2009年05月29日 [保幼小]
移行2
OECD加盟20カ国で乳幼児期政策に影響する社会、経済、考え方や研究の諸要因を叙述した「乳幼児期の教育と養護」(ECEC)での成功例は、私が考えていたことと同じ内容であることは、私が今迄経験したことと関係があるようです。
特に小学校への移行では、「学校準備」方法ではなく、社会教育伝統を内在する国々背実践されているような、就園年齢は人生に対する幅広い準備と生涯学習の基礎段階とみなした取り組みを推奨しています。私は、振り返ってみると、大学では建築を学びました。それは、人の生活に与える空間の持つ力を感じたからでした。そして、特に環境としての空間が与える影響が大きく、しかし、あまり変えようとしていない学校建築に興味を持ちました。そこで、そのテーマを卒業論文にしたのです。空の上からの飛行機から下を眺めると、点々とある、すぐにわかるような空間が学校です。そこで、子どもに与える影響が大きい環境としての建物を考えたのです。
しかし、実際に使うのは子どもであり、教師です。その利用者としてはどのような空間が必要なのだろうかということを知るために、今度は小学校教師になりました。幸いというか、偶然に1年生の担任になり、その後も低学年を中心に担任をやるうちに、どのようにして小学校に送り出してくれると小学校ではやりやすいかということを肌で知ることになります。しかし、同時に教師としての限界を感じ始めます。それが、学校での担任王国とかクラス王国と言われるような学習形態、また、低学年では、学びは連続的であるにもかかわらず、時間系列に組まれた時間割、カリキュラム、その中で、社会教育に関心を持ち始めます。そのころ、第1期と言われた校内暴力が代表するような学校での「荒れ」が問題になり、その荒れた中学生の面倒を見るにつれて、やはり地域という環境に関心を持ちます。そこで、ブログで書いたような子ども会を作り、社会教育に取り組みます。
そんな経緯の中から、今回のECECで提案されている「学校準備」方式ではなく、「社会教育」を基盤にした考え方の幼児教育は、まさに私が求めてきたことだったのです。そのおもな目的は、「子どもたちすべては、あらかじめ特定された知識や習熟度を達成することよりもむしろ、学習に対する意欲と好奇心、学習における自信を高めていくべきである」ということになるのです。
日本では、OECDの学力調査では次第に下降傾向を呈しています。そのために、国では「ゆとり教育」を見直し、「総合的学習」が縮小されました。しかし、低下の傾向は、かなり前から予兆がありました。先の主目的である「学習に対する意欲」が調査国中、最低でした。また、「自信」がないのも日本の子どもたちの傾向であると言われています。それに比べて、特定された知識を多く持ち、物事の習熟度はかなり高いでしょう。また、それが今の日本での主目的になっています。
また、学習形態も、ECECで推奨されている方法は、学習は大人によって指導されるだけでなく、子ども同士、グループプロジェクト、能動的な教育方法です。しかし、この方法は、教育者が必ずしも子どもたちの遊びにかかわっていないのではないか、子どもの現在の発達に適合する重要な学習経験をさせていないのではないか、という批判を受けました。しかし、その批判は、一時期に当てはまっていたかもしれませんが、実際には、少しずつの修正を加え、継続的に改善されてきています。その取り組み例として、イタリアのレジョエミリア市によるプロジェクトに触発されているところが多いとしています。
どこまで日本は遅れているのでしょうか。
投稿者 fujimori : 23:52 | コメント (4)
2009年05月28日 [保幼小]
移行
以前のブログで、品川区で行われる幼少連携で、幼児期から足し算などを教えるという取り組みについての考え方を書きましたが、幼児教育から小学校教育への移行については、世界でも課題のようです。OECD加盟20カ国の乳幼児期の教育と養護(ECEC)という書籍の中では、乳幼児期政策に影響する社会、経済、考え方や研究の諸要因が記述されています。(園の副園長である中山さんの訳)
2006年に出された「スターティング・ストロングⅡ」では、2001年に出された「スターティング・ストロング」で概説されたECECの成功政策の主要な側面に対する参加各国による対応進展状況が概観されています。そして、結論として執筆者たちによって各国政府が今後重点的に注意を払っていくための政策領域が10項目にまとめられています。その3章が「学校教育との強力かつ平等な連携」です。
ここでは、乳幼児教育及び小学校システムの両者において、より統一された学習方法が採用されるべきであり、就学児童が直面する移行課題に注目すべきであると提案しています。その中で、大きく二つの異なった政策選択をもたらしていることを紹介しています。
フランスや英語圏では「学校準備」方式を採用しています。この方法は、乳幼児年齢での認知発達訓練と、広範囲な知識・技術・気質の獲得に焦点を当てています。しかし、この方法に内在する欠点は、児童の心理と自然学習方策にあまりにふさわしくないプログラムを使っていることとしています。一方、社会教育が伝統的に考えられてきた国々である北部・中部ヨーロッパ諸国では、就園年齢は人生に対する幅広い準備と生涯学習の基礎段階とみなされています。
このように、二通りの考え方がありますが、現在、どの国でも子どもの移行をどうしたらスムーズに行うことができるのか、就学前教育の在り方を考えることは政策課題となっているようです。それは、その移行は、一般的に成長発達への刺激となりますが、なにもせずに突然小学校教育にあげたり、あまり深くがんが絵図に安易に扱われたりすると、とくに児童にとっては退行や失敗の危険性を帯びることになると警告しています。
パートⅡの中で、就学への移行での成功例が示されています。それは、社会教育の伝統を継承している国々での取り組みです。そこには、養護、陶冶、教育を結合させた子どもの教育方法である「ペタゴジー」という概念のようです。そして、乳幼児施設の学校化ではなく、むしろ、乳幼児教育の方法を小学校低学年まで広げるべきであるという強い信念が必要であると提案しています。
この「ペタゴジー」という概念は、毎年訪れているドイツの19世紀にその起源をもつ社会教育での理論、実践のようです。社会教育は、本質的に総合的なものであり、その時の教育者は子どもの全存在、すなわち身体、心情、情緒、創造性、歴史、社会的アイデンティティに働きかけようと試みるものです。
私が、以前ドイツのフランクフルトの教育委員会の人の話を聞いた時に、ドイツでは、乳幼児教育は、「教育」と「陶冶」と「養護」を結合させたものだという話を聞きました。その時に、ブログで「陶冶」について書いた覚えがありますが、日本ではこの言葉は最近聞きませんね。それは、人格形成という概念に含まれるものとしたからです。
もう少し、小学校教育への移行についてわかりやすく解説してみようと思います。
投稿者 fujimori : 23:46 | コメント (4)
2005年10月07日 [保幼小]
オランダの異年齢教育
小学校での異年齢での学習について、私の取り組み案を挙げましたが、オランダの取り組みが、AERAの2005年9月5日号に載っていました。
オランダの教育(ジャーナリスト 天野一哉氏)
『実際に訪れた学校では、どの生徒も指示を待つのではなく、自主的に自分の学習を進めていました。自由であり、多様であり、しかし学力、学習意欲も高い。その秘密は、今から40年ほど前にあります。当時オランダでも現在の日本と同じような問題に直面していました。子どもの「学力低下」が問題となり、教育・科学省の依頼で「落ちこぼれへの抵抗」という報告書が発表されました。ついていけない子どもを切り捨てる画一的な一斉授業への反省から、一人ひとりの子どもの関心や習熟度などの個々のニーズに応じた「個別授業」の必要性が強く叫ばれました。なかでも「イエナプラン教育」はオランダの公教育全体に大きな影響を及ぼしました。イエナプラン校では、3学年のマルチエイジ(異年齢)クラスで学習が進められます。先生は十数人の子どもたちと大きなテーブルを囲んで、読み、書き、計算や社会、理科の説明をします。先生の語りかける声は、家庭で食卓を囲んで語り合う家族のように穏やかなものです。1回の説明で理解した子は、少人数のグループ席に戻り、練習問題や発展的な課題に取り組み「自立学習」をします。その間、先生は理解できなかった子どもたちにもう一度詳しく説明します。これを3回ほど繰り返した後、先生は教室を巡回し、最後まで理解できなかった子どもを中心に「個別指導」を行います。ある子には紙の上で説明し、ある子にはサイコロのような木製の教材を手渡します。さらにイエナプラン校では、日本の「総合学習」に当たる教科横断的な「ワールドオリエンテーション」という共同学習の時間があります。ここでは、異年齢の子どもが助け合いながら自主的体験的に世界のさまざまなことを学びます。これら個別指導、自立学習、共同学習が「個別教育」の大きな柱になっています。個別教育というと、30人以上の子ども一人ひとりに手取り足取り教え込むことと思い、「そんなことは不可能だ」という人もいるかもしれません。しかし、そうではなく、個別教育とは、一人ひとりの子どもが自分の能力や特性を発見し、自立的に学ぶ姿勢を身につけさせるものなのです。イエナプラン教育をはじめとするオルタナティブ教育が個別教育のために開発してきた教材や、ワールドオリエンテーションなどのカリキュラムは、一般の公・私立校にも広く取り入れられています。現在のオランダの教育は、個別教育によって子どもたちが自主的かつ意欲的に学習に取り組むことに重点が置かれています。』
私たちが進めようとしている保育と同じような考え方ですね。オランダでは、就学前の、幼児教育も、この考え方で行なっているのでしょう。
しかし、これは、オランダとしての例ではなく、基本的には、どの国でも取り組み始めている考え方なのです。
投稿者 fujimori : 17:04 | コメント (1)
2005年10月06日 [保幼小]
異年齢
今日は、近くの小学校の校長先生と少し話をしました。そして、以下のような提案をしてみました。とても面白がり、やってみたそうでしたが、「やはり、公立では難しいですね。」との感想なので、「いや、そんなことはありません。」と、いろいろともう行っているところなどを例に出してみました。
それは、こんな内容です。器械体操のブログのなかで、小学校学習指導要領を例に出しましたが、やるべき目標、内容を示すときに、〔第1学年及び第2学年〕というように複数学年として提示されている事に気づかれたでしょうか。私が少しの間、教員をしていたときは、すべての教科で、1学年ごとの表記をしていました。今は、たとえば、国語の内容でも、文字に関する事項では、〔第1学年及び第2学年〕という中に、
(ア) 平仮名及び片仮名を読み,書くこと。また,片仮名で書く語を文や文章の中で使うこと。
(イ) 第1学年においては,別表の学年別漢字配当表(以下「学年別漢字配当表」という。)の第1学年に配当されている漢字を読み,漸次書くようにすること。
(ウ) 第2学年においては,学年別漢字配当表の第2学年までに配当されている漢字を読むこと。また,第1学年に配当されている漢字を書き,文や文章の中で使うとともに,第2学年に配当されている漢字を漸次書くようにすること。
と書かれています。この通り読むと、平仮名、片仮名を1,2年生のうちに「読み、書き」ができればいいことになります。ただ、漢字については、一度に覚えることはできないので、一応1年生では、80字の漢字を読み、漸次書ける様にすることになっています。しかし、1年生で習う漢字を使いこなすのは、2年生でいいということになっています。改めて、そうしてみると、算数と理科だけは、1学年別の書き方をしていますが、ほかの教科は、異年齢の書き方をしています。(道徳は、昔は、低、中、高学年ということで括弧書きをしていたのが、他の教科同様、2学年分を示すことになっています。)
私が今、小学校の校長をやるとしたら、試してみたいことがあります。教科を、異年齢の幅の中でやってみたいと思います。算数にしても、教科内容を子どもに授業するときは、年齢別にしますが、その内容を定着する時間は、異年齢でやったらどうかと思います。たとえば、「乗法九九について知り」というところは、2年生でやり、「2位数や3位数に1位数をかけたり,2位数に2位数をかけたりする乗法の計算の仕方」を3年生で教えることになっています。
しかし、それを定着させるためには、たとえば、「九九を定着させたい子」「2位数に1位数をかけることを定着したい子」「3位数に1位数をかけることを定着したい子」「2位数に2位数をかけることを定着したい子」のグループにわけ、どれをやりたいか子ども自身が選んで、その内容で行うようにするのです。そして、自分で定着できたと思ったら、次に移っていきます。いわば、習熟度別ですが、成績で選別をするのではなく、何がしたいのか、自分は何が必要なのか、課題を子ども自身が決めるということです。
そして、幼児期では、そのような子ども主体のやり方に移行できるように、子どもが自発的に物事の取り組む姿勢、アイデンティティーを育て、「個」を確立できるようにすることを、目指していきます。
これが、今、私が取り組もうとしている保育かも知れません。
投稿者 fujimori : 17:31 | コメント (1)
2005年09月05日 [保幼小]
幼保の違い
今日は、都内の会議で、森上史朗氏(子どもと保育研究所)の話を聞く機会がありました。その中で、いくつか面白いことを聞きました。幼稚園と保育園の一元化の話の中で、最近、幼児教育についていろいろと論議されていますが、基本的には、その内容の根拠となる「幼稚園教育要領」と「保育所保育指針」は、4歳以上児に対しては同じであるので、内容においてはどちらがどうという明確な違いはありません。しかし、しいて言うならば、一つ、大きく違うところがあるという話でした。それは、発達の捉え方です。幼稚園教育要領は、一本化した発達論であり、それぞれの年齢における発達は、年齢別な到達論になってしまっています。したがって、5歳児は全員このような姿になり、その姿で、小学校に直接つなげていくという書き方をしているというのです。その点、保育所保育指針では、発達段階として捉えることをせず、あくまでも、発達過程を示しているに過ぎないというのです。現在の発達心理学では、あくまでも過程を提示するのみで、能力論的な考えではなく、行為論的視点に変わってきているようです。何ができるようになったかではなく、何をしようとするようになったかということを重視します。また、固体論から、関係論になり、子どもがどのように固体として発達するというのではなく、子どもがどのようなかかわりの中で育っていくかという発達になってきているというのです。友達との相互作用の中で磨かれたり、完成されるという考え方がでてきているそうです。
今、幼稚園でも3歳児を保育することが多くなり、今の教育要領では無理になっているために、改定が予定されているそうです。そこに、年齢をどのように捉えるかわかりませんが、発達過程として捉えたとき、子ども集団をどのように構成するのでしょうか。日本では、どうしても、年功序列型社会から、能力主義社会には移行しづらいように、子どもの発達を、子ども個人としてみるよりも、年齢としてみてしまうようです。