成績下位者の割合

独立後エストニア政府は学校システムの中央集権を廃し、各学校にカリキュラムや予算の決定権や教員の雇用、解雇の権利を与えるなど学校の自治権を拡大しました。各家庭は学校を選択する権利を持ち、その結果生徒の獲得を巡って学校間の競争が生まれたのです。学齢期の子どもたちの人口減少に伴い、エストニアの学校システムは、生徒の家の近くに必ず学校があり、しかも学校は存続のために十分な数の生徒を保持し、十分な科目数を提供できるように配慮しなければならなくなったのです。生徒が進路を決める中等教育において、このことは特に重要となります。

こうした状況下では財政的な間題が起こります。守備範囲の広い大規模校に投資するべきか、それとも地方の学校を守るべきか?です。現時点で、エストニアには先進国の中で最小規模の中等学校が存在しています。また、人口減少はエストニアの大学でも大きな問題となっているそうです。大学どうしで縮小し続ける入学候補者のパイを取り合い、さらに他国の大学との競争にも直面しているのです。エストニアの企業は、新卒の若者を確保できるかどうか危惧しています。

加えてエストニアの教員は高齢化しており、OECD加盟国の中でもその傾向は顕著だそうです。若手教員を雇用するために教員の給与は大幅に引き上げられましたが、教員は未だに人気のある職業ではないようです。

エストニアの教育は他の北欧やバルトの国同様、公費で賄われ、私立の教育はわずかしかありません。とはいえ、エストニアの教育支出は、ノルウェーほどは高くはありません。就学前教育の職員数は十分ですが、教員の給与は比較的低く、エストニアのGDPはOECD平均をはるかに下回ります。エストニアの教育の成功をもたらしたものは、決して教育支出の高さではないのです。

エストニアのPISA上位ランクインで注目すべき点は、成績下位者の割合です。科学的リテラシー、読解力、数学的リテラシーのPISA主要3科目での成績最上位者の割合を見ると、エストニアは優秀ではありますが突出しているわけではありません。エストニアよりも下位の国で、この割合が同等または上回るところもあります。例えばトップのシンガポールでは39.1 %がこのレベルに達しているのに対して、エストニアは20.4%です。

エストニアが世界のリーダーとして優れているのは、習熟度の低い生徒の割合が比較的少ないことです。エストニアの15歳で主要3教科の習熟度が基準を下回るのは、わずか4.7 %のみです。これはフィンランド、香港、シンガポール等の上位国よりも少なく、ドイツやアメリカの半分です。

次に、カナダをみてみます。カナダは2015年のPISAの成績上位国の一つで、読解力で3位、数学的リテラシーと科学的リテラシーで上位10位以内に入りました。これによりカナダは読解力と科学的リテラシーでフィンランドを上回ったのです。

カナダの教育システムは平等性を重んじ、移民の生徒を含む多様な社会背景の生徒からも良い結果を引き出すことができる点に際立った特徴があるようです。カナダの富裕層と貧困層の家庭の生徒の成績差は、国際的な基準と比較して小さいそうです。ここには家族の健康と福祉を支えるというカナダの国家としての精神が反映されています。

成績下位者の割合” への7件のコメント

  1. エストニアという国の教育事情はそのようになっているのですね。習熟度の低い生徒が少ないというのは多くの生徒に教育が行き届いているということでもあるのかと思うと、素晴らしいですね。様々な課題を知ると、そのような結果であることが不思議ではありますが、「独立後エストニア政府は学校システムの中央集権を廃し、各学校にカリキュラムや予算の決定権や教員の雇用、解雇の権利を与えるなど学校の自治権を拡大しました」ということがやはり功を奏しているのでしょうか。となると日本はやはり中央集権的な制度で運営されているということにもなるのでしょうか。個々にそれぞれが主体的になるためには、どうあるべきかという明確なメッセージが必要なのかなという気もします。職員組織もそうなのかもしれません。

  2. 「エストニアの教育の成功をもたらしたものは、決して教育支出の高さではない」という視点は、教育変革にとって大切にしなければいけないところですね。教育にお金をかけるということは、どうなって欲しいのかという目標を見通した支出の仕方が大事であることがうかがえます。また、「学校の自治権を拡大」したことで教育体制が大きくかわり、お金の動きなしにできることはないのか、または、今何ができるのか、最善策は何なのかなど、支出に頼ることのない現場の自由度も必要なのだと感じました。そして、成績下位者の割合が極めて低いエストニアの実態から、私立ではなく公立での統一性が関連しているようにも感じました。日本での公立と私立でのイメージとは全く異なる見方なのだろうなぁとも思います。

  3. エストニアの項を読み続けながら、2つのことが想起されました。1つは、PISA成績上位国フィンランドのことです。フィンランド教育大臣が一人の落ちこぼれ生徒を出すことによって国家が蒙る損失は大きいという類のことを言っていました。もう1つは、21世紀に入ってアメリカ合衆国の政権の座についたブッシュ大統領の「落ちこぼれ防止法」=No Child Left Behind法のことです。考え方は良かったようですが、現場は成績が測定される科目だけを重要視し、後の教科がなおざりにされたとか。しかも、詰め込み的教育が横行し、結果としてこの施策は失敗したとか。エストニアの「習熟度の低い生徒の割合が比較的少ないこと」はフィンランド的なのでしょうね。日本の学校の先生方も「おちこぼれ」をなくすことに必死だと思います。「習熟度」を測るということが重要ですね。最近は、数学などで習熟度別クラスを導入している学校があるようですが、「習熟度の低い生徒の割合」はかつてに比べてどうなのでしょうか?ファクトフルネス。実態を知りたいものです。

  4. 国家としての精神が反映されていると締められていました。しっかりと教育が社会に還元されていて、より良い社会を築くために各国の教育がなされているのだろうと、今回の内容から感じました。
    日本においては、そうした精神が明確に示されていないように感じます。教育を通して何を目指すのか、その為に教育目標として何を掲げているのか、私が知らないだけかもしれませんが。

  5. エストニアという国は日本とはだいぶ異なる形態で教育が行われていることが伺えます。〝エストニアの教育は他の北欧やバルトの国同様、公費で賄われ、私立の教育はわずかしかありません〟とありましたので、日本では私立の学校がたくさんあることに対して、エストニアでは公立学校がほとんどということなんですね。その公立学校でどの学校でも同じ教育しているので「機会均等」になるのでしょうか。富裕層も貧困層も分け隔てなく教育の機会を得ることができているという点でも成績下位の割合が少ないことの要因であるように感じました。

  6.  落ちこぼれを作らない。エストニアはすごいですね。さくらしんまち保育園では落ちこぼれをどう考えますかと問われたらどう答えるか自問してみました。落ちこぼれの定義を変えて落ちこぼれなんていないと情緒的に答えるのは簡単です。多様性と受け入れてしまっては責任放棄です。そうして誤魔化していては日本の教育は向上しないでしょう。そこまでは分かる様になりました。生活と遊び、経験と関わりからの学びをその子その子の段階に合わせて施していく仕組み作り、意識作りが今の私にできることです。

  7. 先日見た番組で、出生率の低下から少子化が進み、今の子たちが高校、大学と学生生活を送る頃にはどの学校も定員割れを起こしていて、入りたい学校に入れる、というものでした。これからの20年も経たない間に、そういう意味でもテストや試験は意味を持たなくなりそうですし、どのような教育を学校が施すのか、ということはとても重要になってくるのではないかと想像します。

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