2008年06月30日 研修

ドイツ報告のまとめ

 毎年ドイツに行くことで、時代によっての取り組みの変化を見ることが出来ます。一昨年は、コープという新しい施設の取り組み、昨年は、就学前教育での文字、数、科学などの体験保育。今年は、少子化対策の取り組みと試行錯誤が見られました。
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 親手当てのような金銭的に援助する仕組みと同時に、0歳児から3歳児までの保育施設の要望が年々高くなる反面、その数が足りないことに対して、まず、3歳以上の施設であったキンダーガーデンが、0歳児から預かるようにした「コープ」(コーポレーション)という施設での試みがあります。これは、学校局が管轄します。一方、0歳児から3歳児までのキンダークリッペの整備です。これは、社会局での事業です。そして、このキンダークリッペを学校局の傘下にいれようという計画があります。しかし、この計画に対して、社会局やクリッペの現場では反対しているそうです。
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 今回は見なかったのですが、最近試みているのは、キンダークリッペと、キンダーガーデンを同じ施設で同居しようというものです。日本での「認定子ども園」と同じです。もしまた来年ドイツに行くようでしたら。その施設を見せてもらうことを約束しました。
世界ではいろいろな保育が提案されています。
マリア・モンテッソーリは、医師時代の障害児との出会いをきっかけに、子どもを観察することによって子どものさまざまな姿を発見しました。それまで子どもは、大人によって育てられる「受け身」の存在だと考えられていましたが、モンテッソーリの観察によって、「子どもはその時期その時期に身につけるべき発達の課題とうまく出会う環境さえ整えられれば、自ら育っていく」存在だということがわかりました。
 レジオの保育についてこう書かれています。
「日本の幼稚園の制作と違うのは、「子ども主体」であることです。あくまでも制作の内容や目的などは子ども達の発想によるものなのです。ですから、完成時期もそれぞれに異なりますし、こういったこと以外にも「子ども主体」の保育がされています。」
 その形態について、「レジオのクラスでは混合クラスが主流で、年齢の上の子ども達は、下の子どもの世話を見ることが出来ます。ジャケットを着させてあげたり、靴をはかせたり、あれこれとマナーを教えることが出来ます。下の子ども達は上の子ども達に見習いながら、マナーや言葉の能力など早く覚えるようになります。今度彼らが上の立場になったときには、同じことを下の子どもにしてあげることができます。」
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そのほかにも、オールタナティブと呼ばれるようなシュタイナーやフレーベル、さまざまな保育があります。今回、ドイツに行って感じることは、各国で提案されているそれぞれの保育のよいところを取り入れ、ドイツ独自の保育を作り上げていることです。しかし、それらの保育にそれぞれの特徴や違いはあるものの、どの保育についても共通のとこはあります。それは、どこでも、子ども本来自ら育つ力を持っており、それが育つために環境を用意すること、子どもを主体的に捉えること。子どもの選択を大切にすること、そして、そのために子ども集団を柔軟的に考え、生年月日による均一的な発達として捉えないことなどです。
 各国が参考にするような日本の保育があるでしょうか。どの国でも共通するべきところでさえ、怪しいものです。
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(今回の報告に当たって、子どもの写真はなるべく写りの悪いものとか、後ろ向きを使ったので、見にくいかもしれません)

投稿者 fujimori : 23:22 | コメント (4)

2008年06月29日 研修

ドイツ報告5

 今日、ドイツから成田に帰ってきました。と言っても、時差の関係で、ミュンヘンを飛び立ったのは、土曜日の午後ですので、このブログを書き始めたのは土曜日の朝でした。
 ツアー最後の見学は金曜日でした。午前中の見学先は、初めて訪れる「キンダークリッペ」という社会局の管轄である0歳児から3歳児までの園です。ドイツでは、キンダーガーデンという3歳から6歳児までの施設と、最近0歳から6歳までの「コープ」という園の管轄は学校局であり、毎年このツアーをコーディネートしてくれるのは学校局ですので、キンダークリッペを見るのはとても珍しいことです。
 今回の見学先の園は、定員が63名で、毎年の入園可能数が25名に対して入園希望者は500名ほどいるそうです。年齢的には低年齢児だけですが、事情や内容は日本の保育園に似ているものがあります。待機児が多く、ミュンヘン市では、2013年までに定員を2000人増加する計画のようです。それに伴って、保育士もかなり増員しなければなりません。たぶん、場所の確保も問題ですが、どうするのでしょう。日本では、乳児一人あたり3.3㎡、幼児一人あたり1.98㎡が最低基準として決められていますが、ミュンヘンのキンダークリッペでは、寝室として一人あたり2㎡、遊ぶ場として一人当たり3.5㎡、合計5.5㎡が最低基準のようです。
 この施設では、コープなどと違って、食材や食育も大切にしています。ですから、ほとんど冷凍食品のキンダーガーデンと違って、出来るだけ地産地消の食材を使い、すべての料理は手作りで、アレルギー児にも対応しているそうです。多いアレルギーは、ミルク、トマト、魚だそうです。清潔そうで、働きやすそうな調理室ですが、私たちの見学のための立ち入りは自由ですし、床は土足で、日本とは感覚が違いますね。
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 同様に日本と違う感覚なものに、水遊びがあります。まず、キンダーガーデンを含めて、夏の日本の園の定番であるプールがありません。もしプールに入る場合は、業務委託で、希望者だけ費用を払って週1回連れて行ってもらうそうです。乳幼児期は、泳ぐことができるようになるというよりも、水と楽しくふれあい、感触、科学を体験するために水遊びをします。しかし、驚くのは、この写真の右側のほうの子が、その水を飲もうとしています。他の子でも、チューブから水を飲んでいた子がいました。しかし、保育者は止めようともしません。後の質問で、「水の中に薬か何かを入れないのですか?」の答えに、「何かを入れるときは、意図するときです。」と言ったのは、私たちの質問の意図が伝わらず、泡などの体験をさせるために、泡が立つものを入れることがあるということで、塩素などによる消毒という概念はないようです。
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 また、ドイツの園の園庭は、芝生が敷き詰められ、大木が多く、広々としているのですが、植物と同時にどの園にもあるのが大きな石です。この3歳までの乳児園でも、園庭の中心に大きな石の山がありました。その石の山の頂上から水が出るようになっていて、その水が石の間を縫って流れ落ち、下の砂場に流れ込みます。この石の山に、まだ歩くのもおぼつかない乳児一人で登って行きます。「危なくないのですか?」という質問に、「最初は、職員がみんな危ないのではないかと反対しましたが、様子を見ていたところ、子どもは、自分の能力に沿って登り方や、登る場所や、高さを調整しています。ですから、そのまま見守ることにしたところ、5年間一度も事故はありません。」
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 そこには、保育者の話し合い、理念、目指す保育があるだけで、保護者の苦情によってなどという言葉は出てきませんでした。

投稿者 fujimori : 11:51 | コメント (4)

2008年06月28日 研修

ドイツ報告4

 ミュンヘンには、オペラハウスをはじめとして、多くのコンサートホールや劇場や、博物館などがあります。中でも有名な美術館にノイエ・ピナコテークというゴッホのひまわりの絵があるところがあり、一昨日は、週1日だけ夜まで開館しているということで、幼児施設見学が終わって夕方5時からみんなで見に行きました。また、今回は時間がとれずに行けなかったのですが、いつもはオペラを見に行く参加者もいます。オペラや劇を見るときに、その質の高さを感じるのは、もちろんそれを演じる人が重要ですが、その演技を際立たせるような舞台という「空間」が重要です。そして、その舞台での演技をより具体的に表すための大道具や小道具という「もの」も重要です。それらの質の高さが、そこで演じられる内容を高めて行きます。そこで起きる出来事が観客の心を動かして行きます。
 建物が保育するというのは、どのような舞台を用意するかということに似ています。そして、園長は、その舞台の演出家であり、ディレクターでなければなりません。もしかしたら、デザイナーかもしれません。それには、演目をよく知り、演じ手をよく知らなければなりませんし、舞台を照らす照明や、音響や、色彩を計画しなければなりません。
このように、保育にも建物の外部の景観、内部の照明、色彩、空間構成などが重要な要素として必要になってきます。このことをきちんと実現している園の見学を昨日しました。それは、オーストリアのザルツブルグにあるシュタイナー園です。
 ミュンヘンの町のなかにある多くの建物の玄関のドアはとても大きく、いかつい色、四角に縁取られていますが、ここシュタイナー園では、やさしく子どもを包み込むかのような緩やかな曲線に形作られた入り口になっています。それは、曲線で形作られている自然界をあらわしています。
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中に入ると、独特の色使いである壁は、一昨日、美術館で見たモネの睡蓮の絵のようです。
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その色使いは、階段の壁面や保育室の壁だけでなく、普通は子どもの写真やマークで自分の場所をわかるようにする靴箱や、ロッカーのしるしのところにも丁寧に絵が描かれており、トイレのマークまでこだわった色使いの紙を使っています。
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このように空間演出をきちんとした理念の下に行うことの大切さ同様、その空間に置く「もの」もきちんと吟味をしなければならないのです。その点においても、昨日見学したシュタイナー施設は「もの」一つ一つに意味があります。
 例えば、ごっこをするときに、使われるであろう人形の顔は、目鼻がついていないことが多く、もし、ついても人形の表情を示すほどではないくらい小さく、目立ちません。それは、子どもたちの感情を人形に投影しやすいような配慮です。
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また、子どもたちが様々な表現活動をするための素材も自然界のものが多くあります。
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私は理念としてシュタイナー教育を知っているわけではありませんが、その理論よりも感情や意識を建物や空間、色使い、照明、そこに用意されたものなどから感じることが出来ます。見学に訪れた時間帯は、すでに子どもたちの大半が帰った後でしたが、この大きな空間が子どもを包み込んで、保育しているだろうということが容易に推測されます。
 世界遺産に指定されているザルツブルグの旧市街の町並みを歩いていると、その町という空間の中を人が歩き、その空間で人が生活していることを感じます。

投稿者 fujimori : 07:07 | コメント (5)

2008年06月27日 研修

ドイツ報告3

 昨日の見学先は、午前も午後も「コープ」と呼ばれる施設です。「コープ」と呼ばれるコーポレーションとは、バイエルン州郡ミュンヘン市学校局指導の下に作られている0歳児から就学前の子どもを預かる施設です。
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いわゆる3歳以上児を預かるキンダーガーデンを管轄している学校局が0歳児から預かる施設を作ったということです。ドイツでは、0歳児から3歳児まで預かる施設として社会局が管轄するキンダークリッペという施設があるのですが、その施設をコープのように学校局の傘下に入れようという動きに対して、社会局の人たちは反対しているそうです。「子ども園」を進めようとしている日本とまったく同じようなことが起きていますね。
 午前中見学したコープは、1998年に設立された生後9週間の乳児から就学前幼児までの子どもがいる、外観に描かれている絵の通り「ちょうちょう」と呼ばれている園です。園のしおりの序文の1節「建物の外壁は『建築物への芸術』という名の下にコンテストを行い、選ばれた芸術家ステファニー氏の手によるものです。外壁を覆う木材の青色は、芸術的な提案により、きらきら光る、銀色の蝶々によりデコレーションされています。
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ステファニー氏は更に園の入り口に、合計30匹の様々な種類の蝶々と蝶々が絡むえさとなる植物を、色筆で描きました。彼女の、建物正面から室内、そして外の領域までにいたるコンセプトは、幼少時から動物や植物と共生するという思想上のコンセプトに見合ったものでした。
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建物の構成は、人間が観察し、知識を得、自分の経験を通して、当たり前のようにここの仲間に入ることが出来ることを象徴しています。同じように、庭造りにおいても、蝶や青虫、賀などが集まってくるように餌場を配しており、それを通して子どもたちに自然の生命たちがどのように成長していくのか、1例を示します」というくだりは、3番目に建物が保育するという考え方が裏づけされています。ただ、面白そうな、斬新的な建物ということでなく、どのような保育を目指し、建物という空間の中で子どもたちのどのような活動が成されていくかをきちんと見ていく環境の作り方は素晴らしいですね。
 これらの建物に生命を与える存在として、136名の園児と26名のスタッフが共存の経験と、価値を発展させ、根付かせていくという考え方を持ちます。幼稚園を創設したフレーベルによって名づけられたキンダーガーデンは、まさに子どもの庭という空間であり、建物、その色彩まで意味を持たせたシュタイナー学校にもその精神が感じられます。初めて見学した人に強い印象を与える色彩、室内装飾も、教育的に意味のある働きかけをするものとして計画されます。この気持ちのよい雰囲気の中で、子どもたちは守られていることを感じ、豊かな社会的なコンタクトや発見する学びが促されると園のしおりにあります。
 次に、コープの特徴は、0歳児から6歳児まで異年齢で生活をしていることです。これについて、しおりには、「小さな子どもたちは大人からの援助を受けるだけでなく、年上の子達からも助けてもらえる。これは過小評価することの出来ないことである。子どもは、大人と他の子どもたちの二つの側面から成長の度合いを認められ、大きい子たちは小さい子を迎え、その子たちのリズムを考慮する。そして、任せられた責任を喜んで引き受け、毎日の生活の中で、小さい子たちを助けてあげる」とあります。
 午後は、建設省の建物に囲まれ、そこで働く人の子どもたちのために定員の30%余りが用意されているコープを見学しました。この園のテーマは、ジェンダーフリーでしたが、男性保育者が一人もいないことに、ちょっとがっかりしました。
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投稿者 fujimori : 05:55 | コメント (4)

2008年06月26日 研修

ドイツ報告2

 ドイツを訪れての研修は、参加者の第一印象は、とてもハードな研修だということです。それは、日程のほとんどは、乳幼児施設見学があり、夜は毎晩1日の振り返りによる研修があるからです。しかし、その日程の中で、1日だけ参加者がフリーな夜があります。それは、私がミュンヘン市の教育局の統括責任者のグレッチェさんに食事を招待されるからです。今年は、ほかに二人誘ってもいいということで招待を受けました。昨日の見学が17時頃終わって解散した後、少しおもちゃやさんや本屋さんを見て歩いた後、約束の7時までに指定された場所に行こうとタクシーに乗りました。住所を提示し、運転手さんはナビを見ながら現地に着きましたが、どう周りを見渡してもレストランらしい店は見当たりません。しかし、住宅街にひっそりと素敵なレストランがあることがあるので、そんな店だろうと思って住所の場所に行ってみると、そこは、グレッチェさんのご自宅でした。玄関で出迎えてくれたご主人と挨拶をして中に入って、部屋を突っ切り庭に出てみると、そこに食事の用意がしてあり、庭の向こうでご主人が肉を焼きはじめました。いわゆるガーデンパーティーです。なんとも、優雅な気分になりました。
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 その夜の会話の中で、グレッチェさんが、「一級の保育者が第一に保育し、二級の保育者(これは、保育助手のような資格)が第二に保育し、三番目に保育するものは建物である」と言いました。そのように、ドイツではとても建物が保育の質に影響すると思われています。昨日の見学先は、午前中に見たところも、午後に見たところも重要文化財として保存されているところでした。午前中の建物は、音楽学校と併設されており、一時は、保育者研修所としても使われていたところです。
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午後の見学先は、もと小学校として使われていたそうです。そういえば、昨年の見学先に、もと大衆浴場だったところがありました。このようにドイツでは、古い建物を改装したりしてキンダーガーデンにしたところが多くあります。
 そのほかに多いのは、遺言で幼児施設として使って欲しいと寄付された建物が多いそうです。なかには、狭すぎたり、使いにくい空間であったりすることもあるようですが、それを上手に改装し、古い建物を上手に活かしています。
 それらの見学先で、やはり参加者の気になるところは、怪我に対する保護者の苦情です。というのは、日本ではたぶん危ないと注意されるであろう箇所が多いこと、手すりなどの内側に子どもが登れる椅子が置いているなど危険防止のための配慮されていない箇所がずいぶんあるからです。そのために、保護者は怪我をさせることに対して、苦情を言わないのかという問いに対して、やはり苦情はあるそうですが、それを受けて未然に防いでしまったら、子ども自らの危機回避能力がなくなるから、怪我を余り恐れないということでした。これは、建物が保育するということのひとつの例でしょう。
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 また、今回も驚いたことのひとつに保育者の子どもへのかかわり方です。これも何度かブログで書きましたが、園庭で遊ぶ子等は、今の日差しが強い中でも、日向で遊ぶ子が多いこと、その子が帽子をかぶっていないことが多いこと、保育者が傍で、りんごをまるかじりしたり、お茶を飲んでいたりしていて、それほど子どもと一緒に遊んでいないことが多いことにびっくりします。
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投稿者 fujimori : 05:37 | コメント (4)

2008年06月25日 研修

ドイツ報告1

 昨日のドイツ研修では、午前9時から12時まで1箇所見学、午後2時から4時まで1箇所見学をし、夜の報告研修会を2時間行いました。
 昨日の見学先は、3歳児から6歳児までのいわゆるキンダーガーデンと呼ばれる施設です。午前中の見学先は、インクルージョンがテーマの園で、障害児を含めた統合保育を行っているところで、午後は、ダンスに力を入れている園です。
 朝早く訪問したのは、朝の集会(お集まり)を見せてもらうためです。時間になると3~5歳児が円形にお集まりをはじめます。欧米では、子どもの集会を行うときには、ほとんど円形に集まります。それは、全員の顔がお互いに見えるからです。大人でも、ワークショップを行うときには円形に集まることが多いです。この日の課題は、近々行われるサマーフェスティバルでの役割を決めることです。子どもたちは、そのときに、太鼓をたたく役割、火の踊りを踊る役割、ベリーダンスを踊る役割など三つに振り分けます。
 そのようなときの方法は、必ず、子どもの意志で決めさせるということです。1日の保育の流れは、ほとんど子どもたちが何をやるかを決めることになっています。まず、保育者が、表情豊かにそれぞれの役割を演じて見せます。そのあと、自分自身で石ころに装飾したものを持って、真ん中におかれたそれぞれの役割の小道具のところに、自分のやりたい意思を、石を置くことで表します。(しゃれではありません)ほとんどの子が太鼓の場所に置いていましたが、その調整はどうするのでしょうか。
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 このような自分の決定権は、すべてのものの中で行われます。例えば、保護者へのダンスの発表会で、エンデの時間泥棒「モモ」を演じたダンスの映像を見せてもらいましたが、どのような子が演じているのかというと、年長児は全員義務だそうですが、その他の年齢の子達は、演じたい子が参加するそうです。その振り付けも、基本的には場面ごとにどんな表現が適当かを子どもたちから出してもらい、その振り付けにあった音楽をあとから選ぶそうです。音楽を保育者が決め、その曲に合わせて教えられたダンスを必死に覚え、それを披露する日本の発表会とはだいぶ違うようです。ただ、この中で、どうしてもこのような太鼓を使わせたいとか、このリズムを体験させたいということが保育者の中にある場合は、子どもたちがそれを選ぶような誘導をすることはあるようですが、そこまでのステップは、マニュアルがないようで、その質問には答えることが出来ず困っていました。
 このように、見学先でよく聞く言葉の一つが「子どもの選択」です。日本でも、「子ども主体」という言葉をよく聞きますが、同時に「保育者の主体」も行われている気がしますが、こちらでは、徹底して子ども主体です。外でバルーンを使っての保育を見たときにも、「この子達はやりたい子が集まっているのです」という保育には、障害児が入っていても気がつかないほど自然に行われている姿が見えます。
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 これを一歩進めたのが評価です。昨年、ドイツに来たときに各園の玄関に掲示されてのが、親の保育に対する評価でした。それが、今年どの園にも掲示されていたのが、子どもからの評価です。
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3歳児から行うそうで、園が好きか?から始まり、どんなときにいやになるか、どんな先生が好きで嫌い家などの項目が並びます。「ストレスが溜まっていたり、いやな顔をしながら保育する先生は嫌い!」という評価は、当然ですね。

投稿者 fujimori : 07:20 | コメント (4)

2008年06月24日 研修

ドイツの少子化対策

 ドイツでの少子化対策がなかなか成果が上がらないのは、国の金銭的援助よりも託児サービスの充実が遅れているという点のようです。日本同様に公立保育所(これは、日本で言う公立保育園ということではなく、公的資金援助を受けている園というような意味で、その職員は、必ずしも公務員ではないようです)は待機児が多く、民間の保育所は空いていても、保育料が月1人900ユーロもかかるようです。また、労働局のウェブサイトからベビーシッターを頼んでも、月1000ユーロかかるようです。ですから、仕事との両立は子どもを預かってくれる祖父母が身近にいるかにかかっているというように日本と同じ状況です。
  もうひとつ、日本同様な状況に、「子育ては母親が一番」という風潮がまだ占めていることもあるような気がします。ドイツでの知り合いの方が、3月に三年間の育児休業があけて働き始めたのですが、何で3年間も育児休業を取ったかというと、それよりも早く職場に復帰すると、「よほど財政的に大変なんだね」といわれてしまうからというのも大きな理由だそうです。職場の観点からみると、早く職場復帰を果たす理由に、企業側から、専門職の女性が育児で職場を離れることになると、その補充要員の雇用に伴うコストの高くなるということと、親の立場から、めまぐるしく変化する企業環境の中で、専門知識をフォローアップできず、遅れを取り戻せなくなる危険性があるとするだけでなく、子どもにとって少子社会においては、乳児から子ども集団体験も必要であるということを社会的に認知してもらう必要がある気がします。ただ、今の日本のように、10時間も、12時間も園に預けざるを得ない社会はおかしいと思いますが。
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  北欧4カ国は合計特殊出生率1.7以上と欧州で最も高いレベルにあります。マックスプランク人口研究所の調査報告書(04年)によると、北欧の共通点は、託児および育児インフラが充実していること、仕事と育児の両立を援助する政策方針がとられていることだとしています。この両立援助は父親も対象としています。結果的にどの国も女性の就労率が約80%(20、30代)と高く、例えばデンマークでは1~3歳児の親の8割が保育所を利用しており、育児か仕事かの二者択一の必要がない環境にあるようです。
ですから、私たちがうらやましいと思う「親手当て」は、余り効果は期待されておらず、ドイツ経営者連合は、託児施設の整備を優先するべきだとしています。そこで、保育所増設計画が始まりましたが、以前のブログでも書きましたが、早くから子どもを預けることに対して、反対は多いようです。ドイツ南部のカトリックの司教が、女性が出産直後に職場復帰を果たさなければならなくなるのは、女性から育児の機会を奪うことになり、「女性を『産む機械』におとしめるものだ」と批判したことは以前に書きましたが、この発言は、出産・育児をめぐる女性の役割へと議論を巻き起こしているようです。「シュピーゲル」(電子版)誌では、ドイツ社会に根強く残る「育児は女性の仕事」という伝統的な性役割認識を改める必要があると主張しています。女性が各分野で活躍している国は出生率も高いとして、アイスランド、スウェーデン、ノルウェーを取り上げ、これらの国では仕事と育児を両立できる環境が整備されていると指摘しています。
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 しかし、私はもっと、子どもにとっての乳児保育の研究を進めて欲しい気がします。やはり、女性は出産をする体であり、育児は母親の役割が大きい気がします。だからといって、母親だけで育てればよい訳ではありません。また、社会は、権利ではなく、男女両性がいてこそ作られていくものです。少子化は、育児のあり方、社会のあり方を問う問題です。

投稿者 fujimori : 06:05 | コメント (4)

2008年06月23日 研修

ドイツの少子化

 今回のドイツでのホテルは、珍しくネット環境が良いので、ブログでドイツ事情を報告しようと思います。今日は、まだ着いたばかりなので、見学先の報告はありませんが、ドイツの少子化について書きます。
各国が少子化対策をしているのですが、そのやり方は必ずしもわが国でも行えばいいのではないような気がします。なぜかというと、微妙なところで、子どもを生まない理由が違うからです。それは、その国の歴史や風土にも関係しているからです。ただ。おおむね傾向は似ているので、参考にはなります。
ドイツで高学歴の女性ほど子どもを生まない傾向があることは、日本でも同じような傾向があります。それは、ドイツでは、かなり多国籍の人が住んでいるからです。といって、多国籍の人が低いということではなく、まだまだ、その人たちを支援する体制が取れていないこともあるようです。ですから、ただ「産めや増やせ!」ではなく、将来専門能力をもつ人材の不足が懸念されるというように、どのような人材を今後確保するかという視点もあるということでしょう。そのひとつが、「親手当て」です。
Elterngeld (=親手当て)については、「Harenburg Aktuell 2007」にこのように書かれてあります。
「2007年1月1日以降に生まれた子供に適用される。親が育児のために休職する場合、または週30時間以内のパートタイム勤務をする場合、産後一年間にわたり所得に応じた金額を受給できる。受給額は月1800ユーロを上限に育児休職前の手取り所得の67%。パートナーが追加的に2カ月休職または週30時間以内の時短勤務をする場合、また片親しかいない場合は、支給期間が14カ月に延長される。失業者や無収入者には300ユーロの定額支給」
この制度についてドイツミュンヘンの教育委員会の局長さんに聞いたところ、その意図をこう話していました。今までは、親が自分の下で3年間育児を出来るように3歳まで育児休業が取れました。しかし、近年、少子社会では、OECD(経済協力開発機構)のECEC(乳幼児期における教育と養護)ではありませんが、乳児保育の重要性が見直されてきたのです。それは、乳児にとってもある時間、子ども集団の中での育ちが必要ではないかということで、少子社会では、家庭で3歳まで育てられるとしたら親子関係でしかなくなってしまうから、育児休業を減らして、その代わり1歳までの育児休業を手厚くするのだと言っていました。もちろん、これは教育委員会での見解であり、国としては女性の社会進出、育児つぃごと両立支援ということからもあるでしょう。
その流れから、数年前からキンダーガーデンといわれる幼稚園では、0歳から子どもを預かる施設が急激に増えました。そして、そのほかには、産休中の所得保障はドイツが100%、日本は60%。児童手当はドイツが子供1人月額154ユーロ(ほぼ26000円)に対し、日本は5000円。給付期間は、ドイツは原則学業修了までで、最長25歳までですが、日本は小学校修了までで、しかも、高所得者は対象外です。さらにドイツでは昨年、年間1人4000ユーロを上限に託児費用の税控除制度が導入されました。
しかし、それでもなかなか少子化は解消できないようです。日本と同様に、産まないのは、ただお金の問題だけではないようです。OECDの研究では、金銭的援助より託児サービスの充実度が出生率に与える影響力が強い、という結果がでています。もちろん、この充実は、数の問題だけではなく、質の問題ですが。

投稿者 fujimori : 05:07 | コメント (4)

2008年06月22日 研修

ドイツへ

 私は、毎年ドイツのミュンヘンに行っています。昨年もその研修報告を現地からお送りしました。しかし、毎年心配なのは、現地でインターネット環境が整っているかということです。毎年行っていると、その日進月歩のごとくその環境は整備されていると思いますが、印象としては、日本ほど進んでいません。日本は、携帯電話にしても、ホテルでのネット環境は年々整えられていますが、ドイツでは意外とそうでもありません。ですから、出発前に心配なのです。
 しかし、幼児教育、学校教育への取り組みは年々新しいものが見られます。特に、毎年同じ都市を訪ねて、じっくりと園や学校を視察してみると、新しい流れが見られます。それは、欧米の先進国といわれている国々に共通して見られることです。逆に日本では、なかなか変えようとしません。極端なことを言えば、明治時代に視察に来た人が、最近もう一度学校をたずれたら、たぶん変わっているのは、前のほうにあった一段高くなっている教壇がなくなっているくらいでしょう。
少子化は、先進国家に共通して見られる現象です。少子化が将来国家として大変になるという実感はどの国も同じようで、様々な施策を出しています。これは、日本でも同様です。そして、欧米では、保育、教育内容を見直して行きます。ですから、昨年よりも今年は、このように変化をしてきて、これからどのようにしようとしているのかが、わかります。日本でも、ここで、保育所保育指針と幼稚園教育要領の改訂が行われました。それに伴って、どのように現場が変わっていくのでしょうか。特に、保育所は、指針がガイドラインから最低基準として大綱化になったことで、それぞれの園がどのような創意工夫のある保育を展開するでしょうか。
ドイツ連邦統計庁によると、2006年の新生児出生数は約67万人で第2次大戦後最低を記録しました。特に旧東ドイツ地域では社会主義体制の余波で経済成長が遅れ、旧西ドイツ地域に流出する若者が続出しています。東側では90年代、合計特殊出生率が0.7~0.8台と危機的水準に達しました。06年には1・30(旧西側は1・34)まで回復しました。特に、西部デュッセルドルフや毎年私が訪れている南部ミュンヘンなど一部の富裕都市では、逆に出生数が増加しました。それによって、経済格差が少子化に反映する状況が浮き彫りになりました。
少子化は先進国共通の悩みですが、中でもドイツと日本は少子化の指標である出生率が際立って低いレベルです。同じ欧州でもフランスや北欧などが出生率を持ち直す中、世界で最も低い部類に属しています。このため、連邦政府は人口減に歯止めをかけようと、今年から少子化対策として、従来の「Erziehungsgeld(養育手当)」に代わって新たな子育て支援制度「Elterngeld」(親手当)を導入しています。親手当とは、生後間もない子どもの世話のために休職する親の収入損失を補うものです。原則的には産休前の手取り所得の67%が補償されます。従来の養育手当では、手取り年間所得が両親合わせて3万ユーロ以下の比較的低所得の人を対象とし、額も一律月300ユーロだったのに比べて、新制度は高所得者にも受給資格を与える上、高所得者ほど金額が高くなるという、公的年金や失業手当と似た仕組みです。
このような制度改革と同時に、保育内容はどのような変化をしているでしょうか。

投稿者 fujimori : 10:20 | コメント (4)

2007年11月13日 研修

授業のリーダー1

 先日、主任セミナーのときにリーダーシップというものを考えてみました。そのときにその質について考えましたが、そのスタンスのあり方は、近年変わってきているように思います。先日、オランダのイエナプラン教育シンポジウムが、JAS(イエナプラン・アドバイス&スクーリング)という、現職教員のための研修・コーチングサービスを専門に行っている私企業の共同経営者2名とアドバイザー1名によって行われました。解説・日本語通訳は、日本にイエナプランを紹介した書籍を書いたリヒテルズ直子さんが担当しました。その中で、ほんの少しの時間ですが、私がコメンテーターとして、コメントと質疑をしました。そのシンポジウムでは、写真を含めたスライドと、ビデオで「イエナプラン教育とは何か」「イエナプラン教育の学校空間:生と学びの共同体のための環境」「イエナプラン校の実際」というテーマで行われました。その中でのコメントで、とても面白いフレーズがありました。「皆さん、この写真で何が見えますか?先生が立っていますね。この先生は何をしているのでしょう?そう、彼は手をポケットに入れています。それでも受身ではないでしょう。少し前に傾いた姿勢で、何かに目を向けていますね。彼は明らかに子どもたちと子どもたちがしていることを興味深く見ています。これは、ヤン・リヒトハルトという有名なオランダの教育家です。よい学校では校長は何もしません。先生が少し、そして、子ども達が何でもやります。学ぶのはやさしい。記憶するのは大変です。しかし、手綱を緩めるのが一番難しい。」また、別の写真を見ながらこんなコメントを言いました。「協働することを子どもたちは学ばなくてはなりません。それは自然にできることではありません。学校はそれを学ぶために場所としてますます重要になってきています。学校以外ではどこでそれをまだ学べるでしょうか。家族はだんだん小さくなり同じ趣旨を持つ人が集まって何か活動をする機会も減ってきています。私の子どもたちはますます多くの時間をコンピューターの前で過ごすようになってきます。昔なら友達と外で遊んでいた時間が、今はコンピューターに割かれています。けれども、協働するということは共に生きるということのための練習でもあるのです。私たちはお互いを必要としています。もっと言えば、他の人がいなかったらあなたは今のあなたでありえないのです。人は互いを必要としています。だからこそ共に生きなくてはいけないのです。」(リヒテルズ直子訳)このような理念の下、イエナプラン教育では、子ども達同士の学び合いが中心になります。教えることこそ最良の学びであるというのです。先日、テレビで学力が日本でトップだった秋田県の試みを放送していました。その秘訣の1は、インターネットの活用です。これは、子どもたちがインターネットを活用して、様々な課題に取り組むことかと持ったら、そうではなく、定期的に教育委員会からインターネットを通じてワークが送られてくるものをプリントアウトして、子どもたちにやらせるというものです。秘訣その2は、教師の教育力です。教師が子どもを前に一斉に教えるテクニックを学んでいきます。その3は、家庭学習の充実です。子どもたちは家でワークに自ら取り組んでいます。この実践はとても感心しますし、一生懸命で頭が下がりますが、ここにはどこにも子ども同士の関わりの中から学ぶ姿はありません。テストというペーパーでの学力は確かに上がるでしょうが、将来、子どもに必要な力はどうなのでしょうか。

投稿者 fujimori : 23:36 | コメント (5)

2007年06月27日 研修

龍踊り

 今日から3日間、長崎で第50回全国私立保育園研究大会が行われます。長崎といえば、昨年4月から10月まで7ヶ月間にわたり、日本で初めてのまち歩き博覧会「長崎さるく博“06」が行われたところです。私も妻とこれに参加をし、何回かブログにも登場しました。このイベントは、なかなかよい企画だと思ったのですが、やはり好評だったようで、今年の4月から年間を通して「長崎さるく」として楽しめるようになっています。この「さるく」とは長崎の方言で「ぶらぶら歩く」ことを意味していますが、長崎には歩いてみるところが町全体にずいぶんとたくさんあります。長崎のもつ独特の歴史や文化があり、そのせいかわかりませんが、今回の大会参加者も全国から2500人も参加しています。今日の午後のシンポジウムに、数日前のブログで書いた、オランダから来た、リヒテルズ直子さんと一緒にシンポジストとして参加しました。その前に、オープニングとして「龍踊り(じゃおどり)」がありました。これは、長崎くんちに奉納する踊りとして伝わってきました。長崎くんちは、地元では一般的に「くんち」と呼ばれますが、長崎県長崎市のお諏訪様(諏訪神社)の祭礼で、敬意を表し、年配者や商売人には「おくんち」という人もいます。10月7日から9日までの3日間催され、いまは、国指定重要無形民俗文化財に指定されています。「くんち」には「宮日」「供日」という字があてられることが多いですが、その名称は旧暦の重陽の節句にあたる9月9日(くにち、九州北部地方の方言で「くんち」)に行ったことに由来するという説が有力だそうです。この「おくんち」は、博多おくんち(福岡市櫛田神社)、唐津くんち(佐賀県唐津市)と並んで日本三大くんちと呼ばれています。この祭礼には、この踊りのほかに「鯨の潮吹き」「太鼓山(コッコデショ)」「阿蘭陀万才(おらんだまんざい)」など、ポルトガルやオランダ、中国などの影響を受けた南蛮、紅毛文化の風合いを色濃く残した、独特でダイナミックな奉納踊りが特徴です。
 古来より中国人は正月十五日を「元宵節」といって「舞龍灯」(wu long deng=龍の踊り)でその年の最初の満月を祝い、五穀豊穣を祈る雨乞いの神事を行う習慣がありました。今も世界中のチャイナタウンでこの文化習俗はうけつがれています。その龍踊りは、日本では長崎市の歴史が一番古く、江戸時代、鎖国政策の中、長崎に唐人屋敷を作り、中国の人たちの居留地として日本と中国の文化交流が行われました。そこの「唐人」たちに、この屋敷に隣接していた本籠町の人たちが、「舞龍」(wu long=龍のおどり)を受け継いだものです。中国人にとって、「龍」は自らを「龍的伝人」(long de chuan ren=龍の子孫)として「トーテム」(祖先)と位置付けて来ました。伝説の「四霊」(si ling=他に麒麟・鳳凰・霊亀)の1つで中国人にとって最も大切な「瑞獣」でもあります。ですから、何か祝い事があるとこの「龍」を使って舞うという習俗が古くからあるのです。2000年前の漢代の書物にはもうすでに「舞龍」の記載があるそうです。
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オープニングは、この龍踊りで始まったのですが、銅鑼(風)、太鼓(雷)、龍声ラッパが鳴るなか、龍衆によって操られる龍が、金の玉を追いながら登場しました。そのあと舞台の上で、ある時は怒涛の様に激しく、ある時には凪の様に静かに、生き物の様に踊る迫力と踊動感には、会場内の参加者から大きな歓声が上がりました。
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踊りは、龍が月を飲み込み、闇夜にして雨を降らすさまを表現しています。このブログのタイトルも龍に関係しているので、とても興味深く見ることができ、少し感動してしまいました。
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投稿者 fujimori : 23:44 | コメント (3)

2007年06月24日 研修

保育施設

 今日は、聖徳大学で行われた「生涯学習フォーラム」の分科会に参加しました。参加した分科会は第2分科会で、「子どもの育ちと生活空間」というテーマでのパネルディスカッションです。私のほかのパネリストとして、日本女子大学名誉教授の「小川信子」氏と、二葉すこやか園(二葉幼稚園・二葉保育園)園長の「大竹節子」氏です。小川氏は、もともとは日本女子大の家政学部を出ますが、建築事務所勤務を経て、東大の建築学科吉武研究室研究生として、研究者と設計計画者として活躍していました。その後43年間に渡り、保育所を中心に設計も手がけています。私も少し設計をかじったので、小川氏の設計された施設を学んだり、その園に見学に行ったりしました。また、小川氏は、20年余り前にスウェーデン王立工科大学の客員研究員でもあったこともあって、最近、「子どもの生活と保育施設」という本を障国社から出され、今日は、その本をいただきました。北欧は、このスウェーデンをはじめとして、学力が高いことで注目されているフィンランド、ノルウエー、昨日のブログのリヒテルズさんが紹介しているイエナプランのオランダやワークシェアリングの代表的実践国といわれるベルギーなど、とても成熟していく国々です。このなかで、スウェーデンにおける保育施設計画の立案に一貫して流れる共通の問題が書かれています。「個人の自立を重視する拠点を確保」「国での生活における保育内容を、その生活行為別に受け止める空間の確保」「小集団から広がりのある人間関係が作れるような空間計画」「個人の生活が守られるように自由行動が出来る場の確保」「地域社会とつながりを持った施設作り」の5点です。これを解釈してみると、とても面白いものが見えてきます。まず、第1に掲げられていることは、最近のどの国においても課題である「自立」です。日本でも平成15年に出された「学校施設整備指針の改訂について(幼稚園編)」の中でも、第2節「幼稚園施設整備の課題への対応」での第1の課題は、「幼児の主体的な活動を確保する施設整備」と書かれています。そして、その1として「自発的で創造的な活動を促す計画」をするように言っています。これは、このような施設を作ればよいというわけではなく、そのような保育をする必要であるということなのです。しかし、その具体的な環境は、スウェーデンのほうが優れている気がします。日本では、「その際,幼児の遊びの場を十分に確保すること」とか「小グループや一人一人の特性に応じた活動を可能にする多目的な空間を計画すること」とか「保育室と遊戯室や図書スペース等の連携に配慮すること」などが提案されていますが、これらがどうして自発的な活動を促すようになるのかが見えてきません。その点、スウェーデンでは、次の項目を見るとよくわかります。「保育内容を、その生活行為別に受け止める空間」とあります。これは、いわゆる「コーナー」と呼ばれているものです。それとか、ゾーニングと呼ばれている計画です。主体的な活動とは、子ども自ら環境に働きかけ、自ら活動することです。簡単に言うと、子どもがこんなことをしたいと思い(意欲、動機)、それを実現しようとすることが実現できるような空間、やりたいと思うことを受け止めるような空間を用意するべきだということです。単に、「幼児の遊び場の確保」とか、「多目的な空間の用意」ではない気がします。また、日本の「集団生活をおくる中で,信頼感や思いやりの気持ちを育て…」よりもスウェーデンの「小集団から広がりのある人間関係が作れるような空間」のほうがより保育内容が見えてきますね。

投稿者 fujimori : 20:48 | コメント (2)

2007年04月25日 研修

早期教育

 中国、韓国などでの過熱した早期養育、幼児教育を見るにつけて、ではどうあるべきかを考えてしまいます。たとえば、よく言われるように、「字を覚えるのは小学校に入学してからで大丈夫なので、それまでは、勉強などせずに、元気に遊んでいればよい」ということがあります。しかし、この言い方は少し違っている気がします。まず、「勉強」と「遊び」を並列して考えている点です。同じような考え方に、「勉強の時間」と「遊びの時間」と分けて考えることです。それは、勉強を教科として捉える場合はそういうこともありえるでしょう。また、勉強を「勉めることを強いる」とすればそういう分け方はあるかもしれません。しかし、勉強を「学び」としたときは、その考え方はおかしくなります。しかも、生きていく知恵を学びことが中心である幼児期では、遊びの時間=勉強の時間であり、生活の時間=勉強に時間になるのです。ですから、最初の文の「勉強などせずに、遊んでいればいい」ではなく、「遊んでいることから幼児は勉強をしている」ことになるのです。また、字を覚えるのは小学校に行ってからというのも、少しおかしいと思います。小学校では、まず、ひらがなを50音、濁点半濁点を入れると6~70字ほどあります。カタカナを入れるとその2倍、その上漢字を80字あまり。全部で、200文字以上覚えるのです。大体学校へは、年間200日通学します。その中で国語の授業となると何日あるでしょうか。そうでなくとも、子どもたちは、ほぼ毎日1文字ずつ覚えていくことになります。もし、私たちが、毎日1文字ずつアラビア語を覚えなさいとか、ハングル文字を覚えなさいといわれても無理のような気がします。それを、あの小さな1年生が成し遂げているのです。どうしてでしょう。それは、身の回りに文字がたくさんあり、文字に触れるのは、何も授業中だけ、国語の時間だけではないからです。テレビを見ても、町を歩いていても、電車に乗るときも、小さいうちから文字と触れ合っているからです。もし、一部屋の中だけで育てられているとしたら、いくら机に向かわされて、毎日覚えることを強いられても覚えられるものではありません。しかも、覚えなければならないものは、ほかにもたくさんあるのです。これだけを見ても、幼児にとっての勉強は、ある時間内だけのものではありませんし、教わることだけでもないのです。しかし、いくら遊びが大切であり、遊ぶことから学ぶといっても、たとえば、毎日テレビゲームで遊んでいるだけで学びがあるのでしょうか。ただ、走り回っているだけで学びがあるのでしょうか。それも違います。さまざまな経験が、さまざまな学びを支えているのです。生きていくということは、総合的な営みです。ですから、小学校で「総合的学習」の時間を創設したのでしょう。しかし、教科として総合的学習を位置づけてしまうと、「飛騨地方」がどこにあるかを考えないで、「さるぼぼ」がどんなものであるかだけを覚えることになってしまうのです。飛騨地方に伝わる伝説の人形の「さるぼぼ」から、その地方の歴史を知り、その背景の日本の歴史を調べ、その地方の地理的条件から、日本の地理に興味を持ち、地域ごとに伝わる文化から、自分の住んでいる地域の文化を大切にし、昔の人の暮らしを知ることによって、これからの生きていく知恵を学んでいくというようにどんどん興味関心が広がり、学ぶ意欲がわいてきてこそ、「総合的な学び」といえるのでしょう。今日から長崎で行われている研修の今年のテーマは、そんなことです。

投稿者 fujimori : 23:05 | コメント (2)

2007年02月25日 研修

癒しグッズ(ドイツ事後報告)

 ドイツのおける保育室での工夫の中で、子どもたちに癒しを与えるものは、空間だけではないようです。他にもいろいろと工夫されていますが、そのひとつに「観葉植物」があります。
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 観葉植物は、保育室内だけでなく、いたるところに観葉植物が置かれています。玄関にも、階段にも、トイレに中にも、室内運動場にも様々なところにおかれています。
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 最近の様々なアレルギー症状や喘息、目・鼻・耳・喉の炎症、疲労感、頭痛、神経系障害などの症状を引き起こす主な原因として 室内の空気の汚れが挙げられ、シックビル症候群と呼ばれています。室内環境を見直し、まめに掃除や換気を行うことは勿論ですが、最近は、室内の使う建築材料や家具の選定にも気を使う必要がありますが、空気を浄化する働きのある観葉植物をお部屋に置けば、より効果的だといわれています。植物は光合成により、二酸化炭素を吸収し酸素を排出すると同時に、有害物質(ホルムアルデヒド、キシレン、トルエンなど)を吸着・分解する作用があり、煙草の煙や新建材から出る化学物質に対する有効性が注目されているからです。ですから、よく昔から森林や滝の周辺ではマイナスイオン(-)は多く発生し、プラスイオン(+)の2倍~20倍以上の数が観測され、逆にプラスイオン(+)は空気の汚れた場所、ちり・ホコリなどに多く残留し、都会ではマイナスイオン(-)の数を大きく上回っています。室内ではテレビ、パソコンなどの電化製品から出るプラスイオンが、「イオンバランス」を崩し、慢性疲労・肩こり・腰痛・冷え性などの原因になっているということも言われています。ところが、マイナスイオンは身近な観葉植物からも発生して私たちを癒してくれるのです。また、植物を育てることで心が安らぎます。これが一番の効能のようです。また、「緑」は目を休める色で、視覚的にもリラックスできます。昨年11月の新聞に、「何となくやる気が出ない――。仕事に疲れたビジネスパーソンが軽い“うつ症状”に陥ることはよくある話だ。職場に緑が多いと、そんなストレスを軽減してくれるという。コクヨと愛媛大学の仁科弘重教授(農学部)が共同実験を行った結果を、2007コクヨフェアで展示していた。」という記事が掲載されていました。コクヨによれば、「目に見えるところに植物を配置することがストレスの軽減につながる」そうです。
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園長室にも観葉植物が
 植物に水やりをしたり、葉を拭いたりすることで、なんとなく落ち着いた気分になれますし、新芽が出た、丈が伸びたなど、成長をしていく姿を見ることで、元気付けられます。そして、植物が元気よく育つ環境は、子どもにとっても優しい環境なのです。
 また、今年のドイツでは、いくつかの園の室内に箱庭を見ました。
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 箱庭は、もともとユング派のセラピスト、カルフによって始められ、日本で河合隼雄らによって広められた精神療法です。この療法は、言葉で表すことが難しいイメージの世界を箱庭で表現し、それを自分で客観的に見つめることに効果的だといわれています。そして、継続して箱庭を作っていくことで、より深く本質的な効果が期待できます。そんな精神療法的な意味ではなく、単純に、砂箱の中に石、人形、おもちゃなどのアイテムを自由に配置させることで、その砂場遊びのような行為そのもので、その人の心を癒す効果を狙っているようでした。それをもう少し拡大解釈して、以前紹介した「廊下に砂場」というようになったと思われます。

投稿者 fujimori : 16:02 | コメント (2)

2007年02月24日 研修

癒し空間(ドイツ事後報告)

 今日,宿泊した宿の部屋に「癒しのたび」が置いてありました。これは、「足袋」と「旅」をかけているのでしょうね。人は、毎日の生活の中で、ストレスを感じることがあります。ストレスは、人間だけでなく動物も感じるようです。そのストレスは、どんなときに感じるでしょうか。手に持っているゴムボールを握ると、ゴムボールはへこみます。このように、外部からの刺激(「ストレッサー」といいます)を受けて、生体に起こる反応を「ストレス」といいます。ですから、原因は、外からのことが多いのです。この「ストレス」という概念を医学の世界で初めて用いたのは、カナダの生理学者ハンス・セリエ博士です。日本では、ストレッサーにあたる「原因」に関しても「ストレス」といわれることが多いのですが、本来はストレッサーに影響されて起こる生体反応のことをさすようです。しかし、同じように外部からストレスの影響を受けても、強く感じる人と、それほど感じない人がいます。それは、ゴムボールの空気圧が強ければ、へこんだボールが元に戻る力が強くなります。逆に、空気圧が低ければ、少しの力でも大きくゆがんでしまいますし、元に戻らないこともあります。ですから、ストレスによるダメージは、受け手の心身の状態によって大きく変わるのです。ですから、自分自身でストレスを解消する方法を見つけておいたほうがいいのです。まずは、ストレスの溜めるようなことにはなるべく関わらないことです。また、どうしてもかかわらなければならないときには、思考方法を見直すことです。次に、たまったストレスは発散します。次に、以前にブログで書いた早寝、早起きで生活のリズムを整えることです。そして、朝食といわれています。では、ストレスを発散する方法として最も効果があるのは、心身ともに疲れを癒すことです。
 子どもたちも園の中で、大きな集団、大きな部屋で、いつも大人に見られ、管理され、言われたとおりに動かされ、かなりストレスを感じているでしょう。ですから、癒される時間、空間、物を用意してあげる必要があります。ひとつの方法として、日常の環境を変えることがあります。小さな集団、狭い部屋、大人に見られない、自分から行動できる時間の設定です。そのために「ロフト」が有効であるということを昨日のブログで書きました。そのほかに、ドイツでは様々な工夫がありました。小さな集団で、過ごせるような空間を部屋の隅に作るのです。いわば「癒しのコーナー」というようなものがどの園でも、どの部屋にも作られていました。部屋が広いということもあるのですが、逆に広いからこそこのような空間が必要なのでしょう。
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そして、そこには、心が癒されるような様々なグッツが置かれています。まず、日常から離れるために、床が柔らかいマットやソファアなどで敷き詰めます。保育室は、どの空間も床は硬い素材でできています。ですから、一部やわらかい素材の上で過ごすことは心を癒します。
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あとは、園によって違うのですが、「薄い布で覆う」「ミラーボールなどで、光がゆっくり動く」「電飾などやわらかい光で照らす」など心が落ち着くような環境を演出していました。
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上を薄い布で覆って、他の違う空間を作る
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  電飾によって、やわらかい光を演出する
1日が長い子どもたちにとって、大人と同じように「ほっと、一息つける」様な空間が必要なのでしょうね。

投稿者 fujimori : 20:46 | コメント (3)

2007年02月23日 研修

ロフト(ドイツ事後報告)

 ドイツの幼稚園、保育園を訪問して気がつくことのひとつに、どの園にも「ロフト」があることです。日本でロフトというと、日本全国で展開されている雑貨を取り扱うチェーン店のことを思い浮かべます。東京でロフトというと新宿とか渋谷を思い浮かべますが、新宿店は今年の1月に閉店してしまいました。また、マニヤックな話ですが、若い人は、東京・新宿などにあるライブハウスのことを思い浮かべるかもしれません。しかし、もともとは建築用語で、物置用の屋根裏部屋のことをさします。工場・倉庫などに上階を作って、そこに物をしまったのです。それは、空間を有効的に使おうとしたからです。しかし、その空間が独特の空間を演出するために、その倉庫などを改装したアトリエやスタジオをつくり、それも「ロフト」というようになって、ライブハウスの名前もそのイメージなのでしょう。また、住宅では、「ロフト」というと、天井高を高くして部屋の一部を2層式にした上部空間のことをさします。この用途も、最初は屋根裏部屋ということで主に物入れに使ったりしていましたが、最近は、様々な使い方をするようになりました。ロフトに上がるための専用のはしごや階段が設置され、寝室や書斎、子ども部屋などちょっとした個人的なプライベート空間として使われることが多いようです。この空間が、部屋としての空間になるのか、屋根裏になるかで、このロフトが床面積に参入されるかどうかきまります。住宅で床面積に算入しないロフトにするには、天井高が1.4m以下であること、はしごが固定されていないこと、直下の階の8分の1以下の面積であることなどが主な条件になっています。私は詳しく走りませんが、保育施設では、遊具として扱われることがおおいようです。あのアルプスの少女ハイジでも、その部屋に寝泊りをして楽しそうでした。子どもにとっては、隠れ家的な、基地のような感覚を持つようです。作り方としては大きく二通りあります。ひとつは、部屋の中の一部が2階建てのように作るやり方です。しっかりとして階段で上れるようになっています。
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その使い方としては、やはり2階のようなイメージですので、お昼寝のスペースであったり、ままごとコーナーであったりするところが多い気がします。ただ、その高さを非常に低くしてあるところがありました。その場合は、ロフトの上の活用というよりも、その下の空間の使いかたがとても面白く使われています。子どもでもやっとくぐっては入れるくらいで、天井が低い部屋という感じです。
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日本でも、押入れの下を工夫すれば同じようになります。もう一つの作り方としては、部屋の中に大きな二段ベッドがあるというイメージです。
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この場合も、下の空間は、狭い部屋のようになるので、小さな家のように家具を置いてままごとコーナーにしている場合が多く見られました。
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 または、マットなどを敷いて、寝転んだり、くつろいだり、子ども同士でじゃれあったりする空間が演出されていました。
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 また、上部も下の空間と同じような使われ方をしていたところが多かったような気がします。ただ、上の空間の上部は部屋の天井になってしまうので、特別な空間の雰囲気を出すために、上のほうを薄い布で覆ってしまうこともありました。
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 どのような使い方をする場合でも、このロフトで作られる空間は、子どもにとっての大人の視線から逃れられる「死角」として意味があるようです。もちろん、先生はそこに子どもがいることは把握していますが、子どもたちは、ここで、先生の目を盗んで秘密のことをしているつもりなのでしょう。

投稿者 fujimori : 23:29 | コメント (3)

2007年02月18日 研修

ドイツの保育

 今日、日本に帰ってきました。日本ではネットがストレスなく充分にやれるので、いろいろなことがゆっくり考えられます。ドイツでの研修を終えて、国としての取り組みと課題、州としての取り組みと課題、園ごとの取り組みとそれぞれのレベルは違いますが私たち日本では、それらをどう参考にして、取り入れ、独自のスタイルを作っていくかが今後の課題でしょう。それは、決して、保育園、幼稚園としてだけではなく、国としての保育、教育のあり方、子育てのあり方、人としての行き方も見直す時期かもしれません。ここまで発展し、人の意識が代わり、国という概念が変わってきた中で、もう元には戻れないのです。また、ただ闇雲に前に進んでいた時代から、人として成熟し、国家として成熟した社会を作ることこそ、今後日本人が世界に何かしらの貢献ができていくのだと思います。など、難しいことを考えてしまうのも、新ためて、海外からもう一度日本という国を眺めてみたからでしょう。
 今後どのような保育の形がいいのか、ドイツでの幼稚園、保育園での平均的な取り組みから考えてみます。(これは、私の園で今行っている保育の形に非常に近いものがあります)まず、今後は、ますます0歳児から6歳児までの園が増えていくでしょう。お迎えは、家庭によって、14時以降自由です。(それも、コアタイムを持つ幼児に対してで、乳児はもう少し早くてもいいと思います)園児はさまざまな異年齢で、グループを作ります。(グループによって異年齢の幅が違います)そして、各グループの部屋には、様々な活動ができる「ゾーン」が作られています。
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このグループごとの部屋の間は、ある時間自由に出入りできます。子どもたちは朝登園すると、各ゾーンで好きに過ごします。登園時間は7時半から8時半までの間にします。その時間内に家庭から持参した朝食(朝の捕食)を希望者だけ取ります。ある時間に、子ども同士の話をするために、食べない子も椅子に座るところもあります。8時半になると、自分が属しているグループの部屋に戻り、お集まりをします。そこでは、出欠席を取るほか、子どもたちは自分で今日は何をして遊びたいか、何をしたいかを考え、保育者からは、今日はどんな遊びが用意されているかなどの提案を行うミーティングをします。そして、昼まで自由遊びが始まります。それと同時に対象の子をピックアップして、プログラム保育が行われます。この内容は、週案によって定められており、いつ、何を、どんな構成で行われるか、保護者にもわかりやすく掲示されています。たとえば、色別の表示方法です。
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紫は2歳児、緑は2~3歳児、青は3~4歳児、黄色は4~5歳児、赤は5~6歳児です。内容によって、年齢別に行ったり、様々な異年齢で行ったりします。火曜日の2コマ目は2~6歳児の異年齢で行います。月曜日の1コマ目は3~6歳児、火曜日の2コマ目は3~5歳児、月曜日の3コマ目は、5~6歳児といった具合です。対象でない年齢の子は、ゾーンで遊んでいます。各年齢で行う内容は、ホール(日本ほど広くなく、ひとつの部屋程度の広さです)などで、運動遊び(用具を使ったり、外遊びも含みます)、音楽、創作遊びなどです。特に、最近は、学びの部屋が用意されており、文字、数、科学などの体験をします。そして、昼食、お昼ね(4~6歳児は、静かな活動)、午後のおやつを食べ、それぞれのゾーンで自由遊びをしながら降園を待ちます。園児が減るにしたがって、合同になっていき、過ごす部屋数が減ってきます。大体平均的にこのような取り組みが行われています。

投稿者 fujimori : 12:40 | コメント (3)

2007年02月17日 研修

ドイツ最終日

 いよいよ今日でドイツでの研修が終わります。昨年訪れたときは、着いたときから雪が積もっており、ホテルの周りも真っ白でした。それも当然で、ミュンヘンの緯度は、日本でいえば樺太あたりと同じですから、気温はマイナスになることが多いからです。しかし、ブログでも書いたとおり、今年はミュンヘンでも異常な暖冬で、雪どころか、近くの公園では、クロッカスが咲き始め、一面黄色や紫で覆われ始めていました。
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 毎年に比べて1ヶ月あまり早いそうです。あまり色のない冬の公園に色が着き始めた姿は、花壇に色とりどりの花を植えたのと違って、あまり派手ではありませんが、冬から春がもうすぐ訪れるであろう喜びが感じられ、とてもきれいです。今まで、研修で歩いていた日々は、天気はすぐれず、陽が出たかと思うと雨が降ったり、1日どんよりした天気が続きましたが、今日は最終日ということでの恵みかと思われるほど、とても気持ちよい、雲ひとつない快晴でした。そんな快晴の中、午前中は夏の宮殿と呼ばれているニンフェンブルク城に行きました。ここは、1664年、フェルディナント・マリア侯が妃アーデルハイトのために造営した別荘が歴史の始まりだそうですが、バスが近づくにつれ、白鳥が浮かぶ運河の後ろに、次第に現れてくる優雅な姿は、左右対称のバロックの城です。
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中央入口から入ってまず目を奪われるのが、圧倒されるほど美しい天井画が描かれているロココ様式の大広間です。公開されている各部屋も、天井画や、美女36人の肖像画や、古伊万里の陶器などが飾られていました。また、その城の後ろに広がる大きな庭園と森も、葉や花のない季節でも充分に荘厳さが伝わってきます。
 その後、町に戻って昼食です。毎度のことながら、大きな伝統的なビアホールでの食事です。私はそれほど呑みませんでしたが、何人かは、1リットルのビールとプリッツェルというパンを食べます。こちらでは、ビールは親同伴であれば14歳から飲んでもよいというように、昼間からみんなビールを飲みます。値段も、水やコーラよりもやすいくらいですので、ついみんなビールを飲みます。
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 午後は、美術館(ピナコテーク)めぐりです。通りを挟んで向かい合っているアルテ(古い)とノイエ(新しい)のふたつのピナコテークか、この二つに隣接しているモダン・ピナコテークを選びます。アルテ・ピナコテークには15~18世紀のヨーロッパ絵画が展示されています。宗教画が多く、レンブラント絵画の所蔵は世界一だそうです。ノイエ・ピナコテークには19世紀~20世紀初めの作品が中心に展示されています。教科書に登場するようなルノワール、モネ、ゴーギャンなどの印象派の絵が中心です。特に、ゴッホのひまわりは有名です。モダン・ピナコテークは、20世紀から現代までのアート作品を展示する美術館で、2002年にオープンしたばかりです。クレー、マティス、ピカソ、ウォーホルなどの絵画だけでなく、ポルシェのクーペ・フェルディナンドの型からシャープの液晶テレビまで、優れた工業デザインや、トーネット社製のイスなど家具のコレクションもあります。私は、どこも行ったことはあるのですが、今回は、アルテ・ピナコテークを見ました。
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 何度見ても、名画には圧倒されますね。昼から、夜までの研修の毎日の中で、ほっと一息ついた1日でした。明日は、帰国の途につきます。かなりハードな、研修づくめのドイツでしたが、もう一度来たいと思う参加者が多いのは、うれしいことです。

投稿者 fujimori : 07:58 | コメント (4)

2007年02月16日 研修

園見学研修を終えて

 今回のドイツ研修では、いろいろなところの見学で、様々な課題について考え、参考になることが多くありました。それぞれの園では、たくさんのことを学びましたが、一箇所ずつポイントを整理してみようと思います。
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   園の外観のあれこれ
12日の月曜日の午前中キンダーガルテン見学では、「学びの部屋」という就学のための保育の取り組みがポイントでした。これは、今、ミュンヘン全体での取り組みであり、日本でも就学前教育をどのように位置付けるかという課題のヒントになるものでした。特に「文字」「数」「科学」についてのコーナーとしての設置が参考になることが多かったような気がします。午後の見学先であるコープでは、0歳児から6歳児までの保育をどのように展開するかが、日本における子ども園の取り組みに参考なることが多くありました。これは、ミュンヘン市全体での取り組みですが、この施設では、どのような年齢の子をいっしょにしたグループがよいのか、コアタイムをどのように持っているかなどはとても興味深いものがありました。13日の午前の見学先であるキンダーガルテンでは、小学校の先生が週1回いっしょに保育に当たり、幼少連携をどのように進めているかが参考になりました。また、キンダーガルテンでは、地区ごとに保育の品質を保証するために、コンサルをする人が配置されていて、見学にも立ち会っていました。ここで、「日本での保育者の重要な資質は、笑顔とか優しさですが、ドイツでは、何が重要と考えますか?」という質問に「子どもを子どもとして受け入れられること」と答えたのが印象的でした。午後のコープの見学では、グループは、乳児と幼児に分け、学びの部屋では、5領域(書きかた、読みかた、数、音楽、立体)での実践が重点項目でした。ここで聞いた話では、初めて預けられる子どもが園になれるための「慣らし保育」が1~2ヶ月あるという話を聞いて、日本の保育園では、ほぼ1週間程度しか取らないことに対して、これから長い間預けられる子どもにとってはどうなのだろうと考えてしまいました。また、「園の保育で欠かせないものは何ですか?」という質問に対して「保護者の理解、尊重、バックアップ」ということだと答えました。14日の午前中の見学先のキンダーガルテンでは、今ドイツ全体、ヨーロッパ全体の課題である多国籍の子への対応が課題でした。多国籍の子が全体の園児の8割以上いるために異文化理解のための保育者が配置されており、ある時間、別室で、ドイツ語についての保育が展開されていました。午後もキンダーガルテンを見学しました。ここでは、人形などを使った食育指導、世界をテーマにしたプロジェクト保育の取り組みを聞きました。そして、今日の午前中は、ミュンヘンの隣の市のハール市で、キンダークリッペ(0~3歳児までの保育施設)を見学しました。しかし、正確に言うと、コープでした。数年前まで乳児だけのキンダークリッペだったのが、幼児も入れて子ども園への移行の様にコープへの移行した園での改修やマネジメントの工夫の話を聞きました。午後は、学童クラブという放課後児童施設であるホルトの見学です。この施設は、市から委託されて、NPOとして株式会社が設立した施設です。ざっとこんな研修の日々でしたが、どこに行っても感心するのは、見学者を歓迎する心です。飲み物だけでなく、食べ物も用意されており、きれいにテーブルに並べられているのを見るだけで、心が豊かになる気がします。忙しい中でも、ちょっとした心遣いが必要ですね。
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投稿者 fujimori : 07:22 | コメント (8)

2007年02月15日 研修

廊下

 昨日の見学先、今日の見学先それぞれ特徴はありますが、どこでも共通点は、とても多国籍の子が多いことです。昨日の午前中の見学園では、3~6歳児まで75名の園児たちの国籍は、22カ国に及びます。今日の午前中の見学先では、75人に園児に対して、ドイツ人は10名だけで、残りの65名は多国籍の子だそうです。しかも、ドイツ人というのはパスポート上であって、もし、両親のうちがどちらかが外国人でも、ドイツ人ということもありますので、両親ともドイツ人は、珍しいくらいです。この園では、異文化理解のための職員が派遣されていました。全園児の8割多国籍の子がいる園には加配があるそうです。昨日の見学先では、いくら22カ国の園児がいても加配はありませんでした。この加配されている職員は、常勤職員が週38.5時間勤務に対して、週30時間分の補助が出るそうです。ミュンヘン市内200園あまりある中で、40人いるそうです。この職員が、多国籍の子に対して別室でドイツ語についての保育を行っていました。日本は、このようにたくさんの多国籍の移民を受け入れないだろうといわれています。ですから、逆に移民をあまり多く受け入れないで、少子高齢社会をどう乗り切るかが世界の中では注目されているそうです。
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   多国籍の子達で午前のおやつ
見学先は、すべて公立の園ですが、それぞれにきちんとした「コンセプト」があります。そのコンセプトのもと、職員が保育を行っています。ですから、基本的には園長の移動は、本人希望以外はないそうです。日本では、公立園の園長、職員の移動が頻繁に行われますが、どうしてでしょうね。「マンネリ?」「癒着?」のためかわかりませんが、マンネリではなく「保育の習熟」として捕らえ、癒着ではなく「地域との連携」とは捕らえることはできないのでしょうか。これは、小学校の校長先生にもいえます。どうして、コロコロと変えるのでしょうね。幼小連携をする上でとてもやりにくいと思うのですが。幼少連携といえば、昨日の見学先で異文化理解のための加配職員はいませんでしたが、小学校が隣接しているため、小学校の先生が週1日は園に来て保育に当たっているそうです。教科担任のために空く授業があるので、その時間に来るそうですが、園にとっても、小学校にとってもいいですね。幼少連携が課題になっていますが、こんな方法はどうでしょうか。
あと、見学先で目立ったのは、「廊下」の活用です。日本では、監視するためや移動のための廊下ですが、ドイツでは、ひとつのコーナーです。
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 日本でもたまに図書コーナーがあったりしますが、ままごとコーナー、木工コーナーであったり、中でもとてもびっくりしたのが、廊下に「砂場」があることです。
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 教育再生会議の提案で、「廊下に出すこと」というのが体罰に当たらないということが出されていますが、それは、活動の外に出すというイメージですが、もともと園内、校舎内に子どもの居場所でない場所があること自体おかしいことです。園内どの場所でも、子どもにとって意味のあるものにしないといけないと思います。避難路としての確保は必要ですが、廊下をただの通路としてだけではなく、活動のひとつの場として見直すこともよいことだと思います。
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投稿者 fujimori : 07:15 | コメント (5)

2007年02月14日 研修

ドイツ報告その2

 昨日は、午前中の見学先しか報告ができませんでしたので、まず、昨日の午後の見学先の話をします。午後は、コープという0歳児から6歳児までいる園を見学しました。
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もし、皆さんが園の経営者であったときに、以下のような園児を預かるとしたら、どのようなクラス分けをするでしょうか。0~3歳児までが24名、3歳児から6歳児までが50名在園しています。日本では、普通、年齢児ごとにクラスを構成するでしょうね。しかも、その区切りは年齢ごとではなく生年月日の3月生まれと4月生まれで区切ると思います。ドイツに来たときに最初よくわからなかったのは、0~3歳児までがキンダークリッペという保育園にいて、3~6歳児までがキンダーガルテンという幼稚園にいると聞いたときに、3歳児がどちらにもいるので、どうしてだろう、また、6歳児までいるのだろうかと思ったのですが、日本でいうクラスの言い方はせずにまさに年齢でいうのです。ですから、日本流に言うと、0歳児から2歳児クラスまでがクリッペ、3歳児から5歳児クラスまでがキンダーガルテンということになります。今後、ブログを書く上でややこしいですね。ということで、日本流の言い方をします。0歳児~2歳児までの幼児が24人、3~5歳児までの幼児が50名の場合のクラス構成を、見学先では、4クラス(グループ)に分けていました。1、2グループは0歳から5歳児まで、3グループは1歳児から5歳児まで、4グループは2歳児から5歳児までです。面白いわけ方ですね。しかも、どのクラスも異年齢児クラスです。
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日本ではまだほとんど年齢別クラスです。しかも、異年齢児クラスにしようとするときに、保護者にどう説明するか悩みます。そこで、いつごろから異年齢保育にしたのかを聞いてみました。そのときにどう説明したのかを聞いてみたかったからです。すると、年齢別にしたことはなく、昔からだと言います。一度もないのか聞いたところ、幼稚園創設者の「フレーベルがキンダーガルテンを作ったときからずっと異年齢保育でした。」という答えでした。後で、通訳の方の聞いたのですが、保護者の要望は、何度か年齢別をしてほしいとか、せめて4,5歳児だけで保育してほしいということがあって、試みようとしたことはあったそうですが、うまくいかず、すぐに元に戻ったそうです。ですから、異年齢保育をしているという感覚とか、積極的に異年齢児を触れ合わすとかいうことが見られず、まったく当たり前に異年齢児が同じところにいるという感覚でした。説明によると、子どもは0歳から10歳までは「お互いに学びあう年齢」と位置づけているということでした。たぶん、最近話題の「脳の臨界期」までという話なのでしょう。もうひとつ、日本では考えられないことを聞きました。保育時間が、月曜日から木曜日は17時半までですが、金曜には16時半までです。金曜日だけ1時間も早く終わって保護者のお迎えは大丈夫だろうかと思って聞いてみたら、保護者の職場も、金曜日だけは早く終わるそうです。日本では、金曜日は逆に普段の日より遅く終わりそうな気がします。
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そういえば、昨日、局長さんと食事をしたレストランの席が、町の中心部でとてもにぎやかなメインストリートと、車の乗り入れができず、人ごみであふれる広場が見下ろせるところだったのですが、夜の9時を過ぎるとあっという間に人通りがなくなり、年配の人がちらほら犬の散歩をさせている姿を見かけるくらいでした。夜遅くまで若者がたむろするとか、酔ったサラリーマンがふらついて歩いているとかいう姿はまったく見られませんでした。とても不思議な光景でした。

投稿者 fujimori : 07:40 | コメント (3)

2007年02月13日 研修

2月13日のドイツ

 今日から、ミュンヘン市内の幼児施設見学研修が始まりました。今日の午前中は、キンダーガルテンといって3歳児から6歳児(日本では、3歳児~5歳児クラス)の園児が25名4グループ(3~6歳児の異年齢)100名の園の見学でした。ドイツでは、0~3歳児までの施設をキンダークリッペ、3~6歳児までをキンダーガルテン、0~6歳までの園をコーポレーション(コープ)、学童保育をホルトといいます。日本での訳のキンダーガルテンを幼稚園、キンダークリッペを保育園と言うこともありますが、ドイツと日本では制度が違うためにちょっと意味が違います。日本における違いは、保護者の状況(保育にかけているかいないか)によって分かれることが主ですが、ドイツでは、年齢によるわけ方をします。ですから、今日の見学先であるキンダーガルテンの開園時間は、月曜日から木曜日までは7時から17時半まで、金曜日は7時から17時までです。そして、14時には、半分の子が帰ります。その後まで残る子で、小さい年齢の子はお昼寝をするそうです。これは、日本でも最近増えてき始めている「認定 こども園」に似ています。そして、必ず園にいてもらうのが、(コアタイムでしょうが)9時から13時までです。デイリープログラムとしては、8時から8時15分までは職員朝会、8時30分から10時まではおやつ(食べたい子だけですが、子ども同士の会話を促すために、たべない子でも席には座ります)を食べます。10時からは自由時間です。そして、11時15分になるとグループごとに園庭に出て遊びます。そして、11時30分~12時15分までは交代でランチタイムを取ります。そして、寝たい子だけ12時15分~13時までお昼寝です。これが、大体キンダーガルテンです。
 今日見学したところの特徴のひとつは、各クラスでテーマがあることです。「役割の部屋」「製作の部屋」「感覚の部屋」「積み木の部屋」です。それぞれの部屋は、そのテーマに沿った装飾や、教具や遊具がそろえられていました。子どもたちは、月曜日には、それぞれのグループで活動します。そして、火曜日から金曜日には、どの部屋の活動に参加してもよいことになっています。この園は、19世紀に小学校として使われていた校舎をそのまま使っていますので、各クラスに部屋が区切られ、分かれています。それを、テーマごとに特徴を出しているのです。もうひとつの特徴は、水曜日と木曜日に交代で訪れる「学びの部屋」があることです。これは、原則的に年長さんがプレスクールとして過ごす場所です。
そこのコーナーは私にとっては、とても興味のあるもので、今度の園で取り組もうと思っていたものでした。
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文字コーナー
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  数のコーナー
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  科学コーナー
 今日の午後の見学の報告は明日にします。

投稿者 fujimori : 08:23 | コメント (4)

2007年02月12日 研修

ドイツについて

 今日はドイツに着きました。
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 来る飛行機の中は、浦和レッズの選手であふれていました。私は知らない人ばかりでしたが、ずいぶんと有名な選手も多いそうです。テレビ局の人が何人かいました。
 外国に来て戸惑うことのひとつに習慣の違いがあります。最初に戸惑うのは、チップです。日本にはありませんから、つい忘れてしまったり、即座にいくら払うか計算ができません。ドイツでもチップがあります。ホテルのポーター、ベルボーイ、ルーム・キーパーなどに対しては大体2ユーロ(1ユーロはほぼ160円)程度払います。レストランは料金の5~10%程度、タクシーは料金の10%程度が目安です。よく、外国の人は、誰でもとっさに計算ができますね。同じように、外国の人が日本にきたらいろいろと戸惑うことが多いようです。先日新宿区役所に行った時に、「しんじゅくニュース」という外国人向けの広報が置いてありました。そこに、「日本生活 ワンポイントアドバイス」という特集が組まれており、世界各国の方々が来日して驚いたり、困ったりしたことが描かれていました。中国の方からは、「日本語は、中国語に比べ微妙な表現を使い分けることが難しい。また日本は礼儀を大事にする国ですから、敬語を上手に使えば相手に良い印象を与えられます。まさしく“マナーは世界のパスポート”です。」「100円ショップはまるで博物館みたい。」「日本の賃貸住宅は、敷金、礼金システムや保証人探しなど大変です。先輩、友人などの人脈を活かして、外国人に理解のある不動産屋を紹介してもらうのが早いですよ。」タイの方より「はじめは浴槽の湯を家族で共有するのに驚いたけれど、今はすっかり慣れました。お湯も節約できてよいですね。」「どうせ日本に住むなら好きにならなきゃもったいない。まず日本食から好きになるよう努力しました。食文化が理解できたら、その他のことも自然に受け入れられるようになりました。」インドネシアの方より「イスラム教徒なので豚肉が食べられません。ラーメンのスープなど内容表示を必ず確認します。国際化が進んだアメリカのスーパーでは、宗教に配慮して食品を陳列してありました。日本もいつかそうなるといいな。」韓国の方より「信号のシステムが違うのにびっくり。日本では横断歩道の信号が青なのに、車が左折してくるのには驚きました。」「日本人を食事に誘ったとき“今度ね”と言われた。断っているのか、ただ単に忙しいのか、よくわからなかった。韓国人はストレートに感情を表現しますから、日本人のあいまいな態度は、今でも判断が難しいですね。」フィリピンの方より「日本に来て花粉症になりました。また冬になると乾燥して肌が荒れて大変。気候が違うから体調には注意を。」こんなアドバイスもあります。「本人もあせらず周囲も強制しないこと。日本の習慣は変えられないから、自分がゆっくりでも変わるしかないですね。」
 そういえば、日本ではそろそろ花粉症の季節です。花粉症を持っている人は大変ですね。花粉症を持っているメンバーがいれば、ここドイツに来たらどうなったかを聞いてみたいと思います。地域によって、気象、環境は違いますが、暖冬は世界中の問題なようです。今年のドイツはずいぶんと暖かい冬のようです。何百年かぶりだそうで、なんだかこわいですね。

投稿者 fujimori : 06:15 | コメント (3)

2007年02月11日 研修

お知らせ

 今、成田空港にいます。これからドイツのミュンヘンに行きます。この毎年ドイツに視察研修に出かけています。海外研修というと、観光がほとんどであったり、自分で見て帰るしかない企画が多いので、私が企画したツアーを組んでいます。子どもの施設を見学するのですが、私の園への見学者を見てわかるのですが、当然目に映るのは環境です。しかも、まず目に飛び込んでくるのは、空間的な環境であったり、物質的環境であったりします。しかし、しばらく見ていると、人的環境(子ども同士であったり、子どもと保育者)のもとで、様々な「こと」が行われています。それは、空間や教具・遊具などの環境がその「こと」を増幅していきます。それが、教育であり、保育であると考えると、その営みを見ないと見学したことになりません。ですから、その場所にある時間滞在しないとわからないことが多いのです。「ザーッと見て、さあ次へ!」では、観光と変わりません。そこで、午前中に一箇所、午後一箇所じっくり見ます。次に見たものの自分の中へのインストールです。目に映るものを目に焼き付けるだけでなく、見たものに対してみんなで検証する必要があります。いわゆる「協同的学び」により定着するのです。そのためによるホテルで学習会が開かれます。それぞれが撮った写真を、プロジェクターに映しながらみんなで見て、話し合います。今回もそんなスタイルで、見学先を8箇所予定をしています。そして、1日は美術館見学です。私は、夜にバイエルン州の教育委員会の幼児教育局長さんに夕食の招待を受けますので、いろいろと政策やドイツでの幼児教育に対する取り組みをお聞きします。(この夜だけは、メンバーはフリーになります)私にとっては、毎年同じところに行くことになるのですが、逆に見えてくるものがあります。それは、ドイツをまねようとするのではなく、ドイツの取り組みを見て、日本での取り組みを考えようとするためです。また、ドイツを通して、今世界がどのように幼児教育を考えようとしているのか、学校教育との連続した連携のあり方、少子社会の中での地域、親子の関係、多国籍の子の受け入れ、ずいぶんと参考になることが多くあります。日本でも問題になっているピサの学力調査での学力低下がドイツでも問題になっています。
 そんなわけで、来週1週間は、ドイツからのレポートをお届けします。ただ、問題は、毎度のことながらネット環境です。毎年少しずつよくなっていますが、まだまだ日本のようにはいきません。うまくつながるといいのですが。このブログもずいぶんと多くの人に読んでもらっています。しかも、そのほとんどの人が、毎日読んでいる人が多いようですし、読むことによって様々なことを共有していこうとする人が多いような気がします。ですから、アップされるのが遅かったり、一度このブログのプロバイダーが外国からの連続攻撃にあって、その対応によってアップが次の日になってしまったことがありましたが、何人かの人から、体の具合が悪くなったのではないかというメールを戴きました。ありがたいことです。もし、明日から1週間アップされなくても、それは体の具合が悪くなったわけではありませんし、緊急の事態が起きたわけではありませんので、ご安心ください。帰ってからまとめてアップします。(書くのは、毎日書いておきます)そのときには、まとめて読むのが大変でしょうから、写真を多くします。では、次はドイツから。
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投稿者 fujimori : 12:23 | コメント (2)

2006年11月02日 研修

授業

 今日は、道徳の授業参観に行ってきました。あまり、その感想は書きたくなかったのですが、今の教育の問題点がいくつか見えたので、ちょっと書いてみます。
 先日のブログで書いた2年生の授業を含めて、1年生から6年生までの13学級の道徳の授業を参観しました。どのクラスも先生は、参観日ということもあって、とても熱心に、一生懸命に授業をしていました。また、事前に、黒板に貼り付ける文や絵、子どもが書き込むプリントなどの教材も用意され、いかにも研究授業のような、私からすると、絵に描いたような授業展開がどのクラスも行われていました。また、それぞれのクラスは、そのクラスの担任のカラーがそれなりに出ていて、授業の進め方にその担任の特徴が良く出ていました。ですから、その授業そのものは、別に問題はないので、それをとやかく言うつもりはありません。どの先生も、今日はご苦労様でした。準備が、大変だったでしょう。とねぎらいの言葉を送ります。しかし、気になる点がいくつかありました。まず、13学級すべてのクラスが、一斉授業でした。どのクラスもすべて、先生が前に立ち、生徒が全員前を向いて座っていました。そして、授業中、声が聞こえるのは、どのクラスも、声の90%は先生の声です。生徒は、30人はいるのに対して、先生は一人しかいないのに、ほとんど話しているのは先生だけです。また、時折聞こえてくる生徒の声は、先生の問いかけに対して、答える声です。友達同士で話し合うとか、相談しあうとか、議論しあう声はどのクラスからも聞こえてきません。たとえば、5年生の授業では、こんな調子です。
自分の気持ちよりも、相手の気持ちを考えてしまう「ねずみ」と、自分のことばかり考えて、相手の気持ちを考えない「かいじゅう」と、自分を大事にし、相手の気持ちも大事にする「さわやかさん」がいました。「A君と遊ぶ約束をしました。そこへB君が来て、A君とは遊ぶのをやめて、僕と遊ぼうよといいました。さあ、どうしますか?」というときに、「次のせりふは、誰が言ったでしょう。」というプリントを子どもたちにやらせていました。
①いいよ、B君の方が面白いから。②困ったな、……(もじ、もじ、もじ)③だめだよ、今日はA君と遊ぶんだから。④今日は用ができて、A君とも遊べなくなったから、君とも遊べない。⑤いいよ、A君も一緒に遊んだほうが楽しいよ。一緒に遊ぼう。⑥今日はA君と約束守るよ。B君とは、明日はどう?面白いゲームが明日来るんだ。
子どもたちが思い思いに書いた頃、先生は「①をねずみだと思う人?」と、順に生徒に手を挙げさせました。答えが、かなりバラバラです。全部かいじゅうと答えた子どももたくさんいました。こんなに違った答えをする子に、どうするのだろうと思って、みていると、聞き終わった後で、「先生は、こう思うよ」と言って、その設問は終わって、次にいってしまいました。「あれ?」と、拍子抜けしました。たしかに、そうやって進めなければ、時間内に終わりそうもないのです。先日の「おれた ものさし」の授業でも、最後の「おまえがおったんだろ。これ」というせりふをみんなで大きな声で、そろえて言わせていました。そして、ベルがなる手前で、「これから勇気を持てる人?」と聞いて手を上げさせました。やはり思って通りだと思ったのですが、少し違っていました。手を上げたのは二人しかいなかったのです。こんな授業をしている先生が少しかわいそうになりました。

投稿者 fujimori : 18:41 | コメント (5)

2006年09月30日 研修

研修旅行

 今日は、職員研修旅行で、神戸まで来ています。私の園は、とても見学者が多く、そのためにこちらが勉強になることも多くあります。見学に来た方が感想を言ったり、子どもの様子を教えてくれたりするからです。子どもたちは、私たちの前では見せないような姿を、他人の前では見せることがあるので、その言動を聞いて、びっくりすることがあります。また、職員も、めったに見学者や来客がないとしたら、誰かに見られることは緊張するでしょうが、ほとんど毎日誰かしらいるとなると、なんだか地域の中で生活しているような気分で、逆に、やっていることに対する反応があるので、張り合いになることもあるようです。ですから、見られることはとても勉強になりますが、逆に見ることでも学ぶことが多くあります。そこで、1年に1回、みんなで他の園を見ることにしています。といっても、休園にはできないので、留守部隊が、保育をすることにしています。どうしても、保育を見るとなると、訪問先が保育をしている日でないといけないので、休日に行くわけにいきません。ですから、本当に全員で行くわけにはいきません。ですが、保護者もその趣旨を理解してくれていて、なるべく協力してくれます。そして、研修旅行に行くのですが、以前にブログでも書きましたが、どんなものでも見ると勉強になりますが、それでも、やはり、あまりよくないものから学ぶのは大変です。ですから、なるべくよい保育を見ることにしています。また、同じ考え方の保育をしている仲間でないと、自分たちの保育に取り入れるための参考になることが少なくなってしまいます。ということで、場所への距離は問わず、今年は神戸に来ているのです。朝、6時東京発の新幹線ですので、みんな自宅から始発ぎりぎりでした。どうしても、午前中の保育を見たいですから仕方ありません。また、午後は、そこの園長先生から話を聞くことにしています。同じ理念を、他人から聞くのもとてもいいことです。自分たちの保育を客観的に眺めることができるからです。
 研修旅行で、団体で移動すると、なんだか「修学旅行」を思い出します。私の小学校のときの修学旅行の行き先は日光でした。ちょうど昨日日光市今市に行ったときの電車の路線です。浅草から、東武に乗って行きます。その電車は、駅を出てすぐに隅田川を渡ります。また、帰りも隅田川を渡ると到着です。外から見ると、電車が橋を渡って、ビルの中にすいこまれていくというイメージでいつも眺めていました。中学校では、ちょうど今日乗ってきた東海道を通って、定番の「奈良・京都」でした。私のすぐ後輩からは、新幹線で行くようになりましたが、私のときは、修学旅行列車「ひので号」でした。もともと旅行というと、宗教的な巡礼、神社仏閣への参拝を理由に旅をする事が多かったようです。そのために鉄道ができた例が多くあります。伊勢へは近鉄、高野山へは南海、成田山へは京成、高尾山へは京王などというように路線ができました。近世に入ってからは、イギリスの裕福な市民層の師弟の学業の仕上げとしての「グランドツアー」、家庭教師同伴の長期にわたる海外遊学が、広く行われる様になり、それを世話する業者という旅行代理店が登場しました。今日も存続しているトーマス・クック社は当時の創業になるそうです。又、こうした流行が、明治以降の日本に輸入されて、学校の修学旅行になったのです。
 ちょうど、昨日、今日で、小学校、中学校の修学旅行のコースを辿ったことになります。

投稿者 fujimori : 23:18 | コメント (4)

2006年08月06日 研修

理解

 今日は、「なぜ深い理解がすべての教育の中心になるべきなのか?」というテーマの講演会を聞きに行きました。案内のチラシには「ほとんどの教育者は学生が事実と数字の丸暗記を超えて、知識を取得し、応用する必要があることに合意する。それは彼らの人生を通して役に立つ理解の水準を発展させるためである。しかし、不幸にして、伝統的な教育はしばしば、この目標に達していない。ハーバード教育大学院とそのリサーチプロジェクトは、この問題に対して、よりシステマチックな教育手法、”理解のための教育”Teaching for Understandingを開発し、世界的に導入してきた。プロジェクトの発足から、一貫して、このテーマにも携わって来たハワード・ガードナー教授に聞く。」とあります。ハワード・ガードナー教授は、ハーバード大学教育学大学院(認知・教育学)教授で、同大学の心理学教授も兼担しています。このチラシのなかにある「伝統的な教育」とは、どういう教育なのでしょうか。今の画一化された学校では,主に,言語的知性,論理・数学的知性だけが重んじられ,他の能力はおざなりになっていることが問題なのです。そこで、ガードナーが提唱するのが、進化論的証拠や,小さいときに才能を発揮する子ども(神童),脳の作用,自閉症の子どもなどの研究成果から「多重知性」です。マルティプルインテリジェンス理論(MI理論)というもので、「多元的知能(Multiple Intelligence)」という本があります。彼は、人間には7つの別個の知能が存在すると提唱しています。それは、言語的知能(言葉を扱う)、論理数学的知能(数、記号、図形を扱う)、音楽的知能(リズムと音のパターンを扱う)、身体運動的知能(身体と運動を扱う)、空間的知能(イメージや映像を扱う)、対人的知能(他人とのコミュニケーションを扱う)、内省的知能(自己とその精神的リアリティーという内的側面を扱う)です。このように知能は単一ではなく、複数あるというのです。さらに彼は、この考え方を教育実践の場に応用するためのヒントを示しています。今日の講演は、このMI理論の話ではなく、「理解」をもたらすための教育についての話でした。読み、書き、計算などの学習は、「理解のための教育」を達成するための手段でしかないといいます。「理解」とは、これらの知識、スキル等を習得した後、新たな状況下で首尾よく、その知識・スキルを活用できることであるとしています。従来の知能検査によって表される数値は、この先もなくなることはないでしょうが、今後は、そのような認知の世界だけでなく、真の理解が教育の目的となるであろうといいます。しかし、事態をさらに悪化させているものに、詰め込み式や、丸暗記の教育、マルティブルチョイス式のテストなどがあるといいます。本のなかでも、アメリカの教育業界が人間の能力を画一的かつ脱文脈的にとらえており、過度のテスト主義に陥いっていると批判しています。そして、「文脈の中で人間の多元的な能力を評価すること」の重要性を主張しています。ガードナーによると,知性とは,ある文化的背景において活性化され,問題を解いたり,その文化において価値があるとされるプロダクト(製品,成果)をつくることができるといっています,この本の初版は、10年以上前に出されていますが、いまだにアメリカの教育は変わらずに、それどころか、この主張と全く反対の方向の「合理主義」「科学主義」「市場原理の導入」「競争原理」が進められようとしています。どうも、状況が日本の問題と似ていますね。しかし、チラシのメッセージのなかにある「リーダーなら、人の心を変えなさい」という言葉が、心に残ります。

投稿者 fujimori : 21:24 | コメント (0)

2006年02月18日 研修

ミュンヘンでのひととき

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今日でミュンヘンの保育施設、学校施設の視察訪問が終わりました。明日は、午後の便で帰国です。今回の参加者もとても熱心で、空港に行くまでの間の午前中も、ホテルの一部屋を借りて、ディスカッションをします。このブログの中でよく書くのですが、見学とか、研修とか、視察とかは、何を見たか、どこへ行ったかということではなく、何を学んだか、何を感じたか、自分に何を取り入れたか、それを実行に移したかということが大切です。そのためには、見てきたこと、感じたことの振り返りがなければなりません。そこで、毎晩、ディスカッションを繰り返したのです。明日の午前中は、その総括です。いよいよ、帰ってから実行に移すためです。しかし、まったく町を見ることがないかというと、そうでもありません。移動のバスの中からでも、様々な町並み、町の顔を見ることができます。また、夕方、視察研修が終わってから、ホテルでのディスカッションまでの間にも少し時間があります。そんな間を見て、昨日、町の中を少し歩きました。バイエルン州の首都ミュンヘンは人口130万人、ドイツ第三の都会です。「隠れた首都」、「ビールと芸術の町」、「百万人の村」など数々の愛称を持っています。町のいたるところに、小さなお坊さんのミュンヘン市の紋章がありますが、それは、ミュンヘンの名前の由来である僧院(僧を表わすドイツ語メンヒ)に由来しています。毎日、視察研修が終わると、まず、町の真ん中「マリエン広場」に建っているネオゴチック様式の建物の前で解散します。ここは、新市庁舎です。毎日11時には仕掛時計を見る人で広場は一杯になります。1568年の大公結婚式を再現する等身大の人形仕掛けが動きます。昨年、世界保育大会がミュンヘンで行われたときに招待を受け、参加したときに、夜、この建物の2階で行われたレセプションに招待を受けました。いつも外から見ていた建物の中には入れたのには、感激しました。ちなみに、この地下には、何度も入りました。今年も一度入りました。なぜかというと、地下は、一般に開放されている大きなビアホールだからです。市庁舎の地下が、ビアホールとはいいですね。また、昨日は、初めて行って、面白かったところがあります。それは、「ピナコテーク・デア・モデルネ」という、芸術、建築、デザイン、グラフィックの4部門から成るヨーロッパ最大の現代美術館です。ダリやピカソ、ウォーホールをはじめ、様々な有名に人の作品が並びます。商品デザインの部屋には、ソニーのパソコンのバイオや、アイボが並んでいました。ここがはじめてなのは、そこに並んでいる「アルテ・ピナコテーク絵画館」という、欧州有数の美術館に行くからです。そこには、14-18世紀の古典絵画が中心で、デューラーなどドイツ古典巨匠のほか、ラファエロ、ルーベンス、レンブラントなど世界的傑作があります。その前には、ここもよく行くのですが、「ノイエ・ピナコテーク絵画館」があります。ここは、現代作品を展示する美術館でゴッホ、ゴーギャン、ミレーなど傑作揃いです。有名なゴッホの「ひまわり」もあります。ホテルの近くの「ドイツ博物館」もとても面白いところです。世界最大の自然科学技術博物館で、実演や自分で動かせる装置が多く楽しめます。講演や視察にいろいろな場所に行くとき、ちょっとした時間の合間を見つけて歩き回るのも楽しみです。また、明日からのブログは、日本からになります。

投稿者 fujimori : 08:27 | コメント (1) | トラックバック

2006年02月17日 研修

ミュンヘン

 今日の視察研修で、ドイツミュンヘンでの保育園、幼稚園、学童クラブなど7箇所を視察する予定が終わりました。明日は、ザルツブルグにあるシュタイナー学校の視察研修です。そこで、ドイツで見聞きしたことで、驚いたこと、感心したこと、文化の違いに気づかされたことを思いつくまま書いてみます。
 まず、太郎君のことです。彼は、ドイツ在住の日系2世の高校1年生の男の子です。彼のアルバイトを聞いて驚きました。彼は、週1~2回、ベビーシッターのアルバイトをしているというのです。今は、毎週、10ヶ月と2歳の子どもを見ているそうです。特に、彼は、保育に関係ある学校に行っていたり、関係のある教科を受けているわけではありませんし、将来、保育者になる積もりもないそうです。その彼が、小さな子どもを夕方5時から10時くらいまで見ているというのです。夕食を食べさせ、遊び相手をしているというのです。ドイツでは、16歳になるとベビーシッターのアルバイトができるそうですし、男性も何人かいるそうです。驚いたのは、それだけではありません。何で、毎週1回(金曜日)子どもを預かるかというと、毎週金曜日、両親は外で夫婦だけで一緒に食事をしたり、映画を見たりするためだというのです。必ず、毎週出かけるのだそうです。
 次に驚いたのは、今日食事に誘われたミュンヘン市学校局幼児教育施設部部長さんの話です。彼女は、ミュンヘン市で、幼稚園関係の中で1番偉い人で、仕事をバリバリしています。その彼女は、お子さんが4人いると言います。1番上のお子さんがもうすぐお孫さんを出産するそうで、一番下の子は今10歳だそうです。その彼女が、明後日から2週間の休暇をとって、ご主人と二人でマジョルカ島にバカンスに行くそうです。その間のお子さんたちは、1番上の娘さんが、旦那さんと見てくれるのだそうです。だから4人子どもが産めるのだというと、ミュンヘン市の家族省の社会保障大臣は女性で、7人の子持ちだそうです。
 次に驚いたのが、視察した園では、どこも保育者があまり子どもと接したり、一緒に遊んだりはしません。離れて、見守っていることが多いのです。この距離感は、どこから生まれるのかと聞いてみましたら、保育者養成校で教わるという答えでした。なるべく、子どもがやることに手を出さないように学び、実習のときに手を出すと怒られるのだそうです。日本では、養成校で、どのように子どもと遊ぶか、子どもにやってあげるかを学びます。ミュンヘンでは、今の子どもへの課題の1番目は、「自立」だからです。日本では?
 最近、ドイツでは、0歳児から3歳児まで預かる「キンダークリッペ」という施設とか、0歳児から6歳児まで保育する「コープ」という施設に、たくさんの待機児(入園希望で、入園できないで待っている子ども)がいるそうです。それは、1999年のアンケートで、3歳児までに子どもを預けたい人が18%でしたが、今は、68%いるそうです。その増え方は、ものすごいですね。それは、働いているというだけでなく、少子化なので、子どもを早く集団に入れたいと思う親が増えたことも原因のようです。
 今、ドイツでは、育児休暇が3年間取れるそうです。「うらやましいですね」と言うと、「もうすぐ、18ヶ月になるのですよ。」と言われました。聞き違いかともったら、3年間給料保障も薄く、休暇をあげることから、期間は短くなりますが、きちんとした保障をしようとするものだそうです。なんだか、後退にしか思えませんね。それが、少子社会では、前進だといいます。

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2006年02月16日 研修

ホルト

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 今日は、午前中は昨日2箇所見た、0歳児から6歳児までの施設である「コープ」という施設を見学しましたが、午後は、日本でいう学童クラブの「ホルト」を見学しました。保育は、必ずしもドイツの方がいいとは限りませんが、学童クラブに関しては、ドイツはなかなかいいところが多いです。まず、管轄が学校教育と同じ教育局なので、学校教育との連携や、施設の共用がスムーズに行われていました。本当は、管轄が違うからといって、それぞれ別々というのもおかしいですね。たとえば、日本では、学童クラブが学校の部屋を借りたり、校庭の片隅を借りて学童クラブの建物を立てようとすると、大変な手続きが必要です。文科省の持ち物を、厚労省が借りるという感じです。以前、小学校の校長会で、放課後の学童のために、部屋を貸して欲しいというと、「異物が、校舎内に入るのを、教員は嫌がるのですよ。」と言われた時には、耳を疑いました。同じ児童が、放課後になると「異物」になるというのです。ここドイツでは、同じ管轄だということだけではないでしょうが、放課後を学童クラブの子どもに学校全体を開放しています。これは、2日前に書いた「ターゲスハイム」同様、宿題をやるときは、教室内でやります。それが終わると、学童の部屋に行きます。今日の「ホルト」では、2階が学校の教室で、1階が学童クラブでした。しかも、使う教室が、自分の教室と違うところですし、ほかの先生の部屋を使うのです。日本では、教室は、なんとなくその部屋の担任の個人的な所有かのように物が置かれ、他のものが入りにくい感じがします。ですから、午後は丸々あいている学校に対して、人間が生活するような空間でない狭い部屋に大人数押し込められている学童クラブの子がいるという状況のような気がします。学校にしても、保育園にしても、国民の税金で作られた施設であるという認識が薄い気がします。学校開放の話し合いでも、私が地域代表で出席したときに、私の園と協力して地域に開いている近くの小学校に対して、代表の校長がこんなことを言いました。「今、予算的にとても大変になっている。電気を節約するように、ガスを節約するようにといわれている中、地域に開放して、電気やガスを使うことは無駄遣いではないか。」私は、それに対して、頭にきたので、こんなことを言いました。「学校の先生たちは、何か勘違いしていませんか。学校は、地域住民、国民の持ち物です。それは、私たちの税金で立てられているからです。それを、学校の教員に、教育をするために施設を貸しているのです。それなのに、何で私たちが頼んで借りなければいけないのですか。どちらが使うことが無駄遣いなのですか。」もちろん、穏やかに言ったのですが、ちょっときつかったかもしれません。その点、ドイツでは、「学校は機能であり、建物ではない」ということが、ここでも実感できました。内容も、学校との連携が取れており、宿題の指導も、ただ、子どもたちにやらせているのではなく、きちんと指導をしていました。そして、私たち見学者のために、事前にテーマとして日本のことを勉強し、知っている日本語を書き出したり、忍者などの絵を描いたりしてありました。また、研修中に出された飲み物やケーキを運んだり、片付けを子どもたちがしてくれました。何度でも、「コーヒーはいかがですか?」と聞きに来られると、一生懸命で、なんかかわいくて、おなかがいっぱいでも、飲んであげないと気の毒な気がして、つい「お願いします。」と言ってしまいます。放課後に、学校では出来ない学習をしている気がしますね。

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2006年02月15日 研修

コープ

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 今日は、ミュンヘン市内にある「コープ」という施設に午前、午後2箇所に行きました。ドイツでは、キンダーガルテンが有名ですね。ドイツの偉人「フレーベル」が創設したことで有名で、幼稚園の始まりといわれています。しかし、日本の幼稚園とは、制度の違いもあって少し機能が違うようです。管轄は、学校教育局幼児教育施設部ということで、日本の文科省に当たりますが、3歳児から6歳児まで、または、小学校入学まで(就学年齢の弾力化ということで、6歳児で必ずしも入学させなくてよいことになっています。かなりの家庭で、特に、インテリの家庭では、1年遅らせるようです。)の子どもを預かっています。保育時間は、家庭の事情で、昼までの子、2時くらい、最高5時半まで預かります。ですから、日本のように、保護者の事情(働いているか、いないかなど)では、施設は変わりません。また、働いている家庭でも、ほとんどの家庭では、育児休暇が3年間取れるので、3歳からの入園で大丈夫なのです。どうしてもという家庭では、管轄が違いますが、生後9週間から3歳児まで入園できる「キンダークリッペ」という施設があります。これを、幼稚園に対して、保育園と呼びます。ところが、日本同様に、0歳児からの入園希望が増えてきました。幼稚園への入園率は80~100%ですが、キンダークリッペへは、10~20%しか入ることが出来ません。そこで、数年前から、省庁はまたがりますが、0歳児から6歳児、または小学校入学までの子どもたちの保育施設「コープ」(Kooperationseinrichtung)が出来てきたのです。今、ミュンヘンには10箇所あるそうです。しかし、いくら0歳児から6歳児までの施設だからといって、0歳児から、6歳児までを同じ保育室で保育する(0歳児から6歳児までの異年齢児集団)のは、少し無理がある気がします。おやつの時など、0歳児も淡々と自分で食べている姿は、なんともいえません。ドイツの言い分は、「家庭でそうだから。」というのです。この試みの良し悪しは別として、日本との考え方の違いに考えさせられることがあります。それは、保育者が作る書類です。日本では、年案、月案、週案などの保育計画や、児童表と呼ばれるような子どもの発達の記録や、保護者とのやり取りの連絡帳や、日々の記録の保育日誌や、会議録、研修報告など様々な書類を作成します。それらすべて、ドイツでは、ほとんどないそうです。年度末に、簡単な子どものチェックをするだけだそうです。しかも、これは、記録として残すというよりも、複数の保育者の話し合いの材料にするだけといいます。保護者とも、何も書類ではやり取りはしません。言葉だけだそうです。保育計画も、簡単に「今日は散歩」と書いてあるだけです。ですから、子どもが帰ってから残ってやることは何もないといいます。(掃除も、帰ってから業者がやります。)「年に2,3回は残るかもしれません。子どもがいないのに、何をすることがあるのですか?」と、質問に対して、逆に聞かれます。以前は、東ドイツでは、今の日本のように様々な書類を書いていたそうです。それは、社会主義国家が、国としての統制をしていたからです。しかし、将来、どちらの方が有能な人材になるかを検証した結果、何も書かない西ドイツのほうの子どもの方が優秀だったので、東西の壁がなくなってから、何も書かなくなったそうです。日本では、本当に、様々なところで書類を多く作成します。しかし、これらの書類が、保育を厚くしているでしょうか。書類をきちんと作成する保育者が優秀でしょうか。なんだか、たくさんの書類のために、保育が薄くなっているところがあるかもしれません。

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2006年02月14日 研修

ターゲスハイム

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ターゲスハイムと学校の教室
 今日の午後は、ミュンヘン市内にある「ターゲスハイム」という施設に行きました。ドイツでは、基本的に小学校は、午前中で終わりです。それは、1日の食事の中で昼食を大切にするために、昼には家に帰って家族みんなで食事をするからです。ということで、小学校は、すべて半日制です。5年位前にドイツに来たときの新聞に、市民からの要望が高いのは、「小学校の全日制」と「0歳児保育」(基本的には、キンダーガーデンは3歳児から)でした。この小学校全日制の要望を受けて、様々な試みを行っています。ひとつが、この「ターゲスハイム」であり、もうひとつが「ホルト」という施設です。日本でも、小学校が終わってからの「放課後児童対策」として、学童保育(学童クラブ)があります。このイメージに近いものが、今回まだ行っていない「ホルト」です。それに比べて、「ターゲスハイム」という施設は、なかなか理解ができません。直訳としては、「昼間の家」ということなのですが、説明によると、一言で言えば、「午後に宿題とテーマ学習をやるところ」といいます。私は、この「宿題」という言葉になんだか納得がいかないところがあります。宿題というと、英語では、「ホームワーク」といいます。ドイツ語でも同じ意味のドイツ語だそうです。ということは、「家での仕事」というのを、家の外でやることに違和感があるのです。また、宿題そのものにも様々な議論があります。昔は、夏休みを含めて、かなり宿題を出していました。それが、あまり宿題を出さなくなりました。すると、学力が低下してきたので、文科省は、新しい学習指導要領が全面実施された時に一緒に「確かな学力の向上のための2002アピール―学びのすすめ」というものを出しました。その中に「学びの機会を充実し、学ぶ習慣を身に付ける」という項目があります。そこには、「放課後の時間などを活用した補充的な学習や朝の読書などを推奨・支援するとともに、適切な宿題や課題など家庭における学習の充実を図ることにより、子どもたちが学ぶ習慣を身に付ける。」とあります。国として、宿題を出すことを推奨したのです。しかし、ここには、「家庭における学習の充実」とありますが、どうも、学校教育の補足とか、代替の要素が強い気がします。というのは、「ゆとり教育」と同時期に出されたので、学校教育が削られたということで、教え切れない、定着しきれないことを家庭で補うということでしょう。でも、そうなると何のための「ゆとり」なのでしょう。子どもは、学校でやらなくなった分を家庭でやるとしたら、学校の教員にとってだけの「ゆとり」になってしまいます。私が教員の頃は、宿題は、家庭でしかできないことを出していました。親にインタビューをするとか、地域の魚やさんに「なぜ、白い服を着ているのか」取材をするとかです。そういう意味では、ドイツでもターゲスハイムでやることは、「ホームワーク」ではなく、補習授業のようなものでしょう。ただ、ドイツで面白いのは、「学校というのは、建物のことではなく、機能というソフトです。」というように、建物の中に、学校とターゲスハイムが同居しています。それも、日本のように建物の一角が学童クラブという様な同居ではなく、学年ごとに、午前中、学習をする学校の教室の隣に、午後にテーマ学習をするターゲスハイムがあり、3時頃からターゲスハイムで宿題という学習をやるときには、また隣の教室でやるように機能によって教室を行き来します。どうも、ここで宿題をやるのは、授業時間が少ないからではなく、午後は子どもを見ることができない家庭が増えたということのようです。

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2006年02月13日 研修

機内サービス

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 今日は、国際線に乗って、ミュンヘンまで来ました。飛行機に乗るときに考えるのが、機内サービスです。先日、島根に行くときの飛行機の中でのことです。いつものように機内サービスで、飲み物を運んできました。すると、突然、隣の席の人が、スチュワーデスに文句を言い始めました。「俺は、以前から、こんな機内サービスなんていらないと言っているのだ。人件費の無駄だ。それよりも、前のほうに自動販売機を置いておけばそれでいいのではないか。」というようなことです。乗客の言葉を無視するわけにもいかず、スチュワーデスは、しゃがみこんで、一生懸命に謝っています。そして、「その後意見を、会社のほうに申し伝えます。」と言うと、乗客は、「前にも同じことを言ったのに、何も改善されていない。それは、言っていないからだろう。」隣で聞いていて、いらないのなら断ればいいのに。欲しい人もいるだろうに。そんなことを言われても困るだけで、もし意見があるのなら、きちんと会社にでも手紙を出せばいいのに。と思ってみたのですが、まあ、結局は、文句を言って、聞いてもらうのが、この人にとっての機内サービスなのだろうと思いました。到着をするまでに、何度もスチュワーデスに様々なことを注文していました。確かに、機内サービスが必要かどうかは、考えます。その分、チケット代が高いのかもしれません。しかし、楽しみなこともあります。のどが渇いているときには、飲み物が欲しい気がします。何かあったときには、誰かを呼びたいときもあります。どこまでが適正なサービスで、どこからが過剰サービスなのでしょうか。最近、ホテルに泊まるときも、私は、大体は、洗面所にある用品は使いません。歯ブラシ、髭剃り、くしなどは、自前のものを使います。しかし、たまに荷物が多いときには、備え付けがあるとありがたく思います。最近、シャンプーなどは袋でないところが増えました。あの一袋は、男性にとっては、いつも量が多い気がしていましたし、夜と朝使いたいときには、何とか半分にしていましたが、自分で量が調整できるとありがたいです。部屋の冷蔵庫の中も、中身は入っていないところが多くなり、コンビニで買って自分で入れて使うようになりました。これもいいのですが、外に出るのが面倒であったり、ホテル内や近くに買うところがないときは、あればいいと思うときもあります。人間というものは、贅沢ですね。自分の都合のよいように要求してしまうようです。
 過剰サービスかどうかというと、最近の保育園のやることで、これは過剰サービスかなと思うことがあります。きちんと親としてやるべきことまでやってしまったり、子どもだ自分でできることまでやってあげたりすることがあります。このサービスは、ありがた迷惑というよりも、自分自身の力を奪っていることになるときがあります。いわゆる、自立する力を奪いかねません。かといって、なんでも相手に要求したり、勝手にやれといわんばかりに放り出しても自立はしていきません。この対応は、親子関係でもいえます。子どもに過剰育児は、子どもの自立を妨げ、逆に放っておいても自立をしません。育児は、サービスではありませんが、適切な、心地よいサービスを見つけていかなければならない点では、同じかもしれません。邪魔をせず、必要なときに力を貸し、自分でやろうとする気持ちを受け止めることの必要性を、長い国際線の機内で考えていました。

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2005年11月04日 研修

高齢者

 今日は、園内で、「ゆうゆうサポート事業」の1講座である「正常な子どもの発達」ということで2時間話をしました。この「ゆうゆうサポート事業」というのは、簡単に言うと、「育児をお互いに助け合いましょう。」「育児で、困ったと思ったときには、いつでも、『助けて!』と言える社会を作りましょう。」ということです。育児は、主に母親の肩に重くのしかかっています。「それをひとりでがんばって支えなくても、社会で支えていこう。」というネットワークを作ろうというものです。今日の話の中に使わせてもらった話があります。
 今年の2月に行われた全国私立保育園連盟主催の保育総合研修会での記念講演での話です。講師は、京都大学霊長類研究所助教授の正高信夫氏です。
「霊長類を学ぶと、皆さんにとって当たり前のことが不思議に見えてきます。哺乳動物は約4700種いますが、高齢者が存在するのは人間のみです。高齢者の定義は、生物学者にいわせると「繁殖活動を停止したのに生きている」ということです。生物の最大の使命は子孫を残すことで、役目を終えたのに生きているのは邪魔、子孫の食い扶持を減らすこと、資源の浪費になります。たとえば、鮭などは、産卵したら死ぬという効率のいい生物です。日本猿は飼育下での寿命は20歳。雌は人間同様に28日周期で生理があり、閉経すれば数年で死にます。痴呆の治療の研究で、動物実験をするのに、痴呆の動物が必要なのですが、犬、猫の場合はいるのですが、サルはその前に死んでしまいます。野生だともっと短命で、18,19歳で最後の出産をし、授乳中に力尽きて衰弱し、親子とも死んでしまいます。なぜ、人間だけに高齢者が存在するのか、何か理由があるはずです。その理由は子育てです。親が子育てするのは、ここ100年くらいの出来事で、それまでは高齢者が子育てをしていました。そして、親は働き、その家は繁栄してきました。等々」
 確かにそうかもしれません。出産をする時期は、肉体的にも、精神的にも人生のなかで一番強い頃でしょう。その頃の人が、家にだけいるより、働いたほうが、みんなが生きていく上で効率的だったのでしょう。しかし、子どもがいるので、その子を、高齢者が見るというのは、当然なことかもしれません。もともと、そういう意味では、子育てと仕事は両立するものでもないし、子どもにとって、母親にとっても、一日中いっしょにいることは、肉体的にも、精神的にも無理なことかもしれません。したがって、これからは、女性も社会に参画し、育児を社会全体で支える必要があります。しかし、私はこう思います。かつては確かに、男も女も働いていたでしょう。しかし、今と大きく違うのは、親は、ほとんど子どもの見ているところで働いていた気がします。ですから、子どもは、置いていかれることに納得していたに違いありません。子どもを置いて、自分だけが楽しんだり、好きなことをしていませんでした。また、農家などでは、日が暮れる前に帰ってきたことでしょう。今は、帰りが遅すぎるように思います。母親だけが、家の中だけで、育児をするのではなく、男女とも、きちんと働いて、自己実現を図り、社会を広く見て、そして、子どもが小さいうちは、明るいうちに子どものもとに帰れるような社会作りが必要なような気がします。また、親の育児を支える社会を作っていくことも必要でしょう。

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2005年10月16日 研修

修学旅行

 今日は、昨日に続いて、金沢でした。しかし、昨日の研修とちがって、昨晩から、職員厚生に切り替わりました。自分たちで積み立てた旅行費で、みんなで温泉に泊まり、夜ゲームをしたり、遅くまで話し込んだりします。そして、今日は、金沢観光です。テーマごとの班に分かれての行動です。私は、加賀友禅染体験コースでした。そして、明日の早番のために早めの帰宅です。(このブログは、帰りのバスのなかで書いています。)やはり、園での行事同様、みんなで泊まって、ゲームなどやることは、普段の保育が厚くなる気がします。昨日のゲームの圧巻は、何人かが「見守る保育」のイメージを絵で表し、私がそれを採点するのです。結果、みんなよく理解していたので、全員合格にしました。なんだか、修学旅行に行ってきた気分です。
 修学旅行といえば、高校時代の修学旅行の思い出があります。この体験が、今の保育に少し影響を及ぼしています。私の高校は、ほとんど生徒の自主性に任せるということで、教師はあまり関与しませんでした。たとえば、修学旅行も、日程と費用だけが提示され、その中で、クラスごと自由です。私のクラスは、みんな、ものぐさが多く、あまり遠くへ行くのはよそうということで、行き先は「箱根」に決めました。(今、考えると、せっかくの高校生活最後の思い出が箱根というのも情けない話ですが。)ゆっくり出発して、宿に着いたら、部屋に分かれます。部屋割りは、部屋ごとにそこで何をするのかで決めました。「マージャンの部屋」「トランプの部屋」「歌を歌う部屋」などです。そして、就寝時間はありません。(先生は、いません)そして、次の日、ちがう場所に移動するために、朝9時にバスを頼んでおきました。しかし、一番早く起きた私でさえ、(私が、旅行委員でした)起きたのが、10時を過ぎていました。急いで、みんなを起こし、相談した結果、「面倒くさいから、もう一晩ここにいようよ。」ということで、ずっと、箱根の同じ宿にいただけの修学旅行でした。もちろん、写真などありませんから、卒業アルバムを作るときに苦労しました。(私のクラスだけ、誰も写っていない観光写真です。)そんな自由な、自分たちに任された修学旅行でしたが、その間、決して、みんな法律に違反すること(お酒を飲んだり、タバコを吸ったり、他人に迷惑をかけることなど)は、やりませんでした。それは、自由を、失いたくなかったからです。もし、そんなことをしたら、次の年から、行き先は先生が決め、先生に引率され、見張られる修学旅行になってしまうでしょう。その時の体験から、、自由を守りたかったら、きちんと自律ができないといけないのだということに気がついたのです。
しかし、その年齢のころは、ずいぶん気負っていた気がします。その卒業アルバムですが、やはり私が委員だったのですが、どうしても担当の先生が好きになれませんでした。たとえば、こんな提案に抵抗しました。「毎年アルバム委員は、大変なのに、縁の下の力持ちで終わってしまう。だから、今年は、1ページすべてを使って、アルバム委員の写真を大きく載せよう。」そこで、写真を届けるときには、友達に持っていってもらったので、卒業アルバムには、名簿は、私の名前ですが、写真は、友達が写っています。なんだか、懐かしい思い出です。

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2005年10月15日 研修

研修旅行

 今日は、1年に1度の職員研修旅行で、金沢に来ています。私の園には、見学者が多く来ます。見られるだけでなく、他園を見ることも必要であり、とても、勉強になります。しかし、そのときに悪い園はできるだけ見ないようにしています。悪い園でも、勉教になるところはたくさんあります。しかし、私は、悪い園から学ぶのには、力が必要だと思っています。そうでないと、「こんな程度か。」とか、「何だ、自分のほうがいいや。」とか、自分のほうが優位に立つことができるところだけを見てしまうからです。自分のよさを見直すということはあるのでしょうが、自分を成長させるように取り入れることは難しいと思います。また、できる限り、職員みんなで行くことにしています。多くの職員で同じものを見るほうが、見る観点がさまざまでありながら、共有できる部分が多くあるからです。しかし、保育園というところは、それがなかなか難しいですね。それが可能である日は、見学先には子どもがいない日であることが多いからです。そこで、どうしても、土曜日になってしまいます。そして、職員の中で、自分の子どもが小さかったり、家庭での用事があって行けない人が、土曜日の保育をすることにしています。いくら、みんなでいくといっても、まずは、自分の家庭を大切に思ってもらわなければ、研修する意味がなくなってしまうからです。
また、この研修は宿泊です。一時、1泊社員旅行を行わなくなりました。最近、また、関係性の構築、コミュニケーション能力が必要であることから、見直されています。
 では、そんな研修で、職員は、何を学ぶのでしょうか。それによって、職員のスキルは上がるのでしょうか。
 来るときに飛行機の中で読んでいた本にこんなことが書いてありました。
日本人は、物事を練磨し、習熟しようとする。剣術や槍術がいい例である。剣や槍というのは、たかが金属の延べ棒であり、単純な道具である。道具が単純なだけにはじめての者がふりまわしてもどうもあつかいきれない。やはり技術がいる。その技術は単に「やりかた」というようなものではなく、日本人の手にかかるとひどく深遠なものになっていく。そこに玄人と素人がわかれ、その差は天地ほどにひらく。 ―略― が、西洋は違う。西洋にも技術はあるだろうし、その技術の深遠さということもあるだろう。しかし、彼らは不器用なのか、ものの考え方がちがうのか、道具や機械はすべて素人がすぐに使えるように工夫し、そのように仕立ててしまう。西洋人の間に道具や機械が発展したのは、一つにはそのようなことにもよるだろう。
 保育の世界で、確かに、保育者の質の向上、専門性の奥深さは必要です。しかし、その専門性が、知っている手遊びの種類の数であったり、ピアノの弾けるレベルであったりすることではないはずです。また、一人ひとりの習熟の程度でもありません。集団が、その環境が、結果的に習熟を促すような仕掛けです。それが、西洋のいう、「道具や機械はすべて素人がすぐに使えるように工夫し、そのように仕立ててしまう。」ということかもしれません。

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2005年10月02日 研修

質問

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 今日は、9時から15時まで、石川県の4つの園の職員が集まって、合同研修会がありました。1時間半の基調講演の後、同じ思いの職員が、それぞれグループを自主的に作り、普段の保育の課題や悩み、実践を話し合いました。
 合同研修といえば、私の保育園で、開園当時、こんな研修をしたことがありました。近くの園の職員にみんなで来てもらって、まず、私の園の職員が「異年齢児保育を導入しようとしている保育園の職員役」、近くの園の職員が「異年齢児保育を導入すると園から言われた保護者役」になって、ディベートをします。「こんな理由で、異年齢児保育を始めます。」「このように移行していきます。」というと、「では、3歳児は、5歳児にいじめられませんか?」とか、「5歳児は、3歳児に引っ張られて幼稚になりませんか?」「子ども一人ひとりを見ていけるのですか?」と心配をぶつけます。そして、それに答えていきます。保護者対応のシュミレーションの意味もありますし、異年齢児保育の意味の確認にもなります。とても面白かった印象があります。このような研修を、園内でやってもいいですね。しかし、本当は、もっと、他園との園児、職員の交流、保育の見合い、意見交換などが必要です。でも、近くほど難しいですし、同じ理念を持っているなど、共通の基盤がなければなりません。そんなことで、今、各地で、「見守る保育」という共通の基盤、「新しい異年齢児保育」という共通課題を持った園が集まりはじめています。そのひとつが、石川県でも起きてきました。
 午後は、私への質問です。話した後に、「何か、質問のある人?」と聞くと、ほとんど何も出ません。私もそうですが、聴きたいことはいっぱいあるのですが、答えを聞きたいより前に、質問内容をみんなに聞かれることが恥ずかしいのです。こんな質問の答えは、みんなは、とっくに知っているだろう。こんな質問は、なんか場違いではなかろうか。この質問の答えは、話の中で 言ったかもしれないと思うのです。しかし、「みんなで話し合いながら質問内容を出し、それを昼の間に紙に書いて、提出してください。」というパターンが、たくさんでます。今回は、そのやり方でしたから、それは、たくさんでました。その内容を見たとき、いつもまず第一に思うことは、「こんな質問だったら、私だって、答えを聞いてみたいよ!。」と思います。次に、「これに、明確な答えがあるのだったら、とっくに保育の世界や、教育の世界のいろいろな問題は、解決しているだろうに。」と思います。そして、少し冷静になって、「現場は、ずいぶん悩んでいるのだなあ。」「どの本を読んでも、誰の話を聞いても、問題は解決していないのだろう。」と思います。そして、気を取り直して、平気な顔をして、質問に答え始めるのです。そして、答えながら、「これでいいのだろうか?」という思いが絶えず頭の中でぐるぐる回ります。しかし、やはり気を取り直して、「私がぐらついたら、聞いている人も迷ってしまう。」と思うのです。これは、講演のあとの質問だけでなく、どの園長も、職員や保護者から質問されたときに思うと思います。きちんとした対応ができるためにも、私たちも、研修が必要かもしれません。

投稿者 fujimori : 21:14 | コメント (1)