fujimori の紹介

heiji415

社会的サポート

乳児の状態の他に、母親の投資に差を生じさせている要因として、母親自身と密接に結びついたものがいくつか考えられると言います。そのひとつが、女性の繁殖をめぐる状況に関連するものです。若い、繁殖力のある女性は、妊娠可能な期間をこれから先に長く期待できます。そのため、望んでいなかった乳児に最低限の投資しかしなくても、たいした問題にはならないのです。状況が改善すれば、生存可能な子どもを産む機会があると考えられるからです。妊娠可能な時期が残り少なくなってくると、子どもを放棄することに伴う代償が大きくなります。そのため、若いときには投資対象の乳児を厳しく選択し、繁殖期の終わりが近づくと子どもを選別せず、すぐ投資をするような淘汰圧が、母親に働いたと考えられると言います。

アメリカ合衆国において子どもの虐待を予測する主要因子のひとつが、母親の年齢だそうです。年齢の若い母親ほど、子どものネグレクトや虐待を行う傾向が高いのです。さらに、母親の年齢は、嬰児殺しの強力な予測因子でもあるそうです。ディリーとウイルソンのカナダの殺人率( 1974 ~ 1983年)に関するデータでは、10代の母親が乳児を殺す可能性は、20代の母親の4倍以上であったそうです。たしかに、若い母親は情緒的に未成熟であり、社会的サポートが乏しいといった要因も、この結果に関与していると考えられますが、進化論の予測するパターンでもあるとビョークランドは見ています。伝統文化社会でもこの傾向を支持するデータが得られていると言います。ボリヴィアとパラグアイの国境地帯に住む遊牧民であるアヨレオ族では、子どもに欠陥があると判断された場合、あるいは経済的な見通しが悪い場合には、子殺しが頻繁に行われているそうです。また、こうした状況下では、若い女性ほど乳児を殺す傾向が高いことを、パゴスとマッカーシーは見出しているそうです。カナダのデータと同様に、母親が10代の場合に、乳児が殺される危険性が最も高いのです。

子どもに対する投資を決定する際に母親が用いるもうひとつの手がかりが、母親が得られる社会的サポートの量だそうです。コミュニティからのサポート、特に、主に母親の血縁者で構成される父母以外の養育者の存在が、要因のひとっと考えられると言います。しかし、おそらくもっと重要なのは、配偶者に期待できる支援の量なのです。配偶者がいない場合は、手に入る資源が限られるため、子どもが生存し繁栄できる可能性も狭まると考えられています。包括適応度の観点から厳密に考えると、母親ひとりで子どもを育てるのは、経済的資源が豊富にある場合など、条件が整っている場合のみにすべきであるとビョークランドはいます。母親に適切な支援や資源がなければ、子どもへの親の投資量の予測は低くなります。このために、母親の婚姻状況は、母親が資源を入手できる可能性を知る手がかりとなります。つまり、未婚女性は平均的に、得られる社会的サポートが少なく、手に入る資源も限られていると予測されると言うのです。

極端な事例の子殺しに関する統計をこの主張を支持する証拠として捉えることができると言うのです。子殺しをした女性が未婚の母親である確率は、チャンスレベルで期待される数よりもはるかに高いと言います。さらに、この効果は、未婚の母親は、既婚の母親よりも若い傾向があるために、母親の年齢を考慮しても減少しないようです。

子殺し

親の投資を減らす最も極端な事例が、子殺しですが、このような極端な行動を取り上げても、「正常」なことの正確な描写につながらないかもしれないと言いつつも、人のそれほど極端ではない行動に影響を及ばしている基底的な心理メカニズムを知る手がかりにはなるとビョークランドは考えているようです。

子殺しは多くの伝統社会で容認されており、それどころか、特定の条件下では、親を含む社会の構成員から、それが求められることもあるそうです。人類学のデータがまとめられている「地域別人間関係資料」のデータでは、資料に含まれる60の主要な文化のうち、35の文化で子殺しの事例に関する記述があるそうです。奇形のある子どもや重病にかかっている子どもを、意図的に殺したり、捨てたりする事例が、 35の社会のうち21の社会で認められたそうです。これらの社会の多くでは、奇形児は幽霊や悪魔と考えられているため、このような子どもを殺すことは、親の権利、それどころか義務なのです。

あるひとりの子どもに向ける投資量を決める上で、母親が手がかりとするもうひとつの要因が、子どもの年齢であると言います。幼いときには病気や事故の発生率が高いため、年齢の低い子どもの方が死亡率が高いのです。この傾向は、近代医学の驚異を手にする以前の古代では、特に強かったのです。このように、子どもの繁殖価は年齢と共に高まるということは、母親は年齢の高い子どもより多くの投資をする可能性があるということであるとビョークランドは言っています。HRAFの資料にまとめられた比較文化的な証拠の分析により、進化心理学者マーティン・ディリーとマーゴ・ウイルソンは、資源が乏しい環境に生まれた子どもは、生まれた時点で殺される傾向が高いことを見出しているそうです。年上のきょうだいがいる場合には、殺されるのは必す年下の子どもだそうです。わずかしかない資源を分け合うことで、繁殖価が高い年上の子どもの生存を脅かしてしまうよりも、年下の子どもを殺すことが選択されるようです。

もちろん、子殺しは今日の先進国の文化では許されておらず、乳幼児の殺人率は、10代以降の青年や成人の殺人率よりは低いそうです。しかし嬰児殺し(1歳未満の子どもを殺すこと)も確かに生じており、その場合の加害者は、実親であることが非血縁者の7倍も多く、また、父親よりも母親が殺人者であることが多いのです。子どもが親に殺される可能性は生後1年を過ぎると急激に低下し、その後も減少を続け、青年期には事実上0になります。しかし、非血縁者による殺人はこれとは反対のパターンをたどり、子どもの年齢とともに殺される可能性は増していくそうです。そのため、親の子殺しの減少理由が、単に年齢と共に子どもが自身をうまく守れるようになるからだとは考えられないと言います。というよりは、子どもの繁殖価や子どもにそれまでに費やした投資の量が、最も小さい段階で、子殺しが行われることが多いと考えられると言います。

全体として見れば、親には、子どもの能力を判断する手がかりをつかみ、自分の資源を将来の繁殖の成功へとつないでいく心理的メカニズムが進化によって備わっていると考えられます。この競争世界で成功する可能性の最も高い子どもには、その可能性の低い子どもよりもかなり多くの投資が、特に母親から注がれるのです。

子どもの健康状態

歴史的には、親が自身の生活を維持する意思・能力がない場合に、子どもの世話を政府の責任としたところはほとんどありません。さらにいえば、病弱な乳児の世話について「公的な」道徳や法規で規定しても、現代文化の中で個人がとる態度や行動は、何百年もの自然淘汰によるもっと厳しい指令の影響を受け続けているのだと言うのです。繁殖価の低い乳児に対して母親がとる行動の選択肢は、歴史、比較文化の視点から捉えようとビョークランドをしています。すなわち、情報化時代の社会における女性の「典型例」を記述するものではないのですが、それでもやはり現代の女性も、祖先の女性や今日も伝統社会に生きる女性と同じ、進化による心理をもっているのだと言うのです。つまり、不健康な子どもへの投資を最小限にするための選択肢のなかには、現代文化の母親に法的に禁止されているものもありますが、彼女たちも、病弱な子どもによって引き起こされる思考や感情の影響を受けないわけではなく、特に、経済的、社会的に厳しい環境におかれている場合には、社会的に許されない行動をとってしまうことがあると言うのです。

母親の投資の計算を、まずは現代社会におけるネグレクトや虐待の事例についてまずビョークランドは考察しています。知的障害がある子どもや、ダウン症候群、二分脊椎、嚢胞性線維症や口蓋裂などの先天性欠損のある子どもが虐待を受ける確率は、障害のない子どもの2 ~ 10倍高いことを示す証拠は非常に多いそうです。さらに、これらの子どもが施設に預けられると、親の関心は急速に減少し、家族の訪問がまったくない子どもも多いそうです。このように述べると、残酷で思いやりのない親のように思うかもしれませんが、これは、母親が子どもを区別して、投資に値しないと判断した子どもから資源を引き揚げる現実を表しているのだとビョークランドは言います。

病弱な子どもに対する投資の差が、それほど極端ではない場合もあるそうです。早産であった超低出生体重の双生児7組に関するアメリカ合衆国での研究で、マンは、母親が話しかける、一緒に遊ぶ、じっと見る、キスをする、抱く、なぐさめるといった、肯定的な母性行動を、双生児のうち、健康状態の良い方の乳児に対して多く示すという仮説を検討したそうです。生後4ヶ月の時点での母親と乳児との相互作用を観察し、その後生後8ヶ月での相互作用を再び観察しました。4ヶ月の時点では、健康な乳児に対する選好性はわすかでしたが、さらに4ヶ月後の母子相互作用の観察では、顕著な結果が得られたそうです。すべての母親が、2人のうち、健康状態の良い方の乳児に肯定的な行動を多く示したそうです。しかも、病弱な乳児の方が発声が多く母親への応答性が高い場合でも、この効果が認められたそうです。このように、マンが得た結果は、彼女の「健康な赤ちゃん仮説」を支持するものだったそうです。つまり、母親に選好性は、2名のきょうだいの行動や外見の違いから判断される、赤ちゃんの健康状態と関連していることが明らかにされたそうです。

親の投資を減らす最も極端な事例が、子殺しです。こうした事例がビョークランドらの分析に役立つのは、子殺しは曖味な部分が非常に少ないからだそうです。虐待やネグレクトでは気づかれなかったり報告されなかったりする事例も多いのに対して、子殺しの場合はそのようなことが非常に少ないからだと言います。このような極端な行動を取り上げても、「正常」なことの正確な描写につながらないかもしれないと言いつつも、人のそれほど極端ではない行動に影響を及ばしている基底的な心理メカニズムを知る手がかりにはなるとビョークランドは考えているようです。

母親の投資

最近は、子育てに父親の参加が増えてきていますが、古代では、子育てに関する任務の大部分は母親と女性の親族が負っており、今日でもこの傾向は続いていると言います。とはいえ、伝統社会において、子育ての役割が共同体の中で均等に担われていたわけではないそうです。子どもの世話をして食料を与える第一義的な責任は、常に母親が負っていました。しかし、人の発達の性質上、母親は他者から、通常は父親が提供するサポート以上の支援なくして、子どもを成人期、あるいは少なくとも児童期まで育てることはできなかったと言うのです。ヒトは社会的な生物ですが、このことが最も明白であり、そして最も重要となるのは子育てだとビョークランドは言うのです。

現代の工業化社会の大半では、母親が自分の子どもを皆等しく愛し、世話をすることが期待されています。しかし、近代社会でも伝統社会でも、多くの場合こうした社会からの期待どおりにはならなかったことが、研究によって示されているそうです。生活地域の生態系はもちろん、子どもや親に関連するさまざまな要因によって、それぞれの子どもに母親が注ぐ投資量は変わってくるようです。この差別的な養育は、進化的観点から予測できることだそうです。母親は、生殖年齢に達する可能性が最も高い子ども、つまり、母親自身の遺伝子を次世代につなげられる子どもに最も多くの投資をするのです。子どもの将来の繁殖成功を示す手がかりを見きわめることに長けている母親は、そうした子どもに最も多くの時間、エネルギー、資源を投資する可能性が高いと言います。そうすると、投資を多く受けた子どもは、投資をあまり受けていない子どもよりも有利となり、生殖年齢まで達し、子どもをもうける可能性が最も高くなるのです。

母親がそうした手がかりを見きわめるのを苦手とする場合は、どれだけ多くの投資をしても成人期まで達さない子どもに、貴重な資源を浪費することになるだろうとビョークランドは言うのです。事実、生殖年齢まで子どもを育てるために、最適な環境そして最適な子どもを判別する能力が高い母親が、自然淘汰によって選択されてきたというのです。

母親の投資の削減にはいろいろなかたちがあり、さまざまな方法が採られてきたと言います。子どもたちはネグレクトを受け、親の注目や医療、食料が十分に得られない場合もあるでしょう。ネグレクトを伴う虐待が生じることもあるかもしれません。投資削減のもっと極端な例としては、子どもを血縁者や他人に養子に出すことや、乳母による養育や奉納という、子どもを宗教団体の保護施設に預けることというかたちをとることもあります。文化によっては、乳幼児や子どもが奴隷として売られたり、極端な場合には、殺されることもあるのです。

おそらく子どもの適応度の最もわかりやすい手がかりは、子どもの健康状態でしょう。社会によっては、不健康な乳児に多くの投資をする母親は、生殖年齢に達しない子どもに無駄に力を注いでいると捉えられるかもしれないと言います。もちろん、私たちの社会では、生命に高い価値をおき、非常に病弱な子どもでも等しく世話をすることが親に求められます。これが乗り越えられないほど困難な場合には、国が介人して負担を負います。しかし、すべての社会でこの命の尊厳の考え方が共有されているわけではなく、歴史的には、親が自身の生活を維持する意思・能力がない場合に、子どもの世話を政府の責任としたところはほとんどないと言うのです。

親以外の養育者

情報化時代の文化や伝統文化社会、そして、近代、古代において、ヒトの男女が子どもへの投資を決定する際に、どのような要因がどのように作用するのでしょうか?もちろん、子育てに関与する人物は遺伝的親のみではありません。祖父母の孫に対する投資もあるでしょうし、さらに、離婚率の高い、現代社会では重要となっている継親の役割あるでしょう。それらを、ビョークランドは、進化論、特に親の投資理論を用いて、親とその子どもの生存と成功に非常に大きな影響を与えている複雑なデータをひも解いていっています。しかし、最初に、子どもを育てるために欠かせない、そして進化的過去において欠かせなかったこと、特に親以外の養育者の役割について、考察しています。

このことについて、ビョークランドは元大統領夫人のヒラリー・クリントンの主張を紹介しています。彼女は、「子どもを育てるのは村がかり」というアフリカの諺を引いて、子どもが社会の一員として成功するよう支援することは、親だけではなく、社会全体の責任であると主張したのです。今日では、どの社会の女性も、子育てのために他者からの支援を受けているのです。「親以外の養育」とは、遺伝子的母親以外の個体による子どもの世話のことであり、ヒトの子育てにおいて常に重要な役割を担ってきたと考えられます。

伝統社会の母親は、生後数年間は乳児の唯一の栄養源です。しかし、子ども一般的な離乳期(伝統文化社会では通常3 ~ 4歳)を過ぎでもなお、子ども期まで親への依存を続けます。このように子どもの依存期間が長いため、女性は子育てにおいて他者からの支援に頼ってきたと言うのです。現代社会では、専門の保育施設が多くの女性のためにこの役割を担っていますが、かつては、この役割は通常は近隣の社会グループの親しい人、多くの場合、女性の親族が担っていたと言うのです。

親以外の養育者はヒトに特有のものではないそうです。たとえば、共同哺乳はゾウ、ライオン、オマキザルやコウモリなど、母系集団で生活する動物に多く見られるそうです。このような集団では、他のメスの子どもに乳を与える親以外の女性は、姪や甥に資源を与えることで、自身の包括適応度を高めていると言われています。

ヒトの歴史においても、乳母はすっと存在してきましたが、伝統文化社会において、そして進化適応の環境において、女性が子どもの世話のために得る支援のほとんどは、間接的なものであった可能性が高いと言います。たとえば、パラグアイ東部の森に住む狩猟採集民であるアチェ族では、幼い子どものいる母親は、子どものいない女性よりも食料の採取量が少ないそうですが、この不足分は、全員ではありませんが、大部分が血縁関係のある他の女性の努力でまかなわれるそうです。また、多くの社会では「子守り」を思春期前の女の子、通常、年上のきようだいや祖母が行っています。

要するに、伝統社会では、そして、おそらく先史時代には、主に養育を支援する子どもの生存に自分の利益が絡んでいる女性の親族からなる、相互に関連し合う集団によって子育てが行われてきたと言うのです。父親も関与はしていましたが、そして、情報化時代の社会では父親の役割は大きくなってきていますが、古代では、子育てに関する任務の大部分は母親と女性の親族が負っており、今日でもこの傾向は続いています。

女性の高い抑制能力

乳児がもたらす困難に対処するために、女性には高い抑制能力が必要と考えられます。乳幼児を世話する際には、攻撃性などの情動的反応を抑制しなければならないことや、母親自身が得る満足を遅延しなければならないことも多いのです。そして、子どもの世話をする役割はいつも女性の活動とされてきました。社会的状況における性差に関する知見、たとえば、顔の表情の制御と同様に、誘惑に耐えることや満足を遅延することに関連する課題では、女性の方が男性よりも多少成績が高いことが示されているそうです。幼児の世話をすることに関連する圧力が、ヒトにおいて男性よりも女性に大きくかかっていたと考えれば、これはまさに予想される結果であるとビョークランドは言います。

進化心理学の基本的な主張は、親の投資理論によって予測される性差は、進化による、男女の遺伝的な違いを基盤とするものであり、そうした違いによって、繁殖と養育に関連する情報の処理、解釈、評価に性差が生じた、というものだそうです。ビョークランドは、この考え方に同意しています。しかし、このような「生得的」バイアスは、青年期や成人期に新しく生じるのではなく、環境要因の影響を受けやすいものであり、また、個体が子ども期に得たそれぞれの経験にもとづいて発達すると考えられます。つまり、ヒト、そしてヒト以外の種が示す行動や認知のさまざまな特徴が発達するのと同じように、親の投資の性差は発達するのだというのです。とはいえ、発達によって生じる表現型が無限にあるわけではありません。繁殖と養育の決断は、性別を問わず重要であることから、いくつかある方向性のなかから、与えられた地域環境下で、自身の包括適応度を最適化できる方向に個体発生は進んでいくと考えられるのです。

すべての行動はさまざまな要因によって決定されていきます。そして、親の投資に関する行動もその例外ではないと言います。「進化によて男性と女性は異なる心理をもつため、行動パターンに違いがある」というだけでは不十分だとビョークランドは考えています。むしろ、どのような発達メカニズムによって、適応、あるいは不適応行動パターンに違いが生じたのかを問うべきであると言います。

祖父母、きようだい、おばやおじ、そして血縁関係のない人々も、両親を亡くした子どもの世話をすることがありますが、子どもの生存について親ほど高い関心をもつ者は他にはいません。伝統社会、そして有史以降の西洋文化では、父親からのサポートのない子どもが成人期に達する前に死亡する可能性は、父親がいる子どもよりも高いそうです。また、母親のいない子どもの死亡率はさらに高くなると言います。子育てには、親、特に母親からの多くの投資が必要なのです。親は乳児に身体的、社会的、心理的ケアを行います。親は、繁殖努力あるいは親自身の維持や資源獲得に捧げられるはずの力と資源を、子どもに配分しているのです。しかし、ある子どもに資源を配分するということは、親の個体発生や繁殖努力を制限するだけではなく、生まれている子およびこれから生まれてくる子など、他の子どもに対する投資機会が奪われることにもなるのに、母親が、ひとりひとりの子どもに常に最善を尽くそうと思っているのは当然のことと思えるかもしれません。しかし、ある子どもに親がどの程度の投資をしたいと思い、またどの程度投資できるかは、子どもの健康状態、地域の経済や生態の状況、きようだいの有無、親、特に母親の年齢と生殖状態、子育てに得られる社会的サポートの量といったさまざまな要因の影響を受けていると言われています。

性差の縮小

親の投資理論は、ヒトのさまざまな行動に見られる性差の説明や発見に用いられてきたそうです。受胎調節、男女同権、そして情報化時代の経済によって、親の投資に見られる性差の大きさは縮小されたとビョークランドは言います。中には、逆転した面もあるというのです。しかし現在も、男女共に、進化適応の環境に生きた祖先と同じ手がかりに対する敏感性はほとんど失っていません。男女の心理はこうした古代環境で進化したのであり、ヒトの行動は、過去にもそうであったように柔軟性が高く、自らが発達する特定の環境に敏感ではあるものの、行動の基盤としての性特異的なバイアスが依然として存在すると言います。

たとえば、世界中の男性が、長期間のパートナーとして、魅力的で知的でやさしい女性を求めます。女性も夫として魅力的で知的でやさしい男性を求めますが、男性よりも、結婚相手の財産を重要視する傾向があると言われています。もうひとつの例が、男性と女性の嫉妬です。男女とも嫉妬の強さは、一見、ほぼ同じように思えますが、男性は、配偶者が「愛のない」性交を他の男性ともったと想像した場合に、配偶者が誰かと性的関係はなく、心の結びつきをもったと想像した場合よりも強い苦痛を示し、女性はその逆のパターンを示すことがわかっています。この性差の理由として考えられるのは、男性は父性の確実性がないため、配偶者が他の男性と性交渉をもった可能性があることは、たとえ愛のない性交であっても 、大きな脅威となるということです。女性も、パートナーが他の女性と愛のない性交をもつことは好みませんが、配偶者のサポートを失うことに対する懸念の方が大きいため、その原因となる可能性の高い、他の女性との心の結びつきを脅威と捉えるのだろうと言います。

生殖年齢の若い男性が高い攻撃性と暴力性を示す原因には、女性をめぐる、直接的あるいは間接的な競争もあると言われています。また、性差は小さいものの、その差が親の投資の違いに起因すると考えられる行動もあるそうです。その代表例が、好ましくない行動を抑制する能力です。女性は、性交渉に対する潜在的な投資量が男性よりも大きいため、性的喚起を制御し、相手の男性の価値を仔細に評価してから性交渉に同意することが、女性にとって繁殖利益となると考えられます。先祖の女性たちも、他の男性に対する性的関心を配偶者に隠しておく政治的手腕が必要でした。女性は不貞を男性に疑われると、暴力的な反応を示される可能性があります。また、攻撃を受けない場合でも、離婚という、歴史的にもそして現代社会でも、男性よりも女性やその子どもに不利益となる結果に至る場合が多いと言います。これを支持するものとしては、女性は男性よりも性的喚起をうまく抑制できることを示す証拠が限定的ながらあり、また、女性は男性よりも自身の情動の表出をうまく制御できることを示す強い証拠もあるそうです。後者については、女性は男性よりも感情表現が豊かであるにもかかわらず、このような結果が認められるそうです。たとえば、否定的な経験の後に肯定的感情を表出する、たとえば、嫌な味の飲み物がおいしいふりをするというような、あるいはその反対を求めると、女性は4歳ですでに、男性よりも情動表出を制御できると言われています。すなわち、反応を見る判定者をだませるというのです。このような場面は、保育の中で多く実感することが多いです。

親の投資の性差

男性と女性が結婚相手を選ぶときに、相手が自分たちの遺伝子を子孫に残すために有利かを評価します。それぞれ、その子どもへの投資量に性差がありますが、その差は、行動の性差となって現れます。しかし、このような男性と女性の関心は、ヒト以外の動物の行動にも認められるため、必ずしも意識的なものではないと考えられています。

行動に見られる2つ目の性差は、投資が少ない方の性が、通常はオスだそうですが、通常はメスですが、投資の多い性をめぐって競争をすることだと言います。また、投資量の性差が大きいほど、その競争は激しい傾向があると言います。多くの動物で、このような競争は大きさと強さを使って行われるため、肉体的に大きいオスが勝つことになります。身体が大きく、強さも備えたオスは、他のオスとの競争で有利であるため、多くの種でこのようなオスの社会的地位が高く、メスとの配偶機会が多くなるのです。

地位が高いオスや、その他の方法で成功したオスは、メスを配偶者として単に「獲得する」わけではありません。むしろ、オス間競争に勝つということは、進化の過程でメスが選り好むようになった特質をもっているということなのです。成功した、強いオスが、身体の小さいメスを力ずくで屈服させているというよりは、多くの場合、メスが成功したオスを選んでいるのだと言います。これが性淘汰の過程なのです。性淘汰の過程では、メスがオスの特徴を選択することで、繁殖のために有利な特徴が引き継がれていくのだと言います。しかし、オスをめぐるメス同士の競争がないということではなく、実際に、メスにもそうした競争はあると言います。しかし、オス間の競争は通常肉体的で激しく、負傷することも多く、ダーウィンのゲームかららまとめて「締め出される」というのです。

3つ目は、母性は常に明白であるのに対し、父性は常に不明確ということだそうです。子どもを受胎し、胎児が育つのは女性の身体内であるため、母性は確実となります。それに対し男性は、妻の不義による他の男の子どもに対し、そうとは知らずに自身の資源を投資することになる可能性もあります。これは進化的観点からは、適応的とはいえないと考えます。以前のブログで紹介しましたが、現代のヒトの社会では、おそらく、妻の不義に対する父親の不安を軽成し、父親の投資の可能性を拡大するため、母親や母方の親族は生まれた子どもが父親に似ているというコメントをする傾向があるということでした。その時に驚くデータを知ったのですが、これを評価した最初の研究では、赤ちゃんの外見に関する全発言のうち、 80 %が父親に似ていることに触れており、母親に似ていることに触れた発言は20 %のみであったということでした。しかも、このような結果は、さまざまな文化で確認されているというのです。これに沿った結果として、家庭内での暴力に関するプログラムに参加した男性では、子どもとの関係性の質に関する評価が、父親と子どもの類似度と正の関連があり、配偶者が負った怪我の重症度とは負の関連があることが示されています。このことから、男性は、父親に似ているかどうかを、父性の指標としていることが示唆されます。

ホモ・サピエンスでは、この性差がやや大きいと言われています。他の多くの哺乳類のメスとは違い、ヒトの女性は月経周期を通じて潜在的に性的受容が可能だそうです。そのため、性交意欲を示すことが、必ずしも妊娠可能のサインではありません。同様に、他の多くの霊長類のメスが、性的準備と繁殖可能性があることを、たとえば、生殖器部が膨張するといった身体的に示すのに対して、ヒトの女性は、そのような信号を出しません。女性の排卵時期、つまり妊娠可能性が最も高い時期がいつであるかは、男性だけでなく、女性自身にもわからないことが多いのがヒトなのです。

女性の投資量

生態環境、成熟過程、子どもが必要とすることが種によって異なるため、オスが交尾後に行う子どもへの投資量も種によってさまざまだそうです。交接後、オスが子どもや子どもの母親に明確なサポートをまったく行わない種もあれば、オスが配偶者や子どもに食料をなえる種や、さらにはオスが子どもを背にして移動するなど「子育て」に多くの時間を費やす種もあります。しかし、 95 %以上の哺乳類のオスは、子の出生後に子への投資をほとんどあるいはまったく行わないそうです。

他の多くの哺乳類とは対照的に、ヒトの男性は頻繁に自分の子どもと相互作用をし、資源の提供も行います。しかし、すべての文化において、子どもを支援し、子どもと相互作用をもつ時間は男性よりも女性が長いと言います。たとえば、 6つの文化(ケニア、インド、メキシコ、フィリピン、日本、アメリカ合衆国)に関する研究では、子どもが母親と一緒に過ごす時間が、父親と一緒に過ごす時間の3 ~ 12倍だったそうです。この傾向は、家庭外で働く女性の多い西洋社会でも変わらず、生まれた子どもの世話を中心となって行うために育児休暇をとった父親たちにおいても、この傾向が認められたそうです。価値観の変化、特に労働力としての女性の社会参加が増したことによって、現代の西洋文化では父親が子どもと過ごす時間の長さが、母親が子どもと過ごす時間に近づいてきているようです。しかし同時に、母子家庭の子どもの数は1960年から4倍に増えています。つまり、今日では社会動向の影響を受けて、父親の投資量に変化が見られてはいますが、全般的なパターンとしては、最も女性解放の進んだ家庭や国であっても、依然として女性が男性よりも多くの時間を子どもの世話に捧げているのです。

このような子どもへの投資量の差は、行動の性差となって表れます。ヒトの女性の場合、性交によって受胎および9ヶ月の妊娠期間に至る可能性があります。さらに、今日の伝統社会では、そして私たちの祖先にとっては、子どもを産むということは、その後数年間、乳児の唯一の母乳という栄養源となるということを意味します。このように、女性にとって、親の投資は義務であり、またその量は非常に大きいものでした。科学技術の賜物である体外受精児を除き、乳児は、出生前も出生後も、母親からの投資なくして生存は不可能です。男性が投資をする可能性は、進化適応の環境においては女性よりも大幅に少なかったし、そして今日でも少ないですね。このため、女性は男性よりも性交渉の同意に慎重だと言うのです。女性は、自分の子どもの父親候補の、肉体的に健康で、強く、繁殖力がありそうか?というような質を評価するだけでなく、その男性の資源入手力である、裕福で、社会的地位が高いか、あるいは家族を支える能力があるか?など 、さらに、その男性がその資源を彼女や子どもに投資する可能性を評価しなければなりません。反対に男性は、将来の配偶者が有する資源や、それを共有できる可能性についての関心は低く、遺伝的適応度である、その女性は健康か?など、そして、その女性が子どもを受胎し、出産し、育てる能力に高い関心をもっています。このことは以前のブログでも紹介しました。

オスとメスの投資

進化論の中で、ヒトを含むさまざまな種の養育行動の特徴を最もよく説明しているのが、進化生物学者ロバーヴァースによる「親の投資理論」だそうです。この理論は、オスとメスの子どもの養育への投資量(子孫を生殖年齢まで育てることに関連するすべての行為)に対する繁殖への投資量、これには配偶者を探し、獲得、維持する行為も含みますが、この量のの比を説明する理論だそうです。養育と繁殖への投資比は、種、性別、そして環境条件によって変わってくると言います。ビョークランドが最初に考察しているのが、ヒトの子育てに関連する、この親の投資理論についてです。次に、親やその他の人が子どもへの投資を決定する際に影響を与える要因をいくつか取り上げています。また、その次で、「健康な心の発達に果たす親の役割の重要性」について考えています。そして、最後に、きょうだい関係のような親子関係以外の家族関係を取り上げ、兄弟姉妹との関係に対処するためにどのような進化がもたらされてきたかを考察しています。

生きることには繁殖と養育以上の意味がありますが、進化的な視点からはこの2つほど重要なものはありませんね。繁殖と養育はまったく別物ですが、共に繁殖の努力に関わっています。また、繁殖と養育は共に、適応度、つまり、自身の遺伝子を複製することに関連しています。きようだいやいとこなど、血縁者の生存を促進することによって自身の遺伝的適応度を高めることもできますが、自分の遺伝子を絶やさないためのより直接的な方法は、性交渉をもって、子どもを産むことです。しかし、子どもを産むことは、進化の流れの一部にすぎないとビョークランドは言います。どういうことなのでしょうか?

子どもが親からの支援を必要とする種では、親による保護がなければ、子どもは性成熟期に達し、生命をつなげていくことはできません。配偶者の選択および維持に、そして、子どもの養育に、どれだけの力と資源を注ぐべきか、各個体は、意識的にではなくとも「決定」しなければならないのです。もちろん動物は、捕食者を避け、身を潜める場所を探し、食料を獲得すること、食物がなければ別の資源を手に入れることにも、力を注がなければならないのですが。しかし、こうした資源は通常、配偶者を獲得し維持したり、子どもに栄養を与えたりするために用いられます。これが親の投資理論の中心思想だと言うのです。この考え方は非常に単純ですが、多くを説明する力があると言われています。親の投資理論は性差に関する研究によく用いられ、うまく適用されてきたそうです。

動物のオスとメスが行う投資は同じではありません。たとえば、ほとんどの哺乳類で、メスが行う子孫への投資は、オスよりもはるかに大きいのです。非常に単純な動物であっても、配偶子の大きさの違いから、メスの方が投資量が大きいことがわかると言います。卵子は精子よりも大きいため、生成に多くの細胞質、そして多くのエネルギーが必要です。メスの体内で受胎、妊娠が生じ、生後初期には母乳を唯一の栄養源とする哺乳類では、投資に見られる性差が非常に大きいです。それに引き換え、オスの投資は、理論的には交接をもって終わります。したがって、オスはメスよりも繁殖率が潜在的に高く、メスの受精後も繁殖の機会をさらに求めることができるのです。対照的にメスは、一度受胎をすると繁殖の機会は、少なくとも一時的には終わり、養育活動が始まります。その結果、典型的にオスは養育よりも繁殖に投資を多く行い、メスにはその逆のパターンが認められることになると言うのです。