができない人が多かったために、逸話として戒めた話だったのではないかと思います。ということは、何歳からできるか、何歳まではできないかではない気がしています。

シフティングとは、ある次元から別の次元へ志向や反応を柔軟に切り替えるプロセスとされ、子ども向けにはDCCS(Dimensional Change Card Sort)課題が有名だそうです。直訳すると、「子供の執行機能を評価する方法」です。たとえば、「赤い花」と「青い車」のモデルカードがあり、モデルカードとは色または形の次元で異なる分類カード「赤い花」と「赤い車」を見せていきます。一つ目のルール、たとえば、色で分類させた後、別のルール、たとえば、形に変更すると、3歳くらいまでの幼児は、最初のルール、この場合は色で分類するルールに固執しがちだそうです。

更新とは、「ワーキングメモリ」に保存される情報を監視し、更新する能力とされているそうです。ワーキングメモリとは、情報を一時的に「保持」しながら、同時に「処理」も行なうシステムだそうです。ふだんの私たちの身の周りでは、次々と状況が変化するので、あらたな情報を取捨選択し、更新していくことが求められます。このプロセスも、「ことばの逆唱」課題などを用いて調べたりした結果、幼児期に発達が見られることがわかっているそうです。ことばの逆唱課題とは、たとえば、「サクラ」「アヤメ」「スミレ」と言った後、「スミレ」「アヤメ」「サクラ」と逆に再生できるかどうかをテストするものだそうです。各単語を保持すると同時に、逆転という処理が必要になることから、ワーキングメモリの容量を調べることができるそうです。

このように、実行機能の発達は、幼児期の4~5歳児頃に大きく発達するそうです。この発達時期は、標準的な誤信念課題に正答できるようになる頃にかなり類似しているそうです。そこで、実行機能と心の理論の関連に多くの研究者の注目が集まったそうです。

実行機能と心の理論の関係は、近年多くの研究で検討されています。とくに、葛藤抑制の課題の成績と誤信念課題の成績が相関し、心の理論の発達にとって、抑制の制御が重要であることが明らかになっているそうです。また、シフティング(認知的柔軟性)や更新(ワーキングメモリ)といったプロセスと心の理論の関連も報告されているそうです。さらに、実行機能と心の理論の関連は、縦断的研究によっても示唆されているようです。

標準的な誤信念課題を解くには、登場人物や対象の情報が次々変化するお話を聞きながら、すなわちワーキングメモリに入ってくる情報を更新しつつ、自分が知っている情報ではなく、主人公の心の情報を推測して答える必要があります。更新や葛藤抑制を中心とした実行機能の向上が心の理論の発達に不可欠となると林は言うのです。

我慢する力

ここで林は、誤信念よりももっと一般的な認知能力である「実行機能」について考察しようとしています。私たちは、日々衝動的に反応しないで、次々と入ってくる新しい情報を整理し、順番を考えながら行動しています。このように、目標に向けて注意や行動をコンロトールする能力のことを、「実行機能」と呼びます。そのとらえ方は研究者によって違いがあるそうです。定藤 規弘による「脳科学辞典」によると、「実行機能とは、複雑な課題の遂行に際し、課題ルールの維持やスイッチング、情報の更新などを行うことで、思考や行動を制御する認知システム、あるいはそれら認知制御機能の総称である。特に、新しい行動パタンの促進や、非慣習的な状況における行動の最適化に重要な役割を果たし、人間の目標志向的な行動を支えているとされ、その神経基盤は一般に前頭前野 (prefrontal cortex) に存在すると考えられている。」とあります。

今年の保育学会での発表についてブログで紹介しましたが、私は、子どもたちの「我慢する力」は、実行機能の発達が影響しているということを話しました。がまんができる子どもとできない子どもとでは何が違うのでしょうか? 同じ事を上越教育大学の森口佑介准教授が、説明しています。彼は、子どものセルフコントロール(自己制御)能力が子どものがまんについて、実行機能の発達の観点から解説しています。その説明の方がわかりやすいかも知れません。

彼は、「実行機能は、英語でexecutive functionといいます。executiveには執行取締役という意味がありますが、会社などのような階層的な構造の中で、低次の会社員に対して指令を出す、高次に位置する取締役というのが基本的なイメージです。学術的には、実行機能は、行動、思考、感情を制御する能力で、脳の前方に位置する前頭前野を含む神経機構と関係している認知プロセスのことを指します。」と言います。

さらに、実行機能の三つのプロセス、「抑制」「シフティング」「更新」が特に重要な要素であると考えられています。

「抑制」とは、ある状況で優勢な行動や思考を抑えるプロセスとされています。簡単に言えば、目立つものにはすぐに反応しない能力です。たとえば、よく例に出すマシュマロ実験は抑制の能力を測るものとして知られています。カールソンとモーゼズは、因子分析という統計処理によって、抑制を大きく「葛藤」と「遅延」の二つに分けているそうです。葛藤抑制とは、優勢な情報や反応を抑制し、別の情報や反応を活発化させることだそうです。大人では、ある色が優勢な状況で別の色への反応を求める「ストループ課題」が有名だそうです。この子ども版として、「昼/夜ストループ課題」が欧米の研究で頻繁に使われているそうです。

この課題では、月と星が描かれた黒いカードを見せられたら「昼」、太陽が描かれた黄色いカードを見せられたら「夜」というように、反対の答えを求められます。遅延抑制とは、待つといった衝動的な反応の抑制に関することだそうです。マシュマロ実験は、主に遅延抑制に関係すると考えられているそうです。その他に、発達研究でよく用いられるのが「遅延贈り物課題」というものだそうです。

これは、子どもに後ろを向かせている間に、贈り物の封をわざとゆっくり音を立てながら開封することで、気になる対象を一定時間、のぞき見しないで待てるかどうかを調べるものだそうです。いずれも3歳くらいまでは抑制が困難だと言われています。

コアノレッジ

最近、乳児の誤信念理解は大きな注目と論争を生み出しています。そんな中で、「予期的注視」など様々な方法で研究されています。予期的注視は、たとえば相手の手がコップに向かう動きを見たとき、手がコップにたどり着く前にその行動の目的地を予測して、コップに向けて視線を動かすような現象です。近年の研究では、18ヶ月児や2歳児において、相手が誤信念に基づいて手を伸ばすことを予測するような予期的注視が見られているそうです。また、注視ではなく、実際の行動でも誤信念理解が検討されているそうです。トマセロらの研究グループ報告した、相手が誤信念を持っているとき、その誤信念に基づいて、相手が求めているものを取ってあげたりするような「援助」が18ヶ月児でも見られたということを、ブログでも紹介しました。

さらに最近では、社会的なかかわりがある自然な場面での誤信念理解も調べられ始めているそうです。13ヶ月児を対象に、A,B,Cの三つの人形を使った次のような実験があります。まず、AとBが向かい合って同時に体を動かし、仲良くしている様子を見せました。次に「BがCを叩くところをAが目撃する」という正信念状況と「Aがいない間に、BがCを叩く」という誤信念状況を見せました。その後、AとBが仲良くしている場面と、AがBの行動に反応せず無視する場面を見せたところ、正信念状況では、AとBが仲良くしている場をより長く注視し、誤信念状況では逆に、AがBの行動に反応しない場面をより長く注視したそうです。

これは期待違反法の実験です。正信念状況では「AはBが悪いやつだということを知ってしまい、そう思っている」ので、AがBと仲良くしているほうをより不自然に感じたと解釈されています。同様に、誤信念状況では「AはBが悪いやつだと思っていない」ので、AがBの行動に反応しない方をより不自然に感じたと解釈されています。

通常の誤信念課題で扱われる主人公の誤信念の内容は、物の場所や中身といった物理的な面です。しかし、社会性の発達を明らかにするには、主人公の誤信念の内容が別の登場人物の社会的なかかわりであるといったように、社会的な面についても扱う必要があるのではないかと林は考えています。この点で、以上のような実験が目指したことは重要だと彼は言うのです。

乳児で心の理論と行動の社会的評価をする能力を、他者同士のかかわりのある場面で用いているかのような様子がうかがわれるからだと彼は言うのです。しかし彼は、実験状況が乳児には難しすぎる気もしているため、結果の解釈には注意が必要だと言うのです。

このように、誤信念というやや高度な心の状態の理解であっても、注視といった乳児の「自発的な反応」を指標に使うことで、従来の定説であった4~5歳をはるかに下回る年齢で理解している様子を示す知見が様々なかたちで報告されているそうです。このことから近年では、心の理解に関して生得的な基盤があるのではないかという議論もされているそうです。スペルキらは、他者理解の基礎についても「コアノレッジ」と考えているようですが、そのような理解を促すメカニズムが生得的であると考えることもできるかもしれないと林は言うのです。

乳児の理解

知識状態についての研究は、このようなものがあります。リシュコフスキらは、大人がよそ見をしている間に対象物が落ちてしまい、落下場所を知らない条件と、対象物が落ちてしまうところを大人が見ていて、落下場所を知っている条件を設けました。すると、12ヶ月の赤ちゃんでも、落下場所を知っていて情報を必要としていない大人よりも、落下場所を知らず情報を必要としている大人に対して、指さしする割合が高かったそうです。

さらに、1歳前半の時点ですでに、相手が「知っている/知らないこと」を適切に推測した上で、他者にとって新しいと思われる情報を自発的に提供しようとしていることも明らかにされているそうです。この実験では、まず乳児が母親とおもちゃAで遊び、実験者とおもちゃBで遊びました。その後、実験者が乳児と対面で座り、実験者の背後の左右にある窓にAとBが現われると、乳児は実験者が経験していないAの方を指さすことが多かったそうです。どちらのおもちゃにも経験のない別の実験者に対しては、指さしにこのような傾向は見られなかったそうです。

このように、3歳をはるかに下回る1歳半頃までに、意図や欲求、知識状態といった他者のさまざまな心の状態について反応できることが、発達心理学の研究で示唆されているそうです。ということは、「誤信念も、標準的な誤信念課題を正答できる4~5歳以前に理解できているのではないか」という疑問が湧いてくるでしょうと林は言うのです。

近年では、誤信念についても研究が進み、従来の常識を一変する研究報告が出現しています。その結果、その疑問には、「イエス」です。誤信念も、4~5歳以前に理解できているのだということです。オオニシとベイラージョンは、生後約15ヶ月を対象に、誤信念課題に類似させた課題を期待違反法で実施したそうです。それは、視線がわからないようにバイザーをつけた大人が子どもと向かい合い、二人のあいだに緑色と黄色の箱を置きます。まず、大人と子どもの両者が、スイカが緑の箱から黄色い箱に移動するところを見ます。その後、衝立ができて、子どもだけがスイカが緑の箱に戻るのを見ることができました。すると、子どもは「スイカが緑の箱にある」のを知っていることになります。しかし、大人は、「スイカが黄色の箱にある」と思っていることになります。その後、衝立は除かれ、大人が黄色の箱に手を伸ばして、スイカを取ろうとする場面と、緑の箱に手を伸ばしてスイカを取ろうとする場面を子どもに見せて、どちらに対して注視時間が長くなるかが調べられました。その結果、大人が黄色よりも緑の箱に手を伸ばしている不自然な場面、それが規定違反ですが、その方により長く注視したそうです。このことから、従来知られていた4~5歳をはるかに下回る年齢で、誤信念を理解しているかのような様子を示すことがわかったのです。

この研究がきっかけで、乳児の誤信念理解は大きな注目と論争を生み出すことになったそうです。この実験状況では、たとえば、「人は最後に見たところを探す」といった単純なルールで対応しているだけという可能性も指摘されているそうです。しかし、必ずしもそれだけではないことが「予期的注視」など様々な方法で明らかになっているそうです。その方法とはどのようなものなのでしょうか?

心の状態

昨日紹介したウッドワードらの研究では、「共同注意の有無」という部分を最大限にして条件が設定されていますので、実験状況を不自然に感じるかもしれないと林は危惧しています。しかし、彼はこのような大げさにも見える設定によって科学的に検証するところに心理学研究のおもしろさを感じているようです。また、この実験は日常的にも深い示唆を与える優れた実験でもあると言います。というのも、共同注意のない条件の状況が、街中で見かける、スマートフォンに夢中になっている養育者の様子にそっくりではないかと感じているようです。

養育者の腕の中で、あるいはベビーカーの中で、赤ちゃんは常に何かを指さしたり、視線を向けたりして、養育者と注意を共有したいと訴えているというのです。それを養育者がうまくフォローし、一緒に視線を向けたり、指さしをしたりして、「あっ、ワンワンだね!」などと言ってあげる、この共同注意を伴う反応の繰り返しこそが子どもの発達にとって決定的に大事だと言うのです。ところが、スマートフォンの画面に目を向けたまま、適当に「ああ、ワンワンね」などと言ってしまっている養育者の様子を目にするのが最近は多いと感じます。これは、よそ見をしたまま物の名前を言っている「共同注意のない条件」と類似していて、発達を阻害するような怖いことをしているように林は感じているようです。このように考えると、ウッドワードらの心理学実験が日常に対して示唆することは実に深いものがあると彼は思っていると言います。

さらに林は、他者の目標志向的な行動の理解の研究を紹介しています。ベーネらは、「するつもりがない(unwilling)」と「できない(unable)」の区別の理解を検討しているそうです。「するつもりがない」(渡すつもりがない)条件では、実験者が子どもの目を見ながら、子どもの方にボールを近づけます。しかし、子どもがボールに手を伸ばすと、実験者はボールを引っ込めるということを繰り返しました。これに対して、「できない」(渡すことができない)条件では、実験者が子どもの目を見ながら、ボールを子どもに渡そうとしますが、誤って落としてしまうということを繰り返しました。その結果、12ヶ月児と18ヶ月児は、「するつもりがない」場合でより長い時間、手を伸ばし、いらだちを示すという行動が見られたそうです。しかし、6ヶ月児では両条件に差が見られませんでした。そこから、他者の目標志向的な行動の理解は、9ヶ月ころより始まると解釈されているそうです。

欲求の発達についての研究はどのようなものがあるのでしょうか?ゴブニックらは、14ヶ月と18ヶ月の乳児に、ブロッコリーが入ったお皿と、お菓子のクラッカーが入ったお皿を見せ、クラッカーを好んで食べるのを確認しました。次に、実験者と乳児の好みが逆であることがわかるように、実験者は乳児に対して、クラッカーはまずく、ブロッコリーはおいしい様子を声と表情で大げさに演じました。その後、乳児の前に手を出して、「ちょうだい」と言いました。その結果、14ヶ月児は自分の好きなクラッカーを差し出したそうです。しかし、18ヶ月児では実験者の好きなブロッコリーを差し出したそうです。

このほかにも、赤ちゃんにおける様々な心の状態を研究したものが最近多いようです。知識状態についても研究が進んでいるようです。

二項から三項関係へ

これまで林は、さまざまな考察をしてきましたが、それは、「他者と対象」といった2つのあいだの志向的関係が中心でした。それを二項関係と言うそうです。対象について、他者と一緒に関わるためには「他者と自分と対象」の3つのあいだの関係の成立が必要だと林は言います。それは三項関係と言います。この三項関係の鍵を握るのが、「共同注意」だと言います。これについてもブログで取り上げたことがありますが、ある対象に対する注意を他者と共有することとされています。たとえば、母親が子どもに向かって通りかかったイヌを指さして、「ワンワンいるね」と言うと、子どももそちらを振り向き、「犬」という対象に同時に注意を向けるような場合が当てはまります。

二項関係から三項関係への進展は、社会性やコミュニケーションの発達にとって決定的に重要だと言われています。この進展がないと、自分と他者の認識が同じであるのか違うのかに気づくことができません。自分の世界に閉じたままとも言えます。対象に同時に注意を払えるからこそ、会話が弾みますし、対象を取ってあげる援助や、別の対象に誘導する欺きも生まれるのだと言います。このような3項関係と共同注意の成立は、生後9ヶ月ころからできるようになると言われています。トマセロは、これを「9ヶ月革命」と呼んでいるそうです。トマセロについては、「コミュニケーションの起源」ということで、ブログでも取り上げました。

林は、共同注意は、ことばの発達にとっても重要だと言います。この共同注意と言語の獲得についてもブログでずいぶんと書きました。しかし、忘れていることも多いですね。これも私が書いたことですが、知識というのは、繰り返し、同じ事をなぞりながら次第に見えてくる物があります。そのときには気がつかなかったことでも、違う切り口、違う人の解説によってあらためて見えてくるものがあります。その意味では、この林創による「子どもの社会的な心の発達」では、日本人の研究者からのまとめということもあり、今までのおさらいをしている感じです。

ウッドワードらの研究などでは、これを巧妙な実験で明らかにしています。この実験も以前取り上げたかも知れませんが、もう一度見てみます。ひとつの条件では、二人の実験者が13ヶ月の乳児の前で、ひとりがある対象をもち、もうひとりがアイコンタクトと指さしを伴いながら、つまり明確な共同注意を行ないながら、「トゥーマ」といった無意味な言葉を繰り返します。もうひとつの条件では、ひとりがある対象をもつのは同じですが、もうひとりがまったく違う方向を向いて、視線も合わせなければ指さしもせず、つまり共同注意をまったくせずに、「トゥーマ」といった無意味な言葉を繰り返します。その後、先ほどの対象とあらたな別の対象との2つを乳児の前に提示して、「どちらがトゥーマか?」と選ばせたところ、共同注意を伴った条件では先ほどの対象のほうを選びましたが、共同注意のない条件ではチャンスレベルに過ぎなかったそうです。チャンスレベルとは、当てずっぽうで正答するレベルのことです。たとえば、ふたつのうちひとつが正解の場合、チャンスレベルは50%で、正答率がこれを統計的に上回るかどうかで判断されます。この実験の結果は、共同注意が言葉の学習にとっていかに大事かを示していると言います。

赤ちゃんの知識の豊富さ

4~5ヶ月の赤ちゃんでも、支えるものがなければ、ものは落下することも理解できているようです。さらに、物と物は接触しなければ作用しないとか、物はかたまりのまま動くというような凝集性とか、物は飛び越えずにつながった経路で動くというような連続性といった法則は、生まれながらにわかっている可能性も指摘され、スペルキらは、こうした理解を、数や空間認識といった幾何の把握などとあわせて、生きていく上で最も基礎的で「核となる知識」であると考えられています。このような核となる知識を「コアノレッジ」と呼ぶそうです。

赤ちゃんの知識の豊富さは、心理的事象についても当てはまると言われているようです。一般に、ある対象に私たちが何らかのこころを感じるのには、対象の「自己推進性」と「目標志向性」が鍵になるとされているそうです。自己推進性とは、何も力が加わっていない、たとえば、「ぶつかったりしていない」にもかかわらず、動く作用を意味します。

目標志向性とは、目標に併せて動きをコントロールする性質を意味します。ハイダーとジンメルの古典的な実践では、●や▲という単純な図形が動き回る様子を見た多くの人々が、この図形を擬人化して見ていたそうです。たとえば、●が▲から離れようとする動きを見ると、「女性は男性から逃げようとしていた」といったように、心の状態を表わす言葉を豊富に使って、動きを解釈したそうです。

林は、驚くべきことに、赤ちゃんでもこうした図形の動きの中に社会的意味を読み取っている可能性があると言います。プレマックらによる1歳児ころの赤ちゃんを対象にした馴化・脱馴化法の実験では、「助ける」「なでる」といった正の要素をもつものと、「叩く」「邪魔する」といった負の要素をもつものを区別できることが報告されていると言います。このことは、ブログでも紹介しました。玉の動きを邪魔する玉と助ける玉を区別していることが注視時間からわかったというものです。

では、目標や意図についてはどうかというと、ウッドワードが行なった実験があるそうです。この実験から、期待違反法の手続きによって、赤ちゃんの目標や意図の理解を明らかにしています。この実験では、左右にクマのぬいぐるみとボールを並べます。そして、実験者がどちらかに手を伸ばしてつかむ様子を赤ちゃんに繰り返し見せて、まず馴化させます。その後、クマとボールの位置を入れ替え、次の2つの事象を見せます。「新軌道テスト事象」では、実験者は馴化のときと逆の方に手を伸ばし、同じ対象をつかんだそうです。この場合、目標は同じですが、物理的な手の動きが違います。一方、「新目標テスト事象」では、実験者は馴化のときと同じ方に手を伸ばし、異なる対象をつかんだそうです。この場合、目標は違いますが、物理的な手の動きは同じです。

その結果、6~12ヶ月の赤ちゃんは、新目標テスト事象のほうをより長く注意したそうです。これは、赤ちゃんが馴化の際に、実験者の「行為の目標」に注目したため、それとは異なる対象をつかんだから驚いたと解釈するとつじつまが合うようです。このように巧みな実験から、赤ちゃんでも他者の目標や意図に反応する様子が明らかになっているようです。

赤ちゃんの心の中

最近は赤ちゃん研究が進んできましたが、まだ多くのことがわからないようです。林は、それをこのように説明しています。心理学は「実証的」な学問です。実証的というのは、実験、観察、アンケート調査などを行なってテータを集めて証拠を示し、議論することであり、言葉を使ったやり取りによってデータを集めるのが一般的だと言います。しかし、赤ちゃんはまだ言葉を話せません。外から見える発達についてはいいのですが、心の発達は実証的に調べるためには、どのようにすればよいのでしょうか?

最近、赤ちゃん研究が進んだのは、視線とそのものを見つめる長さからわかるような方法を見つけたということは以前のブログで紹介しました。「目は口ほどにものを言う」ではありませんが、赤ちゃんは、早い時期から人の視線や表情を感じ取る能力があります。特に人間の場合は、白目があるおかげでどちらを見ているかもわかるのです。

現在は、言葉でのやり取りが困難な赤ちゃんでも、何かに興味を持ったとき、驚いたときに、そのものをじっと見るという「注視」に着目することで、何を理解できているか、何を区別できているかを調べることができます。その方法にはいくつかあります。

その1つの方法は、赤ちゃんに2つの刺激を並べて見せて、どちらを長く注視するかを観察するものです。たとえば、赤い丸と青い丸を並べて見せ、どちらか一方をより長い時間見たとすると、赤ちゃんは赤と青の色の区別ができているということがわかるのです。それから進んで、色の区別がわかるのかということは、さまざまな色の組み合わせで同様の実験をする必要があります。このように「好みのほうを長く見る」という人間の性質をうまく使った方法を、「選好注視法」と言うそうです。

しかし、選好注視法では、2つの刺激を見る時間に差がなかった場合の解釈の難しさが残ると言われています。「赤と青の区別ができない」からという以外にも、区別はつくものの、「好みの差がなくて、どちらも同じくらい見た」とも考えられるのです。そこで、好みではなく、「慣れ」という性質を使って調べるのは「馴化・脱馴化法」というそうです。「馴」とは、「なれる」という意味です。同じ刺激をずっと提示して、慣れによって(馴化)赤ちゃんの注意がそれた後に、別の刺激を提示し、注意が回復(脱馴化」するかどうかに着目して、2つの刺激を区別できているかを調べる方法です。

さらに、「ありうる事象」と、手品のような「あり得ない事象」を見せ、「期待に反する」あり得ない方を長く注視するかどうかによって、赤ちゃんの物事への理解を調べる方法もあるそうです。それは、「期待違反法」と呼ばれているそうです。期待違反法では、実験状況に慣れさせるため、あらかじめ馴化の手続きを踏むこともよくあるそうです。

これまで、赤ちゃんは無垢の存在で生まれ、「タブラ・ラサ(白紙)」という考え方だった時代がありました。ところが、手法を使うことで、赤ちゃんはかつて考えられていたよりはるかに有能で、世の中のことを理解している様子がわかってきたと林は言います。生後数ヶ月の時期から、基本的な数を区別したり、物体の動きがわかったりといったように、さまざまな物理的事象を把握していると言われています。

たとえば、「物体Aの下に物体Bがあり、BがAを支えているために、Aが落下しない」というありうる事象と、「物体Aの下の物体BがAとは離れた位置にあって支えていないのに、Aが落下しない」というあり得ない事象を見せると、4~5ヶ月の赤ちゃんはありえない事象を長く注視するそうです。支えるものがなければ、ものは落下することも幼い頃から理解できているのだと林は言います。