fujimori の紹介

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価値あること

キャシーらは、優れた教育実践を行っている他国の事例を紹介し、すでに未開の地の開拓を始めた先人の足跡を追っています。

世界では、21世紀を生き抜くために価値のあることを学ぶ教育へ動き始めています。たプルッキングス研究所が開催したグローバル教育サミットには、国際的に労働環境が変化する必要があると考えている人々が集まっていました。その席でノーベル賞を受賞したシカゴ大学の経済学者ジェームズ・ヘックマンは「落ちこばれ防止法(NCLB)は完全におかしい」とあからさまに批判したそうです。

「21世紀スキル育成のための協同事業」のステファン・ターニップシードは、私達が直面している深刻な問題を次のように説明したそうです。「2015年には、世界の人口は72億人で、そのうちの40%がインターネットで繋がっていて、ネット端末の数は250億個に上った。これらの人々がうまく繋がることができれば、生産性はとてつもなく向上する。2020年になると、人口は115億人に膨れあがり、そのうちの半数以上が500億個のネット端末で繁がり、通信するようになると予測されている。技術の変化するべースはアフリカもアメリカも変わりない。地球上のどこでも、ロポットが人のすることに指示を出すようになるだろう。よくデザインされたロポットが、私達以上に動き、素晴らしい成果を出すようになるので、それを超えられるのは、創造的で、他者とコラボレーションできる人だけだ。にもかかわらず、現状の教育システムは、個人が知識を蓄えて学力と成功を勝ちとることを想定している。これでは、将来直面する世界に私達は全く太刀打ちできない。」

この本が日本で出版されたのは、2017年です。彼が説明した2020年には、思いがけず新型コロナウイルスが世界に流行し、彼の予言を加速させた面と、その歩みを遅らせた感があります。世界とはいかなくても、日本ではなかなか進まなかったネットでつながることは加速させたかもしれません。一方、その活用の仕方は、学校と個人や、会社と個人が多く、世界がつながることはあまり見受けられません。また、他者とコラボレーションすることが、国、地域、個人を分断する対策によって、遅れた感があるような気がします。

実は、世界の国々では、こうした危うい兆候を察して、グローバル化した世界における経済的未来は21世紀型の教育にあると強く認識して、動き始めていたのです。多様な文化的背景を持ち、政治的なシステムも異なる国々が、21世紀を生き抜くために価値のあることを学ぶ教育を目指すという点では一致しているのです。その中で、シンガポール、フィンランド、カナダ、ウルグアイは、既に学生達の将来に大きなインパクトを与える教育を実現しつつあるそうです。元々、創造性を伸ばす教育に価値を置いていなかった国、例えば中国やシンガポールなどでも、イノベーションを起こし、新しい間題に立ち向かう能力を育てることこそ、多くの仕事をロボットに手渡した後、人間がするに値する仕事を獲得する唯一の道だと考え、改革を進めているというのです。

ウェンディ・コップの「ティーチ・フォー・オール」や、ニューヨーク科学アカデミーは、地球規模の教育改革を構想しているそうです。なぜなら、タイの子どももスロベニアの子どもも、つまり世界中のどの国の子どもも共通したスキルを必要としているからです。

広い視野からの「成功」

キャシーの知り合いがティーチ・フォー・アメリカのボランティアでフィラデルフィアの学校に派遣されたときのことです。彼女は、「形容詞」を教えるように言われたのですが、教室の子ども達はそもそも「名詞」を知りませんでした。ですから「形詞は名詞を飾る言葉だよ。トラックとか子どもとかは名詞でしょ。このトラックが赤かったら『赤い』トラックって言うでしょ。この『赤い』が形容詞だね」というようなことを子ども達に伝える授業はできないのです。その日は、「形容詞の日」で、形容詞のリストを覚えさせる授業が求められたのですから。

アメリカ版の浦島太郎とも言える、ワシントン・アービングの書いた「リップ・バン・ウィンクル」の主人公は、突然、何年もの時の過ぎ去った、何もかも変わってしまった世界に放り出されるようだとキャシーは言います。しかし、そんな彼が昔から変わっていないと思える場所は学校に違いないと言うのです。これだけ「教育改革」が叫ばれ、大規模ン実行してきたはずなのに、化石のように変わらない場所が近代の学校なのだとキャシーは言います。

どうしたら、人々全てが広い視野で「成功」を提えるようになり、学習科学の発見を活かした方法で子どもが学び、社会的な存在へと育っていくのだろうかとキャシーらは問いかけます。さらに、「どうしたら、全ての子どもが健康で思慮深く、思いやりがあり、他者と関わって生きるのをサポートできるだろうか。どうしたら、子どもが学びを楽しむ環境の中で他者と協力し、創造的で自分の能力を存分に発揮する、責任感溢れる市民へと成長してゆくだろうか。更に、どうしたらこのピジョンをこれまでの教育改や教育産業が作り出した教育観に囚われた人達に浸透させることができるだろうか」と問いかけます。

まさに、この課題は、私たち日本に対しても言えることです。そして、それは、現在の教育の在り方を見直さなければならないということを示しているのです。日本では、9月入学が話題になりましたが、それは、単に始まりを、4月から9月にすればいいということではなく、現在の生年月日で子どもたちを区切るという学年というあり方を、もう一度考え直すということでもあり、一斉画一での教育のやり方を見直すことも必要になってくるのです。

こんな袋小路に立った時にどうしたらよいかということを考えるうえで、ドラッカーのことばキャシーは紹介しています。「もし未開の土地に今いるとしたら最初にどんなことをしたいか考えよ」と語ったのです。何の制約もなく、どんなことでもできる状態で真っ先にやってみたいことは何か想像せよといっているのです。もしそれが見つかったら、本来のミッションの意味であるキリスト教の「伝道」の如く、ミッションを未開の地に伝え続けること。このドラッカーのアドバイスはグローバル時代のピジネスを考える上で極めて大事な考えになっていると言います。そして、その言葉は教育においても同じことが言えるだろうと言うのです。

今回の新型コロナウイルスによって、生活、教育が変わっていきます。それは、確かに人類にとって未開の世界かもしれません。未開の道を行くことになるかもしれません。その時にドラッカーは、「最初にどんなことをしたいかを考えよ」と言っています。

成功の定義

教育市場は、これまでの教育の価値観に凝り固まった人達が生み出しました。本質からずれた製品やサービスで満ちているとキャシーは嘆いています。相変わらず、なるべく早い年齢から始めて、なるべく多くドリルを繰り返すことが、学校、そして世の中に出てから「成功」するために必要なのだという価値観が根強いのだと言います。

「セサミストリートのような、巻の教育と対抗する優れた例もありますが、教育市場に溢れてるのは、子どもがどう学ふかという最新の学習科学の成果とは無縁のものばかりであるとキャシーは言います。提供される製品やサーピスは、学力テストで点数のとれる子どもを育てたいという親の不安や欲望を煽ることで成りつていると言うのです。もし、テストの点数によって「成功」を測定できるなら、教わったことをきちんと記憶して、テストで点数をとることが「成功」の定義となります。

教育産業によって形作られた「成功」の定義が世の中に流布し、学校だけでなく社会においても「成功」する子どもをどう育てるのかという、学習科学によって提起された議論は全くなされない状況に追い込まれているのだというのです。

しかし、キャシーら学習科学者はあきらめてはいないと言います。2004年に、アメリカ連邦科学財団は「学習科学センター」というプロジェクトを立ち上げ、実験室だけでなく、学校や家庭に研究の場を移し、応用研究ができるようにする体制を整えたそうです。多くの科学者が集まり、子どもがどのように学ぶのが最適なのか科学的な証拠を集めているそうです。どのように脳は書かれた文字を処理するのか……地図を読む空間認知スキルを数学の学びとどう繋げることができるか……衝動的な判断を止められないことがどのように学びを妨げるのか……そして、コンピュータ・ネットワーク上の仮想的な空間において、自分の分身として表示されるキャラクターのことであるアバターを動かすバーチャルで得ハイテクな世界と、公園で遊ぶというようなローテクな環境とを学びの中でどのように両立させるのか。このことについては特に教育産業との連携によって考えないといけないとキャシーは言います。このプロジェクトで発見された事実は、これからのピジネス環境において求められていることと一致していると言います。21世紀の子どもを育てる上で本質的に求められることは、私達の経済発展を後押しすることに大きく繋がっているのだというのです。しかし教育産業が主となって作れている教育の現状は、キャシーら学習科学の研究者が抱いているビジョンとはかけ離れていると言います。これではいけないと解っていても、多くの教師が教科書通りに火曜日は3ページまで、水曜日は6ページまでというような教え方を続けているのだと嘆いています。

学びを産業化しテスト漬けにすることは教育のみならず、私達の未来をも台無しにしていると言います。この間題を象徴する悲しむべき事例をキャシーは挙げています。彼女の知り合いがティーチ・フォー・アメリカのボランティアでフィラデルフィアの学校に派遣されたときのことです。このティーチ・フォー・アメリカとは、アメリカ国内の一流大学の学部卒業生を、教育免許の有墲にかかわらず大学卒業から2年間、国内各地の教育困難地域にある学校に常任講師として赴任させるプログラムを実施する教育NPOです。このNPOは、2010年には全米文系学生就職先人気ランキングでグーグルやアップルを抑えて一位となったそうです。

教育業者

2000年代初頭、アメリカの子ども達の学業成績が他の先進国に比べて低いという事実が、アメリカ国家に衝撃を与えました。「PISAのスコア」「学力差」という言菜が、日常、当たり前のように交わされるようになり、アメリカ国民は不安を感じ始めました。経済を活性化するために、不安や恐れはマイナスでしかないとキャシーは言うのです。

2005年に、トーマス・フリードマンの著書「フラット化する世界」(日本経済新聞出版社)が大きな反響を巻き起こし、世界が均一化し、相互に複雑に結びつく中でどう生き残ってゆくかがテーマとなりました。生涯同じ仕事に就くことが考えられない時代に突入し、終身雇用は現実的でない制度下で、アメリカが国家を維持してゆくために必要不可欠だと考えたのは科学と技術だったのです。2007年に「困難な時代における困難な選択」というレポートが出され、これからの労働環境に適合した人材を育てるためには、子ども達の頭の中に沢山の事実を詰め込む必要があるとう考えが、あちこちで叫ばれるようになったのです。

当初は、大学進学適性試験であるSAT対策の個別指導を行う塾だったカプラン社は、同世代の仲間より一歩リードして将来の大学進学の準備を行うために、学齢期の子ども全てに対してサービスを提供する予備校へと大きく発展しました。カプランと公文を中心に、幼児教育ビジネスは活況を呈しているとキャシーは言うのです。

テスト業者も大きな利益を上げているそうです。「カンザス州の州都はトピカである」というような断片知識を覚えることを「成功」だと狭い意味で捉えている人々が多い中で、NCLBやコモンコアの指導要領に準拠したテストが急増するのは当然の流れでした。国家の定めた基準に従って、読解と計算の学びを行うカリキュラムとテストが数十億ドル規模の産業へと成長したのです。ある評淪家が「テストの中には金が埋まっている」と冗談を言ったそうですが、まさにその通りの状況なのだとキャシーは言います。

さらに彼女は、もう一つ忘れてはならないものがあると言います。それは「教育玩具」と呼ばれるおもちゃの存在です。おもちゃメーカーは「エデュテイメント」という言葉にいち早く反応しました。今やフラッシュカードだけでなく、ゲームやモビール、そのほかにも「教育玩具」が多数製造され、こちらも数十億ドルを稼ぎだすピジネスに成長しています。2009年には「教育玩具」の売上だけで、それ以外の、これまで売られてきた普通のおもちゃ全体の販売額を超えてしまっているそうです。

おもちゃに加えて、数え切れないほどの教育アプリが登場し、車や電車での移動の時に、子どもが文字や計算のドリルをするツールとして使われています。こうして子ども達は、着々と将来受験する「穴埋めテスト」の準備を始めているのだというのです。

低学年の子どもが、スマホ、タブレット、コンピュータなどでインターネットを使っている時間は1日4時間だそうです。これは、主婦のパートの仕事時間に匹敵するそうです。8歳を過ぎると、1日8時間、画面の前に向かっているという調査結果があるそうです。また幼児向けに24時間ずっと教育番組を放送し続けているスプラウトという局もあるそうです。

理数教育

日本の理数教育では、以下のような課題も指摘されています。国際数学・理科教育動向調査は、国際教育到達度評価学会(IEA)が4年に一度行っている、算数・数学、理科の各国の到達度を国際的に調査する一般的には「TIMSS」とよばれている調査があります。これも日本ではまずまずの成績です。小学校・算数では、1位シンガポール、2位香港、3位台湾、4位韓国、5位日本です。また、小学校・理科では、1位シンガポール、2位韓国、3位日本、4位ロシア、5位香港となっています。しかし、問題は、今後どうなるかということで心配されているのが、子どもの意識調査の結果です。「算数・数学が楽しい」と答えた子どもの割合は、増えているものの国際的な平均には及びません。そして「得意だ」と答える子どもの数は、あまり増えていませんでした。理科に関しては、小学校では「楽しい」「得意だ」ともに増えており、さらに国際平均を上回っています。しかし中学校になると、理科を「楽しい」と答える子どもは増えてはいるものの、国際平均を下回りました。「得意だ」と答える子どもは国際平均を下回り、前回より割合も減っています。

特に中学生の理数教育へのモチベーションが低いということが、日本の課題といえそうです。これは中学生になると、どうしても「受験のための勉強」という側面が強くなってしまいます。そこで、日本の理数教育では、「知識・理解に偏重しがち」「実験の結果を分析したり考察したりすることが苦手」ということが課題のようです。

もう一度、その後のアメリカにおける取り組みを見てみましょう。日本においても参考になる提案です。

アメリカでは、オバマ政権になり、教育改革の流れはコモンコアという全米共通学力基準を目指す方向へと変化しました。この基準は子どもに対してより良い教育ができているかどうか確かめるために作られました。この青写真を見る限り、意図は適切であり、素晴らしい構想だったとキャシーは言います。算数、国語だけでなく、科学や芸術も重視し、子ども達が知るべき内容を拡充しています。また社会的なスキルや、クリティカルシンキング・問題解決能力のような学び方を学ぶスキルも、21世紀の世界で成功するために必要な学習内容として取り入れているとかシャシーは言います。

しかし、コモンコアのような良識的内容を含む構想であっても、「成功」の定義については、これまでの考え方と変わらず狭いままだと言います。コモンコアの理念は誤解され、夫々の基準が成果目標となってしまいました。カリキュラム開発者は、決められた内容を決められた道筋で学ぶ方法を考え、この目標を達成したかどうかテストで判断することになったのです。キャシーらが、この書を書いている時点で、アメリカの43の州がこの学力基準を受け入れましたが、多くの人々が理念と現実の教育方法とのズレに対して抗議の声を挙げているそうです。学びの基準自体は価値あるものですが、テストのために準備する教え方は、そのまま続いていると言います。デビッド・コーンは、「ニューヨークタイムズ」で次のように述べているそうです。

「こうした教育ては、発見しイノベーションを起こす人々を育てることに失敗し、与えられた情報を消費する追随者を生み出すだけだろう。一体21世紀において、私達はどんな市民を育てたいのだろうか。」

学力格差

キャシーらは、自分たちのような学習科学者は、説明責任が不要だとは思っていませんし、本当の学びの姿を調べるテストにも反対してはいないと言います。しかし、彼女らは、大きな疑問を抱いていると言います。説明責任と言いますが、それは何のためのものなのか?学校や人生における「成功」をどのように捉えているのか?現在行われているテストが、これからの世界を子ども達が生き抜く時に必要なスキルを正当に評価していると言えるのか?健康で、思慮深く、思いやりがあり、他者と関わり、幸せな人になるために必要なスキルを子ども達に伝える教師の育成がそもそも行われていないのではないか?こうした疑問を解決する方向に改革が進んでいかない限り、支持するわけにはいかないのだというのです。

ブッシュ大統領に協力し、教育における説明責任を明確にするために中心的役割を果たした、ニューヨーク大学のダイアン・ラビッチに、キャシーらは同情せざるを得ないと言います。彼女と彼女のチームは、子ども達にとって良いと思われることを行い、低・中所得者の子ども達の学力格差を何とかしたいと考えていたのです。ブッシュ大統領によって作られたチームは、良い意図を持っていたのにもかかわらす、結果的に誤った方向に進んでしまったとキャシーは言うのです。ラビッチは、2010年の著書『偉大なるアメリカ公立学校の死と生』(協同出版)の中で、国家が犯した過ちを謝罪しているそうです。

NCLBは大失敗でした。しかしこの改革の流れは止まらないと言います。NCLBが導入された2001年に4歳だった子ども達が11年後、15歳になり、OECDが実施する国際的な学習到達度調査PISAテストを受けました。改革が成果を上げたのならば、他の先進国の生徒より良い成績を収めたはずです。しかし、数学の順位は調査に参加した30か国中、13位でした。読解については20位で、フィンランド、ポーランド、日本に及びませんでした。科学は23位という惨憺たる結果でした。事実を覚えというやり方は、PISAテストで良いスコアを上げることに繋がらす、21世紀における真の「成功」に向けて備えることでもなかったのです。

私たち日本ではどうかというと、詰め込み教育のように思えますが、意外とPISAの学力調査では、かなりの成績を取ります。だからといって、問題がないわけではありません。それは、時代が進むにしたがって、やはり教育内容がそれについていないかのように、毎年順位を下げているのです。2019年12月4日にPISA2018の結果が発表されましたが、2018年調査では、読解力が中心分野に設定されています。今回のPISAでは、全参加国・地域内での日本の読解力の順位が8位から15位に下がったことが話題になりました。また、2021年に実施するPISAの数学に関するテストでは、論理的な考え方や問題解決能力を重視する「コンピューテーショナル・シンキング」に関する問題が追加される予定だそうです。コンピュータサイエンス分野に関する学力が重視される国際的な調査はPISAが初になるとも見込まれていると言われています。このような動きにより、プログラミングを含むコンピュータサイエンス分野の学力が、今後、国際的にもさらに重視されていく可能性があるようです。

国家的課題

アメリカは、1994年3月31日に「2000年への目標:アメリカ教育法」という法案が成立し、21世紀の世界での競争力を維持するため、2000年までに読み書き、数学、科学について高レベルの学力を身につけることを目指すことになりました。しかし、アメリカ合衆国は、目指す教育の基準や目標が各州で違っていたため、国家で統一した教育基準を作るのはとても大変でした。結局、クリントン政権の時代は実際には何も教育を改善することなく過ぎ去ったのです。

これまでの流れを引き継ぎ、前例のないほど大きな教育改革の実現を目指したのは、ジョージ・・ブッシュでした。これまでも多くの大統領が、自身のことを「教育を重視する大統領」と呼んできたそうですが、ブッシュ政権が成立させた法律「落ちこぼれ防止法」が制定されとことは、非常にインパクトが大きかったとキャシーらは言います。この法律は、NCLB(No Child Left Behind)と呼ばれています。この法律によって、学校の説明責任を徹底させ、子どもの学びを国家的課題の中心に置いたのです。

すぐに改革の具体的道筋を検討するため学習科学の専門家が招集されました。会議のために集まった科学者達は、子ども達の学力差をなくすために、政策決定者と手を携え、本格的に改革に取り組む機会がついにやってきたと思い、大きな期待を抱いていたそうです。しかし、やがて何らかの政治的圧力によって、「落ちこばれを出さない」という大義の下に、国語や算数といった限られた教科の学力をテストの点数で評価することが改革の主眼になってしまったのだとキャシーは言います。算数で学んだことをプラウニーの材料の分量を測るために使うという学びや、criticalという言葉の意味を理解して使えるかどうか確かめるために実際に文章を書いてみるという学びは、見事に忘れ去られたのです。

この後、科学者達の最善の努力も空しく、結局採用されたのは、丸暗記した知識をただ吐き出すテストだったのです。アノリカの子どもたちは、国語と算数のトレーニングばかりやらされ、科学や芸術はないがしろにされ、教わったことをそのまま答え、空欄を埋めるテストを行う、時間のあまりかからない授業が中心となったのです。ペンシルバニア州では、ペンシルバニア・システムによる学力評価テストで、子ども達が学年相当の成績をとれるように二週間テスト準備に充てることが、授業カリキュラムの中に加えられているそうです。このテストは小学三年生から始まり、高校まで続くのです。

小学四年生の段階で、子ども達の人生の行方に大きく影響する学力テストが行われます。泣き叫ぶ子もいれば、不安に襲われたり、腹痛を起こしたりする子もいるそうです。「ニューヨークタイムズ」は、テストに苦しむ子ども達の姿を繰り返し報道したのです。

スタンフォード大学のリンダ・ダーリング=ハモンドは、2011年7月にワシントンDCで行われた、セープ・ザ・チルドレン・マーチに参加し、こう語りました。

「多くの人々は『なぜここにいるの?』と尋ねるだろう。……私たちがここにいるのは、21世紀を生き抜く子ども達のためであり、よリ良い教育を目指すという私達のミッションとは大きくかけ離れた、終わりなく続けられる多肢選択型テストのためではない。」

間違った教育改革

なぜ私達は、教育玩具の力まで借りて子どもの頭を事実でいっぱいにすることが「成功」への道だと思ってしまうのだろうかとキャシーは問いかけます。何十年にもわたって、私達は色々な方法で子どもにコンテンツを覚えさせようと躍起になってきましたが、その傾向は強まる一方だというのです。知識や技能というコンテンツは、これまで学びの王座に君臨し、特に人生を決めるような重要な評価をする際に用いられてきたと言います。しかし、そこには、これからの子ども達が必要とする、幸せで、社会的な、善き市民という要素の入る余地がまったくありません。どうして私達は、子ども達を、受け身で教わる対象として捉え、事実を覚えさせることを優先し、社会的になることは二の次と考えてしまったのだろうかとキャシーらは言うのです。

その経緯について、彼女らは、20世紀半ばまで遡って説明しています。当時、アメリカはソ連(現ロシア)と冷戦状態にあり、それが教育改革を促進させることになったのです。それは、アメリカ教育改革暗黒史の始まりだったのです。1957年10月4日の『ニューヨークタイムズ』の見出しは「ソ連、人工衛星スプートック打ち上げ」でした。この歴史的事件が史上空前の教育改革を引き起こすことになり、私達に大きな影響を与えることになったのです。そして、「ロシア人が勝ったのは、彼らの学校教育が優れているからだ」という議論が巻き起こりました。最早、字宙進出竸争に留まらす、将来の人類のため、そして世界の覇権を握るための競争へと発展していったのです。1年後の1958年、学生達の学業成績を向上するために作られた国家防衛教育法が議会を通過しました。特に数学と科学の教育を強化することが急務となり、1960年代には、教師達でさえ理解するために悪戦苦闘した「新数学」と呼ばれる新カリキュラムが導入されたのです。今でもこの流れは形を変えて続いており、STEM(Science Technology Engineering and Mathematics)と呼ばれる科学・技術・工学・数学を重視する教育の重要性が叫ばれています。

次世代のスプートニクを開発する人材を生み出すために、何百万人ものアメリカ人の子どもが進むべき道をどのように変えてゆくのか。この問いに答えたのが、1983年に発表された「危機に立つ国家』というタイトルの、簡潔でインパクトのある報告書でした。著名な科学者、政策立案者、教育者が作成したもので、私達の不安を掻き立てる書き出しで始まっています。

「私達の国家は危機に瀕している。かつて私達は、商業、産業、科学、技術革新の何れの分野においても他の追随を許さない優位を保っていた。しかし今や、世界中のライバル達に追い抜かれようとしている……一世代前、こんな事態に陥ると誰が想像できたであろうか。他国の教育レベルは我々に匹敵するどころか上回ろうとしているのである。」

11年後、クリントン政権において『危機に立つ国家』でなされた提言は「2000年への目標:アメリカ教育法」として法案が提出され、1994年3月31日に成立しました。これにより、21世紀の世界での競争力を維持するため、アメリカは2000年までに読み書き、数学、科学について高レベルの学力を身につけることを目指すことになりました。具体的な義務目標は「アメリカの学生は、数学・科学の学力で世界トップになる」「アメリカの全ての成人は、読み書きできる力と、グローバル経済で勝ち抜くために必要な知識やスキルを持ち、市民としての権利を行使し、義務を果たす」というもので、要求レベルが非常に高いものでした。

6Csのレベル

キャシーは、六つのCのレベルと全体像を示しています。
レベル1では、Collaborationにおいて、「自分自身がすべて仕切る」そして、Communicationで「感情のままに行動する」、Contentでは「特定の状況について限定的に理解する」、Critical Thinkingでは「見かけをそのまま信じる」、そして、Creative Innovationでは、「とりあえず試す。やってみる」、最後のConfidenceでは、「根拠なき自信を抱く」です。
レベル2になると、Collaborationにおいて、「横並びで勝手に進める」そして、Communicationで「一方通行でお喋りをする」、Contentでは「広く浅く理解する」、Critical Thinkingでは「自分の答えを絶対に正しいと信じる」、そして、Creative Innovationでは、「手段と目標を考える」、最後のConfidenceでは、「自分の実力を相対的に見極める」です。
レベル3になると、Collaborationでは、「やり取りしながら進める」、そして、Communicationで「対話して他者の思い・考えを理解する」、Contentでは「コンテンツ同士をつなげて考える」、Critical Thinkingでは「いろいろな意見・立場をどれも正しいと捉える」、そして、Creative Innovationでは、「独自の“声”を発見する」、最後のConfidenceでは、「新しい取り組みのリスクを計算する」です。
レベル4では、Collaborationでは、「それぞれの強みを生かし弱みを補い合う」、そして、Communicationでは、「対話によって互いが満足するストーリーをつくる」、Contentでは「専門領域について熟知し直感が働く」、Critical Thinkingでは「根拠に基づき熟慮して上手に疑う」、そして、Creative Innovationでは、「変革についての大きなビジョンを持つ」、最後のConfidenceでは、「熟慮した上で失敗にひるまず挑戦し続ける」です。
キャシーらは、6Csは、このようにして成長していくと言います。そして、これから必要に応じて、このレベルを何度も見直し、自分自身に問いかけることが必要であると言います。このレベルを見ながら、我が子はクリティカルシンキングのどのレベルに到達しているだろうか、どうやって我が子に裁縫道具を与えようか、というような問いを立ててみます。また、子どもにどこまでは自由にやらせ、どこに限界を設定するか考える時にも役立つというのです。学校から子どもが宿題を持って帰ってきたら、その宿題を評価し、子どもへの間いかけを考えます。歴史に関する宿題で、年号や歴史的人物の名前や場所を訪ねるような、調べれば解るような課題だったら、知識を教えようとするのではなく、知識を使って判断するような問いを子どもに投げかけます。歴史的遺跡について調べる課題に対して、我が子がその遺跡の写真をインターネットで見つけてプリントアウトして終わりにしていたら、クリティカルシンキングする力とコンテンツを選ぶ力を高めるチャンスです。どうしてこっちの資料の方が、あっちの資料より信頼できるのだろうか?そもそも信頼できる情報を集めるには、どんな検索ワードを使えばよいか。子どもと一緒に楽しみながら考えてゆこうと言います。
6Csを活用して、生涯学び続けるために必要な新しいタイプの成績表を作ってみることを勧めています。それは、コンテンツだけに注目した従来の成績表ではありません。これからの時代に相応しい「成功」を反映した共通の価観によって、できないことを学びの種としてどうしたらできるようになるか前向きに評価するものだというのです。キャシーらは、「成功」に対するイメージを広げ、子ども達が「成功」を手にするのを助ける新しい教育の実現に向けて勇気を持って前進しようと呼びかけているのです。

21世紀スキル

真に創造的な芸術家は古典的技術を学び、熟練した技術者や電気技師が優れた発明家として活躍します。創造的なアイデアは無から生まれることはありません。学習科学の研究によって、子どもの落書きからプロの画家になるまでの創造性の発達の道筋が明らかになってきているそうです。

仕事の世界はどんどん変化しています。これからの大学卒業者は生涯に10の仕事に就き、そのうちの8はまだ存在しない仕事だと予測されています。デジタルカメラに習熟しなければプロの写真家として生きていけませんし、紙に印刷する本を考えているだけでは出版社は生き残れません。知識によって経済は牽引され、働く人は常に新しい問題にぶつかり、商品のニーズは刻々と移り替わります。2010年の4月にipadが発売されて、あっという間にパソコン市場のシェアの大半を占めるようになりました。このような時代状況を考えれば、「21世紀スキル育成のための協同事業」が行った調査で、多くの経営者がより創造的でフレキシブルな労働環境を求めていると回答したのも頷けると言います。2010年5月にIBMが発表した研究によると、グローパル企業で活躍する1500人が、創造力と複雑さのマネージメントこそ、これから最も重要になる能力であると答えているそうです。

最後のCであるコンフィデンスConfidenceです。ある時は、お気に入りの分厚い本をドアストッパー代わりにするというつように、創造力が働きますが、別の時は、一生懸命考えても全く働きません。そんな時でも粘り強く取り組むコンフィデンス(自信)を持つことで、すぐ諦めることなく、失敗を乗り越えようとします。最初の解決法が、うまくいかなかった時、自分自身の気持ちと行動をコントロールすることが、粘り強く取り組みためには重要です。

落ちる危険性があるといってジャングルジムで遊ぶのを許されない子どもや、正解を出すことでのみ認められ、別のやり方で問題を解くことを奨励されない子どもをよく見かけるとキャシーは言います。学習科学では、教え込みたい気持ちの根底にある、失敗を恐れる気持ちについて多くの研究がなされています。子どもが熱いストーブを触って火傷しないように、雑踏の中を歩いているうちに迷子になってしまわないように、周囲の大人は子どもを保護しがちです。しかし、探索したいと強く思う気持ちと新しい考えを試してみようとするコンフィデンスがなかったら、エジソンは電気を発明することはできませんでした。知識労働者が主体となる時代に、経済を活性化するカギは、理性的に判断した上でリスクを積極的に受け入れる自信を持つことにあるとキャシーは言うのです。

彼女は、もしあなたが、子どもの発達と教育を学習科学者の目で見れば、あなたの子どもは思慮深く判断し、自信を持って行動する人として成長し、iPadに続く、それを超える発明をするかもしれないし、ヘミングウェイを超える偉大な作家になるかもしれないと言います。6Csはこのような「成功」に向かって用いる地図のようなものだと言います。6Csはばらばらの能力ではありません。夫々の「C」を共に用い、夫々のスキルが別のスキルの発達を促しながら、成功へ近づいていくというのです。