2006年04月12日 [保護者]
保護者会
今、園では毎日クラスごとの保護者会が開かれています。今日は3歳児の保護者会でした。私の園では、男性保育者が多いせいか、送り迎えに父親の姿を多く見かけます。また、今日も出席していましたが、保護者会にどのクラスも父親の参加があります。これは時代かもしれませんが、子どもにとって、育児を女性だけがするものであるという刷り込みを持たせないためにもよいことだと思っていますし、多様な価値観で子どもを育てるためにも必要なことです。また、園に対しても、父親はまったく違う観点から園を支えてくれます。そういえば、昔は、そのような集まりの会を「父兄会」と言っていましたね。どうして、兄なのでしょう。たぶん、「父母兄弟」ということから、家族という意味を略して言ったのでしょう。しかし、父兄という言葉は、戦前の家父長制のなごり、男性社会へ差別用語であるといわれていたり、一方、この言葉は、日本語にある片方の性で、両性を代表する言葉(帰国子女などの)の一つであり、語源的に差別的ではないとの見解もあるようです。しかし、語源や、過去にどういう使われていたかというより、やはり「父兄会」というのは、変ですね。父親はほとんどでないし、兄などはもっと参加しません。そういう意味では、「父母会」というようになったのはわかります。しかし、これもなんだか変な気がします。参加する人が、必ずしも父親か母親に限らなくなっているからです。そこで、私は、「保護者会」という言葉を使いますが、それも最近は、怪しくなってきました。この人は、保護者だろうかと思うことがあるからです。しかも、記入上の保護者ではなく、「子どもを保護している人」となると、首を傾げたくなる人もいるようになりました。などと考えると、言葉って、難しいですね。もう一度、「家族とはなにか」、本来の「保護者会」は、どうあるべきかを考える必要があるかもしれませんね。
戦前から「父兄会」や「学校後援会」は、学校後援会組織として、学校設備を寄付したり、周年行事をサポートしたりするものだったようです。それが、第二次世界大戦後、GHQ(連合国最高司令官総司令部)の指示・勧告により、日本の文部省が「父母と先生の会委員会」を設置したのが、日本でPTAが誕生した始まりといわれています。そして、1947年に『父母と先生の会ー教育の民主化のために』というPTA設立の手引書を作成して、全国に配布しました。PTAとは文字通り『父母(親)と先生の会』ということで、親と先生が一緒に子ども達のために活動するものとなったのです。しかし、多くの学校のPTAでは、子どもの入学と同時に保護者が自動的に加入することになっていますが、“PTA”の“A”はAssociationということで、一般には任意の民間団体を指していることから、「その活動に賛同する人だけが、加入申込書を提出した上で会員になる」というのが本来の姿だそうです。もともとのアメリカでは、PTAはどんなかというと、「学校」単位というよりも「地域」を単位にした組織になっていて、活動に賛同する人は、子どもがその学校に通う保護者だけでなく、地域の市民だれでもが参加できるシステムなようです。また自分の子どもが通う学校だけでなくて「全国・全世界の子どもたちの幸せのために」という理念のもとに結成されている場合が多いようです。私の園での開園時の職員のキャッチコピーに「私たちは、世界の子どもの担任です」というのがありました。PもTも、そうあるべきでしょうね。
投稿者 fujimori : 17:47 | コメント (0)
保護者会
今、園では毎日クラスごとの保護者会が開かれています。今日は3歳児の保護者会でした。私の園では、男性保育者が多いせいか、送り迎えに父親の姿を多く見かけます。また、今日も出席していましたが、保護者会にどのクラスも父親の参加があります。これは時代かもしれませんが、子どもにとって、育児を女性だけがするものであるという刷り込みを持たせないためにもよいことだと思っていますし、多様な価値観で子どもを育てるためにも必要なことです。また、園に対しても、父親はまったく違う観点から園を支えてくれます。そういえば、昔は、そのような集まりの会を「父兄会」と言っていましたね。どうして、兄なのでしょう。たぶん、「父母兄弟」ということから、家族という意味を略して言ったのでしょう。しかし、父兄という言葉は、戦前の家父長制のなごり、男性社会へ差別用語であるといわれていたり、一方、この言葉は、日本語にある片方の性で、両性を代表する言葉(帰国子女などの)の一つであり、語源的に差別的ではないとの見解もあるようです。しかし、語源や、過去にどういう使われていたかというより、やはり「父兄会」というのは、変ですね。父親はほとんどでないし、兄などはもっと参加しません。そういう意味では、「父母会」というようになったのはわかります。しかし、これもなんだか変な気がします。参加する人が、必ずしも父親か母親に限らなくなっているからです。そこで、私は、「保護者会」という言葉を使いますが、それも最近は、怪しくなってきました。この人は、保護者だろうかと思うことがあるからです。しかも、記入上の保護者ではなく、「子どもを保護している人」となると、首を傾げたくなる人もいるようになりました。などと考えると、言葉って、難しいですね。もう一度、「家族とはなにか」、本来の「保護者会」は、どうあるべきかを考える必要があるかもしれませんね。
戦前から「父兄会」や「学校後援会」は、学校後援会組織として、学校設備を寄付したり、周年行事をサポートしたりするものだったようです。それが、第二次世界大戦後、GHQ(連合国最高司令官総司令部)の指示・勧告により、日本の文部省が「父母と先生の会委員会」を設置したのが、日本でPTAが誕生した始まりといわれています。そして、1947年に『父母と先生の会ー教育の民主化のために』というPTA設立の手引書を作成して、全国に配布しました。PTAとは文字通り『父母(親)と先生の会』ということで、親と先生が一緒に子ども達のために活動するものとなったのです。しかし、多くの学校のPTAでは、子どもの入学と同時に保護者が自動的に加入することになっていますが、“PTA”の“A”はAssociationということで、一般には任意の民間団体を指していることから、「その活動に賛同する人だけが、加入申込書を提出した上で会員になる」というのが本来の姿だそうです。もともとのアメリカでは、PTAはどんなかというと、「学校」単位というよりも「地域」を単位にした組織になっていて、活動に賛同する人は、子どもがその学校に通う保護者だけでなく、地域の市民だれでもが参加できるシステムなようです。また自分の子どもが通う学校だけでなくて「全国・全世界の子どもたちの幸せのために」という理念のもとに結成されている場合が多いようです。私の園での開園時の職員のキャッチコピーに「私たちは、世界の子どもの担任です」というのがありました。PもTも、そうあるべきでしょうね。
投稿者 fujimori : 17:47 | コメント (0)
2005年11月17日 [保護者]
保護者
保育園や幼稚園、学校など子どもを預かる施設は、その子どもの保護者との関係をどう作るかが課題になっています。先ごろ中央教育審議会から出された「新しい時代の義務教育を創造する」という中でも、その難しさについて、こう書かれています。
「本審議会でも、家庭や地域の教育力を取り戻すことは難しく、学校への期待は大きいとの意見。一方で、本来家庭や地域が果たすべき機能を学校に持ち込むのではなく、家庭や地域がその責任を果たすことが必要であるとの意見。家庭の教育力が低下しているからといって学校の役割を拡大しても、子どもの心の満足は得られず、家庭の教育力は学校で代替できる性質のものではないとの意見などが出された。学校五日制についても、両方の立場からさまざまな意見が出された。このほか、家庭支援のための福祉行政との連携の必要性。ゲーム・テレビの影響などマスメディアを含め、大人社会のあり方の問題なども意見として出された。また、学校と、家庭・地域とが共同し、両方が教育力を高めるべきとの意見も出された。」
私たちが、「子どもが他者と関わる力をはぐくむ保育環境と家庭環境」という調査をしたことがありました。そのなかで、「保護者に対するサポート」という項目では、「保育士が保護者に対してサポートを行うことも、間接的に子どもが他者と関わる力をはぐくむことにつながっている。」 という結果がでました。そして、「関係者がいっしょに育児にかかわっているような状態を構築することが、子どもの力をはぐくむ土壌となるといえるだろう。」というまとめでした。それが、まさに、どちらがどちらに責任を押し付けるのではなく、「共同して」という姿勢なのです。もちろん乳幼児期と学童期の違いはありますが、保護者は、保育士に対して、いっしょに育児をしている仲間だと感じることが、子どもの発達を促すのです。少子化の原因のひとつとして、公教育への不安があるといいます。保護者の教育への信頼が、子どもたちの情緒を安定させ、それが学習効果をあげ、発達を促すのです。
私の園で、保育参観のあとの保護者とのメールのやり取りで、感動したことが最近ありました。
保護者「先日、朝、○○先生から、「いつもありがとうございます。」と言われて、「こちらこそ、いつも、私の子供をはじめ、園児と共に過ごしていただき、ありがとうございます。」と言う機会を逃してしまいました。何卒、よろしくお伝えくださいますようお願いします。気の利いた感謝の気持ちひとつ伝えられない、私ですみません。本当に、先生方には、感謝しています。これからもよろしくお願いします。
園「○○の感謝の気持ちは、私も同じでございます。(便乗させていただきます)伝言、必ず伝えます。
保護者「いえいえ。こちらこそ、ありがとうございますm(__)m 先生方や保護者の方からの応援って本当にうれしいですよね。あと、先生方は、私に対して、「すみません」と気を使っていただいていますが、私も仕事に追われるだけでなく、日々の生活の中で、何か園のために始められればと思っていたことが、今、現実になっているので、大げさかもしれませんが、夢が叶っているんですよね。これからも、保護者と保育園がうまく連携をとりながら、いろんな問題を解決できるような関係でいましょうね。多分、父親の他のメンバーも同じ気持ちだと思います。(^^ゞ
投稿者 fujimori : 19:56 | コメント (0)
2005年10月20日 [保護者]
男女の刷り込み
今日、帰りに飛行機の客室乗務員が、男性でした。国際線ではよく見るのですが、国内線では、私ははじめてでした。乗り込むとき、何で入り口に男性が挨拶をしているのだろうと不思議に思い、てっきり上司が見張りに来ているのだと思ってしまいました。機内放送でも、その男性が話をするたびに、機長からの挨拶かと思ってしまいます。客室乗務員は女性で、機長は男性と刷り込まれているのですね。
私が保育の世界に入ったころ、ラジオの取材を受けたことがありました。そのときのインタビューをしたアナウンサーの第一声が、「男性が、保育園にいるなんて、珍しくありません?」と言われたので、「逆に、女性しかいない社会のほうが、気持ち悪くありませんか?」と答えたのを、思い出します。そのアナウンサーは、保育園の職員は、女性と刷り込まれていたのですね。そのあと、市内の若い男性園長で、会を作り活動していたことがありました。(今でも、していますが)そのときの活動が、新聞の全国紙に紹介されたことがありました。そのタイトルが、「保育にかける 男たち」というものでした。なんだか、奇をてらったタイトルですね。最近、保育者相手の講演会をひらくときに、会場の中にちらほら男性の保育者が見られるようになりましたし、保護者講演会すると、ちらほら、父親の姿が見られるようになりました。しかし、今日の講演会のように、育児講座となると、全員、女性でした。(事業名が、「ママでスクール」というので、当然ですが)
私が、教員のころ、(30年くらい前)授業参観に、ちらほら父親の姿が見られるようになってきていました。しかし、そのあと引き続いて行われた懇談会には、父親は全員帰ってしまい、母親だけになってしまいました。(もっと昔は、保護者のことを父兄といったので、父親か兄だったのかも)そこで、「父親だけの懇談会」というのを、土曜日の午後に行なってみました。すると4人の父親が参加しました。しかし、当時は、あまり育児への父親参加など叫ばれていなかったため、子どもの話しをしようとすると、「子どものことは、妻に任せているから。」と言って、話が弾みません。みんな、母親から尻をたたかれて参加してきていたのです。そこで、私は、方針を変えて、「では、おとうさんたちが、子どものころの話をしましょう。」と言うと、そういえば、子どものころ、こんなことをしたとか、あんなことをして怒られたとか話がつきません。そして、最後にみんな口をそろえて、「それにしては、今の子どもたちはかわいそうですね。」ということに落ち着きました。そこで、私が「かわいそうだったら、何かをしたらどうですか。」ということで、その地域に、「子ども会」を発足することにしました。まず、クラスみんなの父親に呼びかけ、そこから、全校のその地域の父親たちに呼びかけるために、映画会を開催しました。そして、近隣の子ども会に事情や規約の作り方などを聞きにいったり、子ども会とはどんなものかを調べたり、役所に行って保険がどうなっているかを聞いてきたりと動き始め、いよいよ「父親による子ども会」が発足しました。その活動が、数年後に社会教育の映画になり、私は、いろいろな社会教育集会で話をする機会や、活動内容の原稿を書く機会が増えました。その活動は、かなりユニークだったので、またいつか、このブログで紹介したいと思います。懐かしい、思い出です。
投稿者 fujimori : 20:44 | コメント (0)
2005年09月03日 [保護者]
花火大会
今日の夜は、保護者主催の「花火大会」がありました。今、園や学校の悩みの一つに、保護者対応があるようです。この夏、保護者対応についての講演をいくつか頼まれました。確かに、わがままな、自分勝手な保護者もいます。すぐに苦情を言ってくる保護者もいます。ある研修会で業者の男性から声をかけられました。「私の妻は、教員をしているのですが、最近の保護者は苦情をすぐ教育委員会などに言っていってしまって困っている。直接言ってくれればまだいいのに。」そのときに、私は、こう答えました。「それは、今まで、直接言っても、対応してくれなかったり、聞いてくれなかったりする経験があるのでしょうね。」苦情は、いろいろと難しい問題をはらんでいることが多くあります。というのは、その内容を解決すれば済むとは限らず、何かのトラウマが潜んでいることが多いからです。それを、丁寧に取り除いてあげないと、真の解決にはなりません。この夏、ある小学校から新卒の教員が研修に来ました。とても熱心で、よい先生になりそうな人でした。その人が、研修の最終日私のところに来て、「ひとつ聞きたいことがあるのですが。ここの園児は、なんで、きちんと人の話が聞けるのですか?そうなるためのこつを教えてください。」私が、とっさに答えたのは、「それは、子どもの話をよく聞いてあげるからですよ。自分の話を人にきちんと聞いてもらえたという経験が、今度は人の話を聞こうとする気持ちにさせるのです。」教員は、兎角、自分本位で話を進め、じっくりと子どもの話を聞くことが少ないものです。確かに、時間もないし、多くの人数の子どもの話は聞けません。ですから、本当は、幼児期に家庭で親がじっくり話を聞いてあげ、保育者がじっくりと話を聞いてあげることが大切なのです。それを家庭でされていない子、それでも足りない子の話を、教師が聞いてあげてほしいと思います。
花火大会は、親子での参加です。普段、なかなか子どもの話を聞けない保育園では、保護者が自主的に親子の触れ合う場を提供してくれます。そんな姿は、トラウマを作るのと反対に、きっと、子どもたちが、親になったときのいいモデルを子どもの心に刻むことでしょう。