ヒトの模倣

大型類人猿の模倣学習に関する証拠の中で、最も説得力があるとビョークランドらが考えている研究では、文化化した若いチンパンジーに一組の物体に対する行為、たとえば、シンバルをたたき合わせて音を出すという行為を示し、少し間をおいた後、別の物体、たとえば、二つのこてを一組与えます。チンパンジーがモデルの意図である、ここでは物体をたたき合わせて音を出すという意図を理解していれば、この行動を形の似た別の物体に一般化するはずです。ここでは、二つのこてであっても、これをたたき合わせる行動をするはずです。まさに、この行動をチンパンジーはとったそうです。このことは、この研究や関連研究でこれまでに観察された延滞模倣が、模写や目的模倣ではなく、真の模倣学習を反映するものだったことを強力に裏付けるものだというのです。

文化化したチンパンジーに関するこの研究結果は、模倣学習の基盤にある表象能力が類人猿にも出現するのは、ヒト的環境で育てられた場合のみであることを示唆しています。ヒトの養育環境では、模倣が奨励され、自身、養育者、外部の支持対象という三者の相互作用が行われます。共有―共同注意、参照コミュニケーション、そしておそらく言語などが生じることが、標準的なヒトが示す社会的認知が実際に現れるのに不可欠であると考えられていることも多いようです。

ヒトの乳児期、歩行期の子どもが示す模倣に関する研究は多くあるそうですが、こうした研究のほとんどは目的模倣、模写、模倣学習の区別をしておらず、単に観察した行動を子どもが再現するか否かに焦点が当てられています。たとえば、就学前の子どもの道具使用の模倣を評価した研究では、子どもがターゲット行動は模倣しますが、その行動が機能的ではなくとも模倣を続けることが報告されています。このことは、以前のブログの中でも紹介されていました。

このことから、この子どもたちがその道具を使う大人の意図を理解しておらず、単にモデルが示した行動を模写しているだけであることが示唆されていることになります。ウォントとハリスの最近の実験は、この解釈が低年齢の幼児には言えても、それ以上の就学前児には当てはまらない可能性が高いことを示しています。ウォントとハリスは、道具使用課題におけるモデルの目的を、3歳児は理解でき、2歳児は理解できないことを示したそうです。彼らの研究では、子どもに、筒に入っているおやつを大人が棒を使って押し出すところを見せます。この課題の成否は、棒を筒に挿入する方向で決まります。誤った側から挿入すると、おやつが穴から落ちてしまい、手に入りません。子どもたちに問題解決の正しい方法と誤った方法の両方を示したところ、3歳児はその後、行為を模倣しておやつを取り出すことに成功したそうです。それに対し2歳児の成績は、ほぼチャンスレベルであり、道具を使ったモデルの行為と結果との関係性を、完全には理解していないことが示唆されたのです。

トマセロ、クルーガーとラトナーの分類では、模倣学習の次の段階は、指導学習であるとしています。指導学習では、到達度の高い個体が到達度の低い個体に指導を行います。ただし、指導が行われる全事例が指導学習と言えるわけではないと言います。

模倣による社会的学習

模倣については、大型類人猿についても広く研究されています。手話の訓練を受けたチンパンジーと野生のチンパンジーが、行為をすぐさま模倣することを示す説得的な証拠が存在するそうです。しかし、たとえば、手話サインや顔の表情などの、物体に対する行為の即時的模倣に関しては、説得力のある証拠が少ないそうです。たとえば、ある研究では、道具を使って蜂蜜を採る(蜂蜜釣り)技術を持ったチンパンジーを、経験のないチンパンジーとペアにしてみたそうです。経験のないチンパンジー6頭中3頭は、蜂蜜釣りを試みる前、または、蜂蜜釣りを試みて失敗したのちに、経験が豊富なパートナーが蜂蜜を採るとことを自発的に観察させます。この3頭のチンパンジーが、蜂蜜釣りに成功したのちに、パートナーを観察することはほとんどなかったそうです。この結果から、社会的学習には技術力の高い仲間を観察することが必要であることを、チンパンジーが程度理解していることが示唆されます。

しかし、仲間が成功するところを観察したのちに、1回目の試みで成功したチンパンジーは、5頭中2頭のみだったことから、模倣が生じるためには観察が必要ですが、それだけでは十分ではないことがわかります。さらに、問題の解決方法を観察したことによる、学習の促進効果はなかったそうです。つまり、経験豊富な仲間とペアにしたチンパンジーも、単独で問題解決をしたチンパンジーも、蜂蜜釣りの問題解決にかかった時間は、ほぼ同じだったそうです。すなわち、やり方を観察した恩恵はなかったということになります。このように、チンパンジーは道具を使うことから、社会的学習を行っていることは明らかですが、この学習に本当の意味での模倣が関与しているとは考えにくいとビョークランドは考えているそうです。

しかし、チンパンジーが素晴らしい社会的学習者であることには議論の余地はないと言います。自由生活および研究所で暮らすチンパンジーの両方で、道具の使用を含む複雑な行動を、通常、社会的文脈で獲得することが複数の研究で一貫して示されているそうです。近年では、チンパンジーの文化に関する主張もあり、アリ釣りやシロアリ釣り、くるみ割り、毛づくろいなど39種類の行動が、文化的に伝播されることが確認されているそうです。最近のいくつかの研究結果から、様々なレベルの模倣学習がチンパンジーに確認できることが示唆されているようです。

モデルの行為の延滞模倣に関する確証的な証拠は、目的模倣や物や場所による促進ではないものについては、文化化した類人猿からしか得られていないそうです。これらの研究は、類人猿が延滞模倣を示す確固とした証拠であるとビョークランドたちは考えているそうです。しかし、類人猿は単にモデルの行動を模写しただけであり、実際にはモデルの意図を理解していないという主張もあるでしょう。ヒトとの接触を多く持つチンパンジーに関する複数の研究で、そうではないことが示されているそうです。ある研究では、4頭のチンパンジー(うち3頭は「言語訓練」経験がある)に、ヒトのモデルが箱を開けて中から食べ物を取り出すという一連の行為を見せます。行為は、決まった順序で行いました。たとえば、かんぬき1を開ける、かんぬき2を開ける、ピンを回す、ハンドルを回すというようにです。

意図の模倣

トマセロたちによると、初めて観察される模倣学習は、生後6か月以降に乳児が始める言語音や、物体を扱う動きの模倣であると言っています。言葉を話す前の子どもも模倣学習を行うことが、歩行期の子どもを対象にした実験で明らかになっているそうです。歩行期の子どもはモデルの行為をそのまま模倣するのではなく、行為者の意図を模倣します。発達心理学者アンドリュー・メルツォフの研究では、大人のモデルが物体に対して行った行為が、成功する例と失敗する例を18か月児が観察します。ある課題では、モデルがダンベル型の物体を手に取り、ダンベルの両端の木製キューブに対して明確な動きをし、片方のキューブを取り出します。これは、成功条件です。失敗条件では、モデルがダンベルの端を引っ張りますが、手が滑って、ダンバルは分解されない場面を示します。その後、ダンベルを渡すと、成功例を見た乳児、失敗例を見た乳児共に、統制群の乳児よりもキューブを取り出す頻度が有意に高かったそうです。乳児は、失敗例でもモデルの意図を理解していたと考えられ、モデルの行動を模倣して、推測した目的を、目にはしていないにもかかわらず、達成したのです。

私の園に見学に来た人に、1歳児の子どもたちが、2歳児の子どもたちのやることを見て、模倣する姿を見せた時に、例えば、2歳児が汚れたエプロンを自分の袋に自らしまう姿を1歳児が見て、その姿を模倣して自分で袋に入れようとする姿などを見てもらい、乳児から、子どもは課題を達成すようとするときに、その課題を達成した子どもの姿を見せることが重要であるということを説明します。それは、多くは自分より年齢の高い子であることが多いので、異年齢のやることを見ることが大切であるということを言います。すると、見学者の中には、「2歳児が、1歳児のやることをまねしませんか?」とか、「成功する子が失敗するのを模倣したりすることはありませんか?」という質問をすることがあります。私は、「そのような遺伝子を私たちが受け継いできているのであれば、人類は進化してきていません。」と答えるのですが、この研究でもわかるように、模倣するというのは、単にその行為をまねすることではなく、その課題を達成しようとする意図を理解し、それへの取り組みを模倣するのです。

次の実験では、14か月児と18か月児に、人物あるいは機械が物体に対してある行為をする場面を見せます。たとえば、万力のような機械がダンベルの端のキューブを取り外します。乳児は、人物が行為をするのを見た場合には、機械が行為をした場合の2倍の頻度でその行為を模倣したそうです。このことから、生後14か月までに、人物は意図や目的を持っていること、そして、その意図は通常模倣する価値があることを、乳児が理解していることがわかります。

また別の研究では、大人が一連の複雑な行動をするところを14~18か月児に観察させます。示した行動には、モデルの発声行動から「意図的」であることがわかるものと、モデルの言葉から「偶発的」であることがわかるものがありました。その後、モデルを模倣する機会を与えると、乳児は偶発的な行動の2倍の頻度で、意図的な行動を再現したそうです。このことからも、乳児が大人の意図をある程度理解しており、意図的な、目的指向的な行為は模倣しますが、偶発的な行為の模倣はしないことが示唆されたそうです。

言語習得の研究

トマセロ

日経サイエンス2014年12月号にとても興味深い記事が掲載されていました。そこでは、心理学者であり、霊長類学者であるトマセロについての記事です。彼は、私のブログではよく紹介しているのでなじみがありますが、実は彼は、幼児の言語習得の研究によって、ジョージア大学で学位をえています。彼が博士論文をまとめたのは、1970年代ですが、その時代は、動物界におけるヒトの最も例外的な特徴は言語であるというのが大方の言語学者の見方でした。

トマセロは、この博士論文で、自身の2歳弱の娘がどのように動詞を学習するかを記録したのです。「play play」や「ni ni」といった前言語の出現は、試行錯誤で言語要素をあれこれ試す傾向が幼児に自然に備わっていることを示したのです。この練習を通じて徐々に、より様式的な文法と構文の構造が獲得されるとしました。

文法を何らかの形で脳に遺伝的に組み込まれていると主張するチョムスキーら言語学者の考え方とは対照的です。還元主義者であるトマセロは従来の説明に納得できませんでした。「言語は非常に複雑なものであり、他の指と向かい合わせにできる親指が進化したのと同じ具合に生じることはありえない」と言ったのです。トマセロは、言語の研究を通じて、文化と人類進化の関係についての考察を広げていきました。肉体的形質に働く選択圧だけでは、ヒトとチンパンジーが分岐して以来比較的短い進化史の間に複雑な道具や言語、数学、精緻な社会制度などが出現したことを説明できないと彼は考えました。人以外の霊長類にはない生来の知的能力が私たちの祖先に生じ、それによって可能になった行動が、自分たちに衣食を供給し過酷な環境下でも生きていける能力の獲得を大いに促進したに違いないと考えるのです。

トマセロは、2006年ジャン・ニコ賞を哲学及び認知科学へ貢献したということで受賞し、私がブログで紹介した「ヒトはなぜ協力するのか」を2013年7月に、「コミュニケーションの起源を探る」を2013年11月に発行しています。これらの著でもわかるように、彼は子どもとチンパンジーの行動を比較研究することでヒトとしての生きる能力を解明しようとしていて、その答えとして、「ともに獲物を狩ったり都市を築いたりといった共同作業を遂行できる能力がヒトと他の霊長類との違いなのかもしれない」という見解を、G・スティックスが日経サイエンスに記事を掲載することになったのです。

日経サイエンスの記事には、かつて人の特徴と言われた言語の獲得が特徴と言われてきたことに対して、ヒトとチンパンジーとの比較を通して、以下のような違いを提案しています。

  • かつて、人間と他の動物との違いは道具を作ることと、様々な認知能力が総じて優れていることだと考えられていた。だが、チンパンジーなどの類人猿の行動を詳しく観察した結果、この考えは誤りであると判明した。
  • チンパンジーは一般的な推論能力のテストで幼い子どもと同様の高得点を上げる。ただし、人間に生来備わっている社会的技能の多くを欠いており、ヒトとは違って、複雑な社会を築くのに必要な大集団での協力をしない。
  • ヒトとチンパンジーの心理を比較する研究によれば、人間をサルと異なるものにしている重要な違いは、他者が考えていることを直感的に理解する能力を進化させたことらしい。それによって、共通の目的に向かって力を合わせられるようになった。

社会環境と言語

子どもは話す言葉を「生得的」に持っていると言う人はいません。新生得主義者は、子どもは成長の過程で耳にするどんな言語でも獲得できるよう、特別に準備されていると主張しています。ヒトが用いるすべての言語にはある共通の構造があり、子どもは普遍文法に照らして自分の周りにある特定言語の構造を識別するのだと言います。つまり、社会環境は、子どもがどの言語を話すかを決定するものですが、子どもが言語を獲得するかどうか、あるいは獲得する方法にはあまり関与しません。スキナーなどの行動主義者は、連合と強化という伝統的手法で、子どもの言語獲得を説明しています。言語獲得に関する経験主義的立場がチョムスキーに完全に敗れてから40年以上経ちますが、まだ多くの心理学者が、社会環境が言語獲得を促していること、そして、おそらく乳児も親もこの社会的情報をうまく利用するよう進化によって準備されていることを信じていると言います。これを支持する証拠として、母親が子どもに話しかける方法の個人差が、子どものその後の言語発達と関連があるとする研究があるそうです。

発達心理学者のジェローム・ブルーナーの他、何人かの研究者が、乳児が耳にする言語環境がうまく組織されていれば、言語は獲得されやすくなると主張しているそうです。子どもの言語学習能力が高まるような方法で、言語は注意深く子どもに呈示されているとブルーナーは主張しています。また、乳幼児が理解しやすいように発話を自動的に調整する装置が成人に備わっていると提唱しています。さらに、この考え方によると、「子どもが最初に獲得する言語コミュニケーション技能は、意図を有する主体としての他者理解が出現してきたことの自然な副産物である」ということになります。言語は、強力な社会的、認知的道具を考えられ、他者の注意の操作に用いられます。言語獲得は、共有された共同注視など、より原初的な社会的過程にもとづいており、それが言語獲得の可能性とするのです。

ブルーナーその他の研究者、とりわけ発達心理言語学者であるキャサリン・スノーは大人が乳幼児に対するときは大人同士で話すときとは違う話し方をすること、また子どもは、それを期待していると思われることを指摘しているそうです。乳幼児に向けた発話には高い声、大げさな抑揚、大人の単語の単純化、質問や繰り返しの多用などの特徴があると言います。このような発話は、母親が子どもに向けて話しかけるときだけでなく、程度の差はありますが、父親、兄姉、お店にいる他人などにも見られることから、成人が有する生得的な言語伝達メカニズムといえるかもしれないとビョークランドは言うのです。

発話は、後の言語獲得にはあまり意味を持ちませんが、情緒発達に大きな役割を果たすとする主張もあるそうです。フェルナルドは、母親は、決まった声のトーンを使うことで、乳児の情動、行動、注意を制御し、また、母親自身の情緒的状態を乳児に伝えていると主張しているそうです。そして、発話の音響パターンを4種類に分類しています。これらのパターンは、母親が乳児に承認を与える、禁止する、注意を呼びかける、そしてなぐさめる際に使われるとしました。安定した母子愛着の発達に重要であり、ジョン・ロックは、「話し言葉は、この間口の広い水路に乗り、母子愛着をうまく利用しつつ新しい情報を愛着と同じ手がかりの流れに埋め込んで運んでいく。」と述べているそうです。フェルナルドは、母親が乳児の情動を制御しようとしたことが、言語の進化的起源だろうと主張しているそうです。それは、発話が今でも持つ役割だというのです。

別の見解

言語の獲得には、敏感期があるという考え方があります。これを示す証拠として少なくとも4種類あると考えられています。この仮説の中で最も説得力があるのは、聴力障害者の手話技能が、手話を初めて知った年齢によって違うという結果だそうです。第2言語の習得に関する研究とは違い、手話は聴力障害者の第一言語であり、聴覚のある親のもとに聴覚障害のある子どもが生まれた場合は、正式な手話に触れるのが遅くなることが多いと言われています。ニューポートは、先日紹介したジョンソンとニューポートによる第2言語の習得に関する研究と同様のデザインを用いて、アメリカ手話を習得した聴覚障害の成人を対象とした研究を行ない、文法的熟達度は手話に初めて触れた年齢と関連しますが、手話の使用年数とは関連がないことを報告しているそうです。

最後に、脳障害からの機能回復に関する証拠から、脳の言語領域が損傷を受けた、あるいは、切除された年齢が、最終的な言語能力と関連があることが示されているそうです。障害を生じたのが早い時期、特に青年期までであれば、完全な、あるいはほぼ完全な回復を見込めますが、脳損傷を発症した年齢が高いほど、平均して、言語回復をあまり望めない可能性が高いそうです。

発達のタイミングと言語獲得というテーマに関連するのが、二言語使用者の中でも、第二言語を幼少期に獲得した人と、青年期あるいは成人期に獲得した人とでは、脳の構造が異なることを示した研究があるそうです。「早期」二言語使用者と「晩期」二言語使用者について、前の日の出来事に関する簡単な記述を静かに読み上げているときの脳活性のパターンを、脳画像処理技術を使って調べたそうです。早期の二言語使用者は、第一言語と第二言語のどちらを使っている場合も脳の同じ領域が「明るくなった」のに対し、青年期以降に第二言語を習得した人は、第一言語と第二言語使用時で、違う脳の領域が活性化されたそうです。本研究に参加した早期、晩期の二言語使用者の第二言語能力は同等に高かったので、言語能力がこの2群の差の原因とは考えられないようです。むしろこの結果、第二言語を幼少期に獲得する場合と、それ以降に獲得する場合では、関与する脳の領域が違う、つまり認知的処理が異なることを示唆するものと考えられています。

このように、ヒトの子どもには言語獲得するための準備があること、そしてこの能力が成熟による発達的変化に敏感であることについては、それを示す説得力のある証拠が揃っています。しかし、言語獲得の基盤には領域固有のメカニズムしかないとする新生得主義の主張には、対立意見がないわけではないそうです。そこにはあまり深く踏み込みませんが、たとえば、言語獲得が種に特異的であることを考えれば、ヒトの乳児には言語音を処理する特別な能力があるはずですが、どうもこの能力はヒトに固有のものではないことがわかっています。

また、別の研究をビョークランドは紹介していますが、この例はとても興味深いものです。ヒトの新生児は日本語とオランダ語で読まれた文章を、文章を頭から再生した場合のみ区別でき、逆から再生した場合には区別ができなかったという研究があるそうです。これらの言語は、リズムが異なることから、ヒトの乳児には、言語に特有のリズムに対する敏感性が準備されているという考え方と一致します。しかし、この能力も、ヒトの乳児に備わってると考えられる準備性の一部は、他の種と共有のものであること、また、こうした準備性は言語獲得に特別なメカニズムを反映しているのではなく、霊長類やほ乳類の聴覚系に一般的に見られる特徴を反映するものであることが示唆されているそうです。

空間認知の性差

8ヶ月半の子どもを(a)前移動期(まだハイハイできない)(b)前移動期ですが、歩行器での移動経験あり、(c)移動期(ハイハイができる)の3群に分けて、布の下に隠した物体を探し出すという一連の課題を課した実験を行なったそうです。移動経験のある乳児(ハイハイでも歩行器でも)は、ハイハイをしない乳児よりも物体探索課題の成績が良かったそうです。また、ハイハイをしている子どもと歩行器を使っている子どもに差が認められなかったことから、高度な空間記憶をもたらすのは成熟ではなく、移動経験であることが示唆されたそうです。別の研究においても、効果は特定の能力に限定される傾向はあるものの、自力で移動運動がいくつかの視覚空間課題で有利に働くことが示されているそうです。この研究結果も、乳児を保育する上で、とても大切なことですね。自力での移動経験、能動条件での経験が大切なのです。

乳児に関する文献では、ヒトは空間的関係性を符号化する能力を持って生まれてくること、そして、空間的位置が物体を定義する最初の手がかりとして用いられることで、見解が一致しているようです。つまり、物体がどこにあるかということが、物体を定義づける特徴と考えられると言います。しかし、空間能力は年齢と共に向上し、乳児の自力での移動に関連して発達すると言います。空間能力は非常に複雑なものとなり、子ども期を通してこの能力はかなり発達を遂げるそうです。空間能力に関する発見として興味深いのは、幼児期から一貫して性差が報告されていることです。

この点について、私もある見解を持っています。それは、男性は獲物を追いかけてあちこち歩き回り、その獲物を捕まえた地点からむらに持って帰らなければならないために、空間認知力に優れ、女性は、持って帰ってきた男性から、獲物のある場所を言葉で伝えられ、そこに取りに行ったために言葉による認知能力に優れていると思っています。これは、「地図が読めない女たち」という言葉が話題になったときに、それは、地図が空間認知的に書かれており、もしその地図が言葉で書かれてあった場合は、「地図の読めない男たち」となっているということを、何かの本で読んだ記憶があります。

この点について、ビョークランドは、どう考えているのでしょうか?幼児期から一貫して性差が報告されているということについて、進化心理学的に考えると、男性と女性の自己利益は多少異なるため、直面する問題への対処方略を異なる形で進化させてきたと言います。進化心理学者であるアーウィン・シルヴァーマンとマリオン・イールズは、男女間に認められる性差を進化的な観点から解釈し、古代の男性と女性における労働の分業を仮定すれば、この性差は説明できると主張しているそうです。

更新世を生きた私たちの祖先の生活を映し出していると思われる伝統的文化でも、男女の分業は存在すると言います。男性も食べられる果物や野菜の採集を行ないますが、居住地の近くで行えるこうした作業は、主に女性の仕事でした。反対に、狩猟はほぼ男性のみが行なう領域であり、男性は獲物を求めて数日間かけて居住地から離れて遠くまで旅に出かけることが多かったのです。このような分業があったため、心的に空間を操れる男性の空間能力(地理的場所の認知地図)は、広い領域を動き回る際に有利であり、男性の利点となったのだろうと言います。

経験の多少

空間認知は、生後早期から認められ、物体の定義づけにおいて最重視される要素ではありますが、乳児期の空間認知は単に「成熟」するのではなく、経験によって発達する能力だと言います。たとえば、以前のブログでも紹介した深さの認知の実験です。この認知は、ガラス張りのテーブルで中央に板を渡してある装置での行動から評価できます。その結果については、繰り返しになりますが、ハイハイができるようになると、すぐに乳児は、深いところに恐怖を示すようになることが示唆され、深さの認知には学習がほとんど必要ないことが示唆されたのです。しかし、より最近の研究では、視覚的断崖で恐怖を示す傾向は、それまでの移動経験のレベルと関連があることが示されているそうです。この結果は、私たちは深く受け止めるべきだと思います。それは、移動経験の多い乳児ほど、移動経験の少ない乳児よりも恐怖を示す傾向が高いことから、移動経験と深さの知覚との関係が示唆されているのです。

このことを、バーテンタールたちは、この結果を以下のように説明しているそうです。

「移動運動の能動的な制御には、受動的な移動運動とは違い、空間的は位置に対する自分の位置情報を常に更新することが必要である。この情報は、視覚系および前庭系による角加速度の符号化など、様々な情報源から供給される。移動経験をすると、視覚系で捉えた角加速度の変化が、前庭系で捉えた類似の変化にマップされる。恐怖や回避は、視覚系の情報と前庭系の情報のマッピングが期待に反したときに生じるのである。」

危ないからといって、事前に危険を大人が一方的に回避させたり、自分からのハイハイや歩くことをさせなかったり、経験を大人が制御してしまうことは、子ども自ら危険を察知したり、回避する能力をそいでしまったりすることになってしまいかねません。

こんな子ネコを対象とした古典的な研究があるそうです。この研究から自力での移動経験が、深さの知覚の発達に不可欠であることが示されているのです。暗室で育てた子ネコに、訓練時およびテスト時にのみ視覚的経験を与えました。同年齢の子ネコをペアにして、1匹には通常の視覚的運動経験を与え、もう1匹には運動経験を伴わない視覚的経験を与えました。これを実行するため、特別な訓練装置を開発したそうです。能動条件の子ネコには明るくて装飾のある道を歩かせ、受動条件の子ネコは、ゴンドラに乗せて、視覚的には能動条件と全く同じですが、運動フィードバックを伴わない経験をさせました。つまり、2匹とも同じ視覚的経験をしており、2匹とも暗室での運動経験がありますが、運動に伴う視覚的経験をしたのは能動的条件の子ネコのみでした。訓練後、2匹ともに視覚的断崖のテストを行ない、どちらの側に選好性を示すかをテストしたそうです。受動条件の子ネコは、どちらの側にも選好性を示さず、深さの知覚ができないことが示唆されたそうです。反対に、能動条件の子ネコは一貫して「浅い」側を選んだことから、深さの知覚ができることがわかると言います。

ヒトを対象とした研究としては、8ヶ月半の子どもを(a)前移動期(まだハイハイできない)(b)前移動期ですが、歩行器での移動経験あり、(c)移動期(ハイハイができる)の3群に分けて行なった研究があるそうです。乳児には、布の下に隠した物体を探し出すという一連の課題を課した実験です。

空間認知

ハイイロホシガラスは、秋に植物の種子を蓄えておき、数か月後の回収しに戻ってくるそうです。ハイイロホシガラスの観察から、この鳥は最大3万3000個の種子を6600か所以上の場所に保存し、その大部分を何か月も後に回収できることがわかっているそうです。幅広い種が様々な素晴らしい空間能力を示すことから、動物には自然淘汰によって、空間での経路探索や空間的位置の記憶に関与する比較的固有なメカニズムが、各生物種の生態学必要性に応じて準備されていると推測して、全く問題がないだろうとビョークランドは言っています。ということで、ホモ・サピエンスもその例外ではないはずです。

ヒトにおいての空間能力について研究した結果、この能力は、年齢とともに発達することがわかっています。しかし、生後初期に乳児は空間的位置を表象しており、物体の形や色などの特徴ではなく、物体の位置で物体を定義しているようだとビョークランドは言います。ある一連の研究では、3ヶ月児を、棒の上方のいくつかの決まった場所のいずれかに点を1つ表示する視覚的刺激に馴化させました。馴化試行後、乳児に2種類の新しい刺激を呈示しました。1つは、点をそれまでとは別の場所ですが、棒の上方に呈示し、もう1つは、棒の下方に呈示しました。この2つの刺激は、乳児がそれまでに見たことがないという点で両方とも「新しい」刺激です。しかし、点が棒の上方にある刺激は、乳児が馴化試行で目にした棒状刺激と類似の刺激です。乳児が空間的位置をカテゴリー化していれば、棒の上方に点を示した刺激よりも、下方に点を示した刺激を長く注視するはずです。乳児は、その通りの結果を示し、乳児が空間的(幾何学的)関係性を抽象化できることが示されたそうです。

また、別の研究では、5ヶ月児に砂箱で特定の場所に物を隠すところを見せます。10秒後、その物体を掘り出します。これを4回繰り返し、5回目の試行で、実験者は物体を隠した場所ではなく、そこから15cmほどの近い別の場所から、物体を掘り出します。乳児は隠した場所と違う場所から物体を取り出した場合に有意に長く注視し、物体の特定の位置を符号化していたことが示されたそうです。

この報告の最後の実験では、乳児は砂の中から取りだした物体が別のものであっても驚かなかったそうです。この結果から、早期乳児の物体の定義では、時間と空間に関連する特徴が中心的な役割を果たしており、形や色は重要ではないことが示唆されたわけです。

このような問題を乳児が「解けた」という結果は、子どもは物体が隠されるのを見た後、その子を、その場所の反対側に移動させます。その上で隠された物体を探すというような類似の課題では、通常21ヶ月になるまで正答率がチャンスレベルを超えなかったそうです。この矛盾の説明としては、おそらく、砂箱をぐるっと回って動くという行為が必要であるために、子どもの限られた心的資源に対して、この課題の要求が高すぎるということ、あるいは、記憶が疎外されることが考えられると言います。また別の可能性としては、この2つの課題が持つ潜在的な性質と顕在的な性質の違いが考えられると言います。数量判断に関して呈示した議論と同様に、子どもは最初空間的関係性を潜在的にのみ理解しており、顕在的理解は実際に探求を伴う課題からわかるように、後になって初めて示すのだろうとビョークランドは考えているようです。

準備中

サルやチンパンジーも計数能力や簡単な計算能力を発達させるという証拠は興味深く、ヒトのような数学能力の起源が類人猿の祖先までさかのぼる可能性を示唆するものと考えられるとビョークランドは言います。しかし彼は、これらの能力は最初に見られる能力ですが、新しく初めて現れるときには、完全なかたちではないことを強調しています。むしろこの能力は、乳幼児期に発達し、興味深いことに、その発達は非連続的であるようだと言います。つまり、初期には潜在的な性質を示しますが、成熟すると顕在認知として現れると考えているようです。未解決の問題ではありますが、これまでに得られた証拠は、ヒトが数量的関係性を扱うように準備されていること、その準備性は他の種よりもヒトにおいて高いこと、そしてこの能力は個体発生の初期から認められることを強く支持するものとビョークランドたちは考えていると言います。

私は、この考察に関して、乳幼児保育に関しての最近の課題を見出します。それは、この計数能力のように、個体発生の初期からみられる能力はいろいろとあります。それは、私たちの祖先が、生存するために必要な能力だったからでしょう。しかし、その能力は、一見非連続性のように見えます。しかし、それは、可視的な行動としては非連続ですが、実はその能力は内在し、その後の準備をしているのです。私は、この準備期がとても将来に対して重要な時期だと思っています。それが、乳幼児期なのです。乳幼児がまだ何もできないと思っていたのは、目に見える形で行動しないことが多いからです。例えば、歩くという行動も、生後すぐには歩こうとしますが、しばらくは歩くのをやめてしまいます。それは、やめてしまうのではなく、その後しっかり歩くための準備をしているのです。それが、寝返りであり、ハイハイなのです。

それらの中で、特に私が注目しているのは、社会性です。以前の文科省の調査で、2歳児は子ども同士のかかわりは一切見られないということから、2歳までは家庭で育てるのがいいという主張です。私は、その後の準備のために、子ども同士が同じ場を共有する経験が生後8~9か月以後必要だと思っているのです。最近の知見では、乳児は9か月ころから他者認識をするということとリンクします。さらに、そのためにこの時期以降は、2者関係だけで過ごすことではなく、さまざまな信頼できる身近な大人、異年齢の子どもと触れ合うことが社会人となるために必要だと思っているのです。

ビョークランドは、ヒトの空間能力についても紹介しています。空間にある物体の位置を認識する能力、空間での移動を導く能力は、ヒトに限らずほとんどの動物にとって重要な能力です。実際、ヒトよりも格段に高い空間能力を持つ動物はたくさんいるようです。多くの鳥、または、モナーク蝶などの昆虫、太平洋サケなどの魚、アオウミガメなどの爬虫類などの移動行動を見ていると、ヒトの空間記憶やナビゲーション能力は全くとるに足らなく思えるとビョークランドは言っています。

これらの種の経路探索行動は、柔軟ではないという表現がふさわしいようですが、ハイイロホシガラスの空間記憶はそうでないそうです。