2010年08月30日 近頃思うこと

共生の中での共食

昨日のドイツの写真を見ていくつか気がつくことがあります。保育者が乳児に離乳食を食べさせる場面を周りで取り囲んでみている子どもたちは、さまざまな年齢の子たちがいることです。発達過程の異なる子どもたちが複数で取り囲んでいるということです。このような風景を見ると、日本では、それでは乳児は周りが気になり、気が散って落ち着いて食べることはできないのではないかということを危惧するでしょう。乳児にとっては、食べさせてくれる大人一人だけを見ることによって、誰が食べさせてくれているのか、また、きちんとここの発達を理解した人がいることが子どもに安心感を与えると思われています。また、家庭ではお母さんは一人であり、いろいろな人に見てもらうわけではないということも言われます。しかし、人はいろいろな環境で育ち、その環境から保育のモデルを求めることがありますが、私は下町で育ちましたが、お母さん一人が必ずしもいつも子どもの世話をしていることはありませんでした。家にはお子守さんがいたり、お手伝いさんがいたり、また、近所のおばちゃん、いろいろな人に抱かれて育ちました。また、家族内にも兄弟がたくさんいましたし、祖父母がいた家庭も多くありました。いつも同じ人がおむつを替えたり、食事を食べさせたりしてはいませんでした。ただ、それらの人々は、突然ある日子どもを見ていたわけではなく、普段から、社会みんなで子どもたちを見守っていたのです。子どもたちが安心感を持つのは、お母さん一人が自分を見ていてくれるのだという気持ちよりも、地域の人みんなが見てくれているのだという確信のほうが精神的に安定をもたらしていた気がします。これは、隣の家が遠いところにある過疎地などは違うかもしれませんが、逆に村の人がみんな家族という意識だったような気がします。
川田学準教授は、学術集会の中でこう言っています。「親が子どもと向き合って、じっくり食事をとるということは大切なことかもしれません。しかし、幼い子どもにとって食には遊び的要素だ満載で、思い通りにはなりませんし、1対1で向き合っていると息苦しくなることもあるように思います。」かつて、あるベテラン保育者から言われたことがあります。「食事は遊びではあるまいし、手でぐちゃぐちゃ食べたり、手づかみで食べたりするなんともってのほかです。ですから、私たちは、乳児から子どもの後ろに回って、キチンと手を添えてあげてスプーンの使い方を教えるのですよ!」もちろん、食事は大人のいう「遊び」ではありません。しかし、子どもにとっての学びである「遊び」であることとしての食として見直さなければなりません。しかし、どうしても子どもの行動を母親がネガティブにとらえてしまうのは、現代的な環境にあると川田さんは指摘しています。「乳児と若い親という、発達的に最もかけ離れたペアによる1対1の食事ですと、子どもが他者を観察し、好奇心を働かせる余裕(遊び)が、また美味しそうに食べるのを見て思わず手を出してみたり、食具使用を模倣したくなるというプロセスがなかなか生まれにくいでしょうし、いきおい、“食べなさい”“遊ぶ”“自分でやりたがる”という面が、ネガティブにとらえられ、葛藤だらけの食事になってしまうこともあるでしょう。」
育児の中で、子どもの行動をネガティブとして受け取ることは、何も食事の場面だけではなく、子どもの特徴であるさまざまな行動についても起こりうることのような気がします。それが、最近の子どもへの虐待につながることになっていることもあるような気がします。子どもの遊び、生活の中で子ども集団での行動としての「共生(協力)」も「共食」と同じように人間としての特徴であることをもう一度思い出すべきでしょう。

投稿者 fujimori : 22:26 | コメント (6)

2010年08月29日 近頃思うこと

共視共食

 今日から、このブログも6年目に入りました。
 おんぶには、スキンシップという面だけでなく、こんな役目があることをアーノルドという人が指摘しています。「(おんぶによって)あらゆる事柄を目にし、ともにし、農作業、凧あげ、買い物、料理、井戸端会議、洗濯など、身の回りで起こるあらゆることに参加する。彼らが4つか5つまで成長するや否や、歓びと混じりあった格別の重々しさと世間知を身につけるのは、たぶんそのせいなのだ。」このように子どもたちが他の人がするのを見ることは、社会性の発達の中で重要な役割をしていたのではないかということが最近発達心理学の中で重要視されてきているそうです。この行動を「共同注視(ジョイントアテンション)」というそうですが、おんぶにはそのような効果があったのであろうという指摘は、とても面白いと思います。
 同様に、最近、食事をみんなで一緒に食べることによる社会的認知的発達や、自己と他者理解に効果があるのではないかということを、香川大学の川田学準教授「食の中の模倣過程と自他関係の形成」ということで発表しています。これは、おんぶ同様に、みんなで食べる意味を社会性の発達の中で重要であるとするのは、とても面白い観点だと思います。いままで、みんなで一緒に食べることで食欲が増すということは知られています。また、最近、他の人と食べることで味覚が変わることもわかってきています。いわゆる、たくさん食べようとする意欲が生まれたり、好き嫌いがなくなるのは、みんなで食べることによるということが分かってきているのです。
最近、どこでも「食育」ということが言われていており、新しい学習指導要領、幼稚園教育要領、保育所保育指針にも食育が取り上げられ、食の営みとして見直されてきています。一方、一時期、家族の生活リズムの違いから子どもたちが一人で食事をするという個食や孤食が問題になり始めました。また、孤食をさびしいと感じずに、好むようになってきた子どもたちも問題になってきています。また、一緒に食卓で並んで食べていてもそれぞれのメニューが違う個食ということも問題になっています。また、乳幼児では基本的にはだれかに食べさせてもらわなければなりませんので、孤食はないのですが、母親と乳幼児2人きりで食事をするというケースが多いようです。
人類学的視点から見たヒトの食は、「人間は料理をする動物である」および「人間は共食する動物である」といいます。複数の個人が集って食事をするという共食が、ヒトの食を特徴づけ、また、人類における家族の起源と共食は深い関係にあり、子どもは家族を中心とした共食環境の中で、食行動や食文化はもちろん、他者理解や社会的ルールを学ぶ機会を得てきたのです。特に、食の基本が形成される乳児期では、多くの発達過程が見える中での食事は、食の自立、食具使用の発達、社会認知的発達においてとても重要であったようです。
最近取り上げられる「食育」は、栄養指導、料理活動、栽培活動での事例が多く、どれも「食材」に焦点が当たっていますが、誰と食べるかも重要です。そういう意味では、少子社会において、幼稚園や保育所で、子ども集団による食事はとても意味があります。特に、乳児からの食事も大人との二人きりで食べることは見直さなければならないようです。今年ドイツに行ったときに、園で保育者が乳児に食事を与えている姿を、幼児にも見せていました。
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投稿者 fujimori : 21:56 | コメント (7)

2010年08月26日 近頃思うこと

幕末に

 いよいよNHK大河ドラマ「龍馬伝」が大詰めに近づいてきました。龍馬というと一番の功績と言われるのが、中岡慎太郎と奔走し、犬猿の仲であった薩摩藩と長州藩を結びつけた「薩長同盟」です。
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竜馬と慎太郎像
私が子どもの頃は「薩長連合」と言っていたのですが、最近では「薩長密約」とか「薩長盟約」と呼ばれることも増えてきました。テレビを見ていると、本当に薩長は仲が悪いようですが、どうなのかはいろいろな説があるようです。しかし、どちらにしても、両藩がその後の倒幕の中心になっていくのは確かですし、明治になってからも多くの要職を薩長で占めていたことも事実です。その影響を、今でも感じるくらいですが、なぜ、薩摩と長州が中心になったのでしょう。その理由の一部は、両藩とも先を見る力があったということでしょう。先を見るというのは、攘夷と言いながら、欧米の文明の進んでいることを認め、攘夷などはできるものではなく、それよりも早く欧米の文化を学んだ方がいいと思っていたことです。
 実は、薩長は同盟を結ぶ前から、同じような考え方をし、両藩の関わりを持っていたのです。薩摩藩は、薩英戦争でイギリスと戦って、イギリスの文明のすすんでいることを目の当たりにします。そこで、攘夷の不可能を悟り、1865年、島津久光の意向でイギリスに国禁を犯して15名の留学生と4名の引率者を派遣しました。その薩摩藩派英の留学生のことを、「薩摩スチューデント」と呼びました。このメンバーであった森金之丞(森有礼)は、外務卿、初代文部大臣になりますし、松村淳蔵は、海軍中将、畠山丈之助(畠山義成)は、東京開成学校(東京大学の前身)の初代校長になります。
一方、これに先立って、これより数年前に長州からも秘密裏にイギリスへ留学のため派遣された5人がいました。こちらは「長州ファイブ」呼ばれ、映画にもなって話題になりました。メンバーの5人は、それぞれ功績を残しています。井上聞多(井上馨)は、初代外務大臣で、欧化政策を推進し、不平等条約改正に尽力します。遠藤勤助は、造幣事業に一生を捧げ、「お雇い外国人」から独立し、日本人の手による貨幣造りに成功します。山尾庸三は、グラスゴーで造船を学び、明治4年に工学寮(のちの東京大学工学部)を創立し、また、聾盲唖教育の父とも呼ばれています。伊藤博文は、もちろん初代内閣総理大臣となり、大日本帝国憲法を発布します。野村弥吉(井上勝)は、鉄道の父とよばれ、新橋-横浜間に日本初の鉄道を敷き、以後、全国の鉄道敷設工事を指揮しました。岩崎彌太郎とともに小岩井農場を創設します。
イギリスでは、時を同じくしてイギリスの留学していた薩長は交流をしていたようです。それにしても、イギリスに着くまでに見た外国の姿や、イギリスに着いてからも驚きの連続だったでしょうね。そんな日本人を見たイギリス人は、日本人はなんと野蛮で遅れている国民なのだろうと思いますが、しばらくしてその日本人たちは、農機具などすぐにマスターし、イギリス人たちを指導するようになります。今度は、イギリス人たちは、日本人はなんと優秀な国民だと思うようになります。それは、彼らのあくなき探究心の現れですが、もうひとつは、江戸時代の教育の成果ともいえます。
進んだ外国の文化に触れて驚く彼らですが、実は、日本の文化も決してひけをとらない高い水準を持っていたのです。

投稿者 fujimori : 23:52 | コメント (5)

2010年08月25日 近頃思うこと

納得

 日曜日の朝9時になると、東京ではTBSラジオから天地総子さんの声で「ダイヤル ダイヤル ダイヤル ダイヤル 回せば ジャカスカ ジャカスカ … 子ども 電話相談室!」という元気な歌声が流れ、「全国こども電話相談室」が始まります。この番組は、1964年7月13日から2008年9月28日まで続いた人気番組です。司会者で印象に残っているのは、高階鈴子さんで、1966年4月から1970年5月まで担当していました。回答者として印象に残っている人として、永六輔さん、無着成恭さん、大橋巨泉さん、動物園長の矢島稔さん、そして、ドラえもんの声で回答していた大山のぶ代さん、天気のことについて回答した森田正光さんなどがいました。
 この番組では、子どもたちがさまざまな大人が答えに困るような質問や、今更聞けないような質問が多く出て、大人にも人気があったのですが、もうひとつ印象に残ることがありました。アナウンサーの女性の方が、回答者が答えたあとで「わかりましたか?」とか「わかった?」と念を押していたのを、ある時から全く言わなくなったことです。たぶん聴取者から局に、「しつこく子どもたちに念を押すのはどうか」とか「無理やりに子どもたちに納得させるのはどうか」という苦情がいったからだと思います。
 子どもたちはさまざまなことに興味を持ち、好奇心を持ち、知りたがります。よく大人に「なぜ?なぜ?」と質問をします。その問いに大人が答える時に、どの程度まで説明するのかを迷うことが多くあります。それは、質問をした子どもの理解度が年齢などによって違うからです。逆に、小さな子どもにわかりやすく説明するのは、とても大変です。たとえば、「テレビはどうして映るの?」と3歳児に聞かれたときにどう答えたらいいかわかりません。
 また、大人に対しても相手に納得がいくように答えるのはなかなか難しいことです。しかも、相手にだけ納得がいく答えをしていても、他の人にとって納得がいくものでなければ単に独りよがりにすぎないのです。以前のブログで紹介した「理科」という教科を学習するうえでの考え方があります。一人の人が納得がいったというのは、この人の頭の中で矛盾のない,調和のとれた一つの自然科学的な知識の体系ができたからですが、それは出発点であり、さらに,いっそう進んだ,あるいは完全な科学となるためには,納得のいった主体である自分を検討しなければならないといっています。この主体である自分が,単なる一個人限りのものであると,実は科学とはいえず、独りよがりでなく,多くの人が判断しても同じ結論が得られるものでなくてはならない。ということは,多くの人の経験した事実にも矛盾しない解釈が下されているということになるのです。これは,科学が主観的なものでなくて,客観性のあるものだといわれることだといいます。また,条件が同じであれば,常に同じ結果が,どこでも,いつでも得られなくてはならず、これか科学の普遍性といわれるものであるのです。
このように納得のいった解釈が,客観性や普遍性をもっているならば,このような解釈で築きあげられている知織の体系は,完全な科学ということができるのです。そして、そのような科学を子どもたちは,それぞれの発達の段階において持っていると考えられているのです。そして、その知識の体系は,だんだんと発達していき、次第に広く,深くなるのであって,子どもの科学といわれるものは常に進歩すると考えてよいです。ですから、幼児の疑問に対しては、質問に答えることではなく、そのことへの理解が深まるまで疑問を持続させることに意味があるのです。そのために不思議さに共感することが必要になってくるのです。

投稿者 fujimori : 20:35 | コメント (5)

2010年08月24日 近頃思うこと

太平

 夏目漱石の「吾輩は猫である」という小説は、彼を自己本位の境地を自覚させることになるのですが、同時に、ロンドンで悪化した神経衰弱を和らげるために書かれたものであると言われています。そのため、自己本位に至る経過の中で、西洋かぶれを揶揄し、少々投げやり的なところがあると同時に、しばしば神経衰弱から逃れようと必死になっている姿も感じることができます。私は、この小説を読んで、その苦しみと、居直りは人へのやさしさと感情の繊細さからくる苦しみであり、誰でも持ちえている部分である気がします。
その時の気持ちが、この小説の最後の場面によくあらわれている気がします。
 「吾輩は猫である」の冒頭は、人によく知られてはいますが、最後のどうなるかはあまり知られていません。主人公である名前のない「猫」である自分は、「気がくさくさして」ビールを飲んでみようと思います。しかし、そんなにおいしいものではありません。命のあるうちに、なんでもやってみようと思うのですが、舌の先がピリピリして、腐った感じがしておいしくありません。しかし、人間だって「良薬は口に苦し」と言って薬を飲むのだからと思い、我慢をして飲みます。二杯飲んだところで酔ってきます。そして、ふらふらと外に出て行ったところ、なんと、水の入ったかめの中に落ちてしまいます。水を掻いても、後足で立ち上がろうとしてもそこに足がつきません。
 もがいて、前足で縁をがりがり掻いても少し浮きあがるだけで、すぐに潜ってしまします。そのうちに体が疲れてきます。気は焦りますが、足は利かなくなり、自分が何をしているかもわからなくなります。そんな苦しさの中で、こんな風に考えます。
 「その時苦しいながら、こう考えた。こんな呵責に逢うのはつまり甕から上へあがりたいばかりの願である。あがりたいのは山々であるが上がれないのは知れ切っている。吾輩の足は三寸に足らぬ。よし水の面にからだが浮いて、浮いた所から思う存分前足をのばしたって五寸にあまる甕の縁に爪のかかりようがない。甕のふちに爪のかかりようがなければいくらも掻いても、あせっても、百年の間身を粉にしても出られっこない。出られないと分り切っているものを出ようとするのは無理だ。無理を通そうとするから苦しいのだ。つまらない。自ら求めて苦しんで、自ら好んで拷問に罹っているのは馬鹿気ている。
「もうよそう。勝手にするがいい。がりがりはこれぎりご免蒙るよ」と、前足も、後足も、頭も尾も自然の力に任せて抵抗しない事にした。」
必死になって、その場から脱しよう脱しようとすればするほど、どうにもならなくなることを悟ります。無理を通そうとするから苦しいのだとわかります。もう、自然に任せようとします。そうして、こう最期を迎えます。
 「次第に楽になってくる。苦しいのだかありがたいのだか見当がつかない。水の中にいるのだか、座敷の上にいるのだか、判然しない。どこにどうしていても差支えはない。ただ楽である。否、楽そのものすらも感じ得ない。日月を切り落し、天地を粉韲して不可思議の太平に入る。吾輩は死ぬ。死んでこの太平を得る。太平は死ななければ得られぬ。南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏。ありがたい ありがたい。」
日月を切り落し、天地を粉せいして不可思議の太平に入るのです。逆説的にいえば、今存在している世は、太平ではないことが生きている証拠でもあるのです。

投稿者 fujimori : 23:47 | コメント (5)

2010年08月22日 近頃思うこと

西洋かぶれ

物事は、広い視野の中から見るべきです。これからの時代は、ますますグローバル化していき、世界は近くなっていくでしょう。そして、これからは世界で活躍する子も増えてくるでしょう。また、日本社会に多くの外国人が生活するようになるでしょう。当然、園にも外国人が増えてきます。保育の国際化を考える聖徳大名誉教授・上海市教育委員会諮間委員である日名子太郎氏は、外国人保育を行うにあたって、どうしても学ばなければならないことについてこう述べています。
「まず己れのこと、つまり日本の歴史・文化についての学習」が必要であると言います。「鎖国以来今日までのわが国の歩んできた道には数々の誤りがあり、しかもそれを何回も飽きることなく繰り返している傾向がある。外国人は、日本のことについて知りたいことが多く、関心も強い。逆に日本人はあたらしがり屋で日本の伝統文化も含めて無知に近いのは、もちろんわが国の親の考え方、進学中心の教育観といった方向へ直走りした結果によるものである。したがって、「温故知新」―古いものを理解し、その結果として新しいものに眼をむけること―という立場に立つことによって、まず古いものを十分に学び、大切にし、自国の歴史、文化について学び、その間に諸民族、諸外国とのふれ合い、関係などを知り、ついで新しいものへ関心を移すということが、ほんの形式的にしか行われていなかったということへの反省が必要である。」
戦後、どうしても日本は欧米に対して劣等感があります。それは、戦争に負けたからというだけでなく、長い鎖国をしてきた後の反動である明治期にも、西欧に追いつけということと、西洋化することがモダンに見え、日本社会全体が、一斉に西洋文明かぶれになりました。それと、どうも国民性としての「新し物好き」という気質もあるのかもしれません。そんな盲目的な西洋追従に対して、夏目漱石は、危機感を持ちます。圧倒的な優位にあった西洋文明一辺倒になっていくのを見て、そのような風潮に流されていく自分、社会を憂い、もっと自己を確立すべきであるとしてその風潮を律するための対抗原理として、「西洋」という「他人」本位への対立概念として、自己本位を掲げたのです。 数日前のブログでも書いたように、ただカタカナの名前を出し、そんな人がこう言っているというと、なんだかそれが正しいかのように思え、偉そうに吹聴する人を「吾輩は猫である」の中で皮肉っています。
“友人で美学とかをやっている人が来た時に下のような話をしているのを聞いた。「どうもうまくかけないものだね。人のを見ると何でもないようだが自ら筆をとって見ると今更のようにむずかしく感ずる」これは主人の述懐である。なるほどいつわりのない処だ。彼の友は金縁の眼鏡越しに主人の顔を見ながら、「そう初めから上手にはかけないさ、第一室内の想像ばかりで画がかける訳のものではない。昔イタリーの大家アンドレア・デル・サルトが言った事がある。画をかくなら何でも自然その物を写せ。天に星辰あり。地に露華あり。飛ぶに禽あり。走るに獣あり。池に金魚あり。枯木に寒紈鴉あり。自然はこれ一幅の大活画なりと。どうだ君も画らしい画をかこうと思うならちと写生をしたら」”
こう助言された猫の主人は、一生懸命に写生をします。しばらくしてきた美学をやっている友人に話したら、“美学者は笑いながら「実は君、あれは出鱈目だよ」と頭を掻く。「何が」と主人はまだわられた事に気がつかない。「何がって君のしきりに感服しているアンドレア・デル・サルトさ。あれは僕のちょっと捏造した話だ。君がそんなに真面目に信じようとは思わなかったハハハハ」”
漱石は、「野分」という作品の中で「西洋の理想に圧倒せられて眼がくらむ日本人はある程度に於て皆奴隷である」と言っています。もっと、自己本位という日本の文化を大切にすることが必要であることは、今の時代にも言えることです。

投稿者 fujimori : 21:05 | コメント (5)

2010年08月20日 近頃思うこと

今年のさんま

今年は、日本全国、本当に暑いですね。といっても、日本はせまいようでいて広いのですから、必ずしも暑いことで困っている人だけではないと思いますが、基本的には、いつもと違うために困ることは多いようです。ニュースで流れてくるのは、やはり自然を相手にしているような職業は、生活が大変なようです。今日のニュースでは。「道東沖のサンマの不漁が続いている」というニュースが流れていました。どうしてここにきてそのようなニュースが流れてきたかというと、今月の15日から、水揚げ量が多い100トン以上の大型の棒受け網漁船の操業が解禁され、漁が本格化したからです。そして、その船からの水揚げ量が報告されてくるからです。たとえば、根室市の花咲港では、大型船が初めて荷揚げした19日の水揚げ量は、小型船などを合わせても約144トンしかなく、昨年の初日と比べてわずか1割にとどまったようです。
 サンマと言えば、古典落語「目黒のさんま」を思い出します。夏目漱石が学習院で講演した「私の個人主義」にも、例として出てきます。
 「私が落語家から聞いた話の中にこんな諷刺的のがあります。――昔あるお大名が二人目黒辺へ鷹狩に行って、所々方々を駆け廻った末、大変空腹になったが、あいにく弁当の用意もなし、家来とも離れ離れになって口腹を充たす糧を受ける事ができず、仕方なしに二人はそこにある汚ない百姓家へ馳け込んで、何でも好いから食わせろと云ったそうです。するとその農家の爺さんと婆さんが気の毒がって、ありあわせの秋刀魚を炙って二人の大名に麦飯を勧めたと云います。二人はその秋刀魚を肴に非常に旨く飯を済まして、そこを立出たが、翌日になっても昨日の秋刀魚の香がぷんぷん鼻を衝くといった始末で、どうしてもその味を忘れる事ができないのです。それで二人のうちの一人が他を招待して、秋刀魚のご馳走をする事になりました。その旨を承って驚いたのは家来です。しかし主命ですから反抗する訳にも行きませんので、料理人に命じて秋刀魚の細い骨を毛抜で一本一本抜かして、それを味淋か何かに漬けたのを、ほどよく焼いて、主人と客とに勧めました。ところが食う方は腹も減っていず、また馬鹿丁寧な料理方で秋刀魚の味を失った妙な肴を箸で突っついてみたところで、ちっとも旨くないのです。そこで二人が顔を見合せて、どうも秋刀魚は目黒に限るねといったような変な言葉を発したと云うのが話の落になっているのですが、私から見ると、この学習院という立派な学校で、立派な先生に始終接している諸君が、わざわざ私のようなものの講演を、春から秋の末まで待ってもお聞きになろうというのは、ちょうど大牢の美味に飽いた結果、目黒の秋刀魚がちょっと味わってみたくなったのではないかと思われるのです。」
なんだか皮肉めいていますね。しかし、それはこういうことがあったからだと続いて説明しています。前後して大学を出て、当日講演を聞いていた大森教授が、かつて夏目に「どうも近頃の生徒は自分の講義をよく聴かないで困る、どうも真面目が足りないで不都合だ」といったことに対して、夏目は「君などの講義をありがたがって聴く生徒がどこの国にいるものか」と言ったのです。このことについて彼は謝罪しながら、そう言ったのは、他人本位という考え方であり、学生側に立つと、そのような攻撃する勇気がないと言っています。今、自分の話を聞こうとするのは、「お大名が目黒の秋刀魚を賞翫したようなもので、つまりは珍しいから、一口食ってみようという料簡じゃないかと推察されるのです。」と言い、「もしこの学校の教授にでもなっていたならば、単に新しい刺激のないというだけでも、このくらいの人数が集って私の講演をお聴きになる熱心なり好奇心なりは起るまいと考えるのですがどんなものでしょう。」と言っています。
謙遜しながら、他人本位で物事を見るのではなく、きちんと自分本位で物事を判断するべきであることを言っているのでしょう。

投稿者 fujimori : 21:16 | コメント (6)

2010年08月18日 近頃思うこと

 夏目漱石の「吾輩は猫である」を久しぶりに少し読んでみると、あの書き出しの「吾輩は猫である。名前はまだ無い。どこで生れたかとんと見当がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。」という文章は、なんとなく投げやりの気がしますが、その作品を書いたころの「自己本位」を考え始めたころの状況から察しがつきます。イギリスでの行き詰まりだけでなく、日本に帰ってきてからの講師としての躓き、それに追い打ちをかけるかのように、一高での教え子であった藤村操が「華厳の滝」に入水するという事件が起きます。漱石は、授業中に宿題をして来ない藤村を厳しく叱ったことがあったため、それが自殺の一因ではないかと自分を責めます。この思いは、終生続いたようです。この自殺は、当時、ずいぶんと世間に影響を及ぼしました。それは、藤村の死後4年の間に華厳で自殺を図った者は185名にものぼったようで、そのために華厳の滝が自殺の名所として今でも知られています。
 そんなこともあって、漱石は神経を傷めます。家庭内でも随分と荒れていたようで、妻の鏡子が「漱石の思い出」という随筆の中でこう回想しています。「梅雨期頃からぐんぐん頭が悪くなつて、七月に入つては益々悪くなる一方です。夜中に何が癪に障るのか、無暗と癇癪をおこして、枕と言わず何といはず、手当り次第のものを放り出します。子供が泣いたといつては怒り出しますし、時には何が何やらさつぱりわけがわからないのに、自分一人怒り出しては当り散らして居ります。どうにも手がつけられません。」
また、漱石も「吾輩は猫である」は、そんなに長くなくつもりはなく、なんだか最初はやけになって書き始めたようです。それを、「文学談」で次のように述べています。「『猫』ですか、あれは最初は何もあのように長く続けて書こうといふ考えもなし、腹案などもありませんでしたから無論一回だけで仕舞ふ積り。また斯くまで世間の評判を受けうやうとは少しも思つて居りませんでした。最初虚子君から「何か書いて呉れ」と頼まれまして、あれを一回書いてやりました。丁度その頃文章研究会といふものがあつて、『猫』の原稿をその会へ出しますと、それを其席で寒川鼠骨君が朗読したさうですが、多分朗読の仕方でも旨かつたのでせう、甚く其席で喝采を博したさうです。(中略)妙なもので、書いて仕舞つた当座は、全然胸中の文字を吐き出して仕舞つて、もう此次には何も書くやうなことは無いと思う程ですが、扨十日経ち廿日経つて見ると日々の出来事を観察して、又新たに書きたいやうな感想も湧いて来る。材料も蒐められる。斯んな風ですから『猫』などは書かうと思へば幾らでも長く続けられます。」
これを読むと、最初は投げやり的に風刺をするつもりで書き始めたのですが、次第に猫の目から世の中を見る視点が、逆に人の世界を客観的に眺めるようになり、書いていくうちに面白くなっていった様子がわかります。ですから、後の世まで読みつながれる名作となったのでしょう。
ここに書かれているように漱石に書くように勧めたのは、高浜虚子ですが、彼らは、子規庵に殆ど毎月のように集会して文章会を開いていました。その会の名前は、「山会」と言っていたようですが、それは、正岡子規の「文章には山がなくては駄目だ。」という主張に基づいて付けられたようです。夏目漱石の人生の山や谷が、彼自身と彼の作品に深みを与えていったのでしょう。

投稿者 fujimori : 20:32 | コメント (4)

2010年08月17日 近頃思うこと

睡眠と食欲

今、NHK朝の連ドラ「ゲゲゲの女房」が久しぶりに高視聴率を上げているようです。6月には、平均視聴率が20・4%を記録したそうで、朝ドラの20%超えは、前作「ウェルかめ」第2週の昨年10月6日の20・6%(以下いずれも関東地区)以来だそうです。しかし、同作での20%超えは1回だけで、2007年後半の「ちりとてちん」から09年前半「つばさ」までの4作では1度も20%超えはなかった。私は、なかなかそれを見ることはできないのですが、この 「ゲゲゲの女房」は、漫画家の水木しげる氏の妻、武良布枝さんの自伝をもとに、夫妻の激動の人生を描いており、「貧しい生活を支え合う2人に共感した」「昭和の時代が懐かしい」といった感想など、昭和30年代の郷愁を誘う映像と貧しくも温かい夫婦愛が支持拡大の根底にあるようです。
 これを受けて、実際の水木さんご夫婦の人気が出ているようです。中でも、水木しげる氏のユニークなキャラクターに惹かれる人も多く、多くの逸話もあります。現在88歳でなお元気な秘訣には、いくつか理由があるようです。その一つが、睡眠です。本人が作詞のゲゲゲの鬼太郎の主題歌に「朝は寝床でグーグーグー」とあるように、朝寝を好むようです。私がたまたま大分に行っていたときに見ていたNHK「あさイチ」で、せっかく水木の自宅から生中継が行われたのですが、水木は普段どおり就寝中で、彼の女房しか出演していませんでした。
 もうひとつは、非常に胃が丈夫のようで、小さいころのあだ名が「ズイダ」だったそうで、その意味は「何でも食べる浅ましい者」というそうです。今でも、食欲は非常に旺盛なようで、これもたまたま見ていたテレビインタビューの中でも、思わず目の前の大福を頬張っていました。やはり、人は、食べることと寝ることが大切ですね。そういえば、死ぬまで食欲旺盛で頑張っていた人で思い出すのは、昨日のブログに登場した正岡子規です。夏目漱石が、彼のことを語るのに、「正岡の食意地の張った話か。ハヽヽヽ。」とはじめています。このように、子規は、大変な美食家・大食家で有名でした。それに関する逸話も多く、「鍋焼きうどんを10杯食べる」「夕食後、夜食にそば屋で鴨南蛮と五目そば、その後餅菓子を三個食べ、夜中に嘔吐した」「山の中で木苺を見つけ、陽が傾くまで時間を忘れてむさぼり食っていた(当時26歳)」などがあるようです。
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先日訪れた根岸の「子規庵」の土蔵から、昭和25年頃から行方不明となっていた「仰臥漫録」の原本が、平成13年5月に見つかったそうですが、この「仰臥漫録」や「墨汁一滴」には、彼の食生活に関する記述が多く見られます。そこには、刺身が好物で、34年9月などは、生活費の5分の1近くを刺身代に費やしたとの記録もあるそうで、味に対する好奇心も旺盛で、当時としては珍しい、カレーライス、シャンパン、ココアなども口にしているようです。
この食欲は、病に冒された後も衰えることがなかったとようで、歯茎や腹部の穴から出る膿み、激痛のため這うことも寝返りをうつこともできず、迫りくる死期をただ待つのみの日々であった子規の食に対する好奇心や意欲は、生きている証しだったのでしょう。死の前年のある日の日記には、「朝 粥三椀 佃煮 梅干 牛乳五勺ココア入り 菓子パン数個 昼 粥三椀 松魚のさしみ ふじ豆 ツクダニ 梅干 梨一つ 間食 牛乳五勺ココア入り 菓子パン数個 夕飯 粥二椀 焼鰯十八尾 鰯の酢のもの キャベツ 梨一」こんな食欲と気力はうらやましいですね。

投稿者 fujimori : 23:24 | コメント (6)

2010年08月15日 近頃思うこと

自己本位2

夏目漱石は、個人主義について大正三年十一月二十五日に学習院輔仁会において講演をしています。その中で彼は学習院で講演することになった因果を述べています。彼は、実は、学習院の教師になろうとした事があるのです。ある知人に推薦され、本人もすっかり採用された気になっていたのですが、米国帰りの人に決まってしまい、漱石は採用に落ちてしまいます。しかし、その時に高等学校と高等師範から声がかかり、その時、柔道で有名な加納治五郎が高等師範の校長だったために、そちらに行くことになります。その後、作家になり因縁の学習院で講演することになるのですが、それを漱石はこう言っています。「たとい私にしたところで、もしこの学校の教授にでもなっていたならば、単に新らしい刺激のないというだけでも、このくらいの人数が集って私の講演をお聴きになる熱心なり好奇心なりは起るまいと考えるのですがどんなものでしょう。」確かに、教授になっていたら、講演をするような立場にはならなかったかもしれませんね。ですから、漱石44歳のとき、文部省から博士号授与の通達があったのですが、これを辞退したため波紋を呼びました。この博士号辞退事件は、権威主義的な政府に激しい憤りを感じていた漱石の反抗の現れであったとされ、彼は博士号という名誉より作家であることを選んだのです。
そんなある意味で屈折した人生を送る中で、常に漱石は自分に問いかけます。文部省から英文学研究のためにイギリス留学を命じられたときにこう悩みます。「いったん外国へ留学する以上は多少の責任を新たに自覚させられるにはきまっています。それで私はできるだけ骨を折って何かしようと努力しました。しかしどんな本を読んでも依然として自分は嚢の中から出る訳に参りません。この嚢を突き破る錐はロンドン中探して歩いても見つかりそうになかったのです。私は下宿の一間の中で考えました。つまらないと思いました。いくら書物を読んでも腹の足しにはならないのだと諦めました。同時に何のために書物を読むのか自分でもその意味が解らなくなって来ました。」
このように悩んだ結果、文学という概念は、根本的に自力で作り上げるよりほかに、私を救う途はないのだと悟ります。それまでは、「全く他人本位で、根のない浮き草のように、そこいらをでたらめに漂っていたから、駄目であったという事にようやく気がついたのです。私のここに他人本位というのは、自分の酒を人に飲んでもらって、後からその品評を聴いて、それを理が非でもそうだとしてしまういわゆる人真似を指すのです。」所詮、日本人にとっては、英文学を語るということは、彼によると、「西洋人のいう事だと云えば何でもかでも盲従して威張ったものです。だからむやみに片仮名を並べて人に吹聴して得意がった男が比々皆是なりと云いたいくらいごろごろしていました。」
夏目は状況の中で、自分に正直になるために居直ります。それは、何も世界に反しようとするわけではなく、「世界に共通な正直という徳義を重んずる点から見ても、私は私の意見を曲げてはならないのです。」そして、自己本位という境地に達します。そのために文芸とは全く縁のない書物を読み始めます。それは、自己本位を立証するために、科学的な研究やら哲学的の施策に耽り出すためです。すると、「今まで茫然と自失していた私に、ここに立って、この道からこう行かなければならないと指図をしてくれたものは実にこの自我本位の四字なのであります。」
このあたりの悟りは、全く今の私の心境です。保育を語る人は、すぐに西洋の理論を持ちだします。そして、カタカナで語れば、それが時代の先端かのように聞こえます。しかし、保育というのは、人の生活の営みであり、その風土、歴史、環境からの影響を多く受けます。しかも、それに味付けするのは科学であり、哲学です。私も最近は居直って、「自己本位」の四文字によって、考えを深めることにしています。

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2010年08月14日 近頃思うこと

自己本位

 人は年を重ねるごとに、自分の考えが明確になっていきます。しかし、常にそれは真理に近づいているのだろうか、まだまだ学ぶことをしていかなければと自分の考えに不安を持っています。人からは、自信があるように聞こえるようですが、常に迷い、だからと言ってその迷いは自分自身のことであり、人にはきちんとした考えを伝えていくことの責任を感じ、気持ちを奮い立たせて決断をしていくことが多いのです。これは、「人は」と言いましたが、実は「私は」です。来月16日に、久しぶりに私の著作本が発刊されるにあたってそんなことを考えます。
 新宿区では、夏目漱石の生誕140年を広く伝えるため、さまざまな記念事業を平成19年度から実施していますが、その一環として平成20年12月に、脳科学者の茂木健一郎氏による講演がありました。彼は大の漱石ファンだそうで、講演では漱石が苦悩の末にたどりついた「自己本位」という生き方について熱く語ったようです。私は、その講演は聞いていませんし、講演内容はわかりませんが、前から漱石の「自己本位」に興味がありましたし、その考え方に共感し、今の私の心境に近いものがあります。
 夏目漱石は、晩年にはいろいろな人に慕われ、人を育てるのですが、その人生は必ずしも順調ではなかったようです。母親が高齢出産で、漱石誕生の翌年に江戸が崩壊し夏目家が没落しつつあったことなどから、生後4ヶ月で里子に出され、更に1歳の時に父親の友人に養子に出されます。その後も、9歳の時にその夫妻が離婚したため正家へ戻りますが、実父と養父の対立により夏目家への復籍は21歳まで遅れることになります。そのような家庭環境の混乱からか、学生生活も転校を繰り返し、小学校をたびたび変えます。中学以降も、12歳の時に東京府第一中学校に入学しますが、漢学を志すため2年後中学校を中退、二松学舎へ入学しますが、2ヶ月で中退します。その2年後、神田駿河台の英学塾成立学舎へ入り、17歳のとき、大学予備門に入学します。ここから、頭角を現し、ほとんどの教科において主席で、特に英語はずば抜けて優れていたようです。23歳のとき、東京帝国大学英文学科へ入学し、特待生に選ばれます。
大学卒業後、東京高等師範学校の英語嘱託を経て、松山の愛媛県尋常中学校に英語科教師として赴任します。ちょうどこのころ静養のため帰郷していた子規と共に俳句に精進します。年末のNHk「坂の上の雲」にも登場すると思います。33歳のとき、文部省から英文学研究のため英国留学を命じられ、渡英します。最初は勤勉に励んでいましたが、じきに英文学研究への違和感を感じ始め、神経衰弱に陥り、下宿先を何度も変えます。そんな中、 池田菊苗という化学者と出会い、刺激を受け下宿に一人こもりきりで研究に没頭し始めます。これを耳にした文部省は、急きょ帰国を命じます。帰国後、小泉八雲の後任として東京帝国大学英文科講師となりますが、彼の分析的な硬い講義は生徒に不評で、「八雲留任運動」が起こり、神経衰弱を再発させてしまいます。そのような中、高浜虚子に小説を書くようにすすめられ、38歳のとき 「吾輩は猫である」を執筆し発表します。
結果的に英文学から小説家に向かわせたのが、イギリス留学をしたときに感じた「違和感」でした。それは、日本人とまったく異なる生活を営む西欧人の姿を見、日本人には英文学の本質をわかることができるかと悩むのです。その結果、たどり着いた答えが、自分の感じ方を大切にするという「自己本位」だったのです。自己本位とは、自分自身を大事にして自由に生きていこうという考え方です。そして、自己本位とは、自己中心的な個人主義とは違って、他人の個性・自由をも尊重していく考え方だと悟るのです。もう少し、その考え方を探っていきたいと思います。

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2010年08月13日 近頃思うこと

歴史つながり

 最近、何人かの人に「最近は、NHK大河ドラマつながりの場所に行かないのですか?」と言われることがあります。私は、毎年、妻とどこかに出かける時に、どこに行くか迷うことがあるので、その年のNHK大河ドラマの舞台を訪ねることにしています。今年は「龍馬伝」ですので、坂本竜馬に関係ある地を訪ねることになっているからです。しかし、坂本竜馬と言えば、土佐の高知と、現在活躍している長崎ですが、高知には「功名が辻」のときに山内一豊つながりで訪問しています。しかし、その時には、山内一豊が主役のため、彼はいい人として描かれていますが、龍馬伝では、彼が築いた身分制度が、幕府を倒すきっかけの一つになっていったとは歴史の因果を感じます。そういう意味では、NKH大河ドラマつながりは、舞台になった地を訪れることだけでなく、今までのドラマの出来事が、後の歴史にどのように影響していくのかというつながりを知ることも面白いですね。
 NHK大河ドラマ「龍馬伝」は、ずいぶんと大詰めに来ましたが、今年の1月3日の第1回放送は、「上士と下士」という題でした。当時の土佐藩においては関ヶ原の合戦以来、厳しい身分制度があり高知城城主山内家の出身である尾張や美濃出身の正規の藩士を上士といい、山内家が高知に入る前の藩主、長宗我部士の遺臣や、農民、商人から取りたてられていた藩士を下士として、厳しくも理不尽な身分制度がまかり通っていた時代が描かれていました。
土佐藩における上士は、原則的に家老・中老・馬廻・小姓組・留守居組の五等級に分けて構成されていました。また、下士は、郷士・徒士・足軽・武家奉公人に分かれていました。そして、土佐郷士の懐柔政策の一つとして、下士の中でも格式が最上位にある郷士や、その働きが認められた場合に上士の格式の最下位にあたる留守居組に昇格する場合もあり、それを白札と言いました。少し前に、ドラマの中で悲惨な最期を遂げた武市半平太は、白札郷士という留守居組に昇格しています。また、主人公の坂本竜馬は、郷士という家格の家に生まれました。本来、江戸時代の郷士とは、八王子市における「千人同心」のように、普段は農村で農業を行っていた武士のことや、または苗字帯刀を許された農民のことを指しましたが、土佐藩の場合は、関ヶ原の戦い以前に四国を支配していた長宗我部家の旧臣らで、山内家が土佐藩を統治するようになってから下級武士として藩に仕えるようになった武士を指す名称として用いられています。しかし、その中で、坂本家は、元々商家で郷士身分を金で買って譲受郷士になった商人であり、経済的にはかなり裕福な家だったようです。
今、放映されている「龍馬伝」の最近重要な舞台になっているのは伏見の「寺田屋」です。
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現在でも、宿屋を経営していて、もちろん見学ができるのですが、宿泊もできます。妻とは、昨年暮れに訪れました。ここを仕切っているのは女将のお登勢です。彼女は、池田屋で働いていた「おりょう」と龍馬を結びつけます。そのためか、寺田屋の横には「お登勢明神」があり、そのわきの立て札には、「坂本龍馬とお龍さんを結んだ寺田屋の女将お登勢は百年祭を記念に神と祭られ将来の若き男女の守り神になりました。」と書かれてあります。なんでも、守り神になるのですね。
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2010年08月11日 近頃思うこと

1生の計

「一日の計は朝にあり、一年の計は元旦にあり」という言葉があります。この言葉は、ふつうは正月に言うことが多いのですが、いま、その言葉が頭に浮かびます。今日という日をどう過ごすのか、それは朝考えることで、それによって充実した日を送ることができ、また、この1年をどう過ごすかを元旦に考えることで、ずいぶんと毎日が違ってきます。物事は、最初が肝心ですし、よりよいスタートをきることが大切です。同じような言葉に、「一生の計は幼きに在り、慮りを前にすれば、期に躓かず」というのがあります。これは、自分の生涯の生き方について、幼いときによく考えるべきで、年をとってからでは遅すぎるのです。同じように、思慮計画を十分にすれば、過ちを犯すことはないだろうということです。これは、後悔先に立たずということでもあり、後悔しないためには、事前によく、計画を練ることだと諭しています。同時に、幼児教育の大切さを訴えているのです。何度かブログで紹介したOECDが、ECECという乳幼児期の養護と教育を考える上で、スターティングストロングという人生のスタートをより強固に切らせようと提案していることと同じです。この言葉が書かれてあるのは、江戸時代中期に、勝田祐義編で寺子屋の教科書として使われた「金言童子教」という書の中です。
 この書は、正徳年間に刊行された、子ども向け教訓句の教科書で、先行する「実語教・童子教」をうけて、和漢の名句を集め、和文の注釈を施したものです。この中から話芸に引用されているものもかなりあるようです。もともとの「金言童子教」は、鎌倉時代、僧侶によって作られたもので、範とした「童子教」は、以前ブログで紹介しましたが、日本に古くからある「実語教」「童子教」という漢詩調の教訓集で、五字を一句とし、道徳の教科書として早くから活用され、金言・格言を一般化させる原動力ともなっていました。それを範として、江戸時代に勝田によって刊行された「金言童子教」も数多くの金言・格言によって、一般庶民の子弟に家庭や寺子屋などで道徳を教えたのでしょう。
 勝田は、この書の序文にこの書を出版するようになったいきさつを書いています。「本来、自分の子どものために書いた家庭内の文書だったのを、友人が見て『これはいい、役に立つから出版しなさい』と盛んに勧めるので、自分は出すつもりはなかったのだが、押し切られるようにして出版したのである」といっています。そして、たとえば「論語」のような本格古典への少年向け手引きとして書いたとも言っています。そこで、「鄙言を以て抄した」解説がついていて、子どもにもとても分かりやすいものとなっています。
この書の最後に付け加えられて言葉に「子不教父過 学不成子罪」があります。この言葉のもとは、中国北宋時代の政治家・学者である司馬光が言った、「養子 不教父之過 訓導不厳師之惰」という言葉で、子どもを養っていながら何も教えなければ、それは父親として失格であり、教え導いて戒めなければ、それは師として怠っていることになりますという句からヒントを得たであろうと言われています。「金言童子教」では、父親が子に学問や道理を教えないのは重大な過ちであり、一方、教育を受けた子が学問のうえで一人前にならないのは子に非があるということを言っています。それは、これらの教えを受けるために寺子屋に通わせたり、子どもに諭すのは親の役目ですが、それを身につけ、実践するかは本人の問題であると最後に言っているのでしょう。

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2010年08月08日 近頃思うこと

もしも三洋

先日、香川を訪れていたのですが、今、ネットでは日本中の新聞を見ることができます。昨日の7日付の四国新聞の香川版コラム「1日1言」に「もしもSANYOが」という内容が掲載されていました。このコラムは、先月29日にパナソニックが、傘下の三洋電機とパナソニック電工を、11年4月をめどに完全子会社化すると発表したことを受けてのことです。これによって、グループのブランドは「パナソニック」に統一し、「SANYO」ブランドは原則として消滅する見通しという発表でした。その決断の動機について、大坪社長は、「ライバルが百メートル走のスピードで走っているのに我々は中距離走のスピードではないかと思った」と言っています。
 三洋電機の創業者である井植歳男は、淡路島の代々自作農を営んでいた家に生まれますが、父親はそれを好まず、「清光丸」という千石船を持ち、自家貿易を手がけていました。その血か、彼は、「子供が上の学校への進学を望めば、田や畑を売って行かせるように」という父親の遺言に逆らって、高等小学校の卒業式を待たずに叔父の船の見習い船員となります。この思いがのちに社名に「三洋」を選ぶことになります。15回ほど公開を経験したころ、乗っていた船が大爆発を起こし、九死に一生を得た歳男は、大阪にいた姉夫婦の家に住み込んで、義兄の仕事を手伝います。この義兄が、松下幸之助です。松下が大阪で創業した「松下電気器具製作所」が順調になり、東京に進出することになった時、歳男は17歳で東京に行きます。その後、戦争に行き、除隊後結婚しますが、その妻が亡くなったと再婚相手は、松下幸之助の妹でした。松下電器は、考案した箱型ランプが業界に旋風を起こし大忙しになりますが、病気がちの幸之助に代わって、精力的に働きます。
しかし、終戦になり、占領軍の総司令部(GHQ)が公布した財閥や軍需会社の幹部に対する公職追放指定を受け、松下をやめることになってしまったのです。そして、自転車の発電ランプをつくる会社「三洋電機製作所北条工場」が昭和22年につくられたのです。品質問題、火災という2つの災難に見舞われながら、生まれたばかりの三洋電機製作所は、事業に賭ける歳男の執念、従業員の献身的な努力、周囲の人々の親切、それらの力が合わさって試練を乗り越えていきます。そして、「三洋電機株式会社」を設立するに至ります。その後、さまざまな苦節の結果、噴流式洗濯機の成功によって、「洗濯機のサンヨー」と言われるようになり、三洋電機は、総合家電メーカーへと脱皮していきます。この新しい洗濯機の出現は、戦後の日本に家庭電化ブームを巻き起こすきっかけとなり、評論家の故大宅壮一さんは、この年(53年)を「日本における電化元年」と位置づけています。
そして、時代は家庭電化の黄金期を迎えていき、中でも、テレビ、電気洗濯機、電気冷蔵庫は「三種の神器」といわれ、どの家庭でもこれらの家電をそろえることになるのです。
その三洋が、どのように昨日のコラムに登場したのか明日紹介します。実は、「もしも」の世界で、アップルが発売したのが携帯音楽端末「iPod」に関係しているかもしれないのです。

投稿者 fujimori : 23:00 | コメント (5)

2010年08月06日 近頃思うこと

関わる

 最近、内閣府から発表された「引きこもり」についてその数値を見ると、少し前の引きこもりと少し様相が変わっています。引きこもりの定義は、「ふだんは家にいるが、趣味の用事のときだけ外出する」「近所のコンビニなどには出かける」「自室からは出るが、家からは出ない」「自室からほとんど出ない」状態が、「6か月以上」にわたり続いていて、「(引きこもる)きっかけが統合失調症または身体的病気」や「家事・育児をする」人たちを除いた人数ですが、その内訳を見ると、「自分の趣味の用事のときだけ外出する」と「近所のコンビニなどには出かける」人を合わせると、「引きこもり」の88%になるようです。「引きこもり」というと、「自室からほとんど出ない」という状況に困っている様子がテレビなどで報じられます。しかし、このタイプは、わずか7%に過ぎないのです。
 では、「引きこもり」と言われる人たちは、どのようなタイプなのでしょう。そうでない人との比較で、大きな差が出たのは、「初対面の人とすぐに会話できる自信がある」について、一般の人たちは「はい」と「どちらかといえばはい」を合わせて57%で、「引きこもり」の人たちは、合わせて23%でした。この数字を見ると、世の中が厭になって閉じこもるのではなく、人と接することに負担を感じたり、人と接することが苦手だという人が増えたということでしょう。最近の学力とも、生きる力ともいえる「コミュニケーション能力」に欠けてきたということにもなるのでしょう。
もうひとつの傾向は、「自分の感情を表に出すのが苦手だ」について、「はい」や「どちらかといえばはい」と答えた人は、一般の44%に比べ、「引きこもり」の人たちは71%と高く、自己表現が苦手だと感じているために、人と接することを避けるようです。ですから、自分の好きなことであれば、また、自分の世界だけで過ごせるのであれば、外にも出かけることはするのです。
仕事はできるのに、人間関係に不安を感じて、職場に行けなくなってしまう人が、最近の「引きこもり」の中核になりつつあるといわれています。いま、社会で働いている人たちの中にも、人間関係に不安や緊張感を抱えている人が少なくないと言われています。もちろん、いじめを受けて不登校になったり、引きこもりになるケースもありますが、それほど人との関係の中でのきっかけがなくても、人とかかわることが困難な人が増えてきているようです。
これらの現象を嘆くのではなく、どこに原因があるのかを考えなければなりません。「ダイヤモンド・オンライン(DOL))のメールマガジン第439号でジャーナリストである池上正樹さんが例に挙げている引きこもりの例で、 その人の両親をこう言っています。「母親は、外面はいいが、子どもにはヒステリーのようにわめき、きつく当たった。父親は学者で、学問には熱心だが、家庭に興味はなく、まったく子どもと話そうとしなかった。子どもが話しかけても、返事は来なかった。」いわゆるキレる子の多くの生育歴は、過干渉の母親と、無関心の父親との間で育てられた子が多かったようです。
親子の関係から、もう少し子ども同士の関係を重視し、子ども同士の関わりの中で、発達を保障する保育を考えていく時代になった気がします。

投稿者 fujimori : 21:37 | コメント (5)

2010年08月05日 近頃思うこと

変えられる運命

 彫刻家イサムノグチは、2歳のときに、母親のレオニーと日本にやってきます。しかし、父親である野口米次郎は、すでに日本人を妻にし、子どもまでいたために子として認めてもらえませんでした。そこで、レオニーは大学の先輩である津田梅子を頼り、女子英学塾(現津田塾大学)での仕事を希望しますが、レイニーの複雑な身の上であったため採用してもらえません。そこで、富裕階級の子女複数の英語家庭教師などするのですが、その中に、小泉八雲の子どもたちもいたそうです。そうしているうちに、イサムは幼稚園に通うことになります。その後、大森の公立小学校に入学するのですが、当然、住民の大半は漁民だったため、日米混血のイサムはいじめにあいます。そこで、登校拒否になります。それに対して、母親は、すぐに差別のない学校に転向させます。そこは、カトリック系の学校でしたが、イサムは、高学年になると性格が変わっていき、校内で暴力事件を繰り返すようになります。その理由の一つは、母親が第二子を出産した為でした。そこで、母親は、イサムを一時、学校を休学させ、指物師の修業をさせます。それが、将来、造形家となる基礎を培ったとされています。
その後、13歳の時、単身、アメリカに行き、自ら道を切り開いて行くのですが、このようなさまざまな運命の中で、それに負けずに母親が的確に対処し、13歳から自立をしていきます。よくない環境は子どもをダメにするのではなく、子どもの力になっていくこともあるのです。その境遇の中から生まれてきたイサムノグチの作品は、人の心を打ちます。
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     庭園美術館の受付
訪れた香川の庭園美術館は、制作の場であった広場に、たくさんの石の作品が、未完成のものも含めて点在しています。その広場に立つと、制作中の姿が浮かび上がります。また、そこには、古い民家を移築して、作業小屋を造り、棲家を造り、倉庫を造り、石垣を築いてきた経過が、展示蔵になり、事務棟になり、一つの作品となっています。
その空間と石の作品は一体となって見るものに訴えかけてくるのですが、その中で、強烈な存在感を持っているのが、「エナジー・ヴォイド」という作品です。
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   チラシより
「力」と「空虚」という、現代物理学の始源にさかのぼる概念と、「硬さ」と「柔らかさ」というある意味で矛盾する表現を兼ね備えています。それが、高い天井、土壁といった明治時代の酒蔵を移築した空間の中で、和の精神と、世界の石とが調和をもたらしています。
 道を挟んで住居にしていたイサム家(や)を見るころには、すっかり日が陰り、格子から漏れる光が何とも言えない空間を構成しています。もともとは、武家屋敷だったそうですが、その斬新さは、新しい時代に生まれ変わったかのようです。素朴な石が敷き詰められた上がりは、床暖房ですし、土壁に覆われた空間は、音響設備が素晴らしく、アメリカの持つ合理性と、質素ともいえる素朴さは、国際人だったイサムノグチであったからでしょう。
 人は、換えることのできない運命に出会います。しかし、その運命それ自体は変えることはできませんが、その運命をいいものにするか、悪いものとするかは人の力で変えることができます。それは、その人の才能かもしれません。

投稿者 fujimori : 21:57 | コメント (6)

2010年08月04日 近頃思うこと

才能と環境

さまざまな波乱に満ちら人生を送る人がいます。その人生は、その人にいろいろな形で影響を及ぼします。それは、プラス要素として影響する場合もあり、マイナス要素として作用する場合もあります。影響する環境の中で、一番影響するのは、両親かもしれません。最近のさまざまな我が子への虐待のニュースや、尊属殺人や無差別殺人を起こす若者たちのニュースを見聞きするたびに、どのような育ちをしたのだろうか、親とはどのような関係でいたのだろうかと思ってしまいます。先日、秋葉原で起きた殺傷事件の犯人の公判があり、その生い立ちの一部が本人の口から語られました。母親と一緒に風呂に入るとき、掛け算九九を暗唱させられ、言えないと水に頭を押さえつけられたという話を聞くと切なくなります。
日本赤ちゃん学会編の「赤ちゃんカフェ3」の記事の中で、「両親とも日本人で子どもに幼いころから教え、いわゆるバイリンガルになったケースが数件報告されていますが、いずれも、両親とも、少なくとも片方の親が高度な英語力を持ち、普段から家庭内で英語を話し、英語話者の知り合いとの接触回数、英語圏への渡航回数も多い」場合の子どもと、それとも「時には英語を嫌がる子どもに英語学習を強制するといった想像を絶する経済的および精神的苦労をして子どもの英語力を高め、維持したようです。」と書かれてあります。想像を絶する経済的、精神的負担は、どこかにひずみを起こしているはずです。
逆に、持って生まれた才能は、どんな環境でも花開くことがあります。しかも、その才能が、環境を変えたり、環境が生きるバネになったりすることもあります。  1893年、17歳で単身渡米、放浪生活のあと英語で詩を書き、英米文壇にセンセーションを巻き起こしました日本人がいました。彼は、在米中に知り合った作家であったアメリカ人女性レオニーが身ごもると帰国してしまいます。そして、慶応大学の英文学の教授になり別の女性と家庭を持ちます。帰国後も英文著作を多く書き、日本文学・文化を西欧に紹介、日本語による著作では西欧文学・文化を日本へ紹介し、「国際詩人」「東西両洋の懸け橋」として活躍しました。そして、彼が73歳のとき、初めて妻子に子供の存在を告白、後を頼み亡くなります。彼の墓を、彫刻家であったイサム・ノグチが設計します。彼の名は、野口米次郎と言い、墓を設計したイサム・ノグチこそ、この米次郎とアメリカに残されたレオニーとの間の子どもだったのです。
先週末、高松の名勝・屋島と五剣山を借景にたたずむイサム・ノグチ庭園美術館を、夕暮れが迫る中、見学する機会がありました。
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ここは、彼が1956年に庵治石の産地・香川県牟礼町を初めて訪れた後、69年からアトリエと住居を構えて日本での制作拠点としたところに、99年、生前の雰囲気そのままに開館した美術館です。150点あまりの彫刻作品、自ら選んで移築し手を入れた展示蔵や住居だったイサム家など、全体がひとつの“環境作品”となっています。残念ながら、庭園内の写真を取ることはできないのですが、そこに近づく途中、外から内部の雰囲気が分かる写真を、五剣山を背景に取ることができました。
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投稿者 fujimori : 22:43 | コメント (5)

2010年07月30日 近頃思うこと

からくり

 私がテレビ番組で好きだったものの一つに1969年にNHKで放送されていた「からくり儀右衛門」という番組があります。江戸時代、儀右衛門という少年が、いろんな発明をしていく物語ですが、もちろん少年ドラマということでだいぶフィクションの部分があるのですが、この儀右衛門は実在の人物です。彼は小さいころから特別な能力を発揮しますが、彼を紹介するHPには、まず「探究心」(儀右衛門は失敗を恐れることなく、チャレンジし続けた!)と書かれてあります。生まれつきの天才とは、生まれつき探究心が強いということでもあるのです。生まれつき、いろいろな知識を持ったり、生まれつき、未知のものを予知する能力があったのではなく、生まれつき探究心が強く、いろいろなものを知ろう、いろいろなものをやってみようという気持ちが強いということで、その結果、いろいろなことを知り、生み出し、発明していったのです。また、その探究心の強さゆえに、失敗してもなおかつ挑戦しようとしたのです。次のキーワードに「好奇」が書かれてあります。べっこう細工師だった父親のその高度な技能、手業を目の当たりにし、またあるときは近所の鍛冶屋へ出かけ、真っ赤な鉄の塊が鎌や包丁などに形が変わっていく様子を一心に見つめ、道具屋でかんなで板をけずるやり方を見たり、刃物のつくり方や傘づくり、漆塗り、人形づくりなど、幼い頃から、好奇の目で見つめ、創作の何たるかを知らず知らず学び、どうやってつくっていくのかをすっかり覚え込んでしまいました。
 また、彼が自らの道を拓くエネルギーにしたのは、「いたずら心」であったと書かれてあります。それは、私が大切にしている「遊び心」にも通じることです。こんなエピソードが紹介されています。儀右衛門が数えにして九つのとき、「これ、開けてみ?」と言って、自分が作った硯箱を開けるよう寺子屋の仲間に促します。それは、何の変哲もない硯箱でしたが、誰一人として蓋を開けることができませんでした。この硯箱こそ、発明家として最初に彼を有名にした「開かずの硯箱」だったのです。この箱を開けようとしてみんなが腕を組み唸る姿を見て彼は微笑みます。このように、常にまわりの人々を仰天させる小さないたずら心が、新しいものを発明していく動力なのです。彼が多く発明した「弓曳童子」をはじめとする、精巧な「からくり」は、そんないたずら心が生みだしたものです。
 彼の名は、田中久重といい、現在、国立科学博物館に保存されている「万年時計」は、彼が発明した中でも和時計の最高傑作ならびに江戸時代の技術の精華として名高いものです。彼が、75歳の時、政府の要請を受けて東京に移る。銀座に電信機などのメーカーとして「田中製作所」を開きます。その製作所の看板には「万般の機械考案の依頼に応ず」を書かれていたといわれていますが、何かを考えだすことが楽しくて仕方なかったのでしょう。田中製作所において久重は、電信機や時報機などの機器を次々と開発し、日本のエレクトロニクス分野に光明を開いていきます。そして、彼の没後、弟子の田中大吉が受け継いでいきます。それは、看板ではなく、「情熱」と「探究心」なのです。その後、田中製作所は「芝浦製作所」と改称され、さらに後には東芝と改称します。
「いたずら心」からさまざまなからくりをつくっていった久重は、次第に、日本初の製氷機械や自転車、人力車、精米機、川の水を引き上げる昇水機など、生活に密着した製品の開発改良にも情熱を傾けていきます。「人々に役立ってこそ技術」というポリシーは、大切にしたいものです。

投稿者 fujimori : 22:27 | コメント (6)

2010年07月28日 近頃思うこと

理科

 江戸時代の理科について考える前に、戦後間もなくの昭和22年に小学校学習指導要領の初版を発行した後、27年に出された、その改訂版において、理科の指導目標を見ていたいと思います。その内容は、実例を取り上げて、理科とはどういう科目であるかを考察しているとても興味深いものです。
 ここに書かれたある理科の指導目標は、「すべての人が合理的な生活を営み、いっそうよい生活ができるように」ということで、児童・生徒の環境にある問題について身につけるものとして三点を挙げています。「物ごとを科学的に見たり考えたり取り扱ったりする能力」「科学の原理と応用に関する知識」「眞理を見出し進んで新しいものを作り出す態度」です。この目標を達成する為に、理科の根本になる科学について、しっかりした考えをもっていなくてはならないとしています。「自然現象の事実」とはどういうことかということを、こんな例が挙げられています。
 「あるこどもがかえるを飼って、その成長の変化を観察して、記録を作った。父親がその記録を見ると、かえるの変態が動物学の本に書いてあるものに比べて、1か月も長い日数がかかっていることに気がついた。それで、こどもの観察した事実がまちがっていると考えて、こどもの記録の日付を訂正して、動物学の本にあるように書きなおした。」
 この父親の対応について、このように考察しています。「この父親は、動物学の本に書かれたかえるの発生を、そのままうのみにしてしまって、こどもがすなおに観察したかえるについての事実を無視してしまったのである。このような取扱を受けたこのこどもは、まちがいのない事実、言い換えれば自然現象における真実というものを、どういうふうに考えるであろうか。父親が狭い科学的な知識をふりかざして、こどもがとらわれない心で観察した自然の事実を誤りであると決定したのである。この父親は『いついかなる場合にも、自然現象には誤ということはあり得ない。』ことを忘れているものである。この自然現象を人が解釈する場合に、人の解釈が誤っていることは起りうることである。科学のことを考えるにあたって、まず第一に重要なことは、この自然現象の真実とは何かを、はっきりわきまえることである。」
 次に、「科学の客観性と普遍性」について、こんな例をあげています。
 「おたまじゃくしを洗面器で飼っている3年生のこどもがあった。後足が出、前足が出て、尾が短くなったある日、いく匹かの小がえるに逃げられてしまった。こどもはがっかりしたが、別に深くも気にとめなかった。ところが、翌日また逃げられた。再度のことではあるし、かえるのきわめて残り少なくなった洗面器を見たこどもは、『いったい、どうして逃げられたのだろう。』と考えた。こどもはいろいろと、かえるについての経験を思い浮べた。そして、池にいるかえるを考えた。池の中のかえるは、岸や石にはいあがったり、また、水の中にもぐったりしている。その事実から、『おたまじゃくしは水の中が好きなのだけれど、かえるになると、陸も好きになるのだろう。』こう考えて、砂や石で洗面器に陸を作ってやり、金網の蓋をした。かえるは、水の中を泳いだり、陸にあがって休んだりした。かえるを飼うことがこれでできた。」
 ここでは、今とても大切なものとして見直されている「探究心」が科学の基本であることを言っています。そして、その問題を解決しようとする為に、まず、これまでのいろいろな経験を思い出してみます。それではわからない場合には、ある予想をたてて、いろいろと実際にためしてみます。それらを繰り返すことで、自分に納得のいく解釈を下して、はじめて満足できるのであり、この解釈が自然科学的な知織であるといいます。
 私たちは、ここに書かれてある父親の態度のように、「狭い科学的な知識をふりかざして、こどもがとらわれない心で観察した自然の事実を誤りである」としていることが多いかもしれません。

投稿者 fujimori : 23:47 | コメント (5)

2010年07月27日 近頃思うこと

丑の日からヒキガエル

 先日、丑の日でウナギを食べた人も多かったと思います。この時期、体力を消耗することが多いので、この日にちなんで、ウナギでスタミナをつけようと思った人も多かったでしょう。こんな日を過ごすとき、つくづくと日本はいい国であることを実感します。それは、おおむね日本人は、なんでも食べることができるからです。世界では、いろいろな戒律など宗教上の理由から食べるものを制限する人が多くいます。イスラム教やキリスト教で食材を制限することがありますが、仏教でも食材を制限します。たとえば、精進料理では、修行のために 殺生を戒め なおかつ 匂いのきつい食材は 修行の妨げになるとして はずされます。肉や魚の動物性のものをとらないというのは、他にも、ベジタリアンでもヴィーガンでも、マクロビオティックでも見られることです。その中で、「酒、三厭五葷、仏門に入らず」と言われているように、仏教では、三厭五葷を食べないことがあります。
三厭とは「肉類・鳥類・魚類」のことで、五葷とはネギ(玉ねぎも含む)・ニンニク・らっきょう・ニラ・アサツキの臭いの強い野菜5種類のことを言います。三厭は、まあわかるのですが、五葷は体にいいような気がします。しかし、仏教では、独特な刺激成分を持ち、食べ過ぎると内蔵に悪い影響を及ぼすとして、人間の本性を傷つけてしまうと言われています。そのため、仏教では元来、この五種類の野菜を食べる事を禁じています。内臓に悪いと、なぜこれらの野菜が人間の本性を傷つけるのかというと、実は、五行(木・火・土・金・水)とか方角とか、八卦とかに関係しているようです。五行には人間の五臓にんにくが心臓、ニラが肝臓、ラッキョウが脾臓、ねぎが腎臓、あさつきが肺臓を害すると言われています。
この五葷三厭を「八戒」と言いますが、これらを食べないでいたことに三蔵が関心をして、「八戒」という名前を猪(ブタ)に与えて名乗るようになったのが、西遊記に出てくる「猪八戒(ちょはっかい)」です。この猪八戒を思い出したのも、昨日のブログの「天の川」から連想したのです。というのも、猪八戒は、もともと天界で天の川の治水管理とその水軍を指揮する大将である天蓬元師だったのです。
園でいま「ヒキガエル」を飼っていることはブログで紹介しました。このヒキガエルのことを「蟾蜍」(せんじょ)といいます。このヒキガエルは、後漢書の伝説によると、西王母の秘薬を盗んだ嫦娥が月に逃げて蟾蜍(ヒキガエル)になったといわれています。そして、そのヒキガエルは月に逃げたことになっているので、月の影が、うさぎと言われているのと、ヒキガエルとも言われています。また、猪八戒は、蟠桃の会で酔っ払ってこの嫦娥にからんだため、天蓬元師という職を首になって下界に落とされますが、その時に間違ってブタの胎内に生まれた為に、ブタの妖怪になってしまうのです。
一つのことについて考えると、次々と話題が広がっていくことは、このブログではよく起きることですが、それは、私たちは、過去からさまざまな関係性の中で生活しているからでしょう。決して、自分一人ではなく、また、突然と自分が生まれたわけではなく、原因があって、結果があるのです。その関係は、昔から伝わる逸話にも見られます。

投稿者 fujimori : 22:45 | コメント (5)

2010年07月26日 近頃思うこと

天の川

先日の土曜日は、園の夕涼み会でした。以前、ブログで書きましたが、毎年私の役目は、プラネタリウムで天井に映し出された星空を眺めながらいろいろと星にまつわる話をすることです。まず、映し出された星空で目につくのは、天体を横切る白い帯です。「これは何でしょうか?」と問い掛ける前に、会場の子どもたちは一斉に「天の川、天の川!」と叫びます。先回って子どもたちは叫ぶので、私は意地悪くこう答えます。「これは、ミルクをこぼした跡です。空にミルクをこぼしてしまったので、それが流れてしまったのです。ですから、これを、ミルキーウエイと言います。」それを聞いた子どもたちは、一瞬だまります。それは、自分が知っているのとは違うと思うからです。すかさず、「しかし、日本では、これは天にかかる川ということで、天の川と言います。」と言って、話を始めます。最近の子どもたちは、いろいろな知識を知っています。天の川ということは知っています。しかし、その流れを見て、美しいという前に、名前を連呼します。また、その名前を言えるだけで知ったつもりになって、どうしてそんなものがあるのかを疑問に持とうとしません。その白い帯は、何でできているかの疑問を持ちません。つくづくと、小さいころの知識は、表面的な名前ぐらいであるのにもかかわらず、もう探究心を持たなくなってしまうだということを実感します。
 実は、この天の川に関する不思議さは、宇宙の存在自体を解明するうえでとても重要なことなのです。天の川は、光が細長く密集している姿をしているということは、星が細長く極めて密集しているという事です。では、なぜここだけ星がこんなに密集しているのかということを考えることが重要です。それを考える上で、まず、宇宙は何からできているのかという事を考えていかなければなりません。実は、宇宙は、さまざまな銀河からできているのです。銀河とは、1000億個ほどの星の集まりのことです。私達の住んでいる太陽系は、「銀河系」という銀河の中にあります。その銀河の形は、薄い円板のような「渦巻銀河」です。私たちは、その銀河系の中からいろいろな銀河を見ているのですが、私たちが属している銀河系のまたの名を「天の川銀河」というように、実は、天の川は、私たちが属している銀河を中から見た姿なのです。ですから、星がいっぱい見えるわけです。銀河は薄い円板型をしているので、真正面から見ると広く見えますが、星はそれほど密集して見えませんが、それは、外から銀河系を見た場合です。
また、太陽系は、銀河系の端の方にありますから、銀河の中心のほうを見ると多くの星が見えますし、端の方を眺めると、それほど星は多くありません。実は、夏見える銀河は、中心のほうを見ているので、夏の天の川がきれいですし、冬は、銀河中心と反対の方向を見ていることになるので、夏と比べると星の数は多くありませんので、それほどきれいではありません。この両方向を見ることによって、銀河の大きさとか、どのくらいの星が集まっているのか、太陽系は銀河系のどのくらいの位置にあるのかがわかるのです。
 この銀河系の渦巻きの直径はどのくらいかというと、約10万光年です。光の速さで、10万年かかります。では、銀河系の中心から太陽系はどのくらいのところにあるのかというと、2万8千光年のところにあります。宇宙には、まだまだ不思議なことが多いし、解明されていないことも多いのですから、簡単に「知ってる、知ってる!」ということで片づけてほしくはありません。

投稿者 fujimori : 22:03 | コメント (5)

2010年07月20日 近頃思うこと

野菜

よく、話題になりますが、「スイカは野菜か」ということが職員の中で話題になっていました。それは、ある職員がテレビで「スカイの種が入らないで切りわける方法」を放映されていたのを見て、そのやり方を他の職員に話していたことが発端でした。今、梅雨が明けて毎日暑い日が続きますが、そんな時には、果物と言えば「スイカ」が欠かせません。そこで、そんな話題になったのですが、私は、大まかに言うと、草は野菜で、木は果物じゃないの」と言い、「いわゆる1年で枯れてしまう1年生のものは野菜で、次の年までその木が残っていて、そこに実をつけるものが果物だと思うよ」と言ってはみたものの、自信はありませんでした。というのはじゃあ、メロンは?」「イチゴは?」と聞かれるとわからなくなります。先日、朝日新聞のコラム天声人語に、こんなことが書かれてありました。
「トマトは野菜か果物か、という古い論争がある。往時の米国でのこと、輸入野菜には10%の関税がかかるのに、果物は非課税だった。業者がトマトも果物だと訴えると、「デザートにならない」との理由で退けられたという。近刊『極楽トマト』(講談社)で知った。サラダにしたり、小エビを詰めたり、なるほど、赤い実の役どころは前菜か付け合わせのようだ。蒸し暑い夕には、うんと冷やしたのに塩をふるだけでいい。」
 そういえば、最近、フルーツトマトという品種もあり、食事の後にデザートとして出てくることがありました。それは、たぶん、植物的にどっちではなく、フルーツ感覚で食べるかどうかの気がします。
 そう考えると、野菜か果物かという区別というより、どんな感覚を持ってそれを食するかという感覚の問題のほうが重要な気がします。そこで、一般的に果物として食されているが、実は野菜に分類されるものを、農林水産省では「果実的野菜」として表記し、野菜で扱います。例えばメロンやスイカ、イチゴの様なものです。また、逆に果物でありながら、野菜として食べているものもあります。それを「野菜的果実」というようです。たとえば、調理の面から言うと、柚子・すだち・レモンなどや、果物は実が熟した食頃に収穫され、食べられる物と言うとしたら、未熟なパパイヤ・アボカド等は野菜的果実と言えるかもしれません。
農学(果樹学)から見た場合は「収穫しながら永年作物として育てることができる」ものを果物に分類しますので、海外では、トマト(ミニトマト)を果物として認識している国もあります。逆にパイナップルとバナナは多年生草本植物となっており、栽培の仕方によっては野菜と見ることもできるようです。食べる人の意識(甘さで決めるとか、生で食べるのが果物、火にかけたりドレッシングなどで食べるのが野菜などで分けたり、タネを食べられないのが果物、タネごと食べるのが野菜など)・作る人の意識・農水省の定義・農学と植物学などからの分類があるので、どちらかであるかという議論は意味がないことになります。
 嫌いな子供が多いのが野菜で、そうでないのが果物だという人もいますが、どちらに分類するかに関係なく、私はどちらも体が定期的に欲します。

投稿者 fujimori : 23:30 | コメント (5)

2010年07月19日 近頃思うこと

神楽

「神楽」の起源は、古事記および日本書記の中で、天照大御神(あまてらすおおみかみ)が弟神・須佐之男命の悪業に腹を立てて天の岩屋戸に隠れた際、天の宇津女命(うずめのみこと)が岩屋戸の前で舞ったとされる神話が定説となっています。
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先日、見る機会があった石見神楽の一つ目の演目は、これを題材にした「岩戸」でした。実は、古事記におけるこの神話は、かなり卑猥の部分があり、本来は子どもたちに聞かせる話ではないのですが、神楽ではそれを格調高く演じています。このように、単純に、もう一度古事記を子どもたちにというのも考えものですが、この神楽を見に、地域の子どもたちが集まり、真剣なまなざしで見つめる姿は、日本に伝わる迫力ある舞踊に魅せられている姿であり、そこには、こうやって文化が伝承されていくのだという確信が持てました
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もうひとつ、それを感じたのが、石見神楽で演じる後ろで楽器を鳴らしていく子です。石見神楽で使用する楽器は「太鼓」「締太鼓」「銅拍子」「笛」の四種類です。舞の序段の拍子は舞歌に合わせて静かにゆっくりと囃し始めます。しばらくして、鬼などの出現が近くなったり、神と鬼との格闘などのクライマックスの段になると拍子が変わり、テンポが非常に速くなり、音も激しく奏でます。そして、鬼が退散した後、神の喜びの舞になると賑やかに囃し、最後はゆっくりと締めて舞い納めとなります。これらの演奏の中心は、太鼓で、囃子の中で全楽器をリードしていきます。同時に歌いを時々に入れます。また、唯一メロディーを奏でる笛の音色は、神楽の神秘性を増してくれます。これらのリズムやテンポは、同じ石見神楽でも地域によって違うようです。
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今回見た神楽では、銅拍子を打ち鳴らしている一人に、眠気を必死にこらえながらもリズムを壊すことなく必死に奏している5歳児がいました。なんども眠くなりながら、打ち鳴らすテンポは決して崩れることなく、2時間半にもわたる講演を最後まで奏しきりました。
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今回の演目の二つ目は、「八幡」です。この神楽は、九州宇佐八幡宮に祀られている八幡麻呂が、異国から飛来した第六天の悪魔王が、人々を殺害していると聞き、神通の弓、方便の矢をもって退治するという話です。現在、全国にある八幡神社の総本社は、この宇佐八幡宮ですが、そこに祀られているのは、応神天皇と言われていますが、それらの話は古事記は取り上げられてはいません。
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次の演目は、「日本武尊」です。彼は、古事記の中では、ギリシャ神話におけるヘラクレスのような英雄です。その逸話はいろいろとあるのですが、神楽で演じられたのは、東国の平定に向かい途中の出来事です。途中、賊首の教によって、兄ぎし・弟ぎしに、尊は、大野に誘い込まれ八方より火を放たれますが、伯母君大和姫より授かった尊の宝剣が自然と抜けて、草を薙ぎ払い、守袋の中の火打石で迎火をつけて、兄ぎし・弟ぎしを退治します。この時の剣が草を薙ぎ払ったので、「草薙の剣」といいます。
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最後の演目は、最も人気があり、最も迫力がある「大蛇(おろち)」です。この話も、古事記の中では有名な話で、来年度の小学校の教科書でも取り上げられている「ヤマタノオロチ」です。須佐之男命(スサノウノミコト)が、出雲の国斐の川にさしかかると、嘆き悲しむ老夫婦と稲田姫に出会いました。理由を尋ねると、八岐の大蛇(ヤマタノオロチ)が毎年現れ、既に七人の娘が攫われ、残ったこの稲田姫もやがてその大蛇に攫われてしまうと言います。そこで、須佐之男命は、いろいろな木の実で醸した毒酒を飲ませ、酔ったところを退治します。そのとき、大蛇の尾から出た剣を「天の村雲の宝剣」と名づけ、天照大御神に捧げ、稲田姫と結ばれるという話です。

投稿者 fujimori : 20:30 | コメント (6)

2010年07月18日 近頃思うこと

神話と歴史

今年の4月に、来年4月から使用される1、2年生の国語の全教科書に神話が登場するというニュースが流れました。現行の小学校国語教科書には、全学年で神話は掲載されていません。それが、来年4月から使用される1、2年生の国語の全教科書に神話が登場することになったのです。私の子どものころには、古事記が教科書にもありましたし、子ども用古事記の中での冒険ものを読んで、ギリシャ神話に近いわくわくした気持ちを持ったことを覚えています。確かに、正義や勧善懲悪などが素朴に描かれている神話は、いじめやネットによる情報過多など複雑な人間関係の中で生きている児童にとって新鮮に映り、「子供たちの心の中で強い印象を残す」という理由はよくわかります。しかし、江戸時代、本居宣長は,「古事記」を研究して「古事記伝」を書き、国学を大成しました。その国学は、有力な町人・百姓のあいだに広まり、のちに天皇をうやまう尊王論を育て、幕府を批判する思想になっていき、今NHK大河ドラマ「龍馬伝」で描かれている尊王攘夷に結び付いていきます。
今回、文部科学省によると、「古事記」「日本書紀」「風土記」のいずれかに含まれる話を神話として位置づけましたが、それは、歴史とか、史実ではないということをきちんと意識して伝えなければならないと思います。今回、教科書で取り上げられた神話は、どの会社も「古事記」であり、その中の「因幡(いなば)の白ウサギ」を5社中4社が、「ヤマタノオロチ」を2社が掲載、ある社は、これら2つに「海幸彦と山幸彦」などを加えています。確かに、これらにより当時の日本の様子を知る上での資料となることは間違いはありませんし、私たちの祖先が文字のなかったころから歴史を語り継ぎ、現在へ至ったことを子供たちに伝えることも重要です。
それは、多くの伝承文化が古事記に由来していることも多いので、古事記を知っていると、いろいろと興味を持つことできます。たとえば、いろいろと問題がありますが、今大相撲名古屋場所が解されています。その相撲の始まりは古事記にあるタケミカヅチノカミ(建御雷神)とタケミナカタノカミ(建御名方神)との国譲りの力比べといわれます。そして、日本書紀には、垂仁天皇の7年に野見宿禰と当麻蹶速が大和で相撲をとり、宿禰がすごい技をかけて、蹶速をふみ殺したとあり、宿禰は相撲の始祖とされています。これらの話を見ても、それはあくまでも神話の世界での話で、事実の裏付けはなく、真偽のほどはわかりませんが、ワクワクすることは確かです。
古事記を由来とし、それを知っていることで見方が深まるものに神に奉納する為に奏される「神楽」があります。先週末、「石見神楽」を見る機会があり、とても激しく、おもしろく興味深いものでした。
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石見神楽の公演を見たのは、温泉津温泉の龍御前神社を会場に、月1回行われているものでした。この龍前神社は、その名のとおり、神社の前に立って見上げると、神社裏の山の中腹に竜の顔に見える岩が見えます。これが「龍岩」と呼ばれる天然の巨石です。その龍岩自身が神の宿る存在として信仰されていて、その岩の前に1532年、「龍の御前神社」が創建されたそうです。
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ここで演じられた演目が、古事記と深いつながりであることは明日のブログで紹介します。

投稿者 fujimori : 16:33 | コメント (5)

2010年07月16日 近頃思うこと

1,2年生

 私が子どもの頃は、学校の社会と理科という科目が1年生からありました。それが1,2年生では、生活科という科目になりました。この生活科は、1,2年生の生活は、だいたいにおいて家庭・学校及び身近な社会に限定されているために、まず、生活の中で、生活経験を中心に学習すべきであることとしています。そのために、生活を営む上で1,2年生という年齢が、どんな特性を持っているかを理解しなければなりません。戦後の昭和22年に、文部省が学習指導要領の試案をつくるときに、社会科編では、まず、1年生及び2年生における心理的特性を参考に挙げています。19項目ありますが、とても参考になるので挙げてみます。
「児童は非常に活動的で、自分たちでいろいろなことをするのに興味を持っている。」「さわって見たり、味わったり、においをかいだり、五感に訴えることが多い。」「することが各人別々で、一つのことをいっしょにしようとする傾向は弱い。」「すわってやるよりは、動きまわる生活に興味を持っている。」「 指の細い筋肉は、大筋に比べて発達していないので、細字を書くことや、物を縫ったりすることには、困難を感ずる。」「注意は持続せず、容易にくずれる。」「活動の結果がすぐあらわれる場合に興味を感ずる。」「身辺の事物について盛んに質問する。」「現実のことと想像したこととをはっきり区別しない。 」「自分というものについて、いろいろ気に病んだり、反省したりしない。」「両親の愛情と教師の親切がないと、感情が著しく不安定になる。」「他の男の子・女の子に対してあまり差別をしない。」「親・兄弟・教師等、自分以外のもの、即ち周囲の社会から自分に与えられる注文を理解しはじめる。」「仕事を受け持ってやることがそろそろできる。」「長上の権威に対して従順である。」「家族の関係を理解しはじめる。」「周囲の世界がだんだんよくわかって来る。」「自分たちの生活に直接関係のない環境の事物については、理解が困難である。」「時間・空間及び距離については、ごく限られた程度しか、理解できない。」
 これらを読むと、今の小学校の教師に、もっと子どもの心理、発達を理解してほしいと思います。この年齢では、「すわってやるよりは、動きまわる生活に興味を持っている。」とあるように、じっと座って人の話を聞きなさいという注意は、子どもの発達を知らないのです。しかも、それはしつけの問題だと錯覚している教師が多いように見受けられます。また、「時間・空間及び距離については、ごく限られた程度しか、理解できない。」とあるように、「いつまで遊んでいるの!」とか、「もう、給食の時間でしょ!」「そこには行ってはいけないと言っているでしょう!」と怒るのも、1,2年生では無理な話です。それを、幼児に対しても怒る先生を見かけることがあります。
 特に、小学校1,2年生の特徴として、「両親の愛情と教師の親切がないと、感情が著しく不安定になる。」ということは、肝に銘じてほしいですね。子どもが落ち着かない、じっとしていない、騒がしい、それらは、教師の親切がないからです。この文言は、教育は、親子の愛着形成と、先生との信頼関係による情緒の安定がなければ行われないことを示している重要な項目です。

投稿者 fujimori : 21:38 | コメント (5)

2010年07月14日 近頃思うこと

進化論も進化

 進化論も進化しています。進化と言えば、昨年園では、生命の進化と人の進化を並べ、その進化の度合いを見ると、赤ちゃんの1日は、生命の進化の50万年分にあたるということを保護者に伝え、赤ちゃんの1日1日を大切にするように、また、個人差があって当然ということを理解してもらいました。
 そんな生命の40億年の歴史を簡単に言うと、「生命は海に生まれ、魚になり、やがて陸に上り、トカゲになり、ネズミ、サルを経てヒトになりました」ということがありますが、この内容が少しずつ違っていることが分かってきています。最近、わかってきたことは、海にいる魚は最初から海にいたと考えていたのですが、そうではなく、大昔に一度川を上り、再び海に戻った仲間だそうです。最初に約4億年前に海に誕生した魚は、今の魚とは違い、背骨がなく、弱者だったわたしたちの祖先は、住みやすい海での生存競争に敗れ、河口から川に逃れていきます。しかし、海水と川の淡水では塩分濃度が違います。ですから、海から川に行くためには、体の内外の塩分濃度の違いは生物にとって大問題です。そこで、その対策のために魚たちは腎臓をつくり出し、体内に入った水を尿として排出しました。しかし、反面、淡水中では、海水と違ってカルシウムが不足します。そこで、カルシウムを蓄えるために硬い背骨を生み出したのです。
しかし、骨に摂取したカルシウムを蓄えなければなりません。このカルシウムは、食事やサプリメントで摂取しても、それだけでは血中カルシウム濃度があまり上がりません。血中カルシウムが骨に定着するには「活性化されたビタミンD」が必要なのです。この「活性化された」ということが重要です。ビタミンDは食事やサプリメントで摂ることができるのですが、それらはすべて不活性なビタミンで、不活性を活性化させるのが「紫外線」なのです。人間は、皮膚から太陽の紫外線を取り込むことによって体内に活性化されたビタミンDを作るのです。いくらカルシウムを摂取しても、このビタミンDが足りないとクル病になったり、骨粗しょう症になったりします。
オーストラリアで、紫外線による皮膚がんが問題になりました。それによって、日本でも、首筋まで覆う帽子をかぶっている園が多くなりました。しかし、どうしてオーストラリアで問題になったかというと、こう言われています。もともとのオーストラリアの原住民であるアボリジニといわれる人たちの肌は濃褐色で、強い太陽光線から肌を守るために備わったものです。そこに、太陽に当たる時間が少ないヨーロッパに住んでいた人たちが、住んでいるからです。ヨーロッパ人に肌が白く、目が青く、金髪の人が多いのは、少ない太陽光線を十分体に取り込めるように、進化の途中でメラニン色素をなくしてきたからです。その人たちが強い日光の中にいるのは無理がありますね。
しかし、最近、「適度な日光浴は皮膚ガンを防ぐ」というような「紫外線=ガン要因」説が覆されています。それを発表したのは、イギリスのロンドン衛生熱帯医学校とオーストラリアのシドニー大学の研究グループです。その研究では、屋外でよく日光を浴びている人よりも、日中ほとんど日光に当たらないオフィス勤務者に皮膚ガン患者が多いことが判明しました。研究グループのヘレン・ショー博士によると、オーストラリアやイギリスの場合、日光浴と無縁のオフィス勤務者の皮膚ガンの発生率は、日光浴をする人に比べて、実に2倍(!)近くにまでハネ上がることが分かり、適度な紫外線浴は、むしろカラダの抵抗力を高め、皮膚ガンの発生を抑制する方向に働くといいます。
そこで、お年寄りは日光に当たることが少ないので、なるべく日光に当たるようにした方がよく、また、女性の場合はホルモンの関係から、更年期になると男性よりも骨粗鬆症になりやすいので、それを防ぐためにも、若いときから充分陽に当たり、強い骨をつくっておくことが大切だと言われています。また、成長期の子どもは、できるだけ屋外で元気に遊ばせ、充分な紫外線が必要だと言われています。だからと言って、真っ黒に日焼けするのは、よくないので、万全のUVケアをして紫外線を浴びることが重要だと言われてきています。

投稿者 fujimori : 23:05 | コメント (5)

2010年07月13日 近頃思うこと

カラスの被害

 先週末の読売新聞に「トキだけじゃない…コアジサシにもカラス」という記事が掲載されていました。その内容は、渡り鳥のコアジサシの保護活動が行われている福島県いわき市の夏井川河口で、今夏は1羽の幼鳥も育たないまま巣が消滅したというものです。 コアジサシは、県のレッドデータブックで絶滅危惧1類に分類されており、繁殖が期待されていました。そのコアジサシが、4月29日に初飛来があり、6月5、6日に三つの巣で卵を抱いていました。しかし、その卵をカラスが食べてしまったのです。その後、6月27日にも再び二つの巣で抱卵が確認されたのですが、やはりカラスの襲撃で30日に巣がなくなったということです。
せっかく保護していても、他の生き物にやられてしまっては、自然界ではどう仕様もありませんね。そんなニュースを読むと、今年の3月に、衝撃的なニュースが流れました。佐渡トキ保護センターの訓練用順化ケージで放鳥を控えていたトキのうち9羽が、小動物のテンに襲われて死亡したというニュースです。その後、放鳥されたトキの産卵が確認されたにもかかわらず、次々に卵を巣の外に捨てているのが確認されたり、親鳥が捨てたり、カラスに奪われたりしていずれも繁殖に失敗したというニュースが流れました。
今、東京の都市部ではカラスが増え続けています。今年の3月に「東京都の鳥類繁殖状況調査」によると、カラスの繁殖は、1970年代には山手線の内側ではほとんど確認されませんでしたが、1990年代以降、多数確認され始めるようになったようです。数字的に生息数について言うと、昭和60年の都市部のカラスは約7千羽と報告されていますが、平成8年から平成11年の調査によると、23区内の大規模なねぐらにおけるカラスの生息数は、4年間で約1万4千羽から約2万1千羽へと増加しているそうです。さらに、平成13年の調査によると都内全域で3万羽から3万5千羽生息していると推計されています。本当に急激な増え方です。その原因は、もちろん人間にあります。最大の要因は、人が出す大量の生ごみだからです。都市部のカラスは自然界で苦労してエサを捜すことなく、栄養価の高いエサに確実にありつけるのです。
カラスが増えている原因は、餌だけではありません。住環境もカラスにとって都市部は、安全のようです。カラスの天敵となるオオタカ、フクロウなどの動物がほとんど存在しませんし、明治神宮や自然教育園など、夜間に人が出入りしないうっそうとした樹林は、集団で夜を過ごす習性のあるカラスにとって非常に都合のよいねぐらとなっているのです。さらに、カラスは針金ハンガーなどを使って、鉄塔やビルに巣作りをするなど、人が作り出したものを上手に利用しながら繁殖してきました。
私の園に菜園があるのですが、職員は、実をつけ始めることを迎えて、カラス対策を考え始めています。東京都では、対策を練っていますが、それは、数を減らす対策で、カラスによる被害をなくすわけではありません。職員が考えたのは、案山子を立てようか、CDなど光るものを吊るそうか、賢いカラスは、そんなことでは防げそうにありません。結局はネットを張るしかないようです。
先日訪れた島根の道の駅では、カラス除けではありませんが、こんなものを防ぐものを売っていました。おもしろいので、買ってはきませんでしたが、思わず写真を撮ってしまいました。
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投稿者 fujimori : 23:12 | コメント (5)

2010年07月09日 近頃思うこと

地方分権

よく行政の話で地方分権ということが言われます。それぞれの地域には、その地域なりの特徴があり、それぞれの地域事情に合わせた制度や考え方をする必要があるということが言われます。少し前に、ある研究者の人と議論をしました。その人は、過疎地の保育の研究をしている人で、過疎地には過疎地なりの保育の考え方があるべきであるという主張でした。私は、その地域なりという議論の前に、どの地域でも必要なものは何かという議論直すべきだという主張をしました。どの地域の子どもでも、基本的な発達は同じです。そして、子どもにとって必要な育ちというものは共通していると思っています。もちろん、その地域なりの必要な力はあるかもしれません。しかし、その子どもがどの地域で生活し、働くかわかりませんし、また、私たちもいつ過疎地で働くようになるかもしれません。赤ちゃんは、どんな地域で生まれ、どんな障害を持って生まれるかわからないので、すべての能力を持って生まれるという考え方があります。それを、その地域で生きるために必要なもの、自分で生きていくうえで必要なものを残して発達していくと言われています。
今回、ドイツに行って聞いたのですが、最近のドイツでは、ある保育内容の時間数が決められているそうです。それは、「言語教育」です。今回訪れたある園では、8割近くの子どもがドイツ国籍ではありませんでした。そこで、どの園でも、ドイツ語教育が義務付けられているのです。しかし、それは、決して「母国語を忘れろ!」ということではなく、母国語を大切にすることで、ドイツ語も話せるようになるという考え方の保育であるという説明をしてくれました。
「荘子・斉物論)」にこんな話が載っています。齧欠とその師匠である王倪の問答です。
「先生は万物に共通する普遍的真理をご存知ですね」「そんなものは知らない」「では、わからないということだけはご存知なんですね」「それも知らぬ」「すると一切は不可知であると判断するわけですか?」「それもわからぬ」
師匠の王倪は、弟子の質問に、知らぬ、わからぬの一点張りです。どうしてこんな答えをしたのでしょうか。本当に知らないのでしょうか。また、答えられないのでしょうか。これに続けて、王倪は、こう言っています。「人は湿気の多いところにいると腰を悪くし、ひどい場合には半身不随になって死んでしまうが、泥鰌は湿気を好む。人は木に登ったり高い所にあがるとブルブル震えてしまうが猿は平気だ。この三者に共通の、正しい居場所というのはあるのだろうか。人は家畜の肉を食べ、鹿は草を食い、ムカデはミミズをうまいと思い、トンビやカラスは鼠を好む。この四者に共通の正しい食べ物というようなものがあるだろうか。誰も知らない」
これらの違いだけを見ていると、その答えはないことになります。ということは、私たちの知っていることは、表面的なものであり、それは非常に頼りないものであり、相対的なものであるということを言っているのでしょう。それは、誰でも自分の立場や思いや考えからしか物事を見ていないからです。そんな自分からの世界を他人にも押しつけようと、自分の考えが正しいことを証明しようと、いろいろ理屈をこねて説得しようとします。こんな時に、荘子はこうすればいいと言っています。
何が正しい、正しくないのと論じたところで決着がつくものではありません。であれば、その違いをそのまま受け入れることだと言います。そうすることによって、同じもの、が見えてくるのでしょう。そんな経緯から荘子は、「道」を求めるようになっていったのかもしれません。

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2010年07月07日 近頃思うこと

統一

OECDが推奨する保育の質を高める5カリキュラムのうちの一つがニュージーランドの「テ・ファリキ」と呼ばれるカリキュラムです。ニュージーランドでは、1980年代から90年代にかけて、さまざまな団体、さまざまな協議会が存在していましたが、次第に一つの国基準乳幼児保育カリキュラムが出来上がっていったのです。そのカリキュラムの基本原理は、先住民族であるマオリの原理であった「子どもたちが学び育つように力を与える」を取り入れました。それが、「テ・ファリキ」というカリキュラムで、国としての統一カリキュラムです。もちろん、さまざまな独自性を訴える団体もあるでしょうし、一つに統一するのはおかしく、違いを認め合うべきだという主張もあるでしょう。しかし、国としての補助金を出す対象としてきちんと一つに決めたのです。それは、ドイツでも同じことが言えます。バイエルン州では、陶冶プログラムという統一したカリキュラムを持っています。
日本でも、保育所保育指針とか、幼稚園教育要領は告示化され、日本中の認可された園ではそれに沿って幼児教育を行うことが義務付けられています。しかし、現場を見ると、さまざまです。しかも、今回改訂されたにもかかわらず、保育が変わった気配は見られません。それは、いくら告示化されたと言っても、強制力がないためなのか、そのとり方がさまざま違っても可能なのかわかりませんが、どちらにしても統一カリキュラムではなく、ある方向付けである指針でしかないからでしょう。
では、江戸時代はどうだったのでしょう。江戸時代には、ある程度統一されたカリキュラムがありました。寺子屋などは、お上からの教育機関ではないのに、公権力の介入なしに自力での教育を行っているのに、どこでも同じような教育が行われたのです。それは、寺子屋の師匠の聖書ともいうべき書物がどこでも「論語」だったからです。そして、四書五経の文言の解釈が課題であったからです。
「江戸の教育力」(高橋敏著 ちくま新書)には、彼らが教育のよりどころにした孔子の言葉が引用されています。「子曰。有教無類」(衛霊公第15)という言葉があります。それは、人は、さまざまな生まれついての違いを持っています。それは、貧富の差であったり、年齢差であったり、性別、気質、習俗などの違いです。しかし、教育はそれらによって差をつけないで与えられるものです。与える平等ではなく、受け取る平等です。ユネスコが提案した「万人のための教育」であり、インクルージョンの考え方です。教育とは、このように偉大なものなのです。しかし、平等で生まれた人間の大半は、教育・学習によって差がつくのです。つまりは「生活環境」と「教育」の重要性を説いています。この考え方は、士農工商の身分階級からの解放を意味します。こんな言葉も挙げています。「子曰。性相近也。習相遠也」(陽貨第十七)です。「人間の生まれつき持っているものは、元々似たり寄ったりであるが、その後の習慣や環境や教育によって大きな差が出てくるものです。」孔子が学問・教育の力の絶対性を主張するのはこの故なのです。このことを肝に銘じて、寺子屋では教えていたのでしょう。
このことが、「中庸」にある冒頭の「天命之謂性,率性之謂道,修道之謂教。」の解釈に論議を呼ぶことになるのです。人が天から授かったものは、本性であり、その本性に従って生きていくのが、人の道である。なんだか、相矛盾するかのように見える言葉について、教育の意味を考えることになるのです。

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2010年07月06日 近頃思うこと

ビールとトウモロコシ

アメリカ人の髪を分析すると炭素の成分はトウモロコシで出来ているということについておったドキュメンタリー映画「キングコーン」を見たのですが、確かにいろいろな所にコーンが使われているようです。たとえば、ファストフードでハンバーガーを食べたとすると、肉もコーン、油もコーン油、包み紙もコーン、清涼飲料水のは甘味料、全てはコーンから作られているのです。他にも、思ってもみないところに使われています。たとえば、日本のビールにはコーンが入っています。日本では酒税法では、麦芽・ホップ・水のほかに、副原料として、米・とうもろこし(コーン)・コーリャン・ばれいしょ・でんぷん(スターチ)・糖類・カラメル(着色料)のみ使用することができるのです。この副原料としての米・コーン・スターチはビールの味を調整し、バランスのよいものにするのに役立つために、アメリカやヨーロッパ諸国でも消費者の嗜好に合わせたビールを醸造する手段として広く使われています。ベルギーでは果物などを用いたりもします。
ビールは基本的に麦芽、ホップ、水を主原料として作られていますが、日本においてビールは酒税法上、麦芽や副原料、ホップ、水など決められた原料を使い、水を除く原料に占める麦芽の重量が「三分の二以上」のものとされています。このため、これを下回ったり、果汁など規定以外の原料を使ったりすると、「発泡酒」に分類されます。しかし、少し前までは、日本のビールは、ドイツではビールと呼んではいけないことになっていました。それは、ドイツでは、1516年にバイエルン公ウィルヘルム四世が出した「ビール純粋令」により、「大麦、ホップ、水以外の原料を使ってはならない」とされ、現在に至るまで麦芽100%ビールが一般的になっているからです。しかし、この純粋令は、非関税障壁として非難され、現在は輸入ビールについては廃止されています。
ドイツのビールは大きく分けて大麦を原料とするピルスナータイプと小麦を原料とするヴァイスタイプ・ビールがあり、今回訪れたミュンヘン近辺では、小麦を使った白っぽいヴァイスビールが有名です。ところが、「ビール純粋令」では、「大麦、ホップ、水」のみで作るように定められていました。そのために、ビールの品質向上のために不純物・不正な添加物が混入していないか厳しい品質検査が行われました。当時、酵母の存在はまだ知られていませんでした。その後、ヴァイツェンやケルシュに使わる小麦も原料として認められています。世界中のビール通の間でも、オールモルトのビールへのこだわりは良く見られるもので、大麦とホップと酵母と水のみで作られたビールこそが本物、という声がしばしば聞かれます。日本でも、エアビスビールだけがその伝統を受け継いでいると現地の通訳さんが言っていました。
 いろいろなものには、目に見えないものがいろいろと入っていますが、飲み物にも多いですね。コーラの甘味料の歴史も面白いです。もともとコーラの甘味料は砂糖でした。第二次世界大戦中、砂糖が不足した際、アメリカ政府は優先的にコカ・コーラに配給します。そこで、ペプシは何とか砂糖を手に入れようと奔走したこともありました。そんな時代を経て、70年代、アメリカの清涼飲料メーカーはコストダウンのため当時開発されたばかりの甘味料「異性化糖」に手を出し、この甘味料が市場に急速に広がります。果糖ブドウ糖液糖・コーンシロップなどとも呼ばれるこの甘味料は国内でもコカ・コーラを筆頭にコーンシロップの採用が進んでいきます。ビール、コーラを多く飲んでいる日本人の髪の毛も、炭素の成分はトウモロコシで出来ているかもしれません。

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2010年06月27日 近頃思うこと

陶磁器

 日本各地には、さまざまな陶磁器があります。また、世界にもさまざまな陶磁器があります。進化論で有名なダーウィンの妻は、ウェッジウッド家の令嬢でした。彼だけでなく、ダーウィン家とウェッジウッド家は、少なくとも四度結婚しています。ウェッジウッドは、イギリスの陶磁器メーカーで、ジョサイア・ウェッジウッドによって1759年に設立されました。とても由緒があり、歴史があるメーカーですが、2009年1月5日、アイルランドの本社はグループの中核である英国とアイルランドの子会社について法定管財人による管理を裁判所に申請し、事実上経営破綻しています。
ヨーロッパでは、このウェッジウッドと並んで、ドイツのマイセンが有名な食器のメーカーです。このヨーロッパで初めて硬質磁器を生みだしたドイツの名窯「マイセン」は、約300年前、1人の熱狂的な美術蒐集家から始まりました。13世紀、ヨーロッパの貴族たちが中国から白磁を買い付けてきました。白磁の純白で薄く、硬く艶やかな硬質磁器はヨーロッパでは未だにつくりだすことのできないものであり、列国の王侯貴族、事業家たちはその美しさに魅せられてしまいました。17世紀、ヨーロッパでは中国の磁器や日本の伊万里などが盛んにもてはやされていました。そこで、こんな贅沢品を当地で作れないかと、やっきになって製法を見つけようとしました。18世紀初頭、ザクセン王アウグスト2世の宮廷錬金術師ヨハン・フリードリヒ・ベットガーが、「無価値の素材から『金』を作れる」と言い放った言葉を聞きつけた王は、それを証明させるために彼を幽閉しました。そこで、ベットガーは、数学者で哲学者のエーレンフリート・ヴァルター・フォン・チルンハウスに説得されて陶器の製造に乗り出すのです。そして1707年、赤い色の焼き物(ベットガー炻器)、08年にはヨーロッパ初の白磁器(ベットガー磁器)の製造に成功したのです。ベットガーがその成果を王に報告すると、10年1月23日に磁器製造の独占権を持つ「王立ザクセン磁器工場」がドレスデンに建てられ、さらに製造の秘密を守るため、6月6日に工房がマイセンのアルブレヒト城に移設されたのです。これが、マイセン磁器です。
マイセン磁器の製造は機密保持が厳守され、従業員にも製造過程の一部のみが伝えられていただけでした。しかし1718年にウィーンで競合を立ち上げようと考えた職人の1人、サミュエル・シュテルツェルが製造技術を盗み出そうとしたため、偽装防止措置として1722年、交差した青い2つの剣の模様がマイセン磁器のトレードマークに認定されたのです。
このように、ドイツが誇るマイセン磁器ですが、初期には、中国や日本の磁器の影響を色濃く受けています。まず、絵柄ですが、中国や日本の絵柄である菊の花や竹などは、ヨーロッパ人には馴染みのないものです。その中にザクロがありました。見たことがなかったために、その模様を最初に見て玉ねぎと勘違いした絵付け師が、1939年に玉ねぎ模様の図案を作成し、それが後に大ヒットします。それが、「ブルーオニオン」という結う目に絵柄になるのです。また、マイセンは、日本の有田焼の柿右衛門に多大な影響を受け、今も手描きの伝統が守られています。
陶磁器だけでなく、ヨーロッパは、日本文化、芸術から刺激を受け、自国の文化を作り上げています。
今から、マイセンのふるさとドイツに出発します。ネット環境が整えば、明日から、ドイツ報告をしようと思っています。そこから刺激を受け、自国の保育カリキュラムを作り上げようと思います。

投稿者 fujimori : 07:24 | コメント (5)

2010年06月26日 近頃思うこと

生活から産業へ

何回かブログでテーマに選びましたが、「グッドデザイン賞」という賞があります。この賞を、私は二度受賞していますが、その歴史は古く、1957年に始まっています。その制度が、50年以上もたっても、今日までもなお存続し発展を続けているのでしょうか。それは、時代によってあまり必要がなくなったものではなく、ますますデザインが重要になってきたからです。私のブログでも、たびたび取り上げるのも、デザインという定義は、時代によって変化をし、その変化が、他の分野にも影響を及ぼしているからです。デザイン賞とは、応募された対象の中から「優れたデザイン」を選ぶものですが、この「優れたデザイン」というものが変化しているのです。
「グッドデザイン賞(Gマーク制度)」発足当時の文書には、その目的について「商品の良質化により国民生活の向上、産業の発展及び輸出貿易の振興を図るため・・・グッド・デザインを選定公表する」と記載されています。当時、教育の目的にも似たようなことがありました。目的に「産業の発展」があるのです。当然、国を復興させ、国を富ませる課題はいつの時代でもありうることです。国が富むことによって、国民の生活が富んでくるという発想です。そのために、個人の思いはあと周りになり、一生懸命に働き、産業が発展してきました。それは、物だけでなく、建物、道路造りなどにも反映され、いろいろなものが作られてきました。それを後押しするかのように、いろいろな施設が作られました。私は、その一つが「保育園」出会ったような気がします。子どもにとっての施設というよりも、産業を発展させることを支えてきました。
ところが、2008年、グッドデザイン賞は大きな変更をおこないました。それは「産業から生活へ」を「生活から産業へ」と踏み換える改定です。産業を発展させることで、生活が良くなるのではなく、人々の生活が豊かになることで、産業が発展してくるという発想の転換です。それには、デザインのもつ「近未来を描く力」を、まず生活者である人々が感じてもらうために、デザインが生活者の意志をくみ取り、その支持を得うる具体策を提示していこう。そのすることによって、デザインは社会全体を推し進める大きな力となるのではないかという発想です。今日のグッドデザイン賞は、人間活動の様々な分野領域でデザインが新しい解答をもたらすことを示しながら、「明日の生活」を実現する手がかりを生活者、産業、そして社会全体に提供していこうとしています。
では、保育園という施設はどのように変貌を遂げたのでしょうか。「明日の生活」を実現する手掛かりになっているのでしょうか。もちろん、保育所保育指針には「子どもの最善の利益を考慮し」と書かれています。しかし、議論の論点は、少子時代における子どもたちの育ちをどう保障するのかという言葉よりも、「親の仕事と育児の両立支援」というように、「育児」という言葉も、親の行為です。ここ数日書いている江戸時代の子育て観も、子どものために「親の愛情」という言葉に隠れた「親の都合」を振り切ってまでも子どもをどう育てるかを考えています。子どもにとって、親が一番、親の元が一番ということでもなく、親が自分のことをするために子どもを誰かに預けるのでもなく、子どもを国の宝とし、さまざまなところで子どもの育ちを支えましょう、社会みんなで子ども中心に考えていきましょうという気概を感じます。それが、結局は産業を支えることになるのです。

投稿者 fujimori : 21:23 | コメント (6)

2010年06月25日 近頃思うこと

今朝早く

今朝早く、テレビを見たでしょうか。夜中と言える午前3・00から午前5・00に、日本テレビを見ていた人は、日本全国で平均30・5%だったそうです。それは、もちろん、サッカーの第19回ワールドカップ(W杯)南アフリカ大会第14日の日本対デンマークの試合があったからです。前回の06年W杯ドイツ大会の時、同じ時間帯で行われた日本対ブラジル戦の時は、視聴率22・8%でしたから、それを大きく上回る驚異的数字だったようです。また、瞬間最高も午前4時58分、後半25分に日本が2―0でリードしている場面で41・3%だったそうです。人の心理としては、負けていると見る気がしませんが、勝っていると見ようとします。また、今回のために練習試合で負けが続いた時には、岡田監督へのバッシングは相当なものでした。それが、勝ったとなると、突然、賞賛に変わります。人というものはかってなものですが、仕方ないかもしれません。
しかし、野球の優勝の時も同様ですが、うれしいのはわかりますが、東京でいうと、あの渋谷での大騒ぎはちょっと行きすぎの気がします。公衆の場で、人に迷惑をかけるのはやめてほしいと思います。また、今回、あったかわかりませんが、闘う相手に対する悪口や中傷もやめてほしい気がします。また、闘うときにも、昔から言われるように、正々堂々と戦ってほしいともいます。
その点で、今回対戦相手になったデンマークは、非常に優れている国のようです。事前のテレビで放送されていましたが、デンマークは、対戦相手に対する思いやりが深く、サポーターも必要以上には騒がないそうです。また、サッカーの危険行為に対する忠告として出されるレッドカードを出される率が非常に少ないようです。それがなぜかというと、デンマークが生んだ偉人アンデルセンの童話を小さいうちから聞かされているからだと言っていました。子どもたちのアンケートで、アンデルセン童話の中で何が一番好きかという問いに対して、「親指姫」が多いそうです。親指姫という話は、みんなの協力、思いやり、恩返しによって姫が幸せになるというストーリーで、その話からから、人に対する優しさが育まれたと言われています。
デンマークという国は、は大きく分けて、ドイツの北に延びるユトランド半島の東側に位置するシェラン島を中心にあまり大きくなく、人口は約 543 万人といわれています。この国が、フィンランドと並んで、よく福祉教育に取り上げられます。私も、かなり昔ですが、福祉や保育の実態を見るために行ったことがあります。シェイクスピアの戯曲「ハムレット」の舞台として有名な城であるクロンボー城に合間を見て一人で行ってきました。その時の列車の中のことを以前のブログで書きましたが、「犬可」という車両に乗り込んで感じたのが、福祉は障害者やお年寄りに優しいというだけでなく、犬を連れていようが、自転車に乗っていようが、乳母車を押していようが、それらが町を歩いたり、列車に乗ったり、店に入るときにハンデにならないようにすることだということを知りました。
家族を大切にし、個人を大切にするデンマークでは、専業主婦はまれで、女性はたいてい仕事を持っています。しかし、育児休暇中は日本と同じ1年間の保障で、その後は仕事に復帰します。しかし、原則として医療費はだれでも無料で、入院も、出産を含めて一切お金がかかりませんし、学校の学費は大学に至るまで無料です。その代わり、所得税は、個人収入の49.5%、消費税率は25%です。それでも、将来に対する夢と自信を持っている若者の率が、日本の若者が5%であるのに対して、デンマークは60%と非常に高くなっています。きっと、情緒が安定しているのでしょう。

投稿者 fujimori : 22:52 | コメント (5)

2010年06月24日 近頃思うこと

幼児教育

幼児教育は、人生においてどういう意味を持つのでしょうか。2000年にユネスコが「万人のための教育」というのをまとめ、それと時を同じくして21世紀の「知識基盤社会」に対応した人材育成を目指して、OECDの教育委員会によるプロジェクトである「乳幼児における教育と養護(ECEC)政策に関する調査」をしました。その結果、乳幼児教育を「生涯教育」の第1ステージとしてとらえることにしたのです。そして、その第1ステージの出発点である乳児期において、より強固にスタートさせようということで「スターティングストロング」という、乳幼児における教育と養護(ECEC)において、保育の「質」に重点を置いた「出発点を力強く」と就学前教育の質改善に向けての政策提言をしています。乳幼児教育を、人生という長いスパンからどういう位置づけにするのかを考え、単に学校への準備期としてとらえないことを提言しています。「江戸の教育力」(高橋敏著 ちくま新書)の中にこんな文章があります。
「教育を長期スパンで考えるなら、文字を介さず耳を駆使し、声・語りの言語を通して有史以来、人類の歴史とともに行われてきた。この人類共同事業の教育にさまざまな異分子が発生、近代以降膨張しては細胞分裂し、複雑怪奇な教育現象を引き起こしているのが現況と考えてもおかしくない。事実、地球規模でいえば格差や差異は大きく多様であるが、世界中の誰もが辿る子どもから大人への、文字を介さない音・声・語りの非文字教育の意味を問い直すことが今求められている。江戸の教育力を支えていたのも、「一人前にする」という、有史以来綿々継承されてきた社会共同の非文字教育である。文明化、グローバル化の今の日本でも、どんなに変容、解体されようが、この赤子から子ども、そして一人前への非文字教育コースを通過しないものはいない。」
幼児教育から学校教育につないでいこうとするとき、学校の多くは、「教育は学校から始まる」と思っている節があります。確かに、文字教育は学校からかも知れません。しかし、子どもは生まれながらにして教育される権利があるのです。また、多くの教育は、地域の中で、地域の触れ合いの中で、地域の年中行事や冠婚葬祭、儀式の中で行われてきたのです。決して、親だけで、特に母親だけで子育てが行われてきたわけではないのです。また、学校だけで教育されてきたわけではないのです。
武蔵国北多摩郡狛江村和泉の玉川付近の出身であったことから自ら「玉川(ぎょくせん)」と号した小町雄八という人がいます。彼は、農民出身だったのですが、学問を重ね、晩年に心学道話を説きました。その講説をまとめたものが「自脩編」別名「玉川道話」です。その中に、親としての心得が書かれてある部分があります。
「子どもは、大人の言葉を聞いて決して忘れないもので、その見聞きしたものが、全て子どもの心を形作るのである。どんな些細なことであっても子どもに嘘をついてはいけない。また、子ども同士がケンカをして泣いた時に、わが子を贔屓することは、わが子をダメにすることである。子どものケンカの是非善悪を正す必要はない。親は自分の子どもを叱って連れ帰るべきである。」
「親子は同じ家で生活するために、子どもは親の良い面も悪い面もよく見ている。親といえども完全な人格者ではないため、子どもには親の非を咎める心が生まれるように、親子では道が行われにくい面がある。従って、良き師匠や友に子どもを託して道を学ばせるのである。」
「もともと、親は子どもに良いことを教えたいと思い、子どもは良いことを学びたいと思う心がある。その良いこととは、結局は「職業を身につけること」と、「父兄に仕えること」である。この二つは生きていくための根本である。考えてみると、田圃を耕すことも学問であり、文武諸芸を学ぶことも学問である。『論語』にあるように、学ぶことは行うことであり、行うことは学ぶことである。」

投稿者 fujimori : 23:56 | コメント (5)

2010年06月23日 近頃思うこと

3歳

3歳児神話について、柏女霊峰氏が、著書「現代児童福祉論」の中で述べています。
「3歳児神話」とは,「3歳までは児童のその後の発達にとってきわめて重要な時期であり、母親が家庭で育てるべきである」とする考え方である。精神医学の領域では古くから、児童とりわけ乳幼児の発達にとって母親の存在がきわめて重要であるとする見解が主流になっていた。特にボウルビーらによる世界保健機構への研究報告が乳幼児期における母親からの分離経験がその後の児童の発達を阻害する危険性を提唱して以来、主として精神分析学者からのマイナスの影響にかんする指摘が続けられていた。」
この考え方は、世界における施設保育の是非を問う時に持ち出されます。また、保育園が持つ機能である「発達」「集団保育」「養護」にどのような関係するかということが議論され、ホスピタリズム論争をもたらしているのです。その影響は、今でも研究され、女性の社会進出が進む中、より重要な課題なのです。しかし、これは、アメリカでも研究された結果や、2001年から提案されたOECDによる、乳幼児期における用語と教育(ECEC)に示されたように、どうも「質」の問題ではないかということになっています。母性的養育の量よりも質的な欠如に問題があるとか、単に母が子どもから物理的に離れることの影響を問うのではなく,親子の相互交流の発達や質,子ども自身の特性・ストレス耐性などの諸要因を絡めた研究の重要性が主張されているようです。
柏女氏は、著作の中に「ホスピタリズムにみられる乳幼児の発達遅滞や障害は母性的養育の剥奪の結果によるものか、あるいは施設の養育環境自体の問題であるのかその検討が不十分である」とあるように、子どもへの影響は様々な要因が重なって表れるもので、何が何に影響しているのかは決めにくいものです。それは、良くも悪くも、どちらも決定づける結果は出ないような気がします。それは、最近の脳における前頭葉の発達における影響が何によって損なわれ、促されるかという研究でも同様なことがあります。たとえば、子どもがキャンプなど屋外活動をすると、前頭葉が活発に使われることはわかりますが、その中の何が促しているのかは、よくわかっていません。人は、さまざまな環境が複合的に絡み合って影響を受けていくからです。ですから、家庭がいいのか、施設がいいのかは簡単には言えないのです。
それなのに、柏女氏はこう言います。「一般にはいわゆる「3歳児神話」として定着し、これが一方では保育所に乳幼児を預けて働く母親の罪障感を生み、また、女性を家庭に留め置きたい男性側の、あるいは、女性のパート労働と同様、専業主婦の雇用調整のためのレトリックとしてしばしば用いられ、いわゆゆイデオロギー的性格をもつ結果となっている。わが国における女性就労のいわゆるM字カーブの存在もこの考え方が男性のみならず女性も含めて社会一般に受け入れられている、あるいは、受け入れざるを得ない状況に置かれている結果としてみることができる。」と分析します。
最近の研究では、むしろ保育環境(保育者と保育を受ける乳幼児との数比、保育者の質,提供される保育の内容)と家庭環境(家庭環境と安定性,保育経験前からの母子環境の状況,保育以外の日常生活経験)および乳幼児の特性等との相互的な関わりのあり方のなかで決定されると考えることが必要であるとしています。
私は、乳幼児教育の必要性は、少子社会における子ども環境の変化、子どもを支える社会の変化を考える必要があると思っています。

投稿者 fujimori : 23:22 | コメント (6)

2010年06月21日 近頃思うこと

親とは

 先日、ある幼稚園団体から講演依頼が来ました。その内容は、主任格の先生に、保護者に対して、子どもにとっては親がとても大切であることを話すことについての研修会をしてほしいということでした。今回の保育所保育指針でも、保育園は、「家庭の補完」から「家庭との緊密な連携のもとで」に変わりました。幼稚園、保育園は、保護者と連携を持ち、ともに子どもを見守っていかなければなりません。それは、もちろん学校に行っても同じことが言えます。しつけは親の責任だ、いや学校に任せるということではなく、ともに育てていくといったイメージです。
 そんな保護者の役割、保護者による家庭での育児に対して江戸時代の寺子屋ではどうだったのでしょう。今よりは親は忙しかったでしょうし、もちろん専業主婦のように育児に専念できる余裕もなかった時代です。また、それほど高い学問を修めている親もそう多くはなかったはずです。
 千葉県香取郡干潟町(今は、合併して旭市)に、平成8年3月15日大原幽学記念館を設立されました。ここは、大原幽学の遺跡と大量の資料が所蔵され、平成3年には407点の幽学関係資料が国の重要文化財に指定されました。大原幽学は天保、嘉永、安政にかけての混乱した世相の中、農民の教化と農村改革運動を指導し大きな事績を残した人物です。道徳と経済の調和を基本とした性学を説き、農民や医師、商家の経営を実践指導しました。性学とは、欲に負けず人間の本性に従って生きる道を見つけ出そうとする学問のことです。その代表的なものが「先祖株組合」の結成です。お互いに助け合い、生活を改善していくための村ぐるみの組織で世界最初の協同組合となりました。また、最近の生協と同じように共同購入によってのメリットや、耕地整理、住居の分散移なども行い、日常生活の細部にいたるまで規律をつくりその心を指導したのです。
その彼は、子どもの教育・しつけのために換え子制度を奨励しました。 NHKテレビの「歴史は眠らない」という番組がありました。その中の「ニッポン母の肖像」の第一回は、「大江戸子育て事情」で、換え子制度の説明をしていました。江戸時代、子どもは、「家」そして家の財産や格式を引き継ぎ、それを次代に伝える重要な役割を担っていました。そうした子どもを大事に育て、一人前にする責任を負っていたのは父親でした。ですから、江戸の父親の子育て熱は、藩主から農民までさまざまな立場の人にまで広がっていました。そんな“父の子育て”を支えたのが、地域社会での義理の親・「仮親」の存在でした。その子の通過儀礼ごとに結ばれ、以後生涯にわたって続く擬似親子関係は、母親が出産で命を落とすことが多く、子育てに専念するのが困難だった時代の「子育てセーフティーネット」でもあったのです。こんな社会状況の中、大原幽学は、荒廃する地域社会を立て直すため、互いの子どもを替えて育て、“村の子すべてをわが子のように”する「換え子教育」を奨励します。様々な身分階層において,子どもを地域社会で共同して育てるべきであるという考えを提案するのです。わが子に養育料をつけ、一定期間、他家に預けて教育してもらう方法で、一軒に1,2年ずつ預け、これを数年間続けます。なかには10年以上預ける場合もありました。
幽学は「道徳百話」にて、「どんな子どもでもわが子は可愛いもので、子を思う気持ちに自他の区別は無いはずである。だから、自分の子、他人の子という区別をしてはならない」という基本姿勢を持ちます。ちょっと極端な提案ですが、親子とはどんな関係かを考えてしまいます。

投稿者 fujimori : 23:13 | コメント (5)

2010年06月19日 近頃思うこと

眠くて

園では、お昼寝がしたくない子が何人かいます。それは、もちろん子どもによってはそれほど昼間の睡眠時間が必要でない子もいますし、また、その日の昼間の活動によって休息の量や質は変わるはずです。それを、個人差や活動量を無視して、みんな一斉に昼寝をさせようとしたり、もう年長さんなんだから寝る必要はないと思いこんだり、園の昼寝は大人の都合で寝かせたり、寝かせなかったりしているところが多く見られます。もう少し、自由にさせてあげたらいいのにと思うことがあります。少し前の5月の連休後に、私の園に昼寝の取材が来たことがあります。それは、昼寝をしたくない子が、みんなが寝ている間、寝ないで本を読んで休息している写真を撮りたいということでした。事前に問い合わせがあったのですが、毎日寝ない子が5~10人くらいいるので写真は取れますよということできてもらいました。ところが、いざ、写真を撮ろうとすると、誰ひとり起きている子はいず、全員寝てしまっていました。職員に聞いてみると、子どもたちは全員連休中にいろいろな所に出かけて、1日中動き回っていたので「疲れたから寝る!」と言って寝てしまったそうです。私の園では、普段から寝ても寝なくても自由なので、子どもたちは言われてではなく、自分の体に聞いて選択しているようです。
それにしても、私がいつも一緒出かける職員はよく寝ます。昼間であろうが、人の話を聞いている時であろうが、すぐ眠り始めます。すると、R25という雑誌の特集記事「いくら眠くても就業中は寝てはならぬーーそれが社会人というものです。わかっちゃいるけど、ランチの後から午後3:00ごろにかけての睡魔はキョーレツ! 午後になると眠くなるのはどうしてなんだ?」というのを見つけました。
どうも、それは、普通のことのようです。「午後1~3時に感じる眠気は『ポストランチディップ』と呼ばれ、もともと人間はこの時間帯に強い眠気を感じる生体リズムを持っている」そうです。昼食をたべた後、だれでも引き込まれるような眠気が生じるのは、昼食による満腹感と結びつけて考えられていたのですが、最近では、この眠気が昼食の有無にかかわらず生じていることが明らかになり、ヒト固有のリズムとして認識されるようになったようです。この午後の眠気を、ポストランチ・デープ(post-lunch deep)とかポストブランチュアル・ディップ(post-brunchial dip)といいます。人は、1日24時間を単位として行動しています。しかし、人間の体は、12時間を単位としてリズムをとっているそうです。それを、サーカセミディアンリズム(半概日リズム)というそうです。
R25という雑誌の特集では、「だかといって「じゃあしょうがないよね!」とはいかないのがビジネスの現場。眠気に負けない方法ってないのかな?」という特集でした。そこに書かれてあったのは、もともとおやつの語源は「八ツ時」(午後2時ごろ)からきているのは、昔の人もちょうど眠くなるこの時間帯に、お茶うけを食べてアゴを動かし、お茶でカフェインを摂っていたからだそうです。一時的な対処方法ですが、カフェインを摂る、ガムを噛む、冷たい風をあびる、顔を洗う、周囲を明るくする、体を動かす、などがありますが、その中で特に効果的なのは、「おやつ」を食べることだそうです。
大人も、昼寝かおやつが必要なようです。

投稿者 fujimori : 20:57 | コメント (5)

2010年06月18日 近頃思うこと

高学力

一昨日、フィンランドの保育、育児の考え方の話を聞きました。以前、園にフィンランドの方が見えたときに、「いいですね。フィンランドは学力が世界一だそうで。」というと、「フィンランドは、人口が非常に少ないので、一人の無駄も出せないのですよ。」と答えたのが印象に残っています。そもそもフィンランドの人口は、約527万人です。日本では、都道府県別ベストテンの中で、8位が北海道で、5,535,000人で、9位が福岡県の5,054,000人ですので、その真ん中くらいです。確かに、人口は、日本で言うと、一つの件くらいです。その国土の広さというと、日本の国土面積の約90%ですから、ずいぶんと人口密度は少ないですね。その国土の中で、山が少なく平坦で、最高峰でも1300m位しかなく、逆に湖の面積は国土の9.4もあり、湖と国土の大半を占める美しい森の国です。フィンランド人は自分の国や民族のことをスオミSuomiと呼ぶそうですが、その語源は湖、池を意味するスオSuoからきたと言われています。
そのフィンランドが世界的に注目を浴びるようになったきっかけは、OECD(経済協力開発機構)の2003年の生徒の学習到達度調査(PISA)で、フィンランドが読解力と科学的リテラシーで1位、総合成績でも1位という結果が、世界を駆けめぐったことによります。それに対して、日本の学力が世界のトップを維持していたのが、大きく転落したのです。そこで、文部科学大臣は競争を強化することを表明しました。その対策とは、「総合的学習」と「ゆとり教育」を改め、学習指導要領の見直しをしたのです。しかし、この見直しは少し勘違いしているところがあります。実は、この国際調査が測定しようとしたのは、旧来の「学力」ではなく、これからの時代に求められる知識と能力なのです。それに日本の教育が対応していないことからくる低下なのです。しかし、その結果を受けて、フィンランドを訪れる教育関係の人が増え、そのメソッドを求めて躍起になる教育関係者が多く見られます。
フィンランド政府は、なぜ学力が向上しているのかというと「総合教育」に理由があるとしています。そして、次のように説明しています。1、どんな処にすんでいても、また性別や経済的な事情、母国語の違いなどには関係なく平等な教育を受けている。2、生徒は近くの学校に通う。3、教育は全体として無料である。4、“選んで教育する”という教育ではなく、平等な総合教育である。5、中央が大綱を決め、地方が実行するという弾力的な行政である。6、すべてのレベルが相互に作用し合い、協力している。 また共通な理念を持っている。7、“一人一人が向上する”という方針に基づいて生徒を評価する。 したがって、いわゆるテスト主義(点数主義)でもなく、ランキング付けもしない。8、高い教員の資質、自主的な教員であることを基としている。9、“皆で社会を築いていこう”という学習概念に拠っている。
もちろん、日本に比べて税金が非常に高いゆえにかなえられていることもありますが、考え方の違いについては、参考になります。まず、2番目の「近くの学校に」は、最近、小学校の選択性や、私立小学校への入学希望が増えている日本とは逆の考え方です。そして、是非、日本でも大切にしてほしいのは、6番目のお互いの「協力」です。それは、9番目の「皆で社会を築いていこう」という意識を支えます。シンポジウムで印象に残ったのは、園と保護者が同じ価値観を持って、協力して子どもたちの育ちを見守っていこうという姿勢でした。

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2010年06月17日 近頃思うこと

 東京も梅雨に入っています。今日は晴れていますが、明日から雨の日が続くそうです。子どもたちは外に行けず、体を持て余し、ストレスがたまってしまいそうです。そんな心情を歌った歌が、北原白秋作詞・弘田龍太郎作曲の「雨」です。「雨がふります 雨がふる 遊びにゆきたし 傘はなし 紅緒の木履も 緒が切れた」遊びに行きたい子が、雨を恨めしそうに見ている姿が目に浮かびます。「雨がふります 雨がふる いやでもお家で 遊びましょう 千代紙おりましょう たたみましょう」この歌詞を読むと、子どもの気持ちがわかります。まず、「いやでも」とあるところを見ると、本当は子どもというのは、外で遊びたいのです。では、仕方ないので家で遊ぶとしたら、千代紙を折ったり、たたんだりして遊ぶところを見ると、女の子かもしれません。ということは、女の子でも外で遊びたいようです。それは、刷り込みかもしれませんね。その子が折り紙を折っていると、外で声がします。その声は、なんと、「雨がふります 雨がふる けんけん小雉子が 今啼いた 小雉子も寒かろ 寂しかろ」小さいキジのようで、「ケンケン」とないています。それは、雨に当たって、寒いからなのでしょう。キジの鳴き声は、雨の日の寂しさを強調しているかのようです。何も音がしないよりも、静寂さを感じます。そろそろ折り紙にも飽きました。というより、千代紙は貴重なので、1枚おれば終わりなのでしょう。まだ、雨はやみそうにありません。そこで、人形を寝かしつけます。「雨がふります 雨がふる お人形寝かせど まだ止まぬ お線香花火も みな焚いた」まだ雨はやみそうにないので、線香花火をやって止むのを待っていようとしたら、すべての線香花火をやり終えてしまった。どうして、雨の日に線香花火なのでしょう。それは、その燃え方が、寂しさを増すからなのでしょう。あくまでも、女の子の遊びの種類は、寂しさ、静けさを強調するための小道具なのです。
昨日、フィンランド在住の女性の方と、保育についてのシンポジウムを行いました。その発表の中で、フィンランドの幼児施設では、ほとんど毎日森に行きます。雨が降っても、室内で遊ぶことはしないで、レインコートを着て出かけるという報告がありました。子どもにとっては、雨も教材であり、遊び道具なのです。雨には雨の良さがあると考えるようです。こんな言葉がスクリーンに映りました。「天気に良いも悪いもない。悪いものがあるとしたら、その天気にそぐわない服装をすることである。」というものでした。検索で、「雨の日 遊び」を入れてみると、「雨でも目一杯遊びたいですよね。梅雨時に便利な室内施設を集めてみました。雨降りなんかに負けずに遊びに行こう!」やっぱり、室内です。
しかし、雨の日も子どもにとっては魅力的なものです。雨の時の子どもの心情を歌った歌「あめふりくまのこ」(鶴見正夫作詞、湯山昭作曲)があります。この歌詞は、すべてひらがなで、5連からなっています。第1連は、山に雨が降りだし、だんだんと本降りになり、地面に川筋ができました。その川筋は、小川みたいな川筋になり、あちこちに水たまりもできていることでしょう。第2連で、熊の子が登場してきます。川遊びごっこをしてあそびます。まず、雨降りでできた川筋の小川の覗き見します。魚がいるかなあと覗き見します。第3連は、できた小川には何もいないことが分り、熊の子は水を手ですくって飲みます。第4連は、それでもどこかに魚か小さな生物か何かがいるような気がして、落ち着きません。気がかりなのです。ですから、もう一度のぞいて見ます。第5連は、雨はなかなか止みません。そこで、熊の子は葉っぱを自分の頭上にかぶせて、自分の体が雨にぬれるのを防ぎます。
なんて、雨の中の子どももかわいいことでしょう。

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2010年06月16日 近頃思うこと

生態

 今日、園の職員たちと、「エコ」って何かという話題になりました。エコは、エコロジーの省略形ですが、和製英語です。このエコロジーというのは、生態学と言い、生物と環境の関係を研究する学問のことを言います。同じようにエコノミーを略して「エコ」ということもあります。これは、経済という意味で、エコロジーとは全く関係ない言葉と思いますが、実は関係があります。それは、エコロジーもエコノミーも、その語源はともに古代ギリシアの市民の家政機関である「オイコス」に由来しています。OIKOS(オイコス)とは、ギリシア語で「家・棲家」という意味です。エコロジーとは、「自然界の生物の生存のための活動は、オイコスを成立せしめる論理を究明する学問」ということです。それが、
環境破壊や公害問題が表面化するにつれ、それを解決する学問分野であるとして生態学が注目を受けるようになりました。そこから、生態学的判断によって、それらの問題に対して必要と考えられる対抗策や、それまでの方法論への変更、見直し等を行なう運動が起こり、それらをまとめて表す言葉としてエコロジー運動(エコロジズム、エコロジスト)といった言葉が使われるようになった。そこから、次第にそれらの方向における運動や活動にエコロジーという言葉が使わり、環境を守る言葉としてエコという言葉が生まれたのです。
 生き物というものは不思議なものです。以前ブログでも取り上げられましたが、すべての生き物は、それぞれ己の遺伝子を子孫に残していくような遺伝子が組み込まれています。しかし、己の遺伝子を残すという非常に利己的な行為であっても、結果的に己だけでは生きていけないことを悟るのです。生き物は、環境に影響を与え、環境は生き物に影響を与えるます。そこには、相互作用があります。また、それぞれの生き物は、それぞれに役割があり、その役割はそのうちのどれかがなくなっても全体が成り立たなくなることが多いのです。そのお互いに強制して成り立っているということは、なにも地球、宇宙規模だけの話ではありません。「荘子」斉物論では、こんなことを言っています。「百骸、九竅、六臓、かねて存す。われ、たれとともに親(しん)たらん。なんじみなこれを説(よろこ)ぶか。それ私するありや。かくのごときはみな臣妾たることありや。それ臣妾はもってあい治むるに足らざるか。それ逓(たがい)に君臣とあいなるか。それ真君ありや存せりや。もし、その情を求め得ると得ざると、その真に益損なし。」
人間の体の中の話を例に出しています。私たちの身体というのは非常に不思議なもので、心臓も肺も胃腸もそれぞれの役割があり、それぞれがそれぞれの役割をしていることでうまく機能しています。しかし、私たちは、それを意識しているわけではありません。そんなことは考えてもいません。それぞれを動かしている筋肉は、不随筋といって、意識を持って動かしていないのです。それなのに、健康であればちゃんと動いてくれます。また、それぞれの機能は、それぞれ関連し合っています。身体の諸器官は単にそれぞれの働きをするだけでなく密接に連携しています。しかし、この連携も、意識して行っているわけではありません。しかし、どこかで働きを統括していなければまとまりがつかないはずです。きっと、どこかに私たちの理解を超えた「真君」が居るのではないかということを、荘子は考えます。考えようと考えまいと、私たちの身体が統一をなしているという事実には何の変りもないわけです。それが、生きる上での「道」であるというのです。

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2010年06月15日 近頃思うこと

ドイツ自動車

 今年も、今月末にドイツ研修に出かけます。先日、事前研修を行いました。今回も、数人が外国は初めてという参加者がいますが、そんな人を羨ましく思います。幕末にイギリスに留学した薩摩の若者たちは、行く先々で、珍しいものを見ます。どれを見ても、すごいと思ったでしょう。イギリスについても見るもの聞くものが新鮮だったようです。彼らは、貪欲にいろいろなものを見、学び、習得していきます。そのうちに、イギリス人を教えるようにまでなります。それを見たイギリス人たちは、日本人は、最初、何も知らない、何もできないのを見て、なんて野蛮な、遅れている国民なんだろうと思っていたのが、なんて優秀な人種だろうと思いなおします。彼らが、もともと優秀だったこともあるでしょうが、初めて見聞きしたことに対しての非常な探究心があったからでしょう。そんな意味でも、初めて海外に行く人は、きっと、何にでも感激するでしょう。私が、初めて外国に行ったのは、カナダでした。カナダについて、まず感動したのは、滑走路に生えている雑草を見たときでした。これは、外国の草なんだと変に感動したことを今でも思い出します。その次に感動したのは、町に出ると、走っている車はみんな外車ですし、道ですれ違う人はみんな外国人です。初めての時は、当たり前のことにいやに感心します。
 ドイツに行って、まず感動するのが、ドイツのタクシーです。ほとんどは、なんとベンツなのです。日本では、めったに乗れない車種にふつうに乗るのです。ベンツがタクシー業界で70%以上の圧倒的シェア-を誇っていましたが、それは、早い時期にディーゼルエンジンやオートマチックを手がけたことや、長持ちで丈夫だからだそうです。しかし、最近は、30%位に下がってしまっているようです。それは、売り出されたベンツの車種は、たくさんのエレクトロニクスが搭載されているEクラスだからです。タクシー業界では、そんなものが積まれても、こわれれやすくコスト増大になるだけだと思うからです。
ところで、タクシーに乗って、走り始めるともっとびっくりします。タクシーは、日本でいう高速道路であるアウトバーンに入ります。もちろん、料金所がないので、いつ入ったかわからないのですが、次第にスピードを上げていきます。速度違反は大丈夫か心配になりますが、基本的には、アウトバーンは、スピードは無制限です。タクシーは、ほぼ200㎞で走りますが、それを勢いよく抜いて行く車があるのにびっくりします。それは、ポルシェであったり、BMWであったり、フェラーリです。
ドイツは、有名自動車ブランドの宝庫です。ベンツ、BMW、ポルシェ、アウディ、フォルクスワーゲン、オペルなどなどです。しかし、こんなニュースが流れました。「欧州自動車最大手の独フォルクスワーゲンは、2009年8月13日、ドイツ高級車メーカー・ポルシェと2011年までに経営統合すると正式発表した。」そのニュースを聞いて、あのビートルと言われた、独特の車体形状でとても人気のあったフォルクスワーゲンがポルシェと一緒になるというので、ビックリですが、実は、そのフォルクスワーゲン・タイプ1を設計した技術者は、フェルディナント・ポルシェの息子であるフェリー・ポルシェで、彼が1947年に設立したのが、フォルクスワーゲンです。また、ベンツも、長年ドイツを代表する企業でしたが、数年前、米自動車メーカー・クライスラーと合併し、その後日本や韓国のメーカーと組んで世界戦略を展開しています。
昔からの名前にだけしがみついていると、その名前でさえ残せなくなっていきます。時代は、容赦ありません。

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2010年06月14日 近頃思うこと

ターニングポイント

 それぞれの時代には、ターニングポイントと言われる変化のきっかけとなる出来事があります。私たち日本人は、よく「戦前、戦後」といういい方をしますが、終戦の時期が大きなターニングポイントで、その前と後では、教育や生活、経済などあらゆる面で変化をしました。今、南アフリカでサッカーのワールドカップ(W杯)が行われていますが、この大会が南アフリカにおいてターニングポイントになるであろうと言われています。今後、南アフリカでは、私たちが「戦前・戦後」と使うように「大会前・大会後」という言葉が使われるであろうと言われています。
 今、NHK大河ドラマで放送されている「龍馬伝」の時代の大きなターニングポイントは、明治維新でした。維新前と、維新後では大きく変化します。それは、江戸時代から、明治時代への変化でもありました。それはまた、幕府から朝廷への政権の変化でした。その時期を迎えるにあたって、その前には生む苦しみというような、様々な犠牲者を出します。そして、その犠牲者を多く出した出来事が、ターニングポイントとなる時期を早めたり、遅めたりします。
 昨日と先週に放映された「龍馬伝」では、その大きな出来事としての「池田屋事件」が取り上げられていました。この事件によって、明治維新が1年遅れたとも、尊攘派を刺激してしまい維新を早めたともいわれています。司馬遼太郎の新選組副長土方歳三の生涯を描く長編小説、歴史小説である「燃えよ剣」の中には、こう書かれています。「池田屋の変によって新撰組は雷鳴をあげたが、歴史に重大な影響をもたらした。普通、この変で当時の実力派の志士の多数が斬殺、捕殺されたために、明治維新が少なくとも一年遅れたといわれるが、おそれく逆であろう。この変によってむしろ明治維新が早く来たと見るほうが正しい。あるいはこの変がなければ、永久に薩長主導によるあの明治維新は来なかったかもしれない。革命には、革命派の凶暴な軍事行動が必要だが、当時の親京都派諸藩のいずれも、それへ飛躍する可能性も気分も無かった。どの雄藩の首脳も、幕府に盾をつくなど考えもしていなかった。ひとり、三十六万石の長州藩という火薬庫が爆発したのである。」
 この事件は、一方では、新撰組が、その名前を高め、その存在を認めさせるために利用したとも言われていますが、結果的に新撰組の命を縮めたことになったのです。今年の初め、妻と池田屋を訪ねてみました。現在、池田屋は、京都三条木屋町の旅籠の雰囲気をリアルに再現していますが、なんと、居酒屋としての再現です。まあ、仕方ないかという感じです。
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 この事件をきっかけに「禁門の変」が起きます。この事件は、別名「蛤御門の変」ともいわれていますが、その蛤御門は現在の京都御苑の西側に位置しています。その場にも行ってみました。そこの立て札には、こう書かれてありました。「江戸時代末期の1864年、この門の周辺で長州藩と、御所の警護に当たっていた会津、薩摩、桑名藩との間で激戦が行われました。この戦いが「禁門の変」で、門の梁にはその時の鉄砲の弾傷らしき跡が残っています。この門は、江戸時代の大火で、それまで閉ざされていた門が初めて開かれたため、「焼けて口開く蛤」にたとえて、蛤御門と呼ばれるようになったといわれています。」
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 この出来事によって、薩長の敵対意識が増すのですが、それがかえって薩長同盟を結ぶことにつながっていきます。時代は、何がどの様に影響し、どのように動いていくかわからないですね。

投稿者 fujimori : 21:28 | コメント (7)

2010年06月13日 近頃思うこと

荘子5

 赤ちゃんは、音のする方に顔を向けます。その視線の先の多くは、母親の声のする方です。それは、乳を与えてくれる存在を確かめるためでしょう。また、自分を見守っている存在がそばにあるという確信を持つためでもあるかもしれません。しかし、音がする方に顔を向けるようになる前から、赤ちゃんは音を聞いています。赤ちゃんの脳の構造は、妊娠36週ごろには大人とほぼ同じつくりになるのですが、その機能は、まだまだ未熟で、情報を上手に処理することはできません。その中で、感覚器官は、視覚を除けば、嗅覚、聴覚、味覚、皮膚感覚などは、大人並に発達しています。それらの感覚は、人として生きていくために、生き延びるために必要な機能だからだったからでしょう。
人は、昔、身近な母親の声のほかにいろいろな音を聞いたことでしょう。その中で一番耳に届く音は、さまざまな自然の音だったでしょう。風の音、風でそよぐ木の枝や葉、川の流れ、しずくの落ちる音、さまざまな音が自然界にはあります。また、恐ろしい音もあるでしょう。恐ろしい獣が近付く音、地震、雷、火事、嵐など様々な天災の音。それらの音は、さぞかし赤ちゃんを不安にさせたことでしょう。そんなときには、そばにいる母親の声親父親の声、みんなを守る大人たち仲間の声は気持ちを落ち着かせたに違いありません。また、人間が少し進化してくると、大人を含めて気持ちを和らげる音を自ら発することができるようになります。それは、人が叩く音、人が吹き鳴らす音、人がはじく音などです。
しかし、人の力ではどうしても防ぐことができない事柄にぶつかるとき、どうしたらよいかわからなくなったときに、聞こうとする「声」があります。それは、「天の声」です。しかし、その天の声は、何を通して私たちに伝えるのでしょうか。巫女などの占い師の言葉によって伝えられると思っていた時代もあったでしょう。しかし、人を介しての場合は、どうしてもその人の主観がどこまで入っているのかがわからないことがあります。天の声には、いろいろな雑念、思惑、善悪の判断すらも入ってきてはいけないのです。
笛の音のことを「籟」といいます。「人籟」というのは人が奏でる笛ということですが、息から吐き出されるものということで言えば「言葉」もそうでしょう。では、「地籟」とえば、大地が吐く息、つまり風が奏でる音です。では、天が吐き出す音、天の声である「天籟」とは何かということを、「荘子」斉物論の中で説明しています。
南郭子が弟子の子游に向かってこう言います。「女聞人籟而未聞地籟 女聞地籟而未聞 天籟夫」と。人の奏でる音、言葉は聞くことができます。また、地が奏でる音も聞くことができます。しかし、まだ、天の声、言葉は聞くことができないというのです。地籟にせよ、人籟にせよ、鳴るものは千差万別ですが、それぞれおのずからなる音を生じ、おのれの音色に鳴り響くのです。それは、何がそうさせているのでしょうか。また、同じように、人間は、さまざまな喜怒哀楽などの感情が生まれますが、それは、何がそれを生成させているのでしょうか。それは効果だけがあって、かたちをもっていません。しかし、喜怒哀楽、悲嘆や執着の気持ちをどうしても持ってしまいがちです。
実は、自然界の中にあるさまざまな音は、音(押しつけがましい主張)がありません。「無音の音」と言われる所以です。善悪の考えが何一つないのです。そこには、迷いがありません。それら自然の音は、実は天の音なのであると荘子は言います。狭い世界の中で、小さな自分の存在を中心に世界を見ていることが多いのです。西洋の考え方では、人間を中心にした自然であり、自分の生き方に都合のいいように自然を見て世界を造りだしてしまいがちでした。しかし、自然の中から自分を見たらどうなるのか、ということが天の声を聞くことに近づくのではないでしょうか。
そういう意味では、赤ちゃんは、母親の声の中に天の声を聞いているような気がします。

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2010年06月11日 近頃思うこと

昆虫人気

 夜、出先から職員と一緒に園に戻ろうと、高田馬場駅の近くの少し閑静な住宅街を歩いている時でした。目の前の足元に何は動いているものが見えました。よく見ると、草むらから、道路を挟んだ草むらに移動しようとしているガマガエルでした。大きさは、体長10cmくらいあり、都会で見るカエルにしてはずいぶんと大きなものでした。最初は、それを見て素通ったのですが、しばらく歩いて行って、職員と顔を見合わせました。「捕まえて帰って、園児に見せようか」と言って、急いで職員に戻って捕まえてきてもらいました。幸い、その職員は、男性でしたので、ビニール袋に入れて戻ってきました。持って帰って、その日は、とりあえず水を少し入れたバケツの中に入れておきました。
 翌日、さっそく水を浅く張った中に大きな岩を入れた水槽に移しました。次の問題は、餌です。カエルは生き餌しか食べないとは知っていたのですが、ハエとかは捕まえることはできません。しかし、カエルは水の中の生き物だから、水の中のものを食べるだろうということで、生きた小海老をやったり、メダカをやったりしても数日間見向きもしません。そのうちに元気がなくなってきました。そこで、私が、ミミズでも捕まえるか、買いに行こうということで、少し行ったところの「爬虫類クラブ」というショップに行ってもらいました。そこから職員が興奮して戻ってきました。恥ずかしいのですが、やはり東京の人という感じです。
 まず、ガマガエルは水の中に入れておいたら死んでしまうと言われたそうです。カエルと言えば、水場と思いきや、ガマガエルは土の上で石や倒木の下で生息するそうです。そして、水は皮膚から摂取するので、容器の中に水を皿に入れておいておいことだそうです。そして、餌を買ってきたのですが、なんと紙袋に入れた「コオロギ」が50匹。このコオロギは、「フタホシコオロギ」といって、餌用にタンパク質、脂肪分、アミノ酸、ビタミンをバランスよく配合した高栄養で育てたものだとか。それを、3日に1回5匹くらいカエルのいる容器の中に入れてくださいとのことでした。
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 帰ってきて餌をあげてびっくり。入れた途端、目の前に来たコオロギを素早く舌を伸ばして捕まえた途端、飲み込むのです。職員みんなで、その瞬間をケースを囲んでのぞきこみます。子どもたちのところへは、今のところたまにしか行きません。まず、十分と職員が観察してからのようです。
 ということで、ガマガエルは食性は動物食で、昆虫類や、甲殻類、ミミズなどをこのむようです。しかし、中には、虫が苦手という人がいて、怖がりながら見ていますが、最近、「昆虫人気がジワリと増している」という新聞記事を見つけました。それは、飼育や標本で楽しむのではなく、食材としてだそうです。「昆虫料理試食会」でのメニューは、「スズメバチの幼虫ドリア」「アボカドサラダ、ツムギアリとヤナギムシのドレッシング仕立て」などだそうです。試食会を始めた内山さんによると、昆虫料理の鉄則は「毒などの調査で手間を惜しまず、しっかり熱を通す」ことだそうです。食品衛生責任者の資格を取り、時には英語の文献とも格闘して美食を追究した結果、自分や仲間が郊外の山野で捕獲したものだけでなく、「養殖」したものを中心に約60種類にのぼる虫を料理してきたそうです。その中で、「食卓の定番料理ならハードルも低い」と作った「蚕のさなぎカレー」「セミのチリソースあえ」は、初心者にも好評だったようです。
 それにしても、いくら好き嫌いのない私でも、ちょっと食べるのをためらいますが、「蜂の子」と呼ばれるクロスズメバチの幼虫やサナギ、イナゴを食べるのは、れっきとした日本の食文化です。しかも、最近の「火星居住計画」という先端科学でも、昆虫食はまじめに検討されています。人間は、どこまで探求心が強いのでしょうね。

投稿者 fujimori : 22:13 | コメント (6)

2010年06月08日 近頃思うこと

荘子4

 考え方を形にするのはとても難しいことです。その形は、立体的な造形物の時もあり、言葉の時もあります。最近、男脳と女脳の違いで、男脳は「空間認知力」に優れている人が多いが、女性は「言葉による認知力」に優れている人が多いと言われています。建物を設計する時には、当然、紙の上に書かれた図面で考え方を説明します。しかし、その2次元の世界から3次元である立体物の建物を認識するのは難しい人がいます。それを、模型という同じ3次元のもので表現するとより分かりやすくなります。最近は、映像的にもその建物の中をあたかも歩き回っているように体験できるものもあります。しかも、あるきまわるのが子どもの視線や、車いすに乗っている人の視線も体験できます。
 人としての生き方に対しての考え方を言葉にするのはとても難しいことです。それを、昔からさまざまな人が何とか伝えようとしてきました。私は、保育の世界にいますが、保育というのは常々言っていることですが、人としての生き方であると思っていますので、それを言葉で表現するのはとても難しいものです。しかも、その表現の捉え方が人によって違ってしまうと、全く違ったものとして伝わってしまいます。そんなときには、私はなるべくシンプルに語るべきだと思っています。それは、他のことでもそうですが、年齢を重ねるにつれて、いろいろなことを経験し、いろいろな人と出会い、いろいろなものを見、聞くにつれてそれが増えていくのではなく、いろいろなものがそぎ落とされ、次第にシンプルになってくる気がするからです。それは、たぶん、言葉とか姿には惑わされず、物の本質を見ようとするからかもしれません。ものの本質は、非常にシンプルなものだと感じます。しかし、なかなかそれを理解することや伝えることはシンプルゆえに難しいことなのかも知れません。
荘子「斉物論」にこんなことが書かれてあります。「大知閑閑、小知閒(間)閒(間)。」です。すぐれた知恵である大知あるものは、静かにゆったりとのんびりし、落ち着いたものですが、つまらない知恵である小知のものは、こせこせして、こまごまと詮索するものです。閒閒(間間)とは、こせこせして、細かいものを区別するさま。あれこれと穿鑿する貌(かたち)を言います。どうでもいいことをこまごまと詮索したり、つついたりする人がいます。それが、本質にどうかかわるのかよくわからないようなこと、いつまでも議論をすることがあります。保育の世界でも、幼保の関係、年齢別異年齢であるか、部屋のつくりがオープンであるかわかれているのかということは問題ではないのに、それにこだわります。保育の世界は、人の生き方であるとするならば、そんな形ではなく、どのような子どもの生き方を私たちは保証してかなければならないかということが問題なのです。
「大知閑閑、小知閒閒。」のあとに「大言炎炎、小言詹詹。」という言葉が続きます。偉大なことばは、あっさりとこだわりがなく淡泊ですが、つまらぬことばは、いたずらに口数が多く、くどくどとしつこく、煩わしいものであるということです。しかし、「炎炎」というのは淡々としているというほかに、内に情熱を秘めているという意味もあります。
熱い思いのある人の言葉は、かえって淡々とし、非常にシンプルであるからこそ人の心に訴えかけ、染み入るものです。私は、なるべく、そのような講演をしたいと思っています。

投稿者 fujimori : 23:23 | コメント (6)

2010年06月06日 近頃思うこと

荘子の故事

 荘子は、荘子の中で、さまざまなたとえを使って道を説明します。その中で、いくつか面白い話を紹介しましょう。
「大を用うるに拙なり」という「大きなものを用いるには、それなりの用い方がある。大きいからといって役に立たないと思い込むのは、愚かなことである。」という意味の言葉があります。これには、こんな逸話があります。
恵子が荘子にこんな話をしました。「魏の王が私に大きなひょうたんの種をくれました。私はそれを植えて実がなったのですが、それがあまりに大きくて、それに飲み物をいれてみたら、なんと五石もの量が入るのです。すると、あまりにも重くて簡単には持ちあげられません。そこで今度は、それを割って、ひしゃくを作ってみたのですが、あまりに大きくて、鍋の汁を汲むこともできません。そのようにあまりに大きすぎて使いようがないので、それをぶちこわしてしまいました。」それに対して荘子は、「あなたは、大きなものの使い方がへたですね。五百石のものが入るひょうたんがあるなら、それをくりぬいて、大樽の舟にしたてて、長江のひろき流れか湖のはるかなる波に浮かんで、心ゆくまで水と空の大自然のなかに自己を遊ばせたらよいものを。それをしないで、『これは無用だ』と嘆き悲しむなんて」と言いました。
この世には、大きいもの、小さいものなどさまざまな「物」が存在します。それを、ただひょうたんだからと言って、水や酒を入れる入れ物にしたり、二つに割ってひしゃくにしたりと常識的な使い方しか考えつかないとしたら、貴重なものでも、無用に長物になってしまいます。物を上手に使うとは、世間の常識にとらわれず、その物に合った使い方・使い道を見つけることです。
 もうひとつ「朝三暮四」という言葉があります。この故事は、「荘子」斉物論にでています。
宋の狙公が、飼っている猿にトチの実を与えるのに、朝に三つ、暮れに四つやると言うと猿が少ないと怒ったため、朝に四つ、暮れに三つやると言うと、たいそう喜んだという故事です。これは、大辞林によると、目先の違いに気をとられて、実際は同じであるのに気がつかないこと。また、うまい言葉や方法で人をだますこと。とあります。しかし、この故事の解釈にはいろいろとあります。単に機転を利かせて、家族同然の猿に、納得しやすい形の答えを提示したというだけ、という解釈などです。
この猿は、実際は同じことでも、違った形で提案をしたら喜んだのはなぜでしょう。実質上は何の差異もないのに、一方については喜び、他方については怒るのは、なぜでしょうか。たんに、猿は愚かだからということではなさそうです。一見無理そうに見えても、必ずどこかに別の道があるものです。自分の考え方、自分の提案だけが正しいと固執していると、道は見えてきません。いくらあくせくと心を煩わせても結局は同じことなのです。
 「朝三暮四」であろうが、「朝四暮三」であろうが、結局は同じことなのに、その目先の違いに騒ぎ、その違いに躍起になることがあります。もっと、広く、先を見通した見方をすれば、本質が同じだということに気がつくことが多々あります。

投稿者 fujimori : 22:45 | コメント (5)

2010年06月05日 近頃思うこと

呼び方

 人をいろいろな呼び方で呼ぶ時、「おばちゃん」とか「おっさん」とかいう直接的な呼び方から、「団塊の世代」「新人類」などという世代を表す呼び方などがあります。この世代を表す言葉として、最近のヒットとして、30歳前後の女性をアラサー、40歳前後の女性をアラフォーとも呼ぶこともはやりました。女性に限るのは、本当の年齢を言わずに、少しぼかした言い方をするというのがミソのようです。
少し前から、同じ趣味などをもった人たちを呼ぶような、たとえば、鉄道ファンの「テツオ」「テツコ」や、歴史好きの女性を「レキジョ」というのがあります。最近、びっくりしたのが、歴史上の偉人などの,著名人の墓参りを趣味とする「墓マイラー」も聞くようになりました。そのような人は、自分の先祖の墓参りはするのだろうかと思ってしまいます。少し前に、「なんでもや」の看板を見たら、「遺骨の海上散布」とか、「墓の掃除、墓参り代行」と書かれてありました。「マイラー」というと、飛行機のマイルをはじめとして、各会社のマイルを集める人たちを呼ぶ時にも使いますね。
最近、父親、母親の新しいライフスタイルを表した呼び方が新聞に特集されていました。その一つが、育児に積極的な男性「イク(育)メン」です。かっこいい男性を指す「イケメン」をもじった新語で、「モテるかも」との期待も手伝って若い男性の関心は高いそうです。父親の育児参加とは少しニュアンスが違う「イクメン」とは、どんな男性なのでしょう。この「イクメン」のすすめのコピーも、なんだかそそります。「あなたの顔を見て子どもが抱きついてくる。保育園のお迎えは恋人との再会のようですよ」もう、女性の育児を手伝うという雰囲気はありません。06年の内閣府調査では、家事やプライベートより仕事を優先したいと答えた既婚男性はわずか2.3%だったそうです。父親養成講座を開講している NPO法人「ファザーリング・ジャパン」の安藤哲也代表理事は、その背景について「仕事に没頭した末、リストラや熟年離婚の憂き目に遭った父親や上司を反面教師にする男性が増えてきたのでは」と分析しています。東京都文京区長が、約2週間の「育休」を取得して注目されたほか、長妻昭厚生労働相も1月の国会答弁で「イクメン」という言葉を広めたいと発言しました。
男性が次第にやさしくなっていく中、一方、女性は元気なようです。最近評判になっているのが、子育てを終えた40代以上の女性がオートバイの世界に参入している「おかんライダー」です。なんだか、仮面ライダーのようで、勇ましい感じがします。女性は、どうしても「バイクなんて」と思われていて、本当は好きなのに断念させられていました。今の時代は、そのような偏見はなくなり、しかも子育てが一段落した女性が、一度は断念したライダーの夢をかなえられるようになったということのようです。この「オートバイは男の乗り物というイメージが強く、女性ライダーは昔も今も、『女のくせに』という目で見られる」のは、なにも日本に限ったことではないようです。しかし、そうした壁を乗り越える女性は増えていて、警察庁の統計によると、二輪免許の新規取得者は過去約10年で、男性は6%増えただけですが、女性は52%も増えているそうです。特に、「子育てを終え、時間と経済的余裕のできた40代以上の女性の伸びが目立つ」ようです。
 新しい時代の生き方、考え方が、新しい呼び名を作っていきます。

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2010年06月04日 近頃思うこと

荘子3

 人は、他人と違いを感じ、他人を自分に合わせようとすることによっていさかいが起きます。その違いは、見方を変えれば、また、相手の立場になればわかるのですが、相対的なものであることが多く、本質をよく見つめると、それは同じであることに気がつくことがあります。その本質を見るためには、自分が広くなければなりません。以前、ブログで書いた気がしますが、園の職員が、「子どもが部屋から出て行ってしまうのですが、どうしたらいいですか?」と相談に来た時、私は、「その子が出ていく先まで部屋の中にしたら、出ないことになるのではないの?」と答えました。人は、どこまで許すのかという許容範囲を決めています。その決めている範囲とは、本当に子どもにとっての行動に必要な広さなのでしょうか。大人にとっての範囲であることのほうが多いのではないでしょうか。子どもの行動をよく理解し、その必要な広さをもっていたら、子どもをしからないで済むと思うのですが。それは、実際の広さだけでなく、心の広さにも言えることではないでしょうか。
 荘子の「逍遥遊篇」に、こんな文章があります。「且夫水之積也不厚、則其負大舟也無力、覆杯水於幼†堂之上、則芥爲之舟、置杯焉則膠、水淺而舟大也、風之積也不厚、則其負大翼也無力、故九万里則風斯在下矣、而後乃今培風、背負靑天而莫之夭閼者、而後乃今將圖南、」ここでは、二つの例を出しています。その一つは、「そもそも水のたまりかたが十分深くなければ、そこに大きな舟を浮かべるのには堪えられません。杯の水をくぼみがある床の上にこぼすと、せいぜいほこりやちりならそのたまり水の舟になりますが、大きな舟を浮かべることはできません。もし、広く深い海であれば、大きい舟であっても浮かべることができるのです。これと同じで、人間も、心を広く深くすれば、大きな思いをもつことができ、思わぬ想像力が浮かんでくるものです。
もうひとつは、「風の積むや厚からざれば、則ち其の大翼を負するや力なし。」と言っています。風の集まりがじゅうぶん多くなければ、そこに鵬(創造上の大きな鳥)の大きな翼をのせるのには堪えられません。そこで九万里もの高さに上ってこそ翼の下にじゅうぶんな風が集まります。そうすると、そのうえではじめて、今こそ大鵬は風に乗り青々とした大空を背負って何物にもさえぎられず、そのうえではじめて、南の海を目ざすことができるのです。人も、志が大きければ大きいほど、その下に十分に風を積むことが必要です。そして、目標に向かうためには、努力が報われるためには、忍耐強く、翼の下に風を積むことです。大空へ舞い上がる志が大きければ大きいほど、 それだけたくさんの地道な努力が必要なのだということです。
そうはいっても、多くの苦悩や悩みがあるものです。しかし、荘子の「逍遥遊」にあるこんな言葉を聞くとホッとします。「「楚 之 南 有 冥 靈 者 以 五 百 歳 為 春 五 百 歳 為 秋 上 古 有 大 椿 者 以 八 千 歳 為 春 八 千 歳 為 秋 而 彭 祖 乃 今 以 久 特 聞 衆 人 匹 之 不 亦 悲 乎!」楚の南に荘子が想像して造った「木冥霊」という木があります。その木は、五百歳を持って春となし、五百歳を持って秋となします。ということはこの木の1年は二千年なので、この木が100年生きたとしたら、20万年生きることになります。また、上古の時代には大椿という木は、なんと八千年を春とし、八千年を秋としていました。そんな大きな時の流れを考えたら、人間の悩みはほんの小さなことになります。大きな気持ちになると 苦悩は解消するのです。

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2010年06月02日 近頃思うこと

荘子2

荘子の言う「あれ」が、見方を変えれば「これ」になるように、この「あれこれ」の相対性は、天地間のあらゆる価値判断についてもいえるようです。それは、一見対立関係に見えるものが身の回りには多くあります。しかし、たとえば、上下、左右はもとより、生死、可否、是非の対立も、じつは互いに相い因り、相まって成立する相即的な概念であり、私たちの捉え方の問題です。生死の問題も、万物は生じては滅び、滅びては生ずるという「方生方死」「方死方生」の変化の流れのみが絶対なのです。最近、幼稚園と保育園の一体化などが議論されることがありますが、この間にある違いは、文化の違いと言われることが多いのですが、そうではなく、人間の偏見的分別にすぎないのです。その立場の違いが論じられるだけで、実は、人は生まれて大人になっていくという過程は、美香氏からの真理なので、それをどのように援助し、成長していく環境をどのようによいするかという大人の役目は、変わらないものなのです。
荘子の第二「斎物論篇に、「天地一指也、萬物一馬也」という言葉があります。一本の指も天地であり、一頭の馬も万物であるということですが、また、よくわからない言い方をしますね。老子の無為自然という、すべての存在をあるがままに肯定する境地を求めた荘子は、この世に存在するものは、個々の違いを越えて斉一なものであると考えます。すべての対立を超えた絶対的な観点からみれば、天も地も一本の指と同じものであるということです。
自分の手を見ると、指があります。それは、私の指です。目の前の他人にも指があります。それは、人の指です。その指の違いは何なのでしょう。確かに、その形は微妙に違います。指紋も違うでしょう。では、その違いは、その指の機能に何か影響があるでしょうか。指でものをつまもうとするときに、その指の機能は、人によって違うのでしょうか。その指自体の存在をよく見つめたとき、それはみんな同じになります。それが、私たちの認識は万物の実相に近付いたと言えます。そしてあるがままとして受け入れたとき、「道」と一体になるのです。
荘子は、みんなが違うというものに対して、立場を超えたときにはみんな同じに見えるということは、ほかにも何か所でも語っています。
「徳充符」では、「其の異なれる者より之を見れば、肝胆も楚越なり。其の同じき者より之を見れば、万物皆一なり」ということで、それが違っているという立場からすれば、肝と胆の間も楚と越ほどの隔たりがあります。しかし、それらは同じであるという立場からすれば、万物はことごとく一つであるのです。「斉物論」には、「達者のみ、通じて一たるを知る」とあります。ただ道の達人だけが、すべてが通じて一つであることを知るのです。道は、すべてはローマに通じるではありませんが、すべての道はいつか1本になります。自然界は、その道のもとですべてが共生しています。それは、お互いがお互いを必要とし、すべてが一体となります。決して、それは誰のものであるかとか、他人と自分を分ける必要はなくなるのです。すべてが一つであることを悟るのは道を知ったものであるのでしょう。
お互いが違うと言って差別するのは、その現象面だけしか見ず、本質を知ろうとしない人なのです。「天地も我と並び生じ、而して万物も我と一たり」なのです。

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2010年05月31日 近頃思うこと

荘子1

 荘子(そうし)は、老子の思想を楽しくわかりやすい内容で語っています。その書物は「荘子(そうじ)」と濁るのでややこしいですね。この本で、動物を人間にたとえたり、植物から生き方を語ったり、その工夫は、「遊び心」満載という感じです。しかし、その遊び心を発揮できるというのは、きちんと老子の考え方を学んでいるからであって、決してふざけているわけではありません。今、 園の有志の職員と勉強会をしているのですが、たとえば、子どもたちには理屈抜きで楽しいことをしてもいいのではないかという話になりました。その時、私は、「だったら、大学生のころのほうがもっと面白いことができたのではないか」「その後国家資格をとってからの面白さとは、どう違うのか」ということについて話し合いました。子どもは、よく「うんち」とか言いますが、荘子も同じように「うんち」という言葉を使って、道を説明しています。
あるとき、東郭子と荘子の問答です。
東郭子が「あなたのいう道はどこにあるのですか?」と荘子に尋ねると、荘子は、「どこにだってあるさ」「では、例をあげて説明してください」「虫けらの中にある」「そんな下等のものの中にあるのですか?」「ヒエの中にだってある」「ますます下等ですね」「煉瓦の中にだってある」「だんだん酷い物の中になっていきますが」「いやいや、うんこや小便の中にだってある」「……?」(「荘子」外篇・知北遊)
この後、荘子は、どうしてそういう「下等」なものばかり例にあげたのか説明しています。それは、東郭子が「道」を上等なものと思っていて、自分たちには手の届かない、特別なものだと思っているために、「道」というのは万物の根源であるからこそ、どこにでも「道」は存在するということを言いたかったのです。それと、道というのは、すべてのものの中にあるものなので、頭の中だけで考えるのではなく、事物をよく見ることで道を知ることができるのだということを言いたかったのです。これが荘子の「道」に対する考え方の基本で、この後、「万物斉同」という荘子哲学の真髄ともいえる部分の説明になっていきます。
荘子の「斉物論物」にこんなくだりがあります。「無非彼、物無非是。自彼則不見、自知則知。故曰 彼出於是、是亦因彼。」英語を初めて習った時に、私の教科書は、「This is a pen.」から始まっていました。その次が「That is a book.」でした。その時、「これ」と「あれ」の区別を教わりました。近くのものが「これ」で、向こうのほうにあるものが「あれ」ということは、もし、本のそばにいる人からすれば、本は「これ」になり、ペンは「あれ」になります。考えてみれば不思議ですね。他にも、1人称の「私」が、他の人からすると「彼」になります。そのように、その人の立ち位置で逆転するということは、たとえば、自分が「悪」だと思っているものが、相手から見ると「善」ということもあるのです。それは、時代によっても変わります。日光浴が体に良いと思われていたのが、日光浴は体に害であるというようにです。時代、見方、立場によって、物の善悪は変わってしまいます。
このように、人間の判断は一方的なものです。それに、彼という概念は、自分のことを是れということによって生まれてくる概念です。その二つは依存し合っているのです。よい子、悪い子という判断は、お互いの相対的な判断から来る基準であることを承知しておく必要があるでしょう。

投稿者 fujimori : 23:45 | コメント (5)

2010年05月30日 近頃思うこと

明鏡

 老子の教えを「老荘思想」と言いますが、それは「老子」と「荘子」の二人わ合わせた呼び方です。この「老荘思想」は、古代中国哲学の一つですが、中国だけでなく、日本においても、これまで多くの人びとに影響を与えてきました。この老荘思想が最も大切にした、最上のものとしたのが「道」である「タオ」ですが、老子は、この道について、哲学的な思索を深めていきました。そのために、なんだかよくわからないような、禅問答のような説明をしています。そして、この老子の思想を引き継いだのが荘子で、「無為自然」「本当の幸せ」「心の大きさ、人生の大きさ」などの抽象的なテーマを、寓話やおとぎ話風の読み物として誰にでもわかりやすくまとめました。そのために、老子が、かなり政治的なものの言い方をしているのに対して、荘子は、政治的志向が非常に薄いと言われるゆえんかもしれません。それにしても、彼ら二人が説いた「老荘思想」は、すべてのものが自然から授かり、その為に自然に生き、自分の心と自然を一体にして、無理せず、心安らかに、幸せに生きることを目指したのです。そんな姿勢は、現在でもとても参考になります。
 孔子が生きた時代に、足切りの刑に処せられた王駘という人物がいて、彼は、講義するわけでもなく、議論するわけでもなく、人を指導するようなことは何もしていないのに孔子と同じくらいの弟子を集めていました。孔子の弟子である常季は、孔子に「王駘は、自分の知恵によって自分の心をとらえて、自分の心をさとっただけの人物です。とても博学だとは思えません。それなのに、どうして多くの弟子が集まるのでしょうか。」と尋ねてみました。すると、孔子は 「人は流れる水を鏡にすることはないでしょう?止まっている水を鏡にするのです。止まっているものだけが物事を映し出すことができるのです。王駘はまるでじっと止まっている水のように落ち着いた平静な心を持っているので、自分の心を見たいという人々の心を見事に映し出す。だからみんなの足も止まるのですよ。」 と答えました。
この孔子の言葉として出てくる「明鏡止水」という言葉は、荘子の内篇 徳充符篇第五にある「人莫鑑於流水、而鑑於止水、唯止能止衆止」が出典です。人は、流れている水面を鏡とはしないで、静止した水面を鏡にする。静止しているからこそ、真の姿が見えるということから、一点の曇りもない鏡や静止している水のように、よこしまな心がなく明るく澄みきった心境を指す言葉として使われます。
確かに、水面が波立っていると、人の姿は映し出しません。鏡のように静まり返って、波立つことなく静かに澄んだ水の水面は、人の姿を映し出します。人の心もまた、波風立てず、不動の境地に至れば、あらゆるできごとを虚心に受け止めることができることができるでしょう。その姿を、荘子は、坐忘といって、無心になりきって一切をあるがままに受け入れることにより自由な生き方を獲得するという生き方を説きました。英訳では、「be under no illusions」というように、刷り込みがなく、その物そのままを見るにも通じるような気がします。 このような態度をとるためには、心を磨き、澄ませておかなければなりません。
同じような言葉として、「虚心坦懐」というものがありますが、これも、「心になんのわだかまりもなく、気持ちがさっぱりしていること。心にわだかまりがなく、平静に事に望むこと。」表わします。「虚心」とは心に先入観やわだかまりがなく、ありのままを素直に受け入れることのできる心の状態を指します。同じように「坦懐」も、わだかまりがなく、さっぱりとした心である平静な心境を指します。子どもを見る時には、そのような心が必要です。

投稿者 fujimori : 20:17 | コメント (5)

2010年05月29日 近頃思うこと

ユーロ

ここ数日、気になるニュースがあります。しかも、その情報は日々変わるので余計気になります。昨日のニュースでは、「28日のニューヨーク外国為替市場の円相場は午後5時現在、前日比01銭円安ドル高の1ドル=91円04~14銭をつけた。ユーロは1ユーロ=1・2270~80ドル、111円80~90銭。1ドル=91円を挟んでもみ合う展開。欧州系格付け会社がスペイン国債を格下げしたことを受けて、ユーロは主要通貨に対して値下がりした。」
それが、もう今日のニュースでは、「円は対ユーロで急反落した。17時時点では同1円97銭の円安・ユーロ高の1ユーロ=112円82~86銭近辺で推移している。海外ヘッジファンドを中心にユーロを買い戻す動きが出て、円は一時113円02銭近辺まで下げ幅を広げた。」とあります。こんなニュースが気になるのは、私が、なにも相場をやっているのではなく、6月の最終週に、ユーロ圏であるドイツに行くからです。円をユーロに換える時期を考えているのです。なんとなく、私の中では、1ユーロ140円という感覚があるのですが、それがなんと110円強となると、1ユーロ30円も違うので、500ユーロでは、1万5千円も違ってくるからです。
なぜ、こんなにユーロが下がってしまったのかという原因は、いろいろとあるようで、私にはよくわかりませんが、知っている範囲としては、ギリシャで昨年秋に政権交代が実現したら、前政権が統計操作で隠していた巨額の財政赤字が発覚してしまいます。その財政赤字は、なんと国内総生産(GDP)の12.7%にも達していたのです。それを「ギリシャ危機」といいます。ところが、この赤字が、欧州一体に影響します。それは、ギリシャは欧州の単一通貨「ユーロ」に参加しているためで、結果、ユーロ安を招いてしまっているのです。また、EU各国や世界の金融機関がギリシャ国債を保有しているので、金融不安への懸念から世界の株価は一時的に大きい下落をまねいてしまったのです。
その為、EU各国はギリシャの財政再建を支援することで合意したのですが、そのために必要な緊縮財政政策にギリシャの労働者が反発しました。そして、大規模なデモやストライキが起きています。この財政危機は、ギリシャよりも経済規模が大きなスペインも同様です。そして、この「スペイン危機」への不安が、ようやく回復に向かい出した世界経済を、不安に陥れたのです。
ところで、ユーロ通貨は、現在、欧州16カ国で使われていますが、一度に参加国が16カ国あったわけではなく、順に参加していきました。共通通貨として採用された1999年の参加国は、オーストリア、ベルギー、フィンランド、フランス、ドイツ、アイルランド、イタリア、オランダ、ポルトガル、スペイン、ルクセンブルグでした。そして、2001年に今回の騒ぎの元であるギリシャが参加しました。そして、2007年にスロヴェニア、2008年にキプロス、マルタ、2009年にスロバキアが参加しています。その中で、イギリス、スウェーデン、デンマークは当初からユーロ使用を見送っていますし、スウェーデンでは2003年の国民投票で是非が問われ、反対が 55.9% を占めて参加していません。
それでも、EUの成長とユーロ採用国の増加に伴いアメリカドルに次ぐ基軸通貨として成長しています。ですから、世界経済に大きな影響を与えているのです。
 私は、円高ユーロ安の時に、ドイツで買い物をした方が得なのか、いつ円をユーロに換えたら得なのかというような小さいことで悩んでいるのですが、本当は、世界経済にとって、とても大変なことなのでしょう。

投稿者 fujimori : 22:18 | コメント (5)

2010年05月28日 近頃思うこと

日本文化

 明日は、園の近くの小学校の運動会です。運動会というと、秋空のもとというように秋に行われていましたが、最近、小学校では、春に行う学校が増えてきました。また、6,7月は、下町ではお祭りが、各神社で順に行われます。私が育ったのは、鳥越神社のうらでしたが、この神社では6月9日に近い日曜日に「鳥越祭り」が繰り広げられます。この祭りのメインは、東京一の重さが有ると言われている本社御輿の渡御です。御神輿の列の先頭には、猿田彦(天狗)や、手古舞連、子どもたちの持つ五色の旗が歩きます。私の子どもの頃は、あまりの人だかりで、よく見えなかったので、家の2階から眺めていて、よく大人の人に「神様を見下ろすな!」と怒鳴られたものでした。その本社御輿が、各町内をめぐって、神社に戻ってくるころには日が暮れてきます。すると、提灯をつけた元祖提灯神輿は、高張り提灯に囲まれ宮入りします。それは、荘厳かつ幻想的で、日本の文化を感じました。
 日本の文化は、何でしょうか。また、それらは今、伝承されていっているのでしょうか。日本の文化は海外ではどんなものが代表的なものなのでしょうか。あした、ドイツのデュッセルドルフ旧市街で、日本デーが開催されます。この日本デーは、2002年に第一回目が開催されて以来、9回目です。この日本デーでは、欧州で唯一日本の花火師が打ち上げる日本の花火が見られることから、ドイツ全土および近隣諸国から毎年約百万人の人が集まってくるようです。
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そのほかにも、デュッセルドルフ市旧市街のブルク広場に設置される特設舞台で多くの日本文化が紹介されます。ここで紹介されるものを見ると、改めて、日本文化として、どんなものをイメージするかがわかります。まず、日本でいう夜店のようなテントの中では、寿司、たこやき、焼きそばを食べながら、見て歩けるように、生け花、書道、着物の着付け、折り紙、紙飛行機の他、ヨーヨー釣り、餅つきなど日本の伝統文化をただ鑑賞するだけでなく、体験できる企画が用意されているそうです。また、ポップカルチャー関連のテントの中では、漫画・アニメグッズ、コスプレ・グッズ、ヴィジュアル系シンガーAOIのサイン会などが並ぶようです。漫画コンテストでは、一等賞として日本への往復航空券が授与されるようです。
舞台では、和太鼓、合唱、琴の演奏や、阿波踊りなどが披露され、三味線プレーヤー上妻宏光とピアニスト塩谷哲のユニット「アガシオ」のステージは、三味線とピアノという異色のコラボレーションから生み出される音色の斬新さが受け、日本はもとより世界中で人気を誇っているようですまた、日本を代表するジャズ・ピアニスト大原保人が率いる「大原保人スーパージャズトリオ」のライブも行われるようです。スポーツ舞台では、柔道、剣道など日本の伝統武道の演武が行われ、欧州相撲選手権を前に、今年もアマチュア相撲のデモンストレーションを予定しています。そして、特設舞台では、コスプレ大会、カラオケ大会、Jelly Beansの公演、ファッションショーが開催されます。
「サムライ」から「アキバ系」まで多種多彩なイベントは、日本文化が五感を通して感じられるようになっています。
そして、日本デーのクライマックスを飾るのは、日本の花火師たちによる花火の打ち上げです。今年のテーマ「世界に開かれた都市デュッセルドルフ」に合わせた花火、約3500発が打ち上げられるそうで、多くの外国の人々を魅了するようです。
 次第に、日本文化は、海外でしか見られなくなるかもしれません。

投稿者 fujimori : 21:07 | コメント (5)

2010年05月27日 近頃思うこと

私は、「保育学」ではなく、「保育道」であると常々思っていますが、それは、保育というものは、学問ではなく、人として生きていく上の道理だからです。しかし、本当は、簡単に「道」という言葉を使えるほど簡単なものではありません。同じように「保育」ということは難しいことだと思うのです。よく、子どもの発達に及ぼす環境の一つとして「事象」を挙げることがありますが、事象とは、目に見える「出来事」であり、現実の「事」であり、現象です。この事象は、ある道理があり、自然と人間を貫く、あらゆる事象が帰結するある普遍的なものがあります。それが「道」なのです。私たちは、その不動の境地である「道」を目指さなければならないのです。
老子は、現実的行動的で、無意を説くのは万能を求めてであり、無私を説くのは能く成し遂げるためであるとしています。多様な事象を生み出す唯一の根源的実在としての道を想定し、これへ働きかけようとするのです。老子の時代は、明日をも知れない変化の時代であり、周りは、対立や差別があり、諸行無常の時代でした。それは、安定していると思われる今の時代においても、何を信じてよいかわからなくなるほど、価値観や環境は変わっていきます。そんな時代に対して、儒教では道議を守る必要性を説きました。それに対して老子は、一貫して変わることがない道を追究したのです。無為の態度をもって、ひたすら道に従おうとするのです。
「名の名とすべくは常の名に非ず。名無きは天地の始め、名有るは万有の母。故に常無を以ってその妙を見んと欲し、常有を以ってその徼を観んと欲す。此の両者は、同じきに出でて而も名を異にす。同じきこれを玄と謂い、玄のまた玄は衆妙の門なり。」
子どもたちに絵を描いてもらいます。多くの子どもたちはまだ絵が完成しないうちに時間切れになってしまいます。とりあえず、次の機会に続きをやるために、途中で中断して、途中まで描いた絵を集めます。しかし、後日その続きをやるために絵を返す時にだれがどの絵かわからなくなるので、自分の絵に、それぞれ自分だけの印をつけてもらいます。後日絵を子どもたちに返そうとすると、自分でどんな印を書いたかわからなくなる子、同じ印をつけてしまった子など混乱して、自分の絵が戻ってきません。誰でも誰の絵かわかるような印はないかということで、自分の名前を書く必要性を感じます。これが、私が若いころに文字指導をするときの導入です。名前は、他と区別するためのしるしであり、便宜上の約束事なのです。相対的な概念です。ですから、「常(永遠不変)」の名ではありません。
 天地の始めである道には本来名前はありません。道というのはすべてを包括する絶対的な概念ですので、それを区別するための相対的な名前をつけることは不可能なわけです。しかし、そこから有形無形のさまざまなものが生み出されてくると、それには名前を付けて、他と区別する必要が出てきます。つまり、原理は、絶対性の道であり、現象は、相対性の中にある万物なのです。
 全篇を通して老子は、言葉では言い表せない道というものを何とか工夫を凝らして表現しようとしています。ですから、なんだかなぞなぞめいてしまう言い方になってしまうのです。その呼び方のひとつが「玄」です。ただ玄というだけでは深みが出ないので「玄のまた玄」と言葉を重ねています。この「玄のまた玄」が老子の世界なのかもしれません。

投稿者 fujimori : 23:40 | コメント (5)

2010年05月25日 近頃思うこと

NHK大河ドラマの「龍馬伝」の第2話のタイトルが「大器晩成?」だったようですが、龍馬は、大器晩成だったのでしょうか。確かに子どものころは、弱虫で、何をやってもだめで、どうなるかと思っていたのが、日本を動かす働きをするようになるということからそういうタイトルがついたのでしょう。しかし、龍馬は暗殺されますが、このとき33歳ですので、彼にとっての晩成とは30歳代ということになります。
この言葉は、もともとは老子の中に出てくる言葉ですが、はじめは今使われているような意味ではなかったようですが、すぐに当時でも今のような解釈をして、そのような使い方をしているようです。もとの文章は、老子・第41章「大方無隅。大器晩成。大音希聲。大象無形。道隠無名。」という部分です。意味として、広辞苑には「人は、大人物は才能の表れるのはおそいが、徐々に大成するものである。」と書かれてあります。極めて大きな四角形には、すみとかかどが見えません。大きな四角形は角が見えず、大きな器は晩(おそ)くまで出来上がりません。すぐには出来上がらないものです。また、大きな音はその響きが聞き取れず、極めて大きなものは形としては見えないものです。そして万物の摂理たる「道」というものも、人間の認識を越えたものなのです。
大きな器量をもった人を、大きな器をもった人と言います。そのような人は人の話をよく聞き、人を受容し、共感する力をもっています。しかし、器が大きければ大きいほど、すぐには出来上がらず、すぐには完成しません。同じように、「優れた能力をもった人物は、大成するまでに時間がかかる」という比喩で「大器晩成」という言葉が使われるようになりました。しかし、老子は、道というものは、あまりに大きすぎて、その端や形や音などの形としては見えないものであることを言いたかったのでしょう。
老子14章に「視之不見、名曰夷。聽之不聞、名曰希。搏之不得、名曰微。此三者不可致詰、故混而爲一。其上不皦、其下不昧。繩繩不可名、復歸於無物。是謂無状之状、無物之象。是爲惚恍。迎之不見其首、隨之不見其後。執古之道、以御今之有、能知古始。是謂道紀。」という言葉があります。
このような書き方は、いかにも老子的です。「目をこらして視ようとしても見えないもの、これを「夷」と呼ぶ。耳を澄まして聴こうとしても聞こえないもの、これを「希」と呼ぶ。手探りで取ろうとしても得られないもの、これを「微」と呼ぶ。これら三つのものは元々一つのもので、我々には捉える事の出来ないものなのだ。」見るもの、聞く者、触るものというのは、五感のうちの三つです。それが感じられないのは、たぶん対象物は一つのものであって、その実態があまりに大きく、人間の認識できる外にあるからなのでしょう。そんなものがこの世にあるのでしょうか。人の機微の解かる人間になりなさい」と言われることがあります。この「機微」とは、広辞苑には、「容易には察せられない微妙な事情・おもむき。」とあります。
また、「その上に行っても明るくならず、その下に行っても暗くならない。おぼろげでとらえどころも無いので名づける事も出来ず、結局は無に帰ってゆく。」これを「すがたの無い姿」、「かたちの無い形」または「おぼろげなもの」と呼ぶことにします。しかも、それは、「こちらに向かって来るのを迎えても顔は見えず、後から追いかけても後姿は見えない。」なんだか、ますます対象が何か分からなくなります。なぞなぞのようです。それを、ろうしは「道」と言っています。いくら見えず、聞こえず、触れず、姿が見えなくとも、人の生きざまを感じ、その尊さを自覚することが「道を治める」ことであり、その「道」を通して、目の前の現実を見れば、物事の起源を知る事ができるのです。これが、「道の始まり」だと老子は行っているのです。

投稿者 fujimori : 21:53 | コメント (6)

2010年05月24日 近頃思うこと

地球環境局

東京では、晴れの日はほとんど携帯に「東京都の光化学スモッグの発令・解除状況をお知らせします。」という情報が流れてきます。この情報には、4段階あって、「予報」は、「オキシダント濃度が高濃度になり光化学スモッグ注意報等が発令されると予想されるとき」で、「学校情報」は、「オキシダント濃度が100ppb以上の状態になり、その状態が継続すると認められるとき」で、これは、児童・生徒の光化学スモッグによる被害を未然に防止するため、学校等に対して提供する情報ですが、いつもこの情報が発令されたとき、私たちはどうしてよいかわかりません。だから、どうしろとは言ってくれないのです。次は、「注意報」で「オキシダント濃度が120ppb以上の状態になり、その状態が継続すると認められるとき」、「警報」は、「オキシダント濃度が240ppb以上の状態になり、その状態が継続すると認められるとき」となっています。これは、「東京都環境局環境改善部大気保全課」というところから発令されます。これからは、ほぼ毎日、午後は園庭で遊ぶことができなくなるだけでなく、窓も開けられなくなります。
環境省の内部部局である「地球環境局」から出される情報があります。地球○○局というと、なんだかアニメの世界のようですが、現代ではとても重要な情報が出されます。ここでは、地球温暖化防止、オゾン層・酸性雨・黄砂対策、海洋環境の保全、森林・砂漠化対策、南極地域の環境保護等の地球環境保全に関する政策及び国際機関・海外諸国との調整や開発途上地域に対する環境協力等の環境省に関する国際的な事務をおこなっています。
先日、北東アジアに共通する環境問題について話し合うなかで、日中の会合では、黄砂の対策について年内に中国で会議を開くことで合意したことが報道されました。黄砂問題については、2008年から年に1度、韓国も含めた3国で対策を話し合う場が設けられてはいたようですが、中国が欠席するなどして具体的な進展がなかったようです。しかし、黄砂が最近は深刻な影響を与えています。風によって大気中に舞い上げられた黄砂は、発生源地域周辺の農業生産や生活環境にしばしば重大な被害を与え、大気中に浮遊し、黄砂粒子を核とした雲の発生・降水過程を通して地球全体の気候に影響を及ぼしています。また、海洋へも降下して、海洋表層のプランクトンへのミネラル分の供給を通して海洋の生態系にも大きな影響を与えていると考えられています。
黄砂現象とは、東アジアの砂漠域(ゴビ砂漠、タクラマカン砂漠など)や黄土地帯から強風により大気中に舞い上がった黄砂粒子が浮遊しつつ降下する現象を指します。日本における黄砂現象は、春に観測されることが多く、時には空が黄褐色に煙ることがあります。黄砂現象発生の有無や黄砂の飛来量は、発生域の強風の程度に加えて、地表面の状態(植生、積雪の有無、土壌水分量、地表面の土壌粒径など)や上空の風の状態によって大きく左右されます。このような黄砂現象は、従来、自然現象であると理解されてきましたが、最近ではその頻度と被害が甚大化しており、急速に広がりつつある過放牧や農地転換による土地の劣化等との関連性も指摘されています。そのため、黄砂は単なる自然現象から、森林減少、土地の劣化、砂漠化といった人為的影響による側面も持った環境問題として認識が高まっています。さらに、土壌起源ではないと考えられるアンモニウムイオン、硫酸イオン、硝酸イオンなども検出され、輸送途中で人為起源の大気汚染物質を取り込んでいる可能性も示唆されています。
 最近の特異な自然現象も、結局は人間が招いた自然からのしっぺ返しのようです。

投稿者 fujimori : 21:38 | コメント (5)

2010年05月22日 近頃思うこと

無為

日本では「論語」がよく読まれ、生き方に対する戒めとして使われますが、それに対して、老子はもう少し自然体で生きようよと説きます。それが、「無為自然」ということです。この考え方は、直接どこかの章に現れるのではなく、私がここ数日書いているように、いろいろな章からそれを感じるようです。しかし、その考え方は人によって違うようです。それは、私が提案する「MIMAMORU」という考え方に非常に近いものがあります。「子どもを見守ることが大切である」というと、「いや、子どもはただ見守るだけではだめだ」という人がいますが、それは、ただ眺めているだけではだめということです。看護師がいくら患者を看(み)て護(まも)る人だからといって、患者が気持ち悪がっているのに何もしないで眺めているわけはありません。
老荘思想における「無為自然」が「作為を持たず、自然に任せること」であっても、何もしないで放っておくというわけではありません。第三十八章に「道常無為、而無不為。侯王若能守之、萬物將自化。」とあります。無為というのは、何もしないという意味ではありません。この「無為自然」という言葉が、最近赤ちゃんを眺めていると実感する言葉です。赤ちゃんは、なにもできず、なにも知らない存在であり、大人が教えてあげ、導いてあげ、守ってあげなければならないと長い間思われていました。しかし、最近は、赤ちゃんは非常に能動的な生き物であり、自ら育とうとする力をもっているということが分かってきました。それが、私は人が長い間受け継がれてきた遺伝子であり、人としての「道」のような気がします。「道」というのは、とくに何かをする訳ではないのに、「道」によって成し遂げられない事はありません。人の上に立つ君主がこの事を弁えていれば、全てのものが自分から成長しようとするものであると老子は考えています。すなわち、無為自然とは、人間が赤ん坊のころから持っている、自ら成長しようとする、素直で自然な自分本来の生き方であるといえるでしょう。
「治大国若烹小鮮」という言葉が老子にあります。大国を治めるには、人民にあまり干渉せずに、自由にしておくほうがよいことをいっています。ここでは、無為自然の政治を行うべきことを説いたことばですが、これは必ずしも政治についてだけ言っているのではありません。たとえとして、小魚は形がくずれやすいので、煮る時には、いたずらに箸でかき混ぜると肉が崩れてしまうということを言っています。これは、子育てにおいての戒めとしても言えることです。子どもを、あれこれ大人からの干渉をしすぎると、かえって子どもの力を無くしてしまいます。子どもは過干渉せず、温かく見守ってあげるべきであるということです。
子どもは、もともと能動的な生き物であると言われますが、その意欲は大人からの見守りによって増されます。大人は無為自然であるためにだれからの見守りが必要なのでしょうか。「天網恢恢、疎而不失」という言葉が老子にはあります。日本では「天網恢恢疎にして漏らさず」といいます。「天網」とは、天が世の理非を正すために張った網のことで、「恢恢」とは、広く、ゆったりとしているさまをいいます。ですから、この意味は、天の網はこの上なく大きく、網目は粗いように見えますが、何一つ取り逃がすことはないということで、天は、どんな小さなことでも見逃さないので、悪いことをしてもきっといつかその報いを受けますし、良いことをしていたら、きっといつか報われるということを言っているのです。「MIMAMORI」には、精神的な応援でもあるのです。

投稿者 fujimori : 23:47 | コメント (5)

2010年05月21日 近頃思うこと

如蘭 如水

 私の高校の同窓会の名前は「如蘭会」と言いますが、この由来は「易経」の「繋辞伝上」にある「二人同心、其利断金、同心之言、其臭如蘭。」から採られています。
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「二人が心を一つに合わせ、協力すれば、堅い鋼鉄も断ち切るほどの力を発揮し、心を合わせて一致団結しているその言葉は、蘭の花の香りのように周りの人々へ影響を与えるものである」という、心と志を一つにした人々の集まりの力の強さを表現しています。集団のもつ力は、個人の力の何倍もの力を発揮し、周りに影響を及ぼすのですが、その影響力を蘭の花の香りにたとえているのが面白いですね。
 同じような名で「如水会」という、一橋大学の後援等を目的とした文部科学省所管の社団法人があります。この名前は、渋沢栄一が命名したと言われていますが、「荘子」の一節「君子交淡如水」から採られています。君子の交わりは、淡きこと水の如しということですが、ここでも老子の理想的な生き方の「水」が付き合いでも理想のように荘子に引き継がれています。水のような付き合いとはどういう付き合いなのでしょうか。老子が言う、水は相手の器に合わせ、自らは決して主張をせず、指示せず、争いもしません。老子は、「上善如水」と言った後に、次のような言葉を続けて、水のように生きるということは、そのような心でいることなのか、そのような心をもつと、どのような行いをするようになるのかを述べています。
「居善地 心善淵 與善仁 言善信 正善治 事善能 動善時 夫唯不爭 故無尤」
水は、生きるものにとってはとても大切なものです。水は、万物に恩恵を与えています。同じように、その人がいるところは、水が地を潤す様に、自然の姿のままで、報酬も求めず、相手にも寄らず、人々を善化していきます。その時のその人の心は、淵のような深さや永遠性をもち、澄み切っています。そして、無償の愛をもって人に対して寛容であり、慈しみの心である仁の心で人々に接していきます。その人の言葉には、嘘や偽りがなく、常に信用のおける真実の人なのです。人を治めようとする場合には、私心があってはならず、人と争ったり、反目をしません。そして、いったん事を成そうとしたときには、その為に能力を活かして働きます。そのために、普段からその道の実力を養っておき、その力を普段は隠しておきます。また、動く時にはその機を知り、時を逸することがありません。そのような生き方をすれば、人は争う想いが無くなり、真に平和の心になれば、全ての善き行為がその心から生まれ出でて、間違いがなくなります。
荘子の言葉の「君子交淡如水」に対して、「小人交甘如醴」という言葉が続いています。君子の交わりとは、水のようにある意味で淡泊な交際であるといいます。それに対して小人の交わりは甘きこと醴の陽だと言います。「醴」とは甘酒のことで、甘くてベタベタしていることを表しています。君子の交わり方で淡泊がいいというと、なんだか冷たい感じがします。しかし、淡いというのは、過干渉せず、相手を受容し、つかず離れずの関係で、ただベタベタしないということです。べたべたするというのは、決して相手のことを思ってのことではなく、自分の欲求を相手に求めるということのような気がします。この関係は、友達だけでなく、職場の仲間、親子の関係にも言えることで、相手を尊重し、相手を信じるからこそ、淡き心を持つことができるのだと思います。

投稿者 fujimori : 21:39 | コメント (5)

2010年05月20日 近頃思うこと

老子の言葉

 老荘思想と言うと、論語などと比べて一見難しそうに思えますし、あまりなじみがないように思えます。しかし、その言葉は、私たちは日常よく使うことが多いような気がします。そこから入ると、老子の言いたいことがよくわかります。
私の知り合いに、和菓子屋さんがいました。その和菓子屋さんの看板に「和光同塵」と書かれてありました。この言葉は四字熟語に使われていますが、出典は「老子」の4章の「和其光、同其塵」です。この言葉の「和光」とは、光を和らげるということです。光とは、自分の才能や徳、才知など輝いているところで、それを和らぐということは、その部分を隠して、そして、塵とは俗世間とか世俗という意味で、その中に交じってつつしみ深く、目立たないように暮らすことをいいます。それは、決して自分を隠してということではなく、いつも謙虚な深き心で、物事に取り組み、精進していくということだと思います。そして、他の人に共感し、常に学ぶ姿勢をもっているということでしょう。私は、よく職員から「先生は、遠山の金さんみたいですね」とか「水戸黄門みたいですね」と言われることがあります。それは、普段は庶民の中に同化して生活していて、いざとなると桜ふぶきの刺青を出すとか、印篭を出すからだそうです。私は「光」をもっているかどうかわかりませんが、「和光同塵の姿」であることを言ってくれている気がします。
この言葉は、仏教にもあります。仏教では、仏や菩薩が仏教の教化を受け入れることのできない人を救うために、本来の姿を隠し変えて、仮の姿をとって、人間界に現れることをいいます。救う相手と同じになる事で、相手に共感し、安心感を与えることによって、相手を道へ導くというわけです。「和光同塵の深き心」が仏を自在に変化させ、相手の立場になってものを考えることができ、そうすることによって相手に影響を与えることができるのです。保育の中で、情緒の安定は、「共感する」こと、子どもの立場になって考えることによってもたらされることと同じことなのでしょう。
その気持ちは、老子8章にある「上善如水。水善利萬物、而不争。」という言葉で表されています。「上善如水」という日本酒がありますが、この名前は、老子のこの言葉からとったもので、その思想に合わせて、澄みきった水の如き日本酒という意味だそうです。 老子は、水のように生きることが最も理想的な生き方であるとしています。水は万物に恩恵を与えるだけでなく、相手に逆らうことなく、相手の器に合わせて自在に形を変えます。この水のように、相手により態度を変える柔軟性は、私たちの職場でのモットーであり、子ども相手の保育者は、子どもに対して水のように常に柔軟性を心がけなければならないとおもっています。また、水は、人が嫌がるような低い所に流れていっても、淵のように謙虚な気持ちで、静かで深い心を持っています。水のように我と欲を捨て、相手の不愉快な言動にも腹を立てず、相手に対抗して意味のない競争をしたりもしません。常に、水のような静かで穏やかな心持ちでいることが理想な生き方なのです。「水は善く万物を利して争わず。」です。
 日本の庭でのポイントは、光をどのように演出し、水をどのように配置するかです。強烈な光を和らげ、塵の溜りにも心を配り、水は、庭全体の気持ちに寄り添うように流れを作ります。日本庭園は、老子の思想を表しているのかもしれません。

投稿者 fujimori : 22:01 | コメント (5)

2010年05月19日 近頃思うこと

老子

日本人の考え方にずいぶんと影響を与えた書物に、寺子屋や藩校で教科書として使われていた四書五経がありますが、その中の、論語、大学、中庸、易経を簡単に素人としての見方で解説してみました。しかし、これらは、どうしても道徳的な戒めが多く、どの人も君子にならなければと固く考えてしまいます。中国の人々も、儒教が国教となってから、やはりそういう思いをしたようで、そんなとき、老荘を思い出して、少し肩の力を抜いたようです。老荘思想とは、やはり中国で生まれた思想で、道家の大家である老子と荘子を合わせてこう呼んでいます。そうは言っても、この老荘思想を読めば力が抜けるほど、私はレベルが高くなく、それどころか、その思想からも学ぶことが多くあります。
日本人に影響を与えた思想として、儒教、仏教、道教が三大思想といわれています。その思想家の代表が孔子、釈迦、そして、老子で、三人は、ほぼ時を同じくして在命していたと言われています。しかし、この中で老子は、謎が多く、その人生も伝説的なことで包まれ、その書物や思想でさえ、彼のものではないかといわれているほどです。彼の表した書物の代表的なものであり、道教の開創の書として後世に伝わる「老子道徳経」の成立についてもこんなことが言い伝えられています。「紀元前600年頃の周の時代に、周の西方国境である函谷関で関所の役人を勤める尹喜は、ある日、青い牛にまたがってやって来る一人の老人と出会います。その老人にただならぬ徳の高さを感じ取った尹喜は思わず老人の前に跪き「おそらくあなた様は隠遁されるのであろうとお見受けします。その前にどうか私のために道について何か書き残していただけないでしょうか」懇願しました。彼のあまりの熱心さに、その老人はしばらく関所にとどまり、道と徳の意味を述べた書物を著したのち立ち去り、その後の消息はようとして知れないと言われています。」この書物は、さすが関所で短い間に書かれただけあって、五千余字からなる短い書物です。その中は、上篇の「道経」と下篇の「徳経」の二篇により出来ています。
その第1章は、「道の道とすべきは常の道に非ず。」とあります。老子の思想は、「道」について考えることが中心なので、道教と呼ばれますが、この道を中国語では「タオ」と言い、老荘思想のことを「タイオズム」とも呼ばれています。「道」について考えようという思想の第1章で、構えていた力が抜けていきます。「道というものは、定義できない」というのです。それは、他のあらゆる定義というのは言葉によってなされるものですが、道という概念は言葉に先立つものだからといいます。ただ、このときの「道」は、道そのものではありませんし、○○道というようなものでもありません。もっともっと奥深いものなのでしょう。しかし、そんな道であっても、言葉で表したり、普通の人が思うような「永遠不変」のようなものではないのです。人は、自然との共生の中で生きています。人は自然に育てられ、人は自然を生かし、自然と生活してきました。そんな自然とともに生きていくことこそ、自然なことなのです。名誉を求めたり、地位を欲したりするような生き方の中には幸せはないのです。老子にとって、立身出世とか名誉のために汗水流して努力するなど全く無意味なことで、自然と一緒に、自然のように生きることを目指したのです。それは、人間の生命は自然が作り、自然が育ててくれているからです。
老子は、世界の常識、世界の価値観を飛び越えて、のびのびと、自由に明るく、心豊かに生きていくことを提案しているのです。

投稿者 fujimori : 23:02 | コメント (5)

2010年05月18日 近頃思うこと

一陰一陽2

先日訪れた温泉津温泉は、島根県にありますが、この地方を中国地方の中で山陰地方と言います。それに対して、瀬戸内海側を山陽地方と言います。この分け方は、易経の「陰」と「陽」の考え方を用いたのでしょう。それは、日が昇る方を「陽」、日が沈む側を「陰」としたのです。物事を、陰陽に分けてそのバランスをとっていくということは一見理解しやすい概念です。それは、いろいろな所に使えます。たとえば、「陰に偏ったり、陽に偏ったりすることから病気が生まれる」というようにですが、実際にそれがどういうことであり、どのようにしていけばということをすればいいかというと、たとえば「かたよった食事をしない」「デスクワークだけでなく、戸外運動もたまにはする」と分かりやすくなります。ただ、それは中庸がいいとか、バランスが大切というと簡単ですが、儒教の中で「中庸」が特に大切であると孔子が言ったように、実はなかなか難しいことです。
 「一陰一陽之を道と謂う」というように、陰陽の世界は、天地の生命力の大作用なのです。陽が盛んに活動している時は陰が潜み、逆に陰が盛んに活動している時は陽が潜みます。このバランスの中では、どちらがいいということではありません。善悪で判断すべきものではないのです。「仁者はこれを見てこれを仁と謂い、智者はこれを見てこれを知と言い」というように、一陰一陽の道を、憐れ深い人は、これは仁愛の道であるといい、知識ある人は、これを知恵の道であるというのです。学者など研究者は、どちらかに偏ってしまったり、自分の分野からだけからものを見たり、考えたりしてしまいます。実は、仁は人を愛し憐れみ恵む陽の徳、知は物事の道理を究め知る陰の徳であり、そのバランスが道なのです。また、「百姓は日に用いて知らず」というように、一般大衆は、この道理を日々の生活の中で実践し、無意識に感じているのですが、それがどんな法則の中で行われているのかを知りません。ですから、「故に君子の道は鮮(すくな)し。」というように、この陰陽をきちんと理解し、それを実生活に生かすことができる人は少ないのです。
私たちの人生は、一陰一陽の作用の中で営まれています。その中で、おおむね、「陰」と「陽」の分け方は、「陽」は非常に行動的で、能動的であるのに対して、「陰」は、受容的、内省的な性格を持っているとします。その考え方で行くと、男は「陽」で、女は「陰」、母親は「陽」で、息子は「陰」となり、母親は女性という立場からすると「陰」ですが、子どもに対しては「陽」という立場になると解説しています。しかし、私は、最近の考え方では、子どもは「陽」であると思っています。子どもは非常に活動的な生き物ですし、能動的な生き物です。その行動を受容するのが大人でしょう。母子関係は別として、少なくとも保育における保育者と子どもの関係では、保育者はあくまでも「陰」であるべきだと思っています。それは、非常に「陽」である子どもとのバランスです。子どもは、自らの中に「陰」を持つことを学んでいません。何でも知りたがり、なんでもやりたがるのです。また、逆に保育者が「陰」が強くなければ、子どもの探究心を引き出せないと思います。保育者はあくまでも子どもを信じ、慈愛をもって受容する精神が必要です。その保育者の心得が「MIMAMORU」だと思います。

投稿者 fujimori : 20:48 | コメント (5)

2010年05月17日 近頃思うこと

一陰一陽1

 そろそろ「易経」についてはひと先ずおしまいにしたいと思います。人生において、これほどまでに易経が私たちの心の中に影響をしているとは、意識をしませんでした。まだまだ理解するには入口ですが、あまりそればかりではかえって話題が狭くなってしまうので、折に触れてまた見直そうと思っています。
 最後に、易経に関しての中心課題である「陰陽」について考えてみました。
易経の本文の解説として「十翼」がありますが、この中に「繋辞上伝」と「繋辞下伝」があります。この伝は、易経の概論を哲学として高め、解説したものです。この中に、易経が単なる占いから哲学としての書である証明に「形而上者謂之道、形而下者謂之 器」(形より上なるもの、これを道といい、形より下なるもの、これを器という)という文があります。形として目に見えるものの以前のもの、それを「道」と言っています。ここで言う「道」とは、人としての生き方、すなわち「時」を知ること、変化を知ることという「兆し」であり「幾」であるのです。それが、「陰」と「陽」の世界なのです。「一陰一陽これを道と謂う。」という文言になるのです。そして、形になって、目に見えるようになったものが「器」です。これは、形だけでなく、行動や言葉での表現も含みます。私たちは、このような「器」を通して、「道」を学んでいくのです。これが易経なのです。
 哲学の世界で、アリストテレスに代表される、現象を「超越」してその背後にある本質や根本的な世界、存在を純粋な思考や理性、あるいは直観によって探求・研究する学問をメタフォジックスと言いますが、これは、「形より(而)上のものを考える学問」ということで、易経のこの部分をとって「形而上学」と訳されています。易経の中で、それについて書かれているのが「繋辞伝」(けいじでん)なのです。
「一陰一陽これを道と謂う。 これを継ぐ者は善なり、これを成す者は性なり。仁者はこれを見てこれを仁と謂い、知者はこれを見てこれを知と謂い、百姓は日に用いて知らず。故に君子の道は鮮し。」
世の中が一定ではなく、変化していきます。また、世の中のものは同じものでも見方によってはその価値は変化します。その変化は、決まって起こるような春夏秋冬のようなものがあります。それは、それぞれの季節に役目があるからで、陰と陽の役目を行うのです。春夏は盛んに伸びていく陽ですが、秋と冬は蔵に納める陰です。それが呼応しあって、お互いが生かしあって、植物が子孫を後世に残していくのです。人生においても、陰と陽は繰り返し現れます。勢いが盛んで、前進しているときはようで、何事にもうまくいかず、挫折する時には陰です。しかし、これはどちらも、人生においては必要なことであり、両方とも持つことで次に変化が生まれるのです。陰陽は入れ替わり変化します。陰と陽は循環しながら助け合い、補い合いながら新しいものに変化し成長発展していくのです。
人は、陰陽の微妙な変化を察知して対応していかなければなりません。孔子が易を深く学んだと言われているのには、この理由からです。人間が正しく自己の運命の道すなわち天命を歩んでいくには陰陽の道の微妙なところを察知することだからです。
私が、このブログを書きながら学んでいくのは陰で、その学んだものを社会に還元し、学んだことをもとにして社会に貢献していくのは陽です。どちらも必要なことです。

投稿者 fujimori : 20:37 | コメント (6)

2010年05月15日 近頃思うこと

カメラメーカーに「ミノルタ」という社名の会社があります。この名前の語源は、「実る田」だそうです。農耕民族ならではの命名のいわれですが、もうひとつ、この言葉から戒めが感じられます。それは、「実るほど頭(こうべ)を垂れる稲穂かな(実るほど頭(あたま)の下がる稲穂かな)」という言葉が思い起こせるからです。稲穂は実るほど頭を垂れてきます。それと同じで、人も歳を重ね、人格が高まり、実っていくほど、人々への感謝の念が大きくなり、相手に対して態度が謙虚であるという意味です。
易経では、謙虚、謙譲、謙遜の精神を最高の徳とします。易経の六十四卦の第十五卦は「地山謙(ちざんけん)」と呼ばれているものです。この卦は、上は地、下は山の卦でできています。本来は、山は高くそびえ立つものですが、この卦では地の下に山があります。これは、天から与えられた、大いなる才能を持ちながら、人の下にいる形を表しており、すなわち、謙の徳を象徴しているのです。このときの「謙」は、人として、自らの足りないということを知り、自省するという意味で、いくら偉くなっても、実績が認められても、決しておごらず、まだ自分としては未熟であり、足りないという心を持ちつづけることです。
「地中に山あるは謙なり」という言葉があります。このときの「謙」は、へりくだるという意味だけでなく、「快い」という意味もあります。高い山が自分は高くないと思って、地の下に行くように、快くへりくだるのは真の謙虚さなのです。たとえば、物事を学べば学ぶほど自分の学びが足りないと思い知らされます。いろいろなことを知るにつけて、なにも知らないことを思い知らされます。ですから、恥ずかしくて自慢などできなくなり、それどころか、もっと勉強しようという気持ちになるものです。「地山謙」は、そのようにへりくだる精神の大切さを説いている卦なのです。
 「人道悪盈而好謙」(人道は盈(えい)を悪(にく)みて謙を好む)という言葉が易経にあります。「盈」は満ち足りた状態でるとか、昇りつめた状態であるということから、驕慢とか、傲慢という意味です。人の道は、低くへりくだるものこそが、最も高みに至ると言っています。人は、たとえ成功者であっても、偉い人であっても、もし高慢であれば嫌い、逆に謙虚な人に対しては、惹かれて手を貸したいと思うものです。そして、いくら身分が低かろうと、謙虚に生きる人を誰もさげすみはしないのです。ですから、謙虚な態度を終りまで貫いて崩さないのが君子であり、「謙」の徳は、終わりを飾るものであるのです。
「謙は亨る。君子は終りあり。」という言葉があります。これは、「たくさんのものを持つ者は、それ以上欲張ってはいけない」ということで、謙遜でなければならないということを教えています。そして、謙遜な人は、尊い地位にいるとしたら、その徳ますます輝き、もし、低い地位にいたとしても、その人格の高さ故に、その上に出る人はいないのです。これが卦辞に、「君子終りあり」というゆえんなのです。
 私は、常に学ぶ姿勢を持つことで、謙虚な姿勢を持てるのだと思います。学ぶ姿勢を持つということは、まだまだ自分は学ぶことがたくさんあると感じる心だと思います。それは、きちんと自己評価ができる人なのでしょう。

投稿者 fujimori : 21:43 | コメント (6)

2010年05月13日 近頃思うこと

学問

学問とは何なのでしょうか。私は、「見て、真似をし、人になぜかと問う探究心を持つこと」であると思っています。「問」とは、もともとは学習するための問答ではなく、占いを神に問うたことから出ている宗教儀式だったようです。しかし、今の学習の基礎である探究心を表す言葉が「問」であると私は思います。ということは、学問は生まれながらにして始められていることであり、逆に乳幼児期こそ、その基礎を作るのにとても大切な時期であると言えますし、その気持ちをいつまで持ち続けられるかが、一生学問を続けられるかということになるような気がしています。
 もともと学問という言葉の出典は、易経の「文言伝」の中の「学もってこれを聚め、問もってこれを辯ち、寛もってこれに居り、仁もってこれを行う」という部分から出ています。竹村亞希子さんによると、「学問とは、学び、書物や師に問い、自問し、為すべきことを弁別すること。そして、学んだことを会得したら、「こうでなくてはいけない」と狭量にならず、人にも自分にも物事にも、寛容な心で思いやりをもって実行することが肝要である。」 と言っています。
 この文言は、易経では「潜龍」が、学問することによって、「見龍」の段階になるとしています。また、学問とは何かを、福沢諭吉は「学問のすすめ」の中で解説をしています。これは、以前やはりブログの中で紹介しました。そこでは、やはり、「学問とは,唯むずかしき字を知り,解し難き古文を読み,和歌を楽み,詩を作るなど,世上に実のなき文学を云うにあらず。」とあります。易経の中で、「書物や師に問い、自問し」とあるように、覚えることに意味あることではないのです。たとえば、文字を覚えるのは、それが目的ではなく、覚えることによって、いろいろなことを知り、それゆえにいろいろな疑問がわいてきます。それを書物や師に聞くことが学問なのです。文字を覚えることは、目的ではなく、学問をするうえでの道具なのです。自ら働きかけることから学問が始まるのです。
これは、当たり前のことのように思えますが、最近の幼児からの英語熱の過熱ぶりを見ると、りんごをアップルだということを覚えることが目的だと思っている保護者が多いように思えます。「学問のすすめ」には、「古来漢学者に世帯持の上手なる者も少く,和歌をよくして商売に巧者なる町人も稀なり。」と書かれてあるように、覚えること、研究すること自体が学問ではないのです。今でも、「経済学者に会社を経営させると会社は傾いてしまう」と言われているのと同じですね。諭吉がすすめている学問も、そうではないことを記しています。
目的と手段の混同が他の分野でも見られることがあります。教育の目的でも同じようなことに出会うことがあります。少し前に、教育者の方に「乳児保育の目的は何ですか?」と聞いたところ、「親子の愛着形成です。」と答えました。わたしは、その答えはおかしいと思いました。愛着形成が目的ではなく、愛着形成をもとに、子どもが、さまざまなことに好奇心を持ち、自ら環境に働きかけることが重要なのです。愛着形成による情緒の安定は、目的ではなく、必要条件なのです。
知識を覚える教育から、知識を求める心を乳幼児教育で養い、その心に8歳以後に知識を注ぎ込むことによって、より高い探究心が生まれることが学問だと思います。

投稿者 fujimori : 23:31 | コメント (5)

2010年05月12日 近頃思うこと

教思

 儒教は、ある意味では「リーダーシップ論」であり、上に立つ者の心得が書かれてあります。それは、易経も例外ではありません。しかし、このリーダーとは、なにも会社や職場で地位のあるものというだけではないと思います。人として成熟していくうえでの心得であり、人としての生き方の指標でもあるのです。その教えを易経の中から拾い出してみました。
  以前のブログで紹介したように、リーダーたるものは、「陰」と「陽」をわきまえることが必要です。たとえば、強くて前に進む性質は「陽」です。それに対して、自らを律し、感情をコントロールする力は「陰」です。もし、陽の力だけが勝ってしまえば、独善的になり、自分の力を誇示するようになってしまいます。そのために、陽の状態の時に、自らの中に陰の力を生じさせる力がなければリーダーにならないのです。その時生じた陰の力とは、受容、共感、柔和、傾聴という態度を生み、人の意見に耳を傾ける謙虚さを生みます。いくら能力に優れたリーダーであっても、自らの中に同時に陰を生み出し、陽の力をコントロールする力がなければ、後継者を育てることはできず、周りの人は次第に去っていってしまうのです。
 よく「器量」ということが言われます。大将としての器量があるなどと使いますが、その時の器量は「陽」です。その立場にふさわしい行動をとることができ、実力があります。しかし、「陰」の部分が必要になります。それが「度量」です。人の意見に真摯に耳を傾け、よいものを受け入れる大きな心を持っていることです。
 「教思無窮(きょうしむきゅう)」という言葉が「地澤臨」にあります。「地澤臨」という編は、「ちたくりん」と読み、高いところから低いところを臨み見るということで、人を育てるうえでの心得が書かれてあります。「君子もって教思すること窮まりなく、民を容れ保んずることかぎりなし。」と書かれてあることは、君子とは、人に教える時には、その人のことを深く思いやり、導いていくことが必要であり、相手の気持ちを受容し、共感するのには限度がありません。限りなく深く思いやり、受け入れ、繰り返し教え高めなくてはならないということを教えています。これは、子どもを保育するときにも心得なければならないことでしょう。
 「火天大有」に「大有は柔尊位を得、大中にして上下これに応ずるを、大有という」と書かれてある部分があります。この「火天大有」という編は、組織、地位を保つときの心得が書かれてあります。「大有」は大いに所有するということで、占いの中では「火天大有の時、大いに通じる」というように、この卦は、天の上に太陽がさんさんと輝き、同じように気力、実力ともに充実する時です。しかし、この時期のことを竹村亞希子さんは、こう説明しています。「組織でいえば、ろうそくの芯がリーダーの役目である。つまり、組織を保つために、リーダーは技や力を他と競う必要はない。力のないリーダーであるからこそ、多くの人の能力を発揮させることができる。それが「大中」。これは大いに中庸を心得る者をいう。「大中にして上下これに応ずる」とは、ろうそくの芯に火が灯るような様をいう。ろうそくの火を思い描いてほしい。芯の部分は暗く、芯自体は光を発しないが、ひとたび火がつけば、芯を中心にまわりが明るく燃え上がる。」
そして、この素晴らしい時期を保つためには、「本来、能力があってもそれを覆い隠し、立場をわきまえ、自らの中に陰を生み出して、後継を育てるからである」というように、自分が光り輝くよりも、周りの能力を引き出してこそリーダーなのです。

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2010年05月11日 近頃思うこと

機密

 最近は、一時期のような神経質ではなくなりましたが、プライバシー保護が叫ばれています。園でも、子どもの写真をはってはいけないとか、誕生表は貼らないようにとかいわれ、どこまで、何がいけないのかわからないくらいでした。反面、こんなに個人情報を公開していいのかと思うことがあります。その多くは、ネット上ですが、よくネットに掲載するのは、町の中の電柱に個人情報を貼るのと同じだと言われています。ホームページや、ブログで、家族のこと、今日食べた物、行ったところ、買ったもの、そんな個人の情報が写真とともに公開されます。また、グーグルアースという検索では、住所を入れただけで建物の位置や形、大きさまで世界中のものを見ることができます。今度ドイツに行くのですが、宿泊するホテルの住所を入れるだけで、すぐにその情報が手に入ります。
 最近の若い女性の間ではやっているものに「プロフ」というのがありますが、これは、主に携帯電話で利用されているもので、自分のプロフィールのページを作成し、公開するものです。「プロフ」とは「プロフィール」の略なのです。このページは、あらかじめ用意された項目に記入していくようにして簡単に作成することができるため、女子小中学生高校生が多く利用していますが、ここには、顔写真などの画像も添付され、「名前」や「誕生日」「性別」「血液型」「星座」に始まり、「好きな映画」「好きな本」「マイブーム」果ては「前世」といった項目まで、非常に様々な項目まで記入されています。書き込みでも、今どこにいるとか、何をしているとか書かれるので、いつか悪用されないか心配です。保護者は、我が子のプロフを知っているのでしょうか。
何年か前にNHKの正月番組で「大化の改新」を放送したことがありました。その中で、「易経」を朗読するシーンが何回か出てきました。その一つに、たしか、解釈や理論をまとめた十翼の一つである「繋辞上伝」の一句を詠みあげたシーンがありました。この部分は、人としての節度を守ることを教えたものです。「乱の生じるところは、すなわち言語をもって階をなす。君密ならざるとき臣を失い、臣密ならざるときは身を失い、幾事密ならざるときは害成る。ここをもって君子は慎密にして出ださざるなり。」
物事の乱れが生じるのは、まず人の軽率な言葉がきっかけになります。言ってよいことと悪いこと、言うべきことと言わざるべきことの節度を持たなければ、君主は臣下の心を失い、臣下は己我が身を危うくしてしまうものです。さらに取り扱いが大切な事柄について軽率に口に出せば、国家の大害をまねいてしまいます。ですから、君子は軽率な発言をしないものですと言っています。
この中の「幾事密ならざる」という部分から、「機密」という言葉ができたのでしょうか。私は、この幾事という言葉が気になります。というのは、易経では、この「幾」が多くつかわれているからです。たとえば、「幾を知るはそれ神か」という文があります。この「幾」とは、わすかな、微妙なという「機微」を意味します。いわゆる「兆し」です。「幾を知る」というのは、まだ表には現れていない時期に、その兆しを察するということであり、ある出来事から先を見通すことでもあるのです。それは、常人ではなかなかできないことなのです。それを、いたずらに憶測だけで人に言い触れまわってしまって、混乱させるのは大害であるということです。最近の政策について、憶測であれこれ言い触れまわっているのはあまりに節度がない気がします。

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2010年05月10日 近頃思うこと

四徳

いろいろと「易経」について考えてきましたが、実は「陰陽」の世界が「易経」の真髄でもあるのですが、この部分は深く、その点についての解説は難しいので、直接的な説明ではなく、易経の中の言葉から少し見ていこうと思います。「変化を読み取り、活路を開く知恵ここにあり」ということで書かれた「易経1日1言」(竹村亞希子 編 到知出版社)の中から、少し考えてみたいと思います。
この本の一番初めに出てくる言葉は、「元亨利貞」(げんこうりてん)です。この言葉は、「乾為天」に書かれてる「乾は元いに貞しきに利ろし」と書かれてあるもので、大辞林によると「易経で乾(けん)の卦(け)を説明する語。「元」を万物の始、善の長です。「亨」を万物の長、「利」を万物の生育、「貞」を万物の成就と解し、天の四徳として春夏秋冬、仁礼義智に配する。」と書かれてあります。「乾」とは偉大なる天のことを指します。この偉大なる天の働きを春夏秋冬に当てはめて考えています。「元」は万物の始りですから、元日とは「万物が始まる日」ということになります。植物にたとえれば、春には種子が発芽するということです。(元)その芽が、夏には大きく成長します。(亨)そして、秋には豊作になります。(利)実をつけ、(貞)やがてそれが大地に落ちてまた繰り返されるのです。この無窮に繰り返す変化の原理原則が「元亨利貞」ということであり、これを「常態」といい、物事の成就の道を示していると言われています。この原理原則から外れるもののことを「変態」といい、中途挫折の道となってしまうのです。
偉大なる天の働きは何と偉大なのだろう。その原理原則を理解し、従うことが大切であるのです。すなわち天の動きの道の全体を包括するのが乾の始まりとしての「元徳」です。この始まりの気はやがて雲となって流れ、雨となって降り注ぎ、すべてのものはその形を整えていきます。これが乾の「亨徳」と呼ばれるものです。このように、乾卦では、天道の終始が明らかに示され、それぞれの時機に応じて我が身を考えることが必要であり、聖人たる者はしかるべき時にその行動をとることによって、これまで説明した六竜のごとく成長していくのです。天道は刻々と変化しますが、その変化に応じて万物もそれぞれの性命を正しく実現していきます。大自然の調和を保有し和合していくのです。これが乾の「利貞の徳」です。これが、「天の四徳として春夏秋冬に配する」です。
つぎに、これを「仁礼義智に配する」とあるように仁礼義智に当てはめます。春はすべての始まりであるように「仁」を人間としての始まりです。慈しむこころ、思いやり、そこに私心なく、何の見返りも期待しない仁愛の精神こそが始まりです。次に夏のように豊かに伸び栄えるのは、人や物が集まり、個と集団が調和し、社会が治まっていくことであり、その調和の要となるのが「礼」という、筋道、秩序です。その実りを得るためには、私情、私欲を断ち切り、「義」の道を行うことなのです。そして、事が強固になり、成就する冬に当てはまるものが「智」という知恵、知識です。仁・礼・義・智の4つの徳が循環してやまないものなのです。
「乾は剛健であり進んで止まないものであるので、ものごとは大いに成就することができるが、常に正しい道を歩んで事を行ってゆくべきである。」ということは、今も教訓として私たちに訴えかけてくる言葉です。

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2010年05月08日 近頃思うこと

変化の書2

 よく、道に迷った時、どちらに行くかコインを投げて決めることがあります。表が出たら右で、裏が出たら左に行くというようにです。そして、それが当たるか当らないは「当たるも八卦、当たらぬも八卦」と言います。これは、易経から出ていることばです。
「易経」は、四書五経と呼ばれる儒教の経典の一つです。その原型がまとまったのは、紀元前八世紀ごろといわれていますが、「易」または「周易」ともいう古代中国の占いの本です。「易経」は、六十四卦を説明する「経」と、その解釈の「十翼」から成り立っています。まず、易は宇宙の変化を象るために、すべてのものが陰と陽で成り立っていると考えました。そして、陰陽は互いに相反しながらも、交ざり合おうとして大きな循環をおこし、あらたな進化をするとしています。そして、陰は「--」、陽は「―」という記号であらわします。この記号を「爻(こう)」といいます。
はじめに混沌とした宇宙の始まりを「太極」としました。「太極」は、裏と表も、右も左も、縦も横も、有も無も何もない上程です。そして、その太極から陰陽の両極が生じるとしました。この両極である「陰」と「陽」を対極の性格に分けました。陰と陽の爻を三本ずつ使うと、1本目が陰か陽のどちらか、2本目が陰か陽のどちらか、3本目も陰か陽のどちらかということで、その組みあわせの数は、八種類できます。それを「八卦」といいます。ここから「当たるも八卦、当たらぬも八卦」という言葉が生まれました。さらにこの八卦を二つずつ組み合わせたものが六十四卦です。「経」には、六十四卦それぞれに持つ意味が説明されている「卦辞」と、卦を構成している六本の爻の意味が説明されている「爻辞」があります。しかし、大変その言葉は難しいので、これに解説がつけられ、それらを「十翼」というのです。これを使って占うのが、「易」なのです。
陰と陽とはもともと天候と関係する言葉であり、陰は曇りや日影、陽は日差しや日向の意味として「詩経」などの古書に書かれてあります。そして、他の書物の中では、陰陽は寒暑の要因と考えられ、また、陰・陽・風・雨が季節を特徴づける気候の要因として扱われています。それが次第に、万物の生成消滅と言った変化全般を司る概念となり、万物の性質を二元に分類する概念へと高められていったのです。すると、自然を天と地に分けたら、天が陽で地が陰、一日を昼と夜に分けたとしたら、昼が陽で夜が陰です。善と悪では、善が陽で悪が陰、動くが陽で止まるが陰、強が陽で弱が陰というように分けられます。
この陽と陰でいろいろなことを説明しました。たとえば、人格では、「陰」は成長の原動力で、これを徳とし、また分かれて枝葉となり、花実となる「陽」の力を。才幹知能とします。この徳性と才幹知能が相まって、人格ができてくるという考えです。また、われわれの欲望というものは「陽」です。対する内省、反省は「陰」です。欲望がなければ活動がないわけですから、欲望はさかんでなければなりませんが、さかんであればあるほど内省というものが強く要求されます。内省のない欲望は邪欲であります。内省という陰の働きは、「省みる」という意味と「省く」という意味があります。内省することによってよけいなものを省き、陽の整理を行い陰の結ぶ力を充実します。どちらか一方だけではだめですし、どちらが強いだけではだめなのです。活動が活発であれば、振り返りも多いにしなければいけないのです。易経の中に「一陰一陽これを道という」という言葉があります。陰と陽のどちらかが強くなれば、どちらかが弱くなります。これを「消長」といいます。消長して循環していくのです。
世の中はすべて変化します。陰と陽も変化します。陰が陽になり、陽が陰になります。それは、陰と陽はひとつのものから分かれているからです。賢さが陽で、愚かさは陰ということは、同じ人の中に両方持ち合わせているからです。陰も陽も両方ともあって、陰が強くなったり陽が強くなったりするのです。ですから、易は「変化の書」と呼ばれているのです。

投稿者 fujimori : 07:35 | コメント (5)

2010年05月07日 近頃思うこと

変化の書1

「易経」では、まず龍の成長から「時」というものを解説していきました。その「時」とは、変化です。ですから、「時の書」と同時に「変化の書」ともいわれています。そして、その変化をみる力が必要だと説いてきました。この時かどうかを見るのが、「機」です。「機」という字は、木+幾(ごくわずか)からできていますが、もとは織機の間に挟まって仕掛けを動かす小さな木の棒のことでした。ですから、「機」は、仕掛けの鍵であり、時を図っているのです。「繫辞下伝」にある「君子は幾を見て作(た)つ」の「作」は「物事をなす」という意味ですから、「今がその時だったら成し遂げなくてはならないし、進まなくてはならない。出るべき時に出て、止まるべき時に止まる、退くべき時には退き、待つべき時には待つ」という意味になります。それがリーダーの出処進退というものであり、これが時を知るものの進み方なのです。しかし、「幾」すなわち兆しを知ることはとても難しいことです。しかし、もし君子であるならば、目上の人に対して媚びへつらうことはしませんし、目下の人に対しては威張りません。それは兆しを知っているからなのです。兆しというものはほんのわずかなものではありますが、吉の前に先んじて現れるものです。その兆しを観たら、君子は強い意志を持ってすぐに立って事をなさなければなりません。
天地、人間の創造変化は、相対立するとともに相関連しています。それらは、形のうえでは相対していますが、同時に相待ちます。その対にあるものを「陰」と「陽」としました。それが、易経における「陰陽相対(待)理論」です。まず、誰もがわかりやすくするために、春夏秋冬を時の変遷の基とし、物事の栄枯盛衰の原理原則を根幹として、人生におけるあらゆる時に対応する智慧の枝葉を広げています。学んでいくうちに、どんなに激しい変化の波にも対応できる智慧を身につけ、さらにいち早く変化の「兆し」を察する直観力を体得するといわれています。ということで、易を学べば人生に大過なしといわれる所以で、五千年も読みつがれてきた人間学の原典なのです。
木は根・幹・枝・葉・花・実とだんだん分かれていき、しだいに繁茂していきます。これが、発動分化の力、能動的な性質である「陽」です。逆に、実・花・葉・枝・幹・根と統一し含蓄されてきます。これが統一含蓄の力、受動的な性質の「陰」です。この陰と陽は、対立するものでも、矛盾するものではなく、ふたつが相待つ相対性理論であります。陰陽は入れ替わり変化して、めぐりめぐっていきます。たとえば、学びの時代は陰です。その学んだものを社会に発揮するのは陽です。学びとは「陰」と「陽」の両方のすばらしさなのです。ゆっくりと休んで英気を養うのは陰で、休んだ結果元気になり、その元気によって何かをしようとするのは陽です。陰から陽へと循環していきます。そのように、陰陽は互いに相反しながら、対立しながら、助け合いながら、混ざり合おうとして交わりながら、互換重合して螺旋状に大きな循環をしながら、助け合い補い合いながら新しいものに変化し、発展成長していくのです。
陰と陽がそれぞれお互いがあることで存在することを「陰陽互根」といい、陰と陽はお互いにバランスを取りながら存在することを「陰陽制約」と言います。このように自分の人生の中でのさまざまな変化を考えると、必ずしも落ち込むことはないかもしれません。悪い時も良い時への変化を待っていますし、うまくいかないときも、よくいくための変化の前兆かもしれませんね。

投稿者 fujimori : 22:43 | コメント (5)

2010年05月03日 近頃思うこと

時の書9

十分な実力を備えた躍龍が、ついに時を捉えて大空に飛翔した段階である第五段階は、「飛龍(ひりゅう)」です。一つの志を達成し、隆盛を極め、成功をつかんだ時代ともいえます。易経には「飛龍天にあり、大人を見るに利あり」と書いてありますが、これを孔子はこう言っています。「同声あい応じ、同気あい求む。水は湿に流れ、火は燥に就く。雲は龍に従い、風は虎に従う。聖人作りて万物覩る。天に本づくものは上に親しみ、地に本づくものは下に親しむ。すなわちおのおのその類に従うなり」(美しい音律には誰もが惹かれ、誰もが和やかな雰囲気を求めるものである。水は湿ったところを流れ、火は乾いたところから燃え広がるものである。その必然のように、実力を真摯に繰り返し学び、我が身を振り返ること久しくあることによって、龍は、大空に飛翔します。「龍」と「雲」は1つの存在になります。龍は、雲を呼び、恵みの雨をもたらし、龍が発する風には虎も従います。こうして、世の中に大循環を起こすかのように、聖人のような指導者がこの世に現れれば、万物がそれを歓迎してそれに従います。天から生を授かったあらゆる人間や動物たちはその指導者を歓迎して受け入れ、地から生を授かった植物たちもがその指導者を歓迎して受け入れます。この世に存在するありとあらゆるものがその指導者を歓迎するからこそ、天下は平らかになるのである)
ずいぶんと、飛龍はすごいですね。このような段階に到達するのはなかなか大変のような気がします。しかし、立場で、会社で言うと社長や、学校の校長、園長などはこのようでなければならないのです。しかし、そこにはいくつかの気をつけなければならない心構えが含まれています。今までの苦労が実って人々から高く評価される段階であるにもかかわらず、それまでの過程を忘れて地位だけがその人の評価となると、とかく、そんな気はなくても、どうしても驕り高ぶるようになります。驕り高ぶると、周りの人々の意見をよく聞いて取り入れる心や風光明媚な自然を愛でる心が失われてきがちです。そうなると、兆しを察する能力は衰えてきます。もはや飛龍の段階にいることが許されなくなり、せっかく上り詰めた地位から転落してしまいます。それは、すぐに落ちるのではなく、おとる兆しがまず現れます。そして、突然大成功を続けていた飛龍は、次の段階の「亢龍(降り龍)」に転じてしまうのです。この大きな流れは、一人ひとりの人生や国や世界の歴史などあらゆる事の定めであり、このような循環を繰り返し続けることは「不易」なのです。このような「時の原則」を、易経は訴えたかったのでしょう。
 だからと言って、飛龍であることをあきらめ、そうなることを恐れることはないと思います。飛龍の段階になったら、自分の周りの人の意見によく耳を傾けたり、風光明媚な自然に親しんで人間性を回復するように努めることが必要で、これが、「大人を見るに利あり」というのです。「飛龍天にあるは、乃(すなわ)ち天徳に位(くらい)す」というように、飛龍天にあるは、徳があるから、大空を飛翔できるのであり、大人というのは、その徳は天地の徳に等しく、人の道と天の道を一致させた人物であり、太陽の陽と月の陰の両方を合わせ持ち、四季の移ろいのように自然であり、真理を説く存在なのです。
ここで、6段階の龍の話は終わりますが、易経の真髄である「陰」と「陽」の考え方を少しだけ説明します。それが、易が占いに通じるゆえんですから。

投稿者 fujimori : 21:13 | コメント (5)

2010年05月02日 近頃思うこと

時の書8

いよいよ、龍は成長していきます。それは、自分ではそこまで成長していないと思っていなくても、そのような地位になったり、そのような立場になることは、必ずしも自分の意志によらなくても、その立場にあることをいたずらに拒否するのでなく、自己を振り返り、そのような立場に相当するような研さんを積むことも必要な気がします。そういう意味でも、易経の初めを、龍の成長から学んでいくような物語にしているのは、易経を分かりやすくするための手法なのでしょう。
自分の立場を高めるための研鑽と振り返りの「乾惕」の時代により、基礎を培え、応用力を養った龍が、やがて十分な実力を備えるようになると「躍龍(やくりゅう)」という段階に入ります。それは、次に来るであろう「飛龍」として大空を悠々と駆けめぐるための助走に入ったのです。「躍る」とは「飛ぶ」の真似をしながら学んでいくことです。躍龍は、まだまだ悠々と大空を駆けめぐることはできず、一瞬は大空に飛び立ちますが、すぐにもとの淵に降りてくるのです。それが、「或躍在淵」(或いは躍りて淵に在り)ということです。「淵」とは潜龍のいた淵のことです。潜龍の時代は淵に潜んでいて確乎不抜の志を打ち立てるときでした。見龍の時代は淵から外を見て、基本力を学ぶときでした。乾惕の時代は淵の中で基本力を身につけて自分のものとするときでした。そして、いよいよ淵から出て行く機会を見ていきます。躍龍の時代は、「時」と「兆し」を見きわめる洞察力を養うときなのです。洞察力とは「幾(時の兆し)」を見ることです。飛龍として大空に飛び立つ「時」と「兆し」を見きわめるのです。
この時期を孔子はこう言っています。「上下常なきは、邪をなすにあらざるなり。進退恆(つね)なきは、羣(ぐん)を離るるにあらざるなり。君子徳に進み業を脩(おさ)む、時に及ばんことを欲するなり。故に咎なし。」(ある時は成功して上になったり、またある時は失敗して下位に下ったりするときがありますが、そのように常に一定を保たないのはなにも野心・野望などのよこしまな心、邪な思いからではないのです。また、進んでみたり退いてみたりと行動が定まらないのは、独断専行して部下がついてこないからではないのです。すでにいくつもの経験を重ね、充分に業を修めているので、この時期は、時を捉える力をしっかりと培うためにあるのです。もし、失敗したとしても、大きな過失には至らないのです。
「躍りて淵に在り」とは、躍ったり淵にいたりと安定しない時期なのです。大成功するときもありますが、大失敗するときもあります。しかし、確実に力はついているので、飛龍に繋げるための幾を読みます。これが、易では、昨年の大河ドラマではありませんが、「天地人」という、「天の時・地の利・人の和」がすべて揃える時を見ます。いくら実力があっても時を得ていなくては飛龍には成れません。時を知るために、変わるものと変わらないものを見る力もなければなりません。「常」も「恒」も「変わりない」という意味は同じですが、易経では「常」は地位や立場などに変化のないことを意味し、「恒」は月の満ち欠けや日のめぐりのように、変わらぬ動きをいいます。
人間界でのことは「常」ということはないのに、人は常を求めることで悩み、不安になることが多いような気がします。しかし、自分に力が付いてきていることを信じることが、次の段階に行くために必要なことかもしれません。

投稿者 fujimori : 20:53 | コメント (5)

2010年05月01日 近頃思うこと

時の書7

易経六十四卦の最初に登場する卦である「乾為天」の三段階目にあたる龍は、「乾惕(けんてき)」です。この前の段階である「見龍」では、じっといろいろなものを見つめ、そして自分が従うべき師を見つけたら、その真似をして学んでいきます。そして、基礎を培っていくのです。この3段階目の「乾惕」の時代とは、見龍の時代に培った基礎力を自分のものにする段階になったのです。やっと、自分の意志をもって行動し、努力をする時期が来たのです。そして、真似ることから次第に自分の形を見つけていくために、自分の頭で考え、創意工夫をしていかなければなりません。それが応用力であり、新たな技を生み出していく力となるのです。
易経には「君子終日乾乾し、夕べに惕若たり。厲けれども、咎なし。」と書いてあります。「乾」とは、前に前に行動すること意味します。毎日毎日前に進んでいかなければならないのです。立派な人物となるようにと目指す人は、朝から晩までただひたすら志に向かって基礎力を固めるための自己研鑽を繰り返し行い続けていかなければならないのです。人徳を高めるために、自分の持ち場で実践を積み上げて人間を磨くことが必要です。そうすることが「君子」であると言っています。ここで君子というのは龍のことです。将来リーダーとなるべき人のことで、君子論というのは、この文章が出典だといわれています。この時代にどんな努力をしたか、何を身につけたかによって、将来、指導者になれるかどうかが決まります。
その君子は、夜になり寝る前には、「惕若たり」その日一日を恐れるがごとく反省する時間を設けることが大切です。「本当にあれでよかったのか」「あの時の行動はよかったのか」と我が身を振り返ることによって気づきが生まれ、「明日はこうしてみよう」という創意が生まれるのです。また、「省」の字の語源で説明しましたが、改善できるところは改善し、我が身を振り返ることで、無駄なもの、必要でないものを捨て去る「省く」ことも必要です。そうすれば、地位や評価はまだ安定しないけれども、大きな過失はしないのです。
この繰り返しの中で成長していくのです。実践と反省を繰り返し、質の向上を目指すことを習慣化して身につけていることが、リーダーの第三の条件であり、時の本流を見極め、危機の兆しを知る素養となるのです。このことを孔子はこう言っています。「君子は徳に進み業を脩む。忠信は、徳に進むゆえんなり。辞を脩めその誠を立つるは、業に居るゆえんなり。至るを知ってこれに至る、ともに幾を言うべきなり。終りを知ってこれを終う。ともに義を存すべきなり。この故に上位に居りて驕らず、下位にありて憂えず。故に乾乾す。その時に因りて惕るれば、危うしといえども咎なし。」それは、立派な人物を目指す人は、人徳を高めるために、自分の持ち場で実践を積み上げて人間を磨くのである。そして、偽りのない誠の心と言葉で仕事に臨めば、さらに人格が磨かれていき、人徳が高まってきます。たとえ、言葉は朴訥であっても、行動が機敏であれば、実践を積み上げた成果なのです。ささいな現象を見て、問題の原因を見極めて、今どうすべきかという判断に至り、仕事の流れに熟練して体得した原理原則を知ることで、「兆し」を察することができるようになります。物事には始まりと終りがあることをわきまえて、一旦、始めたことは最後までやり抜き、究め尽くして次の段階へ進んでいくことこそ義を貫くということなのです。そのような人は、評価されて社会的地位を得られても、けっして驕るようなことはなく、評価されずに社会的地位を得られなくても、けっして卑屈になることはありません。」
論語の「吾日に吾が身を三省す」という大切さを訴えているのです。

投稿者 fujimori : 21:02 | コメント (5)

2010年04月28日 近頃思うこと

時の書6

わたし達は、人生の中で今はどういう時期か考えます。その基準の多くは、自分の年齢です。また、新しい環境に入った時、たとえば社会人になってからどのくらいたっているのか、です。そのほか、時代、社会、家族、それぞれ動いています。その変化に対して、易経では、龍の成長にたとえて六段階であらわし、その段階を繰り返しているのだということが示されています。そのために、「大いに終始を明らかにし」ということで終わりと始まりを明らかにします。そして、それぞれの段階には、それぞれの役割があり、その役割に応じて人は生かされるのです。それを、「時に六龍に乗じ、もって天を御す」といい、その時々の龍の段階に応じて、素行自得し、与えられた持ち場で自分を発揮できるのです。
また、「乾道変化して、おのおの性命を正しくし」といいます。人は、おのおの「特命」という特別に天から授かったものをだれでも持っています。それら特質、徳性、特性、能力、持ち味などを生かしきることが「性命」です。そして、それを「正しくし」とは、その持ち味に素直になすことが必要だと説いています。「乾」という天の気は、その進む方向は変化するけれども、素行自得して天から授かった「性」を生かしきりなさい。すなわち、天から与えられた境遇を素直に受け入れて、それを生かし切り、自分を発揮しなさいと言っているのです。
その段階の中で、「潜龍」という次の段階は、「見龍(けんりゅう)」です。人を見て学ぶ龍です。師となる人物を見つけ、基本を修養する段階です。易経には「見龍田(でん)にあり、大人を見るに利あり」とあります。いままで、自分の志を持ち、じっと潜んでいた龍は、世間(田)に出てきます。まだまだ力はありませんが、少しずつ眼先が見えるようになってきます。そして、学ぶべき師(大人)に出会うために、人と出会い、物事の兆しをよく見なければなりません。そのためにも、この時期には、同時に見る力をつけないといけないのです。そして、真似をすることで「学ぶ」のです。まねることは本当の実力ではありませんが、本当の実力をつけるために、成長するために必要なことなのです。
この言葉を、孔子はこう解釈しています。「龍の徳あって正中なるものなり。庸言をこれ信にし、庸行をこれ謹み、邪を閑ぎてその誠を存す。世を善くして伐らず、徳博くして化す。易に曰く、見龍田にあり、大人を見るに利ありとは、君の徳あればなり。」
見龍が学ぶべき大人とは、龍徳を備え、正しく時に中(あた)るものでなければなりません。「龍徳」とは、大空に飛翔して雲を呼んで慈雨を降らせるだけの徳のある龍です。そして、まさにぴったりと時々にある人を見つけなければなりません。その人が言うことは常に誠実で嘘や飾りがなく、おこないも常にするべき時を心得ていなければなりません。それは「私」に偏らず、物事を客観的に公平に見て、その時にぴったりと合っていることが大切なのです。しかし、どんな成人といっても心の中にはよこしまな心を持っているものです。持たないようにすることではなく、自らの中に、よこしまな気持ちが起きないようにすることこそが大切です。誠心で事に向かい、世の中をよくしても得意になって誇らず、身に備わった徳は多くの人を感化するような師を見て、よく学ぶ見龍には、将来、ものごとを究め、治める徳があるのです。
そのような人と出会い、見つけ、そしてそれを師とし、その行いをまねて学ぶことが「見龍」の時期にあるものが必要なことです。

投稿者 fujimori : 22:37 | コメント (6)

2010年04月27日 近頃思うこと

時の書5

私が子どもの頃、家で秋田犬を飼っていました。その犬は、何回か品評会で賞をとったのですが、真っ白い大きな立派な犬でした。その背中にも乗れるほどでしたが、その犬の名前は「白龍号」といいました。南総里見八犬伝にも、最初に「白龍」が出てきます。そこで、里見義実が龍について詳細に語る場面があります。これは、たぶん滝沢馬琴が易経を知っていて、それに影響されているのではないかといわれています。その龍とは、易経ではどのように使われているのでしょう。洞察力、直観力を身につけるのは難しいことですが、易経では、冒頭の卦「乾」の本文は乾為天と呼ばれる龍の話から入っています。地に潜んでいた龍が力をつけ、大空へ翔けのぼり、やがて降り龍となるという龍の成長過程に、リーダーとしての「時の変化の道理」を学ぶというものです。易経では、洞察力を「見る」という字を使います。「節」という考え方があります。物事の節目を考えながら進めば、簡単に進めることができます。その節目を考えることが「時の変化の道理」の一つなのでしょう。物事が起きたときに、その節目の兆しがきっとあったはずです。流れが変わった、解決の道に変わった時にも、「兆し」があったはずです。それを見るのが、リーダーです。「卦」とは、易経に出てくる六十四の物語のことです。それぞれの物語は六段階の時の流れで構成されています。時の流れは起承転結で語られたひとつの物語になっています。
一国の君主は「龍徳」を身につけるための学問として、易経を学んでいました。龍徳とは龍のような精神、品性、人間性、そして力です。龍の成長を六段階で表しています。
第一段階は、「潜龍(せんりゅう)」です。私のこのブログのタイトルは「臥竜」と言いますが、これに近いものがあります。地に潜み隠れたる龍で、志を抱き、実現のための力を蓄えるという段階です。習い事や、社会人としての成り立て、新しく仕事を始めるときは、常に「潜龍」から始まります。そんなとき「潜龍用うるなかれ」と初めに書かれてあります。それは、潜龍の段階にいる人を受け入れたり、責任を持たせたり、重用してはいけないということです。この段階にいる人を用いたら必ず失敗したり、信用を落としたり、物事がうまくいかなくなります。では、自分が潜龍の段階にあるときには何に気をつけたらいいのでしょうか。この時期に必要なものは、志です。潜龍の時には、取り上げられず、評価されず、自信も無くなりがちですが、それは、決して力がないわけではなく、土壌がまだ育っていないからです。将来は大空を飛翔する素質があっても、経験も実力も不足しているからです。そんなときには、あせって結果を出そうとせず、これから何をしていくのか、何を目指していくのかという志を持つことです。そして、これからの準備をすることで、幾がやってきます。「君子は、幾を見て作つ」ために、よい機会が来たときに直ぐに行動ができるように準備する時期が潜龍なのです。芽生えるために土壌を豊かに耕さなければなりません。まずは志ありき。潜龍の時代は大きな志を抱く時期、志を育てる時期なのです。「確乎不抜」という四文字熟語の原点は、易経です。「確乎としてそれ抜くべからざるは、潜龍なり」ということで、このなかの「それ」は、「志」のことです。しかし、その志は、決して、自分だけのためのものであってはいけません。私利私欲を満たす野心や野望ではいけません。世のため人のためになること、社会に貢献することである志は、やがて大空を飛翔して雲を集め、慈雨を降らせるようになるのです。潜龍の時代にどのくらいの志を抱くかによって、将来どのくらい飛び立てるかが決まってしまいます。今の若い人は、高い志をもつ前に、人に認めてもらいたがります。潜龍の時代に世に出ようとするのは、冬に氷の上に種をまくようなものなのです。潜龍の時代は、用いられないから、認められないから、恵まれない時期だからこそやるべきことがあります。自分を見つめ、志を抱いたりすることに深く集中できるのは、潜龍の時代だけです。

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2010年04月26日 近頃思うこと

時の書4

昨日は暖かかったので、長崎で少し竜馬つながりの場所を歩いてみました。
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龍馬は、勝海舟の弟子となって、その影響から海運業のほうに行くのですが、その勝に対して後世の人はどうも好き嫌いがあるようです。それは、彼の言い方がずいぶんと切符がいいからということがあるような気がします。私は、東京の下町育ちですので、なんとなく、わかるのですが。その勝の言っていることで、易で言う「兆し」の大切さを言っている言葉がいくつかあります。「機は感ずべきもので、言ふことの出来ず、伝達することの出来んものです」「機先を制するといふが大切だが、機先に後れると、後の先といふものがある。」
物事を明らかにし、易を見るためには、時の変化を微細な粉末にすり砕くほどに深く研究して極め、「幾(き)」兆しを察する能力を養わないといけないのです。その能力とは、物事の深きを極め、洞察力を養うことで、これからの時代が要請していることを知ることです。そして、その社会が向かうところに対して、自ら進むべき道を知ることです。その力、特にリーダーに求められる能力です。
「それ易は聖人の深きを極めて幾(き)を研(みが)くゆえんなり。ただ深きなり、故によく天下の志に通ず。ただ幾(き)なり、故によく天下の務(つとめ)を成す。ただ神なり、故(ゆえ)に疾(と)からずして速やかに、行かずして至る。」(繋辞上伝)
竹村亞希子さん編「易経1日1言」(到知出版社)によると、この言葉をこのように解説しています。「幾」を知ることは、物事の機微、兆しを見ただけで、声なき声を聞き、見えないものを読み取ることである。それゆえ社会に役立つ務めをなすことができるのである。」変化が起きてから、人がやってからでは人の役には立たないというのは、ずいぶんと厳しいですね。
易というと、占いのイメージが強いかもしれませんが、占いは、古代では重い意味を持ち、政治をも動かす重要なものでした。一国を率いるリーダーは、時の本流を洞察し、兆しを察する直観力が不可欠です。そして、「君子は、幾を見て作つ(たつ)」と言っているように、これから事が起きていく、その兆しをすっと感じること、そして、それに対して行動することが必要です。易経には、「きざし」という意味が二種類あります。「兆し」が一つですが、「萌し」という意味の時があります。この萌し(きざし)とは、春の訪れを知る、日の光りがあたり、春の植物が芽をだすなど「平らかにして、かたむかざるものはなし」という意味です。ですから、そろそろ春のきざしがあります」というときには「萌し」という字のほうを使わないといけないのです。しかし、易経で言う「幾を見る」は、「兆し」です。
その変化の中で、まさにその時に当たるときがあります。それを易経では、「時中(じちゅう)」といい、それを重んじます。「時にあたる、そのときにぴったりの」という意味です。レディネスといわれることかもしれません。たとえとしてこういう風に言っています。「春に種を蒔いたら、秋には実りを得ることができます。しかし、冬の氷の上に種を蒔いたら、実ることもなく、どんなに立派な種でも腐ってしまう。」いくら良いことでも、その時期を間違えたら良いものではなくなるということです。しかし、世の中には冬に種を蒔きたがる人が多くいます。冬だから、逆に条件が悪いので焦り、上手くいかないときには焦るばかりに失敗をします。冬だから、止まりなさいと警告されているのにも関わらず種を蒔こうとします。結果、冬の氷の上に種をまいてしまうのです。人は、ダメなときに頑張ろうとします。しかし、ダメなときにはじっとしていて、いいときに頑張って進んだほうがいいということです。

投稿者 fujimori : 22:41 | コメント (6)

2010年04月24日 近頃思うこと

時の書3

易経では「窮まれば変じ、変ずれば通じ、通ずれば久し」と云いますが、これは、行き詰ったら変えてみて、そうすれば人にも理解してもらえるようになり、そ子から変わらないものが見つかるということを言っています。来月のインターネットラジオでの話の内容がこのことで、保護者から、苦情なり要望が出たときに、その要望にこたえるのか、無視するのかということではなく、まず、その要望に対する園の考え方は、「その要望の内容は、変えてはならない原理原則なのか」と考えることが「不易」で、それとも「この問題は変えなければならないモノゴトか」と考えることが「変易(流行)」であり、「この問題をシンプルな方向にリードしたか」ということが「簡易」です。このように考えて、保護者からの要望にこたえていくことが必要です。
私たちの日常行動の基準は、「対象となるモノゴトをどのように評価選択したか」で決まりますが、その際、行動の元になる判断基準や思考や価値観は人によって様々です。その表面的なことだけから対応してしまうと、その時には納得してもらったかのように見えても、長い目で見た時に、その誤りに気づくことが往々にしてあります。逆に、大して意味のないことでも、かたくなに今までやってきたことを守り、変えようとしないこともあります。それは、本質が見えていないためです。一度決めたこと、ずっとやってきたことを変えないのは、決して意志が固いとか、自分の考えがしっかりしていることでもないのです。
易経には、「君子豹変す。小人は面を革(あらた)む。」という言葉があります。現在は、考えや態度をコロコロと変えるというい悪い意味で使われがちな言葉ですが、本来は、豹の毛が季節に合わせて抜け変わり、美しい斑文となることから、君子は時代の変化に合わせて自分の過ちを改め、素早く的確に変えていけるという意味なのです。そこから、君子はたとえ過ちを犯しても素早く善に立ち戻れるなどの意味も生まれました。それに対して、君子でない小人は、「変われる」のですが、それは「表面的なもの」にとどまってしまうというのです。確かに、私たちは過去のあやまちや自分のこだわりに引っ張られて意識や態度、生き方をすぐに変えられないものです。「こうありたい」「ああしたい」と思いながらも、結局「でも、~のためにできないんですよ」という言葉をよく聞きますが、それは、結局は自分に言い訳をしているに過ぎず、変えようとする勇気が足りないだけだと思うことがあります。そして、また、同じような毎日を過ごしてしまっているのです。
よく、「変わる時が来た」ということがあります。易経は、「時の書」といわれるように、その時が来た兆しを感じるために指南書でもあります。しかし、易経における「時」とは、ただの時間ではありません。易経の中には、「とき」「きざし」が詳しく書かれています。それは、「時が来た」というときも、そのような時間になったということではありません。簡単に言うと、易経の「時」とは、「時・処・位」をいいます。空間、場所、状況や立場・地位を含んでいるのです。人生には、さまざまなときがあります。苦しい時、うれしい時、悲しい時、喜びの時などありますが、それらの時は、その時の人生の意義、内容、勢い、変遷過程をあらわしているのです。易経は自然の変化と、人生の時を照らし合わせて考察できるように、人生で遭遇するであろう、ありとあらゆる六十四種類の「時」を例にあげ、その変化過程を解き明かしています。それが、占いに使われるのです。しかし、その時には、兆しを感じないといけないのです。それが、以前のブログで書いた東洋医学での「未病」なのです。

投稿者 fujimori : 22:12 | コメント (5)

2010年04月23日 近頃思うこと

時の書2

四書五経のひとつである「易経」という書物の名が、なぜ「易」なのか、古来よりさまざまな説がなされてきました。それは、この「易」(エキ)という語の語源によるものです。白川さんの「字統」には、いくつかの説が紹介されています。一つは、「とかげ、いもり、やもり」を並べてそのトカゲの形からとったという説、「日月を易と為す。陰陽に象るなり」とする説、もうひとつは、カメレオンであるという説です。いろいろな説がありますが、どれも「変化」を意味しています。「易経」は英語訳では「book of changes」といい、「変化の書」という意味です。つまり、「変化」について説かれた書物ということです。では、変化するものとは何かというと、それは「時」です。「易経」は、時について説き、そして兆しについて言及している書物であるために、学ぶことによって、時の変化を知り、禍の兆しを察し、未然にそれを避けるということを実践していけるようになると言われている所以です。
易経の中では、「春が来て、夏が来て、その次に秋が来て、冬になる。そして冬の次には新たな春が来る」と書いてあります。 このような自然の変化に則した、この世の中の時の変化変遷の法則を説いています。この変化の法則をわかりやすくあらわしたものに「易の三義」というものがあります。「周易正義」が引く「易緯乾鑿度」の「易は一名にして三義を含む」というものです。易の三義とは、後漢の鄭玄という儒学者の解釈によると「易」という字は、「変易」「不易」「簡易」(かわる・かわらぬ・たやすい)という1文字で3つの意味を持つということです。
あらゆる事物は常に創造変化していきます。宇宙は刻々と変化して止まず、時はめぐり巡り、すべての物事は変化しつづけ、ひと時たりとも同じ時はありません。その変化の中で、私たちも生々流転して、常に変化し続けます。「時」の中で生きているのです。これが「変易」です。そして、この「変易」は更にかわっていきます。時代と共に変えるべきこともあります、それは「環境変化への対応」や「少子化への対応」であったり、「高齢社会への対応」であったりします。また、政治の面でも、市場の面でも時代によっての見直しが行われなければなりません。「市場変化対応」といわれるものであり、「流行」といわれる生活習慣の中で服装や食事内容や住まい方を変えることもそれにあたります。天や地をはじめ自然界のあらゆるもの、森羅万象、時として人の心、行いなどすべては時の移り変わりとともに変化していくものなのです。
しかし、変化の中には一定の不変の法則があります。一年は春夏秋冬、一日は朝昼夜と時が循環して、絶えずめぐっていきます。昼と夜、夏と冬が交互に入れ替わって、順序を違えることなく変化します。万物の創造変化には必ず一定の理、法則性、根源が存在します。これが「不易」です。「不易」とは、時代が変わろうとも変えてはならない「真理や原理原則」、事業運営の面では、「経営理念や企業倫理」、生活習慣で言えば道徳やマナーと言った「人間関係の礼儀」などです。
しかし、何が変わり、何が変わらないかという判断は難しいものです。それを判断するために「原点や単純化の方向」が必要になります。事業運営では、経営理念も組織や諸制度も、なるべく多くの人に理解してもらわなければ意味がありません。なるべく簡潔にシンプルにするということは、生活習慣でも「シンプルライフ」と最近言われるようなことが必要になります。それが、「易簡(簡易)」という、容易い、分かり易いという意味です。小宇宙である私たちの人生の時も変易、不易にのっとって変化していきますが、この変化の法則にならったならば、「易」に対して容易に理解しやすくなり、変化に対してもスムースに運ぶというのです。

投稿者 fujimori : 20:34 | コメント (5)

2010年04月22日 近頃思うこと

時の書1

 今の時代に求められる「学力」を評価するために「学力テスト」が行われます。私は常々「Plan Do See」ではなく、「Do See Plan」であるべきだと思っていますが、これは卵が先か、ニワトリが先かという議論と同じで、まわっているものですので、結局は同じことを言っているのかもしれません。しかし、人類が生まれてから今日まで、生きる営みは決して計画されてきているわけではありません。そして、その生活の中での経験や体験からより効率良くしようということを検証した結果、次回の行動を計画するようになったのだと思います。ですから、時代の変化は、常に計画より先に起きてくるもので、その変化をよく見なければなりません。それは、その変化の中で、変わらないものを見つけることでもあるのです。
私は、江戸時代までの日本における教育というシステムや教材に興味を持っていますが、その中で教科書として使われていた「四書五経」という、儒教の経書の中で特に重要とされる四書と五経があります。四書とは「論語」「大学」「中庸」「孟子」であり、このうち「大学」「中庸」は、五経のうちの一つとされている「礼記」の一章を独立させたものです。その四書について、このブログで何回か取り上げました。特に、この「礼記」から抽出された「大学」「中庸」については今回特に興味を持ったところです。しかし、五経の「易経」「書経」「詩経」「礼記」「春秋」は、「五経を以て四書よりも高しとする」といわれるほど重要のようです。しかし、これらは難しいですね。この五経をどのようにして藩校、寺子屋で教えていたのでしょう。四書のほうは毎日音読、復唱することで何となく意味が伝わってくるのですが、五経のほうはそうはいかないと思うのですが。また、内容も、今の道徳のようにも思えますが、その書からは、ただ人の生きる道を解くだけでなく、宇宙観を持ち、時間空間をも視野に入れた壮大なこの世の物語でもあるように私には思えます。ですから、それを読み解くのは私には無理ですが、その中の言葉、文章を切り取って、それを今の時代に生かす工夫はできると思います。
四書五経の筆頭に挙げられているのが中国最古の書である「易経」です。この書は、「帝王学の書」「学問・智慧の書」「哲学・倫理の書」、「処世術の書」、「道の書」などと言われていますが、多くの人のイメージは、「占いのテキスト」かもしれません。 しかし、本当は、「よく易を修める者は占わず」という荀子の言葉にあるように、よく易を学んだならば、占わなくても先々を知り、行うべき行動を判断することができるということなのです。ですから、易経は「時の書」ともいわれ、自分のおかれている立場など、出処進退に関する行動の指針となるべき法則、リーダーに不可欠である「時」の本質を見抜く洞察力、 わずかな「兆し」で将来を察知する直観力、危機管理能力を養うための指針ともなると言われています。
ずいぶんと前置きが長くなりましたが、少し、この「易経」について、今の時代に通用する、わかりやすい部分だけ、解説してみようと思います。おぼろげながら断片的に持っている易経に対する知識を、このブログがなければ、あらためて整理しようとしませんから。

投稿者 fujimori : 21:49 | コメント (5)

2010年04月21日 近頃思うこと

テスト問題

  今日、小学6年生と中学3年を対象とした2010年度の全国学力・学習状況調査(全国学力テスト)が、全国一斉に行われました。このテストは、参加するかしないか、結果を公表するかしないかで随分もめていますが、今年はさほど大きな混乱はなかったようです。このテストの是非は別として、その問題内容にはずいぶん工夫が見られます。今年度の出題傾向について文科省は「日常生活に即して知識の応用力を問う問題や、他教科と関連づけた問題を盛り込んだ」と説明していますが、中学の国語で新聞記事の内容を読み取らせたり、小学校算数では日常の買い物場面を想定し、割引した金額を計算したりする問題が出されています。それらの問題は、ABに分けて、基礎知識を問うA問題、知識の活用力を調べるB問題となっていますし、児童生徒に生活習慣なども尋ねています。
 たとえば、算数Bでおつりを出す問題は、「同じ定価のえんぴつを3本買って、500円出しました。おつりは100 円でした。えんぴつ1 本の定価は何円でしょうか。」この答えを出そうとすると、答えは整数になりません。そこで、この問題はこの答えを出すのではなく、「おつりの金額を何円に変えれば,えんぴつ1本の定価が整数になりますか。」という問題なのです。また、国語Bでは、「この物語を読んで、あなたが思ったことや考えたことを、次の条件に合わせて書きましょう。○思ったことや考えたことをはっきりと書くこと○思ったことや考えたことの理由がかるように書くこと○60字以上︑80字以内にまとめて書くこと」というようにほとんどの問題が、文章で考えを書かせるものになっています。
中学校の国語Bの問題も同様です。1問目の長文読解の長文は新聞になっています。(全国新聞という架空の新聞で、1面とコラムがあります)1面の記事が、「太宰治生誕100年目の桜桃忌」の記事と、囲みの連載「広がる食育」の最終回、コラムは、若い世代の本との出会いについてを話題にしています。その後の問いは、この紙面のトップ記事とコラムとの書き方の違いを問う問題で、3問目は、三つの記事の中で、どの記事の内容に興味を持ったかと、どんな内容に興味を持ったかを4行の罫の中に書く問題です。罫線だけが引いてあって、字数制限はありません。最後の長文読解の小説はオーソドックスに夏目漱石の「吾輩は猫である」でした。
とてもいい問題ですが、正解はどうするのでしょう。このような問題ですから、正答は例としてしか書かれていません。たとえば、記事の中で興味を持ったところは「食育」の記事として、「伝統的な郷土料理を献立に盛り込むことが広く行われていることに興味をもちました。このような取り組みは、地域の歴史を知る上でも大切なので、私の学校でも行ってほしいと思います。」とあります。しかし、ここで私は問題がいくつかあるように思います。このような問題は、正解、不正解は出しにくいということです。たとえば、「どの記事にも興味を持ちませんでした」と書いたら、×なのでしょうか。採点はどうするのでしょうか。感想を求めるような問題は、みんなで議論するなり、人に発表するなりしてより深まっていくもので、感想に正解はないような気がします。また、このような問題が解けるようになるために、どのような授業をするのでしょうか。問題が変わってきたことに対して、授業形態が変わってきているのでしょうか。このテストの結果は、どこの地域が高いか低いかではなく、また、子どもたちの学力の把握でもなく、今行われている教育の見直しの材料にし、これらを解く力をつけるためにどのような授業をすればよいのかの検討材料なのです。今回の学習指導要領の改定は、時代の変化に逆行しているような気がしてなりません。

投稿者 fujimori : 23:18 | コメント (5)

2010年04月20日 近頃思うこと

ドイツ医療

 今年も6月に私が主催するドイツツアーに行く予定で準備を進めています。参加者も20名を超えるほど申し込みがあり、とても楽しみです。最近のこのツアーの特徴は、保育関係者の中で、園長、保育者だけでなく、保育園、幼稚園を設計する設計事務所の方や、幼児家具をデザインする会社の人などの参加もあり、夜のディスカッションなどは幅広く話が聞けるので、見方の視野が広がります。本当は、どこかの園の嘱託医さんや、調理関係、食材関係者などとも行けるといいのですが。それは、保育とは、いろいろな人の中で行われるものだからです。そして、その人たちで、日本の保育はどうあるべきかを考えることが必要だからです。そのために、ドイツ行きは、ドイツの保育研究ではなく、ドイツを見ることによって、日本の保育研究でもあるのです。
ドイツと言って思い出すのは、私の年代ではほとんどの人がイメージするのは「医学」です。明治政府は開国と同時に医学はドイツが優れているとして、ドイツ医学の採用を決めました。それまで、オランダ医学でしたので、私はどうしてかと思っているのですが、いろいろないきさつがあるようで、その一つに、ドイツ医学を推す陸軍とイギリス医学を推す海軍との間に論争があったとか、幕末のイギリスによる「フェ一トン号事件」に関係するなど複雑のようです。どちらにしてもドイツ医学が日本では中心になり、「カルテ」などのドイツ語が医学界では使われるようになりました。
そのドイツでは、最近、「ジェネリック医薬品」という、薬の特許権が消失した後に、別の製薬会社が製造する、同じ成分と効果を有する後発医薬品が多くつかわれているようです。また、ドイツは主要先進国の中で最も代替医療が活用されている国だそうです。薬や注射を用いる通常医療の代わり、もしくは、通常医療と合わせて用いられたりするため「補完医療」とも呼ばれ、薬草を用いた治療薬を処方したり、風邪などの時に煎じたお茶を飲む家庭医学も広く活用されているようです。医学の先端と言われている国で、代替医療が活用され、薬草などの治療薬というと、東洋医学が見直されているということでしょうか。
ところで、「ジェネリック医薬品」という言葉が、日本でもポスターなどで見かけることが多くなりました。この医薬品は、「後発医薬品」とも呼ばれ、新薬が持つ「物質特許」期間が満了した後開発された医薬品です。ジェネリック(generic)とは「一般的な」「総称の」という意味を持つ英語です。欧米では、商品名ではなくお薬の有効成分名である「一般名(generic name)」で処方されることが多いため、ジェネリック医薬品と呼ばれています。新薬は、最初に開発・発売されるお薬で、開発メーカーは特許期間中、独占的に製造・販売することができます。それは、新薬の開発には、なんと9~17年の年月と、約500億円もの投資が必要といわれているからで、臨床試験などのさまざまな試験のあとも、数々の審査や承認申請するための手続きがあります。しかも、新薬として承認される成功率はわずか1/15000以下なのです。ですから、開発期間が長く、価格も高くなります。しかし、その特許期間が満了した後に、開発期間が短く、開発コストも大幅に抑えられ、価格が新薬の約2割~7割に設定されていて、厚生労働省の承認のもとに発売される薬がジェネリック医薬品です。「薬価」といわれる医療用医薬品の公定価格をジェネリック医薬品では、原則として新薬の7割に設定されます。そのほか、すでにジェネリック医薬品が発売されている場合は、原則として一番安いジェネリック医薬品と同じ薬価にし、すでに発売されている新薬とジェネリック医薬品の品目数が合計20を超える場合は、1番安いジェネリック医薬品の9割の「薬価」にすると決められています。そして、2年に一度、市場実勢価格に合わせて改定されるようです。
今後、日本でも、代替医療とか、ジェネリック医薬品が使われるようになるでしょう。

投稿者 fujimori : 22:20 | コメント (5)

2010年04月19日 近頃思うこと

江戸切子

 着々と江戸のシンボル「東京スカイツリー」が背を伸ばしています。以前のブログでも紹介しましたが、このスカイツリーのライティング計画のコンセプトは、「江戸で育まれてきた心意気の「粋」と、美意識の「雅」という2つのオペレーションが1日毎に交互に現れる新しいスタイルのライティング」です。そのほかにも、随所に江戸の原風景を継承するデザインを取り入れることで、タワーの立つ下町の歴史文化を表そうとしています。
 先週土曜日の新聞に、「江戸時代から続く伝統工芸「江戸切子」の若手作家が、東京スカイツリーをテーマにした大鉢を作った」という記事が掲載されていました。この作品は、江戸切子の新しい表現を模索する中、江東区の工房から見たツリーの姿にヒントを得たということで、今年3月、江戸切子の新作展で最優秀賞に輝いています。この若手作家の堀口さんは、中学生の頃から職人にあこがれていたそうで、大学卒業後、実家の「堀口硝子」に入り、9年間修業した後、独立して制作を続けているそうです。堀口さんによると、江戸切子は、日々の暮らしの中で使われる道具として、庶民のニーズをくみ取りながら発展を遂げてきたと言います。「良いものを作り、生き残ったものが伝統になる。新しい可能性を切り開いていくのも伝統工芸ではないか」と考えていた堀口さんは、「ツリーが伸びていく姿を見ている、この時代を切り取ることはできないか」と思い立って、完成させて大鉢は、江戸切子の定番の色ガラスを使わず、鉢の表面の約2000か所を削ったり、磨いたりして、鉄骨構造のツリーのシルエットをモザイク調の模様で浮かび上がらせています。
 日本でガラスが作られるようになったのは、江戸時代中頃です。その技法は中国から、長崎に伝えられました。その当時作られていたのは、「ビードロ」と呼ばれる吹きガラスです。これを吹く女性の姿は浮世絵にもなっています。天保5年(1834年)に、江戸の小伝馬町でビードロ屋を営んでいた加賀屋久兵衛という人物が、英国製のカットグラスを真似て金剛砂を用いてガラスの表面に彫刻を施したのが始まりと言われています。そして、江戸時代の終わりには、カットを施したガラス、「ギヤマン」が西洋からもたらされます。このギヤマンを目指して日本でもカットガラスの制作が始まりました。それが切子で、「ガラスを切る」という意味です。幕末に黒船で来航したペリー提督が、加賀屋から献上されたガラス瓶の見事な切子に驚嘆したという逸話が伝えられています。長崎等から伝来した外国のガラス製造書物を元に、江戸のガラス職人を招くなどして、第10代薩摩藩主島津斉興によって薩摩で切子が始められ、11代藩主島津斉彬が集成館事業の一環としました。しかし、斉彬の死後、集成館事業の縮小や薩英戦争時にイギリス艦艇による集成館砲撃で被害を受け、また幕末維新から西南戦争へ至る動乱もあって、その技術は明治初頭で途絶えてしまいます。 しかし、その職人や技術は、東京のガラスや大阪へと渡り、明治時代には、英国人による技術指導によって、西洋式のカットや彫刻技法が導入されました。現代に至る精巧なカットの技法の多くはこの時に始まったとされています。その中から「江戸切子」が誕生していったのです。
ガラスという素材は、昔から人々の心を魅了し、切子は、そのガラスの美しい輝きと、触ると壊れそうな繊細さを持ち合わせ、虹色の輝きを持ち、はかなさを愛しむ江戸のこころが伝わってきました。昨年、私の還暦にあわせた「赤」と、この臥竜塾の「竜」を合わせた江戸切子を頂きました。
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投稿者 fujimori : 22:00 | コメント (6)

2010年04月18日 近頃思うこと

好きなもの

あるところで、こんな相談がされていました。「10歳の息子の事ですが、いまだに砂、土いじりが大好きで困っています。低学年までは仕方ないと思っていましたが、年中、砂、土、小石が家にあり、いくら掃除してもなくなりません。そろそろやめて欲しいのですが、いい方法ありませんか?」
 子どもは、大人からみてくだらないと思うものにも興味を持ち、それは子どもによって違いが見られます。先日、2歳児の保護者会で、我が子の自己紹介で、ある保護者が「我が子は、新幹線が大好きです。特に秋田新幹線とか、東北新幹線が大好きで夢中です」と言いました。その後の保護者は、「うちの子は、なぜかバスが好きで、バスを見ると大騒ぎです。先日、はとバスに乗せて上げたら、もう大興奮でした」これを聞いていて、なぜ、子どもは、新幹線とバスとそれぞれ違うものい興味を持つのでしょう。それは、きっかけかもしれませんし、環境の違いかもしれません。しかし、それ以上に生まれながら興味関心を持つ対象が違うことも大きいのではないかと思います。それは、必ずしもある形をしたものだけでなく、5感すべてにあるのではないかと思います。先日、10歳の子が漢字検定1級を取得したニュースが流れ、その子は2,3歳のころからなぜか漢字に興味を持っていたという親の話です。
 小さい子が、どうしてそれに興味を持っているのかを子どもからは聞き出すことはできません。それは、たぶん、自分でも説明できない何かがあるからです。その物の形かもしれませんし、色かもしれませんし、手触りかもしれませんし、におい、音、味かもしれません。しかし、どれにしてもそれに興味を持つということは、その違いがわかるからです。犬が好きか、猫が好きかという違いでも、犬と猫の違いがわからないとどちらが好きということが言えません。そして、その違いによって同じ仲間を集めます。ある特定の規格を自分で作って、その規格に当てはまるものを収集するという、集合の概念です。そして、同じ仲間を集めようとする行動が「蒐集」「コレクション」という行為になるのだと思います。ですから、この行為は、「探索活動」に対しての動機になり、子どもの行動の中でとても大切な行動なのです。いわゆる、「子どもが何にでも興味を持ち、その中から、自分とその環境に合うベストの物を選ぶことにより、その分野の研究が進む」ということにつながっていくのです。脳が発達する段階の一つなのです。
手で触れて探索する範囲は、歩行とともに急速に広がっていきます。歩いていて手に触れるものに興味を持ちます。その中で、子どもにとって非常に魅力的なもののひとつに、「石」があります。人間は、古代から石を活用していろいろな道具を作ってきました。ですから、石を見ていると何か心が動かされるのでしょう。その手触りも子どもにとっては気持ちがいいようです。ですから、外を歩いていて、石を拾って、大切そうに持ち帰ります。同様に、人類が昔から道具として使ったものに「棒」があります。この「棒」もまた、探索行動には欠かせません。手の延長としての棒は、人類が握った最初の道具であることがうかがわれます。幼児は、棒のように細長いものに興味を持ちます。山などを歩いていても、すぐに木の枝や幹など細長い物を手に取り、大切そうに持ち歩きます。そして、棒でたたくことでものの性質を見きわめるという探索行動の道具として用い始めます。
そのほかにも、虫や葉っぱ、小さな花など散歩に行くと持ち帰ってきます。そのために室内は汚れますが、子どもたちが大切そうに持って帰ってきたものを置いておく棚が私の園の靴箱の上には用意されています。そこに置いてあるものは、探索活動の成果でもあるのです。
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投稿者 fujimori : 21:58 | コメント (5)

2010年04月17日 近頃思うこと

春だというのに

今朝、東京都心で降雪を記録しました。昨年いただいた盆栽の桜の花が今年も花を付けましたが、寒そうです。
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雪が降った日としては1969年に並ぶ41年ぶりの遅さだそうです。ここ数日、ずいぶん寒い日が続きますが、このように4月半ばでも季節外れの寒さが続くのは、低気圧の動きなどを左右する「ジェット気流」が日本上空で非常に強いためだそうです。雨や雪をもたらす低気圧は、強い気流に乗って日本の南海上を発達しながら進むのですが、その強い気流が「ジェット気流」なのです。今年は、北極付近と周囲の気圧が関係し合いながら変動する「北極振動」の影響で、寒気が南下しやすく、逆に、南米ペルー沖で水温が例年より高くなる「エルニーニョ現象」も起き、太平洋高気圧が普段より強く、その北極振動とエルニーニョの影響がともに作用して「寒気と暖気が例年より強く、ジェット気流を強めている」そうです。
よく、時候の挨拶で「三寒四暖と申しますが」とか「三寒四温とか言われる季節」ということがありますが、これは、3日くらい寒い日が続き、次の4日間くらい暖かく、これが繰り返されることです。ちょうどここ最近の気候のように思われますが、この寒い期間と暖かい期間が繰り返しあらわれる言葉は1月から2月にかけての言葉です。もとは中国の東北部や朝鮮半島北部で冬の気候を表す言葉として用いられ、冬のシベリア高気圧から吹き出す寒気が7日ぐらいの周期で、強まったり弱まったりすることに由来する言葉とされています。それが、冬の時期に、寒さと暖かさの周期を表す言葉として使われ、その後、日本に伝わり、本来使われる冬ではなく、春先に使われることが多くなっています。それは、日本では、早春に低気圧と高気圧が交互にやってきて、低気圧が通過し寒気が流れ込んで寒くなった後、今度は高気圧に覆われて暖かくなり、周期的な気温の変化を繰り返すことが多くなるからのようです。
この気候で、今、野菜が軒並み高騰して大変です。たとえば、東京都中央卸売市場では、千葉県産ネギが5キロ1827円と、前年同時期と比べて約2倍、高知産ナスは5キロ2646円と同じく4割高く、茨城産ピーマンは150グラム121円、埼玉産の小松菜は500グラム187円で、いずれも3割近く高いそうです。それぞれの地域の人がこの値段を知ると驚くでしょうね。市場でこの値段ですから。キャベツも愛知県内の強風被害や千葉、神奈川県産の春物の生育遅れで、平年比約2倍です。
 一方、あるデパートでは、薄手のコートの売り上げが、4月に入って昨年の1.8倍、ドラッグストアでは、この春、風邪薬の売り上げが約2割増、代わりにマスクや鼻炎薬など花粉症対策商品の売り上げは前年に比べて3割程度落ち込んでいます。今年の春は寒暖の差が激しく、雨がちの地域も多く、東京では4月1~15日のうち、平均気温が例年を下回る日が9日あり、大阪でも雨や曇りの日が多かったために、コンビニエンスストアではおでん、家電量販店では小型の電気ストーブ、雨具関連でも、傘の売上高が前年の2倍になったほか、長靴や雨靴の売り上げが前年の10倍を超えたといいます。
この時期、「花冷え」とか「寒の戻り」とかいって、春になって暖かくなってから、急に冬に戻ったような寒さがやってくることがありますが、この言い方は桜が咲く前のことです。また、「春に三日の晴れなし」という春の天気は変わりやすく安定しないという言葉もありますが、それにもあてはまらないほどの寒さ続きです。それでも、4月5日は二十四節気のひとつである「清明」ではありませんが、草木の花が咲きはじめ、あらゆるものが晴れ晴れとした明るさにあふれているころには確実に近づいています。近くの池には、たくさんのおたまじゃくしが泳いでいました。
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投稿者 fujimori : 17:40 | コメント (5)

2010年04月16日 近頃思うこと

干渉

園への要望として多いのは、セキュリティーの問題です。その多くは不審者対応で、玄関のセキュリティーをもっときちんとしてほしいというものです。最近、マンションなどでも、カードキーとか、暗証番号などを打ち込まないと玄関から部外者は入れないところも多く見られます。しかし、いつも不思議に思うのは、その住人が入るときにドアのあいているすきに急いで入ってしまうことができることです。これは、駅の改札でも同じで、ICチップをかざして入るときに、前の人に続いて、何も持たずに急いで入ってしまう人がいます。人が通るときには、しばらくは開いているからです。園や学校の玄関でも、いくらかぎを閉めても、開けるときに不審者が一緒に入ってしまったり、保護者が開けるときに園児や児童が出てしまったりすることは可能で、それは、開ける人が責任を持ってほかの人が出たり、入ったりするのを阻止するしかないと思うのですが。
また、子どもが部屋から出てしまうのを心配する人がいます。それは、目が届かなくなるという心配をするということで、よく部屋にかぎをかけていることがあります。子どもを常に監視下に置くためです。しかし、子どもは、いろいろな所に興味を持ちますし、いろいろなところを探索しようとします。それが、「探索活動」なのです。その環境に自ら働きかけて、その環境とのかかわりから必要な情報を得ていき、発達を促進させていくということをホワイト.R.W.という人が「コンピテンス」と名付け、その時の動機づけの性質を「エフェクタンス」という用語で記述したのです。
 一時期、「見えない学力」という言葉が注目されたときから、知識、情報量を測るような学力ではなく、最近は、生きる力のようなその量を測ることのできないものこそが「学力」ではないかといわれています。その力が「コミュニケーション能力」とか「問題解決能力」と言われ、それらの力は他のものとの関係性の中から身についていくるということからも、コンピテンスの「相互交渉」という側面が注目されはじめてきました。それは、対人関係能力や、社会のなかで自己の主体性を獲得するという自立的適応能力が「学力」とされてきたからです。それは、「社会的コンピテンス」ともいいます。ということは、今後の学校教育の中でも、「学力」を社会という関係性の中で捉えるべきであるとして、コンピテンスを視野に入れる必要が出てきています。
 その時の重要な行動が、乳幼児期から芽生える「探索活動」なのです。赤ちゃんは、生後2,3ケ月のころになると、特定のものをじっと見つめたり、動くものを目で追うようになります。そして、自分でハイハイなどで移動することができるようになると、自ら環境へ働きかけることが可能になります。「子どもらしさ」の象徴である好奇心によって、家中のものや場所をのぞいてみたり、調べてまわったり、いろいろな場所、ものの探索をするようになります。ただし、この時期には移動と探索は継時的に交替して起こるのですが、1歳ころになって歩くことができるようになると、移動しながら探索することが可能になります。歩きながらいろいろなものを手にとったり、触ったり、周りを見渡したり、探索することによって、いろいろな情報を得るようになります。このようにして乳幼児の知能の発達は、主体の能動的な活動である探索活動において起きてくるのです。
 このころに、部屋に鍵をかけ、外の世界にも自ら行くことはさせず、ただ、監視の下手元に置いておくことは知能の発達にも影響してくるのです。探索するための時間を十分与え、必要以上の干渉や、大人の都合だけで子どもをコントロールするのだけは避けたいものです。

投稿者 fujimori : 22:36 | コメント (5)

2010年04月15日 近頃思うこと

子どもっぽさ

 いつまでも男は「子どもっぽい」とよく言われますが、子どもっぽいということはどういうことでしょうか。一つには、「まだ大人になりきれていない」という考え方があります。また、「大人になっても子どもらしさを残している」ということもあります。子どもは、いつか大人になっていきます。ですから、子どもとは、まだ大人になっていない、未成熟な生き物であるという考え方をすることがあります。しかし、1970年代にわかったように、脳科学的に言って、ニューロン、シナプスが増えていくことを成熟というとしたら、逆に子どものころが一番成熟していることになります。それは、その数は、生まれて間もないころが一番多いからです。また、いろいろなことができるようになることが発達としたら、たとえば、体の柔軟性は子どものほうがあります。それらを考えると、必ずしも、大人が完成形ではないのです。ですから、子どもらしい行動をしなくなり、大人のように考えるようになったり、大人のような態度をとるようになることが、発達したということにはならないのです。
そう考えると、子どものとる行動は、未成熟な行動であるとか、発達途中であるからといって、大人の指導によって一日も早く卒業させなくてはならないものということにはならないのです。このことは、すでに世界的に認められていることであり、そうした発達の考え方のとらえ直しが行われるようになってきていて、早期教育の危険性が警告されている所以なのです。
この「子どもらしさ(Childlikeness)」の再評価の中心は、「乳幼児の探索活動を子どもが主体的に世界を理解する活動とみなす」ということにあるようです。しかし、「子どもらしさ」と、幼稚っぽさ(Childishness)とはまったく違う特性だと言われています。この点から言うと、最近の若者は「子どもっぽい」のではなく、「幼稚っぽい」ということかもしれません。子どもらしさの代表が「探索活動」であるということは、子どもは、好奇心に満ち溢れ、調べたがり試したがり屋であり、どうしてかなと思ったら、すぐに動き出す活動性があるということになります。そして、何かをやるとき、与えられたものを受け身にやるのではなく、自らの好奇心や主体性に基づいて働きかけるので、そのことに熱中し、夢中になり、没入し、没頭して取り組むのです。そういう行動の中から、いろいろなことがわかり、物事を理解していくのです。頭でわかるのではなく、からだでわかる、実感するというわかり方です。それが、昨日のブログで書いた子どもにとっての「体験」なのです。
ですから、「体験」が必要であるという前に、「自ら環境に働きかける」という行為がなければなりません。このような行動を「コンピテンス」と言います。コンピテンスという言葉をそのまま訳せば「能力」ということです。人は生まれながらにして、さまざまな環境から情報を集め、それを自分なりに解釈して、自分のものにしていきます。この自分なりに解釈するという能力は、環境との関わりの中で「有能(コンピテント)」を追求しようとする行動であり、それを見つけ出そうとするために、能動的に環境に働きかけていくことが必要になります。保育指針の発達に書かれてある「自ら環境に働きかけ、環境との相互作用による」ということが「コンピテンス」ということです。この「環境と相互作用」をより効果的にすることは、人にすでに備わっている潜在能力と、環境に能動的に働きかけての自らの有能さを追及しようとする動機づけが一体となることでなされていくのです。このことを、明日、もう少しわかりやすく考えてみようと思います。

投稿者 fujimori : 22:41 | コメント (5)

2010年04月14日 近頃思うこと

体験からの学び

本来の「教育 」とは、子どもを「発育」させることであり、その時の「大人との距離感」が問題になります。また、その時の学びは、自ら取り組むための「環境」が大切であることは折に触れて取り上げてきました。もうひとつ、またこれも再々言っていることですが、子どもたちの学びをより効果的にするためには、「教わるより教える」という、「学びあい」であることも言ってきました。それと、「自ら学び自ら考える力、豊かな人間性などの「生きる力」を育成していく上で、体験活動の充実を図ることが必要であることに留意すること」とあるように「体験」重視です。
この体験重視の教育の姿勢は、海外では多く見られます。日本では、どうしても知識を先生が伝達し、それを子どもたちが覚えるという授業が多く見られます。アメリカの多くの学校では、「I hear, and I forget.(聞いたことは忘れる)、I see, and I remember.(見たことは思い出す)、I do, and I understand.(体験したことは身に付く)」という言葉が教室の壁に貼ってあることがあります。この言葉は、体験型の授業が多く採用されていることなのです。日本でも、最近、体験型学習や自分で考える力の育成に力点を置く教育が重視されています。体験して身に付けたことこそが、生きる力につながっていき、教育から発育への転換ともなるのです。
この考え方は、いろいろなところで言われていますが、多くは「老子」の格言として伝わっています。「聞いたことは、忘れる。見たことは覚える。体験したことは、分かる。」という言葉です。それに付け加えて、「見つけ出したことは、身に付く。」という言葉もあります。それぞれの学習効果を、記憶に残る割合で示した数字がアメリカで発表されています。聞いたとき(講義)は、10%、見たとき(見学)は、15%、聞いてみたとき(講義+見学)は、20%、話し合ったとき(討議)は、40%、体験したとき(疑似体験や実体験)は、80%、人に教えたとき(相互レクチャー)は、90%だったそうです。
30年ほど前にカナダで始められた授業形態にPBL(Problem Based Learning)という「問題解決型授業」があります。最近、欧米の大学で急速に普及して、ハーバード大学医学部では大部分の講義形態をPBLにするという試みがなされているといいます。そのやり方は、教員はまず学生に課題を出します。このとき幾つかのインストラクションはしますが、あくまで学生が自主的に学習して授業の準備をします。1つのテーマに対して、幾つかのグループに分かれて作業を分担し、授業を行いますが、主に学生同士の質疑応答で授業は進行します。教員の発言は10 %以下にするというのが原則です。
 「学び」の必要性の意識付けから始め,自己主導型学習へと導くために教員はサポート役に徹し,学生の力を引き出す(学ぶ,考える方向へ誘導)ことをします。そのために,意欲や探究心を高める環境作りをすることによって、子どもらは、知識を求めるようになり、その結果、知識量が自然に増加するという考え方です。そこでの「評価」は、学びを支え、継続するためにどのようにしたらよいかということになります。老子の言葉のように、講義形式で教授した知識は5%しか残らないが,PBLにより確実に5%以上の成果を得るということのようです。
 この考え方は、主に高等教育の場面で多くつかわれていますが、私は乳幼児教育にこそ、子ども自ら発達していく力があるので、この考え方を導入すべきだと思います。

投稿者 fujimori : 22:43 | コメント (6)

2010年04月13日 近頃思うこと

飲み会

 ここ数日、駅の付近に多くの人がたまっています。それは、新入社員歓迎会とか、新入学歓迎会などの待ち合わせでしょう。みんな、紺色か黒のリクルートスーツに身を包み、いかにも初々しい感じです。不思議なもので、小学生と同じで、1年生は、大学生でも、社会人でも同じように初々しく見えるのはなぜでしょうね。
しかし、この歓迎会の多くは飲み会でしょうから、気をつけて飲んでほしいと思います。一時期の「一気飲み」は少なくなったようですが、それでも、道端に寝ていたり、気持ち悪くなったり、意識がなくなって仲間から抱きかかえられている人を見かけることがあります。強制的に飲まされているのか、調子づいて限度をわきまえずに飲みすぎてしまいのかわかりませんが、せっかくの楽しい会がそれで台無しになってはつまらないと思うのですが。園の保護者や職員も、職場からの帰りに飲みに集まることが多いようです。どうも、働いている人は、外に出ることに慣れていることや、外に出ているついでということもあり、外で飲むことが多いようです。「サラリーマンは、気楽な稼業ときたもんだ!」で始まる歌ではありませんが、かつては、「チョイと一杯のつもりで飲んで、いつの間にやらはしご酒、気が付きゃホームのベンチでごろ寝、これじゃ身体にいいわきゃないよ。分かっちゃいるけど、止められない」というのは、ほとんど男性でしたが、今は女性でもはしご酒や、立ち飲みで飲んでいる人をよく見かけるようになりました。次第に、同数になってくるのでしょうか。
ところが、最近、どうも飲み会が変わってきているようです。今月9日の日本経済新聞に、「自宅や友人宅に集まってグループでお酒を楽しむ“内飲み会”」が増えてきたという記事が掲載されていました。どうも、そのけん引役は20~40代女性であることが、日経産業地域研究所の「お酒に関する総合調査」で分かったようです。首都圏に住む20~69歳の男女600人を対象に調査した結果、内飲み会をこの1年間に「自宅で開いた人」は31.4%、「知人・友人宅での会に出席した」は45.1%だったそうです。1人当たりの平均予算は2453円ですが、20代女性は2536円と平均を上回っているようです。また、1年前に比べてこうした内飲み会が「増えた人」は25.6%で「減った」の24.1%を上回りました。特に女性で「増えている」と答えている人が多く、20代と30代は50%、40代は45%でした。また、開く相手は、各世代とも「友人」がトップでしたが、他の世代と比べ、20代女性は「クラブ・サークルの仲間」、30代・40代女性が「子どもを通じて知り合った友人」の割合が高かったようです。
 この傾向は、少し前から若者に浸透してきた「宅飲み」ということと同じような気がします。その時、どうしてかというとまず、安上がりであること、知らない人との付き合いが煩わしく、初めての場所は落ち着かないけど、自宅で親しい人と飲むのは心地いいからという「マイルーム型」の生活志向があるといわれていました。
 今日、地方からの来客があったこともあって、10名くらいの職員が集まって、内飲み会が行われました。それは、飲み会というより、ある意味で保育の情報交換の場という感じです。会議室での会議と違って、本音が言えるというのではなく、些細な問題だと思われることでも、議論できるということです。保育とは、一見、些細なことと思われることの積み重ねです。職員からすると、その部分が、日々一番悩むところだと言います。会議、書類では現れない内容こそが、人間相手の仕事では重要であり、多いのかもしれません。

投稿者 fujimori : 23:41 | コメント (7)

2010年04月12日 近頃思うこと

智徳

 私は、福沢諭吉が特に好きでもないのですが、彼が考えたこと、彼の著書である「学問のすすめ」には、今の時代に参考になるような江戸時代での教育の考え方が表われている気がして、どうしてもその話題に戻ってしまいます。その考え方は、今の自分が取り組んでいる問題、家庭、社会が抱えている問題、地域が抱えている問題、国が抱えている問題に対して、どういうアプローチをすべきかのヒントがあります。たとえば、最近、保育園の民営化がおこなわれる中で、「公立」と「私立」をどう考えるかという点で、福沢にとって「独立」とは「私立」と同義であったようです。「学問のすすめ」には「文明の事を行う者は私立の人民にして、その文明を護する者は政府なり」という文章があります。この内容は、民がやるべきこと、公がやるべきことがよくわかります。公は、実践ではなく、擁護なのです。
 小学校学習指導要領には、「道徳」の重視が謳われています。まず、「学校における道徳教育は,道徳の時間を要として学校の教育活動全体を通じて行うものであり」とあるように、道徳の時間が用意されています。しかし、その時間の多く(最近の授業はよく知りませんが)は、テレビの道徳の時間を視聴し、それについて考えることをしています。また、道徳教育は、「人間尊重の精神と生命に対する畏敬の念を家庭、学校、その他社会にいおける具体的な生活の中に生かし、豊かな心をもち、伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛し、個性豊かな文化の創造を図るとともに、公共の精神を尊び、民主的な社会及び国家の発展に努め、他国を尊重し、国際社会の平和と発展や環境の保全に貢献し未来を拓く主体性のある日本人を育成するため」に、その基盤としての道徳性を養うことを目標とするとかかれてあります。ずいぶんと、盛りだくさんですね。これでもかとは言っていますが、多く語るほど、逆にこれだけでいいのかと思ってしまいます。
 福沢は、「今日の文明は智恵の文明にして、智恵あらざれば何事もなすべからず、智恵あれば何事をもなすべし。然るに世に智徳の二字を熟語となし、智恵といえば徳もまた、これに従うものの如く心得、今日、西洋の文明は智徳の両者より成立つものなれば、智恵を進むるには徳義もまた進めざるべからずとて、或る学者はしきりに道徳の教をしき、もって西洋の文明に至らんとする者あり。もとより智徳の両者は人間欠くべからざるものにて、智恵あり道徳の心あらざる者は禽獣にひとしく、これを人非人という。また徳義のみを脩めて智恵の働あらざる者は石の地蔵にひとしく、これまた人にして人にあらざる者なり。」と言っています。知恵と道徳はともに備わってこそ意味があるものであり、それこそが人間たるゆえんであると言っています。いくら、道徳を知識として教えても意味がないのです。
こう言っています。「いたずらに文字を教うるをもって教育の本旨となす者あり。今の学校の仕組は、多くは文字を教うるをもって目的となすものの如し。もとより智能を発育するには、少しは文字の心得もなからざるべからずといえども、今の実際は、ただ文字の一方に偏し、いやしくもよく書を読み字を書く者あれば、これを最上として、試験の点数はもちろん、世の毀誉もまた、これにしたがい、よく難字を解しよく字を書くものを視て、神童なり学者なりとして称賛する」こんな学校を卒業するから、「いたずらに難字を解し文字を書くのみにて、さらに物の役に立たず、教師の苦心は、わずかにこの生き字引と写字器械とを製造するにとどまりて、世に無用の人物を増したるのみ」になってしまったと嘆きます。今の時代を見ても、嘆くでしょうね。

投稿者 fujimori : 22:29 | コメント (5)

2010年04月11日 近頃思うこと

発育

 NHK大河ドラマが好調です。すでに放映されたのですが、安政7年(1860年)3月3日、井伊直弼が江戸城へ登城途中の桜田門外で水戸脱藩浪士らの襲撃を受けて暗殺されました。その同じ年の初め、福沢諭吉らが乗った咸臨丸は、江戸品川沖を出航しました。翌月、サンフランシスコに到着しましたが、諭吉は、そこでウエブスターの英語辞書を購入しました。日本に帰った福沢は、ウエブスターの英語辞書で猛勉強し、「増訂華英通語」という、中国人子の編集した英語と中国語の対訳単語短文集「華英通語」に、英語の発音にカナをつけ、日本語訳した書物を刊行しました。ですから、今英語を日本語に訳した言葉は福沢が訳した言葉が多くあります。私は、英語を日本語に当てはめた漢字の中で、何が一番間違っていて、それがいまだにその間違いが影響している言葉に「教育」という日本語だと思っています。教育と訳されている “education” は、もともと “educe” が語源で、可能性を引き出す、という意味なのに、「教え込む」という意味の漢字に当てはめてしまったからです。それは、福沢諭吉が訳したのだと思っていました。しかし、福沢は「文明教育論」の中で、こんなことを言っています。
「もとより直接に事物を教えんとするもでき難きことなれども、その事にあたり物に接して狼狽せず、よく事物の理を究めてこれに処するの能力を発育することは、ずいぶんでき得べきことにて、すなわち学校は人に物を教うる所にあらず、ただその天資の発達を妨げずしてよくこれを発育するための具なり。教育の文字はなはだ穏当ならず、よろしくこれを発育と称すべきなり。かくの如く学校の本旨はいわゆる教育にあらずして、能力の発育にありとのことをもってこれが標準となし、かえりみて世間に行わるる教育の有様を察するときは、よくこの標準に適して教育の本旨に違わざるもの幾何あるや。我が輩の所見にては我が国教育の仕組はまったくこの旨に違えりといわざるをえず。」
福沢は、「教育の文字ははなはだ穏当ならず、よろしくこれを発育と称すべきなり」と述べ、さらに、「天資の発達を助けるだけなので、『発育』という表現がふさわしい」と主張していたのです。明治時代の教育というのは、1872(明治5)年の学制にみられるように、非常に画一的な上からの教育でした。それに対して、彼は、「我が国教育の仕組はまったくこの旨に違えり」というように、「発育」とは、そうした明治政府の教育に対する批判でした。「教育」と訳されてしまったのは、彼が何年か外国に行っているうちのことで、福沢諭吉は帰国してそれを知って、たいそう残念がったそうです。「発育」 は学び手が主体であるのに対して、「教育」 は授ける側に力点が置かれています。「学校は人に物を教うる所にあらず、ただその天資の発達を妨げずしてよくこれを発育するための具なり」というように、学校というところは、人に何かを教えるところではなく、もともと人が持っている自ら育とうとする宝を妨げないことであり、「学校の本旨はいわゆる教育にあらずして、能力の発育にありとのことをもってこれが標準となし」というように、能力を見出し、それをはぐくむことが役目であるというのです。
高校生が昼寝をよくするのは、高校生の質の問題ではなく、教育という言葉に象徴される学校という場の役割の間違いが、いまだに修正されていないことが原因かもしれません。

投稿者 fujimori : 22:37 | コメント (5)

2010年04月10日 近頃思うこと

受動

 今月の1日に、神奈川県では、受動喫煙による健康への悪影響から県民を守るための新たなルールとして「神奈川県公共的施設における受動喫煙防止条例」が施行されました。この条例では、不特定又は多数の者が出入する室内又はこれに準ずる環境を対象としています。たとえば、学校、病院、商店、官公庁施設など(第1種施設)では、すべて禁煙で、飲食店、ホテルなど(第2種施設)では、禁煙又は分煙が義務付けられました。屋外でも、子どもが利用する通学路や公園では、受動喫煙への配慮を求めています。よく、禁煙が進むと、喫煙者の権利はどうなのかとか、きちんと喫煙室を設けるなど分煙を進めれば問題ないとすることがよく見られます。しかし、最近急に注目されているのが、喫煙に対しての禁煙運動ではなく、受動喫煙についての危険性です。
 神奈川県が率先して上記のような条例を施行したのは、厚生労働省が、今年の2月25日、他人が吸うたばこの煙を吸わされる「受動喫煙」による健康被害を防ぐため、多くの人が利用する公共的な施設では、原則として全面禁煙とするよう求める通知を全国の自治体に出したからです。この通知は、罰則のない努力義務ですが、喫煙場所を設ける「分煙」では不十分とし、将来的には全面禁煙とする方向性を明確にしています。また、労働者保護の観点から、職場の受動喫煙防止を義務づける法改正も検討中です。
 受動喫煙を防ぐための日本の対策は、諸外国に大きく後れを取っているようです。産業医大産業生態科学研究所の大和浩教授が、こんな警告を出しています。「職場で同僚のたばこの煙にさらされている非喫煙者は、禁煙の職場で働いている人に比べ、肺がんになる危険性が24%高くなります。スコットランドでは飲食店など公共の場所での喫煙を法律で禁止した結果、住民の心筋梗塞が1年後に17%減少しました」そのために海外ではこんな規制をしています。「1960年代に喫煙者本人への有害性が科学的に立証され、80年代に受動喫煙の有害性が示されました。90年代に米カリフォルニア州などで建物内を禁煙とする条例が始まり、喫煙室の設置も認めない全面禁煙を内容とする国レベルの受動喫煙防止法は、2004年のアイルランドに始まり、英国、ウルグアイ、ニュージーランド、トルコで施行されています。イタリアやフランスなどでは喫煙室の設置基準が厳しく、実質的な全面禁煙となっています。先進国できちんとした対策を講じていないのは日本ぐらいだと言えます」
日本は、今世界から見ると何年代でしょうか。日本では受動喫煙に関しては努力義務にとどまる健康増進法しか定めていません。その点、4月施行の神奈川県受動喫煙防止条例 は、公共の場所の全面禁煙という、国がやるべきことを地方が始めたということのようです。学校や病院、官公庁が全面禁煙となり、罰則も定め、この条例をきっかけにマクドナルドが全面禁煙を、ロイヤルホストが全席禁煙を打ち出し、すでに大きな効果が表れているようです。「世界保健機関(WHO)では「喫煙室の設置や空気清浄機の使用では受動喫煙を防止できず、建物内を100%禁煙とする方法以外に手段はない」と勧告しています。いわゆる分煙では受動喫煙を完全に防止することはできないようです。ですから、喫煙車が残っていたり、喫煙室が設置されている列車では、デッキやエアコンを通じて禁煙車でも厚生労働省の喫煙室の基準を超える濃度になる場合があることを確認されています。建物内の喫煙室でも同じことが起きており、煙が充満した場所での喫煙は、本人にも良くなく、安易な分煙は喫煙者と非喫煙者の健康をともに損ねることがわかってきました。
いまや、レストランに入って、禁煙席があることはあまり意味がなく、全面禁煙にしないといけないようです。米マサチューセッツ州では飲食店の全面禁煙後に客数が若干増え、納税額に変化はなかったとの報告があります。エコ、教育、健康の先進国だった日本が、ずいぶんと世界から遅れ始めています。

投稿者 fujimori : 18:11 | コメント (4)

2010年04月09日 近頃思うこと

チーム

 今日は、園の調理関係の職員で、調理器具などを買いに合羽橋に行ってきました。以前のブログ(2006.4/24)で合羽橋のことを紹介しましたが、ここは調理器具などの問屋街です。街を歩くだけでも面白いものが多く、わくわくします。ここに買い物に調理というためにはいくつかのハードルがあります。それは、できるだけ多くの職員と行きたいために、いつ、何時頃出発するかという点です。調理室では、午前中は、低年齢児の午前のおやつ作りとその後始末、そして、昼食準備です。それが終わるとその洗い物、そして、全園児と学童の子を含めた午後のおやつ作りとその洗い物、それが終わると、夕方の捕食調理と、夕食の準備、そしてその後片付けで終了です。それが、土曜日も夕食を園で食べる子がいますので、月曜日から土曜まですべての曜日が同じ時程です。こうなると、休みの日にしか出かけられません。しかし、問屋街は休みの日は店が休みのために買い物はできませんし、店が開いているのも問屋街は17時までのところが多く、遅く行ってもだめです。そうなると、どうしてもネットでの買い物が多くなるのは当然かもしれません。そうなると、みんなで行く楽しみ、実物を手にとって選ぶ楽しみ、買わないものも見て歩く楽しみ、店の人と会話をする楽しみ、そんなものがすべて失われていきます。
 私の園で、そんなハードルを越えることができるのは「チームワーク」がいいからです。保育園の職員みんなの協力があるからできるのです。保育室、職員室、学童担当、一時保育担当などすべての職員で調整してくれて、調理業務をしてくれますし、普段保育助手をしてくださっているパートさんなども入ってくれます。いつでもそんな体制が組めるように、普段から検便を含めて健康管理もしています。保育の仕事はとてもパブリックな仕事であり、個人の思いでするものではありませんし、個人や一部の人だけで行う仕事ではありません。それぞれが、自分がこの場面では何をすべきかをそれぞれ柔軟的に考えることです。そんな主体的に行動する人の集まりが社会であり、その中でひとつの理念の下に集まって行動するのが「チームワーク」なのです。そんなわけで、午後いちで出発することができました。
 昨日の読売新聞夕刊の「よみうり寸評」には、こんなコラムが掲載されていました。
「巨人の原辰徳監督が昨シーズン一番感動したゲームはどの勝ちゲームでもない。引き分けに終わった9月4日のヤクルト戦、木村拓也を捕手に起用したあの試合だ。3―3の同点で迎えた延長11回、打席の加藤健が頭部死球で退場、これで捕手3人を使い果たした原監督がベンチを見ると、拓也がいない。あいつ逃げたかと思って「タクはどうした」と聞くと、「ブルペンへ行きました」「ブルペンで練習してます」。監督はとてもうれしかった。「ああ、巨人はいいチームになってきたな」と思った。原監督はこの一部始終を先月刊行の著書〈原点〉(中央公論新社)に書いた。副題が〈勝ち続ける組織作り〉で、その章の見出しは〈最高のチームプレー〉だ。〈12回、最後のボール、インサイドの真っすぐを拓也がバシーン!と捕ったときの感動といったら!09年一番の感動だった〉今年は一軍内野守備走塁コーチでノックバットを握ったばかりのキムタク。好漢の急逝に監督もチームメートもファンも涙が止まらない。」
 組織とは何か、社会とは何かを、気づかせてくれた今日の買い物でした。

投稿者 fujimori : 21:17 | コメント (5)

2010年04月07日 近頃思うこと

東京では、そろそろさくらの季節が終わりに近づいてきました。しかし、一般的に言っている「桜」とは、ソメイヨシノの種類です。この桜について昨年もブログで書きましたが、人間が作った鑑賞用・園芸用の桜であり、自分の力で子孫を残す力がありません。一見華やかに見えるソメイヨシノは、桜の代表でもなく、日本の花の代表でもないのです。私たちは、その桜を見て、「日本は美しいなあ、日本はすばらしいなあ」と思うのは少し待って、もう一度考えてみたほうがいいかもしれません。
そんなことを、16代もの間、継承されてきた「桜守」である「佐野藤右衛門」さんが、ある講演の中で話しています。彼は、先々代の14代目から、滅びゆく日本の桜を憂い、日本各地の桜を調査・研究・保護活動を行っています。彼は歯に絹を着せぬ言い方をするので、きつい部分があるのですが、さすが、実際に桜と対話する中から考えてきたことなので、納得するところが多くあります。
講演の始まりも、私はとても考えさせられました。彼は、参加者にこう聞きました。「参加者の皆さんの中で、朝に自分でご飯を炊いている人はいますか?」手を挙げた人にこう言ったのです。「炊いているのは人間ではなく機械です。火加減や余熱の調整も全て炊飯器がしていること。そうやって機械のしていることと自分がしている事とを混同してしまうのが、危険な錯覚の始まりなのです」わたしもよく冗談半分に、「手作りおもちゃとよく言うけど、足で作ったおもちゃってあるの?」ということがあります。それは、いかにも手作りがぬくもりあるかのように、情緒的な自己満足な部分があるので、もっと、子どもの視線でおもちゃを作ってほしいという願いからこういうのです。
佐野さんがこう言ったのは、「現代の世界は、無機物にあふれた世界。自然の声を聞かなくても、人々の会話がなくなっても、コンピューターや家庭用電化製品のスイッチ一つで生活出来てしまう便利な世の中です。いのちの営みは、植物も動物も変わらないのに、人間だけがどんどんおかしな方向へ流れている」というメッセージなのです。これは、自分の力で子孫を残す力がない、人間が作った鑑賞用・園芸用「ソメイヨシノ」が、繁殖力はとても弱く、他の桜に比べて寿命が短いということを、人間が見届けるまでには、約100年の月日がかかったそうです。このように、「自然の仕組みを知らず、目の前の華やかさだけを追い求める現代社会には「育てる」という感覚が失われています。自然を育てる事を忘れた世の中では子供も育ちません。風や鳥や虫などの自然の声を聞けない機械で計算した桜の開花予想が当たるわけがないのです。そして機械に支配された世の中では、人間の気持ちの余裕がうまれません。便利な世の中になるということは一見幸せなようで実はとても恐ろしいことなのです。」
このことは、現代の少子社会の原因のひとつかもしれません。ソメイヨシノの花見だけ終えて、もう桜の木には目もやらないのではなく、もっと自然を眺めなさいと彼は言います。「ヤマザクラのような野生の桜の樹は、花が咲き、めしべが蜜を出し、おしべの花粉がついて実を残す。そこに、小鳥や虫や風や色々な自然の手助けがある。花の盛りの季節の間だけではなく、そういった自然の相互共存の営みを見なくては、自分が今生きている世界の全体の姿がわからないのです。」

投稿者 fujimori : 22:23 | コメント (6)

2010年04月06日 近頃思うこと

視点

小学校学習指導要領22年試案では、図画工作を学ぶ意味を4つの視点からしています。この視点は、何も図画工作を学ぶ意味だけでなく、私たちに、今、必要とされている力が表現されていますし、その問題に対して人類の文化が発達して来た永い歴史について考えることから始めている点、考え方の参考になります。
 まず、「発表力の養成」としています。先人の工夫し,経験したことがらを受け継いで,更にそれに自分の経験や工夫を加え,またそれを次の時代の人々に伝えていくはたらきがなければならないということは、求められる力として、伝える力です。他人の発表する思想や感情を正しく受けとる力と、自分の持っている思想や感情を正確に発表する力を備えていることが必要だと言っています。その発表する手段として、時間的・抽象的なことを発表する場合は、言語・文章により、空間的・具象的なことを発表するに適しているのが絵画・図・製作物というような造形的なものがあるのです。そのために、国語や外国語が教科として取り上げられている一方,図画工作が同様に教科として取り上げられて、造形的な発達力・創造力及びそれを理解(鑑賞を含む)する力を養うことが必要であると言っています。
 次に「技術力の基成」が必要です。人は手で道具を作り、その道具を使って更に進んだ道具や、生活上いろいろ必要な物を作って、生活を豊富にし、進んだ文化を建設して行くのです。このことは,人類が他の動物といちじるしく異なる点であるが,同じ人類の中でも、この種の造形活動がいかに営まれるかは、その文化の程度を示すものであるとしています。手で道具を作り、物を作る活動、すなわち、人間の技術活動が伴わなければ、すべての文化は直接には生活の役に立たないのです。ですから、技術の養成、またはすべての技術の基礎となる目と手の感覚を鋭敏にすることが教育の一つの項目として取り上げられなければならないとしています。私は、人間が道具を使うという他の動物と違う特性を持つために、子どもは、さまざまな道具、その形、仕組み、その違いを、五感をフルに使って知ろうとすると思っています。また、赤ちゃんが、ものに触ったり、引っ張ったり、転がしたりとその機能を確認しようとしているかのように見えます。ですから、ものをただ見て鑑賞するような行動はせず、じっとものを見ていても、それは触る時期を図っているかのようです。このような行動は、人間特有のように見えます。犬や猫などが道具に興味を持って、それにじゃれるのは、将来の狩りの練習をしようとしているようで、人間の赤ちゃんが取る行動と少し違うようです。これは、何も学童期から図画工作が一つの教科として取り上げられた意味だけでなく、乳幼児期から環境として用意しなければならない課題なのです。
 次が「芸術心の啓培」です。美を愛し、美を創造し、美を味わい楽しむのも、人間の持つ一つの特性です。人類はこの特性を持っているから、諸種の芸術品を作り、それによって生活にうるおいを与えていると書かれてあります。芸術は単なるぜいたくではなく、やむにやまれない人の本性から出発しているものであるという視点はおもしろいですね。そして、「具体的・実際的な活動性の助長」の中では、こんなことを問いかけています。「抽象的・理論的な仕事と、具体的・実際的な仕事とのどちらを児童は好むか?また、児童は将来、抽象的・理論的な仕事と、具体的・実際的な仕事とのどちらの職業に就くものが多いか?」児童は、具体的・実際的の仕事により多くの興味を持ち、将来,具体的・実際的の職業に従事する者の方が、断然多いということから、最も具体的・実際的な教科として図画工作があるとしています。
 なかなか面白い視点です。

投稿者 fujimori : 22:13 | コメント (5)

2010年04月05日 近頃思うこと

余韻

小学校で音楽は何のために学ぶのかということは、昨日のブログで学習指導要領の中の目的で見てみましたが、過去の学習指導要領を見ると、とても面白いことがわかります。昭和22年に作られた試案の「はじめに」の最初の文章は、とても面白い表現をしています。「音楽は,音を素材とする時間的芸術である。 音楽では,素材となる音に,まず,生命が与えられる。即ち,音のリズミカルな運動が起されて,ここに,音楽的な生命の躍動が始まるのである。」
「時間的芸術である」という表現が面白いですね。数年前にドイツに行ったときに、ある園である楽器を紹介してもらいました。その楽器を鳴らして、自慢げに「ほら、この楽器の音の余韻が長く続くでしょ。楽器は余韻が大切なのですよ。」その時に自慢げに見せてもらった楽器は、日本では、仏壇に必ず置かれている、りん棒という棒で鳴らすことで仏様を呼ぶとされている座布団の上に乗っている仏壇用の「リン」だったのです。その後、ドイツで何園か訪ねたのですが、かなりの園に、この「リン」が保育室に置いてありました。また、何園かには、やはり子どもたちに余韻を聞かせるために「ドラ」が置いてありました。私の園でも、3,4,5歳児の昼食の合図にドラを叩いていました。そのドラは、叩いた時の音を聞くのではなく、その音の余韻を聞くためです。しかし、どうもその余韻は短い気がしていたので、今回、大きなリンを買ってきました。(ただ、この楽器の名前をリンと呼ぶのかはわかりませんが)
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先生が、今、子どもたちにこの楽器を鳴らして、その余韻が消えた瞬間に手を挙げさせていますが、みんなシーンとしてその音を聞いています。この姿を見ると、22年の音楽の初めに書かれてあるように、音楽とは「時間的芸術」であるという気がしますし、「素材となる音に、まず、生命が与えられる」ということを実感します。
「はじめに」にはこうも書かれてあります。「生まれた音楽は,人間と同じように生きている。そして音楽独自のことばで,その楽想を語るのである。独自のことばとは何かというに,それは,音そのものであり,音の運動である。しかも,それらは,世界ただ一つの普遍語である。」音というものは、いくら余韻があるといっても消えていくものです。その点、文字や絵画は消えていきません。そこに、音楽の特異性があり、文学、図画工作とともに音楽から芸術を学ぶ必要があるのです。
22年の学習指導要領の図画工作の試案の「はじめに」に、「図画工作の教育はなぜ必要か」ということが書かれてあります。 「人類が,今日持っている進んだ文化は,未開の時代から今日までの,非常にながい間における数知れない多くの人々の,創意工夫や経験が,積もり積もった結果である。」故に、私たちは、先人の工夫し,経験したことがらを受け継いで,更にそれに自分の経験や工夫を加え,またそれを次の時代の人々に伝えて行くはたらきがなければならないのです。長い間の創意工夫の積み重ねの次に、私たちの創意工夫を積み重ねていかなければならないとしたら、ただ、過去のものを覚えるとか、再現するような教育は進歩がなくなるのです。そのために、22年試案では、図画工作を学ぶ意味を4つの視点からしています。
戦後、日本はいろいろなことを見直しました。その一つが教育です。その取り組みからは、「日本を復興するぞ」という思い入れや情熱が感じられます。その内容がいいか悪いかというよりも、今回の学習指導要領の改定からは、子どもを何とかしようという情熱があまり感じられない気がします。

投稿者 fujimori : 23:42 | コメント (5)

2010年04月04日 近頃思うこと

興味・関心

最近、幼児のころから鍵盤ハーモニカを子どもたちが演奏する園が多くなりました。しかも、かなり高度なテクニックを駆使して演奏することを目指す園も少なくありません。なんで、そんなに熱心にやらせるのでしょうね。子どもたちの発達に合わせて小学校で演奏する楽器が各学年に振り分けられているはずですが、小さい子が、小さい指を必死に動かして演奏する姿は健気です。
私が、30数年前に少し小学校で1年生を教えていたときには、ハーモニカを使っていました。ハーモニカは、吹いて、吸って、吹いてと交互にド、レ、ミと演奏していくのですが、それは、長いフレーズを息つぎなしに演奏することが容易になるからです。また、吹く音と吸う音を交互に並べることで、音が混ざるのを防いでもいるのです。そのまま交互に演奏していくと、1オクターブ上のドは吸うことになります。私の子どものころは、ラを吸って、ドを飛ばしてシを吸って、一つ戻ってドを吹いて演奏しました。それは、大きく口に咥えて吹くとドミソという和音を出すためです。私の父親は、よく私が子どものころにハーモニカを吹いて演奏してくれましたが、大きく口をあけ、和音で演奏しながら、舌で伴奏しながら吹くタンブロック奏法という演奏でした。
しかし、口をつけて目的の小さな穴に息を吹き込まなければならないため、まだ1年生では難しいだろうということで、最近は鍵盤ハーモニカを使う学校が増えています。しかし、その呼び方は、メーカーによって違うので、現場ではよく混乱します。もともと、口で吹いて空気を入れ、鍵盤を抑えて演奏する楽器は、イギリスの押しボタン式のシンフォニアムという楽器やドイツのノイ・チャン、プサルメロディコンなどが始まりだと言われています。それが、日本に第2次世界大戦後に伝わり、1961年に、鈴木楽器がボタン式のメロディオンを製品化、その後、トンボ楽器のピアノホーン、東海楽器のピアニカ、そのピアニカをYAMAHAブランドで発売、全音のピアニーなども製品化されてきました。
一方、リコーダーは、ルネサンス期からバロック期にかけて広く使われていたものの、その後あまり使われなくなっていたところ、20世紀初頭、イギリスで復元されたのですが、製作には費用がかかり、あまり一般に普及しませんでした。それが、1936年のベルリン・オリンピックでリコーダーがたくさん使われ、後に日本でもリコーダーが普及していきました。そして、吹けば誰にでも音が出せる、というリコーダーの大きな長所と、プラスチックによるリコーダーは、安価な上に小学生が少々乱暴に扱っても大丈夫なので、教材として好適なものでした。
何にしても、以前のブログでも書きましたが、音楽の一番目に挙げられている目標は、「楽しい音楽活動を通して,音楽に対する興味・関心をもち,音楽経験を生かして生活を明るく潤いのあるものにする態度と習慣を育てる。」です。まず、音楽活動とは、楽しいものでなければなりません。音楽活動が楽しいからこそ、音楽に対して興味を持ち、関心を持つのです。すべての学問の始まりは、「興味」「関心」なのです。そこから意欲がわいてくるのです。ハーモニカもレコーダーを演奏するのは、決してそれらの楽器の演奏家となるためではないのです。それによって、生活を明るく、潤いのあるものにするわけですから、泣きながら練習するのは、もっと大きくなった高校生以上でするようなことのような気がします。

投稿者 fujimori : 21:20 | コメント (6)

2010年04月03日 近頃思うこと

アマリリス

 園で、球根が立派な花を咲かせました。
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その見事さに職員は何の花だろうと思うのですが、その花の名前を言うと、ほとんどの人がその名前を知っています。それは、「アマリリス」です。学名の「ヒッペアストラム」とは、ギリシャ語の騎士という意味の「ヒッペアス」か、馬という意味の「ヒッポス」と、星という意味の「アストラム」がくっついて、「馬のように大きい星形の花」という意味から付けられています。この花を、「アマリリス」というのは、ローマの詩人であるヴェルギリウスさんが作った詩歌のなかで登場する羊飼いの娘の名前が「アマリリス」ということから付けられました。アマリリスは、南アフリカ原産のヒガンバナ科ヒッペアストルム属の多年草の植物で、色は、赤、ピンク、白、また、それらの色が混ざったようなものがあり、とても美しい色合いです。アフリカからヨーロッパ、特にオランダに持ち込まれ、改良されて、現在のように大輪の花を咲かせる百合のような花ができあがりました。園の咲いた花の球根もオランダから輸入されたものです。アマリリスが日本に伝えられたのは、江戸時代のことで、明治の頃には園芸種として出回ったようです。
この名前を多くの日本人が知っているのは、作曲者は、ルイ14世とも、フランス民謡であるとも、またギースであるともいわれている「ソラソドソラソ ララソラソファミレミド」というメロディーを誰もが思い出すからです。また、その曲には、ベートーベンの「よろこびの歌」の作詞もしている岩佐東一郎という人が作詞しています。「みんなで聞こう 楽しい オルゴールを ラリラリラリラ しらべは アマリリス 月の光 花園を あおく照らして ああ 夢を見てる 花々の眠りよ フランスみやげ やさしい その音色よ ラリラリラリラ しらべは アマリリス」スタッカートの聴いたその曲を、どうして今でも思い出すのでしょうか。それは、この曲を小学校4年生くらいのときに習うので、多くの学校では、リコーダーの試験の課題曲だったからです。
小学校では、たいていの学校では1年生でハーモニカか鍵盤ハーモニカを購入し、3年生でリコーダーを購入します。それは、小学校学習指導要領の音楽科の「A表現」の(3)の楽器について,こう書かれてあるからです。(平成14年4月1日から施行)
ア 各学年で取り上げる打楽器は,木琴,鉄琴,我が国や諸外国に伝わる様々な楽器を含めて,演奏の効果,学校や児童の実態を考慮して選択すること。
イ 第1学年及び第2学年で取り上げる身近な楽器は,様々な打楽器,オルガン,ハーモニカなどの中から児童の実態を考慮して選択すること。
ウ 第3学年及び第4学年で取り上げる旋律楽器は,既習の楽器を含めて,リコーダーや鍵盤楽器などの中から児童の実態を考慮して選択すること。
エ 第5学年及び第6学年で取り上げる旋律楽器は,既習の楽器を含めて,電子楽器,我が国や諸外国に伝わる楽器などの中から児童の実態に応じて選択すること。
この記述から多くの学校では、鍵盤ハーモニカとリコーダーが選ばれていますが、実際には、「などの中から」との記述がありますので児童の実態を考慮して選場ないといけないのです。
なんとなく、「昔から」「毎年そうだから」「みんながやるから」という思い込みから選ばれる場合も多いかもしれません。

投稿者 fujimori : 20:58 | コメント (5)

2010年04月02日 近頃思うこと

やさしい

 最近のテレビ番組や新聞の特徴は、難しい政治問題などを「やさしく解説」するコーナーが増えていることです。今日の読売新聞にも特集が組まれていましたが、「ジャニーズキャスター 花盛り」ということで、各局のテレビ報道や情報形の番組キャスターに、若い人気タレントが起用されているようです。すでに何年も経ちますが、「NEWS ZERO」の桜井翔は定着していますし、先月から「news every」では、「NEWS」の小山慶一郎がキャスターを務めています。特に目立っているのが、NHKの「あさイチ」では、「V6」の井ノ原快彦が朝の顔になりつつありますし、「すぽると」では、「TOKIO」の国分太一が、新「Going!Sports&News」では、「KAT-TUN」の亀梨和也がスポーツキャスターを務めます。もちろんこれらの起用には、若い世代の視聴者層の関心を呼び起こす狙いがあるのですが、私は、一方で、次第に政治や経済などの問題が一般の人には難しくなりつつあり、それをもっとやさしく解説していこうという狙いもあるような気がしています。
 新聞にも、やさしく解説をしたページが増えました。たとえば読売新聞の「時事わーど百科」では、時事問題をアトムとウランの質問に、やさしく答えるという形式になっています。これは、子ども向けに解説していますが、紙面的には子どもページではなく、解説のページに掲載されています。
 このような傾向の中で、引っ張りだこなのが「池上彰」です。各局で、「わかりやすいニュース解説」をして、幅広く人気を集めています。私も、よく講演をしたり、本を書いたりしていますが、心がけていることは、「難しく、奥の深い保育や子どもの世界を難しく語るのは簡単ですが、それをやさしく語ろう」です。池上彰さんが書いた「わかりやすく〈伝える〉技術 (講談社現代新書) (新書) の「はじめに」に、「わたしがテレビでわかりやすさについて心がけていたことは、決して特殊な業界の話ではありません。基本的で応用のきくことだと思います。この本を手に取ったあなたは、きっと『自分の説明下手を直したい』『説明の技術を磨きたい』と思っていることでしょう。そんなあなたのお役に立ちたいと書いたのが、この本です」と書いています。
 彼が、誰にでもわかることばで、ビジュアルを活かしたりしてニュースを伝える技術は、もちろん彼の持っている才能もあるのでしょうが、私は、11年間も「週刊こどもニュース」のお父さん役を務めたことにある気がします。以前、この番組の打ち合わせを見たことがありますが、一つ一つの言葉を出演している子どもが理解できるかを検証し、わかりやすく言い換えていました。それは、政治や経済が難しいと言うのは研究者間だけの世界でのことで、それにより生活している私たちにもっと密着した、理解できる言葉で説明をすることがプレゼン能力です。池上さんが、この考え方で書いた本『池上彰の講義の時間 高校生からわかる「資本論」』(集英社)は、わざと難しい言葉で言っていると茶化しているところもあります。最初のほうの「何が「したがって」だと、と思っちゃいますね。訳がわからない文章です。こうして冒頭でつまづいた人は多いのです。しかし別にむずかしいことを言っているわけではありません」と言う文章や、「またわけのわからんことを言ってるね。こういうのは無視していいですからね。これは、趣味でこういう表現をしているので」という文章などは、私は思わず喝采したくなります。難しく書こうとする人は、その人の趣味かもしれません。

投稿者 fujimori : 21:34 | コメント (6)

2010年04月01日 近頃思うこと

遊び心

 ある人から、私の園の質の高さは、「遊び心」にあると言われました。その理由のひとつに男性職員が多いことがある気がします。男性は、いつまでも赤ちゃんのようなところがありますが、それは、私の園の男性にそういう人が多いのかもしれません。しかし、その発想を「馬鹿みたい!」と言わないで、一緒に遊び心に乗ってしまう女性の職員がいるからということも理由でしょう。しかし、その遊び心は、もしかしたら最近の日本の特徴なのかもしれませんし、その心が日本を救うかもしれません。
 47NEWSの中で、共同通信記者が、「日本の実力」ということでこんな記事を書いています。「20世紀の高度経済成長を支えた“謹厳実直”は今や昔、意外にも世界に評価されつつある日本人の「遊び心」を、ファッションとテレビの現場に探った。」
ファッション分野について、中井陽共同通信記者が書いています。「かわいい」と言う言葉は、今や欧米、アジア、なんとロシアでも通じる国際語になっているそうです。この言葉は、小さな世界に独自の価値観を詰め込んでいとおしむ文化が理解され、単なる「幼稚」と区別されていると言います。その象徴として、ポップな日本ファッションが注目を浴びているようです。この下地には、日本製のハローキティに代表されるキャラクターや、美少女戦士セーラームーンなどのアニメ、マンガが世界で流通していることがあるのではないかと中井さんは分析します。憧れの原宿を訪れたクリスティーナ・ビスさん(18)は、「アメリカ人は大人っぽい服装をしたがるから、こういう格好をちょっと変だと言う人もいる。でも私は好き。Kawaiiという言葉は“キュート”と違ってもっとエモーショナル、感情を込めて使う。アメリカにはないものです」 と言っています。
 一方テレビの現状を関口康雄共同通信記者が書いています。最近、日本のバラエティー番組が、世界から注目を集めていると言います。それは、番組の企画や構成を売る「番組フォーマット販売」と呼ばれるテレビの国際市場での話のようです。この「番組フォーマット販売」は、ドラマなどと違い、番組を購入した海外のテレビ局や制作会社が、自国のタレントらを使って番組をリメークして番組を作ると言った手法です。そのリメーク権の売買が市場になっていると言うのです。たとえば、肉体パズル「脳カベ」というフジテレビの「とんねるずのみなさんのおかげでした」の1コーナーが、英、仏、ロ、中、韓などでリメークされているそうです。この「脳カベ」は2007年以降、40カ国以上に売れたそうです。また、同局の「料理の鉄人」や、一般参加者が巨大障害コースに挑むTBSの「SASUKE」も、米国を中心に高い人気があるようです。この理由を米ケーブルテレビ局G4のプロデューサー、ローラ・シビエロ氏は「アメリカは競争の国だから、テレビもそうなる。でもSASUKEは違った。人との競争より、難関を克服する自分自身への挑戦が緊迫感やドラマを生むのです」と、文化の違いが受け入れられたと見ています。
 日本の文化は、古いものだけでなく、新しいものも世界に発信していっています。この新しいもののキーワードが、「遊び心」と言うのが面白いですね。日本人と言うと、「遊び」が苦手で、「勤勉」と言うイメージなのですが、「遊び心」には、もっと違った意味があるのではないかと思います。それは、心の余裕かもしれません。

投稿者 fujimori : 21:15 | コメント (6)

2010年03月31日 近頃思うこと

わさび

昨年の10月にドイツのケルンで「食品メッセ」行われました。このメッセは、世界97カ国、6522社が参加する食品メッセで、「ANUGA(アヌーガ)と呼ばれるもので、1919年から開催されており、今では「世界最大規模」と呼ばれるまでに成長しています。このメッセでは、「冷凍食品」「飲み物」「オーガニック」「ケータリング」など10分野の専門見本市が1つの会場で同時開催されました。
今年は、「日本食ブーム」によって年々高まりを見せる日本食の需要に応えるため、日本パビリオンに25の企業と団体が出展したそうです。そのメッセの事前イベントでは、日本パビリオンを設置する日本 貿易振興機構(JETRO)と参加企業3社による個別のプレゼンテーションが日本の食文化の奥深さを紹介しました。日本人である私たちは、意外にも知らないことがあります。これは、保育の世界でも同様で、私が毎年ドイツに行っているのですが、保育室に最近日本の文化を象徴するようなものが置かれたり、日本の空間文化が演出されたりしているのを目にすることが多くあります。食の面でも、洋食ばやりの中、ただマグロがどうというだけでなく、日本の食文化を見直すことが必要です。
プレゼンの一つとして、わさび業界のパイオニア金印物産株式会社が、「薬草としての日本原産わさび1300年の歴史と伝説について」と題し、ショートムービーで寿司を美味しくする名脇役「わさび」の辛さの秘密と輸出用商品に仕上げるまでの先代の汗にじむ努力の記録を伝えました。この内容はわかりませんが、確かに日本わさびの歴史は古く、飛鳥時代から利用されていたことがわかっています。しかし、当時は、わさびは薬草として用いられていました。それは、奈良県明日香村の苑地遺構から出土した飛鳥時代の木簡を調べてみると、「出土された木簡の長さは8~30cmほどで、わさびや薬草とみられる植物名や、庭園を管理する役所名などがかかれていた」ようです。それは、庭園で野菜や薬草が栽培されていた可能性を示す発見で、庭園は、単なる遊覧の場でなく、薬草園の性格を持っていたのではないかと思われています。
奈良時代の日本古代の基本法典である「大宝律令」の中の、納税方法の中の「賦役令」に、わさびが年貢として納められていたことが伺われる記載があり、平安時代になると、日本最古の薬草事典の「本草和名」に、「山葵」の記載があります。このことからも、わさびが薬草として用いられてきたことをうかがい知ることができるそうです。室町時代の寺子屋の教科書とされる「庭訓往来」にも、「御時の汁には、・・・山葵、冷汁(ひやしる)等也、・・・」と記載され、わさびが寒汁の実として、法会の食事として食されていたようです。
このように、わさびの効能について、古くから知られていました。香辛料としての食欲増進効果、魚の生臭さの消去などが生活の知恵として昔から知られていました。それは、わさびや西洋わさびに含まれている種々の芥子油類には、抗菌活性があることがわかっています。 これらの成分のうち、多く含まれているアリル芥子油(辛味成分)は揮発した状態で抗菌活性が強く、食中毒菌である腸炎ビブリオ、サルモネラ、O-157などに増殖抑制効果があります。 また、食中毒菌だけでなく、酵母やカビに対する作用も強いことが証明されています。
一昨日、職員とそばパーティーを催したのですが、そばにはわさびが欠かせません。そば切りにわさびを添えて食べるようになったのは、江戸時代になってからです。そのころに、刺身、なますにもわさびを添えて食べていましたが、文政、天保時代に握り寿司が流行しこれにわさびをつけたことで急速に広まりました。いま、日本の家庭に浸透している粉わさびやチューブわさびの主原料に使われているのは西洋わさびと言われているものですが、しかし、本わさびその特有の香り・辛味が魅了され、日本料理には欠かせない食材です。少し高いのですが、日本伝統の食文化である、本わさびの本当のおいしさや香辛野菜としての本質を若者たちにも伝えていくことが必要かもしれません。

投稿者 fujimori : 23:24 | コメント (4)

2010年03月30日 近頃思うこと

人物デザイン

 現在、NHK大河ドラマで、「龍馬伝」がまあまあの視聴率のようです。テレビや映画でまず注目するのが、原作者、監督、脚本家、演出家、俳優です。このような時代劇の原作は、よく司馬遼太郎さんのものが多いのですが、司馬さんは、以前、彼の原作である「竜馬がゆく」が1968年にNHK大河ドラマになっています。今回のドラマには原作がなく、オリジナル作品です。また、脚本は、長州出身の福田靖です。彼は、木村拓哉が主役を演じ、関東地区では、視聴率が全話30%を超え、大ヒットドラマとなった「HERO」シリーズや「海猿」シリーズの脚本を書いています。演出は、どうしてかわかりませんが、大友啓史、真鍋斎、渡辺一貴の三人が交代でしています。主演は、もちろん福山雅治です。
そんな大河ですが、今回注目しているのが「人物デザイン監修」という役目の人です。それを担当しているのが、柘植伊佐夫さんです。彼は、とても面白い担当をやります。映画「ゲゲゲの鬼太郎 千年呪い歌」のときには、「キャラクター監修」でした。また、「ヤッターマン」では「キャラクタースーパーバイザー」でしたし、「おくりびと」では「ビューティーディレクター」を担当しました。そして、今回が「人物デザイン監修」です。この「人物デザイン監修」という言葉は、「龍馬伝」のために作られた言葉だそうです。彼は、「例えば、呼び方は作品のなかで担当する領域によって違いますが、行っていることは(映画やドラマに登場する)キャラクターや役を、それぞれの作品世界に合うように創り上げるための要素をトータルで監修するという仕事です。」と言っています。
彼が言うキャラクターや役を創り上げるための要素とは、衣裳、カツラ、メイク、小道具などですが、大きく分けて2つあるそうです。その1つは、それぞれの要素を活用して役柄のキャラクターデザインをすること。それともう1つは、キャラクターのふん装に関わる衣裳部、カツラ部、メイク部など、それぞれのチームを統括的に運営指揮することだそうです。
そして、彼は、登場人物について「スタイリング」という考え方を取り入れています。それは、例えば着物だったら、それをどのように着付けるか?どのようにして役者さんに似合わせるか?という領域のことです。彼は、「カツラでも、どうも役者さんにしっくりこないという場合があります。それは、サイズが合ってないこともあるし、比率が合ってない場合もあります。この比率が、「スタイリング」においてはとても大切なことなんです。人それぞれによって体型や発生しているバイブレーションが違います。カツラにしろ、衣裳にしろ、メイクにしろ、それらは異物です。人に異物を付けていくには、やはりその人の体型やバイブレーションに合わせた全体的な比率が重要なんです。例えばメイクでは、どのくらいの分量で、どのくらいの線でメイクすると、その人に最も合うのか?その比率を見つけていく作業が「スタイリング」です。これは単純に長さや広さを合わせるだけでなく、「人の波長にシンクロする」ということも含まれていますね。きっとこれまでの時代劇にはデザインによって人とシンクロするような「スタイリング」という概念はなかったのではないでしょうか。」
どのように登場人物をデザインしているかという観点から今回の大河ドラマを見ると面白いかもしれません。

投稿者 fujimori : 23:58 | コメント (4)

2010年03月29日 近頃思うこと

春の鉢植え

 園では、卒園式が終わり、入園式を迎えようとしています。その式には、会場を春の花の鉢植えで飾ります。その主なものにチューリップがあるのですが、さほど値段も高くなく、もう少し華やかな鉢植えも春にはたくさんあります。しかし、華やかさというと、どうしても外国の品種であることが多いので、その名前は難しく、なかなか覚えられません。
 たとえば、「ラナンキュラス」です。この花はキンポウゲ科の花ですが、光沢のある薄い花びらが幾十にも重なり合って厚みを出しているので、非常に豪華に見え、この時期の花屋さんでは特別に目を引きます。
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ラナンキュラスの「ラナ」とは「カエル」という意味のラテン語から由来しているのは、原産地では、湿地に自生する多年草で、湿地に生えることと、葉の形がカエルの足に似ていることからのようです。もともとトルコやイランなどの中近東からヨーロッパ東南部、地中海沿岸に野生していたものを、十字軍がヨーロッパに持ち帰り、改良を加えて、園芸用品種がつくられました。この花の特徴である花びらの重なりは野生種ではなく、一重咲きの種だったそうです。今では、「万重咲き」といわれるほど数多くの花びらが重なっています。この花は、球根で殖やすのですが、乾燥した球根に急激に水を吸わせると腐ることがあり、乾燥したまま植えると発芽しないことが多いといわれています。実生系品種の場合は種まきもできるそうですが、花びらが幾重にもなっている豪華な種では、種子を作る能力をなくしてしまっているのだそうで、自らの力では新しい子孫を残してはいけないそうですが、改良でそうなってしまったというのは、何か悲しいですね。
 もうひとつ、園を飾る鉢植えで、名前の難しい花を紹介します。「ディモルフォセカ」という花です。
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この名前は、種に2種類の形があるため、ギリシャ語の「ディモルフォス」という「2つの形」に、「セカ」という「箱」を足したもので、「2つの形の果実」を意味しています。キク科というだけあって、菊のような光沢のある花弁と、その真ん中に黒みがかったリングがあり、アクセントを付けています。この光沢のある花びらが、光に当たって輝いて見えるため、太陽の下がよく似合う花です。南アフリカのケープ地方原産で、18世紀後半にヨーロッパに紹介されたために、イギリス名は、ケープマリーゴールドといって、ケープという言葉が入っています。寒さにも強い1年草ですが、寒さに強いというのは、この花は一度開いても夜の間や雨の日、曇った日には閉じてしまい、この知恵を持っているからかもしれません。
この一年草種あるいは黄色やオレンジ系の花をディモルフォセカと呼ぶのに対して、この花によく似ているのですが、多年草種あるいは桃~赤系の花は、「オステオスペルマム」といいます。
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この花の名前の語源は、ギリシャ語の「オステオン」という「骨」に、「スペルマム」という「種子」という言葉が合わさってできています。このオステオスペルマムには黄色い色の花を咲かせる品種もあるのですが、多くは白、ピンク、赤紫です。この花も、花心にはやはり黒みがかったリングがあります。
 今、職員玄関を飾っている春の花の鉢植えを見るたびに、屋外でさくらの花から感じる春を感じることができました。

投稿者 fujimori : 17:43 | コメント (5)

2010年03月28日 近頃思うこと

春の色

 まだまだ寒い日が続きますが、日本は確実に春に向かっています。春というと何色をイメージするでしょうか?色は、何かにたとえて名前が付いていることが多いようです。動物の色、植物の色、自然の色などです。ただ、肌色のようにそのもののイメージが付いてしまうことから差別的な要素を持つことがあるものは注意を要しますが、具体的なもので表現すると、その色のイメージがつきやすくなります。その色名の中で、長い歴史のなかで生まれ育まれてきた日本の伝統色があります。その色は、主に草木から染め出したもので、その美しい色合いは日本の風土とも合いしっとりと落ち着きがあります。しかし、日本の色といってもやはり身近な動物や植物から採った名前が多く、そのほかに、染め材料をそのまま色の名前にしたものなどがあります。その色の歴史もさまざまで、万葉の昔から使われてきた名前もあれば、江戸の文化と共に生まれた名前、明治以降に化学染料が主流になってから付けられた名前などがあります。
 いろいろな色がある中で、春をイメージするものは、春という季節を感じるものですが、春といえばやはり「桜」でしょう。やはり「桜色」(さくらいろ)という日本の色名があります。この色は、桜といってもソメイヨシノなどの、日本産桜の園芸種の花弁に見られる淡紅色をいます。ソメイヨシノといえば、昨年のブログで紹介しましたが、江戸末期から明治初期に、江戸の染井村に集落を作っていた造園師や植木職人達によって育成された品種です。この染井村は、今の豊島区駒込です。それまで、花見と言って桜の花を愛でていたのは、ヤマザクラでした。ヤマザクラの幼葉は赤みがかっているために、遠目には、花が赤っぽいように見えますが、一般的には白色です。ですから、淡紅色をあらわす桜色という色は、意外と新しいのです。
そのほかにも「桜」が付く色がいくつもあります。「薄桜」は、よく着物や帯などの色に使われます。「桜鼠」は、桜色の灰みがかった色を言います。明度の高いソフトな感じを「灰桜」と言い、明度が低くなると「桜鼠」と言います。桜と同じ時期に花が咲き、もう少し赤い色の花をつけるものに「桃」があります。この桃の花の色に似た淡い紅花染の色を「桃色」と言います。根も色は、「桃花色」とも言います。そのほかに、赤系統の中の色で、花の名前にちなんだものも多くあります。「梅」にちなんだものとしては、「紅梅色」は、淡い藍の下染めに紅花を上掛けした、紅梅の花の色に似て、かすかに紫色を含む淡い紅の色を言います。「薄紅梅」という、もう少し薄い色を指す名前もあります。「栗梅」は、栗色がかった濃い赤茶色を言います。この栗梅に似たような色に「栗皮茶」がありますが、これは「栗梅」よりすこし黄味が強い茶色です。「梅染」は、梅屋渋(梅木の煎汁に榛皮の煎汁を加えたもの)で浅く染めた赤味の淡茶色を言います。「梅茶」は、梅と茶の中間色を指します。「梅鼠」は、「四十八茶百鼠」とも言いますが、梅のように赤味がかった薄い鼠色を言い、この色の名のように、江戸後期から明治にかけて各種鼠を名とする色が現れました。「牡丹鼠」は、牡丹のような赤みのある鼠色を言いますし、「藤鼠」は、淡い藤色がかった鼠色を言います。
「撫子色」「躑躅色」「牡丹色」「薔薇色」「女郎花」「山吹色」「菜の花色」などいろいろな名前を見ていると、花の美しさを、何とか表現しようとその花の色を真似して作ったことがしのばれます。そして、その色は、とても繊細で、日本人好みの感じがします。

投稿者 fujimori : 23:26 | コメント (4)

2010年03月27日 近頃思うこと

共有

 「リンク」というと、何を思いだすでしょうか。先日、イタリア・トリノで行われているフィギュアスケート世界選手権で、高橋大輔が日本男子初となる世界王者の座につきました。彼が滑ったのは、スケートリンクです。しかし、もともとこの「リンク」は、英語ですので、日本人には区別が難しいのですが、スケートリンクの「リンク」は「r」で始まるrink単語ですが、もうひとつ「l」で始まる「link」という単語があります。この意味は、「連結すること、繋がりの意味」で、最近はこの単語をよく見ることがあります。
そのリンクは、IT上でよくつかわれる単語で、「文書内に埋め込まれた、他の文書や画像などの位置情報」のことをいいます。かえって難しくなります。よく、文章内で、「参照1」とか書かれてあって、別なところにその参照する文章なり図が示されることがありますが、その参照するものがIT上の別のホームページであるということです。また、ITでは、文章のことをテキストと言いますが、複数のテキストを相互に関連付けたり、結びつけるというリンクをはることを「ハイパーテキスト」と言います。これは、「テキストを超える」という意味です。そして、ハイパーリンクを用いて複数の文書、および関連する画像などのオブジェクトを関連付けたシステムをハイパーテキストといいます。最も有名なハイパーテキストは、World Wide Webというもので、WWWと書かれているもので、Webブラウザで文書を表示し、リンクのある場所をマウスでクリックすると、関連づけられたリンク先にジャンプするようになっています。
しかし、ハイパーリンクを貼るにはリンク先のサイト管理者に対して許可を取るべきだというモラルがあります。それに対して、ウェブサイトにおいて、断り無しでリンクして構いませんよという意味を表す言葉として「リンクフリー」ということがありますが、これは、和製英語で、日本のインターネット社会で作られ、日本でのみ通じる概念だそうです。海外では、一般的にはハイパーテキストによる情報の結合・情報資源は共有するものだという理念があります。
今日、私の息子から突然と携帯電話にメールが来ました。その内容は、「時間があったのでフリー百科事典の「ウィキペディア(Wikipedia)」で「卵かけご飯」という項目を見ていたら、外部リンクの項目にお父さんのブログ臥竜塾が載っていたよ」というものでした。私には許可の承諾可否の問い合わせがありませんでしたが、私も情報は共有するべきだと思っています。
共有というと、今日の中日新聞でおもしろい記事を見つけました。消費低迷で住宅市況が冷え込む中、ある建設会社がが、こどもの人間形成に役立つとされる「子育て住宅」で業績を伸ばしているという記事です。この住宅は、静岡大教育学部の外山知徳名誉教授と共同研究を進め、子育てに必要な居住環境の条件を盛り込んだ住宅のようです。外山名誉教授は、住居のあり方がこどもの人間形成に大きな影響を与えると提言し、こどもの成長に適切な住居について研究を重ねてきました。その研究を住宅に取り入れ、リビングやダイニングとは異なる「第3の空間」を提案しているのです。例えば、親子で共有できる場として、階段の踊り場にいすなどを設置することによって、空間を親子で自由自在に使うことができ、「コミュニケーションづくりにつながる効果もある」と会社の社長さんは言っています。この会社では、昨年、一般住宅の新規住宅着工件数は72件あったのが、今年はさらに20件増の92件になり、このうち、30件が子育て住宅を導入しているそうです。明らかにこの「子育て住宅」の影響のようです。
保育室は、そのあり方が子どもの人間形成に大きな影響を与えます。

投稿者 fujimori : 23:19 | コメント (3)

2010年03月26日 近頃思うこと

人望

「目は口ほどのものをいう」ではありませんが、目には大きな力があることは、漢字の成り立ちを見てもわかります。先日のブログで「省」の言う漢字が「目」に関係していることを紹介しましたが、共同通信編集委員の小山鉄郎さんは、古代中国にあった「望」の文化について紹介しています。
字統によると、「大きな目をあげて、先方を仰ぎ見る人の形」とあります。小山さんによると、「望」の古代文字は、つま先で立つ人を横から見た姿の上に「臣」をかいたものだそうです。「望」の異字体には「亡」の部分が「臣」になったものもあるようです。「臣」も「目」を表す文字だからです。「臣」の古代文字は、「目」を立てたような形をしていますが、「臣」は大きな瞳を表す漢字です。古代中国では神に仕える人は瞳をわざと傷つけて視力を失った人がいました。そうやって神に仕える人が「臣」というわけです。後に君主に使える「おみ」「けらい」の意味になりました。その「臣」には、才能を持った賢い人たちがいました。それが「賢」です。「賢」の上部は「臣」に「又(また)」を加えた字形ですが、この「又」は「手」のことで、それに「臣」という瞳を表す文字があることから、大きな瞳(臣)に手(又)を入れて、瞳を手で傷つけている姿です。そうやって瞳の視力を失い、神に仕えた人が「臣」です。
 「望」は、つま先立って遠くを望み見る人ですが、この「望」にも呪いのような力が表現されています。古代の日本でも、天皇が高い所に登り、国土を望む国見の儀礼があったそうです。農業の豊作を祈る儀式ですが、目で見ることの占いの力が信じられていました。 つま先立って大きな瞳で遠方を望み見ることは、「目」の呪術的な力で敵を抑えこみ、服従させる行為だったそうです。そこから「のぞむ」という意味になったのです。さらに「ねがう」という意味にもなりました。
 「学問のすすめ」の最後の編には、「人望論」というタイトルが付いています。福沢は、「十人の見るところ、百人の指すところにて、「何某は慥かなる人なり、たのもしき人物なり、この始末を託しても必ず間違いなからん、この仕事を任しても必ず成就することならん」と、あらかじめその人柄を当てにして世上一般より望みをかけらるる人を称して、人望を得る人物という。」と言っています。十人がおなじひとを見ていて、百人がおなじひとを指差していいます。「だれそれはたしかな人物だ。たのもしい人物だ。この始末をたのんでも、かならずまちがいはないだろう。この仕事をまかせても、かならずこなすだろう」と。このように世間から期待をかけられるひとのことを、人望のある人物であると言っています。
しかし、人望はただ力量で得られるものではないと言っています。そのひとの活発な才能、知恵、そして正直な心が、人望を積んでいくからです。それなのに、福沢は「世の中はその反対の状況をみることがおおいようだ」と嘆いています。例として、こんなことを挙げています。「ヤブ医者が玄関ばかりを広くしてさかんに名を売り、薬を売るものが看板を盾に商品を売りさばき、山師の帳場に意味のない金の箱をおき、学者の書斎には読めない外国の本をかざり、人力車にのっている上で新聞を読んでおきながら家に帰れば夕方に眠気をおぼえ、日曜日の午後に礼拝堂で泣くくせに月曜日の朝に夫婦喧嘩するものもいるのです。」
「活発な才能」「知恵」「正直な心」を持ちたいものです。

投稿者 fujimori : 22:37 | コメント (4)

2010年03月25日 近頃思うこと

人にして

昨日、今日の東京はとても肌寒いのですが、数日前に、気象庁は、東京でサクラ(ソメイヨシノ)が開花したと宣言しました。この時期は、平年より6日早く、昨年よりは1日遅いそうです。毎年、異常気象と言われながら、ちゃんと春が来て、桜が咲きます。このような四季の移ろいを感じるにつけてもつくづく日本はいい国だと思います。また、最近、園で赤ちゃんを見ていると、人間の不思議さと、人間の素晴らしさを感じます。私たちは、日本に住んでいる人間であること、そして、人間同士で社会を作って生きていることなどをもう一度見直すと、いろいろなことが見えてくることがあります。福沢諭吉の「学問のすすめ」の最後の編である「十七編」の最後にはここ書かれてあります。
「人類多しと雖ども鬼にも非ず蛇にも非ず、殊更に我を害せんとする悪敵はなきものなり。恐れ憚るところなく、心事を丸出にして颯々と応接すべし。故に交わりを広くするの要はこの心事を成る丈け沢山にして、多芸多能一色に偏せず、様々の方向に由って人に接するに在り。或いは学問をもって接し、或いは商売に由って交わり、或いは書画の友あり、或いは碁将棋の相手あり、凡そ遊冶放蕩の悪事に非ざるより以上の事なれば、友を会するの方便たらざるものなし。或いは極めて芸能なき者ならば共に会食するもよし、茶を飲むもよし、なお下がりて筋骨の丈夫なる者は腕押し、枕引き、足角力も一席の興として交際の一助たるべし。腕押しと学問とは道同じからずして相与に謀るべからざるようなれども、世界の土地は広く人間の交際は繁多にして、三、五尾の鮒が井中に日月を消するとは少しく趣を異にするものなり。人にして人を毛嫌いするなかれ。」
 一時期、「モンスターペアレント」などという言葉が使われたことがありましたが、この文章の最初ではありませんが、親は怪物ではありません。ほとんどの親は、子どものことを思って一生懸命だということを信じる事が必要です。ただ、その思いを表現しようとすると、苦情なりクレームになってしまうということが多いようです。「心事を丸出しにして颯々と応接すべし」ということを、今の時代こそ見直すべきでしょう。
また、人にはそれぞれ得意なこと、すぐれているところがあり、それらを含めて社会なのです。本書の最後は「人にして人を毛嫌いするなかれ」という文でしめくくっています。自分も人間ですから、人間を毛嫌いするべきではないと言っています。そこでは、他人と積極的に交際し、知見を広めて、この社会全体を良くしていこうとする心構えが「学問」であるとでも言いたいのでしょうか。「学問」をもって、人としてのありかた、人と人のつながりである人間関係、人とのコミュニケーション能力、社会のありかた、国のありかたなどが一体となった社会を作っていこうということです。
人との関係性を作るためには、関心をさまざまに持ち、いろいろなことを経験し、多方面で人と接することが必要になってきます。「世界の土地は広く人間の交際は繁多」です。もっともっと視野を広くし、人とのつながりを深め、人それぞれを認め合う社会を目指さないといけないのです。「学問のすすめ」の最後がこのような結論になることをもっと知る必要があるように思いました。

投稿者 fujimori : 23:43 | コメント (4)

2010年03月24日 近頃思うこと

空間利用

人間は、非常に大きな集団の中で折り合いをつけて生きてきたといわれています。このような大きな集団の中だと、子供達はいろいろな人に囲まれて育ちます。その子供たちは独り立ちするまで数年かかりますので、非常に多くの人と出会っていたことでしょう。Sの集団の中での単位として、大昔から家族という単位が存在していたでしょう。その家族の中で、父親、母親という役割もその頃からすでにあっただろうと考えられますし、母親だけでなく父親もずっと子供と一緒にいて、子育てに関わってきただろうと考えられています。また、ひとつひとつの家族がバラバラに暮らしているのではなくて、洞窟などの中で入り混じって生活していたと考えられています。父親かおり母親かいて、しかもその周りには、祖父、祖母、おじ、おばなど、ほかの家族がたくさんいたでしょうし、そういう中で子供達はほかの人々のやっている事を観察し、学習しつつ、育っていったのではないだろうかと考えられています。
そのさまざまな人が集団で暮らしていた洞窟の中の生活で、旧石器時代の西アジアではすでに目的別に空間が使い分けられていたらしいということが「Science」の昨年暮れの号で取り上げられていました。そこには、古代人の空間利用の様子を見ることができます。この様子が見つかったのは、イスラエルの「ゲシャー・ベノト・ヤーコブ遺跡」という約75万年前の旧石器時代の遺跡においてです。この遺跡からは,最古の炉址という、住居内で火を使った跡がみつかったことで知られています。今回、イスラエルのヘブライ大学のアルパーソン・アフィル博士らは、ゲシャー・ベノト・ヤーコブ遺跡の炉址と発掘された石器などの分布状況を分析した結果,遺跡は主に二つの区画に分かれていたことがわかったのです。
炉址のまわりでは、加熱処理された石器や、調理されたらしい魚、カニ,ナッツ類などが多く出土しました。一方、炉址からはなれたところには、加熱されていない石器が集中し、切りきざまれたと考えられる食物もみつかったということです。これは、博士らによれば、目的別に使われる区画が分かれていたことを示す証拠だといっています。今後、それぞれの区画でどのような社会的集団が作業を行っていたのか検討する必要があると博士らはのべています。
住まいづくりを始めるときは、まず「全体像」を描くことが大切です。住まいの性格を決めるのは、全体的な構成です。これをゾーニングといいます。もともとゾーニングとは、都市計画や建築プランなどで、関連のある機能や用途をまとめていくつかのゾーンに分け、それぞれに必要な空間の大きさを考慮し、相互の関係を考え、位置関係を決める作業のことです。簡単に言うと、ゾーニングとは、機能や用途などを考えて空間を分けて配置することです。各々のゾーンのつながりや動線なども考慮し、使いやすい間取りを考える時に使われる手法ですが、これは、必ずしも平面的な配置だけを指すわけではありません。建物の上下階にわたって垂直に空間を配置していくこともバーチカルゾーニングというゾーニングです。それに対して、水平的に空間の配置を行うことをフロアゾーニングといいます。
古代人でも、住まいにおけるゾーニングをしていたようです。ゾーニングは、住まいの性格を決める大切なことですが、保育室もゾーニングの必要があると思います。

投稿者 fujimori : 22:51 | コメント (4)

2010年03月22日 近頃思うこと

航空会社

 先日、「国内最後の民間空港」と言われる茨城空港が開港しました。この新規開港は昨年6月の静岡空港以来で、国内98番目の空港となるそうです。ずいぶんとたくさんの空港があるのですね。茨城空港の本体事業費は約220億円で、このうち茨城県の負担額は約73億円だそうです。これだけかけて、羽田空港の発着枠拡大の影響や航空業界の業績不振などで、就航誘致は難航しているようです。多く就航していても、空港は採算が合うようになるのには、よほどのことがないとだめなようです。また、JALの再建計画が行われていますが、航空会社も経営が難しいようです。
 私は、ここ数年、ドイツのミュンヘンに行っているのですが、ずいぶんと昔に、ドイツに行ったときは途中モスクワで給油し、イギリスについて、そこで乗り継ぎをしてフランクフルトまで行き、そこから列車に乗ってミュンヘンに行きました。家を出てから、ドイツの宿に入るまでちょうど24時間くらいかかった覚えがあります。それが、フランクフルトまで直行するようになり、