クラス編成

次に考察しているのは、「能力別クラスで成績が良くなるのか」ということについてです。何世紀もの間、教育者は学校システムをどのように設計すれば、全ての生徒のニーズに最適化できるかを問い続けてきました。幾つかの国では、全ての生徒に同様の機会を提供する非選択的かつ包括的な学校システムを採用し、生徒の能力、興味、背景の全てに対応するように各教員と学校に任せました。他の国々は、学校間と学校内のクラス間で、学力や特定のプログラムへの関心に基づいて生徒をクラス分けすることによって多様性に対応しました。伝統的には、前者が公平性を提供し、後者が質と卓越性を促進すると言われています。

能力別等で生徒をクラス分けする背景にあるのは、互いの学習への関心を強めると、生徒の才能が最もよく発達するという仮定です。

クラス編制の方法は、国によってかなりの差異があるようです。PISAで成績上位の国は、能力や進路等のグループ別のクラス編制をおこなっていないそうです。成績上位の国は、全ての生徒に学ぶための平等な機会を提供しているのです。

生徒の能力差が少ないクラスや進路等のグループ別クラスの学習成果が必ずしも良くないことは、他の研究とも一致するそうです。能力や進路等のグループ別のクラスは、カリキュラムや指導に適切な調整が加えられたときにのみ効果的だと言われています。

これまで私たちの社会と経済は、比較的少人数の教育を受けた人や集団がいれば十分であり、一部の生徒だけが学校で成功すればよかったのです。近年は学校での成績低下が社会経済的コストを伴い、社会的に不公平なだけでなく、非効率になっていると言います。現代の教育システムと社会では、公平性と包摂性が不可欠だとシュライヒャーは言うのです。

ここまでシュライヒャーは、学習成果に何が影響するかについて、幾つかの神話を暴いてきました。では、高い成果を上げている教育システムがどのようにつくられているのでしょうか?優れた学校システムは何が違うのでしょうか?彼は、それを次に分析しています。

では、成功した学校システムとはどのようなものなのでしょうか?すぐに回答を得たがる政策立案者は、データやエビデンスが集まり、研究が進展する進度の遅さにいつも苛立つようです。彼らは「単なる経験談の寄せ集めはデータではない」ことを忘れてしまうのだろうとシュライヒャーは指摘します。

OECD生徒の学習到達度調査(PISA)によって集められたデータは、答えのない数多くの問いだけを残していきます。私の常々思うことですが、データは一つであっても、その読み取り方でそのデータが持っている意味が違ってくるということです。このことは何度かブログでも書きましたが、データだけ示して、それがいかにもエビデンスかのように言う人がいますし、経験談の寄せ集めに対してそれはエビデンスがないということが多くあります。私が実践からの子どもの姿からの考察をすると、エビデンスがないと言われることが多くありました。それは、研究ではないとも言われたこともありました。しかし、シュライヒャーはこう言っています。確かにその結果は、ある時点の教育システムの一面を教えてくれます。しかし、学校システムがどのようなプロセスで成果を出してきたか、あるいはシステムの発展を支えたり妨げる可能性がある団体や組織を示すことはないし、そのようなことはできないと言うのです。さらに、データは因果関係について何も教えはしないとも言います。彼は、相関関係はしばしば私たちを欺くと言います。太陽が昇れば鳥はさえずりますが、毎日、毎年、世界中のいたるところで鳥たちがさえずるからといって、鳥が鳴けば太陽が昇るわけではないのです。