2010年02月20日 映画

自然の神秘

 私の園では、毎年テーマがあり、そのテーマにそって保育を展開します。昨年、一昨年は「自然」がテーマで、 夕涼み会では、「アース」という映画を上映しました。この映画は、製作5年、撮影日数のべ2000日、撮影地全世界200か所以上というスケールで、さまざまな生命が息づく地球の姿に、改めて地球をとりまく環境について考えさせられるものでした。
 今年話題になっている映画に「オーシャンズ」という映画があります。総制作費70億円かけてつくられた海洋ドキュメンタリーで、総撮影時間は469時間36分で、撮影期間に4年の歳月を費やし、撮影箇所は世界50ヶ所だそうです。ちょっと、「アース」には及びませんが、予告を見た限りでは、海を舞台として、様々な命の物語が描かれているようです。   すべての生き物の進化の源である海は、今でも地表面積の70%をしめています。その生みの中の世界で起きる現象を、海底、海中、そして空中からの奇跡的な映像で見せています。  少し前に、「WATARIDORI」という2001年にセザール賞編集賞を受賞した作品がありました。この映画は、1時間半ほどですが、世界20ヵ国以上で3年に及ぶ撮影、100種類以上の“渡り鳥”が北極を目ざし、また元の場所へ戻っていく旅の模様を克明に映し出しています。ひたすら鳥と一緒に渡っていくというイメージなので、評価は分かれたようでしたが、ほとんどCGを使わずに撮影されたため、訪ねた国は40カ国以上、スタッフとしては撮影のために特別に造られた超軽量航空機のパイロット17人、14人の写真監督、5人のアニメ映画監督、9人のフィクション映画監督、そして鳥類の専門家がいたそうです。
 この「WATARIDORI」も「オーシャンズ」のジャック・ペランという人が監督をしています。彼は、もともと映画俳優で、私が見た映画では、カトリーヌ・ドヌーヴとドヌーヴの実の姉であるフランソワーズ・ドルレアックが双子の姉妹を演じた「ロシュフォールの恋人たち」という1967年のフランスミュージカル映画があります。この映画は、昨年、やはりカトリーヌ・ドヌーヴ主演の映画「シェルブールの雨傘」製作45周年を記念し、日本で世界初となる「デジタルリマスター版」が特別上映されました。
 また、彼が監督の道に行くきっかけが、27歳の時に映画スタジオを立ち上げ、初プロデュース作品となるコスタ=ガヴラス監督の「Z」があります。この映画は、地中海沿岸の架空の国での話ですが、左派を率いる国会議員Z氏が暴漢によって暗殺され、その調査に乗り出した予審判事の話で、1969年度アカデミー外国語映画賞や編集賞を受賞しています。また、この映画では、Z氏は、イヴ・モンタンが演じていましたが、ジャック自身も新聞記者の役で出演していました。
 話は、もどして、最近は、このように自然を描いた映画が流行っています。テレビでもNHKでは「ダーウィンが来た!生きもの新伝説」という番組を2006年4月から今年で4年目に突入した自然番組があります。私が子どもの頃必ず見ていたテレビ番組が毎週金曜日20時から放送されていた「ディズニーランド」という番組がありましたが、そこでは、「未来の国」「おとぎの国」「冒険の国」を交替で放映していました。この「冒険の国」が自然を扱ったものでした。
 いつの時代でも、自然の神秘には、心が奪われるものです。

投稿者 fujimori : 23:40 | コメント (4)

2009年09月17日 映画

銀の鈴

 少し前に、映画「銀の鈴」が今春完成し、今年の終戦記念日に大阪市天王寺区のクレオ大阪でこの映画が上映されたことをニュースで知りました。この映画は、大阪を拠点とする劇団ARK が、2000年に戯曲『銀の鈴』と題した舞台で3度上演してきたものの映画化で、舞台の脚本・演出をつとめてきた劇団を主宰者である斎藤勝さんが監督を務めています。
昨日、講演のために沖縄に行ってきましたが、この映画化のニュースを思い出しました。というのは、昨年、妻と沖縄を訪れたときにどうしても行きたかったところが「対馬丸記念館」でした。映画「銀の鈴」は、対馬丸の悲劇の映画化なのです。対馬丸記念館を訪れた時の写真を見つけたのですが、当時の学校の教室を再現した写真だけが残っていました。
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なぜ、この記念館に教室の再現されたものがあるかというと、対馬丸の悲劇とは、大人が起こした戦争の為に理不尽にも幼い子どもたちがその犠牲になった出来事だったからです。しかも、救助された人々には「緘口令(かんこうれい)」がしかれ、この事実を話すことを禁じられましたし、犠牲者や生存者に関する詳細な調査も行われず、沖縄に残された家族に正しい情報が伝わることはなかったのです。
アジア太平洋戦争の終末期、日本軍は敗戦を重ねるようになり、ついにサイパン島が占領されました。「サイパンの次は沖縄だ」と判断した軍の要請で、政府は奄美大島や徳之島、沖縄県の年寄り・子供・女性を島外へ疎開させる指示を出します。疎開先は、日本本土へ8万人、台湾に2万人の計10万人です。しかし県民はあまり乗り気ではありませんでした。そこで、県は「沖縄県学童集団疎開準備要項」を発令し学校単位で疎開事務をすすめます。それは、沖縄を最後の決戦の場として多数の兵士を沖縄に移駐させるために、大量の食糧が必要になり、足手まといになる民間人を県外へ移動させることは急務だったのです。
沖縄から本土に次々に軍艦による疎開が行われましたが、その中に「対馬丸」という巨大な輸送船がありました。この船には、疎開学童、引率教員、一般疎開者、船員、砲兵隊員1788名が乗り、5隻の船団を組んで長崎を目指し出航しました。しかし、この対馬丸は、建造から30年も経った老朽貨物船であり、航行速度が遅く、潜水艦の格好の標的になってしまいました。その場所は、今年、皆既日食の観測で話題になった鹿児島県・悪石島の北西10kmの地点で、米潜水艦ボーフィン号の魚雷攻撃を受け沈められてしまいます。ほとんどの乗船者は船倉に取り残され、海に飛び込んだ人も台風の接近に伴う高波にのまれ、児童850人以上を含む犠牲者数1418名(氏名判明者=2004年8月現在)の尊い命が犠牲となりました。
 対馬丸乗船者中、一般疎開者の生存者は168名、学童だけについていえば、わずかに59名だけしか助かりませんでした。しかも、救助された数名の学童たちは、緘口令のもと、対馬丸撃沈の事実は隠され、また、この時のショックで喋ることができなくなった少女もいました。しかも、この助かった子どもたちにもその後も戦争は呵責なく押し寄せ、沖縄は戦場のるつぼと化し、「生き残ってからが、本当の戦争だった」と言わしめています。
 この対馬丸の沈んであるあたりは、今航路になっていますが、その深海の底でいまなお一千余の遺体が、穴のあいた船体のなかに横たわっているそうです。

投稿者 fujimori : 22:21 | コメント (5)

2009年09月13日 映画

親という存在

昔は、必ずしも子どもは母親だけが育児していたわけでもありません。それは、子どもが小さいころの母親は、働き手としてもベストの体調であることが多いからです。ですから、働いている間は、祖父母が見たり、兄弟が見たり、近所の人たちが助け合って子どもを育児していました。また、海外では、昨日のブログではありませんが、乳母が見ていることも多くありました。その場合は、特に働くというわけでなく、映画メリーポピンズのように母親が昼間はボランティアなどで出かけることが多かったようです。日本では、ほんの上流家庭の一部ですが、やはり乳母が子どもの育児をしていました。これも、必ずしも母親が働いているわけではなく、乳幼児期からの幼児教育をするためだったようです。
先日、妻と川越に行きましたが、そこには、徳川家光誕生の間、彼の乳母であった春日局化粧の間などの江戸城ゆかりの建造物などの文化財がある喜多院に行きました。この頃の母親と乳母は、子どもにとってどんな存在だったのでしょうか。私は文献などを見たことも研究をしたこともありませんので、本当のことは分かりませんが、テレビや映画などで見る限りでは、母親は、ただ子どもを愛し、愛着形成をしていたように思います。その愛着形成を基盤に、子育ては様々な人にしてもらっていたという気がします。ですから、家光と春日野局の関係は、愛着関係というよりも信頼関係で結ばれていたという感じがします。その信頼関係から教育がされてきたのです。
親は、子どもを意図して教育する存在ではないのです。子どもは親からやってもらうよりは、親のやることを見て学ぶことのほうが多いのです。正岡子規の「病状六尺」にこんなくだりがあります。「家庭の教育は知らず知らずの間に施されるもので、必ずしも親が教えようと思わない事でも、子供は能く親の真似をしている事が多い」存在自体、生き方自体が親からの教育なのです。
また、子どもを愛し、ひたすら信じることで、子どもは変わっていきます。少し前の映画ですが、アカデミー賞を総なめした作品で、サブタイトル「一期一会」がついている「フォレスト・ガンプ」には、そんな母親が描かれていました。
 IQが少し低い主人公フォレストは、小学校で同級生にいじめらればかにされますが、足の速さからフットボールの選手になり大学までいき、代表選手にまでなります。ベトナムに兵士となって行っても仲間を助け、勲章をもらいます。卓球をやれば中国での世界選手権に出場します。その後エビ漁で大金持ちになり、成功をおさめます。何をやっても一流になってしまうのです。原作では、まだまだ様々なことで、例えば数学者として、宇宙士として、ピグミー族の中で一流になります。
 彼がいろいろなことで一流になるのは、IQの低さゆえに一途な生き方が、成功をおさめることになるという見方がありますが、私は、母親のあくまでもフォレストを信じる気持ちが彼を成功させることになったのだと思います。幼い日に母親がいつもフォレストに語って聞かせた「人生は、チョコレートの箱のようなもの」で食べてみるまでは中身がわからないといいます。女手ひとつで一人息子を育てていた母親は、その子の背骨が曲がっていることがわかったときも、IQが人並みに至らないことを告げられたときも少しも動じませんでした。小学校に入るときも「うちの子は、普通の学校に通わせます。」と頑張った強さは、見栄からでなく、子どもを愛し、信じる気持ちの表れなのです。「おまえはきっと、誰かからばかと言われるに違いない。もしかすると知恵遅れってからかわれるかもしれない。でも、ばかというのはばかなことをするからばかなんだよ。」この母親の自信は、成長したフォレストをきちんと手離し、自立させることになるのです。
 親として、子どもたちをあくまでも信じ、愛することができるでしょうか。きっとまわりの人に愛され、信じられた子はすばらしい人生を送ることができるにちがいありません。

投稿者 fujimori : 21:52 | コメント (4)

2009年08月19日 映画

ドイツのケストナー博物館で開かれている「食を巡る400年の歴史」を紹介している記事にはこんなことも書かれてありました。「“乾杯”という行為が、中世では毒を盛っていないという信頼の証だった・・・・・・など、知って面白い雑学も得られる」
以前のブログでドイツでの乾杯をテーマで書いたことがあります。プローストと言いながらグラスの底を合わせるドイツ式の乾杯。日本では、グラスの口元を合わせますが、どちらにしてもどうしてカチーンと合わせるのでしょうか。
乾杯という儀式は、古代に神や死者のために神酒を飲んだ宗教的儀式が起源です。それが次第に人々の健康や成功を祝福する儀礼に変化していったそうです。しかし、グラスを合わせるのはまた違った説がいくつかあります。
「酒の中に宿っている悪魔を追い払うために、グラスを会わせて音を立てる」「グラスを勢いよくぶつけ合うことで、互いの酒を互いのグラスに飛ばしあい、それを混ぜ合わせ、毒が混入していないことを証明しあう」「家の主と客が乾杯し、同時に飲み干すことで、客にすすめる酒に毒が入っていないことを証明する」などです。このように毒が入っていないことを表すのは、王位継承権争いで毒殺合戦が横行した時代であったため、また毒のわかりにくいリキュール類は特に危険な存在であったためにそのような習慣が生まれたと思われます。
一方、中国には“干杯”(ガンベイ)という儀式があります。これは、その字のごとく「杯を乾す」ということで、「グラスを空にする」ということです。また、乾杯はその宴を始める時に1回やるものですが、中国では、最初の一回だけではなく、お酒を飲む際に毎回乾杯することが礼儀です。昔、中国に行ったときに農林局の役人さんたちと飲んだことがあったのですが、それこそ大変でした。毎回干杯をするのですから。しかも、本当に飲みほしたかを毎回グラスの底を見せ合うのです。
乾杯という儀式は、広い意味で食育というか、食の文化の一つであることには違いありません。同じように、 食育には「味覚の教育」が必要であると言われています。フランスでは、ワインの醸造学者が小学校の先生たちと始めたのが、食の本物の味や生産地を知る「味覚の教育」といわれる授業です。映画「未来の食卓」のパンフレットにも「小さい子どもたちは、舌も敏感で、食を五感でとらえます。その大切な時期に、食を通して子どもたちの味覚と豊かな感性を育てる教育が必要である」と書かれてあります。その大切な時期に、食を通して子どもたちの味覚と豊かな感性を育てる教育で、フランスでは多くの小学校で実践され、毎年、味覚の週間としてもイベントでも実施されているそうです。実際に給食のときに子どもたちが好き嫌いを言う時にわかりますが、嫌いな理由が味だけでないことが多いのです。食感、色、舌触り、匂いなどでその食材のイメージを持ってしまいます。そのように子どもたちは、五感から感じることが味にも影響を与えます。
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また、フランスで行われている食育の一環として国で予算をつけて推進しているものに「教育ファーム」があります。いわゆる農家体験です。農家を開放して畜産や農業の様子を子どもたちに体験させて食の現場を知らしめるというものです。
フランスは、食育の先進地といわれています。映画「未来の食卓」は、決して未来ではなく、「現在の食卓」にしていかなければ取り返しがつかなくなってしまいそうです。

投稿者 fujimori : 23:13 | コメント (4)

2009年08月18日 映画

食卓

今年の3月のフランスの新聞に「現代のフランスの若者の姿」という特集があり、その中で「将来に対してどのくらい若者が自信を持っているか」というデータが掲載されていました。そこでは、例えばデンマークなどでは60%、アメリカが54%、スウェーデン49%、中国43%、ドイツ36%、スペイン32%という数値の中でフランスはとても低く、26%しかありませんでした。(ちなみに日本は5%)そのようなこともあり、フランスでは今幼児教育改革が行われています。このような低い数値では、フランスの将来が危ないということでしょう。今まで、ただ少子化を防ごう、子どもを増やそうというスローガンのもと、経済効率を優先してきた付けが回ってきたことへの反省でしょうか。
フランスでは、このような経済効率化はいろいろな所にひずみを起こし、国民の心だけでなく、体にも栄養を及ぼし始め、その反省からいろいろなことに取り組み始めています。そのひとつに「食」があります。フランスは、食料自給率が100%を超える農業大国です。(ちなみに日本は40%以下で先進国で最低)しかし、フランスでは農薬を使っている農家の方々ががんなどの深刻な健康被害にあっていることが問題になっています。
そんな中で2006年からバルジャック村の給食センターはオーガニックを導入。有機栽培で育った食材、そしてなるべく地元の食材(地場産食品)を使った給食を、ガール県の公立校3校、私立1校、村の一人暮らしの高齢者を対象に200食を届けることになり、同時に、校庭の隅の小さな畑で子どもたちは野菜作りにチャレンジします。そんな試みにフランスの小さな村が立ち上がり、挑戦します。その1年間を追ったドキュメンタリー映画が「未来の食卓」です。先日、妻と二人で見に行きました。
この映画は、昨年11月にフランスで公開され、当初20館で上映が始まりました。公開後、見た人の口コミで広がり、56館まで拡大し、また映画を観た人が自分のライフスタイルにオーガニックを取り入れることを意識し始め、生徒の決定により食堂をオーガニック化した大学も現れるなど、社会的なムーブメントを起こしているそうです。この映画の冒頭で「人間の行動が病を生むのです。その最たる物が化学汚染です」と発言するシーンが出てきます。
日本では正確な数字はわからないとしていますが、日本農薬要覧によると、1年間で農薬26万590トン、うち殺虫剤は10万360.5トンが出荷数量として記録されているようです。この数字は耕地面積1haに対して撒かれる散布量を算出すると、世界2~3位だそうです。しかも、食料純輸入額の4兆600億円は世界ダントツ1位で、食料の60%を輸入に頼っているのが現状ですから、恐ろしくなりますね。
夏の間、ドイツのケストナー博物館では「食を巡る400年の歴史」(Zu Gast. 4000 Jahre Gastgewerbe)が開催されているようです。この展覧会では、400年前の食器やテーブルマナーからファストフードなど現代の食文化に至るまで、食に関する膨大な資料を通して、生命を維持し、文化を発展させてきた「食」の真髄を探るということで開催されています。また、外食する際に、味と同等、もしくはそれ以上に印象に残るのが接客サービスや食事環境ということからの観点の展示もあるようです。
どの国でも「食育」が盛んのようですが、フランスのように農薬使用の見直しとか、殺虫剤の散布の見直しとか、食料自給率向上とか、ムーブメントとしての具体的な運動に発展していかないのでしょうか。

投稿者 fujimori : 20:34 | コメント (4)

2009年06月29日 映画

フレンド

 ケストナーが描いた子どもの時代は、子どもたちは集団で動き、その中で友達ができ、その友達同士で助け合い、危機を乗り切ってきました。それが、映画「ベン」の中では、少年は黒ねずみを友とし、お互いにわかりあい、危機を乗り越えたり、悲しみを共有し合います。最近は、友といってもお互いにつるんでいるだけで、心を許しあったり、悲しみを共有したり、一緒に危機を乗り越えるような友は見当たらなくなりました。そんなときには、子どもたちは、「イマジナリー・フレンド」を持ちます。子どもの創造力から生まれた友達です。この友達を持つときは、孤独であるとか、自分だけが浮いている存在のように思うときとか、いじめを受けているとか、つらい思いをしているときとか、成長する過程での苦しみを分かち合う場合が多いようです。
 イマジナリー・フレンドともいえる存在の有名なのは、「ドラえもん」でしょう。のびた君が、つらい時、困っているときに話を聞いてあげ、その状態から救ってあげます。しかし、正確に言うと、このドラえもんはみんなにも見えるので、少し違うかもしれません。
 しかし、本来のイマジナリー・フレンドは、子どもが大人に成長する過程で気持ちを共有したいときに存在し、成長し、自立するに従って消えていくものなのです。そんな「いけちゃん」というイマジナリー・フレンドをもったヨシオ君の成長物語である「いけちゃんとぼく」という映画を日曜日、妻と見に行きました。この映画の原作は、「毎日かあさん」でテレビ放映もされている西原理恵子さんの絵本です。
この映画のパンフレットには、「いけちゃん」のことがこんなふうに書かれてあります。「いつの頃からかいつもヨシオのそばにいる。ヨシオにしか見えないし、色も形も変幻自在。お父さんが死んだ時も、いじめられたときも、いつも一緒にいてくれた。だが、ヨシオが成長するにつれ、その姿はだんだん見えなくなっていき、とうとう最後の日に いけちゃんはヨシオにあることを打ち明ける。それはあまりにもせつない告白だった…」
いじめられているヨシオは、強くなろうと早く大人になろうとします。しかし、いつもいじめっ子だったヤスとたけしが、別の町の悪ガキ集団に襲撃されている光景を目の当たりにした時、「上には上がいて、上の上には上の上の上があるんだ。無限に続くんだ。宇宙人や恐怖の大王まで。これは連鎖なんだ」と残酷な世界の法則を悟ります。だれかを敵にして、その敵をやっつければ解決するのではなく、その連鎖を断ち切らない限りは解決しないことを知るのです。その連鎖を断ち切る方法を見つけたときに「いけちゃん」は、別れを告げるのです。
パンフレットの中で、精神科医の名越康文さんは、イマジナリー・フレンドのことをこう言っています。「人間というのは、自分の想像の産物が独り歩きするという不思議な知性というか能力を持っていて、しかも“自分の中から出てきた他者”であるその存在に、自分が影響を受けるんです。特に10歳くらいまでの子どもの空想世界は、大人になってからとは全然違うものなんですね。きっと、多くの子どもたちは、彼らにとってもいけちゃんを持っていて、その言葉を超えたコミュニケーションが、無意識の中に深く刻み込まれている。そして大人になると、その時の特別な体験を実社会の中に探し始める。あるいは自分で作りだし、以降の人生を強く突き動かす力になる」
 フレンドを持っている人は幸せです。

投稿者 fujimori : 23:26 | コメント (4)

2009年06月28日 映画

私は、今ある雑誌で映画批評を書いています。その欄で、来月は児童文学の中でも全世界で親から子どもへと70年も読み継がれてきたドイツのケストナーの作品の映画を紹介しました。その作品の中で私が紹介したかった作品は「点子ちゃんとアントン」ですが、残念ながらDVDは廃盤になっていて普通では手に入らないので断念しました。ちなみに私は中古で手に入れたのですが。そこで、「エーミールと探偵たち」と「飛ぶ教室」を紹介しました。「エーミールと探偵たち」の私が子どもころに映画化された作品については、このブログでも書いた気がしますので、本では「飛ぶ教室」を中心に紹介しました。
この作品の中でケストナーの多くの作品のテーマである「友情」について描いています。映画の中で、子どもたちが歌うラップの歌詞にその考えが表れています。それは、真実を見つめることを恐れずによく見つめること。正しいことは勇気を出してぶつかることで世界は広がり、きっと、進むべき道が見つかるはずなので、自分をもっと信じてくよくよするなと歌います。そして、時間がかかるかもしれないけれど、敵対しているグループも、いつも権威をかざしている先輩も、男女の間でも心が一つになることを子どもたちは実感します。そして、その友情の「飛ぶ教室」は、信頼できる先生がいることで飛ぶことができるのだと歌うのです。
友情について歌ったもう一つの歌詞があります。「僕たち二人は、もう友達を捜さなくてもいいね。僕たちはもう見つけたから。お互いに友達と呼べる人がいるから、もうけっして独りじゃないね」この喜びをこう表わしています。「I used to say I and me Now it's us, now it's we」(いつも「I(僕は)」や「me(僕の)」という言葉を使っていたのが、これからは「us(僕たちの)」「we(僕たちは)」と言えるようになった)
この友達関係は、心臓手術を受けたばかりで、幼な心に死の危機を予知し、孤独だったダニー少年と多くの仲間と人間を襲い、多くの人を殺し、警察から追われている「ベン」という一匹の黒いネズミです。1切れのパンで知り合った少年とねずみの交遊は、少年はねずみに全てを話せる友を求め、ねずみは純粋な少年に裏切ることのない信頼を見いだしたのです。ですから、少年はねずみの名前があの悪名高いベンと知ってもなお暖かい愛情を贈り、友情の証にこの歌詞のような「ベンの歌」を作って捧げたのです。
「ベン、みんなは君を邪険に扱うけれど、僕はみんなの言うことなんか聞かないよ みんなは君の良さがまったく分からないから。君をきちんと見てみたら、考えが変わるだろうって思うよ ベンみたいな友達がいれば、人の価値がちゃんと分かると思うけど。」という歌詞は、その映画主題歌を子どもの頃に歌っていた、一昨日亡くなった歌手マイケル・ジャクソンの心境のような気がします。
この映画「ベン」の主題歌「ベンのテーマ」をマイケル・ジャクソンが歌ったドーナツ盤のレコードを私は持っています。映画を見て、その歌に感動したからです。そのジャケットの子どものころのジャクソンの写真は、とても愛くるしく映っています。
 映画の最後に、人間たちによって仲間の群れたちとベンは火炎放射を浴び、焼かれてしまいます。少年の部屋へ焼け焦げて息も絶え絶えになったベンがやってきて、少年に抱きしめられながら息を引き取ります。歌詞の最後は、「これだけは覚えて置いて。君には僕という帰る場所があるんだ」マイケルは、帰る場所があったのでしょうか?

投稿者 fujimori : 21:57 | コメント (4)

2009年04月17日 映画

逸話

映画のレッドクリフPartⅡは、日本人が好きな三国志を題材にしているので大当たりのようです。この三国志は、話の展開が面白いだけでなく、それぞれの作戦の駆け引きの痛快さがあり、その場面が逸話として伝えられ、日本でも名言になったり、慣用句になったりして、普段からなじみのある言葉が多いことも人気の秘密かもしれません。その中で、映画の主題である「赤壁の戦い」は、三国志の序盤のハイライトだけあって、さまざまな逸話が生まれています。しかし、それは、事実というよりも、それを面白おかしく爽快に伝えているので、本によって少し違っています。
有名なものに、「反間の計」、孔明が夜陰に紛れて矢を盗む「草船借箭の計」、曹操の艦隊を鎖で繋ぐ「連環の計」、そして、先日書いた「東南の風」などがあります。
その中の「苦肉の策(くにくのさく)」は、映画では少し違って描かれていましたが、この言葉は今でも「苦し紛れに生み出した手段・方策」という意味の慣用句として使われています。もともとは、この兵役の戦いで使われた作戦の一つで、害は他人から及ぼされるもので、自らは及ぼさないであろうという人の心理を利用したもので、「苦肉の計」「苦肉の謀」ともいわれています。
周瑜率いる劉備・孫権連合軍が、曹操軍の艦隊に立ち向かうために火で焼き払う「火計」という作戦を用いるのですが、誰が敵陣に潜り込んで火をつけるかというときに、周瑜の家来であった黄蓋が提案した計画です。黄蓋は、この戦いで曹操軍に対抗するための有力な対抗案が出せないとして司令官である周瑜を罵倒します。しかし、周瑜はこの言動を咎め、兵卒の面前で鞭打ちの刑に処します。黄蓋の体は傷だらけになり、敵である曹操軍に投降を申し出ます。曹操は最初疑っていましたが、蔡和から黄蓋が杖百打の刑を受けたという手紙を受け取ると、使者の言っていることが真実だと信じて投降を承知します。こうして偽装投降に成功した黄蓋は曹操軍に放火することに成功し、曹操軍は壊滅することになるのです。
また、中国のことわざに「ガチョウの羽根の扇子を揺らす(揺鵞毛扇)」という言葉があります。何かを画策する様子を指しています。映画の中でも、諸葛孔明はいつも手に「羽扇」というガチョウの羽で出来た扇子を持っています。扇子というより、団扇(うちわ)のようです。この扇子は、後漢から晋時代にかけて文人の間で流行していたものを、諸葛亮も白羽扇を愛用していました。三国志描いたどんな作品にも、ほとんどの孔明は白羽扇を持っています。映画の中で、周瑜が「なぜ羽根扇子を持っているのか」と孔明に聞いたら、孔明は、「熱くならないためです。」と答えたので、周瑜が「あなたのような人でも熱くなることがあるのですか」というシーンがありました。
また、「華容道(かようどう)」という言葉がありますが、これは場所の名前です。赤壁の戦い後、曹操は退却するときに華容道を経て江陵に向かおうとします。途中、華容道を抜ければ曹仁の待つ城まで戻れると思ったのもつかの間、そこで、関羽が曹操を待ち伏せしていました。その時、曹操に恩義のある関羽は,静かに道を開け、これで恩義は返したと去っていました。「華容道」とは、関羽が過去の曹操との義理のために、曹操を逃がしてあげる話です。
昔は、さまざまな逸話から生き方を学び、道徳観を身につけていたのでしょうね。

投稿者 fujimori : 22:24 | コメント (4)

2009年04月16日 映画

麻酔

 サイエンスの2月号に「髪の毛でわかる古代の薬」と題した記事が掲載されていました。その記事は、古代アンデスでは植物からつくった幻覚作用をもつ薬が治療に使われていたというものです。その記事によると、「アメリカ先住民の社会では,精神活動に影響をあたえる植物が霊的な儀式や民間療法に用いられたことが知られている。また,南アメリカの古代アンデス地方の墓に鼻から吸引する「かぎたばこ」が入れられていたことから,幻覚作用をおこす薬が古くから利用されていたと推定されてきた。」その推測が事実であることがチリ北部で発見された「ティワナク文化期(西暦500~1000年ころ)」のミイラ群の毛髪を分析してわかったそうです。この毛髪を分析してみると、アンデス地方に生えている特定のツル科植物に含まれている精神に作用する「ハルミン」という物質が検出されたようです。この物質は、アンデスの人々は幻覚作用をおこすためではなく,治療用の薬としてこの植物を使っていた可能性が高いといいます。いわゆる、今で言うと治療の時に使う麻酔のようなものだったのでしょう。
このような体をマヒするNARCOTICS(ナルコティクス)という言葉を「麻酔」と訳し、そのほかにも「麻薬」「麻痺」「麻疹」など、五体の痺れを示す表現にすべて麻の字がつくのは、大昔、中国の人がこれらの麻酔は麻(大麻)からもたらされると考えたからだそうです。
その由来に関係する人物が、日曜日に見た「レッドクリフPartⅡ」に出てきます。映画の中で、曹操軍は、兵士たちの間で疫病がはやり、困ります。その時治療する曹操の専属医である「華陀」という人物が登場します。彼は、「後漢書」の「華陀(かだ)伝」によると、西域の胡人で、「麻沸散」という大麻から作った麻酔薬を、酒と一緒に病人に飲ませ、麻酔状態になったところで腹と背を切開し、胃腸にあった患部を摘出し縫合し、一か月で快癒させたとあります。この薬は麻(大麻)から作られたので麻沸散といい、以後、ナルコティクスに関する言葉にはすべて「麻」の字がつくとしています。
特にこの麻沸散は、外科手術の時に用いられた麻酔薬で、華佗はこれを使用して世界で初めての全身麻酔による切開手術を行ったといわれていますが、この命名には華佗自身の悲話が伝わっています。
「華佗元化には妻と「沸」と言う名前の1人息子がいました。ある日のこと。華佗が妻と沸を連れて山中に散策へと出かけ、華佗と妻が二人で薬草を探している間、息子の沸は1人で遊んでいました。華佗と妻は必要な薬草を手に入れ、さて帰ろうかと周りを見まわしてみると息子の姿が見当たりません。急いで探し回ると、我が子が力なく倒れているのを見つけました。急いで介抱してみましたが、すでに沸は事切れていました。沸は毒の実を食べたのでした。華佗はその実を調べてみると、どうやら適量であれば麻薬効果があることがわかり、念願の麻薬完成にこぎ着けた華佗は、その麻酔薬に我が子の名である「沸」をつけ「麻沸散」と名づけたのです。
この華陀は、曹操があまりに頭痛がひどいときに「よろしければ私が頭を切り開いて中身を見ましょうか?」と言って、麻酔の存在を知らなかった曹操の怒りを買い、殺されてしまったと映画のパンフレットに書かれてあります。他の資料には、手術を暗殺と思い込んだ曹操によって殺されてしまい、華陀の医学は後世にあまり残らなかったと書かれてありました。
レッドクリフで「茶」を知り、「麻酔」も知ることができました。

投稿者 fujimori : 23:23 | コメント (4)

2009年04月15日 映画

気象分析

気象を読むというのは、とても重要なことだったでしょう。それは、衣食住に関係するからです。特に、食は多いに天候が影響しました。それは、生活自体が自然と共生していたからです。確か以前のブログに書いたことがあると思いますが、ある時から人間は自然を征服しよう、押さえつけようとしてかえって自然の脅威にさらされることになってきてしまっています。もう一度「自然と共生する」ということは、「自然に沿って生きる」ということであり、「自然を読み取る」ことが必要になってきています。
本当のことはわかりませんが、初めて自然を読んだのは、「ノアの方舟」だったかもしれません。日本では、日食のときに天岩戸が閉ざされ、同じ皆既日食が原因で卑弥呼が殺されたという説があります。自然現象は、人間の暮らしに役に立つこともあり、また、暮らしを襲うこともあり、また、それを利用して民を統率したり、戦いに利用したりしました。
自然の力を借りて戦った有名な逸話の一つに「借東風」という言葉があります。これは、その字の通り、「東風を借りた」ということで、東風を利用して戦ったということです。このタイトルの京劇があり、そのDVDも発売されているくらい有名な逸話です。この「借東風」という言葉は、いまでも中国でよく使われるそうですが、たとえば、会社で部下が素晴らしい企画書を提出したときに、上司はそのままほめるのではなく、さりげなく「君の提案は正に“諸葛亮借東風”だね」などと使うそうです。この言葉の由来のエピソードが、映画「レッドクリフPartⅡ」の主題です。
「赤壁の戦い」では、劉備と孫権の連合軍は、敵対する曹操の大軍に比べて圧倒的に戦力的に少ないのにもかかわらず、その曹操の大軍を破ったという歴史的に有名な戦いです。このなかで勝利を呼び込んだのが「冬場における東南の風」を利用した戦艦への火攻めだったのです。曹操軍は、艦隊を鎖で繋ぐ「連環の計」の作戦を立てたのに対して、そこに火を放つ「火計」の策を考えますが、風向きが逆で味方のほうに火が来てしまうということで困り果てていた周瑜に対して、孔明が「東南の風を起こしましょう」と提案し、まさにその風が起こり、大勝利を得るという話です。
季節は冬でしたので、この時期には「東南の風」はほとんど吹かないようですので、「三國志演義」では、諸葛孔明が七星壇を築いて祈祷を行ない、3日3晩「東南の風」を吹かせたことになっていますが、正史の「三国志」には、強風が吹いたという程度しか記述はないそうです。どちらにしても、風が変わりそうだという読みがあってこの計を使ったということで、孔明は、当時の風水学の一部、現在の気象学に卓越していたのでしょう。
「東南の風は、呼んだのか、読んだのか。」ということで、映画のパンフレットに大東文化大教授の渡邉義浩さんが書いています。
「そもそも、近代以前の戦いは、すべてを合理的な判断で行うわけではない。うらないなどの呪術が、軍事と密接に結びついていた。こうした呪術的兵法を“漢書”では、“孫子”などとの“兵家”と区別して、“兵陰陽家”と呼んでいる。軍を起こすときに、その日時の吉兆を定め、天体の方角に留意し、天象・気候を観察して、鬼神の助力を得るという、きわめて呪術性の高い兵法である。」
しかし、孔明は人智を超えた呪術的な能力で風を呼んだのではなく、あくまでも風が起こる場所を気候の観察から予測したのではという考え方のようです。

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2009年04月12日 映画

「愛」の前立の兜を身につけた直江兼続は、利によって動く戦乱の世にありながら、上杉謙信の「義」を尊び重んずる生き方を引き継いでいます。今の時代に求められている「義」の心、その「義」をひたすら追求し、その義によってまっすぐに生きようとした精神が、今NHK大河ドラマで描かれている「天地人」の主題かもしれません。
今日、早速妻と見に行った「レッドクリフPartⅡ」のパンフレットには、映画感想家の大林さんがこの映画のことを「男たちの魂は、“仁・義・礼・智・信”という思想から外れることなく、女たちの心は決して“愛”に迷うことなく、かくも熱き死闘を繰り広げた。」と書いています。そして、ウー監督の一貫するテーマは、「正義、勇気、友情、絆、愛」であるとしています。そして、「義」を軸に「希望」を描くことにブレはないといいます。したがって、「“義”と“愛”がある限り進化し続ける」とウー監督を総評します。
この映画のもとである「三国志」は、吉川英治作品と、横山光輝の作品で知った私の中の主人公は、「義を重んじ、常に民のことを思う劉備玄徳」ですが、この映画は、どちらかというと、孫権の司令官「周瑜」と、劉備の軍師である「孔明」との友情と、作戦が中心に描かれていました。映画は、全体としては、漫画を見ている感じでしたが、パンフレットの最初に書かれているウー監督の日本人に向けて書かれてあるメッセージに、この映画を見る意味を感じます。
「私たちが暮らしている今は、過去に生きた人々の勇気ある行動が積み重なってできてきました。世界的不況・不信の時代だからこそ、一人一人の決断で今を変えて新しい未来を作りましょう。みなさんがそれぞれの“奇跡”を起こす時です。未来に勇気を。」
物事の正しい道筋や、人間のふみおこなうべき正しい道のことを「義理」といいます。いわゆる対人関係や社会関係の中で、お互いに守るべき道理のことを指すこともありますが、そうではなく、いわゆる「正義の道理」を意味する場合は、朱子学柄来ています。林羅山は、「義理」を「人の履むべき道」という意味で使っていますし、中江藤樹には、「明徳のあきらかなる君子は義理を守り、道を行ふ外には毛頭ねがふ事なく」と「文武問答」で書いています。
先日のブログで紹介した上杉謙信の「家訓」の中にも3番目に「義理」が出てきます。「心に欲なき時は義理を行ふ」とあります。心に欲がないときにこそ、義理の道を行うことができるということです。人は、いろいろな行動を起こす時、仕事をするとき、利益を得ようとする時、何をその根拠とするのでしょうか。そこには、私は「大義」が必要だと思います。しかし、何が「人のふみ行うべき重大な道義」である大義であるかは、とてもむずかしい判断です。ですから、上杉謙信は、大義を持って動くときには欲を持ってはいけないと言ったのでしょう。そして、このような精神があったからこそ、「義」の将として後世になっても評価されたのでしょう。
映画「レッドクリフ」、NHK大河ドラマ「天地人」ともに「義」がテーマであることは、偶然なのでしょうか、今の人に求められている精神なのでしょうか。

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2009年03月02日 映画

職業

 数年前に「13歳のハローワーク」という本が、ずいぶん話題になりました。この本は、幻冬舎から刊行された村上龍の著書で、その後、学校で教材として採用されたりしています。この「ハローワーク」というのはもちろん和製英語ですが、「職業との出会い」という意味では、私はなかなかいい名前だと思います。
 この本が話題になったのは、もちろん職業紹介なのですが、著者の村上龍本人の職業観を語るエッセイが掲載されており、職業は生きるための手段ではなく、生きる目的そのものであるなどと述べられています。そのために、何の職業に就こうとするかは、どのように生きるかという問いを突き付けられていることになります。そんなときに、自分をよく見つめます。何が好きなのだろうか、何をしているときに没頭できるのだろうか、何がしたいと思っているのだろうかなどです。
 この本が話題になったのは、単に職業を並べて紹介するのではなく、好奇心を対象別に分けて、その対象の先にあると思われる仕事・職業を紹介しようという目的で作られていることです。また、その人に向いた仕事、その人にぴったりの仕事というのは、誰にでもあるといいます。ですから、この本は、できるだけ多くの子どもたちに、自分に向いた仕事、自分にぴったりの仕事を見つけて欲しいと考えて作られています。しかし、人はなかなか自分の特性、個性、資質がなんであるかわかりにくいものです。まして、他人はなおさらわかりません。しかも、今は、昔に比べて非常に多くの仕事・職業があります。しかも、10年前にはなかった新しい職業もたくさんあります。
 村上氏は、この世の中には2種類の人間・大人しかいないと思っています。「それは、「偉い人と普通の人」ではないし、「金持ちと貧乏人」でもなく、「悪い人と良い人」でもなくて、「利口な人とバカな人」でもありません。2種類の人間・大人とは、自分の好きな仕事、自分に向いている仕事で生活の糧を得ている人と、そうではない人のことです。」
 昨日の日曜日に映画「おくりびと」を見てきました。わが子が、遺体を棺に納める「納棺師」になると言った時に、どのように反応するでしょうか。当然戸惑うでしょうね。死というだれもが避けたがる、一見地味で触れ難いイメージの職業ですが、死というものを冷静に考えると、この映画の英題である「Departures」(出発)なのです。ですから、主人公が求人広告「旅のお手伝い」という文言を見て、旅行代理店と思って尋ねます。しかし、この映画は、こんな職業があるのだと気付くと同時に、その所作の美しさを背景にさまざまな愛の形を表現します。生きているということは愛を与えたり、愛を失ったりすることであり、死は、そのような愛に気づかせる門出のような気がします。
 納棺師と言わないまでも、わが子が「こんな職業に就きたい!」と言った時に、それを認めるだけの子どもに対する信頼を持てるかというと自信がありません。アニメ界の父ともいわれる手塚治虫が、大学で医者への道を目指していましたが、学業とマンガを描くこととが両立しなくなってきます。大いに悩んだ彼は思い余って母親に相談をしました。すると彼女が「あなたはマンガと医者とどっちが好きなの?」と聞きました。手塚は即座に「マンガです」と答えました。「じゃ、マンガ家になりなさい」という母親のひと言で手塚は進路を決めたのだとのちに述懐しています。そして、「母のひと言で決心がつき、充実した人生を送ることができました。」と自伝に書いています。
 村上氏の言葉を思い出します。

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2009年01月23日 映画

封切り

 私は映画をたまに見ますが、大体は妻と見ることが多いので、見に行く日は日曜日の昼間です。「夫婦50割引」という、どちらかが50歳以上の夫婦2人であれば、一人1000円というキャンペーンが継続されている映画館が多いので、二人で行っても、ほぼ一人分で見ることができるので助かります。それから、話題作は日曜日は込んでいることが多いのですが、ネットで事前予約ができ、座席指定ですので、日曜日でも見に行くことができます。また、妻が一人で見に行く時は、レディースデーの昼間に行くことが多いようです。私は、今は忙しくて、一人で映画を見に行くことは少ないのですが、行く時は、平日の夜の部です。
 私は、中学生のころから映画をよく見に行きました。住んでいたのが、浅草のロックや、有楽町という映画館が数軒並んでいる街に近いということもあって、気軽に行きました。そのころ見に行く映画は、私の場合、ほとんど洋画で、特に「ウエストサイドストーリー」の影響で、ミュージカルはほとんど見に行きました。
 そのころを思い出してみると、映画を見に行ったのは「ロードショー公開」でした。映画におけるロードショーとは、「映画の封切り」のことをいいます。しかし、もともとは違う意味でした。最初は、おもにアメリカの演劇界で使われていた言葉で、新しい作品をブロードウェイで上演する前に、その作品がどのくらい受け入れられるかを、地方を回って上演を行い、そこでの評判をみました。そのように、ブロードウェイよりも前に行う上演のことを、一般に「ロードショー」といいました。それが、映画では逆に、まず、都市部で先行して上映を行い、そこでの評判や観客動員を見て、全国展開をするかということをきめました。この「都市部での先行上映」のことを「ロードショー」といったのです。私は幸い、都市部に住んでいたので、誰よりも早く封切映画を見に行くのが趣味でした。しかも、その中でも第1回目の上映に行くことを目指しました。
 ロードショーの第1回目は、さまざまな特典がありました。よくあるのは、その映画のポスターをプレゼントされます。ですから、私の部屋は、映画ポスターをパネルに水貼りをしたものが何枚も飾ってありました。また、出演者たちが舞台あいさつをする時があります。そのほか、特に面白い経験をしたことがありました。「最高にしあわせ」というミュージカルを見に行ったときに、その映画の鑑賞者みんなが立ち会いをして人前結婚式を挙げた時です。会場が映画館で、仲人が高島夫妻でした。
 私がロードショーの封切り日に見に行ったということは、何曜日だったのでしょうか。私の高校は、そのころから隔週土曜日が休みだったので、土曜日だった気がします。今も、封切り日は土曜日のことが多いようです。それが最近変わってきつつあるということが、先日の新聞記事に書かれていました。
最近、大手洋画配給会社の注目作を中心に、金曜封切りが目立っているというのです。次回作の「ハリー・ポッターと謎のプリンス」も世界同時の金曜公開が決まっているそうです。この作品が世界同時ということは、ほとんどの国での初日は金曜日なのです。日本でも、1990年ころに金曜日封切りにしたことがありましたが、当時は定着しなかったようです。それがまた金曜公開になったのは、「週休2日制が根付いて、金曜夜はゆったり過ごす人が増えてきた。そんな社会環境の変化への対応」と言っています。劇場側からも「金曜夜は映画、という生活リズムを確立したい」という機運が出てきたようです。ただ、金曜封切りとなると、映画初日の“主戦場”は夜の上映になるために、ファミリー向け作品などには適さないとみられ、どうも作品ごとに判断するようです。
生活様式の変化は、いろいろなところに影響するのですね。

投稿者 fujimori : 22:03 | コメント (4)

2008年12月28日 映画

偏見

 アメリカで、黒人であるオバマ氏が大統領になると聞いて、違う国のものでもある感慨があります。とくに私の世代は、黒人差別問題が表面に出てきて、それをテーマにした映画の中に名作がたくさん生み出されました。
 その代表作ともいえる作家ハーパー・リーのピュリツァー賞受賞作を映画化した「アラバマ物語」を監督し、アカデミー賞監督賞候補にもなったロバート・マリガン氏が、今月20日、亡くなったことが報道されました。1962年に映画化された「アラバマ物語」は、人種差別が横行する米南部で社会正義を貫こうとする弁護士の姿をグレゴリー・ペック主演で描いた作品です。このグレゴリー・ペック氏は、この作品の10年ほど前に公開された「ローマの休日」でも有名です。彼は、「アラバマ物語」で、主演男優賞を受賞しています。
 不況のドン底だった1932年、アラバマ州メイコムという小さな町に2児の父親で、男やもめで正義感の強い弁護士アティカス・フィンチが住んでいました。彼は、身に覚えのない暴行事件で起訴された黒人トムの弁護を引き受けます。町の人々は黒人に偏見を持ち、黒人などを弁護したらただではすまぬと警告したり、冷たく当たります。アティカスは不正と偏見を嫌い、何よりも正義を重んじる男で、そんな町の人の反応にも脅しに動じない父親の姿を彼の子どもたちは尊敬し、その勇気ある行動を目の当たりにしながら大きく成長してゆきます。しかし、裁判の判決は、被告の無罪を必死に弁護したにもかかわらず、陪審員は有罪と決定します。アティカスには、控訴審で判決をくつがえす自信があったのですが、搬送されていく途中で有罪判決でショックになったトムが脱走してしまい、殺されてしまいます。なんともいえない結末でした。この映画を見たときに、アメリカで行われている陪審員制度に疑問を持ったものでした。もう一つ、偏見の恐ろしさをこの映画は描いています。それは、精神障害から親に家に閉じ込められて引きこもっている隣人に、子どもたちが襲われたときに助けられます。誰がいい人で、誰が悪いひとということに対して、外から見える偏見の恐ろしさも描いていました。
もう一つ、黒人差別と、戸惑いを描いた映画の名作に、1967年に製作された「招かれざる客」があります。
 新聞社を経営し、人種差別と戦ってきて人格者で通っていた父親もとに、娘がお互いの両親の許しを得るため婚約者を連れてきます。白人の娘の彼は、なんと黒人だったのです。彼は、世界的に著名な医師で立派な人格者でした。母親は驚きますが、娘の嬉々とした様子に、動揺は次第に喜びに変わっていきます。しかし、父親は、彼がいくらりっぱな人物であっても、納得できません。それは相手の両親も同じでした。白人と黒人の結婚はタブーであり、これからの二人の人生において、持ち上がるであろう様々な反感や、困難さや軋轢を親は心配するのです。黒人である彼が、反対する自分の父親に向かってこう言います。「古びた信念を唯一最良と頑強に押し通す、そんな世代が死に絶えるまで僕たちは重荷を背負うんだ。自由になれない。僕は黒人としてでなく、人間として生きたいんだ」
最後には、娘の父親は、若い2人のどんな困難にも立ち向かおうとする真剣さとその情熱に、かつての自分の青春を見、その尊さに気づき、2人の結婚を認め、こう言います。「これから多くの人たちの反感と嫌悪が君たちを待ち受ける。永久にそれを乗り越えていかねばならん。だが、互いの絆を強くし、決して負けるな!」

投稿者 fujimori : 21:23 | コメント (5)

2008年11月26日 映画

ボンド

映画ニュースで、ショーン・コネリー、ロジャー・ムーア、ピアース・ブロスナンなどがジェームズ・ボンドを演じた007シリーズの22作目にあたる映画「007/クォンタム・オブ・ソラス」の製作発表会見が行われたことが流れていました。ボンド役は、前作と同じダニエル・クレイグだそうです。また22代目ボンドガールに、新人女優のジェマ・アータートンとオルガ・キュリレンコが抜てきされています。
今年は、ボンドシリーズの原作者であるイアン・フレミングの生誕100周年という記念の年です。フレミングは1908年ロンドンに生まれ、自分でも実際に1939年から007も所属するMI6に勤務し、第二次世界大戦中には安全保障調整局のスパイとして活動したそうです。ですから、彼の作品の007シリーズは、それまでの経験から書かれています。シリーズ第1作は、「カジノ・ロワイヤル」で、1964年に遺作となったとなったのは、「黄金の銃をもつ男」です。彼の死後、このシリーズは、公認されたジョン・ガードナーが2代目、更にレイモンド・ベンスンが3代目のボンド作家として書き継いでいます。そのほかの彼の作品には、絵本「チキチキバンバン」があります。この作品はミュージカル映画になっていますが、007シリーズにでも出てきそうな仕掛けのいっぱいある自動車が登場します。
 私は、中学生の頃、東京創元社から出版された「カジノ・ロワイヤル 秘密情報部〇〇七号」を夢中になって読み、そのあと早川書房と交互に続々出されたフレミング原作の007シリーズは全部読みました。
そのあと、ジェームズ・ボンド役をショーン・コネリーが演じた映画が公開されます。「007」は原語で「ダブルオーセブン」ですが、映画では、第1作から第7作まで「ゼロゼロセブン」といわれています。この007シリーズの小説の映画化にあたって、最も映像化に向いているということで6作目の「ドクター・ノオ」が、テレンス・ヤング監督で映画化されたのが1962年でした。そのときのタイトルは、「007は殺しの番号」でした。この映画はとても安上がりに作ったのにもかかわらず、予想以上の大ヒットとなりました。
このときに主役を演じたショーン・コネリーは、フレミングからも不評だったようですが、原作のイメージに一番近いと私は思っています。といっても、他の俳優の作品は見ていないのでわかりませんが。私が見た映画で印象に残っている作品は二つあります。一つは、シリーズ第2作「007 ロシアより愛をこめて」です。この映画は、公開時の邦題は「007危機一発」でした。この中で、初めて色々な装備が施されている「アタッシュケース」が登場します。ほかにも、このシリーズの魅力は、毎回登場するボンドガールですが、この作品に登場したダニエラ・ビアンキには魅了され、その写真を持ち歩いているほどでした。
もう一つの作品は、日本を舞台にした第5作「007は二度死ぬ」です。ボンドガールは、若林映子と浜美枝でした。日本に始めて上陸するときに、「ボンドという名前は、日本では接着剤のことをいう」と聞かされたボンドは、日本語では変な意味でないことを知り安心する場面とか、丹波哲郎扮するドンと秘密の話しをするときに、部屋の周りの障子を全部開け放ち、「こうすれば、近づいてくる怪しい人がすぐにわかる」というせりふで、日本の逆転発想を知り、今でも、それを保育に生かしているほど、これらの映画から影響を受けました。

投稿者 fujimori : 23:50 | コメント (4)

2008年11月09日 映画

正史と演義

 最近は、なんとなく映画を見ていなかったのですが、ここ2週続けて映画を見ました。昨日は、ブログで取り上げた「まぼろしの邪馬台国」です。映画は、邪馬台国がどこにあるかということではなく、宮崎康平の夫婦愛を描いています。その映画の中で、宮崎が自分の書庫に妻になる和子を案内します。そして、そこにある書物を次から次に指し示し、盲目になった今、それらを読むことができなくなったことを訴えます。その中で邪馬台国がどこにあるかが記された「魏志倭人伝」は、この書物に書いていると指し示したのが「三国志」でした。
 三国志というと、先週見た映画「レッド・クリフ」のような、曹操・孫権・劉備らが争い合ったことが書かれている書物という印象があります。ですから、魏志倭人伝とはどうも結びつかない気がします。しかし、「魏志倭人伝」の正式な名前は「『三国志』魏書東夷伝倭人条」といい、全文で1988(又は2008)文字からなっている書物です。中国の正史「三国志」は、「魏国志」30巻(「本紀」4巻、「列伝」26巻)、「蜀国志」15巻、「呉国志」20巻、計65巻から成る書物です。その中の「魏書」(全30巻)に書かれている東夷伝の中に、倭人の条があり、それを「魏志倭人伝」という略称が普通に使われ、特に日本では授業のなかではこの呼び方を使います。
 区別するために、この歴史書である「三国志」を「正史」とか「正史三国志」と呼ぶようになりました。この「正史」とは、王朝が正式に認定した歴史書の事で、中国の西晋代の人陳寿により西暦280年~290年頃に編纂されたものです。映画レッド・クリフで描かれている曹操は、魏書30巻の中で「武帝紀第一」に書かれており、劉備は、蜀書15巻のうち「蜀書三先主伝第二」に書かれ、諸葛亮は、「蜀書五 諸葛亮伝第五」に書かれ、関羽・張飛・趙雲は、「蜀書六 関張馬黄趙伝第六」に書かれ、孫権は、呉書20巻のうち、「呉書二 呉主伝第二」に書かれているという具合です。
 一方、歴史書の「三国志」やその他の民間伝承を基として唐・宋・元の時代にかけてこれら三国時代の三国の争覇を基とした英雄や、様々な説話が好まれ、その説話を基として明の初期に羅貫中らの手によって書かれたのが、「三国志演義」です。この講談などから発展して作られた通俗小説である「三国志演義」が、日本では「三国志」として流通しました。これは、何も日本に限ったことではなく、世界中で、「三国志」の世界は「三国志演義」を基として発展を続けていったのです。しかし、この演義は、面白おかしく書いた部分があり、そのために創作された部分も多くあり、史実とは異なる場合も多いようです。また、登場する地名・官職名・武器防具などにも三国時代の時代考証からみておかしいものもあるようです。
日本では、この演義を基にしていくつかの文学作品がかかれました。私が、三国志に夢中になったのは、作家吉川英治が演義を元にして著した小説「三国志」と、これを元にして独自の解釈等を織り交ぜて描かれた、横山光輝による全60巻(文庫版は全30巻)(潮出版社)の歴史漫画です。吉川英治の「三国志」では、諸葛亮の死で終わっていますが、漫画のほうは、蜀が滅亡するまでを描いています。
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 2週続けてみた映画は、奇しくも、ともに「三国志」に関係がありました。

投稿者 fujimori : 20:54 | コメント (4)

2008年02月10日 映画

四季

 昨日の東京は、この冬で二度目の大雪に見舞われました。昨日の夕方から舞い始めた雪は、深夜に向けて大雪になり、八王子は、今朝は一面の雪景色でした。と言っても、雪国よりは少ないかもしれませんが。しかし、春が近いだけあって、今日はとても暖かい1日でした。ですから、雪は融けてしまいましたが、そんな日に出かけて、その雪が解けた土の上にこんなものを見つけました。
fukujuso.JPG
「日のあたる 窓の硝子や 福寿草」(永井荷風)
福寿草は春一番新年を祝う花として喜ばれ、福を招く、縁起の良い花として「福寿(幸福と長寿)」の草という意味で「福寿草」と名づけられています。この花を見ていると、春が近づいたことを感じるとともに、もうすぐ寒い冬が終わって、花が咲き乱れる春が来るのだという期待が膨らんできます。毎年、きちんと春が巡ってくるのですね。また、雪解けや花の開く姿から、太陽のありがたさが身にしみます。その当たり前のことの大切さを感じる映画を見てきました。
 その映画は、こんなメッセージで始まります。
「50億年ほど前、巨大な小惑星がまだ若かった地球に衝突したその衝撃は計り知れず、惑星そのものを23.5度も傾けてしまう。しかし、この衝突事故は大惨事となるどころか、我々が知っている「地球」の誕生に重大な役割を果たすこととなった。この傾斜がなければ、今のような驚くほど多様な地形や四季の移ろいもなかっただろう。そして、生命が生息するための完璧な条件も揃わなかったのだ。」
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 この映画は、今話題のネイチャー・ドキュメンタリー映画「アース」です。太陽を道先案内として、北極から赤道直下、南極と舞台を移して行きます。そして陸、海、空などを背景にダイナミックな地球の景観、さらにそこに暮らす動植物たちの驚くべきドラマが、展開して行きます。当然、その奥には、「地球温暖化」に対する警告のメッセージも流れています。
そのメッセージは、やはり話題になった「不都合な真実」と比較されることが多いのですが、アラステア・フォザーギル監督と本作の共同監督を務めた、マーク・リンフィールド監督が、こんなコメントを言っています。「『アース』は必ずしも温暖化を食い止めるために撮った作品ではありませんが、本作を観ることで多くの人たちが、今残っている自然の素晴らしさを再認識し、それについて何か考えてもらえたらいいなと思いますね。『不都合な真実』が「もう、これしか自然が残っていない」という危機を訴える作品なのに対し、「アース」は「まだ、こんなに地球の素晴らしさが残っている!」という前向きな作品。まずは、地球の本当の美しさについて知ってもらうことが大切なのです。」
 私が子どものころ見たウォルト・ディズニーによって1953年に製作されたドキュメンタリー映画「砂漠は生きている」を思い出しました。これは、アメリカ合衆国南西部の砂漠に生きる動物たちの日常を記録した作品で、当時、アカデミー賞最優秀ドキュメンタリー長編賞を獲得しています。この映画は、濃艶なサボテンの開花を微速度撮影で捉え、砂漠の落日を望んで終わります。
 花の開花は、自然を大切にする心を開かせるようです。

投稿者 fujimori : 20:30 | コメント (5)

2007年10月05日 映画

イタリア映画2

子どもを描いたイタリア映画といえば、今年4月に亡くなった映画監督ルイジ・コメンチーニ氏も子ども時代を題材にした感動的な話やブラックコメディーなどで知られています。彼が監督した映画「天使の詩」は、たぶん、以前のブログで書きましたが、私の何回も見た映画のベストスリーに入る作品です。1966年の作品ですが、家族の絆を逆から描いた作品で、父と子のすれ違いから起こる悲劇を描いたドラマです。父親との絆を求める長男に対して、それに気がつかない日常での会話が、結末の悲劇だけではないこの映画の切なさを感じさせます。そのほか、親子の絆、とりわけ、父親と息子のあいだに育まれる愛情を賛美するイタリア映画の伝統は、最近の「ライフ・イズ・ビューティフル」に受け継がれています。この映画は、カンヌ映画祭で審査員グランプリを受賞し、世界各国ですでに47部門の賞に輝き、アカデミー賞では、イタリア映画でありながら、外国語映画賞の枠を越え作品賞を含む主要7部門にノミネートされ、見事3部門で受賞を果たしました。「人生は美しい」というタイトルのとおり、これは明日をも知れない極限状態に置かれながらも、決して人生の価値を見失わず、豊かな空想力を駆使して愛する家族を守り抜いた、勇敢な男の物語です。そして、勇敢とは、勇ましく戦うことではなく、勇気を持って、困難な状況でも家族、とりわけ子どもへの愛情のために最後まで守ろうとする気持ちが大切であるということを教えてくれます。日曜日に見た映画は、家族の絆が描かれてはいますが、それよりも、子どもに対する見方とか、考え方、社会のあり方などを考え直すことの必要性を訴えている映画でした。「ミルコのひかり」という映画です。1970年代初頭のイタリア、トスカーナ地方。10歳のミルコは映画を愛する少年だったが、銃の暴発で両目の視力を失ってしまいます。当時のイタリアでは、視力に障害を持つ者は普通の学校ではなく盲学校に入らなければならないと法律できめられていたため、全寮制の盲学校へ転校させられてしまいます。心を閉ざしがちだったミルコはある日、テープレコーダーを見つけ、それによって“音”との出会いに新鮮な喜びを感じます。作文の時間、ミルコは点字ではなく、寄宿舎で見つけたオープンリールのテープレコーダーに雨の音や鳥の声などを録音し、それを編集して提出しますが、校長に拒絶されてしまいます。しかし彼の優れた聴力に気づいた担任の神父が、校長に内緒でデープレコーダーを与え、ミルコの友達たちと協力してストーリーを作り、それをドラマとして仕上げていきます。これは、現在イタリア映画界の第一線でサウンド・デザイナーとして活躍するミルコ・メンカッチ氏の少年時代の体験をもとにした実話ドラマです。ちなみに今年のモントリオール国際児童映画祭でグランプリを受賞しています。この映画の中で、自由のない当時の学校の様子が描かれています。みんなと足並みをそろえることを目指し、その子の個性や能力を無視し、伸ばそうとしません。また、障害のある子は、特別に隔離され、管理された中で、統一された生き方の訓練をさせられます。しかし、主人公のマルコは、学校の圧力にも屈せず、自由を信じる気持ちがやがて担任の心を動かし、クラスメートを動かし、みんなやその子達の保護者にも大きな夢を与え、それが結局は世論を動かし、盲人も普通の学校に通えるようになるのです。子どもたちの想像力は、それを認め、生かす大人がいるからこそ、大いに羽ばたくのです。そんな責任を感じます。

投稿者 fujimori : 23:05 | コメント (2)

2007年10月04日 映画

イタリア映画

 よく、伝統的に、家族の絆をとてもたいせつにすると言われている国は、世界では、「日本」「ドイツ」「イタリア」と言われています。この三国「日独伊」は、何か因縁めいたものがありますね。しかし、家族とか、子どもとかを大切にすることから、この三国は世界の中でも極端な少子国であるとも言われています。生まれた瞬間から別の人格を持ち、我が子でも個人という考えのアメリカと比べて、子どもを親の責任の元に庇護され、逆を言えば、親の肩に子育ての責任がずっしりとかかってしまうので、少子化になってしまうのではないかとも言われています。そんなイタリアでは、家族の絆を大切にsると言うのは伝統のようで、第二次世界大戦の敗戦直後という、苛酷な状況下においても変わりません。そのころの時代の家族の絆を描いたイタリア映画に名作が多くあるのは当然のことかもしれません。そして、子どもを描くならイタリア映画と言われるほど、様々な子ども像を描いてきました。日本同様に第2次大戦の敗戦国であったイタリアにおける戦後の混乱期、社会の底辺に生きる子どもたちの夢、そして厳しい現実、そんなものを描いたのが、デ・シーカ監督です。1947年、アカデミー賞特別賞を受賞した「靴みがき」は、見ていて胸が締め付けられるようです。靴みがきをして生計を立てている二人の少年は、貸馬屋の馬を買い取る夢を実現させるため、闇商売の仕事を手伝い、それが元で逮捕されてしまいます。さらに背後にいる首謀者を白状させようと、なかなか口を割らない二人に取調官は少年の1人を拷問すると見せかけ、もう1人の口を割らしてしまいます。一転して彼らの友情は壊れ、親友だった相手を憎むようになっていくのです。そして、物語は悲惨な結末を迎えることとなりますが、そこには、絶望よりも生きることへの力強さを感じさせます。この監督によるもうひとつの名作が、余りにも有名な「自転車泥棒」です。失業者あふれるローマ、やっとのことでポスター貼りの仕事にありつき、質屋から自転車を取り戻し、妻や息子の期待に見送られて自転車に乗って仕事へ出発した父。しかし自転車は盗まれ、息子や仲間と必死に捜しますが、結局自転車はもう戻っては来ません。息子と途方にくれているところ、ふと出来ごころから目の前にある1台の自転車に手が伸びてしまい、父は警察につきだされてしまいます。しかし、まだ幼い息子の姿をみて、被害者と群衆は自転車泥棒を釈放します。そして、群衆の中に父子が手をしっかりとつないで消えていくラストシーンは、これからの生活の大変さを予感しながら、子どもの存在がそれを支えてくれるであろうことを予感させます。この作品は、イタリアネオリアリズム代表的傑作といわれ、1949年アカデミー賞特別賞を受賞しました。1958年には、やはり戦後のイタリアを描いた傑作が上映されています。ピエトロ・ジェルミ監督の代表作「鉄道員」です。このドラマはサンドロ少年のナレーションで少年の純粋な目を通して家族の出来事がつづられていきます。親子の愛情、夫婦愛、家族の崩壊と結束、裏切りと友情。母の愛。そして、全編を貫く人間愛を描いたこの映画の中で流れる哀愁を帯びた曲もヒットしました。主人公の初老の鉄道機関士は、監督自ら演じています。子どもの目を通した社会を、それが純粋ゆえに私たちは改めてそこから学び、見直していかなければならないのです。そんなイタリア映画の流れをくむ映画を、先日の日曜日に妻と見ることができました。

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2007年08月13日 映画

シアター

最近、団塊の映画世代を狙って、様々なイベントが行われています。また、その世代を対象とした施設もオープンしています。私としてありがたいのは、「夫婦50割引」です。これは、2004年7月から一年間限定で設定された映画鑑賞割引料金で、夫婦でどちらかが50歳以上であると、二人2000円で鑑賞できるというシステムです。これが、1年限度ということでしたが、好評ということで、毎年延長されています。つい、この6月までであったこのシステムが、来年の6月30日まで延長されたばかりです。このシステムのおかげで、私は映画を見る回数が増えました。たぶん、それまでの倍以上見ていますので、このシステムのおかげで、入場料は増えた計算になります。ぜひ、後、何年か続けて欲しいと思います。なぜ、あと何年かでよいかというと、60歳になると、シニアー料金が適応されるからです。しかし、ほとんど妻と行くことが多いので、やはり夫婦50割引のほうがいいですね。もうひとつ、歓迎すべきことがあります。本の街神保町に「神保町シアター」という映画館が7月7日にオープンしました。最近、あちらこちらにシネマコンプレックス(複合映画館)という多くのスクリーンを持ち、外国映画から日本映画まで、全国ロードショー公開されているほとんどの映画が一つの建物の中で見られるような映画館ができています。これは、シネコンと略され、確かにありがたい、便利な施設ですが、どこでも同じようなものをやっています。ところが、ここでオープンした「神保町シアター」は、小学館がオーナーで、最新の設備を備えたこのシアターでは新作映画や懐かしの名作映画などを上映予定されています。楽しみですね。現在は、レイトショー特集プログラム「川本三郎 編映画の昭和雑貨店 こどもたちのいた風景」が上映中です。この映画館の会館に向けて、なぜこのようなプログラムを組んだかということを川本氏がチラシに書いています。「なんといっても私などの世代にとっては小学館といえば学習雑誌の出版社であり、また、団塊の世代がシニアになりつつあるいま、彼らが自分の子ども時代を懐かしむだろうと思ったから。」私などは、思う壺ですね。彼が選んだ作品は10篇あり、一月にわたって連日夜1回上映をしています。私と同じ年代では、どの作品も懐かしく、よく知っている作品が並びます。「手をつなぐ子等」(昭和23)は、幼児のころの大病で脳に障害を負った子と教師、同級生との触れ合いを描いたものです。「少年」(昭和44年)は、当たり屋一家を描いた作品で、次第に正義に対して渇望していく少年の姿を描いています。「にあんちゃん」「秋立ちぬ」「つづり方兄妹」「警察日記」「夜あけ朝あけ」「あすなろ物語」「しろばんば」という作品が並びます。どれも見たい映画ばかりですが、なかなか見に行くことが出来ませんでした。それが、今日の夜、お盆週間ということで、子どもが少なかったので、6時ころ園を出て、思い切って見に行きました。今日の作品は、「キクとイサム」です。大東映画の第一回作品で、会津磐梯山を背景に、黒人混血児の姉弟を叙情的に描き、この問題を社会に訴えようとするものです。戦後、日本人女性と黒人米兵の間に生まれた混血の姉弟キクとイサムの姿を、祖母の愛情に包まれながら、差別に直面しながらも力強く、しかも明るく、ユーモアたっぷりに描いています。しかし、その明るさが、余計に胸を打ちます。この作品は、「ブルー・リボン賞」第1位、「キネマ旬報」第1位など様々な賞を受賞しています。これからが楽しみな映画館です。

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2007年05月23日 映画

ダイヤ

 「人は ボールを前に投げるために 後ろにいったんふりかぶる 人は 高く上に飛ぶために 下に一度かがむ 前や上を未来 後ろや下を過去だとすれば 人は 未来のために過去を振り返る ここに生きる希望をつくるために 水俣は 起きたことを明らかにしながら 犠牲を無駄にしない社会づくりに役立て 受難者たちと共に 受難の大地水俣の未来に生きる希望をつくる」(水俣病資料館館長 吉本哲郎)水俣病事件は20世紀世界最大の公害事件です。50年を越えた今もなおいろいろな問題を投げかけています。それまで、公害受難で病魔に犯され亡くなった方だけでなく、生き残った人たちも、嫌がらせ、いじめ、中傷、偏見、差別の中にいました。水俣という地名を代えようと思ったこともあったそうです。しかし、あえて、それに正面から向かい合い、環境を考える新しい街づくりに取り組んでいます。
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今日「水俣病資料館」を訪れたとき、科学化を進める時代に犠牲になり、便利、欲望の犠牲になってきた姿に触れ、少し前に見た映画を思い出しました。それは、本年度アカデミー賞5部門ノミネートされた「ブラッド・ダイヤモンド」という映画です。主演は、レオナルド・ディカプリオで、残念ながらアカデミー賞主演男優賞は逃しましたが、なかなかいい演技をしていました。監督は『ラスト サムライ』のエドワード・ズウィックです。ダイヤモンドなど宝石は、国際市場で、高値で取引されます。そのために産出国にとっては貴重な外貨獲得資源とされていますが、その産出国が内戦など紛争地域だと、その国は輸出したダイヤモンドなど宝石類で得た外貨を武器の購入に宛てるため、内戦が長期化および深刻化することになるのです。とくに反政府組織はこれら鉱物資源による外貨獲得とそれによる武器購入を広く行っています。その際には無辜の人々を採掘に苦役させることから人道上も大きな問題があります。これら内戦の早期終結を実現するには内戦当事国の外貨獲得手段を奪うのが有力な手立てであり、国際社会はそれに取り組むべきだとされています。内戦当事国に外貨が流れ込まないようにするために内戦国から産出するダイヤモンドなどを、「紛争ダイヤモンド」と定義し、関係業界はそれらを取引の対象外にすることが求められていました。この映画の舞台は、シエラレオネ共和国はアフリカの西部、大西洋岸に位置し、北はギニア、南東はリベリアと国境を接しています。奴隷制から解放された黒人達の移住地として1808年にイギリスの植民地となり、1961年に独立しました。また、ここは世界でもっとも平均寿命が短い国として知られています。この映画は、地域紛争が激化する「ブラッド・ダイヤモンド」の現実問題に言及した内容について、米国務省が批判したことでも話題となった問題作です。この映画を見た後、先進国といわれる国々が、自己の満足と、豊かさゆえにダイヤを欲しがるので、こんな不幸がおきるのだということを思いましたが、一方、アフリカ諸国をはじめとする世界のダイヤモンド産出国でいかにダイヤモンドが人々の生活の向上に大きく貢献しているかということについては残念ながらあまり知られていません。そこで、2000年に各国政府、非政府組織、ダイヤモンド業界が一丸となってこの問題の解決のために立ち上がり、2002年には国連主導下で「キンバリー・プロセス証明制度」が確立されました。キンバリー・プロセスは紛争地ダイヤモンド取引の撲滅に大きく貢献することとなり、現在では、世界中で取引されるダイヤモンドの99%以上が紛争と関係のない地域から採掘されたものとなっています。贅沢の裏には、犠牲になっている人がいることを忘れてはいけないという思いをした日でした。

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2007年02月19日 映画

環境

「地球は人類にとって、ただひとつの故郷。その地球が、今、最大の危機に瀕している。キリマンジャロの雪は解け、北極の氷は薄くなり、各地にハリケーンや台風などの災害がもたらされる。こうした異変はすべて地球の温暖化が原因といわれる。年々、上がり続ける気温のせいで、地球体系が激変し、植物や動物たちは絶滅の危機にさらされる……。傷ついた地球を救うため、一体、今の私たちに何ができるのだろう?」
 昨日、ここ数十年来はじめての暖冬の年を迎えていたドイツから帰ってきました。季節はずれの花が咲き始めていました。帰ってきた日本は、ドイツよりは少し寒い気がしましたが、東京では今年の冬はまだ雪が降りません。やはり暖冬です。これは、うすうすなんだか怖い気がしていましたが、本当は、人類は、もっともっと危機感を持たないといけない気がします。最初の文面は、昨日、見に行った映画での問いかけです。毎週日曜日に出かけるので、なかなか映画を観る機会がないので、ドイツから帰ったばかりでしたが、夕方、妻の勧めで「不都合な真実」を見に行ったのです。この映画は、様々な賞を受賞していて、アカデミー賞においても「長編ドキュメンタリー賞」「オリジナル歌曲賞」ノミネートされました。温暖化によって引き起こされる数々の問題に心を痛めたアメリカの元副大統領、アル・ゴアは、人々の意識改革に乗り出すべく、環境問題に関するスライド講演を世界中で開き、地球と人類の危機を訴えてきました。そして、その真摯で、ユーモラスな語り口に共感した製作者が、彼を主人公にした映画の製作を決意し、作ったのが、この「不都合な真実」という映画です。映画の中で明かされますが、彼がこの運動に突き進んだ本当の動機はとても個人的なものだったようです。彼の息子が6歳のとき交通事故に遭い、1ヶ月間、生死の境をさまよった末、奇跡的に命を取りとめた時、将来の息子が生きる場所への危機感を強めたのです。さらに追い討ちをかけたのが、大統領選でのブッシュへの敗北だったのです。その印象を「打撃だった」と、劇中で素直に告白しています。しかし、彼は失意から立ち上がり、自分の本当に進むべき道を見出したのです。ここで明かされる危機は、見た人に何とかしなければという思いにとらわれます。北極はこの40年間に40%縮小し、今後、50〜70年の間に消滅するといわれ、氷を探して100キロも泳いで溺死した北極グマの悲劇的なレポートもアニメで伝えられます。また、数百万におよぶ渡り鳥が温暖化の被害を受け、種の絶滅の割合は過去の記録の1000倍に達しているといいます。さらにこの四半世紀の間に、鳥インフルエンザやSARSといった奇病が発生。昨年、ニューオリンズを襲ったハリケーン"カトリーナ"のような大きな自然災害も増え、環境破壊のせいで、今後、20万人もの難民たちが大移動するとも言われています。 多くの政治家たちが耳を貸そうとしない「不都合な真実」、しかし、私たちが日々の暮らしの中で小さな努力を重ねることで、地球を変えていける、とゴアは訴えています。「冷暖房を夏は1°C高めに、冬は1°C 低めに設定する」「ボイラーやエアコンのフィルターを清掃・交換する」「電気製品を購入する際には省エネルギー対応モデルを選ぶ」「お湯をなるべく使わない」「使っていない電気製品のプラグを抜く」「家庭でのリサイクルを心掛ける」「再生紙利用商品を購入する」「冷凍食品ではなく生鮮食品を購入する」「過剰包装商品を購入しない」「肉料理を少なくする」「徒歩や自転車、公共交通機関の利用などでマイカーの走行距離を減らす」ちょっとしたことの積み重ねが大切ですね。

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2007年01月17日 映画

THE WAR

 先日のメールで、「八月のメモワール」と言う映画について少し書きましたが、最後を意味深で終わりました。なんだか、不消化を感じた人も多いと思います。この映画を見たことのある人はわかるのでしょうが、あまりこの映画は評判が今一だったこともあり、そんなに話題になりませんでした。ですから、ネットでもそのあらすじは紹介されていません。しかし、私の中でベスト3に入っているというのは、様々な批評と違う観点で感動したことにあります。この映画の原題は、「THE WAR」と言うものです。「戦う」、「争う」ということはどういうことであるかということがテーマになっています。
「ベトナム戦争から帰還した父親は、精神的にも深い傷を負っています。それは、彼は、何かをすればどこかで何かが変わるという父の言葉を信じて、良いことをしたいとベトナム戦争に従事したのですが、親友を殺す羽目になってしまって、自分を責めます。しかし、マイ・ホームを持ちたいという夢を抱き、危険な仕事に励むのです。それは、「子どもたちには希望を与えたい。奇跡を信じ、不可能はないと思う子に」という思いからです。そのころ、子どもたちが夢中になっていたのは、森にある大きな樫の木に“ツリーハウス”を作ることです。そのちっぽけな木の家は、彼らにとって日常の貧困や不安定な世界から逃れる唯一の場所だったのです。それを作る為に、仲の良い友達と材料を探し始めます。彼らが目をつけたのは近所の悪がきの縄張りであるガラクタ置き場です。ここに踏み入ったことで、この悪がきと喧嘩をします。父親はそんな子どもたちに「我慢を忘れると一生後悔することになる」と、忍耐と相手を理解する気持ちの大切さを説きます。そんな中で、次第にツリーハウスは出来上がっていきます。しかし、子どもたちと近所の悪がきたちとの間の縄張り争いは次第にエスカレートしていきます。そして、このツリーハウスを守るために戦いを始めます。ショベルカーを持ってきたりして、その戦いは激化していきます。そして、最後には、子どもたちは悪がきに勝つことができます。勝ち誇って喜ぶ子どもたちですが、改めて振り返ってみると、大切なツリーハウスは無残にも壊され、そこに残っているのは、ただの廃材だけです。いくら、大切なものを守るためであっても、戦うことで、人と争うことでは、結局は大切なものは守れないのです。そんな子どもたちに、父親は静かに語ります。「俺はお前に絶対に戦うなとは言えない。俺がどう思っているか知りたいかい?俺は人々の真の平和と幸せを与えるのは愛だけだと思う。愛が存在しないなら、この世に戦う価値のあるものは何もない。争うことの虚しさを知ってほしい…」
 この後に、悲惨なことがこの一家を襲い、父親は亡くなってしまいます。しかし、私は、そのあたりは、どんなストーリーだったのかよく覚えていません。この戦いの虚しさ、「THE WAR」とは、どういうものであるかが深く胸に残っているからです。戦いの後に残るものは、決して勝利ではなく、虚しさと、その後の様々なひずみです。今、アメリカでベトナム戦争の後のひずみが出ているように、日本でも、戦後何十年もたった今でも、様々なひずみが、いろいろなところで出ている気がします。戦いとは、何世代にも影響を及ぼすほど、恐ろしいものです。決して、子どもたちに戦いごっこなどさせるべきではありません。

投稿者 fujimori : 23:52 | コメント (4)

2007年01月05日 映画

教師

今日の午後、テレビで「機関車先生」という映画をやっていました。この映画を映画館で見ました。原作は、伊集院静の小説で、94年に第7回柴田錬三郎賞を受賞しています。そして、今日テレビ放映されている実写映画のほかに、同名のアニメ映画として公開され、伊集院自らが機関車先生の声を務めています。昭和30年代の瀬戸内海に浮かぶ葉名島の小学校に、北海道より臨時教師として赴任してきた先生は、子どもの頃の病気の影響で口をきく事が出来ません。そこで、「口をきかん先生」ということで、子どもたちは、「機関車先生」と呼びます。この先生が、初めて教壇に立った日、どのような出会いを子どもたちとしたのでしょうか。生徒の一人であるヨウという子が感想をこう言っています。「ヨウは機関車先生がひとりひとりの顔をたしかめるように見ているのに気づいて、はずかしくなってうつむいた。ゆっくりと顔を上げると、機関車先生の目がじっと自分を見つめていた。やさしそうな目だった。」子どもたちは、優しい言葉がけより、やさしく扱われるより、まず、優しいまなざしに気がつきます。そんなときには、たぶん言葉は邪魔なのかもしれません。というよりも、言葉に頼ってしまうことで、心を伝えることを後回しにしてしまいがちです。言葉のまだよくわからない子どもに対して、言い聞かせるよりも、怒りつけるよりも、優しいまなざしの方に説得力があります。また、歌が好きと言う先生に、「どうやって歌うんじゃ」との問いに対して、「機関車先生は指を胸に当て、胸から喉元の方へゆっくりと手をひろげるようにしてから自分の耳に手をそえて何かを聞く仕種をした。」声を出さなくても、心の中で歌うということ言います。そんな機関車先生と7人の子どもたちの交流の中から、子どもたちは、勇気を学び、少しずつ成長していきます。教師にとって、声とはどんな役割があるのでしょうか。
同じように、障害を持っていながら教師になった実話があります。全盲の普通中学教師河合純一です。彼が教育実習をしていたときの日記が、当時我が子が読んでいた中学生新聞に掲載されていました。彼は、生まれつき視力が弱く、一時は右目の視力を取り戻しますが、中学3年の時、右目の視力も失い全盲となってしまいます。彼は絶望の淵に沈みかけますが、恩師の支えもあって、東京の盲学校へ進学し、夢を設定し達成すべく邁進していきます。最初の夢は、パラリンピックに出場しメダルをとること。次は大学進学。そして地元で教師になることです。高等部入学後、トレーニングに励み、17歳の時、バルセロナ パラリンピック全盲部門出場し、銀2個、銅3個受賞、大学入学後、アトランタ で、金2個、銀1個、銅1個、大学卒業後、22歳で、母校の舞阪中学に社会科の教師として着任し、全盲では初めて1年生の副担任を担当します。その後の25歳のときにも生徒の支援を受けて、シドニー パラリンピック出場し、金2個、銀3個受賞します。この実話が「夢追いかけて」という単行本になっており、その半生が映画化されています。この映画も見に行きました。夢がないと言われて人を殺してしまった事件がありましたが、夢は自分で決めるものです。殺人を犯した彼の夢は、ないのではなく、人が決めた夢を押し付けられていたのかもしれません。「五体不満足」のベストセラーで知られる乙武洋匡さんも小学校教師に転身するそうです。「犯罪者になりたくて生まれてきた子供はいない。SOSを発している子供たちのために、大人が動けることはないか」と考えたといいます。その結果「1番の現場は学校」と小学校の教師を目指すようになったそうです。どんな教師になるのでしょうか。

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2006年10月08日 映画

ライオン

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 今日の名月と東京タワー
 劇団四季のよるミュージカル「ライオン・キング」を見に行きました。これは、もちろん、1994年に公開されたディズニーによる長編アニメーション映画がもとになっています。この映画は、シェイクスピアのハムレットが題材となっているといわれ、 公開当時、アニメ映画としては過去最高の興行成績をあげた作品です。そのアニメを、ディズニー自らミュージカルとして、1997年、ニューヨークのニューアムステルダム劇場にて初演されました。 演出を担当した女性芸術家のジュリー・テイモアは、影絵や文楽など、アジアの伝統芸能を取り入れ、またパペットやマスクを駆使した舞台美術を生み出したことで、1998年のトニー賞では、最優秀演出賞、最優秀衣裳デザイン賞を受賞しています。この栄誉ある賞を獲得したことは、この作品、また彼女自身の成功を意味することはもちろん、初めて女性に賞が与えられるというアメリカ演劇の歴史にも非常に重要な意味を示唆するものでした。このミュージカルの演出のすばらしさは、マスクをつけた俳優たちの顔も見えていて、マスクと俳優両方の演技をぶつからせている点です。また、大掛かりな舞台装置を使うことでも有名で、高さ4メートルを誇る「プライドロック」があります。それが、奈落から迫り出してくるのです。日本では、劇団四季が1998年から東京都港区の劇団四季専用劇場「JR東日本アートセンター四季劇場[春]」で上演をしています。連続8年目という前人未到のロングランを樹立しています。このライオン・キングが発表された当時、手塚治虫の『ジャングル大帝』とプロット・キャラクターが酷似していることから、ディズニーによる盗作ではないかという議論がなされ、全米でもニュースで話題になり、非難活動の運動まで起きました。しかし、手塚サイドは、手塚治虫自身がディズニーのファンであり、もし故人が生きていたら「手塚治虫がディズニーに影響を与えたというのなら光栄だ」と語っただろうと言うことで不問としたため、騒ぎは収束しました。
 「ジャングル大帝」は、手塚治虫が、中央で本格的なデビューを飾った作品です。学童社の月刊漫画誌「漫画少年」に1950年11月号から1954年4月号にかけて全43回を連載しました。1952年に「鉄腕アトム」を「少年」で連載を始めるまで、少年誌での手塚の代表的な仕事が本作でした。「白いライオン」というアイディアは、手塚がかつてライオンの水彩画を依頼された際に白熱灯の下で彩色したところ、電灯の光のために、できあがってみたら色がきわめて薄くて没になった失敗談が発端といいます。このアニメが、フジテレビ系列で1965年から全52話を放送されました。このテレビ番組は、スポンサーであった三洋電機の「サンヨーカラーテレビ劇場」というタイトルとともに印象に残っています。そして、サンヨー製品であるカラーテレビ購買需要を喚起するソフトとして活用しました。視聴率は20%以上を獲得し、レオの理想主義は教育者の支持を得たりして、各賞を受賞する好評に、続編として主人公レオが大人となり、家族を持った設定で、原作の後半部分もアニメ化されました。私は、レオの理想主義と現実とのギャップに悩むところに興味がありました。たとえば、レオのようなライオンは、肉食動物なので、どうしても仲間である動物を食べないと生きていけません。それをどう解決していくかが面白かったです。
 今日の舞台で印象に残ったせりふは、シンバが、王である父親に聞きます。「お父さんは、怖いものはないの?」「いいや。あるよ。」「それは、なに?」「それは、お前を失うことだよ。」

投稿者 fujimori : 22:23 | コメント (3)

2006年09月03日 映画

太陽

 以前のブログで書いた「佐賀のがばいばあちゃん」の映画を見に行ったときに、びっくりしました。なんと、ミニシアター系での上演であるのにもかかわらず、映画を待つために並んでいる人が多いことと、「今はもう立ち見です。」というアナウンスをしているのです。こんなに人気があるのかと思って近づいてみると、思い違いであることが分かりました。その列は、「太陽」という映画のほうだったのです。この俳優のイッセー尾形が昭和天皇を演じたロシア映画で、デリケートな題材だけに日本公開は困難ではないか、と言われていたものです。それが、8月5日から東京で公開されることになったようです。この映画を見に、今日行ってきました。
 この映画はソクーロフ監督で、終戦間際の1945年8月の地下の防空壕から始まり、御前会議、マッカーサーとの対面、1946年1月の人間宣言までを描いたものです。この作品は、今年2月に開催された第55回ベルリン国際映画祭のコンペ部門に出品されたほか、今回、ロシアで開催された第13回サンクトペテルブルク国際映画祭でグランプリを獲得したそうです。イッセー尾形演じる昭和天皇の話し方、特に「あっ、そう…」という口調や、話す時の表情(とくに例の特徴のある口の動かし方)、そして身のこなし方、見ていて、本物と区別がつかないほど似ていました。ソクーロフ監督の記者会見での発言では、「政治・歴史の問題を蒸し返すつもりはない。戦争の犠牲者をこれ以上増やさないため、人間宣言をするに至った昭和天皇の内面的葛藤を描いた」とあります。その人間宣言を表すものとして、途中でも、侍従との会話の「私のからだも同じだ、君のとね」「それは存知かねます」「神が持たぬものを何も持たぬ。皮膚にさえ何の印もない。…まあ、よかろう、怒るな、まあいわば…冗談だよ」というやり取りでは、天皇が生き神とみなされていた時代、本人は、すでに神としての存在を否定していたことが史実にも残されています。それゆえに、孤独で、さびしい存在として描かれています。しかし、なんといっても、人間としての発言は、最後の場面である皇后との会話にある気がします。この場面は、私には、敗戦を認め、玉音放送を吹き込んで、やっと人間に戻ったときの会話に聞こえました。
天皇:「私は成し遂げたんだ。これで私たちは自由になれる。」皇后:「あ、そう。良かったわね。で、何のこと?」天皇:「私は神であることの運命を拒絶した。」皇后:「あ、そう。私もそうだと思ったわ。」天皇:「もしかして、そうするべきではなかったのかな?」皇后:「あら、なにか不都合でもおあり?」天皇:「そうだね。何かこう概して不便だからね。」天皇一首詠む。皇后:「それだけ?」天皇:「いまのところね。」皇后:「あ、そう。」天皇・皇后とも心の重しがとれ、晴れやかな表情をしている。天皇:「で、子供たちは?」皇后:「(明るく)待ってますよ、大広間で」子供と会うのを待ちきれない様子で、手叩きして侍従を呼ぶ天皇と皇后。天皇は子供たちのことを思い、浮き浮きしている。そして、ふっきるように二人は子供たちが待つ広間に向かう。
 やはり、最後は、子どものところに戻っていくのですね。途中では、隠れて、そっと疎開先で離れて暮らす皇后と皇太子たちのアルバムを見つめ、家族に想いを馳せる場面があります。そして、静かに、わが子の写真に口づけをします。戦争が終わること、人間になることを、子どもに堂々と会えることとして結んでいるのは、よい演出ですね。

投稿者 fujimori : 21:37 | コメント (1)

2006年06月09日 映画

 今年2月にドイツに行ったときに、飛行機内でふたつの映画を見ました。その映画が今公開されています。そのふたつの映画のテーマは、同じでした。
 ひとつは、「ゴール」という作品です。今日から、サッカーワールドカップが始まりましたが、そのFIFA(国際サッカー連盟)が製作を強力にサポートしたことでも大いに注目を集めたサッカー映画です。そのせいか、あまり意味がなく、突然と映画の中にベッカムやジタンやラウルら現役スーパースターも多数登場します。話の内容は、メキシコ生まれのサッカー少年が、プロでの成功を夢みてイングランド・プレミアリーグの名門チーム、ニューカッスル・ユナイテッドで奮闘する姿を描いているというものです。メキシコの貧しい家庭に生まれた少年サンティアゴは、家族と共に米国ロサンゼルスへと移住し、次第に大好きなサッカーの才能を開花させていきます。やがて20歳になったサンティアゴは、ニューカッスルのスカウトの目に留まり、父親の反対を押し切り、単身英国へと渡ります。このときに反対する父親が、大邸宅の芝を刈る仕事をしながら、こう言います。「世の中には、二種類の人間しかいないのだ。一種類の人間は、このような芝生の庭をもった邸宅の中に住む人。もう一種類は、その芝を刈る仕事をする人だ。」しかし、夢が捨てきれず、なんとかニューカッスルの練習生となりますが、数々の試練が待ち受けています。というような「サクセスストーリー」です。この作品は、全3部作の第1部で、ヨーロッパ・チャンピオンズリーグを舞台とした第2部、ワールドカップでの戦いを描く第3部へと続くそうです。
 もうひとつは、「夢駆ける馬ドリーマー」という映画です。このストーリーは、奇跡の復活を遂げた競走馬を巡る実話をヒントに、骨折した競走馬と少女の友情と、馬の再起に壊れかけた家族の再生を託す調教師の姿を描いたものです。タイトルである馬の名前の「ドリーマー」は、映画の中では、「ソーニャドール」という名前です。この意味は、スペイン語で「夢見る人」という意味です。ということで、レースで転倒して骨折してしまい、安楽死を命じられた馬を引き取り、手厚い看護により、徐々に回復してレースに出ることになりますが、そう簡単にはいきません。次々の難題が降りかかりますが、馬主になった少女が、いつでも馬の名前のように、夢を持ち続けるという話です。
 まあ、ふたつともできすぎた話ではありますが、長い飛行時間の辛い時間中では、あまり重い話はきついですから、ちょうど良かった気はします。しかし、辛い時間は、今の時代、飛行機の中だけとは限りません。ですから、こんな映画がはやるのでしょうね。最近、中公新書から出された「希望学」(玄田有史編)という本の帯封には、「希望は求めれば求めるほど逃げていく。しかし希望を求めなければ、強い充実も得られない。それは、いわば希望のパラドックス(逆説)だ。そして、これが希望に関する事実なのだ。」この本の中でも山田昌弘氏と対談していますが、彼の著書に書かれている「希望格差社会」という本の中では、「努力すれば報われるという希望を持てるのが、一部の特定の人々に集中しつつある。残りの大部分の人々は、希望そのものを持てないか、そうでなければ実現不可能な夢物語の世界に浸るしかない。」夢を持つことと、夢物語に浸ることとは違うのです。卒園式の日に「将来の夢」を語る子どもたちが、次第に夢を失っていくのは悲しいですね。

投稿者 fujimori : 20:50 | コメント (0)

2006年04月26日 映画

メリーポピンズ

 昨日のブログで取り上げた映画は、すでに有名な「メリーポピンズ」と非常に似ています。これもミュージカル映画で有名ですが、原作は、「風にのってきたメアリー・ポピンズ」(P.L.トラヴァース著)から始まるシリーズ物です。やはり、原作と映画は少し違うようです。「桜町通り十七番地に住むバンクス家は、ご主人で銀行家のバンクスさんと、旧式だと人から思われる事が嫌いな優しいバンクス夫人、一番上の子どもジェインと、その次のマイケル、ふたごの赤ちゃんジョンとバーバラの6人家族です。そして、料理番のブリルばあやと、食卓の用意をするエレン、その他の色んな事をしてくれる(バンクスさんにいわせるとなまけものの)ロバートソン・アイが一緒にいます。さて、そんなバンクス家にやってきたのがメアリー・ポピンズ。東の風にのってやって来た不思議な女の人です。有無を言わせない威厳のある子どもあしらいと、素敵な不思議の数々。」設定などは映画と同じですが、昨日の映画と同様、原作が大きく違うのは、乳母とかナースというイギリス独特の保育者の保育をする態度です。原作は、どちらもわがままな子を厳しくしつけます。親は、ただ甘やかす存在として描かれています。しかし、厳しくという中に愛情があり、その本質を子どもは見抜きます。かわいがるということは、甘やかすことと違うということなのでしょう。しかし、最近の映画では、少し違います。子どもたちは、いろいろと心に影を持っています。そのほとんどは、愛に飢えているさびしい気持ちです。それを、乳母が受け止め、親にそれを気づかせるために現れ、子どもを救います。
 チム・チム・チェリーの歌でおなじみのこのミュージカルで、そのことを現している部分があります。メリーポピンズが乳母として子どもの家庭に来ることになったきっかけのところです。この場面は、親からみた子どもに対する接し方の理想像と、子どもからみた理想像とのギャップが表れていてとても興味深いものがあります。せりふの訳から見直してみましょう。
 「乳母を選ぶのは大仕事だ。洞察力と人を見る目が必要だ。」ということで両親は、乳母の募集の新聞広告を出すことになります。その文面は、
「募集!乳母。しっかり者でまじめな女性。イギリスの乳母は将軍。国の未来は彼女ら次第。頼もしい若者を育てるのは、乳母のきびしい手。イギリスの銀行は精密機械。家庭もそうあるべきだ。伝統、規律、そして規則が大切だ。でないと、混乱、破滅、すべてがめちゃくちゃだ。」
 これに対して子どもたちは、それを書き直します。自分たちが真に求める乳母像を描きます。その新聞広告の文面は、
「かわいい二人の子の乳母を求む。申し込む資格は、気立てが明るく、ゲームができて、親切で、気がきいて、やさしく、きれい。散歩の時はいつも、歌とお菓子。いじわるしないで。ひまし油なんか飲ませない。ママほどかわいがって。あんまりしからなければ、私たちもおとなしくします。」
あなたはどちらのタイプが必要だと思いますか?もちろん、ただ子どもが望むことをすればよいわけではありません。しかし、あまり使命感に燃えてしまうと、子どもから離れてしまいますね。

投稿者 fujimori : 23:58 | コメント (0)

2006年04月25日 映画

ふしぎなマチルダばあや

 映画を見た時、本を読んだ時、その内容にとても感動する場合、その作品が誰にとってもよいものであるほかに、自分だけに原因があることがあります。その多くの場合、自分の生きてきた人生において共感したり、自分の人生とダブって見たりと、その人の生きてきた過去や、いま生きている環境に関係することがあります。子どもという観点から映画を眺めて見ると、また違った感動や参考になることがあります。日曜日に見た映画もそうでした。原作は、「ふしぎなマチルダばあや」(クリスチアナ・ブランド著 原文では「NURSE MATILDA」)という本です。原作は読んだことがありませんが、映画と違う部分は、この主人公の子どもたちは兄弟が多いのですが、映画では7人のところ、原作では、30人以上いる設定です。また、映画では、母親は死んでしまっていますが、原作では、子どもたちの親のブラウン夫妻は「とっても優しい 善良な人たちなのだけど、子どもたちをやたらと甘やかしてしまい、とんでもない悪ガキぞろいにしてしまったダメな親」として描かれているようです。そこで、子どもたちはいたずらで、何人ものナースをやめさせてしまい、マチルダばあやがすこし過激な方法で子どもたちをしつけていくというものです。保育園のことをナーサリーと訳すことがありますが、ナースも看護師という意味だけではなく、「乳母」とか「保護者」という意味があります。この本の訳者によるあとがきにも、「子どもたちの一番たよりにしてよいもの、それをNURSEといいます」と書かれてあります。
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今回の映画の主人公のナニー・マクフィーを演じているのは、アカデミー賞主演女優賞をとったことのあるエマ・トンプソンであり、彼女は、原作に創作を加え、脚色し、自ら主人公を演じています。映画のストーリーは、母親が亡くなり、子どもたちは、その寂しさからいたずらが激しくなり、どんなナニーが来ても追い出してしまいます。そこに伝説の「ナニー・マクフィー」が来て、ステッキを床につくと、不思議なことが起こります。そして、レッスンが始まります。「夜は寝ること」「朝は起きること」、そして、「服を着替える」「人の話を聞く」などです。また、子どもを健全に育てるためにもいくつかのポイントが出てきます。「人にお願いします。と言うこと」、「野菜を食べること」、「自分で責任を取ること」。これらの内容は、当たり前のことですが、今の子どもにとても必要なことかもしれません。また、子どもに対する考え方でとても参考になる言葉が、映画のパンフレットに書いてあります。脚本家の「永田優子」さんの言葉です。「ナニー・マクフィーの魔法は、子どもたちを受け入れることから生まれる特別なものだ。時に大人は、子どもを従わせることに躍起になり、理解することを忘れてしまう。もちろんそれは、子どもたちに幸せな人生を生きてほしいという願いから来るものであり、愛情がなければできることではない。だが、その愛が、完璧なものでなかったら…。そこに弱さやゆがみが生じてしまえば、愛は間違った方向に進んでしまう。そして、弱く、ゆがんだ愛を受けた子どもたちは、自身の力で生きていく方法を見失ってしまうのだ。子どもたちに必要なのはどこまでも深く、厳しくも強い愛。」
 子どもに弱さやゆがみが見られるとき、それ自体に対応するのではなく、その原因を見、理解する必要があります。子どもによって、傷つくこと、ショックを受けるところは違います。ほかの子は大丈夫だったからという見方をしないで、その子がどのように感じているかを見ないといけないのです。

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2006年03月13日 映画

官と民

 昨日の日曜日は、久しぶりに邦画を見ました。「有頂天ホテル」にしようか迷ったのですが、結局「県庁の星」を見ました。この映画は、大体こんなストーリーです。「県庁のエリート公務員の野村は、200億円をかけたプロジェクトを踏み台にキャリアの躍進を狙っていました。そのために、このプロジェクトに必要な「県と民間の交流」をクリアするため、何人かが民間で、半年間の研修をすることになります。野村は、三流スーパーに派遣されることになりました。そこで、パート従業員の二宮が野村の教育係になりますが、役所のスキルを押し通そうとする野村は、スーパーの現場に馴染めません。しかし、出世のために我慢をして何とか過ごそうとしますが、県庁では、野村抜きでプロジェクトが動きはじめてしまいます。その挫折感の中から、スーパーの立て直しを図り、県庁に帰ってからも、そのプロジェクトに参加するよりも、より住民の側に立った仕事に変わって行きます。」
ストーリーはなんだか、あまりにもできすぎのきらいがないではありませんでしたが、この中で面白かったのは、随所に見られる、役人の意識と、民間の意識の違いに対するせりふです。
たとえば、映画の最初のほうのせりふで、こんなやり取りがありました。
「接客マニュアルを見せてもらえますか?」「はぁ?そんなモノありませんけど」「じゃあ組織図を」「そんなモノなくたってまわっていきますから、民間は!」
先週、私の園で、東京都の基準による第三者評価を受けていたときを思い出しました。「この根拠になる書類は?この手順書は?これはどこに明示してありますか?」などという質問が投げかけられます。ある園では、「マニュアル書は?」と聞かれて、園長が、「私がマニュアルだ!」と答えたそうです。そう、答えたくなるときもありますね。役所内での書類作りに長けている主人公は、その作成のすばやさやマニュアル作りを同僚にほめられたときに「役所というところは、書類を作って何ぼという世界ではないか。」と答えます。住民が相談に来たり、苦情に来たりした時のマニュアルも作ってあって、「わかりました。前向きに検討します。」とあります。これは、何もしないことのマニュアルだといいます。また、役所というところを表現している言葉として次のようにいうところがあります。「成績優秀、書類第一、上下関係に厳しい」「人の上に人を作り、人の下に人を作るところ」「もらった予算は使いきれ!」「人を“使役”してこその“役人”」「間違いは認めるな。」そして、「スーパーに行って学んだことは?」と最後に問われてこう答えます。「素直にあやまること、素直に教わること、仲間と一緒にがんばること」
原作は、OLから転身した桂 望実さんの「県庁の星」という娯楽公務員小説だそうです。それが漫画にもなっています。
 大げさで、誇張しすぎるところはありますが、やはり、この映画から素直に教わることも必要ですね。また、書類にしても、この映画は、ただ、勘や経験だけに頼っている民間にありがちなやり方だけではなく、書類によって、きちんとした現状の把握、分析、そして改革をしていくことの必要性を言っています。しかし、どんなときでも、その書類は、真に誰のためのものかを忘れてはいけないと思います。

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2006年03月05日 映画

たんす

 昨日から全国で公開されている映画に「ナルニア国物語 第1章 ライオンと魔女」があります。この映画は、宣伝も、かなり前から盛んにしていました。私は、まだこの映画は見ていませんが、本では、かなり昔に読んだことがあります。まだ、ハードカバーの大きな装丁の本で、面白くて、出版される順に、全7巻まで読んだ気がします。この話は、イギリスの作家であるC・S・ルイスによるファンタジー児童文学です。英語ではThe Chronicles of Narniaといい、日本語に直訳すれば、「ナルニア国年代記」となります。ナルニア国の誕生から滅亡までを描く全7作のシリーズです。C・S・ルイスは、宗教者としての書籍を多く書いており、この作品も聖書の物語を下敷きにして書かれています。このように、彼は、ファンタジー作家だけでなく、神学者であり、古典文献学者ですが、実は、子供時代、兄と想像の国を作りその物語を書いて遊んでいました。しかし、学校嫌いのために、ある学者の個人授業をうけて、オックスフォード大学に進学して、古典語の最優秀になりました。今回映画上映されている「ライオンと魔女」は、7部作のうち、最初に執筆された作品です。原題は"The Lion, the Witch and the Wardrobe"といい、直訳すれば「ライオンと魔女と衣装箪笥」といいます。というのは、4人兄弟が、古い屋敷の空き部屋にあった衣装ダンスから別世界の国ナルニアに引き込まれるからです。そして、不思議なライオンに導かれてナルニアを支配する白い魔女から住人たちを解放しようと奮闘します。
 同じように、五月三十五日に、洋服ダンスの中から出てきたローラースケートをはいた馬に乗って、たんすの入り口から、「南洋」についての作文を書くため、おじさんといっしょに、旅に出る話が、「スケートをはいた馬」です。原題は、「5月35日」といいますが、それがわからずに、子どもの頃に読んで、面白い思い出があったために、もう一度読みたいと思っても探せませんでした。この話は、私が大好きなドイツの偉大な作家ケストナーが書いたものです。彼は、実の父がユダヤ人だったためもあり、ナチス・ドイツが政権を取ると、政府によって執筆を禁じられましたが、「自分はドイツ人である」という誇りから、亡命を拒み続けて偽名で脚本などを書き続けています。彼の作品は、映画になったものが多くあります。最近では、私も見ましたが、「点子ちゃんとアントン」や「飛ぶ教室」があります。しかし、私の一番好きな作品は、「エミールと探偵たち」です。たぶん、小学校低学年の頃だったと思いますが、その映画を見に連れて行ってもらいました。話しは、お母さんと二人で暮らすエミールが、ベルリンのおばさんの所へお金を届けに出かける途中、汽車の中でうっかり居眠りしたら、山高帽の男に大切なお金を盗まれてしまいました。そこで、ベルリンのこどもたちと協力して男を追い詰め、最後に捕まえる話です。本書は、ケストナーにとって初めての小説です。映画の後、すぐに本を買って、夢中になって、何度も読んだ記憶があります。そして、私が小学生の頃は、みんな髪の毛が「坊ちゃん刈り」という髪型(映画3丁目の夕日に出てくるような)でしたが、私は、エミールの髪型のように、横分けにしました。(今、考えるとおかしいですが、髪がすぐに前に落ちてきてしまうので、ピンで留めていました。)もしかしたら、今の髪型も、そのときから変わっていないかもしれません。あの、わくわく感も、今でも求めています。

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2005年12月30日 映画

八犬士

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 私が小学生の頃、臨海学校は、千葉の岩井海岸でした。今でも、夏は海水浴客や臨海学校の子ども達で賑わい、秋から春にかけても、民宿は、コーラスクラブや剣道、空手、柔道などの合宿銀座のようだそうです。この岩井駅を降りると駅前に伏姫と八房の像があります。それは、戌年である来年のお正月の話題作である「南総里見八犬伝」の始まりの場面となるのが、この岩井海岸がある富山町の中央に位置する富山(とみさん)(八犬伝では富山(とやま))だからなのです。(八犬伝は架空の物語ですが、富山町には伏姫の籠穴や犬塚、八房誕生の地など、八犬伝にちなんだ地が数多くあります。)NHKでの人形劇「新八犬伝」は、夢中で見ました。かなり、高視聴率を稼いだようです。また、角川映画「里見八犬伝」(薬師丸ひろ子・真田広之主演)などで有名ですが、私は、いつの頃か忘れてしまいましたが、小さかった頃、父親に連れて行ってもらった映画を見て、夢中になりました。(この映画は実写でしたが、いつごろ、誰が主役かまったく覚えていませんし、インターネットで調べてみましたが、出てきません。)すぐに本を買って、読みふけりました。以前にも書きましたが、私は、天命を持って生まれたものが、その使命を果たすという話が昔から好きだったようです。
 「南総里見八犬伝」は江戸時代、戯作者滝沢馬琴によって書かれた原典は九十八巻、百六冊に及ぶ大長編です。物語は、室町時代、安房の国の城主里見義実の娘「伏姫」と飼犬「八房」との間に不思議な力で八つの徳すなわち「仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌」の八つの玉が生れます。 伏姫の死とともにこの玉が八方に散し、やがてそれぞれの玉を持って生まれた八犬士たちが成長し苦難に出会いながらも、因縁の糸で結ばれて少しずつ出会っていきます。そして、里見氏のために忠義をつくし、主君を守るために活躍するという、いわゆる勧善懲悪の理念に貫かれた物語です。舞台も房州を中心に、関東から甲信越にまでわたって展開し、ハラハラ、ドキドキの一大スペクタクルです。
八犬士が持っている玉に浮かび上がる「仁義礼智、忠信、孝悌」の8つの徳目は、次のような儒教に典拠があるといわれています。孟子の「惻隠之心仁之端也、羞悪之心義之端也、辞譲之心礼之端也、是非之心智之端也」(四端の説)と論語の「主忠信」と孟子の「堯舜之道、孝悌而巳矣」です。簡単に言うと、「仁」とは、「思いやり、慈しみ」。「義」とは、「人道に従うこと、道理にかなうこと」。「礼」とは、「社会生活上の定まった形式、人の踏み行なうべき道に従うこと」。「智」とは、「物事を知り、弁えていること」。「忠」とは、心の中に偽りがないこと、主君に専心尽くそうとする真心」。「信」とは、「言葉で嘘を言わないこと、相手の言葉をまことと受けて疑わないこと」。「考」とは、「おもいはかること、工夫をめぐらすこと。親孝行すること」。「悌」とは、「兄弟仲がいいこと」といわれています。
 また、ある使命を持ったものであるという証拠には、この玉を持っているほか、それぞれが、犬の姓を持っていることと、体のどこかに牡丹の痣を持っています。これは、三島由紀夫の「豊饒の海」で転生する主人公4人にはいずれも脇腹に三つのほくろがあることを連想させます。
 私は、小さかった頃、何かの使命を持って生まれてきているかもしれないと、体のどこかに証を探したものです。

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2005年12月05日 映画

行ける所、行った所

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 私は、もうわが子が大きくなってからは、あまり子どもが好きなような映画やイベントには行かなくなっています。妻と二人では、なんだか恥ずかしい場所もあるのです。「行こう、行こう。」と思っているのに、まだ行っていないところに「ディズニーシー」があります。ディズニーランドは、子どもが小さいころは、毎年行っているくらいでしたが、「シー」のほうは、わが子と行かなくなってから出来たので、まだ行っていません。また、冬になってのスキーにも、子どもが小さかった頃は、毎冬、何回か行っていましたが、今は、もう行っていません。最近の人は、子どもがいると行けないところ、やれないことを考えてしまいますが、逆に、子どもがいないと行けないところも、やれないことも多くあるのです。テレビで、なつかしの歌番組をやるときに、ある時代の歌が、夫婦とも、ほとんどわからないことがあります。考えてみると、そのときは、子どもに合わせてレコードを聴いたり、テレビを見たりしていたので、大人の歌はほとんど聴いていないことがわかります。その代わりに、その頃の「おかあさんといっしょ」や「みんなのうた」や「ポンキッキ」で歌われていた歌は、ほとんど全部歌うことができます。逆に、今は、ほとんど知りません。本当は、職業柄、子どもに関するテレビ番組を見る必要があるのかもしれませんが、大人だけで「あかあさんといっしょ」は、ちょっと見ることをためらいます。最近、体操のお兄さんと、体操が変わったので見てみましたが、「パジャマでおじゃま」などのときは、チャンネルを回してしまいます。かわいいのですが、園でそんなかわいい子は毎日見ているので、改めてテレビで見ようと思わないからです。
 映画も同様です。ドラえもんなどは、もう見に行けません。「東映まんが祭り」(私は、わが子が小さかった頃も見に行ったことはないのですが)などは、おじさんが一人で見に行ったら、変態と思われてしまうかもしれません。そんななかで、妻と必ず見に行くシリーズがあります。「スターウォーズ」と「ハリーポッター」です。スターウォーズは、最初、独身のときに勉強を教えていた小学生に無理やり勧められて見に行き、はまってしまったのです。ハリーポッターは、原作を読んではまってしまったのです。昨日は、そのハリーポッターの新作を妻と見に行きました。その二つの映画に共通するところがあり、それが、私にはとても興味のあるところです。それは、天から特別な才能を授かった人の、果たすべき使命です。スターウォーズは、「フォース」という力を授かったものの物語です。人間には、理屈ではどうしてもできないことがあります。そのときには、「考えないで、フォースを感じろ!」というのが1作目にあって、その部分が好きなのです。物事を追及した最後は、目で見えるものは、さまざまなものに惑わされてしまうので、目を閉じて感じるというのは、日本でも、剣の世界などにあります。そして、その力を人より強く授かったものがいます。しかし、その力を、自分では使いこなせないときに、悪に利用されてしまいます。しかし、最近のスターウォーズの作品は、少しずつそのテーマがぼやけてきているので、残念なのですが。ハリーポッターも同じです。その力を生まれながらに持っているゆえに、さまざまな困難に立ち向かわなければならないのです。こんなことを熱っぽく語るのは、子どもっぽいかもしれませんね。

投稿者 fujimori : 18:59 | コメント (0)

2005年11月13日 映画

夕日

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今日は、少し風邪気味ということもあって、久しぶりの邦画「ALWAYS 三丁目の夕日」を見に行きました。これは、今一番の人気の映画です。もともと1400万の発行部数を誇る、西岸良平の傑作コミックを映画化したものです。最近テレビにしても映画にしても、コミックからのものに人気があります。「ごくせん」「ドラゴン桜」などもそうですね。また、VFXを駆使して再現された昭和30年代の東京下町は、リアルに再現され、かつて、セット作りに苦心した時代から、ずいぶんと技術が進んだ感があります。
 「ALWAYS 三丁目の夕日」は、昭和33年、建設中の東京タワーを背景に、下町に暮らす個性豊かな面々が織り成す感動と希望の物語です。特に、二人の小学生を中心に、それぞれが豊かではないけれど、未来に希望を抱き、大切な夢に向かって生きていく姿に、今を生きる私たちはもう一度大切な何かに気づかされ、観終わった後、勇気と幸福感で満たされます。しかし、一方、この映画の感想は、「ずるいな」ということです。感動する場面、せりふを、これでもかと入れています。特に私は、ちょうどこの時代に、この主人公と同じ年齢で、しかもこの舞台である下町で生活していたのです。まったくダブっているので、ストーリーがなくても、場面の細部にいたるまで、懐かしさがこみ上げ、その時代を思い出してしまうので、胸に迫るものがあるのは当然です。
着工された東京タワー、テレビ、冷蔵庫、洗濯機の“三種の神器”を揃えることが庶民の憧れ。子どもは路地裏で遊び、駄菓子屋に通い、夏休みに怒られてした昼寝、登校日、道路では、オート三輪や都電が走っています。私は、中学1年生のころは、都電22番(浅草と銀座の間を走る)で通学していました。そんなわけで、その時代へのノスタルジー、その時代に生きる人々のふれあい、楽しさ、をつい思ってしまいますが、時代は、戻ることはできません。いくら、あの時代がいいからといって、携帯電話が普及し、メールでやり取りをし、パソコンで物を調べ、24時間コンビニで物を売っている現在、決して、過去のような生き方はできないのです。しかし、最後の言葉に出てくるように、「夕日」は変わらないはずです。「大切にしないといけない心」は、変わらないはずです。というよりも、変えてはいけないのです。この映画を通して、何が「流行」で、何が「不易」かを、もう一度考えてもらいたいと思います。そして、守るべきものを、どうすれば守れるか考えないといけないのです。あの時代を懐かしく感じるように、今の時代が懐かしく感じられるように、あの時代がよかったといわれるような「今」を作っていく責任を感じます。

投稿者 fujimori : 20:56 | コメント (0)

2005年10月14日 映画

ハロウィーンと映画

 もうすぐ、ハロウィーンです。保育園でも、その装飾で今にぎやかです。玄関には、大きなかぼちゃが飾られています。この行事は、少し前までは、日本ではあまり見られませんでした。ディズニーランドで、ハロウィーンパーティーをやっているくらいでした。まず、あの大きな、オレンジ色のかぼちゃの種類には、あまりなじみがありません。そして、全体的なキャラクターが、なんだか不気味です。それから、仮装をして、各家を回って、お菓子をもらうというのも、不思議です。まあ、その由来は、ハロウィーンの当日にして、今日は、そのお菓子をもらうということが、アメリカで、子どもにどんな影響を与えているかを映画から考えてみました。
 まず、先日見た「チャーリーとチョコレート工場」の映画ですが、原作にはなかった、チョコレート工場の社長であるウォンカ氏の少年時代の逸話です。ウォンカが少年のころ、ハロウィーンの日に、仮装をして、各家を回って、お菓子をもらいます。集めたお菓子を食べるのを楽しみに家に帰ると、歯医者である父親が、こんなものを食べると虫歯になると言って、全部暖炉に投げ入れてしまいます。それが元で、親子の関係がギクシャクしてしまうという話です。結局は、父親のそのような行為は、子どものことを思ってであるということが大人になってわかるのですが、子どものころは、子どもの心を踏みにじったと思うのです。他にも、同じような映画を思い出します。
パーフェクト・ワールド」という映画です。
 ハロウィーンの夜、ブッチとジェリーの二人の犯罪者が刑務所を脱獄します。逃走の途中、ふとしたことから八歳の少年を人質にとりました。途中、トラブルからジェリーを射殺したブッチは少年と二人の逃走が始まります。逃走中の車内の中での二人の会話に子育てに参考となることばが多くあります。「いいおやじかい?]「ええ」「キャッチボールとかレスリングを?」いい父親のイメージは子どもとキャッチボールをしたりレスリングをしたりするもののようです。途中、少年はハロウィーンの衣装を盗みます。少年の家では宗教上の理由でハロウィーンはできないのです。少年はどうしても一度はしたくてしかたがなかったのです。「ほかにないものは?」「クリスマス。」「うそだろ?」「誕生日もパーティーもない。」「カーニバルも知らない?」「ええ。」「綿菓子は?」「一度見たことはある。赤かった。」「ピンクだよ。」「味は知らない。」「ローラー・コースターは?」「写真だけ。」「アメリカ人は綿菓子とローラー・コースターを楽しむ権利がある。」「本当に?」「本当さ。」そんな少年にブッチは試したいのに我慢していたことをリストにあげさせます。ブッチと少年は父親に恵まれなかったという共通項からの同情はあるものの、それだけでなく、彼は少年を子どものころの自分と同一視していたのです。自分と重ねて、自分が子どものころにして欲しかったとおりに少年を扱っていたのです。子どもは貪欲に楽しいことを求め、大人が自分の考えでそれを阻止したとき、子どもの人生が狂ってしまうと思っているのです。そんな気持ちが最後に少年を開放する条件として、少年の母親にリストに書いてあるようなやりたいことをやらせることを約束させるのです。「お金なら出します。」と叫ぶ母親に対して、要求は「キャンディーだ。ハロウィーンのキャンディーだ。」と言うのです。

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2005年10月09日 映画

今日も映画

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 今日は、秋雨前線の影響で、朝から小雨が降っています。あまり歩き回れそうにないので、映画を見ることにしました。「チャーリーとチョコレート工場」です。この話の原作はかなり古く、1964年に「チョコレート工場の秘密」として、イギリスで出版されました。その後、全世界で、32ヶ国語に翻訳され、1300万部以上発売されています。イギリスでは「子どもの好きな本ランキング」で、第1位が「ハリー・ポッター」第2位が「指輪物語」第3位がこの「チョコレート工場の秘密」だそうです。1位、2位とも映画化されて有名ですが、この映画も、昔、映画化されています。私は、子どものころは、この原作とは、出会いませんでした。わりと最近に読みました。もう、大人になって読んだせいか、それほどおもしろいとは思いませんでした。それは、ストーリーは、予想がつきますし、単純なハッピーエンドだからです。
 この映画の題名で思い出すのは、それよりも、大石真氏原作の「チョコレート戦争」です。これは、かなり昔に読んだので、詳しい内容は忘れてしまいましたが、とても面白かった印象があります。 チョコレート戦争で、戦争するのは、洋菓子店の人々と、その人たちの何人かに何もしてないのに怒られた子どもたちです。店の社長さんに、「ショーウインドウのガラスをわったのはだれだ」と問いつめられ、その仕打ちのことを学級新聞にのせて戦いを挑み、このチョコレート戦争で子どもたちが勝った話です。そして、最後の方で、ショーウインドウを割った本当の犯人が見つかるのです。この大石真氏は、他にも「教室二〇五号」という話も書いていますが、これは、私の好きな児童文学書の中では、ベスト10にはいる本です。いつか、それら、児童文学書についても書きたいと思っています。
 話は、それましたが、映画の話に戻します。原作はあまり面白くなかったのですが、映画は、割と面白かったです。ストーリーとしては、「両親と両祖父母と一緒に、傾いた家で細々と健気に暮らす少年が、たまたま、誰も中を知らない世界一のチョコレート工場に、幸運にも他の4人とともに招待され、さまざまな冒険をする」という話です。この映画としての面白さは、少し説教くさいところもありますが、テーマが、さまざまな親(今の時代を代表するような)に育てられた子どもたちがどうなるのか。お菓子食いすぎ肥満少年、小遣いやりすぎわがまま娘、ゲームやりすぎオタク少年、勝ちにこだわりすぎ自己顕示欲少女。しかし、最後に幸せを手に入れるのは、特別なにとりえがなく、頭もそれほどよくなくとも、「やさしさ」を持った子どもであるということです。また、チョコレートのおいしさ、甘さを出すもの、アイデアを生み出す元は、「家族」であるということも、テーマのひとつです。おまけとして、原作にはなかったのですが、チョコレート工場の社長であるウォンカ氏の少年時代や、成長後の親子の交流などが描かれ、”親と子の関係とは”という映画全体のテーマに深みを与えています。前回見た、「シンデレラマン」と同じようなテーマです。今、アメリカが抱えている悩みや、訴えようとしていることがよくわかりますね。

投稿者 fujimori : 21:51 | コメント (0)

2005年09月25日 映画

シンデレラマン

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 最近、映画を見るとき、片方が50歳以上の夫婦であれば、二人とも1000円で見ることができる企画があります。昨年その企画があったため、かなり映画を見ました。1年限りの企画だったのですが、好評のため、今年も継続されています。
 今日は、台風の影響で雨が降る予想があったために、映画を見ることにしました。その映画は、「シンデレラマン」です。実在のボクサー、ジム・ブラドックの半生を描いた伝記映画です。内容は、主人公のジムは愛する妻、3人の子供と幸せに暮らしながら、将来を期待されるボクサーでした。ところが拳の負傷から負けが込み、やがてライセンスを剥奪され失業者となってしまいます。経済的な困窮から家族はやがて何度も離れ離れになってしまいそうになりましたが、ある日、元マネージャーから一夜限りの復帰戦の話がきます。強豪ボクサーの相手がおらず、ジムに白羽の矢が立ったのです。じつは、単にKO経験の無い彼が滅多打ちにされるという筋書きを期待されてのことだったのです。しかし、意外な試合結果を呼びます。その後、ジムは一念発起、猛トレーニングを開始し、復活するという話です。タイトルの「シンデレラマン」は、アメリカの好きな「シンデレラストーリー」をイメージします。最後には、ハッピーエンドという安心して見られる内容です。しかし、いろいろと考えるところがあります。たとえば、ボクシングで戦うときに、よくスポーツ選手が言いそうな「夢をつかむために戦い、勝利をつかむ」という様子は、主人公には微塵もありません。逆に、自意識過剰で夢を追いまくる権化のようなボクサーと戦うことで、その考え方を否定しているかのようにも見えます。では、彼は何のために戦ったのでしょうか。彼は劇中のインタビューでそう聞かれたとき、生活のためという言い方の「パン」のためと答えずに、「ミルク」と答えます。これが、実は、この映画の主題の気がします。彼は、普段はおとなしいのですが、貧しさのために妻が子どもたちを親類に預けることを決めたときだけは猛烈に怒ります。また、家族を養うために、いとも簡単に選手としてのプライドを捨て、かつての仲間の元へ無心にも行ったりします。こうした行動からわかるように、この映画の主人公の生きていく中心は、子ども、家族なのです。これが、「ミルク」で象徴されている気がします。ボクシングをすることは、単に「自分の夢をかなえる」ということとか、「生活の糧」とかではなく、「家族とともに暮らすこと」「子どものため」がすべてなのです。生きる中心に常に子ども、家族を置くことが、人を強くするということを教えている気がします。

投稿者 fujimori : 20:26 | コメント (0)