規準化

ハンプルクでは、強いリーダーシップと思慮深く持続的なコミュニケーションがなかったため、学校改革がうまくいきませんでした。しかし、その最低限の取り組みは今もなお残っているそうです。全ての生徒が高い水準に達することが可能であり、そうすることが必要であるという前提の上に教育システムを構築することなく、高い成果と公平な学習機会を提供し続けることはできません。全ての生徒が同じ水準の教育を与えられ、維持されることの重要性は、強調しすぎることはないとシュライヒャーは言います。PISAは、これがあらゆる文化的背景においても可能であること、その目標に向かってすぐに成果が表れることを示しているというのです。

カリキュラムの規準化によって、厳密かつ集中し、首尾一貫した教育内容を生み出し、高い成果を上げる教育システムを生み出すことができると言います。各学年にわたる教育内容の重複を減らし、異なる学校で提供されるカリキュラムのばらつきを減らすのです。そして、おそらく最も重要なのは、社会経済的背景が異なる人々の不公平を減らすことです。

ほとんどの国は、カリキュラムの規準化を進め、さらに中等学校の外部テストにも活用しているのです。通常そのようなテストは、生徒が就職や次の学校段階、あるいはその両方へ進むための入り口となります。OECD加盟国を見ると、規準化したカリキュラムに基づいた外部テストを必要とする学校で学ぶ生徒は、そのようなテストがない学校で学ぶ生徒よりも、平均してポイント得点が高いそうです。しかし、テストの設計を間違うと教育制度が元に戻り、評価や教育の対象となる範囲を狭めたり、近道をしたり、詰め込んだり、偽ったりすることになります。

PISAで高い成果を上げる教育システムのほとんどが、複雑な高次思考スキルの習得、現実世界の問題解決へのスキルの活用を重視していることに注目すべきだと言うのです。これらの国々では、生徒に「誰が正しいのか」「どのように理解しているのか」「彼あるいは彼女が正しいと説明できるか」等の質問を投げかけることで、教員は生徒の理解度を把握し、さらなる思考を促します。

上海が伝統的な教科を「学習領域」に再編したことは、このような工夫の一つだそうです。フィンランドはこの点で最先端だそうです。その教育制度は、生徒と教員が教科の枠を超えて思考し、実践するクロスカリキュラムを幅広く取り入れています。

したがって、ワールドクラスの国々は、多肢選択式のコンピュータ採点のテストに依存していません。その代わりに、小論文試験や口頭試問をおこなったり、定期テストだけではなく最終学年の成果物も評価対象に加えます。

同時に、幾つかの国では、厳密性や比較可能性を高めるための努力がなされているそうです。シュライヒャーはドイツ最大の州であるノルトライン・ヴェストファーレン州の共通の学校卒業試験を作成する調査委員会に参加していました。そこでは、政治家や専門家が妥当性や信頼性を犠牲にすることなく、学校による筆記テストから規準化された評価形式へと移行するために苦労する姿を見たそうです。

有効性や比較可能性、妥当性や信頼性という目標は、最初は調整が難しいように見えます。しかし、多くの国では、入試選抜のような重要なテストのリスクを軽減しながら、メリットを生かす高品質の試験制度の構築に向けて大きな進展が見られるようです。

規準化” への8件のコメント

  1. 「PISAで高い成果を上げる教育システムのほとんどが、複雑な高次思考スキルの習得、現実世界の問題解決へのスキルの活用を重視していることに注目すべきだと言うのです」とありました。このあたりは日本が弱い部分かもしれませんね。公式さへ覚えていればなんとなかる的な教え方をされてきたからでしょうが、機械的に問題を解くということが重視されている
    のがまだまだ日本なのかもしれません。もちろん全てではないと思うのですが。現実世界の問題を解決する方法なんて、学生時代に議論したかなと思ってしまいます。学ぶことを引き出すというより、いかに物事を覚えるかという学習法は楽しさをなかなか感じにくいなと思ってしまいます。「したがって、ワールドクラスの国々は、多肢選択式のコンピュータ採点のテストに依存していません。その代わりに、小論文試験や口頭試問をおこなったり、定期テストだけではなく最終学年の成果物も評価対象に加えます」というのはいいですね。高校生の時に小論文をひたすらやっている時期があったのですが、様々なテーマについて自分なりに考えるというのがとにかく面白かったということを記憶しています。あることを論じるためにはそのことを知るという準備も必要で、そうやって知ろうとすること、覚えることというのはとても面白かったです。まだまだ「学ぶ」というものが本来どのようなものなのかということが広く認識されていないのかもしれませんね。

  2. 今回のブログを読みながら、やはり想起するのは、SDGs。その中でも、4。「質の高い教育をみんなに」。このSDGsのモットーは前回のブログコメントにおいても紹介しましたが「誰も置き去りにはしない」です。ですから教育に関わるSDGs4の「みんな」の意味が明確になってきます。「みんな」とは、教育を受ける一人一人、みんな。「ワールドクラスの国々は、多肢選択式のコンピュータ採点のテストに依存していません」このことを日本の教育界に携わる方々にしっかりと認識してほしい。今回から導入された「共通テスト」。その本来の目的も「多肢選択式のコンピュータ採点のテスト」から脱却だったのではないでしょうか。まぁいきなりの「小論文試験や口頭試問」では現在の高校生及び浪人生の皆さんには酷でしょう。しかし、現在の小学生から論理的に物事を考え、知識と知識を結び付けて、課題に対して自分なりの見解を記述する、あるいは弁論する、試験にしてほしいですね。もうやらなければならない時期ですよ。

  3. 学校改革に必要な「強いリーダーシップと思慮深く持続的なコミュニケーション」と聞いて、6Csのクリエイティブイノベーションやコラボレーション、そしてコンフィデンスを思い出します。いついかなる時からでも学べる6Csは、大人が学びを得られる機会でもあり、学校との連携という場においてのコミュニケーションは非常に有効な環境であり、それを子どもたちの前で実践するということに大きな価値があるように感じました。そして、「カリキュラムの規準化によって、厳密かつ集中し、首尾一貫した教育内容を生み出し、高い成果を上げる教育システムを生み出すことができる」というように、首尾一貫という「連続性」がキーワードのように感じます。単元ごとで終わるのではなく、異なるカリキュラム同士がつながるような総合的学習が重要であると言われている由縁でしょうか。何かのスタンダード化を図る上で、やはり「規準化」は大切なのですね。

  4. とても有意義で大きな流れが生じていることを知りました。社会経済的背景が異なる人々の不公平を減らす為には、一人一人に必要な支援を届けることなのでしょう。その時に、必要度が高い人に支援の強度が高まるのは当然のことであると、皆が納得することが重要ですね。

    複雑な高次思考スキルの習得、現実世界の問題解決へのスキルの活用を重視する、とありました。前者はよくわかりませんが、後者は非常に重要なことであるとわかります。学校教育での教科的な学びは果たして社会でどう役立つのか?誰しもが一度は抱いた疑問ではないかと思うからです。現実社会と結びつけることで、学びへの興味は深まり、探究心が湧いてくるもの、また逆に自分の興味関心という切り口から、教科を学ぶことができれば、より一層意欲が駆り立てられると考えます。

    そして、コンピュータ採点のテストに依存しないということが、とても重要に見えました。詰まるところ、人の力はコンピューターでは測れないのだと思います。現実世界の問題解決というのも、同様にコンピューターによる計算では弾き出されないものなのですね。

  5. 日本でも今年から大学入試が「共通テスト」となったということがニュースでありましたが〝ワールドクラスの国々は、多肢選択式のコンピュータ採点のテストに依存していません〟という流れに乗るためのものであったかと思います。やはりと言いますか、機械には人の本当の能力をはかるのは難しいのではないでしょうか。そうであって欲しいという希望もあります。これから先はどんな最新鋭のものが登場してくるか分かりませんので、一概には言えないんだと思いますが…。ですが、現実に起きている数々の難しい問題はやはり、人たちのつながりがあっての解決していくものだと思いました。

  6. これだけ良いとされているものというのは、やはり国や、地方や、学校や、一教員がもつエネルギーや能力を惜しげもなく注がれているからこそできることなのでしょう。ただそれだけ教育に力をいれるというのはエネルギーの必要なことであるということもわかります。ただ、それが結果として現れるか、というのは火を見るより明らかでしょう。多肢選択のテストが悪いわけではなく、そこで楽をするならば、別の部分でいかに尽力できるか、というところですね。

  7. テストの結果に依存していないのに、テストで結果が出せるという、むしろ依存していないからこそ出せているのであれば、何か皮肉めいたものを感じてしまいます。高い次元での取り組みは、水が高きから低きに流れるように、麓の課題を難のないものにしてしまうのかもわかりません。
    その高次元での取り組みがカリキュラム化され、実践者によって遵守されていくシステムというのは、考えただけでも素晴らしいと思えます。

  8. ドイツと言えば強いリーダーシップのイメージがあるのですが、ハンブルクにおいてはそうではなかったのですね。各国の取り組みを知っていく中で、自分自身は日本の教育を体験してきて、わかっているつもりでしたが、世界にはどのように伝わっているのだろうと感じました。他国とのコミュニケーションにおいて、うまいとは言えないようなイメージがありますが、お互いに正しく理解できないと危険な例として挙げられているような以前の教育体系に戻る可能性もあるため、生徒のみならず、皆がどのように理解しているかを知るのも大切に感じました。

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