2010年03月12日 [近頃思うこと]
生
平成17年度児童生徒の食生活等実態調査報告書によると、子どもの好きな料理は、1位が寿司、カレーライス・ハヤシライス、ステーキ、ラーメン、ピザでした。また、NHK放送文化研究所世論調査部による日本人の好きな料理では、寿司や刺身、ラーメン、みそ汁、焼き魚、焼き肉、カレーライスでした。ある資料によると、昭和30年代の子どもの好きな料理はおむすび、スパゲッチー、コロッケ、おでんなどでした。
これらのデータを見るまでもなく、今の子どもは寿司や刺身が好きなようです。逆に、この寿司や刺身は嫌いな料理にも入っています。どちらにしても話題になるほどなじみのある寿司や刺身の代表がマグロですが、この中のクロマグロについて、日本は窮地に立たされています。それは、欧州連合(EU)は12日、エネルギー担当相理事会を開き、モナコが提案した大西洋・地中海産クロマグロの国際取引禁止案を支持する方針を正式決定したからです。EUのほか米国、スイスなども支持を表明しており、13日からカタール・ドーハで開かれるワシントン条約締約国会議で採決される予定ですが、その阻止は、厳しそうです。
私も寿司や刺身は好きですが、私の子どもの頃は、寿司や刺身など、生の魚はあまり食べなかったように思います。ほとんどは煮魚で、たまに鯵などのフライや、タイなどの焼き魚、魚の佃煮でした。寿司も、食べたのですが、それは上等な客が来たときに相伴に預かるくらいでした。そんな高級なイメージの食べ物が、子どもの好きな食べ物にあがったときには少しびっくりしました。子どもなのにずいぶん贅沢だと思ったものでした。しかし、それは、寿司が回転寿司の登場で庶民の食べ物になったからでしょう。それと、生の魚の保存が可能になったからでしょう。
もちろん、大昔、人間は新鮮な獣や鳥の肉・魚肉を切り取って生のまま食べていたでしょう。しかし、当然、それは新鮮なうちに食べることのできる地域に限られていたはずです。ですから、魚を生で食べていたのは、海辺では海の魚、山では川の魚や鯉などを食べていたでしょう。また、お刺身と言いますが、この呼び方は一般的に関東地方で使われて、関西地方では「お作り」と言うことが多いようです。
刺身の中では、関東地方ではマグロなどの赤身の魚が好まれ、関西地方では鯛などの白身の魚が好まれる傾向があるようです。また、マグロの刺身を食べるのは、世界中の中では圧倒的に日本人が多いようです。なんでそんなに日本人はマグロが好きかというと、それは、私が思うには、日本は醤油文化だからのような気がします。マグロの刺身と、醤油は抜群の相性です。刺身の原形は鎌倉時代に始まったといわれていますが、その頃はまだ醤油がなかったため、なますにして食べたり、ワサビ酢やショウガ酢で食べていました。なますとは、現在では正月などによく食べる大根やにんじんなどを細長く切り酢で味付けしたものをさしますが、もともとは、生魚を細く切り刻み、酢で味付けする調理法でした。どちらにしても、酢がベースでした。それが、室町時代に入り、醤油が誕生しましたが、まだまだ高級品であったため、刺身は身分の高い人々しか食べる事のできない高級な料理でした。一般庶民に刺身料理が広まったのは、醤油が庶民にも普及した江戸時代の末期からです。また、明治・大正の頃は今と逆で、赤身を高級店、値打の無い脂身(トロ)は屋台店などで売っていました。
マグロを捕ってはいけないことになると、もちろん漁師さんなどそれで生計を立てている人は困るでしょうが、私たちは、マグロ、特にトロを食べることができなくなるとどうしようと思ってしまいますが、環境や、その種を守るためには、それほど頻繁にマグロを食べなくてもいいのかもしれません。
投稿者 fujimori : 22:37 | コメント (0)
2010年03月11日 [近頃思うこと]
協働
最近、私は人の遺伝子は社会を形成するために様々なものが組み込まれている気がしています。それは、現在、人間が持っている特性を見ても、集団を形成することに適しています。そして、その集団は、競うためにあるのではなく、共生し、協力するために必要だったはずです。しかし、いつもの間にか、競争社会と言われ、人に勝つこと、人より抜きんでることが目標になり、そうなることによって一つの価値観での競争になっていっています。人それぞれがいて社会なはずが、同じようなことを全員一斉にやり、その中で競争させられています。もう一度、それぞれの役割の中で、協力したり、協働していく社会をつくらないといけない気がします。
昨日紹介した記事の中で、フィンランドに留学した庄井氏がその時の体験を話しています。「1990年代の終わりごろ、フィンランドに留学した。現地で思い出すのは、保育園で行われていた昔語りだ。テンションを上げる必要はない。話は静かに始まり、子供たちも静かに集まって車座になる。各家庭でも、子供が思春期になるまで、ベッドサイドで親が読み語りをするのが普通だ。この国では、物語を語る人と聞く人との間に、私たちが忘れかけていた原風景がある。人が語る言葉にはそれぞれに人生の重みがある。語り合うことで、人と人との知恵が重なり、新しい物を生み出す力が発揮される。これが、教育大国フィンランドの社会的土台にある、人と人とのコラボレーション(協働)だと、私は考えている。」
このようにフィンランドでは、子供と親が、子供と教師が、そして子供たち同士が対話し、「ともに学び合う」ことをとても大切にしているそうです。そして、フィンランドの子供は、競争で人に勝つといったことに余計なエネルギーを使いません。「3か月前と比べてここは伸びてきた」「ここは持ち味だから頑張ろう」「ここは苦手だけど先生が応援してくれるから頑張ろう」。それぞれが自分の人生を豊かにするために学んでいるのです。
先日、私の園が行った「成長展」は、「今、子どもがどんな作品を作れるか」ではなく、「どんな作品が作れるようになってきたか」というように、子どもの姿をデジタルで見せるのではなく、アナログで見せようという試みです。また、一人ひとりの違いを大切にするような展示を心がけています。どうしても親は他の子と比べたがるのですが、この成長展では、わが子の成長を確認するために、それをクイズ形式にして見ていくようにします。ある保護者が私の姿を見つけると、「私は、とても優秀な成績でした。」と自慢してきたので、「おかあさんは、よく子どもを見ているからですね」と喜んであげました。
庄井氏は、インタビューに「フィンランドの高校生に一番人気の職業は、医者でも弁護士でもなく教師だ。教育系の大学の入学者は、長い面接と集団討論を経て、選抜される。採用に当たっても、総合的な力が重視される。困難にぶつかった時に一人で抱え込まず、共同で解決する力もその一つだ。日本で教師が困難にぶつかったら、教師の自己責任になる。教師はなるべく問題が起こらないように振る舞い、子供たちもなるべく間違わないよう、いつも成功するよう、という空気を感じて生きている。これでは子供の隠された能力が発揮できない。」と答えています。
フィンランドの子どもたちは、失敗しても、その子を責めることはせず、つまずいても失敗しても、それが人間の生きる姿だとおおらかに認めながら、人と人が頭を寄せ合って事を解決していきます。日本では、今、学力レベルは低く、いじめ、不登校も多いなかで根本的な改革が求められています。
投稿者 fujimori : 23:33 | コメント (1)
2010年03月10日 [近頃思うこと]
内的
フィンランドの「キッズスキル」という手法をいくつか紹介しましたが、また、どこかで残りのステップが紹介できたらと思っています。このように、フィンランドの取り組みはとても参考になることが多いのですが、それだけではなく、その取り組みから、子どもたちにどんな力をつけていくのか、そのためにどんな教育方法がとられているのかという点でとても参考になることが多くあります。

読売新聞より
そのひとつに、「起業家精神教育」というものがあります。それについて、昨年の夏ころに、第15回「よみうりほっと茶論」の中で、東海大国際文化学部教授の川崎一彦さんと北海道教育大教授の庄井良信さんが、紹介していました。
今や、世界の中では、製造業では中国が大躍進をし、いわゆる先進国は製造業から「知業」へ移行しています。知業とはソフトや情報、デザイン、ブランドなどの知的財産を生み出す産業です。この発想の転換に日本は乗り遅れている感があります。フィンランドでは90年代前半に当時最大の貿易相手国だった旧ソ連が崩壊し、不況に陥りました。しかし、90年代後半には、戦後最大の経済成長を遂げたのです。それは、一言で言えば、知業化が進んだためであり、そのための教育をしてきたからだと言われています。そのための教育のひとつが「起業家精神教育」なのです。
フィンランドでは80年代から、起業家精神を「外的」「内的」の二つに分けて考えるようになったそうです。外的起業家精神とは物やサービスの提供で付加価値を創造することで、いわゆる日本でよく言われるような起業家精神というものです。それに対して、内的起業家精神とは、創造性や自信、柔軟性、活動、勇気、イニシアチブ、リスク管理、協調性など、起業家としての資質を言います。この内的起業家精神をつけていこうという教育です。その教育は、フィンランドでは、「大企業に勤めようが公務員であろうが、必要になる」と早くから考えられていて、教育省も就学前の早い段階からこの精神を学ばせる必要性を認識していたと言われています。
今、世界では乳幼児教育が、教育では最優先に考えられはじめていますが、この取り組みも幼児教育の一環として取り組まれています。川崎教授の話では、東海大付属の小中高校では、このフィンランドモデルの教育を実践しているそうです。具体的には、中学生にオリジナルの札幌ツアーを企画させたり、自分たちの校舎の新しいデザインを考えさせたり、付属幼稚園では車を作るプロジェクトをさせたりもしました。この試みは、創造的で勇気があって、目的意識が明確で、協調的で根気強く、ほかの子とうまくやっていける――そんな子供を育てることを目指していると言います。
この「内的起業家精神教育」は北欧諸国に共通したものかどうかというインタビューに対して、川崎氏は、「この言葉は1980年代にフィンランドで初めて使われ始めた。90年代にはスウェーデンなどにも広がり、一般的に使われている。フィンランド以外の国は、まだ結果を立証できる段階になく、PISAの順位表の上位には現れていない。しかし、保育園から大学までスウェーデンで教育を受けた私の子供を見ていても、日本に比べ、向こうでは「考えさせる教育」が行われている。」と答えています。
これからの学力が「コミュニケーション能力」「問題解決能力」のほかに、「創造性」「自信」「柔軟性」「活動」「勇気」「イニシアチブ」「リスク管理」「協調性」などが必要になってくるでしょう。
投稿者 fujimori : 22:53 | コメント (2)
2010年03月09日 [近頃思うこと]
試験科目
保育園で保育者になるのは「保育士」という資格が必要です。この資格は、養成校を卒業すればとれるのですが、もうひとつは、受験資格がある程度必要ですが、「保育士試験」に合格すれば資格が与えられます。今年の受験の手引き(受験申請書)請求の受け付け、申し込みの発送開始がもうすぐ4月1日から行われます。試験は、筆記試験が8月7日(土)・8日(日)で、試験科目は、「社会福祉」「児童福祉」「発達心理学及び精神保健」「小児保健」「小児栄養」「保育原理」「教育原理及び養護原理」「保育実習理論」の8科目です。試験内容を見ると、保育士に求められているものがどんなものなのかがわかりますが、実際に現場にいると、それって、必要かな?と思ってしまうものも多くあります。それは、実際に現場で働いていいる保育士さんに、この問題をやらせてみたらわかると思いますが、ほとんど落ちるでしょうね。というと悪いのですが、少なくとも、私は確実に落ちるでしょう。基礎的知識は必要だと思うのですが、それは、日々の中で実感していき、深まっていくものでなければならないはずです。私だったら、今学力として求められているような「コミュニケーション力」とか「問題解決能力」とか「柔軟性」とか「チームワーク力」などを試したいですね。しかし、実際に私の園の採用テストは、「早い順」です。
また、実技試験が10月10日(日)に予定されていまが、この実技の内容も、時代によって変わってきています。それは、子どもに対して必要な実技が変わってきているからでしょう。かつては、保育者というと、すぐに「ピアノが弾ける」と同じイメージですが、現場では、ギターが弾ける方が様々な場所で子どもたちが歌うことができ、また、先生も入って円形になって座って、歌を歌おうとすればギターのほうがいいような気がします。また、音楽だけでなく、保育には様々な経験を子どもにさせますので、何か得意なものがある保育者集団のほうがいいような気がします。
そんなわけで、今は、音楽・絵画制作・言語から2分野を選択することになっています。「音楽」では、課題曲が2曲事前に出され、その両方を幼児に歌って聴かせることを想定して、弾き歌いすることになっています。しかし、楽譜は持込んでもいいことになっていますし、ピアノ、ギター、アコーディオンのいずれかで演奏してもいいことになっています。「絵画制作」では、「保育所(園)での子どもたちと保育士との活動の一場面を表現する」のですが、表現に関する条件は試験の当日に提示します。その課題に沿って、鉛筆またはシャープペンシル(HB~2B)、色鉛筆(12~24色)、消しゴムを使って45分で描きます。「言語」では、各自あらかじめ用意した童話等を、自分の前にいる20人程度の3歳児クラスの幼児に集中して話を聞かせる時間という想定のもとに3分以内にまとめて口演することになっています。題材は、自作・他作を問わず、童話・神話・民話・伝説・昔話等自由です。
ギターでも受けられるようになったので少しはいいのですが、何となく男性には不利のような気がします。私だったら、「子どもたちに理念を伝えながら、笑い転げるような映画10分ものを作りなさい」という問題だったら、もっと、保育が楽しくなるのにと思ってしまいます。私の園で、男性保育者が中心になって笑い転げるような映画を作って、それがうわさで話題になっています。
投稿者 fujimori : 21:22 | コメント (3)
2010年03月07日 [近頃思うこと]
新しい学校の提案
子どもたちの身に起きる不幸な出来事を聞くにつけ、世界の教育を知るにつけて、なんて日本の教育は遅れているのかと嘆きたくなります。しかし、これだけ情報が豊かで、世界が近くなっている今、国は世界の教育の動向を知らないはずはありません。当然、研究者たちも世界の教育を研究しているはずです。しかし、どうして変わっていかないのでしょうか。私も、幼児教育では世界の流れの中では当然と思われること、ただ、子ども主体に考えようと提案するだけであって、何も革命を起こそうというわけでもないのですが、なぜか、抵抗にあうことがあります。現実に毎日子どもたちが壁にぶち当たっている状況を見聞きしても、なかなか変えようとしません。
全国の小学校・中学校において、今年から新しい学習指導要領の一部が先行実施され、21 世紀を生きる子どもたちのための学校教育が始められています。それは、今の時代に対しての課題が盛り込まれています。地球温暖化対策をはじめとする環境配慮、学校、家庭、地域の連携が重視され、その課題に向けて、学校施設の整備に当たって、学習活動円滑化や環境配慮、地域との連携といった機能を高める工夫が問われています。このような新たな時代の学校教育等に対応するため、既成の学校施設の形態の枠にとらわれず、実情に応じ、柔軟な発想を含めた検討が有効であると文部科学省では考えています。そこで、これまで実際に整備された学校の中から、新しい工夫があり他の学校にも参考になると思われる施設的な提案について、情報提供をすることとし、小中学校の施設を新増改築、あるいは大規模な改修をするときに、関係者にとって参考になると思われる30 のアイディアを集め、提案しています。
「小学校学習指導要領解説 総則編」(平成20 年6 月)では、21 世紀の教育の考え方について、知識基盤社会化やグローバル化は、アイディアなど知識そのものや人材をめぐる国際競争を加速させる一方で、異なる文化や文明との共存や国際協力の必要性を増大させている状況において、確かな学力、豊かな心、健やかな体の調和を重視する「生きる力」をはぐくむことがますます重要になっていると解説しています。そのための教育目標のための空間を提案しています。
確かな学力の確立に向けた対応では、児童生徒の自主的な学習活動を支える空間や観察・実験、体験活動の充実のための空間、児童生徒の表現力をはぐくむ活動を支える空間が提案されています。また、豊かな心を育成するための施設づくりとして、児童生徒同士の交流を生む空間や豊かな芸術空間などが提案されています。健やかな体をはぐくむ施設づくりでは、日常的な体力づくりや食育の充実のための空間などが提案されています。
具体的には、普通教室は、設えや学習活動に配慮した余裕のある大きさとし、ICTを導入したり作り付け家具を工夫したりすることなどにより、多様な学習が可能となるように計画するものや、学習集団の規模や机の配列の形態が変わるような場合にも対応できることを提案しています。また、複数のクラスでフロアをのびやかに使うことで、多様な学びを支える教室まわりとして、同学年あるいは、低学年、中学年、高学年ごとに、普通教室+多目的スペース(少人数指導のためのスペースを含む)など学年段階に応じたユニットの空間構成とすることで、総合的な学習の時間における調べ学習や習熟度に応じた学習、またティーム・ティーチングなどを効率的に展開することができるとしています。
このような、新しい提案が、身近な学校で行われるようになるのは、いつのことでしょうね。
投稿者 fujimori : 21:17 | コメント (6)
2010年03月06日 [近頃思うこと]
スキル2
フィンランド式キッズスキルは、親子で問題解決能力をつけようというというものです。その書籍の帯封にはこう書かれてあります。「子どもの問題解決能力を高められる。子どもに“ダメ”と言わずに問題を解決できる。子どもの責任感、社会的スキルを高められる。」
これらの能力は、子どもがぶち当たっている壁を乗り越えるためのスキルというだけでなく、今、子どもたちに必要だと言われている学力というスキルでもあるのです。ですから、このスキルは、教育で成功しているフィンランドで考えられているのです。
ここでは、15ステップで子どもの問題をスキル学習に変換して解決に導くことをしています。しかし、私は、まずここで言う「スキル」という言葉がはっきりしません。普通に使われるスキルとは、物事を行うための能力であり、スキルを高めるというと、技能を練習して高めるというイメージです。そのスキルという言葉が最近は家庭内での関わり、仕事上での応用が言われてきています。例えば、仕事上では、「ビジネススキル」と言われ、ビジネススキルを向上させるときに欠かせないツールが「コミュニケーション」だと言われています。そのスキルは、相手に情報を伝えるというメッセージを発信するだけでなく、その意図するところ、その哲学までもが相手に伝わってこそ、その意味を成すといわれています。
子どもに起きている問題を解決するために、まず、その問題をスキルが欠如していることに変換しなければなりません。それをスキリングと言います。このスキリングという言葉は、ソリューション・フォーカス・アプローチの概念から生まれたものだそうです。これは、解決思考アプローチと言われているもので、相談者の問題の原因を探り、そこから解決方法を導き出すという「カウンセリング」の手法ではなく、「原因」の探求ではなく、「解決」の探求に焦点を当てています。例えば、子どもが学校で周りの生徒に迷惑をかけるようなことをしてしまったとき、そんな行動をとった「原因」を追求しようとすると、周りの人やその子自身を責める発想へと進んでいってしまいます。そもそもたいていの場合、はっきりと「これが原因」と言いきれることはありません。一方で、「解決」を追求すれば、周りのみんなが協力し、はっきりと具体的な打開策を見出すことができます。
これは、こんな言葉がけでいいようです。「やらないでほしいことではなく、やってほしいことを伝えると子どもは言うことを聞いてくれます。」例えば、「どならない!」と注意するよりも「静かに話しなさい」という注意の仕方がいいと言います。ほかにも、「物を投げるのをやめなさい!」から「自分のものを大切にしなさい」、「キックしない!」から「足は地面につけていなさい」、「食べ物で遊ばないの!」から「行儀よく食べなさい」、「妹をからかわないのよ!」から「妹にやさしくしなさい」というようにするのです。これは、フィンランドの子どもたちに対してのことですから、その年齢までの育ちがどうであるかが影響しますので、日本の子どもたちに効果があるかはわかりませんが、同じようなことを私も提案しています。禁止することは、やってはいけないことは分かりますが、では、どうすればよいかはわかりません。やってほしいことを提案する方が、具体的な行動にすぐに移しやすくなります。また、禁止事項が蓄積されてくると、動けなくなってしまいますが、やってほしいことが蓄積されていくに従って、自分への自信が持てるようになります。そういう意味で、このスキリングのステップは、すでに提案していることと同じですね。
投稿者 fujimori : 21:08 | コメント (4)
2010年03月05日 [近頃思うこと]
タイムアウト
ドイツの幼稚園で見た「けんかコーナー」、アメリカでよく見かける「ピーステーブル」を参考に私の園でも3,4,5歳児の部屋に「ピーステーブル」を作ったところ、けんかを始めた子どもたちは、その場に行って話し合いをしています。そのことを見聞きした他の園でも、自分の園で様々な名前を付けた同様なコーナーを作ったところ、同様に子どもたちは喧嘩をする前にその場に行って、話し合いをするようになっているようです。子どもたちは、環境を用意するだけでも自分たちで解決するようになるのですね。
以前、テレビで見たのですが、アメリカで多動傾向にある子が授業に集中できずに、他の子に対してちょっかいを出したりした時に、先生が「タイムアウト」という声をかけて、その子をその場から去らせ、しばらく一人で落ち着くことをさせていました。けんかなどをして、ハイテンションになっている子どもに対しても、まず落ち着かせることをしないと、言い聞かせても、話合わせてもダメなので「タイムアウト」という方法をとります。それを見て私も他の園で相談を受けた時に、そうするといいかもしれないと助言をしました。また、先生もカーッと頭にきたときには、自ら「タイムアウト!」と言って、少し頭を冷やしてから子どもと向かい合った方がいいという助言もしました。
ブログで書いたことがある「乳幼児の世界展」というイベントの中で、日本のJリーグが発足した年のテーマが「子どもからイエローカードを出されないために」というものでした。イエローカードというのは、悪質な反則や行為を行った選手に対して「警告」を発するときに審判が示すカードのことです。昨日も悲惨な幼児虐待のニュースが流れましたが、子どもが虐待をされそうになった時にそのカードを出すようにと、来場者にはイエローカードをプレゼントしました。この「イエローカード」は、「タイムアウト」と少し似たところがありますね。
昨日のブログで書いた「キッズスキル」の中で、ステップを踏んでいく過程で必要な条件に「タイムアウトできるようにする」というものがあります。この本の中では、「怒っているときは感情のままに発言してしまうので、スキルに変換することを忘れて怒鳴ってしまうこともあるでしょう。親だって人間です。大人の側が感情的になったときにはタイムアウトを取りましょう。怒鳴りそうになったら、“今とても怒っていてちゃんと考えられないから、10分待ってちょうだい。10分したら必ず部屋に戻ってくるから”と言って、部屋を出ます。10分、一人で落ち着く時間を取りましょう。」
ピーステーブルの効果も、そこで話し合うということでそこまで行く間に少し頭が冷やされるからです。これは、「クールダウン」という方法をとることもあります。この本には、このタイムアウトのポイントが書かれてあります。「部屋を出ていく理由を伝える」人間の感情に良い、悪いはありません。怒ること、悲しいことは誰にでもあることです。大人が自分の気持ちを伝えることで、子どもは誰でも起こったりイライラしたりすることがあるのは、普通のことなのだと認識できるからです。「時間を決めて、その時間が経ったら必ず戻ってくることを伝える」突然出ていくと、子どもは見捨てられたと不安になります。時間を設定することで子どもに安心感が生まれます。「もしも子どもに怒鳴ったり、感情的に怒ってしまったりしたら、あとで素直に謝る」大人も間違いをすることがあることがわかり、子どもも自分が間違ったことをしたときに謝れるようになります。
このタイムアウトも保護者でけでなく、保育者も使ってみてはどうでしょうか。
投稿者 fujimori : 23:55 | コメント (4)
2010年03月04日 [近頃思うこと]
スキル
私は、6月にフィンランドの方とシンポジウムをやることになっています。フィンランドと言えば、PISAの学力調査で世界一の学力と評価されてから、世界中から視察や、フィンランドのメソッドを研究する人が増えたようです。しかし、その取り上げられ方は様々です。フィンランドの実践も、幼児教育、学校教育、家庭教育と様々です。私は、別にフィンランドの教育の研究者ではありませんので、どれが正しいのか、何が世界一の学力をつけさせたのかはよくわかりませんが、それぞれの取り組みの中で、私たちに参考になる部分が多いにあることは確かです。
また、子どもの自殺が報じられました。その理由がいじめかどうかははっきりしていませんが、多くの子どもたちがいろいろな壁に直面していることは確かなようです。それは、「いじめ、暴力、不登校など大きな問題になっていなくても、友達関係や担任との相性、苦手科目など、一人ひとりの子どもが何らかの壁を感じながら毎日を過ごしています。そして、それをサポートしたくてもどうしてよいかわからない保護者もまた、同じように悩んでいるのではないでしょうか。」という訳者のあとがきに書かれてある本「フィンランド式キッズスキル」(ベン・ファーマン著 佐俣友佳子訳 ダイヤモンド社発行)も参考になります。
このキッズスキルの良さは、「遊び心」だと言っています。最近、私も保育の質の高さは、「遊び心」ではないかと言っています。この本を読んでいると、他にもずいぶんと私と共通なところがあります。それは、著者のベン・ファーマン博士はあらゆることに興味を抱き、その場その場を最大限楽しむ人であるようです。ここで、また私が提案するキーワード「楽しむ」が出てきます。ただ、この本は基本的には4歳から7歳まで通うフィンランドの小学生の親子向けですが、もっと上の年齢でも、思春期を迎えて子どもや大人までにも使えるようです。私は、読んでいて、最近の保護者の苦情などの保護者対応にも応用できる気がしました。
このキッズスキルには新しい考え方が必要になると言っています。まず、お互いに非難し合う現象である「ブレームストーミング」を避けます。キッズスキルでは、子どもが直面している困難の原因を追及するのに時間を費やすことはしません。その代わり、子どもが何を学ぶ必要があるかに焦点を当てます。誰が悪いとは考えないで、脳から知恵を出し合うという意味の「ブレーンストーミング」に対する言葉としての「ブレームストーミング」はやめようということです。次に、大人が介入するべき対象として子どもを見るのではなく、問題に関するあらゆる話し合い、決断の場に積極的に参加する権利のある、解決へのパートナーとしての子どもを見るのです。「欧米では、子どもに問題があったら専門家に相談し、専門家はその子を検査して医師などの治療につなげるという考えが正しいとされてきました。キッズスキルはこの方法とは別の方法をとります。子どもの解決方法を知っている専門家から、その解決方法を一番必要としている保護者や教員、保育士、そのほか子どもや家族のケアの現場で活躍する人々へと中心を移しているのです。今まで当たり前だった専門家への依存傾向とは真逆です」と書かれてあります。
専門家が判定を下すとか、専門家が解説をしても少しも改善にならず、ただ納得するだけです。最近、私も現場で問題のある子どもに出会ったときに、保護者を含めた自分たちで解決のために最善策を考えることが重要であることを痛感しています。
投稿者 fujimori : 22:12 | コメント (4)
2010年03月03日 [近頃思うこと]
旬
先月から農林水産省では、地産地消に関心を持つ人同士の情報交換を進めたり、連携を深めるための一助となるようにと、メールマガジンを発行しています。その名も「地域の恵みを地域で食べよう!」というものです。その活動は、生産者と消費者の結びつきを強め、農山漁村の六次産業化を後押しする取組です。そのために、各地域で、地場農林水産物の加工・販売や学校給食における地場産物の活用など、様々な取組が行われています。そのひとつとして、今年度までに、食育基本法の食育推進基本計画において、学校給食の地場農産物の利用割合(食材ベース。都道府県平均)を30%以上とするとの目標を定めています。それは、学校給食法の改正(平成20年6月11日成立)により、学校給食において地場農産物の活用に努めることが法律に位置づけられたためです。
この概念はずいぶん古いころから言われていました。1980年代、「農村部の食生活を改善する」ということから始まりました。それは、当時の農村では「ご飯、味噌汁、漬物」を基本形にした食事を取っていたため、栄養の偏りやそれにともなう病気が問題になっていたからです。そこで栄養不足を補う食材として、当時は安価であった国内野菜(とりわけ地元産の野菜)を食生活に取り込もうとする運動が発生したのが「地産地消」という概念の始まりです。しかし、その考え方は、国民には浸透しませんでした。それは、80年代になると、農産物の輸入の自由化が始まり、円高を背景に、ずいぶんと安い農産物が大量に輸入されるようになったからです。
それが2000年代になると、輸送距離を縮めることによるエネルギー消費の抑制しようとする環境問題から、また、食の安全の面から、国内農業の保護の面から、食文化の保護の面からもう一度「地産地消」という考え方が見直されるようになってきました。その言葉が定着するにつれて、その言葉から派生する言葉や概念がずいぶんと出てきました。私もその言葉を使って、「地産地活」という、「地域で生まれ育った人材は、その地域で活躍しよう!」という人材を養成する保育の提案をしています。同じように派生語として「地産他消」、「自産自消」など様々な言葉が生まれています。その中で最近注目されている言葉に、補足説明食料に対する安全志向,生産・流通に費やされるエネルギーへの疑問・批判などから,旬の食材を旬の時期に消費することという意味で、「旬産旬消」という言葉があります。
日経の「時代を読む新語辞典」で、今月初めにこの言葉が取り上げられていました。この「旬産旬消」という考え方は、ハウス栽培におけるエネルギー消費を抑制できるので環境保護に寄与するほか、食文化に季節感を取り戻すこともできると言われています。「地産地消」という考え方は、確かに遠産遠消よりも輸送距離が短くなる分、輸送に必要なエネルギー消費も低減できます。しかし、地元で農産物を作る場合でも「それが旬の時期の生産でない場合」は、ハウス栽培で燃料が余計に必要になるわけですので、単純に近場の農産物を消費するだけでは、環境保護に寄与しない可能性もあるということで、「旬産旬消」という概念が生まれたのです。また、栄養の観点からでも「旬の食材の方がそうでない食材に比べて栄養価が高い」とする研究結果も発表されていますし、「季節感」の復権も期待されています。
今日、読売新聞から食育についての取材を受けましたし、来週には、食育番組の取材を受けます。今日の取材の中で、このような食育ブームが、ひとつのノルマや手順や、ただの目的ではなく、生活の営みの結果であることを忘れてはいけないのではと提案しました。
投稿者 fujimori : 23:04 | コメント (4)
2010年03月02日 [近頃思うこと]
健康か病気か
こんな記事が週刊ダイヤモンドに掲載されていました。「東京慈恵会医科大学の元教授・池田義雄さんは、「一無二少三多主義」を提唱している。喫煙は百害あって一利もないからダメ。食事は少食を心がけ、酒はほどほどに、が二少。体をよく動かし、休養を十分に、多くの人と接して会話を楽しんだり、刺激を受けるが三多である。健康と病気は別々に存在しているのではなく連続性がある。東洋医学では健康から病気になる前の状態を「未病」と呼ぶが、このとき生体の防御力は低下している。暦年齢が高くなるほど生体の防御力は低下し病気になりやすくなるが、体の小さな不調なら休養を取ったり、食生活を整え、ときにはサプリメントの力も借りることで健康感を取り戻せる。」
東洋医学からは、医学だけでなく、人生についてのヒントを得ることができます。前回のブログで「証」という考え方を学びましたが、今回は、「未病」という考え方を学びました。この言葉は2000年前の後漢の時代に、中国最古の医学書とされる「黄帝内経」 にはじめて見られます。「聖人は既病を治すのではなく、未病を治す」とあるように、「病気に向かう状態」の時期を捉えて治すことの出来る人が医療者として最高人(聖人)であると言っているのです。日本では貝原益軒が「養生訓」の中でこのことを言っています。「聖人は未病を治すとは、病いがまだおこらざる時、かねてつつしめば病いなく、もし飲食・色欲などの内慾をこらえず、風・寒・暑・湿の外邪をふせがざれば、其おかす事はすこしなれども、後に病をなす事は大にして久し。」
この考え方は現代医療でも取り入れられ、未病は、「予防医学の原点」と言われています。最近では予防医学への関心がたかまり、大辞林には、「 病気ではないが、健康でもない状態。自覚症状はないが検査結果に異常がある場合と、自覚症状はあるが検査結果に異常がない場合に大別される。骨粗鬆症、肥満など。」と書かれてあります。この二つの考え方は、日本未病システム学会で定義されているものであり、「自覚症状もあり検査でも異常が認められる状態」を病気(既病)と呼んでいます。
自覚症状があって検査結果に異常がないという場合は、たとえば、何となく体がだるい、疲れやすい、体が冷える、頭痛や肩こり、めまい、不眠といった体の不調を感じるというような自覚症状がある場合です。このように、少しでも調子がよくないと感じたら、それは未病の始まりだと言われています。「未病期」は自覚症状のあるなしで「西洋型未病」と「東洋型未病」に分けていますが、今までの治療は、西洋型医療を中心に行われてきたために、自覚症状の有無で病気かどうかを判断してきましたが、ここで未病期という考え方を入れることは重要だと言われてきています。
日本未病システム学会の目的には、「21世紀をむかえ、少子高齢化時代のあり方が大きくクローズアップされる時代になりました。このような時代、高齢者に優しく、かつ、若者たちの負担が軽減できる健全な21世紀の医療・医学のシステムが問われています。その時に、健康と病気の間に「未病」の時期を新たに創設することで将来の日本の医療・医学の問題解決を求めています。」とあります。それは、「この未病期間のコントロールこそが、長い目でみた場合日本の 医療費軽減につながり、しいては健全な長寿社会の実現に繋がると考えられているからです。「未病」の時期は「医療費も使うが、働けて税金も納められる時期」であるわけです。 病気ではないが、全く健康でなくてもよいとする考え方がこれからの知恵といえます。」
これが、「中庸」の生き方であるのかもしれません。
投稿者 fujimori : 21:32 | コメント (4)
2010年03月01日 [近頃思うこと]
くも博士
私は昆虫をそれほど嫌いではありません。どんな昆虫を見てもそれほど飛びあがって嫌うこともありません。しかし、苦手なものは多少あります。それは、多分嫌いな人が多いゴキブリです。そのほかはあまりありませんが、どちらかというと肉食系のものは少し怖い気がします。例えばクモなどです。クモを見るには平気ですし、小さいクモであれば部屋にいるクモを手で取って外に出してあげるくらいはしますが、大きなクモは手で触るのは勇気がいります。そんなクモですが、クモに魅せられる人もいるようです。
たまたま、あるサイトを見ていたときに「2006年9月30日(土)は萱嶋泉先生の命日です。日野市の日野台協会で故・萱嶋泉昇天一周年記念礼拝が行われました。」という記事を見つけました。この萱嶋泉先生には、思い出があります。以前のブログで紹介しましたが、私が設立し、その後顧問をしていた日野市の子ども会の活動が、社会教育映画になっているのですが、その内容は、地域のお年寄りの人材を子どもたちが発掘する取り組みです。その中で取り上げられたお年寄りの一人にこの萱嶋先生がいたのです。この先生は「クモ博士」と呼ばれていました。「くも博士」というと、「雲博士」と思う人が多いのですが、実は「蜘蛛博士」なのです。自宅には、たくさんのクモを飼っていて、子どもたちがそのクモを見せてもらいながら話を聞き、そのあと実際に林にクモを見に行くシーンが撮影されました。
その話の中で印象的だったのが、まず先生の自宅に入るとたくさんの虫籠が目に入ります。そこにクモがいると思いきや、あまり好きではないゴキブリがたくさん入っています。話を聞いてみると、そのゴキブリはクモの餌だそうです。その次にびっくりしたのが、大きな真黒いクモを手に持って見せてくれたときです。クモを、映画「007」の中で悪者が放ち、襲われた人がみな悶え苦しんで死ぬシーンがあるのですが、その放ったのが「タランチュラ」という毛むくじゃらで、牙も大きくて1.5から2cmもあり、猛毒を持っていて、噛まれたら死ぬと言われているクモです。そのクモを手に乗せて見せてくれたのです。そして、実は、「タランチュア」は、世界で600種ほどいて、そのほとんどには、毒がなく、あっても人を殺すほどの猛毒はないと話してくれました。
こんな萱嶋先生は、NHK「ウルトラ・アイ」やTBS「わくわく動物ランド」にも出演したそうですが、クモ研究者は不思議な経歴を持った人が多いようです。例えば、「日本蜘蛛学会」の会長は吉田真立命館大学理工学部教授です。萱嶋泉先生は、国立音楽大学名誉教授で、「東京蜘蛛談話会」という会を設立しています。その会を通して、老若男女を問わず、ことあるごとにクモの面白さを世に伝え、同好者の拡大をはかり、その活動は「クモ博士」とも「クモの伝道者」と呼ばれていました。子ども会の時に子どもたちは先生からクモの話を聞いてどう思ったかわかりませんが、クモ嫌いだった小学生たちは、先生の話を聞いて、クモへの理解を深め、そしてクモ観察に夢中になっていくことが多いそうです。
クモは漢字では「蜘蛛」と書きます。虫を殺すことを知っている虫ということだそうです。しかし、ただむやみに虫を殺しているわけではありませんし、必ずしもほかの虫に対していつも優位に立っているわけでもなく、クモを見ていると、自然界の平等性を感じられると萱嶋先生は言っています。
投稿者 fujimori : 23:19 | コメント (6)
2010年02月28日 [近頃思うこと]
入試科目
明日は、都立高校の合格発表日です。最近は、身の回りで高校入試をする人がいないので、私は特に実感がないのですが、その年齢の子がいる家庭では緊張しているでしょうね。ところで、今の都立高校入試の問題の解答が次の日の新聞に掲載されますが、英数国理社の5科目で入試を行う高校と、英数国の3科目で入試を行う高校があるようです。その科目数によって、調査書の配分が違うようですが、当日の学力検査(入試)と調査書の合計で合否を決めているようです。また、学校によっては、これに面接や実技を点数化して総合成績として合否を決定したり、作文の結果を点数化する学校もあるようです。
新聞によると、都教育委員会は25日、2012年度から全都立高校で日本史を必修科目とすることを正式に決めたようです。東京の近世以降の歴史を学ぶ独自の科目「江戸から東京へ(仮称)」も新設します。文部科学省の学習指導要領で日本史は選択科目ですが、都立高校の生徒は、指導要領で定めた「日本史A」「日本史B」に加え、今度から「江戸から東京へ」の中から少なくても1科目を履修することになります。この新設される「江戸から東京へ」の導入は各校の判断に委ねられ、学校の裁量で使える授業時間を利用した科目になるようです。その理由を、都教委は「日本人のアイデンティティーを育むには自国の歴史学習が不可欠」と説明し、近現代史の基本的な知識の習得に加え、「身近な歴史に接することで郷土愛を育んでもらう」ことも狙いのようです。東京都以外でも、公立高校での日本史必修化は横浜市教委が4月から、神奈川県教委が13年度から実施し、同県教委も郷土史など独自科目を、都教委と同じ手法で設ける方針のようです。
現在、文部科学省の学習指導要領では高校社会科の「地理歴史」で必修なのは世界史のみで、都教委の調査では、09年度に全日制都立校175校で日本史を独自に必修化していたのは83校(47%)だったそうです。25年度から始まる新学習指導要領でも必修は、世界史のみとなっています。世界史が必修で、日本史が選択とは不思議ですね。
試験科目が増えるのは、生徒には大変かもしれません。必ずしも好きなことではないことまで試験のために覚えたり、勉強しなければならないからです。私は、都立高校出身ですが、受験科目は国、数、社、理、英、美、音、技、体の9科目でした。しかも、もちろん社会は、「地理」「日本史」「世界史」「公民」すべてでしたから、今から考えるとずいぶんと幅が広かったです。しかも、調査書による判定や、推薦制度などもなく、試験1発勝負でしたから、シビアでした。しかし、当時はそれが当たり前だと思っていましたから、特に大変だとか思ったことはありませんでした。しかも、私はあらゆることに興味を持ち、それを知りたくなるタイプなので、逆に大学入試もすべての範囲をテストしてくれたらいいのにと思ったほどでした。また、この9教科の試験勉強でいろいろな分野を幅広く知ったことが、今のブログの根底にある気がします。しかも、特別教科といわれる科目は、紙面でも勉強でしたから、逆に今に役に立っています。音楽の問題では、「階名を書きなさい」「音名を書きなさい」「移調しなさい」「転調しなさい」とか、必修鑑賞曲や必修歌唱曲の出だしの楽譜から「何の曲で誰の作曲家を書きなさい」とか、木管楽器と金管楽器を分けなさいなどでしたから、基本的には楽譜が読めないということはありませんでしたし、オーケストラを聴いても楽器名とか、曲が口ずさめたりします。音楽の目標が「生活を明るく潤いあるものとする」とありますが、私がかつてこのような受験勉強をしなかったら、音楽は身近なものになっていなかったかもしれません。
新しく日本史を入れるとしたら、ただ覚えさせるとか、暗記させるのではなく、生活が豊かになるような学びをしてほしいと思います。
投稿者 fujimori : 21:46 | コメント (4)
2010年02月27日 [近頃思うこと]
漢方
NHK大河つながりで各地を妻と歩いていますが、多分「山本勘助」の時だと思いますが、山梨県甲州市塩山を訪れた時です。その駅前に立派な屋敷がありました。そこは、重要文化財 旧高野家住宅で、通称「甘草屋敷」と呼ばれています。
高野家は、江戸時代に薬用植物である甘草の栽培をして幕府に納めていた家で、古くから「甘草屋敷」と呼ばれてきれてきました。それは、高野家では、八代将軍徳川吉宗のころ、この屋敷内にあった甘草を見分した結果、幕府御用としてその栽培と管理が申し渡され、ここで栽培される甘草は、幕府官営の薬園で栽培するための補給源として、また薬種として幕府への上納を負うこととなりました。そのために、甘草園は年貢諸役を免除されたそうです。
ここの説明によると、「現在世界各地で用いられている甘草には、ウラルカンゾウ(東北甘草)、グラブラカンゾウ(西北甘草)などがあり、日本では年間約1万トンが中国などから輸入されている。このうち食品の甘味料などに3分の2が使われ、残り3分の1が薬用にされるが、甘味・生薬の成分とも根及びストロン(根茎)にふくまれるグリチルリチンである。薬用では主に漢方薬の原料として、厚生省指定漢方処方210品目中150処方(71%)に配合され、もっとも多用されている。」
この甘草の歴史は古く、世界では、紀元前のTheophrastの著書に紹介され、中国では神農草本経に記す最古の薬物の一つだそうです。日本には、奈良時代に生薬が入り、正倉院には、良質の皮去りカンゾウの現物が多量に保存されています。また平安時代には日本でも栽培しており、「延喜式」によれば 陸奥・出羽・常陸等から進献しています。であり、ヨーロッパから中国、日本まで広く使用されている薬物です。
甘草はいろいろな漢方に使われていますが、甘草1種類だけで作られている生薬が「甘草湯」です。これは、痛みを緩和する働きがあるので、のどの痛み、激しい咳き込み、胃痛などに適応します。先日、のどが非常に痛く、唾液を呑み込むだけでも大変だったのでこの「甘草湯」を飲んだところ、しばらくして痛みが全くなくなりました。喉が痛いので、その喉に直接何かつけたほうがいいと思ったのですが、それは対処療法で、甘草湯のほうが、もとから炎症を和らげ、痛みが治まるからといわれたのですが、なんでその薬を飲むと、体の一部分の喉に効くのか不思議でした。
先日、富山に行ったときに、ある飲食店に入った時、店の隅の机で薬箱の中身をチェックしている人を見ました。「富山の薬売り」です。箱の中で使った薬を補充しているのです。その薬を見ると、「葛根湯」という漢方薬がありました。富山空港にも特別に漢方の売り場があります。
漢方の特徴は、体全体をみるということで、体全体の調子を整え、病気を治していくために病気の症状だけでなく、一人ひとりの体質にも気をつけて使わなければなりません。このときの体の状態や体質をあらわすのが「証(しょう)」という概念だそうです。このような考え方は、西洋医学が臓器や組織に原因を求めていくのとは対照的だといわれています。漢方のよさは、薬そのものよりも、証にもとづき「人をみる」という、その考え方にあるとも言われています。最近は、「人をみる」のを、機械に頼っているところがありますね。
投稿者 fujimori : 23:05 | コメント (4)
2010年02月22日 [近頃思うこと]
少子
今年になって、NHKスペシャル“無縁社会”がシリーズで放映されています。この内容は、かなりショックです。この番組の趣旨として、こう書かれてあります。「自殺率が先進国の中でワースト2位の日本。NHKが全国の自治体に調査したところ、ここ数年「身元不明の自殺と見られる死者」や「行き倒れ死」など国の統計上ではカテゴライズされない「新たな死」が急増していることがわかってきた。なぜ誰にも知られず、引き取り手もないまま亡くなっていく人が増えているのか。「新たな死」の軌跡を丹念にたどっていくと、日本が急速に「無縁社会」ともいえる絆を失ってしまった社会に変わっている実態が浮き彫りになってきた。」この無縁社会は、「新たな死」を描いているだけでなく、今の日本における課題を浮き彫りにしています。そのような社会になってきたことの理由を、こう説明しています。「かつて日本社会を紡いできた「地縁」「血縁」といった地域や家族・親類との絆を失っていったのに加え、終身雇用が壊れ、会社との絆であった「社縁」までが失われたことによって生み出されていた。」そして、この無縁社会は、日本人がある意味選択し、そして構造改革の結果生み出されてしまったものとしています。
同じような問題が、最近経済が猛烈な勢いで成長している中国でも起きているようです。それは、一人っ子政策が導入されてから、30年が過ぎた現在のひずみのようです。この一人っ子政策は、一定の成果を収めたものの、中国社会に問題も生み出しています。例えば介護です。1人っ子同士が結婚して夫婦になると、夫婦2人だけで両方の両親4人の介護をしなければならず、実質的には妻1人で4人の両親を介護することになり、大変な負担になっているようです。
それ以上の問題は、両親2人、それぞれの祖父母4人でたった1人の子どもを大変可愛がるあまりに、子供が過保護に扱われ、甘やかされます。その結果、対人スキルが育たず、近年増えてきている1人っ子同士の結婚では、離婚率が増加しているという報告もあります。それは、中国人の結束の原動力である「家族の絆」までもが失われつつあるからのようです。家族のきずなが失われると、家庭も簡単に崩壊します。それが最近の離婚の多さの原因のようです。「中国離婚網」というメディアでは、08年8月8日に開幕した北京五輪にあやかって結婚したカップルが、1年経って続々と離婚届を提出する様子を伝えています。その原因は、「一人っ子なので自己中心的、些細な問題に耐えられない」と指摘する人もいます。
しかし、この問題は、決して子ども自身の問題だけではないようです。そのように育ててしまった両親、教育、社会の問題があるようです。「育てたように育つ」という言葉ではありませんが、そのように育てられてしまった結果なのです。そして、それは、経済成長一辺倒で来た中国という社会であり、それに踊らされた大人たちだといいます。
どうも、日本でも同じようなことが起きています。日本では一人っ子政策は行われていませんが、少子社会は、同じような問題を生み、バブルがはじけた後の問題が子どもに影響しているようです。
日本も、中国も、国の将来のためにもう一度教育というものを見直し、社会の立て直しを図るでしょう。どちらが先に、改革をするでしょうか。
投稿者 fujimori : 22:45 | コメント (4)
2010年02月21日 [近頃思うこと]
偉大なる王
「オーシャンズ」のような野生動物を描いた映画が話題になっていますが、野生動物を描いた小説にも傑作が数々あります。私が子どもの頃、図書室で借りて夢中になった物語のひとつに「シートン動物記」があります。この物語は、アメリカの博物学者アーネスト・トンプソン・シートンによって書かれたものですが、彼は主に動物作品を書いており、全部で55編もあるそうです。また、彼は、美術大学にも入学していますので、その物語の挿絵も彼自身で描いています。彼はどうしてそんなに野生動物に魅せられたのでしょうか。
彼は、全集の各巻の前書きで、野生動物について語っています。「物語の結末がすべて悲劇で終わっているということは、物語が真実を語ったものだという、何よりの証拠である。なぜなら野生動物の最後は常に悲劇的な終局を迎えるものだからである。」「威厳、優雅さ、知力、逆境の巧みな利用、反抗に基づく両極の悲哀などが、以前の本と同じ形で示されるであろう。」などは、彼の作品を読んでも感じることです。
私が覚えている有名な作品に「ロボ-コランポーの王様」という作品があります。この作品は、彼の出世作で「動物記」の代名詞的な作品ですが、その名前を聞いてわからない人が多いと思いますが、日本では一般的に知られた標題は「狼王ロボ」といいます。アメリカ合衆国西南部、ニューメキシコ州北部に、コランポーと呼ばれていた地があり、その地の王は、一匹の灰色オオカミでした。土地の人びとは、力と知恵を併せ持ち、並み外れて強い集団を軍隊のように統率する彼に畏敬の念を込めて「王様ロボ」と呼んだのです。この話も悲劇で終わるのですが、決してロボを悪者としては読まず、その威厳の素晴らしさに感動し、結末に何とも言えぬせつなさを感じたものでした。
日本でも、野生動物を描いたら世界にも引けを足らない人がいます。その人は、「椋鳩十」です。彼は、長野県に生まれ、自然に囲まれた環境と、山好きの父の影響で、幼い頃から自然や動物と親しむ生活を送ってきました。大学卒業後、鹿児島県に教員として赴任してから作家活動を始め、戦後、鹿児島県立図書館長となりましたので、彼の作品のはずいぶん鹿児島弁が出てくるようです。
数々の作品の中で私が印象に残っているのは、「片耳の大鹿」です。鹿児島県の屋久島で、少年たちはシカ狩りの名人吉助おじさんたちと、冬の山へ片耳をもがれたシカの大将を撃ちに行きます。ところが急にあらしになり、ずぶぬれになった一行8人はほら穴にもぐりこみますが、そこには仲間をつれてあらしをのがれた大シカがいました。少年たちは、思わず、シカの群れの中へもぐって、冷えきった体をあたため、命が助かるのです。この作品で、命の尊さと、シカと人間との心のかよいあいが描かれます。他にも教科書に取り上げられている「大造じいさんとガン」という作品もありますが、おじいさんとガンの関係が描かれています。
あと、特に印象に残っているのは、ニコライ・A. バイコフの作品「偉大なる王(わん)」です。この作品は、私が子どもの頃、誕生日プレゼントとして両親からもらった紙芝居で知りました。 誇り高い一頭のシベリア虎の物語で、威厳と力と英知を備えた王者になるまでの一生を、克明に描く長篇です。季節ごとに変化する森林の美しい描写とともに、野生動物の生態を活写する、動物文学の最高傑作といわれています。
どの作品も、どんな動物でも誇りと威厳を持ち、一生懸命仲間を守りながら生きているリーダーのあるべき姿を描いていて、学ぶことが多かった気がします。
投稿者 fujimori : 22:00 | コメント (4)
2010年02月17日 [近頃思うこと]
楽しむ2
論語の中では「楽しむ」という言葉がしばしば使われています。それは、いろいろな場面に使われていますが、もう少し考えてみたいと思います。
論語の最初の章は、學而に「學而時習之,不亦說乎 有朋自遠方來,不亦樂乎」とあります。最初の文から「楽しむ」が出てきます。孔子は、学ぶことによって、そして、それを繰り返して学びを深めることによっていろいろなことがわかってくるのは何とうれしいことか。また、同じように考える仲間が訪ねてきて、共に学び合うことは何と楽しいことであろうかと言っています。それを冒頭に論語では持ってくることに、全体の思想があります。学ぶこと、学び合うことこそ人生においての喜びであり、楽しさなのです。
最後の章は、堯曰に「不知命,無以為君子也。不知禮,無以立也。不知言,無以知人也。」とあります。学んでいても、天命を理解しなければ君子になれないのです。また、礼を知らなければ社会では通用しません。言葉を理解しなければ、人を知ることはできないのです。学ぶことは、天命を知り、礼を知り、言葉を知ることなのです。この最後と最後の文を読むことで、1章が、最後の章に結びついて完結することを表現しているのでしょう。そこで、楽しみを表しています。
雍也には、「知之者不如好之者,好之者不如樂之者」とまた「楽」が出てきます。物事を知っているということはとても重要なことですが、それはこれを好む者には及びません。しているというより、そのことが好きであるということのほうが重要です。しかし、これを好むことよりもそのことを楽しんでいることの方がもっと重要なことです。それは、その物事を理解するためには、それを知ることよりも好きになること、それよりもそれを楽しむことと言っています。「楽しむ」というのは、最終的な境地なのです。このことを、しばしば「知好楽」と呼ぶことがありますが、仕事やその他のことへの取り組み方を述べている、といわれています。このように、孔子は、「楽しむ」ということに価値を置いています。
また、楽しむことに関して、こうも言っています。「子貢曰、貧而無諂、富而無驕、何如、子曰、可也、未若貧而楽道、富而好礼者也」子貢が孔子に聞いてみます。「貧乏であってもへつらわず、金持ちであっても威張らないというのは、どうでしょうか?」それに対して孔子はこう答えます。「その通りです。しかし、貧乏であっても道を楽しみ、金持ちであっても礼儀を好むというのには及ばない。」ただ、貧乏をへつらわないだけでなく、道義を楽しむことによって、貧富が関係なくなるのです。同様に、金持ちだから奢らないというだけでなく、礼を好むものでなければならないのです。ここに書かれているのは、「道を楽しむ」ということです。そして、「礼は好む」ものであり、強制されて行うものではないということを言っています。
そんな道だから、もし「朝(あした)に道を聞き、夕べに死すとも可なり。」というほどになるのでしょう。
述而第七の十五には、こんな章があります。「子曰、飯疏食飮水、曲肱而枕之、樂亦在其中矣、不義而富且貴、於我如浮雲。」孔子は、「粗末な食事を食べて肘を枕に眠る、そんな生活の中にも楽しみはあるのです。逆に、不正に金を儲けて高い地位に登ったところで、そんな生き方は私にとっては浮雲のようにはかなく感じられるのです。」
楽しみは、ずいぶんと高尚なところにあるのです。というより、私からすると、精神的なものですので、物質的なものとは比較できないものであり、その心がいろいろなことを学ぶ力になるのだということのような気がします。
投稿者 fujimori : 21:25 | コメント (4)
2010年02月15日 [近頃思うこと]
実践
昨日のブログで「知識を学ぶこと」ではなく、「人間としていかに生きるか」を学ぶことが本来の学問であると書きました。それは、実践が大切であるということです。こんな人がいました。庭の竹の理を窮めようと思って、庭前の竹を切って、七日七晩、竹の前に座り続け、その切り口をじっと見つめてみたところ、結局は事物内の「理」に至ることができませんでした。それどころか、ついに倒れてしまったのです。そこで彼は、心に「理」を求めるためには、じっと座って眺めているだけの学問ではだめで、仕事や日常生活の中での実践を通してこそわかってくるものではないかと思うのです。実践の重視です。
彼の名前は、実践儒学陽明学を起こした「王陽明」です。以前のブログでも取り上げた彼の命題である「知行合一」という言葉があります。この言葉は、吉田松陰が松下村塾の掛け軸に掲げてあった言葉です。知識を得た後で実践に移そうという考え(先知後行説)に対して、真に知るということは、知って終わりということではなく、その知識を持って必ず実践をするものです。ですから、「知」(知識)と「行」(実践)とは表裏一体で合一(合致)していなければならないと言う考えです。知って、行なってこそ、本当の知恵、真知であるのです。
しかし、ここで言う知識とは、端的に言えば認識ということであり、紙の上のものを暗記するということではないようです。私は、こう考えます。それは、心の中から生まれる探究心ではないかと思います。よく、学校における「教科」や、保育における「領域」とよばれるものは、学ぶ目的ではなく、物事を探求した結果、身に着くことがらを、それぞれ違う分野から部分的に切り取って整理をしたものにすぎないということです。ですから、探究心が生まれて時点から、「どうしてだろう?」「なんてきれいなのだろう!」という心が生まれてくるのです。ですから、心とは主となり、客とならざるものだから、心の理は心の中に見出される筈だと考えて「心即理」を唱えたのです。そして王陽明は、人間の心に「良知」の存在を認め、それを十分に発揮していくことの大切さを説いたのです。
そして、「良知を致す」ということで、私たちは日々の実践のなかで、自らの中に存在する「良知」が光り輝く様に日々心を磨く努力を積み重ねていかなければならないのです。具体的に王陽明は四箇教条という「立志」「勤学」「改過」「責善」を強調しています。
「志立たざれば、舵なき舟のごとく、銜なき馬のごとし。漂蕩奔逸して、ついにまた何の底るところかあらん」という「立志」、日々「立派に生きた先人」の姿を学んだり、先人の言葉を学び、魂に刻み付けていく事を行っていく事という「勤学」。そして、過ちを改め、それによって善をおこなうことを実践していくというものです。
実際は、何が過ちであるのか、何が善なのかは難しいことです。今回の保育所保育指針の改定の中で保育の目標として「子どもが現在を最も良く生き」という言葉は、本来は「子どもが現在を最も善く生き」ではないかといわれています。子どもに「善」を勧めていくために実践を積んでいくことが保育であるということなのでしょうか。
私は、深く学問したわけでもありませんので、中庸にしても、陽明学にしても、自分なりの独自の解釈をしてしまっているので、専門的に学んでいる人から見ると違っていることがあるかもしれませんが、実践から、実感していることです。
投稿者 fujimori : 22:46 | コメント (4)
2010年02月14日 [近頃思うこと]
またまた中庸
今の時代だからこそ、中庸の意味と、必要性と、求道の心を今一度考えないといけないのかもしれません。「子曰。道之不行也。我知之矣。知者過之。愚者不及也。道之不明也。我知之矣。賢者過之。不肖者不及也。人莫不飲食也。鮮能知味也。」
「なかなか人の道を実行するのは難しいものです。知者は、たくさんの知識を持っていますが、それにまかせて実践を軽視し、道などは行うに足りないものだと頭だけで考えてしまいがちです。一方、愚かな人は、理解が足りなくて、何をどう行えばいいのかの判断がつかず、実行が及ばないからである。これが、中庸の道が行われない理由です。また、賢いといわれる人は人情に通じすぎて道を行う必要がないと思ってしまい、愚かな人は理解が及ばないからです。人は誰でも飲んだり食べたりしますが、本当に味のわかる人は少ないものです。飲食は、毎日行われるものであり、生きる上で大切なことです。ですから、どんな人でも日常行っています。しかし、それを味わい、そこに意味を見出す人は少ないものです。食事は栄養の摂取ではなく、食の営みです。生きるということは栄養素を体に入れ、体を維持することではなく、道を歩むことです。
よく、「知識を学ぶこと」ではなく、「人間としていかに生きるか」を学ぶことが本来の学問であるといわれます。文部科学省のHPで、OECD教育局・指標分析(PISA)課長のアンドレアスさんが国際的他学力調査についてのインタビューに答えています。「PISAは生徒が現代社会の課題にどれだけ準備できているかを測ります。学校の勉強をどれだけ習得しているかではなく、学んだ知識を道の新しい状況に応用できるのかを測るのです。生徒が基礎的な技能を持っているかを見ます。例えば、リテラシーです。情報にアクセスして活用し、様々な情報源から集約し、熟考する能力です。」そして、日本の子どもたちの学力の高さを評価しつつも、こんな課題を挙げています。「学習意欲の問題。学習は将来の人生に活かす必要があります。その明確な活用姿勢があまりない。知識や技能を、将来に機会につながるものとしてあまり見ていない。」知識、技能はそれを実践に使うから必要なのであり、その必要性を感じるからこそ意欲が生まれてくるのです。
「舜其大知也與!舜好問而好察邇言,隱惡而揚善,執其兩端,用其中於民,其斯以為舜乎!」孔子は、舜を偉大なる知者であるとたたえています。それは、知らないことは人に聞き、学ぼうと常にしており、つまらないと思われる意見に対してもそれを真摯に受け止め、それを戒めにするのです。そして、他人の悪を暴きたてるようなことはせず、逆に善に対してはそんな小さなことでもそれを認め、ほめたたえるのです。また、もし、部下が、極端に意見が分かれ、対立しているのを見ると、その両者の言い分をよく聞き、それを比較検討し、そのそれぞれの意見の妥当なものを取り入れ、それを採用したのです。白か黒かではなく、誰の意見かでもなく、その中庸の道を見つけようとしたのです。単に妥協点を見つけることでもなく、中道を見つけることです。もちろん、それは難しいことかもしれません。
いろいろなことを学ぶことによって、ただ人生を送るだけでなく、味わい深い人生を送りたいものです
投稿者 fujimori : 22:15 | コメント (4)
2010年02月13日 [近頃思うこと]
また中庸
最近の園の保護者を見ていると、必死に育児をしようとしている人か、逆に優先順位として子どもよりも自分を上にしているのかと思う人がいます。仕事と子どものどちらを優先するか迷うのでしょう。また、この時期は、都会では保育園や学童クラブへの入園がなかなか難しく、困っている人が多いようです。入所できないとなると、確かに困るでしょうが、その状況ですぐに役所に苦情を言うとか、腹を立てる人がいます。しかし、私は、そんなことを権利として言うよりも、お互いに事情を話し合いながら、どんな方法があるえるのか、何を我慢して、何をかなえるのか、その話し合いの中から妥協点を見つけることが必要だと感じることがあります。何でもかんでもかなえるとか、100か0かではなく、50の道を見つけることも必要な気がすることが多いのです。
最近、日本人は話し合いが下手だと言われます。それは、話し合いで自分の考えを相手に押しつけようとするとか、相手を屈服させようとすることが多く、お互いの話し合いの中から、自らの考えを深めるとか、話し合いの結果、新たなものを創造するとかということが苦手だということだと思います。今、政策上、提案されている「幼保一元化」の議論にしても、幼稚園にするのか、保育園にするのかというので「文化が違うので無理」ということになってしまい、それぞれの文化があるからこそ、それを活かした新たな文化を創造するのだという議論にならないのです。
このような最近の状況をみると、あらためて少し前にテーマにしていた四書五経の中の「中庸」という概念が必要な気がします。まさに孔子が「最近、そのように考える人が少なくなった」と嘆いたことばが、今こそ当てはまる気がします。再度「中庸」を考えたくなりました。文庫で宇野哲人さんの「中庸」という本が出版されています。その本の序文を宇野哲人さんの息子さんで、儒教研究者で東京大学の名誉教授である宇野精一さんが書いています。
「中庸を得ている、とか、中庸が大切だ、とか言われる。その場合の中庸とは、足して二で割ったような、一種の平均的なことを意味することが多いようだ。(四書五経の)中庸とは、一般に考えられているのとは少し違って、その場、その時に、最も適切妥当なことである。だから本当の意味での中庸は、生易しいことではなく、常に中庸を得ることができるのは聖人だ、と言われる。けれども一面、中庸の庸は、普通のこと、当たり前のこと、という意味もあって、平凡な、当たり前のことの中にこそ、中庸はあると考えられているから、どんな人でも中庸を得ることができると言っている。」
「君子中庸,小人反中庸。君子之中庸也,君子而時中;小人之中庸也,小人而無忌憚也。」
君子といわれる人は、常に自らを省みることをして私に偏らないで、中庸を求めようとするものですが、小人といわれる人は、常に私心に惑わされ、少しも己の心に問うことをしないために、中庸に反するようなことをすると言っています。そして、君子が中庸の徳に順ずるのは、常に君子としてふるまい、どんな時でもその場に応じて偏らずにいられるからで、小人が中庸にそむくのは、小人らしいつまらない行動をして、慎みもなく、何でもあたりかまわずやってのけるからだと言っています。
中庸の道は、平凡で当たり前の中にあるのに、どうして人としての道をなかなか行えないのでしょう。平常の難しさを感じます。
投稿者 fujimori : 18:21 | コメント (5)
2010年02月12日 [近頃思うこと]
和
いよいよオリンピックですね。今年の開会式はどんな趣向でしょうか。第29回オリンピック競技会北京大会の開会式はすごかったですね。逆にあまりにすごかったために、オリンピックという祭典の意味など考えさせられました。もうひとつ、世界中をびっくりさせたというか、中国の変化に驚いたことがありました。それは、開会式が、中国の歴史や改革開放後の姿を絵巻物の形で演出した中で、沢山の孔子の弟子たちが、おのおの竹簡をもって登場し、「論語」の名文句の一つ「四海之内、皆兄弟也」(顔淵第十二)を唱えたことでした。そのあとも、中国古代の4大発明の一つである活字印刷をモチーフにした演出でしたが、画面に大きく映し出されたのは印刷に用いる字体の異なる「和」の活字だったのです。それがなぜ驚くのかというと、これもまた「論語」の理念「和為貴」(学而第一)を表現していたからです。
この開会式の中心であった「論語」は、もちろん孔子の言葉ですが、35年くらい前には、中国の思想のうち、「法家を善とし儒家を悪とし、孔子は極悪非道の人間とされ、その教えは封建的である」とした時期があったのです。それから何十年たって、世界中が注目する世界の祭典オリンピックの開会式の中で、「論語」を、中国文化の誇りとして紹介したのです。
この「和為貴」ということは「(有子曰く、礼の用は、和を貴しと為す。」ということで、これは「礼を行うには和が根本になければならない」と説いた有子のことばです。その言葉は、まさにオリンピック精神にのっとるものです。その言葉は、私がブログで取り上げた中庸の中の「喜怒哀楽がまだ発していないところを、中という。現したものがことごとく、中そして節であるならば、それは和という。この世において、中は、大いなる本である。和は、求めるものに達することのできる道である。中和に至りて、この世は、落ち着き、あらゆる物が育つ。」の「和」にも通じるものです。この「和」は、「庸」に通じ「共生」に通じるのです。
「和」の字の偏であるノギヘンは「禾・か」と読み、よい穀物、特に稲の粒粒が充ち満ち一杯についた稲という意味を持っています。それに「口」がついているわけですから、「和」の原義は、味しい食べ物が口に入ると、人はみなにこやかになり、心が安らいで、和やかな気分になってくるということです。中国最古の文字解説書「説文解字」に拠れば、「和」は「相応也」とあるように、お互いにつりあって、ふさわしい心のあり方を指しています。「和気あいあい」という言葉がありますが、「和気」はお米を大事にする心がけと、人としてお互いが調和しあい、和み合っていくことが必要であることを説いているのです。
一方、中庸には「故君子和而不流」とあるように、「君子というのは、他に対し反発せず受け入れ、和するが、これに流されてしまう事はない」とも言っています。何でもかんでも自分の理論で相手をねじ伏せよう、自分の考えを押し通そうということではなく、お互いの調和の道を探るべきです。しかし、それは人の言いなりになるということではありません。ただ人の言いなりでは自分を見失い、かえって正しい道は見つかりにくくなってしまいます。孔子の言う「和而不同」と同様なことです。その時に「中庸」という道が必要になるのでしょう。
投稿者 fujimori : 22:26 | コメント (4)
2010年02月10日 [近頃思うこと]
冷蔵庫
何かを保存しようとする時にすぐに冷蔵庫に入れようとします。園でも、何かをいただいたときに、すぐには食べないこともあり、冷蔵庫に保存します。そんな時、最近は、冷蔵庫に入れるか、冷凍庫に入れるかだいたいわかりますが、冷蔵庫がいいのか、そのままのほうがいいのかはよく分からないことがあります。個人の好みもありますが、たとえば、ビールは冷えたほうがおいしいと思いますが、海外の多くの国では、低温では香味が損なわれるといって常温で飲むようです。同じように、私は桃なども冷えたほうがおいしいので、冷蔵庫にしまいます。しかし、保存するうえでは、どちらの方がいいのでしょうか。
いろいろな食べ物は、保存するときには原則冷蔵庫のほうがいいのですが、野菜や果物では、冷蔵庫に入れておいた方がいいのか、入れない方が長持ちするのか、あるいは冷蔵庫に入れるとして、どういうようにすればより長持ちするのかはその種類によって違うようです。また、一緒にした方がいいものと、別々にした方がいい場合もあります。その理由は、野菜や果物が呼吸するときに発生する「エチレンガス」にあります。これは植物の成熟促進ホルモンですので、傷みの原因になる半面、成熟させるにはいいのです。また、野菜を横置きするのと、縦置きするのでは、このエチレンガスの量にかなりの違いがあるそうです。
よくこのガスをだすので有名なのがりんご、メロン、青梅、桃、トマトなどです。ですから、野菜、特に葉ものなどのそばにはぜったいおかない方がいいそうです。逆に、バナナの側で保管すると、バナナの成熟が早く進みますし、キウイはあまくなるのをたすけます。また、じゃがいもの芽の生育をおさえる働きがあります。また、桃や西洋ナシ、プラム、アボガドなどエチレンが発生するものは、外に出して熟成させてから冷蔵庫の中に入れる方がいいようです。
冷蔵庫の中へ入れたほうがいいものの主なものは、アスパラガス、キャベツ、セロリ、さくらんぼ、ブドウ、ほうれん草などで、洗わずにそのまま冷蔵庫の中へ入れたほうがいいものは、ブルーベリー、ラズベリー、いちごなどで、洗わずにビニール袋の中に入れてから冷蔵庫の中へ入れたほうがいいものは、ブロッコリー、ニンジン、カリフラワー、トウモロコシ、レタスなどえ、紙袋に入れてから冷蔵庫の中へ入れたほうがいいものは、マッシュルームやオクラだそうです。
それに対して、冷蔵庫の中へ入れない方がいいものは、キュウリ、にんにく、ショウガ、グレープフルーツ、レモン、マンゴ、オレンジ、パパイヤ、コショウ、カキ、パイナップル、メロンなどだそうです。そして、夏場以外はいれないほうがいいものは、じゃがいも、サトイモ、タマネギなどの根菜類とか、ナス、トマトなどです。
他には、立てて保存したほうがいい野菜では、ほうれんそう、しゅんぎく、アスパラ、ねぎ、スイートコーンなどで、水分を与えないで保存したほうがいいものは、きゅうり、ナス、ブロッコリー、カリフラワー キャベツ、ピーマン等で、逆に水分を与えたほうがいいものは、ほうれんそう、小松菜、春菊などの葉野菜です。根菜類は、泥つきのままのほうが、長持ちするようです。
野菜や果物は生きています。どのように生かすかも知恵ですね。
投稿者 fujimori : 23:41 | コメント (4)
2010年02月09日 [近頃思うこと]
新しいデザイン
先日、千葉に行くときに錦糸町という駅で快速に乗り換えるためにホームで待っていると、ビルの谷間にいま建設中の「東京スカイツリー」が見えました。

私は、あまり千葉の方には行かないので、意外にもこのタワーを見たのは初めてです。ずいぶんできてきているのにびっくりしました。この東京スカイツリーのホームページは、新しいWEBデザインを感じます。というのは、基本的にどのページも映像なのです。
まず、現在の高さが大きく表示されます。2月6日現在で289mだそうです。最終的には634mになる予定ですので、大体45%ほど出来上がった勘定になります。無料でダウンロードをすれば、自分のパソコンで、東京スカイツリーが建設される様子や現在の高さ、最新情報などが見られるデスクトップツールがあります。興味のある方は、パソコンを開くたびに、刻々と出来上がっていく姿を毎日眺めることができます。そして、WebTVでは、「東京スカイツリー特報」として東京スカイツリーの概要、デザイン、新しいまちづくりをはじめ、展望台からの壮大な眺望、隅田川を望む豊かな周辺環境、2005年のプロジェクト発足から現在に至るまでのハイライトや最新情報などを鮮明な動画で見ることができます。そして、「東京スカイツリーのまち」として、古くから人々に愛されてきた江戸の下町風情や四季折々の行事をはじめ、隅田川に架かる吾妻橋や駒形橋などの美しい橋の数々など、東京スカイツリーが建設されるまちの風景を見ることができます。そして、「Web Cam」では、建設の様子を、ウェブカメラの映像で見ることができます。
このタワーの最高高さについては、いろいろと面白いいきさつがあります。プロジェクト当初では、約610mでした。しかし、この高さですと、世界各地で高層建築物が計画、建設されているなかで、自立式電波塔として世界一にはなりそうにないということで、634mに変更しました。なんで世界一にならなければならないかというと、この東京スカイツリーは五重塔の心柱制振など古来の技を日本の最新技術で再現しているため、世界一となることで注目度が高まり、日本の文化や技術を世界に知ってもらおうという考えです。
また、なんで中途半端な634という数字かというと、このように説明しています。「武蔵とは旧国名の一つで、東京、埼玉、神奈川の一部を含む大規模な地域を指します。このタワーが立つエリアは、歴史をひも解くとかつては武蔵の国でした。タワーからは武蔵の国を望むことができ、展望台に登ると目の前には、いにしえの風景がよみがえり、江戸の東、東京の東という歴史性や地域性に思いを馳せることができます。そこで、「634=むさし」という響きから、地域性や日本文化を想起させよう」という狙いのようです。
このタワーの基本コンセプトは、「下町~東京~日本へ広がる地域性」「江戸~現代~未来へつながる歴史性」「地球にやさしく環境時代にふさわしい象徴性」です。そして、カラーコンセプトとして、富士山の頂き・下町の心意気を示す纏(まとい)・お祭の幟(のぼり)などに使われ、日本的な潔さ・神聖さを想起させ、日本人の伝統的な美意識に通じる色としての白を基調に、藍染職人の技法に倣い、白に青みを加えています。また、白の語源は「シル(知)」・「シルシ(印)」であり、古くから他からの差異をはっきり認識させる色、シンボル性を想起させる色としています。
また、1日毎に交互に現れる新しいスタイルのライティングは、江戸で育まれてきた心意気の「粋」と、美意識の「雅」という2つのオペレーションで、「粋」の姿では、隅田川の水をモチーフとした淡いブルーの光で照らし、「雅」の姿では、構造体を衣に見立て、江戸紫をテーマカラーとし、金箔のようなきらめきのある光をバランスよくちりばめるようです。
江戸は、今や新しいデザインです。
投稿者 fujimori : 21:05 | コメント (4)
2010年02月08日 [近頃思うこと]
バンクーバー
来週は、テレビも新聞も「バンクーバー」一色になるでしょうね。私は、30年ほど前にバンクーバーに行ったことがあります。それは、そのあと、そこから飛行機に1時間あまり乗ると着くカルガリーに行くためでした。カルガリーでは1988年に冬季オリンピックが開催されていますが、ロッキー山脈の麓とカナダ平原の間に位置し、氷河期の後に形成された湖に溜まった土砂が川に削られ、いくつもの丘が出来ているような場所です。ですから、そこからロッキー山脈とか、氷河に行ったのです。
また、バンクーバーへはまず、アメリカのシアトルで乗り換えていきました。ですから、バンクーバーは、シアトルとカルガリーの途中で立ち寄った街です。しかし、そこで宿泊をしたので、少し町を歩きました。その時の思い出がいくつかあります。
まず、町を歩いていると、アメリカ人の観光客に道を聞かれて焦った思い出です。どうも、現地の人だと思われたようでした。それは、たぶん私の顔がカナダの先住民族のカナダインディアンの顔をしていたからだったようです。カナダは、ずいぶんと昔から先住民族が住んでいたようです。今回のオリンピックのマスコットである3人の名前はSumi(スミ)、Quatchi(クワッチ)、Miga(ミガ)というのですが、スミは、 北米先住民の神話などにでてくるサンダーバードの羽を持つと言われている伝説の鳥です。また、バンクーバー冬季オリンピックのエンブレムのモチーフに選ばれたのは、INUKSHUK(イヌクシュク)という、カナダ先住民のイヌイット族が、石を人の形に積み重ねて作ったオブジェです。これを5色でカラフルに彩ったものを、この大会のマスコットとし、ILANAAQ(イラナーク)と名付けられましたが、これは、イヌイット語で「友愛・友だち」を意味するそうです。このように、先住民族を大切にしています。
もうひとつの思い出は、バンクーバーに行って食べるといいと言われてきたものが「ロブスター」でした。日本では、1990年ころにロブスターを食べさせるファミリーレストランができたのでなじみの食べ物になりましたが、私がカナダに行ったころは、まだ日本ではザリガニの大きいものというイメージでした。夜のレストランで、恐る恐る大きなアメリカンロブスターをいただいた覚えがあります。
もうひとつ、お土産に買うといいと言われてのが「ジンジャーチョコレート」でした。生姜入りチョコです。どうしてこれがバンクーバー土産なのかわかりませんが、もしかしたら、カナダドライジンジャーエールというように、カナダとジンジャーは相性がいいのかもいしれません。しかし、皆さんは、「ジンジャーエール」と「ジンジャエール」の二つの商標があるのをご存じでしょうか。「ジンジャーエール」の方は、コカ・コーラ社のカナダドライで、「ジンジャエール」の方は、アサヒ飲料のウィルキンソンです。
なぜ、カナダかというと1890年、カナダ人ジョン・J・マックローリンがトロントで生姜汁にフルーツジュースやフレーバーエキスを混ぜた飲料を製造し、ドラッグストアで売り出したのが始まりだからです。最近は、他にもジンジャー入りの飲み物が多くなりました。日本の生姜糖は今の季節にはうってつけですし、ジンジャーティー、ジンジャークッキーなどがありますが、最近、キャラメルジンジャーコーヒーというものを飲みました。これは、家庭でも簡単に作れますので試してみてください。カップにミルクキャラメル、せん切りにしたクリスタルジンジャー、牛乳を入れて、電子レンジで加熱し、湯で溶いたインスタントコーヒーを加えてよく混ぜ、好みでシナモンをふれば出来上がりです。体が温まり、冬の飲み物に最適です。
投稿者 fujimori : 23:12 | コメント (4)
2010年02月07日 [近頃思うこと]
冬の夜
ここ数日は、東京では寒波が勢いづいて、寒い日が続いています。先日、立春は冬と春の分かれる節目の日である「節分」が終わり、その翌日が「寒さがあけて春に入る日」いわば春の初日である「立春」でした。このように、暦の上で春になった途端に寒波が勢いづき、新潟、富山を中心に日本海側の山沿いでは大雪となっているだけでなく、雪雲は太平洋側でも覆っているようです。仙台で5cmの積雪(昨日正午)、名古屋周辺や北関東の平野部などでも、一部で雪となりました。これは、強い寒気が通過している最中に、雪雲に発達したからのようです。ニュースを見ると、アメリカでもワシントンなど北東部が、寒波に見舞われているようです。しかし、なかなか思うようにいかないのが「自然」です。北アメリカ大陸の西部には、まともな寒波はあまり来ていないようで、五日後、冬季オリンピックが開幕するカナダのバンクーバー周辺では、モーグルやスノーボードなどが行われる標高の低い会場は雪不足だそうです。しかも、この先、開幕まで寒気らしい寒気はやってこないようですし、開幕後も、少なくとも1週間は、まともな寒気は来ないようなので、足りない雪は人工雪を降らせないとならないようです。
そんな寒い冬ですが、最近、私は夜帰るときに1時間くらい歩いています。大体目安として1日1万歩としたら、そのくらい帰りに歩かないとその歩数にならないからです。そんな時に寒い半面、冬の星空はとてもきれいです。冬の大三角形をはじめとして明るい星がいくつも夜空を飾ります。それらの星は、このブログによく登場する星々です。星座も、オリオン座をはじめとして、すばるなど東西ともに有名な星座も並びます。
その中でひときわ明るい星が、おおいぬ座の1等星「シリウス」で、マイナス1.4等と,全天で最も明るい恒星で、東京でも容易に見つけることができます。シリウスの語源はギリシア語の「焼きこがすもの」という意味ですが、まさに天を焦がしているようです。この明るさは、太陽の数十倍も明るいのですが、それだけでなく、地球に近いということが明るく見える理由です。その距離はわずか8.6光年で、太陽系からの距離ランキングでは第6位,肉眼で見える恒星としては第2位です。
先日、千葉の九十九里町に行ってきました。この町は、房総半島の外房にあるのですが、南端にある布良(めら)の地名に由来した冬に見える「布良星」という星があります。それは、この布良町より南に行かなければ見ることができない星という意味でしょうか、関東地方では水平線ぎりぎりに出現するという特性があり、古くから沿岸漁業を生活の糧としてきた人びとにとっては、まれに見ることのできる怪しげな星として、あるいは遥か南方の沖合を意識させる星として捉えられてきたようです。
実は、この星は、カノープスと呼ばれ、-0.7等の白い恒星で、その明るさはシリウスについで恒星として全天で2番目に明るい星です。しかし、北半球ではあまり高く昇ることのないため、南の地平線すれすれに現れる奇妙な赤い星として知られるようになりました。カノープスは優秀な水先案内人であるギリシアの船乗りからとられた名前です。中国ではこの星を、「南極老人星」や「寿星」と呼んでいます。南極老人とは、日本の七福神の寿老人あるいは福禄寿の元になった神様で、長寿をつかさどるとされてきました。そのため、この星を見ることは縁起がよいとされ、特に、一目見ると寿命がのびるという話です。
東京ではほとんど見ることができないかもしれませんが、関東以南に行ったときに、ぜひ見つけたい星です。
投稿者 fujimori : 21:52 | コメント (4)
2010年02月06日 [近頃思うこと]
庭と川
庭園の演出で欠かせないひとつが「水」です。手水鉢のような小さなものから、池や川なども庭園に意味を持たせます。なぜ、庭園に水が欠かせなかったかということを「庭と日本人」のなかで上田篤さんは「日本人のメンタリティの底に水を恋う意識があったから」ではないかと推測しています。その気持ちは、同じ上田さんの著書「日本の都市は海からつくられた」の中で、「日本人は縄文時代の1万年以上をほとんど海辺で生活してきた。弥生時代になって稲作をはじめても、おおくは海岸の低湿地に稲を植えて、近くの洲島に生活の本拠をおいた。つまりながらくのあいだ、海辺が人々の生活空間だった。そういう海辺の生活空間への回帰願望が、人々の心のなかにいつまでも生きつづけてきたのではなかったか?」と分析しています。それもあるでしょうが、もうひとつ精神的に水の流れや、その音に癒しを感じるということもあるでしょう。それは、人間は胎児の時、母親の胎内で羊水という小さな海で過ごしているからといわれていますし、私たちの身体の半分以上が水で出来ていると言う事もあると言われています。また、そのゆらぎには、「1/fゆらぎ」という人間の心をリラックスさせる効果のある波形があるのです。
「庭と日本人」のなかで「人々の願望を示す水景が、庭の遺構から発掘されている。それは川だ。では、その川で何をしたかというと、陰暦3月3日に天皇や貴族が庭園のなかの曲がりくねった川のそばにすわって、上流から流れてくる盃がまえをとおりすぎないうちに歌をよみ、盃の酒をのんでつぎの人にながす。という遊びだった。「曲水の宴」といわれる。」
一昨年、鹿児島の「仙巌園」を訪れた時に、曲水の庭を見ました。
これは、1959年に発掘されたもので、現存する国内の曲水の庭の遺構の中でも最大のもので、建造当時の様子が良好に保存されている貴重な文化財として高く評価されているものです。その流れは、そこで曲水の宴が行われたであろうという映像が浮かぶだけでなく、曲水と言われるように曲がりくねった川の流れは、庭を切り取り、そこに変化を持たせ、その変化がある動きを作り、その動きがかえって安定をもたらします。
私の園で、湧水を利用して「ししおどし」を作りました。それは、水の流れを音として強調して五感に訴えようとした試みです。今年は、また新たな試みを計画しています。
東京では、ここ数年、ゲリラ豪雨といわれる少しの間にたくさんの雨量が記録されるほどの雨が降りました。園でも、昨年、園の裏から、園内に水が浸入し、床上浸水がありました。そこで、建築業者から裏道の端に「ドレーン」という下水溝を作る計画を持ちかけられました。裏道のところには、普段から湧水が出ています。それを、ドレーンを通して下に流そうという計画です。そこで、私がこんな提案をしました。その溝は、ただの下水溝とするのではなく、水路にしてもらえないか。その水路は、途中でその幅を広くして、その縁はただのコンクリートではなく、なにか丸太とかにできないかと持ちかけたのです。そして、そこに鯉を飼いたいと言ったのです。そうです。あの津和野などにある鯉のいる水路です。そして、その鯉が糞をし、その糞が流れによって以前作った稲が植えてある水田に行き、その水がメダカのいる水路に流れていくことの計画です。そして、鯉の糞をカワニナが食べて、そのカワニナを蛍の幼虫が食べるのです。
これは、川の営みであり、その営みが子どもの心に何かを訴えると思っています。蛍が飛ぶというのは夢ですが、水を使った計画は面白いですね。
投稿者 fujimori : 20:53 | コメント (5)
2010年02月05日 [近頃思うこと]
演出
園に見学者がほぼ毎日見えます。その方々を園内に招き入れるルートがいくつかあります。それは、来客の目的によって園児と動線を分けるためです。当然、業者の動線もあります。それは、動線というように単に入口が違うというだけでなく、入口に至るまでの経路も重要になるのです。そして、その入り口から部屋に通すための動線もあります。昨年、私の園に大臣が見えた時には、事前に動線計画の打ち合わせをしました。また、その後、警察署の方々に依る動線チェックを行いました。その動線チェックは、それぞれの担当によってポイントが違うためです。私が決めるのは、どこをどのような順序で案内すればより効果的かを考えることであり、事前チェックは、歩く途中での付き添いや取材者や、大臣の位置の確認、警察では警護の在り方からのチェックです。
寺や神社は、参道と呼ばれるそこにお参りするための動線から、ありがたさを増すように計画されていることが多いようです。それは、下に玉砂利が敷かれているということや、両脇を杉の木が植えてあるというのもそういう演出のひとつでしょう。手前の方に鳥居があり、まずそこをくぐらせるというのもある意味では演出かもしれません。一昨日の近くの神社への節分会参加でも、まず、鳥居をくぐります。
昨年末に、妻と宇治の「平等院鳳凰堂」に行ってきました。そこへの参道について、上田篤さんが「庭と日本人」の中で、こう紹介しています。
「京都の川はいっぱんに北から南に流れるが、宇治川は地勢上、一時、南から北に向かう。ために京都から宇治にやってくる人は、宇治が京都の東南にあるにもかかわらず、宇治にいくのに宇治川を西北から東南にわたるのではなく、逆に東北から西南に向いてわたる、という体験をする。その宇治川を渡る手前の堤から川むこうをながめると、平等院鳳凰堂がみえる。それは西の方向である。極楽浄土で説法をしておられる阿弥陀さまの方角だ。そして夕暮どき鳳凰堂に灯がはいると、夕日をバックに西方の極楽浄土の阿弥陀さまが鳳凰堂の格子窓のなかに姿をあらわす。という仕組みになる。」
なんともにくい演出です。太陽を背にして建つ鳳凰堂は、光を放っているかのように見えるのですが、逆に写真を撮ろうとすると、どうしても逆光になってしまって真黒になってしまい、なかなか美しい姿をとることができませんでした。また、その前にある池の演出があります。「さて平等院のなかにはいる。鳳凰堂のまえの阿字池の岸に立つ。すると水面に阿弥陀さまが大きくせまってくる。こういう阿弥陀さまとの対面は、庶民にとっては至福のときだったろう。仏を心のなかで念ずるのを「念仏」、心のなかで観るのを「観仏」というが、ほかに「見仏」ということがある。じぶんの目でじかに仏身を見ることだ。ふつうに寺の本堂で仏像をおがむのも見仏であるが、するとこれは「最高の見仏」ではないか。この「最高の見仏」を保証するものが鳳凰堂の庭の阿字池である。」
この池にハスの花を咲かせ、極楽浄土の効果をより上げていたであろうこともわかっているそうです。このもとの構図は、「浄土曼荼羅図」だそうで、そこには宝池があって、多数の菩薩がハスの花のうえにすわって、うしろに中島があって弥陀三尊がいるというものです。
空間演出の効果、動線の工夫、部屋の方角、目的は違いますが、保育室にもそんな配慮や工夫が必要です。
投稿者 fujimori : 21:31 | コメント (4)
2010年02月03日 [近頃思うこと]
伝統

日本の伝統的工芸品に指定されているものを見ると211品目の中で一番多いのは、「織物」で33品目です。やはり、衣食住は人間が生活するうえで欠かせないものだったからでしょうし、その原料は、その地域の植物や動物などから作られるために、伝統として伝わっていくのでしょう。
その指定された織物のひとつに私の住んでいる八王子のものがあります。それは「多摩織」と呼ばれるもので、現在、多摩織は、八王子市そしてあきるの市の一部の地域で作られています。企業数としては85箇所あります。現在の八王子にあたる地域では、平安時代末頃から絹が織られており、滝山紬や横山紬といった織物がありました。多摩の丘陵には遥か昔から桑の木が生え、土地の人々はその葉を蚕に与えて繭を作らせました。平安時代初頭の文献には、この一帯は生糸や絹の産地として記されています。室町時代後期、多摩川のほとりにやってきた北条氏が、領民の産業として奨励したことで産地として形が整いました。以前のブログでも紹介しましたが、八王子は「桑の都」ということで桑都(そうと)とも呼ばれます。駅ロータリーの名前は「マルベリーブリッジ」、そこから北に延びる道路の街路樹は桑の木です。
そして、その絹を横浜から海外に輸出するために運んだ道が「絹の道」として残っています。江戸時代には定期的に絹市が立ち、地元だけでなく周辺地域からも生糸や繭、絹織物などが集まりました。
八王子織物は、明治時代に入ると文明開化によって技術が急速に発展する中で、全国各地の産地から積極的に織物技術を取り入れたり、さらに独自に技術を開発したりすることによって近代化を図り、現代産業への転身していったのですが、数百年の歴史を伝える織物の技法も守り続けました。そして、伝統の技を駆使して作られる織物は「多摩織」と名付けられ、1980年(昭和55年)に、国の伝統的工芸品に指定されているのです。
伝統工芸は、その地域の歴史と、その位置により、その独自性を深めていきます。「八王子織物」とは、もとは周辺の村で織られ、八王子の市に集められた織物のことでした。その織物は、桐生や足利などの織物技術の先進地や、江戸という大消費地に近く、織物業が発展するにために、地理的にも有利な条件がそろっていたのです。この桐生、足利で織られていた織物も、「桐生織」として伝統的工芸品に指定されています。
桐生織の歴史は、また違ったものがあります。資料によると、1200年ほど昔、宮中に仕える白滝姫が桐生の山田家に嫁に来て、村人に養蚕や機織りを伝えたのが始まりと言われています。この桐生織物を、鎌倉時代末の新田義貞の旗揚げや、1600年の関ヶ原の合戦では、徳川家康が桐生の白絹の旗を用いたこと等から、その名を全国的に高めました。さらに19世紀前半には幕府の保護もあって、金襴緞子や糸錦のような高級織物を生産するようになり、この技術・技法は今の桐生織に引き継がれています。
「金襴緞子の帯締めながら花嫁御陵は」と歌われている「金襴」は、唐織物の一種で、織金ともいい、綾・繻子・羅・紗などの緯糸に、金箔を貼って細く切った平金糸で模様を織り出したものをいいます。また、「緞子」は、朱子織で織られているものです。中国元・明代に盛んとなり、日本には足利時代に堺のに伝わり、堺で織られますが、やがて生糸があつまる京都西陣に伝わり、西陣を中心に、伝来の唐文様を中心としつつも新しい文様が創意工夫され独自の発展をとげます。この西陣織も当然、伝統的工芸品として指定されています。
伝統は、その地域独特のものではありますが、その地域だけのものではないのです。
投稿者 fujimori : 22:55 | コメント (5)
2010年02月02日 [近頃思うこと]
伝統的
先週の日曜日、「伝統的工芸品」を見てきました。経済産業大臣が指定した伝統的工芸品と呼ばれるものは、昨年4月現在で211品目あります。これらの工芸品が、「伝統工芸」ではなく、「伝統的工芸品」というのは、「伝統的工芸品産業の振興に関する法律(伝産法)」で定められたものだからです。「的」とは、「工芸品の特長となっている原材料や技術・技法の主要な部分が今日まで継承されていて、さらに、その持ち味を維持しながらも、産業環境に適するように改良を加えたり、時代の需要に即した製品作りがされている工芸品」というほどの意味だそうです。

では、どんなものが「伝統的工芸品」なのかというと、法律上、次の要件が必要と規定されています。
「主として日常生活で使われるもの」ということですが、その理由として、工芸品は「用の美」ともいわれ、長い間多くの人の目や手に触れることで、使いやすさや完成度が向上するために、色・紋様・形は、日本の生活慣習や文化的な背景とも深く関わっているからです。今では、かなり高価なものが多いのですが、本来はぜいたく品であったり、ただの飾り物であるのではなく、使いやすさこそがすべらしいデザインを作っていくという考え方は今に通じます。
次に「製造過程の主要部分が手作り」とありますが、主要部分とはどこかというと、製品の品質、形態、デザインなど、製品の特長や持ち味を継承する工程が「手作り」であるというのが条件のようです。それは、製品一つ一つが人の手に触れる工程を経ることによって、人間工学的にも妥当な寸法や形状となりますし、安全性も備えていくからです。やはり、人間が使うものは、人間の手によって作られることによって、使いやすいデザインになっていくのですね。
次が「伝統的技術または技法によって製造」です。これは、工芸品の技術、技法は、100年間以上、多くの作り手の試行錯誤や改良を経て初めて確立すると考えられているために、伝統的とはおよそ100年間以上の継続を意味します。ここには、「技術」と「技法」は一体不可分なものであるといっていますが、この考え方はとても示唆に富んでいます。技術は、「技術を磨く」といわれるように「一人一人の作り手の技量」「精度」に関わりが強く、技法は「原材料の選択から製法に至るノウハウの歴史的な積み重ね」に関わるものと言っています。ですから、伝統的技術、技法は、昔からの方法そのままでなく、根本的な変化や製品の特長を変えることがなければ、改善や発展は必要であるといっています。伝統といって、ただ昔のものをそのまま守るのではなく、100年以上の継続というのは、100年の間の試行錯誤、改良の歴史を意味するのです。そして、その歴史は、技術、技法だけでなく、「伝統的に使用されてきた原材料」にもいえます。100年間以上の継続は、長い間吟味された、人と自然にやさしい材料の選定につながっているからです。
そして、「一定の地域で産地を形成」というのは、地域産業として成立していることが必要で、そこには、産地全体の自信と責任に裏付けられた信頼性があるからです。
伝統は、工芸品だけで行われるものではありません。明日、園で行われる「豆まき」も伝統行事です。近くの神社の方が、年男、年女が着る「裃」を貸してくださいました。
投稿者 fujimori : 22:45 | コメント (4)
2010年02月01日 [近頃思うこと]
童子
そろそろ園でも卒園が近くなりました。卒園式に歌う歌としていろいろな歌がありますが、この歌も卒園式に謳う園があるかもしれません。それは、他にもいろいろと幼稚園、保育園で使われることが多い「とらや帽子店」の「パレード」というCDに入っている曲で中川ひろたかさん作詞の「空より高く」です。中川さんとは、ほぼ毎年、地方の講演で一緒になることがあり、一度彼と一緒に写真を撮ったのですが、その時の写真を彼のブログで紹介してもらったことがありました。今回は、その写真で、私の顔の部分を切り取って紹介します。

「人は空より高い 心を持っている どんな空より高い 心を持っている だからもうだめだなんて あきらめないで 涙を拭いて 歌ってごらん 君の心よ 高くなれ 空より高く 高くなれ 人は海より深い 心を持っている どんな海より深い 心をもっている だからもう嫌だなんて 背を向けないで 見つめてごらん 信じてごらん 君の心よ 深くなれ 海より深く 深くなれ だからもうだめだなんて あきらめないで 涙を拭いて 歌ってごらん 君の心よ 広くなれ 空より広く 広くなれ 君の心よ 強くなれ 海より強く 強くなれ」この「君の心よ~高くなれ」の部分の曲は、「蛍の光」のメロディーになっています。
この歌詞をどうして突然思い出したかというと、この一説が思い出されたからです。「父恩者高山 須弥山猶下 母徳者深海 滄溟海還浅」(父の恩は山より高く、須弥山(しゅみせん)猶(なお)下(ひく)し。母の徳は海より深く、滄溟海(そうめいかい)還(かえ)って浅し)です。中川さんがこれを思い浮かべて歌詞を書いたかわかりませんが、これは、江戸期の寺子屋等で最もよく用いられた教科書の一つである「「童子教」にあります。私のブログで、今スキーでにぎわっている「妙高山」の由来を「名香山」から来たと書きましたが、もうひとつの説は、仏典にあるシュメール(須弥山(しゅみせん))に結びつけて,妙高山とよぶことになったという説です。古代インドでは、仏教の世界の中心にシュメール(須弥山)という高い山がそびえ立っており、太陽や月は、その中腹を回転しているという考えがあり、妙高は、そのシュメールの漢訳です。そんな山よりも父の恩は高いのです。また、母親の徳は、あおあおとした広い海よりも、もっと広いのです。
これが掲載されている「童子教」は、仏教思想や儒教思想による童子を対象とした教訓を五言の漢文320句に収めてあり、鎌倉末期より流行し、江戸時代には寺子屋の教科書として「実語教」とともに広く利用された教訓書です。
こういう言葉が載っています。「一日学一字 三百六十字 一字当千金」一日に一文字だけ学んだとしても、毎日、一年間続ければ365文字覚えられます。一字一字が千金に当たるということです。小さな、毎日できる範囲の努力でも休まず長い間続ければ、その積み重ねは大きな成果となるということです。先日のセミナーでは、赤ちゃんの一日は、人類の進化に当てはめれば、50万年に相当すると教わりました。子どもと過ごす日々は、毎日50万年の進化に相当するのです。
一日一日を大切にしたいですね。
投稿者 fujimori : 22:30 | コメント (5)
2010年01月30日 [近頃思うこと]
脳研究
昨日紹介した今月号のニュートンは、“「脳」の研究の今”ということで、研究者たちが脳解明の最先端について解説しています。脳科学がいろいろな場面で言われはじめて久しくなります。育児、保育、教育分野でも盛んに脳科学が論議されています。確かに、子どもたちはいろいろな経験を脳で感じ、脳で覚え、次の行動を脳で考えます。私たちは今では、誰も「心で感じる」ということが「心臓」で感じるとは思っている人はいません。しかし、「胸が裂ける」「胸がすく」「胸が潰れる」「胸が塞がる」「胸に一物」「胸に迫る」「胸に畳む」「胸を躍らせる」「胸を撫で下ろす」など、いろいろなことを胸で感じます。そのかわり「頭で考える」「頭を使う」というように、考えるのは頭だと思っているようです。しかし、感じたり、覚えたり、考えたりはすべて脳であり、その違いは脳の部分の違いであって、心臓は、血液を全身に送り出す臓器であることは子どもでも知っているようになりました。
しかし、子どもでも知っている脳の働きではあるのですが、実は、先端の研究者たちでも本当の脳の働きは解明されていないのです。ですから、単純に脳がどうだからどうしなければならないというようなことは言えないのです。たとえば、脳が早く完成するので、小さいうちにいろいろなことを教えなければならないだとか、乳児のころに英語をやらないとバイリンガルの脳にならないであとで苦労するとか、早期教育に結び付けてしまう人がいますが、そんな簡単な話ではありませんし、「坂の上の雲」の秋山真之が非常に英語が堪能であったからといって、彼は早くから英語をやっていたわけではなく、子どもの頃は、野山を友達と駆けずり回っていただけです。人間は、もっともっと複雑なものです。
そうはいっても、先端の脳についての知識は知っておくべきだと思います。今月号のニュートンには、「成長する子供の脳では何がおきているのか?」という章があります。この研究は、成長期の脳の中で起きる神経細胞のネットワークの変化についての研究ですが、その仕組みの解明が、脳の発達障害の原因解明につながると言われています。
脳の神経細胞のネットワークとは、神経回路と呼ばれるもので、このつなぎ目である「シナプス」の数は、どんどん増えていくのではなく、1~3さお前後までは急激に増えていくのですが、その後は徐々に減っていくということが1970年代にはわかっています。それは、神経細胞は、とりあえず最初は広く手をつないでおき、あとで不要な手を離すという戦略をとっているのだと言われています。「多めにつくってあとで減らす」方式のほうが、「必要に応じてふやす」方式よりも、周囲の状況の変化に敏感に対応することができるからです。
たとえば、乳幼児が細やかな指の動きが出来ないのは、指を動かすための神経細胞のネットワークが必要以上に広くつながり合っているためです。成長と共に不要な回線がなくなって必要な回線だけが残り、細かい指の動きができるようになるのです。
しかし、最近の研究では、手のつなぎ方の変化だけでなく、神経細胞自体の性質にも巧みな変化が起きていることがわかってきたそうです。人間の不思議さは図りしれません。
投稿者 fujimori : 21:56 | コメント (4)
2010年01月29日 [近頃思うこと]
消しゴム
ブログで、文具を取り上げることがありますが、様々なステーショナリーには心惹かれるものです。少し前には「画びょう」を話題にしましたが、今日は進化する「消しゴム」について書いてみます。というのも、先日ある問屋さんで、いろいろな形100種の消しゴムを見たからです。寿司から様々な菓子、果物、野菜、ハサミやセロテープなどの消しゴムは、あまりによくできていて、とても心をくすぐります。そういえば、一時期、筋肉マン消しゴムなどのアニメの主人公とか、スーパーカー消しゴムなどが、とてもはやり、どの子の筆箱の中には、必ずいくつかが入っていました。私が少しの間教員をしていたころ、1年生の間ではちょうどスーパーカー消しゴムが流行っていて、机の角の置いて、ノック式ボールペンのノックでそれを押してどこまで走るかを競っていました。
私が子どもの頃の消しゴムというと、その名のとおり原料は天然ゴムでした。1770年に、イギリスの化学者が天然ゴムで鉛筆の字が消せることを発見し、2年後に発売されました。その後、画期的なことが起こります。日本では、国産品の消しゴムはなく、すべて外国製品に頼っていたこともあってか、昭和29年に軟質塩化ビニル樹脂により消す効果を高めることに成功し、その製法特許を取得、昭和30年代、世界に先駆け「プラスチック字消し」を発売したのです。今までゴムの消しゴムを使っていたので、その消え方にびっくりしました。今は、すっかり「プラスチック字消し」の時代です。
しかし、まだゴム字消しが使われているところがあります。それは、シャープペンシルのキャップ内部や鉛筆の頭部などに付けられる消しゴムです。この場合は、減りが少なく強くて折れにくいことが求められるからです。また、最近は修正テープの普及で使われなくなりましたが、インクの字や印刷の字を消す「砂消し」も天然ゴムで作られています。そのほか、美術のデッサンやパステル画で使う「練り消し」も天然ゴム使用です。しかし、木炭デッサンには、消しゴムが発明される前に使われていたパンを使うこともあります。
そんな消しゴム業界ですが、最近、新しい消しゴムが開発されています。それが、科学雑誌ニュートンの今月号に紹介されています。これは、消しゴムではありませんが、書いた文字を消すことができるボールペンが話題を集めているそうです。それは、こすることによる摩擦熱によって温度が上がると変色温度調整剤が発色剤と顕色剤の結合を着ることによって色をなくすというもののようです。しかし、封筒の宛名のように仕分けのときにこすられる可能性があるときには文字が消えてしまうので使えないそうです。
また、雑誌に印刷された文字やイラストを手早く、きれいに消すことのできる消しゴムがあります。カラーでも、マンガ雑誌のような単色でも消すことができます。この消しゴムには、インクを溶かす薬剤をゲル状に閉じ込めたマイクロカプセルが練りこんであって、こするとこのカプセルが敗れ、流れ出した薬剤がインクを溶かす仕組みです。そして、解けたインクを本来の消しゴムの働きによって、消しくずにまきとらせきれいにするものです。このような極小カプセル入りは、日本が誇る高技術だそうで、他にもいろいろと使われています。このカプセルをシャープペンの芯に埋め込んで、文字を書くと香るものがあります。
文房具は、多くの人が日々使うものであり、その中でも特にボールペンやシャープペン、消しゴムは使う頻度が高いために進化をつづけています。
投稿者 fujimori : 23:32 | コメント (4)
2010年01月28日 [近頃思うこと]
いっしょ
NHKの看板番組の時間変更のもう一つは、教育テレビの「おかあさんといっしょ」の放送時間のくり上げです。教育テレビでは、子ども番組全体を見直すようです。その中で2~4歳児向けの番組「おかあさんといっしょ」は、午前8時35分から午前8時にするそうです。他にも、午前9時15分から放送されている4~5歳児対象の「みいつけた!」は幼稚園に行く時間を意識して午前7時40分からにくり上げ、0~2歳児対象の「いないいないばあっ!」は逆に午前8時15分から10分遅らせるようです。
お子様番組の王道「おかあさんといっしょ」に、 わが子は二人とも出演しました。この番組への出演は、子どもが3歳のお誕生日の月から4歳のお誕生日の月までの13ヶ月間しかチャンスはありません。しかも抽選なので、なかなか難しいのかもしれませんが、幸運にも二人とも出演できました。ですから、より思い出が深い番組です。
その番組への出演の場面は大きく分けて3か所あります。ひとつは、歌のお兄さん、お姉さんが歌を歌っている時に、その周りに座って聞いているという「歌のコーナー」です。このコーナーからは、様々な名曲が生まれていますし、お兄さん、お姉さんが誰であるかで、その時代がわかります。この番組が始まった1959年は、歌のお兄さんは一人ではなく数名いましたが、そのひとりに、その後歌手として活躍する旗照夫さんがいました。私が知っているのは、そのあと、お姉さんをやっていた真理ヨシコさんです。そして、1971年から5年間、様々なヒット曲を出した田中星児さんがいます。その途中でお姉さんとして小鳩くるみさんもなっています。そのあと、1976年から、田中星児さんに、今アニメ主題歌手の大御所である水木一郎さんが加わり、その1年あとからひとりになります。その後、宮内良さん、かしわ哲さん、林アキラさん、そして、息子が出演した時はちょうど坂田おさむに変わった時でした。彼はそのあと6~7年間も続きます。
次の出演場面は、「体操コーナー」です。体操のお兄さんも歴史を感じます。1961年、NHK「うたのえほん」で始まり、1967年におかあさんといっしょへ併合され、その時の初代体操のお兄さんとして大ブレイクしたのは、のちに番組共演が縁でドラえもんの声として知られる大山のぶ代さんと結婚した砂川啓介さんです。その後で顔が思い出せるのは、田中星児さんと一緒の時にやっていた輪島直幸です。そして、息子が出演した時には、現在、保育の歌や踊りを提案している瀬戸口清文さんで、娘の時は天野勝弘さんでした。最近よく講演先などでお会いするのは、弘道兄さんの佐藤弘道さんで、12年ほど勤めていました。
そして、最後の出演は、エンディングテーマ曲が流れる中、人形劇のキャラクターを含めたすべてのメンバーが登場し、天井からカラフルな風船がたくさん降ってくる中、2人が手をつないだアーチの下を、子どもたちがくぐり抜ける場面です。この時の人形劇のキャラクターにも歴史があります。最初は、「ブーフーウー」で、1960年から67年まで続きました。その後、「ダットくん」「とんちんこぼうず」「とんでけブッチー」「うごけぼくのえ」と続き、乱暴だけど実は寂しがりやなトラのゴロンタが登場する「ゴロンタ劇場」は、懐かしいですね。そして、「ミューミューニャーニャー」「ブンブンたいむ」の後、わが子のころは、「にこにこぷん」です。その時の主題歌は、今でも歌うことができます。
「おかあさんといっしょ」に出演しているわが子を見ている保護者の、「立ちん坊だったらどうしよう」「もっと目立つ所に行けばいいのに」「ポロリのそばに行けばいいのに」という思いをよそに、自由に振舞っているのはこどもたちでした。
投稿者 fujimori : 22:19 | コメント (5)
2010年01月26日 [近頃思うこと]
龍
視聴率20%超えをキープし、順風満帆のスタートを切っているNHK大河ドラマ「龍馬伝」が始まりました。また、今年は竜馬つながりを歩くことになりますが、昨年暮れには、妻と予告編ということで、京都伏見の「寺田屋」をはじめとして「池田屋」跡や殺害された場所、墓などに行ってきました。そのことはまたあとで書くことにします。とりあえず、今年のNHK大河ドラマ「龍馬伝」は、主演の福山雅治の人気もあって、若い人を初めてして女性からも、また、今日のニュースでは中国でもじわじわと注目を集めているそうです。
このドラマは、「名もなき若者は、その時「龍」になった」という言葉から始まり、「幕末史の奇跡」と呼ばれた風雲児・坂本龍馬33年の生涯を、幕末屈指の経済人・岩崎弥太郎の視線から描くオリジナル作品です。このプロローグの言葉は、私のこのブログのタイトル「臥竜塾」につながります。「臥竜」とは、龍になる「その時」を待っているのです。坂本竜馬を一般に人に対して、身近な人物にしたのが、同じくNHK大河ドラマにもなった司馬遼太郎さんの「竜馬はゆく」でした。この小説には、竜馬の言葉を借りて司馬さんの人間への問いかけがさまざまな場面で行われています。たとえば、彼に人生は短かったのですが、龍になる「その時」の心構えがこの言葉の中に示されています。
「人の一生というのは、たかが50年そこそこである。いったん志を抱けば、この志に向かってことが進捗するような手段のみをとり、いやしくも弱気を発してはいけない。たとえその目的が成就できなくても、その目的への道中で死ぬべきだ。生死は自然現象だからこれを計算に入れてはいけない」
このドラマの最初にかなりショッキングだったのが、身分差別です。司馬遼太郎が、「風塵抄」の中で、こんなことを書いています。「薩摩藩士族には、城下士と郷士の差別慣習があった。維新後、西郷隆盛は、城下士を近衛陸軍に入れ、郷士を東京警視庁に入れた。郷士出身の川路利良は明治6年、フランスの警視庁制度を見学し、帰国後、大警視として日本の警察制度をつくるのだが、明治10年、かれにとって最大の難事が出来した。故郷が反乱(西南戦争)をおこしたのである。川路は鎮圧側に立つにあたって、「人ト生レテ、自助独立ノ権ナク、己レ生涯ノ利害ヲ人二任シテ、羈縻(きび)(つなぎとめる)セラルルハ牛馬二均シカラズヤ」という名文でもって同郷出身の部下をはげました。警視庁の創設者もまた、自助・独立の礼讃者だった。」
少し前のブログで何回か取り上げた福沢諭吉が「学問のすすめ」のなかで「独立とは」を書いています。彼の言う「独立」は安易な個人主義ではありません。少し前から、集団教育の反省から、一人ひとりとか、個々にという概念が中心になりました。しかし、それは「個人個人」が好き勝手にやるとか、「自分さえよければいい」という意味ではなく、彼は「人間」ということを提案しています。この言葉もブログで書きましたが、「じんかん」と読ませて、「人間関係」という意味を持たせました。福澤は、独立した個人同士の人間交際の重要性を唱え、人が社会の中でどういう規範を持って生きていくかということが「独立」につながるということを言っています。
人のつながりの中で、古い考え方からの独立が、龍にさせるのでしょう。
投稿者 fujimori : 21:31 | コメント (4)
2010年01月25日 [近頃思うこと]
年賀
昨日は、お年玉年賀はがきの抽選がありました。私は、今まで4等のお年玉切手シートしか当たったことはありません。4等は、2種の下2けたが同じであればいいので、確率的に100本に1本当たるのですが、ほぼ、その確立に近い当選です。そのほかの商品は、時代を反映します。今年の1等は、「32型デジタルハイビジョン液晶テレビ」「選べる海外旅行・国内旅行」「ノートパソコン+デジタルカメラ+インクジェットプリンタセット」「デジタルビデオカメラ」の5点の中から1点が選べます。確率は、100万本に1本です。2等は、「家庭用ゲーム機」「デジタルカメラ」「ポータブルDVDプレイヤー」「加湿空気清浄機」「有名産地にこだわった特別栽培米」の5点の中から1点で、100万本に3本当たります。3等は、「選べる有名ブランド食材、地域の特産品」で、1万本に1本の確率で当たります。
ところで、第1回のお年玉付き年賀はがきの賞品はなんだったのでしょう。特等は「ミシン」、1等「純毛洋服地」、2等「学童用グローブ」、3等「学童用こうもり傘」と続きますが、ずいぶんと子ども用が多いですね。というのも、年賀状にお年玉がついたのは、戦後、ベビーブーム真っ盛りの1949(昭和24)年からだからです。それまでは、年賀状には通常の官製はがきを使っていたのですが、京都在住の郵政に関係していない人が、「年賀状が戦前のように復活すればお互いの消息もわかり、うちひしがれた気分から立ち直るきっかけともなる」と考え、年賀状に賞品の当たるくじをつけたらどうかということを郵政省に持ち込みます。最初は、「国民が困窮している時代に、送った相手に賞品が当たるなどと、のんびりしたことを言っていられる状態ではない」との反論もありましたが、結局は採用することになりました。
この世界にも類を見ない制度は、発売と同時に、大きな話題を呼び、大ヒットします。この年、年賀状の取扱量は大きく伸びることになります。そして、商品は時代を反映することになるのです。昭和31年は「電気洗濯機」、昭和35年は「フォームラバーマットレス」、昭和40年以降は「ポータブルテレビ」や「8ミリ撮影機・映写機セット」、昭和59年は「電子レンジ」、昭和61年は「ビデオテープレコーダー」と見ていくと、家電の歴史ですね。
江戸時代には、年賀状を出していたのでしょうか。日本で「年賀の書状」が取り交わされるのは、7世紀後半以降のことだと考えられています。江戸時代の寺子屋の教科書である往来物にも年始の挨拶を含む文例が数編収められています。そして、「駅伝」「飛脚」などの制度が徐々に確立してくると、一般の書状はもちろん、年賀のための書状も多くなっていったようです。実際に、戦国大名が賀詞を述べた書状なども多く現存しているようです。そして、寺子屋での教育は、武士階級だけでなく、庶民が手紙を出すことを普及させます。そんな庶民教育の急速な普及が、江戸後期には、日本は世界一、就学率、識字率が高い国になるのです。しかし、江戸時代では、「年賀の書状」は、必ずしも1月1日に出されたわけではないようです。1702(元禄15)年に編まれた雑俳撰集「当世俳諧楊梅」には、「六月に 年始の礼は かへり花」という句が載っていますが、年賀状の返事を6月に届けば、狂い咲きだと思われても仕方ありませんね。しかし、このあたりまでに返事を書けばいいとなると、ずいぶんと楽になり、正月がのんびり過ごせそうですが、今の私にとっては、年賀状の返事の締め切りは、昨日の当選番号発表日です。
投稿者 fujimori : 23:14 | コメント (4)
2010年01月21日 [近頃思うこと]
四書3
「中庸」という考え方は、どんなときにも常に重要です。四書の中の「中庸」には、そのことがいろいろと語られます。「中和」という言葉があります。この言葉の多くは、化学に使われます。「毒などを中和する」とか「酸を塩基で中和する」というように使います。学校で、酸性のものとアルカリ性のものを混ぜて、中性のものにすることを中和と言い、リトマス試験紙などを使って調べた思い出があります。 「中庸」では、このようにとらえています。
「喜怒哀樂之未發,謂之中;發而皆中節,謂之和;中也者,天下之大本也;和也者,天下之達道也。致中和,天地位焉,萬物育焉。」(喜怒哀楽の未だ発せざる、これを中と謂う。発して皆節に中(あた)る。これを和と謂う。中は天下の大本なり。和は天下の達道なり。中和を致して、天地位し、万物育す。)
喜怒哀楽という感情は、外からの刺激によっておこるものです。しかし、まだ、そのような感情が起こらない精神状態のことを「中」というと言っています。「未発」のときです。「未発」を辞書で引くと、「まだ起こらないこと。まだ外に現れないこと。」ですが、喜怒哀楽という感情は、成長のあかしでもあるのに、どうしてまだその感情が現れない状態を「中」というのでしょうか。まあ、喜怒とは喜んだり怒ったりで、哀楽も哀しんだり楽しんだりと感情がどちらかに偏っています。ですから、偏らないことが「中」なのでしょう。または、平常心であるので中なのでしょう。そのことは、次の文章でわかります。
「發而皆中節,謂之和」ということを、中庸を全訳している宇野さんはこう解説しています。「外物に感じて喜怒哀楽の情が起っても、過ぎたり及ばないようなことがない、みな当然あるべき節度に適うのを和という。」度を越さないことを「節度」ということがあります。そして、何について度を越さないかで節度の意味合いが違ってきます。節制をするというような「欲求・要求」などにおける節度、礼節を持ってというような「上下関係・規律」などにおける節度、節操があるというような「道徳的・精神的」な節度などがあります。節度には、ずいぶんといろいろな使い方があります。このようなお互いが節度をもって関わることを「和」というのです。即ち、「和」とは、共生であり、調和です。
こういった「中」が天下の万事万物の根本であり(未発の中)、こういった「和」がどんな世界にも通じる道(中節の和)なのです。そして、「致中和,天地位焉,萬物育焉。」とあるように、中と和とを実行し、極めていくことが「中和」ということで、そこに達するために修養を積んでいかなければならないのです。そうすると、天地すべてのものの在り方がそれなりの位置に落ち着き、万事万物すべてが健全な生育をとげていくことができるようになるのです。
これらのことが、「中庸」の第1章に書かれていて、それは孔子が子思に伝えたかった趣旨なのです。そして、そのあとの章で、子思が「礼記」から「中庸」に関して孔子が言った言葉を引用して、その意義を書いたものがこの「中庸」です。
私は、江戸時代での寺子屋、藩校での教育をもう一度見直すと言って、その中で行われている内容についてはそれほど造詣が深くありません。そこで、その時の主な教科書であった四書のなかの「大学」と「中庸」を考えてみたのですが、やはり難解です。というのも、その言葉の理解よりも、その言っている意味を考えないといけないからです。しかし、二宮金次郎が、子どものころに背中に薪を背負って、さもテレビゲームをやりながら歩いている人と同様に「大学」や「中庸」を読んで歩いている姿を見ると、昔の人は学歴やいろいろな知識がなかったであろうと思われますが、どうして理解ができ、感動し、影響を受けたかが不思議に思われます。
投稿者 fujimori : 22:49 | コメント (4)
2010年01月20日 [近頃思うこと]
四書2
中庸とは偏りが無いということから永久不変のものという意味があり、四書の「中庸」は、不変の道理を説く書という意味があります。それを、本文宋朱熹章句でこう言っています。「子程子曰、不偏之謂中。不易之謂庸。中者、天下之正道、庸者天下之定理。」
二程子はこう言っています。偏っていないことを「中」と言い、変わらない事を「庸」と言います。さらにまた「中」は天下の正しき道理を「庸」は一定して変わらない天下の定理とも言います。ですから、正道とは偏って(かたよって)はいけない「不偏の大綱」であり、すべての基礎となり、定理は変わってはいけない「不易の条理」で、細目を表しているのです。
そうはいっても、なかなかわかりにくい「中」と「庸」です。特に「中」は当時からわかりにくかったようです。偏らないとは、偏見を持たないということでしょうが、朱子の解説によると「偏らず倚らず(不偏不倚)過不及無きの名」と言っていますが、この不倚とは、倚(よ)りかからないことですので、どこにも「依存しない」という意味です。ということは、「不偏不倚」とは、「特定の考えに偏らず何物にも依存しない」ことを言います。それが「中」です。真ん中です。
そして「庸」とは、「不易」というかわらぬことで、易ゆと書いて「かゆ」と読みますが、その意味は、「換ゆ」とか「替ゆ」とか「代ゆ」と同じ意味です。また、朱子は、「庸」のことを「平常なり」と言っています。一見、関係ないようですが、平常というのは、常に行うということなので、不易と同じことになるのでしょう。
まず、何にも偏らないということは言うほど簡単なことではなりません。どうしても人は刷り込みがあり、ある偏見の心があります。それをなくしてものの本質を見ることは、よほど心を澄ませなければなりません。以前ブログに書いたバリアフリーに通じます。心のバリアを取り払うことで、真実に近づけるのです。それを考えていたら、面白い事に気がつきました。というのは、不易は平常と同じだとすると、不易の心は平常心ということになります。医学的にいえば、平常心とは交感神経と副交感神経のバランスがとられている状態です。それは、物事に柔軟に対応できる心であり、図太くしたたかな心でもあります。その平常心について松下幸之助が「素直な心になるために」という中で、こんなことを言っています。「素直な心というものは、どのような物事に対しても、平静に、冷静に対処していくことのできる心である。素直な心がない場合には、感情にとらわれ、われを忘れて、思わぬ失敗を招くことにもなりかねない。」
物事に対して平静に、冷静に対処するというこことは平常心です。そうすることで、物事の本質、道理が見えてくるものであると言っています。「素直な心を養うためには、素直な心になることを忘れないための工夫をこらすことも必要である。」素直な心を保つには、工夫がいるようです。それが平常心を持つこと、偏らない目、動じない心、そんなものが必要になってくるのです。ということは、どうも、考えていくと、「中庸」の「中」と「庸」は、同じことにたどりつくようです。
ですから、この「中庸」は「孔子門下に伝わりし聖者伝授の心の法なり 後世の誤伝の事を子思恐れ「中庸」作し孟子に授く」とあるように、「中庸」一篇の書は、「孔門伝授の心法」というように、孔子の門人に伝授された心に関する根本の教えなのです。中庸には人生の極意が随所に述べられており、生きていく上でとても大切な内容がちりばめられています。
投稿者 fujimori : 23:33 | コメント (4)
2010年01月19日 [近頃思うこと]
四書
また、中国の四書五経の話に戻ります。四書とは、「大学」「中庸」「論語」「孟子」のことをさしますが、その中の「大学」は儒教の政治思想で、「中庸」は倫理を説くものだと言われています。この「中庸」も、「大学」同様、もともとは「礼記」中の1篇で、孔子の孫である子思の作とされています。
この「中庸」という言葉は、かなり哲学的な話になるので厄介です。何となく普段使う場面は、仏教用語の「中道」に近い意味に使われることが多いのですが、真ん中の道というように、黒白どちらかではなく、その真ん中という考え方もあるということしょう。しかし、たとえば仕事と育児の真ん中ということはありませんし、両立といって両方ともする事でもありません。その時には、その二つのバランスをよりよく取っていくという意味になります。最近、どうしてもどちらかとか、両方ともといって自分を苦しめる人が多くなった気がします。そんな時には、中庸という考え方をしたらどうでしょうか。
初めて「中庸」という言葉が出てきた「論語・擁也」で、孔子は、「中庸の徳たる、其れ到れるかな。民鮮きこと久し」と言っています。中庸という考え方は「不足でもなく、余分のところもなく、丁度適当にバランスよく行動できる」ということで、人徳としては最高のものとても素晴らしいものと位置づけています。しかし、「民に少なくなって久しい」と言うように、このころも、そのように考える人が少なかったのでしょう。また、なかなか習得できない高度な概念でもあるのでしょう。
私は、「中庸」ということを「バランスが取れた」ととらえると同時に、もうひとつの考え方を持っています。それは、「庸」という漢字です。「字統」には、「庸」という漢字は、庚と用に分かれ、「庚」は、「杵(午)を二本の手で持つ形」であり、「用」は木や竹を筒状の籠の形に編んだもの」とあります。ですから、「庸」とは、籠に土を入れて二人で杵を使って固めたものということで、「ひとりの考えだけで行動するのではなく、多くの人の考えを取り入れながら行動する」ということで、「共生」の概念をも言っている気がします。「あなたと私で一本の棒を持ち、力を合わせて両者を包摂する新たな道を築きましょう」ということです。古代ギリシャにおいても、「中庸」という概念は尊重されていたようで、アリストテレスが「メソテース」と言って倫理学上の一つの徳目として尊重しています。
とりあえず、四書の中の「中庸」では、どんなことを言っているのでしょうか。
冒頭には、「天命之謂性,率性之謂道,修道之謂教。」と書かれてあります。これは、人が天から授かったものは、本性であり、その本性に従って生きていくのが、人の道である。その道を修めることが教育であるというのです。人は、誰でも善である本性を持っているもので、その本性に生きていこうとする「道」を極めるために、それを自覚し、磨き、修養していくことが必要なのです。
その「人の道」とはどんな道なのでしょうか。中庸を訳した名著に宇野哲人の全訳本があります。そこには、「道路といわんがごとし。宇宙の森羅万象は道によって完全に存在するよりいってこれを天道といい、人倫相互の関係は道によって円満に履行せらるるよりいってこれを人道という。天道と人道との名は異なれども、見方の相違であって、その実は唯一不二である。しかしてこの道は他なし、各々その天性に卒有するに在るのみ。故に「性に率うをこれ道と謂う」という。」と書かれてあります。人と人との関係は、人として守るべきことをわきまえることによって円満になるのです。その人としての生き方、人との関係を学ぶことが教育なのです。
投稿者 fujimori : 20:48 | コメント (4)
2010年01月15日 [近頃思うこと]
大学3
明日は大学入試センター試験ですが、1979年から1989年の間、国公立大学及び産業医科大学の入学志願者を対象として共同して実施した基礎学力をみるために「大学共通第1次学力試験」という試験を行っていたことがありました。中国の隋から清の時代までである598年~1905年の間、官僚登用試験である「科挙」という試験が行われていたことがありました。科挙という語は「(試験)科目による選挙」という意味です。どんな試験も嫌ですが、この科挙は、特に大変だったようです。競争率も約3000倍だったとも言われ、最終合格者の平均年齢も、約36歳と言われています。この科挙は、最初のうちは文芸中心の進士科が重んじられ、宋の時代になると、朱子によって四書五経を対象とすることが確立します。その中で、五経については、そのうちの一経だけを選択受験すればよかったので、四書のほうの勉強が中心でした。その四書は「大学」「中庸」「論語」「孟子」ですが、この順番は中国でこれらの書物が成立した順ではなくて、中国で習う順番です。ですから、一番最初に挙げられている「大学」が、いわば共通一次試験の入門テキストのようなものだったために、誰もが読んだのです。
この「大学」の意味は、「学の大なるもの」ということで、朱子は、この思想を三綱領八条目に整理したのです。三綱領というのは「明徳」「新民」「止至善」で、八条目が、「格物・致知・誠意・正心・修身・斉家・治国・平天下」です。そこまでの説明は、ブログで書きましたが、まだまだ参考になることがあります。
「湯之盤銘曰“茍日新,日日新,又日新”」(湯王が、毎朝使う洗面器にはこんな言葉が刻まれています。「本当に毎日毎日新たな気持ちでいなければならない」ということで、日々が発見であり、学習であり、自らの歩みを進める必要があるのです。それを、毎朝確認をしていたという逸話を紹介して、マンネリを防ぐだけでなく、実践の大切さも言っているのです。そして、そんな努力を続けていけば悟りのように、ものの理がわかってくるものなのです。大学・伝5章に書かれてある「至於用力之久、而一旦豁然貫通焉、則衆物之表裏精粗、無不到、而吾心之全體大用、無不明矣。」(力を用うるの久しき、一旦豁然として貫通するに至りては、則ち衆物の表裏精粗、到らざるなく、而して吾が心の全体大用も明らかならざるなし。)と書かれていることです。あるときにパット悟りが開けることを「豁然貫通」と言っています。よく、長い間、心に抱いていた迷いや疑いなどが何かの拍子に急に解けて、真理を悟ることを「豁然大悟」と言いますが、この言葉は、禅宗などの熟語を採録した中国の字典「祖庭事苑」に載っている言葉です。
伝5章に書かれてある大学で言う悟りとは、事物の表裏細部に至るまでそこに貫かれている理を極めつくすことであり、それによって、自分の心の英知を十分に発揮できるようになることなのです。そのために、自分自身を欺かないこと「誠意」がまず必要です。そのためには、独りよがりを避けなければなりません。つまらない人は、一人で暇になると妄想だけが広がり、主体性がなくなるのです。これが、有名な言葉、「故君子必慎其獨也。小人閒居爲不善、無所不至」(小人間居して不善をなす、至らざる所なし)
「大学」は、「己を修めて人を治める」ための書物なのです。
投稿者 fujimori : 22:56 | コメント (3)
2010年01月14日 [近頃思うこと]
大学入試
ここ数日、四書五経の「大学」について書いていますが、同じ大学でも、今週末には大学入試センター試験が行われます。この日程は、文部科学省の通知として1月13日以降の最初の土曜日親日翌日の日曜日と決められているのです。受験生や、その家族は、体調管理などで大変でしょうね。少子化で少しは大学入試が楽になったのかもしれませんが、人気のある大学では相変わらず大変のようです。
昨日、オランダのイエナプランの紹介者でもあるリヒテルズ直子さんから、最近出版した本をいただきました。その本は、「私なら、こう変える!」20年後からの教育改革(ほんの木)というもので、14人の識者がこれからの教育に対して具体案を提案しているものです。これら14人の主なメッセージとして紹介されているもののひとつに、「大学入試制度撤廃」というものがあります。それに対してリヒテルズさんは、8つの提案をしています。そのひとつが、「入試をやめて明確な卒業資格基準で進学を可能に」というものです。
ここに書かれている内容を読むと、欧米では、入試制度は例外だそうです。普通は、進学の要件は、それまでの教育課程の卒業資格を取得していることで、その資格の基準は、国が定めているそうです。こうすることにより、次の利点が生まれると言っています。「1、一生いつでも進学できる 2、一旦ある学科に入った後からでも自分の適性や動機に合わせて進路を変更できる 3、生徒の力を1回限りのペーパーテストでではなく長期にわたる観察で多面的に評価できる 4、生徒間に競争による相対評価ではなく、進学先の教育機関にふさわしい必須能力という観点から絶対評価をするので、生徒間に競争ではなく協働・協力の関係が育つ 5、生徒たちは試験のために終わりのない競争に駆り立てられることなく、社会性や情緒の発達など、人間としての幅広い発達の機会を得られる」
このような大学は、確かに大学で学ぶためにはとてもいい気がします。しかし、今、日本では大学で学ぶというよりも就職のため大学に行くという動機が大きい気がします。ですから、入学することに価値があり、また、どの大学を選ぶかも、その大学で何を学びたいかではなく、どの大学が就職に有利か、名の知れた大学であるかということで有名大学に人気があるのでしょう。そのあたりは、少しずつ変わり始めてはいますが、どうでしょうか。
60年代の終わりから70年代にかけて、それまでの権威的で保守的な画一教育を廃し、子どもたち一人ひとりの健全な発達を保障する個別教育への転換を図り、子どもの幸福度が高く、学力も他の欧米諸国の中でも高い位置に引き上げたオランダの教育を紹介しているリヒテルズさんが執筆している章の最後にこう書いています。「自立と共生を養う時間は、決して学力を伸ばすことを犠牲にするものではありません。自分の能力や適性を知り、自分にふさわしい社会的な役割を見出すことに努力する子どもたちは、おのずと、学びの意義を自覚し、知識欲を持つようになるからです。」
最近、私は子どもたちを見ていると、「自立と共生」ではなく、「共生を知ることが自立することである」と思います。そして、他に貢献しようとする心が意欲を生むと思っています。しかし、リヒテルズさんが言っていることと基本的には同じ考え方です。
投稿者 fujimori : 20:56 | コメント (4)
2010年01月13日 [近頃思うこと]
大学2
中国の四書五経のうちの「大学」は、中江藤樹や二宮尊徳だけではなく、いろいろな人に影響を及ぼしたような気がします。たとえば、少し前のブログで話題にした福沢諭吉の「一身独立」という考え方も、展示会ではそうは書かれていませんでしたが、ずいぶんと影響を受けていると思うのですが。
「大学」では、こう書かれてあります。「古之欲明明德於天下者,先治其國;欲治其國者,先齊其家;欲齊其家者,先修其身」昔から、天下に明徳を明らかにしようとする者(自らの徳で人民に影響し、天下に太平の世をもたらそうとするもの)は、まず、その国を治めようとした。その国を治めようとする者は、まず、自分の家庭を和合させようとした。家庭を和合しようとする者は、自分自身の徳を深め、修養しようとしたのです。
そして、二宮金次郎が薪を背負って読んでいる書物である「大学」の開いているページには、こう書かれてあります。「一家仁,一國興仁;一家讓,一國興讓;一人貪戾,一國作亂。其機如此。」(一家仁なれば一国仁に興り、一家譲なれば一国譲に興り、一人貪戻なれば一国乱を作す。その機かくのごとし。)」どちらにしても、国を憂えるのであれば、自分自身がきちんと徳を積まなければならないことを言っています。
「大学」の昨日書いた最初の文章の続きにはこうあります。「知止而後有定,定而後能靜,靜而後能安,安而後能慮,慮而後能得。」至善に止まることが出来たら、そののち志は決まってくるものです。そして、その志が決まってきたら、心の動揺はなくなります。そのような静かな心境ののち、どんな状況下でも安定してきます。それは、安定してこそ思慮をめぐらすことが出来るのです。そして、思慮をめぐらすことが出来て初めて様々な能力がついてくるのです。幼稚園教育要領の中で「幼児は安定した情緒の下で自己を十分に発揮することにより発達に必要な体験を得ていくものであること」と書かれてあることと同じことを言っています。
では、どうしたら自らの徳性を高めることが出来るのでしょうか。「大学」には、こう書かれてあります。「欲修其身者,先正其心;欲正其心者,先誠其意;欲誠其意者,先致其知,致知在格物。」自らの徳を高めるためには、まず、心を正しくしようとしなければならない。心正しくあろうとする者は、心の働きに少しの邪心も入り込まないようにし、誠を持っていなければならない。そのためには、判断力を磨くことをし、更に物事の道理を極めようとしなければならないのです。ここで言う「身を修める」ということが「終身」であり、今で言う「道徳」なのです。この道徳は、教科として教わることでもなく、命令されてそのようにやることではなく、自ら自分自身を磨くことなのです。それが、幼稚園教育要領に書かれてあるように、「幼児の主体的な活動を促し」であり、「 幼児の自発的な活動としての遊び」が行われなければならないことなのです。
そして、ここでいう心を正しくしようとするものが、「意を誠にする」ことが「誠意」なのです。そして、「正心誠意」であることが「格物致知」につながっていきます。そういえば、以前、食育についての記事を紹介したことがあったのですが、それが掲載されていたのが「致知」という雑誌でした。
これに対して、陽明 は、天理である心の良知を致すのが「致知」であり、「格物」とは良知によって事象を正して理を得させる事だと「致知格物」を主張しました。儒教の特徴として「大学の8条目」である「格物」「致知」「誠意」「正心」「修身」「斉家」「治国」「平天下」は、その逆も成り立つとしているのです。
投稿者 fujimori : 22:53 | コメント (5)
2010年01月12日 [近頃思うこと]
大学
私のブログによく登場する書物といえば「論語」です。この論語は、孔子とその弟子たちの語録で、もっとも古いものとされ、この孔子を始祖とする思考・信仰の体系が儒教と呼ばれ、その一門を儒家と呼びました。孔子の死後、儒家は八派に分かれます。そのなかで孟子は性善説を唱え, 孔子が最高の徳目とした仁に加え、実践が可能とされる徳目義の思想を主張します。また、周から漢にかけて儒学者がまとめた礼に関する書物を、戴聖が編纂したものが「礼記」という全49篇からなる書物があります。そして、この49篇は、各篇独立した書物ですので、各篇を単独で読む傾向がありました。特に、その中の「大学」と「中庸」の2篇は独立して扱われ、「論語」「孟子」とともに四書の一つに数えられるようになりました。
この大学は、伝説上、孔子の弟子の曾参の作とされ、元来は、五経の一つである「礼記」という大部の1篇であって、原文は僅か1753字、字種は394という四百字詰め原稿用紙四枚半にも満たないものですが、「大学は孔氏の遺書にして初学入徳の門」と称されるようになり、四書の最初に置いて儒学入門の書としたほど重視されました。儒教を勉強するとなると、すぐに論語を思い浮かべますし、せいぜい孟子を読みます。しかし、まずは、「大学」ですが、なかなか「大学」に触れることは少ないです。昨日のブログで紹介した「翁問答」を書いた中江藤樹は、この四書の中の「大学」に非常に感銘を受けます。また、戦前の小学校の校庭には、焚き木を背負い歩きながら本を読んでいる「二宮金次郎」像が必ず置いてありましたが、この金次郎少年が読んでいる本は、実は「大学」なのです。
二宮金次郎は、神奈川県の小田原で生まれ育った二宮家は村でも有数の富農でしたが、金次郎の父の時代に、ほとんどの財産を失ってしまいました。さらに、金次郎は14歳のときに父を亡くし、一家4人の生活を一人で支えていかなければなりませんでしたので、朝は暗いうちから山で薪を集めて町に売りに出掛けて行きながら、本を読んだ姿が像になっているのです。そして、金次郎は、この貧乏から脱却し二宮家を復興させるために、父からもらった「大学」やその他の書物を熱心に読んだのです。
大学の最初には、こう書かれてあります。「大學之道,在明明德,在親民,在止於至善。」ここには、学問をする目的が書かれてあります。それが、「大学の道」です。「在明明德」とは、自分が生まれつき持っているすばらしい徳を発現することとしています。その徳とは、能力と人格が備わっていなければならないのです。その二つの面を自ら高めていくために磨いていく必要があります。しかし、自分だけ高まればいいわけではありません。その次の「在親民」というのは、自分だけの修養ではなく、その徳をまわりの人々にも及ぼし、その人たちの徳も発現していけるように導いていかなければならないのです。そして、最後のそのように到達したら、「在止於至善」と言っているように、その状況を維持していく努力も必要なのです。「至善に止まる」とは、明徳を明らかにし、民を新たにすることが出来た最高の状態を、維持していくということなのです。この三つが「大学の三綱領」と言われているものです。そこで、「至善」とはどこに置くべきかを考えることが必要になってくるのです。
中江藤樹や二宮金次郎は、大学を読みながら、そんなことを考えたのでしょうが、この大学の三綱領が今の私の目指すところでもあるのです。
投稿者 fujimori : 21:02 | コメント (4)
2010年01月10日 [近頃思うこと]
授乳
室町時代の「世鏡抄」には、「是則ち不老不死の薬也」と母乳の大切さが書かれてあります。この母乳について、授乳の考え方が少し前までは日本と西洋との違いが言われていました。アメリカ政府刊行物の育児案内書「インファント・ケア」の1914年に出された創刊号にはこう書かれてあったようです。
「赤ん坊は、生まれた時から、時計どおりに規則的に授乳すべきであり、授乳と授乳の間には、飲み水以外には何も与えられるべきではない。」
「育児の国際比較」(恒吉僚子・S.ブーコック編集)NHKブックスに、このことについてかつて話題になったベネディクトの「菊と刀」(1946年出版)に書かれてある文章を紹介しています。赤ん坊が空腹であろうと、単に甘えているのであろうとも、欲しがる時にはいつでも乳を与えられる日本のしつけと、一定の授乳や睡眠のスケジュールを生まれてすぐに、決め、赤ん坊がいかに授乳時間の前や就寝時間に騒ごうとも、その要求は満たされないとするアメリカのしつけを対置させています。しかし、戦後、アメリカの文化が入ってきて、その育児が理想かのように思われていた時代の日本では、時間を決めて授乳をしていました。私が、少し前に聞いた話では、午前中の離乳食は、何時にあげましょうという育児書に合わせて、一生懸命に手作りで離乳食を作り、出来上がった離乳食をすべて赤ちゃんの前に並べ、スプーンに乗せ、育児書に書いてあるその時刻になると構えていて、時報と同時に口に入れる人がいるということでした。あまりに出来すぎた話ではありますが、実際にある母親からの相談を受けたはなしです。
しかし、最近の育児書では各国による差はたいしてないようです。どの国も厳密に時間を決めて乳を与えるよりも、赤ん坊の空腹に合わせた自己要求型の授乳を目指しているのです。では、なぜ日本では早くからそのような考え方であったのでしょう。「育児の国際比較」の本に書かれてあります。それは、日本庶民の子育ての伝統は、元来、欧米と比べた場合、授乳などに関して、子どもの欲求に応じようとする寛容なものであると言われてきました。赤ん坊が大人の背中におんぶされ、添い寝をされ、泣いてはあやされ、乳を含ませられる日本の育児のイメージは、子どもに早くから一人部屋を与え、「抱き癖をつけない」、「甘やかさない」というような欧米的な育児のイメージと対照的だとされてきたからです。そのような中で、「規則的に授乳」の発想も、子どもとは別個の親自身の生活を確保し、早くから規則的な身体の統制を教えようとする「欧米的」な子育て観に沿うものであると考えられてきました。
ですから、規則正しく授乳をするのは、子どものためだけではなく、母親の仕事を最小限に抑え、母親に休養と気晴らしの時間を確実に保障する意図もあったようです。しかし、こんな風潮の中でも一時期日本でも育児書のバイブルになったスポックの育児書では、赤ん坊が空腹を訴えたtロ機に食べさせるべきであることを訴えています。しかし、今は、そのスポックでさえ、赤ん坊の個性に配慮しつつも、親が特定のスケジュールに誘導すべきであるという考えは保守的であると言われるほど、寛容化しているようです。
育児方法は、どれが正しいというだけでなく、大人の都合や、また、科学の解明、外国の影響、粉ミルクや哺乳瓶など技術や道具などの発明によっても左右されるようです。
投稿者 fujimori : 21:48 | コメント (4)
2010年01月09日 [近頃思うこと]
初恋の味
私が若いころ、地域の園長たちと「乳幼児の世界展」というイベントを毎年駅ビルで開催していました。その中で、子育てへのヒントとしてCMコピーをもじって訴えたことがありました。そのときに食育をテーマにつくったコピーは、「離乳食は初恋の味」というものですが、もとのCMのコピーは、「カルピスは初恋の味」です。もうひとつは、「100円でポテトチップスは買えますが、ポテトチップスでは健康は買えません」というものでした。もとのCMコピーは、「100円でカルビーポテトチップスは買えますが、カルビーポテトチップスでは100円は買えません。あしからず。」というものですが、ずいぶん懐かしいコピーですね。
赤ちゃんは、離乳食で初めていろいろな味と出会うわけですので、とても大切であることを訴えようとしたのですが、実は、その前に赤ちゃんが飲む母乳にもいろいろな味があり、おいしい母乳とまずい母乳があるそうです。母乳の原料は血液です。ですから、母乳の味を左右するのは、血液の素となる「食べ物」なのです。では、どんな食べ物が母乳をおいしくするのでしょうか。それは、「昔ながらの和食」にあるようです。和食の主食は、ご飯ですが、これには水分が多く含まれているうえ、他の炭水化物に比べて消化もよく皮下脂肪になりにくい食品です。また、日本食の家庭料理の定番である豆腐や納豆やみそなどは大豆製品ですが、これにはたんぱく質のほか、ビタミンをはじめとするさまざまな栄養素が含まれています。
また、栄養素の中で母乳の量や質にもっとも影響するのは脂肪です。それもなるべく植物性のものか、動物性脂肪であれば魚を中心に、特に白身魚は授乳中のトラブルが少ないので母乳をおいしくします。他にも和食につきものの煮物などに多く使われる根菜類(大根やにんじん、ごぼう、れんこんなど)は母乳の出を良くするとされ、おひたしなどで出される葉物類や海藻類には母乳をサラサラにする効果もあります。和食は素晴らしいですね。
ここ数日注目している「世鏡抄」にも、母乳についての注意事項が書かれてあります。「朝には速く起き出でて乳房を朝日の光に当て、其れを君子に奉るべき也。是則ち不老不死の薬也。早晩も早晩も味好き美物を食すべし。悪しき物をくはば乳あしくて生長難し。」 朝は早く起きて、乳房を朝日に当てなさい。そして、若君に与えなさい。これを読むと、どうも母乳を与えるのは母親ではなく、乳母だったのかもしれません。そして、母乳は不老不死の薬となると言っています。母乳のよさがわかっていたのですね。そして、よい母乳を作るために、毎晩欠かさず美食なさい。食事が貧相だったり、悪いものを食べると乳質が劣化し、子どもの発育に支障があると言っています。そのあとに、食事について注意事項が書かれてあります。これは、よい母乳を出すための美食の説明でもあるのです。「魚鳥の中にも名鳥名魚を食はば、骨となり筋となり皮肉となり、鳥は骨となる。味噌は血と成り、米は筋となる。酒は皮肉の間の血となる。去れば過ぐるは皮と肉と各々になりて心も狂ほしく短命也。如何にも如何にも十三迄は多くのますべからず。」
今の説と若干違うところもありますが、なんといっても室町時代に書かれたものですから。
投稿者 fujimori : 20:31 | コメント (4)
2010年01月08日 [近頃思うこと]
室町時代
江戸時代の寺子屋とか藩校における教育はよく論じられることが多いのですが、それ以前の教育機関についてはなかなか目に触れることはありません。室町時代に教科書として使われていた書物については、ほとんど江戸時代でも使われているので資料が多いようです。しかし、逆に言えば、江戸時代の教科書にある道徳観とかは、室町時代の影響をずいぶんと受けていることになります。
教育を受けることが出来るのは、世界中でもある一部の階級でした。それは、教育内容が読み・書き・計算であれば、その必要である人は限られているからです。しかし、日本では早い時期から同時代のヨーロッパに比べても格段と識字率が高かったと言われているのは、教育が一部の特権階級だけのものではなく、室町末期になると、下級武士や農民、商人など、あらゆる身分の少年達も学んでいたからです。室町末期に来日した宣教師フロイスは、「日本では、全ての子供が寺で学習する」と言っています。これは、室町時代の書物「世鏡抄」の中で「貧卑・孤独の人の子であってもしっかりと教えよ」とあるように、寺入りした少年を、貧富や身分で差別してはならない、むしろ庶民の子を、武士の子よりも親切に教育してあげましょうと言っております。それは、孝も書かれてあるからです。「侍の子の悪事は三度まで許し、それ以上は父母の許に返し、凡下の子どもならば十度まで教えよ」とあるように、侍の子には厳しくあったようです。それでも、3度までは許していたのですね。
このころの教育は、全寮制でした。それは、7~10歳ごろから寺に住み込んで、ときどき里帰りをしながら、元服(13~16歳ごろ)まで教育を受けていて、通学していたのは稀だったようです。「世鏡抄」によると、基本的な1日の時間割はだいたい次のようだったようです。まず、6時から9時までは経の勉強をします。そして10時から午後1時までは、習字です。そのあと1時から3時まで読書。そして、その後7時くらいまで「諸芸の遊び」です。この遊びについて世鏡抄では、「遊戯あまりすれば、心乱れて學文跡を忘れ、時々遊戯せざれば、心気起こりて、病出来するなり」と書かれてあり、初めて「遊戯」という言葉が使われたとも言われています。それにしても、あまり遊びすぎるとまずいけれど、ときどき遊ぶことは「心気起こりて 病出来するなり」というように、遊びの効用を認めていたようです。
その後、夜になると、7時から9時までは音楽教育です。詩、歌、物語、笛、尺八、琵琶、管弦などを習ったようです。そして、やっと、9時から11時まで自由時間です。全寮制なので、この時間割をびしっとやらされるとなるときつい気がしますが、そんなことはなかったようです。かなり自由に遊びまわったり、その子が興味を持ちそうな本を選んで、読み書きをさせるとか、基本的にその子の発達にあった個人指導だったようです。
そして、その生活において「去れば千日智者の敵とは成るとも愚者の友と片時もならざれと云へり。」とあるように、智者と千日間にわたって敵対するとしてもいいが、愚かな友とは、一瞬たりともつきあうべきでないと言っています。
世鏡抄は、面白いですね。
投稿者 fujimori : 22:34 | コメント (4)
2010年01月07日 [近頃思うこと]
登山
よくブログで、江戸時代の寺子屋のことを書きますが、この寺子屋は自然発生的に生まれてきた「読み」「書き」を中心とした庶民の教育機関です。しかし、その前には教育がされていなかったわけでもありませんし、教育機関がなかったわけではありません。その教育機関として中心となったのは、鎌倉時代までは、貴族階級を対象にしたものであり、知識の伝達の担い手は貴族でした。それが、鎌倉時代になって武士が台頭してくるに従って、貴族に変わって僧侶が新しい教育の担い手になってきます。その場所も、奥深い山中の寺院となり、そこで弟子たちを養成していきました。最初は、僧侶の養成を目指した寺院教育でしたが、次第に、そこで教育を受けたものが、世俗に戻っていったのです。昨年のNHK大河ドラマでも、上杉謙信が幼少のころ春日林泉寺で学んでいたことが描かれていました。
しかし、この寺院教育では庶民の子どもではなく、武士の子ども対象でした。子どもたちは、7歳ころになると、「登山(入山)」といって寺院に入り、4~5年くらいそこで教育を受けます。その後、13歳位になると、その寺院教育が終了します。それを「下山」と言います。この機関の授業は、読み、書きのほか、和歌や連歌、管弦などの音楽教育もありました。その時の教科書は、寺子屋でも使っていた「童子教」「實語教」「庭訓往来」などでした。
このころのことが「世鏡抄」という書物に書かれてありますが、この本は、作者や成立年代が不明ですが、だいたい室町時代に、国人領主層の子弟を七歳から十三歳まで教育していた真言宗系の寺院でまとめられたものではないかと言われています。その「第七 若身持之事」の章には、守役・乳母に対する若君の幼少期の育て方についてまとめられています。「誕生の蟇目より七歳までの学文始め迄肝要也。如何にも如何にも賢人の御父、智人の乳母をつくべき也。君は又おちめのとの膝に三歳まで居て、四歳より少しづつ云ふ事を覚るべき也。賢人のおちは大義を教へ、智者の乳母は生長してより以来四恩の道を教へはたして、一命を重んじて君に軽く仕へよと云ふべし。」ここには、教育上、最も重要である期間は、赤ちゃんから七歳までの期間であると言っています。今、OECDが提案していることに、最も重要な機関が0歳児から8歳までであるというものがありますが、この世鏡抄でも、ほとんど同じことを言っています。そして、それぞれの年齢におけるポイントを言っています。「三歳までは守り役・乳母の膝で甘えていてもよい」「四歳ごろから少しづつ大人の言いつけを理解するようになる。是非とも賢明な守り役・乳母を付けるべきだ」と言っています。数え年ですが、3歳くらいまでは、保育者は子どもを十分に受容することが大切であり、4歳くらいからはきちんと専門性を持っている保育者が育てるべきであるというのは、今と全く同じ考え方で、室町時代と変わらないですね。そして、子どもの成長過程において四恩の道(一切衆生の恩、父母の恩、国主の恩、そして仏・法・僧三宝の恩)をしっかり教え、命の大切さ、他人への貢献を教えるのが専門性であると言っています。
このあとがまたまた面白いです。それは、「如何にも如何にも愚者に片時須ユも添ふ事なかれ。愚は先生之畜生、今仮に人となれり。賢は菩薩の身、智は諸天の化現なれば、今生のみか後生までの事なり。」というように、愚かな人につくとロクなことにならないと警告しています。
もう少し、世鏡抄を読んでみましょう。今に通じるものがあって、面白いですね。
投稿者 fujimori : 21:45 | コメント (4)
2010年01月06日 [近頃思うこと]
高齢者
電車の中吊り広告で、いいコピーを見つけました。「年齢よりも意欲だろっ。」というものです。写真には、三浦雄一郎氏が大きなリュックを背負って雪山の前に立っています。

確かに、三浦雄一郎氏は、エベレスト大滑降、七大陸最高峰スキー滑降など、数々の冒険で日本中を沸かせました。2004年と今年、70歳、75歳で2度も世界最高峰のエベレスト登頂に成功したことは、私たち団塊の世代を初めてして、中高年の人たちを、十二分に元気づけました。普通の人であれば、この年齢になると歩くこともおっくうになったり、足だけでなく、呼吸も苦しくなり、体力もなくなるのに、どうしてそれほどまでに元気なのか?と思います。また、なぜいつまでも挑戦し続けるのだろうか?そして、生き生きと輝いているのだろうか?不屈の冒険家として、いつまでも夢を失わず、確かな目標を立てて進む姿は感動します。そんな意味で、彼の生き方は、中高年世代の生きる師として、生きるモデルとなると思います。
しかし、この中吊り広告を読んで「?」と思ってしまいました。なぜかというと、この広告にある文章を読んでみると、「いくつになっても働くことのできる社会を」と書かれてあります。「働きたい、という気持ちに年齢制限はありません。身に付けてきた技術や能力を活かしたい。これは高齢者の強い想いであり、社会の願いです。」と書かれてあります。
この広告は、厚労省を初めてして、独立法人高齢・障害者雇用支援機構などが、高齢者の雇用促進のキャンペーンです。その趣旨には、こんなことが書かれていました。昨年、団塊の世代680万人の全員が60歳代になり、3年後の2012年には65歳に到達し、高齢化はさらに急速に進んでいます。しかし、わが国は厳しい経済環境がなお続いていますが、人口・労働力の減少と高齢化は確実に進行しています。このように多くの困難に直面しているときこそ、将来を的確に展望し、活力ある社会の構築に向けてわが国の高齢者の高い就業意欲と経験・技能を活かし、いくつになっても社会の支え手として活躍するとが出来る仕組みづくりに取り組むことが必要です。高齢・障害者雇用支援機構が昨年行った調査によると企業の3社に2社が「70歳雇用への取り組みが必要」と考えており、多くの企業では70歳まで働ける企業の実現を目指した具体的な検討を進める段階にきているようです。
しかし、このポスターを眺めていると、三浦雄一郎は、どう見ても働いているのではなく、仕事をリタイアした後、自分への挑戦、冒険をしている姿にしか見えません。昨年、ドイツに行ったときに、保育者たちが1週間のストライキをしていました。その要求のひとつが、定年が延長される中、「57歳定年」でした。「いつまで、私たちを働かせつもりか!」というものです。その背景には、退職後に充分な生活保障があるからでしょうが、一生懸命に働き、社会に貢献してきたのだから、老後は、自分の好きなことをして日々を過ごしたいというのでしょう。このポスターの三浦さんを眺めていると、好きなことには年齢が関係ないし、意欲は、好きなものだからこそ持てるのだと言っているかのようです。
だからと言って、私は早くリタイアしたいと思いません。それは、好きなことを仕事にしているからです。私が提案したいのは、今の子どもたちに、自分は何が好きなのか、何によって自分を発揮できるのかを見つけてほしい気がしています。そして、それを仕事にすることができれば、意欲的に生きていくことが出来ますし、世の中に貢献することができるのではないかと思うのです。
投稿者 fujimori : 22:44 | コメント (5)
2010年01月03日 [近頃思うこと]
後半年齢
数え年61歳を「還暦」と呼ぶように、いろいろな呼び方をすることがありますが、その根拠として大きく二通りあります。ひとつは、漢字を分解すると、その年齢の数字になるというものです。60歳以上だけでもいくつもあります。これは、ずいぶんとしゃれています。
61歳を「華寿」というのは、「華」の字を分解すると,十が6つと一、合わせて61となることからです。77歳の「喜寿」は、「喜」の字の草書体が七十七に見えるとことからで、80歳の「傘寿」は、「傘」の略字が八十と読めるとことからです。81歳の「半寿」は、「半」という字を分解すると,八十一になることからで、88歳の「米寿」は、「米」の字を分解すると八十八となるところからです。90歳の「卒寿」は、「卒」の通用異体字「卆」が「九十」と読まれるところからで、95歳の「珍寿」は、「珍」を分解すると,偏が十二,造り八十三、合わせて95であることからです。ずいぶんと複雑な数学になります。簡単に引き算として、99歳の「白寿」は、「白」の字は、百から一をとったものであるところからです。
まだまだあります。108歳の「茶寿」は、「茶」の字を分解して、(十+十)+(八十八)=108ということからで、111歳の「皇寿」は、「皇」の字を白、十、一に分解。九十九を表す白に一、十、一を足すと百十一になることからというのは、ずいぶんややこしいですね。また、「川寿」ともいいますが、これは「川」の字を分解すると111であることからです。119歳の「頑寿」は、「頑」の字を分解すると,元が二と八,頁が百と一と八、合わせて119であることからですし、120歳の「昔寿」は、「昔」という字を分解すると,廿(にじゅう)と百になり、合わせて120であることからです。こうなると、実際にはその年になることは少ないというよりないでしょうから、なんだか、文字遊びをしているように見えます。このようなことから漢字をこじつけて覚えたのかもしれません。
もうひとつ、その年齢の呼び方が論語を根拠にしていることはよく知られていますが、人選とか礼記からとられていることも多いようです。それも、中国の古典を学ぶひとつだったのかもしれません。
70歳の「古稀」は、唐の詩人杜甫の詠んだ詩「朝回日日典春衣 毎日江頭尽酔帰 酒債尋常行処有 人生七十古来稀 穿花蛺蝶深深見 点水蜻蜓款款飛 伝語風光共流転 暫時相賞莫相違」に出てきます。この詩は少し情けない内容です。杜甫は、仕官を志しますが、科挙の試験にも恵まれず、46歳で皇帝に仕えた時も真面目な性格から皇帝を諌めて次第に疎まれていきました。そこで、酒に浸って憂さを晴らす毎日の中で詠んだ詩で、「どうせ人生七十まで生きるのは稀なのだから、今のうちに楽しんでおきたい」という屈折した心境を詠っています。今では、70歳でふてくされるほど人生は短くなくなってきました。
「礼記」には、「人生十年曰幼,學。二十曰弱,冠。三十曰壯,有室。四十曰強,而仕。五十曰艾,服官政。六十曰耆,指使。七十曰老,而傳。八十、九十曰耄,七年曰悼,悼與耄雖有罪,不加刑焉。百年曰期,頤。」これで見ると、60歳ともなると分別もついてくる時期なので、指示を出す立場となりましょうと言っています。70歳になったら、もう年なんだから、今までの自分の知識等を伝えるのを役目とする年齢ですそして、職務は返上するのがいいようです。80から90歳は少しぼけてくることを知っている必要があります。そして、100歳になって、一巡りしたのだから、養われてもかまわないのです。
もう少し生きて、やることがありそうです。
投稿者 fujimori : 19:13 | コメント (4)
2010年01月02日 [近頃思うこと]
年齢
今年の大みそか恒例テレビ番組「NHK紅白歌合戦」が今年で第60回を迎えました。その中でサプライズ出演をしたのが、今年60歳の還暦を迎えた矢沢永吉さんでした。還暦というのは、「暦が還る」ということで、生まれた年と同じ年の干支となることから、ちょうど一回りをして、暦が戻って赤ん坊に生まれかわると言う意味から赤い頭巾やちゃんちゃんこを贈ります。それは、赤ちゃんということで赤というわけではなく、赤色は、かつては魔除けの意味で産着などに使われていたため、再び生まれた時に帰るという意味でこの習慣があるのです。私も昨年還暦だったために、赤いちゃんちゃんこをいただき、それを着て記念撮影をしました。また、記念に頂いたお祝金で、赤い軸の万年筆を買いました。それを持ち歩くことで、魔よけにしています。
この還暦は、数え年で61歳のときですが、現在では、数え年に代わって満年齢を用いることが多くなったため、満60歳を還暦とする考え方が一般的になっています。しかし、干支が一巡するのは、1月1日ですので、数え年での年齢に呼び方の方がしっくりいきます。この還暦のように、数え年に様々な呼び方があります。そのほとんどは、ブログで書いた論語からとったものが多いのですが、そのほかにも文選(もんぜん)という中国南北朝時代に、南朝梁の昭明太子によって編纂された詩文集や礼記などがあります。文選からは、様々な日本語が生まれています。これらからとった年齢の呼び方で、どのような時期なのかが分かります。
文選に2~3歳のころを「孩提」と言いますが、「孩」は子どもの笑いを言い、「提」は、抱かれることを意味します。ですから、抱かれて笑う子どもの様子を表しています。また、7、8歳のころは、子どもの身の丈が三尺(≒90㎝)ほどですので、「三尺の童子」と言います。同じように、14~15歳のころを、倍の六尺くらいになることから、「六尺」といいます。幼児とか、幼稚園に使う「幼」は、生まれて10年をいいます。礼記に、「人生十年曰幼学」とあることから、この年齢が、学ぶ始める時期のようです。そして、15歳のことは、論語の「吾十有五而志学」から、「志学」と言います。孔子が学問に志を立てた年齢です。一方、女子は、15~20歳のことを「笄年」というのは、初めて笄(かんざし)を刺す年齢のことで、成人の意味があります。ほかにも女子は、16歳の時を「破瓜(はか)」と言いますが、「瓜」という字を縦に割ると、「八」が二つになり、合わせて16になることからきています。男子の場合は、八掛ける八で「64歳」のことを指します。
「弱」は中国周の時代では、20歳を表す言葉で、そのときに元服して冠をかぶることから「弱冠(じゃっかん)」といいます。礼記に、「二十曰弱冠」とあります。そして、30歳になると、論語に「三十而立」とあるように孔子が学問で自立出来たと考えた年齢の「而立(じりつ)」といいます。このころから40歳までは、礼記に「三十曰壮有室」とあるように血気盛んな時期であり、古代中国では貴族の男性が妻をめとる頃の年齢ということで、「壮」といい、40歳になると、礼記に「四十曰強而仕」とあるように「気力が強く、分別のある」ということで「強」といいます。ですから、「強壮」とか、40にして仕官するということで「強仕」とかいいます。また、論語より、まどわない年頃であることから「不惑」ともいいます。
48歳は、桑年(そうねん)といいますが、桑という字の異字体「桒」が、四つの十と八に分けられ合わせて48であることからです。50歳は、世間に名が知られる年頃であることから「知名」(ちめい)と言ったり、論語の「五十而知天命」から「知命」とも言います。そして、礼記に「五十曰艾」とあるように、艾(ヨモギ)に見られる細かな毛のように、髪が白くなることかから、「艾年(がいねん)」と言います。 そして、60歳は、論語から「耳順」と言い、律令制で21歳から60歳の丁が終わる年齢であることから「丁年(ていねん)」とも言います。
これらの呼び方は、めでたいということもあって、この後の年齢に多く使われます。これらを見ても、日本の文化は、ずいぶんと中国の文化に影響されていますね。
投稿者 fujimori : 22:27 | コメント (4)
2010年01月01日 [近頃思うこと]
年始の猿
明けましておめでとうございます。このブログで新年のあいさつを言うのは今年で5回目です。私の人生の節目の目安と目指すスタンスは、論語の「吾十有五而志于学、三十而立。四十而不惑、五十而知天命。六十而耳順、七十而従心所欲不踰矩。」です。私は、かなり昨年から「耳順」を心がけたつもりです。その本当の境地に達するには、10年はかかると思いますが、とりあえず、昨年は「北風よりも太陽として人と接しよう」をテーマにしてきました。そして、それを人に語ることによって、自分にも戒めてきました。この論語の言うところは、50歳までは自分への課題であるのに対して、60歳代からは他人との関係になります。若いころの自立は、自分が「立つ」ことだったのが、次第に「他人」のなかでの自分の立場を見つけることであり、その立場から他人が「立つ」ことを援助することのような気がしています。それが、「耳順」の結果のような気がしています。
また、私が携わっている「保育」という仕事は、人の生き方に沿うことであり、人の遺伝子が繰り返されていく過程に出会うことのような気がしています。そんな人生を猿に見立てて表わした日光東照宮の神厩舎の欄干に彫られた作者不詳の8つのシーンで描かれた彫刻に見ることが出来ます。
昨日のブログでその中の3つまで書きましたが、年の初めに当たって、残りのシーンで見てみたいと思います。
4番目の猿は、2匹の猿が上をみあげています。
説明書きには、「青雲の志を抱いて天を仰ぐ。(若いうちは可能性が多い。望みを大きく持って上を見る。)He is ambitiously looking up.」と書かれてあります。そして、右側の方角の雲が青く塗られていることから、青雲の志を抱く青年期の象徴とされています。最近、「青雲の志」を持った若者が少なくなりました。元旦は、「1年の計」だけでなく、「一生の計」をぜひ立ててもらいたいと思います。
5番目のシーンは、落ち込んでいる猿の背中に、別の猿がそっと手を置いている絵が描かれていました。
説明書きには、「人生の崖っぷちにおいても、励ましてくれる仲間がいる。(崖っぷちに立たされた猿。しっかりと足元をみつめる)」と書かれてあります。自立は決して一人で生きることでなく、仲間を感じることだと思っています。その見守りの中だからこそ、自分の足元をしっかりと見つめることが出来るのです。
そのあとの猿は、側面に書かれてあります。

6番目が、右の猿は物思いにふけっている様子で、その左には、そんなことには関係ないように木に登っている猿が描かれています。それは、右の猿は恋をしているのが、次のシーンで分かります。7番目の猿は、新婚の猿がに引き描かれています。二人が手を取り合って、荒波を乗り越えていこうという決心が見えます。そして、8番目の猿は、おなかが大きく、妊娠していることがわかります。それは、次の世代につないでいく姿です。しかし、この8番目の猿で終わりでなく、この猿はこの物語の始まりでもあるのです。それは、やがて生まれてくる子どもの猿によって、次世代が始まるからです。それが1番目の猿につながっていきます。この猿たちによって、遺伝子の繰り返されていくことが表現されます。その繰り返しの中で、いま、自分がどんな役目を担っているのか、何を次の世代に渡していけばよいのかを考えていかなければならないのです。
投稿者 fujimori : 08:24 | コメント (5)
2009年12月28日 [近頃思うこと]
疲労2
私は、最近週末は地方へ講演に行くことが多のですが、それは、脳を切り替えるのにとても役に立っています。また、出先では、もし時間があったら出来る限り歩くことにしています。しかし、東京に比べて、地方では歩かないことが多く、すぐに車で移動しますね。せっかく空気もきれいですし、緑も多いので歩けば気持ちがとても癒されます。また、ブログを書くのも脳の切り替えにとても効果があります。講演もそうですが、考えることは保育のことが多いので、1日のうち1時間くらいは違うことを強制的に考えるのが、ブログを書いている時間です。本当は、本を読んだり、音楽を聴いたり、絵を書いたりすればいいのですが、なかなかまとまった時間を取るのが難しく、その点ブログは日課になっているので、何とかその時間だけでも確保しようと工夫をします。また、少なくとも書いている間は違うことを考えようと、保育の話題から離れようとするのですが、どうしても子どものことが多くなります。それは、子どものことを考えることも嫌いではないからです。
昨日紹介したR25の中でも、好きなことならばできて、嫌いなことだとなかなかやる気が起きないというのも、脳の構造の問題だと書かれてあります。それは、感情系を司る大脳辺縁系は他の領域より強く、「やらなきゃ」と自分を律する思考系より、「快/不快」「好き/嫌い」という感情系が強く働いてしまうため、嫌いなことだとなかなか行動できなくなってしまうからのようです。
しかし、人は必ずしも好きなことだけをやることはできません。嫌いなこと、いやなことでもやるというように、理性によって感情を抑制できるのも人間なのです。そんな時には、こんなことをすればいいそうです。「“ちょっとイヤかも”くらいのことを積極的にやるということを繰り返し、“我慢はそんなにイヤなことではないよ”と脳に言い聞かせれば、徐々にイヤなことでもクリアできるようになる」そうです。やる気が出るためには、昨日のブログで紹介した「視線を動かす」「歩く」に加えて、「ちょっとイヤなことを我慢する」ことを実践するといいようです。
特にやる気や集中力を高めるには、脳神経外科医である築山節先生は、休んでいる脳のスイッチをオンにする必要があると言います。駅までの道のりを少し長めに歩いたり、エスカレーターを使わずに階段を上がるようにすると、血液が脳までポンプアップされて、頭がすっきりするのだそうです。また、口を動かすこと、声を出すことも脳のアイドリングには効果があるので、会社に着いたら元気よく挨拶し、ちょっと雑談を交わす。これで始業時間とともにバリバリ仕事を始めることができます。そして、朝早く起きるためには、当然、夜早く寝ることも大切。寝ている間は脳も休んでいると思われがちですが、実は、睡眠中は記憶の定着や思考の整理が行われています(大脳などは疲労回復のために活動を止めていますが)。なので、最低6時間くらいは眠ること。さらに、昼間は仕事のやり方にメリハリをつけることで、集中して仕事ができるようになると築山先生はいいます。脳が疲れてしまったら、単純な打ち込み作業や慣れている仕事など、それほど高度ではない作業を進めます。そうすると、脳の思考を司る部分が活性化し、やる気が出てきますから、そのときを見計らって高度な仕事をすればいいといいます。
このように、きちんと働く脳であるための基本は、早寝・早起き・適度な運動・整理整頓。これに加えて、3食きちんとバランスの良い食事をとること。バランスのとれた食事は、脳が必要とする様々な栄養を吸収すると同時に、生活のリズムを整えたり、よく噛んで脳に刺激を与えるためにも重要なのです。
私は、そんなことを意識しています。
投稿者 fujimori : 22:07 | コメント (4)
2009年12月27日 [近頃思うこと]
疲労1
そろそろ年の瀬も押し迫ってきました。私は、何とか新型インフルエンザにもかからず、無事に今年を越せそうです。また、今の年の暮れは、あまり瀬戸際という感じは薄れてきています。ですから、「年の瀬」という言い方は、次第になくなってくるかもしれません。先日、ある神社にお参りに行ったときに、新年にお参りするのは誰でもできるのだと言っていました。というのは、今年もどうもよろしくということは誰でもいえるが、年の暮れに今年も無事に過ごせてありがとうということは、過ごせた人しか言えないので、年の暮れにお参りできることはありがたいことと思わなければいけないと言われました。確かに、いろいろな事件や事故、病気などに会い、戦っている人がいる中、本当にありがたいと思います。
しかし、暮れ近くなって、私も何度か具合が悪くなりそうなことがありました。喉が痛くなり風邪かな?おなかが痛くなり風邪かな?咳が出て風邪かな?と何度か怪しい時がありましたが、そんな時は、よく職員にあきれられるのですが、薬は決して飲まず、気合いで乗り切ります。というより、そんなものに負けるなと気力で撃退しようとします。しかし、毎年、そのつけが年末に来ます。園は、年末年始が1年中の中で一番休みが長い期間です。しばらく休みだと思うと、気が緩むのか、風邪をひいたり、疲れが出たりします。そんな時に、結果的に病気に打ち勝つには、薬でもなく、気持ちの問題が大きいことを実感します。
「R25」という、リクルートが発行している25才以上の男性ビジネスマン向けに、2004年7月の創刊から、5年以上も続いているフリーマガジンがあります。何度かブログでも引用しましたが、今月号に「疲労」特集があります。まえがきに、「女性が男性に、健康のことを心配するあまり“最近元気ないみたいね。大丈夫?”なんて声を掛けると、想像以上のダメージを彼に与えてしまいかねませんので、言葉選びには注意が必要かも。」と書かれてあります。ずいぶんと微妙なものです。
やらなければいけない仕事は山ほどあるのに、なかなかやる気が出てこなくて、一向に仕事がはかどらないときに、どうしたらよいかについて、ベストセラー『脳が冴える15の習慣』で知られる、脳神経外科医の築山節先生に「R25」で聞いています。
「脳は基本的に怠け者で、隙あらば休もうとします。といっても、脳全体が休んでしまうのではなく、体の機能と直結した運動系、好き嫌いを司る感情系と呼ばれる部分は動いています。怠け者なのは、やる気や意欲と深いかかわりを持つ思考系と呼ばれる部分で、この部分を活発にするには何らかの変化を脳に与える必要があります」と言っています。たとえば、「そういうときは、少しずつ脳のスイッチをオンにしていけばいいのです。テレビを見ることがやめられなくなってしまったなら、まず目線をテレビから外して、違う景色をしばらく見ます。それだけでも脳にとっては変化です。さらにキッチンに行ってお茶を入れ、手と足を動かすようにするなど、少しずつ大きな変化に脳を対応させていくのです。そのころには思考系が優位になり『テレビを消そう』という理性が働いて、実際にテレビを消せるはずです」また、運動系を働かすことで思考系が活発になるのは、脳の構造によるもので、手足や口などを動かす運動系の機能は脳の中でも表面中央部に分布していて、その部分を活性化すると、脳全体の血流を良くしてくれるといいます。意識的に手足を動かしてやることで、やる気を司る大脳も活発になるのです。「特に大切なのは、歩くこと。足を動かすための機能は、脳の中でも頭頂部に近い領域が担っているので、歩くと血流が脳の高いところまで汲み上げられることになります。それによって脳全体の血流が良くなり、思考系が活発になる」のだそうです。
投稿者 fujimori : 22:02 | コメント (5)
2009年12月26日 [近頃思うこと]
教材2
西田知己さんの「寺子屋の楽しい勉強法」という本の中で、寺子屋と縁の深い人物として「菅原道真」を挙げています。それは、菅原道真を学問の神様として祀った天神様だからです。特に学問、文筆の神としての信仰が一般庶民の間にも広く浸透したのは、江戸初期に寺子屋が隆盛してからのことです。江戸の寺子屋の様子を記した文献などには、子供たちが机を並べる教室に、必ず道真を描いた絵や彫像が置かれてあったことが記されています。また、道真の命日である2月25日にちなみ、正月の初天神に行う天神講の行事は父兄参観の文化祭ともいえるような寺子屋最大のイベントだったようです。そして、毎月25日の縁日には近所の天神社へ読み書きの上達を祈願する「天神講」が行われていました。この風習は、現在でも福岡県の太宰府や京都市の北野天満宮など、道真ゆかりの神社で受け継がれているようです。そして、今日の天神様への受験合格の御利益信仰はこのころから始まっているのでしょう。
道真は、代々学者の家系に生まれ、長じて学者、文人それに政治家として卓越した能力を発揮した人物でしたが、異例の出世が、権力者藤原氏の鼻につき、延喜元年(901)藤原時平の讒言によって失脚し、北九州の太宰府へと左遷されてしまいます。都を去るとき、「東風吹かば にほひおこせよ梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ」と読んだことは以前のブログにも書きました。この太宰府に流されたことにひっかけた笑い話「手習師匠」が西田さんの本に紹介されています。「経営のままならない寺子屋の師匠が、家財を売り払い質入れを繰り返しながら、何とか食いつないでいました。しかし、ついに大切な天神像まで手放さなければならなくなり、恐る恐る天神像に事情を打ち明けます。天神像は仕方なく“わかった”と応えますが、最後に“決して流してくれるな”というのです。」これは、道真が太宰府に流されたことと、質流れをかけたしゃれです。
ほかに、寺子屋で人気のあった人物は、和歌の作者だったようです。寺子屋では、子どもたちに風雅な言葉を身につけさせる指導は、和歌を教材に使っていました。その中で、圧倒的な人気を誇っていた人物が「小野小町」でした。彼女は、クレオパトラ、楊貴妃と並び称された世界三大美人でしたし、六歌仙にも選ばれています。また、彼女の歌は、お正月に遊ばれる百人一首にも収められています。そして、寺子屋における教科書である女子のための「往来物」にもよく登場しています。また、室町時代の能楽や浄瑠璃の題材にも多いようです。
小野小町は、寺子屋で学んでいた女子の憧れだったようです。
投稿者 fujimori : 21:40 | コメント (4)
2009年12月25日 [近頃思うこと]
教材
今年も押し迫ってきました。年賀状も皆さんは書き終わっている頃でしょうね。
来年の干支は「虎」ですが、虎で思い出すものに一休さんのとんち話があります。一休さんは、室町時代の禅僧ですが、寺子屋の教材にもよく使われていたようです。子どもたちは、以前紹介した「なぞなぞ」同様、とんち話が好きです。そのために、一休さんの話も江戸時代になると「頓知」が強調されるようになったそうですが、実は、かなり奔放で過激な人物のために早い時期から有名だったようです。一休さんについては、ブログで詳しく書いていますし、とんち話についても彦一とんち話で書いたので省略をしますが、寺子屋では、ほかにはどんな人を学んだのでしょうか。
歴史上の人物の中で身近な偉人に「空海」がいたようです。国語の基本である「読み・書き」は「いろは」の声から始まります。この47文字を声に出して、その次にお手本を見ながら筆を使って書きながら一字ずつ覚えていったのですが、その作者が、最近は違う説があるのですが、長い間空海であると言われてきたからです。その根拠としては、鎌倉時代末期の作品である「釈日本紀」、「源氏物語河海抄」(巻12)、「高谷日記」、「江談抄」等の文献に、空海が「いろは歌」を書いたことを示唆する記述があることにあります。また、この「いろは歌」は、超人的な知識と知恵を必要としたでしょうから、これほどすぐれた仏教的な内容をよみこめるのは空海のような天才にちがいないということもあるようです。
もうひとつ、空海が寺子屋で取り上げられた理由に、寺子屋の教材である教訓書「實語教」の作者とも伝えられているからです。この實語教は、平安時代に成立し、鎌倉時代に普及した書物です。儒教色が強く、また対句構成で暗記がしやすかったため江戸時代の寺子屋の素読用教材として非常に普及しました。その後、近代明治までの数百年間、日本の初等教育書として使われ、日本人に身についていった教養、規範になっていったのです。 その書き出しは、有名です。「山高故不貴 以有樹為貴 人肥故不貴 以有智為貴」(山は高いからすばらしい山というわけではなく、樹が生い茂っているから素晴らしいのです。また、人は、金持ちだからとか裕福だから貴いのではなく、知恵があることがその人の貴さなのだ)と言っています。山にしても、人にしても、見た目で判断しないで、その持っている内容によって判断すべきであることを教えています。
これを福沢諭吉は、「学問のススメ」の中で「實語教に、“人学ばざれば智なし、智なき者は愚人なり”とあり。されば賢人と愚人との別は学ぶと学ばざるとによりてできるものなり。」と、實語教を例に出しています。この部分は、先ほどの部分の次に続く文です。「富是一生財 身滅即共滅 智是万代財 命終即随行 玉不磨無光 無光為石瓦 人不学無智 無智為愚人 倉内財有朽 身内財無朽 雖積千両金 不如一日学」この部分で、学問の大切さを説いています。いくらお金があっても、死んでしまえば何にもならないが、知恵は、末の代まで意味を持ちます。その知恵は、学問によって身につき、いくら千両の金を積んだとしても一日の学に及ばないくらい価値があるものだというのです。
この實語教の教えが「天は人の上に…」という考え方を形作っていったのかもしれません。
投稿者 fujimori : 22:47 | コメント (4)
2009年12月24日 [近頃思うこと]
技術
先日の日曜日に、福島県郡山市に行きました。それは、ある企業からの講演依頼だったので、まあ、半分付き合うの気持ちだったのですが、とても面白い体験をしました。主催者である「合同会社 地球と家族を考える会」の会長さんといろいろと話をしていると、何となく考え方が同じで、印象だけで活動は分からないということを実感しました。最初は会社の名前の「地球…」という名前がなんだか宗教じみていましたし、見学する予定だったモデルハウスの名前が「KUMIKO」というなんだか女性の名前のようなので、女性用の建物かと思っていました。すると、この「KUMIKO」とは、日本の伝統工法である木組みの技である「組子」に由来しているのだそうです。
以前、水俣に行ったときに、その地域の取り組みを「もやい」と言っていたのと同じで、「KUMIKO」という名称は、志を同じくする仲間で手を組んで、地域を活性化しようという取り組みを表しているのだそうです。また、そのモデルハウスは、この地で産まれたものをその地で生かしたいということで、100%福島の木を使い、その地域の風土に合った「地産地生の住まい」です。また、組子というように、日本古来の伝統工法に独自の技術を加え、金物に依存しない構造体を作っています。また、人が建物の中で過ごす時間は人生の9割を占めることから生きた人間が住むために、生きた材料を使い、自然エネルギーにこだわっています。
日本におけるいろいろな技術は、もともとは中国大陸から伝えられたものが多いのですが、建築技法もそうです。しかし、その技法が日本の風土に合うよう様々な工夫がなされ、日本人の趣向に準じ、伝統技術として、今なお色あせることなく、それどころか、今の時代にもう一度見直されてきているのです。特に、鎌倉時代に再び中国と国交を回復すると、新形式の建築様式が伝来し、今までの建築様式を「和様」と、新建築様式を「大仏様」「禅宗様」と呼び区別されました。後の時代ではそれらが入り混じった様式「折衷様」が新しく実現されていき、「和様」と言われる日本独自の様式がつくられていったのです。
鎌倉時代から受け継がれている日本の伝統的な木工技術に「組子」というものがあります。この技法は、細く割った木に、溝、穴、ホゾ加工を施し、カンナやノコギリ、ノミ等で調節しながら一本一本の木を、釘を使わずに手作業で組みつけていく繊細な木工の技法です。簡単にいうと釘を使わずに木を組み付ける技術のことをいいます。繊細なこの技術は、職人たちの伝統を守る心と情熱により、何世代にもわたって現代まで引き継がれてきました。今では、おもに障子や欄間にみることができます。
もともと伝統的な日本建築では、構造の軸になる部分は基本的に釘は使わず、ただ、「木と木を組み合わせて木栓のみ」で止めているだけです。それは、技術が低かったからではなく、あえて釘を使わないという、日本の風土が生み出した知恵なのです。中世になれば釘に不自由することはありませんでしたし、最近の釘よりもずっと質の良い和釘もありましたが、釘で木を殺してはいけないと木の本質を知っていたからこそ、中世の棟梁は釘を使うことはできるだけ避けたのです。また、日本では多い地震や台風等に対しての強さの秘密は、「木と木を組み合わせてこそ生きる」という基本的なことを、しっかりと守っている「貫」構造です。
子どもの遊びだけでなく、いろいろなところで、長い間残っているものは、経験上から今の科学以上の検証がされ、実証されてきたものが多いのでしょう。
投稿者 fujimori : 23:11 | コメント (5)
2009年12月21日 [近頃思うこと]
インディペンデント
最近、何をきっかけか忘れましたが、このブログで福沢諭吉のことを書いていますが、どうもその話題から離れると、またその話題に戻ってしまうようなことに出会ってしまいます。
昨日、東京では1996年に公開されたアメリカ映画「インデペンデンス・デイ」がテレビで放映されていました。この映画は、アメリカ独立記念日を控えた7月2日、直径24キロにも及ぶ円盤型のUFOがニューヨーク・ロサンゼルス・ワシントンだけでなく、世界中の大都市上空にも出現し、それによる混乱に陥る中、アメリカ政府は交流を求めるためにUFOとの交信を試みますが、容赦ない攻撃を受けてしまうというSF映画です。この映画の題名である「インデペンデンス・デイ(Independence Day)」とは、アメリカ独立記念日のことを言い、1776年にアメリカ独立宣言が公布されたことを記念して、毎年7月4日に定められているアメリカ合衆国の祝日のひとつです。
この「Independence」というのは名詞ですが、「Independent」という形容詞があります。その意味を携帯電話にある辞書で調べてみると、1.独立の、自律的な:自主的な:自治の、2.他に影響されない:独自の、3.自活する:働かなくても暮らせるだけの(収入のある)とあります。この言葉を福沢諭吉はよく使いますし、この言葉に込められて思いが彼の思想の大きな部分です。その言葉をただの独立ではなく、「独立自尊」と訳しているのです。
福沢諭吉展に展示されていたものに様々な彼が使用していた印章があります。彼は、揮毫の際、落款印として用いた陽刻の印章ですが、それと対で用いた陰刻の印章には「三十一谷人」と書かれてあります。

当時の有力者がこぞって雅号というものを虚飾的な風流として、また一種の権威主義として用いていましたが、諭吉はこれを嫌って雅号は持ちませんでした。代わりに最初のころは、「諭吉」をもじった「雪池」の語を雅号のように用いていました。その語を落款印にも刻み使っていました。その後、「三十一谷人」の語を用いるようになります。この言葉の意味は、「是れは谷にも山にも地名などに縁あるに非ず。三十一を一字にすれば世の字にして、谷人の人を偏にして左右に並ぶれば俗の字となるが故に、則ち世俗の意を寓したるもの」と「福沢諭吉全集緒言」にその意味を説明しています。なるほどなあと思いますね。そして、そのことは、遠縁に当たる漢学者であった高谷龍洲と文章談をしている中で思いついたと記されています。
つまり「三十一谷人」という語は、当時の知識人たちがこぞって官職を求めた中で、無位無官を通して世俗にて「独立」した存在でいようとする、まさに彼の生き様の精神を表し、まさにこれが「独立」なのです。独立した個人を大切にし、権威におもねず、日本をいかに近代化するかという精神ということなのでしょう。
また、諭吉が2人の息子に書き与えた、徳義や知識を教えるために小話集「ひゞのをしへ(日々の教え)」も展示されていました。

展示されていた資料10月16日の部分に「子供とて、いつまでもこどもたるべきにあらず。おいおいはせいちょうして、一人前の男となるものなれば、稚きときより、なるたけ人のせわにならぬよう、自分にてうがいをし、かおをあらい、きものもひとりにてき、たびもひとりにてはくよう、そのほかすべて、じぶんにてできることは、じぶんにてするがよし。これを西洋のことばにて、インヂペンデントという。インヂペンデントとは、独立ともうすことなり。どくりつとは、ひとりだちして、他人の世話にならぬことなり。」
どうも、彼の言う「独立」とは、自立、自主的、自律的という意味合いが強いようです。
投稿者 fujimori : 23:30 | コメント (4)
2009年12月17日 [近頃思うこと]
原動力
たまたま、2006年3月2日の 読売新聞を目にすることがありました。その記事には、作家、司馬遼太郎の足跡をしのぶ「第10回菜の花忌シンポジウム」(司馬遼太郎記念財団主催)が、東京・日比谷公会堂で開かれたことが取り上げられていました。このシンポジウムでは、ちょうど今NHK大河ドラマで放送中の「坂の上の雲」原作の魅力を識者4人が論じていました。シンポジストの一人は、最近肺がんと戦っていると報じられた作家の井上ひさしさんです。彼は、「3人の主人公の複眼で見ていく手法は、多くの情報のインプットが必要。トラック一杯分の古書を買ったという司馬さんの大変な努力があって成しえた」と指摘しています。また、関川夏央さんは、「3人は藩閥から自由になり、試験を受ければ平等である時代の新しい職業についた。そこにこの作品の明るさがある」と話したことが掲載されています。
また、この原作が1970年前後の大学紛争の時代に書かれた点に着目したのは、芳賀徹京都造形芸術大学学長です。彼は、「明治が暗黒の時代の入り口というイデオロギー的なイメージを、時代と主人公の青春を重ね併せ打ち破った」と評価しました。一方、劇作家の山崎正和さんは、「司馬さんが見ていたのは、平等な時代に前へ進もうとする水兵たち。技術にかけた明治30年代の日本は、高度経済成長期の日本に重なる」と語っています。
先日、この原作を読んでいる妻に「この小説の中で、誰が好き?」と質問されたのですが、同じ小説を読んでも、その中で誰が好きかで、その人がわかることがあると言います。確かに、それはほかにも言えることで、同じテレビを見ていても、また、歴史を振り返っても誰が好きかでその人がわかることがあります。ただ、多くは、その小説の主人公であることは多いのですが、それも、誰を主人公にするかで大分イメージが変わります。
昨日のNHKテレビで、平清盛を分析していましたが、私たちが平清盛を知るのは、多くは「平家物語」です。この平家物語は源氏を正当化するために書かれてある書物ですから、当然平清盛は極悪非道の人物として描かれています。ですから、源氏が英雄で、平家が悪であるかのようなイメージを持っています。しかし、平家物語の最初の方で、平家の滅亡を「奢るもの久しからず」と説明していますが、昨夜のテレビでは、平家が奢っていたために滅びたのではなく、源氏が武士の品格を落とすようなルール違反をした戦いをしたために、源氏が敗れたと説明をしていました。そして、平清盛は、非常に人に対して思いやりがあり、気を使い、世界とみらいを視野に入れたものの見方をしていたとなれば、なんだかイメージが逆転してしまいます。
歴史は、ここに面白さのひとつがあるとも言えます。真実を知るよりも、そこから自分の人生と照らし合わせ、共感したり、参考にしたりします。そして、今につながること、そこから連想されることが思い出されることによって、自分の中のいろいろな知識と結びついていくのです。私は、このシンポジウムの中の山崎氏の「平等な時代に前に進もうとする」という言葉から、坂の上の雲の主人公の一人である秋山好古が敬愛する福沢諭吉の「福翁自伝」には、「門閥は親の仇でござる」という言葉が書かれてあります。諭吉の父親は、才能と志しをもちながら、封建的な身分制度の中で自分の思いは受け入れられず、辛さを深く呑み込んで、空しく死んでいったことがあるからです。この思いが、諭吉の行動の原動力になったのでしょう。昨日のテレビでは、平清盛が、同じように父親である平忠盛の身分による差別の無念さから行動したことを放送していました。
歴史を作っていく原動力は、強い思いに駆り立てる何かが必要かもしれません。
投稿者 fujimori : 22:45 | コメント (4)
2009年12月15日 [近頃思うこと]
亜麻
「亜麻色の長い髪を 風がやさしく包む 乙女は胸に白い 花束を …」
この歌は、橋本淳作詞、すぎやまこういち作曲で、ヴィレッジ・シンガーズのシングル曲「亜麻色の髪の乙女」です。最近では、島谷ひとみがカバーをしていました。また、同じ題名のものにクロード・ドビュッシーの前奏曲集第1集のうちの第8曲があります。
この亜麻色とはどういう色なのでしょうか。この「亜麻」というのは、植物名で、その花と人間の付き合いは非常に古く、紀元前8000年~6000年には、チグリス川・ユーフラテス川岸で食用として栽培され、毎年豊穣な収穫が期待できる丈夫な作物だったようです。旧約聖書にも亜麻は登場しています。そして、紀元前3000年ころになると、この亜麻で織物がつくられ、この亜麻織物は古代エジプトで広く神事に使われていました。そして、この布で、ピラミッドに眠るミイラの顔を覆ったり、体を巻いたりしていました。その後、多く作られるようになるに従って、800年のころ、木綿が定着するまでは、ヨーロッパでは繊維といえば亜麻のことというくらい、一般的に衣類などに用いられました。
それが、1617年に北米に伝わり、元禄時代に日本へ中国から薬用油として伝わりました。しかし、この頃の日本では中国から比較的たやすく亜麻が入手できたことから、国内での栽培は定着しませんでしたが、明治に入り、北海道開発の一環として、北海道内で亜麻栽培が奨励されました。もともと、亜麻とは、中央アジア原産で、冷涼な気候である亜寒帯地域の国々は栽培されていましたから、日本では北海道が亜麻の栽培地として最適であるとされています。このころになると、繊維産業は軍需産業であり、亜麻の利用は薬用油ではなく、ほとんどが繊維に使われています。栽培のピークである昭和20年には、全道で4万haが作付けされていたそうで、初夏には、亜麻畑の美しい光景が広がっていたようです。しかし、終戦後、化学繊維が安く製造できるようになり、昭和40年代を最後に亜麻は姿を消してしまいましたが、最近は、繊維としての活用から種子の保健機能が注目されるようになり、再び北海道で亜麻栽培が復活してきているそうです。
そんなわけで、亜麻色とは 亜麻の繊維の糸のような色と言うことで、明るい灰みの茶色=淡い金髪だそうです。花の色は爽やかで透きとおるような紫がかった薄い青ですが、色見本などで見ると、青みがかったうす茶色なのですが、これは花の色ではなく、繊維の色です。

最近、注目されている保健機能とは、亜麻に豊富に含まれているリグナンです。リグナンとは人の体内でホルモンのような働きをする化合物で、近年、身体的、精神的ストレスがガンなど生活習慣病に対しての免疫機能を正常な状態に保つ働きがあると報告されています。また、第6の栄養素と言われている食物繊維が豊富に含まれており、腸壁を刺激して便通を則したり、悪玉コレステロールを吸着させたり、満腹感が得られるころから、食べ過ぎを抑え、血糖値の上急昇を防インシュリンの分泌量を減らしますので、糖尿病予防やダイエットなどに注目を集めています。食物繊維の合計では、多いと言われているさつまいもの13倍以上もあります。
この亜麻の種からとった亜麻仁油は、食用だけでなく、絵具やせっけんの原料になったり、傷口に充てる油紙やぜんそくのときに胸に塗る薬にも使われます。さらに、最近は、「リノリウム」という床や壁の仕上げ、家具にも使われ始めています。
私の園では、床材にこのリノリウムを使っていますが、新型インフルエンザが私の園ではさほど広がらなかったのは、このリノリウムの抗菌作用のおかげだとも言われています。
投稿者 fujimori : 20:04 | コメント (5)
2009年12月13日 [近頃思うこと]
散歩
今年の1月に「福沢諭吉展」に行ったときに、その展示構成がとても面白く感じました。その第一部は、「あゆみだす身体」というものでした。この展示の趣旨は、「一身独立して 一家独立し 一家独立して 一国独立し 一国独立して 天下も独立すべし」(中津留別之書)という諭吉の文章を引用して、「すべての始まりは「身体」にあり、健康を保ってこその、一家であり、一国である。」という「一人一人が丈夫な身体を作り、懸命に勉強して「独立」することが、世の中の出発点である」と、考えていた福沢を紹介しています。こう考えていた諭吉は、自身も毎日の運動をかかさなかったそうです。その中心が散歩でした。彼が創設した慶応の塾生と散歩党と称する同好会を作り、毎日散歩することを日課にしていたそうです。ということで、この第1部の展示に、彼の股引などの衣類や杖、散歩に行く塾生を集めるために使用したドラ等が展示されていました。また、ほかには、居あい抜きや脱穀も、福沢の日々の鍛錬の一つだったということで、居合い刀や臼杵の展示もありました。

福沢諭吉は、すべての始まりは「身体」にあるということで、健康のために「散歩」をしていたようですが、もっと積極的な意味で散歩をしたことで有名な人に西洋最大の哲学者の一人アリストテレスがいます。彼は、よく学生を連れて、「散歩」をしながら学問の話をしていたそうです。この逸話はよく塾生と散歩をしていた諭吉と似ています。しかし、その動機は、アリストテレスの場合は健康と言うよりも、「散歩」をすることは、「発想」するのに適していることを知っていたからだとされています。最近の脳科学では、下半身の運動は、脳の前頭葉を活発にし、考える力や想像力などが強化され、認知症の予防になることも分かってきています。もともと、古代ギリシャ人は朝食・昼食・夕食・就寝の前に歩く習慣があったようですが、アリストテレスは晩年につくった学校での授業を「散歩しながら」おこなったといわれています。そこから名づけられのが「逍遥学派」です。「逍遥」とは「そぞろ歩き」のことです。
最近、テレビ東京の「カンブリア宮殿」という番組のゲストは、「ぐるなび」を作り、育てた会長の滝久雄でした。彼は、もともとは大手企業のサラリーマンでしたが、脱サラして、駅構内の交通広告の企画運営をしていました。その仕事の中で、公衆回線自由化をきっかけに、新しい情報メディアの可能性を探り続け、インターネットと出会って、飲食店の検索サイトである「ぐるなび」を開設したのです。いまの時代は、店探しは、インターネットや携帯が主流で、約8割の人が利用しているそうです。そのなかで「ホットペッパー」や「Yahooグルメ」など数ある飲食店検索サイトの中でもっとも多く利用されているのがこの「ぐるなび」だそうです。現在は、創業13年で、200億円にまで成長しています。そうなると、この会社の情報はとても重要で、その管理には気を使うでしょうね。また、会議も多いでしょう。番組の中で、この会長の滝久雄さんは、週に数回、皇居一周のウォーキング会議を行っていると言っていました。その理由は、「歩いているときに良いアイデアが浮かぶ!」ということと、「盗聴されないので、秘密の話ができる!」だそうです。
散歩は、健康にいいだけでなく、脳を活性化し、また、歩きながらの会話は、新しいアイデアを生み、その内容が漏れる心配もないというわけです。
投稿者 fujimori : 23:00 | コメント (4)
2009年12月12日 [近頃思うこと]
英語
NHK大河ドラマ「坂の上の雲」を見ていると、主人公の秋山兄弟はかなり英語が話せたようです。その頃の授業は、英語で行っていたこともあり、ドラマの中で、正岡子規が英語に悩むシーンが出てきます。しかし、彼も勉強して、英語がわかるようになります。このころから、確かに英語は大切でした。もしかしたら、今よりも必要とされた人はいたようです。しかし、彼らは、決して幼児から英語を勉強していたわけではありません。それどころか、中学生のころまで野山をかけずり回っていただけです。だからこそ、勉強に対して貪欲であり、知識を得たいために英語を自ら学ぼうとしたのです。その意欲が、英語を話せるようにしたのでしょう。
多くの英語を日本語訳にした福沢諭吉にしても同じような経緯をたどります。
適塾でオランダ語を学んだ諭吉は、横浜に出てきますが、ショックを受けます。それは、横浜で出会う外国人とは、まったく言葉が通じないのです。また、店の看板の文字もなんて書いてあるのかわかりません。それは、国際情勢の変化のなかで、オランダ語より英語が主流となっていたからです。諭吉は、オランダ語を一生懸命学んだことが、全く無駄だったことを知り、「取り返しのつかない失敗をしてしまった」と悔みます。しかし、悔んでばかりはいません。諭吉は「まだ、若い。もう一度、始めからやり直そう。英語に挑戦してみよう」と発奮します。その翌日から英語を学び始めます。
英語を学ぼうと思っても、そのころは塾や学校はおろか、辞書でさえなかったのです。そのような環境は、挫折を生むのではなく、意欲を増すことになるのです。探究心が意欲を生み、意欲が挑戦を生みます。その結果、習得していくのです。これは、どの教科でも同じで、何かを学ぼうとするよりは、何かを知りたい、何かをやってみたいという探究心が、結果的に何かを学んでいくことになるのです。葉が紅葉しているのを見て、「どうしてこんな色になるのだろうか?」という探究心が「理科」になり、「ここは紅葉しているけど、北海道ではまだだけどどうしてだろうか?」という疑問が「社会」になるのです。そして、「紅葉は、アメリカにもあるのだろうか?では、アメリカでは、どう言うのだろうか?」ということが「英語」になるのです。ただ、机に向かって、紅葉という英語を先生のあとについて復唱することではないのです。
また、疑問を持っただけでは、学びになっていきません。行動することで、知恵が湧いてくるのです。そうして、諭吉は英語を学び始めますが、そうすると以前オランダ語も学んだことも無駄でなかったことを知ります。学問には、無駄はないのです。
その後、諭吉は、26歳のとき、咸臨丸に乗って、サンフランシスコに行きます。この船には、通訳方として中浜万次郎も同乗していました。そこで、諭吉は、ウエブスターの英語辞書を購入しました。帰国後、諭吉は、ウエブスターの英語辞書で猛勉強し、『増訂華英通語』(中国人子の編集した英語と中国語の対訳単語短文集『華英通語』に、英語の発音にカナをつけ、日本語訳した書物)を刊行しました。これが縁で、福沢諭吉は、幕府の翻訳方に採用されました。
彼は、アメリカに行ったとしても帰国子女ではありませんし、外国人のもとで英語を習ったわけではありませんので、ネイティブな英語だったかわかりませんが、20歳代後半から辞書で勉強しただけで翻訳方になり、今使われているほとんどの英語の日本語訳をあてはめた人として有名になるのです。英語教育とは、何なんでしょうか。
投稿者 fujimori : 22:39 | コメント (3)
2009年12月11日 [近頃思うこと]
自由
福沢諭吉は、「西洋事情」のなかで「自由」という言葉を使っていますが、その役は適当であるか迷っていたようです。この本の注釈に「本文自主・任意・自由ノ字ハ、我儘放盪ニテ、国法ヲモ恐レズトノ義ニ非ラズ、総テ其国ニ居リ、人ト交テ、気兼ネ遠慮ナク、自分丈ケ存分ノコトヲナスベシトノ趣意ナリ、英語ニ之ヲ「フリードム」又ハ「リベルチ」ト云フ、未ダ的当(てきとう)ノ訳字アラズ。」と書かれてあります。
また、「西洋事情」第二編には、特に「リベルチ」の訳語「自由」についてこう説明をしています。「第一「リベルチ」トハ、自由ト云フ義ニテ、漢人ノ訳ニ、自主、自尊、自得、自若、自主宰、任意、寛容、従容等ノ字ヲ用ヒタレドモ、未ダ原語ノ意義ヲ尽スニ足ラズ。自由トハ、一身ノ好ムマヽニ事ヲ為シテ、窮窟(キウクツ)ナル思ナキヲ云フ。古人ノ語ニ、一身ヲ自由ニシテ自ラ守ルハ、万人ニ具(ソナ)ハリタル天性ニシテ、人情ニ近ケレバ、家財富貴ヲ保ツヨリモ重キコトナリト。」これを読むと、自由のという訳語に悩むというよりも、自由という考え方を述べている気がします。古人の言葉に、「一身を自由にして、自ら守ることは、どんな人にでも備わっている天性であり、人情に近いもので、この自由を守ることは、財産を守るよりも大切なことである」と言っているのです。
そして、「上タル者ヨリ下ヘ許シ、コノ事ヲ為シテ差構(サシカマヒ)ナシト云フコトナリ。譬(たと)ヘバ、読書手習ヲ終リ、遊ビテモヨシト、親ヨリ子供ヘ許シ、公用終リ、役所ヨリ退キテモヨシト、上役ヨリ支配向ヘ許ス等、是ナリ。」と言っている例は面白いですね。勉強が終わって、遊びに行きたいという子どもに対して、親といえどもこれを止めることはできないというのです。
しかしこのように注意をしています。「決シテ我儘放盪ノ趣意ニ非ズ。他ヲ害シテ私ヲ利スルノ義ニモ非ラズ、唯心身ノ働ヲ逞シテ、人々互ニ相妨ゲズ、以テ一身ノ幸福ヲ致スヲ云フナリ。自由ト我儘トハ、動モスレバ其義ヲ誤リ易シ。」自由とは、決してわがままとか放漫とちがって、人を妨害してはいけないのです。お互いに認め合うことで自分自身の幸福も得られるのです。
彼が大分の中津留主居町の旧宅にいたときに「中津留別の書」を記していますが、そこにも、自由とわがままについて書いています。
「ひと口に自由といえば我儘のように聞こゆれども、決して然らず。自由とは、他人の妨をなさずして我が心のままに事を行うの義なり。父子・君臣・夫婦・朋友、たがいに相妨げずして、おのおのその持前の心を自由自在に行われしめ、我が心をもって他人の身体を制せず、おのおのその一身の独立をなさしむるときは、人の天然持前の性は正しきゆえ、悪しき方へは赴かざるものなり。もし心得ちがいの者ありて自由の分限を越え、他人を害して自から利せんとする者あれば、すなわち人間の仲間に害ある人なるゆえ、天の罪するところ、人の許さざるところ、貴賤長幼の差別なく、これを軽蔑して可なり、これを罰して差支なし。」
そして、このことを忘れては一身独立もできないと説きます。「人の自由独立は大切なるものにて、この一義を誤るときは、徳も脩むべからず、智も開くべからず、家も治らず、国も立たず、天下の独立も望むべからず。一身独立して一家独立し、一家独立して一国独立し、一国独立して天下も独立すべし。士農工商、相互にその自由独立を妨ぐべからず。」
投稿者 fujimori : 20:55 | コメント (4)
2009年12月10日 [近頃思うこと]
精神的独立
一身独立には「他人の財」によらない経済的独立と、もうひとつは精神的独立です。これを、西村氏は、何よりも「他人の知恵」によらない独立、すなわち「智」の自立を意味していると言います。この二つの独立を確保し、ついで一国独立に進むというのが福沢諭吉の主張です。福沢諭吉展の第2部ではとても面白い企画で展示されていました。「かたりあう人間(じんかん)」というタイトルです。
その説明にはこう書かれてあります。「すべての始まりは、一身独立した健全な身体にある。しかしながら個々の身体が、ただちに国家を構成するのではない。そこに介在すべきは、語り合う人間である。人と人との交わりこそが、人々の知徳を向上し、文明化された社会へと導いていく。」
しかし、一身独立というのは、自分だけが独立すればいいわけではないのです。当然、自分は社会の中で生活し、生きていきます。ですから、一身独立には、人と人とのかかわりが必要なのです。福沢諭吉展の図録の解説にはこう書かれてあります。
「人々が交際しなければ、社会は存在せず、社会が存在しないのならば動物は存在しても「人間(にんげん)」は、存在しない。福沢は、societyを「人間交際」の概念でとらえる。社会とは、客体として身体に先行して存在するものではなく、人間(じんかん)に行われるさまざまな交際によって形成されていくのである。」
それを「独立して孤立せず」とあらわし、「独立した個人はいかに社会を形成するのか」という命題に沿って、男女間の関係から、家族を考えます。“「一家」とは、対等な男女が愛し合い、敬いあい、恕しあい作り出す姿であって、前近代社会において継承され続けてきた「家」ではない。結婚とはすなわち新しい「一家」の想像なのである。”その時、家族は一身独立の精神的な支柱となるべき存在であり、その一家もまた交際するのです。
人が関わるとき、そこでは必ず、それぞれの存在がぶつかりあいます。園児を見ていると、2歳児くらいからその葛藤が見られます。自分で好きなことをやりたい、しかし、隣にもほかの子どもがいることを積極的に意識し始めるのです。そのときに、「自由」と「規律」を学び始めます。この「自由」という言葉は、「フリーダム; freedom」と「リバティ; liberty」の2つの語がありますが、その意味合いは微妙に異なっています。フリーダムのほうは、古英語の frēo に由来したフリーからきており、束縛や拘束がなく義務を免除された状態をさし、「しなくてよい」という意味合いの自由です。一方リバティはラテン語の libertas が語源であり、選択や行動・発言の権利が保障された状態をさし、「してよい」という自由です。いろいろな英語を日本語に訳したのが福沢諭吉だと言われていますが、彼は、この一方のリバティを訳するに際して、仏教用語にあった「自由」という日本語に当てはめたのです。ですから、「掃除をしない自由がある」という使い方は、本当はおかしいということになります。
最近、自由のはき違いということが言われていますが、福沢は、自由をどのように考えていたのでしょう。
投稿者 fujimori : 21:51 | コメント (4)
2009年12月09日 [近頃思うこと]
独立
NHK大河ドラマ「坂の上の雲」を見ていると、何度か出てくる言葉で気になる言葉がコメントでも書かれてある「一身独立して一国独立す」という言葉です。この言葉は、福沢諭吉の著書「学問のすすめ」での最重要命題です。この学問のすすめは、“「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」と言えり。されば天より人を生ずるには、万人は万人みな同じ位にして、生まれながら貴賤上下の差別なく、万物の霊たる身と心との働きをもって天地の間にあるよろずの物を資り、もって衣食住の用を達し、自由自在、互いに人の妨げをなさずしておのおの安楽にこの世を渡らしめ給うの趣意なり。”という有名な言葉で始まります。
今年、1月から東京・福岡・大阪・神奈川で「未来をひらく福澤諭吉展 FUKUZAWA Yukichi:Living the Future」開催されました。私は、1月から3月まで東京国立博物館 表慶館で開催されていた東京展に行きました。

その展覧会の図録の最初のところに京都大学教授の西村稔氏が、この一身独立について解説を書いています。
先に書いた「天は人の上に…」という万人平等の宣言で始まるのですが、そのあとに「されども今、広くこの人間世界を見渡すに、かしこき人あり、おろかなる人あり、貧しきもあり、富めるもあり、貴人もあり、下人もありて、その有様雲と泥との相違あるに似たるはなんぞや。」と続きます。人は、みな平等であるはずですが、実際は、人に様々な差があるのです。それは、「学問の力」の有無により生じた相違であって、天が定めた約束ではなく、むしろ富貴は「人の働」によるものであるというのです。これを、立身出世として見るのではなく、むしろ強者が弱者を支配する社会の中で、弱者=貧者が、強者=富者と肩を並べるには、学問(実学)によるしかないと説くことが眼目であったと西村氏は言います。これが、経済的な一身独立論なのです。
学問のすすめにこんな部分があります。“諺にいわく、「天は富貴を人に与えずして、これをその人の働きに与うるものなり」と。されば前にも言えるとおり、人は生まれながらにして貴賤・貧富の別なし。ただ学問を勤めて物事をよく知る者は貴人となり富人となり、無学なる者は貧人となり下人となるなり。”では、学問とはどんなことでしょうか。福沢は、こんな風に言っています。“ 学問とは、ただむずかしき字を知り、解し難き古文を読み、和歌を楽しみ、詩を作るなど、世上に実のなき文学を言うにあらず。”これだけ読むと、なんだか実学だけが学問であるように感じます。彼は、実業家としての道を歩む所を見ると、やはりそう考えていたのだということが納得できます。“かかる実なき学問はまず次にし、もっぱら勤むべきは人間普通日用に近き実学なり。”と言っています。しかし、その次にはこう続きます。“地理学とは日本国中はもちろん世界万国の風土道案内なり。究理学とは天地万物の性質を見て、その働きを知る学問なり。歴史とは年代記のくわしきものにて万国古今の有様を詮索する書物なり。経済学とは一身一家の世帯より天下の世帯を説きたるものなり。修身学とは身の行ないを修め、人に交わり、この世を渡るべき天然の道理を述べたるものなり。”
“この心得ありて後に、士農工商おのおのその分を尽くし、銘々の家業を営み、身も独立し、家も独立し、天下国家も独立すべきなり。”ここまで読むと、西村氏が言っている強者と弱者が肩を並べるために学問が必要であるという内容が理解できます。
投稿者 fujimori : 23:58 | コメント (4)
2009年12月08日 [近頃思うこと]
画びょう
日経に、こんな商品紹介が掲載されていました。「画びょうと磁石で穴開けずに掲示」という商品です。磁石と画びょうを組み合わせ、穴を開けずにポスターなどを掲示できる「マグネット&ピン」を12月中旬に発売するようです。その仕組みは、コルクボードや壁などに画びょうを刺し、写真など飾りたいものを重ね、桜の花びらをかたどった強い磁石で挟んで使います。大切な写真などを傷つけずに飾りたい、といった需要に応えるもので、磁石のカバーを桜の花びら形にしたことで華やいだ雰囲気を演出できるとメーカーでは話しています。
画びょうはとても便利なものです。しかし、この画びょうという言い方は、全国的に使われますが、近畿地方より南の地域では、「押しピン」という呼び方も使うようです。もともとは、東日本で「画鋲」、西日本で「押しピン」と呼んでいました。しかし、針だけが金属製で、持つ部分はプラスチック製で、いろいろな色をしていて、形はひらべったくなく、球状だったり、ドライバ(ねじ回し)を小さくしたようなものが出てきたときに、西日本ではこれを「押しピン」、全体が金属製で、金色をしており、持つ部分がひらべったい円盤形をしているものを「画びょう」と呼ぶようになったようです。
画びょうは、壁面に深く突き刺すために貼ったものがはがれにくいのですが、逆に指先で外す時には大変ですので、学校などではクラスに「画びょう取り外し器」が置いてありました。また、「二重画鋲」という画びょうがありますが、これは、戦時中に材料の鉄の代わりにレコード盤を打抜いたものを2枚重ねて作って売り出され、これが一般に普及したものですが、抜きやすいなどの理由で、その後も溝がついたものが作られ、これが二重画びょうです。また、手が不自由な人、力の弱い人でも扱いやすいよう、頭部がシリコーンゴム製のリングなどでできているユニバーサルデザインの画びょうもあります。

しかし、これらの画びょうは、針で紙などを刺し、突き抜けた針をコルクなどの壁に突き刺して留めるものですので、紙にも、壁にも穴が開くのが欠点です。そこで、ninja pin(忍者ピン)という画びょうは、壁にピン跡の穴を残さないように、L字の断面形状をしています。また、止める紙に穴があかないようにした画びょうが今回発売される商品です。
最近ではどうかわかりませんが、私が学校に通っていたころの画びょうの思い出といえば、靴の裏のゴムに画びょうが刺さっていたことがよくあったということです。それは、金属製の円板の中央に針を取り付けたタイプの製品は、床などに落ちた場合に針が上を向くことが多いからで、もし靴を履いていない場合は、足で踏んだ場合に負傷する危険性があります。そのほかにも、壁面の材質や刺さり方によっては取り外す際に手間がかかる点、針が折れる可能性がある点、さび・腐食に弱い点などから、最近は、プラスチック製の製品の普及が進んでいます。
また、「Magnet Tack」は、マグネットつきの画びょうですが、本体裏側に強力なネオジム磁石を内蔵しているので、金属を吸い付けることができます。これを壁面に刺しておけば、金属製の小物、例えばキーホルダーや時計、ハサミやカッター、クリップなど、金属製のものなら何でも壁にぶら下げることができます。
小さい画びょう故に、細かい工夫がものを言います。
投稿者 fujimori : 22:58 | コメント (4)
2009年12月07日 [近頃思うこと]
高橋
先週の日曜日からNHKで放送されている「坂の上の雲」は面白いですね。ずいぶん前にこの原作である司馬遼太郎の「坂の上の雲」を読んで、しばらく熱中した覚えがあります。ブログにも何回か書きました。ミュージアムを訪れたり、秋山兄弟の生誕の地を訪れたり、もちろん子規堂など訪れました。この原作は、日清日露戦争の顛末の面白さと秋山兄弟と正岡子規の人生に触れる面白さのほかに、明治から大正にかけての様々な人物に出会うことにあるかもしれません。その人物のゆかりの地を歩いたり、訪れたことを思い出すことがあります。
先週、英語教師として西田俊之が演じていた人物の「高橋是清」もその中の一人です。高橋是清は、非常に特異な経歴の持ち主です。波乱に満ちた人生を送った人ベストテンに入るかもしれません。彼の父親は幕府御用絵師で、47歳のときに16歳の行儀見習いのために奉公していた女性に子どもを産ませたために、是清は、生後まもなく仙台藩の足軽の養子に出されます。その後、横浜のアメリカ人医師ヘボンの私塾(現・明治学院高校)で学び、仙台藩の命令により、勝海舟の息子である小鹿と海外へ留学しますが、横浜に滞在していたアメリカ人の貿易商によって学費や渡航費を着服され、更にホームステイ先である彼の両親に騙され奴隷契約書にサインし、奴隷として売られてしまいます。牧童やぶどう園で奴隷としての生活を強いられ、苦労を重ねた結果、やっと日本に帰れることになり、サンフランシスコで知りあった森有礼に薦められて文部省に入省します。そして、同時に英語の教師として大学予備門で教えます。この時の場面が「坂の上の雲」に出てきます。その生徒に子規とか秋山真之がいたのです。そのかたわら当時の進学予備校の数校で教壇に立ち、廃校寸前にあった共立学校(現・開成高校)の初代校長も一時務めています。
彼は、文部省だけでなく、農商務省の官僚としても活躍し、農商務省の外局として設置された特許局の初代局長に就任します。しかし、官僚としてのキャリアを中断して、ペルーで銀鉱事業を行おうとしますが、すでに廃坑のため失敗して帰国します。そのときに、日銀総裁に声をかけられ、日本銀行に入行し、日銀副総裁、日銀総裁になります。彼は、歴代日銀総裁のなかで唯一その肖像が日本銀行券の50円券に使用されています。
そして、また坂の上の雲に登場します。ロンドン留学時代の人脈を利用して日露戦争の戦時外債の公募などで活躍するのです。そして、政友会総裁犬養毅が組閣したとき、請われて4度目の蔵相に就任します。その時には、今と同様、世界恐慌で世界はデフレでした。そのような中で高橋は、金輸出再禁止、日銀引き受けによる政府支出(軍事予算)の増額などで、日本経済をデフレから世界最速で脱出させたのです。また、5.15事件で犬養が暗殺された際に総理大臣を臨時兼任したのち、続いて組閣した斎藤実は彼の親友だったため、5度目の蔵相、次の岡田内閣の岡田啓介は共立学校での教え子だったために6度目の大蔵大臣に就任します。そして、第20代総理大臣を務め、7回の蔵相を務めるなど、積極財政政策で日本の財政危機を救った政治家として今でも評価されています。しかし、インフレを抑えるために軍事予算を縮小しようとしたことが軍部の恨みを買い、赤坂の自宅二階で青年将校達に暗殺されてしまいます。これが、2.26事件です。
この赤坂の自宅跡が「高橋是清翁記念公園」になっています。
ここには、和風庭園はほぼ当時のままの姿で残されていますが、邸宅は、空襲により焼失しました。しかし、母屋はそれ以前に移築されていたため難を逃れ、現在「江戸東京たてもの園」(都立小金井公園内)で公開されています。
人の関わりの中で、波乱の人生を送ったものですね。
投稿者 fujimori : 22:12 | コメント (5)
2009年12月06日 [近頃思うこと]
ライフ
グッドデザイン賞の取り組みを見ると、時代がわかる部分があります。今年、新たに「グッドデザイン・フロンティアデザイン賞」が設けられました。市場ですでに提供されているものとは異なった対象や、産官学連携で生まれた対象などを、一般の商品などと同列の立場で扱うことのない安定した評価の仕組みを設けたかったからだそうです。一方、グッドデザイン・フロンティアデザイン賞も、近未来の生活を示唆する「まだ実現されていないものごと」を、持続可能な社会の実現という視点から評価し推奨する新しい賞です。簡単に言うと、現在の暮らしを支えるのが「グッドデザイン賞」、長い間市場に支持されてきた定番のデザインを扱うのが「グッドデザイン・ロングライフデザイン賞」、これからの未来を切り拓く「グッドデザイン・フロンティアデザイン賞」となり、「過去」「現在」「未来」と時間軸に沿って評価するという取り組みです。
今年の応募作品から見える時代を、審査委員長である建築家の内藤廣氏は、このように書いています。グッドデザイン賞の応募作品全般には、「成熟したエコロジー」とでもいうべき要素が備わっていて「おとなしい」印象があるようです。「少し前までは、グッドデザイン賞でも「エコロジー」といえば、環境に取り組む態度それ自体が特別なものとして表現されてきました。それが今では、そうした態度はごく当たり前のことになりました。それが成熟して、未来をエコロジーの観点から見直して行こうとする気運が感じられるようです。この流れは、今後、より先鋭化される形で我が国のデザインの大きな潮流になるはずで、その取り組みを広く消費者に届けるには、どうしても優れたデザインの力が必要になるであろう」と言っています。
今、デフレで大変ですが、日本は外貨を得て生きていかざるを得ない宿命を負っています。そのために、「確かな国際競争力をもって世界に出て行く優れた商品が必要です。ここでもデザインの力は欠かせません。新政権が国際公約した流れをより広範な海外に向けた経済活動へと展開するためにも、エコロジーを軸にした新しいデザインが求められてくるでしょう。先に述べた「成熟したエコロジー」が達成された状況は、次なる飛躍の大きな土台が築かれた、と見るべきです。」と提案しています。
同じようにデザインの今を知るためによいイベントがあります。それは、10月末から11月にかけて開催れた「東京デザイナーズウィーク2009」です。このイベントの今年のTDWは環境に対してデザインができること「LOVE GREEN」をコンセプトにしています。このイベント内でも、グリーンオブジェや、パイン・ビートルによって変色した木材を用いた100% Design Tokyo AwardsのトロフィーやエントランスゲートSpot on Wien による太陽光の力を表現したインスタレーションや、「Cube展」は植物に覆われたグリーンキューブ台に作品が展示されています。また、DAと環境省の共催でデザインの力でCO2削減を提案するデザインアワードのキックオフとして「Low CarbonLife-design Award 2009」の特別展示がされています。
「何がグッドか」は、エコがグッドであることはもう当たり前のことで、それをどのようにデザインという価値に置換できたか、消費者にとって分かりやすく魅力的な価値として提示できたか、ということが課題のようです。この課題は、他の職種でもいえることです。
投稿者 fujimori : 21:52 | コメント (4)
2009年12月05日 [近頃思うこと]
時代
先月、今年のグッドデザイン大賞が決定し、表彰式がありました。私も二つグッドデザイン賞を受賞していますので、何回かブログでも取り上げました。今年、グッドデザイン賞は、2952件を審査し、1034件(591社)が受賞したようです。なんだか、私が受賞した時の興奮した気持ちを思い出しました。私が受賞したのは、二度とも「新領域部門」でした。今は、領域も変わっていますが、ほかにも何がグッドデザインなのかも時代を反映しています。
今年のグッドデザイン賞は、昨年度から打ち出した「近未来の生活者の立場に基づく審査」という方向性を踏襲しています。その方向性からの審査理念は、人間(HUMANITY)「もの・ことづくりへの創発力」、本質(HONESTY)「現代社会への洞察力」、創造(INNOVATION)「未来を切り開く構想力」、魅力(ESTHETICS)「豊かな生活文化への想像力」、倫理(ETHICS)「社会・環境への思考力」です。これらに示された力、「創発力」「洞察力」「構想力」「想像力」「思考力」は、これからの時代に必要な力です。小学校学習指導要領には「思考力」「判断力」「表現力」「その他の能力」と書かれています。まあ、デザインとして必要な力ですから違いはあるでしょうが。
領域も今は、生活の場面に則した領域分類を、より実情に適ったものとするため、「身体」「生活」「仕事」「社会」「ネットワーク」の5領域に設定されています。それぞれの領域のなかで大賞候補の「ベスト15」には、なじみのものも多くあります。生活領域では、ダイソンのサイクロン掃除機とか、本田のインサイトとかトヨタのプリウスです。ネットワーク部門では、5つ受賞していますが、そのうち二つはサムソン電気の液晶テレビとミニノートパソコンが受賞しました。それらの中で異色なのは、今夏、東京のお台場に登場し、約415万人を動員した“実物大”の「機動戦士ガンダム」立像も選ばれています。
これらの候補の中から2回の投票を得て、大賞が選ばれました。ちなみに、ガンダムは4位でした。大賞は、北海道岩見沢市の「岩見沢複合駅舎」(ワークヴィジョンズ+岩見沢レンガプロジェクト)が出らばれました。「岩見沢複合駅舎」は、2000年12月にJR岩見沢駅の駅舎が焼失したため、JRグループでは全国初の試みとなる一般公募型コンペ「岩見沢駅舎建築デザインコンペ」で応募総数376案から「ワークヴィジョンズ」が最優秀賞を受賞し、建設されたものです。07年に開業したJR岩見沢駅都「岩見沢市交流プラザ」、連絡歩道と合わせて09年3月にオープンしていますが、市民が参加した刻印レンガやフルレールを活用したガラスのファサードがデザインの特徴になっているそうです。
過去に大賞になったものでは、私が受賞した2001年には、今年と同じ建築部門から仙台市の「せんだいメディアテーク」でした。今年建物だったのは、久しぶりです。もうひとつ受賞した年の2005年には、ブログに書きましたが、テルモの「インスリン用注射針 ナノパス33」でした。つい最近ブログで取り上げた北海道の「モエレ沼公園」も2002年に受賞しています。テレビ番組も2004年にNHKテレビのこども向けテレビ番組 「ドレミノテレビ」と「にほんごであそぼ」が受賞しています。
クリスマスプレゼントで時代がわかりますが、この賞でも、時代の求めているものがわかる気がします。
投稿者 fujimori : 20:28 | コメント (4)
2009年12月04日 [近頃思うこと]
プレゼント
今年の子どもたちは、サンタさんに何をお願いするのでしょうか。また、その願いをどうやってサンタクロースに伝えるのでしょう。もちろん、普通は寝床の枕もとに、願いの紙を入れた大きな靴下を置いておくか、クリスマスツリーにその靴下を下げておけばいいのですが、最近は、こんな伝え方が出来ます。「おねがい!サンタサイト」というニセモノの「専用ブラウザ」があり、その「WEBサイト(サン夕さん運営)」を開きます。そこに、子どもに書き込んでもらうのです。これは、本当にはネットにはつながらないで、実行ファイルと同じフォルダに入力履歴が記録されますので、あとで読むことができます。しかも、この履歴は、毎年蓄積されますので、何年か経って見返すことができ、何歳の時には何を贈ったかを思い出すこともできます。このようなサイトが無料でダウンロードできるのですが、最近ほかにも似たようなものがあるようです。
子どもたちがどんなものを欲しがるかということを時代によって追っていくと、かなりその時代がわかります。もちろん最近はゲームでしょうが、私は全くゲームはやったこともないですし、私の子どもたちも小さい頃でもあまりやっていなかったのでよくわかりません。たとえば、昨日発表のランキングで、「今回は『トモダチコレクション』をはじめとした定番タイトルが3位までを占めている。一方新作は『太鼓の達人Wii ドドーンと2代目!』が4位にランクイン。販売本数は2.9万本と、前作(初週11.5万本)には届かないものの、息の長いシリーズだけに年末商戦に期待がかかる。また5位の『レフト 4 デッド 2』は2.8万本を販売し、すでに『レフト 4 デッド』(累計3.0万本)の累計本数を突破する勢いだ。」という記事など、ちんぷんかんぷんです。プレステとかDSとかでさえよくわかりません。ましてや、そのソフト名などはなおさらです。こんなにたくさんあって、今の子たちは、大人になって、共通して思い出すおもちゃがあるのでしょうか。
昭和30年代初めだけ見ても、日本中の子どもたちが熱狂するおもちゃが発売されています。私の子どもの頃、どこかの年齢で買ってもらったことのある「ラジコンカー(ラジオコントロールカー)」は、すでに1955年に発売されています。受信機を内蔵したバスと、箱形の送信機がセットになっており、送信機から発する無線電波でバスを操縦するものです。バスの動作としては、直進、右折、左折、停止で、後退はできませんでした。この送信機は、のちの鉄人28号を正太郎が操作をするために持っているようなものです。ただ、当時の価格は、高卒の初任給位していたので、子どものプレゼントには、まだ使われなかったでしょう。やはり、この年に発売して、私たちが夢中になったものが「チェーリング」です。これは、いまだに園でも使っています。色、形とも今と変わりません。当時1個1円で、腕輪や首飾りを作っていました。
やはりこの年には、スクーター遊びが大流行しました。大人が乗るエンジン付きではなく、細長い板に二つのタイヤとハンドルがついた完全人力のスクーターです。「ペダル型」と「足蹴り型」がありましたが、この足蹴り型は、今でもキックボードといって5000円前後で買うことができ、クリスマスプレゼントの候補になっているようです。1956年になると、日本中の子どもの間で流行した「ホッピング」が発売されます。これは、あまりかの美容器具から考案されたもので、翌年には、飛びすぎによる人体への有害説が流れたほどです。
今でも遊ばれているもの、一時の流行だけで終わったものはあるものの、その世代での共通の話題にはなりますね。
投稿者 fujimori : 21:49 | コメント (5)
2009年12月03日 [近頃思うこと]
世界共通
昨日の読売新聞に、上方落語界の“国際派”として知られる桂小春団治さんが、来年2月に米・ニューヨークの国連本部ビルと、音楽の殿堂・カーネギーホール内のリサイタルホールで公演するという話題です。小春団治さんは2000年に英国で初の海外公演を行ったのを手始めに、これまでフランスやドイツ、韓国など12か国を訪れていますが、今回は、海外公演に取り組んで10年の節目だそうです。記事によると、カーネギーホールでは在米邦人向けに公演するようですが、もともと世界有数のコンサート会場として知られるカーネギーホールですので、今までも多くの日本人がコンサートとか、歌などを歌っていますが、落語講演は初めてのようです。しかし、ここでは在米日本人向け公演ですが、「国連ビルでの落語公演はおそらく初めて」ということのようです。ここでは、約300席の会議室が会場で「世界中から集まった人たちに落語本来の話しぶりを堪能してもらいたい」と日本語で披露し、英、仏、西、中の4か国語の字幕スーパーを付けるそうです。演目は、「お玉牛」と、怪談噺の「皿屋敷」を予定し、寄席囃子を生で演奏。鳴り物の解説も行うそうです。
「お玉牛」は、春団治さんの得意な演目で、お玉のところに夜這いに行った男が、身代わりに寝ている牛をお玉だと思う滑稽さを描いていて、多彩なしぐさで牛の様子を表現することで有名です。もうひとつの演目である「皿屋敷」も春団治さんの得意ねたで、古典的な怪談である皿屋敷を下敷きとした噺です。今回海外公演を行う桂小春団治は、記者会見で、「肌の色や言語、慣習の違いを超え、笑いで平和の大切さを共感できれば」と意気込みを語っています。笑いは世界共通なのですね。
私の園では、今年のテーマは、「世界」で、その1年目として“世界を知ろう”です。そのテーマに沿って子どもたちに世界を知ってもらっています。そのひとつとして、今年の誕生会の日の昼食は「世界の料理」としていろいろな国の食事体験をしてもらっています。日本では、食べる前に「いただきます」と挨拶をします。ですから、その日の「いただきます」は、その国の言葉で子どもたちは言うようにしています。その表現は、論争されたこともありましたが、基本的に日本の風習では、食事の提供者と食材への感謝の気持ちを表現するためです。もともとの由来は仏教の教えで、食材である生命を断ち、その生命を「いただく」ことへの感謝を表現するで、「いのち」をいただいて、自分の「いのち」を養っているということになります。
10月は、「エジプト料理」でした。エジプトでは食べる前に「ボナペティ」というそうです。先月はカンボジア料理でした。しかし、カンボジアでは、いただきますに相当する言葉はないそうです。もともと生命をいただくことに感謝するという概念からきているので、英語でも「いただきます」に該当する言葉はないようです。多くの国では、神に感謝することはあるようですが。そこで、カンボジア料理のときには、私はあいにく園にはいなかったので食べることはできなかったのですが、栄養士がカンボジア語の「おいしい」と「おなかがすいた」という言葉を教えたそうです。

「おいしい」という言葉は、世界共通のようです。もしかしたら、食事のときのマナーとして「いただきます」をすることより、食べて「おいしい」と言うことを教えたほうがいいかもしれませんね。
投稿者 fujimori : 23:04 | コメント (4)
2009年12月02日 [近頃思うこと]
商戦
よくブログで取り上げるのですが、記念日を商戦に位置づけることによって、消費拡大を狙うことはよくあります。バレンタインデーがその代表ですが、今、次第に盛り上がりつつある「クリスマス」も、きっとそんな歴史があるのではないかと思います。アメリカでは、感謝祭が終わると、クリスマス商戦が始まりますが、この機関が年間最大の消費拡大期だそうです。それは、子どもへのクリスマスプレゼントだけでなく、家電などもこの時期に購入するようです。しかし、どうも今年は、米国経済は回復の兆しは出ているものの、高失業率を背景とした所得の伸び悩みで消費者の財布のひもは固いというニュースが先日流れていました。この間の一人当たりの消費額は約628ドル(約5万4千円)で、前年より3・3%減少する見込みだそうです。
私が子どものころから、何かを買ってもらったり、おもちゃをもらえるのはクリスマスのときだけでしたから、クリスマス商戦が行われていました。デパートのおもちゃ売り場は、大賑わいでした。そして、その時のごちそうは、七面鳥のローストチキンとクリスマスケーキでした。この時のケーキは、スポンジケーキにバタークリームを塗り、砂糖細工のサンタクロースやクリスマスツリー、イチゴやチョコレートを飾りつけたものが一般的でしたが、これは不二家が大正11年(西暦1922年)頃から広めたものだそうです。それがいつからか、バタークリームにとって代わってホイップクリームが乗るようになって、とてもおいしく思ったものでした。また、グリコ乳業が、すべてアイスクリームで出来たクリスマスケーキを「アイスケーキ」として販売するようにしたころ、そのCMが頻繁に流れ、新鮮で、いかにもおいしそうでした。サラリーマンが、会社帰りにそんなケーキを買って帰る姿が風物詩となりました。私の子どもが小さかったころは、妻が手作りのケーキを作って、みんなで顔を寄せ合ってケーキを食べたものでした。
今年の流行語大賞に「草食男子」というのがありましたが、クリスマス前のCMは、最近ずいぶんと変わってきているそうです。こんな広告がありました。「もうじきやってくるクリスマス。恋人たちにとっては大きなイベントではないでしょうか?今年のクリスマスは不景気も相まって“イエナカ”のクリスマスを過ごす方も多いかもしれません。お金はかけないけど、サプライズがしたい!そんな男子の皆さん注目!“スイーツ男子”デビューのチャンスです。彼女に、手作りのクリスマスケーキをプレゼントしてみては?」
まず、ケーキを買う場所が「エキナカ」という駅構内にある店ではどうかというものです。このエキナカは、評判がいいらしく、いくつもの駅にできているようです。また、ケーキのお菓子調理教室が男子向けのもので、手作りで作って、彼女にあげたらどうかというものです。
もうひとつ、最近、目につくのがイルミネーションです。いろいろな街で行われているだけでなく、個人の家々もイルミネーションで飾られています。このようなクリスマスは、日本ではいつごろ始まったのでしょうか。もちろん、江戸時代は、キリスト教は禁止でしたから、クリスマスは行われてはいません。そこで、日本のクリスマスは明治以降になってからの商業化と共による発展してきたようです。明治時代、日本で初めてクリスマス商戦を行った銀座で、最初に店舗のクリスマスデコレーションをしたのが京橋銀座2丁目にあったキリンビール明治屋(現在の明治屋本社)だったそうです。その後、その他の多くの店が明治屋に倣い、銀座はクリスマスデコレーション飾られるようになったそうです。
日本とは宗教とは関係なくなりましたが、いまだに、子どもたちにとっては、楽しみな行事のひとつです。
投稿者 fujimori : 23:50 | コメント (4)
2009年12月01日 [近頃思うこと]
世界の教育
月刊「クーヨン」という雑誌の9月号増刊は、「のびのび子育て」ということで、「子どもに受けさせたい世界の幼児教育」という特集記事です。まず、表紙を見て驚いたのは、「世界の教育者は子どもを信じることからはじめた!」とあることです。この記事は、モンテッソーリ、フレーベル、フレネ、シュタイナー、ニキーチン、コダーイ…など、子どもの成長、教育について考えてきた世界の人たちの幼児教育理念についての紹介ですが、彼らのまなざしは「大切なのは子どもを信じること」であると書かれているのです。私も保育理念を持っているのですが、その第1に挙げているのは、「子どもの存在を丸ごと信じただろうか。」ということです。それは、「子ども自ら育とうとする力を持っていることを信じ、子どもといえども立派な人格を持った存在として受け入れることによって、見守ることができる」からです。
最近、注目されている保育カリキュラムにニュージーランドの「テ・ファリキ」がありますが、このカリキュラムは、4つの原則から作られています。その第1は、「エンパワーメント」ということで、子どもに自ら学び、成長するための力と、権限を与えることです。子どもに任せることで、子どもは考える力をつけるということです。また、イタリアのレッジョ・アプローチでは、「子どもたちは生まれながらに多くの能力、生きる力を持っている」ということを原則にしています。また、1970年代のオランダで急速な広まりをみせたイエナプラン教育では、学校教育の場ですが、長い間「経験や知識のある」大人が「何も知らない」「未熟な」子どもに既成の知識やスキルを伝える場、また、子ども側からすると、子どもを一方的に「教えられ」「知識を受け取る」だけの受動的な人間につくり替えてきたのです。それを、イエナプランでは、それぞれの子どもに備わった発達への意欲や好奇心をうまく引き出す教育なのです。
どれも子どもへの温かいまなざしを感じます。しかし、これは決して情緒的ではなく、きちんとした子ども観察からきているのです。世界で最初の「幼稚園」を創設したフレーベルの言葉が紹介されています。「親として、教師として、子どもをどう導けばいいのだろうか。ただ、児童をよく観察し、注意をすればよい。そうすれば、子どもが自らあなた方にその方法を教えるであろう。」「大人は幼児がなすこと、見ること、発見することなどを一々言い表し、命名し、それに言葉を与えるだけでいいのだ!」
今日の新聞に、厚生労働省は昨日、21世紀最初の01年に生まれた子供の生活実態を継続的に調べる「21世紀出生児縦断調査」の第7回結果を発表したことが掲載されていました。その結果、「習い事をしている」子は56.6%で、そのうち第5回調査で「習い事をしている」子は35.8 %でした。ずいぶんと増えています。性別に習い事の種類(複数回答)をみると、男児では「水泳」が23.0%、女児では「音楽(ピアノなど)」が24.9%と最も多くなっているようです。今年の体育の日の調査で、最近の子どもたちの体力が前に比べてついてきたことが掲載されていましたが、それもどうも習い事の成果のようです。
そして、遊びの種類も、テレビゲームや携帯型ゲームなどの「コンピュータゲームをする」子は50.6%で、第5回調査では27.9%ですから、ずいぶんと増えています。これは、必ずしもゲームがいけないというよりも、子ども同士が関わらなくなったということが問題だと思います。今回の調査でも、「近所に友だちがいない」が34.4%と多くなっており、遊び相手も、「同い年の子」と「よく遊ぶ」割合が37.2%と低く、「ひとり」で「よく遊ぶ」割合が49.5%と高くなっています。
早く、日本でも幼児教育を含めて、教育改革をしなければならない時期でしょう。
投稿者 fujimori : 21:20 | コメント (4)
2009年11月30日 [近頃思うこと]
片倉
私は、パチンコとかゲームをやらないので、そこに登場する歴史的人物の中で誰が格好良くて、誰がハンサムかは分かりません。しかし、昨日のブログで取り上げた片倉小十郎がそんなに人気があるのは、活躍が素晴らしいというよりも、イケメンだったのかもしれません。
先月の初め、仙台藩の重臣片倉小十郎が居住した宮城県白石市の白石城で、第2代小十郎重長(1584~1659年)の武勇をたたえる「鬼小十郎まつり」が開かれ、大勢の歴史ファンらでにぎわったというニュースが流れています。ここでは、メーンの「片倉軍VS真田軍決戦」では、重長が「鬼小十郎」の異名を取った大坂夏の陣の合戦「道明寺の戦い」を再現し、エキストラには、市内をはじめ仙台や関東から集まった約100人が武者姿で出演したそうです。中には、片倉軍には片倉鉄砲隊や白石女高弓道部、真田幸村率いる真田軍には仙南広域消防本部やホワイトキューブ新体操教室のメンバーも参加しています。
このイベントを見ると、人気のあるのは、片倉家初代の片倉小十郎景綱ではなく、その嫡子2代目の片倉小十郎重綱(重長のこと)のようです。重綱率いる片倉隊は、大坂夏の陣のとき、90を超える兜首を揚げ、翌日も大坂方と対戦し60の首級を揚げたため、この武功により、重綱自身、鬼小十郎の名を馳せ、天下に片倉隊、伊達勢日本一の評価を受けることとなったのです。 そして、大阪城は落城したのです。
その時の戦いは、大坂方の名将とうたわれた真田幸村と伊達軍の片倉小十郎重綱との戦いでしたが、その日の夜、死を覚悟した幸村は娘の阿梅に自分の戒名を持たせ、片倉小十郎重綱に預けたとされています。そして、彼は阿梅を後妻として迎えいれます。敵将からも片倉家は認められた武将だったことが伺えます。大坂の陣の後には、重綱は妻の弟と妹を保護し、真田幸村の遺臣も家臣として召し抱えました。そして、片倉重綱は四代将軍徳川家綱の字を避けて重長と改名しましたが、武勇に優れ、情も深い武将として今にその名を残していて、人気があるようです。
この2代目白石城主・片倉小十郎重長については「史実」として、そのイケメンぶりが伝わっています。「片倉代々記・重長譜」によると、小十郎重長が17歳のとき、「金吾中納言殿、重綱(重長のこと)容色の美なるを御覧せられ、御恋慕あり」とあります。この 金吾中納言とは小早川秀秋のことで、秀吉の甥でありながら、関ケ原の戦いで徳川方に寝返ったために、豊臣方が敗戦してしまったことで有名な微笑です。彼が、重長の「容色の美」を見て「恋慕」したと書かれてあるそうです。
また、片倉家初代景綱の姉「喜多」は政宗公の幼少時代の保育係で政宗の人格、思想に大きく影響を与えた賢婦人です。喜多の考案で、「天下にその名を鳴り響かせよ」ということで、「黒釣鐘」を片倉家の旗指物としました。この「黒鐘」は、現在の白石市の市章にもなっています。彼女は、政宗が成長した後は正室の愛姫付きとなりました。そして、豊臣秀吉の人質となった愛姫と共に京へ上洛します。ところがその直後に政宗の勘気をくらい、蟄居し、異父弟・景綱の在所である白石で出家して庵を結び、そこで生涯を終えました。
知らない歴史にその地方に行くことで触れ、それらがどこかでつながっていくことを知ることで、自分の中の歴史がつながっていきます。歴史は、覚えるものではなく、今につながっていることを知ることかもしれません。
投稿者 fujimori : 21:52 | コメント (4)
2009年11月28日 [近頃思うこと]
音
生き物は、不思議な遺伝子を持っています。特に、人間はとても複雑で、自分のことでありながら、その働きは解明されていないことがほとんどです。ですから、いくら文明が進んだとしても機械であるロボットでは、人間に近づくことは程遠い道のりです。たとえば、人間の1歳児のころの動きの真似をするだけのロボットを開発するのにも何数十年かかるでしょう。それを、人間は数カ月で獲得してきます。
赤ちゃんの運動機能は頭に近いところから始まり、首、腕、腰とだんだんに下がっていきます。また、体の中心から末端のほうに向かって進んでいきます。それは、事実としての発達ですが、なぜそのような発達を遂げていくのかを考えてみると、人は何のために生きるのかにぶち当たります。まず、基本は、どの生物でも同じですが、自分たちの遺伝子を子孫に残そうとします。そのために当面は、敵や災害から身を守らなくてはなりません。自分に近づいてくるものが敵か味方か、判断しなければなりません。ですから、最初は、まず目でものを追う追視ができるようになります。この行動は、のちに直立して歩くために条件である首のすわりの準備です。
赤ちゃんは新生児のころから準備がはじまります。生後3ヶ月ころまでは、大きな音にびくっとしたり、聞き慣れた声を聞くと落ち着くようになります。そして、次第にその声がする方に顔を向けようとするのです。生後3か月のころから音のする方へ顔を向けようとしたり、音のする方を目で追おうとします。ですから、ガラガラなど、音のする玩具を喜ぶようになります。それは同時に、首がだんだんとしっかりしてきたからです。そして、うつぶせで首をわずかに左右に動かすようになります。次に、少しあごを上げられるようになります。さらに月齢が進むと、あごを上げたままの状態で、自由に首を動かして左右を見ることができるようになります。こうなって初めて首すわりが完成したと言えます。このように首が自由に動かせるようになっていくのです。
人は、何かを近付くことを知ろうと、音のする方に顔を向けるようになります。それは、自分に危害を加えるものかどうかを確かめる意図もあると思います。そして、その能力は、大人になっても、身を守るときに必要なものです。後ろから大きな音がすると、急いで振り返って、それが何かを知ろうとして、危険だとよけようとするのです。もし、忍者がそっと近づいてきたらわかりません。
後ろから車が近付いてきたとき、その音で気がついて振り向き、脇によけます。しかし、最近ハイブリッド車や電気自動車は、構造的に音がしなくて危険と感じるという意見が、自動車ユーザーや視覚障害者団体等から寄せられています。そのため、国土交通省では「ハイブリッド車等の静音性に関する対策検討委員会」を開催し、対策のあり方について検討を行っています。7月に行われた第1回の会議では、「何らかの対策は必要であろう」という方向性が出されています。それを受けて開催された第2回目では、実際にハイブリッド車や電気自動車を走行させて、「どの程度気がつきにくいものか?」「どのような対策をすればよいのか?」という部分を体験したようです。そして、11月5日には、「疑似エンジン音の義務化」を軸にする対策案を発表しました。現在同省は一般からの意見を募っていますが、どうでしょうか。エコカーは、環境保護だけでなく「静音性」というメリットも生み出したのですが、人間というのは、難しいですね。ただ、現在のところ静音性を原因とした交通事故は発生していないし、エンジン車とハイブリッド車との間で事故発生率にも違いがないようですが。
投稿者 fujimori : 19:39 | コメント (4)
2009年11月27日 [近頃思うこと]
ロボット
今月の25日から明日の28日まで東京ビッグサイトで、世界最大級のロボット展示会「2009国際ロボット展」が開催されています。この展示会の開会式では、ヒトの上半身とほぼ同じサイズのヒューマノイド(ヒト型)ロボットがハサミを使ってテープカットをしました。展示ブースでは、様々なロボットが展示されているようですが、それらのロボットについてのニュースを見るたびに、ずいぶんと進んだ科学技術に感心すると同時に、どのような作業がロボットが人間に代わってやるようになり、どのようなことは最後まで人間にしかできないのかを考えてしまいます。
それに先立って今月初めに、大阪市西区の京セラドーム大阪で「ロボカップ・ジャパンオープン2009」が開かれたことがニュースで流れました。ロボカップは95年に構想が発表された国際イベントで、2050年までにロボットのサッカーチームを結成し、サッカーワールドカップの優勝チームに勝利するという目標を立て、世界の研究者がロボット工学や人工知能の開発をしているものです。そして、97年から毎年世界大会が開かれ、世界35カ国4000人以上の研究者が参加しているそうです。私が平成13年に新領域部門でグッドデザイン賞を受賞したときに、その部門の大賞候補になったのですが、ほかに4つ候補があり、そのひとつがこの「ロボカップ」でした。ワールドカップも、ロボットがやるのを観戦するようになるのですね。
今回展示されているロボットにも、スポーツをやるものがあります。サッカーだけでなく、野球の世界でもロボットが活躍します。「バッティングロボ」は、1秒間に1000枚の画像を処理できる高速カメラで飛んでくるボールを検知して、バットで打ち返す「究極の打者」の登場です。人間が軌道を予測してボールを打つのと異なり、1000分の1秒ごとにボールの位置を認識し、0・2秒でバットの軌道を調整します。「どんな球でも空振りせず、狙った方向に打ち返せる」といいます。また、人間相手にピンポンをするロボットや、最終日には2足歩行ロボットによる格闘技大会「ROBO-ONE GP」が開催されるということです。また、「スケーティングロボット」は、インラインスケートを履いた2足ロボットで、センサーでバランスを取り、人間と同じように滑ることを目指しているそうです。今後、アイススケートで、4回転ジャンプをするロボットも現れるでしょう。これからのスポーツ観戦も、人間の限界への挑戦か、スポーツの華麗さ、激しさを観戦するかでロボットの競技は増えるかもしれません。
実用的なものも紹介されています。掃除などの家事を人間に代わってするロボットや、人間の身体能力を強化する着用型ロボットなどのユニークな新技術が紹介されています。これは、「マッスルスーツ」というもので、このスーツを着用した人が50キロのコメ袋を軽々と持ち上げられます。空気圧を調節してゴム製の「人工筋肉」を収縮、腕や腰の曲げ伸ばしをサポートする仕組みです。今後、人間が強く力を入れなくても重い物を簡単に持ち上げられるために、高齢者や身体障害者の動作を補助したり、工場での労働の身体負担軽減などに役立つことが期待されています
あと、目立つのは、癒し効果のロボットです。ぬいぐるみのような外観のアザラシ型ロボット「パロ」は、デンマークの福祉施設などで導入されていますし、高齢者を和ませる「赤ちゃん型ロボット」とか、パンダ型の「Toccoちゃん」を開発中です。「Toccoちゃん」は、頭部にセンサーがあり、頭をなでると「じゃんけんしようよ」と持ちかけて、「グーしかだせないんだった」と話したりして人を和ませるようなロボットです。
投稿者 fujimori : 22:57 | コメント (5)
2009年11月23日 [近頃思うこと]
文化国家
「目白文化村」の形成を見てきましたが、その成り立ちを見ていくと「文化」とは何かということを考えてしまいます。まず、「文化」と聞いて思い出すのは、今月初め11月3日の文化の日です。この日は、「様々な文化歴史に親しみ、健全な心身・情緒を育む日」ということのようですが、なぜこの日なのかというと、日本国憲法が1946年のこの日、11月3日に公布されたからです。文化の象徴として憲法があるのです。そして、この憲法は、公布から半年後の1947年5月3日から施行されました。その5月3日を「憲法記念日」と決めました。
実は、戦前から文化の日と決められる前までは、11月3日は、明治天皇の誕生日であることから明治節という祝日になっていました。今は、それは特に関係ないとされていますが、多分、憲法をいつ公布しようかという議論の中で、明治節の日にしようとしたのではないかと思います。それはともかくとして、今、文化の日に合わせて「文化勲章」が授与されます。それは、誰を対象にしているかというと、「科学技術や芸術などの文化の発展や向上にめざましい功績のある者」となっています。ここでは、文化とは、「科学技術や芸術」などとなっています。
憲法の第二十五条には、文化という言葉が出てきます。「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」ここにある、「文化的な最低限度の生活」とは、どのような生活なのでしょう。そのひとつは、次の条文に出ているもののような気がします。「第二十六条 すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。」「第二十七条 すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。 」きちんと教育を受け、きちんと勤労できる権利があることが文化的な最低限の生活のような気がします。最近の傾向を見ると、この二つの権利がないような気がします。それ以前に、文化的生活の前提である「健康」であることでさえ保障されていません。
たとえば、今、保育室が足りないからといって、保育室の最低基準の一人当たり面積を減らそうとしています。その状況を、憲法から読むと、まず、幼児教育をどの子もひとしく受ける権利はありますので、保育園に入ることが出来ない子がいることは何とかしなければなりません。そのうえで、健康的で文化的生活が出来るように保障するのは最低限なのです。「健康」というのは、精神的、身体的、社会的に「現在をよりよく生きる」ことです。狭いところに、不健康な環境の中で子どもが生活することはおかしいのです。健康な状況とは、子どもたちが精神的ストレスを感じず(精神的)、手足、体を思いきり使って活動し(身体的)、いろいろな子どもとかかわりを持って生活すること(社会的)が出来る状況のことを言います。ということは、今、一人ひとりの健康と文化を保障し、誰でも幼児教育を受けることができるように、保育室の数を増やすことを、いろいろなことに優先して考えないといけないと思います。この憲法にあるように、「健康」「文化」「教育」「勤労」は、どれかを犠牲にすることなく、すべてを保障しなければならない項目として挙げられているのです。
日本が、文化国家になるのにはまだ先のようです。
投稿者 fujimori : 23:40 | コメント (4)
2009年11月13日 [近頃思うこと]
室内緑化
目に入る景色の中で、そのくらい緑があるかということを「緑視率」と言い、その率がだいたい25%あると人は緑が豊かだと感じ、精神的にもよい影響を与えることを、昨日のブログで紹介しました。ということは、屋外空間だけでなく、室内空間にも言えるようです。室内を見通したときに、どのくらいの率で目に緑が飛び込んでくるかで、精神的な効果が違うようです。
コクヨと愛媛大学の共同実証実験結果によると、オフィスに植物を置くと時間の経過とともに親しみを感じる人が多くなり、緑視率が高いほど「あたたかみがある」「親しみやすい」「落ち着く」「自然だ(潤いがある)」と感じる人の割合が高く、「アメニティ効果」「疲労感をやわらげる効果」「癒し効果」など、心理的な快適性を高める効果が期待できるようです。
そして、植物が撤去されると喪失感・ストレスを感じる人の割合が高くなりますが、室内の場合は、逆に緑視率が高すぎても、緑が多すぎる、うっとおしいと感じる人の割合が高くなるようです。このような結果からわかるようにある程度室内に緑のものを置くことはオフィスでは仕事の能率が上がり、保育室や教室では子どもたちの精神的な効果がありそうです。しかし、日本ではあまりそのような空間構成はされていません。ドイツに行くと、保育室や小学校の教室にはずいぶん緑のもの、観葉植物があります。
ドイツの小学校の教室
そのほかにも、ロフトとか、子どもたちが潜り込める空間とか、様々な空間が子どもたちのために用意されています。
今、日本では、保育室の面積の最低基準が緩和されるかどうかが議論されているところですが、今まで、日本では、どうも保育者がどうかという議論に比べて、保育室空間がどうであるかという研究がされてこなかった気がします。ですから、最低基準を守ろうというだけで、その面積が子どもの育ちにはどういう意味があり、なぜ、その広さなのか、広さだけではなく、その空間には何が必要であり、それを置くためにはどのくらいの広さが必要であるかという説明が苦手のような気がします。
最近の研究では、オフィス空間におけるものではありますが、そこに植物を配置する場合には、オフィス空間の持つ役割、目的に応じた緑の量、種類に注意しながら、緑視率に配慮して配置設計することが重要だということがいわれています。オフィスのグリーンアメニティ効果を最大限に発揮させるには、それぞれそこで仕事をする人が目にする緑の量を、近景、中景、遠景でバランスよく緑を配置するとよいといいます。
ドイツの園長室
そして、子どもと環境の関係と同じで、そこにあるからいいのではなく、「主体的に植物にかかわること」が大切であることから、自分のデスクなどで植物を自ら積極的に育てる能動的にグリーンとの接することで、心理的な効果(園芸療法的効果)が高まると言われています。そして、各自のデスクに植物を置く時に、自分の好きな植物を選べることや自分で世話をして積極的に植物と関わり合いを持つことでよりその効果は大きくなるといわれています。
それは、植物を自分で世話をすることにより植物に愛着がわきます。そして、世話を怠ると枯れてしまい、枯らさないために穏やかな義務感が生じるため、仕事に集中しすぎる意識がふと緩みます。その際、仕事による過度なストレス状態が少し緩和されることから、ストレス緩和をすることができるのです。
この考え方を保育室にも応用したいものです。
ドイツの保育園のトイレ
投稿者 fujimori : 22:30 | コメント (4)
2009年11月12日 [近頃思うこと]
緑
山に行ったときに、とてもすがすがしい気分になります。目の前に一面の緑があるからです。
それに比べて、都会に行くと目に入るのはビルばかりです。緑は点々としか目に入りません。しかし、私の園は、テラスに出て裏を見ると、視界に入るのは緑に覆われた公園です。そこで、一日に一回はその緑を見たくなります。
目に見える景色を写真に撮ったとします。たとえば、六本木にある毛利公園で写真を撮りました。
その中で緑がどのくらい占めているかで、見た感じ「緑が多くていいですね。」と言われます。このように「見た目の緑の豊かさ」を判断する指標として「緑視率」という数値を使うことがあります。それは、人が認知する緑の量を数値化したもので、人の視界にどれだけの量のグリーンが入ってくるかを%で表したものです。たとえば、屋外では、商業地や市街地の緑視率はおおむね0~10%、庭木が整備された住宅地の緑視率は10~20%、生け垣が整備された住宅地の緑視率は20~30%、計画的な住宅団地や街路樹が整備された工業地の緑視率は30%以上であると言われています。そして、その緑視率がどのくらいで人は緑が豊かだと感じるかというと、国土交通省調査の資料によれば、屋外では、おおむね緑視率が25%以上だといわれています。
平成17年から18年にかけて国土交通省では、「都市の緑量と心理的効果の相関関係」の社会実験調査を行いました。これは、都市の緑には、日射を遮り地表面被覆を改善するなどにより都市の熱環境を改善する機能があることが認められていますが、そうした物理的効果に加え、人間にとってのうるおい感や安らぎ感を向上するなど、快適性を高める心理的効果としてどうなのかという調査です。その結果、緑視率が高まるにつれ、潤い感、安らぎ感、さわやかさなどの心理的効果が向上することがわかりました。ですから、目に入る緑が多いというだけで、真夏日の不快感をやわらげるのに役立つようです。ですから、緑を多くすることで期待されることは、「清涼感が高まる効果」「アメニティ(快適性)が高まる効果」「疲労感をやわらげる効果」などの心理・生理的効果の期待が高いという結果になったのです。そのほかにも、都市の緑は、「人々をひきつける効果」も期待されていると言われています。
また、屋上緑化の効果に対する期待度は高く、また、9 割の人が屋上緑化を希望しているそうです。それはなぜかというと、「清涼感が高まる」「温暖化をやわらげる」「疲労感をやわらげる」などすべての効果について期待度が高く、「季節の花や緑を観賞する場所」「ガーデニングを楽しむ場所」など花や緑に関わる要望が半数以上を占めたほか、「家族で団らんできる場所」「子どもが遊べる場所」「コミュニティ活動の核となる場所」など、家族やコミュニティの交流の場としての活用も望まれています。ですから、屋上緑化は、単にヒートアイランドの緩和を目的とした緑化空間であるだけでなく、人々のさまざまな活動の場所として求められていることがわかります。
ほかのデータでも、人は緑化空間でストレスの解消、騒音感の減少、季節感の創出、 自然と触れあうことによるやすらぎ感の向上などを得ることが期待できる。視覚効果として、 植物を見たときのリラックス感の向上 し、聴覚的効果として、緑視率が増加すると心理的な騒音低減効果量も増加することが認められています。緑があるだけで、暑さも和らぎ、うるささも気にならなくなるそうです。
投稿者 fujimori : 21:15 | コメント (5)
2009年11月11日 [近頃思うこと]
わが大地
もうすぐクリスマスですが、私の園では、子どもたちへのクリスマスプレゼントは、職員手作りおもちゃです。一昨年は、ブログで紹介しましたが、ネズミのお手玉です。昨年は、園の周りの双六でした。今年は何にしようかという話になりましたが、今、子どもたちの間で伝承遊びとしてけん玉が流行っているので、松ぼっくりを使ったけん玉にすることにして、暇を見ては作っています。
昨日のブログで紹介した黒部に日曜日に行ってきたのですが、トロッコ電車の終点の欅平で、コメツガを見つけました。コメツガの実は、松ぼっくりを小さくしたような形ですので、いくつかを職員にお土産として持ち帰りました。案の定、職員の間では、とてもかわいいと評判でした。

コメツガは、マツ科の樹木ですから、松ぼっくりのような実をつけるのは当然です。秋篠宮文仁親王の印に用いられている栂(ツガ)という木がありますが、これは日本では温暖帯に生息します。それに対して、葉が小さいツガという意味で亜高山帯に自生する亜高山帯の針葉樹林の構成種がコメツガで、日本の特産種です。
日本の自然には、次第に外来種が増えてきましたが、まだまだ日本本来の日本の姿が各地には残っています。その姿を笠木透作詞で「わが大地の歌」に歌いこまれています。私は、この歌が日本を広く見渡している気がして大好きで、以前のブログでも紹介しましたが、今回、コメツガを見て、その歌を再度思い出しました。1番の歌詞には、「から松 こめつが 針葉樹林 かもしか 月の輪熊 走る稜線」と歌いこまれています。コメツガ同様、日本の高原を代表する植物でもあり、秋を彩るものに「カラマツ」があります。長野県の蓼科などの高地に行くと、カラマツ林が金色に色づいて、とてもきれいです。
また、今回訪れた黒部では、よくカモシカを見かけます。カモシカといっても、ニホンカモシカのことで、日本固有種です。日中国交正常化のときに、中国からパンダを送られましたが、そのお礼として日本からは、雌雄1頭ずつが贈られたほど日本を代表する動物です。また、数年前には日本中いたるところで出没し話題になったツキノワグマも日本に生息しているクマです。
2番の歌詞に出てくる日本の風景は、「柿の木 赤土畑 広がる水田 かわやなぎ 青い水 流れる河川」今の時期、秋を彩るものは、紅葉に限りません。里山に行くと目立つものに柿の木があります。柿の木は、葉が赤く、きれいに紅葉しますが、それ以上に枝に点々とのこる柿の実は秋の風物詩です。赤土は火山灰に由来する粘土の一種ですから、火山国である日本の土といってもいいくらいで、関東ローム層も赤土です。この土の色が褐色または赤褐色を帯びているということでそう呼ばれますが、それは、鉄分に富んであるからで、その土で畑を作ろうとすれば、地表に露出して風化したものは、そのまま培養土として使えます。
3番の歌詞には、「かるかや かやつり草 積乱雲 からすうり 月見草」4番には、「かもめどり 黒松 岩礁海岸 かつおどり 海つばめ」が出てきます。この中で、特にからすうりは、初めて見たときに「まっかな秋」をまさに地でいくくらい真っ赤だった印象があります。日本の風景は、本当に美しいですね。
投稿者 fujimori : 22:32 | コメント (4)
2009年11月09日 [近頃思うこと]
掃除
ブログで、雑巾がけの話題を出しましたが、小学校時代に雑巾がけをした人と、したことがない人がいるようです。私が小学生のころは、普段、教室の床を雑巾がけしていました。しかし、たいへんなのは、年に何回か、きれいに雑巾がけをして、それまでに積み重なっている油をきれいにふき取ります。その日は、用務員室の前に各クラス用にバケツに入った油が用意されていて、それを教室に持っていって、モップに浸して床に塗り広げます。その日だけは、前の方にあった一段と高くなった教壇も動かして、その下にも塗らないといけないのです。すると、床は、ピカピカに黒光りしてきます。ただ、そのあとは、とても滑るので、滑って遊んでいましたが。今考えると、それはワックスだったのか、何かの油だったのかはわかりませんが、匂いは油のにおいだったことは覚えています。
昔は、拭く場所がいろいろとあり、その場所によって拭き方、拭くための雑巾、薬品を変えていました。今のように、どの場所にも、同じものを使うことはせず、変えていたのは、長い間の生活の知恵だったのでしょう。
ガラスを磨くのも、新聞紙を水に浸けて、濡れた新聞紙を軽く絞ってガラスを拭きます。拭いた後は、今度は乾いた新聞紙でカラ拭きをします。そうすると、思っている以上にピカピカにキレイになります。それは、印刷インクがガラスの汚れを落とし、つやを出してくれるからのようです。また、使い終わった新聞紙は、そのまま捨てればいいので、子どもでも手伝うことができますし、読み終わった新聞を使うということで、リサイクルからエコの意識をつけるにもいいですね。
最近少なくなってきましたが、昔は部屋の大半を占める床材に畳がありました。畳は、大方その上で過ごしますので、ずいぶんと汚れるものです。そこを掃くときには、埃が舞ってしまいますので、水に浸した新聞紙をちぎったものとか、使い終わった茶がらを撒いてから、それらと一緒に掃いていきます。畳を拭く時には、バケツ7分目ぐらいの水に、酢をさかずき1杯ほど入れ、そこに雑巾を浸し、かたく絞ってから拭くといいようです。酢は畳の黄ばみを取るのに効果的です。しかし、畳は水を嫌いますので雑巾は固く絞り、そのあとに乾拭きします。
畳の代わりにフローリングが多くなりましたが、フローリングの床は米のとぎ汁で磨くと、ピカピカになります。とぎ汁の中のぬかの油がつやを出すそうです。そのほか、同じような効果を持つものに、古くなった牛乳もいいそうです。汚れが落ちて、ワックス効果もあり、環境にも優しく、もし子どもが舐めても安心なので、使うといいですね。そのほか、家の前や敷地内に犬や猫に糞をされたときは、糞を取り除いた後、お米のとぎ汁をかけておくと、糞の臭いを消してくれます。そうすることによって、次に糞をしなくなります。犬とか猫は、臭いがするところにまた糞をする習性があるからです。
白木家具や木目家具や柱の汚れを落とすには、大根おろしを布につけながら、こするように磨くと手あか等の黒ずんだ汚れがきれいに落ちます。机にできた輪ジミは、マヨネーズをつけてすり込むようにしてから乾いた布でふくと、きれいに落ちます。マヨネーズは油と卵の黄身の効果ですが、卵の殻を使ってきれいにすることが出来るものがあります。それは、口が細くて、中に手が入らなかったり、スポンジを入れても途中が膨らんでいて、届かないようなビンを洗う時に、卵の殻を利用します。ビンの中に卵の殻1~2個を細かく砕いて入れ、水を3分の1程度入れて、瓶をよく振ります。するとビンの中がピカピカにきれいになります。ガラスのコップは、じゃがいもの皮で洗うときれいになります。急須や湯呑の茶シブは、スポンジに塩をつけて磨くとそのシブはきれいに落ちます。
これから年末に向かいます。大掃除をするときに、昔の知恵を使ってみてはどうでしょうか。
投稿者 fujimori : 21:02 | コメント (4)
2009年11月07日 [近頃思うこと]
雑巾がけ
最近の子どもたちは、転んだときに顔を床にぶつけてしまって、先に手を床につけない子が多くなりました。また、床に腹ばいになった時に、手で上半身を起こすことが出来ない子も増えてきました。この理由の一つには、0歳児のころに十分ハイハイをしないで、すぐに立ち上がってしまう子が多いからと言われています。早く立ち上がるのが偉いと思ったり、部屋が狭くて、すぐにつかまり立ちをしてしまうとか、保護者が子どものそばにいるために、その木にしがみついてつかまり立ちをしてしまうことなどが原因と言われています。
また、子どもたちは、少しの段差でもよくつまづきます。それは、バリアフリーと言って、いつも平らなところを歩きなれているからです。また、つまづいたときに、とっさに、足が前に出れば転ばなくていいのですが、足がとっさに前に出ません。そして、家具の角などに顔をぶつけたりすることが多いので、家具の角にはゴムが貼られ、最近は、壁や床にもマットが貼られているとこともあるようです。
子どもの事故を防ぐことは大切ですが、それを環境によって防ぐと同時に、自ら防ぐ力からもつけていってあげなければなりません。そのために、園では、5、6歳児は、給食の後に雑巾がけをしています。雑巾がけは、腹筋が強くなること、手を床につくことができるようになること、足が前に素早く出ること、手で上半身を支える力をつけることなどに効果があると言われています。もうひとつ、部屋をきれいにするという動機と意欲が生まれてくるからです。昔から、いろいろな家事をこなすことで、体のさまざまな部分を発達させていました。しかし、やっている本人は、そのような効果を目指していたわけではなりません。きれいにしよう、快適にしようという動機が必要ですが、もうひとつ、子どもたちのモチベーションを高める工夫が必要です。そこで、先生たちは、雑巾がけのリレーのタイムを計り、ある架空の引越センターと競争をすることにしたのです。
実は、愛媛県西予市宇和町で、宇和町小学校の改築の際、第一校舎が現在の高台に保存され「米博物館」が誕生しました。そこには、109mの長い廊下がありました。平成11年、ある二組のカップルがここを訪れました。そして、こう言ったのです。「この長い廊下、ぞうきんがけしていいですか。」という問いに、当日の日直者が対応、快く準備をしてあげます。その盛り上がった様子を聞いた館長以下職員は、この保存校舎を守っていく手段にと、この長い廊下を使っての「ぞうきんがけレース」を開催することにしています。それが、「Z-1」と名付けられています。Zは、いうまでもなく雑巾の頭文字です。レースは、小学生以下、小学生以下の部ダブルス、一般男子ペア以外の組み合わせ、一般女子、中学生以上の女子、一般男子、中学生以上の男子があり、各レースは2人ずつ(ダブルスは1組)で走ります。スタート時は、壁に足を付け(片足で可)スターターの合図でスタートします。そして、ゴールは壁に雑巾が付いた時点で、そこまでのタイムを計測します。フライングは3回で失格。また走路妨害と認められた場合も失格。そして、レースははだしもしくは上履きを着用し、怪我防止のため、膝当て(主催者用意)を着用します。使う雑巾は公式雑巾を使用し、カラ拭きでレースします。こんなレースで行われた結果、2008年の最速記録は、18秒29でした。ずいぶん早いですね。それにしても、同じようなことを考える人がいるものです。
投稿者 fujimori : 22:25 | コメント (4)
2009年11月05日 [近頃思うこと]
保育園におけるマーケティング2
保育園における保育をマーケティングととらえる時、最近定義されている概念を考える必要があります。それは、マーケティングを「組織が変化する社会環境に適応する行為」と考えることです。では、社会環境とは何でしょうか。企業では、変化する環境とは、業界環境、消費者環境、文化的社会的環境、政治的法律的環境などであると言われています。企業はこれらの環境の変化にあらゆる手段を使って適応していこうとし、そのような組織の志向をマーケティングと呼んでいるようです。
保育における業界環境に「待機児増加」「脳科学からの検証」などがあり、消費者環境には、「少子化」「ライフスタイルの変化」「学力低下」「青少年犯罪やニート」「格差社会」があり、社会的な環境として「保育所保育指針・幼稚園教育要領の改定」「地方分権」「民営化」などがあるかもしれません。
このような変化する環境のなかで、子どもたちの発達を保障し、成長を促していこうとするのであれば、子どもの外側での環境の変化に対応しようと努力して、行動を起こさなければ成らず、その努力と行動をマーケティングというのです。
このようなマーケティングは、どのように日本では導入されていったのでしょうか。日本にマーケティングが最初に紹介されたのは、1916年 神戸商高の内池廉吉がアメリカ留学から帰ってきた際にまとめた論文によるものであると言われています。そのころ、日本には現代の流通論の元になった配給論の研究が盛んに行われていました。保育も同様に、行政処分の一つである「措置」という制度の中、公的な配慮のもと運営が行われていたのです。ですから、その当時のマーケティングの概念は、企業では配給の考え方、保育は措置と同一のものと考えられてきました。それが次第に、「顧客をなによりも大事に考え、そのためにマーケティングについて考える」ということになり、日本語訳として、「市場活動」とか「市場開拓」「市場開発」と様々な言い方で表されてきました。そして、マーケティングとは、「企業および他の組織がグローバルな視野に立ち、顧客との相互理解を得ながら、公正な競争を通じて行う市場創造のための総合的活動である。」と1990年に定義されています。
この定義により、「他の組織」という文言によって、営利を追求する企業のための活動だけでなく、その基本的な概念は、自治体や保育園やNPOなどの非営利組織にも適用できるようになったのです。そのために「グローバルな視野」に立たないといけないのです。また、今現在の状況に対しての対応をすることではなく、長期見通しの中で考える必要が出てくるのです。特に、保育という仕事は、まさに、将来、世の中を担っていく人材を育てる先行投資の観点を持たないと、そのつけはあとに来るのです。また、待機児対応を、目の前のニーズだけを見るのではなく、そこに内在している問題を考えないと解消はしていかないのです。マーケティング活動でも、組織と顧客の関係構築の活動と捉えられて、顧客が現在、直接に意識している欲求(顕在化しているニーズ)のみに応える活動を行っていては、長期的な利益と反する恐れがあるため、顧客が意識していない欲求(潜在化しているニーズ)や、長期的に欲求に応え続けられる仕組みをつくるために、「グローバルな視野に立ち」が定義に含まれているといいます。そして、その過程が、組織の一方的な顧客への押しつけではなく、顧客への啓蒙、理解を伴う必要があるために、「相互理解を得」ということも定義に含まれているのです。
ただ、顧客(保護者)の利益を考えているだけがマーケティングではないことを、保育界の人も知るべきです。
投稿者 fujimori : 22:07 | コメント (4)
2009年11月04日 [近頃思うこと]
保育園におけるマーケティング
日本マーケティング協会のHPでは、マーケティング(marketing)とは、企業や非営利組織が行うあらゆる活動のうち、「顧客の欲求と満足を探り、創造し、伝え、提供することにより、その成果として利益を得ること」だと説明されています。
保育所保育指針には、保育の目標として、「入所する子どもの保護者に対し、その意向を受け止め、」と書かれてあります。これは、ある意味でマーケティングですが、保育園の難しいところは、誰が顧客かということです。「顧客の欲求と満足」とは、誰の欲求と満足を図るのかがよく議論になるところです。顧客が「保護者」なのか、「子ども」なのかです。もちろん、子どもでなければなりませんが、保護者はその代弁者というとらえ方をしています。ですから、保育所保育指針の中の保育の方法では、「一人一人の保護者の状況やその意向を理解、受容し、それぞれの親子関係や家庭生活等に配慮しながら、様々な機会をとらえ、適切に援助すること。」と書かれているように、「保護者の欲求」と書かれてはなく、「保護者の意向」という言葉になっています。そして、欲求では答えるとなるところが、「理解」「受容」するという言葉になっています。では、欲求という言葉は、どこに使われているでしょうか。保育所保育指針の中では、情緒の安定の内容のところに「子どもの欲求を適切に満たしながら、応答的な触れ合いや言葉がけを行う。」ということが書かれてあります。これが、保育園の本当のマーケティングかもしれません。
この「応答的な」ということをマーケティング理論から考えてみました。なぜ、研究領域としてのマーケティング理論が成立したのかというと、それまでは、経営は、企業家の勘や経験に依存していました。しかし、客観的に、誰にでも取り入れらるように構築していくことが求められてきたのです。これは、保育園で言うと、「保育課程」になるのかもしれません。
日本マーケティング協会の定義と違って、アメリカマーケティング協会(AMAでの定義では、「マーケティングとは、個人および組織の目標を満足させる交換を創造するため、アイディア、財、サービスの概念形成(コンセプト)、価格、プロモーション、流通を計画・実行する過程である」とされています。この中で、私は、目標を満足させる交換を創造するために「アイディア、財、サービス」の「コンセプト」が必要というところに納得します。しかも、これらマーケティングが必要なのは、「個人および組織」としているのは、企業という営利組織に限らず、営利活動を前提としない個人の活動や非営利組織においても考える必要があるということなのです。「交換」という言葉は、Tradeという商取引を意味するのではなく、Exchangeという言葉を使っているのは、他者との交換(かかわり)を創造するすべての活動が想定されている概念です。ですから、アイディアが必要になるのです。このように考えると、まさに保育園における保育にもその考え方が成り立つのです。
企業やその他の組織の目的は存続と成長があります。ここにも保育園にも言える概念があります。あらゆる組織は変化する環境の中に存在している。この変化する環境の中で永続的に存続と成長を志向しようとすると、変化する環境に適応する行動が必要となるといわれています。マーケティングはこれらの環境変化への適応を志向する概念であるといわれています。環境の変化に適応できなければ存続も成長もできないというのです。
保育園などでは、存続は変わらないことと思われているところがあります。保育園の民営化のときなどに「保育を変えないでほしい」という要求がされることがありますが、これではかえって子どもの姿を存続できないのです。マーケティングの世界では、閉鎖的、孤立的に自給を続けることによって存続と成長を志向することはできないとされ、外部環境の変化を察知し、それに適応できるように自らをコントロールしていくことがマーケティングの本質だともいわれています。
投稿者 fujimori : 20:23 | コメント (5)
2009年11月03日 [近頃思うこと]
閉店
園のそばで、私が毎日通勤する道の途中のビルの1階に空き家がありました。その場所は商店街ではありませんが、割と人通りがあります。そのうちにその空き家を改装し始めました。外観はなんだかしゃれていて、厨房があり、いいレストランができるといいなあと期待をしました。そのうちに内装が始まり、やはり食べ物屋のようです。外にはネオンによる掲示板が取り付けられました。出来上がってくると、どうも洋風な居酒屋のようです。店内にはオーナーらしき人がいます。小学生らしき子どももいて、多分、父親がいつか自分の店を持つのが夢だったのがやっと実現するという雰囲気です。すべてきれいに完成し、いつ開店するだろうと思っていると、数ヶ月間もそのままです。ネオンも点灯しません。そのうちに、その店舗がシートで覆われました。どうしてだろうかと思っていると、そのシートの中でせっかくきれいにつくった店舗を、すべて壊し始めたのです。最近、もう骨組みだけで、先日は壁材を運びこんでいました。
こんな光景が東京ではよく見かけられます。しかし、開店前にもう取り壊し始めるのはどうしたのでしょうか。店が壊されていく過程は見ていて、主人の夢が壊れていくのを見ている感じです。また、新しい内装が壊されていくのを見るともったいない気がします。壊されたものはいくら新しくても廃棄物でしかなくなります。しかし、もし無理して開店しても、また、せっかく作っても、今後ただ赤字が増えていくのであれば、早い決断が必要なのかもしれません。
最近、政権が交代していろいろな事業の見直しを見ていると、ダムにしても、空港にしてもなんだか似ているような気がします。すぐに閉店している店舗を見ても、政府の箱モノを作っていく事業を見ても、計画の時点できちんとマーケティングをしたのだろうかと思ってしまいます。
マーケティングという言葉は、市場で取引するという意味の動詞「マーケット(market)」から派生した動名詞で、20世紀の初め、アメリカで使われ始めた造語のようです。どうしてそのような言葉が生まれて言ったのでしょうか。当時のアメリカは、工業先進国であるイギリスやフランスと違い、植民地がなく、海外に市場を持っていませんでした。工業製品の生産力が向上してくると、それらの製品をどこで、どのように消費していくかが問題になります。そこで、国内でのシェアを巡って各企業間で激しい販売競争が繰り広げられていきます。しかし、市場で飽和状態になってくると在庫が増えてきます。その処分などが課題になり、「シェア拡大のための戦略的な販売活動」や「新たな需要創造」が経営手法の中で必要となってきました。その経営手法の概念を「マーケティング」という言葉であらわすようになったのです。
そして、ただ競争原理だけを基にすると価格競争になり、結局は自分たちの首を絞めることにもなりかねません。そこで、巨大企業間で価格競争を回避するような協調なども行われるようになっていきます。しかし、しかし、マーケティングが単に企業の利益追求のためだけを考えていたら限界があります。そこで、消費者の意思を取り入れ、「消費者ニーズやウォンツを探り、それらに応える活動」というように変化してきたのです。
マーケティングとは、営利企業であろうが、非営利組織であろうが必要な活動です。もう少し考えてみたいと思います。
投稿者 fujimori : 20:26 | コメント (4)
2009年11月02日 [近頃思うこと]
壁
昨日は、こんなニュースが流れました。「東西ドイツを分断していた「ベルリンの壁」崩壊から20年を迎えるのを前に、現地では31日、コール元独首相とブッシュ元米大統領、ゴルバチョフ元ソ連大統領が出席して記念式典が開催された。3人は、1989年11月9日にベルリンの壁が崩壊した当時の首脳。コール元首相は「われわれドイツ人は歴史的に誇れるものはあまり多くないが、ドイツ統一については多いに誇れる」と語った。」
ベルリンの壁が崩壊して、もう20年が経つのですね。その時の首相たちもずいぶん年をとったものです。
壁というものは、空間を仕切り区画を形成するために設けられる、垂直方向に立つ構造物であると定義されますが、このベルリンの壁のように、区切ってしまうのは、空間だけでなく、親兄弟も、仲間も、人の心も分けてしまうことがあるのをこのベルリンの壁で体験しています。また、必ずしも壁は、構造物だけでなく、人の心にも見えない壁を作ってしまうことがあります。
日本では、家の周りを壁で囲んでしまうことが多いようです。不審者対策ということもあるのでしょうが、学校でも周りを壁で囲みます。外国に行くと、校庭と地域の道との間が何の仕切りもないことが多く、個人住宅でも、自分の庭と隣の家の庭がつながっているのをよく見かけます。そのような外の空間を分ける壁は、「塀」と言ったり、「垣」を使って、「石垣」や「生け垣」などといいます。また、木製の柱を数本立てて、貫を通して遮断するものを「柵」といいます。しかし、この柵は隙間があり、向こうを覗くことができますが、表面が塗り固められている物には「壁」や「塀」というようです。
この時、何で塗り固めるかによって、いろいろな壁があるようです。以前のブログでも書きましたが、寺子屋では、子どもの気持ちを落ち着かせるために緑の生け垣で周りに壁を作ったとある資料に書かれていました。今は、環境にやさしいということで、緑の生け垣に補助金を出しているところがあるようです。
今回訪れた京都の蓮華王院(三十三間堂)の境内南端に南大門がありますが、これは豊臣秀吉が1595年に造立した大仏殿方広寺の南門として築いたものと伝えられています。それに続く築地塀は、瓦に太閤桐の文様を用いていることから、通称「太閤塀」といわれているものです。築地塀(ついじべい)とは、土を突固め、上の屋根をかけた土塀で、宮殿・社寺・邸宅に用いられる塀のことです。この太閤塀は、桃山時代に造営されたもので、重要文化財になっていますが、桃山文化の影響をにじませた優雅さがあり、南大門と素晴らしい調和を見せてくれます。

以前、熱田神宮に行ったときに、その境内の目立たないところに「信長壁」という壁の一部がありました。今は、壁の役目はしていませんが、桶狭間の戦いで勝利した織田信長が、後に戦勝祈願の満願として、この壁を奉納したということで「信長壁」と名付けられています。

この壁ともう一つ西宮神社大練塀を入れて日本3練壁というそうです。練塀とは、塀の中に瓦を横に並べて入れた土塀を特にそう呼ぶそうです。ここの壁は見たことがありませんが、室町時代初期再建で、日本最古の築地塀だそうで、重要文化財に指定されています。
あと、東京にも築地壁が残っているところが何箇所かあります。たまたま港区の三分坂を歩いていると、その坂の途中にきれいな築地塀がありました。塀もなかなか面白いものです。
投稿者 fujimori : 20:33 | コメント (4)
2009年10月30日 [近頃思うこと]
食事
昨日のブログで、なぜ突然にお弁当の話題になったかというと、区内の栄養展に掲示する展示物を調理の職員含めて数名で遅くまで作っていたからです。大きな模造紙に写真で、園で行っている取り組みを紹介するものです。全体のイベントとしては、「しんじゅく 食育フェスタ2009 ~見て、笑って、食べて“やさい”のチカラを発見!!~」と題して、身近なところから食の大切さや、健康づくりと食べ物について体験できるイベントです。
近年の我が国の食をめぐる状況の変化に伴う様々な問題に対処していくため、平成17年6月、「食育」に関する施策を総合的かつ計画的に推進し、現在及び将来にわたる健康で文化的な国民の生活と豊かで活力のある社会の実現に寄与すること等を目的として、食育基本法が公布されました。食育基本法では、食育は、生きる上での基本であって、教育の三本の柱である知育、徳育、体育の基礎となるべきものと位置付けられるとともに、様々な経験を通じて、「食」に関する知識と「食」を選択する力を習得し、健全な食生活を実践することができる人間を育てるものとして食育の推進が求められるとされています。
これを受けて、今年の4月1日に施行された新たな保育所保育指針では、保育所における「食育」は、「健康な生活の基本としての「食を営む力」の育成に向け、その基礎を培う」ことを目標として、子どもが毎日の生活と遊びの中で、食に関わる体験を積み重ね、食べることを楽しみ、食事を楽しみ合う子どもに成長していくことや、乳幼児期にふさわしい食生活が展開され、適切な援助が行われるよう、食事の提供を含む食育の計画を作成し、保育の計画に位置付けること等に留意して実施しなければならないとしています。
また、子どもの生活の場である保育所においては、毎日の給食が重要であり、友達や保育士とともに喜んで食べることが心とからだの栄養となるとし、年齢や発達過程に応じて、食事の環境を様々に工夫し、明るく楽しい食事の場にするとともに、子どもが食材への関心を持つように環境を構成するようにとしています。
いろいろなことをいいますが、本来もともと食べる楽しみは人にはあるはずです。それは、もちろん生きるための手段ではあるのですが、それだけを意識して食べているわけではありません。2004年11月号のエデュカーレで「あるフランスの保育園に学ぶ」という研究会報告がありました。そこにこんなことが書かれてありました。
「この保育園では、一人でスプーンを使えるようになったら、自分で食べたい量を取らせます。最初は取りすぎたりすることもあるけれど、それを繰り返していくうちに、自分が食べられるのはこれぐらいというのが、だんだんわかっていく。また、子どもによっては、逆にちょっとしか取らない子やちょっとしか食べない子がいて、そういうときには、先生が、もうちょっと、と言うことはあります。自分のおなかの空き具合と取り分ける量は、やっていけば子どもにもわかるようになる、と保育士は言っていました。」
私の園でも、3歳以上児では昼食の時に自分で食べたい量を当番の子に申告してよそってもらいます。フランスの保育園同様、最初はほんの少しの子もいますし、取りすぎる子もいますし、好き嫌いを言う子もいます。しかし、昨日の夜、調理と話しながら資料を作っていたときに、その方法によって、本当に子どもたちはたくさん食べるようになり、好き嫌いもなくなってきているという話を聞きました。そして、何よりも昼食の時間が来るのを楽しみになってきたようです。
しかし、子どもにぜひ食べるように声をかけてほしいという要望が新入園児の保護者からあることがあります。声をかけないと食べないからという理由からです。また、ほかの園で、子どもに自分で量を決めるやり方に猛烈に反対する保護者がいるということを聞いたことがあります。指針にも「喜んで食べることが心と体の栄養となるとし」と書かれているように、逆に言われて食べることは、心と体を壊すことがあります。そのために、「食事の環境を様々に工夫し、明るく楽しい食事の場にするとともに」と書かれてあるように、食事の場の持ち方が栄養にずいぶん影響するものです。栄養価、栄養素、摂取量ばかり言いすぎている気がします。
投稿者 fujimori : 23:42 | コメント (5)
2009年10月26日 [近頃思うこと]
霍乱とマスク
今日、職場で少し熱っぽい職員が相対をしまいした。今はやりの新型インフルエンザではなさそうですが、それでもあまる普段病気になりそうもない丈夫そうに見える職員なので、私が「それって、鬼の“かくらん”じゃないの」と冗談に声をかけました。すると、その場にいた若い職員はその言葉を知らない人が多かったのですが、最近はあまり使わなくなっているのかもしれません。この“かくらん”は、“霍乱”と書きます。かくらんというと“攪乱”という字が先に出てきます。こちらの時のほうがよく使うのでそう思ってしまいますが、“攪乱”とは、「かき乱すこと。混乱させること」という意味で、よく、「敵を攪乱する」などと使います。しかし、この意味では、本来の読みは「こうらん」というなしいのですが、今ではほとんどの人が「かくらん」と読んでいるようなので、「大辞林 第二版」では、「かくらん」という項目があり、「こうらん(攪乱)」の慣用読みとしています。
ということで、「おにのかくらん」は、「鬼の霍乱」と書きます。この時の「霍乱」は、 中国では嘔吐や下痢を起こす急性消化器疾患の総称とされていました。それを日本では一般に日射病や暑気あたりのことをいうようになりましたが、古くは腹痛や嘔吐を伴う急性胃腸病をさしたそうです。今は、気あたりによって起きる諸病の総称として使います。また、「鬼」というイメージは、非常に勇猛な人、あることに精魂を傾ける人、無慈悲な人、などに使われます。ということで、そんな丈夫そうな人が病気になることはないだろう、ましてや日射病などにはなりっこないのに、なってしまうことから、「いつも非常に健康な人が、珍しく病気にかかることのたとえ」として使われます。
最近の新型インフルエンザの対応は仕方ないとはいえ、行きすぎのところがある気がします。先日、インフル対策として聴衆に全員マスクをかけて聞くようにということを注意されたなかで講演しました。私が普段講演するときには、原稿を見てしないことにしています。それは、聞き手によって、その表情、反応などによって話題を変えることがあるからです。それは、聞き手の地域、年齢層などによって興味のあるところが違うからです。話しながら顔の表情を見るのですが、マスクをしていると目のところしか見えません。すると、なんだかみんな怒っているかのように見えます。興味のなさそうな顔に見えます。あとで、とてもよかった、とてもわかりやすく頷くことが多かったと言われて安心したのですが、話している最中は反応が心配でした。人は、目元だけでなく、口元を含め、顔全体で気持ちを表すのだということがよくわかりました。
少し前にある保育園に園内研修で伺ったときに、区からの指示で職員が全員マスクをして保育をしているという話をしていました。食事の時までマスクをしているのだそうです。そのときに、まず、誰のためにマスク着用が指示されているのか不思議に思いました。もちろん、職員が罹患の恐れがあるときにはマスク着用が効果的ですが、そのときにはそんなことをするよりも休んだ方がいいと思います。それとも、子どもからうつらないようにするためでしょうか。そのために保育に必要な表情を子どもに見せずに、自分を守っているのでしょうか。1日中マスクをし、何週間もマスクをして保育をすることは、子どもにとっては機械に見てもらっている感覚になってしまうでしょう。楽しいことをしても楽しい表情もせず、うれしい表情もせず、目元だけを見せて、いつも怒っているような印象を与えかねません。保育は、人と人とが 関わることで成り立ちます。それを、予防という対策から避けるべきではないと思いました。
投稿者 fujimori : 23:50 | コメント (5)
2009年10月25日 [近頃思うこと]
夏から秋
昨日、訪れた青森では、初霜が記録されました。もう秋が深まってきました。こんな季節、アメリカやヨーロッパでは、新聞やテレビのニュース、企業の海外支店のHPでは、昨日からある注意を喚起する情報が流れています。人々は、その警告を忘れたり、ちょっと油断したりするとたいへんなことになるので、気をつけなければならないようです。その警告とは、
「10月25日(日)、午前3時に時計の針を1時間戻すことをお忘れなく!」というものです。私たち日本人が、どうもなじめないものに「サマータイム」がありますが、そのサマータイムが今日終了し、今日の午前3時から標準時になったようです。この時間調整は、各国で行われていますが、呼び方は、ヨーロッパでは、サマータイム( Summer Time)都言い、開始は、2009年3月29日(日)1:00 amから終了が2009年10月25日(日)1:00 amまでです。カナダやアメリカやオーストラリアでは、デイライト・セービング( Daylight Saving Time)と言い、開始が2009年3月8日(日)2:00 amで、終了が2009年11月1日(日) 2:00 amとなっています。地域によって時差のある北米では、それぞれの時間帯で、3月7日から3月8日に日付の変わった、深夜2時に、時計を1時間進め、3時とします。また、終了時は、同じく10月31日から11月1日付の変わった深夜2時に、時計を1時間戻し、1時とします。ですから、終了の時は一時間多く寝られます、一日が25時間という事になります。ヨーロッパの場合は10月最終日曜日の午前2時を午前1時にします。したがって、ドイツの場合、日本との時差は7時間から8時間になります。例えば夏時間なら日本の正午がドイツの午前5時、冬時間なら午前4時にというわけです。
やはり、実感としてはどういう感覚になるのかよくわかりません。ヨーロッパに転勤した人の話ですと、この日の最初の仕事は、家中の時計を1時間遅らせること。置き時計や目覚し時計を始め、電子レンジや炊飯器の家庭電化製品、ビデオやオーディオ等など。車の時計も忘れずに。全部の時計を直したつもりでも、必ず忘れられているものがあるのもで、数日経ってからそれを発見すると、やはり変な感じがするそうです。しかし、この日にサマータイムから標準時に戻すという言い方をするのは、実はグリニッジ標準時)Greenwich Mean Time: GMT)そのものには、サマータイムがなく、1年中同じ時を刻んでいるのです。ですから、便宜上変えているだけです。
この夏次官という考え方は、すでに18世紀にベンジャミン・フランクリンが提唱しましたが、彼の時代には実現しませんでした。その後、第一次世界大戦中のドイツで、1916年4月30日から10月1日まで、同じくイギリスが1916年5月21日から10月1日まで初めて採用されました。アメリカ合衆国では1918年と1919年に各7か月間、夏時間が導入されたのですが、大変に不評のため廃止になっています。その後第二次世界大戦中に資源節約目的で復活し、現在に至っています。日本では、連合軍の占領下にあった1948年から1951年までの4年間、夏時間が実施されました。
この目的は、夏の間、太陽の出ている時間帯を有効に利用するということで、夜明けが早い夏の間、早くから仕事を始め、早く仕事を終え、従って早く消灯することになれば、省エネルギーにつながることが最大の導入理由といわれています。また、終業後もまだ明るい場合が多くなるので、その時間をレクリエーションに当てることができるとも言われていますが、サービス残業時間が拡大する心配も言われています。
どんな感覚になるのか、一度、変わる瞬間を、サマータイムが導入されている国で体験したいものです。
投稿者 fujimori : 21:30 | コメント (4)
2009年10月24日 [近頃思うこと]
食欲の秋
「読書の秋」同様に「食欲の秋」という言葉もつかわれることがあります。私は、この意味を次のように考えます。
秋は実りの秋といわれるように様々な植物が実をつけます。日本では、主食であるコメが実りますし、柿、栗、りんご、ぶどうなどの果物も大きな実をつけます。そんなおしそうな食べ物を見ると、食欲がわいてきます。また、それに引き換え、次にくる冬は食べるものが少なくなります。そこで、冬に備えて食べ物を貯蔵しておかなければなりません。そのために、いろいろな食べ物を貯蔵するために技術が考えだされました。腐ったり、奪われないような貯蔵小屋、日持ちさせるような加工技術。乾燥させたり、餅にしたり、漬けこんだりと、様々な方法が生み出されました。同時に、自分の体にも貯めておかなければなりません。特に、この方法は、動物に多く見られますが、人間でも蓄えておけないものなどは、体に蓄えていたでしょう。そして、冬になると厳しい自然の中で、それを乗り切る体力つくっておかなければなりません。また、冬はとても寒く、体が冷えてしまいます。そのために衣服で調節したり、火を使ったのですが、それでもかなり寒かったでしょう。そのために体に脂肪を蓄えて、体の体温を維持したと思われます。体脂肪には、内臓脂肪と皮下脂肪がありますが、内臓脂肪は内臓を保護して内臓間のクッションの役割を果たしますが、皮下脂肪は、体温を下げないように断熱する役割と、気温を断熱して体内への影響を最小限にする役割と骨や筋肉などを保護するクッションの役割があるある意味では大切なものです。ですから、秋はたくさん食べて、体脂肪を増やして冬の寒さに耐えられるように体脂肪を増やそうとしているからです。逆に、春になると食が細くなるのは、暑い夏には余計な体脂肪がない方が涼しいので、体脂肪を減らそうとしているからです。それらもろもろの理由から、秋という季節は、自然と食欲が増し、多く食べていたのでしょう。
このように体が食べなければいけないと思わせるために「食欲」という、食物を食べたいという欲求が起きるのです。この食欲をコントロールしているのは、脳の外側視床下部にある摂食中枢と腹内側核にある満腹中枢だということは分かっていますが、この2つの中枢に影響を及ぼすものは、いろいろとあり、なかなか複雑です。しかも、なにを食べたくなるか、何に食欲がそそられるかも面白いことがわかっています。そこに、男女差があると言います。女性特有の食欲に、空腹感が伴わない「感情で食べる」という摂食行動があるそうです。おいしいものを見たり、匂いをかいだりして食欲がそそられるというのはよくあるのですが、この「感情」が食欲に左右するのは、男脳では起こりえない摂食行動だそうです。それは、「イライラ・不満な時に食べる」ことです。特に、「イライラすると甘い物が欲しくなる」ということだそうです。もちろん、女性が100%そうなるわけではありませんが、70%位がそうなると言われています。その理由は、「食べる」ことでなく、イライラという感情が生じると甘味、すなわち、ブドウ糖の原料を求めるからだと言われています。そして、その特性は、女脳の生物的な仕組みだと言われています。
それとは別として、満腹なのに、おいしそうな食べ物を見たり、匂いをかいだりすると、つい手が出てしまうのは、大脳の感覚中枢がはたらくためです。大脳が発達している人間だからこそ、視覚、嗅覚、聴覚などの五感が記憶を呼び覚まし、食欲が喚起されるといいます。
ただ、子どもに食べろというのではなく、普段から5感を刺激することも大切です。
投稿者 fujimori : 22:25 | コメント (5)
2009年10月23日 [近頃思うこと]
本離れ
最近の若者は本を読まないと言われている半面、本屋さんにはたくさんの新刊が並び、最近は、2巻合計で220万部を超える大ベストセラーとなった作家村上春樹さんの長編小説「1Q84」が話題になりました。本を読む人が減ったといわれる中、一体だれが読んでいるのだろうか不思議に思います。
文化庁では,国語施策の参考とするため,平成7年度から毎年「国語に関する世論調査」を実施しています。今年の3月に,日本語を大切にしているか,人とのコミュニケーションについて,読書について,情報機器と言葉についてなど,国語に関する一般の人々の意識を調査するとともに,カタカナ語の認知度・理解度・使用度や慣用句等の言い方・意味について調査しています。その中で、読書についてこのような結果が出ています。
まず、現在、雑誌や漫画を除いて、1か月に大体何冊くらい本を読んでいるかを聞いた結果は、「1,2冊」が36%、「読まない」と答えた人が46.1%でした。平成14年に同じ質問をしたところ「全く読まない」と答えた人は37.6%でした。この結果を見ると、やはり最近は本を読まなくなっているのは本当のようです。では、どんな年代が読まないかという結果では、20代~50代で「読まない」と答えた人はそれぞれ4割程度で、16~19歳では4割台後半、60歳以上では5割台半ばでした。この結果からみると、最近の若者は本を読まないというのは少し違うようです。ただ、60歳以上は、目が悪くなるので、読むのがつらくなるから読まなくなるでしょうから、多いのであって、結局はどの年齢でも読まなくなっているようです。
では、読んでいる人はどのような本を読んでいるのでしょうか。「小説や詩などの文芸書」(56.6%)、「趣味やスポーツに関する本」(41.3%)を選択した人の割合が高く、「料理など日常生活に関する本」(24.5%)、「医療や健康に関する本」(23.3%)がそれに続いて読まれているようです。この結果を見ると、やはり村上春樹などがベストセラーになるのは分かりますね。では、男女では、読むものが違っているのでしょうか。「生き方や宗教・哲学に関する本」「言語や語学に関する本」以外の選択肢では、男女で8~33ポイントの差があるようです。特に、「料理など日常生活に関する本」では、女性の方が33ポイント高く、まだまだ料理は家庭では女性が担っているのがわかります。逆に「政治や経済に関する本」では、男性の方が28ポイント高くなっています。やはり、男女では詠む本の種類が違うようです。
では、本人は読書量が増えているか減っているかどう思っているのでしょうか。「減っている」が64.6%、「それほど変わっていない」が25.3%、一方,「増えている」と答えた人は8.6%しかいなかったようです。その理由は、「仕事や勉強が忙しくて読む時間がない」(51.2%)、「視力など健康上の理由」(36.7%)を選択した人の割合が高く、「テレビの方が魅力的である」(25.0%)、「携帯電話やパソコン,ゲーム機などで時間が取られる」(14.8%)が続いています。この結果を見ると、最近は必ずしも活字離れということではなく、高齢化社会になって、高齢者の割合が増えたことと、忙しくなって、時間的に余裕がなくなってきたことに本を読まなくなった理由があるようです。ですから、当然、「仕事や勉強が忙しくて読む時間がない」を選んだ人の割合は、20代から40代では7割台半ばから約8割と高くなっているようです。ですから、「増えている」と答えた人の理由は、「時間に余裕ができた」が、47.6%いました。
やはり、本離れは活字離れというよりも、時間の余裕の問題のようです。
投稿者 fujimori : 21:21 | コメント (7)
2009年10月19日 [近頃思うこと]
たこ
先日の姫路訪問の時の帰りに明石に寄れたらと思っていましたが、時間がなく寄ることはできませんでした。明石というと、私の年代では「日本標準時」が連想されます。現在の日本標準時は、原子時計で示された時刻を世界に発信した協定世界時(UTC)を9時間進めた時刻を日本の標準時としていますが、かつては、兵庫県明石市を通る東経135度の子午線における地方平均太陽時と定義されていました。
この明石から淡路島までフェリーが運航されています。明石港と岩屋港(淡路島)を結ぶこのフェリーの航路は、愛称が「たこフェリー」と呼ばれています。それは、この明石海峡が日本有数のタコの漁場だからです。ですから、中にタコの入ったタコ焼きの一種の明石焼きも今は全国区で有名です。このフェリーの船体にはタコの家族がそれぞれ書かれてあります。
なぜ、こんな話題かというと、全く違う話ですが、一昨日電車に乗っていたら、車内広告で様々なエコについての取り組みを紹介するコーナーで「ドイツで、たこ船が運航される」とあったからです。しかし、この「たこ」はタコ違いで、明石のタコは動物の蛸のことで、ドイツのたこは空にあげる凧のことです。昨年の7月に、大型のたこを利用して燃料削減を実現したドイツの貨物船「ベルーガ スカイセイルズ」(6、312トン)が、横浜港に入港したことを紹介していました。このたこは縦4メートル、横40メートルで、船首につなぎ風力を使って船を引っ張る仕組みです。この貨物船を所有している運送会社は「燃料を約15%節約でき、二酸化炭素(CO2)など温室効果ガスの排出が削減できる」としているそうです。
風力をエネルギーとして活用して航行する船としては「帆船」とか「ヨット」などもありますが、これですと、直接風を船体に設けるために船体が傾いてしまいますし、風を受ける位置が低いために安定しないそうです。この凧は、いわゆる人が凧を揚げるように船の前にロープによって凧を揚げ、その凧が船を引っ張るというイメージです。この貨物船は今年1月に就航したそうですが、現在、不定期船として世界各国間で風力発電設備などを輸送しているそうです。この凧を上手に併用して使うことによって、燃料の消費量を50%程度、排気ガスは10%から35%程度、減らすことができるといわれています。
またイタリアでは凧を利用して発電する「凧力発電」が研修されているそうです。多数の凧を空に揚げ、地上の発電機をぐるぐる回すというもので、一見単純な原理ですが、その出力は原発に匹敵する1GWもあるそうです。しかも発電コストは現行の30分の1ですむといわれています。船の運航に使うときと同じで、凧は高い上空を飛ぶので、気流が強く安定しており、動力として効率的であるとのことです。
自然エネルギーとして、風、光、雨を利用することが盛んにおこなわれるようになってきました。また、そのエネルギーをを取り出す手段として「凧」が使われてきているということは面白いですね。むかし、フランクリンが凧を使って雷を取り入れたことで有名です。まだまだ自然界には利用できそうなものが多くあります。最近、発電に海での波による水の上下運動を使おうということがあるそうですが、地震や火山なども大きなエネルギーを持っています。これから、どんなものが使われていくでしょう。
投稿者 fujimori : 20:36 | コメント (4)
2009年10月18日 [近頃思うこと]
つた
以前のブログにも登場しましたが、秋の歌で好きな歌に「薩摩忠」作詞の「まっかな秋」があります。その歌詞に「まっかだな まっかだな つたのはっばが まっかだな もみじのはっばも まっかだな」とあるように秋に真っ赤になる代表として紅葉のほか「つた」が挙げられています。
このツタ属の学名は、「Parthenocissus(パルセノキッサス)」と言いますが、この語源は、ギリシャ語の「parthenos(処女)+ cissos(ツタ)」からもわかるように赤い葉の代表です。このツタは、つる性でどんどん伸びるために山林や岸壁などに自生しますが、街中でも樹木や壁に巻きひげの吸盤で伝う姿をよく見かけます。この「つたう」から「つた」になったといわれています。 私の園でもそうですが、このツタを壁にはわせると夏は建物の中が涼しくなる効果があり、そのためにも建物を伝え覆うことをします。
先日の岡山から姫路に行く旅の途中、倉敷の「アイビースクエア」に寄りました。この施設は江戸幕府の代官所跡に明治22年(1889年)に建設された倉敷紡績創業の旧工場で、昭和48年(1973年)に改修され、観光施設として再生されたものです。その中のアイビー学館は建物全体がアイビーで覆われ、その前の立札にこんな説明がされています。
「平安時代には早春に、この幹から液をとり煮詰めて甘味料を採った。砂糖のなかった時代の甘味料として珍重されたことが、古今著聞集・源氏物語・尺素往来物の書物にのせられている。ただし、葉は食用にならない。落葉性のこの“なつづた”に対して常緑の“ふゆづた”があるがこれは「うこぎ科」に属する。この壁面の“つた”は、昭和の初期に西日のため室温の上昇するのを防ぐため植えられたものである。」
アメリカで、フットボール連盟が8校の参加で結成されたリーグ名に「アイビー・リーグ」というのがありますが、これは、レンガ造りの校舎に生い茂る蔦(アイビー)が各校のシンボルとなっていたことから、スポーツ担当記者が命名したものです。この8校は、アメリカのエリートを育成する学校としても名高く、生徒達は、家柄も良く、優秀な頭脳の持ち主で、社会的にも指導的な立場となる為、必然的に着用の服は、保守的で、てらいが無く、オーソドックスで、伝統的ながらも、着易く、活動的なものでした。それが、アイビー・ルックといわれたものです。このファッションは、日本でも大きな反響があり、私が学生時代には、VANジャケットの提供する情報誌やMEN'S CLUBから、いろいろな新しい和製英語の服装を知りました。たとえば、「トレーナー」、「ダウン・ヴェスト」、「スウィング・トップ」、「ポロシャツ」等です。
このように伝統を表す「つた」ですが、日本でも蔦紋という、ツタの葉・茎・花を図案化した日本の家紋の一種がありますが、日本十大紋の一つです。強い生命力、絵になる葉の姿から、藤原時代には既に文様として愛用されていたそうです。江戸時代に松平氏が用い、8代将軍吉宗が出た紀州徳川家が替紋として蔦を用いたことから、権威のある家紋として認知され普及したそうです。また、優雅ながらもほかの樹木や建物などに着生する習性から付き従うことに転じて、芸妓や娼婦に好まれ、また、蔦が絡んで茂るさまが馴染み客と一生、離れないことにかけて芸妓や娼婦などが用いたといわれています。
そういえば、泉鏡花の名作「婦系図」の主人公は、「お蔦」と「主税」でした。お蔦のセリフ「切れるの、別れるのって、芸者の時にいうせりふ。今の私には、いっそ死ねといって下さい。」を紅葉したツタを見て思い出すので、年寄りかもしれません。
投稿者 fujimori : 20:47 | コメント (4)
2009年10月15日 [近頃思うこと]
紙芝居2
高橋五山が、「幼稚園紙芝居」全十巻を出版したのは昭和10年(1935)でしたが、当時の紙芝居に対する世間一般の考え方は、「不潔、教育上よくない」というもので、五山の自伝の中で「街頭紙芝居がつくった紙芝居は不潔。非教育的という概念に固まった幼児教育者に、教材としての効用を説くのに骨が折れた」と述懐しています。そのために、訪問販売に切り替えるのですが、門前払い同様な扱いを受けたこともあったようで、彼の会社である「全甲社」は倒産の危機に陥ります。

そんな昭和11年、「街頭紙芝居に蔓延するグロテスクな強い刺激は、子どもの教育的見地から見過ごすことができないということで「子どもたちのありのままを、作文という行為をとおして、真に自分の頭で考える子どもを育てよう」という「綴り方運動」と連動して「日本紙芝居連盟」が発足します。このころから、日本は戦争に突入していきます。当然、紙芝居は戦争協力を惜しまない国民を作り上げるために利用されていきます。いわゆる「国策紙芝居」がつくられていくのです。そして、昭和15年、大手新聞社の出資のもと「日本教育画劇株式会社」がつくられます。その時の紙芝居は、事前に内容の検閲を受け、裏の説明文は一切のアドリブは禁じられ、その通りに読むことが義務付けられます。
それが、戦後になると一変します。民主主義になり自由になったかというと、今度は、「民主紙芝居人集団」が結成され、民主主義を説く内容は、今度、連合国軍総司令部によって検閲され、忠君愛国的なものや、残忍なもの、特に「血」を描くことは禁止されました。なかなか、子どもの世界に戻って行きません。それが、戻り始めるのは、やはり「黄金バット」が戻ることによって、街頭紙芝居が戻ってくるのです。ただし、黄金バットも「悪を懲らしめる金色骸骨マスクの超人」から「新しい日本と世界平和を守るヒーロー、まさに正義の味方」としての復活でした。
昭和24年、GHQによる検閲が廃止され、今度は思想面からの取り締まりではなく、質を保つために免許制度にしました。しかし、グロテスクな絵とか内容はどんどん増えていきました。一方、紙芝居は学校教育にもさかんに取り入れられるようになりました。伝記、偉人伝、自然観察、道徳教育、理科紙芝居などです。有名文学を原作とする国語紙芝居は補助教材として活用されていきました。ところが、昭和42年に文部省から出された「第一次教材整備十ヵ年計画」によって、紙芝居を学校から後退させました。そこで、数社あった紙芝居出版社も後退していきますが、残った童心社等は、学校から幼稚園や保育園での紙芝居利用に力を入れるようになって行きます。
日本独自の子ども向け文化を、世界絵本博覧会で紹介したり、その普及に力を注ぎ、紙芝居を通じて、文化交流が行われています。特に、ベトナムやラオス、フランス等でも盛んになっています。「KAMISHIBAI」は、世界の人々の心をとらえつつあります。
高橋五山にちなんで、毎年優秀な紙芝居におくられる「五山賞」があります。昨年度は該当なしでしたが、一昨年は、童心社から出された「おじいさんといぬ」(藤田勝治作)が受賞しています。姫路文学館での展示会では、係員が拍子木をたたいて子どもたちを集めていましたが、その音を聞いて、昔を思い出しました。

投稿者 fujimori : 23:12 | コメント (4)
2009年10月10日 [近頃思うこと]
家電とエコ
家電は、ますます私たちの生活を豊かにしていきます。また、次々と新しいものが発表されています。それは、私たちの生活に一番密着し、生活を便利にしてくれるからです。
今年の1月には、世界最大規模の家電見本市「2009 International CES」が米ラスベガスで開催されました。その会場では、各社の新製品発表会「CES Unveiled」が行われたのですが、「100年に1度の津波」といわれる世界的な不況の中で開催されるにもかかわらず、来場者数は14万人が見込まれていました。また、やはり今年の9月30日には、世界最大の家電製品見本市である第49回ベルリン国際コンシューマー・エレクトロニクス展(IFA2009)が、ベルリン国際見本市会場で開催されました。ここにも、予想を上回る来場者で活況を呈したようです。
日本でも今日まで、アジア最大級のデジタル家電総合展「シーテック(CEATEC)ジャパン2009」が、千葉市の幕張メッセで開催されていました。出展者数は、昨秋のリーマンショック以降の景気低迷により、今回は、590と昨年に比べて大幅に参加が減少したそうです。しかし、新聞記事によると、三菱電機は、高画質な映像を表現できる有機EL(エレクトロ・ルミネッセンス)を使った155型の大型ディスプレーの試作機を公開。縦約1.9メートル、横約3.5メートルの大画面ながら奥行き約8センチという薄さと鮮やかな映像で、注目を集めたそうです。また、このほか、ソニーやパナソニックは映像が飛び出して見える3D(3次元)テレビを出展。次世代のテレビ技術などが数多く公開されていたようです。
こんな話題を集める家電ですが、廃棄処分の問題のほかに、家電があらゆる分野で普及すればするほど消費電力が増加をしていきます。そのために、地球温暖化やCO2排出量が問題になります。そこで、エコ・アクション・ポイントの全国型モデル事業(株式会社ジェーシービー)が、環境省によって10月15日(水)から全国で始まります。それは、 家電、鉄道、百貨店、銀行、旅行、ホテル等様々な業種が共通のエコ・アクション・ポイントを発行し、多彩で魅力的な商品と交換できる事業です。環境省では、幅広い企業や国民の参加を目指し、国民参加の温暖化対策の切り札として、エコ・アクション・ポイントモデル事業を段階的に推進しているのです。貯まったポイントの「商品交換サービス」では、鉄道用プリペイドカード、排出権・植林への寄付、エコバック、日用品、台所用品など、1000ポイントから交換できることになっています。
それとは別に環境省・経済産業省・総務省によるエコポイントの活用によるグリーン家電普及促進事業を行われています。これは、経済危機対策において、地球温暖化対策の推進、経済の活性化及び地上デジタル放送対応テレビの普及を図るため、対象となる高い省エネ効果を有する家電製品の購入に対して、様々な商品・サービスと交換可能なポイント(エコポイント)を付与するというものです。この事業で、申請受付件数は8月末時点で約150万件、テレビの申請が台数ベースで約66%、エコポイント点数ベースで約77%と大きな割合を占め、次いでエアコン、冷蔵庫の順となっており、3品目合計で買替え(リサイクル)が約7割を占めているようです。
生活の中で大きく占める家電の買い方、使い方、捨て方をきちんと考えていく必要がありますね。
投稿者 fujimori : 22:30 | コメント (3)
2009年10月09日 [近頃思うこと]
廃棄される家電
家電についての問題点を考えてみました。消費文化は、大量の廃棄物を生み出すことになりました。その中で、廃棄される家電製品(エアコン、テレビ、電気冷蔵庫及び電気洗濯機)はそれほど多くはなく、一般廃棄物全体の約1%程度ですが、焼却による減量などが困難で埋立て処分場の大きなひっ迫要因となっています。廃棄された家電製品については、約4割の市町村で何らかのリサイクルが行われていますが、半数以上がリサイクルされずに埋立て処分されている状況です。しかし、家電製品はその材料の中に金属、ガラスなどリサイクルが可能な資源を多く有しており、リサイクルによる一層の減量が可能なものです。
そこで、一般廃棄物の容積で約6割、重量で約2割強を占める容器包装廃棄物のリサイクルを進めるために容器包装リサイクル法、続いて缶、びん、ペットボトル等についてリサイクルが進められ、さらに、紙製、プラスチック製の容器包装廃棄物についてもリサイクルの対象となりました。このような流れの中で、家電に対しても特定家庭用機器再商品化法(家電リサイクル法)が、循環型経済社会を構築するための新しい法制度として制定されました。
この法令は、他のリサイクル法よりも重要な意味を持ちます。家庭から排出される廃棄物は基本的に市町村が収集し、処理されるのですが、家電の多くは、非常に大型で重いため他の廃棄物と一緒に収集することが困難であったり、非常に固い部品が含まれているため粗大ごみ処理施設での破砕が困難であるものが多く存在し、また、金属、ガラスなどの有用な資源が多く含まれているのですが、これらの処理、リサイクルは市町村単位では困難なために、大部分が埋め立てられているのです。そんなわけで、家電製品のリサイクルが廃棄物の減量、資源の有効利用に大きく貢献するのです。
また、平成3年の廃棄物処理法の改正により適正処理困難物の制度が創設され、市町村は処理が困難な一般廃棄物について製造・販売業者等の協力を求めることができることになりました。現在は、廃タイヤ、廃スプリングマットレスとともに、25インチ以上の廃テレビジョン受信機、250リットル以上の廃電気冷蔵庫が対象となっています。この制度の下、家電販売店での家電製品の引取りが行われていますが、なかなか難しいようです。
近年の家電製品は、鉄・アルミ・銅といった金属やプラスチック類を素材とするものであり、テレビについてはブラウン管のガラスが大きな重量を占めます。また、家電製品は様々な部品から構成されるものであり、これを分解・解体し部品や素材ごとに選別することにより、再生利用の道が大きく開かれるものです。例えば鉄・アルミ・銅といった金属については、部品を分離し、それぞれの素材に選別することにより、金属製品の原材料として再生利用が可能です。また、プラスチック類については、熱回収(サーマルリサイクル)を行うことができるとともに、技術開発の進展により再度プラスチック製品の原料などの原材料として再生利用される可能性が高まっています。ブラウン管のガラスについては、再度ブラウン管用のガラスとして利用できるほか、様々なガラス原材料としての再生利用が可能です。
ヨーロッパ諸国でも、家電製品リサイクルについて様々な動きが見られます。例えば、オランダでは事業者と自治体の合意の下での自主的な回収・処理の仕組みが実施されており、ドイツでは情報関連機器についての再生に関する政令が存在します。また、欧州連合(EU)では電気・電子機器の回収・リサイクルに関する指令案が出されています。
家電は、廃棄の問題だけでなく、消費電力の問題も存在します。それが、最近様々な事業が行われ始めました。
投稿者 fujimori : 20:57 | コメント (4)
2009年10月08日 [近頃思うこと]
家電
成長を国民全体で望んでいた時期の昭和30年代は、生活に劇的な変化をもたらします。そのひとつが、「家電」の普及があります。人々は、競って「家電製品」を買い、そしてそれらを持つことが豊かさの象徴であり、幸せの指標であり、「家電生活」を楽しむために、毎日働いたといってもいい時代でした。その中の代表格に「三種の神器」と言われた白黒テレビ、電気洗濯機、電気冷蔵庫があり、それらの普及率は、昭和32年当時、それぞれ、7.8%、20.2%、2.8%でしたが、30年代が終わった昭和40年には、それぞれ、95.0%、78.1%、68.7%まで急速に普及していきました。
また、昭和30年には東京通信工業(現ソニー)がトランジスタラジオを発売します。そのラジオも、世帯普及率は昭和35年24.9%だったのが、やはり40年になると55.8%まで普及し、あっという間に大衆化していきました。さらに昭和35年ごろになると、三種の神器にカラーテレビ、クーラー、ステレオが加わり、ラジオはFMラジオに、洗濯機は脱水装置付洗濯機、冷蔵庫は冷凍庫付冷蔵庫を商品開発が進み、買い換え需要とともに更なる発展を見ます。そのころまでは、大事に使っていたものが、買いかえるようになっていきます。30年代後半は、オーディオ専業メーカーが急成長し、スピーカー専業のパイオニア、高周波コイルのトリオ、トランス専業の山水、ラジオセットメーカーのオンキョーがそれぞれの特徴を出し、マニアの間ではそれを語ることがステイタスになりました。
今年の6月に私の園の保護者が、タンザニアからの村人5人をホームステイしたときの話題をメールでいただきました。そのいくつかは、家電にまつわるものでした。「焼肉を焼こうと、夫が焼肉用ホットプレートを準備。これを小型パラボラアンテナだと思った前村長。みんなを呼び集めて“今日は、この家の主人が、我々を歓迎してテレビを見せてくれるようだぞ!”イコマ語の会話だったので、何も知らない夫が肉を焼き始めると、みんなが当惑した表情を見せているので、うちのだんなも何かよくないことをしてしまったのかと、あせった。その後、前村長の勘違いだと聞いて、みんなで大笑い」こんなこともあったそうです。「ママルーシーがマベンガに文句を言った。“この家にはこんなにラジオをもっている。なら、1つくれればいいのに!”そのラジオというのは、炊飯器、電子レンジ、トースター、ビデオデッキ・・・すべての電化製品をママルーシーはラジオだと思っていた。村では、電化製品といえば、ラジオしかないもんなあ」
一方、日本では、魅力ある商品が溢れる30年代でしたが、家電業界では、勢力争いが激化し、その流通秩序は混乱していきます。家電メーカーは、家電ブームに乗り、生産を拡大しますが、昭和32年になるとすでに過剰生産に陥ります。そこで、それまで町の電気屋さんで家電を売っていたのが、そのほかでも販売するようになっていきます。農協・職域団体のほか、当時新しく台頭してきたスーパーでも売られるようになっていきます。それらスーパーは、流通経路の変化をもたらし、町の電気屋さんは死活問題になっていきます。この流れは、電化製品だけではなく、様々な商品にも同様なことが起きます。そこで、メーカーは、昭和31年に家庭電器市場安定協議会(市安協)を結成し、価格安定を目指しますが、流れは止められません。その後、家電量販店が目立ち始めます。今は、その売り上げは大きいのですが、その浮き沈みは激しく、倒産する店も現れ始めます。
また、紹介したタンザニアにはない問題も起き始めます。家電普及による電気の消費についてと、電気製品の処理の問題です。新しい時代に突入です。
投稿者 fujimori : 22:39 | コメント (4)
2009年10月07日 [近頃思うこと]
天気予報
台風が近づいています。大型ですので、被害が心配ですので、進路が気になるところです。私の子どもの頃は、進路はラジオで知りました。ただ、ラジオですと、その位置は北緯何度東経何度という言い方ですので、正確な位置は分かりにくく、どうも東京に来そうだという程度の知識でした。それでも、窓ガラスが瓦が飛んできて割れないように雨戸を閉めるとか、板を×に打ち付けるとか、よく停電になるので、ローソクを家族で囲んでラジオに聞きいったものでした。
日本で最初の天気予報は、明治17年6月1日に、気象庁の前身である東京気象台から発表されたものです。その頃の予報は、1日に3回日本全国の天気を発表し、東京市内の交番に掲示されました。その発表に文言は、日本全国をたった一文で表わし、第1号は、「全国一般風ノ向キハ定リナシ天気ハ変リ易シ 但シ雨天勝チ」でした。
私の子どものころに聞いていたラジオ放送による天気予報は、すでに大正14年3月22日にラジオ放送の開始とともに開始されています。しかし、天気予報は、戦時中においては、国家秘密だということで、第二次世界大戦の開戦中(昭和16年12月8日)には中断されていました。しかし、予報は隠しても自然界のことなので、他の国でも分かってしまうと思うのですが、秘密にするというのは、いかにもそのころの日本軍が考えそうなことですね。そんなわけで、ラジオの天気予報が再開されたのは、終戦の8月15日から一週間後の昭和20年8月22日でした。それが、テレビの普及に従って、台風の進路は、視覚的に知ることができました。その時期は、ラジオと同じように、テレビ放送開始日の昭和28年2月1日にテレビ放映による天気予報も開始されたのです。
今年の6月1日、「♪ボクの名前はヤン坊」の歌でおなじみの「ヤン坊マー坊天気予報」が、放送開始50周年を迎えました。この6月1日は、気象記念日です。私が小学生になり、テレビをよく見るようになって、もしかしたら、一番見ていた番組かもしれません。それは、毎日流されていたということもあるでしょうが、お馴染みのテーマソング「ヤン坊・マー坊の唄」が耳に着いてしまい、つい口ずさんでしまいます。ちなみに、作曲は「365歩のマーチ」などで知られる作曲家・米山正夫さんで、作詞は放送開始当時の同社宣伝部長が手がけています。また、その歌に合わせてヤンマーのキャラクター「ヤン坊」と「マー坊」のアニメーションが流れることも子どもには楽しみだったのかもしれません。もうひとつ、よく見ていていたのは、この天気予報の放送時間帯が、子ども番組が多かった夕方の時間帯によく流れていたからです。現在までで通算207話が放送されているそうで、ずいぶんと長いですね。
昭和30年代は、日本が急激に豊かになっていった時代です。各家庭では、明るい電灯がともされた居間で家族そろってテレビを見る、新築の団地に入居する、マイカーを手にいれる、そんなものがそろうことが幸せにつながっていった時代でした。「ヤン坊…」が放送開始された昭和34年は、皇太子御成婚があり、翌年には、池田内閣が「所得倍増計画」を発表し、昭和39年には、成長のピークを迎える東京オリンピックが開催されています。
再度の東京オリンピック開催は見送られましたが、あの頃と違って、日本は、ただ成長を求め、ものの豊かさを求めるのではなく、もう少し、心の豊かさを求めるような成熟した社会を目指すべきかもしれません。
投稿者 fujimori : 23:37 | コメント (4)
2009年10月06日 [近頃思うこと]
無形
ユネスコが窓口になって、地球の生成と人類の歴史によって生み出され、過去から引き継がれた貴重なたからものでもある「世界遺産」が選ばれていますが、この中に日本の石見銀山が入るかどうかが話題になったのは、もう2年前の7月のことでした。そして、平成13年から日本の暫定リストに挙げられている「平泉の文化遺産」が、いまだ登録になっていないことがニュースになったのも最近のことです。
これらの世界遺産には、次の3種類があり、有形の不動産が対象となっています。一つは「文化遺産」で、顕著な普遍的価値を有する記念物、建造物群、遺跡、文化的景観などが選ばれます。次に「自然遺産」で、顕著な普遍的価値を有する地形や地質、生態系、景観、絶滅のおそれのある動植物の生息・生息地などを含む地域が選ばれます。そして、「複合遺産」として、文化遺産と自然遺産の両方の価値を兼ね備えている遺産が選ばれます。これらについては、よく話題になるのですが、このような有形なものだけでなく、同じように無形なものに対しても決められています。昨日のブログで紹介した「奥能登のあえのこと(石川)」があるのです。
このような無形なものに対して2006年1月20日、「無形文化遺産の保護に関する条約(無形遺産条約)」の締約国が30カ国に達し、条約は、3ヵ月後の2006年4月20日に発効しました。この無形遺産条約は、これまで民族文化財、フォークロア、口承伝統などと呼ばれてきた無形の文化を人類共通の遺産としてとらえ、保護していくことを目的に作成され、2003年の第32回ユネスコ総会において、賛成120カ国、反対0、棄権8カ国で採択されました。日本は2004年6月、3番目の締約国として条約を締約しています。もちろん、反対する国はないでしょうね。
そして、昨年暮れには、無形文化遺産委員会では、これまでの傑作宣言に発表された90件が「人類の無形遺産の代表的な一覧表」に記載されることが決定しました。日本からは
13件が一覧記載されました。この一覧表には、能楽、人形浄瑠璃文楽、歌舞伎の3件は、審査なしで一覧表に統合されています。そして、今年13件が数日前の10月1日に決定しました。どんなものが決定したかというと、「重要無形文化財」として、<芸能>雅楽、
<染織>小千谷縮・越後上布(新潟)、<手漉(てすき)和紙など>石州半紙(せきしゅうばんし)(島根)です。
「重要無形民俗文化財」として、<祭礼>日立風流物(茨城)、京都祇園祭の山鉾行事(京都)、<年中行事>甑(こしき)島のトシドン(鹿児島)、<生産・生業など>奥能登のあえのこと(石川)、<神楽>早池峰(はやちね)神楽(岩手)、<田楽>秋保(あきう)の田植踊(宮城)、<風流>チャッキラコ(神奈川)、<渡来芸など>大日堂舞楽(秋田)、<語り物など>題目立(だいもくたて)(奈良)、アイヌ古式舞踊(北海道)です。それぞれの地域の方は、これらの存在を知っているでしょうか。意外と知らないかもしれませんし、知っていても、そんな重要なものだとは気がつかないかもしれません。そんな意味でも、この一覧表への記載は重要かもしれません。
しかし、注目を浴びることによって、無神経な人々によって、大切な文化が踏み荒らされないことを祈るばかりです。
投稿者 fujimori : 22:06 | コメント (4)
2009年10月03日 [近頃思うこと]
シニア

先日、ある場所に入るために入場券を購入しようとしたら、なんと私は「シニア割引」が適応できることを知って、ちょっと複雑でした。他人事と思っていた「シニア割引」の対象になると、つくづくシニアであることを実感します。しかし、シニアとは何歳のことをいうのでしょうか?
もともとは、ラテン語の「Senex(「年をとった」の意味)」が語源だそうですが、英語ではいろいろな意味でつかわれます。「年長者、年上、先輩」という意味のほか、「ジュニア」に対する「シニア」というように年長のほうを呼ぶ使い方もします。日本の高校のことをシニアハイスクールというのがそれです。このようにseniorは、本来、高い地位や年長という意味だけで特定の年齢層は意味しないようです。したがって、しばしば耳にする高齢者(シルバー)や老齢層(オールド)とは違った概念のようで、あまりショックになることはないようで、「シニア割引」は、地位の高い人への割引だと思えばいいというものでもないようです。
というのは、アメリカで「senior citizen」というと、おおむね65歳前後以上の年齢層を指し、そのあたりの年齢層に対する割引制度が「シニア割引」だからです。あと、日本では慣用として、サラリーマンでいえば定年で第一線を退いた人々、個人営業者でいえば権限や仕事の多くを次代に譲った人々、主婦でいえば子育てを終わった人々などをさす場合が多いようです。
先日の敬老の日の総務省による発表によると、65歳以上の高齢者の総人口に占める割合は22.7%で、過去最高となりました。また、女性高齢者は女性人口の25.4%で4人に1人、男性高齢者は男性人口の19.9%で5人に1人が高齢者となったそうです。このような高齢者の増加により、一定の年齢以上で割引になる制度である「シニア割引」をよく見かけるようになりました。私にも徐々に適応される個所が増えてきました。
たとえば、JR東日本では、「大人の休日倶楽部ミドル」では、男性満50歳以上64歳まで、女性満50歳以上59歳までの人の申込みができます。この特権として、JR東日本線・JR北海道線エリア内では、何回でも5%割引が受けられます。また、JR全線対象に、男性満65歳以上、女性満60歳以上の人用(夫婦の場合、どちらかが満65歳以上なら、二人そろって申込みができます)に「大人の休日倶楽部ジパング」という特権制度があります。この会員は、個人会員は3,670円、夫婦会員は6,120円の会費を払えば、20回まで・20%または30%、4回目より30%の割引が受けられます。
また、航空会社にも、JALではシルバー割引が65歳以上で、ANAではシニア65割引が65歳以上で、スカイネットアジア航空ではシニア割引が55歳以上で、AIR DOではDOシニア60が60歳以上で受けられます。アート引越センターでも「シニアパック」が用意されています。これは、60歳以上の人が、不用品の整理や、部屋の模様替えやインテリアの相談などのアドバイスが受けられます。このCMには、私のようなその世代にはとても懐かしい「悲しき雨音」Rhythm of The Rainが流れます。この歌は、サンディエゴで結成された男性5人のボーカルグループ、カスケーズのミリオンセラーで、中学生のころに英語の歌詞を覚えたものです。
以上のものは、私はまだ使っていませんが、よくつかう制度に映画館でも「夫婦50割引」があります。これは、夫婦のどちらかが50歳以上の場合に二人で2,000円になる割引制度です。他にも60歳以上ですと、一律1,000円の「シニア割引」があります。
これらの制度があるために、保険証か免許の携帯が欠かせなくなりました。
投稿者 fujimori : 23:35 | コメント (4)
2009年10月02日 [近頃思うこと]
珈琲
秋の夜長、もうひとつコーヒーの話題で一服。
コーヒーは、よく珈琲と書かれます。これは、もちろん当て字です。もともと日本にはなかったものを、漢字に当てはめるのにはよほどの創造力と、そのものの理解がないとできませんね。その音をそのまま漢字の読みに当てはめるのは簡単ですが、そこに意味も表わすとなると難しくなります。英語の読みをそのまま英語に当てはめるのはよく遊びなどでやることがありますし、子どもに名前を付ける時に音から漢字に当てはめたものも最近は多く見られます。また、店の名前にもそのようなものが見られます。チャップリンの映画で有名な「ライムライト」を採って、「来夢来人」とつけてあるのを見かけることがあります。
江戸時代になると、コーヒーが飲まれることがあり、いろいろな文献に現れるようになり、いろいろな言葉に当てはめられます。江戸時代の俳人である大淀三千風は「日本行脚文集」(元禄2年)の中の「丸山艶文」というところでは、「皐蘆」(なんばんちゃ)と書いていますし、フランス人ヌール・ショメールの「家庭百科辞書」を長崎の山本某が訳した日本最古の珈琲文献「紅毛本草」(天明5年・1785年)には、古闘比伊(こつひい)、波无(バン)、保宇(ぼう)、比由无那阿(びゆんなあ)、比由无古於(びゆんこお)、比由爾宇(びゆにう)などの語が使われています。
もともとの日本語の「コーヒー」という音は、江戸時代にオランダからもたらされた際の、オランダ語の"koffie"の音(コーフィー)に由来しています。江戸時代文化年間の津山藩の蘭学者で藩医であった宇田川榕菴は、「蘭和対訳辞書」を作成するの当たって、このコーヒーに「骨喜」「哥兮」「架非」「珈琲」という4つの語をあてはめました。この中で、「珈琲」が一般的に使われるようになるのですが、「珈」という字は、音読みで「カ」、訓読みで「かみかざり」と読みます。「女性の髪にさす珠玉飾り」という意味です。「琲」は音読みで「ハイ」、訓読みで「つらぬく」と読み、それ貫くひものことをいいます。コーヒーの木に付いたコーヒー果実である赤い実(コーヒーチェリー)の様子を漢字で表していると言われています。中国語では「咖啡」と書かれますが、「王」が「口」になっていますが、日本では、王侯貴族の飲み物という高級感を出すために「王」にしましたが、中国では口で飲むものとして「口」になっているというのは、面白いですね。
これ以外にも、「可否」「哥非乙」「可非」「架非」「骨非」「加非」「唐茶」「豆茶」「煎豆湯」「滑比」「香湯」などの当て字が使われましたが、ちなみに、1888(明治21)年4月13日、東京下谷区上野西黒門町2番地に開業した日本で最初のコーヒー店の名前は、「可否茶館」でした。コーヒー1杯1銭5厘だったそうです。今の物価に直せば500~600円くらいで、それほど高くはなかったのですが、すぐには日本人の口に合わなかったのか、この店はあまりはやらず4年で閉鎖に追い込まれました。その後、1890年に浅草のダイヤモンドコーヒー店、1910年にはメイゾン鴻の巣や、不二家洋菓子店など次々とオープンしています。
今は、一般に普及し、誰でも飲む飲み物ですが、私の青春時代の思い出の純粋にコーヒーだけを飲ませる姿勢であった「純喫茶」は、あっという間になくなってしまいました。
投稿者 fujimori : 22:54 | コメント (4)
2009年09月30日 [近頃思うこと]
すっかり秋
すっかり、秋になりました。秋には何をする季節かというと、昔からいろいろな言い方があります。「食欲の秋」「読書の秋」「スポーツの秋」「芸術の秋」などです。皆さんは、どのような秋を過ごすのでしょうか。私が好きな曲で喜多条忠作詞、吉田拓郎作曲の「メランコリー」という歌がありますが、歌詞の中にこんなフレーズがあります。「秋だというのに 恋も出来ない」2番の歌詞には、「秋だというのに 旅もできない」とありますが、秋は、恋する季節なのでしょうか、旅をする季節なのでしょうか。
「秋深き 隣は何を する人ぞ」という有名な松尾芭蕉の句があります。この句をそのまま読むと、「隣の人は一体今何をしているのだろうか?ガサガサ音がするのは、秋が深まり冷え込んできたので、衣替えの用意をしているのだろうか。私も、そろそろ冬支度でもし始めなければ」と解釈してしまいます。絵画にしても、俳句や小説にしても、それを見たり、読んだりする人の心境や境遇によって解釈が変わり、作者の意図するところと違ってしまいます。それって、いいのだろうかと思うことがあります。読み手の私たちは作品の批評をするのではなく、その作品に共感でき、自分を投影するから素晴らしい作品と思えることもあるのです。
しかし、その作品が生まれた時の状況や背景を知ると、また違った解釈が生まれ、作品に厚みを感じることができるようになります。「秋深き…」はそういう作品です。この一句は、芭蕉の最後の一句となっています。というのは、死を前にして詠んだ句なのです。秋深くなる9月の終わりに、俳席が畦止亭で開かれ、翌日は、芝柏亭に場所を移して同様の俳筵が巻かれることになっていました。そこに出席するはずだった芭蕉でしたが、体調を崩していた芭蕉は、俳席に出席している方々に申し訳なく、この一句を送りました。その後芭蕉は床に伏し、10数日後亡くなりました。そう思ってこの句を読み返すと、衰弱しつつある自身が、秋深まる夜と同調したように感じ、秋を夜が更けていくとともに、寂しく儚く感じたことでしょう。その儚さは、夜や秋だけでなく、死期が迫ってきた自分自身の人生も合わせて感じたことでしょう。「隣人は何をしているのだろう」という思いも、俳席の楽しき場や、隣の住人のことが気にかかって、その席への思いを馳せている様子がうかがえます。その思いは、俳句仲間に対してだけではなく、自分が経てきた人生に対して自分は何をしてきたのであろうかという思いもあったでしょう。この句会が開かれ、芭蕉が亡くなった9月は、新暦ですと11月末~11月上旬ですから、晩秋です。
「旅愁」という原曲がオードウェイというアメリカの音楽家の作曲した曲があります。原題は、「Dreaming of home and mother」という故郷を穏やかな気分で回想するようなものだったようですが、日本では、詩人「犬童球渓」という人が訳詩をしました。熊本県出身だった彼が、故郷を遠く離れた北の国である新潟に勤務していたときに、自身の境遇の苦悩などを綴ったものだともいわれています。「更けゆく秋の夜 旅の空の わびしき思いに ひとり悩む 恋しや古里 なつかし父母 夢路にたどるは 故郷の家路」この歌詞は、林芙美子の「放浪記」の冒頭にも出てきます。
私は、秋には特にメランコリーになりませんが、ちょっと物思いにふけってみたい気もします。
投稿者 fujimori : 22:39 | コメント (4)
2009年09月29日 [近頃思うこと]
インドカレー
今年の「第4回B級ご当地グルメの祭典!B-1グランプリ in YOKOTE」は今月の20日に最終日を迎え、開催地である地元の「横手やきそば」が初のゴールドグランプリに輝きました。ブログで何度も書きましたが、私は各地のB級グルメが好きですし、特に焼きそばが好きなので、この結果に興味がそそられます。それは、まだ私は横手を訪れたことはなく、ましてや横手の焼きそばを食べたことがないからです。
この順位の決め方は、客が使い終わった割り箸を気に入った料理に投票し、その重さを競います。そして、ゴールドグランプリに選ばれたのが、「横手やきそば」で、シルバーグランプリは「八戸せんべい汁」(青森)、ブロンズグランプリは「津山ホルモンうどん」(岡山)でした。来年の大会は神奈川県厚木市で開かれることが決まったようです。
各地には、ご当地ものと呼ばれる食べ物があります。有名なところでは香川の讃岐うどんとか、札幌ラーメンとかですが、どうしてこの場所にその店が増えたのかは様々な理由があるようです。もちろん、その地方の風土、伝統、歴史の中から生まれ、伝承されてきたものが多いのですが、B級グルメになると、村おこしのように仕掛けられたものが多いようです。
また、もともと日本人が好きな食べ物が、その地方によって料理法や味付けが違ってその地方の名物になることもあります。たとえばラーメンなどはそうです。各地にいろいろなラーメンが名物になっています。ですから、よくラーメン博物館のように各地のラーメンを集めた場所があることがあり、いろいろなラーメンを食べ比べられるようになっています。同じようなコンセプトで、日本全国の特徴的なカレーを出す店舗を招聘するということで開館したテーマパーク「カレー博物館」がありました。しかし、残念ながら、2007年3月31日に開業から累計来館者数は約870万人を超えて閉館しています。このようにカレーも、日本人が好きでよく食べる料理です。そのカレーは、あまり地域差はないのですが、私の園の周りから九段下にかけてカレー店が多く見られます。しかも、それはチェーン店ではなく、インド人がやっているような店です。それは、インド大使館が近くにあるので、インド人が多いからだと聞いていました。

ところが、最近あの電気街とメイドカフェで有名な秋葉原にカレー店が急増しています。どうしてかということを、日経に経済アナリストである森永卓郎氏が分析していました。 その理由については、大きく分けてインド人説と日本人説があるそうです。インド人説とは、インド人の食事場所としてカレー屋が立地したというものです。秋葉原では、よくインド・パキスタン系の人を多く見かけます。それは、インド人はエレクトロニクスが大好きで、秋葉原に買い物に来る観光客がとても多いからです。従業員のインド人が顧客対応をしてくれる店もあるくらいです。もう一つのインド人説は、秋葉原周辺で働くインド人が増えたということだそうです。秋葉原駅周辺にはオフィスビルが林立し、その多くはIT(情報技術)系の企業です。そのために、そこで働くインド人のIT技術者が増えているのだといいます。
しかし、森永氏は別の見解を持っています。秋葉原のカレー店は、アキバ系日本人の食事場所として発展したのではないかと思っているそうです。現に秋葉原のカレーはインド人が好む本格インド料理ではなく、500円から800円程度の手軽なものがほとんどを占めているそうです。
どこで何がはやるのか興味がありますね。
投稿者 fujimori : 23:15 | コメント (4)
2009年09月28日 [近頃思うこと]
公園
子どもの権利条約の第3条には、「児童に関するすべての措置をとるに当たっては、公的若しくは私的な社会福祉施設、裁判所、行政当局又は立法機関のいずれによって行われるものであっても、児童の最善の利益が主として考慮されるものとする。」とあります。これは、子どもに関係のあることを行うときには、子どもにもっともよいことは何かを第一に考えなければならないということです。児童公園の設置は、「児童に関する措置」です。子どもの権利条約が日本でも批准された今、このことを意識しなければならないのです。しかし、日本ではあまり意識されてこなかったというのが現実です。
野山が広がり、川や海があり、田んぼのあぜ道が続いているような自然が豊かな場所では、あらゆる場所が子どもの遊び場でした。しかし、都会では、道路が子どもたちの遊び場でした。しかし、道路に車が通るようになると、子どもたちの遊び場は失われて行きました。江戸時代にも、道で遊んでいた子どもが交通事故に巻き込まれることも多く、大八車でひき殺して死罪になった例があるそうです。明治の終わりごろになると交通量は増え、1910年(明治43)に市区改正委員の窪田清太郎が東京市議会に「小公園設置に関する建議案」を提出しています。ここには「近来市内交通機関ノ発達に伴ヒ、往来益々頻繁に赴ケルニ拘ワラズ、児童ノ多クガ通路ヲ馴駆スルガ如キ、当ニ交通ノ妨害タルノミナラズ、其危険少シトセズ」と述べられています。
そこで、公園に遊び場が必要と思われ始めました。そんな時代、日比谷公園が1903年(明治36)に開園したとき、アメリカのモデルプレイグラウンドと呼ばれる、児童指導員がいる遊び場の形態を模した300坪の児童遊園が設置されました。1924年(大正13)、米国留学から戻ってきた末田ますが、東京YMCAから東京都の嘱託になって、キリスト教会の福祉活動として本格的に公園児童指導を展開しました。もちろん、この指導には水を使った遊びなどもあったそうですが、当時の道路や路地には、遊びの四元素に触れられる場はたくさんあり、なにも公園でする必要はなく、しかも、当時は結核やチフス、赤痢といった流行病が蔓延していて、そういうものは不衛生と考えられていた時代ですから、三種の神器と呼ばれるブランコ・滑り台・砂場が生まれてきたのです。
一方、以前のブログでも紹介したドイツの「モグラの家」のような冒険遊び場も、日本には1970年代に初めて紹介され、住民主体の自発的な運営により、現在200近い団体が冒険遊び場づくりに取り組んでいます。しかし、私は、必ずしも三種の神器が悪いとは思いません。これらは、子どもたちが好きな遊具ですし、大人でも面白いと思うことがあります。ただ、それらの遊具が申し訳程度に置かれ、どこでも変わらない子どもだましのようなデザインのものが設置されているのをよく見かけます。公園全体の動線の中で配置され、子どもの興味関心を持つ色や形をデザインされていれば、子どもは飽きもせず遊びこむのです。
ゴミ埋立地だったモエレ沼のために日系米国人の彫刻家イサム・ノグチが設計したモエレ沼公園は、全体を一つの彫刻と見なすダイナミックな構想で、2002年度のグッドデザイン大賞を受賞しています。今日、ここを自転車で回りました。ここには、滑り台やブランコが置いてありますが、あたかも一つの作品のようです。そこで遊ぶ子どもたちは、彫刻と戯れるという贅沢な体験ができそうです。そんな公園が、子どもの興味をそそるだけでなく、街に彩りを添えるでしょう。

投稿者 fujimori : 23:05 | コメント (4)
2009年09月27日 [近頃思うこと]
遊びと自然
子どもの権利条約「第31条」には、「休み、遊ぶ権利」が書かれてあります。「 締約国は、休息及び余暇についての児童の権利並びに児童がその年齢に適した遊び及びレクリエーションの活動を行い並びに文化的な生活及び芸術に自由に参加する権利を認める。」
それぞれの子どもたちのために、その年齢に適した遊びを用意しなければなりません。それは、決して、管理しやすいとか、危険が少ないとか、汚くないとかいうような大人の都合でつくられるのではなく、あくまでも子どもにとってどうかを考えなくてはなりません。しかし、それは単に子どもが好きかどうかということではなく、人間の成長にとって大切な遊びの重要性を考え、提案しなければならないのです。そんな意味で、児童遊園がつくられているでしょうか?
子どもにとっての最高の遊びの遊具は、自然界にある火、水、木、土だといわれています。これらを、どのように公園に生かし、子どもたちが自然と触れ合うことができるかを意図するのも必要です。もうひとつ、最近の少子社会で重要なアイテムとして「子ども集団」が必要な気がします。いかに、集団で遊ぶことを促すかということです。
ベストセラーになったロバート フルガム著「人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ」ではありませんが、砂場は、子どもにはとても人気がある場所です。この砂場は、19世紀後半のドイツが発祥の地です。大きな公園の中に砂場が盛られ、そこで遊ぶ子どもを警官が監視していました。それを見たキリスト教徒がボストンの幼稚園へ持ち帰ったのが原型だといわれています。ドイツでは、この砂場に水が流れ込むようにできていて、砂と水を合わせて泥んこになって遊びます。日本でも、泥んこ保育を行っている園もあります。
しかし、ここでなかなか難しい問題が起きます。自然界のものは、清潔に問題があり、危険を伴うことが多いのです。雨が降るとぐちゃぐちゃになるので、公園で土は嫌われます。火や水は危険だから禁止されています。きれいに剪定された樹木はありますが、廃材を使って秘密基地を木の上につくったりすることはできません。水があっても人工的な流れで、縁はコンクリートで固められ、魚はいませんし、ましてやオタマジャクシやカエルがいる泥っぽい水たまりは汚いとして排除されます。そのように、土や水は、管理の手間がかかるために排除される傾向にあるのです。
ニュータウンの園の近くに大きな池を作りましたが、その底を何にするか意見が分かれました。結局、土ではなくタイルを敷き詰めました。それでも自然はすごいもので、そのタイルにも泥が溜まり、藻が発生し、ザリガニが生息するようになりました。今度は、それを掃除するかで意見が分かれました。意見が分かれるのは仕方ないのですが、その議論の中には、子どもにとって何が必要かという議論がなく、景観としての池作りだったのです。管理しにくい、面倒なものはどんどん排除されていくような公園づくりは、子どもの世界から、自然界の素材そのままの要素と子どもが自然と触れ合う場所を、どんどん奪ってしまっていったのです。
今、羽根木プレーパークのような冒険広場運動の実践が行われています。また、ビオトープのような自然生態系を残した公園も試みられてきています。また、その運営管理も公的なものから住民参加のものに変わってきています。今後、どのような児童公園ができてくるのでしょうか。また、海外ではどんな試みが行われているのでしょうか。
投稿者 fujimori : 22:31 | コメント (4)
2009年09月26日 [近頃思うこと]
公園遊具
園から少し離れたところに公園ができました。西武線の線路わきです。工事中、出来上がるにつれてどんな公園になるのか、どんな設備ができるのか、どんな遊具が置かれるか予想を立てていました。まず、戸惑ったのが、公園の周りを高いフェンスで覆い始めたときです。どう見ても、野球やサッカーができるほどの広さがありません。であれば、そんな高いフェンスが必要な用途はなんだろうか不思議でした。広い場所でないとしたら、何かの遊具が設置されるでしょう。一昔前までは「公園の三種の神器」とよばれるブランコ・スベリ台・砂場がよく設置されていました。しかし、これらは事故が多いと最近消え始めています。また、最近流行っている公園として、自然型公園で、ビオトープとか、林とか、サンクチュアリー的なものも多く見られます。しかし、そんな気配はありません。大きな木が数本公園の真ん中に植えられ、芝生がところどころにつくられます。この様子では、一時はやったゲートボール場にもなりそうにありません。
完成に近づいたころ、一つの遊具が設置されたのです。それは、バスケットゴールでした。よく、アメリカ映画などに出てくるような景色です。

完成後、いつの時間帯でも、私が登園する朝7時台から、帰りの20時ころまで必ず誰かがそこを使っています。ある日の夕方、そこを通ったら私の園の男性職員が数人でそこでバスケをやっていました。次の日に聞いたら、知らない人も数人交じって一緒にバスケをやったということです。ちょっと、その光景は珍しく、何となく都会型の公園のような気がしました。
そういえば、多摩ニュータウンの保育園にいたときに、近くの広場で若者がスケートボードをやっていました。しかし、近所からの苦情で、そこではスケートボードができないような突起をいくつも作ったのです。私は、ある会合で、それはおかしいのではないかと言いました。中、高校生などの若者が集える公園が少なく、また、中高校生の集団はなんだか怖い気がして追い出そうとするけれど、かえって、そうすると隠れていろいろとすることになるのではないか。中、高校生などの若者が集う場所を、みんなの視線が集まる真ん中に作った方がいいのではないかと提案しました。
今、都市の公園には、子どもの姿を見ることが稀になりました。このままいったら、公園で遊ぶ子どもがいなくなる恐れもあります。家やマンションのロビーでゲームをやっている姿を見かけます。それか、塾通いです。もちろん、周りに自然があり、わくわくするような体験ができるところならいいのですが、都会ではそれは無理です。ですから、もう少し、公園というものを幼児から若者までを視野に入れ、地域に対象者に合わせてそれぞれの機能を点在する計画を立てる必要があると思います。
そうした計画の中で、最近、高齢者向きの公園もゲートボールだけでなく、いろいろと考えられるようになりました。たとえば、幅広い年齢層が軽い運動を行える「健康遊具」が置かれているところも人気があります。これには背もたれが湾曲していて背中を伸ばせる「背伸ばしベンチ」や、腰を回す運動を行える「ツイストボード」や、足の裏のつぼを刺激する道などもあります。
では、子どものための公園とは、三種の神器の代わりにどんなものがいいのでしょうか。もう少し考えてみたいと思います。
投稿者 fujimori : 23:16 | コメント (4)
2009年09月20日 [近頃思うこと]
プラスチック
最近、よく飛行機に乗ることがありますが、そのときによく思うことは「こんな重い鉄の塊が空を飛ぶなあ」ということです。紙飛行機にしても、滞空時間を競争する模型飛行機にしてもその素材はとても軽く、繊細にできています。それに対して実際の飛行機は、とても大きな鉄の塊というイメージがあります。
しかし、今の時代にそんなことをいうと笑われます。というのは、今の飛行機の機体はプラスチックでできているのです。他にも自動車の車体やパソコン、スポーツ用品などもほとんどプラスチックなのです。しかし、私たちは、プラスチックというと確かに軽いのですが、弾性率が低く構造用材料としては適していないと思っていました。というのは、もともとプラスチックとは英語で「自由に形をつくれる。やわらかい」「可塑性を持つもの」と言う意味で、一般に 「人工的に合成された高分子物質で可塑性のあるもの」と定義されるからです。また、合成樹脂とも呼ばれますが、それは、天然の松やにや漆の木から出る「樹脂」をまねてつくっているからです。
プラスチックには大きくわけて二つの種類があります。 一つは、熱をくわえるとやわらかくなり、冷やすとかたまるもので、「熱可塑性プラスチック」と呼ばれるものです。これは、熱を加えると溶けてやわらかくなり、冷やすと固まる性質をもち、1度硬くなっても 熱を加えると再びやわらかくなる性質があるものです。ほとんどのプラスチック製品はこれで、ペットボトルや発泡スチロール、バケツ、コップ、密封容器などの家庭用品などのスチロール樹脂やポリエチレンやポリプロピレンやメタクリル樹脂等はこれに当たります。
もうひとつは、熱をくわえるとかたくなるもので、「熱硬化性プラスチック」と呼ばれます。これは、熱を加えるとかたくなり、一度固まると後で熱を加えても再びやわらかくならないもので、電気のコンセントなどの電気器具、浴槽、ヘルメット、テーブル、ボタンなど比較的耐熱性を要求される箇所に使用されています。
そんなプラスチックに弾性率の高い材料を強化剤として複合させることで、軽量で強度の高い(比強度の大きな)ものができます。強化材として、今はガラス繊維の他、炭素繊維や強度の高い樹脂繊維、ケブラー、ダイニーマなどで強化する場合もあるようです。このような材料の作り方で使用する場所が違います。オートクレーブという大きな釜で焼き固めたものは極めて強靱で、ドライカーボンと呼ばれるが、生産工程が完全な手作業となるため高価であり、量産に向いていないが、その特性からレース用の自動車フレームや航空機の翼、宇宙工学、楽器ケース(チェロなど)などで使用されています。オートクレーブで焼き固めないものは、ウエットカーボンと呼ばれ、強度としてはプラスチック+αに留まるが、安価・軽量で耐久性がよいことから、小型船舶の船体や、自動車・鉄道車両の内外装、ユニットバスや浄化槽などの住宅設備機器で大きな地位を占めているそうです。
最近は、炭素繊維といわれている材料が開発されていますが、炭素繊維は「鉄より軽くて強い素材」として注目を集めており、飛行機だけでなく、スポーツ用品、自動車、パソコンなど、従来の素材の代替品として、幅広く使われはじめています。
鉄やアルミから炭素繊維へと着々と革新が行われているようです。
投稿者 fujimori : 21:11 | コメント (4)
2009年09月16日 [近頃思うこと]
飢え
最近、駅の構内とか、車両の中吊広告で目にするものがあります。その内容は、とてもショッキングなものです。
「いま、飢えが原因で、6秒に一人が命を落としています。地球にはすべての人々が食べるのに十分な食べ物があります。なのに、地球の7人に一人は、飢えに苦しんでいます。飢えは、いまだに世界第1位の死亡原因です。毎日、大人・子どもを含め、2万5千人が命を落としています。もし事故か災害で、1日にして2万5千人が命を落としたら、大ニュースになるでしょう。」
このキャンペーンは、「WFP」という国連唯一の食糧支援機関であり、かつ世界最大の人道支援機関が行っているものです。飢餓と貧困の撲滅を使命として1961 年に設立が決定され、1963 年から正式に活動を始めました。この機関の活動の中で最初のコピーは、「WFP世界の学校給食プログラム」と呼ばれている活動です。現在、世界では3億5千万人以上の子どもたちが飢えに苦しんでいて、その多くは、学校でも食事をとることができません。さらに、学齢期の児童のうち7,500万人は、家庭の労働の担い手になるなどして、学校に通うことすらできていないのです。
私たちの多くは、当然のように給食を食べています。栄養計算をした食材、安全食材を利用し、手の込んだ料理が工夫されています。また逆に、好き嫌いを注意され、学校時代の嫌な思い出の一つとされ、毎日多くの残菜が捨てられています。しかし、空腹のままでは子どもたちはどうしても注意散漫になりやすく、学習に集中することができません。子どもの飢餓による病気や、生涯にわたる身体的・知的発達障害、生産性の低下により、世界では1年当たり200~300億ドルあまりの経済的損失が生じているといわれています。
給食の是非は日本では、よく論議されるところですが、その火の食事も満足にとれない国にとっては、せめて1日に1回は栄養価の高い食事を取るために必要であり、給食があることで就学率と出席率が著しく向上します。どうしても親は、子どもたちを働かせるようとしてしまいますが、給食があるということで通学させることを選ぶようになるのです。特に、家にいることが当然だとされていた女子にも学習の機会が与えられるのです。

先のポスターは、今年のACジャパン支援キャンペーン「hopeを消さないで」です。WFPが給食の配膳に用いている赤いカップを給食=hopeの象徴として描いています。ずっと、給食支援をしてきたにもかかわらず、近年の食糧価格高騰と世界経済悪化の影響で、途上国の食糧事情は更に深刻化し、飢餓人口も増加の一途を辿っており、支援を必要とする人々が急増しています。しかし、WFPでは、去年は資金不足により学校給食の一時停止さえ余儀なくされているそうです。ですから「hopeを消さないで」と訴えているのです。
このポスターの子どもたちは、アフリカのルワンダの子どもたちだそうですが、現在、ルワンダでは国民の5割近くは食糧難かそれに近い状態にあり、特に子どもの栄養失調率は高く、5歳以下の子どもの45%は慢性的な栄養失調状態だそうです。そんな国であっても、子どもたちの笑顔は素晴らしいですね。撮影されたのは、特に貧しい地域で、小学校に通い続け無事卒業できる生徒は全体の45%しかいません。また、生徒の半数は、大虐殺やHIV/エイズで少なくとも片方の親を亡くしており、中には両親を亡くして子どもだけで暮している世帯もあるそうです。ここの給食は、とうもろこしや豆を煮たものに、雑穀を混ぜたものですが、これが一日唯一の食事の子どもも多いそうです。成績のいい生徒には、学期末に優秀賞として食糧が贈られるため、皆一所懸命勉強に励んでいるようです。
このポスターの子どもたちの笑顔や、きらきらした目、将来に希望を持ってたくましく生きている姿を見るとなんだか胸が痛くなります。
投稿者 fujimori : 22:05 | コメント (4)
2009年09月15日 [近頃思うこと]
アメリカでは
アメリカでは、1990年代初めころから多くの子どもが生後6か月までに、母親以外による保育を受けるようになりました。そこで、母親による養育とそれ以外の人による保育とで子どもの発達はどうなるかという研究が早いうちからされてきました。その結果、ほとんど発達には差がなかったようです。子どもの発達は、母親以外の保育を受けているかどうかということだけでは、子どもの発達について多くを語ることができないことが分かったのです。
しかし、保育の質や量(時間)、そして保育施設の特徴との関係において強い関係性とはいえないまでも、子どもの発達にある程度影響を持つことが今回の研究で明らかになりました。
まず、4歳半までの結果では、母親以外からの質の高い保育を受けている子どものほうが、質の低い保育を受けている子どもよりも、言語と知的発達の面で若干優れた発達を見せていました。また、3歳までの結果では、質の高い保育を受け子どもたちの協調性がより高いことがわかったのです。では、この調査の中での「保育の質」をどのように規定しているのでしょうか。
まず、「保育の構造に関するもの(規定的特徴)」として、子どもと保育者の人数の比率、クラスごとの子ども数、担当の保育者のトレーニング、保育者が受けた教育レベル。そして、「保育施設内における日々の体験(プロセス的特徴)」として、子どもと保育者との関わり、子ども同士の関わり、おもちゃなどを使った遊びについて調べています。この規定的特徴については、いわゆる最低基準として決められており、それをどのくらい上回っているかという点ではとてもわかりやすいのですが、プロセス的特徴についてはどうだったのでしょうか。
これは、実際の保育場面の観察のなかで行われる日々の対人的なかかわりや保育活動について検証しています。その特徴のうち、子どもの発達に一貫して最も深いかかわりを持っているものとして「ポジティブな養育」を取り上げています。それは、保育者の子どもの行動に対する感受性の豊かさや子どもの興味とやる気を励ますような接し方、保育者と子どもとの頻繁なかかわりなどが含まれます。
では、保育の量(時間)をみると、母親以外による保育の合計時間が短い子どもに比べて、より長い子どものほうが問題行動が少し多めに見られました。
また、施設型の保育を受けた子どものほうが、施設型でない場所で保育を受けていた子どもに比べて言語発達、知的発達ともにより優れていました。施設型の保育や幼稚園での保育を受けていた子どものほうが、それ以外の保育を受けていた子どもたちに比べて、若干問題行動の頻度が高い、という結果もみられました。
しかし、子どもの発達は、その子が預けられている保育施設の特徴よりも、親や家庭の要因により強く影響を受けることも明らかになりました。家庭で養育をされている子どもはもちろん家庭からの影響を多く受けるのは当然ですが、多くの時間を保育施設で過ごす子どもたちにとっても家庭や親がどんな養育をしているかは同じように大きな影響を及ぼしているのです。
この研究結果では、母親が養育をするか、母親以外の施設で保育するかが問題ではなく、その子の家庭や親がどうであるかのほうが重要なようです。
投稿者 fujimori : 23:11 | コメント (4)
2009年09月14日 [近頃思うこと]
育児と保育
今月の7日に、こんなニュースが流れました。
「 厚生労働省は、認可保育園への入園を待つ待機児童が4月現在で2万5384人おり、前年同月と比べ約3割に当たる5834人増えた、と発表した。低年齢児の待機児童数は全体の81.9%を占める。そのうち1、2歳児の待機児童数が1万7492人ともっとも多い。不況下で共働きの家庭が増えたのが原因とみられている。」
このニュースの中で、共働きの家庭が増えたのは不況だからでしょうか。母親の就業率が急増したのは、多くの国では産業化が進んだことによってです。たとえば、アメリカでは、1975年には39%であったのが、2000年には67%になっています。過半数の母親が働いているのです。そうなると当然、母親以外での保育が必要になってきます。誰がどのような保育をするか、誰の責任で保育を保障するか、その状況への対応は各国で違っています。就学前児を持つ母親の85%が働いているスウェーデンでは、保育を提供することは国家の責任であると考え、子どもは高い水準の公的保育を受けることができました。一方、20世紀の英語圏の国々では、保育は私的なものと考えられていて、公的援助はほとんど行われていませんでした。ですから、当然保育の質やタイプは大きなばらつきがありました。たとえば、1990年代のアメリカでは、働いている母親のための乳児保育は、施設型が10%、個人による保育、ベビーシッター、乳母などでの保育が24%、親戚が保育するのが28%、20%は父親が保育をしました。今でも、アメリカでは、保育の質、形には大きなばらつきがあるようです。その理由に、それぞれの州の保育に関する規制が顕著に異なるからだといわれています。
そのような状況の中で、当然危惧されるのは、母親以外の人が保育するときに、子どもにどのような影響を与えるかということです。特に、乳児にとってはどうなのでしょうか。から名前のことですが、中国に行ったときに幼児園が月曜日に預けて金曜日に迎えに行くまで、すべて寮生活のような全託でした。そのときに、私が「親との関係はどうなのですか?」と質問をしたら、怪訝な顔をされました。「親との愛着形成はどうなのですか?」と繰り返したら「えっ?だって、親は素人ですよ!」と答えられた時にはびっくりしました。しかし、それは、子どもは親のものではなく、国家のものだということもあるようです。
日本では、明治政府の近代教育制度の確立により、家庭の育児と学校の教育とが柱になり子どもが育てられてきました。戦後になると経済の立て直しが中心になり、核家族化が進み、保育が必要になってきました。しかし、保育はあくまでも育児の補助的なもの、さらには乳幼児にとってはよい影響はないとさえ考えられてきました。ところが、社会は豊かになり、物質的な豊かさでものが溢れるとともに、人間関係は希薄になり、人々の心もすさみ、子育てそのものにも問題が出てきました。そして、人類史上初めての体験である「少子化」を迎えています。
こんな時代を迎えて、保育を働く親のために整備することから、保育の子どもへの影響を様々な観点からの研究がアメリカで行われました。その研究結果が、「アメリカ国立小児保健・人間発達研究所の追跡研究から」発表されています。その結果を要約してみようと思います。
投稿者 fujimori : 21:11 | コメント (4)
2009年09月12日 [近頃思うこと]
乳母
いろいろな職種ではその質の向上が課題です。そのときに大きな要素として、そこで働く職員の質の向上が課題になります。たとえば、園では、保育者の質が問題になり、その質を向上させようと研修なども行います。しかし、以前のブログに書い