2007年09月02日 読書

まわる

 今、面白い本を読んでいます。それは、石川英輔さんの「大江戸リサイクル事情」(講談社文庫)というものです。他にも「大江戸エネルギー事情」「大江戸テクノロジー事情」「大江戸生活事情」「大江戸ボランティア事情」(共著)など「大江戸」シリーズが人気です。もともとは、石川さんは、SF作家で、現代人が江戸時代にタイム・ス リップするSF小説『大江戸神仙伝』の執筆を契機に江戸時代の諸相に関心を抱き、江戸時代のエ ネルギーとリサイクル問題の第一人者となっています。その中で私が読んでいる「大江戸リサイクル事情」の最初の章は、「まわる」です。はじめに「水車が廻っているのはなぜか?」という問いかけから始まっています。
suisya.JPG
それは水の流れが水車を回している。では、水は誰が流しているのか?それは、高いところに降った雨が、重力にしたがって流れ下っている。では,なぜ雨が降るのか?太陽の熱で蒸発した水が空へ上がって雲になり、冷えてまた水となって地上へ落ちる。水車を廻した水も、いずれ再び太陽エネルギーによって蒸発し、上空に昇って地上に戻ってくる。ということは、水車は、太陽が廻しているということになるようです。石川さんは、こんな風に言っています。「江戸時代の社会における資源・エネルギーの循環構造は、水車と同じように、太陽エネルギーを基本としていました。生活に必要な資源エネルギーの95%以上はどんな方法で処分しても最終的には太陽エネルギーによって元の発生地点に戻っていく、そういう持続性の高い構造になっています。」それが、最近は変わってきたと言います。石炭や石油のような化石燃料は、燃やしたあと、太陽エネルギーには戻っていかないのです。つまり、「廻って」いかないのです。しかし、私たちの生活は、もう戻らないと思っています。かつてのような生活を体験した人はもういないと思っています。彼は、対談の中でこう言っています。「江戸時代の生活というと、何か遠いことのように思われるかもしれませんが、実際は私たちがつい最近までやってきた生活とそんなに違うわけじゃありません。少なくとも、今の40歳代の人達が子供のころまでは、まだ身近にあった生活とそう変わりはないのです。つまり、私たちはわずか40年くらい前までは、江戸時代と似たような「持続可能性の高い生活」を送っていたということを、確認しておく必要があると思います。」彼の最近の著作の中で、確か、「2050年は江戸時代」という本があったような気がします。これから先、江戸時代の暮らしぶり、生活の知恵が見直され、少しずつそのような生活をするようになるということでしょうか。今読んでいる本の挿絵に子どもをおんぶしている母親の北斎漫画が載っています。そのコメントに「子供を背負った母親、われわれの伝統的生活は、本当にそれほど間違っていたのだろうか?」と書かれています。そう考えてみると、まさに子育てとは、持続可能性の高い営みの気がします。相田光男さんの言葉ではありませんが、「育てたように 子は育つ」。わが子を強くしかっったり、嘆いたりする親を見るたびに、「あなたが、そう育てたのでしょう。」と言いたくなる時があります。そして、そうして育てられた子が親になって、子を育てるのです。まさに子育てが「まわって」いくのです。最近、ベビーシッターや、託児所にほとんど育児を任せている親を見ると、心配になります。こうして育てられた子は、親になってどう自分の子を育てるのだろうかと。

投稿者 fujimori : 23:11 | コメント (2)

2007年08月09日 読書

ムーミンパパ

今日の8月9日は、「ムーミンの日」です。そう決められたのは、2005年からですが、それまでは、「ムーミン」を愛する日本のファンたちによって6月(ムー)3日(ミン)の語呂合わせで、6月3日が記念日でした。しかし、現在は、作者のトーベ・ヤンソンさんの誕生日である8月9日が、正式な“ムーミンの日”と定められることになったそうです。「Moomin:The Complete Tove Jansson Comic Strip」は、Timeの「2006年に英語圏で出版された本のベスト10」にも選ばれています。日本では、このシリーズを、ムーミンの声を岸田今日子さんが担当したことでテレビアニメ化をしたので、みんな知っています。しかし、なかなか本では読まないので、本当のことを知らないことが多いようです。このムーミン・シリーズは、子ども向けの作品ながら、小説での雰囲気は決して明るくはなく、不条理な内容や哲学的な会話なども登場します。作者のヤンソンさんは画家でもあり、ムーミンの原型となるキャラクターは小説執筆以前にもたびたび描かれていました。小説として初めて登場するのは1945年にスウェーデン語で著された『小さなトロールと大きな洪水』で、その後ムーミン・シリーズとして知られる計9作品に登場するようになります。登場人物には哲学的・詩的な発言をするものも多く、子どもとして描かれているアニメでは主人公のムーミン・トロールには理解できないという描写がしばしば見られます。特に、シルクハットがトレードマークのトーベ・ヤンソンが自分の父親をモデルにしたというムーミンパパは、特にわからない考え方や行動をすることがあります。パパとして登場するときは、海と自由と危険、パイプたばことお酒とキャラメルを愛するロマンチストとして描かれていますが、実は、暗い、波乱万丈の過去を持っているのです。ムーミンパパは赤ん坊のとき「ムーミン捨て子ホーム」の階段に新聞紙にくるまれて置き去りにされていました。その施設を経営していたのが、ヘムレンさんです。今の、赤ちゃんポストのほうがまだいいかもしれません。この施設は、気持ちよくおしゃべりのできる場所とか、個室とか、階段やバルコニーや塔なんかなく、それどころか、夜起き上がって、食べたり、しゃべったり、歩き回ったりすることは止められ、おしっこするのがやっとこさでした。決まった時間に食事をし、決まった時間に体をあらわなければならないとか、お辞儀をするときには、尻尾を45度の角度で、上にピンと立ててなければいけなかったというような規則ずくめの施設でした。ですから、子どものころのパパは、ヘムレンさんに「なぜこうなっているのですか。なぜこの反対ではいけないのですか。」とたずねることがしょっちゅうでした。その施設からあるとき、こんな置手紙を残して必死に脱走します。「大きな使命が、私を待っているような気がします。それに、ムーミンの命は短いのです。ですからわたしは、ここをでていきます。」こうして、パパは自由と冒険に人一倍憧れる様になったのです。フィンランド文学研究家の高橋静雄氏は、[ムーミンパパの思い出」の解説でこう書いています。「ムーミンパパは、自分らしく生きようとすることが、どんなに大きな感動をもたらすかを、知らず知らずのうちにムーミンに伝えたことになります。ムーミンの、あのやさしさは、自分が自分らしく生きることと、他人が他人らしく生きられることの双方に、同じように思いやりを示さずにはいられない気持ちから生まれているものです。それは、自分らしく生きることの感動を知らず知らずして生まれてくるものではないでしょうか。」

投稿者 fujimori : 23:18 | コメント (2)

2007年08月03日 読書

素数ゼミ

 やっと東京では梅雨が明けました。最近の気候は、亜熱帯気候になったとのこと、全体的に遅いようです。遅い入梅と、遅い梅雨明けです。まだ、東京ではせみの鳴き声があまりしません。いつもの年であれば、今頃は、アブラゼミの鳴き声でやかましいくらいです。しかし、シカゴなど米国中部では、「素数ゼミ」と呼ばれる周期的に大発生するセミが、今年は発生年にあたり、70億匹ものセミで大変なことになっているそうです。米国には日本のセミとは全く違う「周期ゼミ」もしくは「素数ゼミ」と呼ばれる種類のセミたちが生息しているそうです。素数ゼミというのは北アメリカ大陸に生息している17周期,13年周期で羽化するセミのことです。今年は、イリノイ州シカゴなど、北米中部がその中でも17年周期のセミたちの発生年にあたり、ちょうど今年の6月がピークでした。3年前の2004年にニューヨークなどで大発生したときは60億匹でしたが、今年の70億匹はそれを上回っていますが、すごい数ですね。この数は、10平方メートルに400匹という大群がいることになります。
sosuzemi.JPG
 このセミが不思議なのは、大量に発生することではなく、3点のなぞがあります。それは、「なぜこんなに長年かけて成虫になるのか?」「なぜこんなにいっぺんに同じ場所で大発生するのか?」「なぜ13年と17年なのか?」です。このなぞを解明したのが、数理生態学を専攻する静岡大の吉岡仁教授で、彼の著書、『素数ゼミの謎』(文藝春秋)に書かれています。この本で解き明かした内容は、まず、なぜ成虫まで期間がかかるかというと、「氷河期の影響で幼虫たちの食料供給源である木の根に栄養が行き届きにくくなったため、成長までに時間がかかるようになった名残り」と言っています。また、なぜ同じ場所かというと、「成長する時間がかかるようになってしまったため、できるだけそろって同じ場所に生まれるようにしないと、交尾相手が見つけにくくなり、時間を合わせて同じ場所で羽化する種だけが残った」としています。そして、なぜ13年と17年ごとなのかというと、「13年もしくは17年という周期で発生する種だけが、違う周期で発生する他のセミとの競合や交雑を免れて生き残っていった」というのです。では、なぜ、13年もしくは17年周期なら、他の種と出会いにくいのかというと、その鍵は、13と17という数が「素数」であるというところにあります。素数とは、1とその数自身以外に正の約数を持たない(つまり1とその数以外のどんな自然数によっても割り切れない)、1より大きな自然数をいいます。ですから他の周期ゼミに邪魔されることなく繁殖できるようになっているのです。生き物の歴史は必ず、そうやってうまく子どもを残せた親の子孫だけが残ることで、続いてきたのです。これが進化ということだといっています。そして、今、温暖化や木が伐採されている中、このセミが今度羽化したときに林がなくなっていたらどうなるかを問いかけています。「終わりに」にこう書かれています。「人間は地球上に進化していた中で、自分たちが進化してきた過去について知っている、はじめての生き物です。地球が今までになしとげてきた素晴らしい不思議について知っている、唯一の生き物なのです。そしてまた、今やその素晴らしい不思議の運命をにぎる立場にもなってしまいました。夏の盛りにセミの声を聞いたときは、ぜひアメリカで鳴いている、不思議な素数ゼミの謎を思い出してください。そして、はるかな地球の歴史にも思いをはせてもらえばと思います。」

投稿者 fujimori : 23:21 | コメント (3)

2006年12月17日 読書

人の器量

 先週で、NHKの今年の大河ドラマ「功名が辻」が最終回を迎えました。私は、妻と休みの日にいろいろな場所を歩くのですが、少し遠出をするときにどこに行こうかと迷います。今年は、特に目的がないときには、この「功名が辻」に関連のある地を訪れてみました。そんなわけで、今年の最後に訪れる地として「高知」に来ました。高知は、山内一豊が最後に任された地で、「高知城」を築城しています。
koutijo.JPG
高知城
そのあと、戦国武士にしては子孫までその地を治めるのですが、司馬遼太郎の原作の「功名が辻」を読んだとき、最後の施政が気になりました。どんどん功名を立て、えらくなっていくのですが、それに伴って物事を進めることを急ぎ、強引になり、周りが見えなくなり、人の気持ちを推し量ることが軽んじられていく気がします。地位や名誉を得るにつれて謙虚になり、人の気持ちが判ってくるというのは、その人の器量によるのでしょうね。器量のない人に地位や名誉を与えると、ろくなことをしません。また、降って湧いたような地位や名誉も、金銭と同じで、それをすぐ失ってしまうような使い方をすることが多いようですね。そんなことを、今年の「功名が辻」で思いました。それを司馬は、原作の中で、妻の千代の口から一豊(伊右衛門)の印象を述べさせています。
yamauti.jpg
   一豊と千代
 「自分を勝者だと思っている。なるほど勝者にはちがいないが、勝者になりうる能力、器量のもちぬしだ、と思いはじめているようであった。土佐一国、という思いもよらぬ僥倖をひきあててから、どうも伊右衛門は、それ以前の伊右衛門にくらべてすこしかわったようである。(以前はこうではなかった。以前、この人は、自分が凡庸だと思いこんでいたし、それなりに功名をたててそれなりの加増があるとひどくよろこび、自分は運がいい、それほどの分際ではないのだが、というような謙虚さがあった。いまはそうではない。自分の力でかちえた、と思いはじめている)男に、出世とはこわい。分不相応の位置につくと、つい思いあがって人変わりのする例が多い。」
 また、器量のないものが周りを推し量ることができなくなると同時に、先を見ることができず、目先のことだけを見てしまうことも多くなるようです。もちろん、家来として、人と使われる身としては、今の実績が大切かもしれません。しかし、城主になって、その地を治めるようになったら、もっと先を見ていかなければならないと思います。仕事の面でも、少なくとも管理職になったら、目の先のことにとらわれずに、広く、様々な視点から物事を見、きちんと将来を見据えていく力が必要でしょう。他人の考え、意見に耳を傾ける必要があると思います。やはり、他人の意見に耳を傾けることのできる人は、器量のある人なのでしょう。一豊が目の先の安定を急ぐあまりに虐殺をしたときに、一豊と妻の千代との会話です。
「すくなくともこの国の人間どもにはわなが要るのだ。残忍かもしれぬが、もはやそういうわなを設けて虐殺する以外に治めてゆく方法がない」「人には子や孫がありまするぞ」「けものにもある」「しかしけものには言語がありませぬ。わなをつくって人を殺せばそのことが伝説になり子々孫々にまで伝わるでしょう。一時はおさまっても、いずれか時がきたときにその伝説で育てられた子孫たちがきっと山内家に復讐をくわだてるでしょう。政事というのはあなた様ご一代きりのものでございませぬ。杉苗を大木にするように百年千年ののちまで考えるべきものです」
kazutoyohaka.JPG
   一豊の墓

投稿者 fujimori : 01:57 | コメント (4)

2006年10月23日 読書

教室

プレジデントファミリーの12月号の特集に「頭のいい子の勉強部屋」というものがあります。どんな部屋なのか興味はありますが、ほかの記事はあまり興味のないものばかりなので、この部分だけのために本を買う気にならないので見ていませんが、間取りが問題なのでしょうか。動線が問題なのでしょうか。それよりも、気が散らないとか、音が聞こえないとかいう「視覚」とか「聴覚」を遮断する部屋作りかもしれません。同じように、学校の教室は、どんなつくりが教育効果が上がるのでしょう。リヒテルズ直子さんの「イエナプラン教育に学ぶ」には一例にこう書かれています。
iena.jpg
「教室の一隅には、グループリーダー(担任)が記録をしたり事務的な仕事をしたりする机が置かれています。そのほかに二つ、大きなテーブルが置かれているのが普通です。一つは、教室のほぼ中央に置かれていて、子どもたちが、糊やハサミ、また、絵の具などを使って作業をする時に使うテーブルです。そして、子どもたちのテーブルは、5~6人分ずつ、壁や窓に沿って配置されています。教室の後方には、読書コーナーやコンピューターコーナーが設けられ、子どもたちが自由に本を読んだりコンピューターで仕事をしたりすることができるようになっています。また、廊下にも机が置かれ、子どもたちが一人で静かに自習することができます。黒板の後ろや下、窓際の窓の下、廊下側の壁など、ありとあらゆるところに棚が設けられ、さまざまな教材が備品として備えてあります。子どもが何かについて調べるための資料や遊びながら学ぶことのできるゲームなどが、廊下や踊り場などのコーナーに置かれています。また、廊下側や教室後方の壁には、生徒の学習の成果を展示するスペースが広く設けられています。また、イエナプラン教育では、いろいろな機会を捉えて、グループリーダーと子どもたちが輪を作って話し合う時間を設けるので、グループ全員ですぐに輪を作ることができるように、机や椅子は、できるだけ軽く移動しやすいものが選ばれています。教室の床は、清掃が簡単な、明るい色のリノリウムがよく使われています。」今までのオランダの教室をこのように表現しています。「大勢の子どもに対して画一的な授業を行ってきた旧来の学校では、子どもの注意を、いかにして授業をしている教員に向けさせるか、ということを基準にデザインされてきたものです。黒板の前には、教員が立つ教壇があり、それに向かって机や椅子が整然と並べられたものでした。」これを聞くと、今の日本の教室そのものですね。以前のブログでも書きましたが、このような変化は、アメリカの教室にも見られます。どの国も、少なからず、幼児における保育室も学校の教室に影響されています。それは、もちろん教育によってどんな力を子どもにつけるかという課題は、幼児期から共通だからです。実際に、ドイツなどでも、保育室も、ここで表現されているようなオランダの教室にとても近いものがあります。今年の2月に訪れた幼児施設でも、給食は、廊下に机を並べてみんなで食べていました。しかも、その廊下の幅は、それほど広くないのにです。もちろん、ランチルームのような食事専門の部屋があればいいのですが、それほど贅沢は言えません。そこで、廊下を含めてフレキシブルに部屋を利用しているのです。しかし、この部屋の利用の仕方は、日曜日に訪れた牧野記念館にあった、江戸時代の郷校の模型にそっくりでした。
goukou.JPG

投稿者 fujimori : 23:46 | コメント (2)

2006年07月06日 読書

悩み相談

 人から悩みの相談を受けたときに、どのように答えるか悩むことがあります。また、新聞等に悩みの相談コーナーがあり、その答え方によって、その人の考え方というよりも、人柄を感じることがあります。また、相談の答えによってもちろん慰められたり、解決したり、次の目標が見えてきたりすることが多いのですが、時によって、かえって落ち込んでしまったり、悩みが多くなったりすることもあります。難しいですね。また、本人は少しも悩みを解決してあげようとか、悩みに答えようとしていないのに、解決してしまうことがあります。その人の言動からだけでもヒントを得ることがあるのです。また、悩みを、時が解決してくれることもあります。夜悩んでいたものが、朝になると、何でそんなことに悩んでいたのかと思うことがあります。また、年を取ると、若いうちになんでそんなことに悩んでいたと思うことがあります。子育てには、そういう要素があります。子育て中悩んだことが、子どもが大きくなると、その悩みがたいしたことでなくなることも多いのです。人は、そうやっていろいろと悩み、解決していき、また悩むというように繰り返していくものかもしれません。
 今、学校、教育現場で好評な「佐賀の がばいばあちゃん」(島田洋七著)シリーズがあります。この本は、昭和30年代、佐賀で、8歳の少年とがばい(すごい)祖母が繰り広げた笑い溢れる町貧乏生活が描かれています。その中に描かれているエピソードは、祖母の愛情とたくましさが感じられ、家族のつながりや、生きるうえで大切なことを考えさせられます。新聞の広告には、「真に人を思いやる心」を育むと書かれています。しかし、この本のもうひとつの楽しみ方は、この祖母の言葉が悩みに対してのカウンセリングになっていることでしょう。その祖母の言葉を聴くと、悩みがたいしたことないように感じられます。ということで、本の最後に特別付録として「おさのばあちゃんの楽しく生きる方法語録」が載っています。たとえば、こんな語録です。
・嫌われているということは、目立っているということや。
なんとも、ポジティブな考え方でしょう。物事には、両面あります。どうせ、事態が変わらないなら、それをよいように考えたほうが、楽しくなります。
・悲しい話は夜するな。つらい話も昼にすればなんということもない。
手紙やメールもそうですね。どうも、夜になると気分が高揚します。夜行性だった頃の本性が現れるのでしょうか。夜書いた手紙を、もう一度、朝読んでから投函したほうがいいようです。
・通知表は、0じゃなければええ。1とか2を足していけば5になる!
どうしても親は通知表が気になるものです。教師をしていたときに、つくづく通知表っていい加減なものだなあと書きながら思っていました。ですから、コメントを一人ひとりにノート1枚ずつ書いて渡しました。点数なんて、その子を表わしているわけではありません。
・生きていることが面白い。なりふりかまうより、工夫してみろ。
何で、なりふりばかり気にするのでしょう。最後は、自分の人生ですから。最後に自分で、「死んでもいいか」と思えるような人生を送りたいものです。

投稿者 fujimori : 17:02 | コメント (0)

2006年07月05日 読書

父親と母親

少し前にベストセラーになった書籍に「ルネッサンス(再生への挑戦)」(著者:カルロス・ゴーン ダイヤモンド社発行)があります。ゴーン氏は、日産自動車を立て直すために、社長として招かれた人です。とても重い任務を背負い、社員の整理を含め、会社を立て直すことに成功している人であるので、世間では、彼はバリバリの企業マンであるという印象をもっています。しかし、この本を読んで、意外なことがわかります。
「子どもとの時間:日産リバイブルプランの作成に着手した当初、解決策を見つけなければならない問題が山積し、一日中会議や議論に追われる日々が続いた。しかし、どんなに多忙を極めていても、家族と過ごす時間だけは必ず確保するように努めた。…中略…父親にとって子どもたちと一緒に過ごし、彼らに愛情と関心を注ぐことは大切なことだ。
判断力を養う:子どもたちに、安定した、落ち着いた家庭環境を与えるために、リタと私は育児に多くの時間を割いてきた。子育てには子どもたちの判断力を養う基礎を作るという仕事も含まれている。…中略…旅立つときに、子どもたちが優れた判断力を発揮できるかどうかは、ある意味で育て方の問題である。」
 彼には、四人の子どもがいます。彼はいったん帰宅すれば、決して仕事を家に持ち込まないそうです。「リタも子どもたちも、私が玄関を開けたとたんに家族の時間が始まることが分かっている。」とも言っています。仕事ができる人は、家庭もきちんとできるのですね。そろそろ、生き方を考え直す時代かもしれません。
やはり、少し前に世界でベストセラーになっていた書籍があります。「男の子ってどうしてこうなの?」(スティーブ・ビダルフ著)という本です。最近、世界的に、少年が起こす犯罪が多くなってきています。特に男の子の起こすトラブルに対して、対応に苦慮している母親が多くいます。そうした状況の中で、「6歳以下の子どもにとっては、性別は大きな問題にならないし、問題にすべきでもない。この時期、一般的には母親が主要な役割を演じるが、父親が母親代わりをすることもできる。重要なのは、一人ないし二人の鍵になる人物が、子どもを愛し、最初の数年間、子どもを中心に据えるということである。そのようにすれば、子どもは自分の中に安心感をつちかい、子どもの脳は親密なコミュニケーションの技術を獲得し、学ぶことの楽しさを覚えるようになる。これらの年月はすぐに過ぎ去ってしまう。小さな子どもとの生活を楽しめるうちに楽しんでおこう!」
 このなかで、乳幼児が最も必要にしているのは、母親と特別な絆を結ぶことであるとしていながら、父親も、授乳を除けば、赤ん坊のすべての欲求に答えることができるとしています。しかし、父親と母親のやり方は異なっているそうです。「さまざまな研究があきらかにしているところによれば、父親は子どもたちと遊ぶときに、母親より活発である。父親が子どもたちを興奮させるのを好むのに対して、母親は、子どもを落ち着かせようとする傾向がある。」
 どちらにどんな役目があるかを別としても、父親、母親が必要なようです。6歳以下の子どもたちは、まず、両親とのふれあいの中で、人とかかわる力や、人の気持ちを察する気持ちや、コミュニケーション力の基本が付いてきます。その安心感の元で、他人へと世界が広がっていくのでしょうね。

投稿者 fujimori : 21:51 | コメント (1)

2006年06月22日 読書

コロボックル

 昨日、我が家の食卓に「ふき」が出ました。こんなくさいものが今は、大好きです。「ふき」といって思い出すのが、先日帯広に講演に行ったときです。足寄を通過したとき、あたり一面に「ふき」が大きな葉を広げていました。そして、帯広百年館に行ったときに、ふきの葉を持った小さなアイヌの子が描かれたロゴマークがありました。私は、聞いてみました。「これは、コロボックルですか?」「そうです。いろいろなところで言い伝えがあり、苫小牧などは有名ですが、足寄地方でも、その伝説はあるのですよ。」と言われました。そういえば、足寄の道の駅正面を入っていくと、改札の横に、松山千春さんの等身大パネルがかざってあります。
fuki01.jpg
 それは、2階のギャラリーに千春さんのステージ衣装や、愛用のギター、ツアーグッズなども展示してあるように、ここ足寄が彼の出身地だからです。ですから、ずっと松山の歌が流れていました。私は、その展示物は見なかったのですが、写真は驚きました。というのは、松山千春が、蕗を持っていたからです。ここの足寄町の東に位置する螺湾地区には、「日本一大きなフキ」として全国的にも有名な「螺湾ブキ」が自生しているからです。世界には約20種の蕗の仲間があるそうですが、日本には、フキとアキタブキ(オオブキ)のみだそうで、普通、食用として利用されるワセブキやミズブキは前者のフキで、足寄町螺湾地区で育つ大きな螺湾ブキは、後者のアキタブキと同じものとみられています。この螺湾地区の沢沿いに群生するフキは、草丈2~3m、茎の直径が10cmにもなり、とても大型です。こんな蕗を見ると思い出すのが、「コロボックル伝説」です。コロポックル(korpokkur)とは、アイヌの伝承に登場する小人で、アイヌ語で、一般的には「蕗の葉の下の人」という意味であると解されているからです。アイヌの小人伝説は広く北海道や南千島や樺太に流布しており名称もこのコロポックル・コロボックルのほかにトィチセウンクルとかトィチセコッチャカムィとかトンチ(これらはみな「竪穴に住む人」の意)というふうに呼ばれることもあります。屋根をフキの葉で葺いた竪穴にすんでいたといわれています。彼らは情け深くアイヌに友好的で、鹿や魚などの獲物をアイヌの人々に贈ったりアイヌの人々と物品の交換をしたりしていましたが、姿を見せることを極端に嫌っており、それらのやりとりは夜に窓などからこっそり差し入れるというやりかたでした。あるときあるアイヌの若者がコロポックルの姿を見ようとそのものを差し入れるを待ち伏せ、贈り物を差し入れるその手をつかんで屋内に引き入れてみたところ、美しい婦人のなりをしており、その手の甲には刺青がありました。(なおアイヌの夫人のする刺青はこれにならったものであるといわれています)コロボックルは青年の無礼に激怒し、以降アイヌの人々がコロボックルの姿を見ることはなくなったといわれます。しかし、このコロボックルが有名になったのは、1959年に佐藤さとる氏がコロボックルをテーマにした「だれも知らない小さな国」を出版したことが、現在のコロボックルのイメージの礎となっています。この作品は「コロボックル物語」としてシリーズ化され、「豆つぶほどの小さないぬ」「星からおちた小さな人」「ふしぎな目をした男の子」「小さな国のつづきの話」などの続篇が書かれ、私も夢中で読みました。そして、最初に出版された時に挿絵を担当していたのは、若菜珪さんという人でしたが、途中から、村上勉さんが挿絵を担当しています。あるパーティーで村上さんと会ったときに、ミーハーのように一緒に写真を撮らせてもらいました。

投稿者 fujimori : 23:48 | コメント (0)

2006年05月31日 読書

宇宙日記

 一昨日、景観について書きましたが、看板なり景観を損なっているものを、もっと上空から見るとどうでしょうか。たとえば、飛行機に乗って下を見たときの景観を壊しているものは何かというと、看板ではありませんし、電柱でもありません。私から見ると、それは「ゴルフ場」の気がします。ゴルフ場ラッシュの地域の上を飛ぶと、山肌は削り取られ、川は茶色によどみ、見るからに無残です。山が開発され、町ができ、道が敷かれる景色は、それと比べるとあまり、自然を破壊しているようには見えないほどです。本当は問題なのでしょうが、上空に上がると違ったものが見えてきます。もっと、上空から日本、地球を見るとどう見えるのでしょうか。昨日、知人からある本をいただきました。「宇宙日記」(世界文化社)という本です。この本は、ディスカバリー号に乗っていた15日間のことを、野口聡一さんがシャトル内で日記として書いたものです。この本の「はじめに」に、宇宙から見た地球の景観のことが書かれています。そのなかに書かれている文章に、
「実際に宇宙空間に出て見た地球はすばらしいものだった。宇宙船の中から見るのと、船外活動中に見るのは本質的な違いがある。」
とあるように、今までの宇宙飛行士が地球を見たときの感想と違うものがあるようです。最初に宇宙船から地球を見たガガーリンが「地球は青かった。」と言って有名になりましたが、野口さんは、宇宙船内からガラス越しに見る地球は、景色を見ている感じだそうです。というのは、機械のある船内と、外の景色は違うものとして見えるからだそうです。それに引き換え、船外活動をしているときに見る景色は違うようです。私も、飛行機から見る景色は、やはり、どこか傍観者的なところがあります。では、野口さんは、宇宙船から外に出て、地球がどう見えたのでしょうか。
「同じように宇宙空間に漂う同士として、ある意味地球と対等な立場で向き合うことができる。二次元的な景色でなく、三次元的な、まるで意識を持った存在として地球を感じることができる。それが、圧倒的な存在感であり、手を伸ばせば届きそうなリアリティーであり、生命の輝きに満ち溢れた天体であるのだ。」
 私たちも、地球の上で、地球そのものと一体となって生き、生活をしているのです。決して、どちらがどちらを征服するのでもなく、どちらが優位に立つというわけでもなく、ともに生きているのです。どうも、それを忘れている気がします。そのことを、野口さんは、こう言っています。
「宇宙飛行をして外から地球を見るという経験は人を変えずにはいられない。なにしろ生まれて以来見てきた全ての人々、全ての生命、全ての景色、全ての出来事は、目の前にある球体で起きたことなのだから。」
 私たち人間でさえも、地球という景観の中のひとつなのでしょう。そう考えると、「景観を壊しているのは、人間である。」といわれないように、そこでの生活を考えないといけないのかもしれません。この球体のなかで、自然を壊していくというのは、人間を壊しているということにつながるからです。野口さんの「宇宙日記」を読んでいて、自分自身が宇宙の船外活動をしながら地球を眺めている気になってしまったのかもしれませんね。

投稿者 fujimori : 19:56 | コメント (4)

2006年05月26日 読書

アメリカの学校建築

 「アメリカの学校建築」(ボイックス)という本を買って読んでみました。執筆者は3人で、「柳澤要」「鈴木賢一」「上野淳」です。私は、最近はよくドイツに行き、ヨーロッパの教育に関する文献などを読みますが、アメリカについては、あまり読みません。以前アメリカに行ったときには、これからは、絶対にアメリカのようになっていくであろうと思いました。戦後、アメリカコンプレックスが強く、アメリカの文明が輝いて見え、アメリカを見習ってきたからです。しかし、どうも違う気がしてきました。あのように、国土が広く、開拓精神が強く、競争原理から発展してくるような国と違い、日本は歴史が古く、農耕民族独特の、社会とか、人々の関係性の中での生活をしている国です。ですから、ただ形だけアメリカをまねてしまうと、ひずみが起きてきてしまうところがあります。また、教育は、振り子のように行ったり戻ったりと、自由と規制の中で揺れ動き、日本とアメリカの動きに差があるからです。しかし、その中でも、世界で共通する動きがあります。それは、国の差を越えて、時代の要請があるからです。それを、知ることで私たちも進むべき道が示されることがあるのです。何度か、ブログでもヨーロッパ、特にオランダとか最近話題のフィンランドなどを紹介しましたが、アメリカの事情ももう一度見てみようと、この本を読んでみたのです。この本の中では、小学校から高校まで16校の優れたアメリカの学校を紹介しています。その最初のほうの、執筆者の一人である鈴木要氏のコラムを紹介します。「教師が前方の黒板の前に立って、クラスの児童・生徒に対して一斉に講義を行うというのが、日本の典型的な授業スタイルであるが、一方でアメリカではこういった一斉型の授業は少なく、個々の児童・生徒に対応した個別指導の教育が中心である。また児童・生徒が各々独自のカリキュラムを持っていることも多い。このような日本とは大きく異なる教育方法、授業スタイルがアメリカの学校の校舎や教育の空間構成に大きく影響を与えている。クラスの枠を超え児童・生徒を学習進度や学習テーマなどによって複数のグループに分け、複数の教師がそれぞれを指導する協力授業方式、いわゆるティームティーチングは、日本ではオープンプランスクールなどの一部の学校で見られるにすぎないが、アメリカではオープンプランスクール以外の一般の学校でもごく日常的に行われている。中には、学年の枠を超えた2学年合同、3学年合同といったティームティーチングも見られる。」
 東京大学大学院教授の佐藤学氏が、日本教育新聞の2005年3月18日版に「?一斉授業?の時代は終わった 変化する教室」という連載の1で書かれているのとまったく同じです。
「教室が静かに変化している。黒板と教卓に向かって机と椅子がばらばらに一列に並び、教師が教科書を中心に黒板とチョークを使って説明し、教師の発問と子どもの応答で進行する教室の風景。私たちがなじんでいるこの教室の風景は、欧米諸国では博物館に入りつつある。中略 この新しい教室の風景の新しい学びが、近い将来、世界中のすべての教室のスタンダードになることを確信したのは、カナダの学校をいくつか訪問し、その教室の実践を観察したときである。カナダの学校では、十五年前にすでに今日の世界の教室に波及している「静かな革命」が、ほとんどの学校で日常化していた。」
 15年以上経って、日本では、静かな革命が起きているのでしょうか。

投稿者 fujimori : 19:19 | コメント (0)

2006年01月22日 読書

数の美

 今、長崎から、福岡の二日市温泉に来ています。二日市の中の「2」という数字は、どういう意味を持っているでしょうか。100までの「素数」の最初のほうを並べてみると、「2,3,5,7,11…」と、25数字が並びます。その中で、2だけが一つだけ偶数であり、最初の数字です。これを、博士は、こう言います。「素数番号①の一番打者、リードオフマンは、たった一人で無限にある素数の先頭に立ち、皆を引っ張っているわけだ。」「淋しくないのかな」「いやいや、心配には及ばないさ。淋しくなったら、素数の世界をちょっと離れて偶数の世界に行けば、仲間はたくさんいるからね。大丈夫。」
 これは、今、公開されている「博士の愛した数式」という映画の原作にある一文です。この本は、小川洋子さんという作家が書いた小説です。私は、映画は見ていませんが、個人的には、この原作はとても好きなジャンルです。これは、交通事故で、80分しか記憶ができない老数学者と、そこに来た10歳の息子を持った家政婦との触れ合いを、「数」を通して描いたものです。たとえば、最初に訪れた日に、博士が名前より先に、こう尋ねます。「君の靴のサイズはいくつかね。」「24です。」と言うと、「ほう、実に潔い数字だ。4の階乗だ。」それにたいして、階乗とは何かを尋ねる家政婦に説明をします。「1から4までの自然数を全部掛け合わせると24になる。」次にこう聞きます。「君の電話番号は何番かね。」「576の1455です。」「5761455だって?すばらしいじゃないか。1億までの間に存在する素数の個数に等しいとは」いかにも感心するふうに、博士はうなずきます。こんな日々が繰り返されます。数学が苦手な人は、最初は抵抗あるかもしれませんが、読み進めるにしたがって、数の不思議さというよりも、数の美しさを次第に感じるようになります。家政婦の10歳の息子に博士は頭の形から、こんな愛称をつけます。「君はルート(√)だよ。どんな数字でも嫌がらず自分の中にかくまってやる。実に寛大な記号、ルートだ」その息子にある日博士は、こんな宿題を出します。「1から10までの数を足すと、いくらになるか。」という問題です。これを読んだときに懐かしくなりました。以前のブログに書きましたが、私が小学生の頃「数学クラブ」でいろいろな数の不思議さ、数の面白さを知りました。その授業の中でひとつのエピソードが紹介されました。これは有名な話ですが、数学者であるガウスが幼少の頃、クラスの先生が自分で何かやることがあるので、しばらく生徒に自習させようと思いました。そこで、生徒に時間がかかるようにこんな問題を出しました。「1+2+3+4+.......+100は」という問題です。もちろんすぐさま答えられないと思ってです。それは、その先生自身が1から順番に足し、3回かけてようやく答えをだせたからでした。さあ、仕事をしようとしたら、3分程でガウスは手をあげて、「5050です。」と答えます。先生は答えをどこかで盗み見たのではないかと疑い、なぜそうなったのかを尋ねてみると、「最初と最後の数を足すと101になります、次の数と最後から二番目の数を足しても101になるので、101が50組で5050です。」と答えたという話です。この話で、数の面白さにひきつけられました。そう思ってみると、数はなかなか面白いものです。たとえば、数の日の3月14日は、円周率が3.14であることから決められています。こんな遊びもあります。電卓を出して『12345679』と入力して下さい。(8を抜きます)これに自分の好きな数字×9をかけてみてください。自分の好きな数字が電卓に並びますよ。数って、美しいですね。

投稿者 fujimori : 21:50 | コメント (1) | トラックバック

2006年01月11日 読書

心の灯

 先週の土曜日の朝日新聞「be」に宇宙飛行士の野口さんが特集されていました。彼の7歳のときの誕生日に、飛行機を手にしてうれしそうな顔をしている写真があります。そして、高校に進学したとき、スペースシャトルの打ち上げをテレビで見て、3年生のときに「宇宙からの帰還」(立花隆著)と出会い、宇宙飛行士を目指します。人は、生まれついて、何か心に響く分野があります。しかし、それに出会い、それを職業にできる人は、とても少ないような気がします。もし出会えたら、その分野で大成する気がします。
 「私は泣き虫のくせに乱暴で、人と仲良くすることができなかったので、他の人と遊ぶことは苦手であった。いつの頃からか、私は土蔵の中へ入って、一人で遊ぶことが多くなった。」こうして、土蔵で遊んでいるうちに、将来に影響するあるものと出会うのです。天井から吊り下げてある紐を引っ張って、土蔵の中に光が差し込んだとたんに、「複雑に打ち砕かれたそれらの宝石は、光の中できらきらと反射しあって、意思の奥に秘められた神秘な世界を惜しげもなく私の目の前にあらわしていた。いったいこれはなんだろう。私はこの不思議な石に、すべてを忘れて夢中になった。わたしはそれをこっそり持ち出して台紙から切り取り、そろえて並べたり、口へ入れてなめたり、夜はフトンの中へ持ち込んで寝た。とがった先端で皮膚をつっついてみると、くすぐったいような、とてもいい気持ちであった。」
 これは、遺跡の石矢じりだったことが後でわかります。そして、そんなものを好きになってはだめだと父親にしかられ、お灸をすえられますが、どうしてもその魅力に勝てず、涙でお灸が消えたほどだったそうです。この本を読んだときに、こんなものに出会えるのをうらやましく思ったものです。この本は、藤森栄一氏「心の灯 考古学への情熱」で、昭和46年にサンケイ児童出版文化賞を受賞しています。(私と同じ姓ですが、特に親戚ではありませんが、私の先祖が同じ郷里です。)彼は、アマチュアであるが、素人ではないと言っている様に、最後まで在野での考古学者です。小さいうちから、こんなにも惹かれた考古学なので、他の本にもとてもいい言葉があります。
『考古学とともに―涙と笑いの奮戦記―』の中には、「友にいってやりたい。なに、こんな迷った奴もいるんだよ。あせることも、あきらめることもないんだよ。君のその少年期につけた心の灯を消さぬように、ともしつづけていけばいいんだよ、と。疲れたら休めばいい。苦しければ中絶したって、心の灯に油を忘れさえしなければね」
『かもしかみち』では、「深山の奥には今も野獣たちの歩む人知れぬ路がある。ただひたすら高きへと高きへと、それは人々の知らぬけはしい路である。私の考古学の仕事はちょうどそうした、かもしかみちにも似ている。」といっています。
「いいんだよ。ゆっくり休んでいこう。どんな廻り道だって、人生に無駄だったなんてことは一つもないんだ。一度ともした灯を消しさえしなければね。」『かもしかみち以後』『心の灯』より
 私も、今、心の中にともされた灯を大切に、あせらずに、確実に進んでいこうと思っています。

投稿者 fujimori : 23:15 | コメント (2) | トラックバック

2005年12月25日 読書

読書三到

 先日の新聞全面広告に、こんな言葉が出ていました。
「口でよく読み、目でよく見、心で理解することを、読書三到といいます。」
 最近は、この言葉は、あまり聞かなくなってきました。読書は、江戸時代以降、活字文化が主役になりました。寺子屋時代は、「読書三到」が国語教育の中心だったようです。読書三到(どくしょさんとう)という意味を広辞苑ではこう書いてあります。
「読書の法は心到・眼到・口到にあるということ。すなわち、本をよむときは心・眼・口をその本に集中して、熟読すれば内容がよくわかることをいう。南宋の朱子が主張した読書の際の三条件。
心到:=心を本に集中させる
眼到=目を本に集中させる
口到=声に出して本をよく読む

『 到 』は徹底的におこなう意。」
『訓学斎規』読書写文学では、こう説いています。
「読書に三到有り。心到・眼到・口到を謂う。心ここに在ざれば、すなわち眼子細を看ず。心眼すでに専一ならざれば、却ってただ漫浪誦読(まんろうしょうどく)し、決して記する能わず。記するも久しきこと能わざるなり。三到の中に、心到最も急なり。心すでに到らば、眼・口あに到らざらんや」(心が集中していなければ、眼もおろそかになり、口誦しても覚えられない、心が集中していさえすれば、眼と口はついていく)とあるように、特に心到が大切であるという考えです。
 しかし、私は、もう一つあると思っています。それは、「耳到」です。いわゆる「読み聞かせ」の大切さです。「耳をよく傾けて本を読む」ことで、内容がより深く理解でき、話の主題により迫ることができると思います。中学校の国語のテストには、最初のほうに長文読解の問題があります。私が中学生の勉強を見ていたときに、その長文を読み聞かせて問題を解かしたところ、自分で読むよりは正解率が上がりました。これは、特にそれほど勉強ができる子たちではなく、普段、あまり本を読まない子だったので、読み聞かせは、とても効果がありました。自分で読むと、まず、文字を読むのに頭を使い、同時に内容を理解していくのは、難しいのでしょう。そのときに、「読み聞かせ」は、必ずしも文字の読めない子にしてあげることではなく、子どもが大きくなってからも、たまには、子どもに本を読んであげてほしいと思うようになりました。大人でも、たまにラジオなどで、「朗読」をする番組がありますが、よく知っている話でも、それを聞いたあとに、もう一度その本を読みたくなることがあります。見て読むのと、聞いて読むのと、違うところが見えてくるのでしょうね。
 また、本の読み聞かせは、内容を子どもたちに伝えるだけではないことをドイツに行って改めて考えさせられました。多国籍の子を多く受け入れている欧米での本の読み聞かせは、「言語教育」の一環ということでした。先生は、正確で明瞭な発音で、口を大きく開けながら読み聞かせをしていました。多国籍の子だけでなく、今の子たちが、初めて他人の言葉に接する園での役割はとても大きいと思います。テレビからの言葉の影響に負けないようにしないといけないですね。

投稿者 fujimori : 20:39 | コメント (1)

2005年12月21日 読書

山中恒

 日曜日に訪れた「尾道」というと、思い出すものの一つに、大林監督の映画「尾道三部作」と「新・尾道三部作」があります。このシリーズの「転校生」(原作では、「おれがあいつであいつがおれで」)「さびしんぼう」(原作では、「なんだかへんて子」)「あの、夏の日 ~とんでろ じいちゃん~」の原作者は、「山中恒」です。私が、児童文学者の中で、好きな作家です。彼は、『赤毛のポチ』で日本児童文学者協会新人賞、『三人泣きばやし』でサンケイ児童出版文化賞、『山中恒児童よみもの選集』で巌谷小波文芸賞、『とんでろじいちゃん』で野間児童文芸賞を受賞しています。そして、数多くの"児童読み物"を創作する一方、『子どもたちの太平洋戦争』『教えの庭に』『ボクラ少国民』などの「少国民シリーズ」で、自らが少国民として受けた戦時下の教育の実態を記録し続けています。
 しかし、彼を有名にしたのは、その作品の多くがNHKの少年ドラマになっていることと、なんていっても人気テレビドラマ「あばれはっちゃく」シリーズでしょう。また、歌の作詞でも、「インディアンが とおる あっほい あっほい あっほいほい」と始まる「インディアンがとおる」とか「ビュワーン ビュワーン 走る 青いひかりの ちょうとっきゅう じそく250キロ」と始まる「走れ超特急」が有名ですね。
 その中で、私が特に好きなのは、本人が、「僕は、児童文学者ではなく、児童読み物作家だ。」といっているように、痛快、面白読み物です。巌谷小波文芸賞を取った『山中恒児童よみもの選集』は、どれも面白くて大好きです。その中で「六年四組ズッコケ一家」などは、何度も、勉強を教えていた6年生に読み聞かせたものです。一方、とてもシリアスなものもあります。その中で好きなものに、「ぼくがぼくであること」があります。
 この主人公は小学6年生の少年です。彼は出来のいい兄弟たちの中で唯一おちこぼれているため、教育ママの母親から目の敵にされている。その彼が、夏休みの最初に些細なことから母親と対立して家出をするところから話は始まります。家出をした少年は走り始めたトラックの荷台に潜り込み、ちょっとした偶然から山村で暮らす老人と少女の家に身を寄せ、そこで二人の暮らしを手伝いながら、一夏を過ごします。やがて夏が終わり、家に帰った彼は母親や兄弟との関係の中で、自らが、自分にとってかけがえのない自己であること、家族もまた、一人一人が欠点も弱さもある一個の人間であることを自覚出来うる力を身につけていくのです。少年の母親は恐ろしいほどの教育ママに描かれています。最近の青少年に起きている事件の母親たちは、皆、子どもに対して「過干渉」のようです。教育ママという言葉を最近は聞きませんが、この言葉も過干渉という言葉同様、「自分の価値観を子どもに押し付ける」ということでしょう。子どもを教育すること、子どもに干渉することは別に悪いことではありません。ただ、一歩的に、自分の価値観で子どもをコントロールしたり、子どもの気持ちを汲み取ることなしに、自分の気持ちを押し付けることが問題なのです。
「ぼくが、ぼくであるために」ということが必要なのです。

投稿者 fujimori : 18:37 | コメント (0)

2005年12月16日 読書

三島

三島.jpg
「春の雪」が映画化されて、上映されています。私は、この手の恋愛物は苦手で、映画もほとんど見ませんが、この原作には、とても興味がありました。というか「豊饒の海」4部作を、出版当時、夢中で読んだものです。第4巻の最後にこう書いてあります。「そのほかには何一つ音とてなく、寂寞(じゃくまく)を極めている。この庭には何もない。記憶もなければ何もないところへ、自分は来てしまったと本多は思った。庭は夏の日ざかりの日を浴びてしんとしている。…… 「豊饒の海」完 昭和45年11月25日」
作者三島由紀夫は昭和45年11月25日、切腹自殺しました。三島由紀夫は昭和45年(1970年)の11月25日に市ヶ谷の自衛隊本部に侵入し、自衛隊員に決起を呼びかけ、自刃を行ったのです。そしてその日の朝、彼の最後の長編小説『豊饒の海』の最終原稿を手渡しているのです。つまり、11月25日の朝、最後の著作の原稿を手渡し、その日の午後には市ケ谷で自刃しています。この最後の文章を、それを知って読むと感慨深いのですが、そうでなければ、そんな気配は見られません。心の高ぶりも、決心も、感じられません。
しかし、この本を読もうと思ったのは、そんな劇的なことに関心があったのではなく、この本の装丁に惹かれたからでした。三島の世界を象徴するように、この本の表紙は、絹の布でできています。しかも、その第1巻の「春の雪」はとてもきれいな紫色をしています。第2巻の「奔馬」は真っ黒、第3巻の「暁の寺」は真っ赤、第4巻の「天人五衰」は真っ青です。
第1巻の「春の雪」は恋愛ものです。このなかで、主人公が、鎌倉の別荘に行きます。そのくだりにこう書いてあります。「青葉に包まれた迂回路を登りつくしたところに、別荘の大きな石組みの門があらわれる。―略― 和洋折衷の、12の客室のある邸を建て、テラスから南へひらく庭全体を西洋風の庭園に改めた。南面するテラスからは、正面に大島がはるかに見え、噴火の火は夜空の遠い箒になった。由比ガ浜までは庭伝いに5,6分で歩いていける。」このモデルは、先日行った、「鎌倉文学館」です。本当は、加賀百万石の藩主で知られた、旧前田侯爵家の鎌倉別邸だったそうです。この建物が建っている鎌倉といい、その建物のつくりといい、いかにも三島が好きそうですね。
第2巻の「奔馬」が、私は当時一番好きでした。これは、神風連史話に傾倒する主人公が昭和の神風連を標榜しながら昭和維新を企て、その挫折ののちに海に臨んで割腹自殺をする物語です。なんとなく、三島の末期を予感させますね。
しかし、このシリーズの本当の物語は、各巻ごとに時代と背景と環境は異なる独立した物語として完結しながら、それぞれの主人公が歴史の流れとともに、輪廻、転生の不思議な縁でつながるというものです。作品の末尾にはこう書かれています。「『豊饒の海』は『浜松中納言物語』を典拠とした夢と転生の物語であり、因みにその題名は、月の海の一つのラテン名なる Mare Foecunditatis の邦訳である。」何もない、砂漠のような月にある海の名前を取ったのは、面白いですね。三島由紀夫のあまりに美しい言葉を並べ、テーマも少し陳腐の嫌いがあるのですが、天才の「ほとばしり」を感じます。

投稿者 fujimori : 21:45 | コメント (0)

2005年10月13日 読書

昔話の親子パート3

 先日、ある地域の園長に聞きました。その地域は、保育園に入れない子どもが多く、いわゆる、待機児が多い地域のようです。すると、入るための要件が高い順に入園できるとなると、母子家庭が優先になり、結果、母子家庭が7割を超えてしまっているといいます。もちろん、保育が必要な人が優先ということには異論がありませんが、園という場が、子どもが生活するうえでの社会とすると、その割合は、問題かもしれません。また、違う地域の園長に聞いてみると、園児の過半数が、親の再婚で苗字が変わっているので、子どもたちが、親に苗字を変えることを要求することがあると聞きました。確かに、過半数を超えると、子どもにとってはそれが普通になってしまいかねません。そういえば、娘が小学生のとき、友達が、親の年齢が10代であることを自慢して、みんなにうらやましがられていました。(もちろん再婚相手ですが。)まあ、離婚家庭が社会のなかで小さくなっていた時代よりは、いろいろな価値観を認めるいまの時代のほうがいいかもしれませんが、子どもに対して、それがどのような影響を及ぼすのでしょうか。
昔話のおじいさん、おばあさんだけでなく、親子関係でほかにも興味深いものがあります。たとえば、母子家庭、父子家庭もかなりあります。有名なところでは、
なしとりきょうだい」は、母子家庭で、病気の母親のために山なしを3人のきょうだいが取りにいく話です。また、「千里のぞうり」では、やはり母子家庭で3人の子どもを育てていましたが、貧乏で、子どもたちを捨てますが、後、悔やんで仲良く暮らす話です。「養老の滝」は父子家庭です。そして、孝行ものの息子が病気の父親のために薬草を採りに行く話しです。おもしろいのは、「雪女」です。雪女のせいで父子家庭であった父親が死に、残された息子がその後雪女と結婚し、子も生まれるが、約束を破って雪女に去られ、また、父子家庭になってしまうというものです。昔は、早く死んでしまうことが多く、片親家庭が多かったのでしょう。その子は、とても親思いで、それが主なストーリーになっています。
 また、人間以外の動物との間に子をもうける話も多くあります。「へび女房」は、へびと結婚した男が、姿を見たため出て行かれるが、へびの目玉をしゃぶらせて子どもを立派に育てます。「あかぎれ童子」は、逆にへびと結婚した女が子を産み、へびが死んだ後立派に育てる話です。「きつね女房」は、狐と結婚し、子が病気になったとき、田を放ったらかしで、両親で看病して、田植えが間に合わなくなって、きつねが術を使ったために、身元がわかってしまい、出て行かれる話です。どれも、動物の子を思う愛情の深さには、人間にも負けないものがたくさんあり、人間も学ぶところが多くあります。この時代でも、子への愛情の大切さを、動物に託して教えたのかもしれません。
 どんな家族形態であっても、「子どもを大切にする家庭」ということは、変えないで欲しいと思います。

投稿者 fujimori : 23:47 | コメント (0)

2005年09月26日 読書

江戸の子育て

 昨日は、アメリカの古きよき時代の親子像を描いた映画を見ました。そういえば、日本のよき時代の親子像を書いたものがありました。
 外国との交渉も持たず、安定した政権の中で庶民が過ごした江戸時代が終わろうとしたとき、そして、新しい明治という時代が始まったばかりのとき、さまざまな外国人が日本を訪れています。その人たちからすると、日本はかなり神秘の国だったでしょう。そして、日本の子育て、教育をどう見たのでしょう。それが「江戸の子育て」(中江和恵著)の序の部分に書いてありました。
イサベラ・バード(イギリス婦人):「私は、これほど自分の子どもをかわいがる人々を見たことがない。」「子ども崇拝は米国よりも日本の場合がもっと一般的である。私が思うには、日本の形式が最もよい。」
モース(アメリカ人):「世界中で日本ほど、子どもが親切に取り扱われ、そして子どものために深い注意が払われる国はない。」「小さな子どもを一人家へ置いて行くようなことは決して無い。」
オールコック(イギリス初代駐日公使):「ここには捨て子の養育院は必要でないように思われるし、嬰児殺しもなさそうだ。」
フィッセル(オランダ商人):「私は子どもと親の愛こそは、日本人の特質の中に輝く二つの基本的な徳目であるといつも考えている。このことは、日本人が、生まれてからずっと、両親がすべてを子どもたちに任せてしまう年齢にいたるまで、子どものために捧げ続ける思いやりの程を見るとはっきりわかるのである。」「日本人は、子どもたちの無邪気な行為に対しては寛大すぎるほど寛大であり、手を打つことなどとてもできることではないくらいである。」
ゴロヴニン(ロシア海軍少佐):「日本人は自分の子弟を立派に薫育する能力を持っている。ごく幼い頃からの読み書き、法制、国史、地理などを教え、大きくなると武術を教える。しかし一等大切な点は、日本人が幼年時代から子弟に、忍耐、質素、礼儀を極めてたくみに教え込むことである。」「日本人は天下を通じて最も教育の進んだ国民である。日本には読み書きのできない人間や、祖国の法律を知らない人間はひとりもいない。」
ニコライ(ロシア領事館付主任司祭):「読み書きができて本を読む人間の数においては、日本はヨーロッパ西部諸国のどの国にも引けを取らない。」
大げさであったり、一部しか見ていない感はあるものの、この頃の庶民の暮らしを見ると、納得する部分もあります。今でも、冷静に考えてみると、世界の中では、日本という国は、このような国かもしれません。

投稿者 fujimori : 19:25 | コメント (0)

2005年09月23日 読書

昔話の親子パート2

 日本の昔話が、「むかしむかし あるところに おじいさんとおばあさんが すんでいました」と始まることで有名ですが、外国の昔話の親子関係というと、まず、どんなイメージを持つでしょうか。わたしは、知っている有名な話で思い浮かぶのは、「シンデレラ」「白雪姫」「ヘンゼルとグレーテル」などですが、これら外国の話の多くは、母親がなくなり、父親に後妻が来て、その後妻が意地悪だったり、魔女だったりして子どもを追い出してしまう話が多いようです。母親の強さに引き換え、父親は人がよく、やさしいが、母親の意見に逆らえない存在として描かれています。そして、外国の話は、子どもよりも夫婦としての結びつきを優先することが多いようです。日本で、最近、再婚した相手の気を引くために実のわが子を虐待してしまう親がいるというニュースを思い浮かべます。なんだか、外国の残酷な昔話に似ています。日本では、各国の中でも子どもを優先に考え、大切にする国といわれてきました。最近は、子どもを別の存在と考え、夫婦間を優先に考える海外の考え方に近くなっているのかもしれません。
しかし、日本でも、継母にいじめられるという話は、よくありますが、それは、ちょっと違うようです。有名なものに、落窪物語(平安時代に作られた中編の物語で、作者・成立年ともに不明)がありますが、テーマは”継子いじめ”、すなわち、養女として引き取られた家で継母にいじめられる姫君のお話です。そのほか、この”継子いじめ”というテーマは、物語のひとつのパターンとして、室町時代の物語や御伽草子などでよく扱われました。平安時代当時から人気のある物語だったようです。しかし、最後は、幸せになったり、継母に仕返しをすることで終わるので、なんとなく救われますが。
といえば、思い当たる草花があります。ちょうど今の頃、夏から秋にかけて、少し湿気の多い野原や土手に、しばしば群生している花です。園でもたまに咲くことがあり、私はその花を見つけると、すぐに取り除くように指示します。花は、小さくてかわいらしいのですが、茎にびっしりと下向きの刺(トゲ)を持ち、子どもが触ったり、大人が他の草を抜こうとして、思わず触ったりすると、とても痛い思いをするからです。また、花のかわいらしさに反して、この花の名前は何とも凄まじい名前です。「継子の尻拭い」(ままこのしりぬぐい)といいます。継母(ままはは)が継子(ままこ)の尻をこれで拭いて継子いじめをする例え(たとえ)に付けられた名前です。なんだか、切ないですね。

投稿者 fujimori : 21:20 | コメント (0)

2005年09月21日 読書

マンダラ

1冊の本と出合いました。「ネパールの神々」という本です。
その本は、ネワール人絵師イシュワリ・カルマチャリャの作品を集めた画集です。ネワール族というのは、語源は、ネパールと同一といわれています。その画集は、経典画ですが、ヒンドゥー教や仏教の神々が描かれています。どうして、こんな難しい画集を買ったかというと、その中の絵に、「マンダラ」の絵があったからです。ドイツに行った人たちを中心に、子どもたちに「マンダラの塗り絵」がはやっています。これは、集中することやバランスのとれた子どもになることに役に立つといわれているものです。この塗り絵の解説には、「マンダラは仏教とヒンズー教の文化から、瞑想の道として伝えられました。深層心理学者のユングもマンダラの価値を当時の現代人のために発見しました。」とありますが、マンダラの解説はなかなか難しく、しかも私みたいにあまり勉強家ではない者にとっては、簡単にこれを述べるわけにはいきませんが、塗り絵をさせておいて、何もわからずにいるのは申し訳ないと思い、私なりの解釈を少ししてみました。(専門の中山さんに笑われるかな)
曼荼羅(マンダラ)とはサンスクリット語で、通常、本質、精髄をもつもの、つまり仏の悟りそのものを意味する言葉とされています。また単に、円、輪、集合体と言う意味もあり、輪円具足(りんえんぐそく)と訳されることがあります。「円輪(輪円)具足」とは、車輪が車軸やスポークなどの部品(円輪)が完全に揃って(具足)はじめて機能を果たすという意味からきています。したがって、あらゆるものを包摂し、しかも円輪のごとく秩序を保ちつつ個性の発揮される、調和と共生の世界を説いていますので、私たちが進める「共異体」の世界であり、インクルージョンの世界であると私は思っています。画集の解説には、「マンダラは、神像やその象徴を含むが、同心円や方形などの幾何学的図像を用いることによって、全宇宙体系や秩序的体系を表現したものである。」と書いてあります。また、ユングはマンダラを「自分自身でも意識できない部分を含めた心全体を表現する図」と言っています。じっと見つめていると、宇宙の中の自分という存在が、個として存在しているのはなく、宇宙のなかで一体化した中で、自分が何をすべきなのか、自分の天命として、何が課せられているのか、という気持ちを、地球という枠から出て感じます。

投稿者 fujimori : 19:07 | コメント (2)

2005年09月19日 読書

「老」のイメージ

 今日は、「敬老の日」です。
「老」というイメージは、何歳くらいを思い描くでしょうか。
たぶん自分の年齢によるでしょう。ですから、自分の年齢が高くなるにつれて、だんだん、「老」のイメージは、高くなります。
 では、以前に少し話をした、「昔話」に出てくる「老」はどんなでしょう。
日本昔話の中の親子関係は、まず、ほとんどが、子どものいない老夫婦が、子どもが欲しくて欲しくてたまらずにいたところ、さまざまなパターンで授かり、その子どもがいろいろな冒険をするという構成になっています。
桃太郎(おじいさんとおばあさんに、桃から男の子が生まれる)
かぐやひめ(おじいさんとおばあさんに、竹から女の子が生まれる)
一寸法師(おじいさんとおばあさんに、指ほどの小さい男の子が生まれる)
力太郎(とんでもない無精たれのおじいさんとおばあさんに、体のあかから男の子が生まれる)
タニシ長者(貧しいお百姓夫婦に、タニシ(男の子)が生まれる)
うりこひめ(おじいさんとおばあさんに、瓜から女の子が生まれる。)

このように、ほとんどが「むかしむかし あるところに おじいさんとおばあさんがすんでいました。」という書き出しで始まる昔話ですが、生まれる子どもにしては、お父さんとお母さんですが、旅に出るときも、「おじいさん、おばあさん、行ってまいります。」と挨拶をします。本当は、「おとうさん、おかあさん、行ってまいります。」と言うのでしょうね。また、「じいさまかぼちゃ」という話は、きれいな娘が、じいさまとばあさまが欲しくて欲しくてたまらず、「おおきなかぼちゃ」をたたくと、中から、じいさまとばあさまが出てくるというものです。お父さんと、お母さんが欲しいということだと思うのですが。たぶん、そのあたりは、専門家が研究していると思いますので、本当のことはわかりませんが、昔話を読んだり、聞くものにとっては、どうしても子どもができないということをあらわすのには、おじいさんとか、おばあさんのほうが納得しやすいのでしょう。でも、当時の平均寿命からすると、このおじいさんでも、30歳くらいかもしれませんが。また、やっとできた子どもですから、子どもは、ただかわいがる存在のようです。そして、ある年になると、自立をしていき、冒険の旅に出て、それを見守るという過程が、お話になっています。

投稿者 fujimori : 23:08 | コメント (0)

2005年09月16日 読書

臥竜塾のいわれ

 最近、かなり昔に読んだ本「天の園」「大地の園」と思いがけず何度か出会うことがありました。「天の園」は、打木村治の作品で、明治後半から大正時代、作者が小学校時代を過ごした唐子村(現在の唐子地区)を舞台に描かれた全六部の長編小説で、「路傍の石」「次郎物語」とともに三大児童文学と言われています。それぞれ1巻で、1学年での生活が書かれており、6学年で6巻というようになっています。そして、サブタイトルとして、「雲の○○」となっています。(たとえば、第1巻は、「雲の学校」)そのあとの中学生編が「大地の園」(全4巻)です。小学編は「天」、中学編は「地」。はっきりと区別した題をつけています。天と地の大きな違いは、子どもが育っていく環境です。「大地の園」1巻のあとがきに『<天を所有し天に所有されて自在>であった小学生のときとは、まるっきり勝手が違う。つまり、次元がちがってしまったのである。このちがいをわたしはきびしくみつめながら、やはり人間形成の基盤の追求の方法は変えなかった。べつのいいかたをすれば、雲に抱かれた童心の場と、地上でおのれをおのれの手で抱くよりほかない童心の場とを天と地に区別した。小学生は天の子であり、中学生は天から落ちた地上の子である。』と記しています。
この「大地の園」で、中学生の主人公の「保」がいつも先輩たちと話をしたり、集いあっている部屋を、保の母親が、「にぎやかで、まじめで、さわやかで、面白くて、いつまでも見とれてしまう風景が目の前で展開されていた。」この集まりを、将来天に上るために、今は臥せて、じっと力を蓄えている竜になぞらえて「臥竜塾」と名づけます。
 私が、保育園を始めた頃、夜、何人かの中学生の勉強をみていました。その風景が、「にぎやかで、まじめで、さわやかで、面白くて、いつまでも見とれてしまう風景」であったので、(そうなってほしいという希望も含めて)その場を「臥竜塾」と名づけていたのです。今回、ブログをはじめるにあたって、その場を何という名前にしようかと考えていたら、その名を思い出したのです。
 また、最近、ある映画のチラシが目に入りました。「雲の学校」という映画で、今年各地で上映かを行っています。その企画書には、こう書いてあります。
「本企画は、農民文学、児童文学の第一人者として多くの傑作を世に送り続けてきた打木村治先生の生誕100年を記念して、先生が昭和47年に発表した大作「天の園」全六巻をアニメーション映画化し、我々現代に生きる者達が見失ってしまった日本人の根底にあった大切なものを、もう一度考えて見る縁とすることを意図したものであります。」
そして、その舞台は、曼珠沙華を見に行ったあたりだったのです。今度、そのあたりの縁のある場所を散歩したり、記念碑を見ようと思います。映画も見る機会があったらといいなと思っています。

投稿者 fujimori : 17:29 | コメント (1)