異なる社会的民族的背景

カナダの学校では移民の生徒の割合がかなり多いそうですが、移民でない生徒と比べてその成績はほぼ同レベルだそうです。フランス語圏、英語圏の人々やファースト・ネーションの先住民たちがすでに居住している国に移民が入っていた歴史を鑑みると、カナダの学校システムは共生のお手本のようなものだと言います。カナダの取り組みで特にユニークなのは、様々な文化から学びをカリキュラムに取り入れていることだとシュライヒャーは言います。それにより、早い段階で生徒に多様な視点から世界を見る力を身につけさせているそうです。教員も生徒が多様性を積極的に受け入れるように指導し、異なる社会的民族的背景の生徒も成功体験を得られるように指導法を工夫しているそうです。

カナダのPISAの成績は国全体としてのスコアですが、教育システムは州や地方ごとに運営され、各地区の学校システムは地方自治体が管理しています。一つの国としてのシステムが存在しない場合、PISAにおけるカナダの好成績の要因をどのように分析すればいいのかが課題だったようです。厳格な集中管理の賜物としての教育システムの成功例もある一方で、カナダは責任分散型のシステムによって成功しているとシュライヒャーは分析しています。

カナダはPISAで上位を占めていることに加えて、高等教育を受けている成人の割合も極めて高いようです。カナダの若者が、他のほとんどの国よりも読書好きであることも、社会全体の教育程度の高さを示していると言います。

では、カナダの学力の高さの背景にはどのような要因があると考えているのでしょうか?

PISA上位国の大半と同様にカナダの教員採用制度は厳格で、質の高い、そして給料の高い教員からは成績優秀な生徒が排出される傾向にあると言います。

しかし、カナダで最も着目すべきは、大量の移民の生徒を学校に受け入れられる許容容量です。PISAの結果によると、移民の生徒だからといって決して同級生よりも成績が劣ることはありません。ワールドクラスの学校システムが、その水準を下げずに移民の生徒を受け入れていることが示されているそうです。

現在カナダの移民のほとんどは中国、インド、フィリピン、パキスタン等のアジア諸国の出身だそうです。これらの移民の大多数がモントリオール、トロント、バンクーバーといった大都市に向かっています。しかし、PISAの結果によると、新たな移民の生徒は到着から3年以内に、移民以外の同級生の成績に追いついているそうです。

この理由を、いくつかシュライヒャーは考えています。

そもそもカナダは比較的人口の少ない国で、経済発展のために移民を歓迎してきた歴史があります。新たな移民の多くは専門職を求める教育程度の高いかぞくだそうです。その子どもたちは、第二言語を習得しなければならないとしても、すぐに他の同級生に追いつくことができます。つまり、こうした移民たちはカナダの学校の教育を受容する能力をすでに備えているということだと考えます。

成績下位者の割合

独立後エストニア政府は学校システムの中央集権を廃し、各学校にカリキュラムや予算の決定権や教員の雇用、解雇の権利を与えるなど学校の自治権を拡大しました。各家庭は学校を選択する権利を持ち、その結果生徒の獲得を巡って学校間の競争が生まれたのです。学齢期の子どもたちの人口減少に伴い、エストニアの学校システムは、生徒の家の近くに必ず学校があり、しかも学校は存続のために十分な数の生徒を保持し、十分な科目数を提供できるように配慮しなければならなくなったのです。生徒が進路を決める中等教育において、このことは特に重要となります。

こうした状況下では財政的な間題が起こります。守備範囲の広い大規模校に投資するべきか、それとも地方の学校を守るべきか?です。現時点で、エストニアには先進国の中で最小規模の中等学校が存在しています。また、人口減少はエストニアの大学でも大きな問題となっているそうです。大学どうしで縮小し続ける入学候補者のパイを取り合い、さらに他国の大学との競争にも直面しているのです。エストニアの企業は、新卒の若者を確保できるかどうか危惧しています。

加えてエストニアの教員は高齢化しており、OECD加盟国の中でもその傾向は顕著だそうです。若手教員を雇用するために教員の給与は大幅に引き上げられましたが、教員は未だに人気のある職業ではないようです。

エストニアの教育は他の北欧やバルトの国同様、公費で賄われ、私立の教育はわずかしかありません。とはいえ、エストニアの教育支出は、ノルウェーほどは高くはありません。就学前教育の職員数は十分ですが、教員の給与は比較的低く、エストニアのGDPはOECD平均をはるかに下回ります。エストニアの教育の成功をもたらしたものは、決して教育支出の高さではないのです。

エストニアのPISA上位ランクインで注目すべき点は、成績下位者の割合です。科学的リテラシー、読解力、数学的リテラシーのPISA主要3科目での成績最上位者の割合を見ると、エストニアは優秀ではありますが突出しているわけではありません。エストニアよりも下位の国で、この割合が同等または上回るところもあります。例えばトップのシンガポールでは39.1 %がこのレベルに達しているのに対して、エストニアは20.4%です。

エストニアが世界のリーダーとして優れているのは、習熟度の低い生徒の割合が比較的少ないことです。エストニアの15歳で主要3教科の習熟度が基準を下回るのは、わずか4.7 %のみです。これはフィンランド、香港、シンガポール等の上位国よりも少なく、ドイツやアメリカの半分です。

次に、カナダをみてみます。カナダは2015年のPISAの成績上位国の一つで、読解力で3位、数学的リテラシーと科学的リテラシーで上位10位以内に入りました。これによりカナダは読解力と科学的リテラシーでフィンランドを上回ったのです。

カナダの教育システムは平等性を重んじ、移民の生徒を含む多様な社会背景の生徒からも良い結果を引き出すことができる点に際立った特徴があるようです。カナダの富裕層と貧困層の家庭の生徒の成績差は、国際的な基準と比較して小さいそうです。ここには家族の健康と福祉を支えるというカナダの国家としての精神が反映されています。

エストニアの教育改革

シンガポールでは、厳しく統制された管理制度により、一定の質が確保されています。一人ひとりの教員が同じ「生産ライン」から生まれ、同じ水準を満たすべく、全ての教員が同じ機関で教育されます。全ての学校に最高の教員が平等に配置されます。教員は自分たちに寄せられている期待について明確に自覚したうえで学校に着任し、その見返りとして高い社会的地位と世間からの尊敬を得るのです。

シンガポールの物語は、より良い未来を求める貧しい小国の話です。教育システムは夢の実現に向けて改善し、段階ごとに修正しなければならなかったのです。この国は、比較的短期間に教育についてどれだけ多くのことを変えられるかを示しました。教育水準の向上により、シンガポールはグローバリゼーションの犠牲者ではなく、受益者となり得たのです。シンガポールの学校システムは、今やワールドクラスです。次なる課題は、その地位を維持することにあると言われています。

ここ数年、このシンガポールで藤森メソッドなる乳幼児教育が実践され始めています。もし、このような教育改革を今後維持するために、乳幼児からの教育が必要であるということに気がつき、その実践を始めたのであれば、大いに応援したいものです。同時に、その責任を感じます。

次に、エストニアを紹介していきます。エストニアは2015年のPISAの数学的リテラシー、科学的リテラシー、読解力の成績で上位10位以内にランクインしました。

このパルト海の小国は、特にPISA2015の数学的リテラシーと科学的リテラシーでフィンランドに追いついて以来、その成功を称して「新フィンランド」と呼ばれています。1990年代のエストニアの教育改革の際は、フィンランドの専門家たちが助言しました。確かに両国の教育システムの成功の要因には、ある共通点が見られます。戦略によるものなのか、文化的傾向なのか、両国の教育システムには機会均等の精神が強く根付いているようです。これは、富裕層と貧困層の生徒の成績差が少ないことにはっきりと表れているようです。

エストニアの社会経済的地位の影響は、他のほとんどの国に比べて著しく弱いのです。この点でエストニアは、社会経済的地位と学校での成績に密接な関連が見られるオーストリア、フランス、ドイツ等よりは、カナグ、香港、ノルウェーに似ているようです。

PISA2015でのエストニアの成績において、特に注目に値するのは成績優秀者の多さではなく、主要3教科のいずれも成績下位にエストニアの生徒がほとんど含まれていなかったことです。

就学前教育でも機会均等が確保されており、学校システムと連携しているそうです。義務教育が始まるのは7歳からですが、3~4歳児の大半が公立の就学前教育機関に通っています。これらの就学前教育における教員対児意の割合は平均の半分だそうです。

学齢が進み中等教育においても、エストニアの中等学校卒業率は工業国の中でも上位国の一つとなるほど高いそうです。家庭の状況にかかわらず、全ての子どもたちが良質の教育を受けていることがわかります。

考える学校、学ぶ国家

さらに、シンガポールにおける教育中心の一連の改革を見ていきます。シンガポールでは、一貫した教育システムが確立されていきました。大量の教員が採用され、学校が建設され、教科書が印刷されました。10年のうちに全ての子どもたちが初等教育を受け、1970年代までに国民全てに前期中等教育の機会が提供されたのです。

この段階での教育水準はそれほど高くはありませんでしたが、シンガポールがサバイバルから効率化へと歩みを進めた1970年代末に、新たな産業発展に伴い教育水準向上の取り組みもおこなわれたのです。これは賃金もスキルも低い経済から国際ハイテク企業を誘致できる高いスキルの労働者のいる経済への発展をめざす取り組みだったのです。こうした経済発展は、新カリキュラム導人や、学問コースと職業訓練コースの振り分けといった教育システムの徹底的な見直しによって達成されたのでした。1990年代初頭には、職業訓練学校の地位と質の向上および大学に匹敵する技術訓練の提供のために技術教育機構が設立されました。

1990年代の終わりには、知識基盤経済に備えるべく教育システムはさらに洗練されていきました。シンガポールが知識型グローバル経済に立ち向かうには、スキルの高い労働力が必要でした。より深くより効率よく学ぶという理念は「教えることを減らし、学ぶことを増やす」(Teach Less. Learn More)キャンペーンとして具体化され、「考える学校、学ぶ国家」政策に沿ってリー・シェンロン首相が推進しました。

こうした展開の根底には、教育改革が大切だというゆるぎない信念があったのです。この取り組みは何十年も継続し、国政と公的支出が支える計画的なものでした。2010年のシンガポール政府の教育支出は全体の20%を占め、防衛費を除けば最大規模の項目となったのです。国家の野心という観点で見たとき、教育支出は国の利益を生む重要な経済投資なのです。

経済や雇用主の要請と教育との連携は、高度に統合されたシステムの一環を成しています。学校や個人には期待される明確なゴールが定められ、厳格な試験制度と高度な学間水準が設けられています。教育による成長は社会移動を促す実力主義社会を生み、生徒は能力があれば最高の成功を収めることができるのです。しかし、いくらこのように円滑に運営されるシステムでも、実現のためには生身の人間が必要とされます。シンガポールの教育の成功でたびたび強調されるのは教員です。シンガポールは、最も優秀な卒業生から教員を採用し、その後も充実した研修でモチベーションを維持するという、教員採用方針のモデル国となっています。

シンガポールは最も優秀で有能な教員を学校に引きつけるために質の高い教員の採用・教育方法を導人しました。さらに教員が常に時代に応じたスキルを維持できるように採用後の研修にも大変力を入れているそうです。これらの優秀でやる気に満ちた教員が、さらにその能力開発に意欲を持ち続けるように年に100時間の研修を受講できるのです。

強い意志

教育成果を向上するためには、投資よりも必要なものがあるとシュライヒャーは言います。全ての子どもたちの成功を信じることもその一つだと言います。西洋諸国の生徒が良い成績は遺伝によると考える場合が多いのに対し、東アジアの生徒の大半は努力の結果だと固く信じているようです。これは教育や社会環境によって、成績向上をめざす価値観の浸透が可能なことを示唆しているのです。

また、学校システムの質が教員の質を上回ることはないと言います。ワールドクラスの学校システムでは、必ず教員や指導教員の選考に細心の注意が払われます。どこに投資するかを決める際は、クラスの規模よりも教員の質を優先するのです。そして教員のキャリアアップのためにさらに学ぶ機会を提供します。また、ワールドクラスの国や地域は行政主体の管理責任体制から、教員主体の職務体制に移行しています。こうした国や地域の教員は、教育方法を改革し、自分自身と同僚の教員たちの指導力を向上し、より強力な教育実践に向けた能力開発に取り組むよう奨励されているのです。

これまでにすでに明らかになったように、成績上位国となるかどうかを決めるのはその国の場所や財力や文化ではありません。それは、自国の教育システムの足りない部分や不均衡を正確に見極め、是正に向けて資源を活用し、強い意思で改革をおこなう機動力です。ここで、成績上位5か国の教育システムのスナップショットを見てみます。

最初は、シンガポールです。シンガポールは2015年のPISAで他のどの国や地域、経済圏よりも高い得点をあげました。人口500万のアジアの都市国家の偉業は大いに話題を喚起し、各国はこぞってシンガポールの足早の成長から教訓を学ぼうとしました。

シンガポールの成長で最も目を引くのは、その成功が著しく低いレベルから出発したことです。1965年に独立したシンガポールは天然資源に乏しく、国民の識字率も低い貧困にあえぐ国でした。学校や大学もほとんどなく、経済も開発途上で未発達の、言語も宗教も異なる多民族からなる国家でした。

しかし、50年の間に、シンガポールはヨーロッパや北米、東アジアで成長を遂げた近隣のライバル国を追い越し、ゼロから国際的なトップレベルに上りつめたのです。一世代よりもわずかに長い期間に「第三世界」から「ワールドクラス」へと躍進したのです。

この成功の要因は何なのでしょうか?

シュライヒャーは、おそらくその第一は意思であろうと言います。シンガポールの教育改革は単なる偶然でも自然現象でもありません。教育によって経済発展をもたらそうという意図的な決定によるものです。教育が経済成長の原動力となったのです。

天然資源を持たず、近隣には大国が存在するシンガポールにとって、国民の教育こそが最大の資源であり、新興国建設の要でもありました。教育は、共通のアイデンティティを形成し、多民族多宗教の国民を一つにしたのです。

教育中心の一連の改革はシンガポールに経済成長をもたらし、その成長をさらに強固なものとしました。独立後の数年間のシンガポールは、まさにサバイバルの時期でした。教育システムは、海外企業誘致をめざす経済活動の担い手としての国民への基礎教育の充実に向けて発展していきました。

教育支出

シュライヒャーは、以前にも述べているように成績上位国では、小規模クラストより良い教員のいずれかを選択しなければならない場合、より良い教員を選択しているようだといいます。その代表国として、彼は日本を例に挙げているのですが、今回それほどでもありませんが、日本でも小規模クラスを目指そうとしています。それは、西洋諸国の多くは小規椣クラスを選択しているからということもあるのかもしれません。しかし、成績上位国での取り組みにおいて、クラス規模よりも良い教員育成に力を注いでいる代表の日本として、今後どのような結果が生まれるのか問われてくるでしょう。

2006年から2015年までの初等教育、中等教育、中等後非高等教育の教育支出は、OECD加盟国全般にわたり20 %近く増加したそうです。にもかかわらず、同じ期間に大半の加盟国は、小規模クラスを優先し、より資の高い教員や授業時間の充実、生徒への個別対応および教育機会の均等を後回しにしたとシュライヒャーは指摘しています。世論による圧力と人口動態の変化を受け、政府は中学のクラス規模を縮小し、OECD加盟国全般では平均6 %の減少となったようです。保護者や教員の意見に引きずられ、長い目で見て子どもたちを成功に導くような予算配分ができなかったとシュライヒャーは言っています。たしかに日本でも保護者や教員の意見に引きずられているきらいはありますね。

大規模クラスを採用する国の教員の給与水準は高いと言います。教員に満足な給与が支払われていれば、より上位の教員養成機関から優秀な教員候補者を採用できます。そうすれば教員は教職に留まり、頻繁な教員の交替や教室での専門補助職員の要請も少なくなります。教員養成機関の数も少なくてすむため、より多くの予算を配分できます。質の低い教員を給与水準の低い機関で養成するといった一見低コストに思われる方法は、全ての費用を勘案すると最終的には高くつく結果になると言うのです。

給与が低い教員を雇用すると、学校はより多くの専門職を必要とし、さらに専門職を監督・調整する管理者も必要とします。トップクラスの国や地域は教員に比較的高い給与を支払いますが、管理者や補助専門職は少なくてすみます。そのためコストは低く抑えたまま、より質の高い教員の雇用が可能となるのです。このように、個々のコストを切り離して見るのではなく、全体としてのシステムのあり方を考え、実質的なコストに注目することが大切だとシュライヒャーは言うのです。

要はスキルと投資の関係は、かなり非対称ということなのです。スキルは磨くほど個人と国に一定の利益をもたらしますが、より投資したからといって教育の質は上がらないのです。

PISAの調査結果からは、幾つかの国や地域が国民の教育に対する改革や投資に体系的に取り組んで自己改革を成し遂げ、教育制度の相対的な存在感を根本的に高めた事例を見ることができると言います。これは、世界がもはや豊かで教育の行き届いた国と、貧しく教育の行き届かない国とに分断されていないことを表していると言います。どの国も優れた教育システムの開発へと踏み出すことが可能であり、もし成功すれば大きな成果が得られます。それはより良い生活、より良い仕事をもたらし、社会を前進させるのです。

成都市の取り組み

中国の成都市の教育を10年間で急連に改革した立役者の一人であるフ・ヨンリン副市長は中国の現時点での学習曲線、グローバリゼーションにおける中国の果たすべき役割、そして様々な文化や知識を理解する入り口としての教育の大切さを強く認識していたそうです。また、教育そのものの本質を変えねばならないこともよく理解していたそうです。OECD加盟国にも、教育の未来に向けたシュライヒャーらの取り組みに懷疑的な国が見受けられる潮流の中で、なぜ彼を始めとする幾つかの自治体のリーダーはそんなに熱心なのかと聞いてみたそうです。すると彼は、シュライヒャーを見て「現在、成都市はデジタル製品の世界の工場として、1400万人に仕事と富を供給している。2年以内にこれらの仕事は全てロポットによっておこなわれるだろう。我々の課題は、新たな仕事を生み出すだけではなく、人間がロポットよりも上手くおこなえる仕事を生み出し、ロポットとは違った思考で働ける人間を育てる教育をおこなうことだ」と述べたそうです。

しかし、以前シュライヒャーが述べたように教育システムは予算を増やすだけでは改善できません。たとえば、ある二つの国の教育支出が同様に高額だったとしても、その結果は大きく異なるものだと言います。言い換えれば、教育支出が最小限の基準値に達していれば、その金額の多さよりも、使いみちに左右されると言うのです。OECD加盟国の平均的な国がトップレベルの成績に上昇するには、教育システムの効率を徹底的に改善するか、または莫大な教育支出の増額を迫られることになるだろうと言うのです。

ほとんどの政府が直面している厳しい財政難は当分改善の兆しがなく、今後の教育支出の増額も見込めません。したがって、与えられた予算でいかに多くの成果を上げるかが課題となるのです。ワールドクラスの教育システムを持つ国や地域から、幾つかの事例をシュライヒャーは紹介しています。

まず彼は、日本を例に挙げています。日本では、ほとんどのOECD加盟国のように贅沢な校舎や豪華な教科書、高額なスポーツイベント等にはあまり予算をつけず、財源の大半を中核となる教育実務に投じていると言うのです。剰余の一部は教員への比較的高い給与として充てられ、その他は納税者に還付されると言うのです。実際、2014年の日本の公的および私的教育支出はGDPの3 %で、OECD加盟国ではチェコ、スロパキア、ハンガリーについで4番目に低いのです。私は、これは恥ずべきことで、決して褒められることではない気がするのです。

また、支出を仰えて改善するもう一つの方法は、教育システムそのものの仕組みを変えることにあると言います。日本の学齢期の子どもたちの人口が減少に転じるまでは、アメリカと日本の生徒数に対する教員数の割合はほぼ同じでした。しかし、日本では引き続き大規模クラスが維持され、一つのクラスの人数がアメリカの2倍になることもあります。そのため日本の教員は授業の準備により多くの時間を割いたり、課題を抱える生徒について他の教員と相談したり、授業についていけない生徒に個人指導することができると言うのです。アメリカと日本の生徒数対教員数の割合における支出は同程度ですが、日本の政策立案者は大規模クラスを維持することで教員により多くの準備時間を与え、生徒へのきめ細やかな対応を可能にしたと見ています。反対にアメリカは小規模クラスを選択したことで、教員の準備時間と生徒への個別対応に割く時間が少なくなっていると言うのです。

シンガポール教育省

シンガポールの教育省には改革継続の気風が根ざしており、常に上手く行っていることとそうでないことを診断し、政策の計画や実施を発表する際には世界各国のデータと専門家の経験の両方を用いているそうです。教員の能力開発プログラムは、大学の学部の利益ではなく教員自身のために作られます。一般的に教員は初年次に教育実習をおこない、その後修士課程でこの実習体験を理論に組み入れた中堅研修に参画するのです。

シンガポールでシュライヒャーが一番感銘を受けたのは、教育省、国や地方、さらに大学や工科大学、専門学校等、どこへ行っても共通の大きな目標に向けて明確に一つの照準を定めていることだったと言います。教員が研究、政策立案、行政、教職の職種間を移動できるとても風通しの良い制度があり、実際に何度も職種間を渡り歩くことは珍しくないそうです。政策、研究、教職が密接に連携しているため前向きでダイナミックなビジョン構築が可能なのです。教育は状況に、合わせて変化し、過去にとらわれて停滞することはありません。

「マイルストーン・コース」と呼ばれる取り組みでは、全省庁のトップクラスの官僚が集まり、共通の国家目標を策定します。「夢、計画、実行」というスローガンは、シンガポ一ルの行政方針を的確に表現しています。

シンガポール政府は国民のスキルと経済成長の密な関係を理解しており、教育に何が必要かとう明確なビジョンを持っています。教育省がこのビジョン実現をめざす政策を立案する一方で、教員は主として国立教育研究所で年間100時間の能力開発プログラムを受講します。さらに国立教育研究所は、教育改革を含む改革計画立案にも協力するのだそうです。

次に、シュライヒャーは、教育費を「より多くではなく、より賢く支出する」ことを提案しています。彼がPISAで成績上位の国々から最初に学んだのは、これらの国や地域のリーダーたちが、何よりもまず教育が大切であると国民に納得させていることだったそうです。こうした国や地域では、新しいショッピングモールよりも、設備の整った学校のほうが人々の注目を集めます。中国の保護者はとっておきの人民元を子どもたちの教育に注ぎ、子どもたちの将来、国の未来に投資します。ヨーロッパでは、ほとんどの国が現役世代の消費の資金源として次世代から借金をし始めていると指摘します。経済社会の発展に伴って債務は膨らむ一方だと言うのです。

2013年、シュライヒャーは中国の成都市の教育を10年間で急連に改革した立役者の一人であるフ・ヨンリン副市長と昼食を共にしたことがあったそうです。その際、副市長が述べた「世界における中国の影響力は、その製品や生産量ではなく、グローバルな知識の蓄積や文化に貢献できるかで決まるのだ。それは教育を通じて得られるものだ」という見解に大変興味を抱いたそうです。大卒の平均給与が大都市で働くメイドの給与を若干上回る程度でしかない中国では、高収人だけでは教育の動機づけにはなりません。中国の政治的社会的なリーダーは、目先の消費よりも教育や国民の将来に価値があるのだと国民を説得する力をまた有しているようだったそうです。

また、副市長は、「無からは何も生まれない。全ての背景には歴史がありそこから発展している」と話したそうですが、過去を保存しその上に蓄積することと、新たな変化を受け入れることを両立している点にもシュライヒャーは感銘を受けたそうです。

教育システムの矛盾

ドイツでは、連邦政府による教育研究の支援以上のかかわりを憲法が禁じているそうです。しかし、政府は過去10年間の最も重要な改革の多くに対して刺激とアイデアを提供しました。例えば、州大臣評議会が運営する州単位で国家基準や報告制度を確立し、監督してきましたが、コンピテンシーに基づく学校スタンダードの概念を作ったのは連邦政府だったそうです。

今日の教育システム全般の傾向は実に矛盾だらけだとシュライヒャーは言います。人々は社会の要請に教育成県が追いつかないと懸念しており、一方で教育者は、教育改第のスピードが速すぎて堅実に実行する時間も場所も足りないと不満をつのらせています。改革のスビードが遅すぎる、あるいは速すぎるという議論の背景には、改革の方針と内容における方向性と足並みの乱れがあるとシュライヒャーは考えています。学校管理職や教員が政策立案にかかわることは稀で、メディアを通じて初めて知ることもあるようです。彼らは大局を把握していないため、政策の成功に不可欠な、意図を実行に移す綿密な連携作業に加われないのが現状です。

一方、政策立案者が前任者の意志を引き継ぎ、それを成就しようとすることは稀のようです。何もかもを変えることが改善だと思いこんでいるからです。そして、概してすでに山積している政策課題にさらに自らの提案を上乗せしたがります。その結果、目先だけのちぐはぐな状態となり、政策が変わるたびに方針転換を追られる現場の教員からの信頼を失うことになると言います。

学校制度の改善に求められるのは、一貫性と継続性だと言います。改善する内容には、カリキュラムや財政、あるいは教員の支援方法等が挙げられますが、そのいずれもが首尾一貫したビジョンのもとに、同じ方向に向けた過程をたどる必要があると言います。

しかし、改革の道筋は平坦ではないと言います。しばしば政策論争に阻まれ先行きが見えなくなります。政治や経済の間題と異なり、政策を実行に移す力量を備えた教員と学校がまだ国に存在しない場合には、中央の行政管理専門家の自律性に任せるのは逆効果だと言います。生徒が学ぶべきことと生徒ができることについての合意がなく、また水準が十分に高くなければ、権限を委譲するのは問題だと言います。優秀な教員を採用しても、導人研修が不適切なために不満を抱いたり、官僚主義の押さえつけにやる気をそがれて教員をやめることになっては台無しだとシュライヒャーは考えています。

シュライヒャーはシンガポール国立教育研究所の客員教授として、シンガポールの教育改革について学ぶことができたそうです。そこでは、教育省、国立教育研究所、各学校がそれぞれ責任を持ち、改革を実行するために互いに歩調を合わせているそうです。国立教育研究所の教授たちは定期的に教育省の会議に参加しており、彼らは国の政策に沿った教育をおこなうことができます。校長たちは、メディアを通じてではなく、直接教育省から主要な改革計画を知ることができます。新たな政策は、実行に向けた能力開発計画と同時に発表されます。

教員の評価システム

教員の評価システムはなかなか稼働しません。それは、大きな理由として、教員の成果を測定するためにどのような基準を使用すべきかの合意がないからです。幾つもの問いが生まれてきます。しかしながら、これらの問いのうちの幾かは合意が生まれつつあるそうです。生徒のテスト結果は、重要な情報を提供しますが、授業の質を完全に把握することはできません。テストの得点だけに頼ると視野が狭くなります。教員評価制度は、教員養成や専門能力開発、学校管理職の養成、教育改革や魅力的な職場環境づくりに教員を巻き込むことを含む、教員という専門職への総合的な取り組みの一つである必要があるのです。

シンガポールの全ての公務員やその他の大勢の専門家のように、教員は毎年政府から13の異なるコンピテンンーについて評価を受けます。それらは、学力だけではなく、担当する生徒の学力向上と人格形成に対する教員の貢献度や、保護者や地域社会とのコラボレーション、同僚や学校全体への影響を含みます。教員がこれをトップダウンの説明責任制度ではなく、むしろ改善やキャリア開発の方法としてとらえていることは興味深いとシュライヒャーは言います。素晴らしい成果を上げた教員は、学校の賞与基金から賞与を受け取ります。3年間教えた後、教員は毎年三つのキャリア、すなわち指導主事、カリキュラムや研究の専門家、学校管理職のうち、どれが自分に最も適しているかを判断するために評価を受けます。興味深いことは、個々の評価制度は、学校エクセレンスモデルの全体計画に位置づけられていることだと言います。

最も高い成果をげている教育ンステムでは、システム全体の有効性と効率に責任を持つ機関あるいは機関の集合体が、活動を停止する一定レベルの権限を有します。通常、これは国または州の教育省です。彼らは国の教育の質と効率性に対して責任があるため、長期的な計画に対しても包括的に責任を有します。彼らは研究を委託し、意思決定の際には研究成果を慎重に用います。これらの機関で働くことは、その国の教育をリードする教育者にとってふさわし目標であると広く考えられているのです。その職員が人々の尊敬を集めることからも、これらの機関の願いは真剣に受け止められているようです。

教育制度の様々な部分は、互いに調和して機能するように設計する必要があると言います。教育制度には、効果的な計画を作り、計画が確実に実行されるようにする必要があります。つまり、国や州の教育省には、必要な分析をおこない、現場を支援し、計画の進捗状況を監督し、結果を判断し、必要があれば軌道修正する能力を持つことが求められます。連邦制の国や州がこの能力を欠いている場合、包括的で一貫性のある計画を作ることは難しいと言います。また、たとえ計画できたとしても、国あるいは州が計画を実行する能力を持っていなければ、その政策がどのようなものであるかはあまり重要ではないかもしれないとシュライヒャーは言うのです。

連邦政府による教育監査の経験は、どのようにして州が協力的になるかの有益な洞察を提供してくれると言います。カナダの教育大臣評議会とドイツの常設教育大臣会議は、州の教育大臣が頻繁に会合を開いて調整するためのフォーラムを提供しています。正式な権限は限られていますが、これらの機関は優れたアイデアや実践を州を超えて普及させる重要な役割を果たしているのです。そして、地域が互いに学び合うように促すのです。