間違った仮定

シュライヒャーは、OECD生徒の学習到達度調査(PISA:Programme for International Student Assessment)のような国際テストは各国が他国の教育システムと比較してどのような成果を上げているかを映し出す鏡であると同時に、多くの間違った仮定を明らかにし、教育改善に向かうことを可能にするという意図があると言います。教育界には、思い込みというか、間違った仮定があることが往々にしてある気がしています。また、いくら国際比較と言っても、その国の文化によって、随分と違いがあります。例えば、これからのグローバルな時代になるために、日本では英語教育に力を入れ、小学校から授業が行われるようになりました。しかし、アメリカでは、英語教育というのは国語教育のことで、その内容は随分と違います。ですから、国際調査では、日本の英語のテスト内容とはずいぶんと違って、読解力とか表現力になるのでしょうが、随分とハンデがあります。

先日、日本では学級編成の標準数が、現在、小学校1年生が35人、2年生から中学生までが40人ですが、最近見直しが発表されています。その理由として、主なものが三つあると言われています。1つ目は、コロナをはじめとする感染症対策です。教室内を密にしないということです。2つ目は、児童生徒一人ひとりに注意が行き届きやすく、学習面や生活面で、きめ細かな指導ができ、教育の質の向上が期待できるからだと言われています。そして3つ目は、小学校で3割超、中学校で6割近くが過労死ラインに達するとされているため、教員の長時間労働の軽減を意図します。確かに、日本の学級規模はOECD加盟国の平均を上回って大きい水準にあるという実情もあります。しかし、少人数学級の費用対効果は、よくわかっておらず、感染防止効果も不明です。どうもエビデンスに乏しいようです。

シュライヒャーは、教育改革を提案する前に、まず、「いくつかの神話を暴く」ということで、彼自身が世界を広く見て、OECDが行った様々な調査結果から見て多くの間違った仮定を明らかにしようとしています。

まず、「貧しい子どもは成績が悪い。これは運命なのか」という仮定について検証しています。それは、多くの人は、生徒が持って生まれた貧困を補うために教室で奮闘する教員でさえ、貧困は必然だと信じている場合があるからです。しかし、PISAの結果は、それが誤りだと示しているようです。社会集団の良し悪しがそのまま学校の成績や日常生活に直接結びつくとは限らないというのです。

彼は、この話には二つの側面があると分析します。一方は、全てのOECD参加国で学習成果と生徒や学校の社会的背景には関係が見られることです。これは教員や学校にとって大きな課題です。しかし、一方で、社会的背景と学習成果の質との関係は、教育システムで大きく異なるのです。つまり恵まれない生徒だからといって、必ずしも学習成果も悪いわけではないのです。2012年のPISAでは、上海で15 歳の最も恵まれない10 %の生徒が、アメリカや他国の最も恵まれた10%の生徒よりも優れた数学的リテラシーの成果を示したのです。同様に、2015年のPISAでは、エストニアとベトナムの最も恵まれない10 %の生徒がORCD加盟国の平均的な生徒と、同様の成果を示したそうです。