2009年12月31日 [行事]
年末の猿
1年が終わろうとしています。それぞれ人は節目がありますが、年の変わり目が節目だという感じは年々薄れてきています。そのひとつは、年度の変わり目が一番大きな節目だからです。学校などの4月から3月までの年度という考え方です。商売における年度とは会計年度です。それは会社によって違うでしょう。また、人生に節目というと、ひとつ年をとった時でしょう。かつて、年齢が数え年で数えていた時には、年の代わりが節目だったかもしれませんが、今は、誕生日が節目です。
暮らしの中でも人生に節目を祝うものがあります。これは、「冠婚葬祭」と呼ばれるものです。「冠」とは、もともと成人式の時に冠をかぶることが出来るようになったということから来ていますが、今では、人生の節目のお祝い行事のことを言います。これには、七五三、入学、就職、退職、開店なども含まれています。「婚」と「葬」は分かりやすい節目です。「祭」とは、もともと先祖の霊を祭ることを言いますが、今では、四季折々の年中行事とか、風習をさします。そのひとつが、今日の大みそかです。
大みそかや元旦はそれ自体が節目ですが、自分の人生や生き方を考える日としてとらえる人もいます。特に、元旦は、新たな決意を持ちます。先週末、今年最後の講演に行ったついでに日光に行ってみました。日光といえば、まず東照宮です。ここにはいくつも国宝や重文に指定されている建物や彫り物がありますが、そのひとつが重文に指定されている「神厩舎・三猿」です。神厩舎は、ご神馬をつなぐ厩です。昔から猿が馬を守るとされているところから、長押上には猿の彫刻があり、「見ざる・言わざる・聞かざる」の三猿の彫刻が有名ですが、実は8面あり、人間の一生が風刺されています。この場面によって、人生を振り返るきっかけになります。そのうちの3場面を見てみたいと思います。
まず、「母子の猿」です。
この説明には、「母猿が小猿の将来に思いをはせる。子は母を信頼して、顔をのぞみこむ。A mother monkey is looking far into the future of her child, and a child is looking up at the mother. 」とあります。母猿は手をかざして何を見ているのでしょうか。子猿は首をかしげ、その母親を見上げています。 多分、母親は子猿の将来に思いをはせているのかもしれません。昨日のブログではありませんが、数年後数十年後を見通して、今、自分がおこなっていることや日々の生き方はどうすればよいかを考えているのかもしれません。
次が有名な三猿です。
これは、説明書に「子供のうちは、悪いことを見ざる・言わざる・聞かざるがよい。Three monkeys tell us that children should “See-no-evil, Say-no-evil, Hear-no-evil.” 」とあるように、子供のころは悪い事を見たり・言ったり・聞いたりしないで、素直なままに育ちなさいという育児論が表現されています。この解釈は様々あるようですが、判断力がない子ども時代には、様々な誘惑があります。
次の猿だけは一匹だけです。
説明書きには、「ひとり立ち前の猿。まだ座っているが、飛躍を期す。(じっくり腰を落ち着けて、これからの人生を考える。)He is about to be independent.」とあります。幼年期から少年期になり、そろそろひとり立ちをしようとする間の心境です。ですから、まだ座って考えています。飛躍の前の力を蓄えているのでしょう。このブログの表題でもある「臥竜」の境地です。そして、今年の最後のブログにまたインディペンデントという言葉が出てきました。
明日がよい飛躍が出来る明日になるように願ってやみません。
投稿者 fujimori : 16:41 | コメント (4)
2009年12月16日 [行事]
小豆

今日は、園ではお餅つきです。3歳以上児には、あえて大人用の重い杵で搗いてもらい、杵の重さと、餅の粘りを感じてもらおうことを意図しています。また、保護者の方何人かにも手伝ってもらいましたが、それは、人手が足りないというよりも、私の子どもの頃の餅つきのように、地域のコミュニティーの中で餅つきが行われ、その周りを子どもたちが取り囲みながら、大人への憧れと、みんなで協力する楽しさを味わってもらおうというものです。
また、搗きたてのお餅をいろいろなものに絡めて食べたのですが、私の子どもの頃は、餅はすべてのし餅やかまぼこ型にして年が明けてからしか食べてはいけないことになっていました。餅は、保存食で、正月に女性が調理など家事をやらなくてよいようにということもあって搗きたてを食べることはありませんでした。園では、「きなこ」「納豆」「大根おろし」「鰹節」そして「あんこ」に絡めて食べます。子どもたちは、昔は圧倒的にあんこに人気が集まったのですが、今は、納豆や大根おろしも人気があります。

このあんこは、もちろん小豆から煮て作りますが、小豆は、昨日の亜麻と同じようなところがいくつかあります。小豆は、東アジア(中国東部・朝鮮・日本)が原産地で、その字のとおりに「ショウズ」ともいわれています。そして、古来人が常食とする五種の穀物「五穀」(米、麦、豆(大豆・小豆)、粟、黍、または稗)のうちのひとつですが、人間との付き合いは非常に古く、日本では、縄文時代から古墳時代前期までの遺跡からあずきの炭化種子が発見されています。また、静岡県の登呂遺跡からも発見されており、弥生時代には栽培されていたと言われています。また「古事記」や「日本書紀」にも大宣津比売神の鼻からあずきが生えてきた、と言う神話があるほど古くから親しまれた豆です。
また、わが国や中国、朝鮮ではあずきの赤色に魔除けなどの神秘的な力があると信じられ、1年や季節の変わり目、生活の節目の時など厄除けとして行事や儀式などに供され、煮汁を着色料としたり、赤飯、アズキ粥として食されていました。また、栄養価の高さから医食同源(薬用)に食され、独自の風味や色合いから赤飯や和菓子の原材料として親しまれてきました。
あずきは漢方でも古くから利用されていて、生薬名は「赤小豆(せきしょうず)」といいます。主成分は、デンプンとタンパク質で、ビタミンB1が多く含まれており、脚気に効果があります。また、疲労物質の蓄積を防ぐ働きがあるので、肩こり、筋肉痛、二日酔い、夏ばてに効果があり、母乳の出をよくする効果もあります。また、腸の働きを刺激するサポニンと食物繊維が豊富なので、利尿や便通をよくします。尿がよく出て、むくみもとれるので、心臓病、腎臓病にもよいとされています。また、サポニンは、中性脂肪の値を下げるのでダイエット効果抜群です。また、老化による皮膚のシワやシミ、動脈硬化の原因になる「活性酸素」を抑えてくれる「ポリフェノール」がたっぷりと含まれています。ほかにも、皮膚にはれものが出来た時は、あずきの粉と大根おろしを一緒に練って、ガーゼにのばし、皮膚の腫れたところに湿布すると、大根の冷やす作用と小豆の消炎作用で腫れがおさまると言われています。また、亜鉛や鉄分も多く鉄欠乏性貧血に良いので、不妊症や味覚異常者にもいいようです。
そして、あるように小豆色と言う色がありますが、この色も、花の色ではなく、実の色で、紫味を帯びた赤褐色のことをさし、ラセットブラウンともいいます。昔からお手玉の中に入れた小豆は、人間との長い付き合いの歴史が物語るように、とても人間にとって貴重な存在です。
投稿者 fujimori : 22:46 | コメント (4)
2009年07月23日 [行事]
音頭
今週末は園の夕涼み会です。「地域文化の伝承」と「親子のふれあい」と「保育を厚くする」いう目的で行います。「親子のふれあい」では、今年のテーマ「世界」を親子でパスポートを片手に様々な体験しながら回ります。世界の衣装を着てみたり、世界の料理を食べてみたり、世界の楽器を鳴らしてみたりです。「保育を厚くする」という点では、この行事が単にイベントで終わるのではなく、日々の保育につなげていく工夫をします。世界の衣装は、3,4,5歳児の「ごっこゾーン」の変身コーナーに置かれます。世界の食事では、毎月国を決めて、その国の料理を味わっています。楽器は、製作ゾーンにその材料が置かれ、子どもたちは今後もいろいろとつくることができるようになります。
もうひとつも目的である「地域の文化の伝承」のおもなものは、「盆踊り」があります。今、夕方になると希望の子が集まって練習する曲が全園に流れてきます。その曲を聴きながら、夕涼み会が近付いてきたことを感じます。私が子どものころに、近くの神社から盆踊りの練習している曲が流れてくるのを聞きながら、祭りが近付いてきたことを感じ、わくわくしたものです。その曲に一つが「落四音頭」という近くの小学校の音頭です。その踊りを隣の公立幼稚園の年長さんと私の園の年長さんが合同で、小学6年生から習ったものです。一緒に、小学校に入学してから躍る音頭です。
もう一つの曲は、つい一緒に口ずさんでしまいます。「ハァ 踊り踊るなら チョイト 東京音頭 ヨイヨイ 花の都の 花の都の真中で サテ ヤットナ ソレ ヨイヨイヨイ ヤットナ ソレ ヨイヨイヨイ」言わずと知れた「東京音頭」です。作詞西條八十、作曲中山晋平というコンビは、「東京行進曲」と同じコンビですので、東京を描くのにぴったりです。当時と少し歌詞は変わっていますが、まさに東京の名所、特徴を表しています。「よせて返して 返して寄せる東京繁昌の人の波」「昔や武蔵野 芒の都 今はネオンの灯の都」「花は上野よ 柳は銀座 月は隅田の屋形船」「おさななじみの観音様は 屋根の月さえなつかしや」「西に富士の嶺 東に筑波 音頭とる子はまん中に」
音頭というのは「なになにするときに音頭をとる」というように「先に立ってすること」という意味もありますが、「大勢が歌にあわせて踊ることやその踊り」のことをいいます。作詞の西條は「どうせ書くなら、ひとつ東京全市を賑やかに踊り狂わせる」ような音頭を書こうと意図したとおり、当時の東京市民は、空き地に組まれたやぐらを真ん中に、スピーカーから割れんばかりのこの曲に合わせて浴衣がけの人々が踊り狂いました。中山の作曲も、誰もが思わず口ずさんでしまうような日本的風土にぴったりと合って、まさに晋平節の真髄です。
もともとは「丸の内音頭」という曲名で1932年(昭和7年)に制作され、日比谷公園での盆踊り大会で披露されたそうです。それを1933年(昭和8年)、当時の東京市民すべてが歌えるように改題・改詞され、小唄勝太郎と三島一声の歌唱でレコード化され、爆発的に流行しました。そして、このレコードは、なんと当時の文部省推薦に選ばれています。レコードの売り上げは発売当時だけで120万枚に達したといいます。その後も時代を越えたロングヒットとなり、総売上枚数は正確には不明だそうですが、1971年の時点で2000万枚以上を売り上げているともいわれています。
最近は、どの年代でも、誰でも思わず口ずさむような共通な歌はなくなってきた気がします。
投稿者 fujimori : 23:20 | コメント (4)
2009年06月15日 [行事]
町探し遠足
先週の土曜日は、園の遠足でした。遠足というと、動物園とか公園とか自然の中に行くことが多いようです。小学校学習指導要領には、「見聞を広め,自然や文化などに親しむとともに,人間関係などの集団生活の在り方や公衆道徳などについての望ましい体験を積むことができるような活動を行うこと」と書かれてあります。これを読むと、どうもよくある遠足は自然に親しむことが強調されすぎている気がします。
私の園は新宿にあり、あまり自然が多くありません。遠足で自然を求めるとなると、かなり遠くまで行かなくてはなりません。そこで、遠足の目的を見直して、「人間関係などの集団生活の在り方や公衆道徳についての望ましい体験」を積むことを企画しました。私の園のある新宿は、同じ新宿といっても歌舞伎町のような繁華街ではなく、下町と高級住宅が同居し、商店街が大通りをはさんであるような町です。そのような人たちが住んでいる町を知り、その人を知り、その人たちの仕事を知ることで社会を知ろうというものです。
商店街の中の数店をポイントとして、そのポイントで問題を解いてもらったり、 製作をしたり、店の人と会話をしたりして親子で手形を持って裏にスタンプを押してもらいながら歩くというものです。その企画を商店街の人たちに相談したところ、みんな喜んで協力をしてくれました。
魚屋さんでのポイントの問題は、「カレイとヒラメの違い」です。その問題の為に、魚屋のご主人は、りっぱなカレイとヒラメを仕入れてくれて、子どもたちが訪れると、本物を前に説明してくれます。「腹を下にしておくと、顔が左にあるのがヒラメで、右にあるのがカレイ」というのが実感できます。
駐在所では、駐在さんが子どもたちを待ち受け、にこやかに相手をしてくれます。お巡りさんがやさしいことを実感したことでしょう。同じように地域消防団小屋では、シャッターを開け、制服を着た消防団の方々が、消防自動車を見せてくれました。ここでは、意外と父親たちが興味を持ち、その前で写真のシャッターを押していました。

目白聖公会は1929(昭和4)年に建立されたロマネスク様式の聖堂を持っています。そして、当日は結婚式があるのにもかかわらず、ぎりぎりの時間まで、15年ほど前に英国トゥルロー教区にあるエピファニー修道院から寄贈された百年余り前に造られた美しいステンドグラスを、中に入れてくれて見せてくれます。
畳屋さんは、職人が数人で子どもたちに畳表の切れはしの周りを和紙で縁取り、コースターを作るのを指導してくれました。子どもたちは、畳の快いにおいを嗅ぎながら、一生懸命に自分ながらのコースターを作っていました。

洋菓子屋では、無添加、無農薬、国産の材料にこだわったクッキーを子どもたちに配りました。普段、たぶん素通りしてしまう製作所では、「ここでは何を作っているでしょう?」という問題にこたえるために、休みの工場内に入れてくれて、業務用加湿器を見せながら説明をしてくれました。そのほかに、徳川黎明会では、徳川の家紋を知り、建具屋さんでは今はあまり見なくなったふすまなどの建具を座敷に上がって見せてもらったり、子どもたちは、いろいろな職業の人で町が成り立っていることを何となく感じてくれたようでした。
お礼に、夕涼み会に招待したり、イモ掘りの芋を持っていったりと、イベントだけの付き合いではなく、日常的に地域の人に子どもたちを見守ってもらおうと思っています。このような取り組みが、最近注目されているイタリアのレッジォでの保育につながる気がします。
投稿者 fujimori : 21:01 | コメント (4)
2008年12月14日 [行事]
おたのしみ会
昨日は、園で「おたのしみ会」がありました。この行事を通して、主に子どもたちの「表現」と「言葉」の領域の発達を保護者に伝えるものですが、3歳以上児にとっては、その日までの取り組みを通して、子どもたちは人間関係の発達が促されたような実感がありました。そんな大人の思いをよそに、子どもたちはずいぶんと楽しんだようです。終わってからトイレに行った子どもたちの会話で「ああ、楽しかったね。また、やりたいね。」というのを聞くと、この行事に自ら取り組んでいる姿がうかがわれます。
2日前、担任が年長に練習させようとすると、「もう大丈夫だから」と言って、自分たちだけで相談をしていました。園児は、よく子どもたち同士でなにやら相談をよくします。この行事に取り組み始めて、それはよく行われ、行事の大切さを感じました。練習一つにしても、子ども自らやろうとする意欲がなければ、意味の無いものになってしまうでしょう。
東京では、少し前に「西の魔女が死んだ」という映画をやっていました。先日、奈良に行ったときに、ちょうど公開されていました。私は、その映画は見ていませんが、原作は読みました。梨木香歩さんの原作です。その本の解説を文庫本のカバー装画を描いた早川司寿乃さんが書いています。
「日々の中で、人間は、自らが作り出した化学物質をはじめとする人工的なものに囲まれ、さらに、人工的なよくわからないものがたくさん入った食べ物を食べて生きています。それは少しずつ人間を歪め、社会全体を歪めてきたように思います。」
こんな社会の中で、主人公の中学生「まい」は、学校に足が向かなくなります。そこで、夏になる前、一月田舎にいる外国の人であるおばあちゃんのところに滞在することになります。そのときの様子を、解説ではこう書いています。
「そこで触れる自然と、自然にごく近い姿をしたおばあちゃんによって、徐々に、(まいは)生命力を回復してゆきます。おばあちゃんがまいに施した薬は、人が長いあいだに自然から教わり受け継いできた知恵や、生活の基本を見せることではなかったでしょうか。難しい理論があるわけでなく、ただ普段そのままを見せるだけです。そこには、人が生きるに必要なものが満ちていました。」
その中で、自称「魔女」だというおばあちゃんによってまいの「魔女修行」が始まります。その内容とは、
「その人の持つ素質を伸ばす。自分で考え、自分で決めるという、本来の人らしい人になること」です。そして、おばあちゃんは、「答えを示すのではなく、厳しさと優しさを持って、まいが、自分で考え自分で決めるのを見守る姿勢をとり続けます。」
これは、まさに教育の原点です。何かを教える、答えを出すのではなく、自分考え、自分で決める野を見守ってあげること。そのことによって、その子どもの持つ力を引き出していくことでしょう。これによってこそ、人として育っていくのです。そのようなことは、解説では、「特別な人たちだけがするのを許されたものではなく、実は、子供も大人も、男の人も女の人も、私たちみんなができることなのです。」と書かれています。
投稿者 fujimori : 20:13 | コメント (4)
2008年12月13日 [行事]
ドイツのクリスマス
世界の1年間の祝祭日を見ると、その国の歴史を祝う日があります。また、それにちなんだ行事や祭りが各国で行われます。それは、おもにその国の宗教にちなんだものが多くあります。日本は、それぞれの国の祭りや宗教行事を、商戦と結び付けて取り入れるのが上手です。それは、ある意味では、わが国の発展の底力かもしれません。バレンタインデーなどは、そのいわれを知っているいる人はほとんどいなくてもチョコレート交換をします。ハロイゥンなどは、気持ちが悪いもので、日本では根付くかと思っていましたが、最近は児童館や学童を中心に行い始めているようです。
そんな行事が年末は目白押しです。その中心がクリスマスでしょう。どの家庭でも園でも行うところが多いでしょうが、きちんと生誕劇を行うところは少ないでしょう。クリスマスといえば、まずはプレゼントです。その次にもみの木ツリーの飾り付けです。それから若い人は、彼女、彼氏とディナーや旅行や遊園地などに出かける人も多いようです。しかし、クリスマスは、キリスト教を信じる国では、その歴史が古いだけに、様々なしきたりや祝い方があるようです。
ドイツのクリスマスと言えば、「シュトレン」といっても、まだ日本ではそれ程なじみがないかもしれません。私は、ここ数年、友人からこの季節になると「シュトレン」をいただきます。最近は、その包みを開けるときにクリスマスが近づいたことを感じるようになりました。
「シュトレン」は、ブランデーなどに浸けておいたドライフルーツを、たっぷりのバターと一緒に練りこんで焼いた長細いパンですが、普通のパンと違ってかなり重くて日持ちがします。ですから、このシュトレンをク、リスマスを待つ4週間の期間であるアドヴェントの各週末に、身内や身近な友人とささやかにティーパーティをし、薄く切って賞味します。
シュトレンはその形がトンネルのような格好をしているために、「坑道」とか「棒」という意味があります。もともとシュトレンは、翌年の豊作を祈願して作られる棒状のパンでしたが、より豊作を願って、中にレーズンやアーモンドがタップリと入れられるようになりました。14世紀の文献には、パン屋の誇りと品質管理の伝統である「組合」を認可してもらうかわりに、「シュトレンという白い棒パン」を12月に司教に献上したとあるそうです。こうして「献上するもの」という伝統が始まり、さらにその呼び名は16世紀以降、正式名をChrist stollen(クリストシュトレン)としています。このパンの上に降りかけられた白い粉砂糖の姿が、イエスキリスト誕生時に白い布で包まれた赤ん坊の姿を表現していると言われています。
シュトレン発祥の地、ドレスデンで12月の第一土曜に行われるお祭があります。黒の制服の煙突掃除人、白の制服のパン屋が3.3トンもの巨大シュトレンと共にパレードをするそうです。また現在では、ドイツではクリスマス時期に家庭で焼いたシュトーレンを友人や家族への贈り物としてもつかわれます。
ドイツのパン屋は徒弟制度が厳しく、マイスターの称号を得てやっと店を持つことができます。 いただいたシュトレンに同封されているほかのパンもとても美味しいパンです。ですから、シュトレンが美味しいというだけでなく、それを作っている職人の腕がいいのでしょうね。
投稿者 fujimori : 20:39 | コメント (4)
2008年09月16日 [行事]
学芸的から文化的へ
そろそろ「文化の秋」ということで、小学校では作品展とか、学芸会とか、文化祭などの学芸的行事が行われます。園などでも、行事は生活に変化を持たせたり、心身の発達を違う側面から援助するのにはいいのですが、それが職員の負担になったり、子どもの負担になったりすることも多いようです。
学校行事は、小学校では特別教育活動であり、授業の一環であり、参加は強制です。昭和33年に初めて施行された小学校学習指導要領では、学校行事等の目標として「児童の心身の健全な発達を図り,あわせて学校生活の充実と発展に資する」とあり、留意事項として、「その教育的価値をじゅうぶん検討」「学校生活に変化を与え,児童の生活を楽しく豊かなものにする」「児重の負担過重に陥ることのないように考慮し」という今でも確認しなければならないことが定められています。
それが、昭和46年に施行された小学校学習指導要領になると、きちんと「学校行事」として位置づけ、その中を「儀式」「学芸的行事」「保健体育的行事」「遠足的行事」「安全指導的行事」と分けられます。しかし、内容についてはあまり細かく規定せず、考えられる行事の例として、「学芸的行事」は学芸会、展覧会、映画会その他として記載されているだけです。
それが、昭和55年施行になると、学芸的行事は、「平素の学習活動の成果を総合的に生かし,一層の向上を図ることができるような活動を行うこと」となり、内容の取扱いとして、「教師の適切な指導の下に,特に児童の自発的,自治的な実践活動が展開されるように配慮する必要がある」というように、児童の自主的、自治的な活動となるように書かれています。しかし、「仕込む」「訓練する」「やらせる」的行事からはなかなか脱皮しきれません。
平成4年施行のものになると、「学校の創意工夫を生かすとともに、学校の実態や児童の発達段階などを考慮し、児童による自主的、実践的な活動が助長されるようにすること」というように、自主的という言葉は残りますが、少しそのニュアンスは薄くなった気がします。この頃から、学校行事の中に、「勤労生産・奉仕的行事」が入ってきます。それが、平成14年施行では、「学校行事においては、全校又は学年を単位として、学校生活に秩序と変化を与え、集団への所属感を深め、学校生活の充実と発展に資する体験的な活動を行うこと」とし、「実施に当たっては、幼児、高齢者、障害のある人々などとの触れ合い、自然体験や社会体験などを充実するよう工夫すること」と広がっていきます。
今回の改定ではどうなっているのでしょうか。「学校行事」の目標として、「望ましい人間関係を形成し、集団への所属感や連帯感を深め、公共の精神を養い、協力してよりよい学校生活を築こうとする自主的、実践的な態度を育てる」とあります。そして位置づけも、「学芸的行事」から「文化的行事」となり、「平素の学習活動の成果を発表し、その向上の意欲を一層高めたり、文化や芸術に親しんだりするような活動を行うこと」となります。そして、ふれあいの中に「異年齢集団による交流」が意図され、行事のあとも、「気付いたことなどを振り返り、まとめたり、発表し合ったりするなどの活動を充実するよう工夫すること」とあります。
これから子どもに求められる力が変わってきたことを感じます。
投稿者 fujimori : 23:21 | コメント (4)
2008年02月16日 [行事]
ドイツの行事
ホームページが盛んに作られている今、それによってどんな情報を得るのでしょうか。また、発信側は、何を情報提供するのでしょうか?情報の保護が叫ばれている半面、情報公開が言われています。保育所において、入所が、措置から保護者の選択になって、児童福祉法の中に、保育所についての情報提供が市町村に義務付けられています。その内容として、当時の厚生省児童家庭局長通知の中に、「1日の過ごし方、年間行事予定、保育方針、職員の状況、保育の内容に関する事項」とされています。これらの情報提供の媒体として有効的なものが、園のホームページであることは、今は当然になりました。
しかし、これらの内容を、本当に地域住民や保護者にわかりやすいような表現で提供をしているのでしょうか。どうしても、行政から出す一覧簿のように、表にしたり、人数を並べたり、決まりきった内容になってしまいます。行事ひとつにしても、カレンダーのようにいつ何をするかだけを書くことが多くなります。もう少し、行事にどのように取り組んでいるのか、何をねらいにしているかなども表記すると、わかりやすくなります。職員の状況も、どうしても保育士何名、調理員何名というような書き方が多くなります。海外の園のホームページは、スタッフを写真で紹介するところが多く見られます。子どもも事前に先生の顔を見ていると落ち着くかもしれません。
情報として、「保育の内容に関する事項」を、本当にわかりやすく見せるのは大変です。写真で行事や、保育風景を見せるのも一つの方法かもしれません。そうした情報は、保護者が園を選択するための材料とするだけでなく、地域に活動を知らせることにもつながりますし、他園にとっても参考になります。
ある園でこんな話を聞きました。保護者会である保護者が、「この園の理念は何ですか?」と質問したとき、それに即座に答えられない園長が、少しの間考えて、笑いながらこう答えたと言います。「それは、企業秘密です!」理念を持たない園長としてはすばらしい答えかもしれませんね。

昨日のブログで、ホームページに掲載されていたドイツの保育室内の写真を紹介しましたが、ずいぶん参考になりました。同じように、ドイツのある園のホームページに行事が掲載されていました。ドイツの行事の写真は、ほとんどが、子どもがお客で、様々なパフォーマンスを見せるようなことが多いようです。人形劇とか、手品とか、本の読み聞かせとか、子どもが練習してそれを保護者に見せるものというよりは、大人が演じます。そのなかで、年に宗教的な劇や歌は、子どもたちが演じることがあるようです。しかし、出演する園児は、代表者であって、すべての子どもが演じるようなことはなさそうです。

これは、運動会の写真です。よく言われるように、世界では日本で行われているような運動会は見られません。学校では競技会ですし、幼児施設では、親子で楽しむ運動の日のようです。保護者も子どもと一緒に体を動かしています。日本の運動会のように、子どもが運動して、その姿を保護者は座って見ているだけというのはあまり見られないようです。

幼児教育での行事は、子どもの生活にメリハリを与えますが、その行事を通して子どもたちに何を伝えたいかをもう一度考えたほうがいいかもしれません。確かに、運動会は、子どもたちに体を動かす楽しさを伝えることが優先課題としたら、ドイツのような運動会になるのは当然かもしれませんが、なかなか変えられませんね。

投稿者 fujimori : 20:30 | コメント (5)
2007年12月27日 [行事]
「ひきずり餅」と「賃餅」
先日、園で餅つきをしました。園の職員と、保護者数人が手伝ってくれました。餅つきは、正月のもちを暮れにつくのですが、大名から町民まで基本的には自分の家で毎年それぞれの地域、家庭によって決められた日についていました。しかし、園でもそうですが、臼はなかなか高いもので、それぞれ用意することはなかなか出来ませんし、つき手も自分のところだけでは人手が足りません。今の園では、今年初めてですので、多くの量をつくのをやめましたのでいいのですが、以前の園では、子どもたちにもつかせるために、大きな臼2台と小さな臼2台でつき、その後にいろいろな絡み餅を作るので、大勢の保護者に手伝ってもらいました。その光景は、子どもたちはこれから食べることができる期待からその姿をちらちら眺め、親たちは楽しそうに会話をしながら、あんこ、黄な粉、納豆、大根おろし、海苔としょうゆなどいろいろなものを餅に絡めていました。しかし、本当は、その場で食べるのではなく、最初のひと臼は歳神様に捧げてお供えする「鏡餅」にして、そのあとは、正月の食べ物として、のし餅や、角餅や、丸餅にして保存していました。江戸時代の川柳にも「餅ついてむしろの上で神おろし 二た臼めから人間の餅をとり」とあるように、餅をつくこと自体が、神を招くことでした。餅つきは、大体25日頃から始まり、30日までには終えるようにしていました。しかし、29日だけは「苦をつく」ことになるといって餅つきはしないのが普通でした。もっと縁起をかつぐ人は「ろくなことがない」と26日も避けました。江戸の町では、15日頃から正月用の餅つきがはじまりました。しかし、このように、みんなでわいわい自分の家で餅をつく家は、奉公人や出入りの職人の多い商家などだけでした。多くの家では、餅屋に注文したり町内の仕事師(頼まれて町内のさまざまな雑用を請け負う人々で、鳶の者など)に頼んでついてもらったりする場合が多かったようです。この、仕事師についてもらった餅を「ひきずり餅」といいました。このように呼んだのは、仕事師が、釜、臼、杵などを担い、注文のあった家の前で、いさましい音をたてながらついたためです。これを 餅をつく音は、大晦日の夜明けまで、江戸の四里(約16キロ)四方にとどろくほど、絶え間がなかったといいますから、にぎやかな餅つきでした。一方、餅屋に頼んでついてもらうのを「賃餅」といいました。この賃餅は、昭和の初頭頃まで、餅菓子屋という店が注文を受けて餅をついて、つき手の少ない家庭ではこれをとても重宝していました。その時期になると、あちこちの菓子屋のガラス戸には、「ちんもち致します」という張り紙が見られたそうです。賃餅は、さすがつき手のプロだけあって、「曲づき」を披露して見せてくれたこともあったようです。丸餅は、太陽、つまり日の神を形どったものであり、そこには神の聖なる力が宿っていると信じられていました。それは、稲作を主にしていた日本民族にとって、もっとも重要なのは、稲を育ててくれる太陽の力だったのです。したがって、新しい年のはじまるお正月には、「鏡餅」を作り、まず神さまにお供えしたのですが、鏡は、太陽、日の神を模したもので、三種の神器の一つです。そして、お正月に訪れる歳神さまは、鏡餅に宿るといわれています。歳神さまというのは、日の神さまのことです。そして、歳神さまのやってくる方角を「恵方」といい、一年間を無病息災で過ごすための「生命力」である「歳魂」を私たちに授けてくれるのです。
投稿者 fujimori : 23:43 | コメント (4)
2007年12月11日 [行事]
初詣
都内の地下鉄の駅に置いてある「メトロガイド」には、初詣特集が掲載されています。地下鉄沿線の神社仏閣が紹介されています。もう、そんな時期になったのですね。キリスト教でのクリスマスを祝ったあとに、今度は、初詣が待っています。みんなは、どこに初詣に行くのでしょうか。毎年、警視庁発表「○○年度 神社・仏閣人出予想」というのが出されます。毎年第1位は、「明治神宮」(東京)です。昨年の人出予想は、310万人でした。この明治神宮は、明治天皇と昭憲皇太后をお祭りしている神社です。ここが毎年1位なのは、この神社が、にぎやかな場所にあるのに、神聖な森に包まれ、とてもロマンチックな雰囲気があるということがあるでしょう。この森は、昔からの森ではなく、「落ち葉を掃いてはならん」というおふれを出して、たったの100年でまるで自然林のような森を回復させた世界1大きなビオトープとして世界的にも有名です。2位は、成田山新勝寺(千葉)で、275万人の人出予想がありました。ここは、平将門の平定のために、寛朝大僧正が、不動明王を奉じ、平定後にお堂を立てたのが始まりです。このようなところをお参りして、みんなは、何を願うのでしょうか。最近は、願いと関係なくお参りに行くのが一般的になっていますが、少なくともその神社が誰を祭っているのか、何にご利益があるのかを知っておいたほうがいいと思うのですが。一応、その名前で祭られている人、何にご利益があるのかが大体わかります。「神宮」という名前が着いているときには、天皇の祖先神が祀られています。ご利益は、「平和、国家安泰、家内安全など万事」であるといわれています。もし、「八幡」と着いている場合は、八幡神を御祭神としていて、ご利益は、「必勝祈願、安産祈願、厄除け、長寿」などです。また、「天満」と着く場合は、学問の神様・菅原道真が祀られています。ご利益は、「合格祈願、学業成就」などです。「稲荷」が着く場合は、「商業、農業」の神様です。「商売繁盛、豊作祈願」などです。そう思って3位以下を見てみると、3位伏見稲荷大社(京都)269万人、4位川崎大師(神奈川)262万人、5位熱田神宮(愛知)232万人、6位住吉大社(大阪)230万人、7位鶴岡八幡宮(神奈川)215万人、8位太宰府天満宮(福岡)200万人、9位浅草寺(東京)185万人、9位大宮氷川神社(埼玉)185万人となっています。どうもご利益というよりも、人出が人出を呼んでいるようですね。初詣は、初参りとも言い、年が明けてから初めて寺社(神社・寺院)や教会などに参拝し、一年の無事と平安を祈る行事ですが、元々は「年蘢り」(としこもり、としごもり)と言い、家長が祈願のために大晦日の夜から元日の朝にかけて氏神の社に蘢る習慣でした。やがて年蘢りは、大晦日の夜の「除夜詣」と元日の朝の「元日詣」との2つに分かれ、元日詣が今日の初詣の原形となったのです。現在でも、除夜に一度氏神に参拝して一旦家に帰り、元旦になって再び参拝するという地方があり、これを2年参りといいます。私の父は、毎年、高尾山に2年参りをしていました。初詣が習慣化したのはそれほど古い時代ではなく、従来は氏神またはその年の恵方の方角の社寺に詣でること(恵方詣り)が多かったようですが、最近はそんなことは関係なく、寺社へ参拝をし、社務所でお守り、破魔矢、風車、熊手などを買ったり、絵馬に願い事や目標を書いたり、おみくじを引いたりして、今年一年がよい年であるよう祈るようです。そんな祈り方は、いかにも日本人らしいですね。
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2007年07月30日 [行事]
夕涼み会
先週の土曜日に、園の夕涼み会が行われました。今年のテーマは「風と光と」ということで、自然について、様々な保育、行事を通して子どもたちに考えてもらおうというものです。夕涼み会でも、各コーナーをこのテーマに沿って、体験や製作やゲームなどをしてもらいました。風のコーナーでは、紙皿で風車を作って、扇風機の前で回してもらいました。扇風機は3台あって、それぞれ風の強さが違います。その違いによって、風車の回り方が違うことを体験してもらいました。水のコーナーでは、まず、山火事を消して、自然を守ろうというゲームで、トイレットペーパーで吊り下げられている炎の絵を、水鉄砲でぬらして落としてしまうというゲームです。また、前日に子ども達がヨウシュヤマゴボウとオシロイバナで作った色水で、和紙を染めようというものです。和紙の隅を色水につけると、毛細管現象で色水が上がってくることを体験しました。光のコーナーでは、様々な鏡を使った遊びや、電気を使った遊びを体験してもらいました。そして、時間を決めて、部屋の電気を消して、天井に星空を映し出して、星空鑑賞会です。草木のコーナーでは、目隠しをして、木の樹皮に触って同じ木の種類を当てるというゲームです。子ども達の中には、手触りよりも、匂いの違いで当てる子もいましたが、大人の私たちがどう匂いを嗅いでも匂いはしませんが、子ども達はすごいですね。あと、虫になって、大きな草むらの中に分け入り、虫のような複眼レンズでそれを見て歩くという体験です。途中には、大きな折り紙の虫や写真がぶら下がっています。そして、食事コーナーでは、焼きソバの地面の上のほうにもやしで作った雲が湧いていて、そこに、にんじんで作った真っ赤な太陽が輝いています。下のほうには、これから昇ってくるであろうとうもろこしの黄色い月が待ち構えています。この夕涼み会は、なんだか、文化祭ののりですが、これは1年から数年通してのプロジェクト保育の一環です。子どもたちの発達を、テーマによる興味、関心の切り口から促していこうというものであり、行事もその中の取り組みです。よく、行事の準備に明け暮れ、終わると一息つく暇もなく次の行事の準備にかかるという園が多いように聞きます。だからといって、行事をなくしてしまえばよいというわけではありません。行事は日常の保育に厚みを持たせ、起伏をもたらせてくれます。何よりも、子ども達がとても喜びます。こんな行事を日常から作り上げるだけでなく、日常に生かすことも考えるといいと思います。色水作りも、子ども達が保育の中で取り組み、とても喜びました。そのあと、その水をいろいろな形の容器に移し替えたりすることによって、「数の保存」を学びます。また、光で遊ぼうで用いたいろいろな遊びは、そのまま3,4,5歳児の部屋の「サイエンスゾーン」に置かれています。夕涼み会での体験を、自分で遊ぶことができるようになっているのです。また、草木コーナーで使われた大きな草木は、観察ゾーンの装飾に使われています。行事のために作りながら、同時に保育室の教材を作っていると思えば、時間をかけることは無駄ではなくなります。あと、園の夕涼み会は、地域の文化を伝承するというのがありますので、盆踊りでは、「東京音頭」を踊りました。あの「はあ~踊り踊るなーら、ちょいと東京音頭よいよい」というものです。事前に地域の人に来てもらって、職員が教わりました。私としては、この曲がとても懐かしく感じました。こんなのもいいですね。
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2007年06月14日 [行事]
父親保育
昨日のブログで少し触れていますが、今月の23日土曜日は園で「父親保育」の日です。この日は、園を父親に明け渡し、園長代理をはじめ必要な仕事を父親だけで分担し、丸々1日保育をしてもらいます。朝晩から、遅番まで、各時間内は子どもの人数によって国基準の保育士配置でシフトを組んでもらいます。それを園長代理が組みます。そして、各クラス担任が、日案を立て、それにしたがって、いつもの園の保育を体験してもらいます。もちろん、わが子のいるクラスの担任にはなりません。主に、小さいクラスの父親は、大きいクラス担任になります。「わが子も、こんなになるんだ。」と希望が持てますし、大きいクラスにわが子がいる父親は、「わが子も、こんな時代があったんだ。」と懐かしく思い出し、わが子を改めて見直すことが出来ます。その計画を、お互いに忙しいので、メールでやり取りをします。そのメールを見ていると、なかなかおもしろい発見があります。まず、園長代理の仕事です。さすが、普段会社で仕事をしているノウハウを使い、シフトの組み方もエクセルを使って、きちんとそれぞれの時間内における配置を合理的に決めていきます。ただ、ちゃんとこんな注意書きもついています。「状況に応じて変更を行いますのでご協力をお願いします。」「当日何か(人手が足りない、○○が欲しいなど)ありましたら、お知らせください。」「当日の状況により勤務体系を変更することがあります。」子どもによってフレキシブルな面も持っています。保育者としての仕事のほかには、これらの園長代理の仕事のほか、「主任代理」「用務代理」も用意されています。昨年も、用務代理の父親は、トイレ掃除を一生懸命にやってくれました。総勢27名の父親が定員100名の園の子どもたちを保育します。各クラスの担任による日案にも、保育士では思いつかないような計画を見ることが出来ます。今年の0歳児の担任から、こんな提案がありました。「0歳児クラスのお子さんのお母さんの写真を、撮っていただき、A4サイズくらいに印刷して、そのお母さんのA4の写真を、0歳児組のお子さんのベッドの真上の天井にそのお母さんの写真を貼りたいのです。0歳児組のお友達が、「ねんね」する際に、自分のお母さんが真上にいれば、おちつくかなぁ。。と思いまして。。。」こんな思い付きに対して、園の職員はこんな心配をします。「「中々、興味深い事を考えますね!果たして、どうなるか…。母親を思い出して泣くのか、それとも、見守られて安らかに眠るのか。ただ、今の0歳児の子ども達は、抱っこで寝かしつけて、寝たところでベッドに入っています。ですので、ベッドに入った時には既に夢の中、なんですね。」こんな会話も保護者とのやり取りとは思えませんね。1歳児のクラスの計画は、「お絵かきピンで、ボーリング大会!」というものです。「画用紙に好きな絵を描き、その画用紙をペットボトルに貼り付け、ボーリングのピンを作る。そして、机を並べ変えて、レーンを作る。そして、子どもを誘導して、ボールの投げ方(押し方)を指導する。そのときに、途中で落ちないよう補助しながらボーリング大会をする。」というものです。ちょっと1歳児では早いかなと思いますが、父親たちがやると、何とかなってしまうものです。2歳児の計画は「くるくる紙プロペラ」というものです。「貼り合わせた2枚の紙プロペラを2階から落としたり、下から眺めたりする。」これは、園内のブリッチと呼ばれている2階の通路から、作った紙プロペラを落とし、子どもたちが下で受け止めるというものですが、やはり、施設をダイナミックに使い、子どもたちは大喜びです。職員では、なかなか発想しない使い方です。3,4,5歳児クラスは、園で普段やっている保育形態のひとつの「選択性の保育」です。やる内容を、年齢で分けるのではなく、子どもたちがやりたいことを選びます。この保育を、父親たちも経験します。子どもたちは、自分で選択したものは真剣に取り組みます。今回は、次の3つの選択肢を用意しています。「バルーン風船、ストロー飛行機、パッチンカエル」の3通りです。ねらいにはこう書かれてあります。「簡単な工作を通じて、工作の楽しさや、工作の工夫による成果の改善結果を共有する。」「新入り保育士(お父さん達)とのコミュニケーションを通じて、人との関わり方、意思伝達方法などを考えさせる。」子どもにとっても、父親にとっても、園にとってもとても貴重な体験ができる「父親保育の日」です。
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2006年12月31日 [行事]
大晦日
今日は、大晦日です。1年の最後の日です。毎月の最終日を晦日といい、晦日のうち、年内で最後の晦日、つまり12月の晦日を大晦日といいます。しかし、言葉の意味からすると、「みそ」とは「三十」なので、「みそか」とは30日の意味のような気がしますので、昨日が大晦日ではないのですかね。といっても、どうということのない年末年始ですが、なぜか特別な意味を持つ気がするのはどうしてでしょう。子どものころ、大晦日だけは遅くまで起きていてよいことになっていました。それは、年越しの夜のことを除夜といい、大晦日には、様々な年越しの行事が行われたからです。昔から、除夜は年神を迎えるために一晩中起きている習わしがあり、この夜に早く寝ると白髪になるとか、皴が寄るとかいった俗信があったほどです。そして、この大晦日、正月を挟んで、12月29日(御用納めの翌日)~翌年の1月3日(正月三が日、御用始め=1月4日の前日)の期間の総称を年末年始といいます。この間も、特殊な職業だけでなく、店を開けたり、仕事をする人が増えました。官公庁では、行政機関の休日に関する法律(昭和63年12月13日、法律第91号)により、12月29日から1月3日までを休日として定めており、12月28日を御用納めとして、その年の最後の業務日となっています。思い切って、みんな休みにしたら、年末年始における日本の伝統的行事が見直せるのにと思います。年末につく餅つきの意味、おせち料理の意味、大掃除の意味など、この年末年始休みに関係があるのです。
今、町の大きな会社の前などには門松が飾られていますが、正月に、それぞれ門に立てる松は、年神様が訪れ、一年の幸福を授けてくれるといわれ、神様が最初に降りてくるのが、門松とされてきました。また、しめ飾りとはしめ縄で作ったお飾りのことで、神をまつる神聖な場所であることを示すものとして飾られます。新しいわらには、神様を迎えて祭る清浄な場所であり、占標(シメ)といいます。裏白を飾るのは「後ろ暗いところのないように」との願いで、長寿、橙は、「家が代々繁栄しますように」との願いで、昆布は「よろこんぶ」とのことで、このようにしめ飾り全体で一家の幸せを願ったのです。しめ飾りは玄関の軒下に飾るのが普通ですが、昨日、思いもかけないところで正月飾りを見ました。なんと、電車の中吊り広告でした。
もちろん、飲料商品の宣伝ですが、布でできた暖簾のつくりに、ちゃんと本物のわらと、よくできた橙が飾られています。この飾りは、いつ飾ったのでしょうか。まさか、一昨日ではないでしょうね。あんなによく伝統を守っていながら29日には飾らないでしょう。29日は「苦の日」,「二重苦」,「苦立て」などと解釈して苦に通じるし、31日だと一夜飾りといい、お正月のお飾りは28日までにするとされています。一夜飾りがよくないのは、ひとつは神様に失礼だからということ。もうひとつはお葬式の飾りは一夜のみ飾るので、それと同じになって縁起がよくないということだそうです。本来、門口にしめなわを飾るのは、外から災いが内に入らないようにとの願いが込められています。
次第に、年末年始の大イベントが消えつつあります。同時に、1年の振り返りと、1年の抱負を語ることも少なくなっています。「気持ちを新たに」ということを、何かの区切りですることも必要だと思います。私も、明日からまた気持ちを新たに「ブログ」を書いていきたいと思います。
投稿者 fujimori : 16:19 | コメント (2)
2006年10月07日 [行事]
運動会の思い出
今日は、姉妹園の運動会でした。来週が、私の園の運動会です。両園とも、会場は小学校の体育館です。私は都心の小中学校出身でしたし、しかも団塊の世代ですから子どもが多く、自校の校庭で運動会をしたことがありませんでした。小学校のときは、近くの高校のグランドを借り、中学校のときは、さまざまなグランドやサッカー場を借りて行っていました。ですから、その場所でやる練習は、小学校のときは、1回の予行練習だけで、中学生のときは、予行練習はしませんでした。小中学校の運動会の思い出は、余りありません。楽しかったはずですが、印象に残らないのでしょうか。その中で思い出すのは、小学校のときは、確か1年生のときでしたが、リレーの選手に選ばれ、放課後、先輩の子にバトンの受け渡しを教わったことです。そして、特に、ある先輩にとても世話になりました。その先輩は、足が速く、とてもかっこよくて、当時は私と顔が似ているので、兄弟のようだと言われていました。今は、まったく違う顔ですが、その先輩は、最近あまりでなくなったので、若い人は知らないと思いますが、俳優の「柴俊夫」さんです。当時、近くに住んでいました。異学年の子との付き合いは、印象に残るのですね。あと、運動会というと、やはりお弁当です。私のころは、昼になると親の席に行っていっしょに食べたのですが、私が教員をしていたころは、親がいない子はかわいそうだということで、子どもたちは教室にいすを持っていったん戻り、子どもたちだけで給食を食べました。私のときは、会場が自校ではないので、当然給食は無理なのでお弁当でしたが、いつごろ給食だったのでしょうか。わが子のときは、親子がいっしょに観覧席で食べたのですが、今はどうでしょうね。私が子どものときの運動会のお弁当といえば、我が家では、必ず「栗ご飯」でした。前の晩に、私たちも手伝って、栗の皮をむきました。今、給食で栗ご飯が出ることもありますが、薬品で皮を剥いた栗を使います。本当は、よくないのでしょうが、仕方ないですね。そして、デザートは、お初の「みかん」です。このころのみかんは、まだ緑が多く、すっぱかったのですが、その味は、これから冬が来ることを予感させました。教員のころの運動会の日の給食には、冷凍みかんが出ました。私の冷凍みかんのイメージは、夏に汽車でどこかに出かけるときの車内販売で買うイメージで、秋のイメージではありません。もうひとつ、運動会といって思い出すのは、必ず前に日に洋品店に行って、運動会のときにはく「足袋」を買ったことです。1日が終わるころ、この足袋の裏に穴が開くことが、ひとつの誇りでした。充分と運動をしたという実感が持てたからです。そして、種目として思い出すものが二つあります。ひとつは、高学年で行った騎馬戦です。私は、体が大きいほうだったので、いつも下で馬をすることが多かったのですが、一度どうしても上に乗りたくて乗ったところ、すぐにつぶれてしまったことを思い出します。もうひとつ種目で覚えているのが、「フォークダンス」です。「コロブチカ」とか「セブンステップス」などは、なぜかわかりませんが、よく覚えています。時代的にも、女の子と手をつなぐことが普段ない中で、女の子と手をつないだことといっしょに強く思い出すのでしょう。そういえば、よくフォークダンスを踊りました。いつころから踊らなくなったのでしょうね。それとも、今でも、学園祭などで踊っているのでしょうか。あとになって、なにが思い出になるかは、そのときはわかりませんが、意外なことをよく覚えているものです。
投稿者 fujimori : 17:28 | コメント (5)
2006年07月12日 [行事]
星の話
先日、園での「お泊り会」が行われましたが、最近、子どもたちが寝る前に私が星の話をすることが恒例になっています。今年も、話をするように頼まれました。寝床に入ってから、壁や天井に映された星空を眺めながら、話を聞きます。何人かは、もうすでに、眠りについています。ですから、私に話を頼むのは、星の話の内容ではなく、眠くなるような声だからかもしれません。ともかく、星の話をするのですが、夏の星はとても分かりやすいし、なじみのある星が多いので話しやすいです。そこで、よく話すのは、七夕にまつわる「織姫星」と「ひこ星」の話とか、夏の第三角形(アルタイル、ベガ、デネブ)の明るい三つの星の話とか、その星が含まれる星座の話とかいろいろあります。そのなかで、特に私は、「ベガ」が含まれている「琴座」の話が得意です。アニメの映画にもなっている「オルフェウス」の物語です。とても劇的で、ハラハラして、そして、最後がとても悲しい結末という固唾を呑んで聞き入ってしまう話です。しかし、今年の話は、少し趣を変えました。というのは、お泊り会のなかのさまざまな企画が盛りだくさんで、時間が押してしまい、夜が遅くなったからです。途中で寝てしまってもいいような話にしたのです。その話をもう一度してみます。聞いてみてください。
「今日は、ナイトハイクのときに空を見てみたら、星が出ていましたか?あいにく今日は空が曇っていて星は出ていませんでした。しかし、本当はそんなことはありません。星は出ているのです。あの雲の上のほうに、星は出ているのです。ただ、雲が邪魔しているだけなのです。では、昼間に星は出ていますか。本当は、昼間にも星は出ています。ただ、太陽の光が明るすぎて星の光が見えないだけなのです。星は、晴れていても、曇っていても、夜でも昼間でのいつでも出ているのです。それが、最近は、晴れている夜でも見えなくなってきました。それは、人間が、空を汚してしまったからです。星の光を邪魔するものを空に撒いているからです。夜になると、いつでもたくさんの星が見えるような空になるといいですね。では、星がきれいに見えるときに星を見てみると、いっぱいある星のなかで、きらきらしている星と、していない星があることに気が付くと思います。どこが違うのでしょう。たとえば、同じように夜出ている月はきらきらしていますか?していません。それは、月は、燃えていないからです。太陽は、どうですか?きらきらしていませんが、ぎらぎらしていますね。それは燃えているからです。ですから、空にある星のなかで、きらきら光っている星は、燃えている星で、きらきらしない星は、自分では燃えていないで、燃えているほかの星の光を鏡のように映して光っているのです。私たちが見える、燃えていない星は、太陽の光を映している火星とか、土星とか、金星とかいう星です。きらきらしている星にも、いろいろな色をした星があります。ここに、真っ赤に光っている星がありますね。この星は、さそり座の中の「アンターレス」という星です。また、白く光っている星も見えますね。白鳥座のなかの「デネブ」という星は、白いですね。どうして、色が違うのでしょう。それは、星の年によって違うのです。白く光っている星は、まだ若い星です。だんだん年をとってくると赤くなってきます。人間と逆ですね。人間は、小さいうちは赤いです。だから、「赤ちゃん」といいます。今度、そんなことを思って、空を眺めてみてください。では、おやすみなさい」